トマス・M・ディッシュ - 歌の翼に

歌の翼に (1980年) (サンリオSF文庫)

歌の翼に (1980年) (サンリオSF文庫)

こんちくしょうな全宇宙がくそったれな収容キャンプなのさ
「キャンプ・コンセントレーション」

今作は1979年にディッシュ(ディックではなく)の七年ぶりの長篇として発表されたもの。翻訳は1980年。国書刊行会から復刊されると聞いて、この機会にと「334」と続けてサンリオ文庫版を読んだ。

ディッシュの小説は、知能向上の薬をキメられて収容所に入れられる「キャンプ・コンセントレーション」とか、人口が増えすぎて一部の人間にしか妊娠が許可されなかったりする時代でのある巨大な建物を中心にしたディストピア的趣の「334」とかとか、この世界というのは牢獄に他ならない、というような底冷えのする認識を土台に組み立てられていて、さらには技巧的な小説構成がやや読者を突き放すようなところがあるという印象だった。

対してこれは小説としてはシンプルな語りで、主人公の幼少の頃からの人生を追っていく極めて王道的な構成となっていて、非常に読みやすく馴染みやすい。主人公ダニエルは「飛翔」することに執着し、飛翔するために必要な歌をマスターせんと努力し、恋人が出来たり、挫折したり、チャンスがめぐってきたり、と人生の紆余曲折を辿っていくことになる。

この小説のキーとなる「飛翔」とは、歌うことと密接に関係していて、ある装置に座って歌を歌うことで、自身の肉体から抜け出すことが出来る、というようなことらしいのだけれど、ここにSF的な説明はほぼない。SFというべきかファンタジーと呼ぶべきか。

少年ダニエルの飛翔を目指す一代記、ともいうべきこの作品ではディッシュ特有の冷たさがなりを潜め、飛ぶことというポジティブな目的に向かって努力を重ねる姿が描き出されるというわけで、ちょっと見には意外に思えた。

物語はベタな成り上がりものの面白さがあって、そういう読み方ができるのだけれど、ではこれがポジティブな小説か、というとどうも違う。時代状況は結構シビアで、食料が配給制になったりするような危機的な状況だという点では「334」あたりと似通ってくる設定になっているし、「飛翔」は法的に禁止されているという宗教も絡んだ抑圧的状況がある。

キモはその「飛翔」で、これはどうしても自殺と二重写しになっているように思えて仕方がない。「飛翔」は肉体を残して精神だけが遊離する現象ということになっていて、どうも遊離した後は肉体を必要とはしないらしい。肉体に戻ってこない幽体離脱は、自殺とどう違うのだろうか。

そもそも、少年ダニエルが歌うこと、飛翔することを、自分はやるしかないと決意するのは他でもない、刑務所の中でだ。過酷な状況こそが少年に飛翔への夢を植え付けるわけだ。そしてここでは親しく過ごした人物が自殺する。このあたりに前作までの残響を聴きとるのは無理筋とは言えないだろう。もう一つ、作中には印象的な自殺のシーンがあり、それがどうしても飛翔とダブる。

もちろん、この小説においては、飛翔は現実のもので自殺とは異なる意味合いがある。一端飛翔を果たした者が戻ってくることもある。ただ、そのシーンはまるで死者との短い霊的な交流、というような雰囲気がある点が、逆に飛翔と死の相似性を連想させてやまない。というよりも、これはかなり意図的な構成だと思われる。刑務所、自殺、飛翔した者との交流そのそれぞれが、そういう読みを誘うように配置されているのだろう。

現世というのは徹底的に牢獄であり、そこから抜け出すには死ぬ他はないのだ、というどうしようもない絶望を、希望の物語のヴェールを被せて描き出したような複雑なアイロニーがここにはあるように思えてならない。その点では、「キャンプ・コンセントレーション」「334」と、ディッシュの現実認識は寸毫の揺るぎもないのではないか。やはりこの作品もディッシュ一流のペシミズムとアイロニーとがぶち込まれたものではないかと思う。

あるいは、希望は絶望と表裏一体というか、ここでは希望と絶望は同じものとして提示されているようにも思える。私はラストシーンに言語化しづらい何とも複雑な印象を抱いたのだけれど、それは上記のような底意地の悪い目論みによるのではないかと思っている。

そもそも、「飛翔」というのは「キャンプ・コンセントレーション」の取って付けたようなとか言われるアレを思わせるわけで、「歌の翼に」と「キャンプ・コンセントレーション」はやはり表裏一体のものではないかと。


しかし、ディッシュが自殺した、という事実を知った後でこの著者の作品を読むというのはまたなかなかに複雑(パートナーを亡くし、アパートを追い立てられて、という状況はとっても「334」的)で、私の以上のような記述は、作品を作者の自殺という文脈に収束させるようなものになっている感があって、Thornさんに怒られそうだ。

さて、特に「キャンプ・コンセントレーション」や「334」は生政治とか監獄とかフーコー以降の現代でも論じられているような問題に切り込んでいて、現在読んでもやたらにアクチュアルなのが凄い。そういう方向のちゃんとした批評はThornさんやわたなべさんが書いておられるのでそちらを参照してくださいな。

Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト
http://speculativejapan.net/?p=56

というわけで、ディッシュの私が読んだ長篇のなかではもっとも読みやすく、入りやすい(かといって簡単、ではないと思う)スタンダードな小説となっているので、今月末に国書刊行会から復刊されるのを期に読んでみるのも良いのではないかと思います。全面改訳とあるけれど、既訳でも特に問題を感じないのでどの版を読んでも良いのではないかと。

歌の翼に(未来の文学)

歌の翼に(未来の文学)

これから遡って「334」、「キャンプ・コンセントレーション」と読んでいくのがいいのかも。ただ、問題は「キャンプ・コンセントレーション」で、サンリオ文庫版の語順直訳の翻訳はかなり読みづらい点。「未来の文学」で雑誌掲載版の出版なり新訳とかしてくれないものだろうか。まあ、読むだけなら以下のところで読めば良いんだけど。私は本を持っていたので、せっかくだからと文庫で読んだせいか結構わからないまま読んでしまった。
キャンプ収容 Camp Concentration