ボフミル・フラバル - 厳重に監視された列車

厳重に監視された列車 (フラバル・コレクション)

厳重に監視された列車 (フラバル・コレクション)

松籟社〈東欧の想像力〉、河出の池澤編世界文学全集でも紹介された現代チェコ文学の代表者ともいわれるボフミル・フラバルの百ページほどの中篇小説。発表は1966年だけれど、公刊が阻まれていた時代なので、発表年次は必ずしも執筆年次と重ならない。本作は日本ではむしろイジー・メンツェル監督による同名の映画の原作として知られているのではないかと思われるけれども、このたびフラバル・コレクション(!)第一巻として邦訳となった。

〈東欧の想像力〉では同じ作家の作品は複数でない方針なのかと思っていたら、なんとスピンアウト企画がはじまった。フラバル作品はぜひとももっと読みたいと思っていたところなので、これは非常にうれしい。ぜひとも続刊を期待したい。また本書の装丁もなかなか面白い。ややレトロな時代のモダンなデザインを思わせて、旧共産圏らしいというか。


さて、本作は1945年、ナチス支配下チェコで鉄道駅の操車員として働くミロシュ・フルマという若者を語り手にして、彼自身の性的失敗と自殺未遂の苦しみをやや滑稽な調子で語っていく。

連合軍に撃墜されたドイツの戦闘機の部品をあっと言う間に人々が回収してなんの部品も残らず、翌日には兎小屋の屋根になっているという書き出しや、所長が鳩をたくさん飼って服がいつも糞で汚れているとか、先輩が恋人の尻に公印を押しまくったのを見つかって懲戒を食らう話など、いくつものエピソードにはやはり滑稽さやユーモラスな雰囲気が満ちているけれども、他のフラバル作品と比べてやや本作の語りはおとなしく、騒々しい明るさはなりを潜めている。それは語り手自身の性的苦悩が背景にあるというのもあるし、ナチス支配下の時代のためでもある。

それを反映してか、作中にはしばしば不穏なイメージが立ちこめる。駅の側溝に転がる馬の死体や、厳寒の森で鳥たちが死に、木を揺らすとその死体がバラバラと落ちてくる挿話など、死を匂わせる象徴的描写や、サーカスで働いていた催眠術師の主人公の祖父が、ドイツの戦車にひとりで立ち向かい、念力で戦車を追い返そうとして轢き殺されたエピソードがある。これは念力という馬鹿馬鹿しさが戦車の重量にいともたやすく押し潰され、軽い笑いがそのまま凍りつくような悲喜劇的調子を持っている。

そうした悲喜劇的展開は『わたしは英国王に給仕した』でも見られたものだけれども、本作もそのような展開を辿る。主人公の性的苦悶を描いていくうちに、話は次第に駅をとおるナチスドイツの「厳戒輸送列車」つまり厳重に監視された列車に対するレジスタンス活動へと移っていく。ここでは性的不能から、男らしくあるための熱意がレジスタンスへと繋がる過程が描かれる。

そして戦時下のチェコ人とドイツ人のどうしようもない断絶が、ここで容赦なく姿を現わしてくる。ドレスデン爆撃の火影を遠くに見たあと、そこから逃げ帰ってきたドイツ兵を見て、語り手は以下のように述べる。

そしてぼくはこの連中をもう憐れとは思わなかった、子山羊がのどを切りさかれるたびに、そして不幸な目にあっているすべてのものに涙を流したこのぼくが、もはやこのドイツ人たちには憐れみを感じなかった。97P

主人公の大叔母がドイツ兵に対して献身していたくだりを挾みながらも、やはりもう憐れみを感じることはないと繰り返す。そこで列車長はこう言う。

あんたらは自分の家にじっと尻を据えてなきゃいけなかったのに(ゾルテン・ズィー・アム・アルシュ・ツウ・ハウゼ・ジゥツェン)99P

反復されるこの台詞のどうしようもない悲しさが強く余韻を残す。

フラバル作品はどれも政治的重圧のなかでの生活を描き、ただ重々しいだけではなく滑稽な猥雑なさまざまをぶち込んで笑いを誘うものともなっているのだけれど、どこかで避けようのない痛烈に重い一撃を食らわせてくる。ここらへんがフラバルらしさ、ということだろうか。

ピリオドのない長文を日本語にするのは関係代名詞の関係でやはり難しいのか、ちょいちょい意味の取りづらい文章があったりして読みやすいわけではないのだけれど、中篇ながらも軽くて重い密度のある作品。

映画版は日本ではすでにDVDやメンツェル監督のDVDBOXなどが出ており、根強いファンがいるのだろう。うらやましい限り。映画は見たことないけど。

厳重に監視された列車 [DVD]

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イジー・メンツェル DVD-BOX

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本書は〈東欧の想像力〉担当の松籟社木村さんよりいただきました。大変ありがとうございます。このフラバル・コレクションもやはり木村さんがひとりで担当しているようで、〈東欧の想像力〉ともども地道に展開していく所存、とのことで大変そうですけれど、是非とも安定して続刊が出るよう祈っております。できれば、キシュとカダレもスピンアウト企画とか、できないですか? いや、そもそもフラバル・コレクション自体が奇跡みたいなものだから贅沢言うなといわれればその通りだけれども。

でもカダレはどっか出すところないのかね。白水社とか。

しかし、驚いたのは飯島氏の解説で、〈東欧の想像力〉で既刊の亡命チェコ作家ヨゼフ・シュクヴォレツキーが2012年で死去していたこと。