石川博品『ボクは再生数、ボクは死』

ボクは再生数、ボクは死

ボクは再生数、ボクは死

石川博品二年ぶりの新作。商業では『海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと』、同人では『夜露死苦! 異世界音速騎士団"羅愚奈落"』以来となる。去年は商業も同人も新作がなく、今年は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』アンソロジーに短篇二作を発表しているけど、これは序盤しか原作を知らないので読んで良いものかどうか迷ったままになっている。

さて、本作は近未来VR世界で特注の女性アバターをまとい風俗通いに勤しむ主人公が、高級娼婦にハマって資金を捻出するためにならずものアカウント殺害動画配信をして稼ごうという話で、帯文通りエロスとバイオレンス濃いめでもあるんだけれど、VR設定によって切実さとともに軽薄なコミカルさも失わないバランスが素晴らしい。

2033年サブライムスフィアというVR空間が舞台で、場所によってはアカウント消去で復活できない殺しもアリだったりもする、性欲も暴力も自己顕示欲もあふれる欲望の世界。主人公狩野忍は、VR風俗通いで出た紙おむつとオナホを、実家暮らしのため会社のゴミ箱に捨てようとして同僚女性に見つかり、VRで零細動画配信者だった彼女とコンビを組むことになる。この序盤のあらすじ時点で治安が悪いし下ネタ全開で、とはいえ『菊と力』や『海辺の病院~』の暴力と死の殺伐系にも連なる陰の雰囲気がありつつ、軽妙な会話、動画配信でのコメントといったスラングまみれのやりとりという石川作品の陽性の魅力も充分にあって、設定によって両系統のハイブリッドを実現している。

2033年ということで、男性が女性アバターを使うことになんの不思議もないし、主人公は女性アバターで女性アバター相手に関係を作りまくるし、それがリアルで男性かは気にしないし、男女アバター使いわける人間もいる、そういう世界はすでに当たり前になっている。

そうした状況を前提に、忍の一人称で全体が語られながら、VRでの自身を「シノ」と呼ぶことで、階層的なVRに見合った語りを生んでいる。忍は地の文では「俺」といい、会話文では「ボク」と一人称を使い分けて、この会話文の一人称はタイトルに取られているとおり、そのまま女性アバターシノのそれでもあり、グラマラスな女性アバターが「ボク」と自称するあたりに、複雑な自己認識のありようが反映されている。さらにここで面白いのは、一章でセックスが始まった時に一人称映像を脇の小窓において、三人称視点に切り替える場面だ。エロにおける主体化と客体化の同時並行と、シノと忍の並行描写。VRアバターとリアルの二重関係が語りやエロスの面でよく出ている箇所だ。

過去にSTGゲームに人生を賭けた経験がある忍は、VR世界でも銃撃戦に長けており、終盤ではVR内ゲームとして陣取り合戦的な銃撃戦ゲームに雪崩れ込むんだけれど、この八章と九章のゲーム小説部分は一番楽しいところだろう。九章は本筋の勝負がかかってシリアスさが強くなってくるので、特に多数の仲間が揃って何でもありのゲームで皆が活躍する八章が気に入っている。

終盤の内容は伏せるけれど、マリカワが「嘘と本当を二段構えにすれば深さが生まれると思っている」と批判され、「深さは自分のやり方を貫いた結果として、他との比較において生まれるものなんだ」とシノが語るように、この嘘と本当の、VRを思わせる対立は、もちろん虚構としての小説をも射程に入れたものでもあるだろう。視角と感触を伝えるデバイスを装着した箇所だけが感覚を伝えるVR世界のはずが、ドット絵にリアリティを感じるように、ある場面では幻の五感が伝わってくる。

ボクの放った弾丸が敵の頭に当たり、水風船みたいに弾けて台車の横っ腹に赤い染みを残す。銃口から立ちのばる硝煙の香になぜか胸が高鳴る。宇宙船の中で循環する空気に食べ物や油や金属や乗組員の息や足の臭いが混じっている。床に埋まったレールの上は滑りやすいので移動のときは踏まないようにする。遮蔽物にした台車に寄りかかり、手を突くと、誰かの血でべっとり濡れている。ボクは魂が吸うことのない空気を吸い、味わうことのない感触を味わう。すべてはことばで、誰かによって作られた設定でしかないが、ボクには現実で、いまここにボクが立っているのと同じように実在する。393P

贋物のなかにある本物、贋物のなかにこそ生まれる本物、虚構の世界にある切実な欲求、ここで語られているのは「すべてはことば」でできた「小説」そのものでもあるはずだ。マリカワのやり方も間違っているわけではなく、贋物のなかにこそ本物を作り出そうとする切実な希望が語られる。「彼女の頬に涙が輝いて、シノはこの暗い中に月や星の光が届いていることを知った」なんていうVR空間の描写のように、美しくないもの、本当ではないもののなかの美しさを描こうとする石川作品のモチーフが、VRの欲望と暴力の世界に自分の尊厳を賭けたからこそ生まれる自由と解放感として書き込まれている。

ゲーム内のキル数としてカウントされる死の奔流のなかで、ヴァルハラというワードが出てくるのも葬送のモチーフだけど、ここでのVR空間はヴァーチャルな死とリアルの死の重ね合わされた場所でもあって、そしてこのVR空間はサブライム=崇高、と命名されている。


呼称の点では「キャッシュマネー」が最初から最後までキャッシュマネーとしか呼ばれないのが地味に面白い。10章でもキャッシュマネー呼ばわりされてて扱いがなかなかにひどい。随所にある動画のチャット再現もヤジや応援、ツッコミとして機能してて面白いし、これは判型が大きいからこそできることだろう。判型ともちょっとかかわるけど、章扉でその章で扱うものの解説が載ってるのが、最終章で何もなくなるのがVR以外だということと葬送の黒を感じてなかなか印象的だった。

スラングの使い方や題材のほか、主人公の勤務先や災害その他、結構時事性を感じる小説でもある。VRという今の題材や、石川作品の殺伐系とコミカルさの両側面があることととか、下ネタの多さに引く人でなければ、石川博品作品へのとっかかりとして良い作品なんじゃないかと思う。

前作の記事。
closetothewall.hatenablog.com