以前に鬼武者の音楽を担当した作曲家佐村河内守のことを記事に書き、そのなかで彼のレクイエム・ヒロシマとも称される交響曲第一番が広島のG8議長サミット記念コンサートで演奏されるまでを綴った上掲のドキュメンタリー動画を紹介したけれど、ふとYoutubeで「佐村河内」を検索してみたら、その交響曲第一番の初演の模様が全編アップロードされていてビックリしてしまったので早速紹介。
広島のコンサートでは長い交響曲のうち、第二楽章を除いたかたちで演奏されたのだけれど、その模様が六本の動画に分割されて上げられていた。ちょっと音に不備のある部分もあるのだけれど(映像の出所が分からないけれど、テレビ放映されたものなのだろうか)、音源化されていない現在、交響曲第一番はこれでしか聴けないと思う。
第一楽章
第三楽章
広島の惨状を表現したとおぼしき第三楽章の激しい展開から、犠牲者たちが天に昇る様子をイメージしたというラストの「天昇コラール」パートへの流れに圧倒される。序盤の冷ややかに美しい場面も良い。まあ、とりあえずは聴いて欲しいと思う。
以下はざっと聴いた後に読んで貰う方が良いと思う。
私はまるでクラシックには詳しくないのでその模様を観覧していた許光俊氏による評を引用しておく。
基本的に後期ロマン派の書法なので、ブルックナー、マーラーあたりを好む人なら、何の問題もなく聴けるはずだ。改めて思ったのは、この作曲家の音楽にはヒロイックな身振りがある。これは20世紀になって西洋音楽が失っていったものである。佐村河内はたいへんな困難に負けずに作曲、いや生きようとしている人間である。大げさでなく日々戦いなのだろう。それが作品に映り込むのだ。そのあたりが現代の平和で豊かな地域で暮らしている他の作曲家たちと決定的に違うのである。
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戦いというのはどういうことかというと、これまた私の以前の記事の抜き書きになるけれど、作曲者佐村河内守は被曝二世で、そのためか十代から始まった聴覚障碍によって三十代で全聾になり、同時に頭の中で轟音が響く頭鳴症に罹り、明るい光を見ると発作が起こるため室内でもサングラスが欠かせず、腱鞘炎のため相当な腕前であったピアノも弾くことが出来なくなってしまった彼の窮状を指している。
それでもなお、彼は作曲を続けていて、この交響曲第一番は彼の悲願の作でもある。それを知ってしまった以上、この曲は、広島の状況と、佐村河内自身の苦闘とが二重写しになって私に聞こえてくる。それがためによりいっそう迫力をもって聞こえてくる。
しかし、だからこそ佐村河内は自身の生涯、障碍を表に出すことを拒んできたのだろう。
彼のところにはテレビ番組を作らないかという話が何度も舞い込んだという。確かに、耳が聞こえない障害者が音楽に打ち込むなんて、いかにもテレビが好みそうな話だ。だが、佐村河内は障害を利用して有名になることを拒んだ。テレビ局からは「せっかく有名になるチャンスなのに、バカじゃないか」と言われたという。
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全聾ということで、自分の音楽に不当なゲタを履かせてしまうことは彼のプライドが許さないのだろう。
私も既に彼の苦難を知ってしまっているので、私の評価はどうしてもそれが混入したものになってしまうことはさけられない。しかし、それでもやはり、私の以前の記事にある方がコメントされたように、この音楽はそうしたゲタを履かせる必要のないものだと思う。