昨年から文庫化が始まっていたシリーズを今年は月一で読んでいくか、と決めて一月から読んでいた。文庫版だけど表紙の紙が特別仕様で高級感があり、一冊あたりも300ページいかないくらいの手頃な厚さで良い。底本が書かれてるのは良いんだけど、各エッセイに初出がついてたりつかなかったりするのは謎。
- 川上弘美編『精選女性随筆集 幸田文』
- 小池真理子編『精選女性随筆集 森茉莉・吉屋信子』
- 小池真理子選『精選女性随筆集 向田邦子』
- 川上弘美編『精選女性随筆集 有吉佐和子・岡本かの子』
- 川上弘美選『精選女性随筆集 武田百合子』
- 小池真理子選『精選女性随筆集 宇野千代・大庭みな子』
- 小池真理子選『精選女性随筆集 倉橋由美子』
- 川上弘美選『精選女性随筆集 石井桃子・高峰秀子』
- 小池真理子選『精選女性随筆集 白洲正子』
- 小池真理子選『精選女性随筆集 中里恒子・野上彌生子』
- 川上弘美選『精選女性随筆集 須賀敦子』
- 川上弘美選『精選女性随筆集 石井好子・沢村貞子』
川上弘美編『精選女性随筆集 幸田文』
10年前に出ていた叢書のちょっと高級感があるカバーでの文庫化が始まった第一弾。幸田文は読んだことがなかったのでこれをきっかけに読んだ。露伴の娘として父周辺のことを書いた雑文から次第に独立した書き手として立っていくまでが一望できる。母を早くに亡くし父から性について教わり、掃除を手ずから学んだ父子の関係に文自身と父露伴それぞれの姿が見えて面白い。そして教師との体の接触や先輩からのラブレターなどに性の目覚めを見出すような同性愛的エピソードがあり、こういう典型的なものがここにあったのかと驚いた。むろんそれが少女期の一過性のものとして尊重すべきという見方ではあるけれども、本書には結婚した夫とのエピソードがないので、いっそうこの「ふじ」での「恋の初め」の話は印象に残る。
そして空襲迫る日々に父とした死についての問答と「じゃあおれはもう死んじゃうよ」の「終焉」の迫力。露伴生前の文章ではいわば「出戻り」娘に対する露伴のなんとも不器用なやりとりが描かれる「平ったい期間」も良い。茶の作法書の扱いを近所の教室から偵察してこいという突っ慳貪な指示を受けて右往左往しながら、不器用なりの思いやりかも知れなかったあれは何だったんだろうという困惑混じりの述懐。
講演へ行った折りに会場から次女の育て方の難しさを次女たる文に聞く観衆とのやりとりがユーモラスな「次女」、「惚れたものへお金をだすこのおもしろさ」と競馬の面白さを描いて現代でも同じこと言ってる人がいるなと感じる「二番手」、そして屋久杉を見に行く「杉」は読み応えのある紀行文。1904年に生まれて1990年に亡くなった、二十世紀を生きた女性の体験の一端が窺える。
小池真理子編『精選女性随筆集 森茉莉・吉屋信子』
父鴎外に溺愛されて育ち己の世界や強固な美意識を持つ森茉莉と、交流のある女性作家についての文章や評伝など他者の人生を見つめる吉屋信子の二人のエッセイ集。編者が言うとおり「自分」と「他者」とで対照的な組み合わせとなった。森茉莉は三冊くらい読んだけど吉屋信子は色々積んでいるままだった。森の最初に置かれた「幼い日々」は40ページほどの長いエッセイで、父や母、家での生活や出かけた時の銀座の景色、家に来る父の知り合いたちといった子供から見たものを濃やかに描き出しており、「長い、長い、幸福な日々だった」と、森茉莉の世界の原型といったものを感じさせる。思い出を書いて出てくるさまざまなもの、料理、衣服、小物、植物、色んなものの名前がぞろぞろと列挙されていく細かい記憶の明晰さは驚くべきものがある。がま口財布の留め金を「銀のパチンを開け」と書いてるところが良かった。あれ「パチン」て言うんだ。あるいは森茉莉か家での特有の呼び方か。母は打ち解けてくれない恋人のようで、父は「「パッパ」。それは私の心の全部だった」(49P)と呼ばれる両親のこと。両親、洋燈、町など、「小説の中にあるような明治の世界」という「美しい絵巻物」を愛惜するエッセイ。
銀座に行くのに一番良い服を着ていくのは贅沢ではない、銀座などは近所の散歩の延長なんだという成金趣味への批判を込めた贅沢論はまあ、らしいというか。欧州滞在経験からその個人主義のあり方、宗教や善と悪の匂いを強く感じ、大人だった、と述べるところも面白い。
吉屋信子のエッセイで本書に収められているのは交流のある人物評や評伝といったまとまった文章がメインだ。岡本かの子、林芙美子、宇野千代、与謝野晶子、尾崎放哉。そこにデビュー時のことや競馬のことや自身の幼い頃についてのことなどのエッセイが並ぶ。人物観察録はそれぞれ大変面白い。
与謝野晶子のことを語った文章で、夫妻に会った時一つ覚えていた鉄幹の歌を話題に出したら晶子が自分は鉄幹の弟子だから、と大変喜んだ話がなかなか印象的。世に売れたのは晶子だけれど晶子は自分の方が売れることに苦痛を覚えていたのではないか、と推測を記し、それで自分は気に入られたかも知れないと書いている。
長い交友関係を持った宇野千代についてはその波瀾万丈の人生、バイタリティが伝わってくるようで、共通の友人が死んだ時も「やはり仕事よ。よい仕事をするだけよ。私たちは」(230P)と言い、「やっぱり生きていなくちゃダメよ! わたしは八十までも九十までも生きたいなァ」(234P)と言った話が書き留められている。
宇野千代の人生体験は女としての苦しみを突きぬけて生きるところに生の充実を悟ったと思える。235P。
事実宇野は著者よりも長く生きた。また、同性愛者だったともいわれる著者は、男に惚れるのがそんなに怖いの?と宇野に聞かれて韜晦する様子が描かれてもいる。
「底のぬけた柄杓」は尾崎放哉の生涯をたどった文章で面白いけれど、どうも書きぶりに手探り感があって、これは尾崎の世評が高まる前、あるいは再評価のきっかけになったものなんだろうか。存在を知ったのも同郷の壷井栄から聞いてのことだという。「わが買ひし馬が勝ちたり馬券これ」(240P)、という競馬についてのエッセイの最初に置かれた俳句が面白い。競馬体験はこの幸田文の巻でもあったけど、娯楽として当時大きいものだったんだろうか。
新人賞で選考した徳田秋声の知遇を得たことや、母の男尊女卑傾向に苛立ち、自分の三畳の部屋を得たことの嬉しさを書いたところなどが印象的だ。
小池真理子選『精選女性随筆集 向田邦子』
文庫化第三弾。気になってはいながらこの作者のものをちゃんと読んだことはなかった。読んでみるとさすがだなと思うのとともに、面白いエッセイの見本みたいだと思った。自分の戯画化のバランスなどに現代的な「エッセイ」の祖型を感じる。テレビドラマ脚本家としての舞台裏というエッセイの王道なところから、すぐ癇癪を起こす亭主関白で本音を明かさない昭和の男の典型のような父親とのエピソードや、戦前生まれらしい空襲にまつわる話、食べ物、衣服、仕事で出会った人たち、街中で見かけたものなど。
巻数が表記されていた叢書版と文庫は刊行順が違っているみたいだけど、幸田文、森茉莉という著名な父の娘から始まり吉屋信子という明治生まれを経て、戦前生まれとは言え向田邦子まで読んで来るとかなり感覚が近くなってきた印象がある。明け透けさ、親しみやすさなどの等身大の文章というか。そしてお茶の間があった世代の感覚、昭和の時代性を暖かく見守るところに広く読まれる理由もありそうで、他人の家族のこととは言え、「隣りの神様」で、癇癪持ちの父がいつも怒鳴りつける母のドジなところを愛していた、と来るとちょっと鼻白むものもある。
若い時は、 お母さんも気が利かないなと思っていた。だが、この頃になって気がついた、父は、母のこういう所を愛していたのだ。
「お前は全く馬鹿だ」
口汚くののしり、手を上げながら、父は母がいなくては何も出来ないことを誰よりも知っていた。
暗い不幸な生い立ち、ひがみっぽい性格。人の長所を見る前に欠点が目につく父にとって、時々、間の抜けた失敗をしでかして、自分を十二分に怒らせてくれる母は、何よりの緩和剤になっていたのではないだろうか。
「お母さんに当れば、その分会社の人が叱られなくてすむからね」
と母はいっていた。113P
これはないなあ。DVの合理化としか思えなくて、昭和の家庭の闇が隠せてない。うちも父が癇癪持ちで特に昔はすぐ不機嫌になったり怒鳴ったりして、父が家にいると気が休まらない緊張感があったし、こうした合理化なんかする気も起きない単に嫌なことでしかなかった。
それはともかく、引っかかりのある食事の記憶を描く「ごはん」や名前だけは知ってる「父の詫び状」のオチとか、「字のない葉書」などの戦時中のエピソードなどそれぞれ既に有名だろうエッセイはやっぱり面白い。食事にかかわるエピソードに面白いのが多い。
しかしその面白さだけにどこまで事実そのものかは怪しいなとも思った。これは嘘をついてるとかよりも自虐の入れ方とかに感じる。うまく自分を下げて共感やオチを付けるテクニックってのはあると思う。それはこのベストセレクションを読んでるからそう思ったかも知れないけれども。あるいはライオン二部作は記憶や一瞬見たものの疑わしさの話だけれど、邪推すればお話として面白く脚色したものと事実とのズレをそう誤魔化したものとして読むこともできるのかも知れないなと思った。
川上弘美編『精選女性随筆集 有吉佐和子・岡本かの子』
第四弾。近年再評価もなされている有吉佐和子と、小説家あるいは岡本一平の妻、岡本太郎の母としても知られる岡本かの子のカップリング。かの子の母親の側面がよく出た文章はこのシリーズとしては珍しい気がする。有吉パートでは若い頃のシンプルなエッセイのほかはルポルタージュが収められていて、これはとても面白い。『女二人のニューギニア』は出発から目的地に着くまでの序盤部分の抄出だけれど、大変な場所に招いた友人との歯に衣着せぬやりとりや旅程の過酷さはぐいぐい読ませる。相方の畑中さんからおいしい?と渡されたものをとにかく食べておいしいとお世辞を言うと、自分はこんなもん食べんわ、気味が悪い、と返されたくだりは関西弁も相俟って笑ってしまった。これは一昨年くらいに文庫化されていたので買って読んだ感想を先に記事にしていたのでそっちを参照のこと。
日本の離島をルポルタージュした『日本の島々、昔と今。』から採られた小笠原諸島の父島の章は、イギリスやアメリカに領有を主張された日本近代の国際関係史の一端を描きながら島に居住したアメリカ人の話なども興味深い。原本はすごい本なのではと思ったら岩波文庫に入っててさすがと思った。
岡本かの子は夫一平に関する文章や息子太郎との書簡など、妻・母としての側面も強くて、これまでこのシリーズでは独身者や父の娘といった書き手が多かったのに比べるとそこが違ってくる。本人も仏教書で人気者になったり小説で売れたり。知名度としては太郎、かの子、一平な気がする。
夫一平がキリスト教に熱心になった頃のことについて書いたエッセイの一節、「氏の無邪気な利己主義が、痛ましいほど愛他的傾向になりました。」(140P)という部分は、愛他的になったというより利己主義が別の現れ方をしただけみたいな印象がある。女性の政治参加について答えたアンケートに、女性の浮気は罪になるなら、男性の浮気も同様に処罰されることを望むとあり、この時代は不倫にそういう男女差が設けられていた、ということがわかる。
有吉のはすごく面白いけどエッセイと言うよりルポルタージュでちょっと反則気味な気はするし、かの子のエッセイはそんなでもなくて小説の方読んだ方が良いかもとは思った巻だ。
川上弘美選『精選女性随筆集 武田百合子』
第五弾はつとに知られた武田泰淳の妻だけども初めて読んだ。『富士日記』の抜粋のほか食べ物や街歩きのエッセイなども収められているけれど、決して言いなりになるわけではない妻と、蛇や飛ばす車に怯える泰淳の関係が描かれる日記がやはり面白い。富士山麓の別荘にいるあいだだけ泰淳の勧めによって書かれたという「富士日記」は、最初日々の記録が面白いのかなと思ったけれど、数ページ読んでいくとなるほど不思議な魅力があって後半収録のエッセイよりも良いんじゃないかと思った。日々の食事や買い物の記録、出来事の記録、訃報の記録。
大岡昇平やその妻がよく出てきたり深沢七郎が出て来たりもするけど、序盤に時々出てくる「関井」とは関井光男だろうか。下痢をしていた日の記事にこんなくだりがある。
「うんこビリビリよ」と言うと「俺は病気の女は大キライ」と言う。憎たらし。22P
当人が怒ってても惚気のように聞こえる。
タイヤのホイールカバーが外れて、泰淳が拾いにスタスタとトンネルに入っていく時に「死んでしまう」と恐怖と不安に駆られるくだりなども夫婦の関係を描いて印象的だけど、やはりインパクトがあるのは54Pあたりの「男に向かってバカとはなんだ!」のくだりではないか。
自衛隊と防衛庁の車は運転が拙劣だという話から、センターラインを超えて正面衝突しそうになった車に苛立った作者がバカだバカだと言い募っていたら泰淳が「男に向かってバカとはなんだ!」と返すんだけど、このセリフは今の人にはむしろ思いつかないくらいフェミニズム以前で衝撃的だった。今の女性差別ってフェミニズムが一般化したがために、男性はむしろ「弱者権力」のある女性に虐げられていると弱者ポジションを取ろうとすることが多くて、この発言は出てこないだろうと。時代の断層。このあと作者は苛立って荒い運転をしてやり返すんだけど、この言葉には反論できてない。男女に明確に序列が存在することを明言できる、そういう時代。昭和41年9月、1960年代半ば、というところ。
昭和42年66Pのくだりでは、汗をかいたままとか湯上がりで扇風機に当たったまま寝てしまうと体を痛くするし、赤ん坊や子供は死ぬ、というセリフがある。こういう扇風機忌避論は私も親から聞いたことがある。。80Pだとさっきとは逆に、何も言わずに妻がいなくなったと泰淳が蒼白になって探しに来る一節などもある。傷ついた鳥を拾ってエサをやったりして「残忍なことをしている気持」を味わった翌日、死んでるのを見つけて「棄てる」の一言で終わるところなんかもあっさりしてて面白い。
昭和45年七月、横につけた軽トラックに乗ってる男二人組から卑猥な言葉を投げつけられた場面もひどく嫌な気持ちにさせられる一節。お腹にキノコのようなものができる病気で死んだ友人、というのも何か不思議だ。昭和47年だとカロリーという言葉が一般的でなかったこと様子も書き込まれている。
「富士日記」は夫に言われて書かれた日記なので、夫が死期を目前にして入院のためこの地を去ったところで終わっている。その後のエッセイも泰淳の死後、追想するように書かれたものに印象的なものが多い。
「夏の終わり」のオムレツ店で期待して食べ始めたら三口目でこれまずいんじゃない?と言い合って、別の女性二人組も料理を押しつけ合ってしまいには半分以上残して帰ったのを見たりしたくだりはかなり面白い。
オムレツが向いのテーブルにきた。職人さんたちは畏まり、にこにこしてオムレツを見つめ、フォークとナイフを取り上げる。やっぱり三口目くらいから元気のない顔になる。195P
悲しい夏の終わりで笑ってしまう。
選者の前書きがちょっと、と思ったけどまあなるほどこれは面白いなとわかった。
小池真理子選『精選女性随筆集 宇野千代・大庭みな子』
シリーズ第六弾。長寿で幾人もの芸術家・作家と結婚生活を送ったバイタリティ溢れる宇野千代と、一人の男性と添い遂げ、脳梗塞で倒れた晩年は夫に介護をされて過ごした大庭みな子とで、結婚を介して対照的とも言える二人を組み合わせた一冊。宇野千代は読み始めてすぐ文章そのものから活力が伝わってくるのを感じる。八年書かなかった小説をおもむろに書きはじめて送ったものがいきなり中央公論に載ったというのはどこまで本当か分からないけれどもその後の実業家ぶりなど行動力がとてつもないのは読んでいるだけでも分かる。
実母を幼くして失い、継母に実子と差を付けて育てられたことや、父の死に際して悲しみとともに色んなことを禁止されていたことから解放される嬉しさも感じた幼少期ゆえか、恋に生きたように思われるけれども相手に頼ったりはせず何でも自分でやってしまうサッパリしたところがある。結婚相手から別れを切り出されるときもそんな感じで、涙を流す理由も別れるのがいやなのではなく、長い間の蓄積への感慨だという。東郷青児が情死未遂を起こした直後に家に行き、寝た布団がその事件で血塗れになっているのに気づいてそこに居着く気になった話とか、なんとも迫力がある。
谷崎潤一郎について、彼は夫人と芸術ならば夫人を取って芸術を棄てると言っていたけれども、夫人は「芸術至上のこの偉大な作家」のために自身を進んで捧げており、この夫人を通して数々の傑作を生んだのは、実際は片時も自身の仕事を忘れたことはなかったのだろうと評している。この谷崎の「抽象性」とは逆に宇野自身は文学など関わりのないことにばかりかまけていて、この即物性や自身に対する客観性のなさこそが「女」だということではないのか、と論じている。このこと自体はともかく、しかし宇野自身も後に東郷青児との関係から吸い尽くすように作品を書いてもいる。
このことを「模倣の才能」とも呼んでいて、その時々の恋愛対象に合わせていくことからも作品を生んでいるわけだ。解説ではこの憑依の才能を指摘して、宇野は己を語ることが時代を語ることにもなる希代の狂言回しでもあると書いている。
大庭みな子は「三匹の蟹」しか読んでない気がする。大庭は津田塾大学で知り合った利雄とその後に結婚し、夫の赴任に伴い29歳から11年間アラスカに滞在する。その間に群像に投稿した「三匹の蟹」が新人賞を受賞した。河野多惠子とともに初めて女性として芥川賞選考委員になってもいる。
「結婚は私にとって大変な解放でした」(141P)、というなかなか意外にも響くこの言葉は親からの解放を意味しており、大庭にとって自身の文学を育てた夫との出会いを端的に示したものでもあったのだろう。冒頭に配された「幸福な夫婦」は合理的な観点から結婚を語った文章になっていて、お互いに夫婦以外に誰かを好きになることは自然なことで隠し合わない方が良い、その上で自由な選択によって自分を選んでもらうようにするほかはない、というくだりがあったり、心から欲しいと思わなければ子供は作らない方が良いとか、幸福な結婚は自由に女が離婚できる条件が必要だと説いている。
開明的で合理的な結婚論と言えるもので現代的な感覚がある。しかし、脳梗塞で半身不随になり夫の献身的な介護を受けた後のエッセイでは、ある程度変化が生まれている。この経年での変化を読めるように配置しているのが本書の編集の面白さだろう。
若い時代には、夫婦なんて性的に求めているからだとか、経済的に必要だからとか、恋の狂気の時期が過ぎたあとの夫婦の関係を、唯物的に見ようとしたし説明もできたつもりだったが、どうもそうではないらしい。
夫はただ「弱いものには人は限りなく優しくなれるものさ」と澄ましているが、とにかくそういう気になってくれる人とめぐり合えたということを、この半身不随になるという悲劇的運命のおかげで確認できたことは何よりの幸せと思っている。254P
大庭の文学観にはアラスカで文学にあまり縁のない人のなかで暮らしていたことが影響を与えているのがエッセイから窺える。
この人間社会で、言いたいことを言えずに、口ごもって生きている人びとが、何かのときにふと洩らしてしまう言葉は無数の水滴になり、太陽の光が当たると虹の橋になるのだ。
わたしは、生きているうちにめぐり会った人びとの呟いた言葉を拾い上げて、小説を書いているから、めぐり会った人びとはわたしの文学世界を築いてくれた恩人である。作品は自分の力で創り出すわけではないとは、そういうことだ。186P
大橋健三郎の記念論文集に書いたエッセイではジョン・バースについて触れている箇所があり、作中人物と実在人物を混ぜている手法について、「日本の文学界では小島信夫はもう大分前から東洋的な大らかさの中で、革命的な手法を試みている」(176P)と述べ、その感性の違いに触れたりしている。
宇野千代は川端康成について色男型ではないのに「女の感情をそそるものがある」と評し、世間一般には「優しい人」と言われるしその親切さについても人は言うけれども同時に「或る冷やっとした非情なもの」が彼のなかにあるのだと指摘していて、同様に大庭もこう見ている。
川端さんは決して寛容ではなく、冷ややかで恐ろしい眼を持った方だった。その作品の魅力は冷徹さにあるといってよく、ただそれが人の世の哀しみをたたえた妖しい願の中に秘められていたということにある。192P
宇野の谷崎論と大庭の谷崎論が収められていて読み比べを誘ってもいる。
これはなかなか予言的な一節。
「父と息子」は文学の永遠の主題といった趣きがあったが、「母と娘」は女の書き手が過去の歴史には少なかったせいか、今までは「父と息子」と同じ比重では扱われていなかった。
けれど、今後は「母と娘」はあらゆる表現の中でもっと大きな強い姿を持つことになるだろう。251P
大庭みな子のエッセイで一番重いのは広島の原爆投下後に死にゆく瀕死の人々の配膳係を担当していたことを書いた「地獄の配膳」だろう。大庭は広島市から20キロ離れた西条で14歳の時に敗戦の夏を迎えている。被爆を免れたものの生き残った者のほとんどいない広島の女学校に行く可能性も充分あったという。原爆投下後の救援作業に女学生が動員され、残骸となった学校の跡で三百人の原爆患者の世話をすることになり、生者と死者の区別も付かず、この世のものとも思えぬ被爆者の形相を見ながら毎日のように何人もが死んでいくのを目の当たりにする。大庭が後に原爆ものの作品を書くのはこれがあったからか。
十四歳の夏、わたしはものを言わなくなった。そしてこの夏の記憶はわたしの生涯を大きく変えた。歩き始めると、甦えるこの記憶はわたしを立ち止まらせ、人間というものを考え直させる人骨の杭となった。223P。
小池真理子選『精選女性随筆集 倉橋由美子』
60年代にデビューして私小説や政治運動を嫌い、「事実」を嫌って「反世界」の表現を志向した作家。その創作論、安吾、三島、吉田、澁澤らに触れた小説論、性や生活について書かれた文章の三部構成のエッセイ集。倉橋を一冊通して読むのは初めてだ。小説はたぶん『暗黒のメルヘン』収録作しか読んだことないけど、本人が政治運動を嫌い、学生運動の類をヒトラーを目指すものだと全否定していても、その「反世界」という美的ラディカルさが政治的ラディカルを志向する学生たちに受けたんだろうということはなんとなく分かる。
現代はあらゆるものが社会の維持と進歩とに役だつことを要求されている時代です。文学も例外ではありません。サドやカフカまでも現代社会の悪を予見し批判した天才であるという免罪符をあたえられています。ほんとうはかれらの書物こそ絶対的な悪書なのに。18P
いつかわからぬあるときに、どこにもない場所で、だれでもないだれかが、なぜという理由もなく、なにかをしようとするが結局なにもしない――これがわたしの小説の理想です。30P
小説とは、《ことば》によって、またあらゆる非文学的な要素を自由に利用して、《反世界》に《形》を与える魔術である、あるいはその《形》が小説である、あるいはその《形》が小説である、といってよいでしょう。34P
こういう実用性、現実性を否定する観念的な態度でさまざまなものを舌鋒鋭く批判していくスタイルはなるほどファンが多いのも頷けるところがある。カミュやカフカの影響を受けつつ、穢れた現実を言葉によって「聖化」する試み。
読んでいるとこの穢れた現実の一つとして自身の女性性もまた否定的に見られているような気配がある。一種のミソジニックなムードと言うか。三島由紀夫の自決に対する論評や書くことを「わたしのなかのかれ」との交信として捉えるさまや少年へのこだわりなどもそう。男性的なものへの憧憬というか。「毒薬としての文学」では30歳になって《女》でなくなったと喜び、「男性化の願望」を自身の文学の秘密とも言う。性転換が果たされたら筋肉を鍛え、政治家、軍人、強姦者、狩猟家などを経験しちゃんと自殺する人生を生き、そこでは文学など一人の情婦のようなものに過ぎなくなると書き、こう続ける。
ところで、わたしが女性にとどまるかぎり、右のような生活は所詮不可能でしょう。これはまさに絶望的なことで、なにごとにも絶望しないわたしが絶望にくやしがっているただひとつのことであります。女二生マレタノガソモソモマチガイダッタカナ。女にできる《行動》はただひとつ、子どもを産むこと、マルクス流にいえば「労働力を生産する」ことで、あとはただ、ひたすら《存在》するのが女の本性です。女がそれ以外の《行動》をするとしても、これはだいたい《行動》の真似ごとでありまして、「女流ナニナニ」と《女流》のつく女族はみな、探険家の真似ごと、飛行士のまねごと、料理人の真似ごと、レーサーの真似ごと、ピアニストの真似ごと、そして作家の真似ごと、その他男のすることの真似ごと、をやっているにすぎません。《行動》の競技場の二つのゴールである政治と冒険は、女性とは無縁のものです。《性》でさえも、男性にとっては動詞の形をした《行動》であるのに対して、、女性にとっては形容詞、すなわちその《存在》の属性である、というような次第で、女性にはJ・F・ケネディのような生活もなければH・ミラーのような生活もなく、したがって他人に露出してみせるに値する生活などありえないということになります。50P
一般の男性よりも男性的だと自認する著者にとってここに書いたことはそういう絶望をもたらす現実のミソジニーに対する痛烈な批判だろう。この女性として期待される性質、に対する嫌悪感とそれを超えるものとしての美少年。
「澁澤氏の作品を愛好しない人は、かつて美少年であったことのない人であろう」(160P)、と書いてもいる。
坂口安吾が愛されない理由ははっきりしています。安吾の文学は、太宰治のそれとはちがって、性的な構造をもっていないということにつきます。太宰の場合、文学(小説)とは他者との精神的媾合の関係そのものでした。かれのことばは精神の恥部をめざす愛撫の手であり、読者は恥――わたしにはそれは精神の性感であるように思われます――の火を燃やしながら太宰治を愛してしまうのです。110P
坂口安吾について書いてる文章での太宰との対比も面白いけど、この頃は安吾にそれほど人気がなかったらしいのが窺えるのが面白い。
著者は自身の小説の主人公がしばしば作家だとしてもそれは私小説ではない、と断ってこう書いている。
円地文子さんの近作『小町変相』には、子宮をえぐりとられた老女があらわれますが、じつはこのばけものじみた女こそ、小説を書く女の正体ではないかとわたしには思われます。いわば、生まれたときから女の胎をもたず、そのかわり体内に、ことばを分泌する虚無のくらやみをかかえた女が小説を書いたりするのでしょう。これは妖女です。妖女とはつまり、女の形をしたばけもののことです。203P
こういう「妖女」としての抵抗が選ばれるところに60年代の空気が感じられる。
「澁澤龍彦氏がいなかったと仮定したら、どんなに日本はつまらなくなるだろう」と昔三島由紀夫が書いていたが、その通りで、少なくともそんな日本は博物館のない自称「文化都市」といった索漠とした世界になる。ついでに言えば、三島由紀夫のいない日本は劇場のない都市のようなものかもしれない。154P
川上弘美選『精選女性随筆集 石井桃子・高峰秀子』
第八弾。『くまのプーさん』『ピーターラビット』などを訳し『ノンちゃん雲に乗る』などの創作もある明治生まれの児童文学者と、天才子役としてデビューし、戦前戦後を通じて多数の映画に出演した大正生まれの名優というカップリング。石井桃子のパートでは『幼ものがたり』という幼少期の回想録からの採録が大半を占めている。明治のある家庭での暮らしの様子を幼い子供の目線から描いたいくつもの断章が続いていて、子供のおぼろげな記憶のなかに当時の生活、人々への愛惜が窺えるようなエッセイになっている。
すぐ上の祐姉と私が、百日ぜきにかかったのも、私が、やはりかなり幼かったときのようである。私自身にとってその病気の記憶は、頭をもちあげるのもけだるい気もちで寝ている枕もとを、黒い、巨大なねこが、ゆっくり通っていったことだけである。そのねこは、私よりずっと物知りの生きものに思えた。16P
姉が鼻の中に炒った大豆を詰めてしまったり、祖母の葬式の記憶から祖父ほど祖母には思い入れがなかった子供の残酷さのことや、それでも祖母のことを書いていたら母との間の感情のしこりを感じさせる体験を思い出したり、なぜか家にいたまあちゃんのことだったり。一緒に住んでいるけどどういう人か今一つはっきりしない「まあちゃん」は、どうやら祖父の姉の息子で、小さい時の脳の病気かで時間や数字に疎く、著者ら子供のお守りをしていたという。値切るつもりが高く買ったり、裁縫が得意でないのに縫いたがったりするのを怒られないように庇ったりしている。
近所の飲み屋へ行った時の著者が客から言われた顔かたちに対する悪口に、当意即妙にプラスの面を言い返す女将の好ましさや、ちょんまげを結った人を見て育ったことで断髪令が四十年も前に出たものだとはつゆ思わなかったという明治末期の空気を伝える話など、子供の視界での見え方が語られる。
明治天皇の死は、祖父の死と祖母の死の中間に来て、そのあいだに祐姉は学校に上がり、初姉は嫁いだ。昼間、家のなかでぶらぶらしているのは、私ひとりになった。おとなは、みな忙しい。これは、私が祐姉の腰巾着であった身分を卒業し、まがりなりにも自分ひとりで何かをしはじめた時期でもあった。しかし、私は、まだ自分では、世の中へ出ていかなかった。世の中が私の前を通ったり、私の中へはいってきたりしていただけである。ちょうどそのときが、明治の終りであった。108P
子供の目から見える明治の終わり。
戦後の随筆のなかには井伏、太宰との交流に関してのものがあって、上等な酒を持っている時に二人がもらいにやってきたり、太宰の没後、井伏に太宰はあなたのことが好きだったと言われた一節はこれは有名なもののようだ。
高峰秀子のエッセイは天才子役として世に出て、有名歌手に気に入られて母ともどもその家の子になったという事件や母の実の子ではないという事情など、派手で激動の人生を巧みに語ってかなり読ませるものになっていて面白い。文庫版でも複数回刊行されてる定番作品なだけはある。
「猿まわしの猿」と己を皮肉に見つめる視点は散々子役として引っ張りだこにされ小学校にもろくに通えなかった境遇故でもあるだろう。当時は親の虚栄によって子役になったりしていたけれども、今は時代が違っていて、子供自身が子役になりたがるようだ、と観察しつつこう述べる。
ただ私は「子役」のお父さんやお母さんにこうお願いしたい。「義務教育だけは、しっかりとさせてあげて下さい」と。子役の演技に、「芸術」だの「演技」だのはない。子役は所詮、猿まわしの猿なのである。猿が大人になったとき、いや、猿がある日、猿でなくなったとき、「お前は猿でいたいと言ったじゃないか」では済まないのである。147P
教育もそうだけれど、「子供同士が友達をつくり合う」という学校生活の一番の喜びを体験できなかった悔恨があるわけだ。
音楽入り演技など、今考えれば珍妙だが、当時は一同大真面目のコンコンチキで、松竹としても乗るかそるかの大仕事であった。芝居をトチると、音楽もはじめからやり直しとなり、芝居がうまくいったと思うと、録音や音楽にミスが出て、一つのシーンを撮り終えるたびに、俳優もスタッフもバンザイを叫んだ。143P
音楽と演技を同時に撮るという当時の収録風景の様子も面白い。テレビも古いドラマはこういう風だとは聞いたことがあるけれども。
そして特に東海林太郎との関係が凄い。売れた子役を溺愛して親から奪い取ろうとしたようにも見えるし親子を一緒に家に住まわせて秀子を一人特権的な子扱いしているのはともかく、母親を女中部屋に住まわせて元々いたお手伝いさんを辞めさせたのか一人に家事をさせるというのはぞっとする。養父母を「とうさん、かあさん」と呼び、東海林太郎夫妻を「お父さん、お母さん」と呼んでいることを踏まえて、以下。
私は、お父さんにもお母さんにも徹底的に可愛がられた。私は二人の玩具だった。私が可愛がられれば可愛がられるほど、和ちゃん、玉ちゃんは影の薄い存在になっていった。玉ちゃんのイタズラが過ぎると、お母さんは容赦なく、悲鳴をあげる玉ちゃんを引きずって薄暗い廊下を走り、玉ちゃんを土蔵に押し込むと、ガチャンと大きな錠を下ろした。202P
秀子を東海林夫妻が実子以上にかわいがり、高峰母は東海林夫妻の子供と親しくなっていく状況はかなりの怖ろしさがあり、この関係は高峰母子が家を出て行くことで終焉を迎える。
私は、今はじめて母の口から聞く当時のいきさつに耳をかたむけながら、たとえ子供で何もわからなかったとは言え、私という人間一匹が巻き起こした砂あらしに、眼をつぶし、口をおおわれ、傷ついた人が何人いるだろうかと指を折り、今更ながら背すじに冷たい汗が流れる。206P
ウンコにまみれたダイヤの指輪、毛皮のコートを仕立ててもらったらそれが高峰秀子のものだと知って針子さんが匿名であなたのコートを縫えて嬉しいという手紙をコートのポケットに入れていた話、ゴージャスな歓待を受けたタイのYさんのエピソードなど、渡世日記以外のエッセイも面白い。
小池真理子選『精選女性随筆集 白洲正子』
シリーズ第九弾。小林秀雄、青山二郎との交流や幼い頃から習っていた能のほか、古寺、古美術に関する著作で知られる著者の随筆集。身辺雑記にしても自己開示での共感性を拒否している印象があって、これまでのなかではとりわけ高潔なスタイルに見える。編者の方針だと思うけれど、白洲次郎のことがほとんど出てこないのは意外だった。次郎の妻という印象を強めるのを避けたのだろうか。代わりに出てくるのは梅原龍三郎、河上徹太郎、大岡昇平、小林秀雄、青山二郎といった面々と、本書で特に印象的に描かれるのは坂本睦子だ。
若くして自死したこの友人については二つのエッセイが収められている。坂本睦子は大岡昇平『花影』のモデルになった人物らしいけれども、魔性のものとまで言われた魅力を持つ「むうちゃん」が平凡な女に引きずり下ろされ人生に疲れ果てて自殺するらしく、これでは浮かばれまいとかなり厳しく批判している。
大岡さんは、むうちゃんとはかなり長い間いっしょに暮していた筈で、私は彼女とは無二の親友であったから、三人で方々旅行もしていたが、彼がむうちゃんに見ていたのはこれだけか、と思うことは口惜しかった。もちろん外から見るのと、実際に暮すことの間には大きな違いがあり、日常生活の中では、生きることに疲れた年増女が、何かと手こずらせたこともあったに相違ないが、そこにだけ焦点を当てたのでは、むうちゃんをわざわざモデルにむかえた意味がない。40P
そして青山二郎がモデルと思しき人物の描写が下らないヒモで終わっていることにも批判的で、それは青山二郎が坂本睦子にとって恋人にならない唯一の友人といっていい存在だったと著者が思っているからだろう。かと言えば大岡昇平が坂本睦子の葬儀で大声で泣いたくだりがあって、大岡の「純真な一面」も著者は書き留めている。
昔の文春ビルは、現在の第一ホテルのあたりにあり、地下にレインボウという喫茶店があった。むうちゃんは、十六、七の頃、そこへ勤めに出て、その日にある著名な文士に処女を奪われたという。
そのショックのためか、あるいは生れつきのせいか、彼女は不感症であった。47P
著者は坂本睦子の投げやりな生活、自虐的な性格、そして自殺に追い込まれた原因もそこにあるのではないかと言う。文士たちのマドンナとして文士たちに狂わされた人生ではないか。このエッセイで言及されているもうひとつのエッセイでも、以下のように書いている。
年を経るにしたがって、彼女はあたかも古代の巫女のように、彼等が信ずる文学の象徴のようなものとなり、それに付随する名声の化身となり果せた。凄いといえば、そんなものに化けて、化けさせられて、無言で耐えていたことである。90P
正宗白鳥について書いた文では、汽車のなかに原稿を忘れてしまい出版社で鉛筆を借りてすらすら最初から書いて最初のよりよくできたな、と言った伝説やら著者の家に行った際の独特の雰囲気を描きながらこういう言葉を書き留めている。
「小林(秀雄)君は、陶器なんかでも、好きにならなくては解らんといっているけれども、わたしは何一つほんとうに好きになったものはない。だから何も解ってはおらんのだろうナ。人生なんかいかにも解ったようなふりをしているが、いよいよ不可解になるばかりだ、死ぬまでおそらく悟れないだろう」70P
「幸福について」というエッセイでは、ネットでもよく見るような、他人を手助けする話を親切をしてやったのにという態度を戒めるようにこう書いている。
どんな人間にも、気やすめは必要でしょうが、単なる気やすめのために親切をほどこして、不和になった例はいくらでもあげることができます。一回、二回は感謝する。四回、五回ともなれば当り前のことになる。八回目に、何かの都合で断って、ひどく恨まれた。きわめて正当な報いであります。はじめから誠意なんか皆無だったのだ。ほんとうの愛情は、人をひき上げることに専心すべきで、怠惰におとしいれることではないでしょう。122P
樺山資紀の孫として、祖父が本当に立派な人は維新で皆死んでしまってあとに残ったのはカスばかりだ、と言ったことを引きながらその負い目とともに生きた人生を思いつつ、祖父に抱かれた写真が挾まれたりもしている。
幼い頃から能を学んできたという経験や、古寺についてのエッセイが後半に収められていて、平等院鳳凰堂に陽が昇った時の鮮烈な風景描写も印象的だけれど、以下の能面についての文章なんか、学校かどこかで読んだような気もする。
能面は、そうした人間の在りかたを、 「形」の上に現わして見せてくれます。静かな水の様に平らな心が、あらゆるものの影を映すように、単純そのものにみえる表現は、実は無であるどころか、すべてを含んでいるのです。173P
白洲正子が永田町で住んでいた家はジョサイア・コンドルの設計になるもので、大正の震災でびくともしなかったこの洋館は戦時下に吉田茂が住んでいたらしく、さすがに空襲で焼け落ちたものの、頑丈な建物を崩すのに苦労したと吉田から聞かされたらしい話も面白い。
伝統というものは、いろいろに姿を変えて行くから、ちょっと見ただけではわかりませんが、実に深く根づよいものだと私は思っています。244P
これは良い意味でも悪い意味でもそうだろうとは思う。
小池真理子選『精選女性随筆集 中里恒子・野上彌生子』
シリーズ第十弾。初の女性の芥川賞受賞者と、漱石の推挙で作家となり99歳まで生き明治から昭和まで作家活動を続けた作家の随筆集。ともに女性の独居生活を随筆に描いた書き手としての組み合わせにもなっている。中里恒子は私は『戦後短篇小説再発見』のシリーズで「家の中」という短篇が印象深く一冊文庫を買っていたけれど未だに積んだままで、編者も挙げた中里作品に「家の中」が入っているのが目を引いた。知られた作品だったんだろうか。短篇の内容は忘れたけれど、中里は料理裁縫家事などの手仕事を丁寧に行なうことに楽しみを見いだしていて、100万積まれても気の向かない裁縫は出来ないと言い、また家を出て遠出をするのにも緊張し色々騒いで時に熱を出すほどだというインドア派らしい。
旅行も疲れてしまうので、
旅行案内をひろげて、大体費用は幾らいくら、さぞいい景色だろうなどと、考え溺れてるときが一番たのしくゆったりしている。それで退屈なときは、温泉案内一冊をめくって、天下の名泉を往来し、気前よく草臥れるのも好きだ。26P
また以下の犬のくだりにもインドア派の精神を感じる。
犬の世界を限定し、私の手の中でだけ飼育することが、犬にとってしあわせかどうか知らない。けれども、犬が世間を知ったところで、どうだと言うのだ。私は、まるで暴君のような自信をもって、犬を掌握して来た。36P
ここから後半にある死んだ飼い犬が戻ってくる夢を見た話を読むと印象深い。
変にもの馴れた感情、いい加減で切り上げているような感情は、例え犬でも図図しく賤しい気がする。花をみるときは、いつもいつも、生れて初めて花をみるような無垢な美しい気持に打たれるものだが、私はこの手を染めない感情を好む。レンアイの美はこれかもしれない。20P
交友関係のエッセイでは横光利一、佐多稲子、川端康成、吉屋信子、河上徹太郎のものが収められているけれどもこの随筆シリーズで吉屋はともかく、川端と河上、特に川端は多い印象だ。中里は代作もしていたし逗子に住んでいてというのもあるけれどこの時代の女性作家と川端の関係は深いのだろうか。
日々の生活を愛し小さな世界を慈しむ態度は、国際結婚をしたと聞いて娘が急死したようなショックを受けた理由なのかも知れないとも思う。一九五六年渡米した際にこういうことを書いている。
四ヶ月滞米中の約二ヶ月、娘夫婦といっしょに暮した。おムコも両親も、しっかりした人物だが、私にはどうも無縁のひとに思われた。まあ、娘は死んだものと覚悟して、私は、やっぱりひとりで暮そうという決心が、娘のそばにいて、幸福な人たちの中にいて、益益、私をその気にしたのだから、おかしなことだ。122P
昔はよかった、若いときはよかった、とはよく言う言葉だが、たしかに若い折にはそれなりの幸福もあった、しかし私は、自分について言えば、若い時の自分より、今の、現在の、歳月に晒された自分の方が、好きなのである。135P
幸福な老いの境地という感じだ。
野上彌生子は1885年に生まれ1985年までほぼ100年を生きた女性で、夏目漱石門下、芥川龍之介とも交流のあった人物がこの年代まで生きていたというのがなかなかすごいことだと思わされる。能楽研究者の夫・野上豊一郎が1950年に亡くなり、北軽井沢の山荘暮らしを一人長く続けたらしい。
山の家にひとりで暮らしているといつものことながらアニミスティックになる。空に浮ぶ雲、森の樹立、渓流、それへ降るつづら折の細路から、足もとの一本の草、一つの小石まで、なにかみな親しく生命に溢れているかのように感じられる。151P
中里が家内にこだわるとすれば野上は山荘で自然に目をやる態度という対比もあるかも知れない。別荘地で時期が来ると人がいなくなり寂しくなる様子を観察し、自然のなかで生きる様子が綴られ、家から持ってきた本を一人の山暮らしのなかで読み返したりという生活が描かれる。
伊藤野枝、芥川龍之介、夏目漱石、宮本百合子といった人物たちとの交流も触れられていて特に芥川に対しては以下のようなきわどい冗談を言った話が印象的だ。
――芥川さん、そんなにお金が欲しければ、大いに儲かる方法を教えてあげましょうか。
――何です。
――あなたがお亡くなりになるのよ。自殺ならなお結構ですわ。そうして、全集の印税がどっさり入った頃を見はからって生き返るのよ。旨い方法でしょう。
芥川さんは凄く冴えた眼で、にやにやした。それは自分でも考えて見たことだと云った。174P
このほぼ一年後に亡くなったというから後味が悪い。
夫の同級生でもあった夏目漱石に対しては作品を褒められ、虚子に雑誌に載せてもらったことで、文壇への野心もなくただ先生に評価されるか否かという基準でのみ書いていた、忠実な弟子としての態度のことが触れられている。
わたしはただその後もなにか出来ると見て頂いていた先生から、これでよいと云われることが最上の名誉であり、満足であった。同時に世間からどんなに喝采されようとも、先生に否定されるようなものなら恥かしいと思った。そんなものは決して書いてはならない。況んや金のために。176P
そういえば、中里は犬を飼っていて、野上は猫を飼っている。それが分かるように編者はエッセイの取捨選択をしたんではなかろうか
川上弘美選『精選女性随筆集 須賀敦子』
シリーズ第11弾、イタリア文学者として知られる著者のエッセイに結婚後六年で急逝した夫への書簡の翻訳を収める。イタリアで出会った人々や土地、風物、自身の家族を描いたエッセイはどれも抜群の出来で幾つかはほとんど小説的でもある。タブッキは幾つか読んだものの須賀自身のエッセイというのは読んだことがなかった。冒頭の「遠い霧の匂い」がミラノの風土を霧を主軸にして豊かに描き出しながら最後にその霧の向こうに影を落として締める書きぶりが見事で、これは歴然とレベルが違うなと思った。
続く「マリア・ボットーニの長い旅」では須賀がイタリアで出会ったある女性とつきあいを続けるなかで実はドイツの収容所にいたことやイタリア大使がその当時の知り合いだったという驚きの偶然からレジスタンスの英雄として受勲される顛末を語り、ある個人からヨーロッパの歴史が広がる面白さがある。
ある夫人のホームパーティでの人々の様子を描き出した「夜の会話」ではルキノ・ヴィスコンティについて彼を知る人たちからの「スノビッシュな批判」があったり、映画に衣装デザインに参加した女性がいたりという風景を記した後、須賀の夫の死去に対する夫人の反応で締めるくだりも良い。
前半に収められたエッセイはどれも十数ページほどあり、ある題材や人物をじっくり書き込む分量があるからかどれも充実した読後感のあるエッセイになっていて、このレベルの高さはこの叢書でも随一と思われるほどだ。そのなかでも特に父とのかかわりを描いた「オリエント・エクスプレス」は出色だろう。旅好きは父に似ていると認める須賀が、父への反抗の気持ちを持ちつつも旅のロマンを共有しないでもない気持ちで父の指示に従い旅行するくだりと、病で死期を前にした父からの、自身が乗った思い出のオリエント・エクスプレスの土産を買ってきて欲しいという最後の依頼を果たすまで。ドラマティックで余韻のあるラスト。
これら「イタリアの友人」と題された第一部のエッセイはどれも見事で傑出したレベルがある。それにはその人物の死をもってエッセイを閉じることができる追悼的な色彩を持っているからという事情もあるにしろ、やはりすごい。また様々な偶然の出会いを描いてヨーロッパは狭いんだなと思うところもある。「三十年まえのイタリアで人工流産は、いつだれに密告されて警察沙汰になるかわからない危険な行為だった」(122P)という「マリアの結婚」に記された20世紀イタリアの社会状況が描かれているのも時代を考える上で重要な一文になっている。
須賀は旅をする感覚をこのようにも書いている。
飛行機あるいは鉄道の切符や、手帳に記した予定表があるから、いついつの日に、じぶんがどこそこにいるはずだとはわかっていても、私の中には、まえもって思考をつぎの場所に移すのを拒否する依怙地な虫が棲みついているようなのだ。
したがって、ひとつの都市からつぎの都市、ある町からつぎの村に移動するあいだ、私は宙ぶらりんの状態になる。旅は、私にとって、それまでのじぶんが溶け去って、つぎのじぶんに変容するまでのからっぽな移行の時間でしかないのかもしれない。132P
あるいはこのような想念も。
《「時間」が駅で待っていて、夜行列車はそれを集めてひとつにつなげるために、駅から駅へ旅をつづけている》223P
ユルスナール論のプロローグになっている靴をめぐるエッセイや本論の一部、幼少の頃からの友達の追悼なども良いけれど、最後に置かれている夫への書簡を翻訳したものには、キリスト教徒として友人と議論をしたくだりなどがあり、エッセイとはまた違った側面が出ているように思う。
「吹きつける山の風の中で私たちは苦しみの意味について話しました。ダニエルは、世界の苦しみと闘うのは自分の義務のように感じるといいます。どこにいても歓びの種を蒔いてゆくことが。というのも、彼女がいうには、キリストも人間たちの苦しみと闘ったからなのです。
私は、ダニエルのいうとおりだと答えました。ただ、私には受け入れる必要も、世界を清め、救う力として、苦しみを受け入れることを学ぶ必要もあるような気がするのです。私には、苦しみは、たとえその多くの場合、自分たちが苦しんでいるあいだはその本当の価値をまったく理解できないでいたとしても、心の悩みに耳を傾け、そうして救済に至るための助けともなりうるように思えるのです。250P
須賀は小説は書いてないのだろうか、でもまあこのエッセイ群にはほとんど小説といえるようなものもあるしあえて小説を書くことはなかったのかも知れないと思っていたら、この書簡で須賀の「短編」を本にする話が出ており、これはエッセイなのか小説なのか。まあそれはともかく、文庫で全集が出ているのは伊達ではなかった。
川上弘美選『精選女性随筆集 石井好子・沢村貞子』
シリーズ文庫化最終巻。アメリカからパリへ渡ったシャンソン歌手石井と、浅草下町育ちで左翼運動で投獄され脇役メインの俳優として長く活躍した沢村という芸能人二人を組合わせた一冊。料理エッセイで知られた二人だけれども夫が新聞記者という共通点があるのも面白い。石井好子は戦前ドイツ人教師から声楽を学びオペラを勧められたものの自然な声で歌いたいとシャンソンを志し、アメリカ、サンフランシスコでもまれながらテレビのコンクールで優勝するもののパリへ行くために降りて、というエッセイから始まり、パリのレビューの仲間たちを豊かに描写する文章が続く。フランスの滞在時の文章を読んでいたら急に朝吹登水子が出てきて、へえ、一緒に住んでいたんだと思っていたらなんと親戚だという。フランスで仕事をともにしていた無名の女性たちのさまざまな経歴も面白いけれど、田村泰次郎、三島由紀夫と会っていたり、フランスでの交友関係もなかなかすごい。
「千年生きることができなかったアルベルト・ジャコメッティ」というエッセイではジャコメッティと妻アネット、彼が芸術制作の対象とした矢内原伊作という奇妙な三人との関係が綴られていて、なかなかすごい名前が出て来たなと思った。三人より四人の方が収まりが良かった、と一緒にいた理由を説明しているけれど、ジャコメッティと妻と矢内原との奇妙な関係が崩れないためのストッパーのようなものだったのだろうか。
「母たること」では孤児のためのホームを設立した沢田美喜と国人の混血の歌手ジョセフィン・ベイカー、孤児の母として活動した二人を描いて面白い。欧州で成功してもアメリカの人種差別の壁にぶちあたったジョセフィンの活動再開からの急死や、岩崎家長女として受け継いだ遺産を売ってホームを経営した沢田。
最後に収められた石井の母の最後の言葉を描いた短いエッセイは非常に良かった。意識を無くす前の最後の言葉が、出かける石井にかけたかすれた声での「グッドラック」だったというのがなんとも洒落ている。国外で学んだ歌で舞台の仕事をしていた人の母に相応しいような見事な終幕だった。
沢村貞子は脇役メインで役者をやっていた人らしく、私は今ひとつ分からないけれど、浅草下町育ちでまだ女性が学校へ行くにもバカなことは止めろと言われる時代に学校へ行き、左翼運動のために結婚をし、留置場へ入れられても転向を認めず刑務所へ送られるという意志の強さが印象的だ。
浅草での記憶を書き留めた短いエッセイを幾つか配置した後、人間はどうして仲良くなれないのか、何のために生きているのかを知りたくて女学校へ行きたいと志望するくだりが描かれる。父は肯定はしないけれども積極的に止めようとはしないくらいだったけれど、周囲はそうではなかった。
「な、お貞ちゃん、おじさん、ほんとうのこと言うんだぜ。学問した女って奴は、生意気になって始末におえねえ。それよりせいぜい磨きあげて、早くいい旦那をみつけるこった。女は男にかわいがられるのがいちばんしあわせだ。なんてったって男次第だからな」 150P
そういう時代、女学校の三年で遭遇した関東大震災の体験も触れられていて、自警団などで流言蜚語に踊らされた男たちの存在に危機感を抱き、大杉栄と伊藤野枝の虐殺について触れてエッセイを締めている。この次に留置場体験を描いたエッセイがあり、学問、震災、左翼運動には彼女なりの一貫性が感じられる。
運動の必要性から性愛的な関心があるわけではない運動員と結婚をして、そのあおりで逮捕されることになるんだけれど、もうやりませんと書類を書いて「転向」して留置場を出ることを拒否する。
「働く人たちがみんなしあわせになるための運動は、人間としてしなければいけないことだと思います。悪いことをしたとは思いません。できれば、またやりたいと思います」 185P
「できれば、またやりたいと思います」、留置場でこれはすごい。こう本人が言っている左翼運動について編者が前書きで「左翼運動に巻きこまれ」と書いているのは無神経だと思った。別のエッセイでそういう表現をした可能性もあるけれど、ここでこう書くのは本人の主体性を否定している。
とはいえ、沢村本人が脇役に徹し、東京から離れる仕事を断るなど結婚後も夫の言うことに従う「あなたの言いなり放題」のような生き方をしていたのは、あるいは本人自身が自分が積極的に前に出て行く性分ではないと思っていたからなのかなとも思わせるところがある。学問を学ぼうと周囲の反対を押し切って女学校に通う意志の強さと、夫を立てるという生き方を疑わないような態度の混在は今の時代から見ると妙に見えてしまうけれど、前に立つばかりがベストではないとも言えば言える。脇役としての人生。あるいは、夫を立てることでセクハラを避ける知恵なのかも知れない、昨今の性的被害のニュースを見るとそんなことも思ってしまう。
解説で知ったのだけれど、沢村の弟が加東大介で兄の子供が長門裕之と津川雅彦、と名前を知ってる人がポロポロでてきて驚いた。加東大介は『南の島に雪が降る』を花田清輝が論じていて本を買って積んであったので。
料理エッセイで有名な二人なんだけれども本書には料理エッセイは入っていないのが特徴だろうか。前巻が須賀だったというのもあって、エッセイとしての上手さというより生きてきた人生そのものの強さが文章に現われる、そういうタイプの書き手のように思う。
ということで女性の随筆を収めたシリーズは読んだことはある、名前は知ってる、まったく知らなかった人、色々な人の実際の文章を読めて面白かった。ベストスリーを選ぶとしたら、向田邦子、武田百合子、須賀敦子になるかな。エッセイが知られる女性の書き手はこれだけに留まらないだろうけれど、さらに編むとしたら名前が挙がるのは誰になるんだろうか。
類似のシリーズとしては影書房の「戦後文学エッセイ選」全13巻が思い浮かぶ。花田清輝、武田泰淳など戦後文学の男性作家から選んだものだ。こっちもセレクトの雰囲気は異なるけれどちょっと面白そうではある。男性作家のエッセイストとすると椎名誠とかも有名だけど読んだことがないなあ。「ちくま文庫 エッセイ」で検索すると本シリーズに追加できそうな人や男性の随筆の書き手がどんな感じか分かるな。