笙野頼子 - ひょうすべ連作とトン子

ひょうすべの嫁

文藝 2012年 11月号 [雑誌]

文藝 2012年 11月号 [雑誌]

『猫ダンジョン荒神』の後書きで予告されていた「怪談」。私は知らなかったのだけれど、「ひょうすべ」、という妖怪があり、ここに「嫁」を加えたのが笙野の創意によるもののようだ。そしてこの「ひょうすべの嫁」というのは、

ひょうすべの嫁になるとその女は、権勢を揮える。顔や髪も美しくなり、どのような無理も通る。料亭の床の間に小便をしても、千人の赤子を踏みにじって歩いても誰も咎めない。しかしその代償として、ひょうすべの嫁は、そうならなかった女を全部、出来るだけ残忍な方法で殺すしかなくなる。220P

というような、不条理グロテスク惨酷な妖怪として現われる。ここにはまた内面の剥奪というテーマも絡んだりしているところが笙野らしいというか。そして夢を見ている「私」のまえでホテルに来ていた女たちがひょうすべに惨殺される様を見ているしかない。そしてひょうすべの嫁は死ぬとひょうすべに食われ、残った骨は市販の菓子に混ぜて売られ、それを食った子は「ひょうすべの子」を産む、として怪談は閉じられる。

怖気をふるう擬態語「ぞーっ」だけではなく、それを上まわる言葉として「ぞーんっ」という新造の擬音?擬態?語や、泣いている様子をあらわす「えいーん」といった特徴的な新造?オノマトペの多用、「ひょうすべ」というそれ自体で面白い名前と、「兵主部よ約束せしは忘るなよ川立つをのこ跡はすがわら」という河童水難除けのまじないをもじったフレーズをどんどん改変していったり、また郷里三重らしき方言を活用しており、諸々あわせて跳ねるような言葉の使い方がきわめて印象的で、とてもノリ良く書かれているのがうかがえる好短篇となっている。

神変理層夢経シリーズというハードな仕事の合間に書かれ、グロテスクな表現のえぐい怪談具合は、カニバットとかの頃の筆致を連想させ、昔のスタイルを思わせるところがある作品だ。

関連情報
「文藝」2012年冬号に対談&短編小説 | ショニ宣!
『ひょうすべの嫁(「文藝」2012年冬号掲載)』(笙野頼子):馬場秀和ブログ:So-netブログ

ひょうすべの菓子

文藝 2013年 02月号 [雑誌]

文藝 2013年 02月号 [雑誌]

「ひょうすべ」の第二弾となった「怪談」短篇。来年「おかあさん」になる「十一歳」の少女は、選挙権を持つより先に産業に役立つ子供を産んで育て、『「反核」』に勤しまなければならない。少女の住んでいるのは「だいにっほん」とされ、内国独立国「ウラミズモ」をもつこの世界は笙野頼子の連作「だいにっほん」シリーズや『水晶内制度』といったSF系列の作品と世界観を共有していることが示され、「おんたこ」や「火星人」といった特徴的な題材を共有し、「ひょうすべ」連作が「だいにっほん」三部作と合流した形になっている。

そして、「ひょうすべの菓子」というものがあり、これはなかに「ひみつの粉」が入っているので、これを食べると「女の子の中の二万人に五人がひょうすべを産みます」。二万人に五人だから気にすることはない、と先生は言い、それにどうせひょうすべを産んだ子はいなくなってしまうから気にしなくていいとも。これは、ひょうすべを産んだ子はひょうすべに食われてしまうからだという噂があるとされている。

こう見るとわかるように、今作では「だいにっほん」シリーズと連結されたことで、社会的醜悪構造を露呈させる方向へ進んでいくことになる。そんな社会の中で、語り手「埴輪詩歌」はネットの怪談仲間と一緒に怪談語りの集まりをする、という話が語られる。そこで、誰も呼んでいないはずの人の悪口ばかり言う少女が現われ、幸福の渦中だった怪談語りを台無しにされてしまう。

怪談語りという子供の頃の幸福と、それを阻む他人や「ひょうすべ」といった社会的な圧迫の構図は笙野の初期作品を思わせるところがあると思う。小説家がプリミティブな語ることの幸福、を書くことの意味は示唆的だ。

とはいえ、今作での「ひみつの粉」と「二万人に五人」がひょうすべを産む、という設定は明らかに原発事故以降の放射性物質を暗示している。この原発事故をめぐる行政の姿勢を「ひょうすべ」と重ねて語ることで、怪談や妖怪のグロテスクさをまさに現実のグロテスクさとして描き出している。

笙野に続篇でない新作などない、とどこかで書いていたのはなるほどその通りだと思わされる作品だ。

なお、「火星人」と「火星スーツ」という謎めいたガジェットは「だいにっほん」シリーズ最初から私もなかなか理解がしづらいものだったけれど、「火星スーツ」というのは私の中ではつまりは「纏足」のようなものとして受け止めている。
関連情報はこちらに。
「文藝」2013年春号に「ひょうすべの菓子」 | ショニ宣!
『ひょうすべの菓子(「文藝」2013年春号掲載)』(笙野頼子):馬場秀和ブログ:So-netブログ

日日漠弾トンコトン子

新潮 2013年 05月号 [雑誌]

新潮 2013年 05月号 [雑誌]

『母の発達、永遠に/猫トイレット荒神』で触れられていた猫「トン子」について書かれた短篇。「トン子」というのはドーラのある一瞬の様子を名づけた名前で、そんな「トン子」と路上で出会ったことからそれが飼い猫だとわかる(飼われるようになった?)までを、書いた作品となっている。これ以上猫を飼わない、といっていたような気もするけれど、飼うしかない、と思った猫が飼い猫だと分かるまで、というわけで、なんだかちょっとした笑い話のようにも見える顛末だけれども、そこにドーラの面影が絡んでくる。

「日日漠弾トンコトン子」感想 | ショニ宣!
『日日漠弾トンコトン子(新潮2013年5月号掲載)』(笙野頼子):馬場秀和ブログ:So-netブログ

「新潮」のこの号にはこの短篇の次に金井美恵子のエッセイが載っていて、それは後藤明生『この人を見よ』と谷崎について書かれていて、そういえば金井美恵子後藤明生読者なんだよなあ、と「「ストーヴ」な死」という追悼文があったことを思い出しながら読んだ。いまだに金井美恵子は読みたいと思い作品を集めておきながら、『目白雑録』しか読んでないなそういえば。

で、他に見つけたのが伊井直行のエッセイで、伊井作品には笙野が解説を書いていたものがあったけれど、このエッセイではいきなり2chアスキーアートを引用していて笑ってしまった。笙野ともども2chに縁があるな。

しかし、「新潮」さん、残念ですけれど右のAAちょっとずれてると思いますよ。