笙野頼子 - 猫道

 

猫道 単身転々小説集 (講談社文芸文庫)

猫道 単身転々小説集 (講談社文芸文庫)

 

 作者の住居あるいは猫にまつわる小説を集めた文庫オリジナル作品集。部屋探しを通じてこの社会に居場所「も」ないことに直面するさまと、捨て猫を拾い共に生活していくことで「猫はそんな私を人間にした」(11P)という側面から、その存在のありようをたどる本になっている。

この系列では千葉への転居を描いた『愛別外猫雑記』『S倉迷妄通信』が重要だけど本書には入ってないので各自で読んで頂くとして、本書では部屋探し長篇『居場所もなかった』を中心に、初期作から十年前の未収録短篇までと幅広く選んでいる。初期短篇「冬眠」は京都時代のことが描かれており、ここには一人の空間という居場所のモチーフの原型がある。しかし『居場所もなかった』を経て『増殖商店街』収録諸篇になると、拾い猫キャトが失踪したあと、その捜索中に出会った捨て猫ドーラを拾うなど、部屋には他者が住まうようになり、その後の拾い猫モイラの死を綴った箇所では「焼き場で待っている時に生まれて初めて、ひとりでいる事が苦痛だと思った」(317P)とまで書かれるようになる。

そしてモイラの死後、ある夢をきっかけにして死んだモイラが近くに居ることを確信するあまりに悲しくも感動的な短篇「この街に、妻がいる」が続く。「猫がいた時は猫を通じて、人間が人間だと感ずる事が出来た」(263P)とあるように、居場所のない「悪く、汚く」「罪深い存在」(92P)が猫によって「人間」になる。

初期短篇「冬眠」も中後期作品も、大切なものがある自分の空間、というモチーフでは通じるものがあるけれども、その関係が閉じたものではなくなっている。作者自身が書くように、初期作品の感覚は「人間という自覚や感覚」が欠けたゆえの硬質で冷たい雰囲気があり、そこに魅力もあった。しかし猫によって生きる実体と根拠、闘争の拠点を得て、笙野作品は「生命の喜び」や「幸福」が重要なテーマとなっていくわけでもあって、そのそれぞれの時期から選び出すことで、作品の変化がたどれるようになっている。

出会いがちゃんと描かれてる猫はドーラだけだったりするけれども、多面性にあふれる笙野頼子を住居と猫の要素で切り取った、興味深いイントロダクションにもなっている作品集。現在の政治的闘争精神に満ちたスタイルの根っこにあるものをうかがうこともできるだろう。

 

 以下ちょっと長くなったので収録されてる長篇について分けておく。

第二長篇『居場所もなかった』(なお第一長篇は『なにもしてない』という題)はたぶんはじめて読み返したけど、やっぱり面白い。ほとんど笙野頼子自身ともいえる語り手による部屋探しを書いた長篇なんだけど、自営業独身女性が如何にこの社会に居場所がないかに直面し、会社員の編集者との話の合わなさに、見ている景色の違いが如実に出ている。前述「罪深い存在」というのは、長く住んだ部屋を追い出されることになり、しかし新しい部屋もぜんぜん見つからないなかで出てくる言葉だ。バブルで地価があがるなか、家賃の値上げなど効率よく回転させるという経済的理由があるんだけれど、大家の態度から自分が嫌われたのか、なにか何か気に入らぬことをしたのかと思い悩み、どんどん自分が汚く、悪く、罪深い存在に思えてくるという状況だ。

また、オートロックの部屋が見つからず印鑑証明についても問題が起き、という状況を描くと、会社員の男性編集者にとってはありえない光景に見えている、という社会的地位によって現実がそもそも異なっているとでもいうようなありさまが、幻想的な描写として出力されていることが分かる。書かれている通りなら、当初事実通り延々とした反復として書かれていたらしいものが、見せた編集者の意見を容れて、デフォルメの効いた幻想的光景として圧縮されている。長いものを一挙に縮める技術的手法としての幻想。編集とのやりとりで書き換えたことが書かれるメタ手法でもある。逆に言えば、突拍子もないようにみえる幻想には事実の裏付けがあるということでもあって、これは笙野作品が持つ生々しさの由来ではないか。突拍子もない、荒唐無稽、非現実的、と言われかねない描写は、幻想的なようでいてきわめて現実的でもあるわけだ。

笙野作品はしばしば被害妄想的といわれるわけだけれど、幻想的ではあっても、ではそれは本当に妄想か、となるとそこにこそこの視界の違いが滲んでくるようにも思う。会社員の男性編集者のような「普通の読者」に通じるものにするため、リアリズムではなく荒唐無稽な幻想として書くというある種の便宜性がうかがえもする。それほどここには見えているものの断絶があることになる。

現実の極端なデフォルメ、のはずの描写がじつはそのまま現実そのものでもあるというような戦慄は、近作の笙野作品にもそのまま通ずる感触だったりもする。

 

本書は笙野頼子さまにご恵贈いただきました。ありがとうございます。