「失われた時を求めて」メモ

失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

失われた時を求めて」のこの巻については実は六年ほど前に一度読んでいるので、再読ということになる。その時の記事はこちら。

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以前のはハードカバーのものを二巻まで読んだところでふいと中断してしまって(安価な中古で端本を集めていたので、揃えてはいなかったのもある)、そのあいだに文庫版が出始めたので、じゃあ、文庫を買いそろえてから再開しようと思っていたらいつのまにか文庫完結から三年経っていた。

で、年明けに今年こそは全巻通読してみようと決意。あんまり中断しすぎたので三巻から再開するのはどうかと思われたので、第一巻はじめ、今度は中断しないように、ペースを月一冊ずつと決めて読み進める予定だ。いまは第四巻まで進んだところ。

メモがてら各巻に簡単にコメントしていこうと思う。

文庫ではハードカバー版にあった挿絵や月報の類がなくなっている点は残念だけれど、系図、人物紹介、あらすじ、各場面ごとの索引などの豊富な付録はそのままで、再読や中断、拾い読みに好適な編集になっているのはうれしい。

この巻ではまだ動きが少なく、さまざまな人物の紹介というか物語の土台固めという印象がある。フランソワーズという女中のキャラクターや二人の叔母の遠回しな感謝の表し方など、コミカルな部分もあって楽しい。とはいっても、この巻だけ読むとちょっとなあ、という人もいるかも知れない。そう言う人は二巻の「スワンの恋」から読むっていう手もあると思うけれど、どうだろう。

ここでは有名なマドレーヌからあふれ出す記憶の描写がハイライトだけれど、各登場人物の描写をじっくりと読んで次巻以降に備えておきたい。


しかし、函なしハードカバー版をどうしようか。

失われた時を求めて〈2〉第一篇 スワン家の方へ〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

失われた時を求めて〈2〉第一篇 スワン家の方へ〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

引き続き「第一篇 スワン家の方へ」を収録した二巻。ちくま文庫版に比べて付録が多量なので、分冊になっている巻があり、全体の巻数が増えている。第一篇はちくまでは一冊だった。

以前書いた感想はこちら
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ここに収録された第二部「スワンの恋」では語り手の生まれる前に遡り、第一部でも登場していたシャルル・スワンとオデット・ド・クレシーの恋の物語がほとんどをしめている。この部分は上流階級の見栄の張り合いを描いた部分(生々しい喜劇として読める)や恋愛物語としての展開があり、一巻よりはよほど読みやすい。なんなら、この部分だけ先に読んで、面白ければそこから一巻に戻って全体を読み通してみる、というのもアリなんではないかと思う。

プルーストの思索的で密度の高い描写とによる長々しい文体に慣れられるかどうかを、試してみるにはちょうど良いかも知れない。

第三部「土地の名・名」では、スワンの娘、ジルベルトと語り手の出会いが描かれる。これはそのまま第三巻への序章になっている。

前巻までは以前に読んでいたけれど、こっからは初めて読む部分だ。

第三巻は「第二篇 花咲く乙女たちのかげに」の前半。第一部、「スワン夫人をめぐって」では、語り手のとスワン家とのつきあい、特に前巻で出会い、恋に落ちたジルベルトとの幼い恋の顛末が語られる。

ジルベルトとの恋とその終わりは、前巻のスワンの恋と構成的に対応しているようにも思える。ここでは語り手は自らその恋を終わらせていく展開になっている。

巻末エッセイで野崎歓も語っていることだけれど、未知のものへの夢想的なあこがれの強さと、その実際を見た時の失望という落差がこの巻のみならず全体を通して印象的だ。この巻ではラ・ベルマの劇、バルベックという場所、あるいはジルベルトとの恋、それらへの強い情熱が語りを牽引していく。失望した時には逆に、周囲の人間にそれと気取られぬように苦心したりする顛末になったりもするのだけれど。

第二部、「土地の名・土地」は第一篇の第三部と対応するタイトルで、バルベックに行くまでとホテルでの生活が描かれる。しかし、フランソワーズがどんどんキャラ立ちしていくなあ。後の重要人物らしいアルベルチーヌもちょっと出てくる。

しかしまあ、長い。ワンセンテンスが長い上に改行もほとんどないのでページが真っ黒。他の本を読むよりもずっと時間が掛かる。これを一気に読もうとするとやっぱり挫折するだろうなあと思う。けれども文章自体は読みやすいので結構するすると読んでいけるので思ったほどは読みづらくはないところは鈴木訳の良いところだろう。

これでようやく全体の三分の一程度まで来た。

この巻は前巻終盤から始まる「土地の名・土地」の続きとなり、語り手のバルベック滞在が終わるまでが語られる。そのなかで、祖母の旧友でもあるゲルマント家につならなるヴィルパリジ夫人との交流や、新しく出会ったサン=ルーやブロックといった友人たちとのつきあい、さらには画家エルスチールとの出会いと、「花咲く乙女たち」こと年若い少女たちの一団、なかでも後の展開の重要人物っぽいアルベルチーヌに恋する過程が描かれている。

序盤のヴィルパリジ夫人とのやりとりは第一篇でもそうだったように、ブルジョワの連中めんどくせー、と思わざるを得ない虚栄心を皮肉に描き出すプルーストを読める。その後がまた面白くて、ヴィルパリジ夫人から甥がこっちに来ることを聞いてから、語り手のテンションがすごく上がる。未知のものへの憧れの強さと失望のダイナミクス、ということは前にも書いたけれど、ここではほとんど滑稽な様相でそれが反復される。

まだ会ってもいない内から「彼に好意を持たれて、大の親友になるだろう、と想像していたし」、彼がいま厄介な恋愛の最中にあると聞かされて、「この種の恋は宿命的に犯罪と自殺で終わるものと信じこんでいたので、まだ彼に会いもしないうちからすでに心のなかで大きく膨れ上がっていたこの友情も、ほんの短時日のものなのだと考えて、あたかも自分の大切な人が重病で余命いくばくもないと知ったときのように、この友情と、それを待ち受けているさまざまな不幸との上に、私は涙を流したのである」ときてはこれはもう笑うしかない。

当然この妄想は現実の出会いのなかで裏切られるのだけれど、その後サン=ルーは語り手の想像とは異なる形で付き合いが深くなっていく。このサン=ルーのついでに、彼を描写したある部分で、なかなか興味深いことが語られる。

ひとたび愛人を持つと、彼らは女に対する崇拝と尊敬のために、その気持ちを彼女自身が尊敬し崇拝するものにまで広げずにはいられない。そしてそのために彼にとっては、価値の基準が逆転することになる。

この逆転した価値観とは、女性が持つ繊細さや心遣いや動物に対する愛情を教え、社交界の利害関係と虚栄心に支配されることを防ぐというかたちで、サン=ルーに肯定的な影響を及ぼしたもののことを指している。女性自身はサン=ルーと関係が悪化しているけれど、サン=ルーのその価値観はなお生きている。端的に言うとここでは女性性の擁護が行われていると思われる。語り手のマザコンぶりなどと考え合わせると、子供っぽさや女性らしさというものをこの小説はずうっと肯定的に描き出しているようにも思える。

そして、ここで開始されるアルベルチーヌとの恋愛は、オデット、ジルベルトと描かれてきた恋愛のある種の反復ではないかと思っていたところ、後半で語り手はそれを先読みするようにこう書いている。

アルベルチーヌはどこか最初の頃のジルベルトのようなところがあったが、それは私たちが次々と愛していく女たちのあいだに、少しずつ変化しながらも一種の類似が存在しているからで、その類似はこちらの変わらない気質に拠るものなのだ。(中略)したがって小説家は、主人公の生涯を通じて次々と起こる恋愛を、ほとんどまったく同じようなものとして描くことができるし、そうやって自分自身の模倣ではなく、創造を行っているという印象を与えることができるだろう。なぜなら、人工的な斬新さよりも反復のなかにこそいっそうの力があり、これが新たな真理を暗示するはずだからだ。P423-424

そしてもう一つ付け加えて、「愛されている女に対してはいっさいの性格を与えることを控えれば、さらにもう一つの真理を表現することになるだろう」とも言っている。なかなか面白い。


しかし、次巻あたりからは難物で知られるらしいので、ちょっと不安が。