ちょっとまえに話題になった動画がある。
サッカーの試合中負傷者が出たたため場外に蹴り出されたボールを、ベンチにいた革靴スーツのストイコビッチ監督が飛び出してノーバウンドで蹴り返し、見事ゴールさせたという場外ファインプレーだ。シーズンベストゴールなどといわれた驚愕の一幕で、チームでいま一番サッカーがうまいのは監督のストイコビッチなんじゃないかというジョーク(本気かも)まで囁かれていた。サッカーをほとんど知らない私でもすごいと思わされた。
ストイコビッチ、という選手の名前はずいぶん前から知っていた気はするけれど、サッカーにまるで興味のない私はどういう選手かを全然知らなかった。所属チームも、名古屋グランパスと表記されているけど、いつからグランパス“エイト”でなくなったのかわからないくらいだった。
- 作者: 木村元彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2000/09/01
- メディア: 文庫
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ユーゴ内戦のなかのストイコビッチ
というわけで、著者木村元彦のユーゴサッカー三部作の第一作目を読んだのだけれど、これがとても面白い。というより、著者の力量を過小評価するという意味ではないけれど、ユーゴ内戦のさなかに活躍したサッカー選手の軌跡をたどるという、読む前から面白くないわけがないと確信できる本で、その通りでもあり、それ以上に面白い本だった。
ユーゴ解体によって連邦のなかの国が独立していくのとともにチームメンバーが減っていき、さらには制裁によって全盛期を祖国のチームでプレイすることができなかった悲劇からはじまり、気分転換とばかりにやってきた日本で、最初は日本サッカーの習慣になじめず不調だったのがだんだんとなじんできて、有名な納豆好きのエピソードをはじめとした熱烈な親日家となっていく様子などは微笑ましいものがある。
ヨーロッパでも注目されていたストイコビッチがなぜ開幕間もない僻地の新進リーグに所属し、今や監督にまでなっているのかという疑問に答えてくれる以上に、彼の半生を辿ることで、ユーゴ解体という重い歴史を一個人の視点から眺めることができる。
国の解体、国際社会からの偏見と攻撃、Jリーグを蔑視する監督からの差別的扱い、審判からもまた差別的待遇を受けるなどなど、運命といったら過酷だけれども、上から押しつけられる不合理と戦い続けるほかなく、じっさいに戦い続けてきたストイコビッチの不撓不屈の精神がとても印象に残る。
特に悲惨なのは、ユーロ92本大会のために訪れたストックホルムでの出来事だ。空港につくと、ヨーロッパフットボール連盟からユーゴ代表が出場権を剥奪され、即刻帰還の命令を受ける。同時に今後一切国際大会への出場を認められないとも告げられる。しかも、空港では彼らの帰還のための飛行機が、給油の順番を遅らせられ、ユーゴ代表は帰還さえも許されないのかとストイコビッチは嘆いたという。飛行機のパイロットは管制塔と喧嘩の末に給油を勝ち取り、彼らを本国へと送り届けた。失意の底にあったユーゴ代表だけれども、彼らを本国で出迎えたのは三千人以上の市民からの激励だったという。
利用される民族主義
なぜユーゴ代表がこれほどまでに不合理な待遇を受けることになったのかというと、ユーゴ内戦が国際社会のなかで、セルビア悪玉論によって印象づけられたためなのだけれど(制裁を受けたユーゴ代表は、セルビア、モンテネグロによる新ユーゴ代表だった)、何故そうなったかは私もちゃんと調べていないので詳しくない*1。
ただ、その一端は本書の中でも見出される。ユーゴ内戦のさなか、ストイコビッチはCNNニュースを見て、クロアチア難民の少女の証言が、字幕でまったく逆の意味に翻訳されているのを見て驚愕するエピソードがある。「悪魔のような所業はすべてセルビアのせいにされていた」。明らかに作られた悪玉としてセルビアは存在していた。
そうした状況に立脚した国連の経済制裁によって、抗ガン剤の輸入が止まり、三千人のガン患者が死期を待つのみという状態になっている様子も伝えられる。セルビアだけがなぜ一方的に悪玉とされたのか、これは現地の人々やストイコビッチ、あるいは著者も抱く思いだろう(コメントの指摘を受け以上二箇所修正)。
ユーゴ解体への経緯は、本書では以下のようにまとめられている。
ストイコビッチはユーゴスラビアの全ての子どもたちと同じように、学校で「我が国には六つの共和国と二つの自治州、五つの民族といくつかの少数民族が住んでいる。それぞれ異なった宗教や言語を持っていますが、民族は皆平等です」という教育を受けている。
実際、ニシュのクラスの中には、自分のようなセルビア人の他にもクロアチア人、ボスニア人、マケドニア人、そしてアルバニアとブルガリアの移民の友達がいた。生まれ故郷は1914年にユーゴスラビア統一運動の契機となった「ニシュ宣言」が出された街でもあったのだ。
レストランに入れば客の半分は他民族、チームメイトの所に遊びに行けばカソリックの家庭もあれば正教、ムスリムの家もある。何の摩擦もなく生活していた。それが普通であった。市長、工場長といった要職に関する人事も、各民族が一年ごとでポストを持ち回る輪番制を敷いていたので争いごとが起こるはずもなかった。就職も同様、セルビア人がすでに働いている職場が求人をすれば、二人目はクロアチア人を採用することになっていた。決して豊かではないが、かつてユーゴはその意味で理想郷と言われていた。
しかし、多民族をまがりなりにも束ねていた社会主義というタガが外れると、押し寄せてきたのは自由化、民営化という異民族を競争させるあまりにドライなシステムであった。政治家の自由選挙は当然ながら多数民族が勝利し、企業の役員人事は即、その出身民族の利権に結びつく。かつてない自由競争の嵐の中、台頭してきたのが、自民族の利益獲得を協調するギスギスした民族主義である。70-71P
たとえばユーゴ内後進地域のコソヴォと富裕な北部のスロヴェニアでは、総生産の額に約8倍の格差があり、北部の稼ぎを南部の後進地域に振り分けている形になっていた。スロヴェニアがいちはやく独立し、クロアチアもそれに続こうとしたのは、そうした経済格差が背景にあった。
ただ、この時期でもコソヴォ問題等はあったわけで、これはこれで旧ユーゴを持ち上げすぎにも見えるけれど、ストイコビッチからすれば、こういう風に見えたのだろうか。社会主義による統制的な統合と、自由化による競争と分断、と単純に分けられる訳でもないだろうけれど、経済格差、自由競争のなかで、「民族」が分断線として活用されたのは明らかだろう。セルビアのミロシェビッチとクロアチアのトゥジマンはともに民族主義路線の政治家だ。
ある人物はこう語る。
「異なる文化が対立を起こしたんじゃない。むしろ、対立を煽るためにさまざまな違いが利用されたんだ。民族、宗教、言語……」
「そしてフットボールも」
経済格差と異民族とが相互に影響しあうなかで対立が激化していったのだろう。民族が違うというそれだけで血で血を洗う戦争が起きるわけではないはずだ。
民族対立の悲劇を象徴するような背筋の凍るエピソードがある。ミハイロビッチだったと思うけれど、紛争の後に自宅を訪れると、サッカーチームの集合写真のうち、自分の顔だけが撃ち抜かれていたのを見つけたという*2。住んでいた時は民族対立の雰囲気などなくとも、一度激化してしまえばそれが絶対的な分断線として機能してしまう。
個人から見たユーゴ現代史の一幕という趣向で、ストイコビッチ個人についても、ユーゴスラヴィアという今はない国についても、そしてここでは触れなかったけれども、ユーゴ代表チームにいたプレイヤーたちについても非常に興味深い内容になっている。たとえばユーゴ代表であるよりもクロアチア人だということを優先するボバンという選手は、ある面でストイコビッチと対照的な存在だけれども、だからといってそれが何かしら悪いことな訳でもない。そうした人々のあり方など、ユーゴ解体が個人の視点からさまざまに描き出されていて、圧倒される。それでも悲劇的な状況のなかで闘う個々のドラマがある。
ユーゴスラヴィアについて、サッカーについて、どちらかに興味があればより面白い本だと思うけれど、両者ともに興味がなくても、ストイコビッチという人物の魅力で一気に読める本なので、誰にでも勧められるきわめて魅力的なノンフィクションとなっている。そしてもちろん、民族紛争という現代のシリアスな問題について具体的にレポートした貴重な記録でもある。
とはいっても、肝心の個々のプレイの描写はサッカー好きでないとやはりわかりづらいところが多く、動画がほしいなあとずっと思っていた。そういうのは動画サイト等でいくつか見ることができる。創造的で、意表をつくファンタジックなプレイ、というストイコビッチの信条の具体例を見ることができるんではなかろうか。雨のぬかるみの中で数十メートルリフティングドリブルで走り抜けたとか、伝説的なエピソードも数多い。