
- 作者: ダニロキシュ,Danilo Ki〓@7AAD@s,山崎佳代子
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1999/02
- メディア: 単行本
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「死者の百科事典」は三部作のあとに再読すると、また感慨深い。「死者の百科事典」は一人の人物の人生を過不足なく簡潔に記した不可能な書物であって、「砂時計」とは対照的な存在だといえる。なお、この書の自作解説でキシュが「死者の百科事典」を雑誌に掲載した後、ある雑誌にモルモン教の本部があるソルトレイクシティには、世界中のあらゆる人名の系図を収集する保管所がある、という記事が載ったらしく、その記事を引用している。この施設は実在していて、いまも活動が続いているらしい。
http://ja.mormonwiki.com/%E5%AE%B6%E6%97%8F%E6%AD%B4%E5%8F%B2
http://www.lds.org/placestovisit/location/0,10634,1869-1-1-1,00.html
Today the library has records of more than 2 billion names in data bases; 2.4 million rolls of microfilm; and 278,000 books.
実在する「死者の百科事典」。モルモン教ってこんなことやってるのか。
冒頭の「魔術師シモン」は新約聖書に出てくる、ペテロに奇跡の力を売ってくれと頼んだシモンにまつわる話。ただし、ここで元にしているのはグノーシス派(聖書外典?)のシモンで、そこではペテロとシモンとで力比べをする。シモンは魔術を使って空を飛ぶけれど、ペテロが神に祈ったため、シモンは地上に落下して死ぬ、という筋書き。キシュはその伝説をシモンの側に寄り添ったかたちで書いていて、魔術を目の当たりにしたペテロの当惑を描写している。異説も含めて結局シモンは死ぬ運命にあるのだけれど、彼に付き従っていた娼婦が、神を「暴君の中の暴君」と呪詛を吐くのが印象的。なんだかとってもボルヘス風の一篇。
魔術師シモン
続く「死後の栄誉」には引き続いて娼婦が出てくるけれども、全くの別人で時代も違う。ほぼ現代のこの話では、彼女の世話になった港湾労働者たちが、死んだ娼婦を悼んで盛大な葬儀をおこなう様が描かれる。彼らの行動が激化して、町中の花を引き抜き、娼婦の墓が膨大な花の中に埋まってしまう描写が感動的だ。
「未知を映す鏡」は怪奇小説そのもの、という作品だけれど、もしかして末尾で触れられている凄惨な事件の記事は実在するものなんだろうか。
「祖国のために死ぬことは名誉」という短篇では、断頭台に上がった男(エステルハージ家の人間)の死を前にした落ち着きは、死を覚悟した勇敢さなのか、あるいは自分のような家柄の者がこんなことで死ぬわけがなく、母による演出なのだと信じていたのか、そのどちらだったのか、という話。
歴史は勝者が書く。伝承は民衆が紡ぎ出す。文学者たちは空想する。確かなのは、死だけである。
119P
同じ「東欧の想像力」叢書ででているエステルハージ・ペーテルはこのエステルハージ家の末裔で、三部作にもエステルハージの名前が出てくるところがある。
一番長い「王と愚者の書」は作中では一度もその名では呼ばれない「シオン賢者の議定書」の成立にまつわる話に謎の人物を付け加えて推理小説風に展開した短篇になっている。ユダヤ陰謀論の大ネタを父をアウシュヴィッツで失った作家が書くという一作。
「赤いレーニン切手」は著名な詩人の元愛人が、その詩人の研究者に向けて送った手紙の体裁。研究者の読解、解釈を、愛人がこれは自分とのこれこれこういうやりとりを表現したというのが真実だ、と批判を加えている。しかし、過度に文学的な解釈も、元愛人の身も蓋もない現実に落とし込む解釈も同等に皮肉っているように読める。
キシュはどう考えても三部作を書くために作家になったような人で、三部作にくらべてここでの短篇がやや小粒な印象になるのは仕方のないところだけれど、死と死後についてというのがやはり全体的なモチーフになっていて面白い。解説を読んで驚いたのは、キシュは54歳で癌で死ぬのだけれど(ずいぶんと若死にだ)、癌で死ぬ男を描いた「死者の百科事典」を書いている時、既に彼を死に至らしめる癌が進行していたとのこと。作家に偶然はない、というキシュの現実が小説をなぞってしまうのはあまりに運命的すぎる。