ユリイカ 特集・諸星大二郎

諸星は妖怪ハンターはじめ少しずつ読んでいたけれど、代表作の「西遊妖猿伝」をまだ読んでいなかった。折よく新装版が店頭に並んでいるのを見て、よしこれを揃えていこうと買って読み始めたところ、これがやはり面白く、次巻の刊行予定日はいつかと調べて見たところ、なんとユリイカの諸星特集が出るのを知る。へえ、と思っていたら伊藤剛のブログで中身についての詳細が出ており、伊藤氏も書いていることを知る。早速買って読んでみた。
「ユリイカ」2009年3月号 特集*諸星大二郎 - 伊藤剛のトカトントニズム
なんというか最近私が読んだユリイカはミク特集(ソワカちゃんネタを話そうとそわそわしている伊藤剛目当てで。メルトやソワカちゃん以外は挙げられているミク曲のほとんどを知らないし、特に聴く気もないけれど、ミクという現象の語られ方はなかなか面白かった)以来、伊藤氏続きだ。

上手いのか何なのか

さて、諸星大二郎という漫画家について特に興味深いのは、諸星の絵は、いったい何なのか、ということだ。素人目に見てみると、諸星の絵というのは全然上手い絵には見えない。むしろ、顔の輪郭などが不定形でぐらぐらした人物など、下手な絵だという印象すらあった。
妖怪ハンター 天の巻 (集英社文庫)
↑この顔。
だけれども驚くべきことは、たとえば二十年ほどの執筆時期の違いがある作品同士を並べても、私にはさほどの違いがわからないくらい、絵柄が変化していない。確かに、描画の密度とか、線の描き方(ユリイカでは丸ペンとかカブラペンとか道具を変えた話が載っていて、そのせいもあるだろう)とかに違いは見いだせるのだけれど、三十年も描いているにしては変化がなさ過ぎる。単行本を一通り読んでみて、最後に初出一覧を見てその発表時期の違いに驚くということは諸星を読んでいるときにはよくある。十年、二十年時期に違いのある作品をこうまで違和感なく続けて読めるというのはかなり希有なんではないか。まあ、直接の続篇が十五年とか間を空けて描かれる、という諸星タイムも凄いが。

で、人物とかが下手なように見えるけれど、このかわらなさを考えると、諸星の絵はこれですでに完成しているのだ、ということが分かってくる。それに、背景とか物とか結構上手い気がするし、そしてなんと言っても異形の存在を描く表現力が凄い。上手いようには見えないのだけれど、雰囲気を演出する力というか圧倒的な表現力があって、このずれが非常に独特な印象を受ける。

そして、諸星の絵はときに強烈な戦慄を感じさせる。特に私の印象に残っているのは、「妖怪ハンター」の地の巻での、「黒い探究者」の一コマだ。実物が見つからない(友人に貸したままか。その友人に妖怪ハンター面白いよ、と貸したところ、その友人の兄がじつは諸星マニアでほとんどの単行本を揃えていたという意外な事実発覚)ので記憶で書くが、暗いどこかの崖に頭足人のシルエットが佇んでいる、というだけのコマなのだけれど、この一コマにはまさに戦慄させられた。特に恐ろしい光景を書いたものでもないところで、むしろ地味なコマだけれど、これは強烈だった。

それでユリイカだけれど、諸星大二郎の絵についてはいろいろ取り上げられていて、諸星の絵の特色の一つとして、描線の曖昧さ、不定形さというのがあるということは複数の論者が指摘している。

また、夏目房之介都留泰作の対談でかなり興味深い発言がされている。輪郭線を閉じずに、粘土細工のように描いていく有機的な絵、という発言も面白いけれど、都留氏の、教科書なんかに載っている土器や恐竜を描く絵に近いんじゃないかという発言はとても面白い。そして都留氏は、イメージの具象化ということについて、絵は話のための道具だとする立場と、話はかっこいい絵を描くための方便だという二つの立場があるとし、諸星はその中間をやろうとしている作家だと言っているのが面白い。「イメージに忠実であろうとすると、絵的には残念なことになる」とも言っている。つまり、諸星の絵というのは、記号化と写実性の中間を行こうとして、漫画的にはどうしても、記号としてきちんとしていない、下手な絵という印象になってしまうということか。しかし、この絵でしか諸星の漫画は成立しないだろうと夏目氏は言っていて、それはその通りだと思う。いや、でもたとえば星野之宣とかのがっちりした画力のある作家が描くとどうなるだろうか。

もう一つ絵について面白かったのは伊藤剛の分析だ。諸星の絵では、描線を変えたり、人物の周囲を白く飛ばしたりして、キャラと背景を区別するということが行われていないと指摘されている。そしてその描線が、諸星の作品にしばしば現れる、生きているのかそうでないのかの区別が不分明な存在を支えているという。前述の描線の曖昧さとキャラと背景との区別のなさという形式的な特徴は、たとえば「生物都市」での、人間と無機物の融合という具体的な物語の側面での特徴と相即的なことであるということは諸星論のひとつの共通了解としてあるようだ。これは非常に納得がいく。

前述の「黒い探求者」のコマでは、ただの暗闇と木の枝と、異形の怪物とが不分明に溶け合っていて、そこに伊藤剛が言う「怪異なるもの」が潜む「暗がり」を見た、というのが私の受けた印象をうまく説明していると思う。似たような印象を残すコマは伊藤論文でも引用されている。143ページの「マッドメン」からの引用の右上のコマだ。そこでは森の中にかろうじて判別できるような形で、誰かがいる。このコマの不気味さといったら。

「マッドメン」はまだ読んでいないので、伊藤論文の後半とかもうひとつの「マッドメン」論は飛ばしてとりあえず読了としたけれど、マッドメンを読んだらもう一度読んでみよう。

身も蓋もなさ

諸星の魅力として語られていたことの一つに、抽象的な観念をそのまま描いてしまうということが挙げられていた。たとえば山が裏返る、とか人が裏返るとかいう「諸怪志異」のエピソードがそうだ。「生物都市」といえば、生物と都市が融合するのだし、「壁男」といえば、壁に男が居る(壁の間の空間にいるのではない)。そうした観念的な表現、比喩表現を身も蓋もなく具体化してしまうというのが大きな魅力としてある。これはでも、じつはしょうもない諸星的ダジャレと裏表の関係にあるような気もする。栞と紙魚子シリーズではその資質のユーモラスな側面が出ていると言えるかも知れない。

そういえば、人が裏返るというのは安部公房の「デンドロカカリヤ」とは関係あるのだろうか。確か「デンドロカカリヤ」のコモン君(だったか)も人体が裏返ってデンドロカカリヤになったはずだけれど。「壁男」とかいうネーミングも安部公房っぽいし、なんだか安部公房臭を諸星に感じることが多い。直接にはカフカをパロった「城」の存在も安部公房との共通性を思わせる。たぶん諸星は安部公房読んでいると思うんだけどなあ。安部公房を引き合いに出していた論文もあったが。

水中都市・デンドロカカリヤ (新潮文庫)

水中都市・デンドロカカリヤ (新潮文庫)

他の作家との関連で言えば、ひと手間かけ子という人のエッセイで、メイド喫茶だと思って入ったら冥土喫茶だった、という押切蓮介の「でろでろ」のネタは栞と紙魚子シリーズで諸星先生が描くと思っていたのに、という記述があり、この二者を結びつけたのはすごい慧眼なのではないかと感じた。
でろでろ(1) (KCデラックス ヤングマガジン)

でろでろ(1) (KCデラックス ヤングマガジン)

じつは、押切蓮介の漫画はすべて読んでいる程度には好きなので、ここで押切が出てきたことにびっくりしたのだけれど、案外両者は近いのかもしれないと思う。押切の「でろでろ」の基本コンセプトは、日常のあるあるネタを妖怪やお化けの仕業、と見る、というところだけれど、この漫画と紙魚子シリーズの変なものが日常的にそこらにある世界とはかなり似たものがあるのではないか。しょうもない、というところも。まあ、似てるのは両方ともホラーギャグだからというのもあるか。


他の文章もなかなか面白く、諸星論とかほとんど読んだことがなかったので、諸星がどのように語られているのかがある程度見えてとても興味深い特集だった。方向性は似ているけれど、資質は対照的だという星野之宣は何か読んでみようかとも思ったし、対談の文化人類学者にして漫画家の都留泰作もちょっと興味がわいてきた。

ナチュン(1) (アフタヌーンKC)

ナチュン(1) (アフタヌーンKC)

あと、はてなの商品ページから言及ブログを検索したら伊藤剛以外にもこの特集に寄稿したという人が何人か居て、世界の狭さにびっくり。そしてユリイカの次回特集は「ドラゴンクエスト」。


最後にちょっと脱線を。前にも紹介したことがあるけれど、kamSという人の以下の動画を見て欲しい。この人の作品はニコニコにある東方Project関係の中でも突出して異彩を放っている。というか強烈な才能だと思う。

まあ、普通に見たらとんでもないカオスだ。それはいいとして、なぜここで東方かというと、この動画の中盤に出てくる因幡てゐという因幡の素兎を元にしたキャラクタの回想場面で、皮を剥がれた兎のところへ治療法を教えに来た大穴牟遅神が、まんま「暗黒神話」のオオナムチの姿だからだ。「暗黒神話」ではほとんど怪物じみていたあのオオナムチが、さわやかに手を振って去っていく姿は面白すぎる。こんなところに諸星ファンが!

暗黒神話 (集英社文庫―コミック版)

暗黒神話 (集英社文庫―コミック版)

まあ、東方永夜抄風神録では日本の神話、伝承に材を取った設定やキャラが多いので、その手のものが好きな人にはアピールするのだろう。「暗黒神話」にもオオナムチとともにタケミナカタ諏訪大社創設の話(風神録のメインストーリー)が出てくるし、「孔子暗黒伝」でも出雲と諏訪の対立が描かれていたりしている。
因幡の白兎 - Wikipedia