最近読んだ科学系新書とか

長沼毅 - 形態の生命誌

形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか (新潮選書)

形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか (新潮選書)

長沼氏は最近も結構本出しているけれど、内容が重複してそうなのはスルーしていたところ、これは長沼氏にしては目新しいテーマだったので飛びついた。

意外なアプローチだな、と思っていたら、やっぱりもともとはこういう方面には詳しくないそうで、そういうスタンスから進化発生学(エボデボ、と呼ばれる)を学びつつ書いていくエッセイ、という体裁になっていたのはやや当てが外れた感があるけれども、内容は面白く、亀の甲羅の発生学的な由来とか、フィボナッチ数が生物において重要なことなど、聞きかじったことはあってもちゃんとは知らなかったことがさまざまに触れられていて、面白い。

1951年に癌でなくなった人の癌細胞が現在も生き続けていて、しかも遺伝子が変異しすぎてしまってすでに人ではない別種の新生物としてみなされることもあるという話にはびっくりした。以下リンク最下部参照。
HeLa細胞 - Wikipedia
あるいは、2000年に発見された「はてな」という生物の話もすごい。この単細胞の藻類は、分裂して二つに分かれる時に、片方にだけ葉緑体を継承する。葉緑体があるほうは光合成ができるけれど、継承しなかった方は光合成ができず、どうするかというとものを食べる「動物」になるという。しかも、ものを食べる方も他の単細胞藻類を食べて葉緑体を獲得すると光合成をはじめて「植物」になるというのだから面白い。動物と植物のボーダーラインを行き来する奇妙な生物だ。

以下のPDFで詳しく解説されている。
動物と植物のあいだ?̶半藻半獣の生き物ハテナ̶
ここで見られるように、この生物はどのように植物が誕生したのかという疑問について興味深いサンプルとなっている。植物は、捕食性の生物が藻類を取り込むことで誕生したという細胞内共生説が現在有力なようで、つまり植物とは「食べることをやめた」生き物なのだという。「はてな」はその進化の中間段階のものと見られているようだ。

面白いんだけれど、途中微妙に気になるところはある。進化について語る時に、レトリックとしてたびたび「神の御心(デザイン)」という言い方をしていることだ。内容的に創造論を擁護しているところはないので、あくまでも効果的なレトリックとして使っているのだろうけど。あと、構造主義に関連して、読んでない様子のドゥルーズの『襞』という本のタイトルを自説の傍証にするところや、構造主義生物学を擁護しているところは気になった。ダーウィンの「突然変異」と「自然淘汰」に対し、構造主義生物学では、「普遍文法」や「生成文法」のようなものを生物進化に想定する、ということらしいのだけれど、本文の説明だけでは構造主義生物学というのが何なのかよくわからない。わからないけれど、構造主義生物学というと悪名高いある人が思い浮かんだので、その擁護の仕方が微妙に気になるんだよなー。

まあ気になるところはあるけれども、面白い生物学エッセイではある。

井田茂 - スーパーアース

スーパーアース (PHPサイエンス・ワールド新書)

スーパーアース (PHPサイエンス・ワールド新書)

選挙アーカイブ - 毎日新聞
最近もいくつかニュースになっていた、太陽系外惑星の発見について現役の研究者が書いた概説書。この前に書かれた同著者の『異形の惑星』はたいへん面白い本で、そのなかでは木星型の巨大惑星ぐらしかまだ探知できず、地球型の系外惑星の発見はまだ先だろうということがいわれていたけれども、いつのまにか地球型惑星が発見されるようになっていた。スーパーアースというのは、巨大な地球型系外惑星のことを指す。
最初のスーパーアース発見のニュースは以下のものか。
地球型の系外惑星、発見か?

系外惑星発見についてのドキュメントとしては『異形の惑星』が詳しく、本書ではそれ以降の系外惑星探索の様子をフォローした形になっているので、前著を読んでいた方がいい気はする。同著者としては『惑星学が解いた宇宙の謎』も面白かったので、それもおすすめ。

異形の惑星―系外惑星形成理論から (NHKブックス)

異形の惑星―系外惑星形成理論から (NHKブックス)

惑星学が解いた宇宙の謎 (新書y)

惑星学が解いた宇宙の謎 (新書y)

藤崎慎吾、田代省三、藤岡換太郎 - 深海のパイロット

深海のパイロット (光文社新書)

深海のパイロット (光文社新書)

長沼氏との対談本もあるSF作家藤崎慎吾と、潜水調査船パイロット、地質学者の三人による共著。共著とはいっても、本文の大半は藤崎氏によって書かれた、深海探査の興味深いエピソードを集めた第一部で、これが200ページを占める。これだけでもはや新書としては一冊分なのだけれど、加えて二人(第一部にも登場する人物)がそれぞれの立場から「しんかい二〇〇〇」や「しんかい六五〇〇」について語った文章が加えられて一冊となっている。

深海探査を興味深いエピソード共に紹介することで、楽しく深海探査の意義を伝えようとする本で、予算的な問題で運用を休止することになった「しんかい二〇〇〇」の再度の運用を開始したいという願いが込められている。

深海探査の話は長沼氏の著作などでも触れられていたけれども、ここではもっと具体的な体験のレベルが扱われていて、日本初のブラックスモーカーが発見された時のビデオから書き起こされたその場の会話など、とても臨場感のある本になっている。

本書の肝は、技術の進歩によって無人探査機の開発が進み、有人深海探査の意義が薄まりつつある状況に対しての危機感だろう。三者ともに、それぞれの言い方で、なぜ深海に人が赴かねばならないか、ということを語っている。それは一言で言えば、どんなものよりもやはり人間というセンサーがもっとも役に立つ、ということだろうか。もちろん正確さや定常的なデータの取得等にかんしては機械に分があるけれども、人間の視界とカメラの視界には歴然たる差がある。そして、事前に想定して用意した機械の観測範囲外のものは捉えようがないものも、人間ならば捉えることができる、という点だろう。先端的な研究においてはどうしても人間の感覚、勘に如くものはない、ということ。

パイロットたちの具体的、体験的エピソード集ともいえる本書の構成は、著者たちの考える有人深海探査の意義がいかなるものかということを如実に語っている。

平朝彦、徐 垣、末廣潔、木下肇 - 地球の内部で何が起こっているのか?

地球の内部で何が起こっているのか? (光文社新書)

地球の内部で何が起こっているのか? (光文社新書)

海洋研究開発機構関係者を中心の共著による地球科学入門、と同時に地球深部探査船「ちきゅう」の意義を広報する一冊。

上の本は深海探査だけれど、こっちは深海掘削計画を軸にして、これまでの世界の深海掘削計画の歴史と、プレートテクトニクス等の地球科学の発見の歴史をたどった本になっている。「ちきゅう」の運用開始を目前にして、なぜこれが必要なのか、ということを説明するために、これまでの掘削と地学の歴史を振り返ることで「ちきゅう」の重要性がわかるようになっている、という本。

なので、気候変動、白亜紀の絶滅等にも触れられているけれども、地球科学といっても、プレートテクトニクス地震関係等、深海掘削と関係のある部分を中心にまとめられたものになっている。

さまざまな研究について触れられているのだけれど、ひとつびっくりしたのは、全国的なGPS観測網の展開により、日本全体の地殻変動が探知されるようになったんだけれど、その地殻の上下運動に季節変動があり、たとえば冬の東北は10mm沈降し、これは雪の重さのせいではないかと考えられているというところだ。あんだけ積もったら、そりゃあ、沈むか。と驚いたけど納得感がすごい。

それと、モホロビチッチ不連続面、とかミランコビッチサイクルとか、ユーゴスラヴィアの科学者の名前が付いた用語が複数あったのがなかなか感慨深い。

ちょっと古くなってしまったけれども、用語解説やジャンルごとの丁寧な参考文献の案内等が充実しているのは非常によい。

ちなみに、光文社新書の二冊は内容近いな、と思ってたら編集者が同一人物だった。長沼氏の『辺境生物探訪記』も同じ人。