2022年に見ていたアニメ

例年通り、そしてこのはしがきも去年のコピペに近いけど、今年見ていたアニメのなかで各クール10作程度をピックアップして、ツイッターにその都度書いていたことを元にしたりしなかったりしながらまとめた。ネタバレを気にせず最終話の内容を書いてるのもあるので各自ご留意されたし。いつものことだけど年始のものを年末にまとめたりしているので年始のものは記憶が曖昧だったりする。基本的にクール単位で上にあるものほど高評価だけどそんなに厳密ではないしショートアニメは下の方に置いてる。そして配信が年明けになってるものもあるのでいくつか追記する予定。

2022年アニメ10選

手始めにこれを。

CUE!
スローループ
怪人開発部の黒井津さん
ヒーラー・ガール
BIRDIE WING -Golf Girls' Story-
連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ
Extreme Hearts
Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-
ぼっち・ざ・ろっく
ヤマノススメ Next Summit

まちカドまぞく二期や神クズアイドル、阿波連さんも入れたかったところだけどこんな感じ。

冬クール(1-3月)

CUE!

2022年前半で一番楽しんでいたアニメはこれ。二クールもの。リベルエンタテインメントによる声優育成ゲームを原作とするアニメで、以前A3!というなかなか面白かった演劇アニメもここのゲームが原作だったことと、2019年のアニメでベスト2に挙げたリステージとほぼ共通の座組で制作されていることから事前に期待していた作品だった。今作では総計16人の少女たちが主要人物として登場し、さすがにキャラが多すぎて序盤は取っつきづらいかも知れないけれども、四人ずつ四組に分けられ、組ごとに取り組む課題のバラエティなどで特色をつけつつ次第にどのキャラも覚えられるようになっていくはずだ。元人気声優が立ち上げた新興事務所に入った彼女たちが、声優、アイドル、ラジオ、その他、現在の声優が担う仕事を象徴するような四つのチームで新人としてチャレンジしていく物語。プロジェクトは大きな失敗もなくそこそこの成功を収めていくしあまりシビアな現実を見せるという風ではなく、キャラデザの頭身に見合うコミカルな作風で、そこに頓知を効かせた一話完結の脚本の魅力がある。とりわけ、作中のアフレコ風景はリアルタイムのマイクワークをしっかり見せていてスリリングだし、声優チームの堅実な演技の技術についての話はかなりの見どころとなっているし、アイドルチームの舞台に登る不安を描く心情にフォーカスしたところ、ラジオチームのかなり突飛な調子や産廃組の最後の追い上げもそれぞれ良い。声優ものとしては新人が名もなき役を当てられ、その声の演技がキャラにリアリティを与え、そのことが原作漫画において固有名として返っていくという肉体に付随する声の存在論を描いた前半戦のストーリーは特に素晴らしいと思う。後半もキャラやチームの掘り下げをしていって、ここでもモブや影になってるものが見出されていく話になってたり、特に声優はどうしても一人一人の孤独な仕事だけど、でも、というところを描いているのも良かった。一話完結で話が進んでいくようになる四話と声優回が本格的に始まる五話から本領発揮していく印象なのでそこまでは見てほしいかな。四話は制服や年も違うバラバラのみんなが食事という生活の共有によって運命の共有の始まりとなる、寮生活の始まりの話にもなっているのは良かった。ここから最後まで見た上での話をするけど、このアニメ、声優とファンや受け手との関係を描くことをかなり意識的に避けている節がある。モブから見つけられて固有名を得た陽菜とモモミを描いた話はそのままファンが陽菜という新人声優を見つける話にできそうなのにそれはしなかった。アイドル組も多くがステージに立つまでの話で、出てくるのも親族などの身内だし、あの箱の小ささならファンの顔が見えるだろうしリリースイベントとかお渡し会とかありそうだけどそういうのはなかった。王道の送り手と受け手の往還という話をしないのは異色ですらある。声優の仕事は、むしろ直接対面しない人に言葉を声に乗せて届ける、という点でラジオやアフレコなど距離、壁を挾んだものだというのが前提にあるからだろう。声優の声は距離や時間や虚構や、そういう断絶を超えるものとしての言葉に乗せる声というテーマと、直接ファンと触れあわない方針は繋がっている気がする。一人一人孤独でも自分の力で立つしかないということ、そうした孤独の壁を越えて届くものもあるという仲間と一人のテーマは、言葉に乗せた声が時間、距離を超えて届くことがあるという声のテーマと交差することで本作の背骨になっていると考えられる。だから16話は直接声優の仕事を題材にした話ではないのに本作の二つのテーマ、孤独と声が交差する話になっていて、CUEのアニメにおけるテーマ性が一番出ている回だとも言える。ファンとの関係は描かないけど、無量坂先生やサンダーウーマン回とか、そうした送る側同士の関係を描くことが重点になってる。話数で言えば、四話でおお、と思って八話の志穂回も良いし10話舞花回を経て12話の陽菜とモモミのモブと固有名の話はやはり飛び抜けて良い。後半だと無茶なインパクトの点で14話は見逃せないし利恵鳴の18話や、個別回では16話のまほろ回はやはり強かった。そういえば、ラブライブに参加せず自分自身を表現してそれを受け取るファンがいる幸福さを描く虹ヶ咲と、自己表現のみならず役を演じることとその表現をジャッジする音監がいてプロの仕事としての技術を求められるCUEで、アマチュアリズムとプロフェッショナリズムの違いと整理できるかもしれない。本作の原作ゲームは一端終了したまま再開されずに終了となったけれど、一つのプロジェクトが終わり、それがまた新たな始まりとなるアニメ終盤の展開をやはり演者の人も思い出していたのだろうか。

二クールアニメで分量が多大になるので個別回の感想はここから分けて書いておく。
五話、陽菜の飼ってる亀の亀井さんの挿話で、みんな同じにしか見えなくても名前があること、表情があることを読みとる陽菜が、顔の見えない生徒Aの声に表情を与え、固有の名前を引き出すことができるという話でかなり良い。役名のない無名からのスタートラインを越えて、名前のある一人として歩き始めること。亀に名前を付けて話しかけてるっていうこの子大丈夫かな?っていうところからきっちり作中の展開と絡めていって、しかも亀の歩みというものに生徒Aからの出発という陽菜のスロースタートを重ねてる。
八話は鹿野志穂のいつも同じセリフしか言えない不満から、声質だけじゃなくて演技でも評価されたいと意気込んで芝居で仕掛けてみて、「初めてNGをもらった」ことで自分の演技プランと音監のディレクションとのすり合わせのなかに自分の技術不足と成長の余地を実感できる非常に良い回。定型キャラはそういう場面では演技を変えるのではなく間を使って表現を変えるんだ、という実践的な指導。これ、個性を捨てるのではなく、個性を生かして表現しろという話で、声質と演技の話の解決になってる。芝居も声も良いと言われて「ま、実力だな」のセリフ、これが欲しかったという感じで良い。「複雑な気持ちを表わそうとするとまだまだ実力が足りない」と気づかされ、失敗する勇気の先に得るものがある。先輩への指導がかなり細かかったり、微妙なニュアンスの変化の技術もあり、良い話だし新人声優の演技の具体的なところに触れてて面白い。
10話は、舞花がハマってキュッと狭くなった視野に、「ツバキもチームメイトを見てないんじゃないか?」のセリフでカメラをぐっと引いて視野を広く取るコンテが良い。演技についての堂々めぐりが、舞花の視野を広く取って陽菜のキャラやメンバーについての思いを踏まえることで、演技を変えることに繋がって、それが先輩の食事を断るセリフの「演技」の違いに帰結していく。12話、志穂の技術論、舞花の精神論ときて、陽菜では声優の存在論を描いて第一クールを締める。顔も名前もなく漫画では声もまた無名の存在だったのが、生身の人間の声がつくことで名前と顔と色とが与えられこの世界に生まれ出る、そういう身体を与える声の意味が描かれている。漫画の文字では誰のものでもない言葉でも、声は必ず誰かの身体を通じて現われる。無名のキャラに声がつくことは同時に、そのキャラを通じて声優の存在もまた名前のある存在として立ち上がる瞬間でもあって、原作者と声優とでお互いを見つけ合ったと思えるのはまさしく幸福な出会いだろう。モモミの存在は無量坂が描こうと思って諦めたものだったけれど、作中のツバキがモモミの声で再起するように、陽菜の声によって無量坂も再起しモモミが形をなす連鎖があって、そこで陽菜自身も自分の最初の夢を思い出すという流れも連なっている。モブと固有名のテーマが亀の亀井さんをめぐって展開されてたから亀井さんと色紙が並んでるのは必然で。作中作の視聴者として見てたら一話からモモミがいるわけだけど、本篇五話以来の流れを知っていると元は名前も顔もなかったモブに名前と顔と色と声がついて目の前に現われる、そういう奇跡のような瞬間なわけだ。ワンクールの締めとして陽菜の話で区切って、次回予告が「二期決定?」なのは面白い。
14話のラジオ組の回、ご都合主義とかいうツッコミをそれ以上のリアリティレベルのおかしさでねじ伏せる今期一の豪腕展開でとんでもなかった。ウェブラジオに国外からのメールがくるのは結構あるしそれをネットで繋がる開発会社と関連付けて、ゲーム的なクエストでってのはわかるけど、仕上がりが異常。怪しいメール、といっても日本語のおかしさが明らかに翻訳調なそれの差出人を見つけようとリアル住所に突撃しかける声優の時点で相当リアリティレベルがおかしかったのに、自動で扉がオープンして「よこそみなさん!」で限界まで振り切っていってて笑うほかなかった。そういうのアリなんだ……。傾げた首が一回転して元に戻ってくるような異常な展開だったけど、終末のハーレムに熊が出て来た時くらい最高に楽しかったし今も思い出しては笑ってしまうし完全に元気をくれるアニメだった。
16話、未来の自分を心配する大人びた子供だったまほろが過去の自分を切り捨てず見つめ直すことで過去への旅が未来への旅に繋がるんだけど、美晴と一緒に掘り返すだけでなく片付けで人を頼れるようになったことが、大人びた子供を卒業した、孤独でない大丈夫な二十歳の私になってるっていうエピソード。綺麗な成長の物語だ。酒を嗜む大人の先輩としての美晴が「理由なんて必要かしら」と引っ張ってもいく。アバンの「一つだけ教えて欲しいことがあるの」という不安さがラストの心配ないよという因果を超えた声によって応えられる円環的構成はかなり良い。言葉が時間を超える往還がある。
18話、自分の知らない活動をしてる利恵を知って親友とメンバーの狭間で揺れる鳴だけど、鳴が知らない利恵がいるように鳴もまた15話のように四人のなかで変わっていて、でも変わらない二人の関係もあるんだと鳴が一番不安に思っていたところを掬い取る利恵の王のUTSUWAぶりがすごい。さすが光。ライブはそう来るか、って曲で作画も頑張っててなかなか面白い。ルナラビット、利恵という光を受けて輝く、ウサ耳服を着た鳴。Moonというチームの象徴性は鳴を軸にしている感じか。そして土田霞に畑博之ってラピスリライツの監督と脚本で、光のテーマのアニメのスタッフ引っ張ってきたのか?ってなる。
20話、ラジオ組のまとめという感じで、声、リアルタイム、リモートのテーマがある。別れを惜しみつつ夢を追う絢回、遠隔地のまさぴーを探す莉子回、別の時間が繋がるまほろ回、というこれまでのチームメイトの話のテーマを総合してるっぽくて、そのテーマが声だった。
22話、16人全員での初めてのライブ、社長の夢だし絢の「私は声優になったぞ」という叫びにもなるけど、フルで流れる曲ともども、目的地は同じではないかも知れないけど繋いだ手の記憶があればどこまでも飛んでいける、というある一つの通過点と捉えられているのが声優アニメらしくて面白い。「一人じゃ生きていけないぼくらは、それぞれの道歩きながら、ねえいつだって違う場所で、思い出して笑っていて」というの、毎回違う作品に集まってまた離れてという声優の仕事の特徴と、たとえばデビュー作で共演した人たちみたいな忘れられない思い出って感じがした。
23話、「一回で決めよう」と利恵に発破をかけるところ、「オーゥケイ! お疲れ様でした!」の特に感情がこもってるところ、このアニメの締めを担う音監斉田さんの演技に見てて晴れやかな気持ちにさせられる。アフレコ回はやはり出色の良さがあって、ラス前の感慨深い劇中劇終了回だった。最近ぐんぐん利恵が株上げてたと思ったらこのアニメの後半クールは産廃組の利恵が作中作のラスボスとして立ち上がってくる軸があった。気遣いができて真面目で、という利恵の素とも言える物足りなさが、別の人格が憑依する中二キャラと普段の中二キャラでシンクロする。
24話最終回、締めの「誰にでも羽ばたける空がある」、一話で陽菜が噛んだ台詞だ。仕事の落ち着いた端境期に声優とは何か自分は声優なのかと思い悩みながら、「大事な言葉を声に乗せてみなさんに届けていきます」とアイドル、劇、ラジオも包んで「私たち声優です」と宣言するのは感動的だった。最初の熱気を通り過ぎて、アフレコがない時期に一端立ち止まって自分たちのあり方を見つめ直して、アフレコだけではない声優のあり方とは何かにたどりついているのが非常に良い。声優って何だという問いにきっちり答える。事務所が強すぎてアニメ自体は基本明るいところしか描いてないんだけど、最終話の不安に揺れてる様子に現実的な部分が窺える。アニメは終わっても声優は続く……ラジオを辞めようかという話が出るのも声優を辞めるかどうかという不安と重なったものだろうし、「バイトばっかりしてるとよく分からなくなっちゃうんですよね。夢との距離感とか」という夢から覚めたあとをどう乗り越えて先へ進むのかという話を最後でするのは真摯さだと思う。「声優は孤独なものよ、それぞれの歩む道は違う、たとえチームや仲間であってもね」という社長の言葉と「道は違っても帰る家が一緒なの、なんか、良いっすね」という舞花の言葉と「暗い道に踏み出す一歩目に、ほんの少し声をかけてくれる仲間がいたら、どれだけ人の可能性は広がるのかしらね」から、陽菜が最後に自分一人だけでオーディションを受けるけれどもそれは決して自分一人の力ではなくて、みんなの個性を反射してできた自分の色なんだというところに突き当たる、一人とみんなとの関係は22話の歌とかを踏まえたその先の結論を出して締めた。

スローループ

きららフォワード連載漫画原作で、アニメ始まる時に原作全巻既読だった私には珍しい一作。秋田谷典昭監督、山田由香構成、滝本祥子キャラデザ、CONNECT制作。片親同士のふたりの子供が再婚によって姉妹となり、釣り好きと料理好きのふたりが少しずつ家族になっていく優しい話。珍しく原作を全巻持っている作品で、原作から良かったけどアニメも良くて、特に最終回は原作の位置的にちょうどいい回を一話前にして、別の回を持ってきてそれがとても上手くはまっていたのが既読者故のサプライズで印象的だった。力を入れすぎずさらっとしたアニメで、原作の魅力のかんたん作画もちょくちょく出てて良い。肌寒い三月、ひよりのところに小春がやってきた小春日和(誤用)の物語で、一話は、ひよりの亡くした父の部屋に新しく家族になった小春がやってきて、父の思い出の海が新しく小春との時間になる。亡父の部屋をめぐって、ひよりの思い残し、小春の遠慮が描かれながら、最後その間仕切りを開くことで不安を共有して「なんだそんなことか」という解決にいたる、部屋の使い方が抜群。新しい家族への不安が、思い出の在処としての部屋に居座って良いのか、という問いになってる。海と部屋が父の居場所として重ねられてて、っていう設定も踏まえつつ。小春が荷解きできないのはその遠慮のせいか。原作読んでたときにはここまで読めてなかったな。特に良いのが吉永恋というひよりの幼なじみのキャラで、父を亡くしたひよりの横にずっといたことに色々抱えてる様子は作品終盤の重要な話にもなっている。三話、新しい家族への「なんかよく知らないおばさんと暮らしてるなって感じ」まあそうだよなっていう納得感がある。この回は雨の木陰の光が良い。雨宿りの二人に寄り添う花、美少女には花が似合うとでもいいたげな構図で、陰のなかでこそ兆す光が美しいのは、ここと星空の締めに通ずる絵作りになっていて、光と影という他人や他の家庭などの見えない一面のモチーフが、成長しても変わらない私という存在を見ていてくれる故人に擬された星の光に繋がる。雨と晴れ、影と光、夜空と星、光に向かって「昔と変わらない笑顔でいれば」、と笑顔の輝きに結実するラスト。魚の内臓を捌きながら、他の家庭は表面的なことしかわからないと言う話。大人たちもそれぞれに配偶者を亡くした人間でもあって、ひよりは母を「お父さんが亡くなってから笑ってる顔しか見ない」というようにその死後を生きていて、また、子供のやりたいことを見守るのも親の役目、新しい家族としての経験を積んでいくのは子供だけではないし親もまた親としての新しい経験をしていっている描写もあって、ちゃんと家族の話にもなっている。10話は、人の繋がりが広がっていく文化祭で自分の認識が相対化されて教えられてもいく小春とひよりが描かれながら、フライとてんからの差など伝統と現在が描かれる文化祭らしさを挾んで、父の釣りにこだわっていたひよりが、「海や魚のこともっと知れるかな」と視野を広げていく。釣りと家族の物語がより広い関係のなかで描かれることでひよりのフライの意味が明確になってて、父の思い出としての釣りが、父の思いを改めて知ることで、父の知ろうとしていたことへ関心が向くようになってるのは釣りに関してはここがクライマックスになってる感じもするエピソードだ。11話、原作のこの話が最終回だと思っていた印象的な回で原作も良いけどさすがに良かった。家族の話の隣にある、それぞれに隣にいる友達の大切さを幼少大の組み合わせで描いていて、踏みこんでしまった恋の罪悪感がむしろ救いだったと裏返る夜明けの絵が眩しい。吉永母とひより母の関係もさらっと描かれてて、夫を亡くした友達に男性を紹介するという恋同様に一歩踏みこんだ対応に親子似た者同士なんだなってことを匂わせているけど、恋はまだ「大人ぶってるだけの」子供なのでそれが良かったかどうかに悩んでいたって違いもある。おめでとうという前向きな言葉がひよりの強張りをほどいたことが後に恋の呪いを解く、これがスローループってやつだ。12話、二人が家族になった証として一つのアルバムに二人で選んだ写真を並べていくラスト、ここまでアニメの締めに相応しい話になるとは。なくなったと思った思い出は残っているし、これからその空白に今を埋めていこうという過去と今と未来、EDの歌詞も映像もこのためかという。原作のプレゼントの回は11話の四巻の次の五巻最初の話で、恋との関係に嫉妬する感情の流れも11話から引き継いでいるし、四巻最初の恋とひよりの婚約指輪のケースに入れてフライをプレゼントした話を挿入して二人とプレゼントの文脈も重ねてて良い構成。小春とひよりで秋口の暖かい日という小春日和を回収して二人の出会いの暖かさに落とし込むのも綺麗。百合作品としては小学生、高校生、成人、そして大きな子供がいるくらい、と中年くらいまでの人生の各段階でそれぞれにずっと一緒にいる友人というのを描いている作品なんですよね。11月に吉永恋役の嶺内ともみが声優引退という驚くべきニュースが舞い込んできた。スロウスタート十倉栄依子役で名前を知って以来で、今年もメインをやってるし、何故、と思うしかできなかった。

怪人開発部の黒井津さん

コミックメテオの漫画原作アニメで、始まった時からサイトで読んでた漫画なんだけど、既刊二巻でアニメ化が発表されて早すぎる、と驚いた。どうなるかと思ってたらこれがかなり面白くて、作画は疲れ気味だったけれども、元々コメディとしての強みのうえにアニメでのオリジナル要素が最終回に収斂していく仕上がりが完璧でとても良かった。ヒーローもののパロディ的な作品で、怪人開発を行なう研究部署を舞台に、企画立案、上司との会議、製品開発などの企業もののセンスを取り入れたギャグで、黒井津さんと彼女に開発されたものの予算の都合で女性の体に男子の精神が入れられてしまったウルフ、同部署の佐田巻をメインに他にさまざまな怪人と敵対するヒーローが出てくる。ウルフくんもだけど敵対する魔法少女コンビが元々は男女で、というTSものにこだわりがあるのも特色の一つ。一話は原作読んでるからいきなり知らない各地のご当地ヒーロー紹介パート始まったのに笑った。二話はED見てたら「特撮監督高山カツヒコ」であれ、と思ったらCパートで実写爆破。アサルトリリィふるーつ以来の高山爆破。中二男子のメンタルを女子の体に入れたウルフくんは女の子扱いされて不服なのと、姉妹のような距離感でいられることの悩みがTSラブコメらしくて良かったりする。三話のTS魔法少女が百合風で原作でもずいぶん属性を盛ったなと思ったやつが田村ゆかり堀江由衣コンビという。でも男の時も堀江由衣だと男装女子っぽく見えてしまう。魔法少女デザインが、ことぶきつかさ、変身コンテレイアウト渡部高志、劇中イラストあらいずみるい、懐かしいメンツ過ぎる。10話は、体に剣を仕込まれ喋る機能もついてない怪人マミーが不可能を可能にする奇跡の怪人系アイドルとなる良い話だった。人工的に生まれる怪人の単一目的でないあり方という序盤からの話が怪人アイドルネタにかっちりハマってなおかつメギストスオチも笑える良い回だ。そして12話、圧巻の最終回だった。外敵が現われて敵味方が一致団結は王道だしベタだけど、諸要素の最後でのまとめ方が上手くて驚きと感動に満ちている。ご当地ヒーローも水木たちもしっかり組み込んでZの時事事故も起こしつつのギャグオチ、今期一の最終回だった。これまでヒーローは実在する!って紹介してきた全国各地のご当地ヒーローが各地に侵攻してきた侵略者に立ち向かう力になるっていうのは素晴らしいし、そういや水木たちは?と思ってたら戦闘員経験でのコネクションを使った提携営業のためで、だから大幹部なのかという使い方も秀逸。黒井津さんの戦闘力の高さが変身の伏線にもなってるし、「たとえどんなに資本があろうとも、最後は人だ」とメギストス様の理想の上司っぷりも見せる。たとえどんなに作画がアレだろうとも、面白いアニメはあるんだよな。最終回は原作者が「まるまる一本分の大筋」を提供してきたようで、さすがだって思った。元々の腹案だったのかも知れないけど、水木たちアニメオリジナルキャラとご当地ヒーローとの絡ませ方が上手くてびっくりだ。最終回で全体としてのランクを確実に上げてきたと思う。監督はベテラン斎藤久で高山カツヒコシリーズ構成。アニメーション制作Quad、このスタジオ情報が全然ない。特撮というネタを裏返しての話を作るのも作画の疲れも含めて込みで深夜アニメらしさを存分に感じられるところがある。

ハコヅメ~交番女子の逆襲~

女性警察官を主人公にした漫画原作アニメ。佐藤雄三監督、金月龍之介構成、マッドハウス制作。既にドラマ化もしている。交番勤務の女性警官コンビを主人公にして、警察組織のなかでの女性という立場から、社会のなかでの女性の困窮や犯罪被害に対応することで、警察と社会双方を一見見えなくされがちな視点から描くことを可能にしていて、そこが仕事ものとしての面白さになっている。原作者がじっさいに警察出身らしい具体的な描写と裏腹に、しばしば指摘される警察の問題点にはあまり踏みこまない、踏みこめないのかなと思うところはある。描写から色々問題が窺えるところはあって、警察組織を批判的に見るにしろそうでないにしろ、女性視点での警察組織の観察として興味深い一作だろう。個性的なキャラのやりとりでコミカルだったりギャグだったりもするけれど、父や泥棒など、捕まった経験と捕まえた経験を行き来しながら警察という仕事の意味をごく身近なところから積み上げていく堅実な物語展開も良い。家出少女、DV被害者、女性警官と三つのポジションでの女性の状況を描いたり、交番勤務ならではの生活に密着した事案に観察力が試されている。ただ、家族主義的なドラマが基軸になってて、家族が壊れると犯罪に巻きこまれやすくなるというのは警察の視点としてはそうなんだろうけど、これはこれで主流でない家族への抑圧にもなりそうな気はする。一話、子供への交通安全指導から始まった話が、死亡事故に対面する10話の普通の人には耐えられない死に慣れる異常さが普通になる職業を続ける覚悟描く回で一端の話の区切りが付く。ここまでも面白いけれど、このあとラスト三話かけての連続婦女暴行犯を追う緊迫感溢れる展開も見応えがある。結構な破壊力のギャグを入れつつも、シリアスな犯罪捜査の緊迫感は失わないバランスも巧みで、被害者への聴取が中途半端だったのは被害者感情を勘案してのものだけれど、デリケートな部分とはいえ何をされたかがはっきりしないと何を鑑識したらいいかが決まらず捜査に影響を及ぼすという性犯罪被害での難しい問題も描く。その結末となる最終回、女子中高生をターゲットにした性犯罪を捜査する女性警官というベース故にその被害への共感性というか距離の近さがあるのと刃物を持った男と相対する怖ろしさ。暗夜の尾行で現行犯から少女を守り、被害者少女の暗い夜が明けるラストを迎える。「刃物持った犯人をなんで丸腰の私が追いかけるのか。それは、私も警察組織の圧力に追いかけられているから」、仲間からの冷たい目が怖いのは笑うけれど、それは同時に内輪で不祥事が生まれる理由にも見える。ここでの源の意図的な暴力、これそうとうダメでは。確度が高くてもまだ容疑者段階の人間に威圧のための暴力を振るう、しかも常習犯というのは後々問題になりそう。内輪の目が怖いのと意図的な暴力というギャグにしているところが結構ヤバくて、現場の経験をある程度ギャグにまぶして伝えてるととることもできるけれども。逸脱、暴力といった部分を男性に担当させてそれを冷たく見る女性視点を取ることで、問題ある部分を脱臭してしまってないかという懸念は感じる。犯人は妻子がいても仲間を見つけてしまったことで数十年抑えていた欲望のたがが外れ、子供のために買った車で子供に性的暴行するっていう陰惨さ。ここも家族。男の警官には従順だ、というさらっと示唆的な一言が入ってる。しかし佐々木譲の『笑う警官』読んでると、この警官も反共思想を植え込まれてるのかなとか、機動隊はデモ隊に「土人」呼ばわりするタイプの人なのかなとか思ってよくないね。あとまあ「走り込み足りないんじゃないの」「スンマセン」とか、若山詩音のコメディ演技が面白かったのが大きい。見ているなかにこういう落ち着いたアニメがあると嬉しい。マッドハウス制作ながらほとんどを国外スタジオに外注しているつくりなんだけれど、作画のセンス的に海外制作でも違和感が出ない印象で、面白いスタイルだと思う。

その着せ替え人形は恋をする

ヤングガンガン連載漫画原作のコスプレを題材にしたアニメ。「着せ替え人形」はビスクドールと読む。A3の篠原啓輔監督、冨田頼子構成、石田一将キャラデザ、CloverWorks制作。冬のCloverWorksアニメ三作のなかでは一番楽しく見た。実家が雛人形の店の主人公が、ギャルでオタクの少女とコスプレのための衣装制作を通じて仲を深めるラブコメで、ヒロイン喜多川海夢がエロゲオタクだという一話のオチがなかなかの破壊力で良い引きになっていた。ギャルだから自分を持ってるけど服飾スキルまでは持ってなかった断れる喜多川と、断れない五条新菜が服飾を交点にしてかかわりあう。そこで傷だらけの指先とネイルの手が握り合う場面で縫い目がバラバラのほつれた服が映ってる一話という始まり。そこから採寸やらでの体が触れあってのドキドキや買い物デートやらで、羞恥心のありようがちょっと変わった海夢にたじたじになる新菜って感じで、これ、ギャルがぼっちに優しい話と言うか、うぶな男子をドギマギさせる話っていう側面も強い。喜多川さんの鈍感さはラブコメ主人公のそれっぽいし、エロゲ趣味やエロ話も女子がすると男子は気まずいって構図で、そしてそれが五話の最後で恋心を自覚した喜多川主観へフォーカスが移る。このラストのトンネルを通過する電車を使った演出はキメてきたなーって感じで良かったけど、相当アニメ的であまり漫画っぽくないなと思ってたら、ラジオであそこは原作にない演出で実際に池袋付近にああいうトンネルがあることを生かしたものだと聞いてなるほどなあと。この次から強力なサブヒロイン乾姉妹が投下され、しかも種﨑敦美と羊宮妃那というのもなかなか強力だと思ったけど強すぎたのか原作では出番が減るという話を聞いた。ラスト前に別の目的でラブホテルを利用する回があるんだけど、双方恥じらいを感じる部分に凹凸があって、何かに真剣になると恥ずかしさを置いて突き進むことで相手側が気圧されたりしつつ、ふとした瞬間にあらゆるエロさを自覚して静寂が訪れる緊張感がなかなかのものだった。ご都合で恥じらいを感じる部分が操作されてる感じはしないでもないけど、それで攻守交代になってるので高木さん的な怖さを回避している。そこから最終話、入れないけどきらきら光る海が好きな喜多川、遠くから見ていた花火の反響を今は間近で見ている新菜、ともに遠くにあると思っていた夢のなかにいるというきらめく青春の今に至る。ただ喜多川海夢のキャラ性がじつはあんまり印象を結ばなくて、彼女の人間関係がほぼ描かれない奇妙な孤立感がある。エロゲコスプレなのでまあまあえぐめのお色気要素もありつつ、交わるはずもなかった二人の青春ラブコメが爽やかで、アニメ自体の出来もかなり良かった。石毛翔也とメインはこれが初という直田姫奈の主演二人はラジオでもかなり役柄に似た印象を見せていたのも相まって、新人声優の良い場面に出会えたなと思えた。なかなか面白いのはこれ喜多川海夢って高坂桐乃では、と思わせるところ。読者モデル設定もあわせて、俺妹こと俺の妹がこんなに可愛いわけがない、の構図を女性作家が服飾テーマに描くっていう俺妹へのアンサーに思える。男だって人形好きで良いし女だってエロゲ好きで良いという話なわけで。しかし、なんでみんなオタクに優しいギャルって言うんだろう。ギャルでオタクっていう彼女自身の設定が蔑ろにされて、優しくされる側からの目線で類型化されてるような言い方で気になる。

明日ちゃんのセーラー服

CloverWorksアニメその二。黒木美幸監督、構成山崎莉乃、キャラデザ河野恵美。原作漫画はざっと読んでたけど、少女フェティッシュの極みのような漫画を作画力でアニメ化しててまあすごい。原作はそのフェティッシュさに凄味と同時に気持ち悪さを感じるところもあって、そこが今作の一番の評価の分かれ目になってると思う。野生児のような少女明日小路が母の通っていた女子高に母の作ったセーラー服で登校したら指定の制服はブレザーに変わっていて、一人セーラー服で通うことになり、その持ち前の天真爛漫さでクラスメイトと関係を深めていくという物語。原作者がアニメーター志望で大手制作会社に内定していたところをその頃打診された漫画連載のほうを取ったということで、その温泉漫画は読んでたんだけど今作での作画技術をつぎ込んだような作風には結構驚かされた。その原作を生かすにはこのハイレベルなアニメーション技術が必要だったという感じだ。アニメになると妙にポカリのCMを思い出すような印象になったのは意外で、原作を読んでるときはそうは思わなかった。透明感の演出が強い気がするのはメディアの特色というか色や撮影のためもあるか。漫画はやはり白黒のフェティッシュが印象的で、サブカルロリコン漫画?的な印象があった。身体表現とともに肉体というものに不可避な性的なニュアンスをフェティッシュな描写を通じてやりますって感じで、身体性の表現を作画技術が支えてる。フェチを写実寄りにしていったらえぐみが強く出てくるところがあって、見ながらフェチだなーと思ってたら一話で爪の臭いを嗅ぐやつ出てきたのは笑った。しかしのんのんびよりとかではなくて欧州のような自然とどこかの外国のような家と伝統と豊かさのある学校と雨漏りというわずかなほころびさえ素敵なものとして取り込まれてるようなこの世界観はなんだろうか、と思わないでもない。二話、一人だったころとクラスメイトがたくさんいる今とがシームレスに繋がりつつ、画面の向こうで憧れていたアイドルのように、汗をかいて走る青春の光景を自身が演じている学校の帰り道、CMのような光景を演じている小路を描く本作もほとんどCMのような世界と作画を30分アニメで実現しようとしている。また明日、といえる相手がいることがどれほど嬉しかったか、挨拶したクラスメイト全員の名前を呼ぶ帰り道と、最後に父への就寝の挨拶に代えられることで締めるのは良かった。四話、自然体の明日さんが撮りたいのにどうにもらしくない、と悩む二人に、汚れがはね、ゲップや靴下に開いている穴というノイズから自然体の姿が見えてくる、そしてその穴が開いている理由で落とすのは綺麗だった。ゲップ以後の笑いに満ちた雰囲気は良かった。しかしゲップ、この生々しいフェチ。しかもそれが話の鍵にもなるという念の入りよう。七話、これは良い回だった。それぞれに部活動に力を注ぎながら少しずつうまくなっていくなかで小路の期待に背中を押されて、蛇森が一人独学で一人のために弾き語りをやり遂げる、その素朴さ。木崎のピアノが世界を揺らして、でも二人がお互いに特別な瞬間の絵。戸鹿野さん無表情気味かと思ったら随所で良い顔をする。最後椅子に逆に座るところが良い、表情も。11話で身体から滲み出る生の輝きみたいなのを描こうとするところに本作のらしさが結実している。しかし花澤香菜の母と久野美咲の妹はすごい。着せ替え人形と明日ちゃん、エロを前面に出しつつピュアさを滲ませるか、清楚さを表に出しつつフェチなエロスを滲ませるか、でわりと対照的な作りって感じがしている。それに準じてリアリティのありようも結構違うというか、漫画的なのとイラスト的なのと。

失格紋の最強賢者

今年二作が放送された進行諸島原作小説家になろう発アニメその一。ガンオンでやってる漫画をざっと読んでいた。ブルーリフレクションで仁菜を演じた玉城仁菜が主人公をやるアニメ。スローループの秋田谷典昭監督作品その二でもある。魔法を極めつつあるものの生まれ持っての紋章の種類ではこれ以上を望めないと悟った主人公が、紋章をリセットするために転生を試みて望みの紋章に生まれついたらその世では魔法理論が衰退していてその紋章は失格紋と呼ばれていた、という転生チート物語なんだけど、この生まれついての強者ゆえのサクサク攻略と物語展開の早さとギャグ演出の愉快さとラブコメ要素を詰め込んだ作風がかなり楽しめるアニメだった。長い作品だし幼少期から始まるのをどうするかと思ってたら、幼少期をカットして凄い勢いで設定、人物、目的など作品のセットアップを済ませててかなり濃かった一話。この作品主人公が魔法以外に関心薄くてラブコメ展開になるのめちゃくちゃ遅かった気がするけど最初から盛り盛りだ。なんというか、作品の空気がコロコロ的というかキッズ向けなギャグ時空だとわかるとすっと入ってくる。五話、元々竜で頑丈なイリスが潰された時地面に人型の穴があいて、そこに今度は自分で落ちるのかなり笑った。訓練でも頭にうんこ乗せてる。井澤詩織の食いしん坊イリスは地面に生えてる花を見つけてそのまま喰ったり、移動中ずっとマンガ肉を食べてたり、いつでも画面に笑いを提供してくれる。七話は特に面白いところしかなかった。一生喰ってるデフォルメイリス、人命に関わる料理下手アルマ、たまに爆発する街灯で10人も死んでる街、平然と宿で男女同室だから恒例だったのかなと思ったら違うのかよっていうルリイとマティ、そして強い魔物バトルは全カット。寝言で会話してると思ったら、羊のかわりに魔物を一匹ずつ数え始めるのも笑ったけど、二人で交互にやってるのも笑った。そして「領主が動き出したな」で出してくる斥候がモヒカン! 隠れる気がねえ。11話、笑いと萌えの前半から、ポンポンピンチを積み上げていく緊迫感ある後半への流れがなかなかのもの。今までのサクサク感をフリにしてラスボスの緊張感を出してくる緩急の付け方とか全体になにもかもテンポ良く進んでいく。トンチキさでは今期でも随一の一作。失格紋のラジオを聞いたら、収録が終わったのはキャストが発表される前らしくて、どんだけ制作早かったんだと。ラジオが放送より相当前、去年の七月から始まって不思議だなと思ったら、声優陣の収録から放送まで間が空きすぎるから繋いでたんだろうか。

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン

ジョジョ第六部、アニメとしては五期になるストーンオーシャン、初の女性主人公でジョジョオタクにして徐倫を助けたいと思って声優になったというファイルーズあいが徐倫に決定し彼女の夢を叶えた。年内では第二クールまで。アメリカの刑務所にぶち込まれることになった空条徐倫は承太郎の娘で、スタンド能力に目覚めてディオの因縁と対決することになる、ディオに連なる物語としては最終作になる。これ以後のジョジョ原作は読んでいないのでよくわからないけど。閉鎖環境とサスペンスの緊迫感で序盤から押してくるうえに夢を絡ませて混沌の度合いを増していく怪奇性と、どうやっても自殺する男と絶対自殺を止めたい女のギャグ回としかいいようのないテンションの面白みもあり毎回楽しい。映画詳しくない私でもどっかでそんな映画あったなっていう色んな物語を取り込んでいる感じはジョジョらしい。10話の音楽室の怪談とかじゃなくて音楽室が幽霊、というひねりに加えて天気を操る能力でピアノを弾いたり、果ては重力操作で刑務所のなかで無重力状態になる、この能力の取り合わせでそういう展開になる?みたいな変さと勢いの面白さがある。特に2クール目の謎の強力なスタンド攻撃の正体が隕石落としだという回は、意表を突くのにも発想がおかしくてすごいし、その隕石攻撃に対して爪を剥ぐで応戦するのが面白すぎた。ドラゴンズドリーム戦、電気椅子が稼働する展開の無茶さや何度もそこに座るFFの間抜けさが絶叫とともに展開される熱さと裏腹の妙さ、バネになって跳ね回るケンゾーのとてつもないギャグ感がものすごい。いや、変なアニメだよこれ。かと思えば、「生きるということは思い出を作るということ」「集中力は美しさを際立たせる」、いいセリフがバシバシ出てくる。プランクトンから産まれた非人間のフーファイターズの最期を描くにあたって命と知性や勇気の大事な話を込めて来た第二クール終盤だった。「復讐とは自分の運命への決着を付けるためにある!」のエルメェスの覚悟も良い。

プリンセスコネクト!Re:Dive Season 2

概ね同スタッフでの二期、前半の一話完結が続くあたりは非常に良かったんだけれど、後半メインストーリーに入ると映像はすごくても話はなんか盛り上がってるのを外から見てる感じになってしまって、ゲーム原作アニメの難しさを感じた。それでも前半はやはり抜群に良かったと思う。一話の、空飛ぶ魚のファンタジックなロジャー・ディーンの絵みたいな世界を抜けたと思ったら飛行機のあたり完全にラピュタオマージュで「冒険」イメージを引用しての後半の畳みかけは感動的だった。死せる亡霊でも再び冒険に出られるという流れから一期OPの二番、つまり続きでもあるその歌詞が「冒険再び呼び覚ます」と歌われている、幽霊になってもいつまでだって冒険を続けても良い、そんな終わりと始まりの一話。脱力オチからのありもので作った家の料理の味わいで締め、OPともども帰ってきたぜって感じの安心感ある一話だ。丁寧な髪結いアニメーションとか良く動くキャルの尻尾とか、良く動く。三話はなんかなかよし部とかいう見たことある三人組が出てきて、ユニが探る世界の真理について作中の何やら伏線を示しつつ、英雄でも勇者でもない賢者の立ち位置から真理に近づいた瞬間を描いてて、なんとも雰囲気も密度もある話だった。二期では特に四話が素晴らしく、ギャグもアクションもバリバリに動かしまくるし、見上げる視点で全員の顔を映すカットとか工夫も多くて、キーリあたりの萌えアニメぶりも良いじゃんと思ってたらゴーレム戦の巨大物との戦いの動きやら構図やらが凄くてなんだこれはってなってた。コンテ演出、坂詰嵩仁。圧巻だ。劇場版かよって作画だけど、街の男たちの場面で魚がほぼ最低限の動きしかしてなかったり、カオリが髪整えてるカットはラフな絵で動きもカクついてたり、ちょいちょい二コマ漫画みたいなカクカクしたところもあって、ちゃんとテレビシリーズだなって安心する。まあそれにしたって終盤のバトルはデタラメだ。ただすごく動くってのではなくて、トロプリ29話みたいに絵作りにアイデアがあるのがやっぱりとても良い。巨大ゴーレム相手のスケール差のなかでお祭り的に飛んだり跳ねたり潜ったりが楽しい。

中国のウェブアニメの日本語吹き替え版。監督の李豪凌は天官賜福や銀の墓守二期の人。写真をスナップショットとして撮影者に片方がダイブして成り代わり、片方が写真の世界を全て知りナビゲートする、という能力者二人の話。作画も良いし、基本的に面白いし、良い話も幾つもあるんだけど、上げて落とすやり方にセンセーショナリズムが見えすぎて語っている内容を裏切ってるようで印象はよくない。それはまあ田舎から出て来て仕事に追い込まれていくエマと田舎の両親の良い話がひどく惨い結末になる一話からそうだったしこれがラストにまで関わってくるわけだけれど。一話は公開のツイッターと私的なLINEを両方使ってコミュニケーションを描いてくるのも現代的な感じで上手いんだけど、「SNSは母さんをブロックしておけっていったのになんで父さんをブロックしたんだ」というのがめちゃくちゃ面白くて2022年アニメの名台詞だと思う。二話が百合回でとても良かった。「オープン初日は新婚初夜みたいなもの」でお、と思ったらすぐにこれはすれ違い百合だろうなとわかる描写だけど、一話みたいに悲劇に終わらなくて良かった。女二人で始めたラーメン屋が拡大していくなかでみんなとあなたのすれ違いがそして原点に帰っていく。写真の撮影者が入れ替わることで視点が入れ替わり、そもそもの始まりが自分のほうにあったことを相手の視点から思い知る、二人の関係の絡み合い。節々に男たちからの異性間結婚の話を差し込んでリンジェンとナツの関係を浮き彫りにしていく。三話の勝ってはいけないチート転生バスケを作画力で見せる回から、四話の勝っても負けても元々ダメだから、過去改変しても分岐はしなかったという苦い結果オーライという小イベントが、四川大地震というすべてを飲み込む決して逃れられない分岐点にたどりつく回も息を呑む。他にも過去の誘拐事件を扱う七八話のオチの昇竜拳で笑ったり、色々面白く見応えがあって、都会と田舎という中国の大きなテーマが絡む当たりも興味深いけれど、クリフハンガー的な最終話の引きが後味を悪くするとは思う。人気ドラマってまあこういう感じらしいけど。

鬼滅の刃遊郭

七話で終わった無限列車編から続けて去年の十二月から始まった遊郭編。遊郭に潜む鬼を探して、炭治郎たちが女装して潜入というなかなか無茶な導入、これみんなに女装させたかったのが一番の理由じゃないのか。本篇の主軸は、炭治郎兄妹と苦難の境遇をたどった鬼の兄妹の関係で、二組の兄妹が対比され明暗別々の道を歩いているけれど兄妹は死んでも分かたれないところでは同じ、という結末を示して、炭治郎が限りない共感を示してもしかし許すわけではないところにたどり着く。人を食い物にする鬼のような人間が、鬼を生み出す因果の話だった。だからこその遊郭編。背負われてた妹が今度は兄を背負う探索の果てに兄妹喧嘩に行き着く。梅と堕姫で梅毒を思い出してたら親の死因は本当にそこが由来で、兄の容貌も梅毒由来のようだ。「俺から取り立てるな」、という妓夫太郎の言葉は、貧困と差別で奪われ続けた果てのものだろう。それはともかく、インパクトがあったのは10話、戦いと火事と最後に爆発で遊郭が跡形もなくなってしまってないかという状況、大正コソコソ噂話が始まって、爆発オチからのしめやかな特殊EDから瀕死の炭治郎映してコメディパートに入る流れがめちゃくちゃ面白かった。正気を疑う感情の上下動だ。

86―エイティシックス―

去年落とした最後の二話、色々あったけど良かった。22話、青から赤へ、死から生へ、キリからミリーゼへ、そして血ではなく涙が流れる。無音、字幕、音声、そして直接対面未遂の距離、その距離の話だった。23話は歌とセリフ、随所で合せてくる。シンとレーナの足取りも重なるし、AとBパートも、後方の指揮官と前線の分断がここで初めて溶け合って、絵もグルグル回ってて名前が一人一人呼ばれ、同じ場所に立って同じ方向を向く締め。境界線アニメだ。遅延で年を跨いだのもあわせて色んな分断を越えて、という感じだ。冒頭、「ただいま」というのと子供らしいプレゼントに困惑してる面々が良かった。1クール目はだいぶ悪趣味な演出が過多でどうもなというところが目立ったけど、原作の尺の問題もあるんだろうか。2クール目はかなり印象が良くなった。

短評

錆喰いビスコ
電撃小説大賞受賞作のラノベ原作アニメで、錆の砂漠と浄化する菌類ってやっぱ完全にナウシカあるいはヴィリコニウムじゃないか、というポストアポカリプスSFで、ナウシカフォロワーな設定にキノコ守りというバカっぽいニュアンスを加えてる感じ。キノコ生やしてどかんと飛んでいくしキノコ生やしてフグを撃墜するし、マジでキノコの使い方が作品を規定している感じがユーモラス。主人公の名前もあのビスコが由来だし、ナウシカだなと思ってたら巨神兵まで出てきて、AKIRAバイクもターミネーターもあるという絵面はなかなか楽しい。第一話のサブタイ「八十万日貨の男」、トライガンっぽいのもそうなのかな。まあ、そもそも椎名誠のポストアポカリプスSFの影響らしいけどそれは未読で積んだままだ。原作一巻でワンクールはやや間延びした感じはなくはないものの、「愛してる」というセリフすら出る濃厚な男と男のアニメだった。ラブラブツーショットオチとはね。最初は一話の時系列の崩しが飲み込みづらくてどうかと思ったけどまあ良かった。

錆色のアーマ-黎明-
今期「錆」アニメその二。舞台を中心にしたメディアミックスプロジェクトで、アニメなどを舞台にする「2.5次元」の逆の、舞台からアニメにするかたちで作られたのが本作。だからタイトルに「アニメ」って書いてある。パラレルな戦国時代を舞台にスペインの侵略を受ける日本で、アーマなる武器を用いて戦う雑賀衆とそこに紛れた金髪碧眼の主人公の物語。ちょっとチープなCGで、舞台ではわからないけどアニメで見るには演技が厳しいなと思っても、この画面ですべてが許せるってところがある。チープさの割に殺陣が結構動くのやはり舞台ものだからだろうか。話自体はシリアスなんだけど、荷物にぬいぐるみとヘッドフォンがあったり、毎回のように風呂に入るノルマがあったり、かなりギャグやトンチキな要素があり、なかなか楽しめる作品だった。雑賀衆の話など知識を補完したり現地観光みたいな実写パートも見逃せない。

フットサルボーイズ!!!!!
フットサルを扱ったオリジナルアニメ。決して出来の良い作品ではない、というか、そのネタで引っ張るにはワンクールは長すぎるというアンバランスな構成で、見ていてどうかと思うところも多いんだけれども、最後の最後、これをやりたかっただけだろ、というキメのクライマックスは見事にキメてきて、そのワンクールを溜めた爽快感はやはり忘れがたく、それだけでも記憶に残る作品だった。真面目なフットサルかと思えば必殺技とかが出てくるだいぶ弾けた感じなんだけど、そういう派手さで引っ張るかと思えばフットサルなのに司令塔を任された重要選手が主人公にパスを出せない、という信じがたい課題でワンクールを引っ張っていた。この話六話くらいでやっておくべき気もするけど、オイいつまでやってんだよ、という溜めを経た最終回でないとこの解放感はないだろうし、かといってパスでワンクールもたせようとする異常なアニメだった。

賢者の弟子を名乗る賢者
ゲーム内で老人魔法使いキャラをやっていたら、戯れに作った幼い少女アバターにゲーム内へ性転換転生してしまったという異世界もの。老人口調の少女とトイレネタが頻出する独特の趣味の作品で、漫画版をだらだらと読んでいる。ゲーム転生なので、モブというかNPCにも意思が生まれていて、後半では主人公がその人たちに力を貸してその勇気を支える話になってて良い。10話の軽くて下らない探索行の感じとか、最後のみんなゲーム世界を楽しんでる感じが良かった。ヒナタ先生が良いキャラだった。キャラデザが装甲娘戦機の人じゃんと思ったら監督スタジオキャラデザ音楽が装甲娘戦機スタッフだった。

異世界美少女受肉おじさんと
異世界TS転生その二。サラリーマンの32歳の親友同士が片方女体化済みで異世界転移し、異性になったお互いに惚れてしまいそうになるのを思いとどまる女体化BLコメディ。だいぶニッチなネタながら、生まれてこの方人を褒めたことがない男と人から褒められたことがない男の二人の男性性の話だった。嫉妬や好意を伝えるという感情の表出を苦手とする男らしさの弊害の話を正面からやってて、そこら辺のリアリティある部分を見据えてるのはかなり偉いと思った。

薔薇王の葬列
シェイクスピアの史劇『ヘンリー六世』『リチャード三世』を原案とした薔薇戦争を描いた漫画を原作とするアニメ。リチャードが男でも女でもない両性具有として生まれた「悪魔の子」という設定で始まる。史実も史劇も知らないのもあって、結構早い段階でなんかよくわかんなくなってきたなと思いつつ見てたけど、ワンクール目終盤はそれでも前半の人間関係の決算という感じで圧があった。11話も地獄だったけど12話も輪を掛けて地獄あるいはEDの通り悪夢をやってきて気圧される。この世の地獄を見せてやるぜという気概はすごかったしそんな作品の最後に夢を見て終わるというのもこれしかないかというものがあった。

幻想三國誌 -天元霊心記-
ファルコムが日本ローカライズしてた台湾のゲームシリーズが原作らしい。三国時代に魍魎がはびこり、それを倒すために結成された部隊で、小霊という少女が強い力を持つものの暴走してしまうことがあり、それを自ら気に病んでいる。仲間たちもそれぞれに罪や痛み、弱さを持っていて、そこにつけ込まれながらも克服していく話。「他人を不幸にして得られた幸せなんて本当の幸せじゃない」、ストレートなテーマがある。三國志要素はよくわからないけど、地味で手堅くなかなか良いアニメだった。小霊という金元寿子ヒロインが強い。

東京24区
今期CloverWorksアニメその三。東京湾に浮かぶ特区で、本国返還間近の管理社会という香港を思わせる設定のオリジナルアニメ。二者択一のジレンマを全部トロッコ問題と言うような話の組み立てがどうにも粗雑というかずっと疑問だったけど、死者が支配するシステムと別れを告げて、未来は自分で決める、みんなで意見をぶつけ合ったその上で、失敗してもその結果を受け入れる覚悟を持つこと、と民主主義と自由の話にはなっているから良いか、な。香港の件を意識して、民主主義や監視社会と犯罪予見システムによる安全かプライバシーか、というようなテーマを踏まえつつ色々やってたけど実装はかなり妙な感じになった印象はある。11話の意見がぶつかり合う、三人の泥臭駄々っ子喧嘩コントが面白くて、迫真の演技と声に絵が追いついてない感じと、無音の演出でやけに笑えてしまった。

終末のハーレム
男性が死滅するウィルスによって女性だけの社会になった未来で、希少な生存男性たちが子作りのための性行為を求められるというお色気漫画が原作のアニメで、そんなに面白い訳ではないんだけど、二話で建物のなかに急に熊が出てくるのがツボに入ってメチャクチャ面白かったので記憶に残るアニメになった。牧場とかで馬やら牛やらが逃げたぞ、っていう展開はまああるけど、それが未来社会の建物内で起こったので。いや、たぶん別の人が見てもそんなに笑える場面でもない気もする。原作漫画も無料配信してるやつをちょっと追ったけど、主人公に視力検査させてる場面で係員がランドルト環ではなく自分の乳輪を見せてこれは?というところが笑った。これアニメにはなかったよな。もっとこういうバカアニメなら良かったな。

ショートアニメ

イロドリミドリ
単位が危ない主人公が良いライブをやると単位が貰えるらしいと言う噂からバンドを結成してライブをやるガールズバンドショートアニメ。主人公が新田恵海だ。全八話で短いけど、なかなか良いと思ってたら披露する最終話で開幕、え、待ってそんな曲なの?ってビビった。今までの緩さから出てきていい曲じゃなくないか。イントロからAメロのあたり良い。「Change Our MIRAI!」すごい落差だった。アルバムもあるんだけどタイトルが「単位」「推薦」「卒業」とかなのに笑った。

王子の本命は悪役令嬢
今期僧侶枠はゲーム世界転生で、悪役令嬢になっている自分を王子が狙ってくるけど、そのルートはバッドエンドだから自分以外を選ばせようとする話で、主人公の声優が関根明良で声がプリンセスプリンシパルのプリンセスっていう説得力がある。一話の爆速展開に笑ったのもあるけど普通に面白い。転生してその人自身になることで悪役令嬢の本当の顔が見えてきて、そこに王子の愛の真正さも見えてくる。悪役になりきれない主人公とその本心を理解する王子のゲームにない繋がりが決まっていない未来を切り拓く、良い締めだ。僧侶枠初の悪役令嬢もの、ちゃんと面白くて主人公の変顔も含めて良かった。長尺でもできそうな設定で、自分の知ってる悪役令嬢ものって破滅フラグとかのその役から外れるってタイプが多い印象だったので、悪役を演じなきゃいけない設定はわりと目新しさがあった。この短さでやるにはもったいないネタな気がする。

テレビのADなど制作現場を描く大地葉の独演会の趣があるオンエアできない!というショートアニメや、悠木碧独演会ショートアニメの趣があるあたしゃ川尻こだまだよ、などもあった。しかしトライブナインは主題歌は良かったけど本篇はもっとどうにかならなかったのか。

春クール(4-6月)

ヒーラー・ガール

灼熱の卓球娘入江泰浩監督、秋谷有紀恵キャラデザ、木村暢構成、スタジオ3Hz制作のオリジナルミュージカルアニメ。西洋、東洋、そして歌で人間を癒す音声医学があるという世界設定で、序盤は色々な雰囲気にスピリチュアルなものを感じて大丈夫かと不安があったけれど非常に良いアニメだった。三人のヒーラー志望の少女たちが音声医学の師匠のもとで色々な体験を通して学んでいく。メインキャストに歌の上手い声優を選んで、ミュージカルを自然にやるために歌で癒すヒーラーという設定を持ってきてて、その設定故になんでヒーラーをやるのかを歌いながら明かしていく日常場面を描けるのがとても良い。なぜか主人公たちが寝泊まりしているのが太宰治記念館の斜陽館で、その空間性を生かしたように立体感のあるコンテというかレイアウトになっていて、一話からそこらは感じられたけど、三話でも序盤で話をしてるところに奥から一人、横手から一人と集まってきて、二部屋隣からロングショットで映したりと建物の構造を活用した構図がまず見てて楽しい。建物の立体感、ハーモニーの音階の立体感、なんかそういうコンセプトなのだろうか。この話数は試験の勉強で日々の喋りが歌になってしまった三人の町内運動会を描いていて、歌ってる時が一番パワーが出るというヒーラー設定でミュージカル運動会を可能にする仕掛けが面白い。歌うことで強くなるシンフォギアを日常劇に組み込んできた印象がある。歌は体の動きなので、歌とともに体を動かす楽しさを描きながら、音楽用語を実演しながら説明する冒頭がやはり良いのと、その歌と体の連動を運動会で描いて試験に合格、なるほどなという流れだった。ことに印象的だったのは八話の玲美とそのメイドを勝手にやってる葵の話。イメージシーンでピアノとメイド服が「枷」にもなることが描かれるけれども、玲美が着ていることで相手を夢へと送り出すためのものでもあると示されていて、音楽が枷にもなり同時に夢への道にもなることと繋げられる。恩を受け取り返すのが音で描かれる。白と黒の鍵盤が、音楽、その夢、メイド服、鳥籠、翼、そうした送る受けるの相互性に繋げられていくイメージの連鎖はすごかった。ストレートな自立の話で、玲美はもう料理を頼れる友達もいて葵一人に依存しなくてもよくなったしそれだからこそ、感動的な話の後に葵は帰ってくることができるオチも良い。歌が葵を首にし、歌が葵を送り出す。最終話では、異国で「言葉は通じなくても歌ならきっと伝わる」ということ、機器がなくても医療行為ができる「夢」や「魔法」のようなもの、というところも描かれていて、それはアニメというメディア自身にも重なるもののように感じる。歌や絵、音、動きを通じてイメージを送り、人を癒すことができたら、そういう祈りがある。ヒーラーの三人を「魔法少女」というアニメ的な文脈を踏まえて呼んでるし。連絡すればいいところを外国にひとっ飛びするのも、最後に空を飛ぶのも、ヒーラー=アニメだから飛べる、そういうニュアンスがある。外科手術の補助や資格試験や研修というかたちで、「できないことの方が多い」と一見超常的なヒーラーを現実的な制限のなかで描く筆致から、最後にはそれを逆転させて、救急時には器具装置がなくても医療行為ができるのは魔法のようだとその可能性を示しているのが良くて、それが最後のシーンに繋がる。最終話は三人それぞれの分岐を示唆しながらいまはまだ三人で、という日常に戻りながら烏丸先生のヒーラーの道を決めた過去を明かして、先達と後進のループを描いて締めなのは綺麗だった。烏丸先生参加バージョンのOPがフルで流れながらイメージとかでなく最後ふつうに空飛んでるの、笑っちゃうような妙な場面なんだけど、これがアニメだっていうあまりにもマジな場面でもあって、その力強さには感動させられる。なんてことない会話でも主観視点、魚眼レンズなど構図をキメてたり、空間を意識させる絵作りが非常に楽しいし、一人原画を連発する序盤もすごくて、新人育成の意味合いもあるという点も面白いアニメだった。

BIRDIE WING -Golf Girls' Story-

稲垣隆行監督、安食圭キャラデザ、黒田洋介構成、バンダイナムコピクチャーズ制作のガールズゴルフアニメ。トンデモゴルフで度肝を抜く一話、賭けゴルフで底辺から這い上がってきたイヴと、血と環境と何でも持ってる葵という対極的な二人が出会う、トンチキなノリとレトロながら堅実に面白い百合ゴルフアニメでかなり楽しかった。二期決定というけどそもそも脚本的には2クール連続で放送すること前提としか思えなかったので一期分は妙なところで終わるのが玉に瑕ではある。八話までイヴがナフレスという国から出て日本へ来て本格的に葵との物語が始まる序章的なパートになっていて、そこだけでも抜群に面白い。四話はゴルフ勝負で会場になる全自動雀卓のようなランダム生成ゴルフ場が面白すぎるし、ジッパーを上げ下げしてフェロモンで相手の感覚を狂わせるおかしなキャラも良かったけど、葵とイヴの隔絶した距離を描く、葵の乗る飛行機に追いつかんと飛ぶイヴの打球の図がメチャクチャな絵だけど今作の縮図で相当良かった。トンチキな絵面に届かない気持ちを込めた最後の一打、会心のショットだ。七話は直前に監督インタビューで物理法則を無視したようなショットはないって読んで、なるほどそうかと思った直後にこれだよ!っていう驚愕の場面でかなり面白かった。ショットはギリギリあり得るラインを狙うけど、選手の方もそうだとは確かに言ってない。あんな自動生成ゴルフ場がアリならサイボーグもそりゃ自然……。これは肘に問題抱えてるんだな、と思わせてのメカアームは異常。あのメカメカしいゴルフ場をひとまず飲み込んだところでサイボーグを出してきて、科学レベルが揃った感で超展開を飲み込ませるの、掌の上で遊ばれてる気がする。そしてナフレス篇ラストの八話、四話の時の弾丸が追いつけなかった飛行機に、今度はイヴが乗って行く、みんなやローズを残してという寂寥感が良かった。ヒットマンがこんな絵になるラストもない。葵とイヴの表と裏の二人の関係が再配置され、どこまでも裏の世界に骨がらみになったローズが表へ旅立つイヴを見送る。ローズの「表の世界に行こうとしているお前に勝てば、俺は今までの人生を後悔できる」、すごいセリフだ。可能性の全てを使い切ったローズと、これからのイヴ……。ヴィペールやリリィ、クライン、子供達とのなんでもできるという一瞬の夢も、ローズのレオと表の世界でゴルフする夢も、一時の夢として後にして旅立っていく。九話からの学園百合アニメになっていくのもなかなか楽しいし、そこで日本語喋ってるね、なんでだろ、でイヴが日本語喋る不可解さを通すのは豪腕どころじゃない。学園篇でも普通に妙な能力者が出て来て、ゴルフのダブルスというそんなのあったか?っていうのをさらっとやってくるのがすごい。学園篇はイヴ大好きの色ボケ葵と戦闘狂イヴのバカップル道中の様相を呈してきてるし随所にレトロな演出が入るとそれだけで笑ってしまう楽しさがある。この二人が楽しげに子供の喧嘩をずっとやってるの、階層は違えど子供らしい子供ではいられなかった二人が純粋に子供時代のやり直しを楽しんでるようでそれも嬉しい。一期ラストの13話、EDが流れて「ここで?嘘でしょ!?」って思った。このペースだと分割って感じじゃないとは思ったけどここまで普通に次回に続きそうになって終わるとは思わなかったので後追いで見る人はそれを覚悟した方が良い。しかし、ナフレス篇ではイヴと葵の二人の距離の話だったけど、ローズが最期にイヴの飛行機を見上げたところでイヴはもう翼を得ていて、この二人のバディを地上の人々が見上げる話に転換してるのかも知れないと思った。OPの広瀬香美は話題性抜群で気持ちの良い歌だし、EDの情感も良かった。

まちカドまぞく 2丁目

高濃度の情報をハイテンポで畳み込みつつギャグやワードのセンスや小ネタでも攻めてくる油断できないアニメの二期。やはり抜群に面白い。一話、果たし状がデートの誘いと勘違いされた一期ラストの続きからそのままに、勘違いなようでちゃんとデートしてプレゼント贈って、次回以降の約束も取り付けて、いややっぱデートだったじゃんってなるあたり、コミカルやりつつきっちり百合もやっていくのはこの作品大概そういう重層性がある。「バァァーン!」の声SE連打と「牛肉を見る権利をくれました!」の波状攻撃で笑ってしまって話が入ってこなくなって戻したりもした。サントラには「牛肉を見る権利」という曲がある。二人の杖をぶつけあってカウントするOP入りが良すぎる。前半クライマックスの桃の姉、千代田桜をめぐる五話は、リコと店長の情報を元に怒濤の謎解きでたまさくら、桜のコア、桜と段階的にその真実に近づいていき、千代田桜の事跡を浮かび上がらせ、その存在を信じられるようになったからか、記憶を媒介にシャミ子と対面を果たす流れがとても感動的だった。封じられていた父、コアと化していた桜の二人に守られていたシャミ子が今は嫌な記憶を周囲の力でちゃんと埋めることができていた、という幸福の礎を見出していく。六話で、シャミ父も桜も、探していたものはすぐ近くにあって、妹の分の呪いを背負ったシャミ子の命を支える桜も、桃の笑顔のために頑張るシャミ子も、シャミ子の笑顔を目標にする桃も、この街角を守りたい、と繋がる原作三巻ラストに当たる最終回感。桃のために頑張るシャミ子と、姉や街や自分より大切なものができた桃、激烈に百合アニメだ。その流れというか桃のシャミ子愛の九話、桃がシャミ子に手作り弁当を食べさせて貰うための舞台設定が完璧。欲望を素直に表出することを闇堕ちが促してるし、シャミ子もヒモや桃のお腹に興味もったりどさくさに触ったり、性欲をかなり出してきてる。11話は、学校で遭難して行き倒れていたシャミ子が健やかに学校生活を送れるようになった泣きアニメの様相を呈する前半からミカンの災難体質が級友に被害を与えかけて気に病んで立ち去ろうとしていたのを止めるシャミ子、受け取ったものを返している流れがよくわかる。体が弱くて参加できなかったシャミ子と他人を害しかねないミカンと、賑やかな学校風景のコメディがそこにいることのできるかけがえなさの裏表。「弱くても頭が悪くてもセンスがなくてもこの街で私にしかできないことがある」。最終回12話、怒濤の伏線回収と人の輪の協力あってこそのウガルル救出作戦。善意の掛け違えのトラブルが、これまでの日々の暮らしのなかで積み重ねてきたものをより集めてシャミ子にしかできないことによって解決される気持ちの良い話だ。シャミ子のこの街を守るボスへの道。この作品、父や桜やウガルルと、全部別の形に姿を変えて自分たちを守ってくれている存在をめぐる話になってて、謎を解くことでその暖かさに触れるつくりになってる。どれだけなにげない日常にそれを支える人の力があるか。そしてその日々の積み重ねが危機で力になる。日常とは何か、その見事な組み立て。「鶏肉 柏野昌俊」、これ鶏肉をかしわ肉と呼ぶことがあるからそのキャスティングしたの? 主題歌がともに良いんだけど、一期のEDは元々作詞家に発注する予定でいたので曲が上がって来た時点で原作者に送って歌詞に使うキーワードか何かがあればと訊ねたらほぼ完成形の歌詞があがってきてしまったというのが面白すぎる。

阿波連さんははかれない

ネコぱらの山本靖貴総監督とフェリックスフィルム制作、牧野友映監督、八尋裕子キャラデザ、吉岡たかを構成のジャンププラス漫画原作アニメ。原作は配信でずっと読んでて、自分のなかで既にアニメ化されて二期来ないかなって言われてるくらいの位置にある気がしたんだけどそれは錯覚だった。距離感のおかしい阿波連さんと次第にその妄想癖などのおかしさが露わになっていくライドウくんのシュールなラブコメディで、アニメはパキパキ展開していく漫画のリズム感は出ないけどその分ラブコメ色が強まってる感じ。勘違いコメディなんだけどそういうのにありがちのストレスを感じさせないシュールさや勘違いの方向性の処理が良い。単純に見てて非常に面白いのはそうなんだけれど、原作を読んでてこの作品の面白さは知ってるというつもりでいたら終盤の展開で思った以上に圧倒されて自分はこの作品のポテンシャルを全然わかっていなかったと思い知らされたのが得がたい経験だった。その10話、キャンプでキスで確かに何か出来事があって関係が変わったはずなのにどんな話が二人の間で交わされたのかが視聴者にもわからず、二人はいつも通りの関係にしか見えないというか元からちょっと変わった距離感がそのままで続いていくの、かなり、良い。関係が変わってしまうかも知れないという不安を乗り越えて告白して、でもなんかあっても「いつも通りの二人だね」からのEDテーマの「大丈夫大丈夫いつも通りでね」って流れるのが素晴らしい。くっついたのかそうでないのか外からはわからないのは後の友達や先生からもそうで、しかし決定的な何かしらの変化があったという微妙な距離感の話をしたあとにED曲名がキョリ感なのが決まってる。「阿波連さんのその距離感も俺は好きだ」のライドウくんの肯定力。恋人として結ばれても変わらないと言うことはクラス替えで離れても変わらないということ。既に阿波連さんの輪は広がっているということをお茶会で示しての最終回、見事というしかない。こんな綺麗に区切れるのか。告白回を早めに持ってきて、恋愛話を12話Aパートで済ませてのBパート、構成の勝利。阿波連さん大城さんを含めてみんなでゼロ距離に囲むAの締めが距離感の締めとして良い。

ビルディバイド -#FFFFFF-(コードホワイト)

続篇でやたらに百合アニメになるカードゲームアニメその一。仮想京都を舞台にしたカードゲームアニメ後半クール、前半の主人公が囚われてヒロインが消え、弟子を名乗るひよりが主人公として立ち上がる熱い流れから、前半で対決した照人の妹菊花との百合アニメになるのが驚き。照人をめぐる関係だけではなくひよりには一緒に住んでた友人で菊花には罪悪感がある桜良をめぐっても因縁があり、二人の関係が密接に繋がってかつねじれている。親密さと罪悪感をからめて、毎回のように火力のある百合描写を放ってくるので油断できない。菊花は一応ひよりより年上なのに、三年のブランクがあってひよりに対して完全に年下の仕草だったりするのが面白い。年齢差と成長度のコントラストがある。前半クールの弟子キャラとボスキャラで、後半クールがその二人の関係を百合要素強めにじっくり描いてくるのホントに意外でビックリする。この新京都は仮想世界なのでカードで武装できて戦闘が行える、すげえトンチキシリアスな絵面なのも面白いし、「新たな脅威 KUGE」というPVの文面が面白すぎたしKUGEは「クゲー」って鳴いたところはすごかった。17話、熱烈な告白シーンがすごい火力。前半の展開を百合描写の燃料にしてゴウゴウ燃えてる第二クール凄いな。二人を分断するテリトリーの線が、それを超えていくひよりによって結びつけられて、分断ではなく同じ敵を見据えた協同に変質する。前半は桜良を照らす照人で、後半は菊花を照らす日和という名前の配置がある。18話は、KUGE衆を回避したルートに赤穂浪士47(フォーティセブン)を名乗る盗賊団が行く手を塞いでいたら、アイドル巳春ぺあと親衛隊がライブをしながら蹴散らしてくれるとんでもねえ絵面で素晴らしいアニメだった。21話、孤独の玉座から降りて菊花がひよりやみんなと関わることで生まれた新しい自分を肯定しながら、過去の自分を否定せずに今に至る必要な過程だったと認めたうえで前に進む二人が、ともに光を見つめようとしている演出がいい。今作のタイトルのように黒から白へ、だ。最終回、スーツで卓に座る照人と樋熊の二人が本気でカードゲームに賭けていて、ボスの樋熊も脂汗を流しながら運に任せてカードを引くのが、すべての根源はここだという感じだった。「人は皆、空のデッキケースを持って生まれてくる」、「世界よ、色とりどりのデッキで満ちてゆけ」、なんかそんな最終回だった。クマのパンの出会いからの絶妙なトンチキさで引きつけつつ、二クール目ではかなりの百合アニメになるという変遷を見せた話も最後はカードバトルの原点に戻りながら皆大団円の締めという形で綺麗に終わった。パンで始まりパンで終わる、それはなんで? 去年の記事でもツイッターでも名前の元ネタは『雨月物語』じゃないかと書いてたんだけど、それを見ていた方がそのネタで長文のレビューを書いてくれたので紹介。ネットでわめいていた適当な思いつきをきちんと論考にしてもらったようでたいへんありがたい。
TVアニメ『ビルディバイド』の健全なる人間讃歌:「春のとまりを知る人ぞなき」についての一解釈

シャドウバースF

続篇でやたらに百合アニメになったカードゲームアニメその二。そんなの二つあることある? 通年アニメの欄で扱うのが良いかもしれないけれどとりあえずここで。今年の百合アニメとして今作は外せないだろう。前作でも本渡楓のミモリと小倉唯のアリスという百合関係が描かれていてそこは良かったけど、全体的に特に終盤は大味に過ぎたので続篇を見る気はそんなになかった。しかしミモリとアリスの再登場、そして2クール目終盤の百合回ラッシュ月間はものすごかった。少年主人公だしキッズ向けカードゲームアニメではあるんだけれど、百合アニメとしての見どころもかなりのもの。15話から三話かけてミモリとアリスの距離を介して他人に相手のことを相談するていで百合を描く。人に相談したら友達のことを悩んでる風には見えなくて恋人と勘違いされるし、アイキャッチのキャラプロフィールで告白し合うのがすごい。その後、20話からの不機嫌ギャルのツバサとボーイッシュな趣味をもつレンの話は良くて、21話はこの二人の武田羅梨沙多胡富田美憂しかキャストがいないし特殊EDで同じ水に浸かって同じ目線での和解、夜の海辺、すごい良い雰囲気でこのアニメ百合回に真剣すぎない? と思ってたらさらに泊まっていく?とか言い出してどこまで濃度を上げていくのかとビックリした。22話は、前回のあとにツバサとレンでAパートやる姿勢、すごいぜ。風呂だったり押し入れだったり、全部を明かしてお互いの秘密を共有するレンとツバサ、近づく応酬でもしやと思ったけどさすがに同じベッドは使わない距離感、まだ伸び代がある。後半もジェントルマン探しという名の二人のデート回だったしジェントルマンの正体がシオンという新キャラでバトルという名のコミュニケーションが始まる予想を上回る百合アニメぶりだった。レンによって本来の自分を出し始めたツバサが自身の意地を張っていた経験からシオンの内心を突くセリフを連ねながら鉄壁の守りを突き崩す。これもう主人公でしょ、と思ったけどライトが男子陣の主人公でツバサが女子陣の主人公みたいな構図になってる。27話は、アバターで正体を隠し自尊心が薄く相手の好意を信じられないシオンに、隠していた目を見せて感謝の言葉を伝えるシノブ、それがライトの影響という、レンとツバサの別パターンだ。百合に挾まるどころかこの世界の百合を照らし出すライトくん。Fでは無印で受けたところを生かす方向にしたんだろうか。本当に百合回が受けてたかは知らないけれど。

かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-

ブコメアニメの堂々の第三期、原作はこの後も続くようだけれど二人の関係の区切りでアニメもテレビシリーズはたぶんここで完結というフィニッシュを迎えた。印象的なのは五話、会長disなら上手い藤原から始まり、真実の吐露として白銀、早坂へと連鎖していくラップを軸にして、公園というレコードを回してからの演出も凝ってて圧巻だった。ボヘミアンラプソディのクイーン風まで入ってて色々ジャンルもクロスオーバー。ラップ特殊ED。「ナマコの内臓が耳に入ってきたことのない側の人間」というフレーズもパワーがある。根幹は告白への不安を告白したら負けだという理屈で誤魔化してるところにあったのが自覚されての最終話、バキバキに力入れたアニメで会長が文化祭を私物化してウルトラロマンティックな告白大作戦をキメまくったのは圧巻で笑った。天上のかぐや姫に告白できないから、自分が留学という向こう側に立つことで告白する立場に立とうとする。面倒くさい人たちだ。「おわり」、口調よ。かぐやがいきなりディープキスしてしまったんだな。二人の話は区切りついた気がするけど留学話はこれからで、石上の告白は勘違いのままだし保留になってる。ギャグ回は楽しいし演出は凝ってるしというアベレージの高さから、三期ラストできっちり二人の関係に決着を付けるのに一時間使ってここぞと力入れてきたのはお見事としか言いようがなかった。

サマータイムレンダ

渡辺歩監督、松元美季キャラデザ、瀬古浩司構成、OLM制作の離島伝奇SF。幼なじみの潮が死んだという知らせで故郷に帰ってきた慎平が、影の徘徊する島でループ能力を武器に協力者とともに戦いを挑む話で、人口数百人の離島、不穏な伝承、謎めいた死、ループもの、クオリティの高い画面でリッチな作りながら縞パンのパンチラで10年前のアニメかよって感じはあるけど、影と呼ばれるドッペルゲンガーが本人を殺して成り代わっているという伝奇サスペンス色の前半と、タイムループと能力バトルになる後半の温度差もなかなか面白い。ゲームシステムを思わせる主人公の「俯瞰」癖や影の潮が常時水着だったりと、伝奇要素も含めて色々エロゲオマージュを感じる。シュタゲっぽいなと思ってたら後半のOPがシュタゲの人で笑ったし、EDが「失恋ソング沢山聴いて 泣いてばかりの私はもう。」という曲で場違いじゃないかと思ってたら、本篇の内容にバッチリはまっていくあたりも面白かった。楽曲では前半のEDのイントロの不穏さがとても良かった。22話の四つ目のシデがコピー慎平と縦穴を降りてる場面、完全にエヴァ弐号機とカヲルだよな。最終話、夕暮れの浜辺で影が伸びて影から再会し、影を捕まえ、二人の影が一つになるのは影の不穏さを描いた作品として印象深い演出になってた。作画の見どころもかなりあり、綺麗に完結させたなかなかの良作だった。この時期活躍してた久野美咲アニメでもある。

このヒーラー、めんどくさい

漫画原作アニメで、グロスなどで良く目にする下請け業務メインのスタジオ寿門堂の初元請けアニメ。初代魔法陣グルグルやまんがーるの中西伸彰監督。性格の悪いヒーラーカーラと能力が足りてない戦士アルヴィンのコントじみたやりとりがメインで、やりとり自体は結構面白いけどテンポというか間が難しそうで、漫画だともっと面白そうな気もするけどこれはこれで悪くない緩さだとも言える。カーラとアルヴィンのやりとりが次第に夫婦漫才の様相を呈してきて、二人の関係がラブコメじみてくるところも結構良かったし、カーラのほうが強いのをアルヴィンが受け入れてるあたりも笑ってしまう。最終回はとても良くて、これまでのゲスト全員大集合はベタもベタなラストだけどこのアニメに出てくるモンスター基本善人だから無理がないしメイスなりメダルなりのアイテムも小ネタも活かしまくってタイトル回収からのエンディング、完璧な最終回アニメだった。アニメ的な全員集合展開ってまあまあ気恥ずかしさも感じないではないんだけど良さが上回った。パーティ組めたんだなという感慨とその最初の一人カーラにフォーカスするラスト、まあこれしかない終わり方だ。アルヴィンがパーティのためにと決意した時点で呪いは既に役目を終えてる。一話の時点ではやっぱり間延びしてる印象があって、でも悪くないし「私が愛してやるからな」の気分で付き合っていたら全然楽しいアニメになったのは嬉しいね。寿門堂、初の元請け作品がこれなのは良いセンスしてる。売れるかどうかはともかく……。作りも相当安定してた。

であいもん

ビルディバイドと並ぶ今期の京都アニメ。追崎史敏監督、吉田玲子構成、渋谷秀キャラデザ、エンカレッジフィルムズ制作の京都の和菓子屋アニメ。捨てられて父を探している居候少女と和菓子屋の放蕩息子の、和菓子を通して物語られる擬似親子人情もの。良い話度今期一の呼び声も高い。この10歳の雪平一果の子供ゆえの頑なさ、寄る辺なさ、責任感を出戻り息子納野和のゆるい感じで解きほぐしていく。一果の他にも和が東京においてきた元カノや高校生女子といった年齢層が異なる三人のヒロインの関係も面白い。一果を置いていった母親が帰ってくる六話で、一果も和につれない態度を取ってるのはそれはそれで甘えてるってことなんだろうというのを描いて、運動会でベスト親子賞は良かった。それと和菓子文化の奥行きが後半に生きる構成。母親の誘いに対して、一果がこれまで母親のことなんて言ってないのが既にして答えだった。母親にお別れ宣告をする一果がすごい。「ママと一緒に行くのは一果じゃなくてお仕事でしょ、バイバイ」、これを言われるくらいだった母親とそれを言えるようになる聡明さを持つに至った子供、が一言で表現されてて鮮烈だった。一果は母親の誘いを切り出される前に自分の居場所がどこかを和菓子を使って答えてて、直接ぶつかり合うよりは、横からさらっと悟らせるのがこれが京都かって思った。和をめぐってぶつかりあう女性陣と一果が合流するクリスマス回の修羅場感もなかなか楽しい。毎回良い話だし一果その他キャラデザ含めてヒロイン力も高くて良い。最後のセリフが「まだまだ修業が足らんわ」ってのも憎い。

くノ一ツバキの胸の内

CloverWorksの一クラス分の美少女作品その二という感じの一作。角地拓大監督、守護このみ構成、奥田陽介キャラデザ。キャラデザはごちうさ、コンセプション、白猫プロジェクトの人。夏吉ゆうこ主演。高木さん原作者の別作品で、思春期の異性への憧れと馬鹿話が楽しい友人と、というあの感じを男を見たことがないくノ一の里を舞台に幻想の男への空回りをコミカルにやるんだけど、具体的にはツバキが一生発情しながら里の女の子たちが延々男は股間が弱いと繰り返す異常アニメだった。表面的にエロい絵はないのにツバキの抱いているものが恋や愛ではなく性欲だと執拗に匂わせてくるし、こう、ずっと性欲の話をしているのが特異な作品というか。多数の少女キャラのキャッキャした日常ものだと思っていたら男の性的メタファーを延々いじり倒すアニメだとは誰も思ってなかったのでは。そういう「ちんちんは蛇に似てるかも」とか連呼させる下ネタアニメでもありながら、里の年長年少の人間関係を描く日常コメディとしての良さもあり、また時折のアクション作画もキレがあったり、わりと良い作品。演出的には八話、後半サザンカツバキの馴れ初め話、崖下のサザンカと会った時の引きの絵が良いなあと思ったら座って主観カットの草履で遊んで引っ張り出す一連の場面ごと良かった。過去エピソードで演出キメるやつだ。崖下で光源と上下が自然な状況なのも良い。この作品に異性への憧れというものを通して閉鎖的環境に自足する生活から抜け出したい外界への羨望を感じるのは作者の小豆島出身という情報を知っているからかも知れない。特筆すべきはED曲で、大人数の少女たちはそれぞれ班ごとに分けられているんだけれど、毎回のEDではサビメロを共有しつつ、アレンジや歌詞を大胆に変えた曲がかかっているという面白い試みがされているところ。今年のアニソンとして大変面白い企画になっている。

処刑少女の生きる道

百合ラノベとして名前が挙がっているのはよく見た小説原作作品、本好きの下剋上の副監督川崎芳樹、ヤスカワショウゴ構成、玉置敬子キャラデザ、J.C.STAFF制作。異世界を舞台に日本からの転移者の能力の暴走を防ぐために処刑を任務とするメノウが、転移者アカリと出会い、処刑を試みるもののその時間能力のために処刑ができず、その対処が可能な場所に連れて行くために二人で旅に出ることになる、奇妙な関係の百合アニメ。この二人とそれに嫉妬するメノウの部下モモがいて、時間の能力でループしながらアカリにも何か思惑があって、という感じで繊細な話かと思えば六話やラストなど、原作の巻ごとの終盤では事態がハチャメチャになって大味な楽しさがあったりもするし、ド派手な災厄撒き散らすキャラを映画マニアにすることで大味に見えてもうまくハマった感が出せてたのがテクって感じだった。二人とも相手に隠すことがあり三人目が監視しているのもあって、人数を絞りつつ見る見られる関係が妙に重層的だ。アニメとしてはコンテ大畑清隆、演出岩崎良明の八話が特に面白くて、揺れや妙な動きや同ポジの反復やら、作画を省力しつつかなりコミカルに振ったコンテ演出で良い面白さが出てた。説明が多いから工夫した感じ。遠景でぐにゃぐにゃしてるモモの絵が面白いと思ったらぐるぐる回るアカリ。モモとメノウの会話で手を上げ下げしてるところや、バーでカウンターをのぞき込むモモの反復行動が何だったのかはわからなかった。ED曲が良いし、ED映像はコンテ演出作画背景まで斎藤圭一郎が担当している独特のアニメーション。

マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 Final SEASON –浅き夢の暁–

四月に一挙四話放送された三期。というか二期の残り四話だねこれは。主要人物がぼろぼろ死んでいって原作のバッドエンドルートな感じらしいけれど、絶望して宇宙の維持の資源にされることを拒否して、絶望せず希望を諦めないことを何度も繰り返し失敗しても諦めない一つの過程、という感じ。人のために手をさしのべられるいろはが、見捨てることを選んだやましさに苛まれる黒江と相対することでお互いの断絶が広がってしまい、手は繋がれない。「手を繋げるのは舞台の上の人だけだよ」「舞台下の魔法少女を救うため世界の仕組みを変える」、という時の舞台下の魔法少女の象徴が黒江で。「取り返せない失敗に私たちの希望を込めて」「後悔しながらでも生きてみせる」「失敗しても何度だって手を伸ばせる」、ぼくたちの失敗、それでも失敗は絶望ではない、というところに今作の核心がある気がする。「みんなのなかの私が私に手を伸ばしてくれる」。弱者救済を一時の流行のように言って相対化しようとするキュウベエは全体のために個人の尊厳を否定し資源として利用しようとする全体主義者で、と同時にキュウベエの能力を得た側が同じような犠牲を当然視する陥穽に落ち込み、また正しさの前で暗闇に落ち込んでいくこともある。ループもののまどマギの外伝として、失敗の過程も一つの尊重すべき記録として残る、そういうところも対比的な意味があるのかも知れない。基本的にフェミニズム的な戦いのモチーフなんだと思う。EDがClariSTrySailの共同ソング。これも渡辺翔だ。

短評

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 二期
良いアニメだし楽しいんだけど、一期ほど面白く見ていたわけではなかった。ある種の幸福な停滞があって、抜群にリッチなファンサービスの極みという印象がやや強まったせいもある。一話、アイドルとファンで与え合う同好会に対する、与えるだけでいい孤高のアイドルで多対一の構図を作るわけね、と思ったけどそれが「香港」から来たという文脈があると明確に民主主義対独裁めいた政治性を帯びるけれど、果たしてどこまであえてやってるのかとは思った。中国から来た可可の次は香港から来たキャラで個々人の自由な表現をテーマに、ずいぶん政治的なテーマに踏みこんできた、というのは与太話。途中まで栞子に八重歯あるのがなんか意外というかミスマッチなデザインだと思ってたんだけど、ライブでぱーっと明るく笑顔になると八重歯が似合うキャラになるのがなるほどねえ!って感じだった。二期でのここまでを溜めにするのが強かった。この栞子回のMVが特に良かったかな。五話は上原歩夢がなにもかも面白い。コースターで前席の侑とせつ菜を気にしたあとに侑と二人でアトラクションに乗って満面の笑みなのがあまりにも歩夢で良かったし良い表情が多かった。六話はせつなの正体を見て悲鳴上げて感涙する副会長が良すぎる。虹ヶ咲副会長、「推しが隣で授業に集中できない!」だ。12話、一期では激重束縛劇を展開した二人が、お互い距離が離れる選択肢を選ぶのはシンプルに感慨深い。一期でもお互いの夢について二人そういう話してたか。それぞれの個性が集まる場が「夢を真剣に追い求めれば同じ場所にいられなくなる」という巣立ちを後押しする場所になる締めは良い。

パリピ孔明
P.A.WORKSの漫画原作アニメ。タイトルとか見て盛大に滑るんじゃないかと思ってたけど、アイドルものに近い文脈で現代にやってきた孔明本渡楓のシンガーのプロデューサーをやる話だった。この英子のいろんな表情が良い。英子の魅力をみんなで広めて支える話だから。六話は一話通してのラップ回で圧巻。ラップらしいラップと孔明の演説調ながら韻も踏むラップ対決、異質なぶつかりあいだ。ヘイホー兵法から信賞必罰に落着する流れとか、馬刺しから馬謖とか、デストロイヤー、ペレストロイカで踏むとか。面白かったけど、まあ面白いアニメだったね、というあたりに落ち着く。転生七女ではじめる異世界ライフ、転生大聖女の異世界のんびり紀行という異世界百合作品のコミカライズがこれと同じ原作者だったのに放送中に気がついた。転生七女は途中で終わってしまって残念。

Shenmue the Animation
なんとシェンムーのアニメ化。横須賀アニメ、スローループと繋がった。原作ゲームは当時やっていて、懐かしさを感じながら楽しく見ていた。OPは曲も省力な作りも良いけど、やっぱサビの高まったところでフォークリフト出てくるのが良すぎる。サビで走る涼、藍帝と対峙する涼、そしてフォークリフトが走り出し画面一杯のリフトがグルグル回転する図って続くんだけど、フォークリフト描写の重みが主人公やボスと同格なの本当に良い。シェンムーといえばフォークリフト。理解度が高い。主人公涼の淡々とした感じがなかなか面白くて、ゲーム原作は色々難しいところもあるけど地味ながら結構面白かった。五話で終わる横須賀篇は父をめぐる涼と貴章の交錯で良い感じに締めた。六話からの香港篇、英国統治下の香港では室外機が壁に並んだ猥雑な光景に雰囲気を感じる。「イギリスからの返還が決まって、未来がどうなるかなんて誰もわからない」、80年代の話だけど今見るとね。最終話、かなり急ぎ足の後半で莎木・シェンムーのタイトル回収。シェンファといよいよ出会って壮大な物語が、始まった……! これも「修業が足らんわ」アニメだ。清帝国の遺産とか話がでかくなってきた。第二部完という感じ。自分のシェンムー感想見返すとずっとフォークリフトの話しててこいつ大丈夫か?って思った。今期、OPでフォークリフトの勇姿輝くシェンムーと、EDでハンドスピナーに乗って飛んでいく阿波連さんという何かのツートップがある。今年のアニメではくノ一ツバキ、このヒーラーめんどくさい、うたわれるもの、で鉄山靠が出てきたと思うんだけど、シェンムー鉄山靠出てきたっけ?

乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です
エロアニメみたいなキャラデザでENGIの乙女ゲーネタって時点で、いわゆる女性向けジャンルアンチの男性向け作品って事前印象があってどうかなあと思ってたんだけど、これがなかなか面白かった。ド外道を標榜しつつ根っこでは善人の主人公のデザインが見やすかった。乙女ゲー世界に転生した主人公がその女尊男卑の世界で色んな目に合う話なんだけど、ヒロインのはずのキャラがゲームとは違った落ちぶれ展開になって、という話。乙女ゲー世界のモブだと自分を思う主人公リオンがゲームの重要キャラだと思ってたから対応してたオリヴィアに人間としての不安をぶつけられ、自分をモブだからと言っていることと対応してゲームからリアルをマジでやってるのなかなかちゃんとしている。現実の人間をおろそかにするリオンの問題が、「こいつらなりにマリエに向き合おうとしている」「イケメン軍団」の真摯さと対比しながら展開していってて真面目な話だ。自分はモブだという行動自体が相手の心情を無視するものなわけで。七話では、主人公をよそにダブルヒロインが仲良くデートからのお互いが大切なのに平民貴族の立場の差に悩む百合展開が始まっておお、と思うとともに「同じイケメンが嫌いな仲間」での共感エピソードも入れてきてるのは素直に良かった。作画はだいぶチープだし色々粗い気もするけど、そこら辺も含めて良いエンタメやってるなって感じがある。

RPG不動産
きらら連載漫画原作アニメ。ファンタジー世界の不動産ネタアニメ。この原作者さんは昔女声男子っていう漫画を読んでた。サキュバスもののエロめのラブコメも描いてたし、なるほど衣装やなんかはその傾向がある。露出度高くても頭身低めでそんなにエロくはないけど、やっぱり異常な露出戦士がいるの笑ってしまう。フルーツタルトが全員変態で攻めてきたとしたらこっちは穏和な世界に平然と露出度高い連中が闊歩しているという絵で攻めてくる。話が素朴だからかこの露出度の高い服装に色が付く破壊力ばかりが目に付いてしまう。序盤はともかく中盤からは話も結構面白く、六話九話など良い回もあるけれど、このアニメといえば八話、ラキラが水をかぶって下着の色が見えちゃったっていう場面のあとに着替えてきたら、ほぼ下着みたいな格好して出てきたのがメチャクチャ面白いというか変なツボに入ったことで印象深い。私服はそうなんだけどシステムバグで発生した異常な場面みたいな感触だった。洋風世界でファンタジーお仕事もののきららアニメという要素もありつつ、ドエロファッションに恬淡としている独特の作風でもあるところから主人公が死ぬ劇的展開までなかなか異色の作品でもあった。

エスタブライフ グレイトエスケープ
橋本裕之監督ポリゴンアニメ。谷口悟朗が関わってて構成賀東招二という。閉鎖されたクラスタから逃れたい人を手助けする逃がし屋という色々話が作れそうな設定で毎回一話完結アニメをやっていたのがバラエティ豊かで良かった。四話の長縄まりあを堪能できるスライム娘マルテ脳内会議、バカ回に徹していて楽しいし、五話はED曲に謝った方がいいくらいの今期一頭が悪いノーパンクラスタ回、「自由・平等・履かない」じゃないんですよ。序盤少々掴みづらいなと思ったけどやっぱりマルテ脳内会議回あたりからバカアニメとしての本領を発揮して八話のサンドリヨン回でしっとりさせて終盤につなぐあたりの流れが一話完結アニメの持ち味を出してて良かったなあという印象。処刑少女のモモと並ぶ負けヒロインピンクことマルテが良いキャラだった。

可愛いだけじゃない式守さん
原作漫画は読んでいて、かっこいい彼女とかわいい彼って感じのラブコメで、それぞれのコンプレックスと青春模様な物語。序盤はスパダリ式守さんに迫られるドキドキシチュエーション一本でやってる弱さがアニメだといっそう出てしまうところはあったけど、途中から青春ものにシフトしてきたところできちんと盛り上がりが作れていて面白くなる。多面性のある式守さんと色々なものの綺麗さを見出す和泉くんのカップルには、ショート漫画が次第にそれぞれの内面、個性、人との関係を掘り下げていく話に深化していく過程を見るようなところがあった。元から良いキャラではあった八満がアニメになって萌えキャラ度数が上がってるのにちょっとビビってる。ED聴いてて、カップリングも聴いてみるかと思ったら結構良い曲だな、となった中島由貴のうつろいと君も印象深い。

ヒロインたるもの!〜嫌われヒロインと内緒のお仕事〜
ハニーワークス楽曲原作アニメ。趣味じゃないかもだけど楽しめそうかなと思ったら意外に面白かったし、終盤の展開が衝撃的。一見の価値がある。ともかく主人公太眉田舎出の水瀬いのりが、あざとい! 女性人気高そうなアニメかと思わせて学校の友人枠でギャル佐倉綾音と委員長チックな早見沙織が出てきて陣容は盤石かよって思った。アイドルに関心のない主人公ひよりが男性デュオアイドルのマネージャーをやることになって、でも友人にも家族にもそれを隠して三人だけの秘密の関係という特権的な地位で色々やる話。この主人公をめぐってモブとヒロインというテーマを立ててるんだけれど、そこに本当にモブからの一撃が加えられるのがモブテーマに真面目で面白い。11話、プリキュアよりも女の子だって暴れたいアニメだった。青春は殴り合い。延々と「君がかわいい」と歌い上げるOPの迫力たるや。

本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜
三期だけど話数は継続して36話で最終回。魔力と知識が突出しているために商業組織と貴族社会でさまざまな謀略の対象となるマインの悲運がホームシックに追い打ちを掛ける。前世の記憶があるのに、ではなく記憶があるからいっそうマインとしての家族が大事になる今世の物語。貴族との衝突の余波で貴族の養女になって庇護を得るということが平民のマインは死んだことになり公的に家族として会うことはもうなくなる、とまで重いものだとは。三クールかけて原作全体のまだ二割の進捗らしいけれど、マインとその家族の物語としての締めは感動的なものがあった。坂本真綾のED曲が抜群に良い。

魔法使い黎明期
ゼロから始める魔法の書の版元変えた実質的な続篇で、あの二人も出てくるけど主人公は違う。魔力タンクで無感情気味の主人公に、長命ながら子供のような容姿の先生が色々教えたり、好意を持たれたりするし、暴虐という大男とハルスフルという小柄で強気の女性との組み合わせとか、何かと身長差カップルが原作者の趣味の様子。前作のコンビからしてそう。のじゃ口調のロス先生が良いキャラしてるのと魔杖ルーデンスが表情豊かなのが良い。

SPY×FAMILY
WIT STUDIO、CloverWorksでやたらリッチな作画で有名漫画をアニメ化するやつ。アニメで初めて内容知った。スパイ任務のための疑似家族は良いとして、ヨルが暗殺者ってのが大丈夫かなって思った。アーニャ種﨑敦美がとにかく良い。「ずっと前から父の子供のアーニャです」、「父凄い見つけてくる」、個々のセリフが演技含めて面白い。個々のコミカルな話を良い作画でまわして楽しいアニメではある。一期最終回でようやく目標デズモンドの親との接触。自分の子供・他人を支配するなんてできないという主張を織り交ぜ、人と人がわかりあうことはできない、という開戦派の主張を崩していく。大切なのはそれでも歩み寄る努力、と親子関係をベースに語りながら、話せばわかるという理想論をやる。ここらがこの作品のいちおう主軸か。

ショートアニメ

おにぱん
現役女子中高生?を声優に据えたおはすた内で放送されたというWIT STUDIOのショートアニメ。一話、進撃の経験を活かしたような空間を縦横に駆け巡る自由な立体移動をキメるすごい作画で笑ってしまった。鬼っ子が人間界にやってきて自分の種族への好感度を高めるべくアピールするみたいな話で、問題解決に鬼のぱんつを履いて色んなコスチュームに変身する。なかなか良いショートアニメで、EDが良くて、特に後期ED、鬼ヤバッ!が良かった。

じゃんたまPONG
森井ケンシロウのだいぶキレのある90秒のショートアニメ。元は最近咲とコラボした例の麻雀ゲームらしいけどやったことはない。内田真礼がにゃーたんをやってる。四話がなかなかすごくて、三話で隕石落ちて地球が終わったのがギャグアニメ時空でリセットされたのかと思いきやちゃんと滅んでたのがわかる、三話とあわせて二段階オチのテクニカルさ。オチの勢いとしては三話の差し込むようなやつも良かったけど四話の牌の歪みがおかしさの導線になるあたりも面白い。五話、会社の急成長でビルが成長してエレベーターの上昇速度を追い越しているっていう奇想SFめいた展開に笑ってたら、宇宙に飛び出て、これはもしや四話の続きでは?という緊張感を味わわせてくれたけど大丈夫だった。四話が地味に後の話に緊張感を与えている。六話は特に良くて、ゆるキャンパロというかソロキャンしただけで終わる回。ナンバーつけてターレで公道走ってるところから、一瞬で日暮れにする時間を操るワンカット、キレがある。「野生に帰るにゃ~」のネコミミだから言えるセリフ面白い。この一言のための回かも知れない。環境音だけでやりきった。10話は蟹工船回?で、麻雀アニメなのに蟹工船でチンチロリンやって強運で船を手に入れるだけで終わるの好き放題作るにもほどがある。視聴者が唖然としているうちに90秒で通り過ぎていく早業のアニメだ。

3秒後、野獣。~合コンで隅にいた彼は肉食でした
今期僧侶枠。相手を草食系と思い込んで兄と呼びながら家に上げようとする舐めプに反撃してくる肉食系という、定番を抑えに来た感じだ。主人公が農家の子だから草食系を求めてるってネタなんだろうか。女性も積極的で安定感ある僧侶枠って感じ。広瀬裕也宮本侑芽のラジオで、広瀬さんが今作の主演ということで木魚の贈呈式というか引き継ぎを僧侶枠イベントでやるという話が出たんだけど、宮本さんが木魚の作品なの?と困惑したまま話が終わった。僧侶枠ということを説明しないとなんのことやらわからないな。その後もこのラジオに矢野奨吾がゲストで来て、3秒後野獣の人じゃんと思ったらほんとに3秒後野獣繋がりのゲストで、宮本さんも3秒後野獣を見た話をしててオイオイコレ僧侶枠ラジオになってて面白かった。

境界戦機
去年批判的に感想を書いたし今年もあえて項目を立てるほどでもないにしろ一応2クール目が今期あったので書くけど、仲間が実はゴースト製作者でしたっていうのがそのまま流されたりとか17話になってはじめて人を殺してしまったって話をしてるのもどうなのと思ったら18話の予告で「良かった、アモウくんが元に戻った!」で噴き出してしまったりとそれでいいのかって展開が多い。再登場したときの塗装くらい簡単に剥げるトラウマなんだったんだ? ラストの米軍と新日本軍の演説対決、自治しているはずの日本政府が出てこないのも不可解。米軍が悪いですよと言う演出はあってもこの構図で現在の政府を抜かしたらどっちが悪いかの話が成立しないのでは。むろんロシアのウクライナ侵攻が始まる前の制作とはいえ、中露の反人権的振る舞いが充分に知られたこの時代に中露と連合して米軍と戦うという権威主義的体制大好きアニメ作ってしまうのはすごいよ。新日本軍が作る政治体制、民主主義じゃなさそう。まあ第一話から「日本を取り戻す」っていう象徴的なワードを使っていたし、他国に侵略されているというのは現代日本の「進歩思想」を敵視するフレームの拡大されたものだろうし、空想的保守思想って感じでどこまでも具体性がない。政治思想の空虚さが作品の空虚さに直で出ている。監督と言うよりもプロデューサーがどうこう言われてるのは見る。思想を云々する前に出来が悪いんだけど、この思想性で面白くできるかっていうと、どうだろう。

このクールは言及したいアニメが特に多くて短評にたくさん回した。カッコウの許嫁も2クールのマガジン原作ラブコメでなかなか楽しかったし小原好美の妹ヒロインが強かった。全体的にはどうもな、という勇者、辞めますの八話、主人公の過去篇としてエルガイムの主人公の人がゲスト声優としてさすがベテランという感じで主人公との対話で一話やりきるのを支える声だったのも印象的な回だった。

今期見たなかでラップがあったアニメ、パリピ孔明、阿波連さん、かぐや様、遊戯王ゴーラッシュ、かぎなど、まちカドまぞくとたくさんあったのも印象深い。

あと、複数のアニメの主題歌を担当するアーティストが、DIALOGUE+と坂本真綾東山奈央ChouChoと伊東歌詞太郎とで五組あったのがものごとが重なることもあるもんだなと思った。

夏クール(7-9月)

連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ

本年のベスト作品を挙げるならこれになる。放課後のプレアデス佐伯昭志監督、構成佐伯昭志と東冨耶子、潮月一也キャラデザ、シャフト制作のストライクウィッチーズのスピンオフのアイドルアニメ。魔法力を用いて足に装置をつけて空を飛んだり固有の能力を使って正体不明の敵性体と戦う少女たちを描いたシリーズのスピンオフは、歌うことで戦いの最中にある人々に楽しみを与える音楽隊の物語となり、スピンオフの特質を生かして戦闘に参加できない落ちこぼれたちが自らの存在と居場所を見出して堂々と歌う姿を描く。登場人物を掘り下げた話数の出来はどれも素晴らしく、また自分たちのみならず世界を音楽で繋ぐというテーマを正面から描こうとしたこともこの戦時下において感動的。落ちこぼれで戦力外通告がなされた戦えないウィッチたちを扱う、というアプローチはスト魔女本篇の各国のエースが集められた設定のまさに逆側からの視点で、そうした裏側という視点は主人公ジニーことヴァージニアのキャラ設定にも及んでおり本作の背骨と言える。設定としてはあるのにアニメでは描かれていなかった使い魔を採用してもいて、それは色んな小動物で画面を賑やかにするアニメ的な魅力にもなっている。物語は現役を引退したグレイス隊長が音楽隊を作ろうと奔走するなかでロンドンの街中でジニーの歌声を聞いて、というはじまり。主人公ジニーはナイトウィッチという交信ができるウィッチなのに受信しかできない、歌が好きだけど「私の声はどこにも届かないんだ」と思っていたジニーを見つけ出すいのりとの二話が既にかなり良い。ルミナスウィッチーズという部隊が命名される三話では、酔って吐いた空に輝くゲロのようなものでルミナス、という名前が付くのが面白すぎる。ここでは汚いものとポンコツが輝くという文脈や、ネウロイとの戦いではなく住民たちとのかかわりがあるからこそ子供たちが命名者になるという反転のテーマが織り込まれている。魔法力を失い戦うことができなくなったアイラが「音楽が人を救うなんてこと本当にできるのかな」という問いへ、「違うけどウィッチだよね」「お姉ちゃん、歌うウィッチなの?」という子供たちの肯定の上に自分を肯定している。「私も歌うウィッチだ」と。構想が実践を経て結実する四話、考えることはできても実践できないマリアや、服の部位の名前は知らないジョーと針も持たせてもらえなかったけど知識はあるシルヴィ、そうした人たちが寄り集まってステージを組んで、ショーを披露し、手を繋いで空を飛ぶ本当の結成回。小さな場所で、隊員同士が繋がり村の人たちとを繋いだものが世界を繋ぐ。バラバラだったものがショーを通じて一つになったように、戦時下の疲弊した人たちを繋ぐワールドツアーが始まる。そして暮れゆく空にウィッチーズの航跡と星の光が繋がって輝く五線譜になる、良い締めだった。放課後のプレアデスにも参加した森悠の脚本。同じくプレアデスの設定制作だった山崎莉乃脚本の五話は、王女の立場を偽っていたシルヴィの物語で、偽物と本物、音楽ウィッチと戦うウィッチ、シルヴィとシルヴァーナ、教会の騙し絵を編み上げて、国の違う人々の心を繋げるものには本物も偽物もないと対立を破棄して、音楽に込めた思いがその架け橋となるのも素晴らしい。「戦わないウィッチであっても、彼女たちの人々を思う心に何の変わりがあるでしょう」。母が好きだった青い桔梗の花をイメージして、青いチラシをジョーに教わった花の折紙で折ってそれを父が胸に付けていたラスト、まさに本物ではないものの肯定の話だった。快活なマナと虚弱なマリア、色黒と色白の二人を描いた六話も素晴らしく、うまく飛べない理論派と言葉にできない実践派が手を結べばお互いの弱さを補い合える、そんな二人が描く不揃いな軌跡があまりにも美しい。二人で空の高みへ、やっぱりウィッチの六話じゃないか。またはプレアデスの二話。この回は二人の対比演出がとりわけ印象的で、明暗の二人の性格と見た目もそうだけれど、計画書を外に放り投げて窓を閉め切るマリアから明暗、外内の境界線で手を繋ぐアイキャッチイラストを挾み、そして外に捨てた「要らないもの」をマナが拾ってくるのは、マリアを掴み上げるマナという展開そのもの。そこから光を目一杯浴びるマナと、顔が翳りがちに描かれるマリアの二人が、手を繋いで夕焼けという朝と夜のあいだの時間の空を飛ぶなかで、髪が絡むほど距離が近づく締めにたどりつく。そして七話は佐伯監督が担当したスト魔女一期六話から十四年越しの別視点での奇跡の理由を描いていて感慨深い。焼け残った白鍵、受信しかできないナイトウィッチ、自分自身が何者かもわからないモフィのモチーフはあまりにも「まだ何ものでもない」五人の放課後のプレアデスを思わせもする。プレアデス四話で両親が奏でて地球から月、現実から夢へも届くものとしての音楽が、スト魔女六話からプレアデス四話を経て、ルミナス七話へと繋がっていくような印象がある。音楽がさまざまな境界を越えて繋がる、繋げる。ちょっと飛ばしてやはり本作でひときわ胸に刺さったのが10話。ジニーが自らの力ともいえる使い魔モフィを自ら手放す、悲しく美しい回だった。まばたきをしたらもうモフィが見えなくなる場面はあまりに切ない。エリーは戦火で惨い状況になった解放された故郷へ帰ってくることをジニーは後押しして応援していて、それと同じように偶然出会ったモフィには私のところではない仲間とともにいるほうが良いはずなのだと送り出す。エリーとの会話でエリーの背中を押して、これまでもみんなの背中を押してきて、最後にはモフィすらその背を押してあるべきところに送ってきたジニーは、では、何なのか。ここに受信しかできないナイトウィッチ、太陽の光を反射する月の象徴性が表れていて、太陽に対する月の位置というスピンオフ的テーマが通底している。これまでのシリーズでは映像化されなかった使い魔設定が、使い魔=妖精として子供時代の終わりに妖精が見えなくなる、というファンタジーの方向に寄せてきたのがびっくりだし、戦時下に力を手放すというテーマが出てくるのが鮮烈だった。ジニーは自ら部隊を去ろうとするけれど、既に使い魔が見えなくなったグレイスが作った音楽隊はウィッチなのに力なきものたちの居場所になっているし、エリーは幼い頃に出会った猫と別れそして再会し、それぞれの居場所を確かめて部隊にただいまと帰ってきていて、これからジニーが進む道を示しながら描いていて優しいのが10話の魅力だと思う。そして11話、ジニーが入って初めてそれまで各キャラの歌唱だったのが「歌・ルミナスウィッチーズ」の「わたしとみんなのうた」が流れるのが素晴らしい。戦わないウィッチで作られた部隊にウィッチでもない「正真正銘のポンコツ」が欠くべからざる核として存在するという、零れ落ちるものへの一貫した態度がある。人の背中を押す自分の歌が知らない人にも届いて、それが自分にも届いて、ようやく自分の内なる声を自分で聴くことができる。これはルミナスウィッチーズという命名が村の子供たちによってなされたことと同様で、本作の極めて重要な要素だ。今回でも子供の「行き先間違えちゃったの?」が良い。行き先はある、ただ間違えてるだけだから、すぐに行くべき場所に行ける。これまでずっとジニーは迷子だった。受信しかできないナイトウィッチ、モフィという偶然の出会いによって得た能力、他人のしたいことに敏感でそれを繋ぐことに一生懸命だったのは、人の光を反射する月として振る舞っていたけれど、月にだって自分で光ることはできる、それが歌だった。ジニーのモフィの帰還へのこだわり、自分についての無関心さ。受信しかできなかったのは私がここにいることへのためらいか。そこら辺が孤児か何かを思わせるんだけど、明確に描写されてない気がする。どうだったっけ。最終話、観客がいないはずが全員を観客にする逆転の運動で世界の人々を繋げるライブが素晴らしい。離散した人々、荒廃した都市、みんながそう願っているならいつか元に戻れる、とエリーが言うように、離れ離れになったものを繋げる、人の声を聴き・届ける、ナイトウィッチがなぜ本作の主人公たり得るのかというのが示された最終話。「ウィッチじゃなくなったからステージに立てないなんて、これまでの活動を否定することになるじゃない? 誰だって自分の人生を都合良く乗り換えることなんてできないんだから、他人からポンコツ呼ばわりされたってそんなこといちいち気にしないでずうずうしく生きてやれば良いのよ」。ウィッチではないジニーが歌うなら、グレイス隊長も歌っても良いわけだ。核はジニーだけどグレイス隊長がすべてのはじまりなわけで、そんな彼女がジニーのその歌を聴いたことがきっかけになった「永遠の寄す処」を歌い上げるという最初に戻る演出。ある場所に戻るというのは本作の核心でもある。サブタイトルのセーニョの記号はそこに戻るというサインらしく、歌われる1stシングルに限らず、ジニーがルミナスに戻ることでもあるし、モフィを元のところに戻したいと思っていたのもそうだけど、これはもっと広く、ネウロイ襲撃によって破壊された町、疎開・避難した人々、ウィッチたち含め軍人になった人々が元の生活に戻るというのも含めてそうなんだろうと思う。「ウィッチでもウィッチじゃなくても、私みんなと歌いたい、ずっと一緒に飛びたいの」、鳴海まいのここの演技にプレアデスすばるの高森奈津美を感じた。名作ですね。

Extreme Hearts

西村純二監督、都築真紀構成脚本、新垣一成キャラデザ、セブンアークス制作のオリジナルアイドルスポーツアニメ。シンガーとして芽の出なかった主人公葉山陽和が、事務所の契約を解除されてしまい、そこでSF的補助器具を用いたハイパースポーツというアイドルが参加して勝てばライブができるというショー要素のある競技に参加することになる突飛な設定を飲み込ませていく豪腕な展開が一話からキレがある。シンガーとして歌には経験がある日和、元々スポーツをやっていた咲希や純華の初期の三人は、それぞれお互いの足りないところを補い合ってハイパースポーツアイドルとして頭角を現していく。シンガーとしても、スポーツとしても、一度何かに挫折した人達が仲間を作ってRISEというチームになっていく物語もさることながら、作画コストを抑えていてもいくらでもスリリングにスポーツを描けることを知らしめるアニメーションの面白さも魅力のひとつ。三話は抜群に良かった。全力のハイパーバスケとライブでここまでの特訓が生きた回になってた。陽和が体力面で次第に底力を現わしてチームプレイが充実するのとともに、ライブでは引っ張る側になっての達成感が爽やか。体力で優れる陽和がボールを奪い、得点は咲希に任せるチームプレイ。テンポ良く進むバスケがかなり真面目に試合を描いてて、ギアが要所での補助アイテムとして描かれてて、小柄な咲希でもアリウープできたり陽和が技術面で劣ってても体力を生かしたプレイができる素地になってるのが上手い。陽和がジャンプを降りきる前にボールが相手コートに行っているスピーディさがあるからこそ、陽和がそこに来る異常さが際立つ描写も良い。色々なチームとの交流も良いんだけど省略。そして11話は圧巻のバスケ回。スピーディなバスケ演出とそれをアシストするギアの加速で途切れない緊張感がある。声かけと視線でフェイントしてきたり色々やってるのも面白い。後半RISEの面々の作画が変わってきて鬼気迫る陽和の顔が最後ハーモニー演出で和らぐ。回想やモノローグでテンポを崩さないんだけど、痛みに対するモノローグがきちんと注意力の欠如として描かれる。だから次の時はモノローグなしで突っ込む。いろんな戦法を解説なしで見て分かるだろとばかりにバンバンやってくるのもテンポが良い。アニメは止めと動きなんだって感じでその動きのメリハリがコストコトロールにもなり緩急にもなる。要所の動きをちゃんと描けば静止画でも動く、というか。静止画と静止画の合間を想像させることで動かすわけで、逆転の瞬間を描かないのもそういう演出意図があるか。最終回はMCでちょっと泣きそうな声してるかと思ってたらライブの最中に感極まってしまう陽和の歌声が泣けるし、そこから場を繋ぐスノーウルフとダンスを続ける四人に支えられて光のなかでまた歌い出せる一連の演出は素晴らしい。そして高架下からのサンライズ、完璧と言って良い最終回だった。スポーツ未経験者でライブ経験者という点でいずれも陽和が一人だけというRISEにおける特異性を浮き彫りにしながら、しかし、今はもう一人じゃないんだという、これまでにも種々散りばめられていた描写をここで最高の形でやる。スポーツの場面ではゲームメイカーとして得点を繋ぐ重要な役回りを演じながら怪我で一端引っ込む終盤の展開を、陽和の本場としてのステージでもやることでチームに支えられてここまで来たことを二正面展開している。事務所から契約を切られて引退を考えていたところからのサンライズ、朝目が覚めるところから始まるこの話は決して夢ではないということ。そんなところから優勝してステージライブにまで押し上げられて、これは本当に現実なんだろうかと一瞬後ろを振り返る。陽和が新聞配達のバイトしてたのは苦労人とか足腰の強靱さの描写としか思ってなかったけど、サンライズ・日が昇る時間だし有名になることでメディアに載る側になるという意味もあったのかも知れない。一話のアバンは夜から朝になって始まる。余談ながら、サブストーリーのYoutube動画で、ハイパースポーツはリアルスポーツに対して「スポーツみたいなホビー」だと認めた上でそれを肯定していくくだりは今作の位置づけはやっぱりそうか、とわかる。ギアを使うことで「リアルスポーツを楽しめない」人も楽しめる可能性に言及していたけれど、後に義手義足制作会社の子のミシェルが出てきて、病院の子供たちがエクストリームハーツの試合を楽しみにしているという描写があるのも、本気のスポーツではないからこそハンデがある人でも対等に競えるからだろう。それはキッズアニメホビーアニメの「お約束」ということの延長にもあるんだと思う。そういうアイドルとスポーツの掛け合わせが面白い。

神クズ☆アイドル

今期のトップアイドルアニメの一角。福岡大生監督、蒼樹靖子構成脚本、細田沙織キャラデザ、スタジオ五組制作の漫画原作アニメ。神アイドル最上アサヒの幽霊に憑依されたやる気のないアイドル仁淀ユウヤというデコボコ男女コンビのコメディタッチの話から始まり、ファンにとってアイドルはまさに生きるエネルギー源として切実な生存のためのものというテーマを踏まえて、仁淀が本当にアイドルになっていく過程は感動的で、アイドルとファンのお互いなくてはならない幸福な関係を描いたと思う。全10話とややコンパクトながら非常に良い作品だった。できれば体を預けたい仁淀の怠惰癖の軽妙なコメディがまあ楽しいんだけど、やる気のない仁淀のファンの描写も非常に面白い。死んだアサヒのファンだったヒカルが出てきての展開が重要で、七話は今期でもトップクラスの回じゃないかと思った。かなり感動的だった。アイドルはファンのエネルギー源というテーマをしっかり掴んで、ヒカルにとってのアサヒという存在の切実さを描きながら、アサヒから仁淀へ推し変することを怖れていたヒカルにアサヒからの感謝とエールを送る。空っぽの自分に最上アサヒの仮想OSを構築してアイドルやってたヒカル、アサヒが憑依した仁淀のまさに対比で、そんな仁淀もヒカルに向き合うなかで自身のファンをきちんと視界に捉えることで感情が生まれてアサヒの言う「愛」を理解し始めていて、それが最後にヒカルへの助言にも繋がる。ヒカルが光る棒を二本持ってて、最後に仁淀の青色を光らせるのが良いんだけど、そこだけではなくてキャストのクレジットすらアサヒのピンクと仁淀の青のグラデーションになってて、その混じり合う中間点にヒカルの名前があるという演出がかなり良かった。やる気がない仁淀にはやる気があるアサヒが必要という二人の関係も良いけど、「私は仁淀くんと一緒にトップアイドルになりたい」という二人三脚の関係が、依存ではなく、仁淀が頑張ったのを見届けてからアサヒが出てくるという感じになってる。アサヒこそ仁淀に依存しているわけで。仁淀は器がデカいってことなのかな。ヒカルのエネルギー切れが何のトラウマとかでもないのも良い。パターンとしては死別した配偶者が新しい恋人を見つけたのを元配偶者が送り出すみたいな話で、愛と生きることという結構でかいテーマだ。九話、仁淀ユウヤの「今日ここに来て、辞めなくて良かったなって、思います」、やる気なかったやつが辞めなくて良かったと言っただけなのにやたらと不思議に感動的。満席に驚愕する仁淀や、辞めなくて良かったと聞いて息を呑む吉野の短い息の演技も良い。最終話は、成長した仁淀と吉野の二人を描ききる全篇ライブステージ回のうえに、ZINGSの一員としてのアサヒにも用意されたアンコールの舞台が良い。アサヒにとって幽霊として仁淀とともにいる時間は長いアンコールなわけで、Live=生のアンコールだ。「今までZINGSの現場でアンコールをしたことがない」、初めてのアンコールを迎えることができるまでやりきったことで、ファンからの返礼を受け取る儀式としてのアンコール。アイドル辞めなくて良かったと仁淀は言ったけど、これはファンやヒカルにとっては生きていて良かった、死ななくて良かったという生存の切実さと関係してるなと思ってたけどそういやアイドルのステージは「ライブ」だった。わりとマジで生死の話をしている。幽霊だし。ファンが口癖のごとく生きる死ぬとか言うけれど、ヒカルの生きる気力を失った時がそうだったようにネタでもありマジでもある。話数が少ないあいた枠で何するのかと思ったら、「アンコール放送」でキャストコメンタリーを流すのも粋だった。

シュート! Goal to the Future

有名漫画の続篇的なオリジナルサッカーアニメ。TLでの盛り上がりが気になって見てみたらこれがかなりダークホースな作品だった。中村憲由監督、広田光毅構成、秋山由樹子キャラデザ、EMTスクエアード、マジックバス制作。原作で舞台になった掛川高校が弱体化していて廃部寸前というところに、サッカーを一度辞めてトラウマがある主人公秀人が、サッカー部員ジョーと関わり合いになり、名将と呼ばれる神谷監督の元でこのサッカー部を立て直していくことになる。絶妙に変な味わいがあるアニメで、なんでこんなにみんなが極まってるんだってくらい叫んだりしてて、ジョジョかこれかというぐらいにテンションが高い。特に二話が何かすごいものを見せられているというインパクトがあった。テンションの高さと熱気と秀人のトラウマの原因となった小久保のねちっこい煽りの笑って良いのか怖がって良いのかわからない圧。サッカー中にBL空間を生やして煽りまくるのが面白すぎる。小久保の涙の11人抜きからの号泣後ろ蹴りゴール、すごい。「次回 大好き」バキューン、の予告も怖い。掛川サッカー魂を残した伝説の11人抜きの久保先輩に対して、「小」久保が掛川を泣きながら11人抜きしていき、「サッカーじゃボールが後ろに行ったら敗北へのカウントダウンなんだよ」、という監督の言葉を綺麗に裏返して後ろへ蹴って勝利するという応接もキレがある。しかしとにかく絶対に退屈させないぞという意志を感じる。ジョーくんの最大熱量で生きてる感じもかなり面白い。なんかこれ、見てて元気になるアニメなんだよな。テンション高いだけじゃない面白さがある。やっぱり面白いのは合宿回の七話、かなり笑った。シュートを決めるのは一人じゃない、とチームの団結を図る監督の頑張りのなかで監督もまた一人の人間だということが理解され、「掛川ヌーディストビーチ」には部員の方から一緒に入ろうと誘われるのが良い。夜のプールで全裸男子たちの饗宴、謎の光が面白すぎる。警備員にみんなと同じように叱られた監督が翌日部員たちを圧倒しながら指導をつけていく場面、動きもかなり作画してていい。外からではなく、同じ経験をともにした人だからこそそうなれる目標にもなるし指導に説得力が出る。「掛川名物裸湯」もなかなかだけど「掛川ヌーディストビーチ」はそうそう出てこない気がする。八話、敵チームに「傀儡師」がいる回、いやすごいアニメだなこれはと思った。結構よく動く作画、骨子自体は王道的な面白さがありつつそれサッカーか?みたいな展開、異常な熱気のテンション、ハーモニー演出キメまくる濃さが渾然一体になって異様で言語化しづらい味わいになってる。何度も声出して笑った。ギャグとしても強い。「ジョーが悪いんだよ」「もっと俺を見てよ」という終盤の嫉妬BL展開も濃厚だったけど秀人と小久保もそういう感じで重いんだよな。その小久保のねっとりした妖しさが独特の感触を与えてる色物感とスポーツアニメとしてちゃんと面白いのとセリフや演技に異様な熱気があるのがマジで渾然一体となって奇怪な面白さになってるのほんと他にないアニメだと思う。一人でのサッカーをやってた小久保が、チームとしてまとまった掛川を前にして楽しいサッカーを再発見する、サッカーは好きか?に帰結する。原初の楽しい二人のサッカーがそれぞれに別れて、一人でやってたサッカーから「勝てよ、お前の仲間と一緒に」で締められる、美しいね。一人じゃないサッカーだから敵チームの秀人の負けを心から悲しめる、そんなラストの四人だと思うけど、最後にアイツなら俺のベッドで寝てるよみたいなネタを突っ込んでくるのもすごい。なんかい「すごい」って書いたんだろ。

異世界おじさん

異世界で十数年を過ごしたおじさんが帰ってきて甥と一緒に共同生活しているなかで、その魔法力を使ったり異世界での冒険の回想を映像に映してみんなで見たりする、メタ異世界漫画原作アニメ。河合滋樹監督、構成脚本猪原健太、キャラデザ大田和寛、Atelier Pontdarc制作。ホワイトフォックスのプロデューサーが独立して作ったスタジオらしい。原作は読んでて、三年前で既に一巻あたり十万部出てるような漫画だったのには驚く。マイナー誌に載ってて知ってる人はみんな知ってるけどというポジションの漫画だと思ってた。スタジオでのコロナ感染もあって八話以降が飛んで、改めて秋クールで再放送になったんだけどそこでも中国のコロナ感染拡大で色々あったのか最終話が年内に終わらないという憂き目を喰らった。セガマニアのおじさんの語るガーディアンヒーローズなどの私もやったことのあるゲームややったことのないゲームの話を聞いて、ツイッターで自分のセガゲーム体験を適当に書き飛ばすのが楽しかったってところもあるので、再放送で時間帯が変わったせいでそれができなくなったのが寂しいね。それはともかく、おじさんの異世界冒険譚をみんなで見て、という基本スタイルは誰かのゲームプレイを眺めながらわいわい言うやつそのもので、おじさんがYoutuberだったりゲーム実況以後の時代感も加味しつつ、異世界の土産話を語る雰囲気はもっと遡って炉端語りって感じも出ているのが面白い。異世界でオーク顔と非難され、差別されたつらい経験も、それを甥のたかふみと共有することで笑い話にできるというのがおじさん一番の救いなんじゃないか。孤高のセガマニアやオーク顔、が変なおじさんとして受け入れられるというか。異世界おじさんの一番のファンタジーはあの性欲のなさかも知れない。異世界では性欲を理解しないことによってヒロインとのフラグをバキバキに折っているんだけれど、帰還してからはそれによって変だけど無害なおじさんとして居場所を失わないでいられる。まあおじさん自体に性欲がなくても画面からバリバリの性欲が漂ってくる作品ではある。子安武人のおじさんはじめ、エルフの戸松遥、メイベルの悠木碧アリシア豊崎愛生と声がなかなか強くて、悠木碧のメイベルはまあ楽しい。

Engage Kiss

田中智也監督、丸戸史明構成脚本、滝山真哲キャラデザ、A-1 Pictures制作のオリジナルアニメ、ゲームもあるらしい。悪魔がいる世界で悪魔と契約し自分の家族を殺した悪魔を探す主人公シュウが、悪魔の少女キサラと暮らしながら元カノアヤノにもふらふらとして、というヒモラブコメバトルアニメ。キスで力を与える代わりに自分の記憶を失っていくシュウをめぐる組み立てが非常に面白くて、何度も立場が反転していくストーリーは見どころ。アヤノを守るために彼女との記憶を渡していて、そのキサラは愛されていないのを分かってキスに応じている愛人ポジションでっていう三角関係の構図。三角関係のヒロイン同士の百合的にも面白みがある。記憶を奪われることを逆手にとってマウントを取り返すアヤノ、リンゴを齧って悪魔と対等に立つ。キサラはシュウがアヤノと寝た記憶も持ってるっていうの、百合的に結構な発明な気もする。「マウント」、色んな意味がある。キサラ、記憶を食うことでシュウが色んな女性と肉体関係を持った記憶も持ってるの面白すぎるな。八話は救いがなさ過ぎて笑ってしまう。家族の仇なんていなくて家族こそが仇だったわけだけど、敵を討つためにマイルスのように記憶を代価とすればシュウにとって大事なものはなにもなくなってしまう。12話で明かされる妹の話、これはヒモアニメの決定版かもしれないなと思った。三歳の頃から「自堕落な兄の女遍歴をずっと見せつけられて心が歪んだ」妹がラスボスで、記憶をめぐるキサラの行動はヒモが家に入れてたお金を全部残していて全部返してくれたみたいでとんでもねえ。最後も、妹の不始末は身内でなんとかしろだしラスボスは母親だったし、徹底してドメスティックな話で、それはこの小さな島の出来事ということでもあって最後の最後に彼女と妹の痴話喧嘩に収斂するのもあわせて欲望の街の舞台設定と恋愛脳でうまくまとめた。妹が輪に入って完成だ。

ちみも

ポップな見た目から「地獄の始まり」ってサブタイを読み上げたのにええ?と何だこれはと見始めた、江ノ島に住む三姉妹の元にこの世を地獄にしようとする地獄さんと魑魅魍魎・ちみもたちが現われ、同居することになるコメディ。高松信司の変名ぴのあると監督、うえのきみこ構成、堤舞キャラデザ、シンエイ動画制作。コミカルでぼちぼち諷刺的で暖かくよく動く面白くて良いアニメだった。今でもこんな具合のアニメってあるんだな、みたいな。末娘めいをめぐる五話、ギャグも強いし良い話もさらっとやれるのが強み。歓迎会をしようとして三姉妹がコスプレする流れで、地獄っぽい格好で「ゾンビ」はわかる、「サキュバス」確かにエロいね、「アリジゴク」、声出して笑った。この三段オチはすごい。アリジゴク映る度に面白いし強すぎる。サプライズ地獄に誕生日地獄に監査地獄、「じごくみがあふれている」状況が地獄さんを歓迎する証なのは泣きアニメだった。地獄さんを歓迎するために相手の文化を想像できる限りで尊重して誕生日を作ってる。「お金もないのに毎日楽しそうに生きててハート強くて本当にすごいなって思っています」という腐し気味な観察からの「お父さんに会ったことがないけれど……」の緩急よ。プレゼントを全部地獄解釈するのも良いけど、めいの言葉だけはそれを免れてる。「鬼の目にも涙」で落とすのもまとまりが良い。最終話、人間界に様々な「地獄」を見出してきた最後に、地獄にするまでもなくここは既に地獄だったという説得が上司に通じるの、この12話の蓄積の故だ。別れ際、地獄さんが一番泣いてるのも良いけど、別れた後の後ろ姿の震えだけでめいとはづきの泣いてるのが伝わるのが泣ける。鬼の目にも涙、からの笑う門には福来たる、でオチがつく。毎日が地獄のなかで「笑って楽しく普通に生きろ」という楽しい日常を大事に、という良いアニメだった。

邪神ちゃんドロップキックX

神保町を舞台にしたどつきあい百合ギャグ漫画原作アニメ三期。二期見れてないけどまあ楽しい。徹頭徹尾ギャグアニメでそれがしっかり面白くて笑えるっていうのもなんか貴重だ。古典的なパターンでかつ二人のどつきあいコントに百合の要素を加えて美少女ギャグアニメにしているのがまあ現代的かつ古典的な感じもある。基本邪神ちゃんがバカでクズなことが話を支えてる。三話、誰だこれと思ってたら「うちのミク、知りませんか?」には馬鹿みたいに笑ってしまった。「クリプトンスタッフ」じゃないんだよ。五話、美少女アニメもギャグアニメも顔、表情の豊かさが魅力に繋がる点で重なるわけでそこに手抜かりのないのは相当強い。緻密な絵からゆりねの笑顔や驚き顔やら邪神ちゃんの簡単な黒点顔やら、リエールの羞恥ピースやらキャラの表情がマジで良い。暴力もメタネタもギャグがキレてる。途中から北海道や九州やらに行く自治体宣伝回になっていて、それはふるさと納税で金を集めて三期が作られることになったかららしい。クラファンで作ったアニメでクラファンネタにしてるのが強いけど、ミクが出てくるのも北海道ゆかりだからで、ゴールデンカムイネタもそうか。金策のために北海道行って観光とグルメとアイヌ、サブタイ通り全体でゴールデンカムイパロでもある。自治体宣伝回はかなり不評だったみたいだけど、宣伝でもクズギャグやるのは結構面白かったし、クラファン唯一の道外自治体、長崎県南島原市回は、生邪神ちゃん踏み絵からのうどんにして食ってしまう異常な展開にはビビった。自治体の議会でトラブルもあったけど、そもそもふるさと納税という制度そのものがどうかと思う。10話、コラボ回を旅行として経験することで帰宅した安心感を見る方も体験できるという寸法だ。邪神ちゃんも帰ってゆりねも実家に帰る。最終回、邪神ちゃんが宇宙行ったまま終わったの、次期が決まったら本当に「邪神ちゃんが帰ってくる」からなのかな。ギャグは何が出てくるかわからないし、美少女アニメで、かつバイオレンスで、自由なアニメだった。今期一番スルスル見てしまうアニメだ。

シャドーハウス 2nd season

ブラック労働の館シャドーハウスの謎を追う二期、相変わらず良い。シャドーの真実が明かされて、人間の体を乗っ取る影のホラー要素も出てくる。チームで謎を追うケイトとエミリコたちと、「仲間を作れなかった私たちの負けだよ」、という先行者の悲劇を踏まえてシャドーハウスへの挑戦は続くって言う感じ。死ぬかシャドーに乗っ取られるか、考えることを禁じられシャドーの体候補として使い捨てにされる労働のディストピア。コーヒーを飲めば洗脳が効いて「何も考えずに幸せでいられる」なかで、「エミリコ、余計なことを考えて良いのよ、あなたは人間なんだから」ということをしばしば忘れる。ブラック労働をおそらくは意識しつつ、自由がともすれば厳しくつらいことでもあって気がつくと従順さに絡め取られそうになり、また管理者の立場も描きながら全体主義社会への抵抗を描く話だ。個性を生かす教育改革がシャドーハウスへの抵抗にもなる。社会的な含意の強い物語だ。

てっぺんっ!!!!!!!!!!!!!!!

漫才トリオを描くオリジナルアニメ、高松信司総監督、渡部穏寛監督、熊谷純構成、大久保義之キャラデザ、ドライブ制作。ドライブといえばぶらどらぶ。伊藤彩沙に関西弁でお笑いやらせるアニメを最近みんな作りたがっている気がしてきた。まえせつもあったけどアニメで漫才は難しいから、劇中のドタバタをそのまま漫才で話したことにした、という仕掛けはなるほどとは思うし確かに楽しいけどそれで良いのかと思わないでもない。漫才トリオが五組で15人いて、密度のせいなのか何なのか、序盤はかなり話が頭に入ってこないところがあったけれど、キャラもネタも大渋滞の騒々しいギャグアニメとしてなかなか楽しかったし五話は冴えた出来だった。五話、宇宙人が一人いるトリオのループ回。本当に宇宙人がいることを使って、ツッコミを間違うとブザーが鳴って最初に戻る、三人の喋りとループだけで成立させていてかなり良かった。極小のシチュエーションで話をスリリングに回している。あとはやはり最終回、内輪ネタみたいな友達同士の普通の会話が一番面白いというかたちで予選を突破し決勝が描かれないという、漫才トリオを描くのにステージでの漫才を描かないことを作品の根幹に据えるほど貫いていたのは評価するほかなかった。漫才アニメで漫才自体を描かない選択肢はどうかなと書いた通り懸念していたけど、そこをきっちり回答してきた。OPアニメがなかなかキレてたけど、コンテ演出作画の菊地陽子って他の仕事デザイン協力とかしかなくて謎だ。倒れるセットの窓にちょうどよく立ってたので助かったネタ、バスター・キートンの『蒸気船』が元ネタだけど、これとシャドーハウスで被るという事態が起こっていた。

咲う アルスノトリア すんっ!

少女たちの日常の背後に恐ろしい敵との戦いが匂わされているけれど、その交錯はついぞ描かれない、という変わり種の日常美少女アニメ。 龍輪直征監督、構成脚本後藤みどり、キャラデザ岸田隆宏、ライデンフィルム制作、元はゲームらしい。久野美咲主演で、久野美咲富田美憂の声もよく聞いたクールだった。アルスノトリアなど魔術書の名前を持った少女たちの魔術的世界観のなかでの日常を描いていて、不可視の買い物が妖精として取り引きをすることで成立する話はなんともファンタジックで良い雰囲気だったり、淑女の歩き方を学ぶために頭に本を乗せたり変なもの乗せたりで一話やりきったりしてるのはほんとすごい。このまま最終話まで危機も訪れずにやったら伝説だなと言ってたらほんとにそうだったのでこれは伝説のアニメです。ゲームの主人公?を出迎える五人に行き着くまでの平穏なお茶会の日々で12話を通すのはすごい度胸だ。平和な日常は残酷な現実の前振りみたいな悪趣味さは好きではないので騎士パートがどうもなと思ってただけに、そうではなかったのは評価したい。日常と裏腹の戦場の様相はゲームに持ち越しなんだろうけど、今ここでは平和な日々を、というアニメだった。ED曲の雰囲気が良くて一日の終わりにこれを聞きたいなと思った。

リコリス・リコイル

治安維持組織のエージェントやってて普通に人を殺したりもする女子高生ガンアクションアニメ。『ベン・トー』のアサウラ原案、足立慎吾監督構成、いみぎむるキャラデザ、A-1 Pictures制作。アイドルチックな衣装をまとったリコリスなる女子高生による治安維持組織が未然に犯罪者を処分しているというどぎついディストピアの話で、ガンアクションのキレや百合アニメ的な二人の描写に良さはあったりするんだけれど、最終的にどうにも飲み込みづらいものがあった。制服少女たちとテロリスト?の殺し合いになるとやっぱり厳しい感じがどうしても残る。なんかちょっと生々しすぎる。11話、管理社会の様相について一般人の視点がなかったから一般人がリコリスを撃とうとする理由が見えないとかのディストピアテーマは雑なんだけど、ガンカタ格闘術とエコーロケーションバトルでの暗闇をシャッター破ってたきながヒーロー登場するこれがやりたい感は良い。12話、ドリプラ、セレプロの事故を見てきた身には「心臓が逃げる!」が面白すぎたんでほんとごめんねって感じだった。かなり笑った。銃千丁とかがどうなったんだとかリコリスの存在がドッキリでしたでなんとかなるのほんとマジで?って感じ。女子高生の制服は都会の迷彩服という嘘だろっていう世迷い言から入ってる時点で設定的なところってそういう建て付けではある。治安維持組織DAの維持されたままの日本と、人工心臓の入れ替えで生き延びてしまった千束も、なるほど誰かの死と引き替えの生で同じものになってしまったというエンドで、この苦い結末の後にそれでも楽しく生きていきましょうみたいな希望と諦念、なるほど現代的ではある。どこへ逃げても千束は生きてる限りオメラスから歩み去ることはできない、という話。最終回で千束が二度ほどたきなに拘束されるシーンがあったけど、あれはたきなによって生に縛られて死ぬことを許されない状態の示唆だろうか。「世界がどうとか知らんわ」というのは反語で、千束の不殺はDAのある日本への抵抗だったのが、吉松の死によって生存が保障されたことで千束にとって抵抗する意味が消えてしまい、生ある限りそれから逃れられないので日本から脱出することが可能になった、という皮肉とも言える。ヨシさんを殺して生きるのはそれはもう自分じゃないと言ってて、そういう生を生きているけど、千束のお調子者の態度がその絶望を隠しているのでそうとは見えづらい。ディストピア日本がそのままな後味の悪さと千束の不殺が破られたことの絶望、あんまちゃんと繋がってなかったけどそうなるか。

東京ミュウミュウ にゅ~♡

20年前の漫画原作アニメのリブート企画で、初代のは知らないまま見た一話が、作画も結構良いけど構図とか画面の動かし方が良くて、そこにレトロな画風ながらキッズアニメ的なコミカルな崩しの良さもあってかなり楽しいアニメだと思った。突然イリオモテヤマネコの遺伝子を打ち込まれた主人公が生物兵器として敵と戦わされるバイオレンスぶりに圧倒される。名取孝浩監督、構成山田由香、キャラデザ石野聡ゆめ太カンパニーグラフィニカ制作。CUEの制作会社のアニメが3クール続けて見られる良い年。「いちごは僕のネコ」という青山くんもすごくて、キッズ向けに見えて主人公のトキメキに全力なので男子連中がかなり倫理感ぶっ飛ばして行動してるのがこう、少女漫画!って感じで確かにこれは朝アニメではないな。「地球の未来にご奉仕するにゃん」とかいうキメ台詞を持つ作品がイカれてないわけないんだよな。「いちごの泣き顔かわいいんだよなあ」という敵の発言もやばい。八話、原作だと白金はれたすに酒と偽って飲ませた話だったりする? オレンジジュースとは言ったけどしゃっくりさせたり酒っぽく描いてるし、そうじゃないと話の繋がりがちょっとおかしい気がする。10話は特に楽しくて、強くなると遺伝子と同化して完全に猫化するという副作用もアレなんだけど、その状態で青山くんと同衾というラッキーイベント、そこから青山くんではなく飼犬とのキスで人間に戻るのは笑うしかない。死にそうになった時に「もっとみんとに働いてもらって楽すればよかった」が凄すぎる。このセリフをここで言えるセンスは強い。敵も味方も男性陣が相当尖ってるし時代的に倫理感もヤバイんだけどそれも面白みでもあり、絵的にもかなり楽しいアニメだった。名前、イチゴ、ミント、プリン、ザクロはわかるけどこの並びにレタスってなんか貧乏くじひかされてないか?と思った。ED映像はたいへん楽しい。

転生賢者の異世界ライフ〜第二の職業を得て、世界最強になりました〜

無表情な主人公が異世界でスライムと狼を手下になんか淡々と冒険する変な面白みがあるアニメ。進行諸島原作アニメその二。小嶋慶祐監督、福島直浩構成、小嶋慶祐、埼玉憲人キャラデザ、レヴォルト制作。ガンガンオンラインのコミカライズをずっと読んでて、主人公ユージの無表情がとにかく良かったのでアニメのキャラデザにあの味がないなとは思ったけど表情筋が死んでるのは変わらないみたいで良かった。制作はスライム倒して300年のところで今作も話はともかくアニメは良いという感じなのがわりと信頼度高くなってる。チート性能を持ちつつ淡々と攻略していってて、ヒロインもいないしあんまり華のある作品じゃないんだけど、五話は食欲という卑近な動機で無茶なことやり出すコメディの基本って感じで色々噛み合った回だった。で、特に良いのが七話、組織に狙われている時にポンコツ冒険者を演じるというシンプルなギャグ回なんだけど、間とコンテでやたらおもしろアニメになってた奇妙な味の回だったからコンテ誰かと思ったらげそいくおだった。妙にキレた絵があるかと思えば作画節約っぽい使い回しもあって、アニメって感じだ。隠れてる暗殺者がアングルつけて良い絵で描かれてたかと思えば、最終評価のところでためにためてどんどんアップになる暗殺者のシーケンスは面白すぎる。そして最後の凍った表情、白目剥いてるみたいでもうね。アニメの面白さってこうだよなっていうのを思った。構図が決まった絵は間を持たせられる。背動使ったりコストかかった画面を繰り返し使うのももうそれ自体が面白い。八話はレッサーファイアードラゴンを連呼しまくるのが笑う。話が面白い訳ではないのに絶妙に楽しくてこの調子でずっとやってても良さそうな塩梅のアニメだった。ツッコミのない全篇ボケみたいな独特のテンション。魔法の強さが基本的に連打や同時発動といった単純な回数に収斂していくかなり独特の味があって、それがレッサーファイアードラゴン連呼や最後の天撃連打なんかとリンクしてるあたりの一貫性に笑ってしまう。EDから続いてシームレスにスライムたちの予告につながる演出が非常に良い。

惑星のさみだれ

リアルタイムで原作漫画を読んだ時は最初の主人公の動機がよく分からなくてネタというかフリなのかなと思ったらそのまま進んでいくので結局乗り切れないまま終わったという記憶があったんだけど、アニメで見直すことで色々理解が進んだ。アニメ自体の出来はかなりよろしくないけど、そこから読み取れるものは多分にある。中西伸彰監督、構成水上悟志、百瀬祐一郎、キャラデザ畠山元、NAZ制作。「こんな人になりたい、そう思わせるような子供たちのヒーロー、それが大人や」というセリフに示されるようなヒーロー、子供と大人の関係をずっとやっていて、そこに非常な良さがある。未来を捨てて心中や自殺に傾いてしまう子供たちに対して、大人は自らの姿で以て子供たちが生きたいと思う世界を作り、子供たちの背中を押せるような存在にならなければならない、という倫理的姿勢が随所で示されている。「ほら子供たちが先に行く。私より未来に走って行くよ。なんて頼もしい背中だ」、全知で長命の稲近は全ての子供たちより長生きしてしまうわけで、ここで子供たちを見送る立場になったこと、知らない未来があるというのが希望になる。「生まれてごめん」と呟いてしまうさみだれとその母親のわだかまりをめぐっての11話はこのアニメの演出の平坦さを突き破るくらい話が良くて感動してしまったりもした。「知ってるか、子供はな大人の真似をして大人になっていくのだぞ」、「いい大人は気取らないのよ」といったセリフが良い。22話の「ここには戦士しかいない」「子供はお前だけだ、アニムス」、つまりアニムスは子供だからやり直せる。全てを知りたい罪を負った子供が転生し500年かけて償う、ああ、なるほど。私たちはそれが果たされたことを知っている、と。死病で未来のないさみだれの「みんな先へ行きたいんだ。そして、私は行けないんだ」という諦念。空へ昇っていく=自ら死を選ぶさみだれに追いつくためにみんなが手を貸してくれて、手が届くまでの話だった。最終回、「こうして、僕たちは少し、大人になった」、大人たちが背中を見せて、子供が未来を信じられるようになる話だから、後日談はむしろ本篇ですらある。「生きたい」と言えるようになり手術を受けたさみだれも、また太陽も未来への希望を信じるようになってる。死を選んでしまう子供を痛ましく思う大人が書く物語って感じだ。アニメの出来を突き抜けて話の良さが感じ取れる作品だった。しかし、惑星のさみだれ、思えば放課後のプレアデスと同じテーマだな。さみだれとみなと。

短評

うたわれるもの 二人の白皇
シリーズ前作は八年前に見てるけど第一作を知らないし前作の内容もかなり忘れてる。かなりややこしいけど、前作最後でオシュトルが死んでハクがオシュトルに成り代わって対外的にはハクは死んだことになってて、さらにハク役の藤原啓治が亡くなって代役をオシュトル役だった利根健太朗が引き継いでて演技でも真似ている。複雑! 利根健太朗藤原啓治の演技を模倣しながらオシュトルがハクの物真似をする演技をしたりする。この仮面を被ったオシュトルと母の対話を描いた14話などは良かったし、ウォシスをめぐる本物と偽物のテーマが決着を見せるところは良いんだけど、そこからはちょっと蛇足感がある。2クール28話あってまだ最終回を見てない。

金装のヴェルメイユ
落ちこぼれ主人公アルトが悪魔ヴェルメイユと契約してキスで魔力供給をする設定のところに、ピンク髪の幼馴染みリリアが表情豊かに泥棒猫に決闘挑んできてっていうお色気バトル漫画原作アニメ。内田真礼がエロいお姉さんをやると妖しさより人の良さというか軽妙さが出てて面白い。二話でも突然出てくる暴れドラゴンに始まり、トンチキ、かんたん作画、エロ展開、その他その他、序盤は今期一番色んな意味で楽しいアニメかと思ったんだけど、このアニメの楽しさを支えているアルトへの性欲を隠しもしないで透明人間になってアルトの部屋に侵入してきたりもするリリアが途中からシリアス展開になるに従って活躍の場を失うと作品のテンションが落ちるなと思った。リリア、こんなヒロインいていいんだって思った。やっぱり四話の透明になって部屋に潜んで見えてないアルトに乳首つつかれてピンポンって鳴るシーンは面白かった。EDが良い曲。

継母の連れ子が元カノだった
タイトル通り、少々面倒くさい読書家高校生の二人が自意識をこじらせつつその幼さも含めてお互い似たもの同士で一生イチャイチャしてるだけの話で、その意味では結構楽しめる作品ではあるんだけれど、途中から出てくるいさなというヒロインがどうにも引っかかってしまう。距離感おかしい友達でメインヒロイン結女をじらせたりするのは良いと思うけど、いさなのキャラがエロい話もできる女友達ポジションで一度振ったから下ネタトークやボディタッチさせてもOKみたいなエロ要素のためのキャラっぽくてうーんってなる。いさな、存在としてセフレ的と思ったら自分で言い出すし。九話過去篇の最終回っぽさはなかなかよくて、お互いのなんでわかってくれないのという幼く面倒臭いすれ違いをじっくりやる中学生のエピソードゼロ。からのバカップルのいちゃつきの緩急が良い締めだった。卒業と同時に二人の関係も終わりだ、という演出の数日後にきょうだいになります、は笑う。文学的モノローグをパロディにするラブコメへのモード転換。

ラブライブ!スーパースター!! 二期
一話、新キャラのドタバタ、コミカルな楽しさを振りまきながらウェルカムライブできなこをまずは鷲掴みするのは良かったし、かのんの変顔、変声が大量供給されているし唐突な二人三脚メカで打ち出されるきなことか、トンチキアニメぶりがだいぶ楽しかったんだけど、全体的にはもう一つ。葉月恋の七話、アバンもへえと思ったけどメガCDメガドラスーパー32Xの最終形態出てきてかなり笑った。コメディ回として弾けてて良かったけど葉月恋のキャラこれでいいのか?とは思った。これとビックリドッキリメカが楽しかったんだけどメカはあんまり出番がなかったな。

シャインポスト
駱駝&ブリキの俺好きコンビでウマ娘のスタジオ櫂と及川啓のアイドルアニメ。嘘をつくと光る=輝く、という逆説的な設定まずはフックになってて、ライブ作画もかなりのものなんだけど、話にはあんまり惹かれなかった。六話も良い回ではあるけど、それまでダンスがヘタでというのを悩みの中心にして描いていたのは実は歌が激ウマでしたって展開のためのトリックみたいになってるのが気になる。あと春の「アイドルを好きになって欲しい」はともかく、「みんながみんなの好きなアイドルを大好きって大きな声で言える世界を作り出す、輝く道標になりたいの」、このなんかアイドルを好きだって言えないような何かがある前提のセリフだけど劇中にそんな描写あったっけってなる不自然さ。 最後も、杏夏は間違えない、つまりコピー能力だからハルのダンスと渡り合えるツートップができる、と? どうにもロジック優先というかゲーム的パラメーター操作みたいな感じでええ?ってなる。元カノ(ではない)の前でツートップセンターを見せつけてやるぜっていう百合寝取られを擬したこじれ方はわりと楽しいけど、なんか釈然としない話という印象がずっとついてまわった。悪い意味でミステリ的な印象がある。

森のくまさん、冬眠中。
今期僧侶枠はケモミミBL。クマが子犬を拾って育てていたけど、その子犬が成長して親代わりのクマとつがいになりたい、と言ってくる親子の関係から恋人関係への進展を望むのかの時に同性かどうかは最初から問題にはならないケモ擬似親子BL。ハートフルにいちゃついてる話だった。監督コンテ演出古賀一臣、彼女お借りしますと同期ちゃんの監督でもある。

どうかと思ったもの

プリマドール

戦うために作られたオートマタが戦後?の喫茶店で働く日々を描く、という感じで、一話は歌と久野美咲力で感動話にしていたけど、Keyアニメのロボで感動を誘う話には前もどうかと思うポイントがあって本作にもやっぱり感じる。プラネタリアンもそれで最後にえーってなったんだけど、ロボなりオートマタなり人間でない者が人間に忠実な存在たろうとするドラマで涙を誘おうとするやり方がかなり趣味じゃない。「人形にとって何よりつらいのは役目をなくすこと」、これなあ。忠犬じゃないんだぞって思っちゃう。三話の帚星回、歌が兵士に死ぬための勇気を与えるものではないかという怖れから声を失う導入は、歌に力があるからこその苦悩で面白かったけど、遺書で死ぬ運命も怖くないと伝えられて声が回復するのは意味がわからないしあまりにも情緒的に描きすぎてて批判性がなくてダメでしょって思った。しかもそこに傷病兵を思わせる故障を抱えたドールという「障碍者」が回復するみたいな話まで重なってて、幾つものポイントでかなりよくないところがある。泣き・感動へ過度に傾倒していて、情緒的なものが時に危ういものと結びついてしまうことへの批判精神が全然感じられなくて、しかも戦前日本を思わせる舞台でそれをやるものだからものすごいアレなことになってる気がしてしょうがない。昭和戦時下の話を直球でやると政治的に危ういから色々誤魔化した設定にしてると思うんだけど、その結果作中の背景・状況がやたらぼんやりしてる気がするし、そもそも誤魔化すのは歴史を泣きアニメの背景としてしか思ってないからじゃないかって印象がある。暴走する人形の新聞記事とか差し込まれてたし最初は途中で絶対に人形差別の描写が出てくると思ったのに別にそうでもなくて、いったいこの設定は??みたいになってる。最終話も自己犠牲からの記憶喪失、そして再出発、泣きドラマにできそうなことは全部やるぜって感じ。「役目」の話も結局人間に忠実な人形の話に終始していて、悪い意味で一話見る前及び見た時の懸念から外れたところがなかった。人形、戦争、感情、記憶、なんかふわふわしてて泣きのドラマに繋がる意味においてのみ出てきてるようだし、人間と人形のドラマですらなかったような、健気でかわいそうな人形の話でしかなかったのか?みたいな気分になる。登場人物が泣いてるから泣ける話になるわけではないんだぞっていう気分。歌に力があるという話をする時に歌にほんとに特殊な力がある話にするんじゃない、というのがあるね。自分がプリマドールに批判的なの、政治性、社会性を塗り込めるあの感動の雰囲気作りがプロパガンダ的だと感じるからってのがある。

話はともかく和多田美咲の声が存分に聴けた組長娘と世話係や、スライムや秋元羊介声の亡霊騎士がヒロインより先に仲間になったりOP演出が良い黒の召喚士や、積んでるマーク・トウェインを読みたくなった電脳世界探偵団のユーレイデコや、EDと映像が良かった5億年ボタンなど色々他にもあった。

今期、富良野のラベンダーが出てくるアニメ、邪神ちゃんドロップキック三期、ラブライブスーパースター二期、彼女お借りします二期。どういうシンクロニシティなんだ。

秋クール(10-12月)

Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-

新潟県三条市を舞台にDIYをやる高校生の少女たちを描いたアニメ。秋アニメで一番気に入っていた。一見ラフなキャラデザや動かし方などのアニメ的な絵の面白さも良かった。DIYという通り自立が一つのテーマになっていて、自立は自分一人だけでやるのではなく、適切な協同によってこそ成立するというのを今は仲違いしてしまっている幼なじみ二人の関係から描いている。ずっと一緒にいたせるふとぷりんが二人だけの関係ではなくそれぞれの場所で適切な頼れる友達を作ることを経てこそ二人は再び結びつくことができる。自立とは依存先を増やすこと、と言われるけれどそれを思い出す。米田和弘監督、構成脚本筆安一幸、キャラデザ松尾祐輔パインジャム制作。高校生になって別々の学校になってしまったせるふに対して幼なじみのぷりんはひどくきつくあたるようになっていて、そんな彼女と仲直りがしたいせるふが二人で座れるベンチを作ろうと、ふと見つけたDIY部に入ることになる。不器用で怪我してばかりのせるふが廃部寸前のDIY部で色々な人と出会って行く。ドローンが飛び交う近未来の都市で、それでもDIYというのが必要なのは何故か、というアプローチ。一話は影がなくてラフさのあるキャラデザを枚数費やすのではない動かし方をしていて、それでいて妄想場面で急にグリグリ動くのもファンタジックかつ緩急があって良いのが印象的だった。二話では文学少女たくみがDIY部に入るまでの話だけど、もう部員だと思っていた二人と、まだだと思ってたたくみ、既にそう見なされてたとしても「自分自身」で言い出すことが大事っていう回も良い。国外からジョブ子がやってくる三話で、たくみが何を作っているのかと思ったら花瓶で、ジョブ子が来ない間にジョブ子のように黄色く空を飛んでくるタンポポを先に花瓶に迎えていることでたくみと部室で歓迎の意志を示している演出も良かった。そして特に良いのが全体の課題となるツリーハウス作りを発案する四話。ジョブ子という入学先を間違えた者が今度はぷりんの家に行くことで両者の間を行き来する存在になり、一人で留学してきたからこそ家で一人になりがちなぷりんを思いやることができる。そんなジョブ子がかき回すことで二人は久しぶりだというお互いの部屋に訪れる。幼い頃はそれぞれの作ったウィンドチャイムを交換したように行き来もよくあったんだろうし、ぷりんの案だというツリーハウスは幼い頃のせるふの秘密基地という思いつきをせるふ自身に返したもので、二人の関係が近づくことで新しいアイデアが生まれている。特に良いのが最後の自転車の場面。カクカクさせるのが面白いなあと思ったら急に下からのダイナミックな角度でここ一番の動かす作画になって驚いたけど、ぷりんからアイデアをもらって想像が膨れあがった様子を描くのに彼女の内面や想像を一切描かず、その外面だけを作画を炸裂させて間接的に描くというキレのある一コマだった。ツリーハウスを思いつくところでも、自転車の場面でも、仰向けになったり上を向くというところが一貫していて、ぷりんとせるふの学校の位置関係も同様にこのアニメでは上下の視線が重要になってる。五話は故郷を離れた場所で居場所を見つけたしーの話でこれも自立の物語。六話の水着回では、髪を縛るとむしろ少年ぽさが増してでもあの水着のせるふの感じもおおと思ったけどたくみの水着は体型を隠すようなデザインなとおり体型がわかるようなカットが一切なかったのは気遣いがあって良いなと思った。一番胸が大きいキャラだと思うのにそれが全然印象に残らない絵作りは意図的だろう。七話はDIYの制作過程がかなりじっくりと描かれていて、工具と素材でテキパキとブツができていく過程が気持ち良い。ツリーハウス作りが本格化していく過程で地域の人々や部のOGの協力を得て資材を集めていくけれど、最終的には足りない資材をDIY部の部室の板材剥ぎ出したのは笑った。伝統は新しい伝統の礎になるわけだ。ようやくぷりんがDIY部に加入する11話は初っ端から甲斐甲斐しくせるふの世話を焼いたり食べ物を分け合ったりと甘々で、ようやくここにたどりついたかという感慨がある。せるふの背中を見るぷりんの渾身の一枚絵とそこからの遠景の二人を小さく描くのが良い。そして12話、自然と笑顔になるような良い最終回だった。ツリーハウスの誰が作ったかわかる不出来な場所や出来の良い仕事から見える「味」、もう既に自力で課題を乗り越えられるたくましさを体得して、部員も入るし、せるふとぷりんは当初作りたかったベンチより一段空に浮かんだブランコを作れる。素直になれないぷりんと不器用なせるふが手を取り合って同じものを作る、OPのダンスと同じように、という感じでOPも二人の歌としてのEDも両方流す最終回だった。ツリーハウスが完成して部員が集まらなくても大丈夫なのは、制作過程で資金もDIYで工面するやり方を学んだから。そう確信できた時に新入部員が現われる、まさに自立の話。ツンデレもある意味甘えではあって、そこで意地を張って離れて、改めて言葉にして伝えることで依存ではない頼り合う二人の関係になる、かな。部長が「あの時、たまたま私がせるふにネジ留めを頼んだことが、今日に繋がったんだと思う」という通り、人に頼むことが重要な繋がりの例になってる。OPは楽曲の良さもさることながらダンス作画も素晴らしい。EDも、ラスサビのやがて、で歌い方が変わるのが、ここからは歌詞の通りもう違う空のそれぞれの未来のようにも感じられるのがとても良い。ラスサビに時間軸の差が埋め込まれているようで、これまでと少し違うメロディ自体が変わっても変わらないものの象徴になってるように思える。OP、EDも良いし劇伴もかなり良かったしそれらをトータルで佐高陵平が作詞も含めて全部やってるのがすごい。最初せるふは非定型発達的なキャラとして設定されていると思ったんだけど、見ていくとあんまりそうではなかったのが意外。

ぼっち・ざ・ろっく

承認欲求にまみれた対人恐怖症気味の一人孤独にギターの腕を磨いていた陰キャがロックバンドに誘われて、というきらら系ガールズバンド漫画原作アニメ。主人公後藤ひとりの奇行のギャグもさることながらその妄想を表現する作画、実写、CGを含めた多彩な表現が面白く、そういう派手な演出とともに原作漫画の内容を丁寧に補完して感情の流れを整理するアニメの出来が非常に良い。楽曲も良いし、アニメの出来としては今期一ではないかと思う。処刑少女のEDも担当していた斎藤圭一郎監督、構成脚本吉田恵里香、キャラデザけろりら、CloverWorks制作。一話から、シンプル目のキャラデザにリアルな背景を合わせる画面がなかなか面白いし、キャラ絵の崩しが命の作品なのでこのデザインなのかなと思ったら原作以上にバリバリ作画で遊んでくる。二話、自尊心がマイナスに振れてるのを重ねるように日陰の階段下にいる後藤を幾度も映した上にテーブルの下、カウンター下の後藤を強調し、虹夏の言葉に応えてカウンターから顔を出して接客できる一歩を経て、初めて入り口の階段を昇る絵が描かれるという流れが良かった。奥行き、空間を意識させるレイアウトが生きてくる。脚本をかなり膨らませつつ決めまくったレイアウトで補強して、原作を尊重しつつえぐいくらいに映像として効果的にしてきてる。三話は、崩しから実写からキレのある絵でバカテク面白作画博覧会が繰り広げられている凄味がある。加わった描写は多いけど、最後後藤が黒いカーテンに包まれてから話を始めて最後脱ぎ捨てるの、アバンの毛布にくるまった後藤への応接として、外に出るイメージが強調されている。四話では後藤が作詞をすることになり、「個性捨てたら死んでるのと一緒だよ」、でも「根暗でどんよりな歌詞」だと言ったら「リア充っ子に歌わせたら面白くない?」でそれもバンドの個性になるんだという肯定の仕方は良い。そもそも喜多が冒頭から後藤の行動をよく真似てて、それに抵抗なさそうという伏線にもなってた。五話は水のエレメントで演出してたのが印象的。1stカットのアジサイが水というか地固まることの示唆か。自販機で飲み物の形で虹夏から夢が渡され、スピーカーの上でペットボトル一杯の震える水が描かれ、その満ちたエネルギーがダムの放水として吐き出される。八話ライブ回、一曲目の演奏のズレたりもつれてる感じが出ている。原作だと一曲のあいだの出来事にも読めるけど、アニメだと二曲目に移る途中で後藤のギターが切り込んで、それをリードにして二曲目に雪崩れ込むようになってるのはかなり良い。このイントロは熱いしあの後藤が皆を引っ張っている。後藤はその間全然メンバーと目を合せていないでじっと足元を見て演奏に集中していて、だけど、それでこそ内にこもることの先にバンドとの連繋ができる、というありようの描写になってる。ここで五話の自販機前の時とは逆位置になり虹夏がその秘密、姉の分まで人気のバンドになってライブハウスを有名にするという夢を語り、後藤は今度は顔に光を浴びて、ギタリストとしてみんなのバンドを最高のバンドにしたいという夢を言葉にする。右に立った側が夢を新しく見つけていく流れ。逆光は夢の輝きなんだな。あの時とは左右逆の位置に立っていた虹夏が、自販機前の時のように右に入れ替わって去って行くのも憎い。11話、原作から文化祭の描写を増やして学校やクラスメイトにより存在感を与え、みんなに楽しんで欲しいという後藤の学校でのライブへの気分を丁寧に組み立てて、観衆としてきくり以外にファンやクラスメイトやギターの話から家族に繋げたりしてワンクールの締めに相応しくしている。奇怪なCG、世紀末男子といった画風の遊び方も多彩で、喜多のメイド姿で変身シーンみたいにバキバキに盛ってくる。あそこらで萌えアニメをハチャメチャやった後に準備中の体育館の空間を見せるクールダウンが良い。と思ったら体育館行く場面は原作にない。ギターが父のものだった話と家族の話題もなく、原作だとメイド喫茶から直MCの話になってる。ここの体育館、見に来る家族の膨らませ方はことに良い。12話、文化祭、バンドメンバーとの買い物、そして後藤ひとりがギターを背負って学校ではなくバイトへと歩いていくラストカットへ、祭の熱狂が冷めて日常に戻っていくようでいて、後藤ひとりという一人の人間がうつむきがちでも前へ歩いていく姿へフォーカスしているようでキレのある締めだと思った。学校ではなく、ライブハウスのバイトというもう一つの居場所だろうか。下を見ている後藤のかわりに、人を惹きつける演奏ができなくともバンドの顔となり歌や表情でフロントマンとしての魅力をアピールする喜多、という関係が出来上がっている。「みんなと合わせるのは得意みたいだから」、後藤の足りないところを自分が埋めるという意志がある。名前呼びの時の「私、ひとりちゃんを支えていけるようになるね」、は原作での後藤を「支えていけるような立派なギタリストになる」を改変したの、生活も含めてって意味合いが出てて養っていく覚悟感があってやばいね。びっくり箱みたいな楽しいアニメだった。アニメ表現の多彩さ、冴えとしては最近見たなかでも抜群ではなかったか。CloverWorksで一番良かったかも知れない。けいおんから十数年、同じきらら系で学校の外を主な舞台としてかなり真逆の作品性でガールズバンドものをやって再度当てたのはすごいと思った。後藤ひとり、こういうキャラ性だけど自分の承認欲求を否認したりしないしこじらせた攻撃性だったりの陰険なところもないのが見やすさに繋がってる。

ヤマノススメ Next Summit

三期から四年、二期での富士登山挫折のリベンジを果たす第四期、アニメとしてはこれまでの集大成で完結篇の雰囲気がある。一話ごとのエピソードのよさや個々の作画のばらつきを生かす方針や作画レイアウト含めたアニメ映像の面白さも良くて、コンテ演出伊礼えりのOPの主観視点や吉成鋼一人EDの毎回映像が変わるのも壮絶で何故ここまで作画アニメになってるのかと困惑するほどだ。DIYと同じ松尾祐輔キャラデザアニメが一日違いで放送されるというクールでもあった。四期は30分尺になって序盤四話までは新規カットを追加した三期までの総集篇となっている。羊羹の重要性が分かるところや仲違い展開の三期振り返りとか、あおいとひなたの関係がよくわかるかな。五話から新規話数で、実写に近い背景にキャラをあわせる、写真背景を多用する原作漫画オマージュみたいな画面だけどアニメでやると水流描写もあったりまた別の迫力がある。登山部に入りはしないけど富士挑戦に向かって登山部から体力作りを学んでる。自分の限界を見据えた体力作り、母親からも学ぶところがある。若い頃は湧き上がる体力、の場面で滝を描いて、トイレ用の水を麓から持ち上げて行くという水の上下移動とそれに逆らう体力の描写がある。五話のED、富士山から帰ってくる娘を待つ母親の顔から始まって落ち込んだあおいを元気づけて二人ではしゃぐようになっていくまでの家族を描いていて、それをあおいソロの歌唱で流していくという最終回か、みたいな演出だった。七話はクラスの三人娘ゆり、みお、かすみと高尾山初詣で、特にかすみ回というか、この友人たちの話はないかなと思ってたから大変良い。かすみの正月休み、スマホ画面をメインで映しての冒頭から雰囲気がある。山でクレヨンしんちゃんみたいな子供が手前で転んでからのコミカルな崩し絵のノリが良すぎて笑った。かすみのスマホから始まりかすみのスマホで終わる、思い出が写真に残っての締め。人と目を合せられない過去から、今はかすみの視線にちゃんと向き合えるあおいが描かれてるように、冒頭の写真ではあおいとかすみが一番距離があったのに、最後の写真は隣同士の近さに近づいてるんですよね。10話、この一年が楽しかったからこそクラス替えが不安になるあおいの三月と四月。不意に天覧山で集合写真を撮るリーダーとして中心から見ることでもっと仲良くすれば良かったなと思えて、新クラスではかすみの助け船で自己紹介をこなすことでこのクラスでのこれからを信じられる。隅っこで微妙な笑顔から中心に収まるまで。あおい、リーダーに向かない性格すぎるけど、みんなやひなたの協力で団体登山を先導して、自然と助け合う山ではごく自然に人に声をかけられる。山での経験が生きるのは自己紹介での富士山トークも同じで、山での経験がごく自然に生きて自信にもなる。ひなたと二人で一緒に、からの離れても大丈夫へ。山を通じた経験と成長をしっかりやってるんだよな。11話からの富士登山篇、山の色々な表情を見たいとルートを選んだあおいに、思い通りにならないことも「特別な表情」と伝えるほのか。天気もまた変わりやすい山の表情で、その振れ幅に登山の面白さがあるというライン。なんのために山に登るのか、という問いを伏流させている。12話、普段当たり前のもののありがたみという通り小屋や食べ物や道を踏みしめて、友達やひなたの助けを借りて、一番高い山の頂上を圧巻の背景美術のなかを登り切る。「富士山がそこにあって私が諦めない限り絶対に負けることはないんだ」、過去未来の自分と向き合うラスト、良い。杖を突いていた過去、ポールで改善した今、そして手ぶらで登る未来の自分という形で、歩みつつある過程のさなかにある自分を見出す。本当の山頂、3776メートル地点へ。もう色んなものは既に持っていて、だからこそ登れたわけで、そこで最後のピースを拾いに来た、と。頂上に来られたことそのものではなく、その過程にこそ色んなものがあり、でも頂上にもそこでしか得られないピースがあるという描き方。だからご来光を見てみんなにあおいは感謝する。困難に立ち向かうことで得られる得がたい視点、経験、景色、人、いろんなものが描かれた最終話だった。ひなたがあおいを助けるために重量を考え、置いてきた二人の仲直りの象徴のような羊羹を今度はあおいが持ってくるのが良かった。森から晴れ間へ、夜の富士山からご来光、あおいの見たものを描く背景美術。特に太陽に照らされる雲の広がる様や、その上にいるんだという絵は迫力があった。降りる時に過去の自分を後ろに、未来の自分の背中を見ているのが、前に登ったこととこれからも登ることを示してて今はまだその中間地点にいるということにもなってて、登頂して終わりじゃなくて富士にはまた来るってことでもある。それはこのアニメスタッフもそうなのかも。これまでの総集篇から始まり富士再チャレンジの目的を据えつつ経験を積み登頂を果たすまでを描いたわけで、シリーズ集大成としてのありようがあおいの自らの過去を省み未来を展望する姿とダブるものがある。高峰を登り切ったあおいとそれを描ききったアニメ。何年にも渡るシリーズのおよそ完結篇と思える四期。感無量って感じだ。

不徳のギルド

以前から漫画を読んでいたのでその面白さはわかってたけどそれがかなり良い感じにアニメ化されていた。一見エロまみれのファンタジー漫画だけど、謎の提示や解決その他、世界観、設定、話の作り方は凝ってて、エロコメディだけではないシリアスなバトルもの展開させても面白い。朝岡卓矢監督、構成筆安一幸、キャラデザ金子ひらくティーエヌケー制作。太い描線が漫画的な感触を出してて、時折出てくるデフォルメ絵が良いなと思ってたらワイプアウトのうえに戻ってそこから出てくる演出まであるレトロな感触。エロを除けば雰囲気はポップだ。原作絵はもうちょっとドロッとしたエロの感じがあるからEDも含めてこうまとめてくるのは意外だったけど良い。ドラクエ風に見せて現代社会もあるちょっと変な世界観。ガードの仕事を辞めて早く学生みたいな青春を送りたいと思っているキクルがポンコツ新人たちの世話をすることになる話で、台詞回しやシチュエーション作りのセンスが秀逸。七話は特にそのコメディセンスとともにバトル展開させても面白いのがよく出ていて、トキシッコは毒みたいな名前だなと思ったらホントにそこ由来だったのがここでエロい意味でも機能するのも上手くて、それでいてアクションのキレもすごい。ヨケグモ襲来の瞬間のスローでのガード、鞘走る火花、転がるトキシッコのシーケンスが良すぎる。今期トップクラスのキレのある場面だ。コンテ演出榊原大河が作監原画も参加してるし動検もやってる。というかこの人元々動検出身で作監にも手を広げてて今回コンテ演出が初。エロギャグものとしてやってきてて、シリアスバトルでもやれるっていう切り返しの重要な話数で初担当任せるとか大胆。八話はヨケグモに避けられないためにずっと目線を外していたキクルが、クモから守ったけれどこれまでずっと目線を合わせなかった街の人々と向き合うABの構成が上手い。最終回、青春が欲しいキクルに高校の制服で押しかけるうえに性風俗にしか見えないトークは本当にひどくて笑う。「毒よりも毒」「法で裁けぬ悪」、料理を形容する言葉とは思えないワード。イズ役飛田展男、今年も色んなところで要所を締める声優として活躍している。EDのヒロイン勢揃い歌唱は良いな。良い雰囲気で終わる。ミステリタッチでもある戦闘の面白さは原作ではこれ以後本格化していくことになる。

後宮の烏

中華風架空世界を舞台に、夜伽をしない後宮の特別な妃が不思議な術を使ってさまざまな謎を探る幻想ミステリ。宮脇千鶴監督、構成大島里美、キャラデザ竹内進二バンダイナムコピクチャーズ制作。宝石商リチャードと同様集英社オレンジ文庫原作のキャラ文芸?原作で、中華風なので音で聞くと名詞が覚えづらくて、序盤は話の密度も濃くて、これは文字で読んだ方がよほどわかりやすい作品なんじゃないかと思ったけれども、慣れてくるとかなり楽しめるようになったし面白かった。小説原作の地力というか堅実で背骨の太いアニメだったという印象だ。シリアスな雰囲気だけれども、水野朔の主人公寿雪が節々で萌えアニメを主張していてそこも魅力だろう。寿雪とその後宮に折々に訪れるようになる皇帝高峻との関係を描きつつ、その関係に寿雪の烏妃という身分に関わる謎が見えてくる。個別回では特に九話、典型的な毒親話には留まらず、自分のことしか考えていない蕙蘭が婉琳を死に追いやった罪悪感に駆られ苦しむ声もまた自分自身のものでしかなく、どこまでも自己本位で婉琳がどこにもいないということを釘宮理恵一人二役で表現するキレのある回だった。老婆の声が釘宮理恵だったのは全然気づかなくて、途中であれ?知った声が聞こえると思って幽鬼は誰かという話を経てのキャストクレジットでやられた。11話、頼れる友ができることは甘えという弱さに繋がると思った烏妃を「弱くとも、良い」と頼ってくれと高峻が返す、ここまで積み上げてきたものの意味を明らかにするクライマックス。最終話、何も望んではならない、という冬官薛魚泳の心中には夜明宮でたった一人だった麗娘がいて、麗娘の孤独を思って周囲に人がおり帝すらもが気に掛ける寿雪に襲いかかる彼は麗娘が寿雪にいかに愛情を注いだかを見落としていて身勝手な逆恨みでしかないことを思い知らされる。「友になろう」という高峻の「おぬしのその言葉は私にとってはただ一つの救いだ」という寿雪、眠れぬ時は手をこうするといいと麗娘に教わったのがまわりまわって帰ってくる。孤独でもそうして人との繋がりが何重にも描かれるのがシンプルでかつストレートな良さがある。

農民関連のスキルばっか上げてたら何故か強くなった。

今期一番笑顔で見られるアニメだったような気がする、チートな強さの農民が主人公のアニメ。ながはまのりひこ監督、構成待田堂子、キャラデザ末岡正美、studio A-CAT制作。どんな時でもコメディを忘れないで真面目にバカアニメを作っててすごい気楽に見られるのが良い。ギャグアニメと思いきやさらっと伏線回収して見せたりするとかなり効く、そういうアニメでもあった。こういうアニメが見たいんだよなって思いがある。クワで戦うOP、爆走馬車、表情デフォルメ、フランクな王女、にんじん投げて一撃でドラゴン倒した一話冒頭から笑った。竜に憑依されたヘレンが邪竜の力を遊びにも依頼にも使って面白キャラになってるのも良くて、辛い経験のあとも楽しく生きている。ワタナベシンイチコンテがかなり多いんだけどその五話とかも、冒頭のガクガクしてるアルの面白い絵にはじまりいつの時代だかわからんおもしろ演出がぽこぽこ出てきてずっと楽しい。八話もかなり良くて、くだらなくて善良で、随所にネタを仕込んでくる。みんななんなんだよこれって言いながら楽しく見てるアニメって感じだしなんならEDも「え?」ってツッコミ入れてる。10話は特に良くて、元々変なアニメなのにさらに絶妙に変な街が出てきたと思ったらその変さが伏線で普通に驚かされたし領主が農産物への愛で目覚める流れもこのアニメならそうだろうなという納得感。変なアニメなことを逆手にとった技ありの回。最終回では何故か強くなったってタイトル自体が伏線だったのが明かされて驚く。トンチキギャグアニメとしての楽しさ一本でも全然良いんだけど、過去回や変な街とかで地味に技巧派なところを見せた上にタイトルもフリにしててこれはしてやられた感がある。九話の主人公アルの農業と食べ物に懸ける思いを描く飢えの過去篇を受けた最終回での再会も気になる引きだったけど別に続篇がある訳ではないんだろうな。今期の異世界アニメの大久保瑠美は、受付嬢(不徳のギルド)、受付嬢(転生したら剣でした)、受付嬢でドラゴン(今作)、ドラゴン(ビーストテイマー)という配役だった。

機動戦士ガンダム 水星の魔女

女性主人公の百合ガンダムガンダムという技術をめぐって起業ものにもなっていき、大人の支配とそれに抵抗する子供という構図を示しながら、旧制社会を百合で革命する話になるのかどうか。小林寛監督、構成大河内一楼、キャラデザ田頭真理恵、戸井田珠里、高谷浩利、サンライズ制作。プロローグでは、宇宙に生きる生命維持として、その延長にありながらパイロットを侵食する呪いとして、人を殺すためだけの兵器として、ガンダムをめぐる三つの側面が出てきて、呪われた者、追われる魔女という語に集約される。決闘で花嫁を決めるという学園での子供同士の競争としてのモビルスーツ決闘は、ガンプラという子供の遊びを重ねたものにも見えるけれど、当然そこにクチバシ突っ込む親が鬱陶しいわけで、また子供の遊びとしてのMSが人殺しの道具でもあるという子供の世界の外の話が取り巻いてもいるみたいな状況がある。グエルをめぐって、親に人間扱いされない御曹司が自分を正面から見据えてくれる相手に惚れ込む、ベタながら女性バディに親への抵抗線戦として共闘しうる仲間としての男子を組み込む意味でもなかなか良い。親の庇護を離れて自力で生きていくグエルがどう合流するかは気になる。10話での、スレッタとミオリネのこじれ方、起業ものだから昭和の働く男的な本心を言葉にしない問題もやっていきます、百合で、というのは笑ってしまった。ミオリネ父もそういうタイプに見えるし。11話、スレッタの退行癖でのミオリネとのすれ違いが解消してキーホルダーが示す心理的紐帯がもたらされた途端に、今度は物理的に分断されるという堅実な盛り上がりが来る。でも本来のワンクール目の最終回ではないんだよな。トイレの扉で一回吹っ飛ばされたけれど今度は障壁で隔離されるという応接も見やすい。トイレでの上下回転ミオリネお出まし、そっ閉じキャンセルからのグルグル逃避行、急に作画が良くなったし面白い見せ方をしていた。逃げたかった者同士の勇気を共有して、ずっと一緒にいて、決闘にも負けないで、メールは一日三回とか重い彼女みたいなこと言い出すのは笑う。ホモソーシャルヤクザガンダムのあとで学園百合ガンダムをやるというのはわかる気がする。

4人はそれぞれウソをつく

それぞれ宇宙人、忍者、超能力者、女装男子という嘘をついている四人がそれでも友達関係を続けていくギャグアニメ。力業とテクニカルな組み立てと、出来に結構波があるとは思うけど、最終話が良かったし終わりよければすべてよし。星野真監督、構成清水恵、キャラデザ渡辺るりこ、スタジオフラッド制作。作風はあそびあそばせの影響があるんじゃないかと思う。三話はかなりキレを感じた。ちょっとしたことで世界の人類が石にされる宇宙人の能力はともかく、水かけるためだけに高台にトラック出してくるのが一番頭おかしくて良かった。四話は女装男子の性転換というネタが面白い。みんなの願いが叶うことで千代の刀傷を隠すパレオが翼の性転換の消滅で体を隠す布にスライドするのパズルみたいでなるほどだった。強引さも笑いになる強さがある。10話、女装男子が自分は実は弟なんだとバラす回二本セットだけど、みんな派手な隠し事をしているのに対して翼だけは自分が自分じゃないという日常においては一番大きなウソをついているということに気づかされる。女装していることよりも、翼ではなく剛という身代わりのウソなのが本質というか。色々強引ではあるけど、翼ではなく剛だとウソを辞めていることによって、そこにいるのにいない、自分自身なのに距離を取られるという展開になる。ウソによって繋がる関係が裏返る疎外感。ここは面白い。最終11話、そういうアニメじゃないのにOPにSEがついただけで面白いのズルい、と思ってたらEDが最終話とループ演出そのものだった。ウソがばれても友達で、という本作のテーマをやりつつ、なんで落ちてるのか、それぞれの表情の意味と時計で始まりに戻る。千代の勉強にいくら労力かけても追々々々々?試と温情措置で進級できるの、リッカが最後に時間を戻すのと同じような無駄な努力って話ではあるけど、みんなでお泊まり勉強回した思い出になってるっていうのと同じ、無駄だけど無意味じゃないという入れ子構造になってる。

恋愛フロップス

一〇年前感があるエロアクシデントを畳みかけてくるお色気ラブコメで、ギャルゲーのパロみたいなのを盛り込みながら、仮想世界らしき場所でさまざまなヒロインとの関係を深めていくエロギャグラブコメアニメ。長山延好監督、構成脚本安本了、キャラデザ植田和幸パッショーネ制作。序盤から六話まではとても良いのだけれど、泣きゲー展開を丁寧にやってしまう後半は予定調和の感じになってしまっているのが残念。キャラの掘り下げでエロギャグをやる個別回は良くて、特に男装女子イリーナの正体が明かされる四話の天狗回がインパクト大。天狗と男装女子と温泉宿でかなりのキレを見せていたこの回がやはり抜群だろう。五話も玄田哲章ターミネーターみたいなキャラが出てきてアクション映画みたいなことを回転ベッドやローション、エログッズというラブホ備品でやる映画パロ回、六話は「ゴム」が語尾のマスコットキャラ、デザインも出身世界も名前も略称もアレすぎるし声優加藤英美里じゃねえかっていう魔法少女に下ネタをギュウ詰めした力押し回も笑った。こういうテンションの高さがあったのに後半は世界設定の開陳と主人公のトラウマをめぐるシリアス展開を真面目にやっていてそこでテンションが下がってしまう。ヒロインたちが消えていく回でED曲のヴォーカルが消えてインストになる演出は良かったけれども。ラスト「恋愛に必要なのはフロップスじゃないってことさ」、これが言いたかったのかなっていうキメ台詞だ。愛を元にしていてもそれぞれの恋が個別の自我を生むわけで、愛が死んでもAI/Iが生まれるという帰結は良いけれど。失う恐れから共に過ごす時間を選べなかった朝に対して、一緒に過ごした時間が悲しみよりも喜びを与えてくれたといい、精一杯生きて一緒の時間を過ごすことで自我の目覚めを経たAIたちが現実を生きる時間の切実さを体現する。そうして新しい生活を始めたからこそ、朝の元に五人が再び現われる。

アークナイツ【黎明前奏/PRELUDE TO DAWN】

全八話で10月末から始まったアニメ。中国制作スマホゲームを原作とし、その日本版を運営するYostarのアニメ映像を制作するYostar Picturesによる作品。渡邉祐記監督、キャラデザ高藤彩、構成と制作は同社。ウサギや馬や猫やはては鬼や天使など様々なケモミミ人種が存在する惑星で、奇怪な感染病が蔓延した世界における抗争を描く。感染者たちが自分たちを迫害したものへの反抗を目的とする組織レユニオンと感染者を保護し研究と治療を模索する製薬会社のロドスとの対立というなかなか時事的になってしまった題材を扱いながら、暗く陰鬱ななかに小さな光が兆す瞬間を捉えようとするアニメだった。横長画面でまるで劇場版みたいなつくりで丁寧に作品のチュートリアルを映像化したような感触で、ゲームの主人公の「ドクター」は記憶喪失から目覚めてこの世界の様相を学びつつ、声優が甲斐田ゆきで中性的な声ながら指がちょっと女性っぽいけど一応性別不詳ってことになってる。感染者の見たがってる幻想を見せるレユニオンと、できないことをできるなんて嘘を言わないロドス、ニセ科学と科学の構図。この両陣営のあいだで揺れるミーシャというキャラの行方が今作の軸。そして七話、このアニメの結び目がここにあったか、という丁寧に下ごしらえされた悲劇。人を殺さないロドス、ミーシャとスカルシュレッダーの論戦、自爆特攻から守るためのアーミヤの一閃、目撃するミーシャ、質の高い絶望を喰らわせてやる気概に溢れていた。最終八話、「暗闇のなかで君が掲げる光が見えた」、まさにそういうアニメだった。最後二人が影から歩き出す先も夕暮れの空で晴天ではない。大きな挫折のなかにあるアーミヤの震えとともに、先導者としてのあり方を見せるチェンの声音に色々なものが滲んでいるのが聞き取れる。罪悪感を抱えていた弟を殺されて暴力の連鎖に連なることを選んでしまうミーシャは弱さ故の選択だと自覚していて、厳しい道を歩き続ける決意をするアーミヤとの分かれ道が描かれた。

うちの師匠はしっぽがない

近代日本、大正時代に人を化かすことに失敗し続ける豆狸のまめだは、落語の話術を人を眩惑する化かしの技術と考え、自分の変身を見破った落語家に化けている化け狐の大黒亭文狐に無理やり弟子入りを志願する。コードリアライズとストブラの山本秀世監督、構成待田堂子、キャラデザ山内遼、ライデンフィルム制作。文狐師匠のもとに弟子入りしたぬきのたまめが人間社会のことなどを学びながら、落語および師匠とその師匠から続く大黒亭の伝統を更新し、受け継いでいく。序盤は作中ちょっとだけ出る落語が入ってこなかったり、もう一つ物足りないところはあったけれど、落語の四天王それぞれから学び、そしてラストへの展開はとても良かった。10話、弟子入りという新しい名をもらうことと寿限無という子の命名にまつわる話を「一言一句」覚えることが、家の名は縛りという圓紫とまめだの弟子入りが連ねられ、名の尊さと芸の継承の話になる。一言一句、一期一会、洒落かとも思うけど、師との出会いも一期一会だ。「名前は縛り」という圓紫の弟子入りを断った先代大黒亭の言う「おれはお前に名前はやれねえよ」「人によっちゃ名前ってのは一番の拠り所になるもんだ」。まめだが「私の居場所はここしかないから」と答えることで圓紫のなんで自分はダメだったのかを納得する流れは良い。先代の思いを圓紫を経由してまめだが受け取ることができる。圓紫の屈折した思い故にその屈折を通して継承される。11話、人間を憎むけれども自分の芸で笑う人のことは愛しい文狐の師文鳥の愛憎と、人間と自然や怪異がともに暮らした時代を残す話に見せられた文狐の話がまめだに繋がる良い話。最終話は文鳥の因縁を文狐の話芸、化かしで裁き、最後にはまめだが赦すことで大黒亭の伝統を受け継ぎ、更新する流れが良い。「俺の芸、お前で終わらせてくれよな。そしてお前は、お前の芸を、新しい道を歩め。良い師匠になれよ」。弟子がいるからこそ師匠は師匠になる。人間だった文鳥の愛憎を人間ではない弟子二人が共有しつつ、そこから愛を引き出していくまめだの新しい歩み。まめだ自身が人間を憎んでいたからこそ、まめだの変化は大黒亭の伝統の変容そのものでもある。「お前しか弟子はおらんねんぞ」という文狐の心細さも見えて、文狐の美しさも描かれていて良かった。「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」、業平か。桜が咲いたか散ったか心配する歌をまめだの騒々しさに重ねた粋な締めだ。

アキバ冥途戦争

1999年、メイドに憧れて秋葉にやってきたらメイドカフェの裏では銃撃で人が死んでいくヤクザの抗争めいた争いが起こっていた、という突拍子もないメイド偽史アニメ。増井壮一監督、構成比企能博、キャラデザ仁井学、P.A.WORKS制作。事前情報でうわー面白くなさそうと思っていて一話のメイド皆殺しを音ハメで映す美少女惨死悪趣味な演出とかキツいなーと思ってたんだけど、最終的には暴力の連鎖を反暴力の平和主義で食い止める往年の日本的アニメで筋を通した感じだった。毎回のようにメイドが殺されることに慣れてきたあたりで、メイドに憧れる和平なごみ(まあこの名前からテーマ性は露骨なんだけど)の平和主義の戦いが迫り出してくる。とんでもない組み合わせで異常な状況からのセリフのキレは結構なものがあり、忍者カフェでマジの忍者スキルを習得してしまうなごみなどギャグとしては結構楽しくなってくる。八話の野球回が面白くて、スポーツを戦争だという態度でラフプレイを超えた暴力を振るう敵味方に対して反暴力のフェアプレイを貫徹させていくなごみの「なんで暴力を振るうんですか!?」の叫びが真に迫る。フェア精神が伝播していく本作の核心とも言える展開だけど人は死んでる。10話は秋葉からの逃避行が描かれる回なんだけど、新幹線のチケットにアンダルシア号ってあって、完全に真島昌利の「アンダルシアに憧れて」を踏まえた話になっていてそれも良かった。最終話、なごみが銃を取ってしまったけれど牛メイドの足を撃った報いとして下半身不随になって、36歳で暴力に頼らないメイドをやっているエンドは良かった。銃が金属の煌めきでペンライトになる。しかしヤクザとメイドを無理やり一体化させて、「萌えに銃とかいらなくないですか?」という落とし方はまさにマッチポンプ。クズの行動が板に付いてる店長がとにかく面白くて、飲んでるコーヒーカップ股間にしまった場面はすごかった。

短評

メガトン級ムサシ シーズン2
去年から続くシーズン2、毎回バトルを工夫してくるロボアニメとしての面白さも抑えつつ、極限状況での地球人と侵略宇宙人との困難な和解に挑んでいて見応えがある。「異星人同士でも愛し合い家族になれる」、異種族間でできた子供が融和の希望となりつつ、年内ラストの23話は放送延期が続いてこれが年内最後の話数になる予定ではないはずだけど融和を目指す二つ星同盟という組織の設立と、地球の文化を学ぶために開かれた祭の最中、ずっといっしょにいるためには結婚というものをするのでしょう、と花火のなかでプロポーズがなされ、融和が果たされそうになるところで策謀が二人を分かつ引きは決まっていた。地獄のような状況でも、精神的安定のために記憶を操作されていても「それでも生きてることに価値があるさ」というメッセージ。

転生したら剣でした
異世界で剣に転生して、奴隷にされていた猫耳少女フランの相棒となってその成長を見守るC2Cの異世界アニメ。三木眞一郎は剣だし、母親役もいて、親目線で加隈亜衣猫耳娘フランが強くなっていくのを温かく見守る楽しいアニメだった。フランの萌えパワーが留まるところを知らなくて、スキルを奪うことでフランが令嬢モードになるところのは服装の着せ替えだけではなく、色んな属性を付け替えできる発明だと思った。だけど貴族からそのスキルを奪ったら相手が廃人同様になってしまうのはエグすぎて使いどころが難しい。最終話で普通に続くって出た。

万聖街
羅小黒戦記のスタジオがかかわる中国のショートアニメだけど、日本版では六話ずつまとめて全六話で放送された。羅小黒戦記が異民族の同化政策を思わせるけれどこちらは色んな種族がルームシェアしている異種族同居で、同性愛者もいたりする日常アニメ。前作同様良く動くカートゥーン的な作画での魅力もあり、作画バリバリの回の「制作費は全部この回につぎ込みました」というサブタイも面白い。異常生物見聞録以来の中国異種族共存アニメだった。

チェンソーマン
この作者はファイアパンチの頃から存在は知っててなんとなく避けてきたんだけど、アニメ化ということで見ている。なかなか面白いけど、なかなかって感じではある。デンジの「胸だ!」、ストレートな欲望に見えて学校行ってないし自分の欲求を意識化言語化できない屈折でそうなってる感があるし性欲なのか母性なのか生存への意志その他がこもってそうとしか表現できてない含みがあるけど、OPが映画パロと映画を見ているデンジたちの絵になってるのはこの言語化、物語化のパターンを映画から学んでるとかそういう意味なんですかね。硬いアニメだなあと思ってたけど実写的な映像を志向してて原作にある漫画的な表現なんかも削ってると聞いて、あー、なるほどねと思った。あんまり比較してもアレなんだけどアニメとして楽しいのはDIYとかの方で、それはかんたんデフォルメまで含めた絵柄の伸縮性というところにもあって、チェンソーマンのリアル寄りの頭身でのバチバチの作画ってそういう快楽には欠けるなあとは思ってしまう。作画はリッチですごくてかつ退屈って感じがあるんだけど、早川家の雰囲気を描くにはフィットしていたと思うしそこら辺は良かった。八話の空気感とか良かったし強大な暴力は一瞬でそれを消し飛ばすという突然さがある。

うる星やつら
おにぱんやった年に鬼娘の古典が再アニメ化するという。なんかしのぶが婚約者を取られる話なんだって感じがしてあたるとラムの関係を素直に受け取れないところがあるんだけれど、10話で示されたあたるの真意がそうならまあそれでいいか、と受け取れた。序盤の最終回のようなBパート、紅葉を綺麗に使ってて良かった。興味深かったのは四話、貞節を守ることに根拠なんかないじゃないかって話で、しかも120代前から続く伝統ってのも天皇のことでしょう。反天皇制フェミニズムだ。許嫁も美形ライバルも拒否して自由を得るって話だけど、結婚、生殖は疑ってないあたりは古典的で、でもラブコメはいまもまあそうか。絵的には整ってるけど、ギャグがやっぱりなかなか酷薄というかキツさがあるのが時代って感じもする。OPとEDは良いね。

新米錬金術師の店舗経営
ENGI制作だけど博史池畠監督なので悪くはならないだろうと思ってて、時折作画がキレを見せたり色々な良さもありつつ気になるところも多いアニメだった。アトリエシリーズ風の錬金術師の少女がお店経営をやるアニメで、キッズアニメ的な感触やサラサとロレアの百合めいた雰囲気は良いんだけど、ところどころに経営者イデオロギーみたいなのが見える。特に八話、盗賊皆殺しを正当化するために無辜の被害者のわたしたちと奪うあいつらの構図の強調が激しくてかなり陰惨な話になってる。錬金術師に努力したものたちという属性を与えそれを奪う凶悪な盗賊という構図、なんて言うのかな、資本家や富裕層は貧困層をそう思ってそうみたいなことを連想してしまう。サラサやロレアに不幸を盛って盗賊ヘイトに繋げる感じがねえ。ここでの盗賊皆殺しの論理は、普通に出くわした盗賊を殺すとか、転剣でフランが青猫族を殺すまでのプロセスとかとは違う一線を越えたものだと思う。ツイッターで目に入る原作の記述は完全に「害虫」や「駆除」の比喩を使っててアレなんだけど、アニメはかなり丸くしてるし盗賊倒した後の表情とかでバランスをとろうとはしているとは言えるけれども。九話の知識のない冒険者に金になる話を教えて危険性をちゃんと伝えないというタチの悪いことしてるのもかなり気になる。関わる人みんな幸せになれる商売、という立派な経営者になった最終回、新米錬金術師だけどというけど錬金術師としてもめちゃくちゃ強いのでそこにあんまりコントラストが乗ってない感じがある。

陰の実力者になりたくて!
ダーウィンズゲームのキャラデザ中西和也が監督でNexus制作なのがなるほどっていうバイオレンスな雰囲気だなと思ってたら「スタイリッシュ暴漢スレイヤー」あたりでおや?ってなってこいつはだいぶ変なアニメだな?っていう。主人公が適当にフカしていた闇の組織みたいなのが現実に存在していて、という勘違いというかすれ違いで主人公をよそにマジな話が進んでいくギャグでもあり、異世界で普通につり革のある電車に乗って「三越」がある絵面とか変なものがバシバシ出てくる。それが極まったのが五話、「核で蒸発しないためには自分が核になればいい」、「I am atomic」とかいうのはすごかった。いまいちよくわかってないしキャラもあんまり覚えられてないんだけど、常に半笑いになるような変さがずっとある。

夫婦以上恋人未満
設定は最悪のラブコメ。夫婦実習なる、相手を勝手に決められて共同生活していちゃつくと点数が付くという日常生活を監視される制度が学校で行なわれるというのは気色悪すぎる。強制的異性愛、じゃない不意の接近で苦手な相手とドキドキってのはラブコメ定番だけどそこに寝取られ要素も加味してきてるすごい設定。リアリティショーに勝手に参加させられるみたいなところがある。色使いとか面白くて絵作りはたいへん良いんだけど、こういう雰囲気でギャル風の女子たちは露骨に胸元を開けていたりスワッピングもののエロコメみたいなことをやる下品さが同居していて、まあ、なんというか。そんな色々思うところのある作品だけど、最終回の最後、オシャレソングがかかりながら、恋人、結婚、産婦人科、親子連れがこれ見よがしにヒロイン二人とすれ違う人生を遡る坂道が面白すぎるし頂上の神社で妻を連れたジロウなる主人公と同名の老人がいる演出が異常体験すぎた。

ショートアニメ

PUI PUI モルカー DRIVING SCHOOL
教習所を舞台にした第二期、一話で全員教習所に収容される力業展開笑ってしまう。七話、一瞬水族館かとおもったらアクアラインか。モルカーたちがゴミを拾って清掃活動してるところにサメもゴミを食べて苦しんでるのを助けるっていう良い話に見せてアクアラインは普通に破壊している暴れっぷりだ。鏡像っぽい逃走シーンの演出は面白いな。10話、ロップイヤーで眼帯、格好いい中二感と思ったら怪我だし捨てられた悲しい過去があっての、再び飼い主が見つかるまでの良い話だった。捨てモルカー(?)の一時保護施設みたいな機能もあるのか。ラストはモルカーもジョジョも脱獄で終わった。卒業式だからダンスパーティ、欧米感がある。なんかモルカーの話する人が激減した気がする。まあ一期ほどのインパクトはないにしろ、楽しいアニメでよかった。

女体化した僕を騎士様達がねらってます
Youtubeで漫画の出版社がよく出してる漫画に声優の声を乗せて動画にするやつ。女体化BL作品で、呪いで女体化してしまった主人公は性交しないと男性の体に戻れないので毎夜浮気癖のあるロイドと関係を持たなければならなくて、という話で、僧侶枠的な話ではあるんだけど三角関係の描写や農業がかかわるあたりも丁寧で面白い。ちゃんと読ませる原作力を文字通りダイレクトに感じられる作品だった。話が終わってないと思ったらこれは一期最終回、2023年に二期放送予定だそうで。

僕とロボコ
少年ジャンプのギャグアニメを大地丙太郎監督で180秒のショートアニメにした作品で実質的に来期作かも知れないけど面白い。異常なスピードでジャンプジャンプジャンプマガジンジャンプのパロネタをガトリングガンみたいに連射してくるショートアニメで笑った。原作はこの一話だけ読んだことがあると思うけどこの畳みかける速さは強い。二話も「呪術廻戦の汗のかき方」、あんまりわからないけど笑った。180秒のアニメで20秒ビーム撃ってるのかなり面白かった。ショートアニメのハイテンポさを生かしてるよ。

ある朝ダミーヘッドマイクになっていた俺クンの人生
去年もASMRネタのショートアニメがあったけど今年もあるとは、というダミヘマイクを手始めに杉田智和が色んな生き物や無機物に転生しながら少女たちの百合関係を眺めていくのがコンセプト。三話、「俺クン、パリパリチキンになる」という通りニワトリ転生からのカラッと揚げられる冒頭は笑った。挾まれるっていうか食われてる。最終回、「なんでこんなところにダミヘが?」で180秒~を思い出してむせた。ダミヘアニメは必ず変なところにダミヘが現われるものなのか。ダミヘマイクに体が付いた絵面も異常。百合を結ぶダミヘマイク、意味がさっぱりわからんけど、まあいいでしょう。

ハーレムきゃんぷっ!
いわゆる男性向け僧侶枠だけど、初っ端から寝込みを襲うやべえ倫理感主人公だった。行き場をなくして避難してきて寝てる相手をしかも誰だかわかってないで手を出してるというかなりの悪でスカート~の女装レイピストと並ぶ。出たな、即物の、エロが。実は高校生の彼女たちの担任でしたって形で最悪レベルをベースからアップしていくのすごい。とにかく谷間やパンツが見える画面、あらゆる点で知能が低くてすごい。キャンプ道具や車や顧問もついてくるしハーレムも全員合意だな、ヨシ! よくはない。一話の据え膳発言から始まり教師が生徒に手を出す暴れっぷりのうえに画面も常にエロを仕込もうとする僧侶枠でも極限に性欲ドライブな作風。メンズ僧侶でも屈指の最低ぶりで記憶に残る作品という感じだ。

どうかと思ったもの

羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)ぼくが選ぶ未来

中国アニメ映画の話題作だったものをテレビシリーズ用に五話に分割した再編集版。作画のクオリティの高さや良作との声と中国の少数民族政策との関係でやや賛否の分かれる作品という情報はあったのでちょっと構えて見ることになった。小黒、シャオヘイという猫の姿をした妖精は元いた場所を追われて同族のものと出会い妖精族の住む新しい住処を見つけたけれど、そこに人間の執行人ムゲンが現われ、間違ってさらわれてしまう。この偶然出会った二人がともに旅をしながらお互いを知っていくロードムービーというのが大枠。猫耳少年が花澤香菜でムゲンが宮野真守というキャストも強くて萌えアニメとして強いなと思うし、グリグリに動くアクション作画もかなり良いので作品として話題になるのもわかるとはいえ、やはりこれは少数民族に対する同化主義そのまんまだとは思った。「館はいいところなんだぞ。お前のような半人前の妖精を助けたり、老いぼれの暮らしをサポートしてくれるからな」というセリフがあり、都会が好きな妖精もいるけど「ただ一つだけ決まりがある、妖精だとバレないこと」、という素性を隠して人間に溶け込むことが必要になっている。温情的、パターナルな民族アイデンティティの否定の観がある。そうした景色を見せ、妖精の故郷から開発された都市へ、近代化の過程を見せていく「教育的」ロードムービー。シャオヘイを取り戻そうとする同族のフーシーは独立闘争を戦う闘士という感じなんだけど、彼らの手段が非人道的でほぼテロリストとして描かれている。終盤、フーシーら妖精の反人間闘争の手駒としての死か、同化共存と命を助けようとするムゲンの対立の中心としてシャオヘイが焦点化されてくることになる。シャオヘイを助けようとするムゲンの人道的ポジションは善良だけど抑圧者側のご都合めいてしまうところもある。フーシーらは自爆テロを利用するテロリズムでもあるけれど、弾圧している側がその非人道的手段を非難するのはグロテスクさを感じないでもない。この対立の挙句、最終回五話において、「共存していくしかない」「共存、こそこそ生きろって?」という決裂のなかフーシーは自らの身を大樹へと変えて人間社会に楔を打ち込む。「材木にされるだけだ」「公園になるかもしれんぞ、有料のな」との通り妖精の居場所を無理やりにでも作ったとも言える。羅小黒戦記はプロパガンダかという議論があるけれど、中国政府当局の関与はどうあれ、これが減りゆく少数民族の才ある子供を拉致って同化教育を施して出身民族と対決させる対テロ対策みたいに見えてしまうし、少数民族に対する植民地主義的、同化政策的な物語なのは否定しようもないと思う。ただ、フーシーの描写においてできる範囲内でそれに楔を打ち込んでいるともとれる。人間が妖精を追いやっているというのを話の出発点にしながら、ムゲンのシャオヘイ誘拐やフーシーの主張など、その罪の部分をないことにしてはいない。シャオヘイが選んだのはこの時のフーシーとムゲンの採った方法で、フーシーの主張を拒否したのではないとも言えるか。日本だとやはりゴールデンカムイと相似の問題を抱えている作品にも思える。ゴールデンカムイは別に検閲のある国で描かれてるわけではないのに少数民族の扱いには批判があるわけで、どっちがマシかというと、どうだろう。

通年・キッズアニメ

トロピカル~ジュ!プリキュア

去年からの続きで今年のラスト数話。敵勢力のチョンギーレ、料理は生きる意欲の元だから破滅は拒否するし、今更だけど料理人、医者、子供という不老不死と対極のような生と未来の属性の人たちなんだよなということを改めて思い起こす。「奪われるほどのやる気パワーなんて最初から持ってない」というセリフも、悪事に加担する組織における怠惰という抵抗という感じで面白い。元々やる気がないし危ないところで味方に回ってくれたしまあ謝ってくれたからチャラか。「魔女の一番大事なこと」、本当に一番大事なことを隠してしまったがために破壊の魔女という役割に固執し永遠の後回しをするしかなかった魔女にまなつが本当にやりたかったことを突きつける。プリキュアは既に亡く、すべてを後回しにして逃げていたからその事実すら意識の外へ放り出して自らの全てを忘却していた魔女はなかなかすごい。勇者と魔王というか、魔女とプリキュアの百合だ。異種族百合。最後のアクションのカッコイイ作画のなかでも一番の見せ場になるところで一番のギャグを突っ込んでくるの、どうしても笑わせたいって感じでとても良い。海底に沈んだ時にはみのりの目が光ってるし、フィーバーしながら踊り狂う伝説のプリキュア……。最終話、よもやまなつの本篇最後のセリフは「犬の糞踏んじゃった」なのか? 演劇で泣いたまなつがもう笑って、感動シーンが笑いになるけど、それが私たちの物語だというのが良い。しかし正体をばらして、人魚コールからのスピンヘッド、面白すぎるだろ。お互いに記憶を忘れてしまうまなつとローラの再会への手だてが、敵で人間でも人魚でもないエルダを介してるのもとても良かった。「ローラは人魚、大好きな友達」、異種族の友達の話。それはエルダたちもだろう。どんなときにも笑いを忘れない、気持ちの良いアニメだった。悲劇を喜劇に変える「私たちの物語」。

デリシャスパーティ♡プリキュア

2022年のプリキュアアイドルタイムプリパラのパンごはん麺類の炭水化物の組み合わせはそのまま和洋中にスライドできるんだという発見がある、和食洋食中華料理の三人をメインに据える食のプリキュア。一緒に食べることの楽しさを描いたり、手作りすることの大事さを描きつつ、敵にはそこから脱落した存在を描いていて、コロナ禍の現在に飲食店の応援の意味もあるだろうけれど、アニメとしてはそこまで面白いって感じにはなってこないという印象。まあまあというか。印象的なのは21話、なんかいやに現代的な話だった。和菓子屋閉店の理由が大資本の出店による客足の減少とかではなく加齢の衰えからきていて、王道とも言える宣伝や応援で解決する話が成立しない。少子化故か後継者もいないんだろうし、みんなの思い出に残ってくれればという終わりを変えることはできない。「古いのと新しいのは入れ替わっていくものだから」といえば聞こえは良いけど、インボイス導入を前に個人商店の衰退の話のようでもある。食には歴史があると言い、「私は歴史を食していると思っている」というのは「情報を食べている」へのカウンターだろう。31話の王女と入れ替わり回はなかなか楽しい。「つねに正しき道をお選び下さい」と言われてきたので食事も何から食べるのが正しいかが気になって何が好きかがわからないという主体性の話だけど、変身前のゆいが自力で縛った縄をぶっちぎったのはズルすぎる。「彼女は色んな意味で強い」、面白いセリフだし実際そうだった。縄抜けですらなかった。39話は、土井善晴メソッドを想わせる回。ひと手間とか手作りで健康作りとか自ら手間をかけることを賞賛するばかりのゆいにどうだろうと思ったらまさにその話をしていて、父子家庭で子供を大事にするばかりに過労になってる玉木家に外食を提案して、呪いを解く。

遊☆戯☆王SEVENS

30話あたりから見始めたセブンスも92話で最終回。特に印象的だったのは90話、子供達だけで月へ行くアニメは名作……。OPの光へ飛び込め、が月旅行だったとは。ロミンがカレーを作ってたのはもしかしてと思ったらマジで宇宙船の燃料がカレーなのは笑ったし、子供達がカレーを燃料に宇宙へ行く場面は素晴らしかった。感動的だ。親に月へ行くと言って行くアニメ……。爆発するカレーというギャグのネタをマジで燃料にして宇宙へ行っちゃうメチャクチャなシーケンスから生まれるくだらなさと情感の入り交じった感じ、最高ですね。こういうのが見たくてアニメを見てるとすら思う。プレアデスかサニーボーイかと思ってるところに何を作ってもカツカレーになる爆弾魔のジビエートの記憶が重なってくる、そこが遊戯王セブンス90話の凄味。最終話、最後の最後にルークが初めて敗北して遊我が勝利するっていうなかなか面白い設計だった。最終回のデュエルがはじめ劇伴なしの淡々とした演出なの良いな。原点という感じ。

遊☆戯☆王ゴーラッシュ!!

セブンスから仕切り直された新作、微妙にセブンスと似た人物がいてどういうことかなと思っていたら3クール目ラスト39話で謎が明かされて色々なことが繋がって面白かった。宇宙人、UFO、UMAなんかのネタを使いつつ、遊飛遊歩の男女の双子が宇宙からきたユウディアスと出会い色々やっていく。11話、90年頃のテレビ番組パロの数々に「お前たち地球人が想像すらできないもの数多くを見てきた」、ってブレードランナーパロまで。氷を用意した熱湯風呂って完全に熱湯コマーシャルだしボール飛ばす綱渡りは風雲たけし城だ。ちゃぶ台で対面はセブンのメトロン星人だし昭和ネタを散りばめまくっている。27話でもセル画時代のアニメ制作工程回をやったり。二クール目ラストではOPとともに街自体が宇宙船で空に昇っていく大スケールの場面は熱かった。今のところセブンスほど乗れてる感じじゃないけど、やはり楽しいアニメだ。

ワッチャプリマジ!

この最終回で11年続いて思い出深いプリティーシリーズもここで休止となった。一応ずっと見ていたし、みるきのキャラが良いしれもんとの関係も良いと思ったけど、途中から作品への集中力が切れていまいちちゃんと内容を受け取れてなくてあんまり感想も書かないまま終わってしまった。最終回、今後の展開のために用意していたと思しいマスコットの人間化形態を最後に使い切って終了という打ち切り感が切ないな。50話のまつりとみゃむの最後のデート感は良かった。

過去作品、映画、OVAなど

アクダマドライブ

関東と関西で戦争が起き、関東に支配された関西という日米関係を示唆したようなサイバーパンク未来社会で犯罪に巻きこまれた「一般人」がアクダマと呼ばれる超人じみた犯罪者とともに関東への旅に同行する。田口智久監督構成、構成海法紀光、キャラデザCindy H. Yamauchi、studioぴえろ制作。今年やったブリーチアニメの座組に近く、その繋がりで無料配信をやったのかな。超高校生級とかテロップ出て来そうなキャラ紹介、ゲーム的な画面演出、ダンガンロンパの人原案でペルソナシリーズ監督と聞いて両方の匂いがしたのがなるほど、と思った。そこにブレードランナー風トンチキジャパンサイバーパンクが加わる感じで面白い。スタイリッシュな画面作りと悪人の矜持を描きながら、一般人が世界の謎に触れてその筋を通す。10話、喧嘩屋にとっては懲役を偽ってるチンピラは本物のアクダマだったと肯定してみせる一般人の「本物の小悪党みたいなことしないで」、という喝を容れて「強えやつに喧嘩売るのって最高だな、兄弟」で仇をとるチンピラ、真の懲役五億年だ。良い役だった。最終話、カンゼンバンだと「詐欺師 黒沢ともよ」のクレジット出る位置が違うんだな。500YENの意味合いが裏返されるように、一般人は詐欺師として一番つまらない嘘をついて死に、処刑課はアクダマとして非難され、夜の印象が強い本作で朝を迎え兄妹は白のなかに消えていく。運び屋のバイクアクションは見せ所という感じで良かった。象徴的なタワーを破壊してそれを足場に走り抜けていくOP演出もあわせて良い。「なんで殺したの」、無数の市民と黒沢ともよが同名の「一般人」として重なるギミック。しかしこれも「ざまあ見ろ」アニメだったとは。兄妹は息の演技だけだから、この全12話の最後のセリフは運び屋の「上出来だ」になるわけか。狙ったな。

SHIROBAKO劇場版

色々あったけど最後は良かった。ネガティヴなことではなく純粋に作品クオリティのために作り直しを決意して、その苦闘ぶりを劇中劇の気合い入った作画自体で描写するところ、これを三週間弱でやったのかというムチャクチャさが爽快感になってて良い。劇中劇のストレートな意味も。契約でミスったのにまた契約でミスってるの何なんだと思うけど、こういうのが常態化してる業界なんだろうなって感じはする。今度はちゃんと立ち回った。絵麻と久乃木が同居してるの元からだっけ。「女の子が便利キャラになってるなと思いました」というセリフがあるけど、それはまあ結構これもそうではないか。

劇場版響けユーフォニアム誓いのフィナーレ

原作の二年生篇をこれとリズに分割してアニメ化してるわけか。久美子と秀一の恋愛、後輩たちの参加とそれでも三年の層の薄さが決定打を欠いたのか惜しい結果に終わり再起を図る、そして再起を図ったこの映画のあとに放火事件か。あまりにも。原作をさっさと読んでおくべきかと思いつつまだ二巻も読んでない。かなり巻きで展開しているのかスピーディに話が進んでいく。久石奏の久美子や夏紀との関係を丁寧にやりつつ、求くんの速攻帰依っぷりが笑える。告白始まり、そしてどうなったか描かないままペットボトルの回し飲みでおい付き合ってんじゃねえかってなる感じ。「今年の低音部は面白い動物がいっぱいで楽しみですね~」煽りよる。建付の悪い引き戸に頭をぶつけてずりさげメガネで登場時から萌えアピールしてきた滝は何なのか。津田健次郎が高校生やってるのやっぱり面白い。そして久野美咲が高校生をやってるのも面白い。大会の衣装は露出度高くてびっくりする。男子も女子もヘソ出ししててすごい。先輩後輩関係なくオーディションで選ばれるべきと考えるらしい奏が、先輩後輩関係なく上手いと認めた人に教えを請う夏紀が信じられないというの、上下を気にしているのは誰か、という。奏の差し出すスプーン、麗奈と対比して拒否するかと思ったら食べるんだ。仲良いな。秀一と喧嘩別れして麗奈に会いに行くの、もうそういうやつというか、夜の山はあのシーンじゃん。同じ飴をかじって、「何か吹いてよ」の声のトーン。秀一と別れて麗奈に会いに行って、麗奈の演奏のさなかで秀一に仲直りのLINEしてるの、えげつなくないか? OGが来て部長の変わりようにびっくりしてる部員笑う。麗奈が今ある自分の始まりという久美子、麗奈と奏の意図的な配置がある。

劇場版生徒会役員共

コロナのもろもろで去年の一月一日に公開されたやつがもう無料配信なのは制作スタジオが色々あったからなのか考えてしまう。「こんな感じで10年やってます」でまあいつも通りでそれが良いけどこれで打ち止めなんだろうか。タカトシに持ち上げられるスズが良い。

どうにかなる日々

志村貴子原作佐藤卓哉監督。成人女性同士、男性教師と男子高校生、小学生から中学生に至る男女の四本のオムニバスアニメ。さらっとした空気感でドラマティックな盛り上がりを排した距離感を描くのが志村作品の雰囲気をよく伝えてるようで良かった。一本目はファーストキスは百合ちゃんという女の子だった、という「冗談みたい」な導入で、その百合の結婚式に高校と大学で百合に手を出された同士が出会うという百合物語。「百合って結局何だったのかしら」「ビッチよ、クソビッチ」、笑った。消えていく背中を追う締めが印象的。二本目は教室で卒業式をする「味気ない」男子校で、男性教師が教え子に告白される、ということから何もなく一年後。高校生大好き、というなんか危なげな教師が昔の連れ込み宿だった姉の住まいに教え子たちを連れ込むという、何もしてないのに空想的に願望を叶えるかのような話。三本目はAVに出た従妹?が転がり込んできた家で、小学五年生の男女関係に首を突っ込んでくる。エロいお姉さんが少年の気を引いていて、対抗して積極的に迫ってみせる女の子の頑張りが報われない。AV見て固まってるのが笑う。お姉さんがいなくなった寂しさを女の子には言うのは屈折してる。四本目は前話の続きで、いつもポケットに手を入れてひねくれがちになった少年とそれでもずっと好きな少女が、今でもずっと一緒にいる距離の近さが良くて、今回は女の子目線の回でエロいお姉さんを節々で意識しながら恋敵のAVを何度も見てるのが笑うし、ちゃんとカップルになってるのが良かった。木戸衣吹の少年と石原夏織の少女の小学生時代、中学生時代を描く後半が良いな。石原夏織の「死んでよ」、良いセリフすぎる。中学生のベストカップルコンテストで優勝したらコンドームプレゼントされて終わるの笑う。冗談めかしたやつなんだけど、この二人は子供ではないのでしっかり使うっていう。

スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて

プリキュア映画を見るのは初めて。バンクで歌い出したのに驚いたけどそういやスタプリはそうだった。そしてライブの壮大さはスタプリにしかできない感じでかなり良かった。星、生命の誕生、新しい星の夢を祝福するような盛り上がり。ひかるとララの子供が巣立つのを見守る話。空から落ちてきた謎の生物と一緒に空を飛ぶアニメなんだよなとか思った。沖縄、イースター島ギアナ高地、ウユニ塩湖、世界の観光にバトルに歌とダンスのライブ、視聴者参加パート、エンタメ盛り沢山ツアーって感じなのもすごい。「みんなミラクルライトを振るふわー」の平然と出てくる「みんな」。ララが毒親になりかけて歪みそうになったユーマの意志、夢をきちんと認めるみたいな話だけど、絵が決まってるウユニ塩湖変身シーンからユーマとの思い出をなぞるように地球の景色が続いてユーマとの仲直りの思い出のハイビスカス畑に帰ってきて、和解と別れになるクライマックスがかなり良い。

劇場版艦これ

今更見たけど結構良かった。テレビ版では間抜けだった水上戦闘がかなり迫力ある格好いいものになってたのにはバカデカくて重い音の貢献もあったと思うし、テレビ版の如月轟沈の話を全うしようというところからこの世界の背景を描いてて、この作品の根底を示したようでもあった。如月が帰ってくるのは別個体かと思ったら記憶を残した同一個体で意外だったけど、沈んだ艦娘が一部深海棲艦になって帰ってくるというのにはこの頃そういう設定が多かったな、と。艦娘が深海棲艦になるけどそのあと元に戻れる可能性もあると復帰組がそのことを証言するんだけど、本当に無限ループになっている。これは人間が出てこないから本当に無限ループしてる感じになってるんだけどそれはそれとして。如月の帰還と不可避的な深海化のなかで睦月が繰り返し惨い目に遭わされているループ感はある。でも深海化しつつある如月が窮地に救援に現れるのは対話可能性の一端を示してもいて良い盛り上がり。吹雪もまた幾度もループを繰り返してるような感じだったけどそのなかで分離した怨恨を抱き留めるのは睦月が如月を抱き留めるのと同じく歴史の悲劇の忘却への抵抗でもあるだろうし、悲劇の歴史を回避しようとループしつづけるゲームプレイ的な理念の問題なんだろうとは思える。まあでもとにかく、本篇で物議を醸した如月の話をきっちり引き受けて回収したのは良かった。原作の重要キャラを死なせて、それをちゃんと責任を取ったというか、取るには劇場版が必要だったという重みもありつつ、最後のシーンは良かったと思う。睦月を酷い目に遭わせたからね。それはともかく、鳥海の格好が夜の店か何かとしか思えないとか、シリアス路線だとちょいちょい格好にツッコミ入れたくなる瞬間がある。夕立がぽいぽい言いながら曲芸撃ちしてたのは格好いい場面。日高里菜がずっと泣いてるアニメみたいな印象。声優がみんな自分自身と喋ってるから終盤の自己内対話も違和感ないな。たぶん。この作品自体が壮大な自己対話みたいなもんだし。

アニソン10選

CUE! ED AiRBLUE「はじまりの鐘の音が鳴り響く空」
スローループ OP ぽかぽかイオン「やじるし→」
シュート!Goal to the Future OP 宮川愛李「アオレイド」
処刑少女の生きる道 ED ChouCho「灯火セレナード」
金装のヴェルメイユ ED Mili「Mortal With You」
本好きの下剋上三期 ED 坂本真綾 「言葉にできない」
ヒーラー・ガール OP ヒーラーガールズ「Feel You, Heal You」
連盟空軍航空魔法音楽隊 ルミナスウィッチーズ ED ルミナスウィッチーズ「わたしとみんなのうた
Do It Yourself!! ーどぅー・いっと・ゆあせるふー ED せるふとぷりん続く話」
マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 Final SEASON -浅き夢の暁- ED ClariS×TrySail「オルゴール」

DIYは最初OPを挙げてたけど、映像込みの魅力も強く、曲で選ぶならEDかも知れないと思って変えた。ぼっちざろっくは全体では良いかわりに突出して一曲だと選びづらい。OPやEDの映像ということでは、DIYのOPとヤマノススメのOPと毎回変わるEDの秀逸さ、そしてシェンムーのOP、黒の召喚士OP、5億年ボタンEDなどが印象深い。着せ替え人形、ぼっちざろっくの同プロデューサーアニメでのデフォルメEDも良い。あとやはり今年はバーディーウィングの広瀬香美のOP、後宮の烏の女王蜂のOPが話題性では抜群だった。他にも挙げていくと切りがないし、CUE、ヒーラーガール、ルミナスウィッチーズ、エクストリームハーツ、ぼっちざろっくの主題歌集や、ラピスリライツのラストアルバム、リステージのRebootも聴いてて、今年一番聴いた曲はどうもこのKiRaReのIdeal/Idleだった模様。

2022年話数10選

CUE! 12話
プリンセスコネクト!Re:Dive Season2 四話
まちカドまぞく2丁目 五話
BIRDIE WING -Golf Girls' Story- 八話
ヒーラー・ガール 八話
連盟空軍航空魔法音楽隊 ルミナスウィッチーズ 10話
Extreme Hearts 12話
神クズ☆アイドル 七話
Do It Yourself!! ーどぅー・いっと・ゆあせるふー 四話
てっぺんっ!!!!!!!!!!!!!!! 五話

話数についてのコメントはそれぞれのアニメの項にて。まぞくは六話が締めの回で良いんだけど、自分としては五話の謎が明かされていって桜の存在にたどり着くところがとてもよかったのでこっちだ。エクストリームハーツは11話の抜群のバスケ回と最終回のライブ、どちらを選ぶかがかなり難しいけどここはこれ。話数で純粋に選ぶと上位にルミナスが四話か五話くらい入ってくるんじゃないかと思う。

それともう10選。
遊☆戯☆王SEVENS 90話
恋愛フロップス 四話
不徳のギルド 七話
金装のヴェルメイユ 四話
処刑少女の生きる道 八話
転生賢者の異世界ライフ 七話
阿波連さんははかれない 10話
時光代理人 -LINK CLICK- 二話
シャドウバースF 21話
シュート!Goal to the Future 二話

遊戯王セブンスの素晴らしい宇宙行と、フロップスとギルドとヴェルメイユのお色気的な意味でも記憶に残る話数と、処刑少女と転生賢者の省力アニメ演出の面白さの一端を見せる話数と、原作読んでるのに圧倒された阿波連さんと、時光代理人とシャドバの百合回と、その異質さをまざまざと見せつけたシュートと。

2022年アニメ名場面

10選にはならなかったけど色んな意味で衝撃的だったアニメの場面を挙げる。遊戯王セブンスの90話もここで挙げるつもりだったけど次点10選で選んだので除外。各項目で書いてもいるけど改めてリストアップしておく。

時光代理人 -LINK CLICK- 一話の「SNSは母さんをブロックしろと言ったのに何で父さんをブロックしたんだ」。セリフが面白すぎる。
終末のハーレム 二話の熊。建物のなかで急に熊が出てくる唐突さとご都合展開のミックスに衝撃を受けた。
鬼滅の刃遊郭編 10話の非常にシリアスな場面で瀕死の炭治郎が描かれながら大正コソコソ噂話のコメディに移るのがマジかよって思った。
CUE! 14話、全篇が異常。
RPG不動産 八話、ラキラが水をかぶって下着が見えるからと着替えてきたら、ほぼ下着みたいな格好して出てきたのがメチャクチャ面白くてツボだった。
東京ミュウミュウ にゅ~♡ 10話、死にそうになった時に「もっとみんとに働いてもらって楽すればよかった」が凄すぎる。これだけだと変に見えないかも知れないけど、「ざくろさんを一回で良いから爆笑させたかった」とかいうセリフと並んでこれだからね。

というわけで以上、年内ギリギリに校正終わってない状態でアップしたけどなんとか終わった。95000字、自分で書いててなんだけど多すぎる。もうちょっと一作一作について時間をおいてまとめるべきとは思うけど年末に突貫でやるとこうなってしまう。

来年は良い年になりますように、と去年書いたら今年はコロナ禍のうえに本格的な戦争も始まって、どうにもならんよという感じだ。いよいよ戦時、戦前の時代状況になっているけれど、アニメはその時にどうなるか、というよりどう受け取れるかというのが問われてくるんではないかと思う。