最近読んでた本 2021.10.

米澤穂信『いまさら翼といわれれても』

古典部シリーズ第六弾、文庫出てすぐ買ったのに二年寝かせてしまった。折木の過去やモットーの原点、伊原の漫研での諍いの結末、千反田の心境を簡潔に示した一言にたどりつく表題作などなど、部員の過去と未来の結節点となっている短篇集。

弁護士という将来を意識しはじめた福部の「箱の中の欠落」、折木を軽蔑した中学の事件の真相にたどり着く伊原を描いた「鏡には映らない」、「無神経」な振る舞いを避けようと真実を探る折木を描いた「連峰は晴れているか」の序盤三作は部員それぞれを探偵役にして個々人の行動原理を描いてる。折木のモットーの原点となる、他人に便利に使われる小さな悪意に気づいたエピソードを語る「長い休日」は同時にその明ける時が来ることを示して終わっていて、将来の話では前述のもののほか、伊原の未来への決断を描く「わたしたちの伝説の一冊」がその役目を果たしている。

そして将来が既に決まっていたはずの千反田の「自由」を描く表題作。子供ながらに家に縛られ責任ある人間として生きようとしてきたことも充分に重いけれども、そうした人生が急に前提からすべてが崩れ去ってしまうという二重の屈折が刻まれる苦さは相当のものがある。三人の生きる指針とその未来への道を描いた後に千反田のそれが無惨に消え失せる話を置くというなかなかの仕打ち。自由、歌、翼、というポジティブな象徴が反転してしまう蔵という「箱の中」。雨、箱、休日等々、収録作のタイトルが微妙に表題作の内容にも掛かっている感じもするけれどどうだろう。

で、面白いは面白いけれど、カードゲームアニメにデュエルがあるように必ず推理要素があるのがちょっと窮屈じゃないかなと感じてしまうのは私が専らキャラクター小説的に読んでるからだけではないような気もした。まあミステリだからミステリ要素があるのはそうなんだけど。同時に、最近小市民シリーズ読んだ時にはあまり思わなかった覚えがあるからこのシリーズの方針かも知れないけど、人間の身近な悪意が思ったよりも嫌な気分にさせられるところがある。殺人者出てくるよりもじわっと嫌な感触がある。

これは「鏡には映らない」が特にそうで、その嫌がらせ仕込むのそいつバカすぎないかと思ってしまう。悪意や悪人の底が浅いと主人公たちを引き立たせるための書き割りにすぎないように感じられてそこにこそ嫌な感じが出る。表題作は露骨な悪人がいないところが余計に苦みを増していて効果的ではあった。伊原の反省した?からの「隣に座って!」はちょっと萌えキャラが過ぎるぞ、とは思った。

平野嘉彦編、柴田翔訳『カフカ・セレクションⅡ 運動/拘束』

カフカの中短篇をテーマ別に三巻に分け、短いものから順に収めていくというちくま文庫独特の編集を行なったセレクションの二巻。当時買い損ねていまちょっとプレミアだけどブックオフで二巻だけ発見。本巻の訳者は作家でゲーテ研究の柴田翔

夢のようにもどかしいすれ違いを描いて非常にカフカ的な徒労感がある「珍しくもない出来事」や、ヨーゼフ・Kが自分の名前を彫られた墓石を見る夢「ある夢」とかシュヴァルツヴァルトで崖から落ちて以来「私は死んでいます」と1500年はしけ舟に乗り続けている「狩人グラフス」、『木のぼり男爵』みたいに空中ブランコの上に住む曲芸師の「最初の悩み」と断食芸の衰退を描く「ある断食芸人の話」などのサーカスもの、親への罪悪感?が断罪される奇怪な「判決」、処刑機械に士官自ら乗り込みすべてが崩壊する植民地の「非西欧圏的」な裁判制度の一コマ「流刑地にて」、そして最も長くてしかも未完の、もぐららしき生き物が自身の巣造りについて省察する「巣造り」。最後にマックス・ブロート兄弟との旅行を描いたエッセイを収める。「巣造り」はたぶん初めて読んだけど、安部公房を感じさせる閉鎖環境での完全な巣をめぐる思考の堂々めぐりが面白い。

「私はまたしても完全無欠な巣穴造りの夢に耽り始めるのだ」241P、と言うように決してなしえない「完全」を目指してあっちが気になりこっちが気になり、外に繋がる巣穴という原理的に排除できない「穴」をめぐって考察を続け、ついには自分より大きい何者かの生き物が近くに現われる予感で終わる。閉鎖環境が舞台の「巣造り」は「運動/拘束」というテーマの典型のようでもあって、そして「ある断食芸人の話」の「断食に完璧に満足する見物人となり得る可能性を持つのは、ただ彼自身だけだった」108P、という「巣造り」や「流刑地にて」の士官などの独身者の系譜にも繋がるものだろう。

一冊ものの作品集は数多いけど、カフカの短い作品を網羅した選集がいま入手できるものがなくなってるので、ちくま文庫カフカセレクションは復刊してほしいね。池内訳のUブックスのものでも短篇の巻は高値だった気がするし。

コナン・ドイルシャーロック・ホームズの帰還』

久しぶりにホームズ読んだ。ライヘンバッハの滝から復帰したホームズが描かれる第三短篇集。恐喝王ミルヴァートンの話そのほか、法より道義を優先してしばしば殺人犯を見逃すことがあるのがそういやそういう人間だったなと。短篇なので合間の時間にサクサク読めてしっかり楽しめるのとこれ翻案ものアニメとかで見たやつの元ネタかなってのも時々あったりして色々面白い。アガサって人物やチェスタートンという地名が出てきてお、と思った。光文社のホームズ新訳全集は未読があと四冊残ってる。

坂上弘『ある秋の出来事』

訃報を聞いて、そういえばまともに作品読んでないなと最初の作品集のこれを持っていたので手に取った。しかしこれほど合わない本は久しぶりで読むのがつらかった。難解とかいうわけでもないんだけどとにかく文章が入ってこないしところどころいつ誰が何をしているのか把握できなくてストレスばかりが溜まった。家族との軋轢や男女の関係といった青年の鬱屈を描いていて、特に家族関係は兄や母、父との問題が諸篇に共通していて連作のようにも読める作品群で、まあ女は妊娠し堕胎し死ぬという昭和のよくある純文学だったりするんだけどそれ以前に全然作品に入り込めない。表題作はそこそこ読めたけど、とにかく相性が悪いとしかいいようのない感覚で、何が悪いと言ったら自分の頭が悪いんだろうと思うけど、さすがに二十歳の頃の第一作品集だけでなんとも言えないので中後期のものもなんか読んでみないとなと思った。

ジョージ・ソーンダーズ『短くて恐ろしいフィルの時代』

一人しか入れない国や機械と生体の組み合わせでできた人間たちという童話的な世界観で、国境地帯の警備官が強権的行動とカリスマによって成り上がる独裁者の誕生を描いた、アメリカの作家による「ジェノサイドにまつわるおとぎ話」。

解説では911イラク戦争愛国者法、アブグレイブなどが触れられてるけれど、相手の土地をどんどん奪う周囲を包囲してる国というのはパレスチナ問題を連想した。外の国というのはイスラエルかなって。まあそういう何に当てはまるかというのはいいとして、短いしさらっと読めるけど評価は難しい。土地や自然を税と言い立て奪っていく暴力、権力に追従するメディアはともかく、日々の楽しみのためには世界のどこかで不幸があるのはよくないという微温的善意、最後に創造主がものごとを解決する宗教的救済はどうだろうというのもあるけどこの粒度で独裁者を語ることにどういう意味があるのか、と疑問に思ってしまった。

コミカルで童話的な感触は悪くないけど、何にでも当てはまりそうな抽象的独裁者と人種差別、のように普遍的すぎると具体性やリアリティを失ってしまうのではないか。詳細すぎると長いと文句を言い、短すぎると具体性がないという面倒な読者に自分がなってる気がするけど、今ひとつ手応えを感じない。というか作者の政治的スタンスを知らないけれど、フィルに虐げられた国を助けに行く「大ケラー国」には民主主義国家にして「世界の警察」というアメリカ的なものを感じてしまう。テロとの戦いと称して戦争をしかけるアメリカ的なものを肯定しているように見える。暴力はいけない、という正しさが防衛の名目での侵略の正当化に繋がるように、独裁者は悪、という理念が武力を含めた介入の正当化になってないかという懸念を感じる。アメリカにおいて今作がどう受け取られたものなのかは詳しく知らないけど、どう読んだらいいのかよくわからないな。

高原英理『観念結晶大系』

ビンゲンのヒルデガルトからノヴァーリスニーチェユングなど鉱物志向の系譜を独自の人物も交えて点描する第一部、ヴンダーヴェルトという鉱物でできた異世界を描く第二部、現実で人が結晶化するSF的な第三部を通して真理、永遠彼方への憧れを結晶化させた幻想小説

永遠、普遍の真理の象徴としての石、鉱物というモチーフを中心に、「心に結晶を育てる」人々を描いている。第一部は歴史上の人物や架空の人物を散りばめながら、さまざまな鉱物幻想のありようが各所に配置されていく布石のような感があり、これは第三部で形を明確にする。第二部では大きな結晶を中心に回っていて思念が石になったりする不可思議な世界のさまざまなエピソードや博物学的描写とともに、この世界の真理の探究と空の果てへの憧れを抱いて高位の飛宙士を目指す二人の物語となる。それと同時に、自由と相反する独裁者の暴虐も。第三部では第一部の鉱物幻想を共有する登場人物たちが次々と石となってゆく奇妙な病を発症していく様子を医師の視点から批判的に描きつつ、全体主義化する政治のありようが二部に続いて描かれていて、鉱物幻想、結晶化とそうした政治性が密接なものとして描かれている。

作中人物の言葉にこうある。

理想主義が内に向かったときには、例えば結晶観想のような超越への志向となったが、それが外へ向かったときファシズムをはじめとする全体主義と独裁をもたらした。この二つは実は盾の両面なのである。320P

幾何学的、結晶的な整然としたイメージが全体主義と親和的だというのは確かにそうで、鉱物志向の持つ永遠、無限への憧れの帰結がそうした危機と隣り合わせだということは本作の印象的な部分で、郷原佳以はドイツロマン派とナチスの問題に対する著者の応答だと指摘していてなるほどなと。作中の鉱物志向についてある重要な人物は、人付き合いや他人と共同作業をさせられるのが苦手だという性格で、そうした性格と石化する人たちの世界観に共有のものがあるとされている。第三部は石化症で時間感覚が他人とかけ離れていくポストアポカリプス的な世界になるのも孤絶の一つの形だろう。

石に惹かれ、石を夢見、石になりゆく人々の「鉱物志向性」を丹念に描き込んでいく小説で、第一部のオカルト的な歴史から鉱物志向を系譜づけたり、作中人物が「石の観想法」を広めていたり、本作自体が孤独を好みながらその志向において共鳴する、鉱物幻想に惹かれる人との共鳴に賭けられている。

『ゴシックハート』に「人間の外の世界に目を向けてしまう異端者」というゴシック性の指摘があったけれども、本書の鉱物幻想も芯にはそうした異界への憧れが感じられる。タイトル、装幀で気になった人以外にも、エヴァンゲリオン使徒ラミエルが一番好きだったという人に、オススメ、かな……?

西崎憲『未知の鳥類がやってくるまで』

空を渡る誰も見ることができない行列、つねに同級生が持ってきていた軽い箱、校正刷りを紛失した編集者の奇妙な週末、生まれる前の赤子の冒険、自称宇宙人の島田、とSFとも幻想小説ともつかない、現実を半歩ずらしたような光景を淡々と綴る少し奇妙な小説集。

SF系の媒体に載ったものも多いけど、SFマガジン掲載の「廃園の昼餐」は一応理に落ちる感じはありつつも他はだいたい明確なルールやロジックで落とさないように書かれていると思しく、言葉で現実をじりじりとずらしていくような、そういう不可思議な浮遊感を味わえる。「東京の鈴木」は鈴木を名乗るテロリズムらしきものの話なんだけど、ここに出てくる首相の描写には具体性がないのに、政商のほうは言動や童顔という形容が明らかに竹中平蔵をモデルにしているのが面白い。首相は変わっても政商は変わらないっていう叙述になっている。

現実というのは、夢の論理を使って人間が作ったものだ。29P
どこかに旅をすると空想するわけではない。自分が現在いる場所を旅行で訪れたように空想するのだ。見慣れた土地を初めて訪れたように想像するのである。177P

という箇所は本作の方法の一端を示しているようにも見える。二つ目の引用、ちょうど最近翻訳が出たメーストル『部屋をめぐる旅』についての言及のように見える。暗くなっていく街のなかを描写しながら、「灯火がつく瞬間はつねに脅威の瞬間だ」(144P)という一文がなかなか印象的だった。

みすずはずっと本が好きだった。本は扉であり道だった。けれどあらゆる場所あらゆる時間には入ったことのないドアが無数にあり、入ったことのない小道が無数にあったのではないか。220P

林美脉子『レゴリス/北緯四十三度』

著者最新の詩集で、北海道侵略者の屯田兵の末裔という植民地の問題を沖縄とも繋げつつ、被害者の血が染みこむ大地と男性原理の屹立する塔という上下の構図の頂上に勅諭する高御座の天皇を位置づけ、雪のごとく舞うレゴリスに闇を照らす光を託すような絵が浮かぶ。

今までは宇宙的なスケールという印象があったけれど、祖父の遺した「屯田兵手牒」を題材に自身の歴史や身体に歴史的な加害性とジェンダー構造の被害性の双方を読み込むと同時にコロナ禍の日常など身近な地点からアイヌへの加害そして天皇の責任にまで、地面から見上げていく視角を感じる。

加害の歴史を忘れ
逃げ切るおまえ
侵略者の末裔の
足底の痛みよ 29-30P

死者の特権はもう死なないことだが 見返してくる骨のまなざしは生きた姿で追い迫り 無数の鋭い眼光に睨み返される その怨の罪業に追われ 地誌の汚れたぬかるみを 這う 40P

こうした大地の底に這うような歴史の闇を看取しながらそびえ立つ塔に男性原理ひいては天皇の姿を読み込むなかに、次のような散る光がよぎっていく印象がある。

レゴリスが太陽の光を乱反射し
自らを明るくして闇を照らすが
零れ落ちてくる被害の歴史は暗く
あったことがなかったことにされた 17P

どう対応しているかは確認できてないけど小熊秀雄の「飛ぶ橇」へのアンサーだろうと思われる「飛ぶ屯田兵手牒」で、散らばって飛んでいく細切れの屯田兵手牒も、上と下のあいだで浮遊するイメージがあるように感じられる。

逆井卓馬『豚のレバーは加熱しろ(二回目)』

異世界での旅と帰還を経て、今度は転移者仲間とともに再び異世界へと転移してイェスマ制度からの解放を目指し戦乱の地に身を投じる連続シリーズに突入した模様の第二巻。一巻の最後は蛇足とも思ったけどこれはこれで悪くない。異世界転移だけれど豚なので戦うこともできず、状況から推理をめぐらせる安楽椅子探偵じみたところがあるのはそのままに、今巻ではイェスマという奴隷解放闘争において、その奴隷以下の家畜の豚というラインが示されているのが今後の展開の布石だろう。あんまりな呼称など罵られることへの嗜癖というのも地味にこの階級や上下関係に絡んでくる感じなのは笑って良いのか企まれたことなのか。一度別れたジェスと再会するのに、旅を忘れるという試練を与えられてそれを乗り越えることでジェスと豚のコンビが再び組まれたここからが本番かな。