イアン・ワトスンが亡くなり、前々記事で追悼として以前書いた書評を再掲したけれど、昨年から怪奇幻想文芸誌「ナイトランド・クォータリー」でワトスンの短篇の翻訳紹介が進んでいたので改めてそちらを読み、また逝去の時に出ていたのを知ったファン出版の短篇集などをつらつらと読んでいたので感想をまとめておく。NLQ誌には2025年6月の39号から今のところ四号連続で訳載されている。ナイトランドクォータリー掲載のワトスン作品はいずれも大和田始訳。
- 「慰めの散歩」(NLQ39号)
- 「異星人がボトル詰めのために駐留する時」(NLQ40号)
- 「溝の底にて」(NLQ41号)
- 「巨大な小人」(NLQ42号)
- イアン・ワトスンインタビュー(NLQ41号)
- 『地球の鏡の中で イアン・ワトスン奇想短編集』
- 「アミールの時計」(『アザー・エデン』)
「慰めの散歩」(NLQ39号)
中国が覇権国家となった時代の英国ノーザンプトンで、チンパンジーの母親が死んだ子供を抱き続けることをヒントに、子を死産した母親がその遺児を科学的処置によって少しずつ縮んでいくように加工して、抱きながら道を歩くという奇妙なグリーフケアを描く一篇。中国人医師のテストケースに選ばれた主人公の女性がただ道を歩いているなかでのモノローグが作品の主体となっていて、奇想をベースにしながらも淡々とした調子を持っている。乳房は知らない
赤ん坊が死んで産まれたことを。
だからキャベツの葉は湿っている。
と、漏れ出る母乳を薬で止めずにキャベツの葉を当てている様子を含めて詩にしてインタビューに答えるラストが印象的で、途中でもサイモン&ガーファンクルのスカボローフェアの詩が引かれるように詩の存在が重要なのも面白い。ノーザンプトンの通りには二重螺旋を発見したフランシス・クリックの碑石があるというのも面白い箇所だった。そういえば人種差別発言があった同じくその研究でノーベル賞を得たのはジェームズ・ワトソンで作者と同姓でもある。
「異星人がボトル詰めのために駐留する時」(NLQ40号)
人間たちが異星人の資源としてボトル詰めにされる様子を描く異星人侵略SFホラー掌篇。基本は書いたままの異星人侵略SFだけれども、インベーダー(侵略者)がインカマー(到来者)と言い換えられる冒頭のように様々な言葉遊びが核にある。ボトルよりバトル、オキュペイションの「職業」と「占領」といった二重の意味も重ねつつ、「アイ」デンティティ、「アイ」デニティ(視力検査)、「アイ」デアのアイ=私が、デカルトの一節に至り、語り手が異星人とデカルトの話をする奇妙な展開をたどる。そんななか、異星人へのテロ攻撃に及んだ人間に対する罰として巻き添えを食らい、語り手は片目を奪われることになる。ラスト、アイデンティティは「眼の身分証明」とルビを振られている。植民地化された人間が懲罰として目を奪われることで眼帯・「パッチ」のあだ名を自分に付け、「ペット」みたいだと自嘲する。植民地支配とアイデンティティの関係を風刺的に描いた短篇だろうか。「溝の底にて」(NLQ41号)
魔術師とも呼ばれる学者から制作を命じていた天体儀を献上される「高帝陛下」の「余」の一人称で厳かに語られる、円盤形をしているという不可思議な世界の秘密とその危機の訪れが描かれる。読んでいるとこれはもしや?と思った辺りでジョークSFだと明かしてくれる。タイトルがダイレクトにそうなんだけど、これレコードの溝を都市として生きている世界の話だよな。円盤形の世界、二つの山の間にある都市、逆ピラミッド型のものが山を削って行く様子、「われらが宇宙はジョーク・ボックスである」というラストのセリフ。SFマガジンで「ライフ・イン・ザ・グルーヴ」として既訳がある。「巨大な小人」(NLQ42号)
フランスの洞窟から広がる地下空間への冒険にジュール・ヴェルヌが参加し、語り手の女性は彼からの女性差別的発言を受けたりするなか、地下空間で意外な存在と出会う『地底旅行』オマージュ短篇。女性差別と人種差別が通底する話にも思える。ヴェルヌの才知と女性差別が同居するところから、地下で出会った人間たちのレイシズムを主人公アントワーヌは目の当たりにするわけだけれど、この女性の目から差別主義を見ていくことがヴェルヌの批判的読解でもあり、現代史のアレをそこに繋げるのも単なる奇想ではない意図があるだろう。『地底旅行』で同道するのがドイツ人のリーデンブロック教授とアイスランドの現地人ハンスで、今作でドイツがテーマになり人種差別が出てくるのはこの事情を踏んだものだろうか。『地底旅行』は主人公が旅を経て婚約者を得るという大枠だったわけで、女性を主人公にし、ヴェルヌ自身を作中に出すことで、彼の旧弊な価値観を俎上に上げている。それでもヴェルヌが世界大戦への批判的企図でもってSFを書こうとする様子を描くことでSFの反戦的意義を拾おうとしているように思える。最後の部分はなんとなくウェルズぽい気もするけどヴェルヌにタイムマシンが出てくる世界戦争ものってあるんだろうか。イアン・ワトスンインタビュー(NLQ41号)
これがなかなか面白い。東京教育大学で教えていたというのは日本滞在歴があるというので知っていたけど東アフリカ大学でも教えていたという。また芸術史を教える学校でギー・ドゥボール流のシチュアシオニストパンフレットを配っていたというのはなるほどと思った。そして詩作もしていてブレイク、キーツ、ボードレール、ランボーの他セネガルの大統領で詩人サンゴールやフランス海外県マルティニーク島の詩人で政治家のエメ・セゼールなどを挙げている。かなり明確に左派としての立場を取っている印象だ。
「ろくに詩も書けない小説家が、フィクションの登場人物に詩人を名乗らせてはいけません」という痛烈な一節がある。『エンベディング』ではレーモン・ルーセルの詩が題材になっていたし、詩集も幾つか出していて、ワトスンにとって詩は思ったより重要らしい。
評価している書き手を問われて、まずアラスター・グレイを挙げ、次いでウエルベック、そしてバリントン・ベイリーやホセ・カルロス・ソモザ、そして親友だったジョン・ブラナーと続く。スタニスワフ・レム、安部公房そしてロバート・アーウィンの名が挙がっている。アーウィンは『アラビアン・ナイトメア』というのが国書から出ていたことだけを知っている。最愛の本はデイヴィッド・リンゼイ『アルクトゥールスへの旅』とのこと。サンリオSFで読んだなあ。ここ、原題に引っ張られたのか「旅」ではなく『アルクトゥールスへの航海』と記載されていて書名が間違ってますね。あと訳者が中村保男と中村正明の連名なのに後者が脱落している。
スーフィズムへの関心、日本の停滞への別視点、「アイロニーは知的なものですが、ユーモアとは身体的なものです」という一節、そしてさほど遠くない将来に世界は終わるので私はものごとを真剣に受け止めすぎることはできない、と興味深いことを言っている。我々の存在そのものの「滑稽さ」を指摘するところはワトスンらしい。長篇で悪い冗談のような結末に至る感じなのはこれか、という。キューブリックが企画しスピルバーグが映画化した「A.I.」で脚本を担当した話のワトスンサイドでの話も語られていて面白い。キューブリックが薦めたピーター・セラーズ主演の「チャンス」、このコジンスキーの原作は読んだな。
ナイトランドクォータリーは最近出たファン出版の短篇集と比べると、結構異色作を選んで紹介している印象がある。これからも紹介を続けていずれ一冊にまとめてほしいところだ。
『地球の鏡の中で イアン・ワトスン奇想短編集』
というわけでファン出版として刊行された短篇集。本城雅之、木下充矢訳。本文140ページに加えてワトスンの詳細な作品リストがあり、既訳作品の探索にも未訳作品の把握にも便利だ。75年から90年までの短篇が七つ収められており、きちんと読み応えのある一冊。本文が短めのように見えるけれども雑誌サイズなので文庫にすると200ページ分くらいはあるのではないか。「免疫の夢」、自分がガンになるという強迫観念に取り憑かれた主人公エイドリアン・ローゼンが、寝ている間に夢からの信号を体に伝えることを制止するストッパーを除去する脳外科手術を行なおうとするという話で、夢と現実の境界を裏返そうという主題は本書でも繰り返し出てくるその序章と言える。正直言って話が全然入ってこなくて三回くらい読み返してもいまいちどういう作品なのかが分からないけれど、癌は遺伝子の完全なコピーを保持する保守システムという理論や、夢は免疫系の管理をしており癌の発症を予測できるなどのSFアイデアが絡んでいく。
「ジェインといっしょに鉱泉室へ」、渇水によって鉱泉室に水を取りに行かなければならず、しかも階級によって時間に制限があるという時代に、ジェインは母と共に水を取りに行き、そこで八年前に婚約しかけた男性と出会う。彼はその後艦長という立場に成り上がっておりこの再会が幸福をもたらす。娘らしいロマンスへの期待や母の現実的な説得から婚約を断った男性を逃げた魚は大きいと諦めの悪い女性を描いた話だけれど、ジェインという名前や「分別と娘らしい思慮分別に説きふせられていなければ」という一節など、オースティンのパロディによって夢想と現実の落差を描いた作品だろうか。
「帰郷」、ソ連とアメリカが放射能兵器での戦争で壊滅し、アメリカが使っていたのは人間だけを殺す兵器で、ソ連が使っていたのは人工物をすべて破壊する兵器だったので、生存していたアメリカ人が脱け殻となったソ連へ移住を始め、次第に人々はソ連的になっていく、という諷刺短篇。冷戦時代、米ソ戦争の結果アメリカ人がソ連人になっていくというストレートな諷刺で、アメリカの爆弾は資産を破壊しない「超放射能爆弾」でソ連からは「超資本主義的爆弾」と揶揄され、ソ連の生き物以外の人工物をすべて壊す爆弾は「社会主義者爆弾」と呼ばれている。
「オオカミの日」、イギリスの田舎を再び森深い環境にしようという計画のなか、老婆が狼に殺される事件が起こる。その謎を追ううちに老婆は狼に変身したのではないかという疑いが主人公に兆す。赤ずきんの物語を踏まえつつ、開発した土地を再度森に戻すことは前近代の世界の復活を示唆する幻想譚。主人公がケニア出身のようでタンザニア製のランドローバーに乗っており、近場の工業地域はアフリカ人によって維持されているなど、この時代のイギリスはアフリカの勢力下にあり、イギリスが前近代へ戻る話なのも植民地主義、開発主義への批判意識だろう。
「地球の鏡の中で」、人々が眠りを必要としない「球地」、最低一人多くても九人の一日八時間眠る「眠る人」が存在する世界。その「眠る人」は「沈世」という世界の話を語ることができ、その内容はどうやらその世界と違う、つまり「地球」の話のようで、という裏返しの世界を描く一篇。我々の知る世界とは地名などが異なるこの世界は「霊紀史」と称されている。「球地」の人々は眠らずにいられると同時にその眠りの力を溜め込むことで時折放出して夢を具現化する現象を起こすことができる。それはしばしば何かと何かを繋ぐ建築物の姿を取ることも多い。夢を放出する力を持つ眠らない人々のうちの一人でアクィーノのトマス、トマス・ダクィーノを名乗る語り手と、その世界の鏡写しの別世界のことを知っている眠る人ラウールという二人の関係を描く話で、奇抜な設定でもっと長い小説にもできそうな不思議な感触のあるファンタジー。語り手の名前がトマス・アクィナスをもじったものなのは明らかだけれど意味は判然としない。ラウールが彼の元を去った後、語り手が横と横を繋ぐのではなく、高さという概念をラウールに教えられて塔を建てるラストも印象的だけれど、これは天あるいは「沈世」と繋ごうとしているのだろうか。
「スターリンの涙」、検閲と秘密主義ゆえに地図を意図的に不正確にすることが繰り返され、もはやオリジナルの地図、正確な地図とは何かが分からなくなってしまったある国で、その土地を詳しく知る人間だけが行ける地図にない場所が存在するという幻想小説。本書で最も長く、「地球の鏡の中で」とも似た別の世界がすぐ隣にあるという幻想性が都市幻想小説として現われている。ワレンチンは自宅に帰る道かから分かれ道に入り、愛人への道を選ぶとその道を歩いている家に時間が巻き戻り、若い姿になって愛人と会うことができる。あるいは、ある男性が女性と行為に及ぼうとしたら女性器からエクトプラズムが湧きだし、その男性のコピーとして本人と成り代わり、地図作成に従事するようになるという奇態な物語が語られ、地図作成部には行方不明者やスパイが入り交じる空間になっていく。しばしば不条理小説の舞台になってきた社会主義国の官僚組織テーマの一つと言えるだろう。面白いのは、地図に描かれない謎の場所があるというより地図の歪みがその未知の場所を作り出したという転倒が起こっており、卵のなかに世界地図が描かれているなど、真偽や表裏がひっくり返る趣向がある。これはそのままラストの展開になるのだけれど最後にトーンが変わるところはなかなか面白くて良かった。ミハル・アイヴァス『もうひとつの街』や、イスマイル・カダレ『夢宮殿』などを思い出す。
「アーヤトッラーの眼」、イラクとの戦争で片目を失ったイランの少年アリは、指導者アーヤットラーが死刑を宣告した西洋の作家を見つけ出し処刑するためのプロジェクトに参加し、国は作家を見つけ出すために衛星を打ち上げ「アーヤットラーの眼」と称し、アリの義眼にその映像を映し出す。アーヤトッラーはイスラム教の高位の学者を指す用語らしいけれども、西欧ではイランのホメイニ師およびイランの最高指導者を指す言葉として知られているらしい。ということでサルマン・ラシュディにホメイニ師が死刑を宣告した話を受けて書かれたものなのは明らかだ。『悪魔の詩』は1988年に出版され、翌年に死刑宣告がなされ、本作は1990年に書かれている。ここで暗殺者アリは見つけ出した作家の前で自分の眼とアーヤットラーの眼、どちらが本当の自分の眼なのかに迷うことになる。この現実ともう一つの世界の主題は本書短篇群に多々現われるテーマだ。そしてラシュディは実際に近年襲撃を受け、片目を失明してしまう。片目のアリと作家の遭遇を描くこの一篇が奇妙に預言的になってしまった。
いずれも奇想短篇としても読めるけれど、かなり政治的、社会的批判精神が窺えるものもあり、ナイトランドクォータリー訳載分の女性視点の多い諸短篇と合わせて読むとイアン・ワトスンの批判精神が際立って見えてくる。初期長篇も西欧以外へ題材を取っていたことを思い出す。そして、夢と現実、偽の地図と本当の地図、アメリカとソ連、鏡の世界などなどの現実ともう一つの世界という構図が幾つもの作品で繰り返されているところも本書所収短篇では目立っている。これなどクリストファー・プリーストとも似ている資質のように思える。それでいてプリーストの繰り返し描く恋愛が結構保守的な印象があるのともかなり対比的な感じがする。小説としてのまとまりや形式に意識的なのはプリーストだけれど、西欧中心主義、植民地主義など世界の近代性というものに意識的なのはワトスンの方だろう。
私はAmazonのプリントオンデマンドで注文したけど、BOOTHでの注文の方が安いようだ。
地球の鏡の中で イアン・ワトスン奇想短篇集 - vitaminsfpicopub - BOOTH
「アミールの時計」(『アザー・エデン』)
イギリスの大学生リンダと親しくなった首長国の王子のバニーは、ある時リンダを誘ってバーフォード教会の時計を見に行くことになる。その大時計は中世の時計と現代の時計の「進化の一段階」だというところから話は広がる。神は自らに似せて人を作ったと言うけれど、神にも内臓があるのか?とバニーは問う。人間が自分に似せてロボットを作ってもそこには基盤や半導体があるばかりで人間とは似ても似つかない。機械のなかに血と肉が見つかったら、オリジナルは一体どっちなんだと彼は問う。その後父をテロで喪い首長国の王となったバニーはそこで機械知性を研究する大学を設立し、この世界に機械知性の世界を上書きしようと試みていることをリンダに明かす。肉の世界と別の、機械の世界を幻視するまさに「アザー・エデン」という表題に相応しい作風。正直色んなことが未消化で分かったとは言えないんだけど、別世界を幻視してみせる強烈なアイデアはワトスンだなあという感じだ。ざっと検索してみると時計の進化は制作者を介して神の意志が関わっていて、機械を進化させるために人を進化させているというアイデア、でいいのかな。アラビア語の音楽性、アラブの建築のメッセージ性、キリスト教とイスラム教を対比しつつこのアイデアを組み立てているところが肝でもあるだろう。今作のなかでメッセージを様々なピースに分解して送りつけて相手に解読をさせるくだりがあるけれど、今作も一読してはっきり分かるようには書かれてないように思えるのはこのように作品内容を精査して読解することを読者に要求しているからなのかも知れない。読者の知性を高く見積もりすぎている気がしないでもない。





