あなたは巣で餌を待つ雛か何か?

チベット擁護運動を批判したいわけではないので、こういう形で言及するのはあまり好ましくないと思うけど、長野聖火リレーに参加したinumashさんの意見にとても同意できない部分があったのでブログにコメントしようと思ったけれど長くなったので単独記事にする。
直接関係するのは以下の記事と、そのブクマと、inumashさんの記事。
「反体制運動」は甘くない【在日琉球人さんの日記】 tk
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2008年04月29日 inumash 社会 そういう「ノウハウ」をつんできたはずの左翼団体は現地にはいませんでしたね。こんなところで後出しするなら、最初からそのノウハウを素人である彼等に提供すればよかったんじゃないでしょうか。

■『聖火リレーin長野』全体まとめ(かなり長いよ) - 想像力はベッドルームと路上から

最後に、余談だけれど、

「反体制運動」は甘くない【在日琉球人さんの日記】 tk

このご高説はもっともだが、それ以前にまず「彼等」の問題意識と怒りを共有する方が先でしょ。それをしないで、「ほれ見たことか」とばかりに自身の主張を展開して見せたところで、「彼等」が支持するわけがない。そもそも、普段から警察の恣意性と闘っている「左翼活動家」とやらは現地にいたの?俺はそういう人は見てないけど。

こういう冷笑的な態度は他にも見られたけど、そういう人たちって一体何がしたいんだろう?そんなことやって、自分達に支持が集まるとでも思ってるのかな?せっかく普段、自分達が抱えている問題意識に接点を持つ人たちがたくさん出てきたのに、自らそれをぶち壊してどうするんだろう?馬鹿なの?

単に優越感ゲームしてるだけで、「嫌中」とか言ってる人達とやってることは大して変わらないように俺には見えるけど。馬鹿は一生オナニーしてりゃいいんじゃない?胸糞悪い。

あなた方のチベット擁護の運動については支持しますし、じっさいに行動に移したことはとても価値あることだと思います。その事については敬意をもっていますが、あなたが在日琉球人の人の記事に対してする批判とそこに見られる認識にはまったく同意できません。

日本においてはデモ行為自体が許可を必要とし、警察の過剰警備に晒される不穏分子的行動である(主張内容関係なく)ということはデモに参加したことが複数あると仰るあなたなら充分ご存知のはずです。デモに参加しないまでも、日本の警察がその手の表面的な秩序のみの安定を志向する(意見に対し意見をぶつけることそのものを忌避し、意見の主張そのものを抑圧する)予防的な抑圧をすることは、多少でも「運動」に興味があれば知りうることであるし、在日琉球人の人もそんなことは今さら言うまでもない常識に属すると認識していることは明らかです。

その程度のことを知らなかった自分を棚に上げ、後出しだなどという人はそれだけ自分が運動を白眼視し、スルーしてきたということではないですか。いままでそうした運動をスルーしながら、いざ自分が政治的主張を行う段になって、イノセントに警察への失望を語れば、そりゃあ先輩格としては認識が甘いだろ、と批判するのは当然ではないですか。

あなたの文章からはその程度のことは知っていたかのように読めるのですが、もし知っていたとするなら、その認識、覚悟(ノウハウ?)を率先して知らしめなければならなかったのは参加者のひとりであったあなたであるはずです。在日琉球人の人を批判するならばあなた自身がそのことを反省するべきではないのですか? 何を甘えたことを言っているのか。

そもそも、なぜ在日琉球人の人が無条件に「彼ら」の問題意識と怒りを共有すべきなのか。まあ、「在日琉球人」と自称する人がその「問題意識と怒り」を共有していないなどとは私は思えないし、かの意見はその共有を踏まえてなされたものだと私は思います*1。日本だけではなく、政治的主張を行うと言うことには相応のリスクがあり、その程度のリスクも踏まえない行動の甘さは批判されるべきだというしごく当たり前の意見に思えますが。そして、そのリスクを日本において増大させているのは左翼や市民運動を白眼視して、警察グッジョブなどと喜んでいたあなた達自身ではないですか、と。

しかし、彼に批判的なあなたの意見はまるで、自分たちは既成左翼の主張する人権擁護の路線に乗ったんだから既成左翼は無条件に向こうから甘い顔をして自分たちに協力すべきだ、と考えてるように思えます。あなたのチベット擁護運動は既成左翼に秋波を送るためのものなんですか? 媚びてみたら突き放されたので逆ギレしているようにしか見えません。在日琉球人の意見を優越感ゲーム(と批判する優越感ゲーム?)などとしか見れない態度はその証左ではないですか。

あなたの以前の意見を徴するに、あなたは既成左翼から支持を取り付けられなかった「運動」の失敗を反省するべきなんじゃないんですか? 在日琉球人の人が「問題意識と怒り」を共有すべきなのではなく、あなた達こそが彼らに問題意識と怒りを共有してもらうべく働きかけるべきだったのではないですか。

あなたはツバメの雛か何かのように、口を開けて待っていれば親ツバメが餌を放り込んでくれるとでも思っているんですか? 既成左翼、人権団体はあなたの親ツバメではない。むしろ、あなた方のほうが既成左翼に対して協力を呼びかけるべきだったのではないですか。既成左翼やら人権団体やらはそれぞれ自分たちの信念によって有限の時間を割いて運動に参加し、行動しているはずで、彼らが動かなかったと言うことはあなたたちのアピールが失敗したというだけのことになるのではないですか。というか、そもそもそうした人権団体などが参加して欲しかったんですか? そうした団体とは一線を画したい人たちが参加していたように感じたのですが。

あなたは自分の信念によってリレーに参加し、チベット擁護を訴えた。決して既成左翼に媚びるためではないはずです。ならば、その運動に参加するのもそのことに責任を負うのもあなた自身であるはずです。そこを取り違えてはいませんか?


余談ですが、チベット擁護運動が反体制運動ではないと言う人がいますが、長野県が主催する国のイベントを妨害したり、長野県と協力して聖火リレーを開催する中国を批判する行為が反体制でなくてなんなのか。わけがわかりません。卒業式に国旗国歌反対のチラシをまく行為くらいには反体制運動でしょうよ。それに、この国ではむしろ政治的主張を市民が行うこと自体が反体制運動と認識されるという状況があると思いますが。以前、自衛隊市民運動を監視していることが報道されましたけど、忘れたんですか?

国家権力に広範囲な取り締まり権限を与えることが、本当にわれわれを幸せにすることなのか?をもう一度考えてみてもらいたい。

だからこそ、自由な政治的主張のためにも、警察権力の批判はつねに必要だということでしょう。そして、その自由な空間はそれなりのリスク(衝突の危険など)を抱えたものでもあり、そのリスクを踏まえない自由はないという覚悟が必要だと言うわけでしょう。警察グッジョブなどと言いつつ、自分の政治的主張を自由に主張できるだなどと思わない方が良い、と。まあ、なんというか自分の主張や行動がそもそも「政治的」だなどとは夢にも思わない人がいる気がしますが。

*1:「貴方達チベット支援者は、日本の国家権力に露骨な差別を受けた。悔しかったと思う。それは、程度は違えど、チベット人が中国で受けた屈辱とも同じだし、 戦後昭和の活動左翼や活動右翼が受けてきた屈辱とも同じ味なのである。」