『ソマイア・ラミシュ詩集 わたしの血管を貫きめぐる、地政学という狂気』

アフガニスタンから亡命した詩人の詩と村上春樹海辺のカフカ』の書評、イベントでの質疑の採録、著者の略歴、編訳者岡和田晃による解説などで編まれた、著者の文業をコンパクトに概観できる約70ページの詩文集。

アフガニスタンで生まれ、幼くして戦火を逃れてイランに亡命、2003年にアフガニスタンに戻り詩や雑誌記事などを執筆しジャーナリストとして活動し2014年に州議会議員に選ばれ、女性の権利と平等のために戦い、アフガニスタンが再びターリバーンの手に落ちるとオランダへと亡命というのが著者の略歴だ。その後アフガニスタンで詩や表現の禁止令が出されると、それに抵抗する国際的な連帯として呼びかけて作られたアンソロジー『詩の檻はない』が日本を含めた世界数カ国で刊行された。そんなソマイア・ラミシュの活動を知ることができるのが本書となる。

自爆テロから始まり、村や畑の焼け跡が現われ、銃が身近にある世界、女性へのヘイトクライム、女性に自由のない社会から力強く抵抗の言葉を綴る、弾圧に対する言葉の弾丸としての詩。さまざまな酷薄な現実のなかで私はいる、と存在を主張する言葉。

以下詩や散文の一説を引いておく。

1
私はあなたの最期の笑みを額縁に入れ、
壁に掛けて飾りたいと思っていた。
でも、自爆テロによって
私の家は吹き飛んでしまったの。

10
世界のどの地域も夜
夜明けの血は、明日へとつながる血管にはもうまったく流れておりません。
どの時間帯(タイムゾーン)でも、私は泣き叫んでいます。
あなたはいったい、どの時間帯(タイムゾーン)にいますか?
私たちの声が聞こえませんか?
自由な世界の皆さん、世界中の人たちを自由にしてあげて。
(中略)
時計を一世紀巻き戻して
苦いコーヒーを飲みながら、ようやく
あなたはリバティ・ロック・ラジオのニュースを咀嚼できます。
そして忘れてしまうのでしょう、こちら側の時間にいる
私たちのことなんて……。
世界のこちらのタイムラインでは
私たちはすでに死んでしまっているのですから。

16
詩を装填せよ、銃のように――
戦場の力学であなたは
武器を取らざるをえなくなる。
敵は何の言葉や仕草も持っていない、
合言葉も、
色彩も
合図も
符丁もない!
詩の言葉を装填せよ、銃のように――

以下は村上春樹の書評より。

人間とは、常に神話・伝説に助けを求め、自分自身の救いの道を探し求める呪われた者である。今日の私は自分自身の存在に不満を持ち、幾度も逃げ出さねばならなくなる。そのような断ち切ることのできない繋がりがわれわれにはあり、村上はわれわれに与える虫眼鏡でもってこの観察を助けてくれるのだ。44P

こう『海辺のカフカ』を高く評価しつつも以下のように女性観に対しては辛辣に批判してもいるところが注目される。

この小説では、女性は三つの側面(母親、恋人、姉妹)のうちに極めて限定されたものとして見出される。これらの女性たちはいずれも、一種の誘惑者として現れる。愛と誘惑と女らしさは過去の文学の繰り返しであり、この部分において村上は、新しい発見も変化も見出していない。44P

ここで編者岡和田はラミシュの引いた箇所の原文を探して丁寧な注記を加えており、翻訳でニュアンスが変わる部分があることも分かる。

あるイベントの質疑において語られた以下の言葉はソマイア・ラミシュにとっての詩とは何かを明瞭に語っている。

ロマン主義の詩、抵抗詩、社会詩……ここで言う抵抗とは、宗教や社会に対する抵抗のことです。詩とは民衆の言葉なのです。詩は民衆の夢と民衆の抵抗を描くものなのです。
 詩は美を創造し、闇を照らして新たな意識を生み出すもの。つまりランプに灯される光でもあるわけです! 62-63P

基本的に英訳されたものから訳されているけれども書評はペルシア語からの訳出がされている。編訳者以外では中村菜穂、木暮純、野口壽一、金子明といった訳者陣が記されているけれども、他にもラミシュの後書きは発行編集担当の柴田望によって翻訳されていたりと多くの協力者によって成った一冊だ。

詩と思想」2025年4月号掲載の「ナディア・アンジュマン小詩集」も編訳者岡和田晃さんに頂いた。ソマイア・ラミシュ詩集に名前が引かれる二十五歳で夫の暴力によって殺されてしまった詩人の詩と解説になっている。一節だけ引いておく。

「何の意味もない」
音楽なんて、もう何の意味もない――なのに、どうして詩を作るの?
歌おうが歌うまいが、わたしは時間に見放されてしまっている。
(中略)
勝手気ままな酔いどれのように、わたしは詩を口ずさむ。
この身を閉じ込めている檻を、いつか破るべく思いを馳せて……。

それも、わたしが風になびく柳なんかじゃないと、彼らが承知するまでの間――
アフガニスタンの女は泣きながら歌い、わたしも一緒に泣きながら歌う!