2015年冬に読んでいた本

年明けから三月くらいまでに読んでいたもの。四月には上げるつもりだったのに、いつのまにやら五月入ってしまった。

細雪 (上) (新潮文庫)

細雪 (上) (新潮文庫)

年始は谷崎の『細雪』を読んでいた。十年くらい買ったまま塩漬けになっていたけれど、石川博品『四人制姉妹百合物帳』のオマージュ先として挙げられていたので。四人姉妹の関西での生活をきめ細かな生活描写とともに描いていく、非常に丁寧な風俗小説。基本的な軸は、下の妹二人の結婚に関する話題で、内気で人見知りな雪子のうまくいかないお見合いの繰り返しと、恋愛事件を起こす奔放な妙子を対照的に描きながら、話は進んでいく。水害、恋愛事件等波瀾は結構あるんだけれども基本的には生活描写、だけれどぐいぐい読めて非常に面白い。

石川がこれをオマージュして『四人制姉妹百合物帳』を書いた、というのは、『細雪』での結婚前の姉妹による生活を、学生生活的なモラトリアムとして読み替えることでなされた、と考えられる。じっさい、『細雪』の姉妹での生活は、結婚して他家へ嫁いでいくことで終わりを迎えることが予期されるわけで、これと卒業してそれぞれの進路を進んでいくことになる、という『四人制姉妹』には通ずるものがある。なお、『四人制姉妹百合物帳』のほうで、『細雪』での「鶴子」にあたるキャラが「杜理子」(名字と合わせて明らかに陰部のもじり)と変えられいるのは、陰部を剃って「ツル子」とされる下ネタのための変更と考えられ、つまりは剃毛によって「姉妹」が揃うということでもあろうか。ひどいネタだけれどもそれが作品の核心だったりする。

四人制姉妹百合物帳 (星海社文庫)

四人制姉妹百合物帳 (星海社文庫)

あと、これ誰も指摘してない*1ようだけれど『四人制姉妹百合物帳』の章タイトルはどれも元ネタがあるのではないか。アンゲロプロスと津山(これはどっかで見た)はたぶんあってると思うけれど、他が分からない。
「サロンへの径(みち)」→?(プルーストっぽい?)
「百合種の顰(ユリシーズのひそみ)」→「ユリシーズの瞳アンゲロプロス
「閖村三十人剃毛」→「津山三十人殺し
「湯煙の中の風景」→「霧の中の風景アンゲロプロス
「卒業と日常」→?

分かる人いますか?


COMIC ZIN 通信販売/商品詳細 アクマノツマ
同人版『アクマノツマ』も読んだ。これは確かにメジャーレーベルからは出ないかなあ、という作品で、悪魔の妻を持つ「まじめ底辺」を自認する高校生男子の日常を描いている。ちょっとしたケンカはあっても、大きな盛り上がりを作らずに悪魔の妻との結婚生活の機微を描いており、百合物帳よりこちらのほうがよっぽど『細雪』っぽいような。太宰「ヴィヨンの妻」パロディらしいけど、読んだのは随分まえでどんなだったか覚えてないので、関連性はわからない。まあいつも通り作者の文章は非常に良いし、知り合いの女子連中とのちょっと微妙な距離感とかもいい。「まじめ底辺」というのは、自宅学習の習慣がきっちりついているのに成績は悪い、という主人公の自称で、適当にやってても元々頭のいい妻に対してちょっと屈折した感情を持っている。毎日三時間勉強して、ようやく普通かそれより下に追いつけるくらい、という能力。これ、すごく生々しい。鬱屈した、日常的な絶望感が匂ってくる。これで妻がいなかったら、と考えると相当暗い話になるわけで、悪魔妻というファンタジーに賭けられた生々しい感触、というと、『ヴァンパイア・サマータイム』もそうした作風だったといえばそうか。石川博品を初めて読むという人にお勧めする作品ではないと思うけれど、ものすごく刺さる人はいる、という類の作品だろうか。

SF大賞候補作

共著が候補作になったので、候補作を自分も全部読んでみる。谷甲州『星を創る者たち』は去年既に読んでいるので、その他を。

オービタル・クラウド

オービタル・クラウド

藤井太洋『オービタル・クラウド』はこれは圧巻。相当の取材をしたんだろうというネタが詰め込まれていて、エンターテイメントとしてしっかりと面白い。数年後という短スパンの近未来SFの面白みも良い。じつは、この直前に読んでいたデビュー作の『Gene Mapper -Full Build-』のほうは、環境保護団体とマスコミという悪役が単に頭の悪い存在でしかなくて、ネットのまとめサイト見ている人たちの内輪向け感*2が強くあって不安だったのだけれど、そうした難点がほとんど改善されていた。受賞も納得の出来だと思う。海外翻訳しても勝負できるだろうメジャー性がある。
My Humanity (ハヤカワ文庫JA)

My Humanity (ハヤカワ文庫JA)

長谷敏司『My Humanity』は短篇集。再読になる「allo,toi,toi」はやはり傑作だと思うし、「地には豊穣」は、伊藤計劃の「Indifference Engine」の下敷きになっているのではないか、と考えたりする。「父たちの時間」は原発事故を思わせる、漏出したナノマシンによる超スピードの進化という人間のコントロールが及ばない激甚災害への対応を描きながら、「父」の意味を問い返す。まさか、母親はそうした災害で過剰に恐れて馬鹿な行動を取る、みたいな原発関連でも見られた偏見をなぞるのか、と思いきや、ちゃんとそこには批判的スタンスをとっているのがよかった。ただ、これいろんな作品のスピンアウトとかだったりの落ち穂拾い的編集で、短篇集としてまとまりがそんなにない。去年落ちた『Beatless』は私は未読だけれど、本書はそれより上という評価なのかな。
誰に見しょとて (Jコレクション)

誰に見しょとて (Jコレクション)

菅浩江『誰に見しょとて』はなかなか珍しい化粧SF。これは、化粧に対する私の考え方を大きく変えてくれたもので、非常に興味深い作品だった。肝は、ある人物が言う、私は無人島に行っても化粧をする、というところ。なりたい自分になるための、化粧。これが核心だろう。しかし、化粧は男性からすると、作中の台詞にあるように「騙した」と捉えられがちで、ここに男生と女性の化粧に対するスタンスの違いがあるんだろう。女性の素顔に対して、化粧してるより綺麗、かわいい、という褒め言葉は、女性にとっては非常に微妙な気分になる、という話があるのも、この化粧に対するスタンスの違いが垣間見える。余談だけれど「なりたい自分になる」というフレーズで思い出すのは、昨年のアニメ「Selector Infected Wixoss」の二部作や、あるいは「プリパラ」といった最近のアイドルものアニメだったりする。「Selector」が意識している「魔法少女まどかマギカ」(この二作はともに少女の望みを逆用する設定がある)等の「魔法少女」もの、とアイドルもの、という女児向けフィクションのジャンルってのはやっぱり「化粧」を意識した(大人への)「変身」、という要素を特徴としている、とは前から思っていたけれども、それらが本書での化粧を『なりたい自分になる』行為と位置づけることを介して、前よりわかったような気がした。「プリパラ」の南みれぃや「アイドルマスター シンデレラガールズ」の前川みくといった表に出すキャラを意識的に作っているキャラ、もより納得できた感じというか。自分が人前に出たくないタイプなので、アイドルものの作品のキャラのモチベーションってのがよくわからないところがあったのを、こう考えればいいのかな、という補助線を引いてもらった感じ。それはいいとして、「化粧SF」をもし自分が構想するとしたら、まずは化粧を女性に負わされた社会的抑圧(やって当然のマナーとしての)、としてしか見ることができなかっただろうと思う。そういう側面もあるし、じっさいそう言う女性はいるんだけれども、かといってファッションのように自主的に楽しむという側面もあり、本書では化粧の肯定的側面を身体改造へと繋げてSF的展開を広げているのが特色。

候補作のなかで『オービタル・クラウド』が頭一つ抜けてる、と思う以外は、もう一作は個人的にはどれもあり得たかな、という感じがある。『星を創る者たち』も地味で良いし、結構好きなんだけれども。『北の想像力』、私は玉石の石のほうなので質はともかくとして、コンセプトとしても物量としても、非常に画期的な一冊だったと思うので、特別賞くらいはなあと思うのだけれど、平井和正の功績賞があると、もう他に特別枠は作れなかったか、と思うしかないな。まあ、星雲賞の候補にもなったみたいですね。こちらはもっと取れなさそうだ。

SF大賞贈賞式に参加できたので、選評を読んだところ、『オービタル・クラウド』と『My Humanity』が突出した評価を受けていたので、二作当選で順当に決まったとのこと。私は、『My Humanity』が一冊としての出来でややマイナスをつけたのとは逆に、書き下ろし中篇「父たちの時間」ひとつでも受賞に値する、という意見があり、それなら確かにこの二作か、と納得した。藤井太洋のエンタメ力と、長谷敏司の深く問題に踏み込んでいく力が、高く評価された形、だろうか。評論では『北の想像力』より、候補になっていない岡和田さんの単著『「世界内戦」とわずかな希望』のほうがよかった、と二人に書かれていて、うーんとなった。まあじゃあ評論部門は岡和田さん単勝ってことでいいね。
第35回日本SF大賞贈賞式 生中継 - 2015/04/24 18:00開始 - ニコニコ生放送
ざっと見たところ、私も映ってました。当日は『北の想像力』チームの方など、いろいろな方と会えて楽しかったです。

警察小説と呼称ルール

笑う警官 (ハルキ文庫)

笑う警官 (ハルキ文庫)

警察小説ふたつ。『笑う警官』は佐々木譲北海道警察シリーズの最初のものらしい。警察の汚職事件にからんで、身内を売った(「うたう」)ということが一つのテーマとしてあり、警察組織の内部抗争が描かれる。道義心から小さな反抗を企てる主人公達の様子は、なるほど大人の子供心をくすぐる書かれ方だなと思う。『北の想像力』で忍澤さんが「心優しき叛逆者たち」と呼んだのはなるほど、だ。共産党議員と会っていた、ということが警官たちに異様な反発を生む様子が書かれ、それは警察学校で共産党への徹底した反発心を植え込んでいるからだ、というのは、どこまで本当だろうか。まあ、なるほどなあとは思うけれども。大規模な汚職を起こしても、それを正すよりは組織内部の隠蔽に荷担する身内意識が俎上に上げられており、これがなかなか生々しくて面白い。読み終えて、元タイトルの『うたう警官』がやはり適切だった。
機龍警察(ハヤカワ文庫JA)

機龍警察(ハヤカワ文庫JA)

月村了衛『機龍警察』は、アニメ脚本家として夙に知られていた作家の人気シリーズ第一作。結構前に買ったのをようやく読んだ。映像的に映えそうな、パワードスーツ的な兵器「龍機兵(ドラグーン)」を駆る特殊な警官部隊は、傭兵やら元テロリストやらで、警察組織にそぐわない出自をもち、あまつさえ組織の特権的な位置づけに対して警察内部で反発を生んでいるという構図。魅力的で派手な要素をガンガン突っ込んで、なかなか楽しい。とはいえ、一巻では世評ほどでは、という感じがあったので、続きを読んでみることにする。

これら警察小説を読んでいて、ふと違和感があったのは、地の文における女性の呼称だ。『笑う警官』では、主要メンバーの女性が「小島百合」と常にフルネームで呼ばれている。他の男はだいたいが名字だけで呼ばれているにもかかわらず。また、『機龍警察』では、他の人物は主に名字だけで呼ばれているのに、外国人と女性は名前で呼ばれている。「鈴石縁」はつねに縁と呼ばれていて、あれ、名字なんだったか、と遡って確認しなければならなかったほどだ。この、地の文で女性だけが呼称ルールが違うのは、はたして自覚して行われていることなのだろうか。男性社会の警察組織において、女性はつねに「女の子」扱いされている、ということなんだろうかとも最初は思ったけれど、絵のないメディアたる小説では、フルネームを覚えていなければ女性だとわからない呼称を使いづらい、というテクニカルな理由の方が強いんじゃなかろうか。どちらにしても、文章において女性を女性だと明示するテクニックが求められる、ということそれ自体にも微妙な問題が隠れている。自分が男だからか、性別を明示しない人物が居た時、それをまずは男として読んでしまうことってあって、これはネットでもそうだったりするのは覚えがある。

吉村昭北海道もの

羆嵐 (新潮文庫)

羆嵐 (新潮文庫)

三毛別羆事件に取材した長篇。北海道の山奥の描写が圧巻で、部屋においておいた味噌汁が、夜に凍ってしまうというのは、そこは果して人が住めるところなのだろうか、という疑問を喚起せずにはいない。北海道の冬は命にかかわる、というのは今現在でも言われることなわけで、当時としてはどれだけ巨大な問題だったのか。羆被害の壮絶さも、『北の想像力』でのパネルを読んで知ってはいたのだけれど、圧倒的。当の羆は、他の場所で女性を食べていたため、その味を知って、女性だけを狙う習性を持っていた、というのがより恐ろしい。

冬のアニメ、幾原邦彦監督『ユリ熊嵐』では、ユリと熊をなんかそういう絡め方(社会における男性のアレゴリー)するのかな、って思ったらそういう安直さはさすがになかった。ただ、『羆嵐』が事実と変えたポイントとして、羆を銃撃した猟師の名前に、「銀」の文字をつけ加えており、『ユリ熊嵐』では百合城銀子というキャラが重要人物だったので、そこは意識しているところだとは思う。猟銃を持っていたのは違うキャラだったけど。ずらしてる。

新装版 赤い人 (講談社文庫)

新装版 赤い人 (講談社文庫)

北海道ものとしては『赤い人』も面白かった。北海道に送られた囚人による強制労働の歴史に取材しており、タイトルは囚人が着せられていた服の色に因む。北国の過酷さはそれ自体が牢獄でもあり、脱走したとしても着せられた服で目立つので捕まえやすいわけだ。そして囚人を使い捨ての資材としか思わない使う側の論理によって、バタバタと人が死んでいくありさまが生々しい。『高熱隧道』とも同じく、近代日本の国家的事業の暗黒面を描いている。

プロ文

小林多喜二名作集「近代日本の貧困」 (祥伝社新書122)

小林多喜二名作集「近代日本の貧困」 (祥伝社新書122)

意外なところから出ている小林多喜二作品集。掌篇、短篇、中篇、戯曲、エッセイと多彩な編集でなかなか面白く、また「オルグ」のようなスパイ物みたいな作品もある。非合法共産党活動って、「党生活者」とかもそうだけれど言ってみればスパイ活動みたいなものだし、他のプロレタリア作品も、この世の悲惨、活動、闘争と派手な部分ってのが多い。この作品集、岩波、新潮、角川とかの文庫で出ているものとは違う作品を集めているのがいい。ただ、「オルグ」は「工場細胞」の第二部、だそうだけれど、現行の文庫新書では出ていない。宮本・中條・百合子のデビュー作。富裕層が慈善を試みるものの、それが思ったようには受け入れられず、むしろ場当たりの慈善が逆効果すら生む、という状況を描いており、十七歳でこれを書いたというのだから恐ろしい早熟ぶり。百年前の十七歳による、貧困との直面。


あまがみエメンタール (一迅社文庫 み 3-1)

あまがみエメンタール (一迅社文庫 み 3-1)

近年のシリーズモノがアニメ化もされた作者による百合ラノベ。これはなかなか良かった。噛み癖のある幼さの残る少女とその世話をする形になった少女の閉鎖的女学校での生活を描いている。噛み癖にSM的な嗜虐性があって、世話する方も噛まれることに中毒しちゃっているという共依存体質が、非常に淫靡でいい。エメンタールといえばチーズの産地で、あの漫画チックな穴あきチーズのイメージが、噛まれる身体に重ねられてもいる。

この作品がそうだ、というわけではないんだけど、百合作品には時々箱庭というか、女性しかいない状況を設定していたり、それを希求したりすることがある。女性は普通に生活しているだけでも、様々な状況で痴漢に遭遇する、それも制服を着ていたりする少女だとなおさらだ、というし、一般的に筋力の関係でも、男性に抵抗することが難しい、という話を改めて考えてみると、つまるところ往々にして女性、少女にとって、男というのは存在そのものが暴力に他ならない、ということなんだろう。自分より力が強く、性的な視線で眺めてくる存在とつねに一緒にいなければならない日常、というのは、なかなかに想像しがたいストレスフルな世界だ。

*1:『四人制姉妹百合物帳』とアンゲロプロスで検索してもヒットがない

*2:あるインタビューで、初稿は実際に特定の友人向けに書いていたという発言があり、なるほどと思った