原爆、引揚げ小説四冊

ちょうど手元にいくつかあるし、と八月の二週目ごろに原爆、引揚げについての小説を読んでいた。

青来有一『爆心』

爆心 (文春文庫)

爆心 (文春文庫)

長崎に住む人々を描く六篇の連作集。必ずしも原爆の被爆者ではない語り手を置くことで、土地に根付く歴史と記憶の断面がかいま見える、長崎に生きるということについて書かれている。浦上天主堂が表紙にあるように、原爆とカトリックキリシタンが基調の連作だけれど、他にも共通するのは家族の崩れが描かれていることで、原爆という切断、空白、途絶の影響はカトリックの信仰にも家族にも亀裂を入れる。

妻を疑い狂っていく「釘」、母の死期が近い「知恵遅れ」の四〇代男性の家族のない嘆きの「石」、被爆者と知覧の特攻隊の生き残りの不倫の「虫」、原爆で多くの家族を失った資産家に嫁いだ女性が少年を誘惑する「蜜」、四歳の子を失った男と妹を同日に失った老人とが海が迫る幻想について語る「貝」、そして瓦礫のなかから乳児だけが見つかって戸籍の親の欄が空白の男性が自らのことを手記に書く「鳥」。「釘」からすでに家族の崩壊とともにそこまで住んでいた土地を失うという、それまでの歴史の途絶が語られており、原爆という巨大な破壊が爆心地を空白にした傷痕がさまざまに刻まれている。「虫」では、マリア像のまえで不倫を働きながら、家族が全滅して自分が生き残ったのは神の思し召しだという語り手に対し、宣教にも勤しむ男性が、神にとっては人間も虫も同じだと言い放つ。

「おれらは虫といっしょさ。食べて、交わり、子を残していく……。誰が生き残り、誰が死ぬかは、ただの偶然でしかなか……それだけのことさ……」
「わたしは、家族が全部、死んでしもうて、わたしだけが生き残ったのは、なんか神さまの考えがありなさっとやろうと思います」
「神さまは、われらひとりひとりの顔を見てはおらんよ。人は多すぎる。この地上にはどこにも溢れておるやろうが、虫といっしょさ。虫の一匹、一匹の生き死にには、神さまは眼もくれんやろう。名前もなく、どれも同じ顔をしておるけんね。だから、虫も、つまらん信仰などもちはせん。虫には神さまはおらん。人間が虫よりもどれほど偉かと言うのか」118P

浦上天主堂を破壊した原爆の理不尽とカトリックの信仰の問題。一家の最後の人間になったかと思ったけど、あなたが最初の人間になればいい、という被爆後の慰めについて話す家で、記念式典の日に蛇のように子供を誘惑する女性が描かれる「蜜」の皮肉もあれば、家が途絶える話のあとに、親のない子が養母に拾われる「鳥」が継承を描いているようでもある。すべてが破壊された空白の爆心をめぐって、何十年も後の現代においてもいまだ影響を残す長崎という土地。被爆の経験をさまざまに織り込んで非常に読み応えのある小説で、文芸文庫あたりに入れておくと良いんじゃないだろうか。谷崎賞伊藤整賞受賞作。

しかし、作者によれば「蜜」がもっとも読者の好悪が分かれるらしいんだけれど、私には「石」がちょっとな、と思う一作だった。「石」の語り手は「知恵遅れ」ゆえに女性に惹かれるとすぐ追いかけたりつきまとったりして警察に厄介になるなど、ストレートに性欲で動く人間で、読んでて非常に抵抗がある。痴漢あるいはセクハラ男性の明け透けな意識の描写のようでもあるからだ。ただ、この「せっくすばさせてください」という神への祈りは孤独ゆえに家族を持ちたいという切実さに繋がるところには打たれるものがあるんだけれど、「家族」の名の下にやや読者の反応が甘いのかも知れないと思った。「蜜」がもっとも反応が分かれるのは、若い女性が原爆への等閑視とともに不倫を働き家族を壊すような振る舞いに自ら及んでいるからではないか。だとするとこの家族への保守的な態度がより「蜜」を嫌悪させるような感覚の由来ではないか、と。まあ想像にすぎない。「石」はじっさい、なかなか挑戦的な作品ではある。「石」の男性が日付を克明に記憶しているところなんかはやはり日付が重要な意味合いがあることの示唆だろう。
「原爆文学研究」18号に本作の小特集がある。

原爆文学研究〈18〉

原爆文学研究〈18〉

  • 発売日: 2020/01/01
  • メディア: ムック

林京子祭りの場・ギヤマン ビードロ

長崎で被曝した作家の初期作品集二冊の合本。75年に発表され群像新人賞芥川賞を受賞した「祭りの場」は三〇年前の被爆の壮絶な様子を淡々とした調子で描き出す。原爆文学で芥川賞を受賞したのはこれが初めてだという。『ギヤマン ビードロ』は12篇の連作で、なかでも三〇年後の同級生らとのかかわりから記憶の断片が繋がる瞬間が印象的。

原爆爆心地の半径500メートル以内の死亡率は98.4パーセントだという。著者は1.3キロ離れた三菱兵器工場で被爆した。「祭りの場」は工場で偶然にも生き延びてから家族のいる諫早に戻るまでの過程を、自身の体験のみならず散文的なドキュメントのように、他人の話や救護報告書などの報告を織り込みつつ書いたもの。とりわけ印象的なのは、爆心地松山町に住む老婆が山から家に帰ろうとした時、山から松山町を眺めたら、そこがクワでならしたようになにもなくなっていた場面。

 私たちは松山町の裏山、段々畑に出た。街はなくなっていた。褐色になったガレキの街をかすりのおばさんは黙って眺めていた。後から歩いて来た黒いモンペのおばさんは「うちのなかあ――」絞る声で腰を折って絶叫し、ばあちゃんの死んだ、ばあちゃんの死んだ、と泣き出した。
 松山町はくわでならされたように平坦な曠野になっていた。40P

探すまでもなく死んでしまったと思っていたら、壕のなかで生き延びた夫がいたという挿話に繋がるけれど、その夫もじきに放射線で亡くなることになる。熱線、爆風、放射線の三つが襲いかかるわけだ。語り手の伯父が長崎医科大学で講義を受けていたはずの息子を探しに行ったら教室には骨と灰の山しかなく、贈った万年筆のペン先で息子を判別した話も壮絶で、戦後天皇諫早に来た時、見に行こうとした妹を止め、雨戸を全て閉めたという悲しい抵抗の挿話もある。戦争では万単位で人が死んでるわけだけれど、この一瞬で全てが消えてしまう凄まじさはそれらとは一線を画したような異様な事態で、個人の目からの描写なのに、歴史、人類史的な何かが起っているというざわついた感触がする。淡々とした書き方のうえ、時折挟まる文章には戦争は人間ドラマの優れた演出家だ、というようなほとんど陳腐なレトリックがあって、その陳腐さをあえて放り込んだような突き放した感覚がある。

『ギヤマン ビードロ』は、被爆から三〇年後、高等女学校の同級生たちと再会した時の様子を中心に、上海育ちの引揚者でもあり学徒動員での被爆者でもある語り手がその歳月を想起しつつ見えていたものと見えていなかったものとに直面する連作集で、少し後藤明生『夢かたり』を思い出させる。14歳までをほぼ上海で暮らした語り手は1945年の三月に日本に赴き、八月に被爆する。連作は概ね被爆後のことを書いているけれども、時折上海でのことも語られ、上海と被爆の二色がベースになっている。複数の登場人物を配し、被爆してない同級生を置くことで、『祭りの場』より語りに膨らみが増している。

解説にもあるように、連作でとりわけ印象的なのは「空罐」と「友よ」だろう。「空罐」は解体直前の高校に再訪し、当時の記憶を友人たちと語り合うなかで、体内の硝子の破片を取り出す手術で来れなくなった友人が、被爆後空罐を毎日学校に持ってきていた少女だったことが判明する。父母の骨を入れた罐を持ち歩いていた少女の記憶は、語り手の心に錐を刺しこんだように痛みとなって残っており、被爆で体内に埋め込まれた硝子とどこか重なり、それは「ギヤマン ビードロ」で長崎のガラス細工にはヒビの入ってないものはない、という話とつながる、長崎とそこに住む人の傷の象徴でもある。

語りの視野の相対化ということでは、友人西田が被爆してないこととともに、被爆者同士でも一家全滅して生き残った者と、家族は諫早におり自分だけが被爆した語り手という差異もある。「友よ」もそうした体験の違いが現われた一作で、結末の場面はとりわけ印象的だ。さまざまな被爆体験と、さまざまなその後。

なお、「祭りの場」にはウルトラセブンスペル星人事件についての言及がある。1970年10月10日の朝日新聞に原爆の被害者を怪獣に見立てるなんてかわいそうだ、と女子中学生が指摘し話題になった、とあり、原爆文献を読む会の会員の抗議の声などを紹介し、こうある。

事件が印象強く残ったのは確かである。「忘却」という時の残酷さを味わったが、原爆には感傷はいらない。
 これはこれでいい。漫画であれピエロであれ誰かが何かを感じてくれる。三〇年経ったいま原爆をありのまま伝えるのはむずかしくなっている。
――中略
 漫画だろうと何であろうと被爆者の痛みを伝えるものなら、それでいい。A課の塀からのぞいた原っぱの惨状は、漫画怪獣の群だった。被爆者は肉のつららを全身にたれさげて、原っぱに立っていた。34P

この突き放した感覚は語りのトーンと同じものだ。

後藤明生を引き合いに出したけど、林は後藤より二歳年上で外地育ちという点も似ている。原爆文学が芥川賞になったのが林が最初だというのは、敗戦時に十代前半だった人たちがその体験を言葉にするまでに三十年近くかかった、ということで、引揚げ小説が70年代に多く出たという話と似ている。

しかしこの八月のさなかに原爆文学を読んでると、日光、原爆、コロナの三つの光環が重なってなんとも言えない重みがある。自分はあまり原爆文学を読んでいない。有名処もほとんど読んでない。『黒い雨』も原民喜も。気分が暗くなるのがわかっているのであえて敬遠していて、「祭りの場」を読んでまあ当然なかなか重い気分になった。

吉田知子満州は知らない』

満州は知らない

満州は知らない

中国残留孤児の問題を絡めた、日本に来た中国人を扱う三つの中短篇を収めた引揚げ小説集。表題作は孤児となりある日本人に連れられ日本にやってきて叔母夫婦のもとで育った女性が、両親の記憶もないまま自身の根拠を探しあぐねる根無し草としての生を描く。

自身の由来というミステリ的な謎の探索があるけれども、主軸はむしろそうしたルーツのわからなさからくる日常生活の微細な嫌な感じにあるようで、満洲帰りに感づいてる隣人の鬱陶しさや、満洲帰りの親睦会などに出席してやや後悔したりする。周辺状況から推測できる答えも、さらに自らをアウトサイダーとして見出すことになり、中国と日本とのあいだでどちらからも距離ができてしまう。本書の三作はいずれもそうした寄る辺なさを描いており、外地で日本人として育った引揚者とはまた別の、自分は日本人なのかという疑いが兆している。

冒頭の「帰国」も、残留孤児の姪を迎えたものの、彼女は日本語がわからず意思の疎通にも不自由し、ある日ヘリコプターの音に恐れをなして逃げ出してそのまま不可解に死んでしまう。日本語の分からない日本人が日本に「帰国」しても、生きる場所がそこにはない。

「家族団欒」は事故で孤児となった日本人が中国人の男と結婚し、その後日本に家族とともに移住して数年後、という時期を描いている。異国で言葉の通じぬ夫とある程度日本になれた妻とを相互に語り手に据え、家族も中国名と日本名とで別様に呼ばれ、その距離を描いている。

中国から日本にやってきた中国人、日本人双方のありようをさまざまに描いた連作のようになっており、青来有一『爆心』の「鳥」のように自身の根拠が空白になる戦災孤児の問題として通じるものがある。満洲を軸に、戦争の影響が数十年後の日本人、中国人とのあいだにわだかまる様子が描かれるとともに、「帰国」などで、一度幼い頃に会った程度の関係にもかかわらず、孤児と親族との再会があたかも感動のドラマかのようにメディアによって演出される様子を皮肉に捉えている。感動の再会というメディアの演出で見えなくなっているものは何か。

表題作には引揚者がさまざまに描かれ、主人公が家族のなかで実子と差別化されてる様子や、引揚者コミュニティで関東軍軍人の妻がそこから排斥されるコミュニティ内部の分断が描かれてもいる。引揚げてきた貧乏人たちの暮らすスラムのようになっているエリアが言及されたり、無一文で帰還した引揚者たちはしばしば厄介者と扱われた。

しかし静香は大畑正子のことを叔母に訊ねはしなかった。叔母が自分からその話をする時に聞いているだけだった。その話になれば必ず戦後の疎開生活の惨めさが語られる。どん底状態の時に運びこまれたもう一つの厄介なお荷物。お行儀の悪い子だった、という。なかなかなつかない上、土足で部屋へあがってきたり、卓袱台に腰かけたり、そのへんに唾を吐いたり。たしかに静香は迷惑な闖入者だったに違いない。小学校に上るようになった頃は他の子と同じようになり、成績も悪くはなかったから、その後については大した話題にはならない。繰り返し語られるのが、来てから数ヵ月の間のできごとなのだった。48P

貧しい人々として「開拓」という言葉を避ける、という差別があったことも触れられており、引揚げが当時どう見られていたかがうかがえる記述もある。残留孤児というとおり多くが子供でもちろん被害者だけれど、植民地拡大と同国人をも平気で見捨てる日本の政策による加害がまずあることを忘れてはならないだろう。特攻隊のそれのように、被害や犠牲にフォーカスすることで、加害者の存在を不可視化する罠がある。

青来有一林京子は去年対談した長崎出身の陣野俊史さんの『戦争へ、文学へ』で論じられていて本を買っていた。吉田知子のものは、対談のなかで話題に出て、あまり引揚げ者だったという印象がなかったのでその後手に入れたものだった。陣野さんは『爆心』の解説を書いている。
図書新聞に陣野俊史さんとの対談が掲載 - Close To The Wall

安部公房『けものたちは故郷をめざす』

けものたちは故郷をめざす (岩波文庫)

けものたちは故郷をめざす (岩波文庫)

(おそらくは)昭和二十三年冬、敗戦による満洲国崩壊後のソ連国府軍八路軍入り交じる中国で巴哈林という街から未だ見ぬ日本を目指して19歳の少年が旅立つものの列車は転覆し、そこで出会った怪しい男とともに厳寒の荒野を果てしなくさまよい歩く引揚げ小説。安部公房の三冊目の長篇で、1957年刊行。

男は最初汪と名乗っていたもののその後高石塔という中国人だと名乗り、母親が日本人で、日本語朝鮮語北京語福建語と蒙古語とロシア語も喋れるという。敵か味方か怪しいけれども、彼を頼らざるを得ないまま荒野に迷い出る道中はあまりにも厳しく、寒さと飢餓と疲労に苦しみ二人は寝てばかりいてさまざまなものが朧気になってしまう。荒野の道中は、孤児となり自身を証明するものが何もなくなった少年の存在の様態そのものでもあり、日本ではなくなった満洲だった土地の混乱そのものでもある。瀋陽にたどりついてもその日本人街には立ち入ることができず、ここは岩波文庫版解説にもある通り「赤い繭」の感触がある。証明書とともに久木久三という名前もまた奪われ、アイデンティティを剥ぎ取られたけものには帰る場所がない。満洲生まれの少年は日本にいながら日本に帰ることができないラストシーンは印象的で、外地出身者の「帰国」をめぐる不条理がある。引揚げを描いた短篇、五木寛之「私刑の夏」を思い出す。

安部といっても前衛的な作風ではなく、サスペンスある逃避行を描いたリアリズム風小説だけれど、登場人物が大半において疲労困憊してたり死にかけたりしてしばしば昏睡し、意識が朧気で夢幻的な雰囲気がある。またところどころの表現もやはり安部公房だ。

アレクサンドロフの部屋を逃げだそうとして、ドアを開けたあの瞬間のことを思いだす。そのドアの表には希望と書いてあり、しかし裏には絶望と書いてあったのかもしれない。ドアとはいずれそんなものなのかもしれないのだ。前から見ていればつねに希望であり、振向けばそれが絶望にかわる。そうなら振向かずに前だけを見ていよう。101P

とか、救援を期して立てた旗のひるがえるさまを、「まるでそこから見えない手がのびて、遠い世界を呼んでいるようだ」(117P)と表現したりするあたり。そしてこの終盤の一節。

……ちくしょう、まるで同じところを、ぐるぐるまわっているみたいだな……いくら行っても、一歩も荒野から抜けだせない……もしかすると、日本なんて、どこにもないのかもしれないな……おれが歩くと、荒野も一緒に歩きだす。日本はどんどん逃げていってしまうのだ……一瞬、火花のような夢をみた。ずっと幼いころの、巴哈林の夢だった。高い塀の向うで、母親が洗濯をしている。彼はそのそばにしゃがんで、タライのあぶくを、次々と指でつぶして遊んでいるのだった。つぶしても、つぶしても、無数の空と太陽が、金色に輝きながらくるくるまわっている。そしてその光景を、塀ごしに、もう一人の疲れはてた彼が、おずおずとのぞきこんでいるのだ。どうしてもその塀をこえることができないまま......こうしておれは一生、塀の外ばかりをうろついていなければならないのだろうか?……塀の外では人間は孤独で、猿のように歯をむきだしていなければ生きられない……禿げのいうとおり、けもののようにしか、生きることができないのだ…… 296P

アイデンティティと抜け出せない迷宮感覚は『壁』その他まさに安部公房の基底という感じもあり、バラードのSF作品に対する『太陽の帝国』を思わせるところがある。