小島信夫『私の作家評伝』と花袋、秋声、藤村、浩二、鏡花

小島信夫の『私の作家評伝』が再度文庫化した。潮文庫版を十数年積んでいる内に新版が出てしまった。これを機に扱われている作家のうちいくつか積んでる本を読んでから読もうと思った、ので、ざっと。

田山花袋田舎教師

明治30年代、埼玉県の弥勒で小学校教師になった主人公が、文学や立身出世に焦り田舎を軽視していたものの次第にその土地の生活、人々、植物などに関心を持ち心を入れ替えたものの病に倒れ、日露戦争の祝勝気分のなかで命を落とすまでを丹念な風景描写のなかに描く長篇。

確かに面白い話では別にない。何でもない平凡な人物があえなく病で若くして亡くなるだけの話と言えばそうだけれど、解説でも言われるように、この長篇一冊を支えているのはその平凡な人間が生きる地方のなんでもないような村の風景や人々といったものが作る空気だ。福田恆存新潮文庫版解説で「『田舎教師』の主人公は林清三であるよりは、私はそれらの田舎町の風物や生活であるようにおもわれます」と述べる。本作も、最初は田舎の生活を見下していた主人公が文学、音楽に挫折した後に、写生や植物の標本などを作って自然への関心を深めていく流れがある。

清三の関心が自然、生物、植物、絵を描くことへと移り、当たり前にそこにあるものが視界に入ってくるというのは本作の描写を重視した作風の意味を筋書きから支えているようで、メタ的な意味でもなかなか面白い。主人公には実在のモデルがあり、その日記などを借り受けたことで本作が書かれた経緯はこちらにある。花袋は作中に一度会った作家として登場しており、その一点から相手視点に裏返して書かれたのが本作になっている。

田山花袋 『田舎教師』について

「今にして初めて平凡の偉大なるを知る」277P。あるいは自分もそうだったかも知れないような田舎の一青年の平凡な悲劇への思い入れだろうか。特に、祝勝の空気のなか診察した医師が帰っていき、清三の出棺は費用を抑えるために夜だった、という残酷なまでのコントラストは印象的だった。

事件や心持を十分に書けぬような日記なら廃す方が好いと言ったが、それと反対に日記に書けぬようなことはせぬという処に、日記を書くということのまことの意味があるのではないかとかれは考えた。237P

私小説のことを言ってるみたいだった。

風呂に入ると風邪が悪化するという記述があり、これは充分に拭き取れなくて湯冷めするからだろうか。戦前の入浴についてツイッターで話題になってて、風邪を引くからあまり風呂に入らなかった話があったように思うけど。

島崎藤村『春』

藤村二作目の長篇小説で、大学を出て友人たちと雑誌を作ったり教え子との恋愛が終わったり友人を自殺で失ったり、そして家長の兄が騙されて家財が差し押さえられたりという事件を体験しながら、迷い悩んで家出や旅をしたりする若者たちの青春の彷徨を描く自伝的作品。

自殺する友人は北村透谷がモデルになっており、透谷の文章をしばしば引用しながら語りは進んでいく追悼小説の趣がある。ただ、どうも今ひとつ面白みを感じない作品というか、彼らの思い悩む内容がピンとこなくて、ダメ人間が右往左往しているだけに見えてしまうところがある。まあダメ人間の右往左往も悪いわけではなくて、旅立ったと思ったらすぐ帰ってきたり、野放図で行き当たりばったりで、それはそれで適当で面白さもあるんだけど、透谷がモデルの青木の懊悩というのもどうもよく分からない。それは妻でさえよく分からないと言うとおり。

徳田秋声『あらくれ』

大正四年1915年刊行の長篇小説。植木屋に生まれ養家に出され実母に憎まれていたお島は家の策謀で嫁にされかけた夫から婚礼の日に逃げ出し、別の男と結婚したり情夫を持ったりしながら裁縫師の男と結婚して洋服屋を営む、意志を持ち独立の気概に溢れた女性を描く。

あらくれ、と題されたように自由奔放というか決して他人の言いなりにはならない強い意志を持った女性が描かれていて、これはなかなか面白かった。養家にいた作太郎という男に自分との縁談が持ち上がって、さももうお島は自分のものとでもいうようなにやにやしたところに決然と拒絶をしたり、果ては婚礼の準備が万全のところで逃げ出すという決断力があって、じめじめしたところも家の人間関係にがんじがらめになる鬱屈としたような近代文学っぽさがない。洋服屋を持ってからもお島は外回りに時間を掛けても金の回収には役に立たず、それでも金遣いが荒かったり派手なタイプだ。

それと起きるのも遅くて動きものろいという裁縫師の小野田とが店を持っているのだからいつもぶつかり合っていて、洋服屋も資金繰りに困って何度も出し直したりとしている落ち着きのなさも面白い。その過程でお島は夫婦の営みに苦痛を覚えていたり、不妊の原因は夫の方らしいことに気づいたりという性の問題も折に触れて語られる。最初の夫との子供は離婚をすると言って実家にいる時、母親との諍いで流産してしまうという母子の長く続く不仲の一エピソードにもなっている。

実母に火箸で手を炙られた思い出など、きょうだいのなかで一人お島だけが憎まれているのは、もしかしたらお島だけ夫の浮気相手との子だったりするんだろうかと疑ったけれど特にそういうことはなかった。それでもそうだというのが一つポイントなのかも知れない。

ちょっと面白いのはお島が洋服屋を始めたきっかけの一つが「外国との戦争」での需要の高まりにあったことだ。日露戦争は花袋『田舎教師』終盤の印象的な歴史的背景だけれども、それはここでも重要な意味を持っており、この頃の日本が戦争と縁の深い社会だということがよくわかる。

お島は爾時、ひろびろした水のほとりへ出て来たように覚えている。それは尾久の渡あたりでもあったろうか。のんどりした暗碧なその水の面には、まだ真珠色の空の光がほのかに差していて、静かに漕いでゆく淋しい舟の影が一つ二つみえた。岸には波がだぶだぶと浸って、怪獣のような暗い木の影が、そこに揺めいていた。お島の幼い心も、この静かな景色を眺めているうちに、頭のうえから爪先まで、一種の畏怖と安易とにうたれて、黙ってじっと父親の痩せた手に縋っているのであった。9P。

というのが最初の節の末尾にあり、最後には「雨あがりの桟道にかけてある橋の板を踏すべらして、崖へ転り陥ちて怪我をしてから、病院へ担ぎこまれて、間もなく死んでしまったと云うのであった」という浜屋の死因と「温泉場」で「その晩は、水の音などが耳について、能くも睡られなかった」という水のエレメントが最初と最後を挾んでいるように思える。父に連れられた川辺と、情夫ともいえる浜屋の主人の死と雨上がりの温泉場という末尾、応接があるように見えて、そしてここで思い出すのは実母からの焼けた火箸を手に押しつけられたエピソード、とすると構図がわかりやすすぎるだろうか。

実家が植木だか庭作りだかで養家は野良仕事や養蚕をしていて、お島自身は洋服屋を営むようになるというのは一連の流れがめちゃくちゃしっかり繋がってる感じで面白い。
徳田秋声 あらくれ

これらの自然主義系作家の作品はしばらく前に平野謙『芸術と実生活』を読んでそれが面白かったので集めていたもの。小島も平野謙は批判的にではあれしばしば引用するので読んでおいて良かった。

宇野浩二『苦の世界』

芸者だった妻の「ヒステリー」に悩まされる男とその母という、作者自身をモデルにして出世作となった「二人の話」から始まり、失職して居場所を転々とする主人公や、彼に良い仕事があるとでまかせを言う虚言癖の男など、貧乏人たちの悲喜劇の生活を描く自伝的作品。

短篇連作のようになっており、一貫した長篇小説ではない。だから序盤の主題となる「ヒステリー」の「おんな」の話は少なくとも二篇目で終わるんだけれども、暴れっぷりはかなりもので、自身にも感情をコントロールできないさまは明らかになんらかの精神疾患なんだろう。今は解離性障碍というらしいのが近いか。この「おんな」の状態は、夫たる主人公の不甲斐なさからくる怒りを女性のわがままにしている、というようなものかと思ったらそれどころではなく、実の親からも見捨てられていて昔からだったらしいことが示唆され、主人公にも手に負えないほどのものだ。芸者だった彼女を連れ出して、名を偽って暮らしていた夫婦と母親だけれど、売れない画家の主人公の仕事先も潰れてしまい、母は実家に帰り、妻も再度芸者に戻ることになる。「苦の世界」とは、妻が結局脱け出ることができない芸者の世界、苦界のことを示唆しているのかも知れない。

この重い話が第一篇目で一応の解決を見て、二篇目で「おんな」が一度そこを抜け出して再会に来る顛末が語られた後は、その登場人物たちの貧乏生活の悲喜こもごもが語られる話になっていく。金のない時に誰彼の家に転がり込んだり金を借りたり貸したり。そこで個性的に登場するのが半田六郎だ。ある時出会った彼から役所で助役の席が空いているという胡散臭い話が出て、半信半疑ながらも津田沼の彼の家へと赴くけれども今ちょうどその話の鍵となる某が帰ってしまったんだ、というように言を左右にして目当ての話には一行進展がないまま食事を一緒にしたり泊まったりという関係を続けていく。

結局のところ最初から怪しいように彼は虚言癖なんだけれども、詐欺で金品をかすめ取るというより家に招いて食事をともにしたりしていて、これはあるいは津田沼という地方に家をあてがわれた彼の人恋しさがそのような虚言を弄して人との関わりを持とうとしているのかも知れないし、そうでもないかも。こうした大人たちの困窮の様を追い詰められていながら、むしろそれ故にこそユーモラス、滑稽味があるように描いている。作者も言うように、この時代ののんきさがある。序盤の家に「おんな」と顔つき合わせて過ごすのは、Holi-dayでなくHell-dayだ、というジョークなんか今も言ってそうだ。

そしてあとがきの文章がめちゃくちゃ小島信夫っぽいと思った。これとか。

以上、書く私が退屈したほどであるから、読む人は、(もし読む人があるなら、)途中で投げ出されたにちがいない。が、私が、こういうくだらない小説を、書いた年月から、発表した雑誌の名前から、それが雑誌に出た年月まで、ばか丁寧に、書いたのは、(途中でやめるわけにもゆかなかったからでもあるが、実は、いやいや書いているうちに、)このようにダラダラと書いてしまったのである。そうして、書いてしまってから、まことに愚かしきことをした、愚の骨頂であった、と、後悔したが、『後悔さきにたたず』とは、まことに、昔の人は、うまい事をいったものである、と、感心した。359P

泉鏡花『外科室・天守物語』

新潮文庫の既存作品集が一作以外幻想味のあるものを外した編集だったことに対して東雅夫が編集し幻想性中心のセレクトとなった一冊。母親への思慕とアニミズムと幻想が一体となった「化鳥」や妖怪の姫と武士との恋愛を描く戯曲「天守物語」が特に良かった。

しかし泉鏡花は前から結構苦手で、というのは文章が美しいというのはいいんだけどその雰囲気ある文章を読んでると作中で何が起こって誰が語っているのかがしばしばよくわからなくて、幻想的な事態が眩惑的な文章で綴られて結局何が何だか分からない、みたいになるから。その点、先に挙げた短篇や戯曲の「天守物語」は分かりやすくて面白さをちゃんと味わえた気がする。かわりに特に「縷紅新草」あたりはざっと読むとよく分からなかった。観念的な「外科室」は文語体だけどコアは明瞭なので面白い。まあこれは前に読んだことがある。

読んでておや、と思ったのは「絵本の春」。冒頭から一条、一時、一ならび、一郭、二条、十町……と数詞が非常に目立つ作品だなと思っていたら「明治七年七月七日」「七日七晩」続いた大雨の洪水によって「七の数が累なって、人死にも夥多しかった」、と数字とその呪いがテーマなのか?と思った一作。最初の段落なんかは一から十に増えて一に戻るみたいにも読めるけどどうなんだろう。

天守物語」は女童たちが天守閣から釣り糸をたらして白露で秋草を釣る、という不可思議な光景から始まってその主たる妖しい力を使う城の姫様がおり、百年誰もやってこなかった天守に若い侍が現れ、その運命的な二人の愛が描かれる。これ、そういう終わり方をするとは思ってなくてなかなか驚いた。妖しい存在と若い侍の二人、途中まで絶対そうなる、という流れの雰囲気だったのがそれをガッと切り替えてきてそれがまた良かった。日常に幻想性が切り込んでくるというのではなく、最初から妖しい存在が普通にいる世界での話。

文語体のもの、随筆、戯曲とバラエティを意識していて入門篇にも良い一冊だろうと思う。鏡花の文章はなんか通常の文章とは違うルールで出力されてるような気がして、それが読みづらいのかなと思う。

小島信夫『私の作家評伝』

というわけでこちら。近代の文学者16人について一人概ね40ページほどで扱っていく評伝連載。顔ぶれは森田草平に始まり秋声、漱石、鷗外のほか藤村、泡鳴、花袋といった自然主義、啄木、子規、虚子といった歌人俳人など様々で、人物と向き合う内にその想像がついに小説的にもなる箇所もある。

改めて扱われる書き手を挙げると登場順に、森田草平徳田秋聲夏目漱石森鷗外有島武郎島崎藤村二葉亭四迷、岩野泡鳴、高浜虚子田山花袋徳冨蘆花石川啄木正岡子規泉鏡花近松秋江宇野浩二漱石は二回出て来て、宇野浩二は月刊誌になってペースが狂ったとのことで三回分ある。後に漱石について大著を出すのもあってか漱石も二回あるうえ草平や子規、虚子など漱石関係の文学者が多く登場する印象がある。芥川や荷風、谷崎、正宗白鳥なども何度も名前が出てくるけれども対象になってはいない。ここら辺の選択理由も気になるところではある。

本書では評伝と言うことである作家の作品や随筆、日記などからその人物を想像し、探っていく。そこには小島らしい注目点があって、家族や妻という愛の問題、小説に書くかどうかの事実と小説の問題、外国文学との関係、地方出身者の目線といったところに「私の」と冠されるだけはある。特に、木曽の山中出身の藤村の文章に方言を聞き取り、その口ぶりは都会人の芥川には別様に聞こえるという箇所や、花袋を同じ地方出身者だとしても平野から川を上って上京したとその差異を指摘し平坦地の詩人と呼ぶところなどは小島の岐阜出身としての読解の非常に面白いところだ。

作品論、作家論とも異なる人物伝の形である作家と向き合うというのはなるほど小島信夫の書き方に向いたものだろう。三ヶ月ごとにある作家の評伝を書くというのはかなり負担があると思うものの作者はまだつきあえてない作家は数多いとあとがきでも意欲を燃やしていてバイタリティに圧倒される。最後、三回続くことになり100ページほどある宇野浩二の章では、引用されてる文章と地の文とが似ているとも指摘されているけれど、さらについに小説のように架空の会話を想像して書いてる箇所があり、ここでエッセイと小説の垣根を一瞬越えているような印象がある。

ここら辺に平行して書かれていた『別れる理由』がメタフィクションになっていく要因があるらしいのは担当編集者の記事にもある。個人的には、それまで返信の内容かのように叙述が続いた最後にまだ封を開けていなかったと書かれる「返信」という短篇を思い出した。
二葉亭四迷・鴎外・漱石から宇野浩二まで――文豪16人の作品と人生。『私の作家評伝』|web中公文庫
小説のなかで相手に対する想像を働かせてそれが想像のものだったとオチが付くという反則技みたいな仕掛けは書き手の想像癖を露わにしたようで面白いけれど、そうした資質がこの評伝集にも通じているような気がしてならない。

お送り頂いた編集さんは後藤明生との関連を考えておられたけれども、『私の作家評伝』『私の作家遍歴』『別れる理由』の頃の小島の影響として考えられるのは後藤の『汝の隣人』や『壁の中』後半部分のあたりがたぶん一番わかりやすいはず。拙著でも篠田一士の指摘として引いたけれども、小島信夫がモデルのKという人物が出てくる『汝の隣人』のプラトンを介した死者との対話の話や『壁の中』の荷風との対話という手法は、物故した作家と「つきあう」ようにして書かれた評論とこの頃の小島の仕事への応答と考えられる。ここら辺の影響関係は小島信夫を読み込んだ人に検証してもらいたいところだけれど、論考としてはまだない、かな。自分としても課題の一つなんだけど小島がまだ全然読めてない。

以下幾つか面白いところを引用しておきたい。

森田草平の章。

色々割引しても、新しい時代を歩もうとする日本人の、とくに女の見せる狂い、というものを、狂いそのものを、不十分ながら描きだした最初の作品は、おそらく『煤煙』だということになるのではないか。28P

少なくとも、これは私の秘密だとして出すと、たわいもなく見えることがある。もともと作家の秘密が重要なのは、作家が何を書こうと、一貫した秘密をめぐって同心円をえがいているということである。いやそれだけではない。それが何か意味を内蔵しているということである。漱石が意味とか、一般化とかはっきりいっているあれである。34P

森鷗外について。

こういう人は、多忙さを含めて、いわゆる大小説家になるためには、想像力に欠けたばかりでなく、想像力を育てる機会を失うであろう。つまり、大ジャーナリストなのである、という意見が出てくる(例えば渋川驍『森鷗外』筑摩叢書25)。私は賛成である。この人、いくら書いても書いても、どういうものか、自分のもっているもの、人の中にあるものの全部を作品に書き現わすことは出来ないと思ったに違いない。意見が主になりすぎているからである。そういう彼は、自分と似たものをなるべくみんなもっているような過去の歴史上の人物に出あうと、それを描くのに情熱をもやした。117P

有島武郎について。

武郎には、「女の身になって」というエッセイがあり、女をこうさせたのは男であるという彼の考えに立ったうえで、女は女の中から目ざめ解放して行かなければならない、ともっともなことをいって激励しているのであるが、ただこれは甘っちょろいといい捨てるわけに行かない。とにかく『或る女』の程度にしろ、女の立場に立って書かれた小説は当時皆無といってもよいくらいだからである。188P

四迷。

浮雲』は、私の考えでは、一つはあとに『破戒』をうみ出す母胎となり、もう一つは大正期に入って、ゴーゴリが好きだった宇野浩二の『蔵の中』へ、昭和に入って井伏鱒二の小説のあるものへと移り変って行ったように思われる。スウィフト流の小説を日本版にした『猫』式のものは誰にも受けつがれなかった。244P

泡鳴の章で藤村の文体について書こうとした話をしながらのくだり。

大江という人が松山の奥の肱川上流の、あの「おはなはん」と結びつけられてすっかり有名になった大洲の、そのまた奥の山間に少年時代を過して、だんだんと中央へと出てくるにつれて、防備のために一つずつ形容詞や副詞をつけてきた様子が、しのばれる。彼は中央へ出るにしたがって外国文学をとり入れた。こうして彼の形容詞や副詞はきわめて外国文学ホンヤク風になっている。それはインギンでどこか不遜で、何ものかを茶化したように見える。272P

岩野泡鳴について。

そしてこれまた、悲痛さが原動力だ、と旗をふりたてて武者振いするようなことは、誰も遠慮したり恥かしがったりして、していなかったのに、彼は堂々と押し出し、誰にもいって廻り、そういう主人公の悲痛ぶりを書いた。こんな文学者はほかには誰ひとりいない。291P

花袋。

リサ夫人がちゃんとしていないというようなことをただの一カケラも花袋は書いていない。私は花袋ぐらい妻のことをちゃんと書き、しかもその夫人がちゃんとした人であったということが分るような小説はむしろ珍しいと思う。383P

徳冨蘆花の小説にその後の小説の母体を見出すところが面白い。未完に終わった合作の『冨士』について。

小説作品として瓦礫だらけのこの作品は、作品としてではなくて、ここの中に含まれているもの、書かなければならなかった所以のものを考えさせるという意味でまず画期的なものである。
中略
少なくとも戦後は、少なくとも最近は、作家は一般に蘆花が『冨士』に書いたことをこそ小説として書くべきだ、とは心得ている。
 父母、兄、家、それに妻。世間というもの。彼らをつなぐ「性」という太い線。性とかんけいの深いコンプレックス。愛の問題。彼が自分でそこまで切りひらいたことだけは認めざるを得ない。427-9P

エルサレムパレスチナへ行ったこともあるこの作家へのこの指摘は小島自身の作品についても含まれているような気配がある。
蘆花についてはこれも。

くりかえしていうけれども、女の立場にたってナミコを書いたということが驚くべきことだ。女主人公には通俗性があるが、通俗性といっしょになってしか表現が出来ないものがある。396P

宇野浩二について。

私のコンタンを少しあかすと、私は大正末から昭和への移り変りの時期は、多くの作家が考えこんだり、もがいたりしたことに興味を抱いていて、浩二の周辺の人々との中で、その有様を辿りたいと思い出したからである。628P

夢というものがこわれ易かったりなかなか得られないものならば、そのことを面白おかしく語ることが、この世をつかさどる神様のサボタージュに対する人間のする道である。そうでなければ、夢というものをなるべく夢として神棚にあげておいて、そうして、夢の中へは登って行かないで低いところのまわりに眼をくばっているのが一番いい。しかし考えてみればこういう姿こそ人に語るに足る人間のおかしな状態である。649P

「宇野はそのシンプルというものの理解者であった。」といいこう続ける。

宇野はシンプルさを描こうとした意味で、チェホフやフローベルの方にずっと近いところにいるわけで、一種ほのぼのとした有難味のある作品であるが、それは作者もいっしょにおどっているということのためでもあり、ずっといかにも小説家ふうである。そうして、それが大家宇野浩二をほんとうに大家たらしめることを妨害する点であるように見える。713P

事前に幾つか扱われる作家の未読作品に手を付けていたけど、やはりそれがあるのとないのとでは結構違う。読んだばかりのものがあればそれをどう扱うかで一本アンカーを置いてそれとの距離感を掴める。800ページ近い本だけれど、近代文学の作家について小島ならではの見方で描かれていて非常に読み応えがあり面白い。


なお本書は掲載誌を変えつつ、1969年から74年の連載に67年の草平の章を加えての刊行。これ以後の連載をまとめた『私の作家遍歴』はその後から80年まで。『別れる理由』は68年から81年までで、評伝・遍歴と『別れる理由』は並行して書かれている。『私の作家評伝』は16人を扱い、漱石と浩二が複数回分あるので60枚の連載がだいたい19回分あって、これは『私の作家遍歴』が計60回なのでちょうどあれの一巻分くらいある。つまり作家遍歴はこの三倍超ある。『別れる理由』が小学館のPD+BOOKSで六分冊で再刊されたけれども、遍歴は、果たしてどうか。本書の売れ行き次第ではあるんだろうけれども。

本書は担当編集様から恵贈いただきました。ありがとうございます。