最近日野啓三を読んでいた。日野といえばSFを取り入れたりした八〇年代頃の都市幻想小説がたぶん代表作になるかと思う。『天窓のあるガレージ』『夢の島』『砂丘が動くように』といった作品で、これは私もむかし読んでいたけど、日野は六〇年代読売新聞の外報部の記者としてベトナム戦争を取材し、その後文芸評論家として著書を出したあと、七〇年代頃小説家として活動を始めていて、この頃の作品はまったく読んだことがなかった。その初期小説の主な題材になっているのが、著者自身の引揚げ体験や記者として訪れた韓国で出会った女性との国際結婚のことだった。
日野は1929年、広島の出身で、五歳のとき朝鮮に渡っている。慶尚南道の密陽という町で小学校に通い、その後京城・現ソウルに引っ越して中学校に通い、敗戦後広島に引揚げている。以前読んでた時は全然意識してなかったこの経歴は、日本文学の朝鮮表象を扱った評論で並べて論じられることの多い後藤明生ら植民地育ちの引揚げ文学を考えるなかで気になっていた。
『還れぬ旅』
- 作者: 日野啓三
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1971
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「彼には逃げるべき見渡す限りの土地、かくまってくれる多くの人間がある。(中略)何よりも彼が現地人、つまりこの土地の人間だからだ。」「還れぬ旅」77P
「どんな精巧な警報装置、連絡装置をとりつけたとしても、駆けつけてきてくれる者はいないのだ。」「めぐらざる夏」139P
こうした箇所に植民者の不安が描かれていて、特に「めぐらざる夏」は敗戦直後の一見平穏にみえる植民地での植民者が描かれている。
この頃、安部公房の『内なる辺境』も読んでいた。この異端をテーマにしたエッセイ集の表題作は、国家が作り上げる正統と異端をユダヤ人問題とからめて論じたもので、国家がそのイメージの中心に農民を置き、ユダヤ人を都市的なものによって象徴させ、それを異端と見なすことで正統概念を立ち上げると分析されている。流動的、無名的なものとしての都市。満洲で育った安部公房、五歳で朝鮮に渡った日野啓三、そして朝鮮で生まれ育った後藤明生がいずれも後年都市小説を書いたり、都市論に傾倒する共通性はここにあるのかも知れない。
- 作者: 安部公房
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2019/04/23
- メディア: 文庫
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『此岸の家』
- 作者: 日野啓三
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1974
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平林たい子賞の「此岸の家」で、「海峡のどちらの岸にも、「帰る」ところは、もうなかった……」(22P)という主人公は、地上七階の部屋で「地平とじかに向き合って宙に浮いたようなこの家に、私自身も初めて落着きを感じ始めていた」(25P)という。確か日本と韓国という固有名が出てこないのは前著と同じで、そのなかで、アメリカとベトナムの固有名が印象的に現われてくる。妻は執拗にアメリカに行きたかったということを言っていて、しかし夫は特派員としてアメリカが参戦するベトナムに行っている。
「浮かぶ部屋」は、夫の妹の結婚式に出るかどうかが軸になっていて、これは単身日本に渡った妻にとって非常に問題になる。夫の家族は外国人女性ということで妻を冷遇してきた過去があり、妻に私と夫家族とどちらをとるのか、と迫られているからだ。そんななかで、夫がこれまで過ごしてきた家、部屋の遍歴をたどり、妻の為に用意したアパートの部屋が、彼女にとっては朝鮮戦争の難民が過ごしたバラック小屋を指す「箱房(ハコバン)」と呼ばれてしまう粗末なものにしか見えなかったことや、夫の母親が、家族に連れ回されて敗戦後に落ち着いた広島もまた、「朝鮮以上の異郷」だったというさまざまな浮遊の経験が回想される。
「此岸の家」には「この家中を要塞化してでも、この家を守らねばならぬ」(47P)と「めぐらざる夏」を思わせる箇所もあり、アパートの二階、マンションの七階という住居への執拗な関心は、引揚者と韓国人妻の夫妻という根ざす土地のない同士の二人の浮遊ゆえのこだわりだろう。
また、「浮かぶ部屋」には以下のような、語り手のやや独善的な故郷への郷愁にからんだ妻への見方が見返される契機も記されている。
帰国してからこの一年近い間、彼女のことを考えることはそのまま、少年時代の十年間を育った朝鮮の土地――染めあげたような青い空、悠々と流れる水量豊かな河、ポプラ並木の街道をゆっくりと歩む牛車の鈴の音、墨絵のような岩山に囲まれて落着いたソウルの市を思い出すことだったし、彼女を呼び寄せる努力は、引揚げてから身を切るような思いで切り捨てた自分自身の過去を、再び取り戻すことのように思ってきた。だが、いま眼の前にいるのは、私自身の過去や追憶とは、実は何の関係もないひとりの女だということが、改めて身にこたえた……133-134P
『あの夕陽』
- 作者: 日野啓三
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1975
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朝鮮引揚者の夫の実家家族が描かれる『此岸の家』の「遺しえぬ言」の系列の作品として、『あの夕陽』には「野の果て」や「遠い陸橋」という短篇があり、実母が俳句を作ったり新聞に載ったり同好の士との関係などを通じて神経症を脱している様子が描かれている。自分のみならず、両親もまた引揚者としての苦難を経てきたことへの関心としてこれらも重要だろう。
以前に読んだ時は、バラードの影響著しい作品がバラードより後退しているような印象だったり、ちょっとニューエイジ的で安易な超越性の導入に今ひとつな印象があったけど、初期作品を読んでみると作風の変遷にいくらか興味が湧いてきもする。昔書いた記事では、思っていたよりずっと強く批判的だ。
『断崖の年』など、後年手術体験を小説の題材にしていたのは覚えてるけど、それがガン手術で90年だったというのは、後藤明生の食道癌手術と時期も近いのに奇妙な符合を感じた。まあ、日野が三歳年上のほぼ同年代だからライフイベントも重なるわけだけれど。引揚げ、高層マンション、実家が西日本、新聞・週刊誌記者経験など、共通点も多いけどそれゆえに小説のスタイルの差異も際立つ。
『風の地平』
- 作者: 日野啓三
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1976
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「ヤモリの部屋」は、ベトナムで外報部の記者として滞在する部屋に妻京子を呼ぶ話で、部屋に数多いるヤモリとの関係によって、ベトナムという異郷にいる二人の状況を描いている。ヤモリをいくら退治しても埒があかずに、このヤモリの天下を受け入れるしかないという状況下はもちろん、ベトナム戦争の状況を寓しているわけで、小説の構造が明確なところがなかなか良かった。
本作ではヤモリはベトナム人だけではなく、語り手の記憶を通して朝鮮人にも重ねられている。ヤモリがなぜか静かな夜、語り手は敗戦直後の朝鮮、八月十五日の午後を思い起こす。すぐにでも朝鮮人がいっせいに飛び出して、日本人町を襲ってくるのではないかという信念を抱いていたこと。
小学校のときは京城よりずっと南の田舎町に住んでいたのだが、登校の途中で毎朝、塀もない朝鮮人の農家の前を通りながら、彼らがいつも麦だけの飯を食べているのを、見てきた。京城に来てからも、とくに朝鮮人の多い街をどうしても歩かねばならぬとき、どこからともなく無数の眼が自分を見つめているという感じを全身に痛いほど覚えた。(31P)
日本と朝鮮、そしてアメリカとベトナム、ここに植民地をめぐる構図が重ねられている。以前の作でもアメリカとベトナムの固有名が出てきていたのは、作者のベトナム報道の体験の向こうに朝鮮と日本の植民地の構図が映っていたからだろうか。
この異郷での経験を踏まえつつ、日本でも朝鮮でもない場所で、妻が「わたしたちのいるところがわたしたちの部屋じゃない」(22P)と言うのがよくて、これまでの作品の総決算のような感触のある印象的なところだった。
「空中庭園」もまた檻から逃げ出したリスの出産と、韓国から一人渡ってきて夫も多忙で夫の家族も冷淡ななか一人で息子を産んだ京子を重ねる動物寓意譚になっていて、タイトルの含意は表題「風の地平」のように高層マンションといういまの居場所がカギになってもいる。
また、明治神宮に初詣するまでを描いた「霧の参道」では、「韓国に常駐する最初の日本人特派員」として訪れたとき、植民地時代に住んでいた場所に立ち寄って、昔あった護国神社が消えてなくなっていた体験が語られる。
敗戦のとき真先に焼かれたのが神社だったのだ、とやがて気がついた。異民族の神社を押しつけることは、その土地の人たちに対する最大の侮辱だったのだ。敗戦の天皇放送の直後に、市の中心街を見下す山腹にあった朝鮮神宮の焼かれる黒煙がたちのぼるのを確かに見た。この護国神社がいつ焼かれたのか記憶は全くなかったが、それまでに一度だけ自分からすすんで頭を下げた神社がバラック部落に変っているのを眼の前にしながら、五郎は過去の最も深い層がみるみる拭き消されてゆくような気持を覚えた。バラックの並びの前に蹲っている大人や、まわりを走りまわっている子供たちが驚いて振り向く視線を背中に痛いように感じながら、一気に石段を駈け下りた……(100-101P)
この被植民者からの見返される視線、は既にいくつか引用したようにたびたび日野作品に現われている。植民地時代住んでいた家に行ったら現地の人から不審な目で見られるなど、植民地支配国家の一因として朝鮮にいた記憶は、郷愁を誘うそばから現実の見返す視線にぶつかる。
「此岸の家」と対比されるような「彼岸の墓」は、妻京子の母、つまり義母の墓参りのために家族で韓国へ行った話で、「天堂への馬車代」で韓国人たる京子の死生観が描かれたこととも関連して、火葬をいやがる京子のその存在の根っこを、韓国式の墓に跪く儀礼で触れた大地によって示すような一篇だ。義母を日本に呼ぶとチョゴリなどの服装で周囲に韓国人だとあからさまにわかってしまうことから主人公はためらっていたまま、義母は亡くなった。
五郎もこれまで日本で何度か墓参りをしたことがある。だが立ったまま手だけ合わせるのと、これは全く違う気分だ。膝と掌の下に、じかに地面があった。靴の裏だけ接しているときには感じられない大地の厚みとひろがりとが、心にじかに伝わってくる。大地の肌と心の肌が直接に触れ合う感じだった。
記憶のままの義母が、そこに横たわっているような気がする。京子が火葬を二度死ぬようなものだと言ったとき「死ぬことに変りないさ」と五郎は言い返したのだったが、実際に土葬の墓の前に跪いてみると、大地を通して生と死が結びつくような思いがけない感情を、五郎は覚えるのだった。
(中略)
「東京に呼ばなくてすいませんでした」
素直にそう謝ることができた。そして日本人としての自分がこの地面に謝らねばならないのは、そのことだけではないのだ、という思いが、胸のなかをひろがった。
(136-137P)
これらの連作のうちで、本書は特に死生観や葬祭という宗教観念が通底している印象があるけれども、この下りについては渡邊一民が、故郷喪失者が故郷を回復した話と論じている。
もとより回復した故郷はむかしのままの故郷ではない。にもかかわらずそのような故郷回復が可能となったのは、「喪われた道」のころには想像もしなかった〈他者〉との共存に、この故郷喪失者が長い時間をかけて成功したからだった。こうして彼を追放した故郷との和解がいま果される。故郷朝鮮からの追放にはじまってそれとの和解にいたるまで、いいかえれば〈他者〉の存在を認めようとしなかった旧植民地という特殊な故郷を〈他者〉としての認識によってふたたび手にするまで、じつに三十年にわたるその長い苦しい道程を描きだすことこそ、日野啓三が作家としての第一歩を踏みだすために、どうしても避けることのできぬ仕事だったと言わなければならない。(『〈他者〉としての朝鮮』、255P)
初期小説についてはなるほどこの渡邊による総括に尽きるような気もするけれど、しかし果たしてこれは「和解」といいうるのか疑問がぬぐえない。妻やその家族らの死や生の感覚とじかに触れあう出会いの一瞬が描かれているけれども、同時に五郎は義母に謝罪し、そこから日本人としての責任を痛感する距離もまた存在する。そしてこれは主人公五郎のモノローグでしかない場面だ。故郷の「回復」と言いうるのかもまた疑問で、そのいずれもが、回復するようでいてしきれない、そういう決定的には叶い得ない断絶の場面ですらあるのではないか。とはいえ、韓国人の妻と結婚してその義母の墓に参ることで、韓国人の存在が妻を通じて感覚のレベルで立ち上がっているわけで、和解への契機とはいえる。
- 作者: 渡邊一民
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/06/25
- メディア: 単行本
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と、ざっと初期の四冊を読んだわけだけれど、外地人の内地への幻想や敗戦直後の朝鮮での日本人を描いた小説からはじまり、朝鮮も日本の異郷にほかならない引揚者たる男が家族を作り上げる苦難の過程を経て、男が呼び寄せた異国の妻の孤立感にも視点を寄せ、異郷にある者の感覚を自分のみならず家族や妻までさまざまに視点を膨らませて展開していったように感じる。そのなかで浮き上がるのが、異者の住処としての「部屋」で、根無し草の落ち着く場所はつねに土着のものではない浮遊した「わたしたちの部屋」にほかならない。この「浮かぶ部屋」がこのあとの都市論への関心に転化していくようにも見えるけれども、これはまだほかの日野作品を読んでみないことにはわからない。
日野啓三は講談社文芸文庫でもいくらか復刊がされているけれど、島、砂丘、天窓などの都市幻想小説やベトナムもののノンフィクションと短篇集などで、これら初期の作品は芥川賞の「あの夕陽」が表題作にとられた短篇選集に収録されてるくらいでいまはほとんど漏れている。かといって私も初期の文芸評論書やベトナム関連の著作を読んでない。なので日野がどのような書き方をしているかは知らないけれども、ベトナム戦争もまた植民地との関連で捉えられているならば、初期の日野啓三はこの二つの植民地問題のあいだで書いていたことになる。日本文学の引揚げ作家としての日野啓三はもう少し検討されてよいと思うけれど、パッと見た感じそういう表題の日野論はないかなーと。
ciniiで検索すると結構論文が書かれているのがわかるけど、ここで扱った初期作品を論じているものとしては以下がある。
CiNii 論文 - 日野啓三「此岸の家」から「彼岸の墓」への展開--存在基盤喪失者の捉える世界