井浦伊知郎 - アルバニア・インターナショナル

アルバニア、と言われても全くイメージがわかない程度にはバルカン半島に詳しくない私なのだけれど、アルバニアの小説家イスマイル・カダレを読んでみて、さて、アルバニアとはどんな国か、というのが気になり「死者の軍隊の将軍」の訳者でアルバニア語の専門家だという井浦伊知郎のこの本をAmazonで見た時買ってしまおうかと迷っていた時、スラヴ系の歴史を専門にしているというMukkeさん(アイヌとか民族、ネイションにまつわる記事も面白い)のこの記事を読んだ後に本屋でちょうど見つけたのでこれは機会と「〜将軍」を読む前の予習としてさっそく読んでみた。
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20091122/1258898566
アルバニアがどこにあるかというと、ヨーロッパの南部、ギリシャの隣でマケドニアコソヴォセルビアモンテネグロに隣り合い、アドリア海を挟んでイタリアの「かかと」に向かい合っている。旧共産圏の意味で「東欧」と呼ばれるけれど、国連の分類的には「南欧」。
Google マップ
構成としては書名通り、アルバニアにまつわる国際的なつながり―マザーテレサアルバニア人だとかのどこの国の誰それはアルバニア系とか、事件事故で出てきた名前からアルバニア系だということに感づき、ニュースを追っていく話とか―を示すトリビアルなエピソードをこれでもかと並べていく、連続コラムのような体裁になっている。

国としての知名度がまずもって相当低いため、また共産主義政権時代の鎖国などのため資料が少ないといった事情からか、そうした面白トリビアで興味をひく手法なのだけれど、ただの雑学には終わらずに、背景事情にまつわる細かい解説、現地を何度も訪れている著者ならではの写真、観察などが盛り込まれていて、大変面白く読める。なんというか、これ金取れるだろう、というブログを本にしたような面白さ、っていうのかな。そういう入りやすさと面白さがある。それでいて守備範囲がかなり広く、アプローチも多様で、大きな網で総体的にアルバニアを捉えよう、という試み。アルバニアに乗り入れていた航空会社の時刻表がどうこうとかのネタに至ってはこの人マジですごいなと思ったらその記事だけは他のライターさんのだったりもした。

それだけではなく、冒頭にはアルバニア史の概説が置かれ、巻末にはアルバニア語の文法、参考文献一覧等があり、きちんとしたガイドブックとなっているところが良い。

とは言いつつも帯に「世界一マニアックな国」とか、叢書名が「共産趣味インターナショナル」とか、何でカバーをアルバニアで人気のヒップホップユニットの写真にしたのか、等のネタっぷりが面白すぎる。トリビア主導の記事構成とか、かなり遊んだ感がある本だ。そうしたネタっぽさと真面目さが良い塩梅で配合されている。

表紙の煽りに「鎖国無神論ネズミ講だけじゃなかった」というのがあるんだけど、むしろ私はこっちの方が全然知らなかった。特にネズミ講ってなんだ、と思ってたら、90年代に民主化して市場経済に移行した時、ネズミ講が大流行して人口の三分の二がはまったのだという。六割。しかも、このネズミ講を政府も推奨していたらしく、配当金が支払われないとなるや反政府暴動に発展し、主要都市をあらかた巻き込み死者二千人を数え、諸外国が自国民の救出作戦を発動させるまでになったらしい。

アルバニア暴動
結果:政府転覆
交戦勢力
アルバニア共和国 ― 各地の暴徒
指揮官
アルバニア共和国大統領サリ・ベリシャ ― 各地の民兵指導者、不満を持つ旧共産党員など
損害
1700人から2000人の死者
1997年アルバニア暴動 - Wikipedia

「結果:政府転覆」。すごい話だ。
で、しかもこれ、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の当事者に兵器売った金で配当金を支払ってたらしい。

この本は著者が自分で撮った当地の写真が結構載っている。特に面白かったのが、アルバニアのファーストフード店を紹介する下りで、ロゴもそっくりのマクドナルドに似たハンバーガーショップの次に出てきた、「Yahoo!」という店の写真。似ているというレベルではなく、ロゴもそのまんまコピーしたような「Yahoo!」で、なぜかファーストフード店。あと、子供向けのアニメ雑誌では「ドラゴンボール」の悟空とベジータが表紙を飾り、竹内直子のセーラームーンの字が見える。

写真が多くて面白いのだけれど、どれもモノクロなのが残念。特に、ティラナ市長の政策として、市内の景観をカラフルにするというのがあるらしいのだけれど、モノクロだとそれがわからない。でも、ネットならすぐにカラー写真が見られるので以下参照。
ティラナ:アルバニア写真館:2人の世界旅:旅して
Tirana - Google 検索
やたらカラフルな建物がぽつぽつと見える。

欧州はどこもそうなのだろうけれど、この本でも多く扱われる、民族、文化、宗教、国家が、複雑な層をなしているのが印象的だ(つまりこんがらがってあまり覚えていない)。大多数がムスリムではあっても、イスラム教の影響力はほとんどなく、女性は普通に肌を出して歩いているし酒も飲むし豚も喰う(喰わない人もいるけれど)。アルバニア人アルバニアにだけいるわけではなく、コソヴォにもかなりいるし、他の国にもいる。アルバニアは特に宗教的な無関心が特徴らしく、そこら辺は日本人みたいだと著者も書いている。特に見た目では民族的、宗教的対立が目立たないらしい。ここら辺なんだかポジティブなカオス、という感じで面白い。

アルバニアは割合に平和的に見えるのだけれど、では他の地域で紛争が絶えないのは、民族的、宗教的対立というのとは違った要因があるのだろうか。

以下の映像は表紙を飾ったヒップホップグループ、Etno Engjujt(エトノ・アンジュイト―Ethno Angels)の「アルバニアン」。さまざまなアルバニアゆかりの人物が映されている。

しかし、歴史的経緯は確かに参考にはなったけれど、カダレの作品理解の助けになるかは微妙な感じ。フランス語版の訳者にまつわるエピソードとかは面白いけれど、基本的に現代文化からのアプローチが多いので、古典的な文化とか伝承とか習俗とかであまり参考になる情報はないかな。ただ、アルバニア人は遠方からの客を手厚くもてなす人たち、という描写は「〜四月」と「ドルンチナ〜」の掟を思わせる。それと、まだ訳されていない直近の政治的情勢を扱った一群の小説の参考にはなるだろうと思う。