捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ! - 人権を守るという価値観のない国
日本の事件取り調べや難民認定の制度に対して、国連の拷問禁止委員会からついに具体的な改善要求が出されたという話。委員からは「人権を守るという価値観が日本にはないのか」とさえ言われるほどだと言うからすごい話だ。
あまりなじみのない難民問題(確か日本の難民受容は相当に程度が低く、国に戻ると危険な亡命者を追い返したりしていた)以外に、自白強要、代用監獄などなどはわりとよく聞くのだが、国際的にもやばいくらいひどいというのはさすがに驚く。
先のブログの補足エントリでも紹介されている日弁連による拷問禁止委員会の要求。
まず代用監獄について、委員会は、未決拘禁を国際的な最低基準に適うものとするための効果的手段を即時に講ずるべきこと、とりわけ、未決拘禁における警察留置場の使用を制限すべく刑事被収容者処遇法の改正を求めている。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/070522.html
つまり、いまの日本は先進国とはいいながら、未決拘禁については国際的な最低基準を下回ってしまっているという非常に恥ずかしい状況にあるということらしい。うっわ。
日本にもきちんとした軍備をと要求する人たちは「普通の国」ということをしきりに言うが、人権の基準は国際基準最低以下のままでも良いんでしょうかね*1。
しかし、buyobuyoさんのブログで興味深かったのはこの文章だ。
冷静になって考えてみよう。これがよその国だと考えてみよう。こんな取調べをする国に自国民を引き渡すか?
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20070622#p1
いやあ、引き渡さないでしょう。と、ここで思い出したのが「治外法権」。明治期日本が結ばされた条約に含まれる関税自主権と並んで重要な項目で、この一方的な条項を含む条約改正のために時の主要権力者の大半が欧米視察を行い、近代化を目指して多大な努力をしたことはまあ、いまさらな話だ。
で、なぜ治外法権(領事裁判権というのが正しいのか)が条項にあったかといえば、
東アジア諸国では近代的な法制が未整備であって欧米人を東アジア諸国の裁判権に服せしめるのは適当でない
領事裁判権 - Wikipedia
と見なされたからだろう。もちろん、アメリカをはじめとした国家の一方的な「近代」観という偏りはあるにしても、彼らからすれば自国民を引き渡したくない近代以前の国家として見られていたということだ。少なくとも、それを名目に領事裁判権は定められている。
ここらへんきちんと調べていないので当て推量になるが、近代的な法制度というのにはもちろん人権擁護が含まれているはずで、正当に裁判を受ける権利とか弁護士を雇う権利だとかそういうもののことだろう。
近代的な法制度が整備されていないとして領事裁判権を定められると言うことは、近代の国際社会において、主権を持った一人前の国として認められていないと言うことだろう。
拷問禁止委員会からの通告は、日本が人権という尊重すべき理念を全く尊重できていないことを指摘し、その観点からすれば日本が国際社会から見ればいまだ幼稚な一人前ではない国家と見なされかねないことを意味しているのではないか。
また、個人的には大人であるということの一つの条件は、公的な場では建前をきちんと尊重すべきものとして扱えるということ(本音として否定的な考えを持っていたとしても)だと思っている。
最近、立て続けに従軍慰安婦問題と南京事件問題で、恥ずかしすぎる対外アピールがあったが、これなどは、自分の主張が外から見たらどういう風に見られるかということをまったく考えられない子供の行いだ。
両者ともに歴史学的にも政府の公式見解的にも、とうに決着が付いている問題(意見広告についてマイク・ホンダ議員が十年前にすでに根拠がないとして決着が付いた問題だと言ったのはその通りだろう)だが、その事実問題を脇に置いたとしても、彼らが主張したがっている内容はそのままでは危険な修正主義者の暴論としか思われないものであるにもかかわらず、それを勘案した広告戦略をとれていない。事実は自分たちこそが知っており、この事実を提示すれば自分たちの主張が通るはずだ、という非常に貧しい認識しかない。
安倍発言もそうだが*2、従軍慰安婦問題などは、被害者がいまも生存している現在形の人権侵害問題であるにもかかわらず、ワシントンポストに載せた広告では、そうした問題について配慮することなく、また具体的な根拠なく慰安婦たちの証言がきわめて疑わしいものだという主張を行ってしまっている。そうとう慎重な戦略が必要な主張のはずなのに、これが事実なんだと傲慢に主張しており、これなどはいわばセカンドレイプそのものだ。
しかもそのような主張に与野党の議員が多数名を連ねているという事実。
要するに、これは修正主義に十数年コミットしていた安倍晋三はじめ、日本では人権という観念そのものがなく、自らの主張の意味を客観的に認識することができないらしい集団が政府のトップに相当数存在しているというアピールになってしまっている。言い換えれば、いまの日本は近代以前の未開国家ですよ、という国際アピールだ。何人ものブロガーが「国辱」ものだというのはその通りとしか言いようがない。
保守的な議員には日本を戦前の水準に戻そうとがんばっている人たちがいるな、とは思っていたが、まさか明治の近代国家以前の水準にまで戻そうとする人たちがいるとまでは思っていなかったので、たいへん驚いた。
ここ一連の事件は、慰安婦決議案可決に繋がるのみならず、さらに日本が不利になる状況を作り出す要因になりかねないような気がするのだが、大丈夫だろうか。