ボフミル・フラバル - あまりにも騒がしい孤独

あまりにも騒がしい孤独 (東欧の想像力 2)

あまりにも騒がしい孤独 (東欧の想像力 2)

カダレが出ていた松籟社の「東欧の想像力」第二弾、チェコの作家ボフミル・フラバル。
チェコ文学といえば日本で有名なのはミラン・クンデラだけれど、プラハの春以降、クンデラはフランスへ亡命して今ではフランス語で書いているし、もう一人チェコで著名というヨゼフ・シュクヴォレツキーはカナダに亡命したので、フラバルは国内に留まったものとしては最大の作家となり、チェコ国内ではクンデラよりも人気があるという。1997年没。

ボフミル・フラバル - Wikipedia

カダレを読んで、この叢書を他にも読んでみようかなと思った時、すぐに目を引いたのがこのタイトル「あまりにも騒がしい孤独」。このタイトルの秀逸さでほとんど買おうと決意したくらい、とても素晴らしいフレーズだと思う。で、このボフミル・フラバルという名前もいい。ルで脚韻を踏みつつ、ハ行とバ行のアクセントがリズミカルに響く。

そして紹介文。

35年間、僕は故紙に埋もれて働いている──これは、そんな僕のラブ・ストーリーだ。……このような書き出しで始まる『あまりにも騒がしい孤独』、その語り手は、プラハで故紙処理係をつとめるハニチャという男です。彼は、自分のもとに運ばれてくる紙の山を、ひたすら潰してキューブ状にまとめ、再生紙工場へ送り出す仕事をしています。来る日も来る日も運ばれてくる故紙、毎日潰しつづけても減らない紙の山……シーシュポス的な・賽の河原的な仕事を続けるハニチャ、そんな彼にはしかし、ある生きがいがありました。それは、故紙の山の中から、美しい本を救い出すこと。カントを、ゲーテを、ニーチェを……そしてその本に書かれた、美しいテキストを読むこと。
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庶民的な生活のなかにささやかな幸福を見つける主人公、このタイトルと主人公像からばーっと広がったイメージがこう、私に是が非でも読まなければという気にさせたのでした。

作品は130頁程度の中篇くらいと短いけれど、主人公の饒舌な一人称スタイルで、わりと中身は濃い。故紙の山を潰し続けるという仕事についていて、「心ならず教養が身についてしまっている」彼は、その故紙のかたまりの表面を美しい本の一部で飾ったりと、仕事の能率を犠牲にしてもそのやり方にこだわるという人物だ。カントの本の一文を味わい、ゴッホの「ひまわり」で故紙のかたまりを飾り、老子やイエスやらの幻を見、まわりではネズミたちが果てしない争いを繰り広げたりしている、そういう「あまりにも騒がしい孤独」のなかで、さまざまなことを思い出し、町を歩き回り、肉汁の沁みた紙にたかる肉蠅にまみれて仕事をする。そして家には故紙の山から持ち帰った三トンの本を持つ。

特に面白いのが主人公ハニチャの昔の彼女の「クソまみれのマンチャ」という渾名にまつわるどうしようもなくひどい(これはひどい)エピソードと、四十年間信号手として働き、その仕事だけが楽しみだったので、引退後も廃物の信号扱い所を買い取り、自宅の庭に設置した叔父の話だ。叔父は元機関士の友達を誘い、レールと小さな機関車をも揃え、休日には機関車に火をおこし、子供たちを乗せたり、酔っぱらいながら走らせたりしていた。

このシーンがなかなか良くて、小さな、つまらないように見える仕事に些細な喜びを見いだす人物、というのにはなんだか妙に惹かれることがある。思い浮かぶのはゴーゴリの「外套」のアカーキイ・アカーキエヴィチと、ジャン・パウルの「陽気なヴッツ先生」のヴッツ先生で、この両者の短篇がわりと好きで、今作の主人公ハニチャもここに並べたい。

そして、ハニチャもその叔父のような将来まであと少し、というところだったのだけれど、文明の利器が彼から仕事を奪ってしまう。そんな時彼はプラハの崩壊の幻を見る。それが表紙の絵になっている。

解説ではカフカ等とともにドストエフスキーの「地下室の手記」が参照されているけれど、私にはむしろ、このハニチャという人物は「外套」のアカーキイ・アカーキエヴィチの末裔のようにも思えた。ゴーゴリの「外套」では彼を外から眺めて書かれていたけれど、今作では人物の内面から語っているという転換がなされているし、この後半の悲劇的な展開はやはり「外套」を思わせるところがあるからだ。


そしてとても印象的なのが、この作品にはしばしばジプシーたちが出てくるところだ。名も知れないある女性は毎日ハニチャのもとを訪れていたのだけれど、ある日突然来なくなってしまう。後になって彼女は他のジプシーたちと一緒に捕らえられ、強制収容所に送られて「焼却炉で焼かれ」たのだと分かる。この叢書第一弾のダニロ・キシュも作品紹介を見ると父をアウシュヴィッツで亡くしたことについて書かれていて、この小説にもまたホロコーストの傷跡が刻まれている。それ以外にも社会主義時代を匂わせるイメージや記述がさまざま書かれているのは解説を見て気づいたものも多かった。

解説に「ナチズムとスターリニズムという人類史上まれに見る過酷な政治体制の両方を経験しなければならなかったチェコの作家だからこそ書き得た」とあるけれど、確かにそういった過酷な状況をひとつの背景として成立した作品だ。

口語的な文章と翻訳の相性が悪かったのかやや読みづらいところもあったけれど、妙にこの作家には興味を惹かれるものがあり、他のもいろいろ読んでみたいと思わされた。と思っていたら、池澤夏樹編の河出の世界文学全集の第三期にはフラバルの「私は英国王に給仕した」(映画化されている)が予定されているのに気づいた。以前、三期の予告を見た時には全く印象に残っていなかったのはもちろんその時にはフラバルのことなど全く知らなかったからだけれど、これは期待したい。
http://mag.kawade.co.jp/sekaibungaku/2009/02/_30.html