最近読んでた百合小説 2021.12.

百合ラノベ、百合SF、百合ミステリその他、百合小説約30冊を読んだ - Close To The Wall
こちらの続き、というか続巻読んだ百合ラノベやその他のまとめ。ほぼ百合ラノベまとめだな。

陸道烈夏『こわれたせかいのむこうがわ2』

一巻は上掲記事参照。ラジオをたよりに独裁国家からの脱出行を描いたラノベの第二巻、今度は主人公たちの命を狙う奴隷監獄の長に対して、巨大な橋そのものを住居としている海上国を舞台に、サイボーグを結集して戦うために会社を立ち上げることになる。

ラジオ、図書館と情報・知識をつねに学びながらそれを活かして生き抜いていくという基本コンセプトはそのままに今回は目的のために事業を興して人脈と資金を作るという段階へと進む。人が何も知らぬままにされた閉ざされた国の外に出たら、より進んだ知識の活用方法が要ることになるわけだ。奴隷監獄は強制労働と上層下層に人々を分断する資本主義の極みの状態で、そこから脱出すると出会うのが「父子教」と「機力仏像を出せ! 強制涅槃の時間だ!」という古橋秀之を思い出すメカニカル仏教な敵組織の抗争で、そこに第三勢力として最高評議会(ソヴィエト)が出てくるところは笑った。資本主義と宗教を台無しにする共産主義。まあ起業話だしソヴィエトそんな活躍するわけじゃないけど。殺伐バトルアクションだけど各キャラ一定の倫理があってそこまで陰惨ではないバランスがぬるいかも知れないけど今作には良いと思う。もうちょっと起業パートが膨らみあると良いかな、とは。

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)2』

これも一巻は最初の記事参照。前巻での紗月と真唯の諍いを受け、あてつけのように紗月とれな子の期間限定の恋人関係が始まる、友達か恋人かの百合ラノベ続篇。紗月と真唯の幼なじみという友達関係を掘り下げつつ、友情をちょくちょく踏み越えながらの三人の関係を描いて一巻以上に楽しいかも。
アパート暮らしとお嬢様の対照的な紗月と真唯のライバル関係はベタとも王道ともいえるやつで、努力家の紗月と泰然自若とした真唯の考え方のすれ違いを描きながら、れな子が二人の仲を取り持とうとして真唯からは迫られるし紗月との関係も深くなってしまう両取りラブコメになっていく。二者関係が肝だった前巻から一人増えて三人での関係になりまた紫陽花さんが明らかに火種になりつつあるわけで、おいおいこれは一巻ごとに一人ずつ落としていくつもりかという、いよいよハーレム百合ラブコメになってきた。恋愛関係を拒否することで友情以上の関係が多発してしまうれな子の皮肉。

友情と恋人のグラデーションを行き来する百合ラブコメのポテンシャルを活かしつつ、軽妙で楽しいテンポを堅持する文章や展開のエンタメとしての手堅さ。重くなりすぎず軽くもなりすぎず、キャラ、絵も良いし、なんともバランスが良いと思う。指洗いプレイはほんと「性の匂い」がしましたね。

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)3』

ブコメ百合ラノベ第三巻は紫陽花さん巻で、みんなの幸せが自分の幸せだと思っている紫陽花さんがある日家出するという事件が起き、心配してついてきたれな子と時間を過ごす内に自分を押し隠してきた彼女が自分の欲しいもの、「自分の宝石」が何かを知るまでの話になっている。

紗月と真唯の関係にれな子が関わる二巻に対して、表紙のように今巻は概ね紫陽花との一対一で、家族のために生きてた彼女を家から解放し、弟たちの姉ではなく姉に甘える妹として甘やかしたり、昔来ていた街で幼い頃を思い出したりと紫陽花さんの心を解きほぐしていく。れな子と遊ぶ約束をしていた紫陽花さんプロローグの楽しげな様子と弟たちに邪魔されて憤激してしまう常ならぬ様子は、そもそも一巻の行きがけの告白の時点でおおよその感情には決着がついてしまっており、三巻ではそれを自ら意識し言語化するまでの過程に費やされている。紫陽花パートで時系列が前後しているのは感情の面ではもうずっとそうだったからで、一緒に風呂に入って友達ならしないようなことをやってるのも自覚のない誘いでもあったというか。れな子が紫陽花さんには「自分の宝石を手に入れてもらいたい」という場面があるけどそれはれな子自身だったオチ。れな子は元引きこもりの陰キャを克服しようと全力で友達のために突撃するせいで友達になりたい相手に本気の感情を持たれてしまうという皮肉な距離感のバグが発生してしまうわけで、天上の天使を人間に変えたからにはその責任を取らないといけないねという話でした。

お互いがお互いを自分を掬い上げてくれた天使と思っているというのが家出の発端になっていて、れな子がいなければ自分は旅にすら出ることができなかっただろうというのは良い場面だった。しかし、れな子をめぐる関係とともに王塚真唯が皆のライバルでもあるという関係ができつつある。一巻のあの場面について、紫陽花がヒビの入ったスマホのガラスが元には戻らないように世界の見え方が変わってしまったと言うのは印象的で、身近なものでもあり世界を覗く窓でもあるスマホのガラスに仮託された比喩に紫陽花さんの衝撃の大きさが表現されてるようで良い。ページ見開きの「もー!」の場面とかも含めて、絵も話も楽しい巻。こういう小説をずっと読んでいたい気分にさせられる。紗月と香穂の差し込みは次巻のフリだろうけど、香穂巻がどうなるのか予想つかないな。

二月公『声優ラジオのウラオモテ3』

一巻は上掲の記事で、二巻はこちらで書いた。事件の処理も一段落し、仕事が少ないながらもめくる、乙女たちとのラジオ合同イベントやらの準備をしているなか、由美子が千佳の心酔する監督作品に急遽抜擢され、重圧と戦いながらの苦境と成長を描く声優百合ラノベ第三弾。

由美子の声優としての最大のハードルという感じで、ベテランが集まるなか新人が重要な役どころを担うことになり要求された水準の演技をできずにリテイクの嵐と居残りという絶望感にもがき苦しみながらなんとかその壁を乗り越えるまでが描かれる声優としての物語に徹していてそこは良い。良いとは思うけど、どうも細かなところで違和感がある。ネタバレするけど、千佳をライバル視している由美子がそれ故一番近い同業者の千佳に助言を求められないというのが大きな葛藤になるんだけど、それでは仕事への真摯さより個人的な感情を優先しているようでどうかだろうか、と。同業者故に聞きづらいことというのはあるしそうした個人的事情で動いてしまうというのがプロとしての超えるべき甘さともいえるわけだけれど、二人の関係で話の盛り上がり所を作ろうという意図故のわざとらしいロジックという感じもしてしまう。これ二巻でも感じたか。

せっかく作中でもスタジオでもライバルがいるんだから、千佳という相手役を見てその応酬のなかでいつも以上の、というほうがライバルという感じになる気がするんだよな。複数の演者が同一空間で演技をぶつけあえるのがアニメのアフレコ、あるいはラジオの特徴なわけだし。でもここは由美子が自分の殻を破って千佳を圧倒する覚醒イベントか。あと、ラジオでのトークが大野のも二人のもいやに刺々しい話し方なのが気になる。二人の間の馴れたやりとりというより全方位にそうなのはちょっと難。ただ、これは話し言葉を文章で読むことで起きる問題かも知れない。ライバル関係も言葉遣いも実際にそういう人やエピソードがあるのかも知れないのでまあなんともいえないところでもあるけど、そこらへん私の感覚として気になった。二作続けて話を盛り上げるロジックの肝心なところで納得しきれなくて微妙に相性が悪い気がしている。

バチバチ喧嘩し合う二人の百合で声優仕事メインの盛り上がりがあって読み応えのある巻だと思うし、ラストですっぱり切り上げるキレも良いんだけれど。一斉アフレコ、イベント、打ち上げ食事会といった今作の重要イベントがどれもコロナ禍では難しいというのが読んでて複雑な気分になる。

ぴえろ『転生王女と天才令嬢の魔法革命2』

一巻感想はここで。すべての発端となった王子の婚約破棄騒動の渦中の人物令嬢レイニと王子アルガルドの真実に向き合うことになる王宮百合ファンタジーラノベ第二巻。主人公アニスと対置される人物を配置しながら、王国の断絶を浮かび上がらせていてぐっとシリアス。

作者が一巻が前篇なら二巻は後篇というように、アニスとユフィの出会いを中心にした一巻とアルガルドとの対決を中心にした二巻でこの魔法社会の空気が描かれていて、やや百合描写は後退ぎみとはいえ、もっとライトな作風かと思ってたので結構評価を改めることになった。アニスの共同研究者にして魔法を忌み嫌うティルティや魔法の使えないアニスと対になる人望の薄い弟の王子アルガルドといった構図が、アニスの行動が生み出してしまったひずみ、ひいては貴族のみに魔法を独占させる階級社会の王国のありようが一巻と二巻の光と影を生み出している構図を描く。

幼い頃に王位継承権を放棄したアニスに対してアルガルドの婚約者として王族となる教育を受けてきたユフィが、その足りないところを補うようにリードする場面もあり、百合的にはヴァンパイア百合がそこで出てくるかという驚きもあったり。ヴァンパイアとドラゴンの概念的頂上決戦もある。後書きでweb連載中に話のなかで誰彼が死ぬ可能性も充分にありながらも落としどころを探ったというような、死ぬかもという緊張感やそれでも生きる方策を探るような感覚は読んでても感じられて良かった。

ぴえろ『転生王女と天才令嬢の魔法革命3』

騒動の結果王子の廃嫡、アニスの継承権復活となった状況でアニスとユフィの関係が掘り下げられ、王国の起源をたどりその二人の関係がタイトル通りの魔法と革命の未来を象徴して第一部完という第三巻。序盤のクライマックスだけあってかなり良い。

前巻では影の薄かったユフィ視点から、アニスが王位の枷をはめられようとしている事態をなんとか打破しようと苦闘してアニス自身の意志をも打ち破って、完全に色んな意味でマウントをとり、王位の問題を解決しつつ二人の関係も進展して百合的にもクライマックスだった。二巻の表紙はまだアニスが前に立ってるけど目次のイラストではユフィがリードするようになってるのが二人の関係を端的に示しててなるほどね、と。魔法技術を貴族の独占から解放する魔法革命への道のりを、コンビからカップルになった少女二人なのも含めて旧制を打破していこうという爽快さがある。

バトルものファンタジーだからまあそうなるんだけど二巻も三巻も貴族だからかすぐ決闘で決着付けようとするなとちょっと面白かった。一般国民の存在感が今のところ希薄なのでそこら辺は第二部の話になるんだろうか。web版の三章から五章を改稿しているらしく、見た感じでも章の順序がかなり違う。レイニの身体検査とかコミカルなエピソードがあり、web版のほうが一巻で思ったライトさに近い。いくつかの章は四巻にスライドしてるみたいだからWeb版ちらっとみて三巻に入ってないところはそっちかな。そういや、パレッティアという国名は画材のパレットから来てるのかな。

鳩見すた『ひとつ海のパラスアテナ2』

一巻の感想は一番上の記事で。海面上昇で陸地が消えた世界を舞台にした海洋百合ラノベ、二巻はパラスアテナを海賊に奪われ年下の少女と島に放置されてサバイバルを生き抜く一ヶ月から始まる。姉の次はツンデレ妹な新キャラと仲を深めていくけど、ちょっとムチャな展開も気になるな。前半の二人のサバイバルは結構良いんだけど、そもそもウィッチの行動が島生活を導入するための不自然な動きに見えるし、簡単に身ぐるみ剥がされるとこや諸々のアクションなど、物語の都合を感じてしまう部分が多く、色々生煮えの感が否めない。とはいえ、他人を信じないオルカの話を通じて他人を信じるこの世界の生き方に落着するのは良い。アークの鍵などSF的な世界設定が色々出てきたりは次巻だろうけど、三巻で綺麗に終わるんだろうか。温め合うやつ、百合サバイバルではソウナンですか?の壮絶なネタを知った後なのがちょっと惜しいな。

鳩見すた『ひとつ海のパラスアテナ3』

海洋冒険百合ラノベ第三巻、惜しくもここで刊行途絶している。三巻で締められるようなまとめ方でもないのでほぼ打ち切り状態で終わったことになる。作品もやや惜しいところはあるけれど、ハーレム百合ラノベがここで終わっているのも惜しい。序盤の孤独なサバイバルはむしろ定型なのでそれはそれで良いし、二巻ほど展開に無理を感じなくなって旧時代の言語や異物が微妙にずれた形で存続している異化描写も色々面白いし、SF的には水没後人類生き残りの四形態として宇宙や地下が出てきて面白くなってきたけれど、という。特別な事情のある仲間も増えて、まあまあ「ここから本番」ってところで終わってるんだよなあ。変質した言語、元がすぐわかるのとあんまりわからないのがあるけど、ジョンライドウズポルカ、ジョン・ライアンズ・ポルカのもじりだけど、ジョンライドンのことなのかな。パンク?

中山可穂『白い薔薇の淵まで』

以前百合小説記事を書いた時に候補に入れつつ読んでなかった著者の2001年刊の山本周五郎賞受賞作。今月ちょうど河出文庫で復刊されたので好機だった。安定した社会性を振り切って骨がらみで愛し合ってしまった女と女の破滅的な恋愛小説で短いけど濃密な一冊。

あるOLが新人作家の女性に本屋で声をかけられて、という出会いを経てそれまで男性と付き合ってきた主人公が、初めて女性と体を重ねてその本当の喜びを知るという導入で、「性格の悪い野良猫」のような塁と幾度もぶつかり、別れ、また再会してそして別れて、という話。

主人公川島は古くから交流がある男性がおり、人格者で社会性のある彼か塁かというのが折に触れて選択肢として迫るという異性愛規範から逃れる難しさがあり、同性愛に限らず周縁的な恋愛が破滅的な性格をともなって社会性と拮抗する構図は同性愛を描いた話としてはやや古典的の印象がある。しかしそれ故の愛に反逆的な熱気があるのも確かで、小説家と会社員のような今でも百合ジャンルでまま見る組み合わせだったり色々面白く一気に読ませるものがある。20年前の小説でスハルト大統領が出てくるので90年代が舞台かと思われ、OLの余裕のある感じも20世紀的なゆとりが感じられる。

作者本人はレズビアン作家と呼ばれることを拒否していて、初期こそ女性同性愛が多かったけれども、その後作風をより広げているという。女性同性愛がどうというより、レズビアン作家というゲットーに入れられてしまうという忌避だろうか。帯にも女性同性愛的な文言はない。

シモーヌ・ド・ボーヴォワール『離れがたき二人』

1954年に書かれながら長年未発表だった中篇。主人公の全てだった才気ある少女が、家や信仰に縛られ自由を奪われ病んで行く悲劇を描いた百合・シスターフッド小説で、支配する親を捨てられない毒親の娘としても今なお生々しく読めるのではないか。100年以上前に生まれたボーヴォワールの実在の友人をモデルに描いた小説で、ブルジョア階級の女性として家に束縛され、キリスト教を捨てられず、母を愛するが故に裏切ることもできない状況など直ちに「毒親」に回収できるものでもないけれど、その境遇の惨さは国も時代も違ってもリアリティがある。

主人公シルヴィが九歳の頃出会ったアンドレは、教師に反抗したり独特の感性を持っていたりと才気ある少女で、シルヴィはすぐに彼女のことばかり考えるようになってしまう。自分が退屈なのはアンドレが不在だからだと気づくけれどアンドレはさほどでもなかったり、感情に落差があったりもする関係。アンドレをあるがままに愛したのは彼女の幼なじみだけではなく自分もだとシルヴィが告白し、お互いの相手への理解が表面的だったことを確認して第一章が終わる。ここら辺までは幸福な少女時代という雰囲気だけど、時折差し込まれていた階級や親の考え方の違いが第二章ではより全面的に出てくる。

アンドレの父ガラール氏と食卓をともにした時、女性参政権の話題になり、こう語られる。

ガラール氏は、労働者の中でも、女性は男性よりアカであるという理由で反駁しました。つまるところ、もし法律が通れば、教会の敵に益することになるというのです。アンドレは黙っていました。(中略)わたしはアンドレは自由で羨ましいと思っていましたが、不意に、彼女はわたしよりずっと自由でないように見えたのです。彼女の背景には過去がありました。彼女はこの大家族、大きな屋敷に囲まれています。それは牢獄で、出口はしっかりと見張られているのでした。49P。

シルヴィは影響を受けた作家も父も信仰を持っておらず、シルヴィ自身もある時信仰を捨てることができ、そして家が裕福ではないので働きに出る選択肢があることが、結婚というルートを回避できる要因になっていて、家に縛られたアンドレにはない逃走路を持っている。アンドレを束縛するのは主に母なのだけれど、勿論そこにはガラール氏を背後に持つ家父長制があり、夫人は夫の女性参政権批判を微笑んで聞いているほかない。夫人はガラール氏の求婚を二度断っている話がアンドレから語られており、その口ぶりには意に沿わぬ結婚の可能性が示唆されている。

それに続いてアンドレはこう言う。

「宗教の時間に、わたしたちは自分の体を大事にしなければなりませんって教わるでしょう。だとしたら、結婚によって体を売るのは、外で春を売るのと同じくらい良くないことに違いない」41P。

家父長制下の結婚制度は人身売買にほかならないということ。身体の面については以下の部分も興味深い。パーティに訪れた娘たちの野暮ったい服装は

これらキリスト教徒の若い娘たちを醜く見せていました。彼女たちは、あまりにもしばしば、自分の体を忘れるようにしつけられているからです。78P

と主人公が語り、体は誰にとって大事なのかが問われる。アンドレの母は娘の結婚についてこう言う場面もある。

「あなたのことはよくわかっていますよ。わたしの娘なのだし、わたしの肉体そのものなのだから。あなたを誘惑にさらしてもいいと思えるほどにはあなたは強くない。もしもその誘惑に負ければ、罪は母親であるわたしに降りかかるべきでしょう」138P

パーティで唯一魅力的だったアンドレも、身体も責任も母子一体のものとしてそして母親に回収されてしまう。自由が認められないアンドレは次第に病みはじめ、時に自分の足を斧で切りつけて外出を拒否するという自傷行為に走り、自殺願望を口にするようにもなる。シルヴィも事態を打開できる力はない。それでも自由を求めたある女性の姿を、彼女を助けられなかった親友の立場から描いた小説で、この時代の女性への抑圧が具体的に描写されており、短いのもあってチョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』を思い出すような、女性への抑圧の様相を剔抉した小説になっている。

ザザと呼ばれるアンドレのモデルは、ボーヴォワールの回想にも幾度となく現われる人物で、解説では回想録や他の小説から今作の位置を分析して、ボーヴォワール自身はフィクションではなくノンフィクションでザザについて書くことが重要だったため未発表だったのではないかと書いている。「養女によるあとがき」では、「ザザは、自分自身でい続けようとしたがために死んだのであり、周りの人間は、そうしようとすることは悪なのだと彼女に思い込ませたのです」169P、とあり、ボーヴォワールも「彼女の死を代償にして自らの自由を手に入れた気がしていた」と回想し、二十一歳で死んだザザことエリザベット・ラコワンの存在はボーヴォワールフェミニズムへの目覚めを促したわけで、死してなお彼女にとって「離れがたき二人」だったのではないか。本文150ページほどと短いのに三千円近くするのはなかなか厳しいけれど、いろいろ興味深い一冊。

アンドレの恋人でなかなか重要な人物のパスカルという哲学専攻の学生のモデルがメルロ=ポンティだというのが意外だった。

宮澤伊織『裏世界ピクニック7』

閏間冴月の葬送を計画する空魚たちをめぐる書き下ろし巻。シリーズの大ボスともいえる冴月ながら既にもう人ではない、裏世界のインターフェースの一つでしかなく、鳥子や小桜、そしてもう一人の月、潤巳るなが冴月に決別して、というほうに重点がある感じ。一つの区切りとも言えるけれどももう既に終わっているものを改めて終わらせるというものなので結構あっさり目だ。鳥子が本当に冴月の変質を納得し、恋慕を終わらせたという今巻までに描かれた過程そのものが冴月との本当の決別なわけで、あとはそれを「上書き」して処理する、というか。

鳥子はただ乗り換えただけという面もあるかも知れないけれども、主観視点の本作ではやはり空魚の「人の気持ちを考える」ことが苦手だ、ということにクローズアップされていくわけで、その枝葉として人間のフリをする怪異というのがある。発達障碍と言っていいのか、そういう人の気持ちが分からないということに向き合っていく空魚の課題は、怪異を通じて人間に探針を向けてくる裏世界も同じで、レム『ソラリス』の現代的解釈になってるというのは前も書いたかも知れない。恋愛も人の気持ちに向き合うことなわけで。

123P、「低温調理器みたいなテンション」って面白い比喩というかよく意味が分からなくて記憶に残ったんだけど、これ「低音調理器」ってあるのは誤植だよね。