向井豊昭がなぜ下北にこだわるかの理由を小説を初めて書いた下北の分校をそのルーツと指摘しながら方言の使用、祖母について、詩人の祖父について、そして詩人としての向井についてなどから論じ、向井の文学の根底を探る一冊。
向井豊昭はアイヌや北海道についてのテーマが目立つけれども、下北弁による小説が非常に多く、下北が舞台になる小説も多い。これには祖父母が下北出身で、豊昭自身も下北で青少年期を過ごしていることと、高校時代に仲間と同人誌を作ってそこに初めて小説を書いたことなど、幾つもの理由がある。
著者はここで向井豊昭の小説作品全体の内、下北を題材にしたものは200作品中三割に及ぶと指摘し、全篇下北弁で書かれたものから下北弁のセリフがあるものや登場人物の出身が下北のものなど細かく分類・把握し、下北が題材になっている作品を適宜示しつつ論を進めている。豊昭が通っていた大湊高校定時制課程川内分校が出てくる作品にふれ、大湊高校に届いた豊昭の手紙を譲り受けた複写から引用しており、大湊高校卒業生でそこで教鞭を執ってもいた下北在住の著者ならではの調査がなされており、娘さんにも取材するなど地道な全作品の分類とあわせて貴重な論考だろう。
豊昭の祖父永太郎こと向井夷希微は石川啄木との交友で知られているけれど、啄木の書いたものからのみ語られ、夷希微への問い合わせもなく、実像から外れた印象ばかりが流布しているとは豊昭の嘆きだけれど、豊昭の根気強い批判を汲んでちゃんと「愉快な」つきあいがあったと夷希微の手記を紹介している。
幾つものテーマから豊昭をたどって著者はこう書く。
単に、地縁や地縁があったというだけではなく、文学へ傾倒する契機、差別や貧困を目の当たりにして体得した価値観など、青少年期に過ごした下北は、生きていく力を備えられたところであり、文学に関わり続ける根源になっていたのだと思う。78P
向井豊昭の未発表小説「下北」は祖母が死んで十七回忌の年、下北を訪れる旅程のなかで祖母を回想する短篇小説。全篇下北弁で書かれており、国民学校五年生の年に疎開してここで級友たちに発音のおかしさをいじられ、いじめられたりする場面や、語り手の言葉が下北弁になっていく過程、結核療養所で恋人ができたことを報告したり、彼女から教師になることを勧められたその後の人生の転機ともなる場面や、手術のあと便がでなくて祖母に尻から割り箸を入れられて排泄ができたあと、それを「暮らしの香り(かまり)」と方言で評する、本書の論考の格好の具体例といえる。
「ドンダバシテ!」と下北弁で「どうなんだ! どうして!」という意味の言葉を呟きながら語り手は言う「どんもこんもねえ時、下北語ァ出はってくる。下北弁でねえ。下北語だ。」(83P)。しかし豊昭が下北弁を使うようになるなか祖母は方言を使わずにおり、この差異がポイントになっている。
そしてこう締められる。
下北語ば口にしなかった婆のたった一つの下北弁ァ『お山』だった。『お山』ァ、入れ歯なんかでねえ。婆の歯ぐきさ喰い込んだ白くて硬(かて)え下北だった。婆ァ死んで十七回忌の夏、ワのからださうじゃめく下北ばたずねて、ワ、これから一人、お山参りに行くんだね。120P
そういえば、池澤夏樹編『21世紀文学の創造9』に収録の「ゴドーを尋ねながら」は「恐山のイタコに亡き母の声を訊こうと訪れた冬男が、ベケットの「ゴドーを待ちながら」の登場人物二人と遭遇し、一緒にイタコのお告げを聞くことになる」話で、続篇と言えるかも知れない。
見えないものこそ、見つめなければならないのだ―向井豊昭メモ
「下北」は著者自身が文字起こしを担当していて、150ページに満たない小著ながら相当の労力が注がれているのが窺える。特に向井豊昭の全著作を下北・下北弁の観点から分類した著作リストはこのテーマに触れるなら必携だろう。
商業流通している本ではないですけれど、以下のサイトから通販できるようです。
www.aomoritosyo.co.jp
本書は山本さまから恵贈いただきました。ありがとうございます。