仁木稔 - ミカイールの階梯

仁木稔による歴史改変未来史「HISTORIA」シリーズの長篇第三作。シリーズとはいっても、世界設定を共有したそれぞれ別の時代、舞台なので、第一作「グアルディア」の直接の続篇というわけではなく、時間軸も本作の方が早いので、本書から読んでも問題はない。ただし、「ラ・イストリア」は「グアルディア」の前日譚という体裁になっている。本作についてもその前日譚が準備されているそうで、このシリーズは今のところ、本篇たる大作とそのフォロー的な作品という形で構成されるようだ。

多文化の混淆

本シリーズが特徴的なのは、その舞台設定にある。大きなウィルス禍により文明が崩壊したあとの数百年未来ではあるものの、第一作とその続篇はラテンアメリカを舞台にし、今作では中央アジアというふうに多くの人にはなじみの薄い、あえていえばマイナーな地域を選択している。なにもマイナーだからそこを選んでいるというわけではなく、様々な文化が交錯する境界領域(いわゆる「周縁」)という点が重要で、そういう場所を選ぶとマイナーな地域となってしまう、ということだろう。「グアルディア」でもその着想を得たのは、西洋のバロック様式が現地の美意識によって極端なまでに拡張されたウルトラバロックというスタイルからだ、ということが語られていた。

本作では、中央アジア、中央ユーラシアが舞台。東洋と西洋をつなぐシルクロードが通っていた場所だ。タクラマカン砂漠の北部、天山山脈周辺になる。作中では「天(テングリ)大山系」一帯、と呼ばれている。

これは作者ブログの解説にあるように、「天山」の元になったモンゴル語での呼称にちなんでいる様子。私は以下のウイグル語から来たのかと思ったけど違った。
ハン・テングリ - Wikipedia
テングリ大山系一帯: 事実だけとは限りません
これに限らず「HISTORIA」シリーズでは、数世紀先の未来になるため、微妙に現在の呼称と異なる地図になっている。本作にも地図は掲載されているけれど、ネットで見つけた地図としては以下のページの一番下にある画像がわかりやすい。
東トルキスタンに平和と自由を・・・ ~中国、新疆ウイグル・人権問題~ - 2つの東トルキスタン共和国
この図での青く色づけされた東トルキスタン共和国よりやや南方が本作の主要な舞台となる。現在の新疆ウイグル自治区に含まれる地域になる。砂漠と盆地に囲まれた山脈の合間だ。

地図にもあるクチャ(亀茲or屈支国)は玄奘三蔵もインドへの途次に立ち寄った場所で、鳩摩羅什の出身地として知られている。三蔵法師の足跡を追ってシルクロードを旅した以下のエッセイはなかなか面白く、しかしガンダーラ到着で終わってしまっているので続篇がほしいところ。

玄奘三蔵、シルクロードを行く (岩波新書)

玄奘三蔵、シルクロードを行く (岩波新書)

中央アジアの歴史としてそこそこ分量があって読みやすいのは以下の本。ほかを探そうとすると山川の世界各国史とかになってややハードルがあがる。
文明の十字路=中央アジアの歴史 (講談社学術文庫)

文明の十字路=中央アジアの歴史 (講談社学術文庫)

話を戻して、今作では表紙にペルシア語でのタイトルがアラビア文字で(全く読めない)表記されていて、登場人物リストにはそれぞれの使用言語に応じてペルシア語(作中ではタジク語)表記とロシア語(作中ではルース語、と呼ばれる)表記が存在している。ペルシア語名とロシア語名の両方が併記されている人物もいる。こういう多言語混在環境で、ひとつのものが複数の呼ばれ方をする、というのは「グアルディア」でも活用されていた手法だ。

この文化の境界領域、あるいは様々な文化の混在する様子というのが特徴的なように、世界設定にも異なるものの混在のモチーフが導入されている。世界を混乱に陥れた大災厄の原因は、種を超えて感染し、宿主も自らも変異しつつ遺伝子を攪拌するキルケー・ウィルスだった。遺伝子改変にかんする設定はシリーズの歴史改変においても中心的な部分となっていて、本作でもルイセンコ主義が復活した社会という設定が用いられている。さらに、亜人やジン(妖魔)、ミュータントと呼ばれるような特殊な能力を持つ人間がシリーズで重要な役割を演じる。

また、作中での主要な勢力の「ミカイリー一族」の当主レズヴァーン・ミカイリーは、XXYという染色体を持つため、男性だけれども女性的な体になっている(上巻表紙の真ん中に立っている人物)。それでいて女装した姿で現れる場面も多い。これは「グアルディア」の主要人物アンヘル(天使angelのスペイン語読み。本作にもペルシア語で「天使」を意味するフェレシュテという少女が主要人物として登場する。この世界の上空にある知性機械が聖人の名をつけられているように、知性機械にアクセスしうる人間は「天使」の名を持っている)が男装で現れるのと共通の趣向で、こうした主要人物が男・女のボーダーラインをうろついているのは面白い。

とにかくも、さまざまなレベルでの異なるもの同士の混在、交雑、ハイブリッド、雑種性というのが本作および、「HISTORIA」シリーズの土台となっている。

「共生」と「英雄」

こうした特徴的な舞台設定をもとに、ウィルス禍による文明崩壊後の25世紀をスタートとして物語は語られる。主要な勢力は三つ、異端的なイスラーム系の「マフディ教団」、ソ連の後継的な「中央アジア共和国」と、ステップからやってきた騎馬民族「カザーク」といった面々だ。

これらの勢力争いに伴うテロ、紛争といったドラマが語られるわけで、宗教と民族とが絡まり合い、「暴力」が現れる。ある勢力は女性に自爆テロをさせることで緊張関係を作り出し、都合のよい状態に持っていこうとするなど、現代の激化する民族紛争などを念頭に置いたものと思われる。その意味で、本作はきわめて現代的な問題を扱っている。


以上、この小説の題材の面を紹介したけれど、読んでいて印象に残ったのは、「共生」と「英雄」のテーマだ。これはたぶんどちらも「HISTORIA」シリーズの重要な要素ではないかと思われる。

そもそもの今作の文化の混在の設定は、「共生」を語るために必然的に要請されたものだとはいえる。様々な異なる言語、文化、民族が交錯するなかで、作中でも己の純粋性を高めようとする志向が対立を激化させる様子がしばしば否定的に言及される。レズヴァーンはこう語る。

汚濁と混沌の坩堝に在って、一点の汚れも混じりけもない純潔のイデオロギー。その追求の結果、絵に描いたような全体主義原理主義が出来上がりました。しかし彼らが提示する希望の明確さ、鮮烈さは、絶望に倦み果てていた人々を惹き付けたのです。その純粋さも、権力を獲得したそれぞれのの支配者たちが共存のために贋の敵対関係という同盟を結ぶと、表面的な差異化の追求に変わり、両者の「独自性」はますます誇張され、戯画的になっていきました。
(中略)
そして今や、敵対は本物になりつつあります。支配層の思惑にかかわりなく民衆は純粋を求め、そのための道具として敵――すなわち異民族を求めます。民族主義とは究極の純粋であり、決して到達し得ない純粋です。その追求は際限ないテロルの応酬か殲滅戦への道であり、すなわち破滅への道です。(上)275-276P

レズヴァーンはこういう認識をもっている人物だ。しかし、自らに新秩序の立ち上げはできない、という諦念のもとに、現在の秩序の維持はしなければならない、ということで暴力を統御し、テロリズムを用いて最小限の戦争状態を維持する計画を進める。物語はこの暴力に統御された現秩序の組み換えを目指して展開することになる。レズヴァーンはこの作品では敵役なのだけれど、上記の認識そのものは作品の前提として据えられたものだろう。

私は「グアルディア」について、「混血の勝利」という形容をしたことがあるけれど、そういう雑種性の志向は今作にもある。そこで浮かび上がるのがボグダーノフだ。
SF乱学講座2: 事実だけとは限りません
今作重要な場面でボグダーノフへの言及がある。

そして我々は彼を、キルケーによる異種間遺伝子の混淆を父祖たちが拒んだようには拒まない。共生を忌避あるいは敬遠した西方の思想はもはや消失し、残っているのはあらゆるものを受け入れる東方の寛容だ。ルースも例外ではない。共生による創生(シンビオゲネス)の概念は、母なるルースから生まれた。同時代にはクロポトキン、そしてボグダーノフもいる。そう、ボグダーノフだ。えやみの王の覇権とともに、進化は推し進められる。人間の意志が、進化を推し進めるのだ。輸血による形質混淆と生命の更新という発想は、まるで予言のようではないか。(下)275P

作中人物のやや高揚した物言いなので、ずいぶんと危ない思想っぽく語られるけれど、この作品が世紀の奇人ボグダーノフの理想、精神のなにがしかを掬い取ろうとしているのは確かだろう。これは「グアルディア」でのバスコンセロスの「宇宙的人種(ラサ・コスミカ)」も同様。混淆、雑種、混血といったモチーフを通した純血イデオロギーへの抵抗というのが、シリーズ共通のものとして読みとりうるのではないかと思われる。

とはいっても、「混血」の称揚、純粋と混血の安易な対立の図式でもって作品を裁断できるわけではない。

もうひとつの「英雄」について、これは同時に「物語・歴史」にも絡むテーマになっている。今作は特に英雄、物語というものが意識された作品になっていて、主要人物が歴史的な英雄として語られるようになるまでの経緯が物語られるという、メタ的な趣向を持っている。小説末尾の展開も、英雄と悪役とを意図的にショウアップして、物語として筋道をつけることを、自覚的に行っている様が描かれ、そこでは語ること、語られることについての議論が交わされている。

「HISTORIA」というシリーズはこうした、語ること、語られること、歴史と物語の絡まりを追求していくものとして構想されているだろうと思う。「グアルディア」では私はあまりそこまで読みとれなかったのだけれど、今作では否応なくそこが印象に残った。

作者があとがきでソ連解体にふれているように、ユーゴスラヴィアの解体と悲惨な内戦の様子や、そして本作が舞台にしている中央アジア等々の民族紛争が、ここでは当然念頭に置かれているものと思われる。しかし、英雄によるヒロイックな物語として異なる民族をまとめ上げる、というのはすでにユーゴで破綻を迎えたはずだ。この点をどうふまえているのか、ということは私には今ひとつ読み切れなかった。歴史と物語、英雄をきわめて意識的に扱っているのは確かで、その点で本作は民族統合を英雄に待望するような認識ではないことは確かだけれども。

岡和田晃による「ミカイールの階梯」論は、現今世界情勢を「世界内戦」と見て、今作に描かれた「英雄」像を位置づける試みだ。上記のような問題意識をもちろんふまえて今作を論じているので非常に興味深いものの、もう一つ理解し切れた感じがしない。笠井潔の「東のエデン」論が、救世主ということを通じて似た問題を扱っているのが面白い。

サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ

サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ



「グアルディア」はキャラクター設定や展開が割合に派手で、バイオレンスに満ちた作品だったのに比べると、今作はぐっと落ち着いたものになっている。生体甲冑という無敵な暴力装置が出てこない点、人死にが少ない印象がある。もちろん今作でも結構人は死ぬけれど、殺され方の面でも数の面でも減ったかなと思う。大きなカタストロフが起こらない点でも落ち着いた印象をもたらしている。

スピード感あふれる活劇的な展開を求めるなら「グアルディア」の方をおすすめするけれど、そうしたグロかったりえぐかったりする展開を意図的に抑えて、英雄と物語のテーマを深めたと思しい今作の趣向もいい。恋愛関係は後景に引いていて、主要なドラマはさらわれた姫様を助け出す少女、という友情物語になっているのがなかなか面白かった。

「HISTORIA」シリーズは東洋史学出身という作者の経歴が示すとおり、「歴史」に大きな焦点が当てられているところが特徴的だ。舞台設定も手が込んでいるけれど、読後感はSF的な感じはあまりしない。SFではあるのは確かだけれど、SFが目的ではないという気がする。歴史学、といか歴史家の発想が土台になっている印象がある。岡和田さんが以前「人文科学的SF」という言い方をしていて、そのときはどういうことかいまいちよくわからなかったのだけれど、「ミカイールの階梯」を読むと、うまく言語化できないもののこれが「人文科学的SF」なんだろうという感じを受けた。

だらだらと長く書いてしまったけれど、「HISTORIA」シリーズはいかなる全体像を描こうとしてるのか非常に興味深いシリーズなので、是非もっと続いてほしい。

参照記事仁木稔、岡和田晃「SF乱学講座 世界を動かした驚異の疑似科学」 - Close to the Wall