松永和紀「メディア・バイアス」光文社新書

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)

最近光文社やちくまが新書でメディアリテラシーものを良く出していが、その流れにあるだろう本。「「ニート」って言うな!」「犯罪不安社会」とか「つっこみ力」「ダメな議論」とか。どれも良い本で、これもまた面白かった。

これは書店に並んでいたのを見るまでその存在を知らなかった本だけれど、パッと衝動買いして一気に読んだ。元毎日新聞記者、そして現科学ライターとしての自身の体験を具体的に交えて、メディアが垂れ流す「健康情報」がいかにでたらめなのかをきちんと指摘している。また、健康情報もそうなのだけれど、「科学的」な装いがいかに無根拠なものか、「マイナスイオン」「水からの伝言」等も取り上げて批判している。

そこで著者が強調するのは、嘘健康情報やニセ科学そのものだけではなく、それを好んで話題に挙げるメディアの問題だ。わかりやすく、フックのある話題を優先するあまり、科学的に間違っていたり、二、三十年前の認識のままなされる発言、言動などが社会に浸透してしまうことを危惧している。それが、メディアにより情報の取捨選択、「メディア・バイアス」というわけだ。

内容、記述が具体的で簡潔なので、さくさく読める上に日々接している食べ物などにかんする記述が多いので、身近に感じることができる話題が多いのが良い。「あるある事件」直後と出版のタイミングとしても時宜を得たもの。

  • 量の大小

この本の肝は第二章での、量の大小こそが大事なのだと主張している部分だ。ここをきちんと把握しておけば、たぶん嘘健康情報のたぐいに騙されることはなくなるだろう。

まず、著者は思考実験としてこういう例を出している。

ある部屋の金庫には人を何万人も殺すことができる青酸カリがつまった瓶がる。しかし、金庫は厳重に施錠され、破損しないように措置が講じられている。その隣のテーブルにはアルコール分40パーセントのウィスキーが四リットル入った大きなペットボトルがある。

さて、このどちらが危険か?

青酸カリは確かに危険だが、厳重に保管されていて普通には手を出すことができない。しかし、ウィスキーは誰でもあけることができ、飲むこともできる。アルコールの致死量は体重一キロあたり四、五グラム。一リットル飲めば死んでしまう量だ。四リットルあれば四人は殺せる。

さて、どちらが危険か?

食品添加物などの危険性を指摘する声は多いが、その多くは、何をどれだけ食べたら危ないのか、という観点が欠けている。著者の説明によれば、普通、食品添加物動物実験を繰り返して、実験動物が一生涯毎日食べても大丈夫な無毒性量を算出する。そこにマウスなどと人間とは毒物に対する感受性が異なる可能性を考慮し、その無毒性量を十分の一にする。さらに、幼児や老人などを考慮し、そこからさらに十分の一にした百分の一を、人間が一日に食べてもよい量だと指定する。この時点で、相当の厳重さでリスク対策をしていることがわかる。物質の特性によっては千分の一にする場合もあるという。

動物が毎日食べても影響が出ない量の百分の一を、人間が一日に食べても安全な限度とする。これは素人考えでも、相当安全なやり方に見える。*1

食品添加物などは、確かに大量に摂取すれば有害だろう。しかし、抽出した純度の高いものを大量にラットなどに与える実験結果を、そのまま人間にも適用することはもちろんできない。

また、βカロチンががんや心臓疾患に効く、とわかってから、アメリカでは喫煙者などに錠剤をサプリとして摂取することが推進されたという。しかし、βカロチンを一日二十ミリグラム投与された人たちはそうでない人たちより、がん発生率が高くなってしまったという調査結果が出た。他にもアスベストを吸い込む機会の多かった人たちを対象にした調査で、βカロチンサプリ摂取者は同じようにがん発生率が高くなることがわかり、喫煙者たちに対してβカロチンサプリを摂取することは、いまでは控えるよう指導されているという。

自然の状態で取り入れるものを、人工的に大量に摂取することは、元が何であれ有毒になる可能性が高まるということだ。これは酒にかんする常識と同じだ。なんでも摂りすぎはよくない、というただの常識だろう。しかし、そのような常識で考えればわかりそうなことが理解されていない。

  • メディア・バイアス

また、環境ホルモンが人間にほとんど作用を及ぼさない、ということを指摘しながら、著者はこう書いている。

環境ホルモン騒ぎの時、)一部の研究者にとって、この時代はまさに研究費バブルでした。(中略)政府は九八年環境ホルモン対策に百数十億円の補正予算を計上。翌年以降も年額七〇億から八〇億円の予算を費やして、二〇〇二年まで委託研究を行い、多くの研究者が研究資金を受け取っています。研究者が人びとの不安を煽れば煽るほど、国が予算を捻出し研究費が潤沢になる、という構図です。

81-82P
その結果、多くの研究者にとっては以前から予想されていたとおり、人間に作用する環境ホルモンは影響が確認されなかった。

つまり、一部の研究者や省に昇格する直前の環境庁などが騒ぎを利用した形だったわけだ。

不安報道は金になる。これが適当な報道がまかり通ってしまう大きな要因だろう。「警鐘報道」と著者が表現するような、不安を煽る報道は確かに耳目を集めやすく、金になる。視聴率欲しさに捏造でもいいから健康情報を流すテレビも同じ構図になっている。

メディア・バイアスの最大の原因はここだろう。視聴率、販売部数、広告収入、政治的駆け引き、様々な利益誘導が絡み合って、メディアに様々なバイアスがかかる。そこには当然視聴率や販売部数の動因である視聴者、読者の存在がある。

  • 天然は安全か?

著者は、健康自然食品として注目されている無農薬野菜、有機農業についても面白い指摘をしている。普通、無農薬といえば安全な食品だと思われているが、そう話は単純ではないという。農薬を使わずに育てると、病害虫などに対抗するため、天然の農薬を作物が体内で有毒物質を作る現象が見られるという。

ある実験では、農薬を使ったものと使っていないものと、最初だけ使った三つの種類のリンゴを調べてみると、一部の人にアレルギーを起こすアレルゲンが、無農薬栽培のものから最も多く検出され、農薬を使ったものはもっともアレルゲンが少なかったという結果が出たという。

また著者は無農薬野菜に懸念されるリスクとして、微生物汚染が存在していることも指摘している。

もちろん、だからといって無農薬の方が危ない、ということではなく、農薬を使うことと使わないことのリスクの差を慎重に検討することが求められるのであって、ただ単に農薬を使わなければ安全な食物が作れるわけではないということだ。

端的に農薬を悪役扱いするという黒白思考が、こうした無根拠な神話を作り出してしまう。なお、無農薬、有機農業が必ずしも味がよいわけではない、という指摘もあり面白い。

  • 地味な結論

まあ、何事もリスクを具体的に考慮してよりよい方を選んでいきましょうという至極地味な結論になるわけで、しかしその結論がなにより大事なはずなんである、と。しかし、私はまったく見たことはないし、参考にするきもない健康情報番組やそれを見る人たちは、食事は多種の食材をバランスよく食べましょう、という中学生の家庭科レベルの常識を、すっかり忘れ去ってしまったのだろうかと不思議でならない。中学生からやり直してはどうか。

「納豆を食べたらやせる」、とかさ、バカか?と思うわけですよ。食べたら太るんだよ、何を食っても。1+1=2と同じくらい自明でしょう? 食べたら食べた分のカロリーを消費するなりしないとやせるわけがない。

常識、といえば「水からの伝言」が本書で取り上げられているけれど、あの本の理屈って、大人がきちんと批判しなければならないほどまともなものとは到底考えられないくらい低レベルな疑似科学であって、その点ではゲーム脳などの方がなるかにやり方としては洗練されていたというくらいの代物なのに、なぜ教育現場に進出してくるほど広まったのかが不思議だ。文中にもあるとおり、小学生すらだませない疑似科学なんぞ、疑似科学以下でしょう。浦安市市長が市報で「水からの伝言」を取り上げて、量子力学によるところの波動が云々、なんていう爆笑ものの文章を書いてたりするのを見ると、ちょっとあきれるを通り越して不気味ですらある。

私も先日、「水素水」とかいう商品を見つけた。?が浮かんだ。H2Oが水だと思ったけれど、水素Hがさらに入っているのか?、過酸化水素水とは違うし、と怪しさ満載だったのだけれど、活性水素水、と、まあ怪しい代物ですね。

いろいろ書いてたら無駄に長くなってしまったような気がする。まあ、科学的根拠に基づいた健康情報トリビアとしても面白いですね。

最後に。「メディア・バイアス」というわけでメディアの自浄作用のなさなどを批判するこの本だけれど、この本だけではなく、メディアの誤報、捏造などを話題にする連中のなかで、すぐ声高に「マスゴミ」などという感情的な言葉遣いをするのがいる。自分で使うだけではなく、ちょっとメディアの問題点を話題にしたブログにわざわざやってきて、あなたも是非マスゴミと呼ぶといいでしょう、みたいなお節介なのまでいて呆れかえる。

この種の連中は、この本で最初に指摘されているような、黒か白かの単純な二項対立思考に自ら嵌っていることがわかっていないのだろうか。マスコミを批判しているつもりが、ただのマスコミ悪玉論に陥ってしまうようでは同じ穴の狢でしかない。冷静に、物事を具体的に判断する慎重さが要請されるのであって、「マスゴミ」などと安易な判断をしているうちは「マスコミ」批判にも説得力がない。

*1:著者はここで、人間が動物よりも毒物などに対する感受性が鈍い可能性を指摘している。ここでは、他の動物を絶滅に追いやる人間は頑健だ、と述べている部分があるのだけれど、これはちょっと分かりやすさを狙うあまりの勇み足に見える。マウスやラットに比べて人間が毒に強いというのは、私も直感的に理解できるが、その理由は端的に人間の方が実験動物よりもはるかに大きい、体重が多いからだろう。薬や麻酔の効きというのは体重に反比例するようなので、体の大きい動物にはより多くの量が必要なんだろう。