笙野頼子『水晶内制度』

水晶内制度

水晶内制度

  • 作者:笙野頼子
  • 発売日: 2020/08/12
  • メディア: 単行本
新潮社版以来一七年ぶりにエトセトラブックスから再刊された著者の代表作といっていい長篇。30ページほどの著者自身による解説が当時の状況や作品の成立事情などを明らかにしており、論争的な性質上時に把握が困難な作品の文脈の参考になる。なお、新潮社版は四千五百部を十年かけて品切れとなったらしい。

本作は千葉、茨城にまたがる地域に打ち立てられたという国内独立国家「ウラミズモ」に移民した女性の語りを通じて、女こそが人間だという、日本の差別的社会構造を男女逆転した国家と、記紀神話の改作を通じた建国神話の創造を語る。

久しぶりに改めて読んでもここには何か独特の重さがある。女人国ウラミズモは理想社会などではなく、「言論統制国家」でもあって男に人権はなく、女性こそが人間だという体制を構築しているけれど、日本社会の差別性の裏返しとしてのウラミズモを語り手は肯定しきれないことが文章に滲むゆえか。語り手が「うわーっ。」と繰り返し叫ぶのは、男女平等の社会というユートピアはどこにもなく、日本という女性差別社会も、ウラミズモという男性差別社会も肯定しきれず、しかしそれでも女ゆえにウラミズモを選んでしまうときに忘れがたい犠牲への意識ゆえでもあるだろう。かといってウラミズモというオメラスから歩み去ることもできない。原発を抱え、男性保護牧場を抱え、女性資源を輸出することで成立する女性のための「きったない」独立国。

また男女逆転とともに重要なのは非性愛的要素だろう。同性婚制度があっても同性愛者は移民から弾かれる(とあったはず)。リリアン・フェダマン『レスビアンの歴史』(私は未読)が発想のきっかけになったと自作解説にあり、新聞で書評したこともあってか著者がレズビアンと思われることがあったようだけれど、レズビアンがこんな話を書くだろうか、と言うくらいには本作は同性愛に親和的ではない。性愛的側面は男性保護牧場という「逆遊郭」や人形愛という形をとっており、女性同士で結婚する場合も「偽のレズビアンマザー」といわれ、「女性同士の友愛の頂点」として子供を一緒に育てる形になっている。ウラミズモの女性は、男性に対する恣意的な幻想は人形に投影し、性欲は逆遊郭で満たすことになる、と著者はいう。ウラミズモの特質はこうした、女性の国でかつ非性愛的社会という二要素によって組み立てられている。「少女人形さえ許されないほど、女性への性的評価や対象化は制限される」と著者がいうとおり、女性への性的な見方それ自体が拒否されている。現代日本の女性の苦難はここに発するという発想。

私にもし恋愛というものが起こるとしたならば、それはただある一点に集中した狂気に過ぎず、その一点の外は全て悲しみと怒りの対象でしかない、つまり恋とは私の全身が憎悪で出来ているという事の証拠に過ぎないのだ。248P

という語り手のセクシュアリティがやはり鍵かも知れない。ウカというパートナーとの関係や語り手の顛末はそうした要素の反映で、通常の意味での恋愛は描かれない。人形愛を題材にする『硝子生命論』や、相手のいない恋愛を描こうとしたという「タイムスリップ・コンビナート」など、人間でないものへの愛というのは著者の年来のものだ。

語り手はウラミズモの建国神話を作り上げる任務を与えられ、オオクニヌシスクナヒコナ、ミズハノメといった記紀神話の読み換えを通じてそれを行なっていく。基本的に語りはモノローグだし神話の書き換えという作業をしているのに、終盤で独特の情感が立ち上がってくるのに圧倒される。

常世よ。海上に燃える火が不可能を可能に、夢を現に。 266P

神話のイメージと水晶のモチーフで、性愛的でない愛やおぞましい核心を秘めた国家を描き出す。のちのおんたこ三部作や近年のウラミズモものなどと設定を共有する長篇群の重要なピースで、紙での再刊を機にここから入るのもいいかもしれない。著者の作品はときにきわめて論争的な背景を持っていたりして文脈がよくわからなくなることもあるかと思うけれど、近作ほど時事的でないし、男女逆転架空社会SFとして独立性が高く、上記の通りかなり親切な自作解説もついている。

なお「人形愛者たちの幻視建国」を描いた『硝子生命論』(『ガラス生体論』として言及される)の語り手「火枝無性」と本書の語り手が同名という連続性や、初期短篇「アケボノノ帯」っぽいイメージがあったり、本書の二尾銀鈴と猫沼きぬは『ウラミズモ奴隷選挙』で再登場(「双尾」銀鈴と表記がわずかに違う)して、保護牧場のエピソードを「選挙」と絡めて再話されていたりする。
笙野頼子の「ヒステリー」としての文体 - 「壁の中」から
このリンクは今見るといろいろ言いたくなるけど、十五年前に読んだ時の記事。

水晶内制度

水晶内制度

ウラミズモ奴隷選挙

ウラミズモ奴隷選挙

  • 作者:笙野頼子
  • 発売日: 2018/10/23
  • メディア: 単行本

参考として15年ほど前に出した同人誌「幻視社 第一号」に書いた笙野頼子レビューから『硝子生命論』部分を転載する。

硝子生命論

硝子生命論

●硝子生命論
 「男」という性への憎悪を体現した美少年の人形による異性愛という制度そのものへの抵抗から、「国家殺し」たる「人形愛者たちの幻視建国」を描く、幻想的色彩の強い連作長篇。個人的には初期長篇群では最も面白く興味深い作品であるとともに、後の「水晶内制度」との関係を考え合わせると、笙野の作品群の重要な水脈の一つであると考えられる。タイトルとともにミルキィ・イソベによる装幀も印象的。
 この作で「人形」とはほぼ美少年あるいは男に限定されていて、それは重要人物たる人形作家が女性であるからであり、彼女が人形を作るのは女性にだけであるからだ。そして、その人形は必ず死体でなければならない。ここに、この作の眼目がある。
 この作品に出てくる女性たちは、みな「男性」を拒絶している。意志的な拒絶と言うより、いいようもない不快感がある、とか近くにいるだけで恐怖感を感じるとか、ほとんど病的な潔癖さ(つまり一種の身体的な反応に近い)で拒絶している。それは、男、と女と切り分けられて女というカテゴリに自分がいるということが、きわまってしまったものなのだろうか。たとえば、語り手が人形作家と出会った時について。

 だがそれでも、お互い、何かを隠し合って生きているのだとその時にぼんやりと意識した。何か、というのは無論、恋愛の異端的な指向ではなく、憎悪だった。この世界のずっと変らないからくりへの、或いはいつでも外から来る何かによって叩き壊されてしまうしかない、果敢ない感覚や孤立した観念への、或いは、ただ文章に男と女は、と書かれていたというだけで自覚しなくてはならない漠然とした疲れ、体のだるさや、強いプレッシャーや……。34頁

 女が女であるだけで蒙らなければならないプレッシャーが確かにあるらしい。作中、「透明」と表現される制度の網の中に、男は無意識にもぐってしまえるのに、女はそうではないということを語る場面がある。女であるということで強いられてしまう現実の制度への強い憎悪と抵抗を、作中の女性たちは人形を通して表現する。

 ユウヒの作る、布で隠れた人形には本当は性別など必要がなかった。にも拘わらず彼女はそれが少年の人形であることに固執したではないか。私自身もまた同じだった。彼女の顧客たちも。それとも、それは単なる異性憎悪の変形に過ぎないのだろうか。いや、正確には異性に現実や制度を象徴させることで、それらへの憎しみを煮詰めて行くための、憎悪を核にした幻の愛だろうか。55頁

 現実なり男たちなりに抑圧された女性たちが死体人形に憎悪をこめて愛惜する。ここではそんな屈折した異性愛が描かれる。そして、現実の制度を嫌悪する者たちによって人形の国家が、奇怪な儀式によって打ち立てられようとする。
 観念的で幻想的、なおかつSFの影響も強い作品で、わりあい難解な小説である。また、初期から続く憎悪と殺意のテーマが異性との(非)関係を通して語られる非常に珍しい作品である。
 非常にまとめにくい作品だが、読み応えもありかつかなり強烈な作品だ。

ついでにこちらも河出書房あたりで文庫化されて欲しいところ。