原爆・戦争文学月間、2025年夏。

ここ数年毎夏原爆文学を読んでいたけど、今年はちょうどお送り頂いたものやちょうど目についたものを含めて戦争文学月間って感じで何冊か読んでいた。私には珍しく詩とか童話とかいくらかバリエーションがある。

峠三吉『原爆詩集』

夏の原爆文学読書週間その一。自身も広島で被爆した詩人による詩集。原爆投下直後の広島の街中にあふれるただれた死体、死んでいく人々の生々しい惨禍に込められた原初的な怒りがみなぎるものから、その無念・悲劇をより広い核問題へも繋げ、平和運動など社会的な動きへと接続していく詩へと展開していく。

以下は詩碑にもなっている有名な「序」。



ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

しかし本書を読んで鮮烈だったのは三つ目の「死」という詩だった。原爆投下後の混乱した状況を切り詰めた言葉と語を複数行に跨がらせて読む速度を上げつつ切迫感とともに描いていくこの詩はなんともモダニズムというか新感覚派的なスタイリッシュさがある。「!」から始まるこの速度。

「死」


泣き叫ぶ耳の奥の声
音もなく膨れあがり
とびかかってきた
烈しい異状さの空間
たち罩めた塵煙の
きなくさいはためきの間を
走り狂う影
〈あ
にげら
れる〉
はね起きる腰から
崩れ散る煉瓦屑の
からだが
燃えている

(略)

灼ける咽喉
どっと崩折れて

めりこんで

おお もう
すすめぬ
暗いひとりの底
こめかみの轟音が急に遠のき
ああ
どうしたこと
どうしてわたしは
道ばたのこんなところで
おまえからもはなれ
し、死な
ねば

らぬ

「としとったお母さん」、夫に先立たれ苦労して育てた子が嫁をもらって孫が出来て半年、という時に三人がいずれも帰ってこなかったという悲惨な境遇を持つ老母への呼びかけの詩。

かなしみならぬあなたの悲しみ
うらみともないあなたの恨みは
あの戦争でみよりをなくした
みんなの人の思いとつながり
二度とこんな目を
人の世におこさせぬちからとなるんだ

その呟き
その涙のあとを
ひからびた肋にだけつづりながら
このまま逝ってしまってはいけない
いってしまっては
いけない

「一九五〇年の八月六日」という詩は、朝鮮戦争において米国は核兵器の使用を検討しており、反原爆運動の高まりを危惧したGHQの指令により、広島平和記念式典が中止された事件が題材になっている。

一九五〇年の八月六日
平和式典が禁止され
夜の町角 暁の橋畔に
立哨の警官がうごめいて
今日を迎えた広島の
街の真中 八丁堀交差点
Fデパートのそのかげ
(略)
一九五〇年八月六日の広島の空を
市民の不安に光りを撒き
墓地の沈黙に影を映しながら、
平和を愛するあなたの方へ
平和をねがうわたしの方へ
警官をかけよらせながら、
ビラは降る
ビラはふる

この朝鮮戦争での核兵器使用検討の話は「その日はいつか」の一節でも触れられている。

生き残っている人々でさえ
まだまだ知らぬ意味がある、
原爆二号が長崎に落されたのは
ソヴェート軍が満州の国境を南にむけて
越えつつあった朝だったこと
数年あとで原爆三号が使われようとした時も
ねらわれたのはやはり
顔の黄色い人種の上だったということも、

「夜」という詩では原爆症のことに触れて原爆実験の後調査委員会が立ち上げられたニューメキシコの名前が書き留められており、世界的な反核運動への意識が窺える。

ひろしま
原爆が不毛の隆起を遺すおまえの夜
女は孕むことを忘れ
おれの精虫は尻尾を喪ない
ひろしまの中の煌めく租借地
比治山公園の樹影にみごもる
原爆傷害調査委員会のアーチの灯が
離胎する高級車のテールライトに
ニューメキシコ沙漠の土民音楽がにじむ
夜霧よ

原爆文学というと重苦しさや説教臭さを先入観として持つかもしれないし間違いではないかも知れないけれども、「死」など極限の状況を描こうとする方法の実験性もまたそこにはあるわけで、そういう面からも面白いと思う。

ただ、気になるのは少女というものへのスタンスで、若い娘が惨たらしく死んでいる描写が複数あり、惨禍の悲劇性を高めるために利用されている印象がある。「としとったお母さん」の詩でも女性を前面に出すところに似たものを感じる。

作者は1953年に亡くなったので青空文庫に全篇公開されている。岩波文庫では大江健三郎アーサー・ビナードの解説がついている。しかし、岩波文庫なら通常カバーに作者の生没年が記載されるのに、これにはないのは何でだろう。
峠三吉 原爆詩集

原民喜『夏の花・心願の国』

夏の原爆文学読書週間その二。「夏の花」三部作は既読だったのでそれ以外を読んだ。作者にとってはあるいは原爆よりも妻の死こそが根源的な事件で、その既に死んでいるかのような目で原爆に際会し、その被害を記録し作品化するという任務を果たした後でようやく自殺できた、という風に見える。

「夏の花」がなぜ妻への供花をタイトルにしているのか、それが三部作だけを読んだ時に気になっていたけど、やはりそうか、という感じ。「夏の花」三部作だけを読むと原爆文学の文脈が表になるけれど、こうして前後の作品も含めると原民喜の人生という文脈が前に出てくる。

彼にとって、 一つの生涯は既に終ったといってよかった。妻の臨終を見た彼には自分の臨終も同時に見とどけたようなものだった。たとえこれからさき、長生したとしても、地上の時間がいくばくのことがあろう。81P

僕は人間が滅茶苦茶に怕かったのだ。いつでもすぐに逃げだしたくなるのだった。しかも、そんなに戦き脅えながら、僕はどのように熱烈に人間を恋し理解したく思っていたことか 200P

ながい間、いろいろ親切にして頂いたことを嬉しく思います。僕はいま誰とも、さりげなく別れてゆきたいのです。妻と死別れてから後の僕の作品は、その殆どすべてが、それぞれ遺書だったような気がします。287P

急に批評家佐々木基一宛ての手紙が出て来て驚いたけど、義弟にあたるのを知った。

大江は新潮文庫版のこの作品集の編者で、解説では原を日本現代文学のもっとも美しい散文家のひとりとして称揚し、最後に以下のように書いている。

原民喜は狂気しそうになりながら、その勢いを押し戻し、絶望しそうになりながら、なおその勢いを乗り超えつづける人間であったのである。そのように人間的な闘いをよく闘ったうえで、なおかつ自殺しなければならなかったこのような死者は、むしろわれわれを、狂気と絶望に対して闘うべく、全身をあげて励ますところの自殺者である。原民喜が、スウィフトとともに、人類の暗愚への強い怒りを内包して生きた人間であったことと共に、ほかならぬそのことをも若い人々に銘記していただくことをねがって、僕は本書を編んだ。295P

鈴木比佐雄、座馬寛彦、羽島貝、鈴木光影編『広島・長崎・沖縄からの永遠平和詩歌集――報復の連鎖からカントの「永遠平和」、賢治の「ほんとうの幸福」へ』

夏の原爆文学読書週間その三、というか月間になった。編者が採録したものに加えて編者の詩誌での呼びかけに応じた参加者、計269名(『句集 広島』の作者を除く)の詩、短歌、俳句を集めた反戦平和アンソロジーウクライナ、ガザという現在形の事態をも題材にした作品が集まっている。

収録作品名と作者のリストは以下を参照。
アンソロジー『広島・長崎・沖縄からの永遠平和詩歌集 ―報復の連鎖からカントの「永遠平和」、賢治の「ほんとうの幸福」へ(日本語版)』|コールサック社|詩集、詩論集の自費出版・企画出版

最初の広島篇などは峠三吉原民喜など著名な被爆者の作品が採録されており、古典的な作品を選んだ本なのかなと思っていたけれど、他の章へ進むと多くの作者は現役の書き手で、出典が記された既発表作品もあるけれど、多くはこの本のために書かれたもののように思われる。そして読み進めていくごとに気づくのは、作者のプロフィールには生年、経歴、存命ならばどこそこに在住と現在形で書かれており、生年が1930年代はおろか、1920年代生まれの書き手までが何人もいることだった。戦争を10代20代の頃に直に体験した人の作品が幾つも掲載されていて驚く。20年代生まれから80年代生まれの書き手まで、幅広い年齢の参加者が集まっていて、読んでいくと個々の作品それぞれが持つ声が集まってより大きな声となっていくのを体感しているような気分になる。名前と二、三行のプロフィールと一、二ページほどの作品が束となって大きな存在になっていく。

目を通すだけでもだいぶ時間が掛かる、上下二段組でA5判の事実として大きい本で、これだけの人数による作品が集成されているのにはなんとも言えない迫力を感じる。全国各地、さまざまな年代の人たち、在日朝鮮人アメリカ出身者やアフガニスタン出身者のほか、聾者を詩にした作品もある。

全体を原爆被爆者の作品を配した「被爆者の声」から始め、「広島を語り継ぐ」「長崎を語り継ぐ」「沖縄を語り継ぐ」「空爆・破壊の記憶」「アフガニスタンウクライナ・ガザ・世界は今」「戦争に駆り立てるもの」「喪失・鎮魂・反戦」「永遠平和」の全九章からなる。広島長崎沖縄に加えて種々の空襲の記憶を扱ったものから現在の戦争虐殺にかかわるもの、そしてテーマごとに配列されている。

このなかで印象的だったのは八月十五日の明け方にかけて日本最後の空襲の一つ土崎の聞き書きから構成された作品があることだった。佐々木久春「あの日――土崎 日本最後の空襲(聞き書きにて)」というのがそれで、幾つかの聞き書きが集められ生々しい当時の情景が記されている。短いものを二つ引いてみる。

道を曲がって行ったら何かにつまずいて どんと倒れた 何かモチャモチャするところに倒れたが それは死んだ馬だった 地下足袋拾ったら足首入ってたり 前の日まで一緒に遊んでだ同級生の首が爆弾でもがれて ポンと高いところにあったりしました 191P

臨海鉄道の線路に死体が並び 生きている人足の無い人 手をもがれだ人が泣き叫んでいた民間人も兵隊も 二百メートルくらい 線路の枕木よりももっと多く並んで転がってました 191P

祖母に二人しか子供を産まなかった理由を聞いたら、これ以上生めば戦争に取られるからだ、とそういう反戦の生き方を描いた小川道子の「私のおばあちゃん」、「正義は人の数ほどあるけれど/道理はひとつしかないんだよ」と「じいちゃん」がこぼす杉谷昭人の「道理はひとつ」なども印象に残る。堀場清子「花の季節」には前書きに「だれが書いたのか/「安らかにお眠り下さいなどと」とあり、次のように始まる作品もある。

どうしてねむれよう
剥げおちた皮膚の痛みも去らないのに

命が内から崩れてくる
苦悶がいまも 火となって駆けるのに 64P

傷、痛みなど受苦とそこからの抵抗の意思がそれぞれにあり、広島長崎沖縄を基盤に据えた本書の反戦詩歌集としての性質もそこによるものが多く、非常に重量感のある本になっている。

けれども、日本のそうした言説の通例として被害体験を強調する故の加害性への意識の薄さというのも感じる。そんな時に戦中世代の加害体験を聞いた話をネットで書いたら炎上して投稿を削除することになった出来事を見て、加害の告白というのはそう簡単なものではなく、ネットでは左右から非難が集まったりするなど、ひどく取り扱いの難しいものになっている状況もあるわけだ。

本書には英訳版があり今年の夏に刊行された。英訳版の訳者は岡和田晃、堀田季何、熊谷ユリヤ、大田美和、与那覇恵子、結城文、郡山直、水崎野里子。日本語版と英訳版を岡和田晃さまより恵贈いただきました。英訳版はちょこちょこ拾い読みをするくらいだけれど、俳句の英訳などは日本語以上に即物性を感じたりもする。

野坂昭如『戦争童話集 完全版』

こっからは特に原爆文学とかではないけど戦争文学月間として続けて読んでいた。全篇が「昭和二十年八月十五日」から始まる、それぞれの終戦・敗戦を描いた75年刊の童話集に今世紀書かれた沖縄篇を増補したもの。ほとんどの主要人物が最後に死んでいく陰惨さがあり、それをやや距離を取った語りとファンタジックな描写を交えてえぐみを抑えつつ書いている印象だ。

潜水艦に恋した鯨、防空壕のなかで隠れていたオウムと男の子、脱走したら危険だと動物園の動物を殺す話は有名だけれどその殺される象をかばっていたおじさんの話など、群れのなかからはぐれて孤立した存在がそこでかりそめの救いを得つつも皆死んでいく、そんな話が多い。戦時下の全体主義的抑圧のなかでそこを外れたところに自由はあるかも知れない、けれどもそれは死への道でもある、そんな感覚。

「ぼくの防空壕」は珍しく主人公は生き延びるけれども、戦死した父が掘った防空壕に父を感じていたのに戦後には崩されてしまう。生き残ってしまったものの悲哀が描かれる。巨大な風船を気流に乗せて直接アメリカへ送って爆撃する風船爆弾を扱った「八月の風船」は興味深かった。銃後の女子を含めた学生らも直接敵を攻撃できると仕事にも力が入り熱心だったという話、興業をできない劇場を使って試験した話も面白いけれど、ジェット気流については日本だけが気づいていたという記述は本当か?と思ってWikipediaを見ると、気流に接触した事例は各国にあったけれども、学術研究を行なっていたのは日本だけだったのは事実のようで、風船爆弾のこともジェット気流の項目で触れられている。概ね間違いではないのか。

元版のあとがきで作者は原爆、沖縄、満洲引揚げのことは書けなかったと述懐していて、これから30年近くたって沖縄篇として書かれた二篇が追加されている。どうして書こうと思ったのかは気になる。

野坂昭如アメリカひじき・火垂るの墓

二つの表題作で直木賞を受賞した著者の代表作たる短篇集。映画は幼い頃に見ただけの「火垂るの墓」の原作を初めて読んだけれども、神戸を舞台に関西弁が飛び交い、助詞を省いて読点で文節をどんどん繋げていく饒舌な語り口調のような文体の質感がまずもって印象深い。最初文節ごとの視点が揺れているようで、助詞が省かれているのもあってだいぶ読みづらい気はしたけれども、この文体は特に空襲から避難する清太を描く三ページほどにわたった描写を一文でこなす部分で頂点に達するように思えた。

内容についてはジブリの映画もあり省くけれども、清太の荷物から売れるものをあさって売った金で作った料理でも清太たちには具のない汁を与え、取れるだけとって放り出してしまう未亡人の姿は、外国人にかかわる今の日本そのものの姿に見えてくる。妹と逃げ出した洞窟のなか、蛍の光で明かりを取る場面は印象的だけれども、この蛍の光のイメージは「敵の曳光弾」とも重ねられ、さらに爆撃機の落とす爆弾や、妹の死後灯火管制が明けた町の明かりにも繋がっていくように思える。表題には光と火が重ねられており、死と生もまた一繋がりだろうか。

そして、集団からはぐれたものがそこに一瞬のユートピアを築くもののそれは必然的な死への道行となる、というのは『戦争童話集』収録作とほとんど同一の構成を持っているのに気がついた。野坂の戦争体験の根源的な形がこれなのかも知れない。

アメリカひじき」はタイトルだけだとなんのこっちゃと思ったけれど、敗戦直後の占領下にアメリカの捕虜収容所へ投下された物資を自分たちで分配し、そのなかに入っていた紅茶の茶葉が何か分からずアメリカのひじきだろうとそのまま食べてしまった話に由来している。物語は敗戦から22年、発表時のほぼリアルタイムの頃を舞台にしており、そこで語り手は敗戦時のことなどを想起しつつ、妻がハワイ旅行で知り合ったアメリカ人夫妻を家に招くことになり、そこで味わう複雑なコンプレックスを描写している。小島信夫アメリカンスクール」を思い出すところがある。

「焼土層」、自分を育ててくれた養母の死の知らせを聞き、何十年ぶりかに養母の住んでいた場所を訪ねていくなかで語り手の経験を回想していく短篇で、戦後の経済成長で豊かな稼ぎを得ているなか、置き残してきた養母という戦争の痕跡に再び直面する話という印象だ。

「死児を育てる」、母が実子を殺した事件を導入とし、彼女が幼い頃に戦時下で妹を死なせてしまった事件へと語りが進んでいく。「火垂るの墓」で理想化した野坂昭如自身の戦時下のリアルに近いのはこれなんだろうなと思わせる。妹を死なせた罪の意識が心中的な行動へと繋がっていく。

「ラ・クンパルシータ」、少年院に入った高志がなぜここに来たかを過去に遡って明かしていくけれど、昂進する食欲のままに何もかも食べ尽くして、母の大切な服も売って食べ物に換えてしまう異常な食欲で身の破滅を招いていく物語。これも戦時下の野坂昭如自身のカリカチュアの一つなんだろう。

「プアボーイ」、一つ前の短篇の高志と同じ少年院の同室だった辰郎を主人公とする短篇。父を亡くし、母は娼婦として働いていてあまり愛情もなく育てられた辰郎が、子のいない親族に養子としてもらわれたところ、愛情豊かな養母への感情に性欲が絡んでくるさまを描く。

少年院の同じ部屋にいた二人をそれぞれ、食欲を描いた「ラ・クンパルシータ」と、性欲を描く「プアボーイ」とで対のものとして発想されていると思われるし、この二作がともに音楽を表題に持ってきているのも二つでセットの意識があるからだろう。欲望のたがが外れる危うさが共通してもいる。この二人がともに少年院にいたのも欲望を檻に入れて抑制する、そういう象徴的な状況設定になっていると思われる。

短篇集としての本書がどういう性質のものか読む前は知らなかったけれども、読んでみると野坂昭如の自伝的要素が随所に感じられるものに思える。「火垂るの墓」で妹に対して理想的に振る舞った自分の姿をメルヘン的に描き出した後、「アメリカひじき」は清太が戦後生き延びた場合という説もあり、養母をめぐっては幾つかの短篇に見え、後半の三つは「火垂るの墓」から排除したものを強調して描いたもののように見える。

火垂るの墓」だけを知ってるのとこの作品集を読むのとでは、物語と作者との関わりはだいぶ違うものが見えると思う。以下の記事も参照。
波 対談 野坂昭如 × 高畑勲 | 新潮社の電子書籍
というか、野坂昭如っておもちゃのチャチャチャの作詞者だったのか。

小山田浩子『作文』

慶輔と苑子、戦争を知らない世代が平和教育の一環で書いた作文にそれぞれ虚偽や誇張が含まれているという「物語」のズレから、継承と今の問題への向き合い方を描く中篇小説。広島在住の作家が広島での平和教育・作文をいかに今に生かす道筋があるかを探ろうとしたものかと思われる。

読み始めてすぐ、作者は過去のエッセイ集で広島の平和教育があってなお投票率が低いこと、平和教育が「物語」にしかなっていない懸念を書き留めていたことを思い出した。このことに自ら創作を通じて答えようとしているのが本作なのだろう。

学校で課題を出されて祖父に戦争体験を聞いたら何も答えてくれず、近所に住んでいた謎のおじさんに戦争に行った体験があり、飯盒に銃弾を受けて命が助かった話を聞いてそれを祖父のものとして発表した慶輔は、ある種の間違った受け取りをして真実とは異なる物語を生んでしまう。その作文は家族にとっての祖父をめぐる感動的な物語として受け継がれてしまい、しかも見つかった飯盒がその物語の「物証」として虚構は真実に変化してしまう。そうしたなか、彼はティッシュと間違えてパレスチナ問題についてのチラシを受け取ってしまい、主旨に賛同するわけでない形で娘はスイカの絵を描く。

慶輔はややネガティヴな書き方がされているようにも思うけれども、祖父ではなくとも謎のおじさんマルミツの体験としては事実だったものを聞き書きし、パレスチナ反戦チラシを受け取り、娘が描く絵によってパレスチナを示すスイカの意匠が継承される過程にもなっている。

苑子は祖母から聞いた八月六日の体験を作文にするのだけれど、本にして10ページ以上続くのはさすがに書きすぎで、この過剰さとともに随所に誇張をし、また祖母に被爆者の話をする時失明したことを勝手に追加したりと「物語」の引力に囚われてしまう。これは上手さの弊害とも言える。何かを語ると言うことは聞き手の反応によって原理的に変形を不可避にするものでもあり、その語ること、書くことに「取り返しのつかないことをしてしまった」(86P)という感覚を触知し、語ることの罪過を示唆する。作文はその都度新しいことを作り出してしまうことで、その時々で話はズレ、変形し、歪む。

慶輔は作文について教師から虚偽の可能性を匂わされ、その腹いせに苑子に対して中傷を投げかけ、それをきっかけにしたいじめもあり苑子は成人式にも顔を出さず、二人の関係はそこで断絶する。それでも、SNS反戦の投稿が広まるように、手製のチラシが手に渡ることによって、二人に知らないうちに繋がりもまた生まれている。

義妹がパレスチナ問題にかかわるなかで苑子も影響を受け、本を参考にチラシを制作する時に、子供の頃の作文を書いた気持ちを思い出すところで、「作文」が再度言及される。平和教育の作文が反戦平和運動のチラシ作りに繋がる、ここに作者の願いがあるのだろうし、本作が『作文』と題される理由だろう。本書もまた歪みや変形をともなった、平和運動にかかわる作文としての意味がある。

しかし苑子はともかく、義妹が精神的安定を崩しながら問題にかかわるのを見ると距離を取った方がいいようにも思うけどそれほど思い入れずには運動に踏み出すこともできないか、と複雑な気分になる。

外国人、弱者などさまざまなマイノリティを敵として異物侵入の物語という暴力を大々的に煽動して金や権力を得ている者たちがいるなかで、物語が変形歪曲を不可避に抱え込むとしてもそれを意識しつつ平和を「作文」に埋め込む試みの一環が本作でもあるだろうとは思う。なんとも漠然としてしまう感想だけれども。

しかし、慶輔の祖父が語りたがらなかったのはつらい経験だったからとか、あるいは加害体験だった可能性もあるわけで、マルミツが一体どんな人物でどの戦争の話をしたのかという謎も残っている。ここに語られない戦争、語っても取り違えられる体験があるのは重要なポイントだろう。

本書はU-NEXTの出版活動のなかで、100分ノベラという中篇小説をカバーなしの新書版ペーパーバックとして刊行するレーベルから出ている。100分というから100ページ前後が基準なのかと思ったけど180ページくらいのものもあり、結構分量はばらけている。

本書刊行についての著者のコメント。


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インスタの埋め込み引用だと全文表示できるのに今気づいた。
と、今回の話とは関わらないけど「作文」という同タイトルのエッセイがある。
第24回「作文」 | twililight