「おんたこ」とは何か・追記

わりと大事なことを書き忘れていた。
なぜ仲俣暁生がああまでして田中和生の擁護をしなければならないのか、という疑問についてだ。

もちろん、「批評の居場所」のために、いま攻撃にさらされている田中を擁護し、批評の意義について再考する、という面もあったろうと思う。しかし、それにしては田中和生の批評そのものについて検討するわけではないし、評価するわけでもない。田中和生のものについては、笙野の罵倒をアンフェアだというが、批判そのものはされても仕方ないものだというくらいの認識だろう。

翻って、笙野については、変に屈折した態度を見せている。笙野特集に変なケチを付け方をしていることからはじめ、作品は評価していると書きながら、作品外の言動については罵倒がフェアではないとか、アヴァン・ポップの亡霊だなどと、あまり中身のない雰囲気的な批判をし続け、座談での発言を曲解するに至っては、ほとんどどうにかして揚げ足をとってやろうというようなスタンスにしか見えなくなった。直接対決をどうにかして避けながら、何とかして難癖だけはつけるという非常にいやらしいやり方だ。

笙野については、以前も「水晶内制度」についての書評で本人から批判されたりしたこともあり、因縁があるといえばあるが、それを考えても、田中和生笙野頼子についての仲俣暁生の言動は不思議なところがある。

ちょっと考えたこととして、私は田中和生仲俣暁生に共通点があるとすれば、ジェンダー意識の妙な屈折ぶりを挙げられるのではないかということ。

田中和生の笙野批判では、「おんたこ」を、非常に単純に、男を貶して女を褒め上げる、男女の不毛な二項対立に基づいていると批判したのだけれど、さすがに「水晶内制度」を書いた作家の作品をこんな風に読んでしまえるというのは信じがたい。「フェミニズムを越えて」と言いながら、自身こそが、男と女、という強固な枠組みによって作品を解釈しているように感じられる。いつかの群像合評での「水晶内制度」についてのフェミニズムを用いた読み方も奇妙なものだったが、この人はフェミニズムとか、女性の書き物とかに理解を示しているようなスタンスを見せながらも、どこか馬脚を現しているところがあるように思う。なんていうか、あの笙野にシングルマザーになってその経験を書けと何度も要求したというI編集長に応援されてしまうようなところがあるんじゃないか。

で、仲俣暁生は、私が以前強く批判した*1ように、やはり女性に理解を示しているように振る舞いつつ、どうにも傲慢な態度を取っているように見える。
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いまアクセスできないみたいなので、グーグルキャッシュ。
http://72.14.235.104/search?q=cache:4JLrC2GPUdsJ:inthewall.blogtribe.org/entry-e5c6ea45fca1ede347df09b8f2ba10fb.html+%E4%BB%B2%E4%BF%A3%E6%9A%81%E7%94%9F+%E7%AC%99%E9%87%8E%E9%A0%BC%E5%AD%90+%E6%96%87%E5%A3%AB%E3%81%AE%E6%A3%AE&hl=ja&ct=clnk&cd=12&lr=lang_ja

で、仲俣暁生は、笙野の言動に対して、作品だけを書いて欲しい、と沈黙を要求するのだけれど、様々な批判に対して声を挙げることについて、仲俣暁生がどんなスタンスなのかが如実に露呈された発言だと思う。お上品な言葉でなければダメだ、というようなきわめて抑圧的な言いぐさで、なんというか、女は黙っていろ、という態度に見えて仕方がない。フェアかアンフェアかに執拗にこだわる態度もそのバリエーションに思える。

田中と仲俣は、こと「女」やフェミニズムについて、表向き支持し、本人としても支持しているつもりであっても、どこか差別的なスタンスが垣間見えるところがある。笙野頼子の作品や文章というのは、そうした表向きの態度を引っ剥がしてしまうところがあるんじゃないか。その直截で生々しい言葉は、読む者の本心を引っ張り出してしまうところがあるように思う。

「おんたこ」がその反応で自らの「おんたこ」ぶりをさらけ出してしまうように、笙野頼子の小説は、肯定するにしても否定するにしても、その人間の本性を知らず知らずのうちに露呈させてしまうような、きわめて厄介な代物なのも知れない。

田中と仲俣の笙野に対する反応はその顕著な一例だとも考えられるのではないか。


私も、笙野の近作は、どこか読みながらギリギリとした齟齬、違和感を感じる。特に最近のはそうだが、ここで批判されているのはまさしく自分ではないのか、という反感と、その通りだという共感とが軋みあうようなスリリングな感覚だ。

*1:思えば、このときから私は仲俣に怒っている