笙野頼子 - 未闘病記――膠原病、「混合性結合組織病」の 後篇

群像 2014年 05月号 [雑誌]

群像 2014年 05月号 [雑誌]

前回に続いて笙野頼子膠原病の、急性増悪、診断、治療を描いた「未闘病記」後篇120枚。前篇230枚とあわせて350枚計算か。

作品のあらましは前回の記事でも読んで頂くこととして、後篇では、ステロイドの副作用や骨頭壊死やらの悪化を心配しつつも寛解となり、「なんでも/できる」ようになった「私」の幸福が語られていく。

それまでの笙野は菓子の袋を開けようとしても落としてしまったり袋を引き裂いてしまったり、レストランの扉が重くて閉店かと思ったら中では人が食べていたり、ワインを引き出そうとして固いので防犯の針金で縛られているのかと思ったらそんなことはない、といったような「不具合」がしばしば起こっていたのが、「激減」したという。

調子よいともうまったく驕りの頂上、我が世の春と言える。109P

このようにして、普通の人が普通にしているようなことを普通にできることの喜びが縷々綴られている。階段の上り下り、茶碗を洗う、洗濯物を干す、重い買い物をする、タクシーではなく電車やバスを使う、そんなことの喜びが。体を動かすことができるようになり、これまでしたくてもできなかった、できることとも思えなかったことができるようになる、そういう自由さ、幸福さの描写がいちいち一読者としても嬉しくなる。こんな風に動くことの楽しさが描かれたのは初めてではないだろうか。

「なんかさー、動作って、楽しいね」、って不可解な発言かな? この意味ご理解頂けるでしょうか。123P

そうそう。家事なり作業なり、体を使う仕事で、右手であることをしながら左手で別のことをやったり、一手二手先を考えながら身体を使うことで効率よい風をやってみたりして一仕事終えた時の楽しさって、ある。ニコルソン・ベイカーの小説で、ゴミ箱にきれいにゴミ袋を填め込む人や、レジ係の手並みに感嘆するという描写があって、自分がゴミ袋をはめる時やレジで待つ時、よく思い出すことを思い出した。

そんな時に挾まれるこんな一言も印象的。

「ああそうか健康な人って気が散るものなんだ、だから小説なんて書こうとしないんだ」なんて。120P

身体と幸福と書くことというのがこの作での大きな軸となっており、以下の部分はひとつの核心でもあるだろう。

逃れようもない不全感の中の自由、そんな時間を拾って私は生きてきた。無論、病の無い状態が良いに決まっている。しかしこの生は私の生で今までの過去にだって取り替えは効かない。自分の体はまさに自分の所有であり「関係性だけの存在」ならばこんな身体史にはなり得ないのである。136P

膠原病ということがわかってから、自分の身体史や、幸福などについてふり返り、動くことの喜びを描く不思議な「闘病記」がこの作品だ。「未」なのは自分の病状が重いものではないことへの遠慮だろうか、あるいは「闘病」にまつわる身体や書くこと幸福への省察の比重が大きいからだろうか。

でも、闘病ということと笙野頼子とに違和感がないのは、これまでの作品がずっと知られざる膠原病との闘争でもあったのと同じように、様々な障碍との闘争でもあったわけで、「不全感の中の自由」、「不全感の中の」幸福を見出して生きてきた笙野頼子の生存はまさに闘争としてのそれだったろうとも思う。

読者としては、これまでの笙野作品に特徴的だった動くことへの疲労、鬱屈がとれて、動くことへの楽しさが描かれることへの驚きがあり、ごく個人的に単純に、良くなって良かったですね、と思える。

ただ、笙野頼子なので、金毘羅への帰還が示唆され、この病気についても「神話的に」書くかも、と書かれており、これまでのあれこれは病気だった、解決、なんてことになるわけもない。


モモチさんのサイトに、私のも含めた感想記事リンクがある。参照。
『未闘病記』ネット感想リンク集