四月に読んだある程度最近の海外SF

積み本消化強化月間、四月は海外SF。

グレッグ・イーガン万物理論

万物理論 (創元SF文庫)

万物理論 (創元SF文庫)

最初っから最近ではなくてアレだけど、原著が二十年、訳書も十四年前になる積み本をようやく読んだ。面白く読めるんだけど主観的宇宙論ものというとおりの大ネタがいまいち納得しづらい点がなかなか難しい。あと長い。詳細に描き込まれた未来社会の技術、社会、環境は興味深くもあるけど、長い。そういえば短篇に比べて、消失、順列等長篇はどれもどっか手放しに面白いって印象はないなそういえば。松崎有里の「あがり」を連想した。

ジャック・ヴァンス『竜を駆る種族』

竜を駆る種族 (ハヤカワ文庫SF)

竜を駆る種族 (ハヤカワ文庫SF)

改めて浅倉久志の訳文は良いなと思った。ドラゴンマスターズがこの題名になるのも。遠未来のSF的設定を背景に持つファンタジー風世界での、抗争とディスコミュニケーション異世界描写も鮮やかな一篇。ヴァンスを最初に読んだのは『ノパルガース』で明らかにB級SFなんだけど、そもそも力ある作家だからかなんか楽しく読める作品で、自分はSF好きなんだなと思ったことがあった。

B・W・オールディス『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド

ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド (河出文庫)

ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド (河出文庫)

最初Barefootの方かと思ったら自作をもじった題の別作。そりゃそうだ。循環系を共有するうえに三つ目の頭がついている結合双生児兄弟が、ロックバンドとして大成功を収めたのちにたどる末路。相手といかなる時でも一緒にいることによる不和から生まれる悲劇。お互いを憎み合うしかない運命を描いていて、後半の不気味さはなかなかのものだった。イアン・ポロックによる挿絵がまたそれを倍加しているんだけど、この絵の不気味さは覚えがあるなと思ったら小林ゆうの絵だ。

J・G・バラード短編全集1』

ようやく一巻を読んだ。これだけ一気にバラード短篇を読むとむちゃくちゃ濃密だ。各短篇集ごとにバラされていた諸作が通時的に並ぶことで、さまざまなかたちで変奏されるバラード特有のモチーフがなんとなくわかるようになってる気がする。

デビュー作「プリマ・ベラドンナ」は倦怠と停滞の熱砂のリゾート、ヴァーミリオン・サンズ連作のはじまりでもあるけれど、「大休止」というようにまるで時間が止まる=終わるかのような感覚があり、ほぼ同時に書かれたもう一つのデビュー作「エスケープメント」がタイムループものなのもとても示唆的。時間の循環、停滞にくわえ、第三作「集中都市」はこの時間軸が空間軸に変換されており、西へ向かったはずが東へ向かっているという不気味な積層都市が描かれている。近づいてくる終末、逃げ場のない空間、いずれもが脱出できない閉鎖系で、初期作品はこうした逃げ場のなさが繰り返し描かれている。西が東に循環する「集中都市」や、ミニチュアがリアルスケールに繋がる「ゴダードの最後の世界」のような、ループ、循環的構造も特徴的で、これはまさに外宇宙と内宇宙の関係そのもので、宇宙を探究することが人間の心理や精神の内宇宙への潜行に転位する。逃げ場のなさはそれが自己自身の精神だからだろう。睡眠を除去し多大なる時間を得たと思ったら精神的牢獄への囚われとなる「マンホール69」のように、時間と空間の変換も特徴か。SF的設定が人間心理への探究に繋がるバラードの方法はこの時期、閉鎖された時間と空間を舞台に問われている。テクノロジー三部作も監視社会の三部作も舞台の閉鎖性がその最大の特徴だけれど、時間の終わりと閉ざされた空間の密接な関係性がごく初期から現われているのがよくわかる。そして「集中都市」にはバラードのよく知られたオブセッションのひとつ、空を飛ぶことが描かれているのに気づいた。

で、もう一つの特色が音。バグルスのラジオスターの悲劇の元ネタと言われる「音響清掃」の残存する音のアイデアも印象的だけれど、自己増殖する音響彫刻を描いた「ヴィーナスはほほえむ」の「いまに、全世界が歌いだすときがくる」という一節は「時の声」にも共振するものがある。終末を告げるカウントダウンを示唆する宇宙からのメッセージが描かれる「時の声」での、「頭上では星が歌っていた。地平線の端から端まで空にぎっしりとつまった幾千の宇宙の声、真の時の天蓋」という一文は、「ヴィーナスはほほえむ」の一文と似た終末的感触がある。黙示録的というか。「深淵」の「魚は海という鏡に映ったわれわれ自身」とあるように、外こそ内、内こそ外、という鏡像関係。閉ざされた時空間の濃厚な存在感があって、上下二段の山盛りのバラード短篇にはなかなか中毒的、蠱惑的な味わいがある。

ただ、この全集翻訳情報がない。創元SF文庫からのものはかなり置きかえられてるんだけれど、それがこの全集のための新訳なのか、既に雑誌や書籍に載せられたものの採録か改訳だったりするのかがわからない。「時の声」の伊藤典夫訳って1966年のSFマガジンに訳されているみたいだけれど、これはさすがにそのままではなさそう。パラ見した四巻では『残虐行為展覧会』からの翻訳の法水金太郎というのは横山茂雄ペンネームで、工作舎版から改稿して収録、と情報があるのに。

アンディ・ウィアー『火星の人』

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星に一人残された宇宙飛行士がその知識と技術を用いてなんとかサバイバルするという話自体面白くないわけがなくて、その細かなプロセスを丹念に描写していくさまはまるで出来の良いノンフィクションかのようなハードSF。悲観することもなくユーモアを交えつつできることは何かを考え宇宙飛行士も地球側も最大限のベストを尽くしながら生還のための方策を練り続ける手に汗握る迫真のエンターテインメント。ある種の楽天性、まさにアメリカSFの精神性って気がするけど、まあ素直にとても面白い。とりあえず面白いSFを、と言われたら前置きなしに勧めていいだろうっていうポピュラリティがある。

ケン・リュウ『紙の動物園』

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

評判だったけども帯で泣ける小説とかあって、どんなもんかと思ったら確かに表題作は感動話だけどかつ、中国系アメリカ人が置かれた差別的状況が正面から描かれていて、他作品も難民や先住民といった民族の問題に取り組んだものだったのには良い意味で驚かされた。表題作は歴史の悲運をたどった中国人女性がアメリカ人男性に買われるように結婚し、その息子がアメリカで「シナ人」呼ばわりされ母親との疎隔が生まれるという関係を主題にしているし、「月へ」も亡命申請にまつわる困難がファンタジックな比喩に託して語られるものだし、「結縄」は先住民文化の搾取と彼らを資本主義市場に取り込む植民地主義の問題、「太平洋海底横断トンネル」は日本の炭鉱での強制労働を想起させる改変歴史ものでもあり、「心智五行」も植民地主義への批判意識がある。「文字占い師」も漢字文化と反共弾圧の歴史と異邦人の境遇が描かれる。文庫二分冊のうち『紙の動物園』はとくにこうした問題を軸に編まれているように見える。物語とこうした問題意識が不可分のものとしてあり、中国系アメリカ人としての作者自身の関心が強く出ているように見える。アジア文化アメリカSFを架け渡す意識が強く感じられる。

ケン・リュウもののあはれ

もののあはれ (ケン・リュウ短篇傑作集2)

もののあはれ (ケン・リュウ短篇傑作集2)

こっちの方は冒頭の表題作の日本文化論にはややそうかな、って部分も感じた。そのお話は「もののあはれ」かな、という。それはともかく、カルヴィーノ「柔らかい月」を思わせる「潮汐」、さまざまな「本」を描く「選抜宇宙種族〜」、中盤の三篇はデータ化人格や不死性といった生の問題を扱いつつ、そして「良い狩りを」は、妖狐と妖怪退治師の時代が蒸気時代に飲み込まれていく様を描きながら、そうくるか、という展開の妙を見せる中華スチームパンクの傑作だろう。失われていくものとその現代的再生を描く本作は作者自身の作家性についてのメタ物語とも読める。

作者が中国SFの翻訳を精力的に行なっている理由が伝わるような作品群で、中国、アメリカのあいだにある、という自身の来歴、位置を正面から受けとめ、生かしているような本だった。二つの表題作のようにややベタな感動ものに傾きがちなところは気にはなるにしても。Twitter文学賞トップというのも頷ける、海外現代文学好きには非常にアピールするだろう作品だ。

アンナ・カヴァン『氷』

氷 (ちくま文庫)

氷 (ちくま文庫)

全世界的に厳寒期が訪れ氷が世界を覆いつつあるなかで、「私」という語り手が「少女」を探し歩き、再会したり別れたりを繰り返す、何処とも知れぬ場所で固有名が欠けた物語は心理と世界とを重層的に描いているかのようにも感じられる奇妙な傑作。「外の世界の非現実性は、尋常ならざる形で私自身の乱れた心の状態を延長したもののようにも思えてきた」とあるように(ちくま文庫101頁)。しかし、語り手のというよりは「少女」のそれ、のように思える。アルビノの銀灰色の髪を持つ少女は繰り返し、犠牲者、服従者、傷つけられる者として描かれるからだ。中盤までは章ごとに唐突にそれまでとは話の繋がらない少女が殺されたりするような場面が挿入される。少女は夫のもとから出奔して以降、「私」と「長官」とによる争奪戦のトロフィーとしてある。この同一人物ともいえる二人の男による奪い合い。全体主義国家の寓話やヘロインのアレゴリーなどともいわれるけれども、私にはこの作品は、「少女」という存在が受ける抑圧や受苦・絶望を描いた一種のフェミニズムSFのように見える。バラードがしばしば熱帯的な原始性あるいは宇宙的なものと繋がるのとは違う、氷、という酷薄な絶望がある。かといってラストに見るように男性性への否定に貫かれているわけでもない。「少女」は愛を求めている、と言うとおりに。カフカを思い出すのはそうだけれども、よりいっそうバラード的な世界の純化したものを感じる。「私」が熱帯から戻ってきた人間で、歌うキツネザル「インドリ」がしばしば言及されるという熱帯的なものが「私」に仮託されているかのようにも見える。

解説で川上弘美が「狭い」と言っているけれども、この小説の叙述は重層性ではなく、すべてが何らかの自己言及でもあるかのような強烈な狭さかも知れない。「私」も「長官」も「少女」も。「少女」の造形から薄々感じてはいたけど、サンリオ版の序文でオールディスが「アンナは富裕な母親に支配されていた。人生においても著作においても、彼女は遂にこの支配の重圧から逃れることができなかった」とあるのを読んで、やはり、とは思った。カヴァンは文遊社がいまたくさん出してて既訳はほとんど入手できるけれど、カヴァン名義の第一作『アサイラム・ピース』だけが品切れなので文庫化なりされないかな。

ちくま版で相当改訳されているのは冒頭見比べてもすぐにわかる。サンリオ文庫版はオールディスの序文があるのと、山田和子の訳者後書きがかなり力入っていて見所。バジリコ版でかなり親しみやすいように解説をリライトしたのが分かる。ちくま版もインパクトあるけど、サンリオ版のらしい装画がなかなかいい。

ピーター・トライアス『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)

表紙に描かれたメカ要素はむしろ少なく、皇国日本に占領されたディストピア社会でアメリカが日本に勝ったというゲーム「USA」の製作者を探す改変歴史SF。作者が韓国生まれでアメリカに育ち、八歳から二年韓国に住んでいたというアジア系アメリカ人でもあって、改変歴史の核に、アメリカが日本人日系人を「強制収容所で数万人を拷問した」という「自由と勇気の国」への疑念があるようにも感じる。作品世界では歴史改変でソ連アメリカが日独で分割されていて(太平洋と大西洋の帝国って感じか)、合衆国は皇国日本の全体主義体制下にあり、天皇への批判は許されず叛逆の意ありとみれば即座に処刑されてしまう。そしてこの歴史の根底にあるのが、冒頭の日系人強制収容所じゃないかと思う。この第二次大戦時アメリカでの差別と弾圧を反転した、日本人によるアメリカ占領というのがUSJの歴史改変の基軸に思える。だからこそ、今作には拷問が頻出するのでは、と。プロローグと本篇での「拷問」はつまりいずれの社会も収容所としてあるからではないか。反抗のあり得ない収容所と化した社会。トランプ政策に対する批判か、と思ったけどそれより前だった。とはいえ、そうしたテーマが前面に語られるわけではなく、一読テンポの良いエンターテインメントとして楽しめる。特にすごいのは槻野昭子で、狂信的天皇主義の特高ぶりは半端ない。重要っぽく出てきた人物も不敬を働けばさくさく殺していくので、え、マジで?みたいになるし、それと主人公がコンビを組んでいくのもマジで?こいつ連れて行くの?ってなる展開が面白い。キャラとしてパンチが効きすぎている。文庫カバーは上下巻で一枚絵になる。でもこんな場面あったかなー。

チャイナ・ミエヴィル『ジェイクをさがして』

ジェイクをさがして (ハヤカワ文庫SF)

ジェイクをさがして (ハヤカワ文庫SF)

面白いもののどこか波長が合わない感じがした。ロンドンの出来事、細部に宿るもの、仲介者、使い魔なんかの不気味な何かを想像させるホラー系短篇は良かったけど、中篇「鏡」がこう、長いわりに話に興味続かなくてだらっと読んでしまったなあ。「クリスマスTM」でいきなり笑わされたクリスマス管理社会というブラックユーモアの短篇もなかなかよかった。面白いところとあまりわからないところがある感じだけど、長篇もそのうち読みたいところ。『都市と都市』は読む。

ハーラン・エリスン『死の鳥』

これはさすがレジェンドと言われるだけある作品集だった。圧倒的。スタイリッシュに描かれる性、暴力、金のエネルギー。表題作は手塚治虫のと何か関係があるのかどうか。一冊通して読むのは初めてだったけど、このレベルを連発されるともう何も言えん。「「悔い改めよ、ハーレクィン! 」とチクタクマンはいった」って本当に「悔い改めよ、ハーレクィン! 」とチクタクマンが言うもんだから笑った。この凝ったスタイル、文章のエネルギー、やはりベスターを思い出す。「プリティ・マギー・マネーアイズ」は既読だけど、これはやっぱり良い。そして「鞭打たれた犬たちのうめき」「ソフト・モンキー」などの冴えを見るに若島正編のクライムノベル作品集、じつに期待大ではないか。未来の文学三年出てないけど。まあその前に既刊短篇集の二冊を追々読まないと。

バリントン・J・ベイリー『ゴッド・ガン』

エリスンに比べたら語り口が普通だけどネタの飛び方はなかなかのベイリー。神を殺す銃の一発ネタみたいな表題作も笑えるけど、訳者が言うように地底潜艦の話や不死の話もその多くが出口のなさ、をモチーフにしているものが多くて、脱出が新たな牢獄になるようなアイロニーが頻出している。そういやベイリーの追悼特集のSFマガジンは読んでいたので表題作と「蟹は試してみなきゃいけない」は既読だった。蟹、当時結構好きだったんで、今再読するとそのセックスに血道を上げるホモソーシャルな男コミュニティな感じがちょっと厳しいなあ、と思って読んでいるとまあ蟹だし、最後の苦いエンドには結構良いじゃないかってなるのでやっぱり良かった。

川名潤カバーデザインによる二冊、明らかに対照的な作りで面白い。この二冊は刊行が三ヶ月差だったはず。