ルイ=フェルディナン・セリーヌ - ゼンメルヴァイスの生涯と業績

ゼンメルヴァイスの生涯と業績・ゾラを讃える (1981年) (自家発電叢書)

ゼンメルヴァイスの生涯と業績・ゾラを讃える (1981年) (自家発電叢書)

怪しい健康情報の検証で知られるどらねこさんのブログ記事で、ゼンメルワイスと産褥熱について非常によいまとめがあった。
再掲ゼンメルワイス物語 - とらねこ日誌
この一連の記事は原因を究明するための科学的な思考の重要さと、たとえ原理が分からずとも効果のあることを行うことの大切さなど、さまざまなことが書かれている。さらに、確実に効果をあげられる方法が、権威によって妨害されるなど、医療の歴史を考える上で非常に重要な事例だろうと思われる。

ほぼ二百年前の西洋では、産褥熱(胎盤剥離の傷跡から感染して起こる熱性疾患の総称)が流行していて、死亡率が時には三割を超えるほどだった。病院に行くことは死を意味した、といわれるような時代だった。その時、ゼンメルワイスが勤務していた病院では、ふたつの病棟があり、それぞれ産褥熱の発生率が大きく異なっていた。そこでゼンメルワイスは、このふたつには何が違うのか、と考え、片方では病理解剖を行う医師が、片方では助産師が出産に携わっているのが原因ではないかと見当を付けた。医師は死体に触った手を洗わずに妊婦に接していた。この時代はまだ細菌の概念がなく、それが不潔なことだ、という観念がなかった。ゼンメルワイスは医師に妊婦に触れる前に手の洗浄を励行したところ、産褥熱による死亡例を劇的に減らすことに成功した。

しかし、この一連のゼンメルワイスの行動は上司で産科医長だったクラインや他の人物によく思われておらず、医師の手こそが妊婦を殺していたということになるため、強い反発を受けた。さらに、当時の医学的権威の定説とは異なっていたため、門前払いを受けた。

その後、ウィルスの発見によってゼンメルワイスの主張の正しさが明白になるのだけど、ゼンメルワイス自身は失意の内に世を去った。


というのが非常に単純に要約したゼンメルワイスと産褥熱、だけど、この話、ずいぶんまえから概要だけは知っていた。それは確かカート・ヴォネガットが、「夜の果てへの旅」「なしくずしの死」のルイ=フェルディナン・セリーヌについて論じたエッセイのなかで、だったと思う。なんのエッセイ集だったか(「国のない男」でも触れられてたけど、それ以外にもあったような)はいまちょっと手元にないので分からないけれど、セリーヌが医学部の論文でゼンメルヴァイス(ゼンメルワイス)について書いたことは知っていた。

どらねこさんの記事を興味深く読んで、参考に上げられているゼンメルヴァイスの伝記と思われるこの本

医師ゼンメルワイスの悲劇―今日の医療改革への提言

医師ゼンメルワイスの悲劇―今日の医療改革への提言

が読みたくなった。けれど、いま相当なプレミア価格になっていて手がでない。代わりに、セリーヌのゼンメルヴァイス論を読もうと。国書刊行会から別の訳も出てるけれど、収録されている本が高いので、安価な中古で見つけた本書を読んでみた。ついでに「ゾラを讃える」というあまり讃えてない短い文章が収録されている。

ちなみに、この倒語社という版元はなかなか怪しげなところで、もうひとつのセリーヌ関連書籍は「自家発電叢書」の一冊、セリーヌ論二篇を収録した「セリーヌ式電気餅搗器」というなんかすごい本。シンプルな装幀のゼンメルヴァイス本に対し、こちらはかなり独特のセンスが炸裂していて、帯文も注目。このバリバリの左翼臭に瞠目。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J72T0I/
余談はおいといて、セリーヌの医学博士論文だというこの百ページもない程度の文章では、のっけからフランス革命についての論述が続き、さらに文体も論文とは思えない文学的な代物で書かれている。ゼンメルヴァイスの生涯と業績についてはわりとコンパクトにまとまってはいるので、ざっと読むにはいいだろうとは思うのだけれど、解説にもあるように脚色があり、注意が必要。

特にゼンメルヴァイスの最期を、彼は錯乱して解剖教室に乗り込み、死体をメスで切り刻むうちに自身を傷つけてしまったために命を落とした、と非常にドラマティックに「……」を駆使した、後のセリーヌを思わせる文体で描破しているのだけど、セリーヌ自身の要約を見たハンガリーのゼンメルヴァイス全集の編者は、それは純然たる脚色だ、と述べている。どうも、いくつかの伝記等から都合よく掻い摘んでいたようで、事実関係には疑問が多いという。

破天荒で文学的修辞に満ちたこの論文が当時どう読まれたのかと思えば、「高い評価を得、優秀論文として銅賞を授けられ、ロマン・ロランからは賛辞さえ寄せられた」というのだから驚く。ロマン・ロランが褒めるのは理解できても、これは当時大有りだったのか、と。論文と言うよりはセリーヌの思い入れが余って、完全に物語を語ってしまっている。

確かにこれ結構面白い。文学的な修飾が過剰とはいえ、確実な成果を上げながらも周囲と権威の無理解によって、命を救う情熱が阻まれるシチュエーションには、人を強く引きつけるものがあるのは確かで、書き手もまた強く思い入れていることが伝わってくる。いくつか引用してみたい。

 ともかく、ゼンメルヴァイスは、余人には計り難いほど気高い源泉から己の存在を汲み上げていた。彼は人生で最も単純で美しいこと、つまり生きるということのさなかで人生を愛せるたぐい稀な人々に属していた。彼は度を越えて生を愛したのだ。
 時間の「歴史」において、生とは陶酔にほかならぬ、「真実」とは「死」だ。25P(強調原文)

人は炎の暖かさを愛することはできる。だが火傷したいとは誰も思わぬ。ゼンメルヴァイス、これは炎だった。33P

このクラインという男は、知性は貧弱で、自惚れに満ち、どこをとっても凡庸極まりなかった。35P

ゼンメルヴァイスのへの賛辞が格好良すぎる。対して上司クラインの扱いといったら。引用したところからはもっとクライン批判が続くのだけど、その後でセリーヌは、ゼンメルヴァイスがもう少し器用に立ち回っていれば、クラインの怒りもそれほど周囲に支持されることはなかったのではないか、とちょっと冷静になっている。

ここに見えるのはセリーヌになるまえの、ルイ=フェルディナン・デトゥーシュの、命を救おうとしたものの周囲に阻まれ絶望を味わった医師への強い情熱だ。同時に後のセリーヌの小説に見られるヒューマニズムと世界への怒りと罵倒が渾然一体となった独特の雰囲気も見える。伝記としての不正確さが明らかな現在、むしろ小説家セリーヌの幻のデビュー作、的な読み方のほうが有益かも知れない。

ただ、ゼンメルヴァイスについてまとまって書かれた著作のひとつではあるので、その点では貴重でもあるだろうと思う。まあ、この本もプレミアついてないだけで絶版なんだけども。

現在入手可能な版としては以下に収録されている。

セリーヌの作品 12 苦境他

セリーヌの作品 12 苦境他

そして、セリーヌといえば熱烈な反ユダヤ主義的言動を忘れることはできないわけで。ここで読めるゼンメルヴァイスへの思い入れとクラインや周囲への罵倒の構図は、そのまま貧困層への共感と金貸しユダヤ人への罵倒の構図につながるものなんだろうか。私はセリーヌの反ユダヤパンフレットの類は読んだことがないので、何が論点になっているかは直接見てはいないけれど、弱者へのヒューマニズムがそのままユダヤ人差別につながっていくのかな、と推測している。これは、現代の左派が陰謀論に陥る理路と似たものなんじゃないかとも思った。


ところで、ゼンメルヴァイスとゼンメルワイス、これどう読むのが今は主流なんだろうか。Wikipediaにあるように、ゼンメルワイス、と濁らない方かな。元々ハンガリー出身なので、その時はSemmelweis Ignac Fulopだったけど、のちにオーストリア帰化したのか、Ignaz Philipp Semmelweisとして表記されるようだ。

参考記事(二つ目は、「湿潤療法」の夏井睦氏のサイトから)
http://d.hatena.ne.jp/wtnbt/20080123/1201067030
『医師ゼンメルワイスの悲劇 −今日の医療改革への提言−』(南和嘉男,講談社)
センメルヴェイス・イグナーツ - Wikipedia