武井杉作監督 映画『与那国』について


埼玉県川口市の映画館&バーの第8電影で五月三十一日、六月二日、三日に上映された武井杉作監督の映画『与那国』(2008年作)を見てきました。

武井さんは私の和光大学時代同じ創作講座の授業を受けており(講師は寮美千子さん)、そこで知り合ったメンツで作った幻視社の創刊メンバーでもあって、試作版を18年前に見ているのですけれど今回正式版を初めて見たことになります。不意に死を迎えた友人をめぐる家族、友人、監督自身を撮影したドキュメンタリーです。試作版は90分くらいあったのかな、それをより切り詰め編集し直したものが正式版とのこと。

映画は、武井さんの高校時代の友人で一緒にシュールなコントなどを撮っていた菅谷周さんが急死され、その四十九日近辺に家族への取材したり、菅谷さんが通っていた飲み屋で関係者を集めての会を撮影した映像に、過去武井さんが菅谷さんと撮っていた映像を交えて進んでいきます。

20歳ちょっとで亡くなった彼について語る母、父、兄のなかで、特に母は息子の死を悼み、悔やみ、不登校だった学校での対応に憤り、部活でいじめていた自分も死の遠因だったかも知れないと申し出た級友に知ってることを全て教えて欲しいと頼んでいます。欠落を埋めようとする怒りに近いものがある。

対して兄は、弟の死を言語化できない、したくないということを繰り返します。いじめ、不登校、自殺未遂、統合失調症、そして盲腸による敗血症で死去する彼の人生に起こった出来事はそれぞれ偶発的で、ある程度関係してはいても因果で結びつけられないものだという態度を示します。兄はそして、つらい時期もあったけれども概ねの期間は彼は幸せだったのではないか、と言います。菅谷さんはちょっと変わってると皆に言われていて、内面の抽象性を言語化するのに不得手でそれに苦しんでいたということを監督も言うのですけれど、苦悩し苦しんだという見方から兄は距離を取ります。

映像的に、母と兄の菅谷さんへの態度は対比的に編集されています。物語化に対する態度の違いと言い換えても良いでしょう。因果の流れを必然のものとしてしまうと早世した菅谷さんの生はどうしても負の方向へ引きずられてしまうことを兄は分かっているのだと思います。しかしこの双方の態度は誰かの死を体験した誰もが共に持っているものかも知れないとも思います。監督も当初はある怒りに近い感情で突撃的に映像を撮っていたのが、兄のインタビューでの言葉に影響を受けた、ということを語っていたように、本作にはその双方の要素があるとも言えます。

菅谷さん宅の遺影のある壁には彼の好きだったという絵「与那国」が飾られています。そしてそれを映そうとするカメラを構えた監督自身の姿が額縁に反射して映り込んでいる。死んだ人について語ることはその人の死者への態度を映し出す鏡でもある、そのことを示す今作のハイライトとも言える絵です。

物故者を偲ぶ普通の家族、普通の友人たちの姿を記録し、それを撮る自身の姿も映像に残す。ここにはある具体的な一つの死を通じて、誰もが体験する死別ということの普遍的な何かがある、そう思える映画でした。私も初見から今にいたるあいだに一人友人を亡くし、また違った感慨を得ました。印象深い一作です。


映像について印象的なのは、家族や友人等が集まった居酒屋のシーンでいじめに加担していた級友と母親が対峙している場面と、その隣で兄に菅谷さんはどれだけ兄を自慢していたかと泣きながら伝える友人という場面が同時発生していて、カメラがどっちを撮れば良いのかと迷ってるような絵が面白いんですよね。偶発性の映像。

またここでいじめていたという級友が母の問いに答える場面にフォーカスしていく時、たぶんまわりの音に対して訥々としたか細い声が録音されるのか不安になったんだと思うんですけれども、級友の口元に異様なほど近づいてるところがなんとも印象的なんですね。ほぼ口しか映らない絵になる。

というのが当日上映会後に交流会としてそれぞれ感想を語ったときに私が言ったことと言わなかったことを後から思い出して書いたものになります。監督が最後に自作の歌を披露していて、それが本作のスピンオフというか菅谷さんとの思いを歌ったものだったのがなかなか良かったです。


映画館支配人の本作の上映に至る経緯や、監督の撮影・編集日記も参照。
【傑作ドキュメンタリー】映像のあわいに浮かび上がる「魂」 ーー武井杉作『与那国〜それぞれの四十九日〜』【当館にて上映】|映画館&Bar「第8電影」

以前に見た時の私の感想。
「死ぬということは偉大なことなので」 ――杉作「与那国」 - 「壁の中」から