
ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)
- 作者: スティーヴン・ジェイグールド,Stephen Jay Gould,渡辺政隆
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2000/03/01
- メディア: 文庫
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まあ、ほとんど説明する必要もないというほど有名な進化論の代表的論客グールドがバージェス頁岩について解説した大著。
いやあ、これは面白い。600ページ近いのだけれど、もっと読んでいたくなる。確かむかしNHKスペシャルで機械仕掛けのアノマロカリスを作成していたのを見ていた覚えがあるのだけれど、これらの奇怪動物から導かれる進化の歴史の本質に迫る、というグールドの試みは当時は全然気にしていなかった。
アノマロカリスやオパビニア、ハルキゲニア等々の面白い形の古代生物などについては本書で詳細かつ具体的な解説が行われているので、特に触れないけれど、グールドの進化論は、人間中心の思考についての批判を伴っていて、ただ科学的に興味深い、というだけではない広がりがある。
本書でのグールド進化論のひとつの特徴は、偶発性の強調にある。「悲運多数死(デシメイション)」という本書のキーワードが示しているのは、進化の歴史において、どの種が生き残り、どの種が絶滅するかはほとんど偶然にゆだねられているという。その当時の生態系で優位に立っていたはずの生き物が絶滅し、さほど目立たない位置にあった生物がその後繁栄するという歴史は、当時に生物学者がいたとしても判断が付かないような偶然に左右されているという。これは、生物の形態、構造に科学的な法則による優劣はつけられない、という主張だろう。
グールドはまた、一般の進化の説明において、漏斗型の過去は多様性が少なく、現代に近づくに従って生物の多様性が増していく、というイメージを喚起する図像を一貫して批判している。バージェス動物群の存在は、古代のある時期においては、むしろ現代よりも生物の基本デザインは異質性が高く、その後の悲運多数死において基本デザインのバラエティは減ってしまった、というグールドの主張を根拠づけるものと見なされている。生物種の多様性は漏斗型ではなく、底辺が広大なクリスマスツリー型だ、という。
もうひとつ、グールドは人間が生まれたのは、進化の繰り返しの結果の必然であり、それは人間という種が優秀であるからだ、というような俗流進化論への批判を繰り返している。グールドはこう書いている。
進化とは移ろいゆく環境への適応であって、進歩ではない。
本書では、そうした科学的議論が人間中心主義へと収奪されることへの批判が大きな核として存在している。人間は偶然の産物であり、生命の歴史をリプレイしたら、人間は生まれなかったかも知れない、というグールドの主張は、進化の歴史を人間の誕生へと収斂させることへの批判だ。
こうした科学のイデオロギーへの収奪、というのはどうもグールドの大きな関心のようで、人間の測りまちがい―差別の科学史という本もある。*1本書ではバージェス動物群を語りながら、科学を自分の観念なり思想なりに押し込めてしまう愚を一貫して批判している。
もちろん、そうしたグールド自身の主張がちょっとうるさいという人もいるだろうし、悲運多数死や生物デザインの異質性についての批判も多く(なんせ本書での英雄扱いのコンウェイ・モリス自身から批判されている)、学説としてはあまり受け入れられていないみたいなのだけれど、それをぬきにしても、バージェス動物群発見の物語やハリー・ウッティントンたちのバージェス動物群見直しにまつわるプロセス、分類不能生物の様々などの具体的な経緯について詳細に語っていて、バージェス動物群にまつわる人々のドラマとして、充分以上に楽しめるノンフィクションであることは間違いない。また、バージェス動物群を既存の動物門へと押し込めてしまった、一見本書の英雄たちの敵役ともいえるウォルコットについて、彼がどうしてそのような間違いの多い新種記載をしてしまったのかについて、一章を割いて敬意を払いつつ同情的に語っているのは本書にさらなる厚みをもたらしている。
この本に対する批判や、現在わりと画期的な新説が提出されていたり、進化論をめぐる議論もとても面白そうだ。