後藤明生再読 短篇「謎の手紙をめぐる数通の手紙」

謎の手紙をめぐる数通の手紙 後藤明生・電子書籍コレクション

謎の手紙をめぐる数通の手紙 後藤明生・電子書籍コレクション


謎の手紙をめぐる数通の手紙

謎の手紙をめぐる数通の手紙

電子版刊行企画。雑誌「すばる」1983年9月号に掲載された短篇。その後、表題とした作品集以外に、講談社『文学1984』と、小学館の『昭和文学全集 第30巻』にも収録された。

「あなたの鼻は、すでに埋葬されているようですね」

社員旅行の宴会のさなか、上のような不気味な台詞を言われた男(他の人にはエニグマ氏と呼ばれる)が、言った男A・B氏の友人でそのことを聞き知った情報元だというC・D氏に、あなたが私の秘密を知ったのはどのようにしてか、そしていかなる目的によるものか、と問いかける手紙から短篇ははじまっている。まったく意味が分からない台詞、そしてそれを友人に聞くやり方、付け足しのように、C・D氏の日常の行動をよく知っているらしいことを記して脅迫のようにもよめる文言など、不気味極まりない怪文書のごとき手紙を皮切りに、C・D氏とA・B氏との手紙のやりとりが行われ、解答の催促を求めるエニグマ氏の手紙が挾まれ、という時間差の応酬がつづき、ざっくりと作品は途切れる。

謎が明らかにならず細部のみが進行していく「行方不明」とも似ているけれど、形式の工夫をとりいれ相当圧縮された形で提示されている。この頃はすでに『吉野大夫』も『汝の隣人』も書かれ、『壁の中』が進行中の時期で、そんな時にさらっと書いた作品のようにも思える。

「行方不明」では電話というアイテムが重要で、今作でもいたずら電話の話としてそれは出て来るのだけれど、この短篇の眼目は手紙がもたらす時間差のコミュニケーションにあるだろう。手紙という形式を生かしてさまざまなズレが呼び込まれ、ズレながらのコミュニケーションが続いていき、謎は謎を呼ぶけれども盛りあがらないまま、脱線や余談がついつい書かれ、という奇妙さでもって作品が書かれている。冒頭の挨拶のもってまわった言いぐさなど、流暢な脱線のありかたは後藤明生の得意とするところ。

謎は解かれないし、エニグマ氏がストーカーっぽいけれどもよくわからないし、という訳の分からないまま終わる話で、かと思えば終盤で鼻の整形と「密告」という話が出て来て、でも関係ないような感じで終わっていく。現実と虚構がどこか小さく裏返っているのではないか、というような怪しさを感じる作品でもあり、どう読んでいいやらわからない作品だと言える。

つまり、飛行機の中で読んだときの面白さは、いわばフィクションとしての面白さだった。それが、どうやら反対ではないか、という気がして来た。つまり、ひょっとするとあの「エニグマ書」の面白さは、フィクションの反対すなわち事実なるがゆえの面白さではないか、ということです。44P

最初の手紙に関するC・D氏のこうした言及に示されているように、断片と化した手紙は、相互のやりとりの中でその意味が裏返ってしまう。書かれたことが事実かどうかは他人に確認されねば判断できず、かといってその判断のそれぞれが食い違えば事実性は宙に浮く。書簡体小説いう主観相互の食い違いによる事実確認の不確定さ、それがこの短篇の「謎」そのものを構成しているとも言える。