最暗黒の日本 - 生田武志「ルポ最底辺」ちくま新書

ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)

ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)

「<野宿者襲撃>論」の生田武志の新著。前著もとても重く、考えさせられる本だったが、本書も凄い。

「ルポ」とあるように、本書は日本最大の寄せ場である大阪釜ヶ崎の野宿者、日雇い労働者などが置かれた状況を非常に具体的に解説した本になっている。前著では「野宿者襲撃」についてのわりあい理論的な考察が主題としておかれていたが、本書では二十年間野宿者支援活動を続けてきたという著者の経験を積極的に取り込んで、生々しく説得力ある本となっている。

これを読むまで知らなかったが、生田氏はじっさいに釜ヶ崎で日雇い労働者として何年も生活を続けてもいたようで、日雇い労働の現場の経験がいくつも書き込まれていて、その状況の凄まじさには言葉がなくなってしまう。

野宿者のおかれたどうしようもない悲惨な状況が何度も出てきて、読んでいると、涙が出てきそうなほどだ。著者は、自分が出会ったいくつもの事件についてもことさら感情を煽ったりせず、冷静に文章を綴っているのだけれど、何気なく数行で終わってしまう描写の裏には、大きな感情の動きがあったのだろうことがうかがわれて、ただ黙り込むしかなくなってしまう。たとえばかなり冒頭にはチョークの線が書かれた小さな写真とともに、「著者が通報した路上死の跡(2007年5月)」とキャプションが付いている……

この本に書かれていることには重要なことが多すぎて、できることなら全ページ引用したいくらいだ。それだけ興味深く、重要で、面白い本だ。少しでも貧困、野宿者、労働などなどの問題に興味があるなら、是非とも読まれることを薦める。


「日本社会が抱える労働、差別、貧困、医療、福祉の矛盾が集中する『日本の縮図』」釜ヶ崎では、労働の非正規化が進み、フリーターが増加し、ワーキングプアが問題になるはるかまえから、同様の問題に直面してきた。その釜ヶ崎を丁寧にスケッチした本書は、現在日本の労働問題に直結している。これは、そんな日本のなかでも年間二百人が路上死しているという「最暗黒の日本」についてのルポルタージュだ。


以下、長くなりすぎたので、


●日雇い労働

著者は自分がなぜ釜ヶ崎の野宿者支援活動に参加したのか、ということから話をはじめ、寄せ場が当時の経済において果たした役割などについてもデータを交えながら解説している。

最初の章では著者の具体的な経験が非常に興味深い。支援活動に参加した経緯、日雇い労働生活を始めたときのことや、労働者同士のエピソードなどなど、労働者たちが当然ながら普通の人たちであることがよくわかる人間的な繋がりの描写が良い。著者は、日雇い労働者になる人たちはむしろ普通以上に真面目な人間が多い、と感想を漏らしている。これは、後に述べる自立志向の野宿者と関連して、生真面目であるが故に野宿に転落したケースを考えることができる。

支援活動をしていくなかでは、野宿者たちは健康に問題を抱えた人が非常に多いことが指摘される。何らかのけがや障害で野宿に至ることも多いことを考えればそれは当然でもあるのだけれど、それにしても、たとえば結核の感染率が十人に一人、というのは凄い。これは貧困を原因としたもので、発病率は全国平均の48倍、死亡率は43倍にもなり、カンボジアや西アフリカの二倍、2006年に至っても「世界最悪の感染地」だという。

問題点が多すぎて拾いきれないが、たとえば、バブル期に建築業の好況と裏腹に日雇い労働者が切られた、という状況があったという。若年層の常用を進めていくなかで、高齢化し賃金も相対的に高くなった日雇い労働者が切り捨てられた。著者はこのことから、好況、経済成長は必ずしも労働問題に対する処方箋たり得ないことを指摘している。これは、現在の非正規雇用を考えてみても妥当な指摘だろう。経済成長をするのはいいが、そのために企業目線で都合の良い労働形態を推し進めてしまうと、使い捨てられる非正規雇用が一方的に割を食い、好況にもかかわらず、労働者だけは楽にならない、という事態が出来することになる。

そもそも、日雇い労働のシステム自体が実は問題含みものだ。戦後労働者供給事業が中間搾取や強制労働のおそれがあり、封建的身分関係を前提とする制度だとして禁止された。その後86年に労働者派遣法が施行され、いくつかの専門的分野に限り派遣が可能になった。しかし、この制度は後に拡大されていき、99、04年の改正を経ていまではほとんど自由化されている*1。しかし、当時も今も建設業の労働者派遣は認められていないという。釜ヶ崎でのそれも本来ならば禁止対象だが、厚生労働省はこれを黙認している。それは、建設業という気候の変化や、大きなプロジェクト、景気の変動といった諸要素に影響を受ける土木建設業は、一日単位で労働者を調節できる「景気の安全弁」としてこれを活用した。


●排除しつつ利用はする

こうした日雇い労働者が置かれている状況について、著者は自らの日雇い労働生活での体験を交え、労働者たちがどんな場所で働き、どんな差別的な待遇がなされているのかを明らかにしていく。

組織や何の後ろ盾もない、生身の労働者である日雇い労働者には、様々な形で不利な状況を背負わされていることが指摘されている。嘘の労働条件、賃金未払い、いじめ、暴力、さらには労災を申請すると仕事の手配師からハブられるなどだ。日雇い労働者が二万人強、という釜ヶ崎で、「賃金未払い・条件違反」の相談は一年(1985年度・現在はそれなりに改善されてはいる)で一万五千を超えるというから凄まじい。

なかでも衝撃的なのは、アスベスト原子力発電所関係の記述だ。アスベストの除去作業に日雇い労働者が駆り出され、衛生管理のずさんな環境下で除去作業に従事させられる。アスベストの吸入がどれくらいならば安全なのか、という基準はわかっていないらしく、リスクコントロールがそもそも不可能な状況で、処理会社は日雇い労働者を寄せ場で調達してそれを行う。アスベストが肺ガン、中皮腫などを引き起こす平均年数は38年とのことで、これからアスベストの発祥ピークがやってくるだろうと著者は指摘する。また、原子力発電所への労働者調達では、作業内容の偽装や簡単で高給などの求人で、半ば騙すようにして原子力発電所での危険な作業に駆り出される。ボルトを四本締めるだけで一日分出す、などという仕事もあったらしい。そして、アスベスト除去作業も、原子力発電所での作業も著者は経験していて、原子力発電所では、手袋だけを渡され、特殊な冷却水の交換作業をしたことがあるという。原子力発電所からの求人については、福祉センターから、求人者の甘い言葉に騙されないように、という注意が出されたほど。

危険な作業であるほど、それは底辺労働者へと押しつけられていき、使役する人間たちは彼らを使い捨てにして自らの安全を維持する。使役する側は保障や高給に守られているかも知れないが、使われる側はそうではない。その構造の問題性は、電力を使うことで原発を利用する私と私たちにも突きつけられたものだ。そうでいながら、そうした日雇い労働者たちは自己責任でやっているのだと切り捨てるのがこの社会。差別し、排除しつつ、利用できるだけ利用する。自分たちのことを自分たちでまかなわないこの構造について、自己責任を問われるべきなのは、むしろ私と私たちの側だと言うべきだろう。

自己責任を問う声が高まるときはだいたい、責任を問う側こそが自らの責任を隠そうとしている時だ。


●野宿生活について

現在野宿者は全国で三万人弱と推計されている。厚生労働省の調査が存在している(2007年度では約一万八千人)が、野宿者をたずねて回るため、だいたいの実数を把握している夜回り団体の推計とは隔たりがあるという。公的な調査では野宿者の所在場所を把握していないため、だいたい実数の七割程度になってしまうのだという。なので、2007年の野宿者数はだいたい二万五千人程度だろうと著者は推測している。

また、厚生省調査では女性や若者の野宿者がかなり見落とされている。そして、女性の野宿者も実際は統計よりももっと多いだろうと推測されている。女性の野宿は危険がより高く、より見つけにくい場所にいるため、公的な調査に引っかからないらしい。本書には、明石家さんまのTV番組「恋の空騒ぎに」出演した女性が、野宿していたときには茂みの中で寝ていたと発言したのを受けて、著者は夜回りでも流石に茂みの中までは探さなかった、と書いている。

野宿に至った理由では、倒産、失業、仕事の減少、けが、病気などの理由が全体の半数を占める。90年代後半からそれまで野宿者が見られなかった地方都市にも野宿者が現れ、いまでは全国の都道府県に野宿者がいる。景気の落ち込みと失業率の増加が如実に野宿者の増加と連動していることがわかる。さらに、これまでの野宿者というのは、日雇い労働からあぶれた人たちが占める割合が高かったのに対し、いまでは日雇い労働を経験していない野宿者が全体の半数を占めるという。これは、やはり失業率の増加と関連した現象だろう。

で、職からあぶれて野宿をしている人たちは、どうやって生活しているのか。代表的なのは、やはり段ボール集めやアルミ缶収集だ。大阪の野宿者の六割以上はそれで生活しているという。アルミ缶ひとつで二円、段ボール一キロで六円。アルミ缶五百個で千円、段ボール百五十キロで九百円という計算になる。これはなかなか集められるものではないし、運搬だって相当の苦労だ。しかも、しかも、大阪市の野宿者の六割がこれに従事しているということで、競争率も激しい。たいていのひとが一日十時間ほどを費やして千円を割る程度の稼ぎしか得られないと言う。

そして、この仕事によって野宿者の生活サイクルも規定される。

たとえば真夏の炎天下で1日歩き回っていたら、多くは五十代である野宿者は下手をすると熱射病で倒れてしまう。そこで、比較的涼しい夜に探しに行く。逆に冬は、毛布1枚2枚では「寒くて寝られるわけがない」ので、夜のうちに働き、比較的暖かい日中に日なたで寝るという人がいる。また、アルミ缶やダンボール厚めは早い者勝ちの面があるので、深夜と早朝に集める場合が多い。そうして、夜中に働いて昼間に公園などで寝る。それを見て、地域の人は「ホームレスが昼間から寝ている。やっぱり怠け者なんだ」と思っているのかもしれない。
100-101P

で、野宿者はどこに寝泊まりしているのか、というと、ある統計によると公園が約30%、河川敷が約26%、他路上、駅、その他と続き、不定が一割強といった感じになっている。公園はまだしも、河川敷は先日の台風で流される人が多数存在し、幾人か行方不明だ。その点について触れたArisanさんの記事がある。
河川敷で濁流に流される人たち - Arisanのノート
また、当日の様子の写真を多く掲載しているサイトを見つけた。
http://blog.livedoor.jp/kenjiro45/archives/51290678.html


さて、野宿生活の終着点はもちろん、死だ。本書でももっとも厳しく、印象的な場面を引用する。

ぼくはこの20年近くの間に、何度か死者の第一発見者になった。これは、ある程度長く野宿者に関わる活動をやっていると避けられない現実である。そして、死者は冬と梅雨期に集中する。冬は寒さによって、梅雨は仕事がなくなることによって。
 毎年、釜ヶ崎では「越冬闘争」中の年末から春まで毎日夜回りが行われるが、そのときに特に亡くなった野宿者に出会うことが多い。2003年の越冬では、夜回りに参加した高校生のグループが、釜ヶ崎地区内でうつぶせになって毛布もかぶっていない人に出会った。声をかけたが、返事もなく、触ると体が冷たくなっていた。もう体が硬直していたが、みんなで体をさすって「兄さん、兄さん、みんないるよ、がんばって」と声をかけ続けたという。救急車が来たが、死者に慣れている隊員は「この人はもう死んでいますよ」と病院には行かず、そのまま警察に行った。学生たちは体をふるわせて泣き、夜回りのあとでみんなで黙祷をした。その中にいた女子生徒たちは、宿舎に帰ってから泣き出してパニックになったという。人間はいろんなものに慣れていくが、自分のすぐ横でみすみす人が冷たくなっていくという現実には慣れることができない。しかし、路上死が年間200人以上ということは、こういうことが毎日のように起こっているということである。
118P

死者を目の当たりにした学生たちのショックというのは計り知れない。自分たちが生活している近くで、人が貧困のなかで死んでいくという事実があるということをその冷たくなった体から思い知ったのだろうと思う。学生たちは、このことをどう思ったのだろうか。その後、この経験をどう捉えたのだろうか。


●ホームレスビジネス

上記引用文の直後に、養老孟司の「バカの壁」から、

「働かなくても食えるという状態が発生してきた。ホームレスというのは典型的なそういった存在です」「ホームレスでも飢え死にしないような豊かな社会が実現した。(…)失業した人が飢え死にしているというなら問題です。でもホームレスはぴんぴんして生きている。下手をすれば糖尿病になっている人もいると聞きました」

という分を引用しているのは痛烈な皮肉だ。また、糖尿病云々は私も人から聞くことがあるが、「実際には遺伝的要因が大きい病気で「食うや食わず」の人でも糖尿病になることがある」と返している。

こういった豊かな社会の生み出した存在としてホームレスを捉える論は多く、ホームレスでさえも医療の恩恵にあずかれる、という主張がある。

しかし、実際には普通の病院では野宿者を受け入れる経験がないために、受け入れを拒否されてしまうことが多く、また、応急処置だけをされて路上に返される人もいるという。

さらに問題なのは野宿者ビジネスを展開する病院の存在だ。いくつか特定の病院が野宿者を受け入れる「行路病院」となっていて、野宿者を載せた救急車はそこに直行する。そこではカルテの診断を無視した大量の投薬が行われ、高価な薬を山ほど投与されるという。著者は、そうした医療ミスで死亡した大和中央病院の事件の裁判にかかわり、全面勝訴した。

1990年12月には、この大和中央病院に対する抗議デモを行った。ぼくがデモを指揮し、大和中央病院でひどい目にあった数百人の日雇労働者、野宿者が集まって、病院前で「院長はあやまれ!」「救急指定を取り下げろ!」と声を上げた。「病院に対する抗議デモ」というものは他では聞いたことがない。

なぜこういう事が起こるかというと、野宿者の入院は金になるからだ、という。野宿者が入院すると、緊急の生活保護になり、年に700万円が病院から行政に請求される。本来入院する必要のない人まで入院させ、この生活保護の金を受け取るという図式がある。また、大阪の行路病院は周辺を含めて30から40あるといい、これらの病院同士で連絡を取り合い、患者を回転させているという。入院が長引くと入院基本料が下がるため、たらいまわしにし入院のたびに検査漬けにすることで医療費をより多く獲得するという手法が用いられている。ある関係者の発言を孫引きすると、「いつでも古い患者を追い出して新患を入れられるから、満床を維持できる。生活保護は医療費の取りはぐれがないうえ、健保に比べてレセプト審査が甘い。安定収入が見込める」ということらしい。

この手法を活用した病院として、大阪市の安田病院が挙げられている。栗山さんのブログで、その安田病院を告発した記事がリンクされているので、是非参照してほしい。凄まじい行状だ。
美しい国であるどころか、支援対象国なのか、 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」


●おわりに

まだこれで本の半分ほどだが、これ以上この感じで続けていくと、本全体を要約する羽目になるので、まだまだ女性野宿者の問題*2とかもあるのだけれど、まとめてしまうことにする。

ここまで延々と野宿者の苦境を列挙してきたが(野宿者の側に寄りすぎているという批判もあるだろう)、では、彼らを支援する政策は何かあるのか。ということで、公的就労の一つとして、著者が関わっている特別清掃という事業が紹介されている。道路清掃、保育所、公園のペンキ塗り、施設の補修、草刈りなどで、保育所から感謝状をもらうこともあるという。しかし、登録者に仕事を提供できる日数が少なく、貧困を脱出するまでには稼げない。あまつさえ2004年には国からの予算が全面カットされてしまった。いまでは大阪府、市からの予算で運営しているが、将来が危ぶまれている。

野宿当事者、支援者は、こうした「公的就労」を最優先の対策として要求し続けてきた。しかし、行政は「失業対策事業は国としては行わない方針である」「予算がかかりすぎる」「民間企業への再就職で解決すべき問題だ」として公的就労事業の実施・拡大を拒否し続けている。
しかし、「公的就労」と「生活保護」のちがいを一言でいうと、「お金を渡して、なおかつ働いてもらう」か「お金を渡すだけ」かである。現在、行政は野宿者対策の「公的就労」に消極的なまま結果的に「生活保護」を増やし続けているが、それは「お金を渡して働いてもらう」代わりに「お金を渡すだけ」にするという究極の不効率政策なのだ。

中略

 中途半端な対策を続けて野宿を強い続けることによって、悪徳業者による生活保護ピンハネ消費者金融による多重債務、病院による過剰な検査や転院などが多発する。それによって、税金が過剰に使われ続け、野宿者問題が深刻化し続けているのだ。その現状を考えれば、憲法に言う「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するため思い切った対策を行う方が結果的にプラスになるはずである。
 178-179P

もうひとつ、重要な視点としてふたつの「貧困」が指摘されている。ひとつは、もちろん「経済的貧困」で、もうひとつは「関係的貧困」だ。生きていくためには金が必要だが、金だけでは不充分だ。社会のなかで個人として認められるというのも重要な要素としてある。これは以前書いた岩田正美「現代の貧困」でも、社会的な生活を送るうえで、人間関係もまた貧困の指標として重要視されていた。

野宿に至るルートのなかで、会社、家族や友人といった普通ならセーフティネットであるはずのものがない、あるいは機能しなかったという人が野宿者には多いのではないか。日本の社会保障は会社や家族が重視されているというのは「現代の貧困」でも指摘されていたが、では失業して家族がない人はどうすればいいのか。

著者は、野宿者のなかに、生活保護を拒否する人がいることを例示している。空き缶集めでまだまだ生きていける、と高齢になっても野宿を貫く人がいる。これは、他人の世話にはならない、という信念が野宿生活を支えているという側面があることを示している。野宿者たちはむしろ、極限の自立を生きているともいえるのではないか。上掲のリンク先でArisanさんも触れているが、先日の台風で、河川敷に暮らしている人のなかで救出を拒否した人がいたという。それは、他人の世話にならないということなのか、これまで福祉や公園や路上から追い出しておいて、いまさら行政の世話にはならない、という拒否なのか。「経済的貧困」と「関係的貧困」とにさらされた帰結、ということなのだろうか。


参照
生田武志『ルポ 最底辺』 - Arisanのノート
過剰適応の症状としての暴力――「〈野宿者襲撃〉論」生田武志・1

最暗黒の東京 (岩波文庫)

最暗黒の東京 (岩波文庫)

なんかもう、要約だけやって疲れて尻切れトンボだねえ。

*1:この事情については中野麻美「労働ダンピング岩波新書が詳しい。

労働ダンピング―雇用の多様化の果てに (岩波新書)

労働ダンピング―雇用の多様化の果てに (岩波新書)

*2:無視する訳にはいかないので簡潔にまとめると、男性野宿者が多くは元の生活、仕事に戻りたいと望むのに対し、女性野宿者はDVから逃げてきたという人も多く、元の生活に戻りたがらないという違いがある。そういう人は住民票の移動から夫に見つかることをおそれ、生活保護を受けたがらないという