阿満利麿「日本人はなぜ無宗教なのか」

日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)

日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)

前に神仏習合について書いたとき、日本人が無宗教だという俗説には疑問がある、と書いた。無宗教とはいうが、そんなのは少なくとも国家神道解体以降のことでしかないし、それでも無宗教というのは妥当か、というような疑問だったのだけれど、ちょうどその事を論じた本があったので読んでみると、自分の疑問をかなり具体的に整理することができ、非常に面白かった。長くなるがまとめてみる。

創唱宗教自然宗教

まず著者は、日本人の自称する「無宗教」というのが、教祖、教義、教団を持つ「創唱宗教」ではないということであって、宗教心自体を否定してはいないことを指摘する。ある調査では、回答者の内の七割が無宗教だと答えているにもかかわらず、また七割の人間が宗教心が大切だと回答している。これは「無神論」とは明確に一線を画している事態だ。

「宗教心」が大切だ、といのは宗教心を持っている、ということと同じとは言いにくいが、「無宗教」が宗教の全的な拒絶ではないことは推測できる。

そこで著者は「創唱宗教」に対するカテゴリとして「自然宗教」を提示する。これはたとえば村上重良が、民族などの共同体のなかで生まれた信仰と、特定の創始者を持つ宗教とを分けて、前者を民族宗教自然宗教、後者を創唱宗教と呼んだのを踏まえたものだろう*1

年明けには初詣に出かけ、盆には里帰りし、神社に神頼みに行き、建物を建てるときには地鎮祭、とこれだけ宗教的でありながらなおも自らを無宗教だと明言してはばからないのは、日本人にとっては「無宗教」は「創唱宗教」の信者では無いという意味で、「自然宗教」の信者だという可能性を排除しないからだという。「自然宗教」は特別な教義こそ持たないが、様々な年中行事という強力な教化手段で、人々の生活にアクセントと平安を与えている宗教なのだ、と著者は述べている。

もう一つ、著者は無宗教を人々が標榜する理由を、宗教という日常とは異なる論理への恐れから来るのではないかと論じている。宗教とはこの世の不条理や悲しみ、苦悩を認識し、その解決を試みる営みだ。そのために教理や理論体系があるのだけれど、日常を平穏に生きている人にとっては、宗教というのはその日常と異なる論理でもって日常を脅かす存在に見えるのではないか、と。人生への疑いを忌避し、楽観的に人生を生きたいというという人には、自然宗教たる年中行事や死後の平安を保障する葬式仏教がある以上、改めて宗教を信ずる理由がないと指摘している。

さて、著者はこの分析を土台にして、日本の宗教思想史を概観しながら、日本人が「無宗教」を標榜するに至る経緯、理由を論じていく。

葬式仏教の定着

第二章では中世以降近世にかけてを論じる。神仏の存在が確信されていて、神仏への来世での平穏を希求することが重要とされた宗教的世界であった中世から、現世中心の儒教が登場し、儒教的価値観を遵守していれば神仏の加護が得られ、来世での平穏が保障されるというように考えられ、特定の神仏へわざわざ祈ることは無くなるのが近世だという。現世利益中心の思考が広まり、ここに無宗教への萌芽が見られる。近世、井原西鶴に代表される「浮き世」の人生観の登場により、享楽的人生の肯定と、数量化されるものだけがリアルだという認識が現れる。そこでは、「数字に置き換えられるものにのみリアリティーを感じる精神においては、神仏の存在もうすれてゆく」。「浮き世」のこうした感覚はぼんやりとした不安を持ち、宗教に向かう可能性を持つ宗教的存在を生み出すが、かといって教義という確実な根拠を求めるという方向にも行かない。

そこで、日本特有の仏教形態の「葬式仏教」が重要になってくる。元々仏教は葬祭儀礼に無関心であったのが、中国での「孝」観念の影響で先祖崇拝の色が濃くなり、日本に来たときには豪族らによる先祖崇拝に用いられるようになったという。古代日本では死者の鎮魂儀礼が未発達で、仏教はもっぱら哲学的体系を持つ宗教というより、死者祭祀の穴を埋める呪術として受容された、と著者は述べている。

仏教を、「葬式仏教」にとどめておいて不思議にと思わない心情とは、なんであろうか。人生には、苦しみや不条理や悔恨があとを断たない。どうかして安楽な人生を手に入れたいと願うのが人情である。しかし、そのために特別の教えを選択して、それに従うということには気乗りがしないのである。せっぱ詰まれば、気乗りがしないなどといってはおられないだろうが、それでも、創唱宗教はイヤなのである。死者のための仏教は認めても、生きている自分のために仏教の教えを選ぶことには、ためらいがあるのだ。どうしてなのであろうか。
 それは一言でいえば、日本人の間に「自然宗教」が根強く生きているからだというしかない。「葬式仏教」とは、この「自然宗教」との妥協の産物なのである。「自然宗教」の先祖崇拝や霊魂観をそっくり認めた上で、仏教的色彩を施したのが「葬式仏教」にほかならない。
P66

国家神道非宗教論

第三章では、直接的に無宗教を準備した明治の国家神道形成期に焦点が当てられる。ここで重要な点は、明治期「宗教」という造語が作られた際、この言葉が指すモノがいわばキリスト教、仏教といった「創唱宗教」を意味し、「自然宗教」を含むモノではなかった、ということだ。これは現代の「宗教」観(初詣を宗教と見なさないような)と直接つながる話だ。

著者は現在の宗教観にも直接関係する信教のあり方がこの時期成立したと述べている。

それは、宗教を内想と外顕に区別し、内は許すが外に現れる活動を禁止する、という井上毅の主張だ。諸外国からの信教の自由を導入せよとの要請から、キリスト教を解禁するとしても、「その信仰は、個人の心のなかにとどめておく場合にのみ許されるが、布教などの社会的行為は、全面的に禁止する」というものだ。これは現在の宗教観にも影響を与えているとともに、当時の知識人にも広まっていた。

たとえば、山県有朋のブレーンでもあった思想家、西周は、信仰は個人の内面に宿るものであり、国家権力といえども、それを奪うことはできない、と力説する一方で、神の子孫である天皇を絶対君主と仰ぐ日本国家のあり方に背く宗教や、法律に反する宗教は、厳しく否定されねばならないとのべている。
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この思想はそのまま大日本帝国憲法に「日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有す」という形で導入された。ここに伊藤博文がつけた解説では、内面の自由は完全だが、布教や礼拝において制限を受けるのは当然とされている。

いうまでもないことだが、宗教とは「創唱宗教」であれ「自然宗教」であれ、その信仰が個人の内面にとどまっているということはありえない。もちろん、その強弱は宗教によって異なるが、それぞれの教説を他の人々に広めようとすることこそ、宗教の生命なのである。宗教は「外」や「外形」に深くかかわることによってはじめて、真の宗教となるのであり、宗教が個人の内面にとどまると主張するのは、宗教の本質を知らない人のいうことか、あるいは、今までに紹介してきた、政治家たちの統治上の関心から生じた宗教観の受け売りにしかすぎないであろう
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著者の言うことはもっともだ。宗教が人生の不条理を解決しようとする試みである限り、社会への働きかけを行わないということはない。戦前の民衆宗教がそうであるように、宗教には世直しの思想が根底にある場合が多い。社会の不条理、差別を認識し、それを是正していく運動が政治的でないということはありえない。本質的に宗教とは社会的、政治的な運動であるはずで、個人の内面のみに認められた自由は、信教の自由ではまるでないと言うべきだろう。政教分離という憲法概念も、宗教が政治的運動であるからこそ、必要なのではないか。

そしてもう一つはおなじみ神道国教化政策の論理だ。キリシタン禁令*2を出していた政府だが、諸外国からの圧力のなかで、信教の自由を導入しなければならなくなり、神道を国民教化の重要な柱として用いる教部省による国民教化運動は一端破綻した。しかし、政府による天皇崇拝の教化を諦めたわけではなかった。そこで導入されたのが「神道非宗教論」だ。

天皇を絶対視する神道を、「信教の自由」の見地からただちに国教化できないとすれば、その神道を宗教と見なさなければよいのである。もし神道を宗教と見なさないことになれば、神道を国民に強制しても、「信教の自由」には一向に抵触しないことになる。
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「外顕」と「内想」という二分法を前提にすることで、国家神道をあまねく国民に強制することが可能になる。

そしてこの皇祖神アマテラスを中心とした国家神道への再編成の過程で、日本人の信仰のあり方は非常に深刻な打撃を被っていく。「神仏判然令」(廃仏毀釈)、「神社合祀令」といった政策は、この再編の過程で生まれ、結果として「神社から仏教色が一掃され」、「地方によっては仏教寺院の全面的破壊、僧侶の強制的還俗にまで進んだ」。

このため、神仏習合の世界観のなかで、仏という中心理念とその実体的延長としての神々、という関係が破壊されることになった。

神社を政治的に統合整理することは、身近で親しい神々の否定につながった。今まで村の氏神として厚い信仰を得ていた神社が、突然他村に合併されるのである。合併後もはるかな道のりをたどって、その氏神に詣でることができるであろうか。身近な神々を失ったあとには、新たな「天皇崇拝」が強制する、身も知らぬよそよそしい神々が待っていた。
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このことは、表面上雑多に見えながらもある世界観を持っていた日本の信仰を根こそぎにしてしまい、ただの雑多なものにしてしまった。そして、国家神道自身も、非宗教であると主張することで自らの首を絞めることになった。儀礼がただの儀礼であるなら、拍手を打つ、という行為には祈願などの内面の信仰が伴わない、ただの手の動きでしかないということになり、それは信仰を表す行為ではなくなる。強制は内実を喪失させることに寄与した。

この過程のなかで、日本人の宗教観はきわめて貧困な痩せたものになってしまった、と著者は嘆く。



さて、あとは簡単に見てみることにする。

第四章。前章までは歴史的経過を軸にした叙述だったけれど、この章では日本社会の特質、深層を考察することが重視されている。柳田国男を援用しながら、民俗学的視点から日本社会の「日常主義」を分析していく。突出することを厭い、他人の幸福にケチをつけ、不幸を喜ぶという、感情の「平衡化」をもたらすこの「日常主義」が「創唱宗教」への忌避を生み出していると著者は言う。

一種の村社会論なのだけれど、このことは、日常と異なる論理を持ち、強烈な超越性を含む「創唱宗教」と鋭く対立する。日本での仏教が葬式仏教となったのも、こうした理由によるものだろう。

第五章では沖縄の古来から続く信仰形態、外部のものをいっさい島に入れない祭を取り上げている。本来日本の祭は外部のものが訪れて良いイベントではなく、物忌み、潔斎などをして外のものを排除して非日常の空間を作り出して行うものだった。今や祭りのほとんどではそうした深遠な儀式という意味合いは薄れているが、沖縄の島ではいまでも祭りの期間中は外部のものの乗った船を拒否し、古型を維持しているところがある。その島には墓がまったく重視されず、村人は墓参りをしない。これは、無宗教なのではなく、その島の信仰においては魂が重視され、遺骨はほとんど省みられないためだ。そしてその島の人々は、それほど厳格な祭りを行うのにもかかわらず、無宗教を標榜するという。

この章では他にも創唱宗教を選択するきっかけについての考察など、やや本筋から離れていてエッセイ的で著者ならではの宗教論になっている。


とりあえず、歴史的経緯を重視してまとめてみた。骨子のところだけを掻い摘んでいるので、著者の提示する様々な具体例や古来からの信仰の形の変遷、たとえば神主が村人の持ち回りではなく専従のものが就くようになったのはきわめて最近のことだ、とかの興味深い指摘などもあり、非常に面白く読める。

身近な疑問から出発し、歴史的経緯をたどりつつさまざまな学問的蓄積を縦横に駆使して興味深い知見がちりばめてあり、いわば新書としての模範的な内容と構成で非常に秀逸な出来だと思う。著者自身は浄土真宗の信者で、宗教についての確たる信念を持って書いているのがよくわかるのも良い。

職務命令としての国家神道信仰

さて、本書で示されている論点は多岐に渡っているが、特に興味深いものとして国家神道非宗教論がある。

これは、キリスト教を布教する目的もあって諸外国から「信教の自由」を導入することを迫られていた日本が、外面的には「信教の自由」を標榜しつつも、天皇を絶対とする国家神道を強制するために生み出した二つの詭弁だ。

ひとつは天皇を絶対化する神道(当時、天皇自体民衆から忘れられていた存在だったとはよく言われることだ。つまり、この時点で天皇崇拝を伝統的習慣であるかのように言うのは不可能だった)という推進する側が宗教だと認識していたものを、表向き宗教ではないかのように偽装する、というもの。

もうひとつは、内面は自由だが、外形は法的拘束に縛られる、という「外顕」と「内想」という二分法を援用して、内面の自由は侵害されないのだから外形をどうしようが信教の自由には抵触しない、というものだ。

この二つの論理を用いることにより、国家神道が国民に強制されていても、日本には「信教の自由」があるのだと標榜することができた。

これはただの歴史的トリビアではなく、この論理構造はいまもなお健在だ。その実例が国旗国歌法制定以降の、学校の式典での国歌を歌わない教員への処分にある。

国旗国歌にかんしては特に肯定否定の意見を詳しく調べたわけではないので雑駁になるが、国歌を歌わせる理由として、職務命令だから仕方がない、国歌を歌わせることに問題はない、と言う人は多い。確かに、式典の儀礼の動作それぞれに反対されては式が立ちゆかないというのはその通りだ

しかし、職務命令を遵守せよ、という主張自体が問題なのではない。その職務命令のなかにきわめて宗教性、思想性の強いものがあったら、という問題なのであって、職務命令を拒否することを認めてしまうと、公務員たる教師たちの好き勝手になる、という職務命令一般の問題に還元することはできない。

そもそも日章旗君が代、ともに明治時代になってから現れたもの(たぶん)であり、天皇制国家日本のシンボルとして用いられてきた歴史がある。明治(1868)から敗戦までの期間の方が戦後閲してきた時間よりも長い。

さらに、教育の現場に国旗国歌を強制しようという国家神道支持の勢力がおり、彼らにとっては国旗国歌を強制することは、国家神道を受け入れさせるという意味合いも持っていることは明らかではないか*3

現実問題として、「日本の」国旗国歌は単純に日本国の象徴として以外に、国家神道、戦前の帝国主義日本のイデオロギーとも密接に結びついていて、そして戦後日本はその結びつきを積極的に切り離そうとはしてこなかった。岸信介安部晋三のラインが象徴するように、戦前日本の政治体制を構成した人脈は戦後にも色濃く受け継がれた。そうした日本の近代と現代の歴史の歪みが、国旗国歌には象徴されている。

他国の国旗などが自由や革命の象徴であるなら、日本の国旗は戦前の国家神道体制の象徴だった。日本の国旗国歌にはそうした歴史性が刻印されており、他国の国旗国歌とそう簡単に同一視することはできない。厄介な問題だが、日本の国旗国歌は思想、政治性において鋭い対立点を形づくっていることは事実だ。「要するに、ドイツが未だにナチスドイツの鈎十字を使っているようなもんです。」

そのなかで、これはただの国旗と国歌ですよ、これを尊重するのは国際社会では当たり前ですよ、と職務命令の名の下に国歌の斉唱を強制するわけだ。思想性の強いものを表向きそうでないかのように扱って強制を通す。これは戦前の国家神道強制の論理と瓜二つどころか、まったく同じものではないか。


以下のページではこのことについての議論が行われているが、回答21は(私見ではダメな意見の)典型的な例と言える。
国旗国歌の強制は違法なの? -9/21に下された国旗国歌の強制は違法とし- その他(ニュース・時事問題) | 教えて!goo
内面は完全に自由だから思想の自由は侵害されない、という言い方にもきわめて問題が多い。他人の内面を支配することなど誰にもできない(内心何を考えているかは覗けない)以上、内面の自由というのはそもそも法的な問題になりようがないのではないか。その上で「信教の自由」「思想、良心の自由」を認める、ということは外に現れる行動に関して自由を認めなければならないはずだ。法的な問題として扱う以上、それはいかなる行動をするか、あるいはさせられないかの自由であるべきだ。

この場合ならば、自分が支持せず肯定していないものについて、まるでそれを支持し肯定しているかのように振る舞うことを強制されるわけだ。これは、他人から見れば、あの人はそれを肯定している、という振る舞いでしかなく、そう他人に思われることを苦痛に思うということは当然だ(伴奏訴訟では君が代を弾くことはすなわち特定思想を支持することとは認められなかったが)。この苦痛を考慮することが信教、思想の自由ではないのか。

「外顕」と「内想」の二分法自体が国家による民衆教化の論理として出現したことを考えれば、この論理で特定の職務命令を正当化することがいかに馬鹿げたことかは理解できるだろう。そして、国家神道が日本の宗教心を破壊したことを考えれば、国旗国歌強制により、外面のみで計られる愛国心の強要が、どれだけ内面の愛国心を破壊するかを自称愛国者は考えるべきではないかと思う。それを無視するならば、愛国心を、ただお上の命令を絶対化するための方便に自ら貶めることになるだろう。

国旗国歌自体に国家神道体制が象徴されているのではないか、という点もそうだが、国旗国歌を強制させようとする方法論が戦前日本、国家神道体制下におけるそれと同一であるということの方が問題かも知れない。何も変わっていない、ということだからだ。

これに抵抗するのは、たぶんかなり面倒だ。国旗国歌を公務員が尊重するのは当然だという一般論を表に持ってこられては、真正面から否定することはむずかしい。かといって、国旗国歌強制が特定イデオロギー推進の方便になっている、ということの立証はさらにむずかしいのではないか。

*1:拙文参照 http://inthewall.blogtribe.org/entry-5b304a8ee1a3c506977594a465c84338.html

*2:これは維新政府が幕府から継承した唯一といっていい政策、だという

*3:その事を天皇に言ったところ、天皇自身から強制はしない方が良い旨のことを言われても、強制をやめない、というあたり、国民統治に天皇を利用していた明治政府のやっていることとそっくりなのが面白い