『種の起源』ほか、進化学関連新書

もっと素人による進化論、進化生物学のお薦めの本 - Close to the Wall
一年前の上記記事でも話題にしたけれど、進化論の本をいくつも紹介しておきながらこれまで読んでなかった基礎中の基礎をようやく読んだ。ついでに進化関連新書もまとめて読んでいたのでざっくりメモ、のつもりがやたら長くなってしまった。三分割くらいにした方が良かったかも知れない。

ダーウィン - 種の起源

種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

古典新訳文庫からの新訳。科学史、進化生物学を専門とするサイエンスライター、翻訳者の渡辺政隆による訳で、かなり読みやすい。原書に比べて段落等を増やしているらしく、ちょうどよく区切られているのもいい。岩波文庫版の訳文を吟味したことはないので比較はできないけれど、難解とも言われる本書は、普通に読んで充分読み通せるものとなっている。

とはいっても、ダーウィンはとても慎重に議論を展開しているので、文章も難解ではないけれども回りくどいところがある。あとやっぱりある程度事前知識はあった方が良いように思う。グールドなりドーキンスなり、進化学の入門概説的なものをざっと読んでからの方が議論を見失う心配もないし、ある程度進化関連の本を読んでいて、これはやっぱり読んでみたい、と思ってからの方がより興味深く読めると思うからだ。

当時強い影響力のあった創造論に対するガードを固めるためと、進化論自体がまだいくつもの難題を抱えていることもあって慎重に慎重を重ね、着想から二十年を経ての執筆となったことからもわかる、非常に周到な書き方になっている。読んでみて気がつくのは、幅広い資料を蒐集していることと、アマチュア等のネットワークを活用していること、そして自分自身もさまざまな手間のかかる実地検証を行って論拠を分厚く積み上げていることだ。これは、進化というのが何か決定的な証拠を提示すればよい議論ではなく、どうしても間接的な根拠から類推するほかない問題だということを、自身強く思い知っているからこそだろう。

まずダーウィンは人の手によって飼育、栽培されてきた動植物に見られる性質から話を始めている。ここでさまざまな実例を豊富に紹介しながら、そして自身も愛鳩家の組合などに参加して実際に飼育を行って、観察を積み上げていく様子が描かれている。それぞれに見た目の異なるいくつもの品種が、同じ一種の鳩から人工的に作り出されたことを傍証とし、微細な変異の蓄積がいかに大きな違いを生み出すかということ、これと同じことが自然界でも起こりうるということを間接的に示す。

飼育栽培下における人為淘汰によって多数の品種が作られることと、自然淘汰によって新種が生み出されることには隔たりがあるという批判はあるけれども、この時点ですでに結構な説得力がある。人間がこれまでに行ってきたさまざまな品種改良を事例とし、より大きな時間を掛ければ当然、新種が生まれうるだろうということは容易に想像できるからだ。

しかし、当然直接的な証拠があるわけではないので、決定的なことがいえるわけではない。それでも、変異と自然淘汰によって進化が起こったということにダーウィンは強い確信を持っていることが伺える。

私自身は、本書で概要のかたちとして紹介した見解は完全に正しいと確信している。しかし、私の見解とは正反対の立場から見た多数の見解を何年もかけて脳裏に刻み込んできた熟達のナチュラリストたちを、これで説得できるとは期待していない。自分たちの無知を、「創造の意図」とか「デザインの統一」などといった表現の下に隠し、ただ事実を言い換えているにすぎないのに説明をした気でいるほうがよほど気楽だからである。(下)391P

世界にあふれるさまざまな動植物の様子や、分布など、何故このようにあるのか、という疑問に、創造論ではトートロジーでしか説明できない。しかし、変異と自然淘汰という二つの原理を採用すれば、自然界における生物のさまざまな謎が説明可能になる。元々そうであるように作ったとすれば理解できない不自然な体の構造とかもそうだ。

この説明力の高さはやはりものすごい。シンプルな二つの原理と、地質学的な時間スケールを用いれば、本当にいろいろなものがどうしてそうなのか、ということに説明が付けられるわけだ。

自然淘汰の過程はたしかに緩慢かもしれない。しかし、か弱い人間でも人為選抜を行うことでこれだけたくさんの成果を上げられることを考えてみよう。それに比べれば、自然の選抜力が長期にわたってはたらくことでもたらす変化の量や、あらゆる生物間や生物とその物理的生息環境とのあいだに見られる相互適応の妙とその複雑極まりなさに限界があるとは思えない。(上)196-197P

150年前の自然科学の著作だというのに、今読んでも「だいたいあってる」感じがするのは凄いと思う。そして驚いたのは、この時点でダーウィンは全ての生命が単一の祖先を起源とするだろうことを指摘していることだ。

類推をさらに働かせるならば、すべての動物と植物は、ある一種類の原型に由来していると信じるところまで踏み込める。(中略)したがって私は類推から出発して、地球上にかつて生息したすべての生物はおそらく、最初に生命が吹き込まれたある一種類の原始的な生物から由来していると判断するほかない。(下)394-395

私も最近になるまでそのことをちゃんと理解していなくて、考えるたびに不思議な気分になるのだけれど、既にこの時点でダーウィンは論理的帰結として(ビッグバン理論のように)、そのことを洞察していたわけだ*1

以下ではダーウィンの力強い意志と、自説への冷静なスタンスが垣間見られて面白い。

この先も本書を読み進め、とても多くの事実を説明できるのは由来の学説以外にはないことを知った読者は、さらに一歩踏み出してほしい。自然淘汰には、タカの眼のように完璧な構造を形成する力があると認めることを、たとえその中間段階は知られていないにしろ、ためらうべきではない。必ずや理性は想像力に打ち勝つ。もっとも、自然淘汰の原理の有効性をそこまで拡張する困難さを誰よりも実感している私としては、そのことに少しでもためらいを見せる人がいても驚きはしない。(上)318P

さまざまな生物の事例等を含めた膨大な傍証と、注意深い論証でなかなか回りくどい本とはいえるのだけれど、今読んでみても面白いし、現代進化学の広がりを予告したような部分もあって新鮮な驚きもある。

個人的には『種の起源』以降、この本の記述がどのように実証されたり、反証されたりしたのかを追った本というのが読んでみたい。「註釈『種の起源』」みたいなものを。北村雄一『「種の起源」を読む』はちょっと方向性が違う感じがある。ちなみに北村氏のサイトでは書籍にする以前のバージョンが読める。私はまだ序盤しか読んでない。
ダーウィンの種の起源を読む

木村資生 - 生物進化を考える

生物進化を考える (岩波新書)

生物進化を考える (岩波新書)

分子進化の中立説を提唱した遺伝学者木村資生による進化学史と遺伝学入門をかねた、ややハイレベルな入門書。

これまで遺伝学関係のものはあまり触れてこなかったので(グールド等古生物関係に偏っていた)、遺伝学について書かれた部分は知らなかったことが多く非常に面白い。ダーウィンは終生メンデルの業績を知ることがなかったわけで、遺伝学の知見をどのように進化に組み込むのかというのはとても重要だろう。

中立説っていったい何なのかよくわからない状態から読んだのだけれど、詳しい数理的な部分はともかくとして、どういうことが問題になっているのかがある程度つかむことができると思う。

進化というと、それまでは目に見える表現型をもとに考えられてきたけれど、遺伝子という内部構造を精査する手段を得たことで、いろいろ意外な事実が判明してきた。その一つが分子時計を可能にした、分子進化の速度が一定だという発見だろう。外部形態等の表現型が急速に変化した生物でも、生きた化石と呼ばれるほど形態に変化を生じていない生物であっても、その分子レベルでの進化速度が変わらないというのはなかなか意外な事実だ。これによってある生物同士が遺伝的にどれだけ離れているのか、またどれくらい過去に分岐したのか、というのがわかる。

ここら辺はもっとも基礎的な部分で、ではそうした遺伝学の知見と進化学とをどう橋渡しするかということについてなど、より高度な、数学的な議論もなされているので、初心者にはややハードルが高い部分もある。


で、この本でよく問題になるのはやはり終章の優生学の導入を主張したところだろう。蠅の劣性致死遺伝子(ホモ接合になると高確率で致死性を持つ遺伝子)などを事例として、医療の進歩により人体に不都合を生じる変異に自然淘汰が働かなくなってくると、変異遺伝子が淘汰に対して中立となり、次第に集団中に固定されてしまう、そして究極的には人類の退化を引き起こすだろうという危惧を語っている。さらに何万年も先の話になるかも知れないと保留しているものの、知能、労力、資源等を、そうしたものの治療ではなく、建設的発展的な事業に使うためには優生的な措置が必要だと主張している。ワーオ。

このことについてはPortunusさんが以前に記事を書いている。
木村資生『生物進化を考える』 - 猟奇カニ人間地下道に出現
この章は最終的に宇宙植民がどうとか思いっきりSF的な話になっていくので、優生の話もそうした万単位の先を見ての議論としてあるわけだけれど、そうした超未来の集団においての変異遺伝子の固定の害を理由に、「有害遺伝子」保有者の子供の数の制限とかを主張されてもどうにも納得できない。そんな未来なら遺伝子操作によって有害と見なされる部分のみを除去するなどの方法が可能になるんじゃないかと思うのだけれど、木村はいろいろ理由をつけてそういう対策には消極的なのが解せない。

問題だと思うのは、「とくに染色体異常を含む受精卵を発育させないのは、その個体自身にとっても社会全体にとっても、好ましいことと考えられる」と言い、続けて出生前診断によって染色体異常を中絶で除去できるようになったのは「明るいニュース」だ、と述べ、アメリカの遺伝学者による、健康に生まれることは基本的人権と考えられるときが来るだろう、という発言を引用しているところだ。中絶を人権によって正当化しようと言うのはさすがに倒錯が過ぎるのではないか。健康に生きること、なら生存権として理解できるけれども、健康に生まれること、となると中絶その他出生前診断の是非等、かなり話が難しくなってくる。

ただ、劣性致死遺伝子のような変異の保存は将来的に発現リスクを増大させるというのは、数の大小はともかく想定されうる。しかし、リンク先でPortunusさんが指摘するように、遺伝病などが淘汰的に中立になるような状況にあるのはきわめて限られた先進国の一部だろうし、この想定にどこまで現実性があるのかは大いに疑問がある。遠い未来の人類から、なぜあのときの人類は優生措置をとらなかったのかと恨まれる日が来るのかも知れないとはいえ、数万年単位の予測をもとに重大な人権侵害になりうる措置を執るというのは天秤の片側が軽すぎるのではないか。

リンク先にもあるように、その人個人にとって生まれる子供が障碍を持たないことを願うことは、他人がとやかく言える話ではないわけで、まあやっぱりいろいろ難しい問題だけれど、木村の優生論にはどうにも知性の高い健康な人間ということを傲るような雰囲気が感じられてしまう。

ここら辺を読んでいて、遺伝子に多様性がある方が淘汰に対して有利とも言えるんじゃない、と思っていたら、木村は上記の議論に続けて以下のように釘を刺していた。

これに関連してつけ加えたいことがある。現在でも遺伝学者の中には、遺伝的変異の存在自体が人類によって好ましいことを強調するあまり、変異といっても正常な範囲内のものから劣性致死やひどい病気を起こすようなものまであり、すべてが一様に好ましいとは言えない点を忘れている人がいる点である。ただ単に変異さえ大きければよいという考えは筆者にはとても同調できぬ考えである。273P

ふむ、確かに。しかし、変異をどのように評価するかは結果論でしか判断できないのではとも思う。ホモ接合になるとほとんど死んでしまうけれど、ヘテロ接合の場合は生存可能で、しかもマラリアの発症を抑えることができるため、マラリアの蔓延地域では生存確率が高くなる鎌状赤血球症という遺伝病がある。個体の生存可能性を下げる変異なのだけれど、マラリアに耐性をもたらすために相対的に生存可能性を上げるという事例だ。変異が正常かどうかは、環境に大きく左右されるというのが進化学の知見なんじゃないのか。

なんか特殊なウィルスのパンデミックでも起こって、木村がもっとも憂慮する知能の低下をもたらす遺伝的変異の持ち主以外が全員死ぬような未来でも来ればいいんじゃねーかな。というのは冗談。

SF作家や科学者はその合理性指向や技術至上主義的な態度から、人間性を欠いているとか非倫理的だとか批判されることは偏見含め時々あるのだけれど、木村資生はまさにそのタイプの人なのかなという印象。出生制限とかについて語るときにはまるで無視していた「人権」を、中絶正当化の文脈でのみ持ち出したりする感覚は、ずいぶん歪だと思う。

まあなんにしろ、いろいろな意味で面白い本だということは間違いない。グールドは木村の『分子進化の中立説』を「ダーウィン以来の本」と評したというけれど、この本の優生学の記述を読んだらどう思うのか。どっかで言及してるかも知れないけれど。

渡辺政隆 - ダーウィンの夢

ダーウィンの夢 (光文社新書)

ダーウィンの夢 (光文社新書)

新訳『種の起源』訳者による進化論入門。新訳の作業と平行して光文社のPR誌に連載されていたものとのこと。

生命の起源から原始生命の進化その他、現在の進化学における興味深いトピックスをある程度時系列的にいくつか取り上げて軽妙に紹介していくスタイルの新書。既知の内容もいくつかあったけれど、どれも面白い話題だ。進化論のトピックスを通覧するには好適だろう。

面白いは面白いのだけれど、だからこそ大いに不満なところがある。参考文献一覧がないことだ。本文内でもそこで扱われている話題を論じた本を参照することが少なく、興味を持った話題についてより詳しく知りたい意欲を思いっきり立ち止まらせてくれる。このスタイルなら章ごとに五、六冊はリファレンスが欲しいところなのに、この不親切さは堪らない。

たぶん、著者側としてはこれはエッセイとして書いていて、現代進化学の入門書ではないという意識なんだろうか。ポニョとか村上春樹とかを引用してエッセイっぽく味付けするくらいなら、文献ガイドをつけて欲しいんだけど。

ニール・シュービン、オリヴィア・ジャドソン等、本文中に取り上げられている本はどれも面白そうで、それは良いんだけれど、もっと紹介して欲しい。

北村雄一 - ありえない!? 生物進化論

タイトルがこれなもんだから読む気にならない人がいそうなんだけれど、これが実によくできた本で、ある程度偶蹄類に近い仲間だと考えられていた鯨は、実は偶蹄類そのもので、もっとも近縁なのはカバだった、という発見を導き手として、分岐分類学という分類方法などの話を絡めつつ、いかにして定説は書き換えられたかの経緯を追うとともに、仮説の証拠力、推論方法、使える根拠と使えない根拠の判別などなどの、科学的研究における仮説の実証と反証の具体的プロセスをを基礎から細かくかつ平易に解説していくという驚くべき本格派な入門書。

カバと鯨の話、鳥は恐竜の仲間なのか、鳥はどうやって空を飛ぶようになったのか、化石という証拠をどう考えるかの話、そして最後にはバージェス動物群についてグールドが唱えた説が科学的仮説としては成立していないという辛口評価まで話題は多岐に渡る。けれども、一貫して進化生物学、そして科学における、科学的方法論が核心的テーマとなっている。

科学は数学ではないので、どんな仮説も「証明終了」という訳にはいかない。より多くのデータによって支持される、より説明能力の高い仮説を選ぶべき、という科学的仮説のあり方がいかなるものなのかがよくわかるようになっている。

こう書くとなんだか難しいように思われそうだけれど、とても単純な話からはじめて、丁寧にわかりやすく話を進めていくので、非常に読みやすい。文体など、中高生向けに書いていると思うのだけれど、科学的方法とは何か、ということに興味がある人なら誰でも面白く読めるはず。

途中に挾まれる著者自身によるイラストも、デフォルメの効いたユーモラスなものと本気のスケッチの描き分けに驚かされ、サイエンスライターとしてのマルチな能力にも感嘆させられる。

石川幹人 - だまされ上手が生き残る

だまされ上手が生き残る 入門! 進化心理学 (光文社新書)

だまされ上手が生き残る 入門! 進化心理学 (光文社新書)

種の起源』にはこういう記述がある。

遠い将来を見通すと、さらにはるかに重要な研究分野が開けているのが見える。心理学は新たな基盤の上に築かれることになるだろう。それは、個々の心理的能力や可能性は少しずつ必然的に獲得されたとされる基盤である。やがて人間の起源とその歴史についても光が当てられることだろう。(下)401

この発言に基づいてかどうかは知らないけれど、人間の心理、認知その他心理学的知見に、進化という光を当てることによって、何故そのような心理が生まれたのか、ということを問うのが進化心理学なのだろう。最近になって急速に発展してきた分野だという話だけれども、既に150年前にダーウィンによってこの研究分野の誕生が予言されていたわけだ。

動物の生態、行動も進化によって形作られたものだと考えられる以上、その延長上にある人間の行動、心理もまた進化によって形成されたものと考えなければならないというのは当然の話か。「進化」というのがすべての生物の根源にある以上、人間という生物もまた進化によって説明される。

本書ではこのような前提に基づき、人間行動のさまざまを進化心理学的に分析した知見を、初心者にもわかりやすく紹介していく。恐怖感情を例にとれば、危険を察知する能力がある方が生存上有利だったため、われわれにはドクロなり蛇なりを怖がる機能が備わっている、という風に説明される。さらに他の生物の恐怖感情などがどのような場面で働くかというのと比較することで、歴史的にそれぞれの生物がどのような環境で生きてきたか、という進化の歴史をひもとくきっかけとしても重要だということが指摘される。

適応ということと同時に、歴史性を考慮することがここで大きな意味を持っている。人間が元来過ごしてきた環境に対し、現代社会の変化というのはきわめて速いスピードで進んでいくため、人間の心理機能が現代社会と齟齬を来してしまうことがある。進化心理学は人間の心理の機能の「何故」を分析するのと同時に、その歴史性を解明することでその齟齬にどのように対処すればいいのか、ということについてのヒントを提示しうる。

進化心理学の本を読むのは初めてなのだけれど、この分野が非常に魅力的なものだというのがよくわかる。人間の心理のみならず、社会制度等についても役立てうる知見がさまざまに語られていてとても面白い。

ただ、これはこの本の問題なのかも知れないけれども、学説としてまだまだ基盤が弱いという印象がぬぐえない。風が吹けば桶屋が儲かる式の分析に見えるところもあって、話としては面白いけど、という気分になることも多い。

たとえば、車酔いで吐き気がするのは、昔の生活で平衡感覚を乱されるのは神経毒のある物を食べたときくらいで、その時に胃の内容物を吐きだして毒物のそれ以上の蔓延を防止するという防衛機能の名残だ、という説が紹介されている。平衡感覚の乱れと、吐瀉がなぜ連鎖するのか、という疑問についてはうまく答えている気はするけれど、こじつけという感じもする。

ある心理や機能を分析するとき、それを適応によって残ったものとするのか、それとも痕跡器官のようなバグ的なものと考えるかで、論理展開が大きく変わってくると思うのだけれど、それをどう判断しているのかとかは本書では触れられておらず、分析の前提に曖昧さが残る。

分析にも生物学、心理学その他社会学文化人類学等々、さまざまな学問分野との連携が必要とされる総合的な分野でもあり、まだまだ固まりきっていないという印象も強いけれど、同時にそれがこれからの面白さにもなっているのだろうなという感想だ。

上掲ダーウィン本に比べて、話題ごとに参考文献が提示されているのと、最後に全体にまつわる参考文献も紹介されているのが非常によい。個人的に贅沢をいうなら、文中に逐一紹介するよりは、章ごとに一括して並べる方が後から参照しやすいのだけれども。

この分野はとりあえずピンカーあたりから手始めに読んでみようと思う。

*1:でも実はこの単一の起源から全てが流出して生成していく発想って神学的じゃね、とも思う。既に議論されてそうだ