仁木稔、岡和田晃「SF乱学講座 世界を動かした驚異の疑似科学」

グアルディア 上

グアルディア 上

もう三週間前になってしまうけれど。さる11月7日に小説家仁木稔、聞き手に批評家の岡和田晃を迎え、SF乱学講座「世界を動かした驚異の疑似科学」が行われました。岡和田さんが乱学講座にかかわるのは二回目で、前回の件は私も前半部の要旨を記事にまとめてあります。
SF乱学講座 岡和田晃 - 「「ナラトロジー」×「ルドロジー」――新たな角度からSFを考える」 - Close to the Wall
今回は「グアルディア」をはじめとする「HISTORIA」と呼ばれるシリーズを書いている仁木稔さんを迎えての企画です。私は参加していないのですけれど、SF大会などで岡和田さんは何度か仁木稔作品を扱った企画を立てていて、その一連の流れの企画でもあるようです。ただ、今回の講演は直接仁木作品を検討するのではなく、そこで扱われている疑似科学を、歴史的なパースペクティヴのなかで見ていく、というものです。

岡和田さんが仁木稔をプッシュしていたのを見て、私もとりあえず「グアルディア」を買ってはいたのですけど、読んだのは講演の一週間前というありさまで、当日までに「ラ・イストリア」を読んでいたものの「ミカイールの階梯」は未読の状態でした。

とりあえずそんな状況で聴きに行った講演でしたけれども、率直に感想を言えば、素晴らしく面白い。疑似科学を中心にすえ、世界史を裏から眺めるという趣で、もともと東洋史学専攻だったという氏の語り口もあいまって興味深い話が目白押し。これ、もっと拡大して新書判くらいの本にしたらいいんではないかと思った。

私が今丁度世界史と科学史に興味があるところだったし、疑似科学についてはグールド、ドーキンスらの反創造論を多少、あるいはwebの疑似科学批判クラスタの人たちの記事など読んでいた私の興味関心のポイントを絶好の形で突いてきたこの演題は非常に面白かった。

講演の原稿は以下、仁木稔さんのサイトに掲載されているので、SF、世界史、科学史疑似科学に興味のある人は読んで欲しいと思います。
SF乱学講座1: 事実だけとは限りません
SF乱学講座2: 事実だけとは限りません
SF乱学講座3: 事実だけとは限りません
なかでも世界史と科学史の交錯の面白さが良く出ている一節、少々長いけれど引用。

 しかしロシアの進化主義者にとって、ダーウィンが用いた「生存闘争」「種内闘争」の概念は、非常に受け入れ難いものでした。これらは「狭い場所で多すぎる個体が限られた資源を奪い合う」という状況を前提としたもので、当時の西欧人は社会や自然をこのように見做していたから、共感をもって受け入れたのでした。
 一方ロシア人にとって、「人や動物がひしめく世界」というのは想像の限界を超えていました。ロシアやシベリアの、だだっ広くて人もほかの生物もほとんどいない平原を想像してみてください。
 また彼らは保守派だろうと急進派だろうと、ロシアの共同体を讃美していたから、「生存闘争」「種内闘争」から導き出される個人主義の冷酷さに、感情的に反発しました。
 そこで彼らは「種内闘争」は、ダーウィン自身の思想ではなく、社会ダーウィニズムによる歪曲だと思うことにしました。「生存闘争」については、闘う相手は環境だということになりました。進化とは、同じ種同士、さらには異なる種とも協力し合って過酷な環境と戦うことによってもたらされるものだという論を展開し、それこそが真のダーウィニズムだと主張しました。
 このロシア・ダーウィニズムの粋と言えるのが、ピョートル・クロポトキンの『相互扶助論』(1902 邦訳は大杉栄による訳のほか、その現代語訳もあり)です。クロポトキンはロシア帝室の一員でありながら無政府主義者で、「アナーキストの貴公子」と呼ばれ、「相互扶助論」も共産主義集団主義思想の産物と見做されています。しかし彼は博物学者として優れた実績を残しており、「相互扶助論」も若い頃に参加したシベリア探検での自然観察と、当時のロシア・ダーウィニズムの潮流に根ざしたものでした。

科学の歴史性、というか、地理的要因と歴史的特性が、科学的研究の方向性を決めているようすがうかがえます。ヨーロッパのダーウィニズム研究とは異なる方向ですすんだロシアの進化研究はその後生物の「共生」研究の発展を促し、ブルガリア旅行での知見からヨーグルトが長寿に有効であると唱え、ヨーロッパにヨーグルトが普及するきっかけを作ったことでも知られるノーベル賞受賞者イリヤ・メチニコフなどにつながっていくようです。
イリヤ・メチニコフ - Wikipedia
このほかにも、科学史や数学史が天才を多く生み出しているように、疑似科学史にも多くの奇人が生まれています。「血液交換」によって生命の更新が可能だと考え、輸血研究所を開設して血液交換実験を続けた挙げ句、自身がその実験台となって血液型不適合で死んだボグダーノフという人物は、その発想から「赤い星」というSFを書いています(あの大宅壮一による訳がある)。
ボグダーノフ『赤い星』: 事実だけとは限りません
ロシアのダーウィニストたち 其の一: 事実だけとは限りません
なかでも特に印象に残るのは、講演でも論文の引用が会場を沸かせたホセ・バスコンセロスでしょう。メキシコの文部大臣を務め、大統領候補にもなった人物で、メキシコの歴史的にも重要な人物らしいのですけど、彼が興味深いのは、白人至上主義的な優生学の隆盛のなかで「人種混淆に対する従来のマイナス・イメージをプラスに転じ、「混血の国メキシコ」というアイデンティティを創り出した見事なレトリック」たる、「宇宙的人種(ラサ・コスミカ)」という主張を提起した点にあります。

混血こそが進化を促し、新しい人種を生み出すとして「混血の文化」、「混血の大陸」というアイデンティティを生み出して、その後のラテンアメリカにも大きな影響を及ぼしたといいます。この論文、八十年代の現代思想に訳が載っていて、そのコピーも少部数配られていたのだけど、私はもらい損ねてしまった。訳者解説の部分には「サイバーパンク」という単語が見られるように、なかなかすごい代物。

岡和田さんのブログに関連記事があります。
ホセ・バスコンセロスはアヴァン・ポップだ! - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト

で、実はこの「混血の勝利」といったようなモチーフは「グアルディア」にも強く見いだせると思います。作品そのものを「混血の勝利」とまとめてしまうのは作品の一面のみを強調することになってしまうけれども、ラテンアメリカウルトラバロックが作品のインスピレーションを与えた、と著者も言うように、DNAの混合というSFアイデアの側面でも、ラテンアメリカという文化混淆の土地を舞台にする設定の部分でも、そしてスペイン語読みや英語読み等で、一人の名前が複数に呼ばれる場面が頻出する今作では、混血、混淆、ハイブリッドというものを作品全体で現しているのは明らかでしょう(佐藤亜紀氏による解説が巧い)。

ウルトラバロック、とは中南米諸国で宗主国バロック建築が現地の美意識によって変貌を被り、極端な誇張、過剰さが横溢する独自のスタイルとなったもの。写真家小野一郎の造語、とのこと。

ウルトラバロック (フォト・ミュゼ)

ウルトラバロック (フォト・ミュゼ)

ウルトラバロック - Wikipedia
ウルトラバロック - Google 検索
建物内部の画像なんかは特徴が良く出ていて、気持ち悪いほど生々しいものがあります。

仁木氏はもともと、唐代シルクロードの研究などをしていて、文化的交流に対して強い関心があるそうです。唐代の舞踏を研究していた、と言うようなことを聞きました。最初の二作はラテンアメリカで、最新作はロシアとイスラム接触シルクロードが通る中央アジア、という舞台選択からもそれがわかります。

今書いている新作は八世紀ぐらいの中央アジア(違うかも)だったかが舞台で、歴史小説の趣だそうですけれど、実は「ミカイールの階梯」の前日譚になっている歴史改変もの(?)とのこと(ここらへん、記憶が不正確な恐れがあるのでご注意)。

「グアルディア」も、科学的ネタだけではなく、ラテンアメリカという珍しい舞台を用いながらもしっかりとした歴史的背景が感じられる(私はラテンアメリカに詳しくないので、本当にしっかりしているかは判断つかないけれど)筆致で面白い。かなりバイオレンスな話なので結構好みは別れそうではありますが。私も最初はちょっと趣味じゃないなとか思っていた。カバーイラストが作品にそぐわない感が(Jコレクション版は落ち着いた色遣いで良い雰囲気なんだけど)あるので、文庫表紙に趣味じゃないな、と思う人こそ読んでみると良いんじゃないかと思う。
グアルディア (SFシリーズ・Jコレクション)
奇遇にも帰りの電車で一緒になったので、いろいろ裏話を聞けたのが面白かった。

そして、聞き手の岡和田さんは今度出る以下の論文集で、仁木稔「ミカイールの階梯」論を書いています。講演での岡和田さんによる補足部分では、人文科学的SF、という表現があったのですけど、これが今ひとつイメージがわかなかったので、こちらの議論に期待したいと思います。

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