『パラドックス・メン』「幼な子の聖戦」「犬のかたちをしているもの」「会いに行って――静流藤娘紀行」「かか」「改良」「正四面体の華」『黄泉幻記』『夢の始末書』

パラドックス・メン (竹書房文庫)

パラドックス・メン (竹書房文庫)

チャールズ・L・ハーネス『パラドックス・メン』。記憶をなくした主人公アラールが、奴隷制が復活したアメリカ帝国で盗賊という秘密結社に身を投じ、東西冷戦を意識させるアメリカ帝国と東方連邦があるなか、アラールの自分とは何かという探究が、さまざまな謎めいた人物たちによって織りなされる過去と未来の物語。およそ70年前に書かれワイドスクリーンバロックの名を与えられ、幻の傑作と呼ばれたSF長篇の本邦初訳。

突拍子もなく荒唐無稽さを想起させる惹句に対し、今読むと、面白いけど端正な感触すらある速度感のSF活劇で思ったより普通な印象もあった。思ったより普通かというといや結構おかしかったしやっぱムチャだな。傑作!とまでは言わないけど、充分面白い。XがAか非Aでしかないアリストテレス的世界をひっくり返すとか、屈性計画理論とか、あれが!というところは驚かされた。銃弾をはじく盗賊アーマーの存在がレイピアでの決闘を可能にし(ガンダムぽい)、ジョジョっぽさを指摘する人がいるのもわかる、理屈をまくし立てながらのバトルや、人間が目を光らせて映像を投影するなど、奇抜でいってみればコミカルな発想が多々見られるのがおかしくていい。一番驚いたのは3○○ページの○○章と章題のページ数合わせかも知れない。この本作でも大きな意味のある数字を揃えたこれは偶然なのかどうか。冷戦と人間の愚かさと未来と、という直截なメッセージ性がある。

荒唐無稽だったり強烈なエネルギーとかだったりは、ベイリーやベスターとかのほうがというところはあるにしろ、系譜をたどる意味でもこの重要作品がしかも文庫で出たのは快挙だろうし、竹書房中村融ありがとうというほかないな。詳細な出版史をたどる解説も貴重。作品内容に踏みこんだ解説も読みたいところ。序盤から気になってたところがラスト解かれるところもおお、と思ったんだけど言及するだけでネタバレか。とにかくも、このカバーコラージュも格好良い一冊だ。

すばる 2019年 11 月号 [雑誌]

すばる 2019年 11 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/10/04
  • メディア: 雑誌
木村友祐「幼な子の聖戦」(「すばる」11月号)。青森県の過疎化する村での降って湧いた選挙戦を通じて、東京から引き上げて暮らす蜂谷が幼馴染みの擁立に協力すると誓った直後、保守派陣営から脅迫されて年嵩の候補側に立ち、幼馴染みの選挙妨害に勤しむことになる。醜悪な現実の縮図とともに、蜂谷の心中にわだかまる虚無が行動へどうつながるかを描くテロリストものでもあって、その点で大江とあわせて読むべきかも知れないけれども、課題を与えられることで生に意味を充填される現代的な「ネット右翼」の話にも感じられる。肝は自分でどんな理屈で行動を正当化しようとも、それが愚かしい現状維持の「システム」に貢献しているだけではないか、食い物にされているだけではないか、という反省的視点がなければ、というところ。現実を批判する「信仰」のモーメントがここにかかわる。オリンピックに食い物にされた復興、家父長制を前提にした保守的な選挙と、老人という「資源」、さまざまなものを「食い物」「資源」と見なす策動のなかから打ち立てられる東北弁の語りという蜂の一刺し。

すばる 2019年 11 月号 [雑誌]

すばる 2019年 11 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/10/04
  • メディア: 雑誌
すばる文学賞受賞作、高瀬隼子「犬のかたちをしているもの」(「すばる」11月号)、卵巣腫瘍摘出手術を受けた女性の語りで、同棲相手の男性が別の女性を妊娠させてしまったものの、その相手女性から子供を受け取って欲しいといわれた、奇妙な三角関係から語り手の思索が始まる。手術の後でも薬を飲み続けていて、男性を愛していても性的接触がすぐに嫌になってしまうという語り手の感覚から発する叙述はかなり読ませるけれど、家族を持ち子供が生まれれば世界はシンプルで優しくなる、という現状への批判的観察を述べていながら最後は子供を作ろうとするラストの評価が難しい。性と愛が区別できるか、とか、語り手にとってもっとも大きな愛はきょうだいのように育った犬だったことともかかわって、産んだのでない子供をうけとる話から始まる、この社会への違和感を言語化してゆくのは面白いんだけれど、そこで選考委員がいうように「やっぱりそうなるよね」という展開がやはり物足りない。角田光代の言うように、もらって欲しかった、とは私も思った。相手女性が子供が生まれて子供嫌いだったのが手放せなくなった、というように子供を産まなければ愛情を持てないのではないかと語り手が考えているんだろうか。『レズビアン短編小説集』の解説で、セアラ・オーン・ジュエットは「犬のように相手を愛す」という表現が肯定的に使われていると指摘されていることを思い出した。犬を愛することが愛の基底になっていること。

群像 2019年 12 月号 [雑誌]

群像 2019年 12 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 雑誌
笙野頼子「会いに行って――静流藤娘紀行」第五回最終回(「群像」12月号)。台風15号から始まっていて、前回に続いて今回は19号の暴風による体感を「実況」しつつ、台風、日本の政権、そして藤枝静男の戦争体験を災難・危機として重ね合わせつつ、藤枝静男の文学、自我をたどる。 「師匠、私達日本人にはもう国がありません」「雨も風も使わずとも国民は殺せます」、という直近の自然災害と政治的過程による危機の感覚のなかで、「イペリット眼」や「犬の血」といった「医者的自我」によって「戦争の恐怖をとことん抉りだした」藤枝を読んでいく。医学的な発見の喜びと患者の苦しみという悲しさの同居という医者の矛盾や、患者から解放されることが仕事を失うことと繋がることや、他国人を犠牲にし、少年を犠牲にして自己をも犠牲にする人間を医者独自の視点からこそ「戦争の異常空間が現れ渡るのだ」と。医者自身の矛盾を剔抉するにとどまらない藤枝の自己への厳しさについて、あるいはこうも書かれる。「彼は優しすぎる。つまり優しさ故についた傷は深く、その深さが彼の激烈さを生む」(283P)と。女性についての態度の箇所だけれども、戦争への毅然とした態度もまた生き延びた感覚によるだろうか。

「師匠は国民が戦争につっこんでいった状況を、騙されるのとは別に、まず本人達が望んで、というか異様な真理に乗せられ理性なく加担したのだと考えている。天皇についても、天皇を支持して、天皇制と天皇をわける事が出来なくなるのが、一般大衆の性だと理解している」276P

藤枝静男の自我と小説的に作られた私とのあいだを読み込みながら、笙野は最後に自分の小説が読まずに送り返されそうになったときでも、あの藤枝静男が褒めた人なら、ということで編集者に読んでもらえたことを記している。「彼に褒められた事は本が出なくても十年残っていた」。本作はこの十年を大事にしつつ、デビューから四十年が経とうという現在、読むことと読まれることの渾身の応答として書かれている。また藤枝は生き延びた戦後を書き、笙野は来つつある危機を実況しつつあり、時間的に対照的な動きがある。危機のまさにただなかで書かれた今作は危機の後にも読まれるはずだ。

群像 2019年 12 月号 [雑誌]

群像 2019年 12 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 雑誌
高原英理「正四面体の華」(群像12月号)、人から聞いた三つの自己消滅的発言を三角に置いた場合そこから伸びる想像上の頂点を含む正四面体のイメージ、に駆られたライターが、自分の心が不要だと語った幻の作家を探し求めるなかで幾重もの虚構に突き当たる、メタ虚構幻想小説、と言えるか。小説と虚構、評論と虚構について。超常的な何かが起こるわけではないけど、幾何学的イメージや結晶の比喩、書くことへの問いが虚構性を滲ませるなどやはり幻想小説的に感じる。倉数茂『名もなき王国』とも通底する、なぜ書くのかという問いをメタフィクション的な趣向で展開する短篇で、そう長くないのに密度が濃い。というか入り組んだ関係をまだちゃんと整理できてないからか。擬音や副詞に独特の表現がちょくちょくあるのが印象的。しかしこの伝聞に伝聞を重ねた書き出しが胡散臭すぎて面白い。

 よく晴れた夏の日、遠く海を望む古い洋館のヴェランダ で、柔らかい南風に吹かれながら、
「おじさんは綺麗なものを全部見てしまった。だから死ぬんだよ」
 と語った人は著名な作家で、そのしばらく後に自殺した。
 こんな話をある雑誌の記事で読んだと告げる人がいた。
 誰が書いた記事だったか聞いていない。

文藝 2019年冬季号

文藝 2019年冬季号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2019/10/07
  • メディア: 雑誌
文藝賞受賞作を読む。宇佐美りん「かか」。独特の家庭内方言ともいうべき娘の語りで母親との愛憎関係を描きつつ、父親のセクハラやDVに怒り、家庭事情やSNSでの女性同士のやりとりで嘘をついて流れを変えようとする承認欲求の様相なども描きつつ、母親を妊娠したかった、という独特の表現に至る。祖母に愛されず夫とも離婚し、自傷行為のように暴力を振るう母は毒親のようだけれども最愛の母でもあるその人の子宮摘出手術を前に、熊野に詣でる娘の道行き。語り手は父について語りつつ、以下のように叫ぶ。

「……うーちゃんはにくいのです。ととみたいな男も、そいを受け入れてしまう女も、あかぼうもにくいんです。そいして自分がにくいんでした。自分が女であり、孕まされて産むことを決めつけられるこの得体の知れん性別であることが、いっとう、がまんならんかった。男のことで一喜一憂したり泣き叫んだりするような女にはなりたくない、誰かのお嫁にも、かかにもなりたない。女に生まれついたこのくやしさが、かなしみが、おまいにはわからんのよ」28P

女性へ向けられる視線への怒りと母殺しのモチーフが絡み合った語りで、ドメスティックなテーマが母を妊娠する、という幻視的テーマに帰着する。作者は笙野頼子『母の発達』を読んでいるのか気になる。興味深いのは仏像に対して性欲を抱き、自分に男性器が生えてきてほしい、そうしてあの仏の腹に子種を植え付けたい、と語るところ。もう一作の「改良」が女装を扱っていることとあわせて面白い。

文藝 2019年冬季号

文藝 2019年冬季号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2019/10/07
  • メディア: 雑誌
文藝賞受賞作その二、遠野遥「改良」。「かか」と対照的に自己に対し距離感ある語り口で、女装を磨きつつある男性が被る性暴力を描いている。端的に言えば暴力をめぐる話といえ、レッテル張りという決めつけと性暴力の二つの暴力が交錯する瞬間の話のように思う。文体について磯﨑憲一郎が現実を揺るがし続けている、というのはこの決めつけの暴力をずらすことと関わりがある。幼少期に男は何故水着で上半身を出すのか、と疑問を口にしていたら、トランスジェンダーだと勝手に思われ、理解があるんだと言われ、結局性器をいじらされる、という経験と、女装した姿を見てほしいと思って馴染みのデリヘル嬢を呼んだら、言葉責めのつもりで男は化粧なんかしちゃいけないよね、変態さんだね、男性器なんていらないよね、と言われ激昂するくだりはまさにこうした「圧力や凡庸さ」という決めつけの暴力の瞬間だろう。男女の差異の常識に疑問を呈したり、女装はしても女性になりたいわけではないということが理解されない。そこで重要なのが、コールセンターの同僚の女性が、小学校の頃「ブス」と言われたことで、以後の人生でドラムを始めたり明るく喋ったり声だけでできるバイトをしたり、ということが「ブス」でもできることを探してのものだったんじゃないか、という「怖い話」を語る場面だ。見た目によってすべてを決めつけられてしまう暴力が人生を決定してしまうおそろしさ。この女性の経験を聞いて、男は性欲が消える。他の箇所では決めつけが性暴力への動因となるけれど、ここでは理解あるいは共感が性欲を消している、という仕組みになっているように読める。しかしこの主人公、その女性に好意を持っているけれどもそれを一切語ってない、という理解でいいのかな。部屋に泊まり込んだとき、なんとかセックスに持ち込もうと苦戦するくだり、おいこいついきなり襲おうとしてるのかと思ったけど、そう理解したほうが良い気がした。不器用さの演出か。出版社の作品紹介について、作者はジェンダーセクシュアリティや孤独の話ではない、というけれど、女性性をまとった瞬間に振るわれる暴力、が描かれていて、性と暴力に密接な関係はある。美しくあるための戦いが、ボロボロになった主人公がその姿でその同僚の女性に会いに行くところで終わるのはなかなか印象的。

黄泉幻記

黄泉幻記

  • 作者:林 美脉子
  • 出版社/メーカー: 書肆山田
  • 発売日: 2013/06
  • メディア: 単行本
林美脉子『黄泉幻記』。本作では病床の母とその死が中心に置かれており、落差のある母親の口語表現がユーモアを醸しつつ、林美脉子流の宇宙的・硬質な表現によって病室、空知野、銀河、黄泉を接続する「幻記」の方法が展開される。「凍沱の河口」もだけれど、「夕焼ける三〇一号室」はこんな風で、母の言葉にちょっと笑ってしまう。

 全知の星くずを夕映えの空にびっしり詰めて 夢の深さを測量する母が 残余の非の穴を覗いてつぶやいている
 隣の人は狐つきで
 夕方になると窓を開けて
 黒い鳥と話をするんだ
 いつまでも窓を開けているから


 寒いんだよね~

「凍沱の河口」の三途の川を渡ってきたとおぼしき者に向かって、「帰れ」と終わるのが彼我の距離をいやおうなく意識させ、それは「飛ぶ氷礫の国道十二号線」で繰り返される「うつし世とかくり世の」の狭間を通って、「非の渚」の「死がゆるしなら/非在が愛」へと至る、ような。いろいろな引用やギリシア語も引かれてるけど、韓国語や韓国の死にまつわる言葉がときに挾まれることがあり、北海道と宇宙のあいだにまた横の広がりも書き留められている。

夢の始末書 (ちくま文庫)

夢の始末書 (ちくま文庫)

村松友視『夢の始末書』。中央公論社の文芸誌「海」の編集者だった著者が、入社から小説家になって退社するまでの十八年にわたる編集者生活のなかで出会った小説家たちとの時間を描く回想小説。六〇年代末から八〇年代にかけての時代の一断面もうかがえ、さらっと読める。幸田文武田泰淳武田百合子野坂昭如唐十郎舟橋聖一永井龍男尾崎一雄後藤明生草森紳一水上勉色川武大田中小実昌川上宗薫、小檜山博、赤瀬川源平椎名誠吉行淳之介、が主人公が実際に付き合った人たちで、これだけの人たちの裏話なわけでそりゃあ面白い。これから書くから朝四時にインターフォンを押してくれ、と言われてその時間に訪れたらインターフォンが壁から剥ぎ取られていた野坂昭如や、盲目のはずが見えているとしか思えない情景を語る舟橋聖一とかインパクトのあるエピソードも多い。著者は、草森紳一に勧められてライターを始めている。そして小説を書きはじめたのを知って雑誌「文体」に載せてみないかと声をかけたのが後藤明生だった。持ち込んだ作品を添削して小説家と編集者があべこべになったり、会話文に後藤明生ぽい「え?」を繰り返したり、ちょっと文体模写してる気がする。このとき使ったペンネーム吉野英生は、吉行淳之介野坂昭如唐十郎(大靏義英)、後藤明生の四人から持ってきた名前で、この四人に書くのを止めろと言われたら止めようと思っての命名だという。また、他ジャンルで活動していた作家に小説を書かせる試みをしばしば行なっていて、唐十郎赤瀬川源平椎名誠などがそうらしい。いろんな書き手を小説家デビューさせた挙句、自分がデビューするわけだ。中盤あたりから「作家とのライブという非日常」というこの生活を括る言葉が出て来て、それはいいんだけど終盤飽きるほど繰り返すあたりとか〆の感じとか、洒落た感じを出そうとした雰囲気がなんか八〇年代という時代を感じさせる。