青木淳悟 - 四十日と四十夜のメルヘン

四十日と四十夜のメルヘン

四十日と四十夜のメルヘン

登場時に保坂和志が絶賛していたこともあり、単行本が出てからわりと時間をおかずに買ってはいたものの、ずいぶんと積んだままにしておいた。
社会は存在しない

社会は存在しない

↑これに岡和田さんid:Thorn青木淳悟論を掲載している、ということでようやくと読んでみた。

この作家、無茶苦茶変な小説を書く。ピンチョンがどうとか評されていたけれど、あまりそうは感じなかった。もっと変な、何を書いて、何を書こうとしているのかすら分からない不思議な小説だという印象だ。

表題作は結構端正なイメージを最初持った。数日間の日記を繰り返し書き直す、とか作中作のしかけ等々、メタフィクション的な設定を淡々と積み重ねていって、これはコルタサルの「悪魔の涎」とか「すべての火は火」的なアレか、と思わされたのだけれど、ページが進んでいくと、確かにそうしたメタフィクションの手法が用いられてはいるのだけれど、端正に淡々と、どんどん意想外の方向に記述が進んでいってしまう。

最終的には淡々と積み上げていたと思われたメタフィクション的な設定やしかけっぽいものがほとんど淡々と放り投げられて終わってしまう。

とにかく、不思議。これ、批判しているように思われるかも知れないけれど、すごく面白いと思ってる。

もうひとつの「クレーターのほとりで」は、タイトルから連想されるようなSF的なネタが使われてはいて、そして確かに一面では有史以前の人類のなんだか不可思議な風習というか生態を描いている。

その後、地質学的過去と現代とが、ガス基地建設予定地から不思議な骨が発掘されたことで繋がり、創造論インテリジェント・デザイン一派のキャンペーンや企業と行政の癒着問題などが絡まってとっても社会派SF風な展開を予想させる道具立てがそろってくる展開がかなり読ませるんだけど、もちろんそれは追及しません。

場面ごとの展開や細部の該博な知識(地味な細部がなぜかやたらと詳しい)などでかなり読ませるのだけれど、そこに話の進展や謎の解決などの「普通の物語」を求めようとする欲求がとことん脱臼させられていく。いつの間にか違う話になり、どんどん何を読んでいるか分からなくなってきて、特にこの「クレーターのほとりで」ではラスト五ページの顛末でアレが出てきたときは驚嘆すると同時に乾いた笑いが出てきた。それがやりたかっただけなのではないかとすら思わせるトンでもないラスト。

人を喰ったSF、ということで円城塔的な感触もあるのだけれど、もっと小説的に野蛮だ。

淡々としていて丁寧なんだけどどう考えてもおかしい、という真顔のコントのような奇怪な作風。Thornさんに絶対気に入ると思います、と言われて、どうかな、と思って読んだのだけれど、なんだか分からないが凄い面白いぞ、となって早速もう一冊も読んでしまったので、確かに気に入っているのだろう。