米澤穂信「小市民シリーズ」

アニメ版がやっているところだけれど二期が始まる前に春期から読み返して冬期まで読み終えた。秋期までは10年前くらいに読んでいたけれどさすがにそのまま最終巻だけを読むのもアレなので改めて一巻から読み返したけどやっぱりそうして良かった。読み終えたのは二期終わる前だったけど、なんだかんだでブログにまとめるのを忘れていて、区切りよくアニメの秋期が終わった時点で上げるか、と思ったのでこんな時期になった。アニメで初見の人は以下は読まない方が良い。

春期限定いちごタルト事件

というわけで再読。「おいしいココアの作り方」で色々面白かったのは、この濡れているはずの乾いたキッチンと第一篇の濡れたジャージの裾という乾湿のテーマを知恵働きをやめる=足を洗うという要素にして川のイメージ映像を基軸にアニメの演出に使ったんだなと分かったところ。たぶん。健吾のココアの作り方がパッケージ裏面に書いてあるというのはアニメでの補足か。

夏期限定トロピカルパフェ事件

で、夏期だけれど、この中心の事件はドラッググループからの足抜けをめぐるものだったし、そこに推理の愉悦からの足抜けの試みが挫折するまでが夏期だったわけで、足を洗うかどうかというテーマは直接に春期とも絡んでいる。川と橋のイメージがアニメに良く出てくるのはまずこの足を洗うということと、冬期の舞台が堤防道路で橋も出てくるから、だろうか。

しかし、小鳩くんに推理というエサをちらつかせてバクバク食べてくれるように状況を整えた小佐内さんの魔性が再読するとえげつないほどに感じられる。ここの章題が切り返しされるところは鮮やかだ。スイーツセレクションの地図を渡したあたりからはずっと掌の上で踊らされていたけれど、そうまでして小鳩くんを動かそうとした理由がドラッグに手を出して補導された過去を持つ暴力も辞さない級友からいかに逃れるかという恐怖にあることをあなたは決して理解しない、という小佐内さんの指摘は確かに小鳩くんの急所ではあるし、秋の恋愛沙汰を小鳩くんがどう捉えていたかに繋がる話にもなっている。

「傲慢なだけの高校生が二人」が残るというラスト、まあ本当にそうとしか言えなくてね。しかしまあ再読して改めて、この嫌なやつとヤバイやつのコンビでどうしてこれで青春小説の顔つきできるんだ?って感じはする。能ある鷹が爪を隠そうとして頑張ってるけどついつい頭の良さを発揮してしまったり、男女二人でいる高校生が自分たちは恋愛でも依存でもないと言い張っているの、普通に考えたらすごい感じの悪い話なんだけども。探偵行為の傲慢さと思春期の自意識を重ねるのはなくはないと思うんだけど、語り手が探偵で相方が犯人というのはわりと珍しいのかな。

小鳩くんが成熟した容姿の女性が好みだとか、儚げなところではこの人も小佐内さんには叶わないとか、地の文での語りは小説ならではの面白さがある。

秋期限定栗きんとん事件

一度読んでるのに全部忘れた状態で再読できて、面白いけどとんでもなくひどい話で笑ってしまった。小鳩くんは人の気持ちがわからないやつだし小佐内さんは人の気持ちを分かった上で粉砕する。

「傲慢なだけの高校生」が能力の低い同類を粉砕するし、心底どうでも良いと思いながら恋人関係を続けたり、人を影から動かして操作したりといや、すごいんだよな。そうして迂回の後、自分たちは市内、高校レベルではそこそこに有能な人間で、同レベルで話ができるのはお互いくらいしかいないと気づいてたった一人相手がいればいい互恵関係という言い訳ではない恋人関係に極めて近いものとして二人が関係を結び直す。というと賢しらな感じだけれど、ようやく気の合う相手はこの人しかいないと認めた悪あがきをまだやってるな、と思えばいいようにも思う。小鳩くんにとっての解くべき謎を持っている相手は小佐内さんくらいで、小佐内さんにとって自分のことを分かってくれると期待できる相手は小鳩くんくらいだ、という関係。

仲丸さん、瓜野くんは本当ヒドイ目に合ったよね……。仲丸さんはともかく、瓜野くんはまあ自業自得ではある。でもそうして自分たちの身の程を自覚する過程でもあってそれは青春小説的だとは思う。

アニメではカットされたけれど知恵働きを繰り返しても仲丸さんが全然気づかないので小鳩くんはいわば仲丸さんのことを舐めはじめていて、それがファミレスでのトマト事件という空振りに至るわけだけれど、ここで仲丸さんに小鳩くんの相手を舐めた態度が気づかれたとすると、瓜野キス未遂事件と似た構図を描いている。話をさえぎって自分の行動を押しつける点で瓜野と小鳩はここで同じようなことをしているわけだ。

小佐内さんは栗きんとんの比喩のように瓜野くんを使って小市民になろうとはしていたんだけれど、彼女の言葉は彼にはほとんど通じないしそもそも聞こうともしなくなるし、そこで行なわれたキス未遂によって彼女の逆鱗に触れてしまう過程がアニメに描かれるとだいぶホラーな演出になっていてすごかった。そして小佐内さんの瓜野くん問い詰めパートが羊宮妃那の声によって展開されるアニメ16話の迫力。

『冬期限定ボンボンショコラ事件』

小市民シリーズは短篇を除いてこれで完結。小鳩常悟朗が車に轢かれ入院し、そこで思い出すのは同じ道路で同級生が轢かれた三年前の事件。小佐内ゆきとの出会いのきっかけでもあり小市民を目指す挫折の経験でもある過去と今が並走し衝突する。コリジョンコース現象を思い出す構成だと思った。

探偵行為は人の明かされたくないプライベートに口を突っこむことになるもので、その「報い」について考えながら、自分がしたことは本当はなんだったのかを問い続けるなかで堤防道路で起こった二つの交通事故の関係が明らかになっていく。最初と最後の事件を並行して語っていくという構成は最後を飾るに相応しい仕掛けだろう。「報い」がキーワードとなるように、小鳩くんの探偵行為の罪と罰が今作の核心をなしている。昔、春夏を読んだ時も探偵の傲慢さがテーマになってて面白いと書いたような覚えがあるけど、今作ではそこに正面から突っこむことになる。

事件の詳細はミステリなのでここには書かないけれども、小鳩常悟朗にとってこれらの事件の顛末は自分は無神経さで人を死なせてしまったかも知れないという悔恨と、とっさに人を助ける人間でいることができたという喜びの入り交じるものだったのかも知れない。犯人を明らかにする知恵働きで評価されたいという自己肯定と善意。その無邪気さが原因ともなって、この件があっても今なお知恵働きをやめることはできない小鳩くんの性根を自覚しつつ、謎の本丸を避けて暴けば暴ける安易な人間関係に推理を進めてしまった失敗を糧に生きていくことになる。

小鳩常悟朗が中学生当時は相手の事情を色恋関係ぐらいにしか推測できなかったという事実は、小鳩小佐内の関係もまた複雑な内面を抱えていようとも外部からは端的にそうとしか思われない、ということの反映でもある。自分のしたことが返ってくるという仕掛けが幾重にも張り巡らされている。

『冬期限定ボンボンショコラ事件』及び「小市民シリーズ」ネタバレ感想補遺または続編 - 蝸牛の翅(つばさ)
こちらの感想がかなり丁寧に作品を読んでいて、私はこの作品の半分も読めてないなと思った。「報い」に関する読解もなるほどだ。被害を受けないように影から動くことが常態化してしまったせいで小鳩くんだけが恨みを買い標的にされてしまう、影の支配者的な行動の報い。

確かに小鳩くんにとって小佐内さんを助けられたことは悪くない選択だったんだろうけれど、そこで小佐内さんに対しては間違った解答をし続けている、という指摘は確かにそうだ。語り手は人の感情が分からないので、するっと読んでいるとそこを踏まえた部分を読み落としかねない。事件をめぐる死角が見えても、語りの死角について小鳩くんはまだまだ分かっていない、という二重の死角をめぐるトリックがここにある。

でも冬期を読むと分かるように、人の心が分からないというのは普通そうするような、没論理と言われる偏見からの行動をしないことによって小佐内さんに認められるわけで、事態は二重になっている。ということは以下の記事でも言われていた。
米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』及び「小市民シリーズ」ネタバレ感想 - 蝸牛の翅(つばさ)

小佐内さんの心情を小鳩くんの語りの隙間から窺おうとする探偵めいた記事になっていて面白い。冬期を読むと小佐内さんの小鳩くんへの感情はぼんやりとは分かると思うけれども、非常に具体的に指摘している。先に続篇をリンクしてしまったけど、この二つの記事は小市民シリーズについてもっとも深く読んだ論考なのではないだろうか。他にあるのか調べてないけど。小市民シリーズについてはこの二つの総括記事で充分で私が何か書くこともない気もしたけど、まあ自分の感想として書いている。

しかし、小柄な少女がいかに世人から舐められ、軽く見られ、時には強引な性的接触を受けるか、そしてそれがいかに男性には理解されないか、ということを基底的な主題としてこのシリーズが始まっているというのは驚くべきものがあるような気がする。誰か身内か親しい人に小柄な女性がいたのかも知れない。

あんまり冷静だから、小佐内がお前を刺したんじゃないかと思ったらしい。31P

これ、秋に続いていつでも小佐内さんが犯人扱いされるの笑ってしまう。

小佐内さんはほとんど弱みを見せない、というか弱音を言っている時でも弱っていたり怯えていたりするようには見えないように描かれている。怯えを見せたり弱っているように見せれば同情的に見る人は増えるかも知れない。しかしそれは憐れみを向けられたり、軽く見られ、舐められることと同義なので小佐内さんはそのルートを取らない。理解されないからと言って同情を誘うこともしない、そこに小佐内さんの毅然としたあり方がある。しかしその裏には相応に不安や怯えや恐怖を抱えており、それが見えづらいからこそ小佐内さんは一方的な攻撃性の塊のように見えていて、小鳩くんもそうだし、それ以上に読者や視聴者もそうだったりする。

そう理解しようとしたとしても小佐内さんの冤罪ひっかぶせとか瓜野くんに対するえげつない行為などの事績については賛否が分れるというのも分からないではない。ただ、瓜野くんについては、あのキス未遂はつまり性暴力だったわけで、だからこそ彼の功名心や有能さアピールなどの男性性を根底から挫く作戦に出たんだろうとは思う。あるいは、まだ小鳩くんともしていないファーストキスを奪われそうになったことにシンプルに激怒した、という可憐な乙女としての心情を推察しても良いかもしれない。

しかし車が消えるトリック、なるほどと思うけどでもあんまり納得感がないのはさらっと片付けられてしまうからかも知れない。あと「塩味(しおみ)」という表記、これシオアジかエンミで音訓を揃える方がすわりが良い気がする。辞書でもこの読みは出てくるんだけどこの読みにする理由が何かあるんじゃないかと思った。