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後藤明生の夢: 朝鮮引揚者(エグザイル)の〈方法〉北の想像力 《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち いま読みたい38人の素顔と作品アイヌ民族否定論に抗する骨踊り現代北海道文学論―来るべき「惑星思考」に向けて代わりに読む人0 創刊準備号
単著『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』刊行
2022年9月末 幻戯書房より『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』が刊行されます - Close To The Wall
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2023.12.31岡和田晃編『上林俊樹詩文集 聖なる不在・昏い夢と少女』の制作に協力
上林俊樹詩文集『聖なる不在・昏い夢と少女』を刊行します | SFユースティティア

2023.06.24「リベラシオン 人権研究ふくおか」190号(2023年夏)に「鶴田知也再考――『リベラシオン』第一八九号を読む」を寄稿
「リベラシオン」190号に鶴田知也についての記事を寄稿 - Close To The Wall

2022.11.20後藤明生文学講義CDの付録リスニングガイドを執筆
後藤明生文学講義のCDの付録リスニングガイドに寄稿 - Close To The Wall

2022.09.30図書新聞10月8日号にて住谷春也『ルーマニアルーマニア』の書評が掲載
図書新聞10月8日号にて住谷春也『ルーマニア、ルーマニア』の書評が掲載 - Close To The Wall

2022.09.28単著『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』刊行
2022年9月末 幻戯書房より『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』が刊行されます - Close To The Wall

2022.06.10『代わりに読む人0』に「見ることの政治性――なぜ後藤明生は政治的に見えないのか?」等を寄稿
『代わりに読む人0 創刊準備号』に後藤明生小論を寄稿しました - Close To The Wall

2022.04.30「図書新聞」2022年5月7日号にて木名瀬高嗣編『鳩沢佐美夫の仕事』第一巻の書評が掲載
図書新聞2022年5月7日号にて木名瀬高嗣編『鳩沢佐美夫の仕事』第一巻の書評が掲載 - Close To The Wall

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2025年に見ていたアニメ

誰に頼まれたわけでもないのに一月近くを掛けて一人で勝手に今年のアニメ視聴を総まくりする時間がやって参りました。毎年アニメが多い多いと言っているけれど今年は週間視聴本数が50どころか60を越えたクールがあり、たぶん年間本数も最多になっているのではないかと思います。アニメって、多いね……。別に全然網羅的に見ようと思っているわけでもないのに。各作品のコメントは概ねその日その日に一話ごとに書き散らしていたツイッターのログを引っ張って来てまとめたものになるため、そのアニメのその回を見てないと分からない場合もあるかと思います。ご容赦ください。自分で自分の過去の文章を読み返すと、コレ何のことなんだ?ってことがよく起こるんだよな。見てても分からないかも知れない。結局総計16万字を超えていて、本一冊分くらいになってしまった。去年の1.5倍あるね。あるなよ。

2025年アニメ10選

もめんたりー・リリィ
誰ソ彼ホテル
メダリスト
鬼人幻燈抄
前橋ウィッチーズ
アポカリプスホテル
小市民シリーズ
瑠璃の宝石
渡くんの××が崩壊寸前
アークナイツ 【焔燼曙明/RISE FROM EMBER】

というわけでいつも通り年間ベスト10から書いておく。ここで挙げてないものだと空色ユーティリティ、光が死んだ夏、うたごえはミルフィーユあたりも候補。機械じかけのマリーもかな。ベスト1は瑠璃の宝石。本年作品の出来に対して話題にならなさすぎだろ一位は鬼人幻燈抄。アークナイツは三期で全26話のアニメシリーズとして一つの区切りがついたようでそれもあわせての選出になる。

以下、各シーズンごとに各作品に触れていく。概ねクールごとに上から順に評価が高いけれど、大見出しをつけているのは何かしら言及することが多かったからで短評にまわしたものより必ずしも高評価しているわけではなかったりもするし、ショートアニメや単発作品は短評の下のほうにまとめている。まあそれは本文を読むとある程度分かるかと思う。

冬クール(1-3月)

もめんたりー・リリィ

GoHandsの爆裂作画オリジナルアニメーション。一話冒頭から曲も映像もセリフも情報量の暴力が襲い来る。髪もリボンも胸も服もずっと揺れてる異常な画面ですごい。人間を消す機械とインフラを維持する謎の機械しかいない終末後世界で少女たちがちょっとした料理で生き延びる、終末世界サバイバル「割烹」アニメ。かなり独特の濃い味付けでできた美少女バトル百合アニメなんだけれど、この独特の口癖でキャラ付けしていくような部分も含めてちゃんと人間とは何かというテーマに沿って考えられている設定だと言うことが段々見えてくるし、独自の作品性で魅せてくるアニメだった。人間とは何かという点については六話でプール回をやったのがすごくて、インフラ維持機械がいるので終末世界でもプールが使えるし、ここで動画を撮るというのがSNSの向こう側の誰かに対して自分たちは人間だと証明するために行なわれる。状況は異常だけど。八話では生きているか死んでいるか、人間かそうでないか、一人か仲間かなど、色々に埋め込まれたモチーフが収斂してくる。メインキャラはみんな定型句か借り物の言葉を多用していて、主人公は自分の体や記憶すらそうかも知れないという偽物のテーマもある。生きているのか死んでいるのか分からないけどお腹は鳴る。「割烹」とは何か、ダンジョン飯ばりの食べることについてのアニメなのかも知れない。終盤で自分たちそっくりのもう五人が現われての画面は非常にインパクトがあって、自分と同じ顔のコピー体がいても平然と一緒にいて楽しくやれるというところに本作のテーマ性が現われている。終盤は、コピーとオリジナルをめまぐるしく入れ替えながらしかもオリジナルの人間すらも改変されていくことでその格差を無化していく動きを描き、誰かに決められたその差異よりも今ここで割烹・食事という生き物としてのリアルを据えるスタンスが示される。「人間とか人間じゃないとかそんなのどっちでもよくて。みんなと一緒にいられるのが、みんなと割烹できるのがどんどん楽しいんだ」、人間と人間じゃないものどころか自分とコピーとでも楽しくいられる、今ここの肯定がだいぶパワフル。「正真正銘全部リアル」というEDの歌詞が響く。最終回、EDの追憶、過去の象徴の写真が動き出す演出はちょっとすごかった。本作、ジーンではなくミームによる男性なしでの「生殖」を描いた話という気もする。登場人物ほぼ全員女性だし、コピーによって増えるのは単性生殖みたいだし、割烹というワードも二人の出会いによって生まれている。そしてそれが別の人たちに受け継がれ増殖していく。終末世界でも人間でも人間じゃなくても楽しく生きる。定型句の活用は引用、継承の意味もあって、極端に誇張されたキャラも偽物みたいにツヤツヤした背景も、その人間の偽物の肯定に繋がっていて、きっちり意味が通った組み立てがある、と思う。作画の暴れっぷりも含めてよくもまあこんなアニメを作り続けられるものだと圧倒される。

誰ソ彼ホテル

原作は脱出アドベンチャーゲームとのこと。たそかれほてる、と読むけれど変換出来ないのでだれそかれほてると打っている。現世とあの世の中間領域のような場所にあるホテルを舞台に、誰ソ彼という通りここに来て自分を見失い、生きているか死んでいるのかも忘れてしまった客人たちをホテルに迎え入れ、顔がない客たちの真実を探り、現世への帰還あるいは成仏への道筋を案内していく。このはな綺譚を思い出すけれど、こちらはだいぶ陰惨な話も多い。同じようにホテルに迷い込んだけれど客とは異なる立ち位置で従業員となった塚原音子という主人公は特徴的な声だなと思ったら三者三葉の薗部、サクナヒメのかいまるの人、桃河りかだった。ネコという名の通りクセのあるキャラと声が良くて、各回も見応えのある話をやってくれるしラストもガッと盛り上げてきてかなり良い。宿泊客には普通に殺人鬼がいて主人公たちの問題解決に至る筋道を妨害してきたりする不穏さもあり、振れ幅のあるドラマをやってくれる。二話の、死の直前にここに来た経緯を思い出し、生き残れる確率がほぼ皆無のような状況からもリアルに帰還して最後のギャンブルをやる客の話もなかなかインパクトがあったけれど、四話などは幼馴染みの親友同士の少女たちがホテルに訪れ、そこで殺人鬼が離間工作を行なった挙句に悲惨な末路を遂げるえげつない回にもなって驚く。石川由衣と若山詩音の叫び声がすごかった。六話は従業員の先輩アトリが憧れのジャズ奏者とこのホテルで出会うという悲しい始まりから、夢を実現しきった大人と夢のある子供がそれぞれの場所に赴く沁みる話になり、七話では同じく従業員のルリには母親が男を作って蒸発したという過去があったことが明らかになり、そこに夫に逃げられ娘がいる母が金を稼ぐために危ない仕事に手を出して娘を残して死んだ女性が訪れ、この両者の似た境遇だけれども違う立場の二人が出会い、心のわだかまりがいくらかはほぐれる展開も良い。八話と九話で、アイドルグループ内部でのライバル設定を遵守しすぎてプライベートでも頼れなくなってた二人が描かれていて、このアニメ悲恋百合が好きすぎるって思った。不仲営業という人間そっくりの仮面を被ってそのなかに同じ顔だけれど表情がある本心が見えてくる仕掛けは上手い。10話はEDがゲーム版のものに変わり、クライマックスとして殺人鬼大外とアトリや音子たちの現世での関係の真相、そしていかに殺人鬼の試みを阻止するかの作戦が始まっていく。死者が死を受け入れる過程を描いたり、生者が生きる意味を見いだしたり、どちらもできずに地獄に行ったり、厳しさがありつつ己が何者かを問う人間ドラマを各話描いていて、非常に見応えあるアニメだった。音子の声とキャラがやっぱ良かったな。吉澤嘉代子のOP曲「たそかれ」はこのクール一番くらいに良かった。

メダリスト

ファンが声優を主演にさせるために描いたという伝説で話題になってたフィギュアスケート漫画が原作。ENGI制作ということで、ここはできにばらつきがある感じで大丈夫かと心配していたら、アニメ化と聞いて米津玄師のほうから主題歌を作らせてくれなんて言うことあるんだ、とこのスタジオにだいぶ重いプレッシャーが掛かったけれどかなり頑張っている。スケートを始めたのが高校生という遅い時期でアイスダンスの選手でもあったけれども芽が出なかった司が、自分にはフィギュアスケート以外何も取り柄がないと思っている小学五年生の少女いのりと出会い、金メダリストを目指す話。フィギュアという競技が子供の頃からの厳しいレッスンを必要とする過酷なもので、金銭的負担もかなりのものがあるという現実のハードルを描きつつも奮闘するスポ根作品。「ダメじゃない部分がある自分になりたい」といういのりの言葉の重み。四話、いのりにスケートを諦めさせようとしていた母のこれまでの行動もいのりを挫折から守ろうとしたものだったけれど、失敗を怖れていたのは自分だったと、自分といのりは別人だと言うことを気づかされる。転んでもそれ以上にチャレンジすることで未来を勝ち取る、自分で歩く力があると誰よりも母に伝える、パワーがある回だ。転んだって平気な顔して立ち上がれば良い、と言うとおりの初手転倒を乗り越えても笑顔を作って演技を貫徹する姿。鏡を見て、自分を見て、司に頼らず自分自身で決意を母親に伝えることで、自分の意思を明らかにして自力で立ち上がり、自分の足で歩くといういのりの表明。母の心臓の音を聴きながら姉の滑りを見ていた頃とはもう違う、姉でもなく母でもないいのり個人の立ち上がる瞬間。「スケートが私を特別にしてくれるわけじゃない」、「私がスケートを特別にするんだ」と、変われるかではなく衣装を着た私はもう変わっているところを描くのが良かった。そして七話では司のコーチとしてのあり方が見直され、自信がないのはいのりだけではなくて司もまたそうだった、「対話して足りない部分に気づかされていのりさんに育てられているんだ」、その思いが表に出て変な感じになるのは笑う。「自信は人にもらうものじゃない。俺が、何度も俺自身を信用しないと」。12話の「見なよ俺の司を」、これがあの有名なセリフか、と笑った。最後、姉が今のいのりを見て「頑張らなきゃ」から「頑張ろう」と感じるようになったというのはなかなか微妙な差異を描いてて面白い。司がずっと「いのりさん」と呼んでるのはすごいな。呼び捨てでもちゃんづけでもない、教え子という上下関係でもない、一人の他人の個人、というような態度としての呼び方に思える。子供たちのフィギュアスケートを描いて非常に面白いけど、スケートをCGで描くからこそアニメ化できたんだろうと思う反面、だからこそ絵的に大きく弾けることもないという感じもする。

空色ユーティリティ

数年前に短篇のパイロット版が作られていた美少女ゴルフアニメのテレビシリーズ。斉藤健吾監督がやりたいと言ってYostar Picturesがいいよといって始まったらしい。青空の爽やかさとゴルフウェアで健康的なイメージの美少女アニメ。コミカルな崩しも含めた作画がとても良好で、オタク向け美少女アニメとして非常に出来が良い。体型が極端でないところも。バイオレンスだったり大時代的なドラマだったりのバーディーウィングや、濃密な技術論のオーイとんぼとも違い、趣味としてのゴルフを楽しむことが主眼に置かれている。力のバーディ、技のとんぼ、初心者の空色。初心者の美波が遥と彩花という二人に誘われて、自分だけの特別を求めてゴルフに向き合っていく物語。二話はパイロット版にも風呂シーンがあったしシャワーシーンはノルマだなと思ってたらもう一度入浴するので吹いてしまった。六話、派手な展開をせず堅実にふわっとした良さみたいなものを立ち上げている。美波は練習でできたことがコースではできなくて悪戦苦闘しつつ、最終コースでは最後にパーを逃してもほとんどイメージ通りに打てたこの一瞬がまた周回したいと思わせる。最高の至極の一打が打てれば苦労も全部チャラになるくらい気持ちいい、という一瞬。八話は、遥になんらかの挫折の経験があるんだけど匂わせる以上には踏みこまずに、年上のキャディを配置することで年長者だった遥の「大人のゴルフ」を子供の位置に戻して、キャディにそっと背中を押されることでガッと勇気を込めた一打が打てるのが良かった。そして九話は彩花の話で、本気でプロを目指すタイプでもないし自分の人生にゴルフがなくても困らないだろう、けれどもゴルフ好きを増やしたり啓蒙活動のコミュニケーターとしての役割を果たして、ゴルフがあったからこそ自分を好きになれたという内面のドラマを描いて感動的なものがある。最後、空っぽのカップに紅茶を満たして飲み込むという自分なりのやり方を見つけた比喩的な描写。沸騰する熱いドラマではなく対流によって上下動してきちんと味を引き出している、ここに彩花のあり方が示されている。競技の本質とは関係ないかも知れないけれども楽しくそして倫理的に気持ちよくゴルフを楽しむための活動、その人にとっての趣味としてのゴルフのあり方を描く、今作の主軸だろう。そして最終話で主人公が初めてパーを達成するのはすごい。一人でもやりたいほどちゃんとゴルフが好きになっていて、でもそこに立つまでの支えになって一緒にプレイしたい仲間がいる、爽やかな良い終わりだった。美波一人をキリッとした作画からデフォルメ、スイングの瞬間の勢いをつけた絵までこれでもかと描き尽くす回でもある。ゴルフという題材を通して普遍的な趣味の楽しさを描いた感じがある。

沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる

原作漫画を読んでいる。独特の作画を見せるミルパンセによる沖縄あるあるネタをまじえたラブコメ漫画原作アニメ。知ってる沖縄出身声優がほとんどいるのに一番のメイン二人が違うって言うのはどうだろうとは思う。一番方言キツいキャラが鬼頭明里とは。東京から沖縄に引っ越した高校生男子を主人公にして沖縄を知っていくというスタイルになっていて、彼が好きな喜屋武さんは沖縄の方言どっぷりの沖縄大好きっ子で、彼女と幼なじみの通訳役をやっている比嘉さんは彼を好き、という三角関係。道産子ギャルアニメが東京から来た男子がモテるハーレムラブコメだったことで強烈なコロニアリズムを匂わせていたのに対して、今作は言葉がストレートに通じないという齟齬をかませて第三者を呼び込み、三角関係を基軸にしたのは上手い設計だと思った。九話ではウチナーグチの日本語からの変化の法則性についての話。アイウエオのエとオを使わないのでエがイにオがウになる、雨がアミ、黒はクル、なるほどだ。アワがアになり、キがチになる、なのでオキナワはその法則からウチナーになる、と。分かりやすい。12話最終回は、ミンサー織やカンカラ三線など歴史や時代のなかで受け継がれてきたものを描きながらそこに喜屋武さん比嘉さんもずっと一緒だと重ね、それは外から何かがやってきても変わらない、いや変わりつつも続いていく、そういう趣向は今作ならではの締めだろう。沖縄は国外だったので甲子園球児が砂を持ち帰れなかったとか、沖縄の歴史はもっと色々触れても良い気がするけど紛糾する話題を避けるとこうなるか。方言が分からないという導入から相互理解という点でラブコメと沖縄知識を掛け合わせたもの。ミルパンセのダイナミック作画も良いクセって感じで思った以上に楽しいアニメだった。ラジオをやってたから絶対作家は沖縄出身の儀武ゆう子だろうと思ったらそうだった。三つある沖縄の全放送局で放送しててしかも一局は昼の十二時からで視聴率が10パーを超えたらしく、原作者は地元の英雄としてテレビに良く出ていたとか相当盛り上がっているらしい。沖縄の学校が甲子園に出た時並みの視聴率だとか。画面に描き文字が多いなとは思っていたけれど深夜アニメと言うより昼日中に放送するような視聴者層の想定がああいう画面になっているのかも知れない。

花は咲く、修羅の如く

響けユーフォニアム武田綾乃原作、わたなれコミカライズのむっしゅ作画による漫画を原作とした、朗読および高校放送部を題材にしたアニメ。作り手のメンツを見ても分かるように百合アニメ、と言って良いか。部内には男子もちゃんといるけれども。住む島で子供たち相手に朗読をしていた春山花奈が放送部の先輩薄頼瑞希と出会い、部に勧誘されて放送部の面々とともにNHK杯全国高校放送コンテスト、Nコンを目指していく。朗読、放送部という珍しい題材でアナウンスや番組制作で音響をやりたい部員の回などで目新しい描写も多く、朗読では若手だけではなく日笠陽子遊佐浩二などベテラン声優の朗読が聞けるという点も良い。ただ、物語としては本番に至る前に終わってしまった。瑞希と花奈の絆の再確認をしてこれからNコンに挑むところで締め、区切りは良いかもしれないけども強烈に物足りなさが出てしまう。全体にどうにも爆発力がないというか、小さくまとまってる感じがつきまとう。結局朗読の良し悪しとはどういうことなのかというのが、残酷に優劣がつけられる大会の場で明確になるかという期待が果たされなかった。終盤急に瑞希が実家に監禁されて救出に向かうという、アニメでワンクール締めるためにオリジナルの山場を持ってきたのかと思ったけど原作からそうらしい展開も微妙だった。声優の朗読がたくさん聴けたのは良いしうまい人はうまいんだなというのが何となくはわかるのが良かった。「次の」「ぎ」は鼻濁音、「包み」の連続する「つ」は母音無声化、パッと聞いても良く分からないレベルだけどプロの人はここらで訓練受けた人かどうかわかるのかな。花奈はアイプリひまりの藤寺美徳で、こんな役もできたんだと驚かされた。それと、朗読場面をイメージ映像とBGMで盛り上げてしまうのはもったいなくて、見せ所は派手に、とはいえ声を信じられてない演出にも見えてしまう。ラジオでは監督と音監がゲストに来てた回が色々面白かった。やはりアニメはまだプロローグなので朗読のレベルもそれなりに留めたという話を聞いて藤寺さんが青くなってたらしい。ここでやりきったら大会でそれ以上をやるのは無理で、続篇を考えておきたいしそういう判断にはなる。ラジオにゲストで来たED曲のさとう。さん、アニメタイアップは初めてだそうだけどEDのサビの「誰かの言葉でも構わない伝えるんだ」というフレーズは、それまで「誰にも届かなくていいから自分の言葉で歌うんだ」という姿勢でいてそれでも聞く人が増えてきた時にアニメの話があって、そのなかで生まれたものらしい。自分の言葉での表現の積み重ねによって届く人が増えてきて、そこでアニメの主題歌を作るという他人の言葉と向き合うことで、自分の表現について別の視点から見つめ直すことができたのは朗読という他人の言葉を使う行為が元にあったからというのは良い話だった。得意なことをやるか、好きなことをやるか、というのは本作のテーマにもなっていたし、そのこととも絡む話だった。花奈と瑞希もそうだけれど、最初は頑なで不機嫌を振りまいていたのが懐に入って仲良くなると甘々になる夏江杏というキャラが定番だけど良かった。

戦隊レッド 異世界冒険者になる

川口敬一郎監督でサテライト制作。タイトル通りの話でキズナファイブという戦隊をやってた熱血タイプのレッドが異世界に転移して特撮もののあるあるネタを散りばめて笑いを誘いながら、現地の問題を解決していく。レッドが異世界転移してどうするんだと思ったら変身も出来るし巨大ロボも呼び出せるの、無法だろと思わないでもないけどその戦隊ものの文脈が異世界に侵食する文脈の暴力がかなり面白い。変身シーンでの爆発が実際に起きてて普通に邪魔になるのも笑う。異常なレッドを装置として置いておいて周囲が主人公になるタイプの話だろう。二話はかなり良かった。ステータス画面が戦隊文法に汚染されたばかりかPVが始まる浸食ぶりとか、戦隊もの劇中劇の少しの描写でどういう話数だったのか分かる描き方とか、諍いと相互理解がキズナバスターという劇中劇の描写からの延長で達成される作劇は上手い。キズナバスターが劇中劇で描かれることでこの話の帰結を予感させていて劇中劇の描写がきっちり本篇と密接な関係を持ってる。八話はかなりおかしかった。回想からキズナファイブのOPが始まってビビったし、キズナファイブ回でレッドが養われている家の子と親友になりそこに兆す嫉妬をめぐる愛憎劇、良いんだけど唐突にアクエリオンが出てくるのは何?「一万年と二千年前から知ってるような気がするぜ」、良いのかよ。OP始まって井上敏樹脚本とあって特撮見てない私でもこれは、と思ったらどうもかなり特撮番組オマージュが散りばめられていたみたいでなるほどなと思ったけどアクエリオンはマジで脈絡がなくて笑った。サテライトだからなんだろうけどなんでアクエリオンなんだよ。最終話はキズナファイブ結成秘話の続きから追加戦士の死を招いたという悔恨、孤独への恐怖と絶望をキズナで塞がなきゃいけないというレッド、と絆と絆創膏を使って、メインテーマだけあって絆というモチーフの使い方は上手かった。話の途中って感じが強いけど。ただ、ヒロインの格好については一族の使命を誇りに思う女性がなんでそんな胸丸出しの格好を?とは思わないではいられなかったし、毎回のようにその服装に突っこみたくなる部分があって奇妙な面白さがあった。

妃教育から逃げたい私

FOD独占かと思ってたらTverやFODで見逃し配信しているのを見落としていて一話を見損ね、コミカライズの試し読みを読んで二話から見た。王太子クラークに見初められて厳しい教育を受けているレティシアがクラークから逃げ続けるラブコメディで非常に面白かった。伊藤潤二コレクションの田頭しのぶ監督キャラデザで最初このキャラデザはちょっと苦手かなと思ってたら、動いてる本篇を見ると魅力的に見えるのですごいなと思う。デン!というオーケストラヒットとともにレティが画面のこちら側に向かってものを言うお決まりのやつも面白くて、クラークもデン!で喋り出す変則パターンを追加してくるところも笑うしこれの使い方が最後まで決まっていて素晴らしい。逃げたいレティシアと追いかけるクラーク、このドタバタをやりつつクラークがレティシアを愛する余り監禁してる状態が続くのはちょっとどうかとも思う。愛の重い王子に強引に迫られるという定番の話ではある。10話はそれまで開いたことがなかった部屋の扉を入ると花の香りがいざない記憶の扉が開いて、お互いの初恋の記憶が重なる、非常に美しいエピソードなんだけど監禁してたのがだいぶ水を差している。王族の権力があれば初恋も実らせることができるという話になってない?と思ったり。でも最後は本当に楽しいんですよね。11話、早とちりで始まった話が同じような早とちりで終盤が始まる。クラークが王権を放棄をするという怪しい噂話が出回って、どんどん事態が大ごとになるお約束みたいなコメディで登場人物をがーっと集めて準備を整えるレティシアに感極まるメンツを描きながら、あれだけ逃げたがっていた結婚を自ら迎え入れ、クラークとの誓いのキスの直後にデン!って入れてくるのは本当にズルい。あれ全11話か?と思ったらのデン!「も~逃げられない」は笑った。「妃教育から逃げたい私」が「もう逃げられない」、これをやるためのワンクールだろう。そして最終話、デン!が妃モードだと効果音変わるのも面白すぎる。「けもの?」とも言われたレティシアのいびきが響き、クラークのデン!で締め、見事だ。デン!の使い方だけでもコメディの技の冴えがすごかった。そしてそこから歯を見せて笑うレティシアを経て、私たちに相応しい関係はダンスではないと馬を駆ってあたりを駆け回り、キャラを総出演させながら自分たちらしい馬上のキスで締め、コメディに洒落た雰囲気を乗せた幸福な終わりだった。クラークの監禁など気になるところはあり、最後も本当に王権放棄をしないまでもクラークにそこまでの覚悟をさせる話くらいは要った気がする。この作品、日本の漫画的ラブコメというより洋画的ラブコメディをかなり意識した作りをしてる気がするけどなにぶん映画を見ないので合ってるかどうかは……

魔神創造伝ワタル

現代的にアレンジされてリメイクされたワタル、二クールのロボットもののキッズアニメ。昔龍神丸のプラモだかおもちゃだか持ってたなあ。記憶がグランゾートと混じってるけど。田村睦心と種﨑敦美の少年役アニメだ。現代的に配信とマインクラフト要素を取り入れて、龍神丸をマイクラチックに創作して決めぜりふは「秒でバンだぜ」は笑う。一話では配信者マインドを救世主の資質に落とし込んで、ワタルの理解も行動もめちゃくちゃ速くてテンポが良いし細かいネーミングの駄洒落が効いてて楽しい。ギャグ、ダジャレを駆使して細かく笑いをとりつつ、デフォルメ頭身のロボットものとしてコミカルで楽しい作品になっている。かと思えば配信ものでもあるのでフェイクニュースと戦ったり、敵ボスはエンジョーダという炎上だったりもしていて、子供たちが今まさに巻き込まれつつあるネット社会に対する距離感についても語られている。Youtuberを主題にしてそこで悪意と戦うと言うことは必然的にメディアリテラシーが主題になるということでもある。話数では五話、厚目ニクというひどいネーミングの回は笑った。初音ミクをパロディしつつ社歌や替え歌を主軸にしたストーリーにする上で歌手兼作詞家兼脚本家の、旧テレビシリーズ三作目の主題歌を歌ってる赤尾でこに脚本と作詞を任せるという色々面白い回だった。10話はだいぶ面白い。これ回想が始まるぞと登場人物が言い出したのは序の口で、「龍神丸のお母さん」って何? 龍神丸のお母さんは本当にいて本当にこういう姿形なの何だよと思ったらカケルに平然と嘘をつく二人のビシャビシャの手汗という伏線回収が面白すぎた。嘘を見抜けるという実演を内通者と図って虚実の判断の支配権を握るというやり口を解説してくれるためになるパートあたりまでは正気な感じだったのに、急に龍神丸のお母さんが出てくるのもすごくて、そこからミスターライアーの嘘判別法がきっちり生きてくるクレバーさと絵面のおかしさ、良いね。最終回間際の展開での、エンジョーダが支配すると常に人々が炎上する世界になる、これマスク時代のツイッターじゃんって思った。炎上は全ての人々が自由に本心を言えることというのは、やっぱこれイーロン・マスクツイッター運用批判だろって気がするな。良心が邪魔に見えてもやはりそれが必要なのはネット社会に真面目なアニメだ。炎上が炎上を生んでいく世界は戦争が終わらないことの比喩とも思えるけれど、物作り、創作が建設的に世界を変える話をしてる。最終話は憎悪で燃え上がる太陽をおならで笑いにしてガス抜き、キッズ向けらしいギャグだし燃えるものからガスを抜くという直感的なアイデアで笑顔をと良いオチだ。今作の特徴的なのは若い女性キャラがほぼいないことで、たぶん声のでかい大人のオタクがヒロインや母親キャラなどに食いついてこないようにしてるんじゃないかな。実際私の見てる範囲ではオタクのなかで話題になってなかったし意図されたことな気がする。最終回を迎えてからワタルに関するツイートがちょいちょいバズってるのを見かけた。キッズ向けを徹底して美少女も出さないしパロネタも控えて、とネットウケを避けた戦略が機能しているのを感じる。

薬屋のひとりごと 二期

連続二クールの二期、話数は一期から通算で25話から48話まで。幼い娘にしかまともに話し掛けられない少女愛好癖の先帝が抱える女性たちの恨みや、夜目が利く自分の血筋を継がせて王家を乗っ取るための気の長い計画、使いを後宮に送り込んでの暗躍、さまざまな出来事、事件が次第に絡み合い収束していって大きな事件が巻き起こる、長い話数を掛けての仕込みはさすがという感じだ。壬氏と猫猫のロマンスをめぐってようやく壬氏が宦官ではないということを直接陰部を握って知るシーンなども面白い。猫猫、小蘭、子翠という三人娘の日常、という感じが楽しかったけれども陰謀と状況が動くなかで散り散りになってしまうのは第二クールのEDで匂わされていた。終盤44話ではガンガンギアをあげてきた。武装を見て戦争準備に気づく猫猫、鉄など資材の値上がりから砦の増築という謀反を突き止める羅半、娘を攫われて半端者めとブチ切れる羅漢の煽りは、壬氏へ宦官ではない正体を現して事に当たれという煽りで、臣下の礼が言わずともその素性を示す。カエルの話がロマンスの体で壬氏の正体を匂わせ、猫猫を取り戻すことと戦争の気配が迫るなかで壬氏が公的にその正体を現わすことになる、二段構えになっているのがなかなかすごい。一期からのロングスパンの計略と謎が解けていくなかで大掛かりな事態が持ち上がり、その要所にいる猫猫。圧巻だねえ。47話、神美の愚かさも子昌の甘さも引き受けて聡明な子翠が一族の名を捨てた「一度死んだもの」の救済と引き換えに「世紀の悪女の一世一代の舞台」を演じて死を選ぶ。やはりこの結末は避けられない。踊らせたり派手にしすぎではあるけど一巻の終わりに相応しい見どころを用意した。子昌も子翠もいわば知っていて死を選ぶ演者なのに神美は何も知らない愚か者で銃を撃とうとして仕掛けられた暴発で命を落とす、皮肉だ。子翠が贈られた簪も物々交換で早々に手放して、新しい生を生きていくようなのは強かだった。ここまでが後宮篇ということになるんだろうか。二期を使って子の一族の陰謀をやるというのもだいぶ気の長い話で、ここまでやらないと意味がない話をちゃんとやりきっていてすごかった。面白かったですね。一期序盤のとってつけたような知識とかそれでのマウントとかのウーンと思ってたところが後半になるにつれてなくなっていったのは、話が複雑でシリアスになったからなのか、序盤のはまだ上手くなかったからなのか。

ハニーレモンソーダ

かなり人気の少女漫画原作。内気で他者依存的な主人公・石森羽花に学校内外で有名な美形でレモン色の金髪の強引な男子・三浦界がメンターみたいに指導していく構図が序盤は相当に厳しいものがある。三浦は節々で良いことも言うけど暴言やダブルバインドっぽい言動がDV臭くて、DVの美化のように感じられるところがあり、すごい。人からの悪意に身がすくんでしまう石森が三浦の罵声怒声を平気でスルーできているのが奇妙で、三浦は特別って意味かも知れないけどそうそう反射的な反応を止められないのでは。石森は三浦からの乱暴さを全部スルーするスキルがある。二話のイメトレをしていたのでバスケで急にボールが来てもゴールを決められる、異常な場面だったけどこれ少年漫画誌だったら絶対に通らないよなと思った。体を動かすこと、スポーツができるかどうかを心底どうでも良いと思ってないとこれは出てこないだろう。九話、過保護の父に対して「私は一人でできる」と宣言する石森。父親の改心が早すぎる気はするけど良い話だった。友達が一人もいなかった中学のことを告白したからこそ、羽花のためにこんなに人が集まる今があるということを見せられると流石に父も認めざるを得ない。自分の言うことを聞けという割には反論されると見捨てられたような顔をして子供に罪悪感を与えてコントロールする父親の描写が生々しい。母親も何か言えないのかと思ったら父に名前はあるのに母にはない。母親の影が異様に薄いのはなかなか興味深い。11話はアバンからもう色々面白い。大畑清隆コンテ演出回は文化祭の時もだったけれどギャグのテンポで独特の演出をグイグイ繰り出してくる。飛行機、パック飲料、道路標示、校庭の描写は文化祭回でも多用されていた。体育祭リレーの場面で大写しになる空のなかで独特の色彩で心情描写をしたり、図形が浮いていたり、なんか盛りだくさんで圧倒される。すごい勢いで色んなものを飲み込まされた。あと「もうクセになってんだよ、お前守んの」、面白すぎるでしょ。序盤の三浦の気持ち悪さはあったけどそこに親父のヤバさをぶつけて相殺しつつ恋愛関係の始まりへと落ち着かせた構成はなるほどなと思うし、炸裂的な11話など色んな演出家を呼んだJCスタッフの本気アニメという感じの面白さがある。今一番の少女漫画というのがどんなものか、色々面白くは見た。しかし今期、ハニーレモンソーダ展開(子供が親の強権で拉致や監禁されてそれを救い出す)アニメが三つくらいあるのは何なの。

Dr.STONE SCIENCE FUTURE

第四期は冬と夏で二クール分をやって、来年に最終クールが放送されるという分割三クール構成になっている。石化事件の首謀者と目されるホワイマンを目指して、月への行程をたどってアメリカを舞台に強敵の科学者ゼノと対峙し、ゼノと千空がタッグを組んでの数千年越しのトップ科学者同士の協力によって石化光線の謎が解かれていく。二つの石化地点の正確な時刻が分かれば色々引き出せる、さすがだ。人類なんて寄生虫という意見に対して、地球の全てを駆使して生きようと全人類が何百万年の叡智を積み重ねる方が雄大、自然を知識とともに活用して生きてこそ、というようなスタンスが今作の核心という感じだ。石の聖地、ブラジルのアラシャ、地球規模の比重選鉱によってできた土地。人の手が入った時ただの石はお宝に化ける、というのもそういう。「未来の科学、ドクターストーンで」、タイトル回収をこんな何度もやる作品ってのもそうそうない気がする。終盤21話、全員死んでから石化の力で復活する、「全人類を滅ぼして、救うんだよ」という計画へ向けて、メイン連中がボロボロ死んでいってメドゥーサ奪取へ向けての怒濤の決死の突撃、クライマックス過ぎる。私が死んだって科学は未来に繋がっていく、チ。と同じ話をしている。22話のスイカ一人で走るEDたるや。全員石化のなかでただ一人復活したスイカがメガネという科学の力を借りながら、独力でサバイバルを始めて行くリスタート。千空という知識のある天才ではなく、目の悪いスイカがサバイブできるかに話が移る。知識の継承。23話、石像に話し掛ける孤独の生活、でもスイカがゼロから科学をやれば、みんなに会えるんだよとスイカがひとりぼっちの復活液作成のための不屈の試行錯誤は感動的。七年……壮絶な孤独の戦いだ。キャストも二人だけ。時間を超えて伝わる紙を読んで、トライを繰り返しての千空の復活成功、スイカでもそれはできる、という再現性の話だ。死んでても石化を介せば蘇生する石化の治癒能力というある種ご都合主義とも思われた設定が、石化は死をも拒絶するという不老不死の大目標に繋がるのは面白い。不老不死の石化による独裁のディストピア、それが敵か。月へ、というムチャなハードルもどうやって超えていくかという引きが強い。安定した面白さとド派手な仕掛け、まあやっぱり面白い。

甘神さんちの縁結び

去年から引き続きの後半クールはSFラブコメとして見応えが出てきた。夜重に続いての朝姫篇は花蓮との陸上部ライバル百合っぽさもありつつのループ展開。ループ脱出に苦戦するなかで、お節介でルートを瓜生が勝手に決めていたのは気づいてなかった。自分がどうしたいかだ、というセリフは実際大事だしフィクションでも腐るほど聞くけれど、そもそも瓜生が朝姫の意思を聞いてなかったのは意表を突かれた。朝姫を追うことを目標にした花蓮花蓮に追いかけられることで夢を追って走り続けられた朝姫の関係を再確認したことでループを抜け、七夕後祭りの提案で瓜生との関係も両取りな終結。夕奈回は瓜生との入れ替わり展開で、入れ替わったことで朝姫と夜重の気持ちを知ってしまい入れ替わりを明かせなくなるデッドロックに陥る。入れ替わりと言ってもキャラが違う相手ではなくて真面目な努力家同士で同じことをしていることで理解が進む。そして理解が進んだことでさらに分からないところが明確になるし、盗み見るのではなくちゃんと相手から訊かなくてはならない、と相手との境界線を引く。夕陽をバックに夕奈の恋心を自覚する流れだった。21話からは瓜生の幼馴染みで片思いをこじらせたしらひの世界改変展開。しらひ、失恋の化身すぎる。22話、しらひと付き合ってることになってるという歴史改変によって自分を見るように仕向けようとも瓜生はどうしても三姉妹との縁を深めてしまって、自らの縁の薄さにどんどん目が霞んでいくしらひさんがだいぶ良い。ここで夜重の歴史改変前の過去エピソードを使うのは上手い。しらひによっても消せなかった縁。しらひ篇、ラストエピソードとしてなかなか良かった。「本物の気持ち」を大切にすることを瓜生は三姉妹に気づかされたから、しらひのネガティヴな願いも本当の気持ちなら否定できなくなり、しらひは三姉妹によって助けられたことになる。自分の気持ちにも瓜生にも向き合おうとしなかった、それがサブタイの逃げ水で世界改変もその逃げ水によってできているから正面から見つめることで消えていく。最終話、幽世じゃなくて平行世界をわかつよ・別世と呼んで和風にしてみせ、様々なSF現象を神の縁結びとして整理するのはうまい。そして神に願うほどの自らの意思を明確にし、願いは自分で叶えるのだと気づく過程にこそ神の介在があるとする整理は良い。ラストに無理矢理なお色気パートが入ってマガジンラブコメの血を感じる。全体的に前半は神社客寄せバトルの雑さといい手札を伏せて進む日常パートがなんとも薄味で大丈夫かこれと思っていたけど、中盤からSFラブコメをやり始めると俄然面白くなっていった。だからこそ前半が何だったんだ?とはなる。あと瓜生くんの勉強時間を確保してあげなよとはずっと思っていた。結婚しろと言う以外に存在理由がないから宮司の存在が無になっていくのに笑ってしまう。

Unnamed Memory Act.2

驚きの歴史のやり直し展開に入って終了の一期ラストからの二期。一期でオスカーが助けたティナーシャが今のティナーシャで、一期オスカーが消えて今のオスカーはまた別のこの時間線のオスカーとなり、一期の二人はもういない、また別の二人で仕切り直しになる悲恋。今回はティナーシャが攻める感じになってる。ティナーシャが弱体化した周回で謎や因縁を回収しつつ綺麗にまとまった感じで感慨があった。最後まで見て、途中ちょっと分からなくなったけど、エルテリアによる改変の蓄積で未来が30年しか残されない世界に未来を創るために、外部者のアイテムと思われるアカーシアでそれを破壊して、歴史改竄をリセットしそしてまた二人が出会う新しい始まりに収斂して終わった。オスカーがエルテリアを使ったことで普通なら起こりえない400年もの巻き戻しが発生してそれがイレギュラーだった、と。魔女のティナーシャには接触が難しいけど、このおかげで魔女でないティナーシャが生まれた、それをバネにしてステップを踏んだので消えた歴史も無駄ではないわけか。名もなき物語に終焉を。未来ある若いオスカーと髪を切ったティナーシャという一期のとはまた違う歴史が新たに始まる、という感じで朝日へと向かっていく。まー、小説を映像にするのに結構難儀してた気はするけど、終わりよければすべてよし、というアニメだった。ちょっととぼけた萌え描写やら、ティナーシャとオスカーの二人は魅力的だし良かったと思う。ラジオの最終回で、種﨑敦美が結婚発表した時がこの作品のアフレコ中で、それを見たスタッフが叫び声を上げたりしてたらしい。ツイッターの予約投稿はPCからしかできず、種﨑さんがパスワードを忘れたので家にいる夫にスマホを持たせて人力予約投稿をしていたらしいエピソードが面白かった。

アオのハコ

去年に続いての第二クールはヒナの失恋が描かれるのか?ってくらいヒナフォーカスのOPEDになっていて、EDなんかもう遺影感がすごいし再び前に歩き出すみたいな感じだった。そして実際にそうだった。羽の生えたラスボスと挑戦するヒナって感じのOPと追悼みたいなエンディング、ヒナのための一期だった。序盤は千夏のことばかり考えている大喜の思考を少しでも奪わんとするヒナの告白という攻めの姿勢が大喜の後ろめたさと千夏の疑心を強めて盛り上がってて、失恋ヒロインたるヒナからおいしいところを全部搾り取るぞみたいな見応えがあった。告白回ではキャンプファイヤーに照らされる夜の体育館での場面が印象的に描かれてて力が入っているのが感じられた。ヒナの髪に絡まる枯葉が最後炎にまかれて燃えるのは、ヒナを枯葉に重ねるモチーフでひどい。ヒナとは体育館で一緒の部活で振ると顔を合わせづらくなるくらいだけど、同居している千夏に告白するのはいっそうハードルが上がるので、ヒナとの関係を明確にしてそれを後押しに前に進む決意なくしてはできない、という段階を踏んでいるわけか。菖蒲がいるとコミカルな演出がドカドカ出てきて絵的には楽しいんだけど善意とお節介をはき違えた感じや話の都合のキャラっぽさがまあある。二期決定とのことで千夏のターンになるだろうけど、まだ大喜と千夏にいまいち関心が持てないというか同居までしていながらなんかドラマが薄いのが気になる。タイトル通り体育館部活という共通点があるのに同居という大ネタを重ねるのがうまくいってない気がする。そういや15話は、散々遊んだ後に誕生日プレゼントでカバンから小さなホールケーキが出てくるのに驚愕した。八月二十六日だぞ? 保冷剤突っこんでてもそのまま家に帰るはずのルートだったのが電車で海に行って遊んで、っていう過程を挾んで大丈夫か? ともかくここでケーキはトンチキすぎて笑った。

凍牌~裏レート麻雀闘牌録~

去年から引き続きの後半クール、ちゃんと面白くてかつ最狂の麻雀アニメですごかった。第二クール始まりの13話からカタギの大会にケイが出場して、畑山や小学生と対局して麻雀の楽しさ、人の心を取り戻す展開かあと思ったら早速小学生が一家まるごと殺されてて文字通り心が凍る。容赦がなさ過ぎる。一家丸ごと消すようなヤクザが絡んでる大会は怖すぎる。16話、勝負の鍵になる白の牌だから白波映してるのかなってところや、大辻が負けるとなった時にケイの白をくすねるのは歯を一本奪ったという意味にもなってて、ケイの「一本取られた」も歯のことという歯と白牌のモチーフで話作ってるのが上手いな。大辻の総入れ歯も白だった。そしてアミナの血が映える。しかしこんな死人怪我人出まくってる大会をテレビ中継していいわけないだろ。決着回で命乞いを始めて中継してるのに殺しがどうとか言って良いのかよと思ってたらその場で射殺されてさすが想像の上を行く。目の前で殺人が起きてても「ロン!」て。ラストエピソード、点数ごとに両親と幼馴染みを縛り首にするデスマッチが始まって、これはまたえらいもんが掛金になった。家族の因縁が明かされる氷のケイ誕生秘話。タカシって誰かと思ったら両親が弟を保険金目当てに殺したというどん引きエピソードで、命を賭けた麻雀サバイバルの以前からケイは命がけの生活を送っていたわけだ。しかし子供に保険かけてそんな大金もらえるもんなのか。幼馴染みの家族が弟を殺していたことを知り好意を持っていたその兄が父を見殺しにする場面を目の当たりにする、しかも知り合いのクラスメイトが死んでいたのも知って、と優の精神的に限界すぎるのでは。しかも自分も首吊られる可能性がずっとあるわけで、この人一番大変な目にあってないか? 23話、すげえアニメだよやっぱ。吊るされる両親、男は死んでも約束を守ると勇壮な最期を遂げるヤクザ、そして絶叫する優に「俺が首を吊るからお前が打て」マジかよ。それは予想外。「僕一人無傷で終わるなんて結末があってはならないんだよ。僕は吊るされなければならない」、因果だ。首を吊ったケイも五分か三分以内に処置すれば助かるという救命の余地を残しつつ、彼の言伝をたよりに狂気の麻雀の渦中に放り込まれて極限の心理に混乱する優の叫び、ヤバイ引きだ。赤﨑千夏の負担が、すごい! 勝負はビビったら負け、そういうところに落ち着く、「男」の話だから。「愛に生きる女」の役割を果たした感じがするけど、最終盤は優の活躍がすごかった。その分アミナって何だったんだろう。自分を助けた少女に入れ込む理由が両親のクズさが明らかになって分かってくる構成だけど、アミナの描写が非常に薄いのは謎だった。映像化できない描写でもあったのか? しかし両親はちゃんと死んでおいたほうが良いのでは、と思わせるアニメもなかなかだよ。

短評

Aランクパーティを離脱した俺は、元教え子たちと迷宮深部を目指す。
支援職がAランクパーティで評価されなかったから若い女性だけの新パーティですごいすごいと褒められるという、いかにもなパターンのハーレム作品。ふーんという感じで見ていたら一人称が「ぼく」の青髪小柄のレインというヒロインが最年少とばかり思っていたら二十歳の最年長。そしてこのキャラがメインヒロインぽくて、この二重の意外性がだいぶ面白かった。そして、主人公ユークを追放したサイモンというキャラがいて、元々は志を同じくしていた幼馴染みだったのに追放するほど仲が険悪になり、一旦は成敗してケリが付く。まあそれで彼は逆恨みしてユークに復讐を試みるんだけれど、自らアンデッドになる禁忌の手法を使ったため永劫の苦痛を受け続ける封印をしなければならなくなるというえげつないやり方で退場するのには結構引いた。サイモンは終盤に再登場してちゃんとケリを付けられるんだけれど、ユークのなかではずっとサイモンに未練があって、あり得た可能性を見せられるシチュエーションでは幼馴染みのサイモンと幸福なパーティを結成した夢を見ていて、幼馴染みで同じ夢を見た仲間だったサイモンの穴はヒロインたちでも埋められない。典型的な追放する悪役なサイモンが後になるほどユークにとって消せない未練として残っているのが見えてくるのは驚きがあって、この一点で記憶に残る作品だった。サイモンで始まりサイモンで終わるアニメだった。他の点についてはウーン、というところが多いけど。そしてこれがまさかの二期ありだとは予想できなかった。そもそも二クールなのに驚いてたらもう一皿ドン、は怖えよ。なんでそこまで賭けてるんだ。

君のことが大大大大大好きな100人の彼女 第2期
100カノも第二期、新規の彼女は原賀胡桃からナディーまで。18話、ゴリラキャラもいるけど敵チームにもちゃんとまともな見た目の女性キャラが出てくるようになったし仲間を持ち上げるためだけの醜い敵になってなくて、ファミリーの個性も出しつつの良い野球回だった。静を狙われての反撃が音と絵合わせてのドラゴンボールパロは笑った。集英社だからってやりたい放題すぎるだろ。いい話をしたらエロ話をするノルマのように媚薬エロ回が続くのはすごい。媚薬飲んで主人公とキスして小便漏らすヒロイン、とんでもないのが出てきた。キス以上のことはしてないと思うけど性的快楽についてはバッチリ描いてる。21話、二期四話の桜は設定ミスじゃなくて異常気象、そんな回収の仕方があるかよ。最終24話、BGMまでドラゴンボールのアバンを再現するな。唐音のツンデレを越えて伝える思いの強さを描く話がドラゴンボールパロディに乗せて描かれるのは何なんだ。「悪いのは、原作者とアニメスタッフの頭だけ」それはそう。ハーレムラブコメでヒロインが増えていくと主人公の負担がすごいことになるのをそのまま主人公の異常な彼氏力でまかなっていたのが最後の最後の彼女への愛を全部言っていく壮絶な最後。長文過ぎる恋太郎のセリフ、早送り無しで聞いてたらすごいだろうな。ラブコメでもあり異様なギャグ漫画でもある原作をよくこうまで映像化できたな、というアニメで、この後ドンドン数の暴力が物理的制約とせめぎ合う感じになっていくのはアニメ化できるのかどうか。三期が決まっている。

チ。-地球の運動について-
去年に続いての後半クール。シリーズ通してのボスとも言える異端審問官ノヴァクとその娘ヨレンタが重要な役割を果たし、替え玉としてヨレンタが死んだということになってノヴァクが飲んだくれているなか、ヨレンタは異端解放組織を率いるようになるという皮肉な展開。途中では「倫理を失った自由はただの混沌」と、資本主義と陰謀論の現代SNSプラットフォームの話にもそのままあてはまる話をしている。本を読む意味は知識を得ることではなく、思考をめぐらせ知性を育むことにある、という話も。22話ではこのアニメ最大のちゃぶ台返し、マジかよってなる。地動説自体は教会に弾圧されていたわけではない、私的な怨恨を傭兵あがりの外注異端審問官ノヴァクにやらせていただけ、すごい。最後はだいぶダイナミックに終わらせたな。虚構から史実に。地動説を題材にした学問とは何かの話に帰結した。疑念と信念のどちらかではなく、その狭間を「疑いながら進んで、信じながら戻って」、こそが真理の探究だ、と。そして多数の人たちによる継承こそがそれを着実に進めていく。ラファウの言う、真理は作られるものになるかも知れないというフェイクニュースと好奇心の危機への危惧はアクチュアルな話。主人公がリレーしていくことに物語としての意外性と学問としての意味が込められていてなおかつ先人の批判的乗り越えという意味もある。面白いけど天文学の話としては批判があったりするのもわかるし、そして画面が暗いのはどうかと思った。

トリリオンゲーム
二クール目のOPが宮本浩次エレファントカシマシの。どういうことなんだ。蛇島、ドクターストーンのメンタリスト要素あるなあとか思ってたら締めのハルのセリフあたりノリが完全にドクターストーンだった。アメリカでギャンブルする話がドクターストーンと被ってる。この作品、アメリカでトランプ・マスクコンビがやらかしていたことを横目に見るとこの二人に擬えられなくもないハルとガクが彼らとどう違うのか不安になる。一応花屋やゲーム制作者の人情的なところに寄り添っているけれど、兆の金を稼いでどうするのか。会社の理念とか目的とかいまいち印象にないし、ハルのワガママというのが何に由来してどこに行くのかまだ伏せられてるよね。そう思っていたら25話ではハルが「ハッタリと中身、その両輪」が必要で「俺らはただ数字が欲しい。ゲスだからこそちゃんと作る」と正攻法を提示していた。ゲームをねじ曲げ全員を勝者にする、なるほどハルの善性をそこに置いているわけか。トランプのような搾取的「ディール」はしない、と。Win-Winってやつだ。色々気になるところはあったけどハッタリとムチャで回しながら説得力はそこそこにグイグイ話を引っ張っていくので、まあなんにしろ二クール楽しく見た。

わたしの幸せな結婚 二期
清霞の実家で義母との関係を描いたり、軍隊のなかで女性が生きる難しさを描いたり、美世の母への思いを抱えたラスボスと対決したりしつつの大正異能バトルラブストーリー二期。やっぱりこのアニメはリッチな絵面なのがすべてを面白くしていて良い。女性軍人篇、「友情よりも愛情の方が上だなんて私には思えません」、百合作品のセリフだよこれ。女性差別に耐える薫子の初めての女友達が、女性差別隊員に決然と反論してくれた、好きだった相手の妻という複雑な関係。父を人質にされ隊を裏切りつつ美世の人柄にほだされていく薫子の葛藤、だいぶ百合的においしい展開ではないでしょうか。小休止で宮城にいつものみんなが集まっての女子会はいいとしてそこに皇太子が女性扱いで参加してるのもすごいけど、異能を使った鏡でリモート飲み会して恋愛話をしている謎の絵面がすごすぎる。美世と清霞の関係を描ければ話が成立するので俗なもの奇態なものがドカドカぶち込まれてもいいし、多様なおじさんたちをはじめ背景美術も含めた絵のリッチさがそれを支えていて高級感すらある絵面になってるの、だいぶ力のアニメという気がする。薄刃新、失恋で現実を改変するヒロインのように、幻術で現実を書き換えようとするところに甘神さんのしらひと共通点がある。映像も綺麗で異能バトルで見せつつ大正ラブストーリーもやっていくかなりのエンタメドカ盛り作品で、だいぶ楽しい。OPの「人生逆転こんな事あっていいんですか?」の俗すぎるフレーズは忘れられない。この記事の後の方で出てくるから覚えておいて。

妖怪学校の先生はじめました!
Gファンタジー連載漫画が原作。妖怪学校に人間の先生がやってくるコメディ作品で二クールなのにビックリしたし序盤はだいぶ印象が悪かったけれども最終的にはなんだかんだ見応えも出てきて悪くなかった。最初、女性向けギャグ漫画だからか女性にするのはダメだけど男性へのハラスメントはギャグで済むという理解をしてるような作風で、その正当化のために主人公を制服大好き変態にしてるなという印象が強かった。主人公がひどい目にあえばギャグになるかのような賞罰の基準がめちゃくちゃなのが見ててイラッとする。Gファンタジーはこれでトップ張れる雑誌なのか?って。主人公萌えメインの微BLアニメだからか、OPとかだとみんなクラスメイトって顔で男女を映しながら、本篇では男子にしか興味ないって感じがちょっとアレだった。前半はそういう感じで不満の方が強かったけれども中盤くらいからだいぶ見られる話も多くなってきて、後半は良い回も増えてきた。特に終盤は妖怪ネタだから死んだ人でも救済があったり他人と関わったりできるのが、人間と妖怪を超えて生者と死者の交歓だし、終盤は人と妖怪の子をめぐって異種交流の話にもなっていて、知識が大事だという話や色んな人と出会う場としての学校を描いていたのも良かった。死者と生者、人間と妖怪の行き交う妖怪学校。ただ16話、子供が連れてる鎌鼬を攫って料理しようとする隣家のおじさんが弁髪でアイヤーと喋る記号的な中国人だったのはマジで何のためにこの差別的としか言えない描写を入れたのか謎すぎる。

ニートくノ一となぜか同棲はじめました
二クールのショートアニメ、黒井津さんのQUAD制作。「ニートくノ一」って字面を見てるとかなだかカナだか漢字だか訳がわからなくなる。ヒモのくノ一が一人暮らしの政の部屋に転がり込んできて政を襲う敵から守ったりずっとゲームしてたりニート生活を送ったりのドタバタラブコメ。17話、自尊心が欠けていた政にとってしづりを飼うことこそが欠落を埋める存在だったという逆転劇。「俺のためにニートを続けてくれないか!」、迫力あるセリフで笑う。くノ一がたくさん出ているなかで、デバガメ隣人高校生女子が一番ヤバイ人間なのはすごいよな。他人の恋愛を食う生き物。カンナと柚子の柑橘系姉妹が木野日菜小原好美なの、ちょっと掠れた質感がある声同士って感じで面白かった。21話、一目でナベシン回だと分かるモブ出てきた上に本人が声やってるのすげえ。15分アニメ二クールで半年間続いたギャグアニメ、コンスタントに楽しくやってくれてて良かった。

外れスキル《木の実マスター》~スキルの実(食べたら死ぬ)を無限に食べられるようになった件について~
木村隆一監督で構成市川十億衛門でキャラデザに大滝那佳がいて制作旭プロダクションってまんまおとなりに銀河の座組だ。キャラデザ含めて映像の感じは非常に良いんだけど、ちょっと途中疲れたところもあったな。タイトル通りの話というか、木の実で得たスキルで人生が決まる世界で幼馴染みは冒険者向きのスキルで有名になって活躍し、主人公は木の実を育てていたら間違って二つ目の木の実を食べたら実は、という。序盤、主人公ライトのところにアイラという女の子が身を寄せて一緒に暮らし始めるんだけどこの子についての描写がほとんどなしだったのは何なのか。このピザ大好きのアイラがマスコット的で良い。終盤はネクロマンシーというタブースキルの覚醒のせいで疎まれて育ったドラテナの話になってスキル社会の別側面を描きつつ、そのドラテナとヒロインレーナがタッグを組んで、主人公不在のままドラマが進んでいくのがだいぶ変則的。最終盤のエピソードで主人公が絡まないのは二期ありきの構成じゃないかと思ってたら別にそんなことはなかった。本篇も悪くないけど、本作の最大のポイントはOPアニメーション。今年一番と言うくらい見返していた映像で、楽曲もポップで良いんだけどとにかく見てて気持ちよいOPだった。サビの演出はゲーム系の広告でよく見る静止画をふわっと動かして見栄えを良くするやつっぽくて、木の実のCGや文字や図形をモーショングラフィックス的に動かす手法をベースにした作りはアニメ畑ではないスタジオだからこそ出てきたものに感じた。ディレクターコンテ演出、桂田佳孝以下のスタッフはSTEREOTYPEってスタジオで見覚えのある名前……と思ったらアリスギアアイギス八話の人形劇アニメーションを作ったところだ。コミカライズがニコニコ漫画だとちょうどアニメの最終回から続きが読めたけど、アイラがアニメの三倍はピザのことしか考えてなくてだいぶおかしかった。内心の考えはアニメには出てこなかったから。

クラスの大嫌いな女子と結婚することになった。
親の都合で結婚させられることになったというすごい導入で、この手の強制結婚スタートラブコメも古いのではないか。相思相愛だった相手とではなく許嫁と結婚することになった祖父たちが、自分たちの果たせなかった思いを孫にさせるという理由で高校生の子供に自分の決めた相手と結婚しろと迫るの、頭がおかしすぎる。ケンカップルラブコメがやりたいからと政略結婚を押しつけるのはアレだけど、まあ主人公は祖父の会社を継ぐのと引き換えというのを受け入れているし、金持ちは勝手にやってればいいのではと思わないでもない。そういう彼女お借りしますばりのアレな導入ではあったけど、思ったことを全部口に出すツンデレヒロインの怒濤の喋りとデフォルメを交えた絵のテンポの良さでグイグイ飲み込ませる勢いがすごい。ツンデレとテンプレだからこそ出せるパフォーマンスってあるんだな。そして最終盤では好きなのに嫌いと言い張るツンデレという記号的性格の欺瞞を第二ヒロインが突き続ける口論パートに迫力がある。ツンデレの甘えに踏みこんできた。最後は友情を優先して自ら敗北ヒロインの役割を全うしようとする陽鞠はなんとも少年漫画的な気もする。定型パターンをデフォルメ絵を多用しつつ高速で回しながら勢いよく話を進めて最後にツンデレという定型の欺瞞を掘り下げる構成は見応えがあった。今年この後もっとダメなラノベブコメが結構続いたので年末から見るとこれだいぶ出来は上だったなって思えた。

Sランクモンスターの《ベヒーモス》だけど、猫と間違われてエルフ娘の騎士として暮らしてます
畠中祐主人公アニメ。「一度も食事をしておらぬぅ」、この口調の畠中祐も新鮮で良い。猫にしか見えない幼体のベヒーモスに転生してエロエルフに拾われた主人公が彼女のために頑張るアニメ。清々しいほどのエロアニメでエルフは本気で猫と交配しようとするしネコ耳キャラも惚れてきてだいぶ異種ハーレムになっていくし、ズーフィリアの他にゲイカップルも出てきて、なんか懐かしいというか昔こういう「性的倒錯」「変態」として多様なキャラが出てくるタイプの漫画が時々あった感じがする。変態性を畠中祐で抑えつつ、みなドエロ衣装でバトルしつつ、エロ以外はえぐみもなく素直に楽しめる、なんか変なアニメだった。しかし皆服装がとんでもなくて、五話ではこのアニメに露出魔っていう概念があったことに驚いた。ダンジョン入ったらヒロインの方が下半身がきわどくて笑った。どの面下げて露出がどうこう言ってたんだよ。結構な異世界アニメがだらしなく女性キャラの露出度を上げているけど服はちゃんと着た方が魅力的だということを思い出して欲しいとも思っている。これは変態アニメなのでヒロインが痴女服としか言いようがない服装でもまあいいんだけど、ドライアドがちゃんと服を着込んでいるのは砂漠のオアシスのごとき良さがあった。OPは川谷絵音の提供曲でへえと思ってたらEDはなんとスローループで東山奈央安野希世乃が組んだユニット・ぽかぽかイオンの新曲でこういう捻った曲調をなんと言うか分からないけど良かった。ポストロック? あと出てくるホームタウンが完全にドゥブロヴニクだった。

全修。
MAPPAのオリジナルアニメ。アニメ制作アニメだと思ってたら違った。アニメの異世界に入り込んだアニメ監督が作画能力でアニメ世界に描いたものを具現化させて物語展開に介入する、メタ異世界アニメ。バッドエンドに終わった映画を愛好する主人公が初恋をテーマにする作品にどう向き合うか、その好きな映画の世界に入って描いていく。作画でバリバリにやっていく気概を見せていくのは良いんだけど、やっぱり全体的に釈然としない話だなとは思う。五話、初恋をテーマにしているのに初恋が分らなくて他人に聞くしかないナツコが、アニメに関しては全部自分でやる、結果的にその方が早いからというアンバランスさ。集団作業を忘却し、過去の遺産に耽溺している。一昔前の天才キャラは今や単に仕事できないやつでしかないという描写にも思える。最後、ユニオから絵が好きだと言われることが突破口になるの、今更そんな話を?みたいな気分になるけど、初恋の話と好きになったアニメで重なっているわけだし、救われたものを救うというのも王道ではある。速成で監督になったからまだ未熟な新人メンタルといえばそうか。滅びゆく物語がバッドエンドだったことへの掘り下げがなく、ハッピーエンドに全修するっていう流れがちょっと釈然としなくて、もっと劇中劇を凡作にしておけばとも思ったけどそれだと主人公の改変に抵抗する格がなくなるからダメか。

黒岩メダカに私の可愛いが通じない
マガジンのラブコメをほどよくチープにアニメ化してる感じでOPの謎ダンスが変に話題になったりもした。進化の実の監督だ。芹澤優の関西弁自信家美少女が寺の息子の禁欲スタイルを前に空回りしていくラブコメ、バカとお色気って感じでちょうど良い。ただ六話、雨のなかを走って逃げ帰るほど性的なアプローチを忌避している男子に色仕掛けで迫るのは普通に性暴力としか思えなくてどん引きしてしまった。私は誰にでも好かれると思い上がった狂人に看病だ、と家にまで上がり込まれるのはマジでホラーだろ。メダカ、水飲むためじゃなくて話すためにマスク外してるっぽいんだけど、マスクの意味理解してない人が作画してんの? 11話、観覧車のゴンドラは狭くて窓が多いのでどこを見ても顔が映る、という使い方は面白い。鏡に映る自分の顔で恋心を自覚し、かわいいとメダカに言わせたのは素の自分の表情だったというのは決まってた。ようやくだけど最終盤で作品の核心がグッと見えた。八方美人で鳴らしたモナの魅力がメダカには通じないと悪戦苦闘しつつそこで見えた素顔の自分のコロコロ変わる表情こそがメダカにドキドキを与えていたし、鏡に映る自分の顔を見ることで自覚も進む、顔と表情のドラマになってる。メダカもモナを助けたり、最後は珍しい素の笑顔を見せたりとようやくキャラの魅力が出てきたか。長いプロローグみたいで途中だれたり病人宅に押しかけるところとかでイラッときたけど、最終盤で盛り返してきた。スロースターターだなあ。二期がある。

日本へようこそエルフさん。
私の推しは悪役令嬢と同じ漫画家によるコミカライズを読んでる。アニメも漫画準拠の絵柄だな。寝ている間に異世界で冒険できる主人公一廣が冒険していた夢の世界からエルフを現世に連れてきてしまった逆異世界ものというか。25歳で一切残業しないでその良い暮らしができるのはどんなだ、というのは改めて見てみると確かに思う。なんか薄味な感じはあるけど刺々しさのない柔らかい空気が悪くない。日本にやってきたエルフのマリーが世界のすべてを新鮮に眺めることで、現実をつまらないと思い夢の異世界に耽溺していた一廣の視界を輝かせる、というラインは良いと思う。ただ正直に言えばエルフが日本の文化をわれわれが理解できるような仕方でしか楽しまないという点で異文化ものとしてはだいぶ安易で、マリーに固有の文化的背景がほとんど感じられない。あくまでも日本の良さを省みるための鏡で、エルフや異世界の文化に出会う契機が薄すぎる。この作品の食事の表現は食感ばかりが取りあげられてて作者は味にあんまり関心がないのではと疑っている。視聴者はだいたい知ってるものだから自然と補完できるんだけど。漫画読んでてそこは気にならなかったのにアニメで聞くとすごい気になった。異世界でも一廣のほうが色々知っていて、精霊術は別だけど両世界ともに一廣の知らないことをマリーが知ってるということ、あんまりなかった。恋愛においてもキスが初めて同士という念の入れようだったし。マリーが一廣に手を出されないので女性として魅力的に思われてないと悩むというだいぶ前時代的な恋愛観を持っているのはエルフ・異世界を遅れたものと見る偏見ですか? 終盤で一廣の祖父役だった西村知道の訃報を年末に知る。

どうせ恋してしまうんだ
ハーレム女王に私はなる! みたいな。なかよし連載の女性主人公を多数の男子が囲んでいるタイプの恋愛もの。山元隼一監督作品二つ目だ。成人となった漫画家志望の主人公が未来から高校生時代を回想しながらこの男子たちの誰とどんな関係になったんだよ、とミステリアスに見せる大枠があるんだけど、私の過去には青春がなかったみたいな思い込みから思い出をたどり直すなかでその頃の輝きを再認識するみたいな仕掛けもある。そして時系列は2020年の夏。「感染症」ことコロナ禍での高校生を題材にしていて、修学旅行、体育祭、花火大会、部活も引退試合もなくなってしまった水泳部員など、コロナ禍の高校生活が暗黒時代だったということが主人公の認識とも重なっている感じ。でもジムは開いてるしみんな密集してるし、感染症だけど恋は止めらんねえぜって勢いではある。男子四人全員の現在時が描かれるわけではない展開で、誰か死んでるんじゃないかという謎で引っ張っていた一期ラスト、生きとったんかワレ、って言いたくなった。輝月の生死不明を引っ張っておいてここで明らかにするのはやるなあって感じだけどじゃあ水帆が自分の青春に気づかなかったのは何だったんだ、というのは二期の内容なんだろうか。感染症の拡大期でも二人にアプローチされて充分に青春している水帆がなんで一期序盤の感じになっていたのか。しかし「水帆は俺のこと絶対好きになるから」、少女漫画はやっぱりこういう強引俺様系男子が強いんだろうか。マスク手洗い換気消毒のポスター出てるのにマスクしてる人誰もいないっていうところとか、「感染症」が舞台になってるのにその描写はだいぶ適当ではあった。

悪役令嬢転生おじさん
ツイッターで見かける人の漫画原作、亜細亜堂制作。52歳の公務員男性がゲーム世界の悪役令嬢になって、年の功で悪役令嬢が平民主人公と仲良くなってしまうコメディ。TS転生ながらおじさんなので性欲よりも目の疲れやら皮膚の脂が違うのに快適さを覚えているやら、実感ある老いの笑いを持ってくる作品。礼儀正しい熟練の公務員のおじさんの振る舞いを令嬢がやると人望を集めまくるというおじさん復権アニメ。丁寧に作ってあるしコンスタントな面白さもあるけど今ひとつ跳ねるところがない感じで公務員のように安定している。転生者がまともな大人をやるとそこまで話が面白くならない、というのはある。亜細亜堂の丁寧なアニメーションで送る上品な異世界もので全部をポジティヴに解決していく気持ちのいい話で一般受けもしそうな作品だけれど、公務員のベテランのおじさんがゲーム世界で好感度稼ぎまくる話、結構アレだよなあとも思う。あれ、文句しか言ってない気がする。OPの静止画演出は面白い。

マジック・メイカー -異世界魔法の作り方-
野口孝行キャラデザ、古賀一臣監督、スタジオディーン。主人公たちが子供でこれ途中で成長するのかなあと思ったら姉弟で結婚以上の関係になると宣言するすごいアニメでビビった。マリーの弟と結婚するつもりでいた稚気を受けとめるシオンから魔法が発現する、愛が魔法を生む話だ。異世界転生者シオンがこの世界にない魔法を見つけ出していく話が、弟を守るために鍛えてる加隈愛衣の武闘派お姉ちゃんに告白をする話になっていくとは思わなかったな。しかし一話では伏せてたからまだ良かったけど、転生だと明かされるとアラサーオタクが子供の身で恋愛話をやるのはだいぶアレな感じになる。中盤ではマリーが怠惰病なる昏睡に陥ってしまって彼女を救うために主人公たちが懸命になるんだけど、その時に現われるヒロインがまたなんか姉っぽくて話を引っ張っていて、この作品姉キャラがいないとダメらしいのに笑ってしまう。ラスト、マリーが長期の昏睡から起きて、すぐには元通り喋ったりできないという細部が良い。別れ際になって徐々に喋れるようになっていく。マリーとの関係がシオンの転生を考えるとちょっとアレだけど、なかなか悪くなかったんじゃないか。弟溺愛姉物語の行く末はちょっと気になる。

RINGING FATE
bilibili発の中国CGアニメ。時光代理人などのリ・ハオリン・李豪凌が原作監督構成脚本担当というオリジナルアニメで、この人の関わってるアニメが今年見たなかでも三つやってるその一つ。死後の世界で記憶の復活と生き返りを賭けてのパワードスーツバトルをやる作品で、死後の世界がCG、取り戻される生前の世界が実写という仕掛けがある。誰ソ彼ホテルと同じ話と言える。カートゥーン的というか主人公要の動きが始終コミカルで楽しい。三話、娘の病気のために金を盗んだ挙句に親子共々殺されてしまった贖罪として、娘だと言うことを忘れてもなおこの世界の娘に勝負を挑み師匠として成長を見届け、自身が消えても娘を生き返らせる糧となろうとする、ダメな父親の死後の話、この世界のルールも伝えつつ見応えがあった。次話で娘視点の話もあり、泣かせと話のまとまりがちゃんとあるのは良い。時光代理人二期ってえぐみしかなかったから。記憶のやりとりとともに悪人はどこまで悪人かという話にもなって来る。性善説の話で三字経の暗唱をしている要、教養アリ。しかし最終話は続き前提での終わりという感じで、この監督、陰惨な事件と引きだけは上手いなと言いたくなる。運命のリングは本性の殺し合い、タイトル回収だ。性善説性悪説が出て来ただけはあり、前世の行いの因果が報いるような感じはアジアっぽい。エデンという生来の悪が出てきて締めではなんともならんのでこれとの対決がなければならないんだけども。

この会社に好きな人がいます
会社を舞台にしたオフィスラブコメ宮本侑芽ヒロインの甘い恋人演技が聞けるのがポイントで、クセのないキャラデザでシンプルな萌えアニメとして楽しめてた。社内恋愛をしているけどそれを会社で秘密にしていて、その理由がイマイチ強くないので、こいつら会社でも恋愛を楽しむために隠してるというスパイスをかけてるだけだろって思う。二週間会ってないし「成分が足りない」に性欲だろ、とツッコミ入れたくなるんだけどこのアニメだと当然そうだし電話越しにとか言い出しててこちらの想像を超えてくる。三ツ谷の性欲モノローグ、すごい。女性の性欲を正面から描くアニメだ。女性向けオフィスラブコメで体の関係アリでのラブコメというのも、ちょいちょい性欲バリバリの場面があるのもわりと楽しかった。宇藤千春というキャラが和多田美咲で、大人のキャラやるのは珍しくてこれも良かった。

ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います
原作イラストレーターが未成年淫行問題を起こして色々大変だったアニメその一。コミカライズを読んでいたんだけれどどうにもいまいちだなって点がアニメでもそのままだったので全体的に微妙なんだけど、漫画ではジェイドがただのストーカーでずっと強引に迫ってくるのでだいぶ印象が悪かったのはかなりカットされててこれでも見やすくなってる。このストーカーが恋愛対象でどうなのかってのを自分は2021年からツイートしてて笑ってしまう。しかしなんで受付嬢がいつも一人で残業してるんだ? 受付嬢ってどこまでが仕事なんだろう、事務、経理とかも兼任してる? 現代的社会の価値観でファンタジーをやってて、その間を埋めるのを怠っている感じがある。アリナが強すぎて安定というだけではなんで受付嬢やってるのかの疑問に耐えられてないってのもあるけど、アリナを苛立たせてブチギレさせるっていう話の作りが根本的な問題ではないか。日常への帰還をテーマにしてるのはいいものの、残業に始終キレ続けて仕事も辞めない半端なスタンスは見ててずっと違和感があった。ナナヲアカリのEDも話題になってて確かに印象的だけど、抜群なのはOPだった。OP、曲も映像も大変良くて、ショウケースの服が窓に反射して外のアリナが着ているように見えるカットとか上手いですよね。空を飛んで鳥の群れと行き違うシーンも素晴らしい。ただ、この良さは本篇にはないんですけどね。

BanG Dream! Ave Mujica
MyGO篇から続いてのアヴェムジカ篇。だいぶ作風が変わってドライブ感がすごいアニメになってる。飲んだくれ親父のもとでテレアポやりながらアヴェムジカやってる、だいぶ変な面白さがあったり、悲劇ショーな悪趣味さはあんまり惹かれないんだよなと思ってたら四話で解散はとんでもねえスピード感だし二重人格モーティスの格が一話で底を打ったのはさすがに笑う。ライブ開始五分で解散、フレーズにすると面白すぎる。七話はアヴェ・マイゴ両方の源流クライシック、その解散の呪いを真に解くための一回限りの再結成を描く。アヴェムジカをクライシック解散の代替物・仮面としての存在から改めるためにはこの過程が必要だったわけだ。MyGOの物語としても忌み子としての春日影の再生で、MyGO七話の春日影とAve七話の春日影が対比されてる。11話、佐々木李子朗読劇独演会だった。絶対に会ってはいけない豊川祥子で笑いが出る。怒濤の豊川家に関する隠し子問題やらの因縁がめぐりめぐってすごい話だけど面白いか、というとなんかどうなんだ?ってなる。12話はシリーズ構成当人の登板ですべてを収めてきたのがすごかった。最終話は二クールのラストとして、対バンでもなくマイゴムジカ二つのバンドの別会場のライブを続けて映す、というのは今作らしい。ライブ場面も似ていながら違う対比的な場面を結構作ってる。MyGOは結構良かったと思うけどMujicaはどうも面白刺激で回している感じがあまり好みでなかった。展開のドライブ感はあるんだけど「良い」という感情はあまりなかった。一番ロックなのはプロジェクトからパージされたような話をぶちまけているシリーズ構成の人な可能性がある。

俺だけレベルアップな件 Season 2 -Arise from the Shadow-
話数継続の二期、一期よりだいぶ楽しめた気がする。16話、「神が俺達に与えてくれた作業員」とかいうオモシロフレーズ、作業員水篠が良い味出してる。21話はついに念願の母親の覚醒だけど、直前に回想シーンで初期の顔を映しての様変わりした今の顔を見た母親が「大人の顔になった」と言ったの、顔の変化というトンチキを一目で息子だと分かった母親の愛に転化していてなかなかすごい。その後の島で大きなアリと戦う展開、みんなハンターハンターのキメラアント篇だろって言ってるからこれを見てキメラアントってこうなのかなって思ってる。マッシュル見てハリポタってこうなのかなって思うみたいに。24話、水篠とアリを青と赤の光に象徴させて、その後の空中バトルを二色の稲光として抽象化させて描く、格好いい演出。作画を楽しむにはこれくらいの話で良い、みたいなところがある。

天久鷹央の推理カルテ
日本在住の外国人が政治に関して発言することを禁止されていると思っていた奇怪な国籍差別発言の人原作、というのは良いとしても結構微妙だった。発達障碍を示唆されている主人公の、人の心が分からないキャラ付けが原作小説では成り立っていたかも知れないけれどもアニメで見ると微妙。四話では苦悶の唸りをBGMにして推理を披露している人でなしの絵面がすごすぎた。七話ではロジックを通していると言いつつロジックを暴力として使っているような無神経さがある。人の気持ちが分からないからロジックに拠るしかないということなんだろうけど、だからといってショータイムだ!とか言い出す人間になるか? 母親が自ら悲劇のヒロインになるために子供に禁忌のグレープフルーツ果汁を混ぜていたというのもミソジニーきつくない? 会議の場でそれを明かすのも公衆の面前でやり込めたい欲が強すぎる。八話からの子供の終末期医療をめぐる話で自分より若い患者を看取った経験がないという、大人を相手にしてきた鷹央の弱点が描かれて急にまともな感覚の医療ドラマになったのは良いんだけど、それだけにこの後の話で殺人事件を楽しみ出すのがちょっと……。後々ぼっちざろっくの脚本騒動で炎上をたきつけてたけど、このアニメこそアニメ化に際してノイズを排除してもらったら良かったのにねとしか思えなかった。佐倉綾音の特別番組での人間ドック体験で色々見つかって、その後ラジオで話題になってたのは面白かった。D判定が出た余波で、全然お腹痛くないのに胃炎のことを考えてたら本当に胃炎になったのは面白すぎる。

1分間だけ触れてもいいよ
僧侶枠。しかしキャラデザが凄いな、濃い絵柄だ。この顔の濃さと体のいかつさだけで戦えるアニメだ。男女同居型シェアハウスで触っても良いルール、男性向け僧侶枠らしい直なエロでなんのこっちゃという導入だけど、絆創膏が何度も落ちかけたり掃除機に怒りマークが浮いたりするのは面白かった。佐々木純人監督なのか。家事タッチポイント、聞くたびに面白いワードだ。

どうかと思ったもの
没落予定の貴族だけど暇だったから魔法を極めてみた

ヒロインを一話で二人サクサク使い魔という実質奴隷契約していく倫理感のヤバさ、なんなんだ。話に緊張感がないままどんどん主人公が強さを得ていくという益体もない話で、しかもそのことについて批判的な契機がないので、弱い立場の人はプライドもなく積極的に主人公の従僕になろうとする淡々とした流れがヤバイ。相手の主体性がほとんどない。ヒロインたちを使い魔にしたりとか妖精を人間にしたりとかいう従属の描写があったうえで、兄がここまで徹底して臣下の口調を維持している関係の気味の悪さを見ると、支配という行為をものすごく自然に批判的意識なく描いていてかなり不気味だった。

●このクールはだいたい週に50本少々見ていた。ここに取り上げたのは40作品になる。まー多いな。アラフォー男の異世界通販一話はツァラトゥストラにあわせて主人公が過労から逃れて地方でスローライフしてて急に異世界転移したという流れが一分ちょっとでダイジェストされる展開のスピードで笑うしかなかった。すごい。2001年宇宙の旅パロ。この一話はある意味ですごかったけど後は色んな女性と関係を持つ性欲ファンタジーという感じなのがまた別の意味ですごくはあった。サラリーマンが異世界に行ったら四天王になった話、ともどもおじさん異世界ものが多かった気がするけどサラリーマン四天王はOPの歌詞のキツさが印象的だった。異修羅二期も見ていた。各キャラのエピソードは結構良い回も多かったけど、結局本戦に入る前の顔見せ段階という感じで、色んなキャラが出てきたのは分かるんだけど全体の情勢についてはサッパリ頭に入ってないので無限に新キャラが出てきてかっこよく名前を読み上げる謎のアニメだった。その格好いいナレーション土師孝也が八月に亡くなってしまい、もし三期やるとしてもあの歴史や威厳を感じさせる声がなくなってしまうのが悲しい。土師孝也と言えば威厳のあるドラゴンをよくやってたドラゴン声優として印象深いし、でこぼこ魔女のフェニックスが近年では良かった。

春クール(4-6月)

鬼人幻燈抄

作品の出来に比べた話題にならなさでは今年一番。天保年間から始まる二クールにわたる和風ファンタジーアニメで、元々はネットに投稿されていた小説が原作。江戸時代に鬼に村を襲われ鬼となった主人公が鬼狩りをしながら現代にまで生きる170年の物語。長命の存在となってしまった主人公が鬼と人との様々な関係に触れていくエピソードの出来は本年トップクラスと言えよう。第一話は鬼の血を引く妹鈴音(父が鬼)とともに家出をしていた甚太がある男に拾われて葛野という山奥の村で育つなかで、村の巫女候補の少女白雪と相思相愛の関係となっていた。しかし白雪は巫女となるため村の血を引く相手との結婚を決め、甚太もそれを受け入れたけれど、村に鬼が来襲して甚太は鬼の力に染まり、鈴音もその騒ぎのなかで鬼の本性を現わし兄を選ばなかった白雪を殺して消えてしまう。甚太は村に伝わる刀を受け継ぎ甚夜と名を変え、将来災厄をもたらす存在になると予言された鈴音を追うことになる。この一話で白雪の相手の男の方が、好意を押しとどめて巫女としての役割を全うすることを選ぶ二人をおかしいと言うのが単純な悪役ではない良い描写だと思った。二話は江戸の話となり、重蔵の養子奈津に襲い来る鬼をめぐる物語。養子が愛されているかと悩む不安が呼び寄せた鬼の話の上に、重蔵が甚夜の実の父だったというからくりが明かされて、実子と養子に対する重蔵の話にもなっていて見応えがあり、よくこれを一話に収めたなと思った。「子を見間違える親がいるものか」。障子を隔てて影だけが見えるシチュエーション、絵になるよなと思ったらこれに象徴される薄い壁を超え出る奈津の物語になっていて、その鬼に甚夜と鈴音の母の想念も重なっていた。この奈津は江戸篇のメインキャラで、おふうという女性と店主がいるそば屋が江戸篇の定番の場所となる。五話と六話で描かれる「幸福の庭」は読者人気も高いエピソードとのことで、これはとても良かった。四話で描かれた鬼に妻を殺され本当の鬼は人間だという話の後で、鬼と人とが長い時を過ごし人知れず幸福な家庭を作って生きていたという暖かい話が来て印象的だった。人が笑えないならそこは家じゃない、その信念に従って鬼と化した孤児とともにあろうとした男。彼がいたからこそ過去の幸福を見せるだけの幻影の空間から出ることができた童女がこの現世に人と鬼との家族を作って過ごしている、人と鬼との関係はこうもありうる、という。江戸篇は実の父重蔵と義理の妹奈津で始まり、この二人との悲しいエピソードで締められるけれど、幕末篇では甚夜が子供を拾ってきて父になる話が描かれる。16話、皮を剥いで娘に成り代わった天邪鬼のその逆で、怪物に成り代わって拾った娘を甚夜に引き渡した夕凪という鬼。人間が鬼の娘の親となる幸福の庭の逆で、鬼の甚夜が孤児の娘を拾うことで親子になる。風が吹かない一瞬の夕凪の海は綺麗な鏡のように澄み渡って、そうして夕凪は甚夜の記憶を映す鏡にもなる。ごく僅かな時間のあいだの幻を象徴するような夕凪という言葉は、白粉花の夕方に咲き始める夕化粧という別名も呼び寄せ、白粉花の夕化粧とともに野茉莉という別名が娘に名付けられ、夕凪の子としての意味合いも付与されている。夕方という時間、鏡、植物とを絡めて新しい登場人物のエピソードとして構成するのがやはり上手い。10話あたりで平成時点での話を絡めるテクニカルな回もあったけれど17話は特にインパクトがあった。毎回レベルの高い作劇でシリアスに鬼と人との関係を描いてきたそのテクニックで強烈なトンチキさを平然とかましてくる。幕末、人斬りとしての純度を上げる岡田貴一と、余分を抱えて生きる甚夜という対決が平成ではコンビニ店長と高校生の関係なのにはあっけにとられた。刀は人を斬るものということに向き合い純度を上げて強くなっていく岡田を前にして、同じく刀を用いつつ復讐・鬼を討つことのために生きている甚夜が娘を得て「濁った剣」と言われ、「お前が余分と呼ぶもののために戦っている」と返す対立。鬼斬りと人斬りの二人が戦乱ではない平成の世にコンビニ店長と高校生として再会して「余分ではあっても無駄ではなかった」と答えを返せる関係になるのはとても良い。19話、前半そば屋店主の最後の日が感動的。甚夜になんとか普通の生活をさせようと説く姿、自分たちの存在が甚夜の大事なものになった喜びを伝える最後の遺言を残し、望んでも叶わなかったおふうとの夫婦の姿を一目見て眠りにつく。鬼は鬼から逃れられないということを堅持するけれども、野茉莉の親として普通の人間のような表情を持つようになってきた変化が指摘され、いつでも切り捨てられるはずの寄り道が重いものになり、店主たちの存在が最終目的と肩を並べるほど価値があるものになったことの尊さ。そしてそれを裏切る鬼の襲撃によって人前で鬼に変化して知人や町人に怯えられてその場を逃げてしまう甚夜の悲しさ。全体の転機となる重要回で作画がキレてるなと思ったらエイトビットグロス回だった。20話は甚夜が逃げた先でおふうが現われ、野茉莉と三浦も追ってくる。甚夜が間違った道を選んだとしてもそれに救われた人がいる、その姿。「あなたは鬼かも知れない、だけど化け物ではなかった。甚どの、あなたは私の友人だ」、この「間違いが作った景色」が感動的。22話からは明治篇で場所を移し、甚夜はそば屋を開いてて人間関係も変わって来る。そして24話の最終回、まだ原作も全然残ってるなかでアニメの最終回を一休みと再会というテーマで締めるのがあまりにもハマっていて驚いた。それでいて、平成時代の登場人物だった薫との時を超える鏡という超常現象での約束と、一話の葛野のあの茶屋の子とも再会して約束を果たすという重ね方が見事すぎる。原作を全部できるわけではないアニメの区切りにこんなちょうど良い話が原作にあるのはおかしくないか?と圧倒された。朝顔の話は甚夜の今を探る意味において重要でも予想外ではなかったけど、鏡の出所であれこの女性がもしかして、の驚きたるや。一話の印象的な子だ。「今、幸せ?」という朝顔の二度目の問いに当然と答えられるようになった甚夜の過ごしてきた時間を想像させる。長く生きることの失うものと得るもの、長く生きればこそある再会の喜び。本当は去年放送予定が一年延期してもなお後半の作画の乱れは覆うべくもないけれども、雰囲気のある絵作りはとても良いしOPやEDにあるように花を主たるモチーフとして絵としても話のなかでも活用されるのが印象的だ。柳に見える桜の仲間として人のように見える鬼甚夜に重ねられるユキヤナギ、野茉莉と名付けられた娘、薫の別名朝顔。人と鬼の狭間にあり、長命故の出会いと別れそして再会を運命づけられた甚夜をめぐる物語、これでまだ原作の三分の一くらいのようで、是非とも続きが作られて欲しいけれども、難しそうだ。横浜アニメーションラボ制作、相浦和也監督、赤尾でこ構成、池上たろうキャラデザ。傑作ラピスリライツ以来あと一歩という感じの作品が多かった横アニがこうしてまた年間トップクラスの作品を出して来たのが感慨深い。分社化したクラウドハーツは破産したけれど。

前橋ウィッチーズ

サンライズによるオリジナルアニメ。今年どうせ恋してしまうんだの監督でもあった山本隼一監督、ぼっちざろっくや朝ドラなどで知られる吉田恵里香が全話脚本を担当している。群馬県前橋市を舞台に、五人の少女がケロッペなる怪しい生き物に誘われ、魔女見習いとしてポイントを稼いで何でも願いを叶えられる魔女になるための修行を始め、そのお店に来るお客さんの悩みと向き合いながら五人それぞれの悩みも描かれていく。アイドルアニメ的な要素もありつつ人生相談の過程で現代社会に生きる女性たちの悩みが描かれる社会派アニメ。一話はまくし立てる情報量と急に踊り出す魔女たちとともに、相談者の医者になりたいという夢を叶えるのは自分で達成してこそだから彼女の願いは応援が欲しいのではないか、という議論の帰結はかなり良かった。成績が良くても大学は地元に行け、医大より看護科に行けといわれる、女性の社会進出をめぐる直球のフェミニズムテーマを子供たちが議論して現状維持とか現実主義的主張も出てきてヒヤヒヤさせつつ良い結論を出していた。二話からのアズのエピソードでは太った相談者に「デブ」と言い放った彼女が実際には肥満で、みんなと集まる場所では魔法でスリムに見せていたというルッキズムの問題に切り込みつつ、「かわいいは正義」批判は己の尊厳を売り渡すことへの批判として「アズのかわいいはアズが決めるから」に帰結する。マイのエピソードではマイの大事な姉貴分だった人が現代的承認欲求の塊となって人を道具・数字にしか見なくなった悲しさというSNSでの承認欲求の問題と、順位・フォロワーの数値化される評価に苦しんでいた彼女を絶対的に支持する、重すぎるマイの「1」こそが彼女を支えるんだけれど、それはそれとしてマイの依存体質は残ったりする。六話では富裕な暮らしをしているキョウカには一見怠惰に見えてしまうチョコの困窮に目が行かない死角が描かれる。経済格差が真っ直ぐに描かれるし、それ故に見えないものが描かれるアニメもなかなか珍しい。そしてヤングケアラーなことが明かされたチョコに対して、他人の家族のことで話を聞くことしかできないけれど話を聞くことはできる、それが何かが変わるかも知れないし、とふわっとした話しかできないのもリアルだ。つらいときほど他人を頼れなくなるけど、しんどいと他人に言うことができるだけでも違うことはある、とささやかな応援の話になってる。そして八話、チョコはユイナに事情を打ち明けられたことで学校や家族やみんなにも助けてと言えることができるようになって、色々な制度にも繋げられて他人からの協力も得られるようになる、まっとうな困窮の描写が良い。そしてそれを見たキョウカが政治に関心を持つ、社会派だ。ヤングケアラーの制度的支援の話を踏まえて市長になると志すキャラを描くのは政治はつねに身の回りの問題と関わるということや、この社会を変えていくのは子供たちだというメッセージがあって、ものすごく真面目だ。今回はチョコの家族が誰も悪くない、だからこそその困窮は社会・政治の問題なんだと分かりやすく示しているのが偉くて、今作が社会派だというのは社会問題を題材にしただけではなく、人間ドラマでは済まないところに政治の領域があると明示し得ているからだろう。アニメ・物語の限界ということをきちんと考えた先に、リアルな社会・政治が存在することをはっきり示す。ヤングケアラー問題は脚本の吉田恵里香が自分で取材して持ってきた題材だという。八話はここに至る流れも含めて渾身のものだったんだろう。この八話あたりはネットでかなり話題になり、ツイッターでも自分の投稿がやたらRTされて明らかに話題性が激増した頃だったけど、それを受けたかのように本篇でも九話になって客入りが激増した話になったのが面白い。そしてそれが皮肉に働く九話、一話で栄子の願いを適切に判断できたユイナが今回は再度訪れた栄子に前のめりになって、話を聞き出す前に自分のやりたかったライブをやってしまうのは、アズのように人となりがわかる友達とのやりとりが楽しくてしょうがなくて、だから栄子も仲間にしたくなってるんだけどそれが落とし穴になる。仲良くなりお互い仲間への理解が深まってて、だからこそ「永遠不滅」を願ってしまうのだけれど、客対応をおろそかにした報いが大切な仲間との記憶の消滅を招くという筋書き、ちゃんとしてる。10話では記憶が消えるところまでやりきった。異世界での冒険から帰ると全部夢まぼろしだった、というタイプの物語を思い出す。思い出も写真すらもなくなってしまうしEDからも誰もいなくなり歌もなくなるという完全な消滅を描ききって圧巻だった。ここのユイナの描写、天真爛漫アニメキャラみたいな性格がリアルではハブられるやつだというの、叙述トリックかと思った。ユイナにも秘密の真相があるかと思わせて、それは全部これまでに描いててあなたがいくらか感じたことです、と来るのはすごい。裏があるのではなく全て表に出ていたわけだ。意図したかどうかはともかくこのアニメはユイナのことを嫌いだと見続けるのは難しそうだし、隠されていた最初の問いは、あなたはユイナと友達になれるかというものだったのだと思う。11話、記憶を取り戻したら魔女修行の過程ですでにもう欲しいものは手に入っているからこの店を取り戻すことが目標になるわけではないの、魔法物語の王道という感じ。最終話は一話の夢よ咲けに対して栄子がWither・枯らすことで反撃し、それに今は小さな蕾でも花を咲かせてと歌を返す。応援がその人のプレッシャーになったとしても、責任は取れない、無責任かも知れないけど相手の選択を応援する、それが一貫していた話だった。人の応援をしてきた面々が最後は自分たちのために、自分を応援するライブで締める。自分を肯定することと他人を応援すること、片方だけでは成立しないことを各話数でやってきたわけだし、最後にここに帰着するのは必然だった。現代性、社会性も意識しつつ、フィクションの限界を意識して物語として見た人を応援する気概に満ちた作品だった。アイドル・アニメ・物語という直接相手の願いを叶えることができるわけではないものは結局責任をとることはできないという自覚が常にあって、でもアイドルや物語が人を力づけることは確かにできるはずだ、という可能性を信じてもいる。物語が現実と戦う力を与える時もあれば逃避にしかならないこともある両面性を自覚した物語でもあった。「うちはまだやりたいこととか叶えたい願いとかないけど」という夢がまだないユイナが中心にあるということを最終回で強調してそれが円、空白、空洞のモチーフとして描かれている。ユイナの写真が円形に貼られて中心が空白なのはそこが夢を見る窓だからで、これは今の自分を肯定した先に見えてくるということ。ぺらぺらだとかユイナが言われているのは白紙や余白、行き先の書かれてない切符という比喩の一種なんだろう。ただ、モグタンとか福祉制度を知らなかった教師とか、ほぼ男性が出てこないラブライブみたいな描写なのにネガティヴイメージを男性にだけ持たせている作りはただ男性を出さないよりもまずいと思う。「社会」のイメージがペラくなってしまう。主題歌の作詞がつんく、社会性といいアイドル事変の後継作か?と思った。しかし、群馬県朝鮮人労働者追悼碑を撤去して歴史修正主義に加担する知事や、同県桐生市生活保護の不正事件など周囲で結構な問題が起こってもいて、前橋市はこのアニメからも問われる側にもなるな、現在の前橋市長って四期目を狙った現職を破って女性が初当選してるんだな、と当時書いていたらその女性市長が部下をラブホテルに呼んだことが露呈するとその部下に責任を転嫁するようなことしたうえ結局辞任して市長選に再出馬するという経緯をたどっている。キョウカが市長になるという目標を据えていただけに色々と皮肉だ。現実の社会にコミットするということはこういうことでもあるけど、だからといって消極的にならずにいてほしいとは思う。

アポカリプスホテル

竹本泉キャラ原案、サイゲームスピクチャー制作、ルミナスウィッチーズやプリコネで副監督だった春藤佳奈の監督によるオリジナルアニメ。構成村越繁。終末が訪れ人類がいなくなった地球の銀座でホテルを管理するホテリエロボ・ヤチヨを主人公としたSFコメディ。人類がいなくなった地球でホテルを百年守っていたロボットたちの元に、何かが訪れてくる一話完結のエピソードで見せるアニメで、一話から誰も客が訪れない状況でのドタバタを描いて好感触。動かなくなったロボの多さが寂寥感を滲ませる。二話で初披露のOP、aikoの主題歌でホールを一人だけのダンスフロアにするところからグッと人が集まってお祭り騒ぎになる展開が本篇にも重なってて良いし、ダンス作画も圧巻で本年有数のOPアニメーションだった。三話は後のレギュラーにもなる宇宙人一家が訪れ、なぜタヌキの生態をしているのかが謎だけれど寛容さを示したら「習性」を盾に横暴に振る舞った挙句とはいえ、殴打で黙らせるのは結構微妙なところだ。「エクストラミッション、お客様に手を上げるを達成」、マジかよ。いいんだ。ヤチヨ、ホテルを守ることに対しては厳格だからそこは最後の一線として超えたら容赦しないってことか。五話は宇宙人とロボだからできる長時間の経過を使って一から始めるウィスキー作りに、待つことと時間についてのテーマを描き込む。オーナーの残したウィスキーを指針として自分たちのオリジナル銘柄を製造し、継承しつつも変化し続けていく時間の蓄積としての琥珀色。七話、心も脳みそもなく、生きていないからこそ重量制限がシビアなロケットに乗って宇宙へ行くのに生物よりも適しているけれども、そうして宇宙へ行って地球の美しさを見て心を感じた瞬間に、迷子になったロボットへ自爆が推奨される。生命と機械、二律背反のテーマが抉ってくる。コンテ佐伯昭志スト魔女二期六話の「空より高く」を思い出すような、そうでもないような。九話、ホテルといえば式の場所だった。流れていく時間を特別なものに出来れば心に留めておけるという通りのポン子の結婚式と祖母ムジナの葬式を同時開催するという荒技。結婚式入場曲と読経が同時に鳴っている! そうそう見ない泣き笑いの式を描いて大インパクトの一話だった。星を捨てるときに「当たり前は全て捨てなければならなかった」とムジナが言ったように、人間がいなくなったこの星で人間の当たり前も超えて、タヌキの一族の地球でのあり方の一つの現われと言える独創的な式を創作する有り様は非常に面白い。10話、それで終わるのかよ!というアンモラルサスペンスコメディミステリですごかった。宿泊客の殺人事件が迷宮入りして即隠蔽に走るヤチヨが隠蔽を完遂してて笑う。このアニメ二連続で死体ギャグをやったけど今回の非人間たちのコメディスタイルの方が噛み合ってるな。死体隠しのサスペンスで引っ張りつつ勘違いやギャグ、子供で話をサクサクと進めて行く映画的な楽しさ。ホテルのためならば事故死の隠蔽も厭わない、ヤチヨらしい無法ぶりだった。そしてラスト前の11話は秀逸なポストアポカリプスの叙景詩。ほとんどの時間セリフのない映像だけで見せる圧巻の背景美術回。人間の遺物、ヤチヨたちのしてきたこと、そして豊かに息づく動物たちという生命と時間を絵にして見せる。派手なことは何もないのにじんわりと感動的。色々なものを見て帰ってきて、「生きている感じがしました」とヤチヨが返答するのも良かった。故障パーツを探し出して延命?してる以外にも世界の存在、さまざまな動物たちの命、また壊れたロボへ礼をするなどして生死を見つめる。数百年を経てきたこれまでのことを振り返るのは最終盤でしかできないし、前回のスラップスティックから一転、ここまでセリフを削って描写で示す回ができる作風の多彩さ。最終話、銀河楼10則が12則になっていたように地球人類が不在の間に銀河楼は人間のためのホテルから地球外生命体のためのホテルになり、そして人類も永年の宇宙船生活で地球人から宇宙人へと変化した、時間のドラマ。人類が来ても地球外生命体と同じくらいしかヤチヨが嬉しくないのは人類もその数百年にわたる宇宙船生活で変貌し、地球外生命体になったからかなと思ったらポン子がヤチヨは地球外生命体を人類と同じくらい喜んでいるからだ、と言い換えているのは解釈が前向きで良かった。「あなたはあたしの愛しい人ではもうありません」、OPの印象的な一節はこうしてあなただけが愛しい人ではなくなった、という意味に解せばいいだろうか。人間の従僕として主人の帰りを待っていたホテリエロボが、地球というホテルの管理人になる独立の物語。しかしOPの短縮バージョンが恒常化するパターンはさすがにこれくらいでは? あとタグのAPO hotel歴史修正主義煽動会社アパホテルもじってる感じなのはちょっと気になるポイント。非常に良いアニメだった。一話、二話、あとウィスキー回やロケット回、葬儀結婚式回、死体隠蔽回、休日回、あたりが印象的か。一話選ぶなら11話。

小市民シリーズ

去年に続いての第二シーズンでは秋期と冬期、完結までを映像化した。春夏は10話、秋冬は12話という配分なんだけれど、秋冬の原作小説って春夏に比べて倍の分量があるのでどうするんだと思ったらどうにかなっててすごかった。アニメが始まる前に原作小説を本篇全部10年ぶりとかに再読してから完結篇の冬期を読んで、それも感慨深かったけれどもアニメもクオリティが高く映像も声優もかなり印象的でそれぞれに良かった。二期開幕の11話、足を洗う水のイメージが感じられた春夏から、放火という火のイメージへ。連続放火事件が発生し新聞部が功績のために事件を追うなかで一期ラスト夏の終わりに関係を解消した小鳩くんと小佐内さんは、それぞれが別の人間と交際を始めている。そんななかで放火事件について小佐内さんが怪しい、となるのはすごい。アニメだと小佐内さんの魔王っぽさに磨きが掛かってるし、13話「小佐内さんならやるかもしれない、と思うよね?」「小佐内さんが火をつけて回っている可能性があるのにじっとしてはいられないよ」、やっぱすごいよこのセリフ。小佐内さんの魔王的な怖ろしさが演出された14話を継いで今度は小鳩くんの、知恵働きは嬉しそうにやるけど相手の心情には何の関心もなく、貼りついたような非人間的な笑顔の怖ろしさが演出される15話。このシリーズ、主人公二人が一番、理解不能なホラー演出で縁取られていて、ミステリアニメとしても青春アニメとしても著しくおかしくてスリリング。そして16話、瓜野くんの甘さをゆっくりと致命的に問い糾していく小佐内さんから放たれる魔性の声で展開されていくところの凄み。「あげく、自信たっぷりに私を犯人だなんていうんだもの(笑)」。プライドを粉砕するにあまりある。羊宮妃那のこの演技は今作でも突出したインパクトがありアニメ化した意義の一つだろう。17話、あっさりと放火犯を明かして、後半でもっとも謎めいた動きを取っていた小佐内さんの謎を解き明かす、デートという体裁の犯人と探偵の一騎打ち。小佐内さんの行動という秋期最大の謎は、瓜野が「わたしに、勝手にキスしようとしたの」という動機だったと明かされる。「さすがに瓜野が気の毒だよ」、これはみんな思ってる気がする。小佐内さんは人に弱みを見せないけれども夏期で恐怖について言葉にしていて、怯えないわけではない。勝手にキスしようとしたのは性暴力なわけで、強引な行為へのその恐怖が男性に理解されうるのかという問いだとも言える。童顔で小柄な少女として、対等に見られず舐められることを嫌う小佐内さんにとって、さらに踏み込んで強引にキスしようとした行為が逆鱗に触れるのは想像に難くない。だからこそ瓜野くんは男性性を根底から挫かれる。二人は再び関係を結ぶなかで、小佐内さんの小鳩くんよりもっと良い人と出会えるはずで「私にとってはあなたが次善」というセリフ、事実上・現実的にはあなたがベストだと言ってるわけで、面倒くさい告白になっていて、小鳩くんはそれを遮ってとりあえずと言いつつ小佐内さんが良い、と告白し返す。瓜野くんが一言で済ませたことを自分たちはどれだけ言葉を重ねなければならないのか、という自嘲。結局足を洗うことはできずに二人で一緒に川の水に浸かっているイメージ映像が、一期から続くアニメの映像演出の応答になっている。18話からは冬期完結篇に突入する。小鳩くんが交通事故に遭って入院するなかで、現在時の事故と、二人の出会いのきっかけになった同じ場所での別の事故が想起され、二つの事件が平行して始まりと終わりに向けて動き出す。知恵働きがやりたくて人の触れられたくないプライバシーに土足で踏み込んでしまう小鳩くんの失敗と、人に隠れて謀を行なう策謀家小佐内さんは自分ではなく盾にした別人を狙われるという後悔。犯人と対峙する21話の息詰まるスリリングさはすごかった。ミステリものでこの緊張感を出せるアニメが他にあったっけ。ラス前まで会えなかった二人が対面して、「たい焼きなんてどうでもいい」からの生きてて良かった、と声だけで小鳩くんだけでなくこちらも泣かせる演技。小鳩くんが目を覚まさなかった時に小佐内さんが覚えた不安の表現、これは声優の演技に託したんだろう。最終回22話、人は色々な失敗、挫折を経ながらそれでも生きていくということを、人の死を願った犯人以外の三人が相手に対して「会えて良かった」「生きてて良かった」と伝えることが繰り返される、人の死なないミステリならではの生への祝福で閉じられることに感動してしまう。「日坂くん、生きてて良かった」という心からの言葉。原作は読んでいたのにアニメで見たらここが非常に迫ってきた。日坂が飛び降り自殺を試みたことを知って生死不明の状態を味わい続けた小鳩くんの不安は、前話で描かれ今回も報いの理由として挙げた、生死不明の小鳩くんに対して小佐内さんが感じたことでもある。探偵の傲慢さという失敗、挫折を責める言葉として響いた「報い」が、事件の結末を経て、小佐内さんによって私と共に生きよ、という誘いの約束として読み換えることでシリーズが締められるのは非常に爽やかで良かった。治ったら四季の限定メニューを全部もう一度行きたいという小鳩くん、小佐内さんとの日々をシンプルに肯定していて、それだからこそ小佐内さんも京都に彼を手招く迷路を作ることになる。原作を読んだ時から小佐内さんは素敵なヒロインだと言っていたけど、アニメになって妖しい声が付いてよりすごくなったと思う。映像も始終クオリティが高くて、既読でも非常なスリリングさを味わえる作品になっていた。いやー、良いアニメでしたね。EDの映像はパソコン音楽クラブのreiji no machiのMV風だなあと思って、いやかなりまんまだぞと調べたら田島太雄で同じ人だった。今更気づいたか。

日々は過ぎれど飯うまし

のんのんびより川面真也監督(春水融と共同)とその原作者あっとによるキャラ原案のPAワークスオリジナルアニメ。川面監督はのんのん三期以来の監督作だ。のんのん作者がストーリー原案に漫画ネーム制作までやってるので話の味わいはかなりのんのんびより。大学生女子五人、食べることを題材にした女子日常ものアニメ。都立大学がモデルになっていて、ここは知人が通っていて何度か行ったことがあるので見慣れた景色なのが感慨深い。幼馴染みと大学で再会し、ダミーサークルを作って居場所が欲しかったメンツに料理好きの主人公が合流して食文化研究部というサークルとして廃部にされないための活動を行なうという話。三話くらいになると夏海っぽさがすごいムードメーカーしのん、引率の先生のようなくれあ、マイペースつつじ、食のことになると目つきが変わって変人度ではひけをとらないまこ、とキャラの個性も見えてきて、全員の食事場面も落ち着いていて過度なリアクションを取らないのは良い。ウクレレを弾けるつつじ、料理場面に音楽を提供する役。メンバーに吟遊詩人がいる日常ものとは珍しい。まこの声に覚えがあるなと思ったら嶋野花、ささこいのひまりだった。加隈愛衣のフラットな感じの役に、青山吉能の元気な役、あとつつじ役乾夏寧はアニメのメインは初めてなんだな。四話からの内気だけど服装だけ明るいタイプに変えて中身が変わらないなな、会沢紗弥の内気キャラだ。七話は良かった。のんのんと違って各人の関係の深さに濃淡があって、幼馴染みの内輪ネタに疎外感を覚えたくれあを気遣って自分も中学で友達と離れた経験を語って励ますまこの二人で名前呼びになる。二人にとって間違いなく思い出になる時間ができたこと。くれあのドライブ回で過去と今を対比しているのもそうだし、小中高でどの時点の知り合いかで関係の違いを出して来たのもそうだし、幼馴染み同士の昔話のような思い出が今できていて将来この話をするんだろうなという予感を出して、タイトル通り時間の経過を常に意識している作品だ。で、食べ物っていう毎回食べて消えてしまうものが日常の象徴になってる。思い出話としてしか残らないものなわけで。10話は、部員たちがまこと・しのんの里帰りに同行する。二人が小学校の友達と再会することで、大学での「今」の話が人に話せる思い出になっていて、中高とそれがなかったまこにとって今この場所が大切なものだと実感する話になっていた。時間を経なくても横の関係で話題が出来る。最終回、クリスマスはやったし年末は一人暮らし勢は実家に帰るのかなと思ったらそんなことはなかった。五人で年越し蕎麦を食べて初詣して、初日の出を背に写真を撮って、これまでの活動を刻んだ写真を一つ増やしてコルクボードに留める、一年を描く綺麗な最終回だった。新入部員歓迎の張り紙で新学期を迎えたところで締め、ここで終わっても続きができてもちょうどいい区切りって感じだ。EDや写真で描かれたのはアイデアがあっても尺に入らなくて没になったエピソードとかなんだろうな。ポチ回しのん着せ替え回はあって欲しかった。これで新入生が出来た時の関係も見てみたいね。食事と思い出をテーマにした安定度の高い日常もので、車もあるし深夜に出歩いたり学生ならではの自由な空気があった。これで先輩や酒があると全然違ってくるから、この時期だけの空気でもあるんだろう。派手な刺激には欠けるとも思うけどしみじみとした良さがある。三話くらいの時にコミカライズは細部が色々違うなと読んでたら、しのんの部屋でパスタを作るくだりは漫画にしかない。つつじがひつじフードで食堂で寝るところは漫画にしかないし、モチを食べて解説はアニメしかない。漫画にしかないところとアニメにしかないところ、両方ある。コミカライズで続きが描かれるらしい。ED曲、冒頭が歩いて帰ろうっぽいのでいつも思い出す。

アン・シャーリー

赤毛のアンの新規アニメ化作品。昔のは知らない。川又浩監督、高橋ナツコ構成、土屋堅一キャラデザ。アンサー・スタジオという制作会社は神之塔二期を担当していたところで、他にしまじろうの劇場版アニメとかをよく作っているところらしい。二クールを掛けて赤毛のアンの第三作までの映像化とのことで幼少期からアンの結婚までを描くシリーズとなった。実は全然話を知らなくて原作は読もうと思って一巻だけ買ってあったところ。アンは井上ほの花、ダイアナは宮本侑芽、ギルバートは宮瀬尚也。一話、アンがマシュウと意気投合しマリラに認められ家を手に入れる、世界的名作だけあってかなり良かった。一人のお喋り・想像好きの少女が周囲の人々の見慣れたものにある美しさを見直させる契機となる。両親を失い、孤児として育って絶望の底を見てきたアンにとって、己の内には悲しみがあり話す価値はないと言うけれど、外の世界の美しさを見いだすことにかけては天才的な想像力がある。フィクションや想像力の意味・価値とは何かの話にも思えた。OPがないアニメなのかと思ってたら三話にしてOP、山田尚子コンテ演出、冒頭の足がなるほどそうね、となる。EDも山田尚子と小島崇史だ。学校でアンはギルバートのいたずらを分かってて無視したのかと思ったら想像に夢中で気づいてないのね。3カメでギルバート殴打は笑う。ギルバートが殴られて何かに目覚めたみたいな感じになってるぞ、と思ったら後々マジでそうだったのはビックリだった。これのせいで二人の関係が後々あとを引く敵意と愛情の絡まりの原因になる。ダイアナとの腹心の友としての強い友情を育み、八話の「赤い髪のアンシャーリーで大満足だわ」、良い締めだった。赤毛にコンプレックスを持つ孤児の少女が男児と間違われて引き取られた家で成長してさまざまな失敗を乗り越えながら想像力と言語能力を育てて「詩に対する深い理解と美しい声」を大舞台で賞賛され自分自身を肯定できるようになる、この上ないラスト。一番にアンを支持してくれたマシュウの死を経てのマリラのためにグリーンゲイブルズに住むことを選ぶアン、グリーンゲイブルズのアンという一巻の原題を回収する10話。ここまでが一巻かな。11話からは村の改善会の活動を通して世界を広げていき、「私は人生を美しいものにしたいの」というアンは心に働きかける文学、想像力の象徴でもあり実践者でもあり、そして医者を目指すギルバートは体に働きかける、そういう二人になっている。教師生活を始めているアンが出会う子供たちには親のない子もいて、教師として自分の似姿にも出会っている。マリラが双子を引き取り、その悪戯小僧ぶりにはアンの若い頃のことを思い出させるものがある。ラヴェンダー・ルイス、些細な言い争いから仲直り出来ない高慢さゆえの自業自得で数十年にわたり思い人と別れ、老いて結婚を果たす、これはアンとギルバートの似姿でもある。アンのアヴォンリー社会での生活を描いたこの原作二巻のエピソードは15話で終わりっぽくてだいぶ短くなってるな。16話からは以前に諦めた大学進学でプリンスエドワード島を離れての生活になり、ギルバートとの関係がいよいよ大詰め。ギルバートはかなり前から好意を露わにしているのにアンがそれを拒否してずっとギルバートに都合の良い友達でいろ、と言っているのはどうかと思うな。18話、アンの生家を訪ねることで母の形見を見いだし、「今日は私の生涯で一番美しい日になったわ。父と母を発見したんですもの」という人生の一場面が良かった。19話、小説を書き続けることと生き続けること、死に行くなかで真実味のある安らぎを求めること、文学と生の絡まりのようだ。ルビーの死期が迫り、死に対して人はどう抵抗できるのかという話のなかで、想像力の問題が浮上してくる。ハリソンはアンに対して作り話を本当だと読者に信じ込ませるための「真実味が欠けている」と指摘する。同様にルビーもアンの説く天国について「例のあなたのただの想像に過ぎない」と言う。アンの言葉には死に行く友の心を安らげられるような真実味が欠けている。20話では「あなたには目の前にある愛が見えていないの。本物の愛が。あなたは愛だと思うものを自分で作り出して、それを本物の愛だと思い込んでいるだけなのよ」とアンの想像する「私の世界」が現実を見えなくしているという想像力の弊害の話をしている。最終話、憧れの王子様のようなロイからプロポーズされたことで始めて自分がロイを愛していないことに気づくという悪女ぶりはひどくて笑ってしまう。夢想家アンの願望としてのロイとの関係から、現実でもっとも大事なギルバートの存在へと気がつく。しかし、「君が僕の頭に石版を叩きつけたあの日から、ずっと君を愛し続けていた」、ギルバートくんそれはちょっとどうかと思うよ。未知だった本作、序盤はこういう作品かという感じで想像力・文学の意味について描かれるところも面白いけど、後半の恋愛パートはアンの無自覚さに振り回されててそこまでって感じなので過去作が一巻をずっとやったというのはそういうことかな、と思った。100年前の想像力豊かでお喋りな孤児の少女の成長を描いた面白い作品だったのは確か。原作一巻は持ってるからまあそのうち読むつもり。

mono

ゆるキャン原作者の別作品が原作。特に二期までのゆるキャンアニメが原作のパースのこだわり、カメラ的な趣向を全部捨ててたからか、今作一巻試し読みの巻頭部分ですら怒濤の如くこの作品はこうだと主張するところに迫力があるし、アニメの放送前プロモーションでも変態カメラ画面をやるぞと意気込みを見せていた。ヤマノススメのアニメスタッフが独立して作ったというスタジオ・ソワネによる初の元請け作品。愛敬亮太監督、米内山陽子構成、宮原拓也キャラデザ。アニメ一話は全方位カメラの撮像をアニメで再現するのが怖すぎる。カメラが題材の話なだけに構図やらが凝っててよく動くしだいぶ力が入ってる。愛する先輩しか撮ってこなかったさつきが、新しいカメラをきっかけに猫の視界、日没、夜景と世界を広げていく良い導入だった。カメラで撮る人を撮ってた人をカメラ漫画の題材にするという見ることのメタを重ねていく仕掛け。二話でのEDでは360度カメラの撮像なんてアニメで表現するものじゃない気がするけどこの作家の原作を映像化するならやらないわけにはいかないというえげつない映像だった。バイク、カメラそれぞれで世界が広がっていく話。写真部のさつきとアン、映画部の桜子が部員減少のため合体してシネフォト部となり、駄菓子屋に住んでる漫画家の春乃とその友人華子の大人組、この五人を概ねメインとしていく。三話はなんとゆるキャン聖地巡礼回で、カメラを題材にした話でゆるキャンの舞台を別の視点・「カメラ」で撮るというアクロバットかましてきた。作品に出てきた現物と現実には主人公の家はないという虚実のあわいを虚構で描くというギミックが面白い。更地になってるところだったりするのは実際に住んでいる家をモデルにすると迷惑になるから妥当な配慮だ。ゆるキャンという表、monoという裏、それぞれの視点があってそれが最後に眺めに圧倒されるところで合流するのはゆるキャンでもソロ旅同士が交錯することと通底していて、別のルートをたどる別作品同士でもそれが行なわれていることに強い作家性を感じる。五話は普通の場面でも構図や仕草のレベルが高いのにリフトで全方位カメラのアニメーションがすごい。気まぐれな展開でそこまでカメラが主軸でもなかったりするけれども、映像演出を凝ることで原作以上に「カメラ」を意識させる作品にするぜという気概を感じる。八話の降って湧いたような桜子のスケボーの才能で乗鞍ダウンヒルでアクションカムを使ってのスケボー場面の作画もすごいし10話の戸隠忍者屋敷は画角も凝っててキャラの動きもグリグリの遊んでる映像になってて良かった。攻めたアングルの映像のなかに本当に傾いている部屋が出てくるビックリ感。11話の気温39℃の甲府でのかき氷食べ歩きツアーでは、夏の終わりに時間経過を記録するタイムラプスを撮って映画を撮ろうと思うシネフォト部三人が描かれ、ペン先の接写から始まり広角レンズでのレイアウトやらタイムラプスやらのカメラ技法とともに夏の終わりを描いていて良い。ただ、途中から漫画家回の楽屋ネタ感とかが増えてくると場当たり的な展開が多くてキャラのドラマを半ば放棄してるような感触が強くなる。今作にホラーとか嘘やネタ展開とかがよくあるのは旅程を「盛る」ためだと思うんだけど、その盛ってますよって雰囲気があんまり面白くない時があるのもあって、こんな話をなぜこんなパワフルに映像化しているのか、という気分になる時もある。そこでの最終回12話では、こうまとめ上げてこられると微妙だったところも含めて彼女たちの日常だったと大切な一枚になって刻まれていて、いや、なかなかズルい。終わり方が良かったらそれまでの全部がよく見えてくる最終回だ。編集も手間だしPOVホラーってことにして映研の幽霊部員に協力してもらってホラー映画を撮ろうとしたら撮影中に失踪、という虚構が現実に反転するメタホラーな展開も、撮ってるつもりが撮られていたというものだし、最後に牧ノ原先輩がカメラを介して再会するのは距離を越える意味も感じる。カメラとホラーは相性がいい、か。カメラとネットがあることで遠い距離を繋ぐことができる。あと全方位カメラの特徴は撮影者も撮影されるというところにあるようで、ここに撮る・撮られるの図式が崩れる契機がある。最後に牧ノ原先輩と再会して撮った写真を見てもらうことで、先輩なしでの日々の記録を刻んで時間を重ねてきたという報告ができて終わるというのは良いラストだった。あんまりカメラメインで動いてる感じじゃなくても色々な素材をそうまとめればそうなる感。つまりそれが編集。コンテ山本裕介ヤマノススメなのよ。しかしこのアニメ、メインキャラが驚異の太眉率80%ですごい。

一瞬で治療していたのに役立たずと追放された天才治癒師、闇ヒーラーとして楽しく生きる

Ordetの制作が独立して作ったマカリアというスタジオが元請けとして制作した今期二作のうちの一つ。もう一つはざつ旅。吉崎譲監督はその設立者で社長。タイトル通りの追放された後に天才的な資質を持つ人間が楽しくやるしハーレム的にヒロインがたくさんまわりにいる、というタイプの話だけれど、主人公がヒーラーなだけに善性が強いのと、常に小ボケとツッコミを忘れない軽妙さが良かった。一話はまず最初にヒロイン全員の顔見せでAパートを終え、後半で闇ヒーラーの闇ぶりつつの善人キャラを描いてちょっと色っぽい展開を入れる、作風を完全要約してみせた一話だった。二話は一話でヒロイン全員登場日常回やったのはキャラが出揃うまで時間が掛かるからなのとか思ってたから、一人以外みんな出てくる爆速展開しててめちゃくちゃ面白かった。これ一話でも全然良かっただろ。追放された時の手切れ金で死にかけた奴隷少女を奴隷商から買って治療し、その少女リリが主人公ゼノスと一緒に貧民街で診療所を営んでいる。そこに貧民街の三種族の長の女性たちが押しかけてくるようになり、さらに診療所にレイス・死霊のキャラがいる。四話はかなり面白くて、貴族の人身売買疑惑を暴く過程が全カットされたのかというくらいにあっさりバレるのに、クリシュナとのトンチキ会話やリリとの場面は充分に時間を取るし、その人身売買貴族を低出力の銃で撃つと服が全部脱げてくるくる回って吹っ飛ぶ場面が面白すぎて笑いが止まらなかった。敵役をギャグっぽく吹っ飛ばしてオチをつけた。クリシュナが地下牢に普通に来れたのも貴族が単身突っこんできたのも主人公たちがすぐ来たのも全部おかしかった……。六話の追放したやつとの対決は作品の性格が出るところで、ヒーラーだからこその使命と技能を生かしつつ、でも反撃はちゃんとやって、それを全体にギャグで落とすバランス感はこの手のものではいい落とし所。七話からは第二部という感じで王立治療院での依頼を果たすために潜入する任務が始まる。そこで出会ったクレソンという男性キャラがなかなか良くて、ゼノスの舎弟みたいについてくるような一見軽薄に見えて強敵に立ち向かう度胸はあるし、調子乗りだけどそれ以上に真面目なところもある。その友人のウミンも治癒から出世欲へと動機が変わってしまった彼に冷たい態度を取りつつ心配して見守っていて、後半の重要なサブキャラだ。ウミン役の遠野ひかるはほわほわしたキャラではなく八奈見さんとかとも違う感じで面白い。ラストでは命の選別を主張する敵役ゴルドラン副院長に対して、落ちたコインは全部拾うというゼノスの対決になる。ゼノスはチートレベルの治癒能力があるわけでそりゃお前なら全部拾うことはできるだろうけど、だからこそその理念・理想に近づこうとする凡人クレソンが後半での主人公なわけですよね。無双主人公だけれどもそれがヒーラーなので敵も味方も救うという落としどころに持って行けるのが良かった。このアニメは毎回ED映像が違っていて、各ヒロインの本篇外での風景などを入れてるんだけれど、10話ではクレソンバージョンも用意されていたのが良すぎた。最終回ED、曲の「目が合っちゃダメな君と二人目が合っちゃダメ」で牢屋に入るゴルドランと中盤の全裸回転マンで目を合わせるのにメチャクチャ笑ってしまった。すげえ。でもこれ本当の歌詞は「目立っちゃだめな君とふたり願っちゃだめ?」だった。絵の印象で歌詞すら違った風に聞かせる魔法のような一瞬だった。

阿波連さんははかれない season2

三年ぶりの二期。製作bilibiliで中国資本の力でできた二期なのかな。玉那覇さんという新キャラを加え、彼女の友達との距離感の悩みを描きつつの二期、かなり長い原作の最終回までやりきっていてすごかった。間の話をかなり飛ばしてると思うけどそれでもウェブで更新される原作を読んでた時の一回一回の驚きの展開を一気に見せてくれたのもありがたい。妄想癖のライドウくんはじめギャグ展開も強いんだけど、青春ものとしての力もかなりのものがあって、そのパワーで圧倒されてしまう。玉那覇さんまわりでは、一歩踏み込んでお互いに迷惑を許し合えないと仲良くなれないんじゃないかな、とれんくんが玉那覇さんを相手に相談をすることで自分の悩みに自分で解答を出してるのがすごいし、それを相手のおかげだと言える人間性の高さが半端ない。四話では筐体アイドルゲームから阿波連シスターズ(弟含む)の短いけどやたら力が入ってるライブパートが出てきた。CGライブパート作ったのかよ、と思ったけどフェリックスフィルムってイニDやMFゴーストとか元々CGに強いところだったね。しかし八話のライドウくんと阿波連さん、お互いのプレゼントが自分の等身大人形なのが異常すぎるし二人とも同じ誕生日なのがすごいし全部異常ですごすぎる。ライドウくんが実質三人いるの笑うし、ライドウ自室に自分と阿波連さん二人の等身大人形があるの、もうずっとおかしい。部屋を映すだけでギャグになるの、発明すぎる。九話は「人に上手く頼ってこそ一人前だ」という先生サイドの話と「自分の夢を人に託さないで。自分の夢は自分のものだ」の大城さんの進路の話が組み合わされていて、自分と他人の境界の話にもなってて良い。大城さんの美容師志望のきっかけが阿波連さんとのやりとりだったという話をしつつ、それはそれとして格闘技もやめないのは、自分の夢は自分のものだから捨ててないわけだ。10話後半、石川の「普通って難しいよね」と自身のセクシャリティを匂わせてからの告白拒否で、でも「これからも普通でいてくれる?」という佐藤の頼みを受け止めるやりとりの良さ、今作の繊細さの一例だ。11話の文化祭、美術が得意で何でも出来る阿波連さんと何もできないライドウくんって、ライドウくんあの雑学の詳しさで何もできないなんてことないだろ。進路に悩む人、文化祭準備が楽しすぎて終わらないでと泣いてる人、普通の難しさを知る二人の夜の学校、青春してる。阿波連さんの美術展示、阿波連さんとライドウくんの等身大人形に巨大ハンドスピナー、これそんな普通にすげえって感じで見れるものじゃない異常景色だ。友達との記録映像、俺達がここにいたことは確かなことだから、と良い話と狂気の映像が同居していてすごい。最終回は祖母となった阿波連さんという衝撃の導入から読者を振り回しまくって第一話の阿波連さん側の心理を描いてくる豪腕でまとまりの良いオチはすごい。未来阿波連さんの見た目が変わらなさすぎておばあちゃんらしいのが見てて全然飲み込めないの笑う。「想像できることは、実現できることだ」、ライドウくんの妄想癖が小説家を経て月旅行にも行くし、地球ともっとも遠い距離から最後に近すぎる二人の距離に帰着する測れなさ。阿波連ライドウが結婚の約束をしてそのために色々やってそこにたどり着いたのと別に、恋愛関係にはならないけどずっと一緒に過ごしてきたら人生で一番大事な人になった、だから結婚するという石川佐藤が対置されていてここも良かった。阿波連さんライドウくんの距離が現実に遠く離れていても一話の近すぎじゃね?の距離と変わらないんだみたいな洒落たラストだけど、それはそれとして異様に博識な妄想が本当に多芸だと回収されるのはビビる。この最終盤のぶん回しぶりをアニメでもやってケリをつけるのは見事だった。ラジオ最終回を聴いてたらその話が出てて思い出したけど、原作漫画ってずっと黒枠で描かれてるのがラスト近辺でアニメ最終回あたりの未来時が現在だったという回収を決めてマジで?ってなった、はず。個々のギャグのキレはもちろん、配慮のある描写もギャグにする上手さや全体の構成もあって、やはり非常に良い、原作もアニメも。アニメ化してない話数でもう一、二クールかくらいは出来るような気もする。ホリミヤみたいに。

忍者と殺し屋のふたりぐらし

ネットで日記漫画が有名だった人(だよね?)が始めた漫画が原作。原作を読んでる。殺し屋と抜け忍なのでちゃんと人を殺す倫理感がおかしいコメディ。シャフトが自由度の高さで原作を選んだような気がしないでもない。OPが佐伯昭志だ。木の実マスターのアイラ、monoのさつき、そして今作のさとこ役三川華月は今年急激に主演が増えた。里を抜け出して抜け忍となったさとこと、殺し屋稼業を営む高校生このはが出会い、さとこはものを葉っぱにする能力があるため死体隠蔽に使えるとのことで二人一緒に暮らして殺人稼業に従事しつつ、命を狙う里の忍者を日々迎え撃って殺している、という殺伐とした世界での美少女百合コメディ。めちゃくちゃひどい話のように見えるね。間違ってない。その陰惨さを楽しむような悪趣味な話ではある。レズビアンカップルも出てくるかなり百合度の高い作品でもある。三話でさとこは同級生の父親を手に掛けていて人一人が死んだところで世界は回っていく寂しい演出。面接で落ちまくって仕事がないという話とともにひんやりとする回だった。氷河期世代の感覚の話だったのかも知れない。死体だった葉っぱで焼いた芋、普通の人にも喰わせているのがひどい。五話はかなりキレがある回だった。機械のロボ子、ロボと人間の区別が付かないこのは、無機物をあっさりと葉っぱに変えてしまうさとこ、「人の心がない」をロボ子含めた三人で三度捻って人の心を浮き彫りにする。親しい人を失うつらさを味わったけど殺し屋なのでさらっとしていて、それでも味噌汁にロボ子の存在を感じるラスト。それをシャフト演出のオンパレードで描いて今作の最大出力回かも知れない。六話、異常サイズに胸を大きくしたさとこの映像的演出と殺し屋稼業を平然と続ける様を描きながら、さとこの健気な頑張りにロボ子の面影を見て、このはの喪失感が埋められる可能性に態度を軟化させるドラマが展開されるのが奇妙な感触で何だコレってなる。ロボ子はさとこのコピーのはずだけど成長速度が早いので、このはが感じた違いは時間的に解決されるかも、というのが悲しみが癒やされるのは時間が経つのを待つしかない、みたいな話と一致してるのが、なんだそのテクニカルさは、と思わないでもない。七話、さとこがSNS漬けになってこのはの写真を撮りまくってアップしてたら、「撮ってる人間の被写体に対する愛情を感じる」と評判になるという殺し屋と抜け忍がいちゃつき百合カップル描写やった後に、吉田さんのおそらく家族以外の最も親しい幼馴染みが消えるというね。それも受験のライバルだからという程度の軽さで殺されてて、引くほど酷い。この世界、あの程度で暗殺の依頼があって街中に行方不明者の張り紙が貼られている暗殺横行社会なのがヤバすぎる。依頼がなされた以上自分が断っても誰かが達成してしまうというシステムだろうし、それに乗っていることに一抹の責任を感じてビラ配りを手伝うところにさとこの態度の軟化がある。最終回、OP入りは面白いけど「ポリコレ越えて」のダサい歌詞が出てくるのがマイナスだね。二つの生活用品を多々映して画面キメキメでタイトル通り二人の百合ってことをアピールしながら、でもこいつら人殺して金稼いでるんだよなと正気を試してくるアニメだった。いつ誰が死ぬのかヒヤヒヤしながら原作を読んでたけれど、ある程度死なないキャラが固まってきてる頃か、アニメの終盤は。いや、面白いアニメではあるけれど、この悪趣味さをどう受け止めるか色々難しい作品ではある。

完璧すぎて可愛げがないと婚約破棄された聖女は隣国に売られる

トロイカがなろう原作のいわゆる追放聖女ものをアニメ化した作品。無表情で完璧で有能なフィリアが婚約者の王子に婚約破棄され、隣国に送られるというベタな導入の一話こそバカな人間ばかりでどうかと思うところもあったけれど、隣国でパターン通りもてなされるフィリアとともに、本国に残った姉を敬愛する妹ミアが王子との関係や姉がいなくなってバカ王子の対応や結界をどうするかとかで奔走するという両サイドの話が平行して進行していくなど姉妹百合要素も大きいのが独特の味わいになっている。今作一話、家から追放されて送られたところで幸福になる話、まあわたしの幸せな結婚で見たやつだなあと思ってたら聞こえてきた主題歌がそのりりあ。の声なもんだから「人生逆転こんな事あっていいんですか?」すぎる! とだいぶ笑ってしまった。それはいいとして、フィリアが国を救うための大陸レベルの破邪魔方陣を考案し、その鍵はある聖女が彼女の姉妹たちの力を借りることにある、とこっちでも姉妹の絆が重要なの、ホントに姉妹関係が重要な作品だ。王族の男性たちと聖女たちという男女の区分けがあるけれども、国のなかでは男性が王族として立てられつつ聖女たちは国同士の横の繋がりを担うという分担になっている。八話、ミアの主人公度合いが限界突破する勢い。ミア、本当に大変な目に合ってるし親も婚約者もバカでカスだけどそう簡単にいなせるわけもなく、姉出生の秘密は両親へのなけなしの情も失せさせるし、ただ姉との親愛の感情だけが本物で信じられる状況なのが、強く生きて欲しいと思わせる。10話で姉妹百合が頂点に達して後はボスが出てきてバトルをやっておしまいになるの、本筋が姉妹関係だろってなる。最後にちゃんとフィリアの恋愛感情に繋げて終わったけど。今作、善玉側のドラマは良いんだけど悪役がただのバカなのがやっぱりバランスが悪くて異世界チートの臭みが抜けないのが惜しい。でもチートキャラが追放先でハッピーにやってたら故郷に残された妹がメキメキ主人公になるのはだいぶ面白い。構造が露呈しているというか。ミアが主人公みたいになってたパートがやっぱり面白かったというか、石川由衣と本渡楓の姉妹百合アニメやってる時が一番面白かった。

TO BE HERO X

TO BE HEROという中国アニメのシリーズがあって、第二作のTO BE HEROINEはこのブログで2018年のアニメ10選に入れた作品でもある。第一作は未見。本作は日曜朝に放送されてたみたいだけど序盤のえぐさは朝には相応しくないのではないか。李豪凌、リ・ハオリン作品は今年二つ目。二クールの長さで色んなヒーローを数話ずつ描いていくなかで焦点となる過去の事件やそれぞれのヒーローたちとの関わりが少しずつ描かれていく短篇連作のような構成だ。異修羅というかマーベルだかなんだかの中国版といえばそうだけれど、今作はこれだけ見ても結構まとまりが良く終わるので、続篇前提だけれどもそんなに不全感はない。各パートの主演は誰もが有名声優を据えた豪華なラインアップに、序盤のCGアニメパートも途中からの作画パートもリッチな映像で非常に力の入ったアニメになっている。今作も序盤こそ陰惨な展開が多くてどうかと思うけれども物語の牽引力はさすがのもの。一話、人気ヒーロー、ナイスが唐突に飛び降り自殺してしまって彼に憧れていた広告代理店の社員が顔かたちが似ているからと成り代わることになる。誰でもヒーローになれるという広告を作っていた自分がナイスの替え玉になる。ヒーローと認められヒーローの能力を得たがためにヒーローに呪縛されその立場から降りることが出来なくなったヒーローという話もしていて、この世界のヒーローは人の認知で力が強まり、だからイメージを崩すと力が弱まる。四話、ファンの応援が力だからファンが行くなと言えば縛られる。ファンが疑惑に向き合えずに疑惑を無視して叫ぶ、というSNS時代を描きつつ、死んだヒーローの替え玉だったリンリンがその束縛を剥ぎ取り、一般人のリンリンとしてヒーローになる。誰もがなれる、という自身のCM通りに。キメの回だ。一話で誰もがヒーローになれる、というテーマを綺麗に回収してかなり良いんだけど、ヒロインの惨殺で引きを作るのは辞めなよって思ってしまう。このナイス篇、そして続く信頼値ゼロのアクターがたった一人からの信頼を得てヒーローになる王道の良さがあったのにそれがエグく反転していってまた成り代わりという話を重ねる魂電篇まではCGアニメだったのが、ラッキーシアン篇で手描き作画アニメになって、この作画もかなり良い。シアン篇、幸運すぎて聖女にさせられていたシアンが不幸の少年と出会って自らの歌いたい歌を歌う。聖衣を脱ぎ捨てるところからの流れがマジで良いんだけどこれ少年死ぬでしょ、と思ってたら死ななかったので偉い。でも急に恐怖粒子とかいうのが出てきて、ゾンビパニックをやりたくなったのをむりやり理屈をつけるんじゃない、って感じがした。恐怖粒子でまたマイナスの変化を起こせるのは話の幅を広げる一手か。その次にクイーン篇、「規律を制定する能力」、ルールを作れるってだいぶ強い気がするけど謎のコイン男に何も分からないうちに負けて、強さの序列を見せてくる。13話からはロリ篇、聞き間違いかと思ってドリーって名前なのかと思ったら聞こえたとおりマジでその名前なのかよって思った。技術者として就活に来たら顔が良かったので受付に回されたノノとロリ、ルッキズムに抵抗する二人のちょいシスターフッドの香りがするしノリが良くて楽しいエピソードだった。15話黙殺篇、大家族で声も音も苦手になり、SNSで寡黙な美青年として人気を集めて喋れなくなるという悲劇を生きてるけどやってることはギャグだった。赤ん坊など騒々しさのなかで生きることが選べずヒーローとして妻子と離れて生きることを選び、かといって子への愛情は確かにあり、それがストーカーと思われてロリとの遭遇になる、悲劇なのか喜劇なのか。ギャグではある。ロリ篇の別視点での補完とロリ親子と黙殺ノノ親子の悲しい対比。リトルジョニー篇ではダーチャンという異星生物が出てきて、信頼値や能力を無効化するという宇宙船由来の物質ともども地球外の存在が示唆される。そして宇宙船の探査をするノノたちを殺しに来るナイスたち、というえげつない展開が訪れる。ここから梁龍篇を経て、成り代わられる前のナイスの絶望が描かれるパートって感じで、梁龍がスマイルを殺し、スマイルは謎のヒーローXの友人でもあったという形でXが話により深く絡んでくる。23話では犬のヒーロートラの話で絵柄が子供向けアニメのように変化しつつ、トラのヒーロー覚醒を描いた後、絵柄が二段階変化して一話のナイス篇のようなCGになるのは鮮烈。そうして現われたトップヒーローXの能力は次元操作で、24話最終回での戦闘はすさまじく、2Dと3Dを切り替えつつエッシャーみたいな騙し絵の世界に敵を迷い込ませるし絵のなかに入るし絵を具現化できるし、何でも出来て笑ってしまう。このアニメがCGと作画が混在していたのは概ね一話以前の話を作画でってことかと思ってたけど、Xの能力で随時絵柄が切り替わるのは見たことのない演出ですごかった。二クールかけた壮大なプロローグ。ヒーローや事務所のトップがどれもこれもアレな連中ばかりじゃないかと思ってたら無所属のXを皆で弾圧しようとしてるっていう。ダウンフォール事件だっけ、魔王ゼロが元々ヒーローだったという真相を明かしつつ、運命に抗うXを描いて終わる。「運命に抗って、定時で上がるさ」の締めのセリフは格好良すぎるけど呪術廻戦で見たね。信頼値とは力でもあり枷でもある、というSNS時代のヒーローを描いた面白い作品だった。技術レベルもすごいので一見以上の価値はある。

宇宙人ムーム

これが二クールなの!?とビビった度で言えば今年一番かも知れない。桜子という大学生の部屋に落ちてきたUFOに乗っていた猫型の宇宙人ムームーが、戦争によって母星の文明が衰退したために地球の家電製品の仕組みから科学技術を学んでいく、という家電コメディ漫画原作。この毛量がすごい2025。キャラデザがなかなか個性的で良いけど原作がこうなのかと思ったら違った。EDがさよなら人類、核戦争で文明が崩壊して猿=原始人?になるみたいな歌詞だしぴったりなんだよな。少女と猫型宇宙人が家電の仕組みを学んでいくコメディでベースはいいんだけど、ムームーが悪ガキ系のキャラな上すぐ家電を解体・分解してしまって桜子の生活を破壊していくし、種々の描写のバランスが悪くて不快な部分が多い。四話、サークルの先輩天空橋が、コップの水が瞬間的に沸騰するような電磁波を出すほぼ殺傷兵器みたいな遠隔充電装置を思い人に向けて平気なのもアレだけど、どん引き下ネタや迂遠な好意が実は好意を向けてる相手に受け入れられてたオチはえーってなる。リンゴは万有引力の発見の象徴で最後に天空橋が落ちてくるのもそれに引っかけてるんだろうし、偶然の発見を受け止めるために科学的知識の学習は怠らない天空橋も恋愛の機微を悟る受け皿はなかった、という落下のモチーフをめぐる仕掛けは上手いけれど、『三体』三部の恋愛観を思い出してアレ。五話、害獣ムームー。作り手は桜子が悲惨な目に合うことに喜びを覚える癖の人か、こういうとほほギャグで落として話をまとめるならいになってるのかだと思うんだけど、電気代七万円だとかで桜子の生活にダメージを与えてチャンチャンで終わらせられると嘘でしょ?ってなっちゃう。電磁波を出す家電を自分であらかた解体しておいてレンジもネットも使えない!と騒ぐムームー、脳みそがついているのか疑問がある。桜子の恋敵のようで嫌味なことを言ってくる鮫洲が実はガジェットマニアで地方出身者で、と距離が近くなってくるのは良いんだけど、その後を全部ムームーがぶち壊すので本当に気分が悪くなってしまう。そういうのが薄い回は素直に楽しめる。とりわけ14話は今作でもベストの回。老人と家電をテーマに、オーブンが欧州風デザインで気に入ったけど新しい機能を使いあぐねていたおばあさんと、GPSを落として足取りを掴めなかった認知症のおばあさん、新しいものへの挑戦と過去の記憶に彷徨う二人の老婦人。じんわりと良い。子供も巣立って夫をなくした老婦人が高いけどパンも焼けないオーブンを詐欺だと疑ったけどそれはコンベクションオーブンで、老人にはワンタッチのトースターがいいだろうという意見に桜子が抗して、新しいことへの挑戦という意を汲んで新機能の使い方を学ぼうというのも良いし、認知症徘徊おばあさんの落としたGPS入りお守りからGPSの解説をしつつ、なぜ見つからないのか、という時におばあさんは「昔の記憶を探してこの町で迷子になっている」という観察から、おばあさん視点での行動を推理して居場所を見つけ出す話も、未来と過去双方への意識が両立している。どうにもジェンダー観というかハラスメント感が気になっていたムームーだけど、老人が題材だとそれらが薄れて良い話がちゃんとできてて良かった。人間の個体識別なんてできないというムームーにオーブンで焼いたものを食べさせてくれるから「オーブンババア」と個人を認識できてるオチもちょうどいい。19話、天空橋の家電趣味の原点に母の家事や生活を楽にしたいという思いがあるという感動仕立ての回だけど、途中にぬいぐるみを押し潰すばかりか猫を脱水機に掛けようとしていた狂気が混ざっていた。家電の発展が色々な困難を抱える人の生活を楽にすることでもあるというユニバーサルデザイン志向は良かった。老人回とかもそんな雰囲気はあったしそこらは良い。でも天空橋の発明は人に危害を加えそうで安全性への配慮が薄くてねえ。キャラデザも特徴的で悪くないアニメではあるんだけど人物の扱いにかなり苛立たされるところがあり、美点も欠点も多い作品だ。鮫洲の鶴見を連れ込むために薄暗いところを常に探している狂人設定はわりと笑った。「文化とは知識と経験の外部メモリだ」「失えば二度と取り戻せない」、はい。町田が舞台になっていて見知った景色が出てくるし、大学のモデルは東海大で、10年くらい前に共著の刊行イベントで行ったことがあるのを思い出す。

ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-

古橋秀之原作によるヒロアカのスピンオフ漫画原作。私はヒロアカ自体ほとんど知らない。作画の別天荒人ってやっぱヌーノ・ベッテンコート由来? ヴィジランテ、つまり自警団という公認ヒーローではない自主的な活動をする能力持ちをメインにしたスピンオフ作品。手足を三点接地させることで地面を自転車くらいのスピードで移動できるという、便利だけど強いか?という「個性」を持ち、ヒーローに憧れて自主的な活動をしている大学生航一のところにナックルダスターという拳で解決しがちのヤバイおじさん、空を飛べる個性を持っていてアイドル活動をしている正体は中学生のポップ、という三人がビルの屋上の航一が住むペントハウスにたむろしてなんやかんややっていく。本篇を知らなくても堅実に面白いアニメだった。五話、なんでポップがここに住んでるんだか謎すぎると思ったら初対面から以前に自分を助けてくれた運命の相手だと分かってたのか。彼がヒーロー試験を受けられなくてもポップにとっては唯一のヒーロー。好意と自分のせいで進路が変わった罪悪感があり幼さ故の素直になれなさもある、説得力あるツンデレだ。最終盤はナックルダスターの娘の体を奪った仇敵蜂須賀の追跡劇。娘の体を人質にした相手を追い詰めるナックルの作画、かなりキレがあった。12話、ナックルダスターのちゃんと向き合ってやれなかった娘との最後かも知れない正面からの拳での語り合い。蜂を追い出すには娘の体を死のギリギリまで追い込まねばならない覚悟。「この世のどこにも俺ほど素敵なパパはいない」、この反語にもとれるセリフの味わいよ。ナックルダスターの戦いは終わって娘が目覚めても母が眠り、つらい境遇すぎる。ダークヒーローというか私的な目的のために戦うヴィジランテという存在に相応しいキャラだった。娘に言う「俺がいる」、「俺が来た」のアレンジで父という私的な存在を主張する言葉。二期が決まっている。ヒロアカ本篇はほとんど知らないけど面白い。AYAKA以来の古橋秀之が原作に関わるアニメでもあるか。ED、今のスピードじゃ追い越せないという歌詞がポップと航一の年齢差のことにも聞こえる。

九龍ジェネリックロマンス

漫画原作アニメ。原作者の懐かしさがある絵柄を生かしたものか、九龍城という既になくなった場所から漂うレトロ感のなかで、ジェネリックテラとかいう地球のパチモンを作るという奇妙なSF要素も入って来るSFラブロマンス。普通の恋愛ものではないんだなと思ってたら自分の知らない自分が好きな人と結婚していたらしいという謎が出てきて、この後発のコピーというところがジェネリック要素。過去の自分を思い出せなくて記憶がないことすら気づかなかった、クーロンじゃなくてクローンって意味もあるだろう。不動産会社で働く二人が真夏の九龍城で、という雰囲気を武器にしながら、自分は誰かのコピーかも知れないというアイデンティティの話と恋愛が絡んでいく。こっから話の根幹に触れていくけど、変化を恐れる人間が前に進む機会が与えられた時に踏み出せずに後ろ向きな行動を取ってしまったことで、それに囚われた人間がまた前に進めないループのなかに閉じ込められてしまう。夏というか、夏が終わることは何か変化の象徴のようで、夏がループするアニメというのが幾つもある印象が強い。そして変化を恐れてずっとそこに留まることとその先に進むことという今作と同様のテーマを持った作品が来期にもあったりする。後悔に囚われて前に進めない人の前に、過去を持ってないから前に進むしかない人が現われる、そんな話だったのかも知れない。最終回、プロポーズした翌日に自殺されるとか工藤のトラウマも納得ではある。変化を恐れ、プロポーズの返事を決めることができず、運に任せて死んだ過去の鯨井。そのなかで今の鯨井が自分で決めたから消えてもいいという覚悟で踏み出すことで九龍から歩き出す、良いラストだった。人々の後悔を飲み込みつつ、それでもそこで過去に出会ったことを良い思い出に出来る人もいて、繰り返す時間に後ろ髪を引かれつつも前に進んでいく。原作はまだ続いているので、アニメ独自の最終回を作って終わらせた、いわば原作の別ルートのようなものらしい。だからアニメだけ見てもワンクールでなかなか良い感じに終わっているのが美点。「絶対の自分」というキーワードはどこかもめんたりーリリィとも似る。

ある魔女が死ぬまで

今期のEMTスクエアードアニメその一。元々漫画版を読んでいた、ウェブ小説原作作品。17歳の誕生日にあと一年で死ぬよ、と生まれつきの呪いがあることを知った魔女見習いのメグが、人が流す嬉し涙を集めることで生き延びられると聞いて人助けに奔走する物語。コミカライズは非常に作画が自由で、メグの姿形で自由自在に変幻する描写が非常に面白い作品だけれど、アニメはさすがに落ち着いた画風になっていて、でも声が某アニメで姿形が人を留めないキャラを演じた青山吉能でそこは声や「おっさんくさい」と言われる台詞回しでフォローしている気がする。魔法がある以外は現代が舞台なので、魔女同士の話し合いの前を一般通行人がいて車も通ってたりする。妻を亡くした夫、祖父の死を受け止める娘、老婆の幸福な死の形など前半は死にまつわる話が多いのが五話、今までは別れの形を変える魔法だったけれど、別れじゃなくて出会いを演出する花火を作り、魔法が自分から家族を奪ってきたと思うソフィが魔法で新しい家族を作る役を果たす、死から生への転機を描いていて全体の折り返しとなるような重要回だった。もうすぐ死ぬよと言われて明るいように見えて死に魅入られたところから外部の人との関係で生きる気力を奮い立たせるまで。六話は涙集めに焦り、涙を数としてカウントしだしたメグを見て即制止できるファウスト、良い師匠だ。弱った人を見つけ出すコツってほぼ犯罪者の思考なんだけど自分の命が掛かってるとなると数をこなす必要があるのでダブルバインドだ。それでも一人一人と向き合うことでメグには街の名前を冠したラピスの魔女という二つ名が与えられる。人でなしのような数をこなす涙集めもそれがしっかり人々の間で助けになって人の噂になって人に覚えられ、その相手を助けた言葉が自分に返ってくる。九話、死を受け止める話を続けて死にゆく運命は変えられない印象を与えた後で、魔力暴走を起こした木を火葬するのではなく生まれ変わらせる魔法をメグが創造する、という転換を描いてきた。死から生への切り返しとともにメグの魔法の資質という将来の話にもなる。その意味でとても重要な話だけど、作品や作中人物が嬉し涙を集めないと一年で死ぬ話を忘れているんじゃないかと思うことがある。そう思ってたらいつの間にかメグの持ってる瓶に涙が貯まっていて驚く。ちょっととってつけた感があって、最初に敷いたレールがわりと適当な扱いになってるとは思う。最終話は清々しいくらいの旅立ちエンドだったけど原作全四巻のうち二巻までやったみたいだから二期があればちょうど終わるっぽいんだけども。コミカライズの絵柄や表情の自由さがすごくて、でもアニメだとおじさんくさい言動が結構目立った感じがあるのはメディアの特性か。

ボールパークでつかまえて!

今期のEMTスクエアードアニメその二。大きなバックパックを背負ってスタンドを歩き回るビールの売り子のルリコが球場で出会った村田というファン男性になぜかよく絡むようになって、という野球場を舞台にした群像劇コメディ漫画が原作。ルリコ役のファイルーズあいはフーターズが好きだと言っていたしなんかこういう役楽しんでそう。ビールの売り子が客の隣に座っているのは良いのか風営法との絡みが気になったけど、売り子、弁当屋、警備員、球団マスコット、ファン、ウグイス嬢、選手、さまざまな登場人物から野球場を浮かび上がらせる作品。ビールの売り子を通して野球場全体を舞台にした群像劇をやっていて、野球選手のドラマを囲むファンのドラマ、よりもう一歩引いて野球自体にはそこまで関心があるわけではない売り子の目線で全体を捉える。村田をめぐってビールの売り子と弁当屋で三角関係みたいになってたりのラブコメも交えつつ、同じ高校の友人同士が別のチームになったりのドラマも展開していて悲喜交々を描いていく。10話、ナツメと小日向の昔の同僚と椿とコジローのTTコンビ、お互い別の仕事をしていてもそれぞれの志を理解している、良い話だった。サン四郎、野球に詳しいことは匂わせてたけどこのための伏せ札だったんだな。11話、これまでの色んなキャラが集まっての運命の大一番。獅子尾の怪我、気負いすぎた三井の失投、不甲斐なさにヤジを飛ばしていた観客も、最後にはチームの面々を讃えるスタンドを作っていたのは良い終わり方だった。負けた時にこそファンのあり方が試される。最終話、大学生売り子の卒業と監督の勇退。暖かく送り出す関係者たちの姿と新しいシーズンの開幕での最終回、非常に綺麗にそしてコメディを忘れずやってて良い。ファン感謝デーで選手から去る監督へのラストメッセージで送り出しが出来る、確かにファン感謝イベントに相応しい演出だった。こういうイベント本当にあるんだっけ、楽しそうで良い。雑誌の主力じゃないけど読むのにハードルがないし毎回つい読んでしまう枠みたいなアニメ。どろみずという人が作っているEDアニメーションはオバケという残像というかそういうのを多用してデフォルメキャラに動きを付けてのダンスにキレがあって曲も楽しげで非常に良い。

Summer Pockets

フィールによるkey原作ゲームのアニメ、二クールもの。夏に島へ向かって何かループみたいな事が起こるのはサマータイムレンダを思い出す。高森奈津美大塚舞キャラデザアニメに出てる。祖母の蔵の整理のために夏休みにある島に訪れた少年鷹原羽依里が出会ったヒロインたちとの物語を描いていく。ラジオを聴いていたら2018年に出たこのゲームは小原好美が声優仕事を始めてほぼ一年目くらいにやった仕事だったと言っていて、デビューってそんな頃だったかと意外だった。2016年に事務所に入ったと。魔法陣グルグル月がきれいは2017年か。一年目からすごい。島では鴎、紬、蒼、しろはといったメインヒロインの他、住まわせてもらっている家にるうみという小さい女の子が主要キャラとなり、第一クールは個々のヒロインのエピソードを消化しながらループして同じ夏を繰り返していく。鴎ルート、紬ルートとだいぶここの初期作を思わせるオチを繰り出しつつ、しかし紬のむぎゅ、口癖から歌詞に昇格する謎ワードの歌は笑った。しかしこれ全ヒロインが難病・余命系の話じゃないかってなるんだよな。鴎、紬、蒼、ときてメインのしろはルートが微妙に短縮版で今ひとつ手応えに欠けるなと思ってからうみをメインに据えた全体回収ルートになっていくんだけど、ここら辺からどうもいまいち面白さが見えづらくなっていく。22話、悲劇の全容が明かされてうみが事態の打開へ向けて動き出す。うみが生まれる未来はしろはの死ぬ未来で、その悲劇へ必ず至る逃れられない出会いが起こるのがこの夏。「最高の夏休み」はある意味反語的な表現でもあって、その外を見ないための幸福だった。死という終わりを回避するために同じ時間をやり直している。夏が終わると秋冬が来るということをしろはの死になぞらえ、未来を信じることができないしろはとうみの恐れがこのループを生んでいる。夏休みをループすることは子供時代から先を恐れるモラトリアムの象徴でもある。大人になり子供を産むと死んでしまう、という。ルートの記憶を使ってルート分岐を引き起こす、やはりメタゲーム的な趣向ではあるんだろう、アニメだとピンとこないけど。最後、すべてのねじれを戻すと各ヒロインと出会わないルートになるけど、しろはとだけはチャーハンの縁が残る。蔵は子供がポケットに入れた夏の思い出、だから最後にならないと整理できない、のか。いやしかし、うーん、なんとも言えない後半戦だった。後半は種明かしや伏線回収に汲々としていた感じだし、各キャラのルートが格下げされてしろはが正道みたいになったのもアレだし、どうにも消化不良な感じも強いのは、結局原作の増補版での新キャラのルートを映画とかでやるってことなんだろうかと思ったけどそんなこともなかった。まあでも前半のヒロインルートをたどってた頃は楽しかった。泣きゲーとしてのKey作品をあえて演じているようで、難病展開の連打もむしろ来た来たって感じで。夏とモラトリアム、九龍ジェネリックロマンスと趣向が似てる。

短評

ざつ旅-That's Journey-
旅行番組のナレーションみたいなのが入ってて、そういう枠組みなんだな。アニメで見る旅行番組の趣。漫画新人賞の懸賞金を元手に漫画家志望の主人公がツイッタアンケで行き先を決めて平日?に思い立って旅に行ける、勤め人にはできない開放感がある。先輩漫画家や友人、後輩などが随時旅に同行したりするし主人公鈴ヶ森が百合漫画描いてるし百合アニメなんだよな。でも鈴ヶ森は他人の関係のこじれにヘテロ妄想を膨らませるようなキャラだから後輩からの思いに気づくことがなかったりする。まあ新人漫画家が色んなところを旅して色々漫画のネタを得るみたいな流れではある。最終話なんかはシチューをごはんに掛けるかどうかの喧嘩と仲直りでワンクールアニメの最終回やってもいいんだ、というすごみがある。金に飽かせて雑に旅する感じは微妙だけど、ゆるゆると楽しめるアニメではあった。ニコニコ漫画のざつ旅原作をふらっと見てみたら、読んだことのある漫画が鈴ヶ森が作中で描いてるものとして出てきて一瞬何が起きたか全然分からなかった。そういや作者名が鈴ヶ森ちかだし、あしたのあした、ってざつ旅の主人公が描いてる体裁で実際に連載されてる漫画だったんだ。知らないで読んでたよ。同じ人が描いてるんだろうか。

キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦 Season II
制作が遅れていて去年放送開始したものの中断して一年ぶりに放送再開となった二期。シルバーリンクは関わってるけど監督キャラデザスタジオが神無き世界のカミサマ活動と同じでそっちのスタッフが担当になったのかな。画面から受ける印象がかなりカミカツぽい。四話、最初の五分くらいでシリアスの雰囲気になったと思ったらそっからずっとバカみたいな萌えコント始まって驚倒。「なんだったんださっきの」、マジでこっちのセリフだよ。シリアスから急にメイドの豊胸ネタに繋ぐの何なんだと思ったら何だよこの勘違いコント。なんか国際情勢の話が背景にあるんだと思うんだけど王女の部屋に侵入してデカイ下着を物色する妹とか、三王女がイスカの添い寝ポジションを奪い合うトンチキラブコメしか印象に残らない。でもそれで充分楽しいから良い。最終回は高層ビルの吹き抜けを落ちながら複数勢力がぶつかったりすれ違ったりの演出がだいぶ面白いシチュエーションだった。対戦相手の入れ替えをすごい方法で実現したな。なんか良く分かんなくてもなんか面白いしぶち込まれるラブコメパートはラノベアニメらしい良さがあって楽しめるアニメだった。続ける気満々だけどさすがに三期は、どうだ?

ウィッチウォッチ
彼方のアストラ原作者の新作が原作、博史池畠監督。バイブリースタジオは100カノに続いてこれ。バイブリーのジャンプ系ラブコメ、堅いラインになってきてる。考えなしに使われる魔女の魔法で起こるドタバタを基本としたコメディで、魔女ニコとその保護者というか監視者というかの男子たちの同居する家でのラブコメでもある。ある魔女に続いて一年で何かが起きる魔女、という被りが発生している。連続二クールアニメ。コメディ回連打の回は確かに楽しかったけど予告でも言われるとなんか微妙な気分にもなるな。メタ意識が強すぎて上手さが鼻につきかねない。まあこの作者そうだよなそういえば。七話、動画配信回もまあ面白かったけど後半の清宮涼華回、バラエティ番組の二人羽織ネタみたいな古典的なコントのベタさにはマジで笑いが止まらなかった。悔しい。「猫かな?」「ちょっとそれ怖いんだけど」、面白すぎる。新井里美じゃん。魔法とハイテクでやるのが二人羽織ネタなのはおかしすぎる。新井さんのツッコミ、生徒会役員共を思い出す。しかしジャンプ漫画がアニメ化して普通に承太郎とか出してくるアニメがドラゴンボールネタでワイワイやって「怒られろ」はツッコミとしてはズレてる気がする。安全圏でしょ。14話、後半で重度のオタク二人を描くための前半を完全に作中作で貫徹する作り、やりきったな。教師と生徒でオタクと絵師の百合漫画で見るやつ~と思ってたらしっかりユニット組むことになって百合漫画で見るやつだってなった。うろんミラージュ、それっぽさとふわっふわのセリフだけでできてる。作中作ちゃんとやってOPもちゃんといるグループに作ってもらってるの笑う。彼方のアストラはだいぶ良くないと思ったけど、これは軽快なギャグアニメとしてなかなか悪くなかった。話の都合でいつまでもニコが反省しない魔法ぶっぱ魔女になってる気がする。

華Doll*-Reinterpretation of Flowering-
たかたまさひろ監督ででこぼこ魔女の座組の男性アイドルもの。原作は公式コンテンツからファンが裏設定を読み込む知的興奮型ドラマCDコンテンツ、らしい。種を手術で体に埋め込んでアイドルになる、仮面ライダーみたいな設定のアイドルものってあっていいんだ。集められた少年達が種を埋め込まれる手術を受け、才能の開花を待つ閉鎖空間のなかで生活させられる、アイドルと言うよりSFホラーの味が強い。ファンは手術に好意的だけどメディアと同業者が批判的で、ジャニーズ問題以後のアイドルアニメなのかなって思う。「人体改造アイドル」、「そうでもしないとアイドルになれなかった」という非難、ファンはそれを知っても純粋に応援していてメンバーも開花に疑いを持たない。アイドルという制度をどこまで意識的に批判しているのか。才能が花開くのが可視化されることでメンバーの中で開花した人としてない人で歴然とした差が付いてしまう、その残酷なドラマがついに一人残された眞紘の苦しい告白になっててそれはちゃんと見どころなんだけど、それはそれとして改造が不穏すぎる。主人公たちを襲うメディアのスキャンダルの方がまったく正しいことって普通はなくて、この人体改造アイドルたちのドラマをどんな風に受け止めて良いのかわからないのはすごい。新機軸のアイドルアニメだと思うけど新しすぎるよ。アントスのみんなが精一杯頑張るほど周囲の闇が濃くなっていくアイドルもの、知らない味だ。アイドルたちは自分たちのドラマに手一杯でその外の思惑には考えが及ばない、はいいけど最後になんか欲しかったな。色んなことが放られたまま終わってて、ジャニーズ以降のアイドルという問題意識なんかなくてただ露悪的な設定として使っているだけなのかも知れない。不穏なOP、サビのシャカザダンって何て言ってるんだろうと思ったらShatter The Doubt、疑いを打ち砕くって意味か。疑いを打ち砕いたらダメな気がするね。

クラシック★スターズ
上松範康金子彰史シンフォギアコンビによるクラシック作曲家の才能を移植されその名で呼ばれる男子たちのアイドルアニメ。クラシックのロック調のアレンジってかなり使い古されたセンスでまあまあダサい気がするけど、ダイナミックなギャグセンスは時折強烈で楽しかった。国レベルの争いが劇中の能力での対決で済まされるようになるホビーアニメの世界観をまあまあふーんと思って見てたら二話では歌が始まってからの展開がすさまじくて、ここだけ見てもお釣りが来るようなトンチキさでものすごい。次から次へとおかしいヴィジョンが繰り出されてくる。エモとヴィジョンのエモージョン?ならアイスアリーナに薔薇もペンギンも出現させることができる、メチャクチャで笑った。ドリルになって掘ってリンクの氷をかき氷にして食べ出すのはすごい。「ペンギンのいる南極にシロクマはいないはずなのに」ツッコミそれでいいのか? もっとあるだろ。グランマイスターもディスコードも「エモい国家になるための礎」、すごいセリフで笑う。軍事力も持てず経済力も頭打ちの没落を前にエモさがキーになった世界で国威復権を狙う陰謀が因子移植の背景にある、すごい世界設定だ。トンチキアニメとしては二話のライブみたいないかれた場面がもっとあると良かったけど、なかでも12話のベートーヴェンモーツァルト再会場面での劇的すぎる落雷は「運命」ともども名場面といっていい。その後晴れてスポットライトも用意してくれる天気さんがすごすぎた。

LAZARUS ラザロ
渡辺信一郎作監督、MAPPA制作によるオリジナルアニメ。アメリカのカートゥーンネット枠の単独出資、アクション監修や音響にハリウッドの一流チームが関わっているというすごい顔ぶれだけど色んな所をあえて雑に作ってB級映画的なノリをやってる本質的にはコミカルなアニメだと思う。始まる前にEDがブーラドリーズだと聞いてびっくりした。あの有名な曲が入ってるアルバムを持ってたので。一発屋と言われるラドリーズだけどオルタナバンドとして結構ちゃんと評価されてるらしくて、EDのLAZARUSも確かに結構良い。物語は、痛みを感じないなら死んでるのと同じだ、と争いを止めない人類に生きる価値があるかを試すために、効果的な鎮痛剤に三年の時限式の致死毒を仕込んたスキナー博士が自分を探せと世界に挑戦する、という博士探しが目的に色んな人間が集められたチーム・ラザロが主役。しかし鎮痛剤に時限式の毒を仕込むとか、やってることが鬼畜すぎる。痛み止めに秘密裡に毒を仕込んで三年後に殺す、となると一番死ぬのは慢性的な病気持ちとかの弱者だと思うんだけど、このアニメだとなんか麻薬常習者やら心の悩みを抱えた子供みたいな人間心理をめぐる寓話みたいに描かれていてズレを感じる。四話、作画がいやに滑らかだしアクションもすごいなと思ったらジブリの代表的アニメーターらしい山下明彦がコンテで、ジブリ細田作品で原画や作監をやった青山浩行が原画筆頭にいて、だいぶ有名なスタッフだったらしい。その意味でノリのいい展開とキレのある絵で楽しい回だった。九話、このアニメ真面目にスキナー探してるか?と思ってたらそういう趣旨の査問委員会が開かれた上にスキナー本人からちゃんと見つけないと俺最初に死ぬよ?大丈夫?ってメッセージが届くのはギャグとしてはだいぶ面白い。最終回、話としてはうまくまとまったみたいだけど、だいぶ懸念点が多い。鎮痛薬を毒薬にして世界に広めて残りわずかから特効薬開発ってそれ絶対間に合ってないだろって思うしなんだか鎮痛薬アンチな姿勢はどうなのか。一話の「痛みを感じないなら死んでるのと同じだ」というのもぎょっとする言い方で、無痛症の人も出てきてるのにこれがひっくり返ってないんじゃないか。戦争を続ける人間たちを痛みを感じない連中と言いたいのかとも思うけど。背景やアクションを含めた映像面、音楽面は抜群のものがあるし、個々の回は面白いのもある。アクセルに迷惑掛けられまくった警備員が世界を救った英雄なのも「この世界も捨てたもんじゃない」点で良いけれども、薬や痛みに関する部分は最初から最後まで雑では。

スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました 〜そのに〜
四年ぶりの二期だけれど、一期のスタジオがもう活動してないようで全面的に制作陣が変わっており、だいぶアニメとしての味が違っている。画面はややチープになった。作風は変わらず踊りが増えた。OPでもアイキャッチでもEDでもみんな踊ってるのはこのアニメらしくて見るたび面白い。喫茶店の延長の話をやりつつ始まりの女神と再会して家族が大事で締める、二期一話として安定の構成だ。10話、誕生日イベントに呼ばれたと思ったら魔王ソロライブが始まって笑った。田村ゆかりイベントじゃねえのかこれ。魔王と農相のデュオライブで笑う。さすがにベルゼブブとのダンス作画はないか。アズサに薬を盛ったのかと思ったら狐娘にする薬、そっちか。え、性欲の話してる? キツネニナルダケ。便利なキノコ多すぎだろこの世界。魔王の性欲が全開になっててすごいし制御できない欲望に駆られるアズサも含めて欲望の暴走回だった。魔王が知り合いとは言え一個人を見初めて薬を盛って強引に寝床に連れ込むヤバイ話なのにこのほのぼの感よ。ラストは一期同様喫茶店回でエンドかと思えば祭もあるよ。喫茶店で全員出すのは不自然なので祭もやって商人やミュージシャンも出して来ての全員エンド。祭やって魔王のライブやってアズサも歌ってと良いんだけど一期ラストはもうちょっと技があったように思うし、二期はアニメーションがそこまでではないのもあって、(一期よりは落ちるけど)良かったね、という感想にどうしてもなるな。爆踊りで締めて欲しかったのはあるな。

俺は星間国家の悪徳領主!
乙女ゲー世界はモブに厳しい世界ですと同じ作者のなろう系作品原作の転生もの。一話、主人公の動機を設定するための前世がだいぶミソジニーヘイト創作みたいでかなりアレなんだけれど、まあ結局ワルを気取っただけで悪徳領主をやろうとして善政を敷いてしまう勘違いコメディの楽しさがある。五歳で家督を譲られたけど借金まみれの負債でしかなく、プレゼントされたメイドロボの天城だけが信じられる主人公。上田麗奈が「旦那さま」呼びするアニメが続くのか。上田麗奈の非人間キャスティングアニメだ。五話くらいになると悪ぶってるつもりで発展をもたらしてしまう領主と、詐欺師故に体面を保つことで弟子が嘘をマジにさせてしまうまで育ててしまうし本物の師匠にもなってしまう剣士と、勘違いした色仕掛けだけど必死さで憐れまれて商談が成立する技師と、良い感じの楽しさが出てくる。案内人も勘違いして支援してしまってるしこいつもコメディ要員なのがちょっと面白い。最終話、「天城、俺の家族はお前だけだ」「はい」、このロボ天城の小さな声音の変化よ。そこからのメイドロボ三原則をめぐるリアムとのやりとりでの天城のロボ声が絶妙に人間的な揺らぎを見せる上田麗奈の演技、これが聴けるだけでこのアニメはもうやることはやった感がある。

勘違いの工房主〜英雄パーティの元雑用係が、実は戦闘以外がSSSランクだったというよくある話〜
同じ高校に通ったことはないけど高校からの友人で私がやってた文芸同人誌の表紙とかも描いてもらっていたゾウノセが原作イラストやってる小説が原作のアニメ。そんなこともあるんだねえ。ここ10年くらい会ってないけど。今期のEMTスクエアードアニメその三。サブタイにあるとおりの無自覚チートもので、一話では才能が認められない主人公と、美しさを認められないヒロインが出会う。堅実な出来だ。明確に主人公にショタ的な魅力がありますよとやってくる作品だけどこの童顔主人公に歓楽街の仕事を斡旋しようとするヤバイ受付嬢がいてビビる。200キロを持ち上げることができる主人公クルトが戦闘ダメってことはないだろうと思ったら不器用すぎて自分を刺してしまうヤバさで、でも採掘スキルという扱いならドラゴンゴーレムをスパスパと解体してしまう、というゲーム的世界観でコメディをやってくる。10話ではせっかくヒロインたちが悪徳商人退治のために立てた細かな計画がクルトがいることで狭い範囲で玉突き事故みたいに全部ズレていって全部壊してしまうし最後は「饅頭怖い」でオチるのは笑った。無自覚主人公と彼を利用しようとする策謀があったり、ヤバイ敵が現われてもサクッと無自覚にすべてを台無しにして平和にしてしまう、そういうコミカルな話でまあまあライトに楽しめた。二期が決まってて驚いた。

かくして!マキナさん!!
15分僧侶枠がこのクールでは二つある内の一つのお色気アニメ。アニメフェスタで解禁版が配信されてるから僧侶枠かと思ったけど微妙に違うか。踏切時間の原作者による漫画原作。メカバレフェチってのがあるらしい。なぜか学校に潜入していたハニトラアンドロイド、謎すぎる。普通アンドロイドだとバレたら誘惑が効かなくなると思うけど、メカフェチな主人公には効いてしまう。主人公も経験がないだけならともかくメカのマキナさんのほうも情報取得に制限がかかっていてハニトラしに来たのに何もできないのが笑う。首が取れたり足が取れたり別ロボに体が奪われたりのロボットを使った状況作りが多彩で、コメディとしてなかなかキレがある。「前立腺わからせナックル」、ひどいもん出てきて笑った。踏切時間の人らしく非常に安定した面白さがあって良いけど、ここまで締める気のない最終回なのは続きをやるからなのか、原作をいじらないからなのかどうなのか。三人目のロボキャラ、BL読んでただけだったような?

中禅寺先生物怪講義録 先生が謎を解いてしまうから。
京極夏彦京極堂シリーズのスピンオフらしい漫画が原作だけど別に京極夏彦が関わっているわけではないというミステリアニメ。昭和23年という時代背景にカンナはじめ女生徒が持ち込む怪異を中禅寺が解決していくスタイル。あまり人が死んだりしないしコミカルな演出も楽しく、軽く見られるミステリアニメという良さがあり、ライトのミステリアニメとしてはこのクールでは謎解きはディナーのあとで、があったけれどこっちを私は採る。ただあっちは久野美咲回があったなあ。10話ではブラウニーのいたずら、ということにして好きな人を描いていたスケッチブックを隠蔽しようとした恋の話と演劇の練習が怪異譚になってしまったトラブルの話を蘊蓄を語りつつ恋愛を軸にした女学生らしい雰囲気で悪くない。11話はラス前に謎解きとかナシでカンナが甘いものを食べるだけの回になってて笑った。昭和戦後の女学生萌えアニメの本分を遺憾なく発揮している。しかも二度目の原恵一コンテ。なんでこのアニメに原恵一コンテ回が二回もあるんだ? 謎解きとして歯ごたえある感じでもないけど、カンナら女学生たちが怪談ネタで盛り上がる様子が楽しいアニメだった。なんか異様に妹の出現率が高かった。

この恋で鼻血を止めて
中国産のギャグとかラブとかのアニメ。設定が情報量多くてハイテンポ、動きもCGなのかと思うくらい妙に滑らかだったりすべてが独特であんまりちゃんと飲み込めてない感じがする。ヒーローが活躍する社会で退屈すると死ぬ虫に寄生された女性主人公のラブコメ、かな。この心原虫という主人公が間違って取り込んでしまった虫はサイウェル星人という人々の能力の根源でもあり重大な秘密だったという展開を経つつサイウェル星人の過酷な能力主義と心原虫との依存関係、話が大きくなってきたところでなんか急に終わったのは本国で続きがあるからなのかどうか。独特の面白さがあるけど色々独特。

神統記(テオゴニア)
霊力のある世界で魔法という概念を知った主人公が魔法を使おうと考える、マジックメイカーにも似てるファンタジーもの。なろう系小説原作。テオゴニアと言いつつどこか古代中国風?の世界観。死の危機で魔法を使えたら出っぱなしになってそれを止めるのが簡単じゃないのは珍しい展開だ。ナレーションとかアイキャッチとか銀河万丈の「前回のテオゴニアは」から始まるのは、これそういうアニメだったんだ、という面白さがある。昔の夕方アニメをあえてやろうとしているのかな。前世の設定とかも90年代にやってそう感がある。全身で私は90年代の夕方アニメですって顔をしながら深夜にやってるのが面白い変なアニメだ。そんな作りだから二クールくらいやるのかと思ったら全然そんなことはなかった。懐かしい地味なファンタジーアニメで悪くない味わい。

未ル わたしのみらい
ヤンマーが製作プロデュースをしていて、五つのスタジオが五つのエピソードを制作するオムニバスアニメというかなり独自の企画。18if、再・来。毎回色んな時代で人間の誰かがミルというヒーローとして変身して問題を解決するパートが入る。三話、AIと芸術、AIと人間の関係のテーマで、ピアニストの演奏を学習させたAIを、そのピアニストの腕の怪我をサポートする為に使うことで学習元の問題を避けつつ、AIと人間の共存のありようを描いてミルもまた人間の歌を学習していくラストシーンに繋がるのが良かった。AIが人間の仕事を奪うのではないかという話をAIと人間の協同作業として描く落とし込み方はかなり良い。雨だれの音の模倣としてのアメの演奏、その模倣としてのAIの演奏。自然を再現する芸術、「真似事は芸術じゃない」というけど全ては真似から始まるわけで、AIもまたそうなのかも知れない。四話、なかなかすごい回だった。戦争を題材に、積み上げた和平交渉がゼロに戻って無力感に苛まれる外交官や、打ち損じた花火が事故の原因になり要人死亡で核戦争へと突入する未来の予測が現われたり、小さな一個人の力が平和にも戦争にも繋がると描く。大局的な状況も一人一人の力によって動きうる、そういう表裏一体のテーマが感じられる。目立たないおじさんがミルだったのもそういうテーマって感じがあるしこういう主役の企画は成立しづらそうな絵面も単発ならできるわけだ。社会派テーマをオムニバスSFとして五つのスタジオで別々に作る野心的なヤンマーの試み、各話一話で話をまとまる難しさはありつつも、なんだかんだ企画自体が貴重で面白かった。

男女の友情は成立する?(いや、しないっ!!)
電撃文庫のラブコメラノベ。「愚弟」呼びの姉、これに一番ラノベを感じてしまった。コミカライズを以前から読んでいるけどギルドの受付嬢くらいの評価。大胆なアングルとかコメディ演出とかはかなり頑張ってる。フラワーアクセを作りたい主人公悠宇と、彼にウザ絡みし続けて友人と言い張る日葵の関係に榎本さんというヒロインが加わってきてという感じだけど、このメインヒロインのはずの日葵の印象がずっと悪くてすごい。「正妻」気取りで事態を甘く見て身勝手な日葵の悪印象が募っていくなかで兄がそこを矯正していくのがお決まりになってるの、ヒロインのアレさを自覚的にやってて珍しい作風かも。面白いかどうかはともかく。日葵のエロトーク、時々いる下ネタで意気投合したつもりの同性というより、常にエロい話をして異性をアピールし続けてる言動っぽくて友人ぽさが全然ない。榎本さんは面白くて、第二ヒロインの告白を回想で済ませて良いのかよと思ったら三回告白しても諦めないタフガールで好意を明らかにしてからの全力の押しの強さでグイグイ引っ張るキャラになってて笑う。悠宇もひまりも彼女のものになれば全部解決だね。日葵が真面目な雰囲気になると「プハーッ」て嘲笑を噛まして誤魔化してくるのが常態になってるのはほんと悪印象だ。電撃文庫のラブコメとしては幼なじみが絶対に負けないラブコメばりにタイトルと内容に疑問が大きいアニメだった。

ツインズひなひま
全一話のAIアニメの実験作。この文字通りぬるぬるとした動き、作画がへたれたアニメよりよっぽど見るのがつらい映像という気がする。動きの間引きがいるだろってところとか逆にがたつきが目立つところとか。どれだけ生成AIなのかは知らないけど。仮想現実空間はアルバムみたいなものというのはなるほどと思うけど、絵的な違和感はそれが人工世界だからだったというのは一回しか使えない仕掛けというか言い訳をうまく設定に置き換えた感がある。この映像に違和感がある人ばかりでもないだろうし、技術的進化がより進めばどうなるか、というのを考えさせる映像な感じ。使い所次第だろうか。OPとEDは結構良くて、特に元ハニーワークスのCHiCOによるED曲はsajou no hanaを感じてかなり良かった。sajou no hanaは今渡辺キタニが抜けてなんか全然違う感じになってしまったので。

やたらやらしい深見くん
BL僧侶枠。「こちとらバリッバリのゲイだっつうの」すごいストレートな導入ですごかった。眼鏡外したら美形、BLでもそういうことあるんだ。偶然同室になった同僚が眼鏡を外したら美形でしかもゲイでした、展開の早さがすごい! 自分から誘ったことがないのと、マッチングアプリが苦手で出会いの少ないのと、最初はちょっと強引に行ったけどもっと段階を踏んでと言われてその通りにするという二人のゲイが距離を近づけていく話運びが丁寧だし絵も安っぽくないのでだいぶ上位の僧侶枠だ。思春期に自分がゲイだと気づいて色々あってセックスに恋愛は不要だと考えようとしていた梶が深見に出会ってそれが結びつく、この尺で良い話できててすごい。深見を好きになった梶が、性欲はあるけど恋愛が分からない深見に、それでも良いからセフレ続行してくれと頼むの、もし深見がアロマンティックだったとしてもこの二人だけの関係が成り立つならそれでいいようにも感じる。良いアニメでしたね。

黒執事 -緑の魔女編-
ヨーロッパ舞台の人狼ネタアニメヴァニタスの手記、アンデッドガールマーダーファルス、黒執事、と来てるな。このシリーズを初めて見たし全体の話とか気にしてなくて全然覚えてないけど人狼の呪いを追ってたら毒ガスと戦車が出てきたサプライズと、ジークリンデ・サリヴァン釘宮理恵ヒロインがひたすら破壊的な萌えパワーを放っていてそれだけで楽しかった。

ちょっとだけ愛が重いダークエルフ異世界から追いかけてきた
異世界で冒険した少年が現世に戻ってきたら豊満なダークエルフのヒロインが追いかけてきていちゃつく15分枠のお色気ラブコメなんだけれど、デレギュラというレーベルの第一弾作品ということで触れておく。規制解除を意味する言葉から付けられたレーベルで、僧侶枠を展開しているアニメフェスタで規制解除版が配信されることから僧侶枠の拡大版と目されており、また配信ではもう15分のオリジナルミニアニメがついてくる構成になっている。この15分の配信用ミニアニメでは有宮あかりという人が監督とか音監とか作画とかキャラデザとか脚本とかナレーションとかその他諸々やっていて、どこまで自分でできるんだよと言うレベルのスタッフクレジットが見物。マジですごい。本篇に関してはお色気ものとして悪くない感じだけど作画は悪く、かつ主題歌に歌手でも何でもないカップルYoutuberらしい人を歌わせていてだいぶつらい曲だった。

ロックは淑女の嗜みでして
バンナムのガールズバンドアニメ、お嬢様学校で庶民から上流階級に馴染もうと努力するりりさと、政治家の娘でロックドラムをやってる音羽の邂逅からすべてが始まる。セッションを性交の比喩としてセクシャルなニュアンスを散りばめて描写するアニメだ。またロックのカウンター性を生かすために記号化されたお嬢様というレトロな環境下に持って行くことで成立させる設定で、まあそれはいいんだけどそのロックのカウンター性で出てくるのが主人公たちのセクシャルな罵詈雑言なのがウーンとなってしまう。百合格闘ゲーム漫画の対ありでした、バンド版って感じがすごいけどこれの方が二年後発で先にアニメになってる。対ありでしたに比べるとセリフや罵倒にキレが足りないし、ロックと粗野さや男性性を取り違えてる気がする。性的侮蔑語を使わないとならないキャラ的必然性もないのでは。男のモノマネをさせようとしなくても良いと思う。ラストも、ファンの掌返しや敵をやっつけるところで非常に安易で雑になる。そういうザコをやり込める程度の低い快感に酔っているようではダメなんじゃないの。相手をお嬢様、タマなし呼び、と罵倒文句も芸がないどころか性差別的だし、急所でこういうところに乗っかってしまう志の低さが始終問題だった。漫画で演奏が表現できない代わりに心情表現で盛り上げていくスタイルをアニメ化しているせいなのか、演奏を聴かせるよりもモノローグの比重が高くなってしまうところにも難しさが出てる。姉妹百合に目覚めて百合妄想が激しい百合オタクになってるアリスの百合ハーレムスピンオフをやろう。

どうかと思ったもの
機動戦士Gundam GQuuuuuuX

サンライズとカラーによる共同制作で、フリクリ鶴巻和哉監督作品。初代ガンダムのジオンが勝った世界での改変歴史もの。運び屋の闇バイトをしている少女と普通の生活をしていて自由を求める少女が出会い、理不尽に差別を受けている運び屋を庇って手を取って駆け出す主人公というのは良かったんだけど、ガンダムに詳しくない状態で見て惹かれる作品では特になかった。ガンダム悪ふざけ大会って言われてて、お祭りなんだよってファンも言ってたし。断片的に情報を知ってるくらいだと、往年のファンが反応する細部を表層的に借りることに熱心で本筋って何だったんだ?ってなるような感じしかなかった。噂の初代パロディパートの二話、ガンダムを一話だけこの間見て印象的だったのは民間人が犠牲になる戦争の生々しさだったんだけど、それは一切描かれなかった。民間人は避難してる、と。シャアとジオンが勝利したことで民間人被害が描かれないようになってる。ジオンのコロニー落としは前史なので劇中で描かれず、反撃としての連邦の蛮行ソロモン落としはシャアが阻止する。そうして始まるのがクランバトルという戦争のゲーム化のようなアングラMS決闘らしいんだけど「戦争のゲーム化」ってこのアニメのことすぎる気がするけど意図したものなんだろうか? 後半まで見ていっても関係がダイジェストで結論だけ出てくるから、メインキャラたちがどうなろうとどうでもよくなる。序盤の時点で初代に対して戦争での犠牲が軽視されてるとは思ってたけど、ラストでニャアンはイオマグヌッソを起動してかなりの人数を殺したというのは言われて気がついたな。ジークアクスはお祭りなんだよって言ってる漫画家、アレな部分を擁護するにもまあまあ失礼な気もする。祭りの後にひとりで記録映像を見てなんになる、ってだいぶすごい。「みんな好き勝手に「自分のガンダム」で遊んでいいんだ」、ジークアクスが残したのは新しい遊び場だ、というオタク賛美みたいな無邪気なツイートも見たけど、だからダメなんじゃないのという感じだ。鶴巻作品は龍の歯医者もなんだかぼんやりとした印象しかなかった。EDが一番良い。

紫雲寺家の子供たち

動画工房による彼女お借りしますの作者の別作品のアニメ化。血の繋がらないと知らされたきょうだいたちによるドメスティックなハーレムラブコメ。狭い家族内で恋愛をするのはちょっと厳しいんじゃないかと思った。家族が実は血縁じゃありませんでした、で複数の姉妹が一人に矢印を向けてくるのは怖い。思春期の男女を狭い空間に押し込めれば恋愛が発生するだろ、という人間を舐めた発想という気もする。各ヒロインの個別回も話の展開にどうかと思うことが多いし、紫雲寺家以外の主体性がナチュラルに無視されているという悪い内輪感覚がある。お色気ありの美少女作画は良いけど話は非常にアレできょうだいラブコメやるにしてもシチュエーションがアレすぎるしどうにも盛り上がらない。誰かが本当に血の繋がっている、という血縁をタブーにして謎にするやり方もよくない。アニメーションは非常に安定して出来が良いけれど、話がねえ。

●春クールは52作品見てて40作に言及したか。最初の八作品で二万字近く費やすことになったくらい私にとっては力作が多く、だいぶ書くのに時間が掛かってしまったクールだった。しかしユアフォルマは原作の一巻を飛ばして二巻からアニメ化するという暴挙に出て、案の定キャラの関係の基礎が分からないのでなんか良く分からないアニメになっていたのはどうかと思った。ウマ娘シンデレラグレイはヒロインベルノライトが良かったし良い作品かも知れないけどなんか薄味の感じもあり、特に後半は集中力が途切れてしまった。第一クールのほうが面白かったかも。

夏クール(7-9月)

瑠璃の宝石

本年の私的ベストアニメはこれ。鉱物学入門と副題にあるように実際に鉱物学を学んだ作者による漫画が原作。金目のものにしか興味がなかった少女が鉱物学を学ぶ大学院生と出会い、鉱物採取に付き添うなかで鉱物の魅力に惹かれていく、近年まれに見るサイエンスファンタジーの傑作だろう。毎回見事なアニメーションのうえに毎話毎話その年の話数10選レベルのものが連発される単話完結の作品としても非常に良かった。地球や宇宙の歴史を極小の石に見いだす科学のロマン、素晴らしいものがある。スタジオバインドのお兄ちゃんはおしまいの藤井慎吾監督、藤井茉由キャラデザ、横手美智子構成、音楽はアトリエシリーズなどで知られる阿知波大輔と柳川和樹。実は監督も元々地学を学んでいた人だというのには驚いた。監督は爆裂的に胸を盛る人という印象だったのでてっきりエロス面でやる気なのかと思っていたら。登場人物がほぼ女性だけでそれは作者なりジャンルなりの要請があるだろうけれども、理系の学生も高校生も全員女性で男性の助手やケア役ではないという女性主体の学術研究を描いているんですよね。まあそれはそれとして見た人みんなキャラの胸がでけえって感想をもらすアニメでもある。
 一話は谷川瑠璃という高校生の少女が水晶を探しに山に向かったところ、荒砥凪というハンマーを提げた院生と出会う。作画の楽しさと鉱物採集から地質学的時間感覚へ思いを馳せ、光の撮影処理も印象的でかなりいい。そこに見える小さな石のなかに地質学のスコープで気の遠くなるような時間の堆積が見えてくる。根本京里の生意気な子供の声が大量に味わえるのも良い。
 二話ではキャラ二人だけで話の広がりがすごい。金銭的価値しか頭になかった瑠璃に美しい結晶の多様性や学術的価値や自然における意味を丁寧に教えて、この雄大な自然への意識を広げていき、ついに見つけた金を売らないとまで言わせる意識の変化を描く。夕暮れの金色の景色のなかで色んな意味で価値のある金を見つけ出すラストカットの美しさ。背景美術が終始すごい。ほとんどの画面で遠景まで自然が映されていて、自然のなかにある人間という構図が徹底されている。
 三話は凪と同じ大学の文献派、伊万里が渋っていた現地調査に参加してみることで蛍石の輝きに魅せられ、自分自身の研究テーマを見つけ出す。「誰かの手足になることを第一希望にするな。いつまでも借りた目でものを見るつもりか?」、良い学問アニメだ。古い情報にも一定の価値があるし、昭和初期の貴重な地図があったからこそ、廃坑の跡を見つけることが出来る。古い場所から新しいものを見つけ出す、今回は鉱物学のエッセンスを提示している印象。瑠璃、高校生にして論文共著者になってる。前回の話をちゃんと論文にするまでやるアニメは珍しい。
 四話、劇的な発見があったわけではなく地味な研究の話に終始しているのに、瑠璃が自分で歩き出してもう止められなくなってる様子を教室の反復描写などで描いていてとても良い。「砂のなかに見える世界は広い」、それに気づき、この世界が可能性の塊として瑠璃の目に見えてくる。川の砂という小さなものも、こちらがその目を鍛えればそこには無限の可能性が広がっていく自然科学の面白さ。
 五話、石から何が見えるか、目に見えない石の特徴を比重で計測することで何の石かを特定し、その石がどこから来たかを調べることはこの地球の組成や運動という目に見えないものの過程を考えることで、そうして目の前の石が数千万年の旅をして今ここにあることを実感する石のロマン。研究室を飛び出して、海に瑪瑙採取に行ったところで凪の石の研究をする理由を聞き、どうしてこの石はここにあるのか、ここにある理由は何だろうかと考える時に画面一杯に空と星を映すの、宇宙や存在の意味にまで広がっている構図だ。
 六話、洪水や氾濫を竜に擬す伝承は多い、八岐大蛇もそうだっけ。「信頼できる記録だけが私たちを正しい結論へと導くんだ」、瑠璃が手書きノートを見直しての数え間違いから調査漏れを発見し、それがむしろ産地を絞る一手になる、もう研究者だなこれ。いつかの某細胞の件でもノートはしばしば話題になったけれど、こういう研究における研究ノートの大事さをベースにして話が進むのはマジの学術研究入門という感じがある。
 七話、瑠璃の同級生硝子の鉱物への思いを描く。砂浜に流れ着くゴミに見えたシーグラスにも歴史や背景があり、学問の対象にもなることを知って、自分自身が鍵を掛けてしまっていた石への思いが鉱物学という形で進路になりうる、とシーグラス同様に硝子の思いも宝物として拾い上げられる。子供の頃から石好きで、けれども誰かに理解されることがなかった硝子が、伊万里たちと出会って自分の思いを明かせる相手を得られた、そうして一人で歩いていた道が皆との思い出に上書きされて、瑠璃と友達になり研究室にも訪れる様子をインストで描いてく特殊ED、これも良かった。青いガラスを瑠璃といった、と硝子も瑠璃も同じものという仕掛けがここに来て出てくるとは。「大学で鉱物の研究!」と硝子が聞いた瞬間、車のエンジンが回り出すのは良い演出だった。
 八話、石を過去の指標と見るなら、流れ続ける水は今を知るための指標という話で環境問題に繋げていくのにはそれもやるのか、の感がある。川にあった黄色い石を探すために水質調査をすれば上流に何があるのかが分かる、そうして見つけたのが鉱山跡とジンカイトという人工物。自然では特定のところでしか取れないような希少鉱物だけど、組成のために煙突の内部に発生することがある。水をたどって見つけた鉱山跡地は下流に有毒物質を流して公害を生んできたものでもあり、最後、そうした歴史を持つ人工ジンカイトでも美しいものは美しい、と締められる。
 九話、全篇作画がすごくて笑いが出てくる。劇場版アニメでもここまでなのはそんなないだろ。コンテ演出みとん。オパール採取をとっかかりにダムと台風が生む環境の変化と水害から守る役割の話が最後の平和な河川敷で締められる。作画もすごいし背景もすごい。夢の場面のファンタジックな迫力。遠景で瑠璃の子供っぽい仕草が描かれてるのもいいな。硝子の前で傘を持ってくるっと回る作画。体の動かし方で心情を伝えてくる場面もある。小さい瑠璃をちょこまか動かすのは楽しそう。デフォルメ雷神も良かった。びしょ濡れにはなるけど透けさせたりしないねえと思ってたらファッションショーで怒濤の胸揺れ作画が出てきた。台風での洪水を防ぐダムの機能と、大量の水が流れ込んだことでオパールという軽い石が放水によって流されるという現象。軽い石なので川底ではなく、高いところに溜まっているのに気づく発想力。ここでリアリティをぶっ飛ばしてオパールの海を描くところが今作らしい。
 10話、マンガン鉱山探索で予定したルートが閉ざされ、引き返しながら落ちてる鉱石を拾っていた時に見つけた、貴重な鉱石が敷石にされた謎の場所、それを本の記述から解く本好きらしい伊万里の解決方法で、現地と書物、双方あっての発見になってる。なんとなく吉村昭を思い出す回だった。
 11話、進路選択に悩む瑠璃がサファイアの産地をめぐる探索を進めてそのありかを発見することで、自分が一体何を求めているのかを再確認していく自己発見回。研究はちゃんとした人のやることだと思ってるのは綺麗なものを私欲で求めてる自覚故だろうけど、根気と資質は既に研究者といえる。偏光顕微鏡といういつもと違う見方が出来る装置で二種類の母岩が混ざっていることが判明し、再度サファイアの山へと赴く。無数にある自然のなかから的を絞ってその声を聞くということが進路選択と重ねられる。
 12話、鉱石ラジオが題材のアニメオリジナル回。瑠璃の祖父の残した鉱石ラジオを復活させようと試行錯誤しながら核になる石の種類や巨岩信仰という人と石との関係をも巻き取って、石がラジオを受信するだけでなく現在の技術との関係、祖父の友人の神主の記憶をも掘り起こす広がりがある。石をめぐって縦にも横にも話を繋いでいくのがやはり良い。OPの使い方がすごかった。インストを流しながらラジオが通じた瞬間にエフェクトをかけたヴォーカルにしてラジオが受信成功したというアニメならではの演出。しかも「一つでも欠けていたらきっと出会えてなかったね」という歌詞をそこに当てるというのも憎い。
 13話、温泉回から流れ星を扱って瑠璃の進路の悩みを描く。仰ぎ見る空の流れ星を極小なものでもその手につかみ取ることができる、これは夢の比喩でもあるし、今が続かず終わるからこそ新しいものに出会えることを説くのもアニメとしての見事なラストだった。最終回で温泉回というのも面白いけど、温泉は鉱物が溶け込んだ石そのものでもあることを石灰がパイプに固着した塊やマグマになっていた水などをSD全裸凪さんが解説する温泉の科学的由来、エロと知識が一緒にやってきてすごい。宿から見える星空の美しさを描きつつ、一時間に10個は流れ星が流れるという話、そして一平米に0.1ミリの粒が年に一つ降ってくるので雨樋やらのゴミが集まる場所に磁石でくっついたカケラのなかに隕石があったりする。硝子が「今日ほど宇宙を身近に感じたことはありませんでした」、望遠鏡じゃなくて顕微鏡でというのも面白い。金目のものを欲しがっていた瑠璃が、綺麗のわけを知りたくなった、綺麗な石がもっと好きになった、と当初の欲望を否定せずに拡大していって「知りたいことが増えていくのは楽しい!」に行き着くのが科学への招待としてとても良い。全体に作画レベルが高すぎるし、ここぞと絵になるカットも決めてくる。ただ最後に凪そっくりの体格に成長した瑠璃の絵を出すのはどうかな。三話でのメッセージと違背しないだろうか。
 どの話数も触れておきたくなって長くなってしまった。一話どれを選ぶか迷ってしまうんだけれども、硝子の心のエンジンを起動した七話かな。ファンタジーアニメみたいなOPもいいけど何度も聴いているとEDがよりよく聞こえてくる。このスタッフ定例の名前をクレジットしないアニメーターによる作画で、瑠璃がまさに石のように山から川へと移動してくるさまを描くのもいいし、「君だけが持てる光を誰とも比べないでね」のシンプルとも言えるメッセージもいいですね。瑠璃役根本京里と硝子役林咲妃による動画番組があり、鉱物講座や博物館案内、採取のための衣服などの装備、そして実地に鉱物採集をする様子を収録しているのでそちらも面白い。原作漫画の別巻的に鉱物図鑑が出ていたので買ってちまちま読んでいる。

渡くんの××が崩壊寸前

今年、特に今期は有力スタジオによるリッチな作画のラブコメもあったけれど、本年のベストラブコメアニメはこれ。名作ですね。10年前から連載して一昨年完結した、ラーメン大好き小泉さんの原作者でもある作者による漫画原作の二クールアニメ。今期のステイプルエンタテインメント制作、直谷たかし監督作品その一。髙橋龍也構成、安田祥子キャラデザ。不穏な雰囲気のいわゆる「ヤンデレヒロイン」を扱ったラブコメから出発していてそこでも面白いけれど、中盤で大人の目線が出てくるとまた別種の面白さが加わり、作品の奥行きが広がっていくのが見どころ。子供の恋愛の近視眼的なあり方を、大人たちの視点から相対化しつつ子供たちが間違うように大人たちも間違ってきたという優しく見つめるような視点が感じられてくる。時間を経た子供たちの成長を描くにはこの尺が必要だし、二クールの意義が充分にある。物語は幼い頃に住んでいた信州で育てていた畑をぶちこわしにしていなくなった幼馴染みの館花紗月が、高校生になった渡直人の前に現われ、謎を含んだ不穏なラブコメとして始まる。不可解に性的な誘惑をしてくる紗月に対して、エロだけが頭にある同級生とは違って自分をエロい目で見ないということで渡くんは憧れの石原さんに好かれるという構図を描く。両親がおらず叔母のところに居候をしている渡くんは妹のすずだけが家族と思っていて、妹は兄と一緒にいるためにダメな子でいようとするし、兄は兄ですずを離したくない共依存兄妹でもある。紗月と石原さんに言いよられるハーレムラブコメ的な構図だけどそこに何を考えてるか分からない紗月がいることで恋愛とスリル両方の意味のドキドキがある。紗月の謎を追いつつ、石原さんからの告白を自信のなさから一度は断りつつ仮でもいいから付き合って欲しいという彼女の強さに押されて交際を始めるなか、手を繋いで大喜びの渡くんでピュアなラブコメだと思ったらコンドームを見つめる石原さんで笑ってしまった。性欲が、強い。この石原さんの紗月を横目に見つつの性的関係を焦って進めようとする話が、11話の石原母の登場でグッと趣が変わるのが前半の山場。行為寸前な状況でコンドームが石原母に見つかるという事件が起こり、高校生の頃に両親が駆け落ちしてできた子供の渡くんは二人亡き今親代わりに妹の世話をしていて、石原さんも病弱な弟に母親が掛かりきりだったと示唆されて、そういう親との関係に欠落を抱えて甘え方を知らない子供たちが性急に大人になろうとして失敗し、子供がまだ子供だということを自覚する。ここに落ち着くのが非常に良かった。「そうだ、子供だ」と渡くんが泣き出すところ、焦って性行為に及ぼうとすることの問題など、大人と子供の構図がここで露呈してくる。子供たち目線での話をずっとしてきたところで普通の親を出して、これが親との問題を抱えた子供たちの話だという話の根幹が見えてくるのは巧みな構成だろう。11話は脚本コンテ、直谷たかし。監督が直接やってる重要回だった。子供の恋愛事情が前面に出ていた時は出番がほとんど消えていた叔母多摩代が、石原母の登場で子供と大人の構図が見えてくると出番も増えてきて、よりその構図が明確になってくる。14話では紗月の真実の一端が明らかになっていて、養子故の親との関係に悩み、素直に自分のしたいことを言えず他人の目を意識してものをいってしまう他者依存的なところが見えてくる。石原さんの親もそうだったけど、紗月両親もまともか?ヤバイか?というどっちに振れるのかにハラハラしてるとそれなりに納得感のある人物像になっていく。15話の体育教師はかなり良かった。兄に言われて自覚し始めた紗月の感情についての告白を受け止める体育教師、突然のことなのに「館花、お前、切ない思いを抱えているんだな」、と妻子ある大人からのありがたい言葉が返ってくるのが面白いしちゃんとした大人だ。多摩代さんがついに渡くんたちと食卓を囲むようになったのも良い。すずの「ごはんは一人で食べてもおいしいけどさ、誰かと一緒だとほっとするじゃん」、この手のセリフで一番良い。紗月も好きだけど石原さんも好き、だから両方と付き合わないという決断を下したあと、18話では渡くんが両親が駆け落ちしなければ産まれなかった子供だと明かされて、何かを選ぶことの不幸に囚われている彼に、実家の大家の孫が渡父の「選択した後だって人は動ける、壊れた関係だって新しい形に生まれ変わるかも知れない」という言葉を伝えてくれる。間違ってしまうことへの恐れから選べない、未来でまた関係が変わることまで考えられない。そこに色んな大人たちの関わる理由があって、人生を過ちを経てなお肯定できるかが問われていく。孫の人が、選ばなかった方が不幸だとは限らないという話をしているのも近視眼的な思考を相対化する大人の目線だ。21話、前半クールの途中から現われた後輩キャラの梅澤真輝奈は尺の犠牲になったのか今ひとつ話に絡んでなかったけれど、ここで最後の輝きを放っていった。陸上部にスポーツ推薦で入った高校で挫折して部にいられなくなって転校する前の最後のデート。梅澤は走るのを辞めたことで渡くんに追いつく可能性も失われてしまったのかも知れない。好きなのは本当でも今渡くんに入れ込んでるのは逃避だろうし告白の返事からも逃げ続けて、最後に本当に言いたいことを言えたけれども逃げた先では何も得ることができない。走るのに見合わない靴を履いていた逃げる梅澤に対して、待っていた紗月は渡くんのほどけた靴紐を結び直してくれる。彼の人生の目標を紗月が足並みを揃える・結び合わせる。靴と走ることが意味深く描かれていて印象的な回だった。24話、始まってすぐ映像のキレが違うのが分かる。接写と陰影での雰囲気作り、山内重保ぽいやつだと思ってたら本人で笑ってしまった。コンテ演出に固有性がありすぎる。同棲する紗月が妊娠したかもというデマだった話と、徳井の過去付き合っていた女性が元カレの子供ができて別れてしまったという二つの妊娠話を通じて大人と子供、家族になることの重みを描きながら徳井の恋の終わりを描く。すれ違いの恋が忘れられない徳井が、すれ違いかけている渡くんたちの恋愛をどうにか結びつけようとしていた、その背景。高校生と中学生という三年の時間差が大人と子供の境界線となり、そして高校生で大人にならざるを得なかった元カノの苦労、失敗を経つつも幸福を掴んだ今に、本作で語ってきたことそのものの姿がある。「家族仲良く元気で」と徳井が言った時の画面が滲む演出、気持ちが画面とシンクロするのを感じた。25話、「家族のカタチ」というサブタイ通り、渡くんと紗月が弥生と直純の結婚式を機に家族とは何かを家族から話を聞いて考え、二人で話し合い、二人の家族のあり方をすり合わせて合意に到達する。激しい雨のなかの雨宿りから二人で駆け出すラストにこの世を生き抜こうと手を結んだ二人が描かれている。「理想の家族」なんて関係ない、「二人でも家族だよ。オレの理想はどんな形の家族でも、紗月がいればいい、紗月は?」「同じ」で二人にとっての家族の形が明確になったのは今作がようやくたどり着いた場所で感慨深い。親に愛着がなく普通の家族が分からないからプロポーズを受け止められない紗月に、紗月も渡くんも自分の家族と向きあって話を聞いてそれから考えようということが言えて実行できる、それはもう大人だ。ただいまやお帰りと言うこと、それが繰り返し描かれていて家族の最小の形とはそれなんだよ、と示しているようだった。26話は梅澤、石原らヒロインの進路や渡くんと紗月の卒業後の約束を描いて高校生たちのこれからの道を示唆しながら、未来の時間軸を出したりせずに高校生の今から外れないことで未来の可能性をより強く描いているような最終回だった。紗月に月の時計をプレゼントして、卒業式に迎えに行くからそれまでは「結婚を前提にそれぞれの道で頑張ろう」のプロポーズにいいよと返ってくる。彼に好きと言われて紗月は時間が止まれば良いと思っていたけど、時を刻む時計を見ながら先のことも楽しみになったというのは巧みな時計の使い方だ。紗月の「直くん、大好き」って、今まで言ってなかった。そうだったのか。電車で離れた席に座った後に空いた隣に座らせて二人の家族にった後に空いた隣に座らせて二人の家族に紗月を迎え入れる場面も象徴的。渡くんたちの父親が医大受験に失敗した多摩代を支えたことが、多摩代が渡くんたちを今家に住まわせていることに繋がるという、年長者から年下の相手への善意や保護が回り回って行くという流れが描かれているのも良い。家族が壊れて不安定な子供に対して、大人たちが支えることでまた新しい家族が出来ていく。渡くん父が駆け落ちして実家との関係が壊れてしまっても多摩代さんを通じて父のしたことが今の渡くんを支える。親が高二で産んだせいでまわりの人を苦しめたという渡くんの否定的な自己認識が、父のことを周囲から聞くたびに見方が変わり、自分への否定性も解消していく。高校生たちの色恋、性欲の話から始まって、子供たちの精神的問題が家族との関係に由来するという家族・大人・子供の話へと展開して各キャラの掘り下げが進んでいき、子供が子供の自分を自覚してきちんと大人になる道を探って全うに新しい家族を作る約束に至る、真摯で誠実な話だった。

アークナイツ【焔燼曙明/RISE FROM EMBER】

中国発のゲームが原作のアニメ。2022年から八話ずつ放送・配信されていたものが今年の三期の10話を加えて全26話にて完結した模様。原作はまだ続いているけれどもアニメとしては一区切り付いたものと思われる。Yostar Pictures制作構成、渡邉祐記監督、高藤彩キャラデザ。記憶を失った状態で目覚めたドクターと呼ばれる指揮官を軸にしながら、寒々とした大地を舞台に、感染症によって差別される人たちをめぐって様々な組織、人物たちが戦い、傷つきながらも差別に抗する信念に生きる姿を描く、非常に芯の太いシリアスな物語を展開していた。各勢力の関係や設定などゲームを知らない状態で見るにはややハードルが高く、実際分からないまま見ていたいけれどそれでもずしりとくるドラマの重さと映像の強さがある。刺激の強さでどぎつく絶望を描くのではなく、灰色の濃淡を描き分けるような作風で全体的に暗くて救いがないのに見ているとカタルシスがある。陰鬱さのなかのわずかな希望を丁寧に描いていく作風だ。三期は二期で斃れたフロストノヴァの葬送から始まり、「ロドスの感染者は、最後はみんなここに来るから」と何かを失う感覚に慣れていれば突然失う痛みにも耐えられる、と言うロスモンティス。絶望に慣れる訓練、このアニメみたいだ。19話ではフロストノヴァの父親、強敵パトリオットが立ちはだかる。前にその遺体と対面したロスモンティスが今度はその父親と対面する流れが描かれ、その後にタルラとアリーナという感染者の生きる権利を取り戻すためのレユニオンムーブメント創生のエピソードになる。圧政に抗議し、感染者差別に抵抗するレユニオン、パトリオットの信頼を得るほどにもなってきたタルラを支えていたアリーナが不慮の死を遂げたことでその向かう先が曲がってしまう。アリーナの「タルラは、色んなことを忘れて、諦めて、自分を許しながら前に進むべきよ」「見えない敵と対峙して初めて、本当の戦いが始まるのよ」のセリフ、また「私たちの戦争は自我との戦いだ」という言葉を紹介したりとバランサーとして優秀な存在だったのが描かれてただけにこの喪失は重い。「私は、現実に絶望したこともなく、机上の空論を唱えるものを信じぬ」というパトリオットとその信頼を得たタルラが現在時でロドスと対立することになる悲劇。民衆の素朴な感染者への憎悪を目の当たりにして憎悪に飲まれるタルラに「己と戦え、タルラ!」との声がかけられ、「正しく生き、過ちをただすことには一生を掛けるだけの価値がある」という言葉が語られる。タルラが「憎しみがあなたを盲目にした、そして自分をも見失ってしまった」とすれば、恨みではなくこの世の理不尽に対する怒りを対置してアーミヤが立ち向かう終盤は作画が弾けていて圧巻だった。三期はこれで一期からの対レユニオンの話が区切りが付いた形なのかな。最終話、タルラへの「生きてさえいれば過ちを正すことができる」ということをアレックスとミーシャを殺してしまったアーミヤもまた心に刻んでの黎明を見つめるラスト、良かった。ロスモンティスなど兵器として作られた人物もいる世界で、「私たちが武器ではないと誰が証明できる」のセリフに対して、「ドクター、私たちはまだ武器ではないと、この痛みが教えてくれています。だから、暗闇の中を歩いて行けるんです」と答えるラスト。作戦の犠牲者41名という痛み。大地がどれだけ残酷だろうとも、悪意にあふれお前を這いつくばらせようとも、屈せず挫けず正しいと信じた道を行け、差別に抗する強い覚悟を求める重厚な話だった。フロストノヴァの絶唱パトリオットの嗄れた喉、そしてメフィストの怪物化することで歌えるようになった最後の歌、全部声の演出が強烈だ。特に鉱石病に喉をやられた銀河万丈パトリオットは声がしわがれ息も絶え絶えの感じを出していたのに激昂した瞬間にかれた声のまま喋りが流暢になるあたりの演技は印象的だった。

うたごえはミルフィー

アカペラをテーマにして声優自身がユニットを組む音楽プロジェクトが原作のアニメ。以前アニメにもなったカリギュラというゲームの制作者山中拓也によるプロジェクトで、この人は今ネガティヴハッピィというクズのアイドルを描く毎週更新のショートアニメが有名なのかな。高校生の女子五人をメインとして、キレのある会話劇とアカペラをめぐる技術論の説得力の高さ、実際にプロのメンバーを入れたライバルグループのパフォーマンスのすごさ、そして部員同士がぶつかり合う容赦ない踏み込みなど、それぞれのキャラのコンプレックスや個性を五人の調和のなかに捉えた物語がとても良い。やや短めの全10話構成だけれどその分非常に密度が高かった。寿門堂制作、佐藤卓哉総監督、キャラデザ菊永千里、海保仁美、構成と脚本はほぼ原作者山中拓也自身が担当している。歌が好きだけど人見知りでネガティヴな主人公うたがアカペラ部に誘われて、という導入で、一話でちゃんとアカペラのハーモニーを聴かせて主人公の耳の良さを示すとともに音の重なりのなかで皆がどのように役割を果たしたのかを語らせるあたりは手堅い。三話で出てきた熊井はアニメで聞いたことがないような低い声の女性で驚かされた。この低音だからこそベースパートとしてアカペラでは武器になる、そういうコンプレックスを個性として裏返すのは定番だけれどここまでなのはすごい。ボイパをやっていたウルルも入れて初心者を中心に描きつつ、元々アカペラをやっていて技術としては突出している結はアンサンブルに溶け込まない、という問題もやっていてそのウルルと結が衝突する六話は初心者と熟練者でお互いに激しく言葉をぶつけ合ってお互いに泣いてしまう、というのも生々しくて、怒りを相手にぶつけると自分の方が泣いてしまうあれ、あるよなあと感じ入った。七話ではこの衝突のきっかけになった演奏をきちんと技術とロジックによっておさらいしているのもポイント。誰かがズレたらみんなで一緒にズレていく、それがハーモニーだけど、正確な音程による美しさを捨てることもできない、というジレンマが描かれる。九話では器用貧乏で壁にぶつかると諦めてしまっていたウルルが、不器用でも頑張る熊井を見て覚悟を決めたリズム隊二人の上達が感じられるのが良い。部長のアイリはハーモニーの象徴のように、今この瞬間をずっと保ちたい、時間を止めたいと思い続けているけれど不可避に変化は訪れる。アカペラを学校の部活止まりにさせない意思を持つプログループがレイを引き抜きに来たからだ。最終話では部長アイリの不安に対して、今のことを思い出話にしようといううたの話を聞いて未来のことを曲にして歌うことで締められる。その歌がこれまで流れていたOP曲「思い出話」だったというのが見事な仕掛けだった。ハーモニーを調和、時間の止まる今という要素として使いつつ、変化を肯定し流動体としてのハーモニーへと転じていく。稲垣好のラジオを聴いていたら松岡美里がゲストに来ていて今作の話になり、稲垣さんがアニメの劇伴の少なさについてセリフもアカペラなのかい、と思ったというのは良い表現だった。舞台が町田でめちゃくちゃ見覚えのある風景がたくさん出てくるアニメだった。このヒーラー、悪役令嬢レベル99、これと寿門堂アニメは結構打率が高いと思っている。

わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)

ゲームシナリオや漫画の原作等百合ジャンルで多彩に活動している作者によるラノベ原作。内沼菜摘監督、荒川稔久構成、kojikojiキャラデザ。アニメスタート時点で原作の六巻までは読んでいた。不登校だった中学時代から高校では友達をつくるぞとデビューを試みて作った友達の一人、国際的なデザイナーの娘でモデルで芸能人という完璧超人の真唯から愛の告白をされて、人付き合いに苦手意識があるれな子は友達を、真唯は恋人を、という友達か恋人かの勝負をするというラブコメガールズラブコメと称する原作を色使いもデフォルメの使い方もポップでテンション高く映像化していて楽しいアニメになってて良い。一話の冒頭から挙動不審多動気味な陰キャオタクのれな子視点アニメーションで笑う。友達をつくるんだと意気込んでいるれな子が友達のために全力で行動してしまうせいで意図せず恋愛感情を相手に抱かせてしまうと言う逆説をコミカルに演出していく。性欲バリバリの真唯に友達観がちょっとおかしいれな子で、同性だから一緒に風呂に入ることも出来るというアドバンテージをバシバシ生かしてお色気イベントもやっていく気概がある。真唯との関係を恋人で友達でもないオリジナルの関係として定義するというジャンル定番のオチを付けた一巻部分、真唯を終生のライバルと任じてつねに敵対意識を燃やす紗月がれな子を寝取って真唯に屈辱を味わわせてやるというところから始まる二巻部分、一巻ラストでれな子に告白めいたことを言われて人知れず強く意識していた紫陽花さんとの旅行篇の三巻部分とアニメ化され、全十二話かと思えば原作の第一部完結篇となる四巻部分が追加でアニメ化されており先行劇場公開となり結構な人気を呼んだ。四話の二人の関係を定義するところで「親友以上、恋人未満ということで」とあるのは、夫婦以上恋人未満のアニメを作ったスタジオがわたなれをアニメ化する必然性が示されてて笑った。紗月との六話では紗月が狭いアパートで一緒に風呂に入るところがエロい。何も修正を入れないで限界まで映す絵的な面のみならず狭い風呂かつボディソープをつけた手で手を洗う、まあドエロですよね。気合い入ったシーンだ。そしてクールぶってて実はマザコン、裕福でない家で努力家、案外に天然なところがあるなど紗月の堅いところの内側をのぞき見て裸もキスの感触も知っていくれな子という回だった。九話からの紫陽花さん篇は彼女のモノローグから始まって印象がちょっと違っていて、かなり青春ものの方に振っている。弟たちの世話など家でのことで一杯になってしまった彼女の家出に付き合うれな子との夏の逃避行。四話でれな子に落とされてたけど、そのことに気づかないまま紫陽花さんの欲しいものを全部与え続けているれな子。11話、前半はコミカルな雰囲気で楽しいところから縁日で真唯との対話を得て好意を自覚した紫陽花さんが列車に紛らせての告白をして、れな子という天使と出会えて色づく世界をモノローグとともに描いていて、後半は特に演出の効いた回だった。真唯に問われて関係を壊したくない、みんなが幸せなら、と言っていて自分の感情を隠していたのがやはり列車の音にあえて隠して本心を明かす場面はなんとも控えめな性格らしい。別の話でもないのにBパートは矢萩利幸がコンテ演出作監総作監原画を一人で担当したとクレジットで分かるのは珍しい。12話、全篇が紫陽花さんの告白は振られるという雰囲気で進んでいたところでれな子がつい肯定してしまう衝撃のラスト、面白すぎたね。紫陽花さん全肯定ガールだったれな子だから彼女の言うことには即イエスを言ってしまうという伏線がずっと張られていたわけですね。「れな子は必ず最後には私を選ぶからさ」この王者仕草がオチのフリだった。でもここで握った真唯の手が震えてて、王者の言動も不安を押し隠したポーズでそれは紫陽花さんに前に進んで欲しいという応援でもあったところがれな子とも似てくるのでただのピエロにはなってない。原作だと紫陽花さんの語りで真唯の不安を語ってたけどアニメは手の震えだけで表現してるんだな。原作、紫陽花さん視点での語りでれな子に告白めいたことをされた時火花が散ってひび割れたスマホの画面のように元には戻らない比喩が出てきて、その後一瞬の花火を見て気持ちを自覚し、そしてれな子視点では紫陽花さんに「自分の宝石」を見つけて欲しいという光の比喩の連繋が良かった。学年のトップグループに招かれてというところは少女漫画ぽくて、強引に相手に襲われるというのはBLぽいというのは確かにそうだなと思った。13話以降を見たら追記する。

光が死んだ夏

原作の評判はちょいちょい聞いていた。サイゲームスピクチャーズ制作、夜のクラゲの竹下良平監督。ある山村を舞台に、高校生の友人ヒカルがいつの間にか化け物と入れ替わっていたことに佳紀は気づいてしまい、この幼馴染みだった二人の関係が化け物の正体や村の謎とも絡んで描かれていく怪異BL?アニメ。かなり力が入っている映像でホラー演出も恐ろしく、田舎の山村で同性愛者でいることの逃げ場のなさや、人間の形をした化け物という偽物の存在性など、クィアホラーとでも呼べる作品。化け物に成り代わりつつも元の記憶を持っている偽ヒカルは好きなものと同化しようとする衝動を持っており、おれ以外を見るな、おれだけ見ていればいいとヒカルに言わせるセリフ回しはBLの匂い。と思ったら直接体のなかに手を入れるのが完全に性行為の比喩だろうという肉の生々しさ。その肉の不気味さが実写や店員の世間話で人のプライベートに踏み込む気味悪さに繋がる。「別に、悪いとこばかりやないのは知っとるよ。ただ、俺の居場所やないって思うだけ」、この村が好きなヒカルと佳紀の溝、性的マイノリティの居場所の話でもある。そうして、ヒカルはもう元のヒカルではないけれど、「俺らには俺らだけのもんがあるやろ」「お前は別に人間になんてならんでええよ」、怪物でも人間の鋳型に押し込まれずに生きていられる場所があればいい、ダイレクトに少数者・クィアの話が出てくる。最終話は、ヒカルが人間の感情を学んで自分だけの感情を自覚するなか、佳紀もまた己の隠したものをバケモンと呼び、クィア性で二人が交差する。ヒカルが元のヒカルが死んだと分かった朝子の悲しみに触れ、人間の感情を学び、自分は皆がヒカルの死を悲しむ機会を奪ってしまったと気づくことで自分の存在することの歪みを知っていく。ヒカルが人間の感情を学んで、恋でも友情でもない佳紀への感情は、人間のものでもないバケモンのものだと自覚することと、佳紀の普通になれない押し隠したおそらくは同性愛的な感情、バケモンという共通語ではあるけれど、すれ違って重なることがないものなんだろう。バケモンがいなくなってめでたし、なんていうマイノリティの透明化にはしない、その苦闘はまだこれからなんだな。二期へ続く。原作がまだ連載中なのを知らなかった。そりゃ終わらんわけだ。原作だと五巻あたりっぽいけど新刊七巻だし二期はだいぶ先にならない? 六話当たりを見ていて自転車をケッタと呼ぶのは名古屋あたりっぽいけれど、話されてる方言はもっと関西寄りなのでこれはじゃあ三重の辺りなんだろうかと思ったら作者が三重の山間部を意識したらしくビンゴだった。私は小学校が名古屋だったので東京に来た時にアクセントが違うのを指摘されたことがある。

ぷにるはかわいいスライム 二期

去年に続くスライムラブコメSF二期。一話では前期最終回の電車の離別場面からそのまま続きで、ぷにるが海外で大活躍で変身を大盤振る舞いしてもすべてが褒められるので自分の形が分からなくなるというきっかけから、キャラ総出演とこれまでの変身も回収していく総集篇的作りは上手い。サスペンスで死体が届くみたいな感じで段ボール入りぷにるが海外から戻ってくるのコイツしかできない手法ですごい。14話、男女をただの衣装違いだと思っているぷにるがバレンタインだと女子はチョコを贈らねばならないことに不平を漏らし、男子になればチョコをもらう側になれると男子になる展開、さらに男女の区別なく贈り合うのが現代だと切り返してくるのがバカ話をしててもちゃんと今の作品だ。繁殖が出来ることがロボットを越えた人間の条件だと考えるジュレが現われるジュレ篇、性欲と好意の腑分けと人間とロボットの話を掘り下げていく。人間とロボに高低差を付けて考えている彼女の存在はペットロボットも人間も変わらないという話と鋭い対立を示していて面白い。18話、人間になりたいと思うジュレと、スライムのホビー・アイデンティティを手放さないぷにる。「誰もが羨むホビーに生まれたのに、ど・う・し・て、不自由な人間を目指さないといけないんですか」「ぼくはスライムに生まれて良かったです、世の中全てのかわいい姿になれますからね」。見下していたぷにるが人間化への羨望を一切共有しないことによって、ジュレが人間の偽物でしかないということがより露呈してしまって狂乱の様相の夕暮れの赤いシーン、血の通うもの、の象徴を映し込んだホラー映像が鮮烈だ。素体だけのジュレにはかわいいを作る努力がない、と非難するぷにるが服を脱げと言われてスライムの本体が現われるのは面白い。性的な要素を認識し、服を脱ぐのが価値だという学習をするジュレに対してスライムギャグがそれを相対化していく。19話、コタローは「セクシーガールが好きだからジュレが好きだ」、でもそれはクリームソーダが好きなのと同じようなもので、「女の姿」にドキドキしてしまっただけ。性欲と好意その他を切り分けられるのはかなり賢い。24話最終回、ジュレの一方的な思いを「ジュレのやってることはお人形遊び」だと言うのも直球の批判だけど、ぷにるはホビーなのでこれが決して否定ではなく、ホビーだって人をホビーとして遊べる、お互い同じでコタローと仲間だと喜んでる発想を描くのがすごい。ホビー視点だから「お人形遊び」を決して否定せず、恋に恋する姿さえ肯定する、この切れ味を出せるアニメが年に幾つあるのか。身近なホビーから人間との違いを析出するSFとしての面白みがある。理想のコタローをパーツとして自分で好きに組み上げたジュレの恋。これは人形で遊ぶのと同じというのが幼い恋を通して成長していく要素として描かれてるのも良い。コタローは姿形が似ていたとしてもジュレが化けた姿をぷにると見なすことはなく、その存在のコアを認識していて、そして普段から触れあって相手の残滓をその身に宿していることで、そのカケラから本来のぷにるが再生できる、スライムギャグを伏線にしつつ幻想の恋ではない関係を描いている。「人間だって一生掛けても完璧な人間になることはないというのに」と真戸博士が言う通り、ジュレの幼さとはここにある。で、「コタローの望む理想の姿になろうかと」、ジュレの影響でぷにるが言うのを「お前がしたい格好をすればいいんじゃねえの」とコタローで締める、良いラストだった。ジュレのぷにるを「本物のぷにるだったらこんなにかわいくねえからな」というのも、ぷにるがかわいくないと繰り返すコタローのセリフに込められた愛がうかがえる。2024年のベスト10に選んだけれども第二クールもやはり傑作だろう。一期の夏回みたいなキレのある演出回はなかったのが惜しいけど、やはり良い作品だ。

クレバテス-魔獣の王と赤子と屍の勇者-

Dimension Wの作者による漫画が原作。ウルトラマンシリーズで知られる特撮作品の監督田口清隆がアニメに初挑戦らしい。魔獣王クレバテスが人間のある国の王による討伐隊を返り討ちにし、その国の王都を襲い壊滅させるけれどもそこに赤子を発見し、人属が滅ぼすべきものかを見極めるために赤子を保護しルナと名付け、討伐隊のなかの女性を女だから赤子を育てられるだろうと下僕として蘇生させ行動を共にすることになるという、赤子と育児を通じて人間の闇と生を描く魔王の子育てダークファンタジー。山賊団に出会ってそこで死産を繰り返しているネルという女性に対して、その団の女性のまとめ役のようなカルメの描き方も印象的。どうしようもない底辺で生きるために女同士の団結をしているカルメはネルに対してもある程度親切だけど、抜け駆けの気配を感じたら自分を差し置いてと激怒するあたりは悪人でも善人でもない普通の人間らしさがある。そしてネルが幾度も流産したというのは男性の団員らに犯され殴られてるとかだと思っていたけれど、子を産むことが禁忌なのでカルメらに処置されてたのが真相だったとは。抑圧される状況に慣れてしまい、隠れて子を育てる勇気が持てなかったカルメの人間的な弱さの描写が主人公たちと別ラインに置かれている。終盤、伝わってきた勇者伝承の真相が明らかになり、虚無となった勇者伝承に対してアリシアが人としての勇者、運命に立ち向かうもの、真の勇者として立ち上がる。「模造品で結構。偽物でも結構。それでも私は勇者だ」、既に一度死んだアリシアがそれでも、と立ち上がってクレバテスに見るべきものを再確認させる強さ。立ち上がるアリシア、歩き出す赤子ルナに人属の強さを表わして、クレバテスの興味を惹いたところで、ルナを王妃に返してどうなるのかと思ったら、成長を見守る教師役に収まって学園篇に繋げるとは意外だった。子育てダークファンタジーから学園ダークファンタジーへ? ゲーム世界チックなファンタジーが多くなってきたところにあって骨太ダークファンタジーだけどそこそこコミカルさもあって、特撮監督らしい怪獣効果音でのスケール感のあるバトルアクションも力が入っていたかなりの力作だった。二期もあるよ。

気絶勇者と暗殺姫

コネクト制作秋田谷監督、望まぬ不死とかスローループのスタッフ。冒頭、冒険者一行の様子が全然冒険できそうな格好じゃねえなと思ったら一瞬でギャグになった。女性が苦手な勇者トトと彼を殺そうとする女性たちのラブコメ漫画原作。絶対守る勇者と絶対殺すヒロイン、矛盾アニメだ。色仕掛けで簡単に気絶してしまうのにその間に殺さない時点でまあみんな甘いんだよなと思ってたら気絶してる時にナイフすら通らないという鉄壁の勇者がすごすぎる。みんなそれぞれ一応暗殺は試みるんだけれど全然効かないし、表向きは仲良しパーティをやってる間に本当に仲が良くなってきてしまうという偽の恋人ラブコメみたいなもんでもある。魔王候補で魔族の少女、一番年下に見えるシエルをみんなで育ててるみたいな感触もあったりして楽しいけれど、終盤は色仕掛けでの精神操作を特技とするゴアの話になってくる。10話で人間とデュラハンの種族の違いを超えた結束を持つ二人を前にして、トトたちのパーティもそうだし、魔王を倒すという目的が再考を促される。魔物と冒険する勇者を見て、仲間の正体を知っても大切だと言えるか、相容れる道を探すのが旅の本当の目的ではないかという目的の再構築がされつつ、「きっと私は選ばれない」というゴアの鬱屈、心を操ることは敵対していることよりも悪いのではというところに繋がるのは上手い。最終回、心を操る能力で人に拒まれたゴアのトラウマが、自分の能力に対する矛盾した気持ちを生んで、その能力を誰かに破って欲しいとずっと思っていた望みを叶える三人が現われて、そりゃあ感激してしまうだろうという良い話だった。表と裏の心情が今作らしい。トトの「俺ってもしかして強いんだろうか?」、今更? トトは役立たずどころじゃないだろとは思いつつ、役立たずでもいいんじゃない、一人前になるための旅の途中だから、という良い感じのセリフで締める。設定はムチャだけど面白かった。

サイレント・ウィッチ 沈黙の魔女の隠しごと

評判を聞いててコミカライズも追い損ねて原作小説を買うかと思ってたらアニメが始まった。サイピク作品みたいな画面だと思ったらスタジオ五組制作。いわもとやすお監督、金﨑貴臣総監督が構成脚本。デフォルメの感じが金﨑監督作品だ。だいぶ力が入っている映像。人付き合いが苦手で喋りたくないからと史上初の無詠唱魔法を開発してしまった若くして七賢人に列せられる天才魔法使いがある任務のために学校に潜入して、学園生活を通して人との関係を学んでいく。引きこもり気味の社交性皆無キャラ、小原好美感があるキャラだけど会沢紗弥がモニカ役をやっていて良かった。数字、数学に強いモニカがその能力で探偵的に学園の事件を追っていく。まあ薬屋のひとりごとと同ジャンルだな。理系の才能を持った少女が特殊な閉域に潜入して王子様に見初められる、という。すぐぺしゃってなる弱い生き物モニカのコミカルな表情作画と演技がだいぶ楽しい。へにょ顔、泣き顔、モニカを魅力的に描くぞという気合いはバッチリだ。見ていてこれ百合アニメ? いや違うか、あれやっぱ百合アニメ? みたいな反復横跳びの視聴感がある。百合アニメっぽさもヘテロロマンスっぽさも両方摂取できる贅沢なアニメだね。アニメーションのリッチさに対して話に面白さが足りないという印象だったけど、ラストは良かった。最終話、世界は数字で出来ているという父の言葉への再訪。アイクも幽霊ならモニカも正体を偽ってここにいる幽霊だったことと、そこでモニカが焼かれたはずの父の本に再会できたことが、死者の魂を迎え送る祭祀のなかで描かれる。排斥された父の本に金貨二枚の高値を付けた本屋、そしてそれを払ってくれるアイク、父の本だとは言えない彼女にとって感謝してもしきれない嬉しさ、滂沱の涙を流すモニカの顔が力の入った絵になっている。あまりにも中川夏紀みたいな見た目の友達ケイシーの件でも秘密を抱えた苦しさ、という「沈黙の魔女」らしい物語展開を描いていた。

ゲーセン少女と異文化交流

10Pくらいのショートラブコメの原作漫画は読んでいて、そんなに異文化交流要素なくね?と思ってたけど一話はゲーセンとコミュニケーションノートを生かしてて良い。大学生男子レンジにイギリスから来た中学生の少女リリーが懐いてアタックしてくる、という年の差ラブコメ。リリー役天城サリーの英語も良いけどリリー母がきんモザアリスの田中真奈美で英国少女来日アニメの伝統が継承されてる。10話の格ゲートーナメント篇、変なモブがやたらと活躍する雑なコメディ感が楽しかったけどここに出てくる雨時々晴れって選手、ウメハラとときどを混ぜた名前か? メガネとか目隠しとか目のことばかり解説してるメガネ何。目隠ししてるやつは五条悟パロなのか。最後はレンジの田舎にリリーたちも同行してきての夏休み回で、田舎の夏祭りのはじまりはよそものが持ち込んだもので、伝統は異文化交流で生まれたものが受け継がれていくものと規定するところも良いし、そこで蛍の光を流す演出が秀逸だった。スコットランド民謡が日本で馴染みの曲になって、お店の閉店音楽の定番になってるという以前の話をここで音楽として重ねるのはとても良い。ゲームとともに二人に通じる共通言語。そうしてお互いにお互いの言葉を学んで共通言語を増やしていく。ゲーセンという場所を出店の集まる祭の縁日に見立てて重ねることで出会いの日を再演しているのもいい締め方だった。興行、交流の場所として、そして常に更新されていくものとして。基本的にはイギリス人の金髪少女が恋に恋する様を眺めるような美少女アニメで異文化要素に踏み込みを感じてなかったんだけど、結構ちゃんとそれを生かして締めてきてて、思ったよりも全然良いアニメになってて良かったですね。祭と花火と夜空の光景も綺麗だった。途中の回で梅干しとマーマイトをお互いにプレゼントしたら、お互い何これ、となってて初めて異文化の食べ物を食べたらそりゃ面食らうだろうということをちゃんとやるところも良かった。年齢差カップルで相手を中学生にすることでエロ要素が入る余地を消して、純粋に萌え要素を受け取れる作品になってるのかも知れない。邪神ちゃんのノーマッド制作。

Turkey!

今年のライブ感アニメと言えばガンダムではなく今作。女子高校生たちによる青春ボウリングアニメかと思わせて一話の最後で戦国時代にタイムスリップという困惑必至の導入で視聴者を賛否両論の渦に巻き込んだ。スネークアイという両端のピンが残った難度の高い状態のように、部活のガチ勢とエンジョイ勢、卒業する先輩と残る後輩、過去と現在の死生観をはじめ様々な二つに分かたれたものという要素が張り巡らされた見応えのある作劇と、どう見てもおかしいだろというムチャさが渾然一体となった怪作オリジナルアニメ。ボウリングと戦国というスネークアイへの今年一番の暴投を試みたその心意気は買うしかない。見た人が賛否どちらに振れるか予想がつかない、さながら見るギャンブル。今作を制作したバッケンレコードはもういっぽんという漫画原作柔道アニメはたいへん良い作品だったんだけど、正統派王道ともいえるそちらに対して今度は思いっきり飛び道具で攻めてくるのはそれはそれで真面目かも知れない。八月のシンデレラナインやもめリリの工藤進監督でもある。見所は六話、戦国時代の恋愛観、ナプキンなどないところでの月経というリアルな困難、そして自分のために誰かが殺されたらもう元の時代には戻れないという死生観の落差など、シリアスな現代と戦国との価値観の対比の後、大きい岩を水切りのごとくぶん投げる異様な膂力を発揮するさゆり、面白すぎる。人間砲台さゆり。この時代は初潮を初午といい、それも来てない子が結婚?という話から月経を経て命と血の話で結婚、生殖、殺しと生々しい話を繋いでいたのはなかなか見応えがあった。終盤、一度現代に帰ったみんなが後の歴史で世話になった人たちが処刑されると知って再び戦国時代に戻ってくるのは王道と言えば王道なんだけど、戦国武将を煽ってボウリング勝負に持ち込んで、一投一投に何人もの命が掛かったまさに命がけの投球になるデスボウリング、すごい展開だ。最終回、過去の人物がマイたちの時代にいないとしてもそれはいなくなるということではないとしてマイの両親との死別のトラウマを払拭する。と思ったら本当にいなくならないとは思わなかった。マイの両親との別れ、すももたちとの別れ、そしてリナと上級生たちとの別れ、二つに分かれるスネークアイをめぐってそれでも繋がりは残る、と述べつつ、それを一つのピンがもう片方のピンにぶつかるように、すももだけはマイのもとに戻るという組み立ては上手い。命を助けて、自由になれて、母親になるという夢を叶えてくれた、と初午がこないというのがここに繋がる。子をなせないという戦国の女性として烙印を押された彼女が現代で居場所を得る。最終話では主人公が繰り返し言う「ボウリングには二投目がある!」を受け入れたことに対して批判する僧侶を「武士に二言はない、神にはあるのか?」と切って捨てる武将、今作一番のキレがあるセリフだった。今年随一の怪作としてしばらく忘れられない作品なのは確かだろう。アニメ自体の出来も良いんだよな。しかし九話、主人公たちが歌うOPの時代入れ替えバージョンはすごいサプライズだった。2025年に日高のり子らがOPを歌うアニメが始まる!

短評

フードコートで、また明日。
原作漫画は読んでいた。全六話のアニメ。確かに原作はそんな量ないよなとは思ってた。基本二人のだべり漫画を百合に定評のある坂井久太がキャラデザのみならずコンテや原画作監もやってて、原作の絵柄やデフォルメなども良い感じに再現されてた。アトリエポンダルクで古賀一臣監督。中学終わり頃から仲良くなって別の高校に行ったけれど、放課後フードコートでの和田と山本二人の時間を描く百合アニメ。和田、面倒くさいけど素直というか子供っぽい悪ガキ感で嫌なやつにはならないくらいのバランス。面倒くさい和田と適切な解答を示す山本。まあ山本のギャルはあざとい。最終回、和田も好きなスマホゲーのキャラを失い、新たな配信者のファンになって、と終わりと始まりを描いてからの二人の別れと再会で終わる、良い締めだった。仲良いからこんな話できるんだけどね、の流れは完全にオードリーが浮かんだ。アニメ化と聞いてそんな長くない作品をどうやって?と思ったら全六話構成でアニメ化というのは面白い。アニメ的にオリジナル回とか入れても面白そうだけれど、原作のコンパクトさを生かすならこうというのも分かる。

フェルマーの料理
料理と数学を組み合わせた漫画原作アニメ。原作者はサッカー漫画がアニメ化した人らしくて、ジャンルが違いすぎるってビビった。数学者に挫折した岳が、料理人の海と出会い、二話はその海の突き出す謎を解くようにして料理と数学を掛け合わせていく、合理性をコンセプトにした料理漫画で面白い。あえて二つに分ければおいしいは感覚的なものだけど、うまい=うま味は計算可能だ、と。魚介と肉のようにうま味成分が異なる料理を上手くかみ合わせれば何倍ものうま味になるという計算式。最終回、アニメの最後に会場の空気を持って行くデザートの話で締めるのも憎い。口のなかで味がスイッチしていく異様な仕掛けのその種明かし。デザートは数字と図形でできている、として素材と調理法と盛り付けで口のなかでの味の変化を数式化してコントロールしていく。タルトをバラバラにして素材の味を引き出した海の料理をヒントに、素材の味や香りの変動を計算し尽くし、盛り付けの立体性をも勘案し、芸術的なデザートに仕立て上げるくだりはド迫力だった。コース料理ではむしろ調理法と素材を自由にいじれるのがデザート、という逆転の発想。「デザートこそ数学そのものなんだ」、数学賞の授賞式だから数学の話が通じる場だというのもあって一番の盛り上がりを演出する。パティシエとして旧友と並び立ち、ヒロインの危機を救い、海の期待に応える、見事なエンディングだった。

自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う2nd season
まさかすぎる二期。冒頭から自販機に惚れてるやつが男女ともに現われてどうなってんだこの世界は。老人冒険者が妙に強い、こんなにご老体が活躍する異世界アニメも珍しい。まあ自販機がダンジョンについてくることに比べれば全然常識の範囲内だけども。二期一話からボスに対抗する手段として全高18メートルの氷自販機が出てくるのがムチャすぎる。自販機の強引な攻撃手段が自販機豆知識も兼ねてるところが面白い。自販機としての定型句から字を抜き出して言葉を喋ってラブコメを展開し、自力で移動して氷の弾丸を射出できるようになって戦闘もこなせる、わけのわからないすごさだよ。語句の制限でラッミスは呼べてもヒュールミは呼べない、というところからかわいいねとかお世辞言ってみたりでラブコメできてるの笑ってしまう。自販機になった主人公をめぐってコミュニケーションに壁があるからこそのドラマができてるのは良いんだけど、自販機転生以上に自販機相手に結婚しようとするラッミスの異常さがすべてをなぎ倒していく。七話では畑に転生したやつというまた別の異常なキャラクターを出して来た。そいつの来歴をダイジェストで語っていく途中に「畑なので会話する術を持たず、日々おばあさんに耕されていました」という凄まじいフレーズが出てきてすごかった。畑が旅に出る、どういう現象なんだよ。キコユ、触れた相手の心を読めるからハッコンとも喋れる、ここに来て意思疎通面でかなりの進展が出てきた。10話では異世界でミスコンを開催して自販機が審査員席に座って、自販機がハートをわしづかみメイク術の練習をしていて自販機がヒロインズにメイクを施してメインヒロインが優勝、この過程全部どうかしてる。最終話で話がまとまらなくて、メインストーリーは三期に繋がるという分割二クールだったっぽい。自販機を使って倒す作戦がどれもトンチキですごいのと、自販機を使わなくてもすごい突拍子もなさで事態を解決していくおもしろアニメだった。

タコピーの原罪
話題作の漫画を全六話構成にして、テレビ放送もなしで尺も表現も制約なしで作ったという力が入ったアニメ。原作は当時読んでて良かったね。何が起こるか知ってるから。映像でこの子供たちの虐待や暴力やらを初見で食らうのは結構大変だと思う。学校でいじめられているしずかの元に宇宙人タコピーが現われて、人間のことを知らないタコピーが異様な状況下でのしずかから人間を学んでいくSFアニメ、かな。陰惨な状況下にある子供たちの生々しい描写でセンセーショナルな話題性を振りまきつつの作風はいくらかどうかと思うところも多い。しかしアニメーションには相当に力が入っており、四話の画面はグリッグリに動くなと思ったら五十嵐海やら斎藤圭一郎やら見覚えのある名前があったりコンテ演出大島塔也、作監中村颯、総作監長原圭太の回はすごかった。ラストは誰も私を見てくれない、話を聞いてくれなかったという最後の最後に出てきたしずかの叫びに応えるタコピーが自分を絆と化してまりなとのきっかけを与えることでなんとか破滅への道を防ぐエンドを迎える。一発で解決できずとも誰か一人でも戦友がいればこの世と戦える、と。最初は人の話を聞かずに解決しようとしていたタコピーが直樹の話をじっと聞いていた前半や、しずかの話を聞いた上で最後の選択をするという話を聞くことの大事さが描かれていた。でも最後の最後にならないと言えないこともあるという長い迂回路だった。百合エンドだったね。毒親ショーって感じも強かったけどまあなんとか最後は良い感じに締めた。せっかく配信限定で冒頭に注意書きがされてるアニメなのに、これを事前情報なしで見せて阿鼻叫喚を楽しむみたいなツイートがあったけど、作品をそうやって面白トラップみたいにネタにするオタク、製作に当たっての配慮を全部裏切ってて恥を知らないなあ。まあ、タコピーに元々そういう悪趣味さがあり、それがネットバズとともに広まった作品だといえばまあそうだけども。

出禁のモグラ
鬼灯の冷徹の原作者による漫画原作。ほとんど会話してるだけなのに引きつけてくる。あの世から出禁を食らう刑によって死なない仙人のようになっており、それ故に様々な制約で相応に生活も色々難しいというモグラの世知辛さ。住民票を取ったとして、戦時下では赤紙が来るのはなるほどだ。このモグラと人間の男女二人を主人公にして、ファンタジックな存在を世知辛くリアリスティックに描きつつ、さまざまな怪異事件と遭遇しての問題解決を描いていく。中村悠一がよく喋るアニメで、長広舌を聞かせる技術を感じる。民俗学系ネタを散りばめながらのストーリーは地味にちゃんと面白くて良かった。終盤の島篇は島の渉外役でもある一族が島民を支配するために色々やってることが明らかになってくる。能力のあるトップが多少の問題があることもある、という話どころか、権力者は権力を維持するために何でもやる、という話は田舎がどうこうという話には留まらないことでもあって、当事者のクセに騙された善人づらする島民もおり、独裁やいじめには密かに協力する傍観者の責任もあるんだと指摘する。「因習村」概念を相対化しつつ閉鎖環境での人間の行動はこうもなるという描き方だろう。

帝乃三姉妹は案外、チョロい。
少年サンデー連載ラブコメ漫画をPAワークスがアニメ化したもの。家が五等分の花嫁でマガジンラブコメのメソッドをすごい感じるけど一番思い出すのは女神寮の寮母くんだった。こういう絵柄がサンデーに載ってるんだな。小柄な少年が格闘技、俳優、将棋とそれぞれ突出した才能を持った三姉妹の家に転がり込んで、家事を万端担当してマネージャー的な立場からヒロインたちを支えるラブコメ。五等分の花嫁のマガジンラブコメのメソッドを感じるけれど一番思い出すのは女神寮の寮母くんだった。キャラデザ的に一番美少女っぽく描かれてるのは主人公だよなあ。序盤はそこそこだったけど、中盤以降三姉妹の個別掘り下げパートが始まるとそれぞれ主人公優とのどういう側面との対比があるかを描いていて、各篇きちんと見応えある話になっていたのが偉くて、その勢いのまま三女までやって終わらせるのは良い構成だったと思う。ニコ回八話の、王道で真面目だから予想通り、「型を崩さない試合」という一面的な凝り固まった自己像から、トリッキーな技や可憐なドレス姿を重ねての決着、と自分の二面性を認めることで視野の狭さが克服される、ニコらしく「二」が重要な話なのとかも良かった。

ブサメンガチファイター
不細工表現アニメその一。ホワイトフォックス制作でへえと思った。ゲーム世界転移をする時にルックスをマイナスに設定し女子に触れるとダメージを食らうとか特記してたらポイントがバカほどもらえて特性に超有利なものがついて、という異世界転移ラノベ原作。現実でそれぞれ何らかの関係がある同士がこの世界で色々悩みを掘り下げたり、結構王道の話だ。異世界転移ファンタジーかと思ったら現実での贖罪と呪いに向き合う宗教性も感じられる真面目な話になってるの、タイトルから想像できなさすぎる。途中で出てくる梶田というキャラも、不動産会社と地上げ屋によって家ごと襲撃されて、というところまでは悲しい被害者だけど、復讐が過剰になって一線を越えた感じだ。どっちに転ぶかの話をしている。善行が縁を繋ぎ、過ちは認めて生き直す、更生としての異世界。不細工で痴漢冤罪で陥れられて、みたいな設定は最初気になったけど大ケガをしている聖華、不細工のしげるがそれでも憎しみに支配されない高潔さを描いていて、悔いを持った人たちがもう一度やり直したいという願いを叶える世界を描く、いくらか宗教的でもある意外なほど芯のある善性の話で良かった。

ブスに花束を。
不細工表現アニメその二。見るからに少女漫画って感じだけどヤングエース連載ラブコメ漫画が原作。タイトルのどぎつさはだからか? シルバーリンクでこういうのも珍しい気がする。早見さんが花澤さんみたいな芸風をやってる。行きすぎた自虐と善人のクラスメイトのコメディかと思えば、世界に善人ばかりだったら主人公田端がこんな自己否定的になるとも思えず美化委員とかでちゃんと仕事を押しつける良くない人も出てくる一話。田端は見た目が冴えないけれどもその地味な善行がクラスの見た目が良くて人の美醜にこだわらない上野に気づかれて、距離が近づいていく。そこで美少女と目される上野狙いの鶯谷の女子的な策略家ぶりを「好きな人には自分の綺麗なところだけ見せたいの」という心理として描いて、鶯谷を落とすわけでもない話にしてたりもする。ワンクールで綺麗に上野と田端が付き合うまでをやってタイトル回収して、良いアニメだった。誤解や勘違いは世にありふれていてそれは見た目・ルックスとも同じだけれどそれを超えた誠実さや善意、言葉が通じることを描いたような話だった。タイトルはどうかと思うんだけどそれも必須な要素だろう。少女漫画の男性向け媒体へのアレンジが最近の恋愛もの・ラブコメで目立つというよく言われている話の一例でもある。

その着せ替え人形は恋をする 二期
今期クローバーワークスラブコメアニメその一。三年ぶりの二期、一話から作り込みが怖い。冒頭から作中作で作画が遊びまくり、一期も良かったと思うけど二期はやたら絵がリッチでグリグリ動くアニメになっててこうだったっけ?ってなってる。ぼっち以降の演出の多彩さって感じもすごい。作画も演出も次々に色々繰り出してて怖。モーションキャプチャー使ってるのかっていうような細かい動きまで描かれてる。クローバーワークスのハイコスト路線もここまで来たかみたい。それはそれでこのアニメに持続可能性はありますか?と思わないでもなかった。楽しいアニメではあるんだけど二期はちょっともう一つという感じもあった。今夜は寝ません、を勘違いして夜に期待してしまったマリンあたりのお色気ラブコメは楽しかったけれど。マリンを避けるようなアキラの真相も拍子抜けで、オタク賛歌でまとめるためにちょっと展開が縛られてる気もする。しかし17話、この人形劇、マジで実写で作ったのか?っていう。画面切り替えの演出も面白いけど、この回は作画の遊びというより特に背景と人物の動かし方というか重ね方が独特な感じ。珍しい映像な気がする。コンテ若林信だ。20話は二期では初めて出てきたのに一言でクレジット三番目に入ってくるサジュナ、強い。ジュジュ姉妹が出てくると盛り上がりが違うなってのもあるけど、出てきて色々なラインが繋がってくるのは面白かった。OPが最初真顔から始まってマリンだけが描かれててその向かう先に五条くんがいるというマリン主観の恋する映像すぎる。

薫る花は凛と咲く
今期クローバーワークスラブコメアニメその二、明日ちゃん監督構成の座組だ。お嬢様チックな女子高と底辺男子高が隣同士にあって反目し合ってるという設定。大柄でちょっと見た目が怖い凛太郎の自尊心の低さを描きつつ、ヒロイン和栗さんを魅力的に描きます!という意気を感じる。しかしまあ男子高生がこんなに悩みの相談やケアやら細かいフォローが上手いわけないだろ、の気持ちはある。顔が怖いとか、底辺学校/お嬢様学校とかいう偏見でものを見ることは「頭の悪い」ことだという話を丁寧にやってる。終盤、子供が友達を家に初めて連れてきて、あの全てを諦めようとしていた息子の珍しくやりたがった金髪ピアスを率先してやっていた母親の心情というのが描かれていて感動的ではあるんだけど、凛太郎がそういう挫けそうなことになっていたのは何故なのかは良く分からない。凛太郎の家がケーキ屋で全然似合わないと言われる話、ぷにるのコタローとも似てるし着せ替え人形とも似た話だけどこっちは親の仕事だしあんまり説得力がない。美女と野獣的なモチーフなんだけど凛太郎の見た目を極端にはしてないせいで、人に避けられる状況を説得的に描けてないように見える。それはそれとして最終回は面白かった。時代は肉食ヒロインらしい。ラブコメに謎解きパートとかあるんだ。頑張って告白したら相手が初対面だと思ってる時よりずっと前に印象的な対面があってそれからずっと狙ってましたって話聞かされて、凛太郎くんこれそんなシンプルに喜ぶの違ってこない?!ってなる。会えそうなときには精一杯のオシャレをして距離をドンドン近づけて、最後の最後に相手からの告白を引き出して勝利、っていう女性作者の恋愛ものとしてのアプローチのリアリティというかパワフルさを感じた。あんまり男性作者からは出てこない話ではないか。学校同士の対立の話はなんともなあと思ったけど、和栗さんのパワーはすごいアニメだった。最終回で別の面白さが生えてきたのはインパクトがあった。

カラオケ行こ!  夢中さ、きみに。
同じ原作者の短い作品をセットでアニメ化するという珍しい試みの二作。カラオケ行こ!は、カラオケ大会でビリになって組長に刺青を入れられることを恐れたヤクザが歌がうまいのを見かけた中学生に目をつけて個人教師を頼み込んでカラオケを習うすごい話。動画工房制作でアニメは安定している。中学生の主人公の良い性格をしたギャグを刻みつつ、変声期を迎えた鬱屈が変人との時間で変化していく。主人公はヤクザの名刺は捨てるし、歌ってる時にチャーハン頼むし、良い根性しすぎだろ。度胸がすごすぎる。状況設定とギャグのセンスや物語のフック、原作が面白い漫画なのが良く分かる。変声期と危ない関係の不安定なあわいを行く感じは面白いし変声期の前後を演じる声優もすごかった。ヤクザ相手に距離近すぎるのがいいのかって気になってしまうところがあり、主人公がそこまでヤクザの彼に思い入れがあることにあんまり納得感がなくて、こちらの想定よりもかなりBL方向に曲がっていったなあという感想になってしまう。青春の一時期に危うい人間たちとの接触とその別れ、というラインの話だと思ってたら全然ヤクザとベッタリ付き合いが続くエンドだったからビックリした。夢中さ、きみには中高一貫男子高で自分をかわいい?と言ってくるクラスメイトとの出会いから始まり、この林を色んな人の視点から見るオムニバスとなっているのかと思ったら別にそうでもなくて五話のうち最後の二話は男子高でもない話だった。BLというほど関係は濃くないけど男子同士の関係を描くコメディとして面白くはあった。

異世界黙示録マイノグーラ~破滅の文明で始める世界征服~
今期の柳瀬雄之監督MAHO FILMアニメ。マイノグーラってクトゥルーのワードなのか。ゲームの現実化みたいな世界で主人公タクトが側近アトゥとともに「邪悪と破滅を司る温厚な国家」運営という、魔王っぽく見えて普通に人の良いことやるっていう気の抜けたコメディで良い。いつものコンテ演出作監原画柳瀬雄之単独の一話。二話も強面してるけどほのぼの茶番コントアニメだよな? アトゥの百面相が面白すぎる。強面側近やったかと思ったらタクトといちゃついて振り返ってまたキリッとやってるのそれもうただの萌えキャラなのよ。怒るのは母に任せて子供たちに良い顔する父親、ってアトゥが所帯じみた説教してる。そっから全ての蟲の女王イスラが出てきたら圧倒的母性で国の民をすべて子供として包容する勢いですごかった。カマキリみたいな見た目でこのキャラだとは。終盤になるとシミュレーションゲームのタクトとは別のゲームの強制力に縛られてユニットが撃破される、というメタゲームバトルの様相が出てきてここから本番の感じが出て来たけどもう最終回間近だった。ゲームのルール同士の衝突という面白い話を始めたところで終わってしまった。イスラ蘇生が目的になるのか。巨大カマキリがママと呼ばれてここまで重要キャラなのはすごいよな。世界設定の開示とイスラの蘇生という大目標、ほんとここが本筋のスタートって感じだしさすがに二期くらいやらないとならん作品な気がするけどどうだろう。最終回は絵コンテ演出作監原画が柳瀬雄之単独。恒例の監督一人原画回だ。監督一人原画回は三回だったかな。エルフの長老モルタール役の西村知道の訃報を年末に聞く。

ばっどがーる
きらら四コマの原作は読んでる。制作ブリッジか。なかなか懐かしい質感のアニメな気がする。意中の相手の亜鳥先輩に振り向いてもらうために良い子の優が不良を演じようとする百合コメディ。優の幼馴染み涼が寝取られたみたいな立ち位置でそれ故に亜鳥先輩に敵対心を抱いていて、でも亜鳥と涼の関係がむしろ接近していて、寝取られ的な展開が作者の趣味なんだと分かってくる。亜鳥が寝取り写真を送って涼が妬み、亜鳥と涼が連絡取り合ってるところを見て優が妬む、三人で百合コメディを回しつつ要所要所に小ネタや奇異な言葉でフックを作っていくのは地力が感じられる。四話、亜鳥ファンの組織ADC幹部が堀江、雨宮、佐倉、上坂、早見、内田、鬼頭、って五等分とかスパイ教室みたいな。何でこのメンツ集めて幼稚園児させようとしたんだ。園児なのになんでこんなに拗らせてるんだ。最終話、Cパートのお互いで暖まる中学時代の冬の優涼を丁寧にやって、本篇で亜鳥に心奪われて進学先を変えた優、そして涼に絡んでいく亜鳥の自覚的な振る舞い、この悪のサンドイッチに晒される涼という構図で作品の根幹を示しつつのエンディングだった。全員の思う悪すべてを体現した存在としての亜鳥、バッドガールの頂点という感じもある。部活とか趣味とかやるのではない、純粋にキャラ関係で話を回す学園コメディとしか言いようのないきらら四コマ原作アニメってのも珍しい気がする。幼馴染み百合の間に挾まる悪女って感じだ。なかなか楽しいアニメだった。キャラソンアルバムを聴いてみたら、亜鳥のキャラソンは歌い方とか田村ゆかり曲っぽいのとなにより涼の曲が90年代のヒットソングっぽすぎる。アレンジとかメロディとか。ドラマの主題歌でかかってそうで笑ってしまう。B'zのもう一度キスしたかったとコード進行が似てるって言ってる人がいるけど、確かに。

雨と君と
動物声優麦穂あんなのメインアニメだ。しかも見た目がたぬきで猫とも犬とも自ら言い張る鵺的動物といううってつけの役柄。飼い主の天然具合も知能がある謎生物も、きのこいぬの女性飼い主版という印象。言葉が分かるたぬきでちょっとファンタジーにしつつの落ち着いた雰囲気の女性の小説家の日常を描いた作品。雨というとおりのしっとりとした雰囲気で良いアニメだった。しかしどう見てもたぬきなのに犬だと言い張る人間とそれを受け入れる人間たちがいる異常な世界を垣間見た。通りすがりの遠野ひかると根本京里の二人の組み合わせが面白い。モブにしては声に個性がありすぎる。過程を楽しもうと思えば近所の散歩だって旅になるという10話のくだり、ざつ旅のことをタイトルだけしか知らなかった時そういう話かと思ってた。

まったく最近の探偵ときたら
川柳少女の原作者による漫画が原作。作品名は前から知ってたけどこういう話だったのか。アラサーでロートルな探偵と助手高校生女子のコメディで、最初はいまいちだと思ったし10年近く前から始まっている電撃マオウの同年連載開始アニメ化作品の愚かな天使は悪魔と踊るもギャグのセンスが流石に古いと思ったのと同じことを思った。花澤香菜の助手のマッチョ化顔芸が面白くないのに多用されすぎてるというのもある。だけど途中から結構馴染みだして、四話のメタ館ミステリ回とかでも笑ってしまった。原作はマキが人気キャラだと分かったらそれに味を占めてきた感じがする。正しいと思う。マキは平野綾がやってる。その代わりに半裸おじさんが増えてきた。杉田智和変態おじさんが。10話のカオスさはかなり笑った。屋外で結婚式、台風でも決行は覚悟決まりすぎだろ。そっからの展開がとんでもなさすぎてずっと笑ってた。ブーケトスで何でこんな話になるんだよ。人を取り込むウェディングケーキが二人目取り込んでるのも笑ったし「コイツのライフも一点ものだよ」も笑う。ブーケトスに群がる女性たちっていうのも色々気になるネタではあるけどここまでぶっ飛ばすとまあそんなレベルじゃなくなる。ABパート始めに脚本コンテ演出作監のメインスタッフを出すのは初めて見た。これ昔の探偵ドラマの演出だったりする?

ふたりソロキャンプ
ソロキャンプ好きの厳さんにキャンプ場で偶然出会った雫という女子大学生が、脅しまがいの強引な頼み込みをして、二人キャンプは無理でもお互いソロが同じところにいるだけのふたりソロキャンプをしよう、というところから始まるキャンプもの漫画原作のアニメ。二クールなのは驚いたけど実写ドラマ化もしている人気作品なんだな。一話はソロをやりたい男性に若い女性が押しかけてくる、まあまあアレな展開だけど、雫が厚かましいどころか最悪なやつでこっから上がる株があるのか?って笑う。原作見てみたら免許証を盗み見て個人情報ゲットして脅しててすごいぜ。男性が若い女性に知識を教授していく話という枠組みこそちょっとアレだけれど、存外に楽しめたのは今作では厳さんこそがヒロインポジションで、硬派な男性像はほぼヒロインだという作りだったのもあるね。滔々とキャンプの話をしているのを楽しげに見てる雫の眼差しが微笑ましいけど、これは視聴者もそうで厳さんを見るアニメなんだと思う。調理師志望の雫の料理が毎回凝っていて、キャンプ知識で厳さんが教えて、代わりにキャンプ料理で雫が応えるという双方向性があるのは良かった。15話は本当のふたりソロキャンプで、互いに同じキャンプ場にいるのに気づかないでメッセージやりとりして距離を保ってるマジでおじさんのふたりソロキャンプ回。「適度な距離」だからこそ十数年の付き合いが続いている二人、という形がある。キャンプ場経営という夢のために自分にない視点が欲しくて雫にも色々と学ぶことがあると言う風に後半は展開していく。もう一人の厳さん狙いの女性も出てきて三角関係になりつつ、雫が果敢にアタックしていって厳さんの硬いソロの殻を破っていくラストになっていく。二クール結構ちゃんと楽しかった。ふたりソロキャンプ⇔家庭内別居。

公女殿下の家庭教師
魔力はあっても魔法が使えない公女殿下ティナの魔法学校入学のための家庭教師に主人公が呼ばれる、という年下美少女を教え導いていくファンタジーラノベ原作。長山延好監督スタジオブラン制作だ。EDが萌え萌えアニメーションすぎる。家に閉じ込めたい父の思いを打ち破って鳥が闘技場の天井という鳥籠を突き破って飛び出す派手な親離れによってティナを覚醒させる序盤から、終盤では覚醒した妹に劣等感を抱えた姉ステラの問題を解決するターンになって終了するのは姉も公女殿下だからタイトルに偽りなしなんですよね。まあでも主軸がいまいち見えづらい気がする。年下組も年長組も色んなヒロイン勢揃いのファンタジーラノベアニメ、美少女萌えアニメとしては良かった。ロリコン作品と思わせないために主人公と同年代の彼女ポジションのキャラがいるという周到さがある。ステラの話で終わったのは、これは原作の三巻までそのままやったからか、なんか脇役の話で終わった印象がある。コメンタリー総集篇で主人公アレン役上村祐翔が国語の教員免許を持っていて家庭教師の経験があるというのと、ティナ役澤田姫がまだ新人というのとで役柄とのシンクロがあるのはなかなか面白い。

ダンダダン 二期
普通に一期の続きからそのまま始まる二期、ミミズ撃退のあたりはジョジョやらウルトラマンやらを踏まえたセリフやポーズをやりながらのバトルと脱出劇、デスワームをミミズの習性を利用しておびき出して勝利した、と思ったらあいつが火山をせき止めてたって話でAYAKAになったのが一番笑った。直接的には八岐大蛇に生け贄を捧げた話が元なのかな。「モンゴリアンデスワーム」の途中で変身解ける声の演技は面白い。スクワット20回ワンセットの攻撃。とりもちの下りは完全にコントだった。17話の水がかかると邪視、お湯掛けるとジジ、少しでも水がかかるとダメってかなり難しいだろ、雨の日は外出できないなと思ったら、醤油一滴での爆破オチ。絶対そうなるという場面を二度繰り返してたっぷりと時間を取ってからの爆発は笑った。終盤は第三者視点で序盤からの回想を入れつつの新キャラの導入。金太、これはまた最初の印象が悪い奴が出てきた。性欲で動いている上に許されたとばかりに下ネタ他人に言ってくるやつ、普通に嫌すぎる。それはそれとしていきなり超常現象バトルに参加して光学迷彩の限界を見抜ける金太は何者なんだ。見たことある感じのオマージュ散りばめ系怪獣特撮アクションをやったあと、家を巨大仏像ロボに変形させる別の作品が始まってて、X JAPANネタはちょっと色々アレなことになったけど、作者の好きなこと詰め込んでるな、って。金太のように自分の好きだったものをありったけぶち込んで描かれた作品をこれだけ力入れて映像化してもらうってのはまあなんというかオタクによるオタクのためのアニメ感が非常にあり、それはそれとして結構楽しい。

ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される
すごいタイトルだ。わたしの幸せな結婚ばりのドストレートすぎるシンデレラストーリー、なので家族はクズだし王子様は見初めてくれる。ずたぼろ令嬢=灰被り姫。ラノベ原作。ランドックスタジオってBEMのところか。本村玲奈、前橋のキョウカ役の人がメインだ。クズな家族に虐げられていた主人公が、王子と婚約をした姉がその領地に向かう途中に馬車が川に転落し亡くなり、代わりに王子の元に嫁がされたら実は王子は元々妹の主人公の方に婚約を申し込んでいたというすごい話。男装の麗人好きで妹を着せ替えして楽しんでた姉、良さそうなキャラなのにあっさり死んでしまった。しかも姉すら両親にとっては道具でしかなく劣悪な馬車で付き人もなしで送られたら御者に手籠めにされそうになって転落、えぐすぎる。姉が死んだままで幸福な結婚にはならなくないか。と思ったらちゃんとその話になっていって良かった。家に追放されて幸福な結婚系ラブコメ令嬢ものだけど、婚約者とのいちゃいちゃもやって、死んだと思われた仲の良い姉という存在をきちんと拾って悲劇をハッピーエンドに持って行っててうまくまとめたし、こういう系統のものの標準的な作品と言えそう。サーシャに認められなかった父親、赤毛で長身は幸福になれないという自縄自縛の母親、ここを拾って安易に断罪処刑をやらない展開なのは穏当。

9-nine- Ruler's Crown
サマーポケッツ後半、強くてニューサーガ、Re:バースなどと並ぶ今期ループもののアニメの一角。エロゲとしてずいぶん前に名前を見たことがある。見て分かる和泉つばす絵。さすがエロゲだ、すごい格好のヒロインしか出てこない。すごい格好してたらヒロインだと分かるので便利。元々はヒロインごとに四部作で構成されるアダルトゲームが原作らしい。誰ソ彼ホテル監督がシリーズ構成してると思ったら同じピーアールエー制作だった。この会社そういやリステの制作協力で半分くらいの話数を担当しているというつばす絵の縁があった。高校生の主人公とその妹、またクラスメイトの女子たち、能力に目覚めた少年少女たちが、謎の少女石化事件をきっかけにした異変に関わっていく。異世界からのアーティファクトが流出してこちらの世界で能力が生まれ、回収に協力する、魔法少女ものっぽい! エロゲらしくヒロインとの色恋もやりつつ能力バトルもやっていくし、四部作の長い話を圧縮して詰め込みまくったせいだろうけど最後まで展開がグリグリ変わっていたのはむしろ良かったかも知れない。同様のリプレイものだった陰陽廻天Re:バースが最後の方はだらっとしてしまったのに比べるとね。最後にメインヒロインによる記憶の掌握と殺し合いの制止、王者の貫禄というサブタイトルの意味を示しつつ、九人目の相棒ってやっぱり視聴者・プレイヤーで良いのかな。わたなれの紗月、渡くんの紗月、今作のサツキはよく見たら沙月で字が違って今期の紗月トリオ結成は失敗した……。OPが流れる度にパワフルすぎる歌い出しで笑ってしまう。

陰陽廻天Re:バース
ジョジョなどで知られるdavid production初のオリジナルアニメ。ハイテク平安京の電祇平安京というサムライメックみたいな世界観を舞台に、日本のヤンキーが転移して死んでもやり直せるリプレイ能力に目覚め、憧れの女性ツキミヤを救うために何度もやり直しを図っていく。ヤンキーの直情径行が話を動かし、内田真礼のヒロインがおり、平安ロボットバトルもあり、安倍晴明は出てくるし主人公は在原業平みたいな名前をしているし、色々詰め込んである。リバースと言うとおり、展開は色々裏返っていくので、ボスを倒したらツキミヤがラスボスになって出てくる二段構えになっており、戦っていた相手が人間だったというひっくり返しは定番で、主人公が壊すよう言われていたものが実は自分たちを守っているバリアだった、とひっくり返してくる展開、EDがターンオーバーっていうだけはある。内田真礼の本命ヒロインから極悪悪役キャラへの転身はまあまあ楽しい。ただまあ後半は展開速度が遅くなってしまっていたのは惜しい。9nineが最終回までターンオーバーたっぷりだったのもあって。

青春ブタ野郎はサンタクロースの夢を見ない
映画ランドセルガールの最後から続き。咲太は大学一年で予備校講師、双葉と一緒で、こいつどこ行ってもヒロインと一緒だなと思った。二話でも道を歩けばヒロインに当たるのがもう露骨すぎて笑いが出る。人間関係が女性偏重になってる弊害だ。しかしヒロインが多すぎて区別がつきづらくなってきた……。序盤は空気の読めない卯月が空気を読めるようになってのトラブルのほか、赤城郁実、姫路紗良、ミニスカサンタの話と原作四巻分を消化してて結構早いな。なんか、全体的にそこそこって感じだった。とはいえEDはやはりとても良い。

ぐらんぶる Season 2
一期を見てないけど見ていた。バカとテストと召喚獣の原作者の原作によるダイビング大学生たちの乱痴気騒ぎの日々を描いた漫画原作。アニメの頃原作一巻くらいは読んだ覚えがある。酒と全裸と男と女、大学生の自由さって感じの騒々しさを描きつつ、ギャグと真面目な恋愛ストーリーを緩急つけて繰り出してくるのは結構上手いんだよな。主人公の伊織もバカなのに色んなところで気が利いていて、買い出しに女性一人と見て一緒について行く、モテるだろうねって感じだ。最後、ダイビングもちゃんとやって、ダイビングが海外へと話を広げてて、安定した話運びを感じる。いにしえのセンスでのドタバタを高校生にやらせるとアレだから、酒カス大学生にさせるとなんかちょうど良い感じになる、そういうやつなのかな。

ショートアニメ
銀河特急 ミルキー☆サブウェイ
CGショートアニメ。今年一番のショートアニメだろう。テンポもキレも冴えまくる。警察に取っ捕まった人たち六人が慈善事業みたいな電車の掃除をさせられる、ってところからその電車が急に暴走して閉じ込められて、関わりのなかったみんなが次第に力を合わせていく、というのをレトロSFなデザインと、ショートアニメの尺の短さをキャラの掛け合いや行動のテンポを音楽的にしていくことで流麗に仕上げるセンスにキレがある。特に七話、排除くん攻略が今作らしい音ゲーチックな小気味よさなのも良かったけど、以前の話を受けてチハルのありがとうの言葉がカートとマックス、二人の感謝されなかったことでねじれていた心をスッと溶かしていくのがかなり良かった。感動的な回だといえる。11話、劣等な奴は処理するとか言い出す優生思想のラスボス。犯罪者・前科者・はぐれものを描いてきたのはそういうことか。公式サイトの「銀河の底辺、全員集合」は伊達ではない。分断を決然と拒否するマキナと「ゴミの本領発揮です」のセリフは良い。最終回は特にショートアニメのMV性を強調しその気持ちよさを徹底した快作って感じで非常に良かったですね。ミルキーハイウェイという前作があるのを知って見たけど、これがミルキーサブウェイで捕まってた理由か?っていう暴れが描かれてて笑う。こっちは音楽に合わせたMV性がより強いので見ておくべき。

デキちゃうまで婚
僧侶枠。始まった瞬間から規制カットで何が起きたのか、と思ったら作中もだいぶ画面が隠されていて何がなんだか。EDで振られた主人公が、子供が欲しい医者ヒロインに対してだけは男性機能が復活して結婚を申し込んだら一年で妊娠させられたらOKだというすごい話。子作りのためにすぐ同棲を始めるスピード感はすごい、僧侶枠にふさわしい早さだ。飲み物こぼして風呂入るなら一緒に入ればいい、何もかもが早くて笑った。

人妻の唇は缶チューハイの味がして
僧侶枠その二。ヤンマガWeb掲載の原作が僧侶枠になるんだ。既婚者の伯母と甥でエロ展開やるのはすごいなと一話で思ったら、その後毎回同じ主人公が色んな人妻と関係を持っていく話になっててすごすぎた。最初の何話かは主人公が同じとは分かってなくて全部別の話のオムニバス形式かと思ったら主人公はずっと同じ人物なだった。叔母、同級生の日焼けギャル、関西弁のロシア女性はまだしも、たぬき顔人妻はたぬきの化けたやつだったのでもう何でも出来るだろコレ。人妻ネタ作品で見た目が未成年に見える「お兄ちゃん」呼びキャラを出してくるのは守備範囲が広いと褒めるべきなのか、一貫性を持てと怒るべきなのか。七話の「異世界ダークエルフ人妻の唇は…」、サブタイからもう自由すぎる。異世界篇もあるよ。あるなよ。キャラ選択の自由度の高さはすごくてそれが面白かった。

どうかと思ったもの
彼女、お借りします 四期

一話、引っ張られて目だけが残ったり、多量の描き文字のツッコミとかメガネキャラじゃないから驚くと部屋の窓が吹っ飛ぶとことかコミカルな表現を色々繰り出してて面白い。作監力かヒロインの顔は手を抜かず、全体にはやや軽い絵作りでハイコストでないけど見栄えのするアニメをやってんなって感じがする。漫画的な複数レイヤー表現をアニメでもやってる感じもある。そういうところは良いんだけど、三期でだいたいやるべき話を済ませてしまったように思うのに、まだこの寸止め展開で引っ張るの?って思う。三期で原作の20巻まで行ってるみたいだけど、これ原作40巻越えてるんだよな。「これを5億回やってる」、分かってるならやめてね。麻美や祖母の憎まれ役、関係に面白みのないメンツで話を回してて、三期がそこそこ面白かったのはこいつらが出てこなかったからじゃないか。麻美の悪女でサスペンスをやっても原作で倍くらいまだ先があるという情報があるとすべてが茶番になってただ嫌な感情を上乗せするだけだし、祖母が殊勝な態度をとってもお前が原因だろうという話にしかならなくて、これ今何の話してんの?って気分が大半だ。本篇に出番がないキャラがメインのED笑う。原作を20巻くらいで読むのを辞めたという人を結構見る。アニメしか知らないけど分かる。三期のあの映画作りでの盛り上がりをやったら、後はもう締めのムードだろうと思ったらこのハワイアンズからまだ倍近く続いてるって、そりゃあ呆然だろ。アニメで途中の部分を省いて原作と同時に完結とかやったほうが良いんじゃないか。

●今期は週に見ていたアニメが60本を越えてしまった地獄のクールだった。疲れたよ。言及してないアニメも多い。ここで触れたのは38作。主人公が結構ちゃんと性格が悪いけれどメインキャラでない同室の駆け出し冒険者への仲間意識があるのが良かった水属性の魔法使い、パーティがハーレムと言うよりちゃんと仲間だった追放された白魔導師なんかも悪くなかった。カッコウの許嫁二期はスタッフが変わって絵作りも変わったのはともかく、幸が出張ってくると面白いんだけどだいぶデコボコした印象だった。原作イラストレーターが未成年淫行を起こしたアニメその二の追放者食堂は漫画版を読んでいたけど改めてアニメで話を見ると結構ひどいな、と印象が変わってしまった。まあ漫画は絵柄目当てで見ていたから……。ラブコメアニメが10近くあったクールでもあった。渡くん、わたなれ、帝乃三姉妹、ブスに花束、薫る花、着せ替え人形、カッコウ、彼女借、ゲーセン少女……。ウィッチウォッチの二クール目も入れたら10かな。しかし今期は町田アニメ多すぎないか? 宇宙人ムームー、うたごえはミルフィーユ、怪獣8号二期一話(13話)の町田駅周辺、神椿市建設中10話の実写町田駅、あと銀河特急ミルキーサブウェイのネオ町田。神椿市は実写の町田だから町田アニメじゃないかも知れない。神椿市は序盤で脱落したけれどなんとなく流していたらVtuberと現実と虚構みたいなかなり核心の回だったみたいだ。未ル、タコピー、フードコートと五、六話構成のアニメが最近増えている。企画の柔軟性があって良いのかも。

秋クール(10-12月)

機械じかけのマリー

家督争いで兄から暗殺者を仕向けられるなど、人間嫌いで嘘を何よりも嫌う御曹司アーサーのもとにメイドロボと偽って派遣された元天才格闘家の女性マリーとの関係を描く少女漫画原作ラブコメ。愛人の子ながら財閥の跡継ぎになったものの正妻の子の兄から何度も暗殺されかけたアーサーが機械なら信頼できると子供のように甘える様子と、生来の無表情を親や他人から蔑視されつづけたけどアーサーには褒められるマリー、良い組み合わせになっている。出来の良い読み切りみたいな一話だと思ったら実際読み切りから連載になったとのこと。ゼロジーリーベルの共同制作、西村純二監督、國澤真理子構成、菊地洋子キャラデザ。西村監督らしいというか、アニメ作画の省力演出がかなりダイナミックで面白く、キャラの顔を丸ワイプで重ねてくる演出がさまざまに活用されてて独特の画面になっているし、アクションでも顔アップや静止画スライドなんかで上手く誤魔化してて面白い。ワイプは後ろ向いてるキャラに出すどころか顔が見えてるキャラにも被せて出すし、無論表情変えないマリーの内面としても出して色んな顔を見せていく。二話から出始めたマリー2という本物のロボットが今作最大のアイデアというか、人間がメイドロボットのフリをする話に本当にロボットメイドを出して良いのか? おかしくないか? 顔のリアリティが違いすぎないか? というカオス感を出しつつずっと良い役をしてて本当にすごい。四話からはマリーの歌だったEDがロボ声のマリー2とのデュエットでイラストもトンチキなもんになってるのが一番笑ってしまった。東山奈央小清水亜美のデュエットだ。五話、マリーが機械だとアーサーを騙せるならそれくらいの性能のロボットもいるのは設定的に正しい気がするし、マリー2がいることで嫉妬/用済みに悩むのも正しい気がする。そうか? アーサーがマリーを本気で好きになってるじゃんってモノローグから「早く機械と結婚する方法を」って方向が全然ぶれないの見たことない繋ぎで笑った。八話とかもずっと一緒にいることを願うことはずっと自分をロボだと嘘をつき続けること、というジレンマのロマンスを描きつつ、外ではマリー2と巨大ロボがバトルしてるのは笑う。マリーもヤシの実を手刀で切れるの、これを生身でできるから一概にアーサーがロボだと思ってるのをちょろいだけとは言えないんだよな。九話、窓辺に書類を置いて窓を開けたまま寝るとかいうそのためだけの行動でアーサーに正体がバレるのはすごすぎる。全体の転機になる話を最大限バカに振ろうとするアニメ、強い。人間バレしたらマリーが去ると知ってバレてることを絶対秘密にする、で相互に秘密を抱えた関係になるのは上手い。両思いになったところでその関係を宙吊りするためにお互いに秘密を抱え、嘘をつき合っている関係にする。最終回、マリーの嘘は「最初からずっと優しくてオレを幸せにしてくれたじゃないか」、嘘を嫌ったアーサーの優しい嘘をつくマリーへの愛の言葉で丸く収まる。「ロボットだから君を好きになったんじゃない」、マリー2を好きになってないアーサーが何よりの証拠なんだよな。とんでもないカオスギャグの役柄に思えたマリー2、最重要なキャラだった。マリーがいなくなるという話の時「私はとても淋しい」というマリー2、しんみりしたところで「びえん」で笑った。ぴえんじゃねえのかよ。大団円という感じで良かったですね。バカバカしいギャグを基調に、嘘をついていること、嘘がばれていることを隠していること、とお互いに秘密を抱えて愛のための嘘をお互いがついていることによって嘘そのものを乗り越える。全六巻の原作漫画を綺麗に完結までアニメ化してるようなのも好感が持てる。綺麗に終わると言うことはそれだけで大きなポイントになるんですよね。

アルマちゃんは家族になりたい

原作を読んでいたのでアニメ化と聞いて結構驚いたし、まあまあ面白い原作だと思ってたら非常に良いアニメになってて良かった。スタジオフラッド、ダメプリと4ウソのところ。南康宏監督、小林浩輔シリーズディレクター菅原雪絵構成、山本美佳キャラデザ。子供の頃からお互いに競い合っていたAI研究者のエンジと、ロボット工学者のスズメ、という男女二人が一緒に少女型ロボットアルマを製造し、この少女型ロボが恋愛に関しては小学生のような両親を結ぶかすがいになる、というファミリーコメディというか。全11話だけど主人公がロボだから、色々振り幅あるネタを展開できててかなり良かった。一話、初っ端からアルマが性能を生かしてデータ改竄して二人を結婚させてたのは笑う。公文書偽造だろ。三話でも心温まるエピソードの直後にさらっとシステムハッキングして転入を即日決めるところ、ハートウォーミングな触法。四話ではマキナという別の制作者によるロボ少女が出てきて今年何人目の「マキナ」だ?と思った。頭が取れる展開もかくしてマキナさんと被ったと思ったら首の入れ替えを使うのも被るという。後継機=妹なので仕様が似ていて首をすげ替えて時限式爆発をストップできる、色々ちゃんとしてる。スズメに重い思い入れのあるヤバイ後輩とアルマの妹分、そこで姉らしく振る舞うことを学ぶアルマ。アルマが姉として振る舞って姉になるようにスズメとエンジも後輩に対して夫婦のように振る舞うことで実際上の夫婦と見なされるんですね。このマキナという長江里加のロボ少女、フレームアームズガールだなあと思ったら実際に原作者はフレームアームズガールの二期がないことから思い立ってこの作品を描いたらしくて、このキャスティングはそういうことだったんだ。「機人(ろぼんちゅ)」シャツに笑ってしまった。五話、自転車に乗ってたら月まで行ってしまって帰れないのはすごい展開だった。月まで行ったことが子供のちょっとした遠出みたいに実は結構危なかったけどさらっと帰れる冒険だったという感じが良かった。七話では授業参観なのにアルマはライジンオーみたいに学校を改造していて、それが成長の話になっていく。学校を改造してアルマがその一部となるのは卒業する気がないのか?と問われて、超人的なアルマもまだ将来のことを考えられなかった子供だと描かれ、ここでエンジとスズメがその技術で学校の改造を安定化させてアルマの努力を無碍にはしない、良い話だった。八話、誘拐されたアルマが自分の金銭的価値を自分で釣り上げるのも笑うけど、親じゃなければ人呼んでいいのもトンチキですごい。アルマ誘拐事件が就職コントになっていく。印刷所で新聞を縛ってたのでアルマも縛れるしキャンプ場のロープワークおじさんとして就職、真正面のギャグ回ですごかった。10話の後半では配信者活動を始めて空を飛んだりビームを撃ったりで人気が出てライブ会場を自分たちで作り上げてのライブイベント、メチャクチャ省力作画の味のあるライブシーンだった。ランウェイを歩いてきてポーズ決めるところが妙にプリティーシリーズっぽいなと思ったらライブシーン担当がプリティーシリーズに深く関わりライブ演出も担当してた小林浩輔で、この人が制作会社の代表だし今作のディレクターでプロデューサーだったのに気づいた。11話で最終回だったけれども、両親が急に才能を認められて海外移住したらアルマが孤立してしまって、その寂しさに気づかなかった二人がサクッと会社をやめて子供を最優先にして問題を解決し、家族ものの定型物語をきちんと演じて家族になる話をしていた。誰もアルマの感情をロボだからと軽視したりしない、できることや知ってることが違うだけの相手と見ているのが優しい。ナレーションだった福島潤、家に前からいたお掃除ロボの声もやってて、つまり今までずっと兄貴が見守っていたという種明かしは良い。彼も含めて家族。EDで「どこにもない普通」を歌う日常風景の映像がとてもよい締めになっている。

笑顔のたえない職場です。

漫画家を主人公とした百合漫画が原作で、これは前から読んでいて、最近の展開で作中の漫画がアニメ化するにあたっての舞台裏がどうなってるのかの話をしていたのは実際にアニメ化するからだったという。この作者は五分アニメになったことはあっても30分アニメになるのは初めてのはず。制作スタジオヴォイルはアクロトリップのところだ。百合と言っても恋愛というより女性同士の仕事での信頼とかライバル意識とかがメインではあるけど、その仕事関係での情の持ち込み方に百合を見いだす感じの作品。漫画家で人見知りでネガティヴ思考の双見と、彼女を支える編集佐藤を中心にした話で、一話とかは双見のうだうだしてるところが激しくて時間の進んだ原作を見ているとここまで初期はアレだったのかと感慨深い。漫画制作の実情をちゃんとやってるのが面白くて、双見はメンタルが貧弱だからこそ編集、営業、アシの助力が折に触れて双見のモチベを上げていくという仕掛けになっている。連載が終了を告知されてやさぐれた梨田がやってくる回では、ライバルや他人の存在がメンタルの維持には大事で、笑顔のたえない職場の重要性が描かれるのは良い。めんどくさい梨田の「漫画にするとまあまあ愛嬌あるなあ」「実害ないからじゃないですか」と言われるキャラをさらにアニメで見ている我々。梨田役の小林ゆうがまあ良い賑やかしになってる。しかしアシスタントを務める間瑞希が病気で家に帰される回で自分は替えがきくのかと悩むところに、姉と同じ「はーさん」という呼び方をしている双見、人の心がないよな。元々友人だった姉の妹として出会ったことで距離感がずっとそのまま来てしまっている。これ原作の最新話あたりでも双見はまだ名前で呼べてなくて瑞希に睨まれてるんですよね。11話は充実を感じる回だった。レギュラーメンツが勢揃いしてそれぞれのキャラを見せつつ仕事面での先達と新人、経験の糧を共有して一丸となって仕事を終えるとか、百合デートも入ってるし、梨田のキャラを中心に回しててテンポも良い。梨田、大事なキャラだな。新人の陥る罠は完璧にしようとして完成しない、よくあるよねえ。できる奴ほど自分だけでは無理と知っている、だから他人に頼る、なるほどだ。「梨田さんて頭使ってるんですね」、「才能のなさを姑息な手口でカバーしてここまで来た」それを技術と言います。最終話では編集佐藤が双見の実家訪問という、10代の漫画家でもないしそんなことするか?という導入はともかく、双見の原点が兄から教わった将棋と姉から教わった漫画、それで将棋漫画を描くのが子供の頃からの夢だったという話が聞けている。その後編集長から雑誌の月例の新人賞の審査員を頼まれる話になり、今までは女性誌なのもあって恋愛漫画が中心だったけれど、今は違うジャンルの応募が増えている。それは将棋漫画で人気になった双見の功績で、今の雑誌のカラーを決める描き手になっている双見、という作品の原点と今を繋げているのも良い。そして最後に集まってきた仕事仲間たちを描いてEDの歌詞の「みんながいるから」にも繋ぐ、綺麗な最終回だった。ただ途中の双見を独占したがるところとか実家へ行くとか、編集佐藤の公私混同的な行動で真面目な仕事話と百合要素の境界線が溶けてることがあって、シリアスな仕事ものとしては違和感がなくもない。

東島丹三郎は仮面ライダーになりたい

絵が濃いなと思ったら原作漫画が柴田ヨクサルなんだ。読んだことはない作家だけど。ライダーになりたいまま四十を超えた男性が、ショッカーを模した強盗に出くわし出店のライダーのお面を被って撃退して、というヤバイオタクの話から実際にショッカーが存在していて、という現実と虚構が混ざりあうタイプのヒーローもの。連続二クールもので来年も続く。絵柄も濃いし何もかもが濃い、特濃の昭和的な作風ですごいんだ。OPがテディロイド作曲で松崎しげる歌唱なのも何なんだ。ライダーになりたいアラフォー、電波人間タックルになりきる女教師のあたりで色々やっていたら、本当にショッカーに家族を殺された兄弟も出てきて、ショッカー戦闘員と恋愛関係にあるキャラもいて、事態はカオスを呈してくる。五話、変態コスプレ集団なのに体力強化してるらしいショッカーに全勝できるのおかしいだろ、でも怪人にはなすすべがない、バランスだ。高まり行く異常者と強くなっていく怪人でバランスを取る。みんな、作中の敵だからあるいは自分がライダー等だからが前面に出てて、虚栄心とはちょっと違うけどオタクマインドで行動してて、なんで戦うのかという正義の問題はあえて脇に置いてる段階だろうか。島村たちがいてもなお、リアルショッカーが現われたことにライダーオタクたちがはしゃいでるって感じが強くて、そういういかれたオタク絵巻でも結構面白いけど、現実に存在する暴力組織の危険性とかが薄いのはフリなんだよな? と懸念もある。後半でも東島たちの身内同士でのトーナメントを始めていて、このオタク同士の思い入れ対決が面白いのはなりきりの純度を競う話だからだけれど、これがどこに向かうのかちょっと分からないところがある。それでも特濃の描写やらで面白いのは確かだけれど。七話の中尾回は泣かせる話だった。事業の失敗でどこかへ消えた父を見送った後にヤクザになった中尾、正義への失望でショッカーになりたい思いを本物の怪人に叶えられた後、数十年後に父がたい焼き屋を再開しているのを見ても自分の素性を明かせない距離。怪人に胸を貫かれて泣きながら「俺をショッカーにしてくれ」と、父に対しての「通りすがりのショッカー戦闘員です」。親父へ掛ける声の子供に戻ったようなニュアンス、良すぎる。中尾父はヤクザに色々世話になったけどヤクザになった訳ではない、というところか。そこがこの親子の溝になってしまう。本物のライダーにはなれないけど本物のショッカーにはなれてしまうし、だからこそ一度死んでショッカーになった中尾は真面目にやり直した父に素性を明かせなくなっている。こいつが一番ヒーローものの主人公してないか?

グノーシア

これも連続二クールアニメ。フェルマーの料理と同じ市川量也監督ドメリカ制作アニメが三クール連続することになる。人狼をモチーフにしたSFゲームが原作。宇宙船の乗員ユーリを主人公として、船内に感染すると人間を襲い消してしまうようになるグノーシア汚染者を検知したことで、毎日の会議によってグノーシアを探し出してコールドスリープさせ生き延びることが目標。しかしユーリは敗北してやられても見つけ出して勝利しても同じ時間をループさせられ、そのループのなかで色々な謎を解いていくという話。ループごとに登場キャラクターや誰がグノーシアなのかも毎回異なるし、主人公が女性化したり自身がグノーシアになって人間を襲う算段をしたりと、限定された環境をループさせながら毎回違ったバリエーションを描いてくるのはなかなかに楽しい。ループもので各キャラの人となりを知っていくことが様々な謎を解く鍵にもなっているからか、女性キャラが対象になってるともうこれはギャルゲーだろ、という展開になるのも面白い。今年だけでもサマーポケッツとか9nineとかで見たやつなんだよな。グノーシアになってしまっても会議に参加しないことで抵抗するキャラや、嘘をつきたくないと自分を殺してでもグノーシア化する自分を拒否するキャラなど、今期終盤でそれぞれの役割に批判的な展開が出てきた。何度もやり直せるデスゲームものみたいだとも言えて、エンタメとしての引力がかなりある。ただ、守護天使ってマジで権限だけがあって寝てて良いし結果は後で分かるとか、エンジニアとかドクターとか誰がグノーシアか判定できる役割が本当に役割でループごとに違う人間にあてられても問題がないというのは違和感がある。本当に人狼ゲームでの機能だけがある描写で、役割を物語で描写する時に本当に単に役割にするんじゃない、とは思う。まあでもそうしないとループごとに違う話にできないんだけども。

結婚指輪物語

去年に続いての二期、渡くんと同じ直谷たかし監督ステイプルエンタテインメント制作アニメが同じクールに二つあることになった。話数は通算だから振り返りもなくダイレクトに続きが始まった。アバンもだけどOPから光線で裸を隠すエロアニメとしての清々しい有様に笑うしかなかった。各ヒロインと関係を深めつつ、一期では延々と寸止めをしていたのがようやくサトウとヒメが結ばれて、深淵王打倒にまでたどり着くのは感慨深い。「俺は今度こそヒメを抱く!絶対に!」これが主人公の言うべき決め台詞になるのはこのアニメだけだろって思う。ヒメとの初夜を先送りにし続けた物語の都合によってヒメが未来を信じられなくなる闇落ちに至り、やはり打開策はそれしかない、と。みんなも未来もいらない、戦ったりもせずサトウだけがいればいい、となるのは深淵王との戦いに掛かったこの世界とその未来がサトウとの関係を阻んでいるものそのものだから、お預けが限界になるとこうなるのか。初めてはサトウの部屋で、と現われたそのためのサトウの部屋、エロすぎる。サトウの下の名前が! 二クールかけたサトウとヒメの濡れ場、直接描けないけど光がすごいことになってエロいことをしてるのが外にバレバレなの面白すぎる。王の行為は衆人環視。一晩、宿泊コースだったのを苦戦していたと思われるのは気まずいな。一晩に九度の明滅。それは何のカウントなんですか? 23話はすごかった。ラスボスを前にして決意を固めたヒロインの思いとキスと、ヒメとのエネルギー充填プレイをたっぷりやってのボスバトル、作画も濃いし大胆な構図も多くて、もしやと思ったら渡くんの山内重保担当回と同じ日の10数時間後に放送した回が山内重保コンテ演出回でほんと「横転」としか言えない驚きを味わった。そんなことあるんだ。会社も監督も同じとはいえ、ラスト直前の回で大ベテランにキメの回を頼めるってのもすごいな。同日放送になったのは思いがけないことだったかも知れないけど、すごいサプライズだった。二人の夜あたりでおや?と思って戦闘シーンでこれは……山内?ってなってた。どっちも家族の話、性と妊娠の話をしていた。最終回は指輪、人の繋がりでもって深淵王を倒して戦いを終えた後、この世界で真の平和は訪れるのかという人々の不安、そしてサトウ自身がこの力に相応しい判断力なんて自分にあるのか?という問いに対して、異世界のことを学ぶという行動を示して二つのものを結ぶテーマで締められる。力を持つが故にその世界のことを勉強しようとするサトウ。指輪というのは約束、相手を信じると言うことなわけだし信じるには知ることも重要で、姫たちのことだけではなく姫の住まう世界のことも知らなければならない。だから日本人のサトウが異世界に行くと同時に姫たちも日本に訪れることになる。14話で初代指輪王という指輪を畑で拾っただけの普通の人がちゃんと戦って深淵王を倒すまで行った偉業から力と欲望に飲まれた話をしていたのがここにちゃんと効いてきてる。力と欲望の制御という話をずっとしていた真面目な話だった。アニメの残り話数と原作の巻数を見てこれで終わるのか?と思ってたら原作はこのあとハネムーン篇らしい。

無職の英雄 〜別にスキルなんか要らなかったんだが〜

意外な面白さで絵面はチープでも楽しいアニメはいくらでも出来る、そんな印象の作品だった。studio A-CAT制作、矢花馨って80年代から仕事してる人だけど監督は初めてなのか。教会でスキル・職業を授かる異世界もので職が与えられず無職になった主人公という既視感ある設定だし、無職だけど人並み以上に特訓してるので職業持ちより強いというワンパンマン理論で押していくんだけど、妙にストイックで転生賢者の異世界ライフの主人公ばりに無表情でサクサク話を進めていくので見やすい。主人公が最強でも他のメンツを無闇に下げたりしないフラットなところがあり、色んな人物が主人公のためだけにいるキャラではないのが良かった。逆に扱いがあっさりしているせいで、目的を達成するとすぐ主人公がその場を去って都市ごとのレギュラーキャラが出なくなったりしてしまうのがもったいなくもある。五話までのブレスギア篇では、別の街で再会して同郷の少年だと思っていたらすっかり成長して女性らしくなっていたライナと所属ギルドの銭ゲバリリアとのトリオのコント感がとても楽しかった。試合が省略されて本戦に出られないリリア、魔法剣をさらっと撃退する時もリリアより剣技が劣ると言われたり、リリアが基準だし、リリア父が鬼神に憑依された時も一瞬でギャグ時空にするのがすごすぎる。主人公を父親に婚約者だと言ってたのがバレて全部ギャグになる。「知ってるか、人質は価値のある人間でないと成り立たないんだぞ」、仲間にすごいこと言ってる主人公の性格もドライすぎる。この後ライナと二人で帰郷してなんか三年ヒロインと同居していたみたいな話がするっと流されたら今度は魔法学園都市に一人で旅立っていくという展開もすごい。魔法学園篇だと複数ある学部に全部に入学するという無茶な展開をサクサク進めつつ、年少の冒険者とつきあいができて学生生活を送っていく。九話の飛行魔法のマラソンみたいなシンプルすぎる競技、気をつけの姿勢で横になってるだけの絵面なのがこのアニメらしすぎる。空中を蹴ったり殴ったりで最終的に体力で勝ちをもぎ取るのも笑う。黒の学園長が逆恨みで召喚したスライムを撃退して、やることをやったら未練なくさっさと退学して都市を去るのがほんとすごい。黒の学園長はスライムを召喚して都市を危機に陥れたので肉体は食われて幽霊になってる、と言うのもまあ妥当な扱いか、となるのが面白い。最終話は一話で無職の弟のために家を飛び出た姉が無職でも差別しない国を作って王女の座についていたのが凄まじい。「こじらせたブラコン」の職業差別のない国への定住ももちろん主人公は蹴って新しいスキルを求めて出立する。色々な言い方ができるかと思うけど、愛嬌のパラメータが抜群に高いアニメだったと思う。主要キャラはだいたい最後にダイジェストで映してくれたのは良かった。

転生悪女の黒歴史

あると嬉しい桜井弘明監督アニメ。LaLa連載って機械仕掛けのマリーも同誌だった。自作小説のヒロインではなく悪役令嬢に転生した主人公が危険の迫るヒロインを助けたら、一転それまでの行いも良い方に解釈されて、という虚構の製造物責任を取ろうとする異世界ファンタジー青山吉能の多弁オタクモノローグ主人公がワイワイやりながらオタクとしての自分の黒歴史の塊みたいな小説世界に生きることになるドタバタ、なるほど桜井演出が向いた話だ。声の演技も含めて賑やかな画面の遊びが多くて楽しいアニメなのは間違いない。説明の簡略図に明日の天気が表示されてるの何。元々悪役令嬢イアナを殺す役目のソルに監視されているの、ギロちんに追われていたティアムーン帝国物語と同じ死の歴史から逃げ続ける話でもあるな。覚醒した悪役令嬢が男女双方と仲を深めるのは破滅フラグも思い出す。「淫らな獣、淫獣」、この世界に出てきて良いんだ。思春期の性欲への屈折が生んだモンスター、面白すぎる。そのうえ「凌辱萌え」が明かされる女性主人公は初めて見る。淫獣云々もあったし黒歴史がテーマだし、性欲はそりゃあ主題だ。しかも割に男性よりも女性へのエロ目線が強くて、美少女ものも好きなタイプだ。メノアに興奮したり、コノハの胸丸出しドレスとかそういやそうだよなってなる。その凌辱萌えが具現化した、少女を誘拐して手籠めにする貴族女性も出てきたのはすごかった。美しい少女を愛でていると性的な匂わせも直球だし。しかし水着みたいな格好の少女がアイスクリームを舐め合ってるのがこのアニメ最大のエロ表現なのかも知れない。ここで首謀者を助けたはずが黒歴史の通りに結局死んでしまうのを知って、この世界のイアナが死ぬ運命も変えられないのか、という緊迫感が出てくる。イアナの思い込みにも思えた死への警戒感が夫人の事件とその死、そして暗殺未遂によってリアリティのある危機として浮上して来た。身近な人間とは友好的な関係を築けていて、その代わりという感じで外敵の脅威が現われてきたようでもある。主人公の現世の自画像の話という黒歴史ネタを使いつつ、イアナ自身からはイアナがどう見られているかは掴めないというのも結構良い。さらに自分の萌え属性で作ったキャラだから、というメタ視点が逆に今眼前の人間を見えなくしているという作者ならではの陥穽を描く。最終話、ギノフォードとイアナの会話あたりから締めに入り出したと思ったらカオスな演出が爆発しだしてよくわからんのにずっと笑ってる変な視聴感ですごかった。話が締めに入ってるんだかギャグやってるんだか分かんなくなってて謎の技術だろ。料理下手でキッチン爆発とかいう展開を完璧超人ギノフォードの欠点にしてって話をしながら挿入歌も流れてハイテンポで話が終わりに向かっていく、何なんだコレは。めちゃくちゃ分割二クールアニメみたいな終わり方したけど、二期告知ないの? 物語作者も知らないキャラが物語に介入しだしているという黒歴史の運命も加速しだしたところで終わった。画面に良く分からない生き物は徘徊してるし効果音をキャラが自分で口に出すしカオスなノリは桜井アニメって感じで楽しいアニメだった。

私を喰べたい、ひとでなし

潮の香りは死の匂い。暗い異種族百合漫画原作。web連載をずっと読んでるけど初めの方は忘れていた。今見ると原作の最新話のフリになってる箇所も幾つもあるのが分かる。過去に家族を失い生きる気力を失った比名子の元に、あなたを喰べてあげるという人外の怪物が現われて、という話。制作のスタジオリングスは元請け作品としては立花館、私の百合はお仕事です、大室家とこれまで全部百合アニメしか作ってなくて筋金入りにも程がある。人に化けた人魚汐莉が、あなたを食べてあげるという約束をエサに比名子の生への消極性をなんとかしようとしている感じで、そういう社会性の高い行動をするのが人外なのは笑う。描き文字再現とかだいぶコミカルな画面で希死念慮との向き合い方を描いていく。初めての家族旅行で自分以外家族全員海に車ごと落ちて爆発炎上という惨劇に見舞われ、死にたい思いと裏腹なその時比名子だけは生きてという声が聞こえたというダブルバインドが彼女を縛っており、汐莉は死にたい思いは腐った匂いがするから比名子が喰べられるに相応しい体になるには生きたいと思わないといけない、という別のダブルバインドをぶつけてくる。四話ではこの温度感からオマケショートアニメに直結するのには笑った。明るい親友、社美胡の正体はキツネの化け物だったっていう日常が崩れ去る真相が明かされた流れで日常四コマみたいな二人の日々を流すのは豪腕すぎる。そっからさらに萌え萌えEDまで。スーパーミコミコウィーク 開幕――。私はまあ正体知ってたから耐えられたけど初見でこれ叩き込まれてたらどうなってたか……。汐莉は人の気持ちが分からないしみんな人魚の肉を欲しがるから、仲良くなった相手に不用意に不老不死を与えちゃうのは面白い。家族がいる頃の生命力に溢れた比名子に救われ、美味そうで食べたいのにこの輝きを失いたくないと思って、反省して今度は不死にならない程度に血を少々与えたら事故のあと一人生き残るという呪いになってしまう。ひとでなしの善意が全然伝わらない。美胡は太陽として外から照らすことはできても、汐莉のように内側に入り込んで行くことはできない。汐莉が平然とひとでなしだからこそ、助けた人間がずっと死にたがっているという、助けたことを後悔してしまうようなよりハードな展開を避けられているとも思う。普通の人間ならこの希死念慮に巻き込まれてしまいかねない。比名子の死にたさは家族の被った絶対的な理不尽なので、幸せになったところで死ぬ必要がある、か。だいぶ屈折しているロジックで説得が続く。そうして食べる約束を果たすために比名子は幸福にならなければならない、と説き伏せたけれども手の込んだ話だ。最後、汐莉が食べてくれるという約束をしてくれたし、美胡も喜ぶし楽しそうにすれば早く食べてくれると思って楽しくしようとしていたら本当に楽しいと思ってしまった、というところに比名子のジレンマがありつつの上向いた気分を感じさせる良い締め方だった。最後の「行ってきます」の複雑な感情が感じられる演技、おおーと思った。上田麗奈の比名子、まあ合うだろという。美胡と汐莉の世話焼きコンビも楽しい。エモーショナルポスターって、何。

暗殺者である俺のステータスが勇者よりも明らかに強いのだが

サンライズ制作のクラス転移異世界もの。影付けキャラデザのレトロな画風がしっかりしてるので実際以上に本格派な空気が出てる気もする。それは悪くない。見た目で内容以上に私の好感度を稼いでいる気がするアニメだ。クラスごと召喚された先では王が壊れていて私欲のために凄まじい代償を支払っての召喚を行なっていて、それに対抗する騎士団長に暗殺者のステータスを得た主人公アキラが協力するという導入。このサラン団長が謀殺され、恩義のあった主人公アキラが彼の仇討ちを心に、王に操られたクラスメイトたちから離脱して個別行動を始める話で、主人公をちゃんとした人間として描いていてなかなか堅実な面白さがある。ヒロインアメリアもなかなか魅力的で作品を支えるキャラだけれど、途中で姉妹の諍いを収めたこともあるのか、中盤での距離の詰め方がすごい。ツインの部屋もまあまあだなと思ったら一緒のベッドで寝るつもりでビビる。お互いに大事な相手になってきたところで日本帰還を主目的にするアキラに対してアメリアが別れのつらさを主張して、指輪代わりに左手の薬指に傷の血の輪を作って仮初めの結婚をしてみせる、なかなかすごい告白シーンだった。この世界に残るとか帰らないで、とかではなくて帰っても残るものをお互いに刻む。終盤では、お祭りで美男美女コンテストの優勝者が攫われるという事件を追うため、コンテストに出るアメリアと放浪の魔王の娘という、だいぶ変な組み合わせで話が進んでて笑う。アメリアが人を殺すのを魔族が止めて、暗殺者のアキラがそれに安心する、色々立場がズレている。ここらでは暗殺者だけれど人を殺したことはなかったアキラが、サランの仇でもある邪悪な商人グラム暗殺依頼を受け、実行するかどうかでひたすら悩む展開になるのは良し悪しではある。その分アメリアや魔王の娘ラティスネイルが萌えキャラをやっていて場を明るくしているんだけれど、都市観光をしながら人を殺すか悩むみたいな話になっている。結論を下し、しかしどれだけ悪人だろうと人を殺しても何も思わなかったことにショックを受けるアキラだけれど彼を見つめているアメリアがいることで自分を保てる、そういう二人になっていてこれでアメリアを置いて帰還なんてできるのか、という段階に入っている。暗殺者が本当に暗殺者となったところで区切りが付いた。

素材採取家の異世界旅行記

タツノコとsynergySP制作の異世界ファンタジー。転生手続きがサクサク進むのは良いとして、困った時にそれに適した英語を思いつくと魔法が使えるシステムも不思議。一話でドラゴンと遭遇して子ドラゴンを託される展開もちょっとトンチキで、なんかライトな異世界ファンタジーという印象だった。けれども二話、道で出会った普通の家族と同行して、採取した素材で料理を振る舞ったらたいそう喜ばれ、子供たちも一緒に騒ぎながら夫婦はギターと歌で焚き火を囲んだ夜を彩って、それがこの世界に来て始めて心から笑えた経験だと主人公が思うのが非常に良い話ですごく沁みた。レギュラーキャラでもないすれ違った一般人とこういう交流がある、普通の旅もののような異世界もの、むしろ個性的ですらある。と思えばタイトルは「旅行記」だった。せっかく異世界に来たなら色々なものを見たい、で本当に旅行記やってるアニメ。陸地でカニに遭遇して倒してバクバク食うのもまあなんかおかしいし、子ドラゴンを仲間にした後にリザードマンの男性が仲間に入り、その後人間の女性形態にもなれる神馬が仲間になっていく、まともな人間が誰も仲間になったりしないパーティ編成も見てておかしい。変なギャグがずっと続く変なアニメだけど10話ではエルフの里に訪れて、外敵と思って神馬に無礼を働いたエルフに対して雷を落としたら髪が爆発しただけで済んだしそれも主人公のクリーンの魔法ですぐ治ったので笑ってしまった。パーティが変人だらけなのでこの世界の常識を知ってるリザードマンの驚き役としての重要さが分かってくる。ここで旅に同行してきたエルフのブロライトが実は半陰陽というか「女であり少しだけ男でもある」と不完全な存在として扱われていたことが分かる。確かに胸も強調されてないし汚れを気にしないやんちゃぶりだし少年役をすることが多い小市眞琴の声だなとは思っていたら。そしたらこのパーティ全員で一緒に露天風呂に入ってるのは面白かった。神で馬だしリザードマンだし両性だし子供だしで、お互い全然性的な意識がないパーティだ。終盤のエルフの里篇はエルフの血の純血を尊んで近親交配を繰り返していたら死産や奇病の子ばかりが生まれて、という結構エグい話をしていて、外界の血を入れるために旅人を誘惑するみたいな話は多いけれどその前身の外の血を入れない場合のことを描いてるのは結構珍しいなと思った。これがまあブロライトひいては主人公たちの旅をする理由にも繋がるんだとは思う。

矢野くんの普通の日々

亜細亜堂の少女漫画原作アニメ。不運でいつも怪我ばかりしている矢野くんが気になる吉田清子、という学園ラブコメだけれど、前半はいつも怪我ばかりの矢野くんが気になって視聴感は良くなかった。朝一で弁当ぶちまけて昼を無事に食べられたことがないとかいうの日常ものとしては悲惨レベルが高くて、生傷も絶えないし流血が日常ってのはちょっと痛々しすぎる。それをラブコメのネタにできるのも不幸や傷への軽視を感じてしまう。矢野くんが痛い目に合うのが本人の不器用さやドジってだけじゃなくて不運もあって統一性がないというか、とにかく矢野くんが不幸になるという一点でイベントが起きてるようなのもちょっと……。でもキャラデザはすごく良くて、吉田やメイを見てるだけでも充分な気分になるアニメなのは亜細亜堂の強さを感じる。途中、清子に恋心を抱く羽柴のメイン回あたりで、負傷じゃなくて人間関係で話を回してる回だとなかなか印象も良くなってくる。六話ではまだ折り返し地点なのに素直すぎる矢野くんの攻めの姿勢で清子と矢野くんが両思いの確認に行くのは良かった。不幸じゃなくてラブコメで話が回るようになってギャグも楽しく素直に面白くなる。この後何するんだよって思ったけれども恋が何かも分からなかった矢野が少女漫画から恋愛を学んで、そっから即授業中に告白はレベル高え。そっから小学生に聞いて小学生レベルからお互いの意思を確認して合意に至る、初歩でもあり基礎でもあるようなラブコメになっている。羽柴の失恋を描いた八話でYOU LOSEの字が出る花火は笑った。こんなダイレクトな敗北判定をアニメがしてくることってある? 終盤で出てくる矢野くんの旧友岡本さん、引っ込み思案な小原好美キャラの顔をちょいリアル寄りにしたような作画になってるところがあって、おお、となる。過去、岡本は悪いことしてないのに眼帯を外した呪いと噂されて遠ざけた矢野くん、だいぶ悪い。岡本、目を見て好意を持っても避けられて、再会したら彼女がいるのは不憫すぎる。友達を得た今はもう友達を失って孤独になることはできない矢野くんが岡本も含めて友達と一緒にいることを選ぶ、良い締めだな。序盤の怪我をネタにするところは苦手だったけれど、ラブコメ路線になるとだいぶ見やすくて良かった。

キミと越えて恋になる

沖縄アニメをやったミルパンセが今度は少女漫画原作アニメとは。人工的に作り出された獣人が隔離・差別されてる世界で、特例として高校に来た獣人生徒との異種恋愛もの。獣人でも男子は獣度高くても女子は顔は人間ってのも多いから両性ここまで獣なのはわりと攻めてる。獣人がマジで壁のなかに隔離されてて、見た目も獣度高いし身体能力も突出して高く、それ故に嫌悪や差別や迫害の対象になっててシビアな差別的社会だ。いつものミルパンセスライドとか人物を映さないとか接写とか省力技術は駆使されてるけど、作画自体は撮影もあってかだいぶ綺麗だ。一枚絵の綺麗さとそうした省力演出が少女漫画的な叙情性としても使えるというのは面白い。ミルパンセと少女漫画の相性が良いのは発見な気がする。ただ内容はだいぶ弾けていて、今期一の性欲アニメだ。真面目な差別社会批判と言うより、異民族に性的魅力を感じるような話という印象が強く、二話なんか獣人のことをちゃんと知るために本当に発情してコントロールできなくなるか試してみようってのもだいぶおかしい。主人公朝霞と獣人男子飛高の関係はもう初期からハードルもなしに急接近していて、学校でもどこでもいつでもお互いに発情し始めるし、やってることはほぼ僧侶枠という感じでノリとしてはティーンズラブとかに近い漫画だと思う。二人きりになるとすぐ身体を触れ合わせるし、ずっとエロいことをしようとしているのでマジで油断がならない。このタイトル、種族の壁を越えるというのと二人の関係が一線を越えるっていう意味合いじゃないのかって思う。11話でも学園祭の学校でいつものようにいちゃついていたらキスする写真を襲われているとデマのキャプションを付けられて拡散され、新聞部はカスだけど君らがいつもしてることも結構なアレって感じで微妙な気分になるよ! 飛高は良いやつではあるけど、興奮すると襲いかねないって話を序盤でやっているというのがすごい。ただ仲良くしているだけの状況を外の人間が面白半分にデマにして騒動になる、外国人差別で排外主義が吹き荒れるネット社会まんまでもあるんだよな。まあこのアニメだとそういう社会批判性よりも恋愛のハードルって感じはするけど。学校側が休学を視野に入れて協議を始めて既に本人に伝えている、すごすぎるけど学校ってそうだよなって印象もあるからねえ。と思ってたら12話、最終回で飛高が獣人保護局局長の息子だったと明らかになって驚いた。学校もバカだなあと思ってたら保護局長の息子にやってたとか。被差別集団から越境してくるような生徒が優秀なのも権力者の縁があるというのもそうでもないと越えて来れないのは納得だけど余計に学校がバカすぎる。千歳くんと違ってきっちり大人の力を使って事態を収拾してるんだけど、かわりに飛高の味方以外がみんなバカになってしまっている。どうせ恋してしまうんだ、の「感染症」描写と同じくらい差別描写が背景的で、私たちを苦しめる外のものという使い方だ。だから外が雑になっている。被差別集団では自由に自分の意見を言いづらいという話とか色々意識している形跡はあるんだけれど、私たちとあの人たちという安易な分断線がむしろ差別的ではないか。獣人が学校来るなら帰ろうと言ってたモブが最後「そういうのも結構良いよね」になるのも軽すぎる。同じ人ではないにしろ。デフォルメも交えた情感的な絵作りも出来ててそれは結構良かった。

羅小黒戦記

中国初のFLASHアニメ。映画の一作目の分割版は見たことがある。映画とは違い、作者が2011年からウェブで発表していたFLASHで作ったショートアニメをまとめて日本語翻訳をつけたもの。このショートアニメが評判になったことで映画制作に繋がったといういわば原点の話で映画よりも後の話だという。花澤香菜佐倉綾音が飼うアニメ。飼ってた犬から花澤さん声がしないかな思ってたというデビュー当初に佐倉さんが夢として語ってたことを実現したすごいアニメなんだよな。実現してはいない。序盤はアニメーションの面白さは大いにあるんだけど、色々と良く分からないところがあってうまく話を掴めなかった。でも黒猫のシャオヘイ、飼い主?のシャオバイ、そして実はやたらと強いいとこのアゲン、そしてシャオバイの友人でゲーマーのシャンシン、ここらのキャラは良い。五話は、仙人、精霊、テントウムシ、重さで比較はできない、とアニミズム的な世界観が話に組み込まれていて一話でまとまったエピソードになってて良かった。会館がどうとかの話で映画の話に近づいてきた気がする終盤、任務か何かでシャオヘイたち四人がVRゲームにダイブしてからのゲーム展開はかなり面白かった。一千万人以上がログインしてて人にほとんど出会わないのは世界が広すぎる、と思ったら出て来た生物は全部プレイヤー、なぜならシャンシンのゲットした限定版以外は種族を選べないので、と来た。ゲームで慣れると現実でも実際に霊力を使えるようになる、良いのか悪いのか。ゲームで妖精と人間の交流を図っている模様。高レベルプレイヤーのログアウトした場所を見つけてそこに石を積んでログイン死を起こす、非道すぎるテクニックが出てきて笑う。意識のない間のために防犯システムもある、だいぶ高性能なゲームデバイスだな。最終話のアクションパートは凄まじかった。息もつかせぬ緊迫感、すげえわ。レベル100以上の七人が出てきて四人が逃走しつつのアクションもキレがすごいけど、一人残ったシャオヘイの追い込み、動きを遅くさせてレベルアップを停止させる、多重のデバフで攻める。奮戦空しく師匠が介入して幕引き。執行人の日常のハードさを教え諭しながら、子供が責任を負う必要はないと大人と子供の話をして終わる。なるほどそうなるか。失敗してもいい子供の遊びでテストをしてまだ子供だということを教える。ゲーム篇は圧巻の面白さだった。

短評

さわらないで小手指くん
ダークエルフに続く今期の15分デレギュラ枠アニメ。高校女子寮の管理人兼マッサージ師という設定のお色気アニメ。原作はマガジンポケットだけど解禁版が作られることによって原作以上にお色気要素が増しているという珍しいパターン。原作で下着のシーンが全裸になってたりイメージ全裸空間も原作になくて、エロさがアップしてるのはビックリした。Quad制作でダークエルフより作画が良いな。スポーツ特待生が集まる女子寮でそれぞれの不調をマッサージ師志望のストイックな小手指くんが、女性たちに一切性的な目線を向けずに真摯にマッサージを施術していて、それを映像では声や裸でエロとして出してくると言う仕掛けになっている。小手指くんが施術を始めたらマジでそのことしか考えないのですべてのエロ要素を無視して話が進むのがすごくて笑うしかない。風呂場で向き合っててもうそれ色々見えてるだろってところはまだしも、施術始めたら胸が当たってることを一切意に介してないのが強すぎる。マッサージ専門家の監修も受けて真面目な体の話は聴き応えがあるエロアニメ。最終回はサブタイが「小手指くん育乳マッサージ講座」でいいのか? 追放を目論んだ教頭が少しでもきわどい行為をしたら追い出してやる、といろいろ言ってるけど目の前で裸になって生徒を誘惑している行為でしかないので一番危ないのは教頭だよ。小手指くん性欲がないと思ったら最後に、何年も前に性欲スイッチは切った、とか言っててマジかよコイツ。切れるか? スポーツドクターになるために性欲を消す小手指、違うタイプの変態だろ。四話のいずみはオタク気質のひきこもりで会沢さんだしモニカがエッチなアニメに出ている感がすごかった。

嘆きの亡霊は引退したい 第2クール
去年の第一クールは色々と文句を言ったけれども第二クールは原作もこなれてきたのか終盤に向かってかなり面白くなっていった。24話が最終話だったけどここが後半で一番面白かった。色々ギュウ詰めになってるけどその分みっちりネタが入ってる。ここ、原作だとティノは付いてこないし原作に出てこないドラゴンらしい。原作者も知らないドラゴンだ。そこでティノの活躍場面を足してヒロインとしての面目を立たせる。この護衛のエピソードはクリュスがヒロインの巻になってるのかクライとの相棒っぽさが良い感じだったけどそれだとティノが出番がなくなるからアニメとしてはティノを別枠でも活躍させてるんだろう。冰剣の榎木淳弥も出てきてたかた監督アニメだ。序盤はギャグとしてのパワハラとかが多くて主人公のありようもいまいち見えてなかった気がして、なんか良く分からない勘違い展開という感じだったけど最終的に作品と噛み合ったように感じられた。まあ長い助走期間だったけども。各話では18話、温泉ドラゴンがなにを言ってるのかと思ったら徐々にOPにリンクしてきて歌ってたのOPだったの分かるの、たかたまさひろ監督の演出という感じだ。21話もOPのタイトル「アルゴリズム」がOPで回収されるしこの回ではi☆Risのメンバーが全員揃ったからか、EDの次回予告セリフにメンバーの名字全部埋め込んでいたのがすごかった。

Let’s Play クエストだらけのマイライフ
OPとEDが久保田利伸アメリカのウェブコミックを日本でアニメ化したもののよう。サム・ヤングって名前で女性なんだ。と思ったらサマラの略なのか。自分のゲームを酷評した有名配信者とお隣さんになり、サムのゲームの夢と恋愛が絡んでくる。アメリカのドラマ的な雰囲気があるけど、各人それぞれに真摯なキャラで見やすいのが良い。ゲーム仲間で私生活でも仲が良いリンク、会社の上司で社長の娘として次期CEOの教育を施してくれるチャールズ、隣に恋人と引っ越してきた憧れの配信者だけれど説明も読まずに無理なプレイをして自作ゲームを酷評してきたマーシャル、という三人の男性との関係が絡んでくる。原作ありだけど、最終話はしっかり終わっててそのことでグッと好印象になった。ネガティヴな感情が擬人化されているのはゲーム的見立てによってそれを撃退するためだし、そうしてマーシャルは抑圧していた己の夢を取り戻す。サムが自分を向上心の持ち主だと自ら認めて前に進めるようになる、チャールズの自己肯定レッスンが成果を上げていて、なるほど彼はそういう役目でもあったか。リンクは友人、マーシャルはゲームのデザイナーとして一緒に働き、チャールズが恋人か、なるほどねえ。人生はゲーム、レッツプレイ!で締め、憎い終わり方だ。EDも細かく変わってる。最後、サムはデートのためにオシャレをしていてチャールズは会社でのキメた格好とは違うカジュアルな服装で、お互いいつもとは違う格好で、というのも良かった。それぞれにみんな良い人だしそれぞれの人生のミッションを休んだり寄り道したりしながらクリアして行くみたいな前向きさがあって、爽やかなアニメだった。最終話には久保田利伸本人も登場していた。

SPY×FAMILYSeason 3
三期になってロイドの掘り下げが進んだシーズンだった。40話は戦争によって奪われた平穏な子供自体が描かれ、ダミアンと仲良くなっているアーニャを大切に思うという、ロイドの背骨を示す重要なエピソードになっていて良かった。知らないことは差別に繋がる、無知故の「盲目的に国に従った」悔いから情報を扱うスパイへ、という背景。真偽の分からんラベリングをするだけで暴力は快楽として受容されることになるという話は認識・知識への煽動を旨とする現在のSNS社会にとっても重要な話。テロが起きるようなオスタニアの圧政が示唆され、終盤ではロイドたちの組織を裏切るスパイを追う本格スパイアクションになっていたのも見応えがあった。

不器用な先輩。
今年のオフィスラブコメ第二?の刺客。性欲満載だったこの会社に好きな人がいます、に対してこちらは初々しいというか、初々しすぎてほぼ学園ラブコメを会社だと言い張っているみたいな作品だった。無茶な展開も力で押し通す、パワー系のアニメだったと言える。一話から主人公の鉄輪梓が方言を隠すためにぶっきらぼうな言い方をしているとしても会社で「お前」とか「邪魔だ、どけ」という言葉がありになる場合が考えられなくてビビった。本当は人見知りで不器用だという萌えをやりたいのは分かるけど、さすがに、が来る。三話、新人の歓迎会と社員の結婚祝いを合同で開催するのはいいとして、その幹事の一人がその新人っておかしくない??? 異常な展開が多々あってどうかなと思っていたけど五話、会社も台風すらもラブコメのための都合の良い道具として割り切ってる豪胆さに、さすがに傑物だと観念してしまった。特にすごかったのは八話、ショップでのコラボイベントにヘルプで入って人手が足りない時に鉄輪がそうだ自分がコスプレすればいいんだ!って、嘘だろってなった。さらに途中から明らかに絵が疲れてきて、雑な萌えに雑な絵柄が噛み合ってきて面白すぎる。ライブステージもあり、レースゲームのコラボなので車に乗ってる風な妙な振り付けのダンスが本当に作画もアレで、すごすぎてずっと笑ってた。これは、ライブなのか? だいぶ制作がヤバイ感じになってるんだろうけど、そこに強烈にレトロな萌え要素が突っこまれて10年以上前のアニメを見ている気分にさせられてすごかった。最初は色んな描写がとんでもなくてどうかと思うところが多かったけど、途中からはこの大味さも味かと思えたし作画の緩さもご愛嬌、そして八話はそれが奇跡的に噛み合った面白さが炸裂してて思い出深い。

ちゃんと吸えない吸血鬼ちゃん
今年完結した原作漫画は配信でずっと読んではいたんだけど、アニメになると読み過ごしていた違和感が強調されてしまった憾みがある。フィールが制作とあるけれど実制作は海外のスタジオがやってるらしい。血を吸うのが下手な吸血鬼のクラスメイトルナに、消極的で自信がない男子大鳥が血を吸わせて「ママ」のごとく扱われるというラブコメというか日常もの。改めて見ると同級生が急に赤ん坊になるのはキツい。生活の隅々まで大鳥が必要なの、私生活が成り立たなさそう。今までどうやって生きてきたんだ。細かい違和感はあれど、自信のない大鳥がルナとの関係をきっかけにどんどんクラスに受け入れられるようになっていくラインは悪くないし、写真に映らない吸血鬼のことを大鳥が絵に描いて良い場面を記録するという仕掛けも良い。作画も地味に良くて全体的に良い日常アニメだったと思うんだけど、ルナの赤ちゃん化、大鳥の鼻口の表現は最後まで受け入れられなくて、そういう細部、デフォルメの都合の良さがずっと違和感として払拭されなかった。友達の血を吸っているという結構な負担をルナを赤ん坊にさせることで軽減させている気がするんだけど、それが必要な時点で負荷自体はどうにもなっていないんだよな。矢野くんの怪我ネタは中盤から影を潜めてラブに移行したので気にならなくなったけど、これはずっと気になってしまった。臓器移植で提供者との直接交流を防ぐのは妥当なんだなと思った。同級生の血を吸っていること自体よりもそれを赤ちゃん化で誤魔化していることの方がずっと気になる。

永久のユウグレ
PAワークスのオリジナルSFアニメ。両親を亡くした少年が引き取られた家の姉代わりの女性と恋人同士になったけれど、二人は反アンドロイド運動に狙われて襲われ、気づけば200年後のポストアポカリプスな未来に目覚めることになった。この主人公アキラが恋人だったトワサを探そうとしたら、トワサそっくりの顔を持つアンドロイドと出会って、という話で婚姻形態が大きく変わった未来で、異性同性関係なく人数すらも可変的な共同体契約を示す「エルシー」というものと、アキラの知る結婚との違いは何かを描いていく、結婚の相対化みたいな話だけれどもなんとも不全感が強い作品だった。個々には面白いところもあるけど、ごく序盤でだいぶ陳腐なディストピア管理官の悪役が出てきたところであんまり期待できない気がしたら概ねその通りの粗さがあった。とはいえ10話のこの世界の謎解き回は結構なドライブ感があった。トワサの試みがAIの叛乱を招いて核戦争が起こり終末に至った歴史とアウトサイドシリーズの起源、そして現在のアキラの存在目的を一気に語って、同じアンドロイド同士のアキラとユウグレの偽物ではない自分、偽物ではない愛を描く、これ自体は悪くない筋だとは思う。トワサ、一人で世界を終わらせる引き金を引くし、オーウェル結成以後の復興もほぼ主導者でやってて、もうこいつ一人でいいんじゃないかって感じがする。終盤、アキラとユウグレが昏睡になり七年の介護をアモルがやってたことでアキラたち成長しないアンドロイドと人間との格差が広がってその心の闇を突かれて敵に落ちる、という安易な展開がガクッときた。最終回もエルシーだ結婚だ、という話があまり深められることもなくエルシーでも結婚でもない私たちの関係、という、百合やBLでも見たやつに落ち着いたけど、アモルがのけ者のままにすべて決まっている感じで全然対等でもないのでは、としか思えず。「生涯ただ一人を愛するのが結婚」というモノガミー規範を相対化しているようでずっとその規範で話が進んでるように見えた。

野原ひろし 昼メシの流儀
ネットであんまり良くない意味でとても話題になることが多いクレヨンしんちゃんのスピンオフ漫画が鷹の爪の制作スタジオでアニメ化されたもの。なんか、古い雑誌にはこういう漫画が載ってるよな、という印象の作品。会社員の外食での昼、何を選ぶかどう食べるかにひろしのこだわりを見せて、会社員の共感を誘うような作品。不快なネタが多いのもまあそういうところだろうけど川口は本当にヤバイやつだし、良く出てくる女性店員もヤバい。そこまで面白いわけではないけど、まあまあ楽しめる作品でもあったのと、これがよく見るアレか、という面白みもなくはない。

顔に出ない柏田さんと顔に出る太田君
スタジオポロン、最強タンクのところか。原作を読んでる。そういや一話から告白してたんだよな。好きな子にちょっかい掛けてしまう男子の話だけどこのヒロインサイドからの先制告白と掌で転がしてる感じで柏田さんが嫌がってないという言い訳を置いている。太田くんが無表情な柏田さんに感情を出させるためにずっといたずらを仕掛けている話で、漫画の頭身低めの絵で成立していたことがアニメで等身を高くしてしまうとぎょっとする度合いが強まってしまうなあとは思った。五話で普通に柏田さんの前髪をザックリ切らせてしまうところとか、クリスマスパーティにシュールストレミングの缶から臭いを漏らしてしまってパーティが中止になるのもひどすぎる。でも太田と柏田は幸福にプレゼント交換できましたって、話の倫理度がだいぶ、ない。ただまあここが一番アレだったけれどそこからはある程度穏当な話で悪くない感じになるし、九話から小田島さんが出てきて、柏田さんの表情も読める太田に対する良いバランサーなんだけど、もっと早く出てきてくれたら良かったかも知れない。

終末ツーリング
Nexus制作で徳本善信監督、安定の座組という感じだ。原作ウェブ連載をずっと読んでるのは刀使ノ巫女のコミカライズしてた人だったのを覚えていたから。バイク、制服少女、ロボ、終末、廃墟という趣味性の塊みたいな作風で、それなりに見られるしアニメーションの出来も良いと思うけど、やっぱり表層的だなという印象も抜きがたい。二話の海に沈んだ家族との再会を望むサイボーグという終末SFらしい展開や、四話の誰もいない世界に無人のラジオが放送されている秋葉原回などはそれなりに物語性や終末性を描けていたと思うけれど、後はだいぶ不思議なスピリチュアルな感触が強くなる。九話の終末後にホンダコレクションホールを探訪する回もだいぶ変。動態保存されていたホンダNSRを修復して走らせる、マジで趣味の話しかしてなくてすごい。「サーキットが蘇る」、蛍になぞらえられたバイク、車、ロボットたちの魂の最後の輝きでまるで蘇っていたみたいだった博物館のおとぎ話。終末に人間・生物だけが弔われるのがおかしいといえば分からないでもないしツーリング要素がこっちに振り切るのに変な納得はあるけれども。今作のシェルターで暮らしていた二人が外に出て終末後の日本を旅するというコンセプトはコロナで家から出られず、観光地から人の消えた風景に終末を見いだしたというコロナ禍後のフィクションに思える。でも2020年9月末からの連載で発想はもっと前からあったっぽいからそれは偶然かな。ただアニメ化に至ったのはそういうコロナ禍のムードが影響したんじゃないかとは思う。二人の由来や破滅の原因とかの謎って解かれるべきものではなく話を動かすためのものだろうしそれはそれでいいんだけど、かといって話の方に手応えが薄いせいで謎に意識が向いてしまう作品だと思う。終末観光をする積極的な理由というかそれで得られるものというのが漠然としていて、かといって終末後なので人もいないし観光も通り一遍の解説になってしまうし、イベントが起きてもオカルトやUFOとかなんとも突飛で困惑してしまう。メインの二人もあまり立ったキャラではない。そういう弱さがある。映像は良いけど謎めかした雰囲気だけがあって、まあ映像が良ければ良い作品ではあったかも知れない。EDの雰囲気は良いんだよな。

ポーション、わが身を助ける
15分枠のイマジカインフォス制作のライトアニメ。ラノベ原作を戸部淑がコミカライズしているものをアニメの原作にした作品で、気がつけば異世界に転移していた高校生カエデ(声優本渡楓)がポーションを作れる不思議な本を頼りにその世界で暮らしていく。派手な展開はほとんどないけれど堅実に話を進めていく。エルフにはポーションの効きが悪いという話が出てきて、たぶん長命だから代謝も悪くて効きが悪いと思われるけど、そういう設定も珍しくて面白い。高校生の少女が一人で露天商をしていては危ないから、と奴隷を買う展開になるのはこの手の作品の定番とは言え気になった。そこで買う奴隷のラインナップが獣人ばかりなのはナチュラルに獣人を劣位に置いているからという気もした。買った奴隷カルデノの信頼を得ると、カエデの保護者的な振る舞いをするレイに対してカルデノは警戒感をあらわにしていて、レイはカエデに価値があるから優しい、つまり強盗もレイもカエデの価値に目を付けてる点では変わらない、ということを言っていて奴隷の境遇がそういう目線への鋭さを育てたんだろうなと窺える。終わり方が急であまり終わった感じもないのは惜しい。ライトアニメは二期も作りやすいのではないかと思うけどどうだろう。

野生のラスボスが現れた!
ゲーム世界の覇王ルファスという女性にTS転生してしまった主人公が、この世界が今こうなってしまっているのは何故かを昔の仲間を探しながら探っていく。画面も安定しているし元々いなかったはずのディーナという怪しいキャラの底もまだ見えないし、結構面白いけどなんか印象がぼんやりしてしまうのは自分が集中を欠いていたせいかもしれない。見た目全員女性なのに主人公はTS転生だしアリエスは普通に男子だし、という性の話をしていた五話が一番面白かった気がする。二期が決まっている。

中国アニメ
ある日、お姫様になってしまった件について
今期見ていた中国アニメではもっとも絵的にリッチな作品。初回に三話まとめて放送した全16話構成。本篇20尺でやや短いのでそれが可能。転生もののようなタイトルで原作はそうらしいけれどアニメでは転生設定がカットされたのでタイトルが謎になっている。韓国の原作を中国でアニメ化した作品。帝国の皇女だけど冷遇されているアタナシアが、未来予知の夢を見、その未来を変えていく、というこれはこれで既視感のある話。皇帝の父から距離を取られているけれど父が気むずかしいのはアタナシアを母が産んでそのために母が死んでしまったからで、その父の心を溶かすために色々やっているというファザコンアニメという印象。一桁くらいの年齢の幼い少女から10代の頃まで段階的に成長していくアタナシアを描いているところはなかなか良いけれど、ラストでアタナシアの覚醒によって父を助けたら父から忘れられるといういかにも続き前提という感じで終わってしまったのですっきりしない。

破産富豪 The Richest man in GAME
これも全16話構成らしいけれど年内には終わらないで持ち越しになる。冴えない会社員生活を送る主人公が気がつくと大学時代にタイムリープしていて、彼の前に現われたリッチェストという怪しい存在は、提供した資金を使って損をするほどその財産を持ち帰れるゲームの提案をしていてそれを受け入れ、クソゲーを作って損をするために主人公が奔走するというコメディ。損をするための施策がどれもこれも裏目に出てどんどん主人公は金持ちになっていく話でベタと言えばベタだけれどなかなか面白く見られるアニメだった。どうにか損をするためにやることが人のためになっていたり相手に好感を与えるものになっていたりと損して得取れの具体例のようになっていて、金の使い道として福利厚生をバカみたいに手厚くしたりと浪費したいだけなのに社員にどんどん感謝されていく。嘆きの亡霊も破産富豪もみんなに勘違いされてる小野賢章なので実質同じアニメ。EDが癖になる電波ソングでアニメーションもゲーム制作アニメらしいドット絵でかなり良い。

シンデレラ・シェフ ~萌妻食神~
結構前に中国アニメの作画がすごいってネットで話題になったやつだった気がするけど、見てみるとそんなでもない。これはテレビ放送してない作品らしく、声優もあまり聞かない人たちで吹き替えがされている。現代人女性がキノコを食べたら過去の中国の山賊の妻になっていて、という導入からまわりの人を料理の腕で懐柔していく料理アニメ。山賊の妻にさせられそうになったところから逃げ出して、逃走中に男装して男性と道中を共にする展開になるんだけれど、何話か飛ばしたか?みたいな展開のぶつ切り感があるのも不思議だ。と思えば逃げた先で最初の山賊の頭領みたいなのが現われて、見失った女性を追い求めて料理で見つけるからシンデレラシェフなんだなこれ、と理解した。料理長になるかの勝負の12話で実は最終回を迎えていたのが二期一話が次週に始まったところで分かった。年内に二期二話までが放送されている。しかしこれ、作画というか動きの感じがやっぱり絶妙に違うんだよな。日本のアニメではまず見ない独特の作画だ。大きく動くわけでもないのにやけに枚数を使ってて妙に画面が騒がしいというか。

高市首相の失言によって中国では日本のアニメを見られなくなっているらしいなかで、中国のアニメは普通に見ることが出来ている。

ギルティホール
今期僧侶枠。女子校で教え子から舐められてて残業続きの男性教師が、ある時謎の空間で教え子が指名できる空間に迷い込み、指名をしてみると生徒と性的な行為が始まる、という夢を見る。男性向け僧侶枠なんだけど、現実においては教師はずっと真面目に仕事をしていて、生徒の進路指導にも真面目に取り組むことで生徒の信頼も得ている、というまれに見る真人間の主人公で驚きがある。真面目に向き合っていると生徒と夢のなかで性的な関係を結ぶというところに背徳の罪悪感があるわけだ。とはいえリアルでは生徒のために相談に乗ったり指導したり文化祭の責任者として身を粉にして働く佐々木真守、僧侶枠史上もっとも人格者の主人公といえる。胡乱な夢のなかで生徒と性的な接触になるけれどもリアルにそれを持ち込んでない様子なのもすごい。小手指くんとギルティホール、お色気ものの主人公ながら一貫して真摯な態度を堅持していて面白い。

アンデッドアンラック Winter編
一時間の特別篇。E&Hプロダクションって朴性厚のスタジオに変わったんだな。二期はこの座組で継続だろうか。さすがの作画で一瞬のモノクロ演出は監督恒例なのかな。ビリーの過去とテラーのアンテルの能力発現の諸々を描きつつ、ビリーとジュイス、風子とアンディの二組を描いた感じ。スポイラー、腐敗能力だから炎と相性悪いのはそうだな。「炎は腐らんだろうが」。否定能力に、コンセプト系とフェノメノン系があるんだな。概念系と現象系、腐敗と炎がそれか? UMAバランス、リコリスリコイルにいなかった? ジュイスとビリーの軋轢含みの二人と、阿吽の呼吸の風子とアンディという対置にも見えて、ジュイスたちにもまた別の噛み合い方があったか。自分でジェットエンジンに突入してミンチになるのは怖すぎる。OP女王蜂の01のカップリング曲だった02がEDになるのは面白い。

どうかと思ったもの
千歳くんはラムネ瓶のなか

フィール制作のラノベ原作アニメ。自分のなかでここからの四作品を今期のワースト四天王と呼んでいたけど、下二つに比べたらそこまで悪くはない気もする。どうかとは思うけど。ラノベランキングで殿堂入りとのことで鳴り物入りで分割二クールを告知しつつ始まった今作だけれど、一部原作既読者からの評価の通りもうのっけからなかなかキツいのが来たな、という印象だった。千歳くんという主人公が陽キャ的ヒーローを自覚的に演じている話という感じがあるけどそのテーマはともかくなんとも厳しい。最初からヒロインたちの千歳ハーレムが出来てて文武両道で見た目も良くモテる主人公に「正妻」ポジまでいるとかよくここまで嫌味なキャラ設定ができるもんだ。先生に不登校児をなんとかしてくれとか言われるのも謎だけど、ヒロインを代わる代わる手駒にして不登校児に会いに来るのは嫌味すぎる。不登校の山崎くんがラノベオタクで劣等感を刺激するカーストものばっかり名前出すのも不登校への偏見がすごいし「俺だって本当はそっち側に行きたかったよ」って、そっち側じゃない人間の内面まで簒奪していくの辞めてくれないかな。そんで千歳のやることがバットで窓をぶち割って部屋に入って直接対話、で性欲の話で釣り上げるのも何なんだ。不登校陰キャ陽キャのなりそこないとしか思ってない貧しい人間観で説教されてもなあ。画面に美少女と微エロを出して主人公のケアをさせるための要員としてしか存在感がないヒロインたちの区別もつかないし。山崎くんの引きこもりの原因になった連中もあまりにも安易なキャラ造形で、安易な悪をサンドバッグにして自分たちをエモく飾り立てるアホみたいな話のどこに相互理解があるんだ。一話冒頭からずっとやってる詩的なモノローグが自分のことしか考えてない証左になっちゃってる。「陽キャ」を知りもせずに安易なレッテル張りで否定するな、みたいなことを言ってた作品がこんな安易な人間を出してやっつける展開をやって恥ずかしくないのか? ここまでが原作一巻らしい。山崎の話が深刻ないじめだったのを告白の失敗というモテの話にしていたのもどうかしてるし、失敗した告白だって脱オタしてない頃の彼が勇気を出した一歩に違いないのに、あれは全部虚偽だった、俺達との経験だけが本当だみたいなこと言い出すのはカルトの洗脳と言われてもしょうがない。この手酷いいじめがモテ・脱オタ陽キャの話になってたのは、千歳たちの愛のあるいじりだ、という発想でいじめといじりに連続性があるせいでいじめの否定が明確にできないからじゃないか? 五話以降のヒロイン七瀬のストーカー騒動で偽の恋人エピソードも、一巻部分に比べたらまだ恋愛要素の主軸が受け止めやすいものの随所にどうかと思うところが出てくる。生徒のストーカー被害を知りながら生徒に丸投げする教師が女子生徒のカップ数を把握して口に出しているという最悪の存在なのは何なのか。大人がみんなしてろくでもないのは本当にすごい。不良が校門前で出待ちしてるのに夜になるまで誰も退去させてないとか、何。千歳たち二人が絡まれるまで教師も出待ちしてるのアホすぎる。あそこで注意しても学校から離れたところで絡まれる可能性が全然消せてないのに普通に帰って雰囲気たっぷりの展開が続くのも良く分からん。この教師、社会のルールがどうこう言いながら進学校の教師のオレならヤンキー高相手なら多少はもみ消せるんだぜ、とか言い出すのもだいぶどうかしてる。恋人になれと言われて断ったら暴力を振るわれたことがトラウマになってる女子相手にレイプまがいの振る舞いをして暴力に怯えるな、とやるのは自分に依存させる手口か何かかと思った。制作の遅れで三週遅延して年内に終わらないのも残念。とはいえ七瀬篇の終結までは終えたみたいだ。このヤンキーレイパー篇、スポーツに打ち込んでた自分はぷらぷらしてたお前より強い、といって喧嘩慣れした相手を圧倒するのが嘘だろってなる。スポーツと対人格闘は違いすぎないか。格闘技でもしてたのかと思ったけど野球やってたんじゃなかったっけ。警察に頼るより見せ場を作って、一生手を出さないと言質を取るというのはフィクションならまあありだろう。千歳が何を脅迫の決め手にしたかが分からないけど、それがあるならこちらが暴力を振るう必要もないのでは。ヤンキーより強いんだぜ、がやりたいのにご託を並べるから変になる。ヒーローになろうとストーカーに温情を与えて泳がせていたら暴行事件になったわけで、フィクサー気取りで策を弄したけど失敗している、という話だったのかな。前にも川辺の先輩にそういうことを言われてたし。住宅街の公園で喧嘩沙汰を起こしているわけで、呼べば誰かが顔を出すだろうし人でも呼べば、としか思えなくて背景設定を間違えてるとも思った。まあ、なんとも。アマプラだと娘の私は転生者より星が低いのか。さすがにそこまでではない。

信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!

まあ内容はタイトル通りで、被差別種族のヒューマンの主人公が謀殺されかけ、その復讐劇をやる話で、もう序盤のところのこんな白黒簡単に反転するような人物造形、見る意味あるかってなっちゃう。また物語の簡単な土台作りのために使われる「差別」、「差別」の利用だなあと思うのはこういうのを見た時だ。見ててもこんな話をこんなちゃんとしたアニメにする必要あるのかってずっと感じてしまう。ガチャから出したヒロインの家臣というのも謎だけれど、そんな人たちに傅かれて持ち上げられたり賊をやっつけたり迷惑ものをやりこめたり、安っぽい主人公上げばっかりやってる。バカな悪役のテンプレ感もキツい。基本ストーリーがタイトル通りのざまあ系でねっとり復讐してやり込めるという趣味の悪さもあるけど、終盤のバトル展開もだらだら部下たちの戦闘を引きのばしててただ退屈なのが輪を掛けてひどかった。部下たちもぽっと出のガチャから出てきた謎の連中だし、話に興味を持てるフックがない。原作だとガチャから最初のヒロインを出してその後地下で拠点を制作する話があったのがアニメでカットされたらしい。まあそこに尺を費やすよりは本番の復讐実行を映像化するというのが正しいかとも思うけれど、それで面白いかはまた別だ。クズがクズの行動をしてても特に面白みが感じられない。JCスタッフ制作で見た感じはダンまちみたいな絵作りは悪くないとは思うけど。ヒロインがぽっと出で思い入れができないのは千歳くんと共通の問題なんだよな。

友達の妹が俺にだけウザい

義妹生活の原作者がそれより前にアニメ化決定していたはずの作品がようやく放送されたらしいというラブコメラノベ原作アニメ。義妹生活はアニメーションの演出が面白くて良かったけれど、そこでちょくちょく感じていた元の作品があまりよろしくないのでは、という疑念をがっちり裏付けてしまう作品だった。マンションの偶然同じ階に住んでいたゲーム制作集団5階同盟というのを作っている明照を主人公として、その同盟のヒロインとラブコメをやったりなんかしたりする。一話の下ネタいじりをしてくるヒロイン、友人との会話、ラノベ濃度が高すぎないかと思ってたら「豚」どうこうと罵詈雑言を放ってくる担任教師で限界突破していった。ラノベブコメのキツい要素だけで出来てる。友達の妹の彩羽がウザいというラブコメ要素も、ゲーム制作のあれこれも全部が上滑りするような浅さしか感じられず、肝心の彩羽の声優としての才能が別声優をあてがって声色を変えることを天才性として出してくるのがもう安易。当日に台本渡されてもキャラ作りが完璧、みたいなのはすごいっちゃすごいけど別声優を使うのと同様に天才性の表現が安易じゃないか。過程をカットした無詠唱がすごい、みたいな。終盤の演劇部に協力するエピソードも独学声優が演劇部を指導できるし、小説家だから演劇台本を書けるし、才能は何でもできることになってる。最終話は主役が交通トラブルで出演不能になったら主人公がオレが出るってやるのには唖然とした。前回で彩羽がすでに同じことをしている上でのコレ。演劇部の努力を評価するみたいなセリフを言わせておきながら、トラブルを起こして彩羽と明照が主役をやりますってどうなの。実際の劇が始まったら明照と彩羽の二人しか舞台に描かれてなくて、演劇部員が誰もいないでやんの。劇部の舞台を二人が簒奪する最低な話だよ。脚本と俳優二人で大舞台を5階同盟の三角関係・内輪ネタに回収する、どこまでも自分たちのことしか目に入っていない。ほとんどのことが表層的なだけじゃなくて自分たちのことしか意識にない内向きの目線で良い気になってるとしか思えなくてろくでもない話だった。OPのサザエさんパロから始まり怒濤のどっかで見たネタ連打はすごかった。既視感の詰め合わせという本作に見合った作りでこの演出は原作の本質を見事に抽出している。今年幾つ目かの古賀一臣監督作品。ED曲以外にいいところがない。

父は英雄、母は精霊、娘の私は転生者。

本年でもっともひどいアニメはこれだろう。JCスタッフはもうちょっと原作選びを考えた方が良いのではないか。タイトル通りに英雄と精霊のあいだに生まれ、何でも物質を生成できるという万能過ぎる能力を持った少女エレンとして転生した元大人とその家族を主軸にした話なんだけれど、まず二話の父の弟の婚約者として現われた醜い女性を追放する話からひどく、しかもその後この婚約者がいるのに叔父サウヴェルが一般の女性アリアと不倫して娘も作っていたと言うからものすごい。それはいいのか。しかもこの女性が夫の兄ロヴェルに色目を使っていて神から罰を受けるという展開になるのもビックリした。悪妻をやっつけてまだ一話しか空いてないのにまた悪妻で話回し出したのマジで何なんだ? この件のせいで父がへそを曲げていることを色目を使ったアリアのせいにするのも気持ち悪い。身内と結婚する相手をここまで悪し様に描けるというのは凄まじい。エレンが王家に目を付けられた原因になっただろと恫喝したり、サウヴェルの情けで結婚できただけだという烙印を押して、つまりは二級の「家族」にしたわけだよなこれ。エレンを愛するものだけが善人、みたいな自己中心階級社会。アリアが婚姻の場で二心を見せたせいでサウヴェルの不倫が不問になってることに誰も気づかない、みたいな。めちゃくちゃどん引きなんだけど、やってることは新妻に立場を分からせる姑みたいな伝統的なものを感じる。異世界で八歳の少女にやらせてるからそうは見えないだけで。サウヴェルのクズ親っぷりがだいぶリアルですごい。お前が不倫して作った子供なのに自分が母子に向き合えずに家庭を崩壊させていることに気づいてないという。最終回まで見て、とんでもないものを見たな、という気分だ。領地の薬を相手の王家が強奪したという虚偽情報を広めて民衆をたきつけておいて心が痛むみたいな顔してるエレンは何なんだ。それで父に慰められて「優しいな」とか言われてるのも異常すぎる。「流行病を逆手にとって領地を繁栄させてしまう」、薬を出し渋ったり王家が全部持ってったなどとデマで民衆を煽って、病を利用して勢力争いをしてましたよね。良いように言ったものだな。「エレンは精霊も人間もすべてを愛している」、こんな信じられない結論があるんだ……。精霊の血筋で精霊王を味方につけているという傲慢さ、ものすごく自然に自分たちは優れたものだという前提があり、そこからすべての行動が出てくるしやってることもほとんど悪役なのに自分は可憐な善人でいたいあるいは善人だと思ってるというあまりにも身勝手な認識で唖然とした。「非情な決断をする私」に酔いすぎてるし、モフモフ~とかいう獣をかわいがるのを主人公の可憐さとして出してくるセンスもキツい。独裁者が子供や動物との写真を使うのとあまり変わらない。すごいアニメだよこれ。民衆を道具扱いする主人公、真顔になるよ。ここまで醜悪で傲慢な主人公は稀有だよ。不足しているので増産しようとして薬の研究をしていて消費してしまったら無駄にしたんですか?と言い放つ場面もクズ過ぎる。「今度はおもちゃにするなよ」のロヴェルもすげえ。王家を攻撃するためには仕方なかったで全部済まされるなら人道も倫理もいらねえんだよ。力の使い方を間違った人間にでけえ力を与えてしまった、そういう教訓を読みとるしかなくないか? 主人公一家を討伐しようとする側を主人公にすると良い作品になるんじゃないか? 精霊を舐めたら痛い目を見るぞ、と非人道的手段も平気で使う、ヤクザのロジックで動いてるよなこれ。私に優しいヤクザとのロマンスなんて生やさしいしろものだったなと分かる。

●今期は少し落ち着いて、週間47本見ていたうちのここではショートアニメ以外34作を挙げたか。秋クールが不作だという話をちょいちょい目にしたけれども私にとってはその通りで、年間ベストにそこから一作も採らないクールというのはかなり珍しい。むろんそれは絶対的なものではないし、私は無料配信アニメしか見ておらず、有料独占のもので良い評判を見るものもあるので、あくまで私の視聴範囲内での話だ。最後にひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか、はあんまりピンと来なかったけど、EDが良かった。自分にはどうも加隈亜衣加点と遠野ひかる加点がある。

通年アニメ

遊☆戯☆王ゴーラッシュ!

長く続いたこのシリーズも本年の151話で完結。最終盤では遊戯王名物のカレーで宇宙へ展開がまた見られて楽しかった。カレーでその爆発力はもう食べ物じゃないだろ。木製ロケットもよく燃えないな。戦国時代にカレーでロケットを発射して宇宙空間でデュエル、メチャクチャだけどらしい展開だ。こう、話が増築に次ぐ増築って感じで今ひとつすっきり見えなくはある。最終回の151話、「定められた未来との戦い」。ここに似た場所というあらゆる並行世界からの侵略を受けてそれに立ち向かうユウディアスの戦いによって、何かが変わったようでそうでもないような変わり続ける未来にもなっている。ぺらぺらのユウディアスが復元するラスト。最後の最後まで何が起こるか分からないのがラッシュデュエルという通りな感じだ。大河の流れに飲まれる小さい石が川の形を変えることもある。変わる未来のための一枚のカード、みたいな。デュエルと歴史を重ねてここに落とす、なんか良く分からんけどすごかった気がするラストだ。ゴーラッシュは三年やったのか。セブンスが全90話とかで二年くらいだからそれもあわせると五年とかになる。私はセブンスは34話あたりから見始めたんだけども。なかなかの付き合いになった。結構良く分かんないところもあったけど、色々面白かったね。

わんだふるぷりきゅあ!

47話以降分。ガオウの正体は人間。動物を使役していたガオウが人間だったのは納得感あるし、動物の意思を知ることはできない以上愛護も迫害も動物に仮託された人間同士の思想の対立だとするのはひとまずは倫理的な態度だと思う。しかし今作、結局動物への温情という態度になりはしないか。ガオウが自分のエゴに動物を従わせていたという話がだいぶ社会運動アンチの空気が出てくるところはあるし怒りは苦しくつらいことだと見ることはちょっとどうかなと思ったけど、ガオウに対して友達を思うからこそ怒るんだと怒りから友好を引き出すいろはの態度は悪くないとも思う。「この子達にこんなことさせちゃいけないよ」、というのも動物の意思を奪っているから正しいし、動物を狂わせて攻撃するガオウと、動物の能力を借りて対応するプリキュアが対比される。たた、友好を強調しすぎるとやはり秩序重視の態度になってくる感じもある。動物の森を取り戻すというの、植民地主義に対する抵抗っぽい。羅小黒戦記と並べてみるべきなのかも知れない。スバルの失敗は罪悪感と自罰感情を孤独に育てた結果憎悪の暴走に至ってしまったことだとしたら、あり得べき選択肢は理念と目的を明確にして同志を募って共有して社会運動として組織することだった、ということかも知れない。ここから先は社会、政治の話になるのではないか。ラスト、動物の心を本当に分かることはできない、しかし善意で向かえば善意が返ってくる、というような感触。動物と話せるファンタジーの一つの線引きとして。絶滅という人間と狼の間の話がスバルとガオウの個人間の友情によって代替されてしまうのは仕方ないことなのかも知れない。アニマルタウンはスバルとガオウの悲劇の上に立てられた友好の証、まあ落とし所か。戦うのではなく暴走を抑えて浄化することを一貫させた偉いシリーズだったと思う。怒りではなく対話をというメッセージは良いけどそれが絶滅動物の話と絡むとやや気になるところもあり、狼自身の怒りではなく人間自身のエゴだとする展開は誠実なあり方だけど、最後に話せて許されてしまう。スバルとガオウの関係は人間と狼の関係を代表するわけではなく、スバルの苦悩は癒されたけれどもガオウは彼を許すためにいたような感じもないではない。絶滅に直接いろはたちは責任を負うわけではないのでできることは繰り返さないことくらいだけど、そういう話は特になかったような気がする。しかしそうなると東京ミュウミュウになるな。青山くんが求められている!

キミとアイドルプリキュア

アイドルをテーマにしたプリキュア今千秋監督。一話、アイドルテーマで桃が流れてくるのマジかよと思った。マスコットかと思ったら一瞬で全部食うド畜生、桃に収まる力士、10分で「おしまい」になってて最後もそうだしかなりギャグ調な感じで進行してて、明るく、楽しくって作風かな。これウィニングライブじゃねえか! 敵がペンライト振ってるの笑う。アイドルスマイルで浄化したか。今回も倒すのではなくアイドルライブで浄化、という方向だ。アイドルとプリキュアの組み合わせが見ててもあまりピンと来ないところはあって、アイドルやファン活動をキッズたちに教えるアニメになってるところもオモシロではあるけどどうなんだろうと思わないでもない。プリキュアが変身してレコーディングして握手会もする、ものすごい不思議なものを見ている気分になる。15話、マスコットキャラで百合をやってるから脚本綾奈氏だったのかな。メロロンがプリルンにヘビーな好意を持っている描写とともに、敵のはずのカッティーがアイドルプリキュアにはまってて、触れただけで白飛び昇天してるのは笑った。プリルンとメロロンの重い百合関係がなかなかこじれてて、うたとの記憶を失ってもその欠落ばかり気になってしまうプリルン、メロロンが願いを叶えたのに思った通りにはならない皮肉がある。この三角関係、対象年齢ちょっと高くない? 略奪愛でも相手は元恋人に未練がってやつでしょこれ。チョッキリ団団員もタナカーンも過労気味で世相を感じる。ザックリーが過労だったり人手不足だったりっていうの、アイドルにハマる前振りとして描いてるんだと思うんだけど、悪の組織ってそういう労基法違反みたいな意味合いになっている。30話、メロロンが封印したのはプリルンとの未来、そんなのもできるんだ。メロロンが許せない自分自身という殻を打ち破って、ずっと差し伸べられていた手を自ら掴んでの全員で同じチームとしてのライブ。ここに来るまでだいぶ掛かった気がする。メンバー集めが本篇のアイドルアニメ感がある。プリルンとメロロンが急に百合カップル中学生になって学校に来た……。でも人間形態の名前が決まってないのに学校に来られるのはおかしいね。36話、アイドルライブが現実のライブ会場で行なわれる、それがパシフィコ横浜、変な面白さがある。行ったことはないとこだけど。どんなライブが見たいかを本人が学校で聞き込みしてるの笑う。願望を語っている生徒たちもそれが直にアイドル本人に伝わっているとは思わないだろう。39話、アバンから異常な回で笑った。ダンスで風を巻き起こし空を飛んでハーモニー演出で止め、何? 寸田先輩のダンス、スンダンス。スピンアトップ、スピンスピンスピン。だからこれからもたくさん見せてね、寸田先輩のダンス、スンダンスを! 止まるんじゃねえぞ。ダンスを止めるな。思いつきだけを書き連ねるのはやめよう、いや、やめない! ダンスは世界を救うから! 「スピードと回転数」がすごくても、ダンスとしてはどうだろう。ダンシングスタープリキュア、ダンプリ出てきた。これ現実にいるメンツ? 舞台のキャラか。脚本稲葉央明、演出村上貴之。良いギャグ回だった。しかしクリスマス回はクリスマスの解説でキリスト教要素を一切無視するのはすごい。ツリーを飾って家族や友人とチキンを食べるとか恋人はデートしたりプレゼントどうこう、あとサンタさん云々、何をするかだけが言及される。中学生をデートに誘うカイトさんが男性プリキュアとして変身したのは結構驚いた。ツバサくんは非人間キャラではあったから。

ひみつのアイプリ

年明け回からアイプリ部というのが出てきて次シーズンに向けての布石かと思ったけどそこまで重要でもなかったか。41話、つむぎは友達だけどずっと一人で抱え込んでいた苦しさがダークチィとして顕現したかのようなもう一人の自分が「ネガティブでも私は私 優しく抱きしめて」、ギリギリスターを憎んでると歌うバグった暗いステージ、格好良くて悲しさがある。助けてと言えないチィに代わって現われた感じ。チィは髪が内はねでダークチィは外はねなのが心情の方向性を示しているな。チィ、常にポジティヴで元気なようで肝心のことは一切他人に見せない内向的な孤独さが今回の原因になってる。ダークカルテットスターの圧倒的なライブでアイプリバースやつむぎの危機が迫る緊迫感ある展開だけどバレンタイン回はやります!という次回予告がすごかった。キッズアニメの季節イベント、大事だね。45話、「あたしは弱いけど、弱いままじゃない!」、同じ曲のバージョン違いだからできる同時ライブだ。アドパラのあしゅら男爵ライブから進化した?ダークチィの主題が内心を明かすことだったわけで、弱さを認め、これからだって頑張るしかないと吐露したチィがダークチィを乗り越えるわけですね。ようやくにしてグランプリコーデを手にしたチィ、良かった。ファイナルアイプリグランプリって二年目なかったらこれがラストエピソードだったからだろうか。そして51話は無印一年目の最終回。ひまりとみつき、お互いに始まりの記憶を回想しながらライブに挑んでるしお互いに向けて大好きとかモノローグしながら歌ってて、グランプリがいちゃつきに使われてる! Cパートもいちゃついててすごい。同点で二人とも優勝してフレンドスターグランプリコーデもらってつむぎが来てシークレットフレンズ結成でのライブ、予定調和というかそうなるしかない展開というか。特に印象に残ってるのはチィの回だった。

ひみつのアイプリ リング編

二年目は一応二期ということで話数をリセットしてカウントするところも通算で数えているところもあり併記しているところも多いけど、一応別扱いにしておこう。私は通算話数で数えている。アイプリバースに突然現われたリング姫のためのアイプリの大会が始まる。一話で男子のキャラ、モデル、小説書きと色々広げられそうな布石を打ってきた。歌とダンスをやらないというキャラも出てきて、アイプリバースにはライブをやらない人もいる。見た目も名前もまったく同じなのに、実はこれ私なんだよね、という展開があるのが面白い。身バレという仮想世界もの常套のネガティヴ展開を防いで自分で告白しないと同定はなされないというのは子供向けとしての倫理感だろう。ライブをしなかったじゅりあと小説を書いているえる、同室の相手が実は憧れの相手でもあった、ロマンチックなシチュエーションだしひまりとみつきの関係にも似ている。57話、匿名で曲を贈り、主人公にした小説まで書いてしまう異常熱量のオタクが相手が誰かとデュオを組んだかと思うと嫉妬でおかしくなって失言してしまいすべてを自供してしまうハメになるけどそれを全部受け止めて私とデュオを組んで下さいと手を差し伸べるじゅりあ、百合アニメすぎる。63話、逃避としてプロデューサーへ転身したおとめをすばるがもう一度アイプリに引き戻して、数話かけての姉弟デュオ結成で初手ラップでロケットジャンプを決めてくるのは良かった。ラップ入りは新鮮だ。シリーズでこれまであったっけ。ビビ、数多の動物語尾を効果音とともに喋る面白キャラになってる。これで自己嫌悪キャラなのか。動物語尾の多用もそういう真似の一端と。それでチィがアニマルバズリウムチェンジで最古参チィファンビビのアイプリへの後押しをする。72話、チィがビビのことを素直に褒められないのは自信がないから、というシンプルな話だった。正面から二人で対決をやってみることで相手の力をちゃんと認めて、それと競り合うことで自分を自ら認めることができる。逃げずに戦うことが自信に繋がるとチィらしい成り行き。74話、本人が気を使って気づいてないフリをしてくれている優しい誕生日サプライズ。サプライズってやっぱ色々難しいから、ひまりの仕掛けがみつきに最初からバレてる安心スタイルでやるのは良かったな。ドタバタからのひまりとみつきの大好き合戦、幼馴染み百合回すぎた。75話、チィが初優勝、良かったね。各人のバランスがとれてないシクフレより息のあったビビアンチィが勝つ、それはそう。つむぎとリング姫の白すぎるユニットルミナスフローラ、プリンセス力が強いユニットも出てきて、リング姫と更科兄妹の謎めいた関係もフリにしつつ、二期も序盤からみつきとひまりの進路が別れるし、別れても大丈夫だという話をずっと続けて二年目もそろそろクライマックスという感じ。

●そういえばシンカリオンの第三期も今年の頭で終わったけど、話は妙なマッチポンプで色々惜しい作品だった。このシリーズ構成の人のアニメ三つ見たけどVivyとこれはどうも……。シャドウバースが去年で、遊戯王も今年で終わって、見ている男児向け通年キッズアニメが一つもなくなってしまった。

今年の話数10選

コメントは書く記事から流用。見た日の順に並んでいる。

●空色ユーティリティ 9話
本気でプロを目指すタイプでもないし自分の人生にゴルフがなくても困らないだろう、けれどもゴルフ好きを増やしたり啓蒙活動のコミュニケーターとしての役割を果たして、ゴルフがあったからこそ自分を好きになれたという彩花の内面のドラマを描いて感動的。最後、空っぽのカップに紅茶を満たして飲み込むという自分なりのやり方を見つけた比喩的な描写。沸騰する熱いドラマではなく対流によって上下動してきちんと味を引き出している、ここに彩花のあり方が示されている。

●ハニーレモンソーダ 11話
アバンからもう色々面白い。大畑清隆コンテ演出回は文化祭の時もだったけれどギャグのテンポで独特の演出をグイグイ繰り出してくる。飛行機、パック飲料、道路標示、校庭の描写は文化祭回でも多用されていた。体育祭リレーの場面で大写しになる空のなかで独特の色彩で心情描写をしたり、図形が浮いていたり、盛りだくさんで圧倒される。

●前橋ウィッチーズ 8話
チョコはユイナに事情を打ち明けられたことで学校や家族やみんなにも助けてと言えることができるようになって、色々な制度にも繋げられて他人からの協力も得られるようになる、まっとうな困窮の描写。ヤングケアラーの制度的支援の話を踏まえて市長になると志すキャラを描くのは政治はつねに身の回りの問題と関わるということや、この社会を変えていくのは子供たちというメッセージがあって、ものすごく真面目だ。脚本家が自ら取材して持ってきた題材の勝負の回だった。

●日々は過ぎれど飯うまし 7話
日常ものながら各人の関係の深さに濃淡があって、幼馴染みの内輪ネタに疎外感を覚えたくれあを気遣って自分も中学で友達と離れた経験を語って励ますまこ、この二人で名前呼びになる瞬間。二人にとって間違いなく思い出になる時間ができたこと。食べ物という思い出話としてしか残らないものを描くアニメの主軸を別様に描いた回。

●アポカリプスホテル 11話
秀逸なポストアポカリプスの叙景詩。ほとんどの時間セリフのない映像だけで見せる圧巻の背景美術回。人間の遺物、ヤチヨたちのしてきたこと、そして豊かに息づく動物たちという生命と時間を絵にして見せる。派手なことは何もないのにじんわりと感動的。色々なものを見て帰ってきて、「生きている感じがしました」とヤチヨが返答するのも良かった。

●宇宙人ムームー 14話
今作ベストの回。老人と家電をテーマに、オーブンが欧州風デザインで気に入ったけど新しい機能を使いあぐねていたおばあさんと、GPSを落として足取りを掴めなかった認知症のおばあさん、新しいものへの挑戦と過去の記憶に彷徨う二人の老婦人。じんわりと良い。どうにもジェンダー観というかハラスメント感が気になっていたムームーだけど、老人が題材だとそれらが薄れて良い話がちゃんとできる。

●瑠璃の宝石 7話
瑠璃の同級生硝子の鉱物への思いを描く。砂浜に流れ着くゴミに見えたシーグラスにも歴史や背景があり、学問の対象にもなることを知って、自分自身が鍵を掛けてしまっていた石への思いが鉱物学という形で進路になりうる、とシーグラス同様に硝子の思いも宝物として拾い上げられる。「大学で鉱物の研究!」と硝子が聞いた瞬間、車のエンジンが回り出すのは良い演出だった。

●鬼人幻燈抄 24話
まだ原作も全然残っているなかでアニメの最終回を一休みと再会というテーマで締めるのがあまりにもハマっていて驚いた。平成時代の登場人物だった薫との時を超える鏡という超常現象での約束と、一話の葛野のあの茶屋の子とも再会して約束を果たすという重ね方が見事。原作を全部できるわけではないアニメの区切りにこんなちょうど良い話が原作にあるのはおかしくないか?と圧倒された。

●素材採取家の異世界旅行記 2話
異世界転生した主人公が、道で出会った普通の家族と同行して、採取した素材で料理を振る舞ったらたいそう喜ばれ、子供たちも一緒に騒ぎながら夫婦はギターと歌で焚き火を囲んだ夜を彩って、それがこの世界に来て始めて心から笑えた経験だと主人公が思う。メインキャラではない人とのふれあいという旅の一幕を描いて非常に良い話で沁みた。

渡くんの××が崩壊寸前 24話
始まってすぐ映像のキレが違うのが分かる。接写と陰影での雰囲気作り、山内重保ぽいやつだと思ってたら本人だった。コンテ演出に固有性がありすぎる。同棲する紗月が妊娠したかもというデマだった噂と、徳井の過去付き合っていた女性が元カレの子供ができて別れてしまったという二つの妊娠話を通じて大人と子供、家族になることの重みを描きながら徳井の恋の終わりを描いて印象的だった。

他に小市民シリーズの16話の妖しく恐ろしい小佐内さんを演じた羊宮妃那の圧巻の演技、誰ソ彼ホテルの6、7、9話あたりも良かったし、各話感想でコメントした回は無数にある。瑠璃の宝石と鬼人幻燈抄は一作一話の制約を外すとこの二作でほとんど埋まってしまう禁止カードみたいなアニメだった。あとアイドルランドプリパラ九話の巨人ライブ回はプリパラの多様性志向が凄まじい出力を出した回だったけど今年のアニメではないんだよな。

今年のOP・ED10選

去年はアニソンとOPEDを別で10ずつ選んだけれども今年は合わせて10選ということにした。映像の良さ、楽曲の良さ、あるいは総合点で選んでいる。

●外れスキル《木の実マスター》 ~スキルの実(食べたら死ぬ)を無限に食べられるようになった件について~ OP アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ×雪花ラミィ「ブレイブリーダンス」
ポップでアッパーな楽曲にあわせての映像が非常に気持ちよくて今年一番見返したOPだと思う。CGやエフェクトなどを活用してアニメ作画の部分を減らしつつ、その分個々の作画パートの良さはかなり良い。

●ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います OP 310「パーフェクトデイ」
笛の音の印象的な冒険をイメージさせる歌に、非常に出来のよいアニメーションが乗ったOP。このアニメは本篇はともかくEDもよく話題になったけれども、本篇以前のありえた冒険を描いたこのOP映像の叙情性を採る。

●誰ソ彼ホテル OP 吉澤嘉代子「たそかれ」
歌詞も歌も妖しく雰囲気のある楽曲が抜群。

●妃教育から逃げたい私 ED DIALOGUE+「アリバイなカーテシー」
DIALOGUE+の騒々しい雰囲気が本篇のコミカルな要素とマッチしていて良い。

●アポカリプスホテル OP aiko「skirt」
aikoの不穏さから始まりサビで明るくなる楽曲にあわせたアニメーションの見事さは今年トップレベル。孤独な場所に皆が集まってくる本篇にも沿った映像の展開とダンス作画のレベルの高さは圧巻。

●瑠璃の宝石 ED Hana Hope「サファイア
このスタッフ通例のノンクレジットのアニメーターによる映像で、瑠璃という石が山から川へと移動していき形を変えていく石の来歴を瑠璃の踊りに込めつつ、「君だけが持てる光を誰とも比べないでね」という歌詞が響く。

ボールパークでつかまえて! ED  ルリコ(ファイルーズあい)、こひなた(内田真礼)、アオナ(長谷川育美)、こころ(瀬戸桃子)、サラ(相良茉優)「ボールパークでShake! Don't Shake!」
どろみずという作家によるオバケ・残像を生かした個性的な動きの付け方が印象に残るダンスアニメーションの小気味よさ。

●最後にひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか ED シユイ「インフェリア」
楽曲のほか、冒頭部分の映像と楽曲の合わせ方も良いし悪役テレネッツァだけが映るのも面白い。一話でぶっ飛ばしたテレネッツァがED映像を占拠していることでアイツ、アレで終わりじゃなかったのか?と格を感じさせるギミックだった。

●妹の友達が俺にだけウザい ED こはならむ「星の鼓動」
本篇はどうでも良いけれどEDの曲は非常に良い。「愛が何かも知らないまま 見蕩れてる 星はただ綺麗でした」の部分は「月が綺麗ですね」の俗説を踏まえつつ独自にアレンジしたんじゃないかと思ってるんだけどどうだろう。

●破産富豪 The Richest Man in GAME ED 眞白かのん「ピカループ」
今年一番の中毒系電波ソングにゲーム制作アニメらしいドット絵的アニメーションが楽しい。歌詞の弾けっぷりはすごい。

他、一期に続いて曲が良い青春ブタ野郎のED、特にマリー2とのデュエットバージョンの面白さは格別の機械じかけのマリーED、あと一話だけだけれどツインズひなひまのEDはsajou no hanaっぽさを感じられて良い。花修羅のEDとかベヒ猫のEDとかもめリリのEDとかユアフォルマのEDとか日々飯のEDとかムームーのOP2とかフードコートのOPとか、まあきりがないといえばない。

今年のアニメ名場面

名場面というか迷場面というか。

アオのハコ15話 八月に遊び回った後にカバンから出てきたホールケーキ
ハニーレモンソーダ11話 「もうクセになってんだよ、お前守んの」
小市民シリーズ13話 「小佐内さんが火をつけて回っている可能性があるのにじっとしてはいられないよ」
完璧聖女OP わたしの幸せな結婚の「人生逆転」を歌った人だったこと。
闇ヒーラー最終話ED 歌詞に合わせた目が合っちゃダメな二人。
ラシックスターズ12話 落雷と晴れ間がスポットライトになる天候操作術
自動販売機に生まれ変わった俺二期七話  「畑なので会話する術を持たず、日々おばあさんに耕されていました」
鬼人幻燈抄17話 コンビニ店長と高校生
不器用な先輩八話
渡くんと結婚指輪物語 同日に放送された同じ監督同じ制作のアニメがどっちも山内重保コンテ演出回だった事件。

過去作 OVA・劇場版等

無料配信や何やらで今年見た劇場版やウェブアニメについて。

アイドルランドプリパラ

今年の頭に全話公開されてようやく最後まで見たのでここで。同名アプリゲーム内で見られるウェブアニメとして制作され、四年前から数話Youtube公開されたりしていたけれど、今年頭に全話公開され、そこでようやく全話を見ることができた。0話を含めた全13話。0話は前日譚とプリパラ勢へのファンサービスを兼ねてる感じだから初見はまずパワーのある一話を見た方がいいな。往年のプリパラ視聴者を殺しに来てる一話。あの頃の憧れを底に隠していたぼっち高校生あまりが昔見ていたプリパラの記憶を取り戻して今度はステージの大舞台で嵐を巻き起こす、パワーあふれる素晴らしい一話だ。森脇監督プリパラがまた見られるとは。作中設定と視聴者側の時間経過が重なって、らぁらはじめプリパラメンバーとの再会の懐かしさがすごい。「プリパラ、女の子なら誰でもアイドルになれる場所!」の時の目の前にいるのはレオナくんというね。あまりのライブ中の表情がどれも相当良いんだよな。失われた立体感とそして名物の汚えガヤ。二話、やっぱり最高に面白い。あまりの劣等感を跳ね返すシンプルで力強い話にショウゴらWITHでのパラレルなライブ構成も良いけど、ネタが途切れない連射力と破壊力がとにかく楽しい。シリアスなシーンで「ハイ、アツアツの味噌汁だよ」はすげえよ。三話、サブタイが「サブタイトル?どーでもいいぜ!」なのは笑う。男プリ回、しかも闇堕ちとな? コヨイが抜け忍だった話からブランキーとかそこら辺ぽいロック系ダークアイドルがみんなを虜にするっていう。演者も聴衆も男子しかいないでこれやるのは面白い。WITHの「好きにしてI-I-Z-E」の「いいぜ」をキーワードに使いまくる曲は面白いし、久しぶりにどう見てもマリオギャラクシーのロゴを見ると絶対笑ってしまう。そして「どーでもいいぜ」さんがマリオって名前でマジかよって思った。え、やっぱそういうネタ? 五話、ひびきとマリオの対決。ひびきはわかってるのに男女どっちかよく分からなくなるなと思ってたところにレオナが出てきてすべてが分からなくなった。レオナが男子一同を骨抜きにしている絵面すごすぎる。ひびきの歌、ボルサリーノとマシンガンってアンダルシアに憧れて? マリオのメイキングドラマに乱入して止めに入っためが兄が撃たれて全裸になるの頭おかしくて笑う。六話、あまりに忘れられるとマリオが消えるの、あまりの昔の妄想ノートから生まれたからか。産みの親だ。何を話そう、でドンドン時間が経っていく場面、良かった。「森でずーっとのびのびしてたらおっきくなっちゃったの」、巨人ってそうやって生まれるの嘘でしょ? あじみ先生が出てくるとすべておかしくなるな。芸術家の名前が文字として画面にずっと飛んでる場面本当に何コレってなる。七話、プリパラポリスって言ってるのに消防車みたいなホース用意しているのもおかしいのにそっからあじみ先生が出てくるのもう全部狂気だろ。開始直後にアニメから正気が失われてて笑う。ロッカースタイルのマリオがあまりに消えろと思われると消えそうになる、案外弱い。八話、コンビニの自動ドアにプリパラへの扉があるのはすごい。しゅうかの記憶回復でガァララとミミ子としゅうかのエバーゴールドのライブ、プリパラとしては初なのか? そういやミミ子は上田麗奈だった。ミミ子のモデル、プリパラではCGライブができてなくて、その後新人教育の一環で作ったモデルがプリチャンでお披露目されたものらしい。でもCGモデルのないミミ子でもメインキャラとチームを組む展開にするのはなかなかすごい。さすがプリパラだ。プリパラはほんと色んなキャラが自由に生きてる感じがあるのが良い。フレンドシップイズゴールド、すごい歌詞だけどお金第一のしゅうかがこれを言うのが良いんだよな。九話、「超大型新人」で文字通り巨人が来ることある? 潰されそうになったのに悲鳴上げたことが相手を傷つけたと考えるあまり、人が良い。「プリパラは誰だってアイドルになれる場所」を証明するように建物よりでかいキャラでもライブができる、すごいアニメだ。巨人と人間のライブ、前代未聞じゃないか。身長差何倍あるんだ。プリパラでしか見れないライブだ。ポォロロの掌の上であまりが踊ったり、宙に浮かんだ葉っぱに乗って前に来ることで遠近感を使って同じサイズ感にもなれるし、メイキングドラマではあまりの方が大きくなって並んでみせる。良すぎるね。女子に見える男子、男子に見える女子もだけど、巨体のちゃん子、キャラデザ的に明らかにサブキャラのミミ子、巨人のポォロロとみんなアイドルというスローガンを実現していく本物の多様性アニメだ。プリキュアの優等生的なところからは出せない力がある。10話、ヴォーカルドールファルル、メイキングドラマのコピーをして戦い、本物には勝てないと知ったファルルが己のコピーと対決するし、己と融合して真の魔王として君臨するのを目的にする、あまりの嫌いな自分の象徴としてのマリオとの対決が始まるの、自己との戦いのテーマだ。「タッキーはすっかり白物家電になってしまったっす」、絶望の表現として奇怪すぎる。「様々な危機をライブで乗り越えてきた」という良い場面のバックでコピーを弾き飛ばしたあじみ先生が車輪なしで回転運動しているの異常場面ですごい。どういう力で回転してんの。回転運動からちゃんとライブ出演してるのすごいな。さらっと出てたけどあじみ先生が二人いること以上に絶望的なことなんてないからそれ以上映さなかったんだな。11話、「ようやく正面から俺を見てくれたな」、マリオの悲しいセリフだ。黒歴史の自分、やっぱり最後はそうなるよね。あまりが己の分身と対峙してそれを消すのではなく今に続く自分の一部だと認め受け入れそしてようやくlockが解除される、本篇の決着となる最終一話前。「私がマリオをあまらせようとしている?」、ここで気づくか。あまりから生まれてあまりのために行動してきたマリオがあまりに拒否される展開を経ての統合と発展解消、そんな心理ドラマって感じだった。サイバーフランケンシュタイン。12話、ふわりの繋ぎや復活ゆいたちのカムバックライブでの喧噪での最終回。マリオは消えてしまったけどイガイガ殲滅方針に抵抗し、最後スッと背中を押されても振り返らないあまりの成長で綺麗に締める。マリオ、続篇があったらしれっといそう。いつものプリパラだったらここからマリオ救出篇になりそうだとコメントがあり、それはそうかも知れない。でも一つのまとまりとしてあまりの成長譚として少しの喪失感を滲ませて終わるのも王道とも思える。最後、皆の傘になってたポォロロにも傘になる小さい家が建てられる、あまり=周縁性の包摂って感じのテーマが明確だった。

劇場版ポールプリンセス!!

ポールダンスアニメ。ウェブでやっていた短い配信版は通常シーンもCGアニメだったと思うけど劇場版だと作画になっている。前半の物語パートを作画でやっててこっちの絵もいいけど、後半CGライブパートはポールダンスをバリバリやってて、これはモーションキャプチャだから動き自体はできるんだよな、と驚かされる。ユカリとサナのダブルス、お互いの体を掴んで回っていくやつはすごいし一人がポールとの間の空間を作ってもう一人が通り過ぎていくやつはマジか、ってなる。ノア・早見沙織の和ロックはおなじみだけど、得物振り回しながらのポールダンスは迫力がある。ユカリはもっとも難度が高そうなダイナミックで王者の風格があるやつ。王者だから旗をはためかせている。あのマントでポールダンスは現実に出来るものなんだろうか。スバルとリリア、歌詞と合わせた展開も良いけど、パワー系コンビらしい力強さで、回転する組体操ともいえるような演技だった。ミオ、マーメイドモチーフの衣装でポールを使った上下逆転で海中の描写ができるのが強い。広げたと思えばマーメイドラインにしたり、スカートの開閉のギミックとかどうやってるんだ。ヒナノはずっとポールにいたいの歌のとこから羽が生えてずっと降りないでパフォーマンスしてる最長滞空時間演技って感じでそこが主人公性って感じだ。プリティシリーズがないあいだに作ったタツノコCG班の仕事なんだっけ。ポールダンスに色んなアイデアを込めたライブパートの見応えはすごい。

青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない

花楓のいじめによって家族がバラバラになってから、前回花楓が復調し今回は家族の合流が果たされる。ラブコメで両親が居ないのは便利だけどその設定をヤングケアラーとして描き、それを高校生篇最後の課題として取り組むのは設定に向き合った展開だ。ランドセルガールは咲太の逃避癖が麻衣の姿を取っただけの存在でいいのだろうか。兄という絶対的な味方がいると気づいたから母に会うことができる花楓を見ながら、母と一度も目が合わなかったし会話もしてないことに気づかない咲太は、母を無視した結果世界から無視されることになる。花楓の思春期症候群によって母は精神を病み、咲太は人格が変わり引きこもりとなった妹を世話するために家事を学び、頼ることはできないため母を忘れないといけなかったけれど、母から忘れられることで世界から忘れられるのは彼に厳しい。でも解法はシンプルに病室に母親を見舞いに来ることだった。問題解決は簡単なことだけれどそれに向き合うための決意が必要だったし、そこでお守り代わりの婚姻届によって家族になる誓いをした麻衣によって見いだされ、背中を押されることで母に向き合える、という流れにもなっていた。バニーガールを見いだした咲太が麻衣に見いだされる、一期との応接。麻衣の母親との関係が修復過程にあるようだった序盤の描写、母子家庭で蔑視されないように芸能界デビューさせて特別な存在にしたいという母親、双葉の母の子供中心の人生を選ばなかったという選択、色々な母との関係がサイドに置かれている。咲太は花楓の件があってスマホを持たないのと、母親は精神を病んでいるのはWikipedia見て復習してた。「大人になった」、良い場面だけどこれ性的な意味で大人になる場面か?って思った。そうしたら麻衣に牽制された。平行世界咲太と入れ替わってたんだな。いじめを率先して解決した有能咲太。咲太がED歌うんじゃないんだ? 霧島透子、これがテレビ版のサンタクロースの夢に繋がってるんだな。

もっと評価されるべき2025年アニメ

大のアニメ好きが選ぶ“もっと評価されるべき2025年アニメ”TOP20! 1位はあの“鬼を斬る”時代劇ファンタジーに(1/4) | アニメ ねとらぼ

以前から例年の企画にアンケートで参加しているけれどもそういやこの記事には入れてなかったので付記。ここで私が挙げたのは以下の通り。

鬼人幻燈抄
渡くんの××が崩壊寸前
うたごえはミルフィー
アークナイツ
Turkey!

瑠璃の宝石やアポカリプスホテルはある程度話題になったと見て除外、アークナイツもあまり見ている人を見なかったし志の高さを評価して選出し、今年の10選の候補ではあったけれど入らなかったうたミルを入れ、後やはりTurkeyは賛否が分かれるだろうけどだからこそ入れたくなった。鬼人幻燈抄は出来に比べた話題のならなさでは今年一番かもと書いたら本当にそういうランキングで一位になって、嬉しいやら悲しいやら……。誰ソ彼ホテルも入れておきたかったな。

おわりに

私は見終わった作品を数えておらず、一年や二クールやっているアニメをクールごとに毎回カウントする週間視聴本数で数えているのでそれで言うと今年はショートアニメを除いて総計218本になる。言及しているのはショートアニメなどを除いて162作(+過去作3)だろうか? 去年は視聴総計197本、その前は187本、その前が154本。増えてきている。夏の60オーバーはさすがに大変だった。基本一週間無料配信でしか見てないし後から一気見とかしないのが分かっているからその時見ないと後で見ることがないので出来るだけその時に見ようとしてしまうからこんな感じになるとも言える。関東に住むかどうかでアニメをどれだけ見られるかが変わってくると言う話があるけれど、私はテレビを見ておらずネットの無料配信だけでこれだけ見ているので、数を見るには不足ではないと思う。これは、と思ったアニメが有料独占とかになることも多いのでそういう問題はあるけれど。

中国アニメが今年も色々あったし力作も個性的な作品もあったけれど、向こうでは高市首相の失言に始まる政府同士の軋轢によって日本のアニメが見られなくなっているということには悲しみを覚える。中国政府はこれを機に強硬策をとってきているのに対して、日本側でもこれを機に防衛費の膨張と増税を画策しているのはアニメなどの文化に回る金が目減りしていくだろうことを予感させるし、双方の政治によって色々なものがダメージを受けていくだろう。国民ではなく国家に忠誠を誓うなどと言う民主主義の基礎も否定して何か物語に酔ってるとしか思えない議員を、オタクが大臣になったなどと喜んでいる場合ではない。そもそも中国の台湾侵攻姿勢が問題なのはそうだけれども、そこにまんまとつけ込む隙を与えてしまったような政治的に下策を打った人間が有事に有能な指揮をできるわけがないだろう。

2025年に読んだ本

今年読んだ本の10選とかそういうの。各書名から当該書籍の感想記事にリンクしているので詳しくはそちらを。

2025年に読んだ本10作。

劉慈欣『三体』三部作

国際的に話題となった中国SFの大作。文庫化された年に積んでた単行本を読む。全五冊からなる長いシリーズだけれどやや古典的なスタイルで語られるファーストコンタクトもの。一部の文化大革命の歴史と謎が引っ張る序章、二部のエンタメ極振りからの三部の観念性への爆走。作者の女性観というか恋愛観とかに問題はありつつも、全体主義は人類の発展を阻害するという価値観が提示されている。

C・S・ルイス『ナルニア国物語』

新潮文庫版の新訳が始まり未読だったので月一で読んでいった。キリスト教の考えが埋め込まれていると言われつつもシンプルに冒険ファンタジーとして楽しめるところもありつつ、最終作は結構すごくて、キリスト教徒にとってファンタジーが書かれる理由の一端を見た気がする。

小山田浩子『小さい午餐』

新潮社のウェブサイトで2019年から二年間連載されていた作者の外食エッセイ。初の連載だったという。『パイプの中のかえる』よりも一回がずっと長いのでより小説的な状況の描写が多くなり、周囲の雑談が記録されていてその場の空気感を味わえるのが面白い。

米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』

冬の巻が刊行され、アニメの完結篇となる第二クールが放映する直前に短篇集以外のシリーズを最初から読み返して最終巻まで読み終えて感慨深かった。アニメも小説もその年のベスト10に入れるくらい良かった。

田中小実昌『田中小実昌哲学小説集成』

著者の「哲学小説」と呼ばれた作品群を集成する全三巻の企画。小説を読めなくなったという著者がカントやスピノザ、果ては柄谷行人までを読みつつ、引用と思索を続けていく独特の作品群。

キシュ『ボリス・ダヴィドヴィチのための墓』

悪党やならず者を描いたボルヘス『汚辱の世界史』のオマージュかつアンチテーゼとして、ソ連の粛清などによって公的な歴史から消された者たちを描く短篇集。裁判沙汰になった論争を巻き起こし、作者のフランスへの亡命の原因となった話題含みの書。

トーマス・ベルンハルト『寒さ 一つの隔離』

自伝五部作の四作目で最後の邦訳書となる。最初に翻訳された自伝五部作第五作『ある子供』が出たのは2016年、二年で一冊、十年近く掛けての訳出となった。この次の自伝五部作の五作目は『ある子供』という幼少期の回想が描かれ、自伝五部作の最初の作品は『原因』と題されていて、この自伝シリーズは最初と最後が繋がる環のようになっている。

野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』

夏の戦争文学月間の一冊。二つの表題作で直木賞を受賞した著者の代表作たる短篇集。映画は幼い頃に見ただけの「火垂るの墓」の原作を初めて読んだけれども、神戸を舞台に関西弁が飛び交い、助詞を省いて読点で文節をどんどん繋げていく饒舌な語り口調のような文体の質感が印象深い。戦争で亡くした妹への贖罪のような短篇複数で描かれる。

石川博品『アフリカン・ヴードゥー・ジュージュツ』

二年ぶりの新刊。本書はこれまでの石川作品で一番ソリッドでタイトな小説かも知れない。アフリカで暮らす少年が柔道家の日本人と出会い、数代にわたる師弟らがジュージュツを洗練・変化させつつ受け継ぎ、憎悪・暴力・差別・国家の生む分断を超える理想の境地を求める生を描く長篇小説。

R・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』

19世紀、銀に二つの言葉を記すことで生まれる翻訳の魔法によって世界の覇権を握るイギリスを舞台に、各地から翻訳者となるべく集められた学生たちが徐々にこのシステムの植民地主義的収奪に気づき、反旗を翻す改変歴史ファンタジー大作。

そのほかの印象的なもの。
鈴木比佐雄、座馬寛彦、羽島貝、鈴木光影編『広島・長崎・沖縄からの永遠平和詩歌集――報復の連鎖からカントの「永遠平和」、賢治の「ほんとうの幸福」へ』
広島・長崎・沖縄からの永遠平和詩歌集 ―報復の連鎖からカントの「永遠平和」、賢治の「ほんとうの幸福」へ
蛙坂須美『こどもの頃のこわい話 きみのわるい話』
こどもの頃のこわい話 きみのわるい話 (竹書房怪談文庫)
寮美千子『詩集 水の時 Voice of St.GIGA』『詩集 星の時 Voice of St.GIGA』
詩集 水の時 Voice of St.GIGA
詩集 星の時 Voice of St.GIGA
宮崎智之・山本莉会『文豪と犬と猫』
文豪と犬と猫 偏愛で読み解く日本文学

あと今年は詩集を読んだ。詩がよく分からないので有名なやつを色々、とりあえずざっと読んだだけで別に分かった気にはならなかったけれど。

今年聴いてたCD

この時代にあえてCDを買うこととかCDが増えすぎて大変とか、そんな話もバズっていたけど、私は今年はここ数年で一番CDを買った年になった。それでも10枚くらい。途中からあえて買ってたところもあるけど、いずれもこれまで聴いていたアーティストの新作や旧作。
Acoustic Asturias サムウェア・ノット・ヒア
サムウェア・ノット・ヒア
アイン・ソフ 妖精の森
妖精の森

ARCANA HANGED MAN 吊るされた男
HANGED MAN / 吊るされた男

KENSO An old warrior shook the Sun 老兵礼讃
An old warrior shook the Sun - KENSO

TEE TOTAL EDGE EFFECT
TOTAL EDGE EFFECT

Jackson Browne The Road East - Live In Japan
ロード・イースト -ライヴ・フロム・ジャパン-

Jackson Browne Standing In The Breach
スタンディング・イン・ザ・ブリーチ - ジャクソン・ブラウン

Jackson Browne Downhill From Everywhere
ダウンヒル・フロム・エヴリホェア

Dave Bainbridge To The Far Away
To The Far Away

Dave Bainbridge On The Edge Of What Could Be
On The Edge Of What Could Be (2cd)


アコアスについては去年に触れたけれど、アイン・ソフも去年よく聴いてたプログレバンドのサブスクにないやつ。アルカナは10年以上前にもブログでソロアルバムを取りあげたことがあるケーナ奏者山下Topo洋平と、これもこのブログでは度々取りあげているギタリスト鬼怒無月、そしてピアニストの上野山英里によるトリオのアルバム。アコースティックでかつスリリング。
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Kensoの新作はいつも通りか。
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TEEはフルートフロントのプログレバンド。これはサブスクになかったのを中古で見つけて購入。
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ジャクソン・ブラウンのライブ含めた三作はつい追うのを忘れていて、日本盤が新品で入手しづらくなってたところで辛うじて手に入れた。
デイヴ・ベインブリッジはケルトプログレバンド、Ionaアイオナのフロントマンで、新作リリースを知って旧作を買ってないことに気づいて二作を買ったけどこれは良いですね。新作はYoutubeでも聴ける。
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文学フリマで買った本

文学フリマで買った本、しかもだいたい去年とかに買ったような本の記事を今更書いてるのもアレだけれど、読んだ記録をまとめておく。画像を引っ張ってこようかと思ったけど一つ一つ用意するのになかなか手間が掛かるなと思ったので最初のだけで諦めてしまって済まない……

オカワダアキナ編『任意の五 庄野潤三「五人の男」オマージュアンソロジー


庄野の不可解な短篇を題材に、小説だけではなく評論文や俳句なども含めた多彩な応答で編まれた一冊。男性性についての問い直し、そしてパレスチナなども含めた戦争などもサブテーマになっている。「五人の男」がそもそも謎めいた作品で、祈ったり病気をしたり怪我をしたり子供を失いかけたりといった男性たちが描かれているけれども、なぜこの五人が描かれたのかが不明瞭で、戦後十年を経ての傷の経験を連想ゲームのように連ねたものだろうか、という程度にしか私は読めてない。

裏表紙には「国家による暴力にのみこまれ、加担もし、生還した男たち。/ さて二〇二四年、現在進行形の見えている虐殺を止められない日々だ。わたしたちは暴力をやっている。その自覚のなかで、男性性を問い直す」と記されており、おそらくは本書のコンセプトになっているかと思われる。私は編者のことを全然知らなかったので、作品を読んでプロフィールにqueerとあるのを見て、だから本書ではセクシャルマイノリティの描写が多く、そもそも表紙がレインボーカラーとも取れる色合いになっているのか、と納得した。そしてそれは冒頭に置かれた作品の最初の段落で既に示されていた。

板垣真任「大合唱」。「あのひとが男でも女でもいい」と書き出され、Be動詞についての言及が続き、「かたちが変わってもそこに、存在してくれているとうれしい」と言う言葉詩のようにリフレインされる。五人の共通項として「存在している」ことを抽出したような、意想外のアプローチで書かれた一篇。合唱であまりパッとしないバスのパートに振り分けられた、主人公「ひで」を含む男子五人という性別、性徴をめぐる話から始まり、しかしこの五人のことについてはおぼろげで思い出せず、音楽の教育実習の先生への初恋が語られ、自身が同じ学校に実習に行った時にはその先生はいなかったという経験や、あるいは無口のいとこについて語られ、そうして声を出すこと存在することについての思索が「小説家」の「私」の創作理由として述べられるという語りの型破りさを持っているけれども、読んでいて感じるのはこの散文詩的な文章の音楽性で、短くもなにか突出した印象深さが今作にはある。板垣さんは相互フォロワーで寄稿していると聞いて本書を入手したのだけれど、やはり独特の個性ある文章を書かれる人だ。「五人の男」からどのような形であれ「存在している」ということを引き出すのは鮮烈なものがあると思う。

以下、幾つかの作品について書いておく。

那覇剛柔丸「波の五分」、沖縄県を舞台にしたこの短篇があるのは戦争において沖縄は無視することができないからだろう。沖縄に旅してきた青年を描きながら、自殺と間違わたことや歓楽街、戦闘機など沖縄の風景を描く自体が沖縄の歴史への思考を導くような印象がある。

晋太郎「ペンタクル・サークル」、本書のコンセプトを実直に描いたような一作。ガザ、パレスチナへの抗議運動なんて意味がないという外の言葉に抗しながら、誰かの少しの行動が回り回ってある小さな巡り合わせを招くこともある、という祈りのような作品でもあると思う。

深澤元「読書メモ「五人の男」はなぜこの順番で並んでいるのか」、表題短篇を読んでいないならまずこの読書メモを参照することで概略が把握できるし、その謎めいた感触もうかがい知れるのでこちらを最初に読むといい。やはり何かしらの傷ついた経験を共通項にしている気がする。

宮月中「五人と鳥」、鳥のような動きをする店員、鳥の踊る真似をする後輩の話、ドバトとキジバトを混同する話、イソヒヨドリの声の話から、最後「アメージンググレイス鳥」という存在しない鳥の話へと、なにげない話から奇妙な話までが並んでいて、良い感触のある作品。

兼町ワニ太「動物園日誌」、生殖のために海を越えてきたパンダを見せようと動物園に連れてきた祖父は満洲生まれで、ライオンの絵は台湾に送られ、妹の恋人は韓国での兵役間近で、その次は香港返還と、いずれも戦前日本が占領した土地を話の背景に置き、生殖・暴力を動物と人間に絡めて描く一篇。1997年に返還される「港湾市」の内陸部を舞台にした節は、おそらく最初に出てきたパンダの視点の擬人化ではないか。発情期を迎えて性交することを「馬鹿になる」という言葉で語り、子種を上手く残せなかった冒頭のパンダはゲイだったという「種」明かしをしている、と読めた。

暴力と破滅の運び手「悪魔の抱擁」、火星人が攻めてきている世界でのある湖畔での出来事を描く奇怪な一篇。この太字で強調するやり方は大江健三郎だと思ったけど作品の雰囲気からはあるいは筒井康隆なのかも知れない。しかし「若く健康なアメリカ人の青年」が戦闘機で墜落した、は大江すぎる気がする。火星人に精子を採取されるという恐怖と貞操帯、「鍵盤でペニスを殴打」という生殖の不全をめぐる描写、摂食、排泄、下水の円環で生きる魚と人間、そして火星人の侵略の始まり、男性性の解体といえばそうかも知れないけれどもそれ以上のカオスで押し流されるような感じだった。

オカワダアキナ「ホーン・ホーン・ホーン」、男たちには角があるけれど男同士の争いによって奪われたりする慣習がある奇妙な世界で、「ホーン」に男性性の象徴としての角、警報・警笛の意味を込めつつ、ゲイや「おれはもとから角がない」とトランスジェンダーかと思わせる描写を重ねていく。暴力事件で仕事を失った俳優や父とその若い同性の恋人とのデートらしきものについていった記憶、「おれ」という男性的一人称を使う語り手が男性の性器を持っていないらしい叙述などもありつつ、動物の角でできたメガホンで「おれ」は反戦デモで「殺すな」を叫ぶアイロニカルな状況を描いていて面白い。

瀬戸千歳「まんまるくてかわいいおばけ」、近所のお兄さん、祖父、義理の兄、従兄、自分と徐々に自分に近いところへと語り手が推移していくかに思え、失踪、死去、転居などいずれも自分から離れていく運動が描かれているのは、自分が弱くいつ死ぬかという恐れの意識からだろうか。路上でいつ暴力に見舞われるかという不安を男性だからと一笑に付される経験をもつ最後の語り手が見聞きした傷つきやすくまたあっさりと死をもたらされる男たちの話を描きつつ、姉の夫がとても聞き上手なのは女性的とされる資質の持ち主としての意味があるだろうか。公共交通機関に乗ることができない従兄の話はこれだけでも一篇の奇想掌篇になるような印象深さがあって良い。

ざっと印象的な作品について書いたけれども、本書にはこれ以外にも男性性を論じた論考や性的サービスを行なう男性?の日記や架空の展覧会の形で男性を描く絵や写真を用いたもの、さまざまな試みがある。

幾つかの作品で動物の存在が重要な意味を持っているのは男性性の問い直しにおいて、生殖や闘争といったものを象徴とする動物との関係が重要だからだろうけれども、これは「蟹」など庄野潤三自身が動物、生き物を作品に良く描くからなんだろうか。あまり読んでないので分かっていない。

羽織虫/ゲスト むま『誰かの思い出の場所を、その人と一緒に歩く散歩がしたい 久我山西荻窪/昭島~立川~福生編』

これも去年の文フリ本。後藤明生オリエンテーリングで知り合ったり文学フリマ入場の参加列で目の前に並んでいたりした羽織虫さんの出していたもの。数度会っただけのゲストと表題通りの場所を歩いて、それぞれの視点からのエッセイを寄せ合う四篇を収める小冊子。

思い出の場所に久しぶりに来た人と、そこに初めてきた人の二つの視点があり、場所もそうだけれど、最初に読んだ文章の書き手をそこで描かれた同行者の視点からも読める、というこの企画はちゃんと面白い。羽織虫さんの視点では特に触れられなかった福生アメリカっぽさがむまさん視点で非常に新鮮に見られているところなど、視点の違いが非常に鮮やかに出ていて良かった。相手との距離感に悩んでいると書かれた後に別視点だとサービス精神にあふれた人と書かれているのは距離感が分からないからサービスしてしまうのかなと思ったり、自己反省と他者視点の交錯がある。もっと膨らませられる企画でもありそうで、でもこのさらっとした短さが良いのかも知れないとも思ったり。

羽織虫/ゲスト 針山『誰かの思い出の場所を、その人と一緒に歩く散歩がしたい 西新宿/青山・表参道』

針山さんの初恋の西新宿、羽織虫さんの青山・表参道という思い出の場所を二人で散歩してその様子をそれぞれ文章にする四つのエッセイで構成する企画の第二弾。捨てられなかったもの、で繋がる回だった。

針山さんの二十五歳での初恋が、三ヶ月で同棲してる相手がいることを知らされたものの結局四年付き合ったという「私は彼を捨てられなかったのではなくて、わたしの恋心を捨てられなかった」経験が切ない。その時羽織虫さんには実は似た経験があってうまく寄り添えなかったとあるのが笑ってしまった。

表参道のところ、羽織虫さんがコムデギャルソンについて非常に複雑な思いを抱えている文章の後に針山さんがギャルソンについて能弁な羽織虫さんを見て、確かにギャルソン愛があるのでは、と思うところがやっぱり双方向エッセイの面白さで良かった。複雑な思いがあるものほど語ってしまうというか。

羽織虫さんの、恋人の実家に泊まりに行って結婚を考えている話を親とした直後に、彼女から好きな相手ができたから別れようと切り出されたのはだいぶすごい話を持ってるなと思った。「物よりもなんかもっと根深いものを捨てられてない気がする」という針山さんの観察もいい。

羽織虫/ゲスト ごま『誰かの思い出の場所を、その人と一緒に歩く散歩がしたい 横浜人形の家/神楽坂・市ヶ谷編』

羽織虫さんの横浜人形の家と、ごまさんの神楽坂・市ヶ谷を二人で歩いてそれぞれ文章を書くZINEの第三弾。羽織虫さんの相手の期待に応える性格にフォーカスが当たるのは、この企画の性質からは当然なのかも知れない。
これまでも共著者からサービスが良いと言うようなことは確かに書かれていた。横浜人形の家というのは、羽織虫さんが人形を怖がる様子を面白がった姉たちがしつこくそれをネタにして、もう怖くもなくなった頃にもそのいたずらにずっと答えて怖がって見せていたという過去のエピソードの舞台だった。そうした性格の原点を見つめ直したからと言って別に何か解決するわけでもなく、さらっと文章は終わるんだけれど、あなたと私、あの時と今のズレを描こうとするこの企画が、そういう演技的な性格と本心との谷への意識から出てきたのかも知れない。

後半でごまさんが恋人と昔ここに来たときに撮った写真と、それがどこから撮影されたのかを探し当ててちょうど撮影しているところを後ろから羽織虫さんが収めた写真の二つが掲載されているのはメタ的で面白い。

すずきまゆこ・須田さ紀え・羽織虫『地元に住んでるドッペルゲンガー

地元を離れた三人が地元に住んでいたら送っていたかも知れない架空の一日と現実の一日の日記を書く、という企画のZINE。羽織虫さんの企画は「今」の視点を複数化することで過去との距離を探っている気もする。三角測量的に。

羽織虫さんについてはいくらか人物像を知っていたので架空の方は判別できるけれど、全然知らない他二名については、架空の一日がどっちなのかすぐには分からなかったりする。最後に出身地と現住所が出てくるとなるほどとなるけれど、地元のことなので描写もリアリティがある。

各人の地元のドッペルゲンガーが皆未婚独身として描かれているのは興味深い。むしろ地元にいたほうが結婚しろという圧が強そうだけれど、地元に残してきた自分の分身という設定故か、母と同居している設定の一人を除いて独り身の寂しさが漂っている。現在の方が人との交流があったり。

東京と北海道という分かりやすく上京を経ているすずきさんの他は、茨城県日立市から埼玉県川越市、埼玉県の比企郡からさいたま市、という移動をしていて、実は私にはそれぞれの町の違いがあまり分からない。なので結構難しい本だな、とも思った。転勤族で「地元」がない私には殊更そう。

今の自分と別の可能性の自分を淡々と描写してみる、なんか不思議な感触がある。

みーら、若松沙織(わかしょ文庫)、岸波龍『中原昌也トリビュート』

タイトル通りの三者三様の形式によるトリビュート冊子。

みーらさんのエッセイは小山田圭吾のラジオを生きる糧にして生きていた学生の頃、温泉暴力芸者時代の中原昌也のライブの時、照明を使った影絵でやりとりをした些細な出来事を語ったもの。音楽とともにある青春の一ページに刻まれた影絵セッション。良い距離感がある。

若松さんの「こんな夜もあった」は中原作品をあまり読んでない自分でも、ああ確かにこんな感じだったと思わせる掌篇で、冒頭からなかなかの暴言が飛び出してくるしうんこをラメでキラキラにすることにこだわる変なやつが出てきて、挙句がアレなのでまあ笑うしかない。

岸波さんの書評は近作を題材に適当すぎる題名、暴力と笑い、美へのカウンターなどなど、中原作品のポイントを解説したもので参考になる。文中の「点滅……」はそういや小島信夫の最後の長篇が載った雑誌にあったので読んだことがありその時はあまり面白いとは思わなかったんだよなあ。唐突な暴力による脈絡の破壊とかだと木下古栗が思い浮かぶ。

『試行錯誤3』

出版社代わりに読む人が出している小冊子第三弾。2024年6月の刊行だった。

わかしょ文庫「大相撲観戦記」、尊富士が怪我をしても出場を優先することを懸念し親方のパワハラではないかとも思うのに、いざ見てしまうとそのドラマの美しさに感涙してしまい、相撲への熱が再燃する過程を描いていて、「物語」の強さを思う。

スズキナオ「谷崎潤一郎のことを考えながら散歩する」、谷崎のように東京生まれで後に関西に住むことになるライターが生家から徒歩10分だった人形町について谷崎を読みつつ書いていく連載になるようだ。日本橋は去年髙島屋から室町のあたりを歩いたけれど、そこからほど近い。幼い頃に見たことのある店、最近までやっていた店が谷崎の文章のなかに見いだせる面白さがある。

伏見瞬「蓮實重彦論」、今回は雑談的な中間報告めいていて、蓮實の「凡庸さ」についての議論が自分の思考や生活とも絡んで、本は読んでいないけどその圏域で暮らしていることを描いている。

陳詩遠「なにがなんだか」、自分のせいで飛行機に乗り遅れることを繰り返しているという描写がなかなかすごくて、よくここまでできるなという感慨を覚えるけれど、その解決が走る速度を上げることなのもすごくて、生活上の困りごとを力技で解決しているのは笑ってしまう。スーツを着てないと舐められるのは分かっているけれど、スーツで権威性を出すよりは舐められる方がまだマシだという気分は分かるところがある。

友田とん「取るに足らないものを取る」、家出仕事をしていると仕事道具の出し入れや気分の切り替えが難しいことから、事務所を借りるまでの過程を描いていて、数学的思考を絡めて書いてるところはらしいと思うし、やればできると思っていることと実際にやってみることの違いを指摘するところは行動してみることの意義を示していて面白い。試行錯誤そのものか。

『試行錯誤4』

別冊代わりに読む人第四弾。

陳詩遠「なにがなんだか」第四回、2023年に開催された国際物理オリンピックの採点係を担当した体験記だけれどもこれが面白い。研究の現場とタイムアタック的な試験では本質的な能力が違うという話も含めた色々なジャブが既に面白いんだけれど、採点基準を大甘にすることで採点者のブレをなくすという方法を語ったところが面白すぎた。甘々な採点基準どころか解答用紙に惜しいところがあれば即加点していくことでどんどん善行をしている気分になっていくくだり、とてもよい。そっからのオチも良い。

わかしょ文庫「大相撲観戦記」、第四回は「大関の書いた小説を探して」、これは過去の大関が小説を書いていたという話を見てその実物を探そうとするんだけど、調べ物の過程って面白いんだよね。国会図書館のリファレンスでも分からないとされたものを調べていく。

スズキナオ「谷崎潤一郎のことを考えながら散歩する」第二回、銀座で母と谷崎ゆかりの店に行ったりといった出来事を描きつつ、芥川自殺のきっかけになったという店の鏡の噂、そして関東大震災前に谷崎が書いていた地震の話、など不穏な要素が良く出てくる回だ。

伏見瞬「蓮實重彦論」第四回は「書籍版『蓮實重彦論』の構想をそろそろ本気で考えてみる」と題され、その構成を考える途中経過報告。やはり時系列で書いていくのが楽というか自然とそうなるんだけど、著者は色々な構成案を考えていて、時系列に沿うと定型の物語にハマってしまう危惧がある。

友田とん「取るに足らないものを取る」第四回、可笑しなことの見つけ方をテーマにしたワークショップ開催にあたってどうやってその方法を言い表せるかを考えているさなかに見つけた可笑しなもの。過剰さやいつもの習慣から外れた瞬間に見えるもの、これはつまりインフラということになるか。

『試行錯誤5』

ズキナオ「谷崎潤一郎のことを考えながら散歩する」は後藤明生の文学講義のCD(私がガイド文書いた奴)を睡眠導入剤に使っているという話から始まって、その題材になっている『吉野葛』の舞台を実地に歩いた話に後藤の解説が絡んできていて、この文章自体がメタ構造になるのが面白い。『吉野葛』については花田清輝が註釈小説を書き、後藤明生がそれへの註釈を『吉野大夫』に差し込んだわけで、そのことに触れてるわけではないけど、後藤の『吉野葛』講義に触れながら吉野を歩いてずくし=熟柿を求めて歩く複層的なエッセイになっているのが面白い。

わかしょ文庫「大関の書いた小説を探して」、タイトルを変えての連載で引き続き大関伊勢ノ濱の書いた小説を探したり探さなかったりの日々を語りつつ古書店関東大震災の影響を実体験し、最後の最後に目当てのものを見つけ出したところへたどり着く構成、痺れるものがある。

伏見瞬「蓮實重彦論」、蓮實と言えば「表層」というイメージがあるけれど『表層批評宣言』以外ではあまり使われておらず、「運動」の方が重要で、「規則」と「運動」の関係から蓮實のその時の時流に対してカウンターを試みている様相を見ていく。前回の時系列問題とも絡まる論点。

友田とん「取るに足らないものを取る」、現状の経過報告という感じで仕掛かりのネタを列挙していっている。地下鉄漏水対策は著書として刊行予定になったので他のものもそのうち形になるかも知れない。今年の二月段階だとまだ赤瀬川原平の話はここに載ってないんだな。副産物事典、これはつまりセレンディピティに近いと思うけれど一切言及がないので失念していたか微妙に違うことを指しているのか。

『試行錯誤6』

試行錯誤のなかでエッセイが小説に近づいていくようになってきたと編者友田とんが記すこの小冊子、最初のものはわかしょ文庫「大関の書いた小説を探して」、で百年前の大関伊勢ノ濱が書いた小説を実際に読んで見るレポートが書かれており、「美人の薄命」という恋愛悲劇のようだ。相撲取りが深窓の令嬢の恋愛というか悲劇というかそういうのを書くというのは面白い。武骨な格闘家のようでそういうものを書くのはそれはそれで花を愛でる武人みたいなパターンとも言えるけど、当時はどう見られていたのだろう。

伏見瞬「蓮實重彦論」は70年代のいかにもな比喩や言い回しの気負いのある文体と後の事実に即く簡潔な文体の差異を示していて面白い。ああいう特にハッタリの効いた文章を書いていた頃とその後を分けるのは「物語」への取り組みにあるのではないかと問うていて、なるほど『物語批判序説』があったなと。それは積んでて読んでないけれど後藤明生にも触れている『小説から遠く離れて』も80年代か。

スズキナオ「谷崎潤一郎のことを考えながら散歩する」、芦屋の谷崎記念館を訪れたときのことを触れながら『猫と庄造と二人のおんな』について、相手が自分のところに訪れるかもという予感について、筆者の経験と重なるところ、そして物語と谷崎の実際の状況が重なる点について書いている。

陳詩遠「なにがなんだか」、色々あって京都大学の教員となった筆者が研究員と教員との違いや大学という空間について触れながら、研究資金の獲得にいつもあくせくしていることや研究をする時間がないこと、学生の指導でのことなど本当に色々大変なんだなと苦労が窺える。

友田とん「だいたいのアンザン」、作者が『田中小実昌哲学小説集成』を読んだことをきっかけに考えたという「数学小説」。タイトル通りの日常に根付いた計量、計数のあり方を描きつつ、今作で数学的発想の特徴として描かれている一つは、抽象化、ということではないかと思った。語り手はジオラマ制作を仕事にしていて、それはただ単に実物を縮小するのではなく、さまざまニーズに基づいて何らかの変形を加えて作られるものだ、というようなことを言っていて、これは現実なりなんなりをモデル化=数式化するプロセスのように思える。枕木を数えるためにはおそらく等間隔に並んでるだろう電柱と電柱の間に枕木が幾つあるかをまず数えて、後は電柱が幾つあるかを数えることで「だいだいのアンザン」が可能だというのも、現実の無数の数を操作可能な単位に変換する一例のようにも思う。しかし小説のなかで語り手の懸案になっているのは暗算力の衰えの要因としての短期記憶の減退で、色々なことをふと忘れてしまったりという日常のちょっとした悩みだ。それが数を数えることに付随して描かれているのがユーモラスだけれども、あるいは年齢が増えたという数のせいということなのかも知れない。

「H.A.Bノ冊子」25号で著者がこの短篇を書くまでのエッセイを書いていて、そこでは数学の特徴として以前論理的思考ということを挙げたらどんな学問も論理的思考でしょうと反論されたことがあるという。本号と「H.A.Bノ冊子」25号は友田さんに恵贈いただきました。

『試行錯誤7』

序文の友田とん「謎を謎のままに」で「日常の謎」というジャンルを「すこし前に」知ったとあって、「すこし前に」!?って驚いた。確かに友田さんと相性良さそうなジャンルでしかも謎が解かれない方が良いというのもそうだろうなと思える納得感がある。

スズキナオ「谷崎潤一郎のことを考えながら散歩する」、大阪に転居して時間が経ったけれども未だに大阪弁では喋れない著者に対して、妻はもとより関西人で子供二人も幼い頃に移ってきたので早い段階で大阪弁になっているという状況が語られ、谷崎の関西弁の話になる。谷崎の関西弁は女学生を雇って監修してもらったもので、織田作之助は、相当程度に大阪弁のリズムを生かしているけれども実際に喋っている人がいない理想化された大阪弁ではないかという批判をしていたことが引かれている。書き手の実感を踏まえた見方があってエッセイならではのものがある。

伏見瞬「蓮實重彦論」、蓮實のテマティスムと物語批判を絡めて、テマティスムによって細部を拾い上げて通俗的なイメージを覆しつつ、別の物語を語るストーリーテラーとしての蓮實の特色を提示する。確かに、蓮實は面白いというのはあって、だから感染力の高さがあるんだろうなと思った。

わかしょ文庫「大関の書いた小説を探して」、歯抜けの状態で伊勢ノ濱の「美人の薄命」を読みつつ、そこで間の状況はこうではないかと想像をたくましくするところがだいぶ面白いのとかなりありそうな展開で面白い。しかし国会図書館の収蔵雑誌って欠号も多いから、別の専門施設をあたるのがいいのかな。

陳詩遠「なにがなんだか」、物理学者は理論家と実験屋に別れ、実験屋は色んな装置を自作する必要があるのでなんでも自作する習慣がつく、という話からレッドブルボックスカートレースに自作のカートで出場した話をしていて、大学の自由さというか物作りの面白さみたいなものが楽しい。

友田とん「読むと肩こりが治る小説のための」、短篇小説だけれどエッセイと小説のあわいを行くような、小説を書くための準備をしている過程を描いた小説というややこしい短篇。意味の分からないような試みを本気で実践してみる時、何が生まれるか、著者通例のものの一つの過程が描かれる。ワークショップで著者が話した内容を付箋に書き記し、模造紙に貼り付けてグループ分けをしてみたり繋げてみようとしてみたら物理的制約がそこに現われた話は面白い。自分が口にしたことでも参加者の体を通して見ることで、思ってもないことを発見する、ということ。「読む」ことと「書く」ことの対立が「見つける」ことを通して解体されてしまうような経験をそこで見いだしている。読んで見つけたものを書き写していけば書かずに書くことができる。これは後藤的な読むと書くとのメビウスの帯的な現象にも思えて、この短篇の書き出しは『吉野大夫』かも知れないと思った。

ちょっと前に読んでた本

もう何冊か加えて記事にしようかと思っていたけどそうならなかったのでこれで。

蛙坂須美『こどもの頃のこわい話 きみのわるい話』

表題通り子供の頃の怪異譚を集めた実話怪談集。グロテスクな話、不思議な話が色々あるけれど、子供の頃の現実がまだ確固としたものではなく夢と不可分だったような気分が漂っていて、自分も子供の頃に見た頭のない男に追われた夢を思い出した。頭のない、というか成人男性の体に野球ボールが乗ったような不気味な存在に追われた夢が小学校の頃から忘れられない。これは本書のなかでは「無貌三題」というのっぺらぼー、顔のない人間を扱った話や、「くびぞろえ」の生首、「首のない女の子の話」という「首」の話が近いか。

幼い頃親に連れられていった気味の悪い旅館、一緒に住んでいた謎のおじさん、イマジナリーフレンド、謎の獣、さすがに本書中のような体験をした人はそんなにいないだろうけれど、どこか同じ気分、感じを抱いたことのない人はいないのかも知れない。怪奇・グロテスクさよりもそれが最も印象に残る。夢と現実の曖昧さとともに、子供にとって世界がまだ未知の部分の方が大きいために自分のあずかり知らぬ不可思議なルールで回っている感触、これ自体が実際怪異譚的でもある。大人になっていくことで失われてしまう子供の視点特有の、不可思議な世界、そういうものの感触に触れる。

最初の猿のいない猿まわしに出会った話から猿、犬、ベス、謎の獣と動物ネタが続くように、各話がいずれも前話の一部要素を継ぎながら続くのがしりとりみたいで面白い。これはこれで定番の手法だけれど、今読んだ話と少し重なり少しずれていくように続いていくのが不思議な雰囲気をいっそう強める。

幻想と現実の世界が不思議に繋がる「おばけの世界」、私とあなたの見るものが違っている「三人ゆうれい」、この二篇が特に好きな話だ。あと、「贋・真実の世界」の発火能力のある友人を見捨てて逃げた話の後味は、本当に子供の頃の感覚を思い出させるものがある。

聊斎志異』を引用したり、特にホムンクルスの百科事典の記述を引用する「西向きのホムンクルス」はほとんどその手の怪奇小説に近づいていて、神隠し話の「鴉岩」や、特に最後の「人形地獄」は短いなかに展開が詰め込まれていて読み応えのある怪奇譚だろう。

「別れる理由」の怪奇現象の法則性が見えそうな感じも不気味で良いし、「富士山を見る」の山みたいな人間のちょっとコミカルな怖さも良い。そういえば、伊集院光深夜の馬鹿力の空脳コーナーの一部はこれと似た感触がある。家族と記憶が食い違って記憶の現実性が揺らぐ話がよくあるからだ。

背筋『文庫版 近畿地方のある場所について』

単行本版は読んでおらず、ウェブ版以来に読んだ。ある場所をめぐるさまざまな雑誌記事やネットの文章をまとめる大枠に当たる部分が大きく変わっていて、ソリッドな恐ろしさのウェブ版に対し今作では幽霊をめぐるウェットな悲しみが前面に出ている。

ウェブ版だと怪異・恐怖が感染しそれに関わったものが飲み込まれていく、伝達することの恐怖というモチーフがあったけれど、今作はお化けや幽霊というものの存在を、身近な人の死を味わった人間の悲しくも愚かな祈りや願いの反映したものと見ることで、ウェブ版に対する自己解答をしている印象だ。文庫版での改訂ではホラーというものが人の死を軽々に扱ったり、偏見を強化したりするということへの倫理的抑制が図られていて、これは自作が予想外に読まれ、売れてしまったことへの作者自身の応答とも思う。恐怖は偏見を煽り、悲しみは同情を誘うというと単純だけれども、そういう転換がある。

ウェブ版でも怪異の原因として出てくる男女の男性の方はいかにも気持ち悪がられそうな造形だけれど女性の同情を誘う造形と対になることである程度対処をしていたのではないか。それが文庫版になることで人間の愚かしさ、悲しさとして縁取ることで排除よりは包摂の試みを感じ取れるようになっている。これを説教臭いと見る向きもあるだろうけれども、この改稿に見える作者の倫理性は興味深く、読んで良かったと思う。ウェブ版から文庫版に至る過程に自作に対する自己批判を埋め込んだ形で、今作に対する印象はこれを初めて読むか、ウェブ版を読んだことがあるかどうかでだいぶ印象が変わってくる。

改めて読んでみても短篇を連ねていくことで生まれるぞわぞわした感じ、怖さを味わえて面白いし、雑誌記事やネット記事が微妙な繋がりによって関連していくのを読むのは大学生の頃なんかにネットでいもづる式に色んな文章を夜通し読んでしまう感覚を思い出させてくれる。作中でも描かれるようにオカルトネタを扱う胡乱な雑誌が大きな意味を持っているんだけれど、このような雑誌はそろそろ身近な存在ではなくなっていくのだろうな、という感慨を抱いた。

ウェブ版では確か口唇裂の少年の画像があって、それは差別的ではないかという指摘があったのを覚えているけれど本書にはない。文庫のカバーデザインはちょっとダサくなってしまったなと思ったけど、実在のダムっぽい写真はやめたってことだろうか。読んでいて、近畿地方のどこなのかということは一切調べなかった。

小川哲『君のクイズ』

生放送のクイズ番組の最終問題を一文字も聞かずに早押しで解答した事件をめぐって、その対戦で負けたクイズプレイヤーを語り手に、相手はどうしてそんなことができたのかを探っていく謎解き小説。クイズを題材に謎で引き込む一気読みさせる引力があり、なるほど面白い。

知識とはその人が何を経験してきたかということだとして、クイズとは何かを問うことがその人自身の生き方をも問うことになり、失敗した経験も含めてその人自身の生きてきた過程が正解音で肯定されるというところや、人生、世界についての思弁的な部分はSF作家らしいなと思わせるところもある。

クイズの問題文に正解が一意に決まる確定ポイントがあるように、本作にもどこかで出された情報から正解が決まる確定ポイントがあるのかも知れない。途中で問題文の幾つかが特定の内容に関係していて、ゼロ文字解答の本庄の住んでいたところなど、話がそこに向かうかと思ったら違った。あのテーマで感動路線に行くのかなあと思ってたら結構違う方向になったのは興味深いと思った。そこで泣かせの方向に行くことも充分考えられた気がするし、そのほうが受けは良かったのかも知れないけど、強かでふてぶてしい方向に振ったな。それがこそタイトルにもなる君と私の違いに帰結する。

クイズを競技として突き詰めようとする主人公三島と、役割を完璧に演じきる男から状況を利用するいわばメタ読みに向かう本庄、ここに対比があり、明らかに不正を疑われるゼロ文字解答については、答えが分かったことと別にゼロ文字で解答したこと自体に本庄の思惑がある。

クイズという競技についての理解度も上がるし、クイズとして問われた問題をめぐっての解説から色々な雑学が知れるのも面白くて、本作自体が相手のことを知る過程をメインプロットとしていることとあわせて、何かを知ることそれ自体の楽しさによって駆動している。「乳離れ」はちばなれでちちばなれが誤読、「続柄」はつづきがらでぞくがらが誤読、「他人事」はひとごとでたにんごとが誤読の誤読三兄弟というのは良かったな。覚えやすい。

『田中小実昌哲学小説集成』全三巻

『ポロポロ』『アメン父』『ミミのこと 他二篇』『香具師の旅』『田中小実昌ベスト・エッセイ』
の記事などで今年田中小実昌を読んでいたのは、本シリーズが出ると聞き、また編集者さまから恵贈いただいたのをきっかけに代表作を幾つか踏まえてから読もうと思ったからだった。刊行されたのは今年の頭だったのにだいぶ時間が掛かってしまったけれど全三巻を読み終えた。色々面白かったので以下まとめてみる。

田中小実昌哲学小説集成Ⅰ』

著者の「哲学小説」と呼ばれた作品群を集成する全三巻の企画。第一巻では『カント節』と『モナドに窓はない』を収める。小説を読めなくなったという著者がカントやスピノザライプニッツ等を読みつつ、グダグダと引用と思索を続けていく。

仕事は月に五日くらいやればいいといういつもの話をしつつ、映画の試写などで出かける時に往復二時間の電車のなかで岩波文庫哲学書の訳書を読んでいる、と生活のなかに哲学書を溶かし込んでいるような感触がある。そうしてカントとヘーゲルの違いを語り口に見いだしていて、「カント節」とカントの語り口、言い方の面白さを著者は強調している。それはまさしくこの小説群がストーリーや内容というよりも哲学書の語り口に触発されて書かれていることを示しており、『ポロポロ』とも同様の物語批判が含まれているのはそのためだろう。

そういう哲学書を題材にして語られる反小説の小説、と言っても仕掛けが凝ってるものではなく、ただ語り手が哲学書を読んでいるだけだとも言える。しかし著者の哲学へのこだわりは掘り下げていけばいつも父・キリスト教・神の問題に行き当たる。言ってみればこれは哲学小説でもあり神学小説でもある。

純粋理性にとって避けることのできない課題は自由および不死である。そしてこれらの課題の解決を究極の目的とし、一切の準備を挙げてもっぱらこの意図の達成を期する本来の学を形而上学というのである。260P傍点太字

と著者はカントの『純粋理性批判』の緒言を引用する。

純粋理性にとって避けることのできない課題……カントはそう考えたようだが宗教家はべつにして、ニホンでの古くはカント学者と言われた人たち、またはカント研究家が、神、自由、不死なんてことについて書いたものは、ぼくは読んだおぼえがない。これはどうしたことか。それとも、ほくが読んでないだけだろうか。260P

西洋の哲学者が書いたものには、かならず神がでてくる。それも、ついでに神のこともといったぐあいではなく、読んでいくうちに、根本的、基本的なことだとわかる。それは、こういった哲学者ないし思想家には、カントふうに言って、理性がさけてとおれないこと以上に、どうしようもなく、神がいるからだろう。294P

後藤明生鈴木貞美の対談時評(「文學界1984年10月号)で、短篇「カント節」について、後藤は彼の観点からテキストと対話しての語り手の変化がないということを言っていて、それはそうなんだけれど、田中の語り方というのはそういう出会い頭のぶつかり、アミダクジ式の脱線とは違う。

ともかく、電車のなかでカントの『純粋理性批判』やハイデガーの『存在と時間』などの訳本をよんだ。どちらも岩波文庫で星五つの上中下巻、大部の本だ。もちろん時間はかかった。でも長い時間をかけて、すこしずつ日をおいて読んでいったので、おぼろげにうかびあがってくるものがあるような気がすることもあった。本がニンゲンかなんかで、電車のなかでは、その相手とつきあっている、それが長くなって、相手がわかるわからないといったことはぬきで、したしんできた、みたいなこともあったかもしれない。216P

哲学書の読みをほとんどモノローグ的なものにするまでその本と馴染んでみる、そうして内容自体を理解するということよりもその語り口、「節」を取り込んでいく、そういうやり方をしているかと思われる。哲学書も実は昔から行に「目をおいたり」していたというのが明かされているとおり。

えーっと、なにを言おうとしてたのか。あ、アイデンティティというのが、どうもわからないってことだった。こんなふうにしゃべっていて、自分がなにをしゃべってるかわからないのが、アイデンティティのない証拠だな。アイデンティティというのは、本人であること、自己が自己であることとされてるが、それは持続しなければいけない。ずっと自分で、自分でありつづけなければ、アイデンティティは出てこないのだろう。135P

アイデンティティに対するこのなんとも捉えようのない記述が象徴的とも思える。後藤的なスタンスの「私」は何かテキストにぶつかってその都度方向を変える、硬質のものがあるとすれば、田中の「私」は何かもっとぐにゃっとしている。語り続けるその持続自体が「私」でもあるかのような。

後藤は田中のことを父親崇拝的コンプレックスと言ったけれども、田中と父の関係はいくらかはキリストとその弟子との関係に擬されているように見えるところもある。

いや、イエスや宗教のこと以外で、父が言ったということは、ほとんど母からきいたこと、母が言ったことではないか。だれかの言葉としてつたわっていることでも、こんなのがおおいのかもしれない。216P

この父自身から直接聞いたわけではないというのは、イエスの言行を誰かが書き留めた聖書から理解しているというあり方や、プラトンの書いたものでソクラテスを理解していることといった間接的な受容と共通のものがある。父がイエスに向き合うように田中も父に向き合っているのかも知れない。

ただ、出てくるのは久布白直勝牧師という父に洗礼を施した人の方が多い気もする。彼の子供と会ったり、人のツテをたどってアメリカ、バークレイのユニテリアン神学校で彼の入学書類を目にしたり、特に『モナドに窓はない』は久布白牧師の関係する話が多い。

Kさんのお父さんは、いわゆる大正デモクラシーのひとで、ニホン人の牧師としてはめずらしくカントが好きだったらしい。プロテスタントには、かなりカントの影響がある。それも、こちこちのドグマ派ではなく、わりと自由な精神のプロテスタントの人たちが、よくカントを読んだ。Kさんのお父さんの著書のなかに自由キリスト教という言葉がある。キリスト教自由主義は私の生命となった、とその著書のなかで書いている。180P

面白いのはこの久布白牧師と結婚した久布白落実という人は後に矯風会の活動に参加し廃娼運動に携わった人で、徳富蘇峰、蘆花の妹の長女らしい。矯風会というと20世紀的な表現規制の主要アクターって印象があるけど最近はどうだろうか。

語り手がアメリカにいた時に知己から誘われて久布白牧師のいた学校まで行くんだけれど、それを目的にも思っていたのにずっと自ら動くことがなく、人に誘われてようやく現地まで行く、という怠け者ぶりを発揮していて、謎解きに全然前向きじゃないところが著者らしいとも言える。その久布白牧師の書類には、Shemmon Gakkoと書いてあるものがあり、九州出身だから専門学校がシェンモンと訛っているのが書き取られていて、これは後藤明生の「チクジェン訛り」を強く思い出させるものがある。後藤と田中の九州をめぐる繋がり。後藤もまた父に強くこだわりがあるのに、田中を「父親崇拝的父親コンプレックス」と言うのは同類の自覚があるからではないか、という気もする。

付録対談含めて二回ぐらい、田中が生まれた年に父親に何か決定的変化があったという話をしていて、これはあるいは田中自身は自分が生まれたことが父親の変化の原因ではないかと疑っているのじゃないか、という気がした。そういえば『ポロポロ』について種明かしは残念だと言った小説家というのは誰なんだろう。小島信夫、は違うか。とツイッターで書いたらそれは都筑道夫だと教えられた。

「哲学小説」ではないとして『カント節』から除外されたという「ブラディ・バスタード」、どういう話だったのか気になるな。バスタード=私生児の話っぽいけど。

田中小実昌哲学小説集成Ⅱ』

この巻は『なやまない』と『ないものの存在』の二冊を収めてある。四年ほどの期間にまたがる諸篇で折に触れて西田幾多郎が言及され続けており、全体のベースとなっている。そして浅田彰柄谷行人も登場しており、両者をとても面白そうに読んでいるのが印象的だ。

西田幾多郎は著者が戦前、高校の頃には手を出していて分からないながらもずっと読んできたものだ。けれども昔は西田が読めないことを恥ずかしく思い、分からないながらも繰り返し読み、お経のように覚え込んだということが「西田経」という最初の一篇の表題になっている。哲学がどこかで父・神学・信仰と必然的に関わってくるこの「哲学小説」において、西田の文章が「西田経」と呼ばれるのはそれもまた必然的なことかも知れない。事実、「西田幾多郎自身が、偉大な哲学者はかならず宗教のことを考えた」と本作には出てきている。

著者は戦争に行く前の高校の頃に西田を初めて読み、近年?も「神戸の三宮の古本屋」で買った『哲学の根本問題』を折に触れて読み込み、そうして繰り返し読み、お経のように意味も分からないながらも身体に覚え込ませるように繰り返し読んでいる。そしてそれが本書でも数年にわたって続いている。ここに田中の哲学書の読み方、というかあるいは思考・文章のスタイルがあるようにも見える。「くりかえすが」は本書でも頻出の言葉だけれど、哲学書を長年にわたって読み続け書き手の文体を身体に馴染ませていくことが読むことでもあり、繰り返し同じことを書くのも文章のリズムになっている。

なにかを対象化しないで小説を書く。対象として、はっきりかたちを見ないまま、ぐしゃぐしゃ、ぼんやり書く。まてよ、それはそうしか書けないぼくの書きかたか。対象化しないでも明晰な小説があるか。そもそも明晰な小説なんてあるだろうか。明晰とは、哲学者のなかでもある哲学者の考えぐらいではないか。西田幾多郎は明晰な考えかたをしたひとではないのではないか。明晰さはとことん明晰でなきゃいけない。だから、考えにふかみなどがあってはこまる。西田幾多郎も明晰さを尊重し、明晰に考えをすすめた、と自分ではおもってたかもしれない。9P

西田幾多郎の書いたものは、年とともに、ずいぶん変わってきているようだ。はじめから、ほとんど変わらないという人もいるが、これはつまらない。自分のいちばんの相手は自分で、たえず、この相手にはつっかかっていかなければいけない。そうなれば、変わっていくはずだ。52P

このようなことを言いつつ西田を読んでいくけれど、本の趣旨や要旨を取り出すような読み方ではもちろんなく、折に触れて付き合っていくことでその考えあぐねる迂回の様相をたどり直すようなところがある。以下の引用のところにあるように。

泳ぎと言えば、いくら泳ぎについてきいたり、おそわったりしてもだめで、実際に水のなかで泳ぐのでなければ、泳ぐことはできない、泳ぎを知ることはできない、とベルクソンが書いてるのを読んだとおもう。たいへんにいい例で感心した。」泳ぎは、どんなにたくさんの、それについての知識などがあっても、だめだろう。それこそ、水にうき、水のなかでからだをすすめてこそ、泳ぎなのだ。それではじめて泳ぎを知る。58P

本書表題の由来はいかにも田中小実昌らしい以下の一節から来ている。

文学をする者、哲学をする者は、みんななやんだ。なやむために文学や哲学をするというのはわるくちだが、なやみがある者が文学や哲学をやり、ますますなやんだ。この世にうまれてなやまない者は(とくに、そのころのニホンで)考えのたりない者、あるいは自分さえよければことたりるという者で、考えのたりない者、あるいは自分さえよければことたりるという者で、すくなくとも文学や哲学をやろうとする者は、なやむのが当然だった。
 ところが、ぼくはなやまなかったんだなあ。小説を読むのは好き、哲学もわからないのに好きったが、なやまない。なやみたくても、なやめないんだから、しようがない。64P

悩まないけど哲学書を読んでいる、というか悩まないからこそだろうか。小説が読めなくなり、代わりに哲学書を読んでいると本人は言う。なかでも翻訳に難があるような岩波文庫哲学書を好んで読んでいるのは、その難解な思考のプロセスに惹かれるところがあるからだろうか。

ある人の講演について、ときにはユーモアをまじえ、なんて書いてあったりするが、こんなアホらしいことはない。ユーモアは、ときどきまじえたりするものではなく、基本が(もし基本というものが、ただの考えではなく、実際にあるならば)ユーモアであり、すべてがユーモアなのだ。177P

『なやまない』には冒頭の「西田経」よりも三年前の「十字架」が番外的に収められていて、これは独立教会を建てた牧師田中父の言葉を多く引いた一篇。神学と哲学の関連から収められたのか、それもそのまま本書に収められている。その前の「その日」は夏に死んだ犬のことが底流する奇妙な追憶。


『ないものの存在』、引き続き西田のほか、パスカルハイデガー三木清などについてつらつら読んで死、生、存在やゼロなどに触れつつ、この80年代末から90年に書かれた諸篇には浅田彰柄谷行人といった名前が現われ、それぞれの著作の引用が多々現われるようになるのが意外だ。しかし確かに同時代に同じ誌面に書いてた人たちだろうし、柄谷のものなどは雑誌連載時点で読んでいたとも書いており、「哲学小説」として古典的な哲学をともかくも読み込んでいた田中にとって、そうしたものを踏まえて面白いことを書いてるのが柄谷や浅田だったようにも見える。

かと思えば「言うということ」など、語り手のちょっとした取り違えから始まり、娘を「娘」と書くとかその夫を「若い医者」と「若い」をつけるかどうかという些細な言葉に絡みつく気分のようなものについて言えるか言えないかを延々と考え続ける、思索のありようが窺える独特の一篇も印象的だ。

「たんきゅうする」はタイトル通り柄谷行人『探究Ⅱ』が主題となっている一篇で、ニーチェや神や「この私」の「この」性についての議論に興味を持って読み込んでいる。デカルトの「精神」と「身体」について「深読み」している箇所について田中はこんな風なことを言っている。

ときどき、ぼくがぶつくさつぶやくのは、柄谷行人さんは〝精神〟のことを言ってるのに、ぼくがそれに、〝身体〟をからませようとしてるのだろうか。326P

本書での田中の書籍からの引用とそれへのコメントはそういうことなんだろうか。身体と言えば西田についてこんなのも。

ぼくは、西田幾多郎も名文だとおもう。あのねちっこい、くりかえしのおおい文は、悪文と言ったほうがとおりがいいだろうが、ああいう書きかたでなければ、西田幾多郎の考えは言いあらわせないとしたら、それもまた名文ではないか。いや、また安易で便宜的な言いかたをした。西田幾多郎が書いてるもの以外に、その考えがあるというのではない。だから、あの文章がまるごと西田幾多郎ならば、あれも名文、と言ったほうがいいかもしれない。ただ、西田幾多郎は書きながら、じれったい気持はあったかもしれない。すらすらと言葉がでてくる人ではあるまい。292P 太字原文傍点

文章の綴り方それ自体に意味があるという発想は保坂和志も受け継いでいたものだなあと思い出す。非常に面白い指摘として巻末にある対談で堀江敏幸が、田中にとってバスの車窓はずっと見続けられる点で映画と同じようなものだったのではないかと言っているところだ。田中は面白いつまらないを問わず一日二回、延々試写を見続けていたことが繰り返し書かれており、またバスにも良く乗って外を眺めていたことが書かれている。なるほどそう共通点を見いだせるか。試写への行き帰りの電車で哲学書を読むのは、地下鉄で既に同じものを何度も見ているからだろう。

こう書くとどうにも大ざっぱになってしまう。上記のように「言うということ」での言い間違い、勘違い、娘の夫を「若い医師」と「若い」を付けるかどうかという細かなことにこだわる部分とかそういうところにこそ面白さがあるんだけれど、上手く書けない。

田中小実昌哲学小説集成Ⅲ』

第三巻は全篇単行本未収録作を収めた一冊。「哲学小説」と呼ばれる作品が既刊二巻分以外にも多数書かれていたこと、その外延を具体的に提示した形だ。描かれているのは哲学書を読みつつ電車に乗って映画を見に行き、海外へ長期滞在し、バスに乗る日々だ。

アウグスティヌス、カント、プラトン、西田、ベルクソンニーチェ、井上忠、小林秀雄などなど多彩な哲学者や本が出てきていて、ベルクソンを読みつつ自由について考えたり、井上忠を読んでその「言語機構」という言葉を使って自分と他人のズレについて考えたり、日々の雑事と思索が混ざり合う。読んでいると田中は常に何かしらの移動をしているようだ。電車に乗って毎日二本の試写を見に行ったり、娘の住むブレーメンに行ったり、シアトルの女性の家に居候したり、海外でバスの終点まで行ったり。移動をすると目に映るものが変わる、それに飽きると本を読むのかも知れない。

バスに乗っている時には本を読んでいないようだし試写に行く地下鉄で本を読むのは窓から何も見えないしいつも同じところを通っていて見飽きたからか。堀江が映画とバスの車窓は同じではという指摘をしたことを二巻のところで引いたけれど、見ていると言えばこの巻でも田中は海をじっと見ていたりする。海や川や雨といったものが本書には多く出て来ている気がする。ゆらめくもの、うごめくもの。しかし田中は妻も子供もいるのに色んな女性と付き合いがあって居候したりなんだりでこれが事実そのままかは分からないけど平然と不倫をしているようでこの人は何なのか、と思う……。

解説にあるように田中の文業それ自体が哲学小説だ、というのは妥当かも知れないけれども何も言ってないようにも思える。田中が哲学書に向かうのは小説に飽きたからと言っていて、それは物語批判とも関わるのではないか。本書では井上忠の「言語機構」を踏まえているところにそれが出ている。

「どんなタイプの女性が好きですか?」ときくやつがいる。こういうバカな質問には、ぼくはこたえないことにしている。
 なぜ、そんなことをたずねるのがバカな質問なのか? 週刊誌なんかでも、ごくふつうにそういう質問をしてるではないか、とおもう人がほとんどだろう。
 こういうのが、井上忠さんの言う言語機構のちがいってことにつうじるのかな。言語分析なんかのちがいではない。ある言葉、ある言いかたの解釈の相違なんてことではない。そこに住んでる言語の世界、つかってる言葉の世界がちがうってことだろう。249P

共通了解、常識、普通……そうした人々が普段意識せずに疑わずに行なう思考や叙述やコミュニケーションを「物語」として距離を取るのが『ポロポロ』などで見られる田中的な語り口で、小説を離れ、理屈張っていて難解な哲学書を読むのはその「物語」から距離を取る方法の一つではないか。

だいたい、ぼくは理由のない男だ。なぜか、理由が好きでない。なりゆきまかせ、無責任なのだろう。しかし、だれだって、なにかやるのに、理由なんかあるものか、などと断定するのは不遜なことだ。世間でも、人はそれぞれちがうと言ってるではないか。しかし、世間は、人をそれぞれちがうようにはあつかわない。そんなことをしていては、世間がまとまらない。世間でなくなる。18P

哲学小説とされる『カント節』収録作よりも一年前に書かれた「カント通りから百メートル」にはこうした一節がある。これと似たようなことを「言語機構」という言葉を使って語っているところが「ヴェラとか」の一節にあった。

「ともかく、共通の話題とか、おなじ興味なんてことばかりを、ぼくは言ってきたけど、それよりまえに、おなじ言語機構でなくちゃいけない。おなじ言語機構だからこそ、相談にものれるし、読者は書いたものを読んでくれる。
 しかし、かなりトンチンカンな相手でも、言語機構なんてことは意識しなくても、ぼくのことをへんな男だと感づき、相談なんかしないのだろう。
 ミナ子とぼくはたぶんおなじ言語機構だったとおもうが、ぼくにはなにも言わずに自殺した。ぼくたちの言語機構では相談などは不可能なのだ。相談はできない言語機構。会社でも通用しない言語機構。ぼくたちはそこにしか住めないが、たいへんに不安定で、不安定だってことが常態の言語機構、自分や会社や世の中の繭にとじこもり、安定している言語機構の人々と世の中に、ぼくたちはうんざりしているが、世の中の人たちはなんともおもわない。258-259P。

田中は随所で自分は変わった人間だ、と述べていてそれは実際に小説を読んでいるだけでも伝わってくるし、風呂に入っても体を洗わないと生活の基本ができてないと自分を語るところとかにも感じられる。気質的にもやはり独特のものがあって、世間に対してずっとズレを感じているんだろう。

犬はぼくを同類の犬だとおもっていて、ぼくが犬のくせに、ニンゲンみたいなこと(電話をかけたり)するなと吠えるんだ、とぼくはひとにはなしたりしたが、犬に同類におもわれるというのが、 ぼくは自慢だった。72P

こういうどうしようもない物語ニンゲン、制度ニンゲンばかりが世の中にいて、ぼくはやりきれない。物語の国の住人の不幸だろう。
 三島由紀夫が死んだときも、カンケイない人たちまでがはしりまわり、なにかさけぶようにしゃべってるのに、おどろいた。ぼくは、ぜんぜんどうってことはなかったのだ。あれだって、自分も三島由紀夫が登場するドラマのなかの人物だとおもったのだろう。218P

ぼくは自由でありたい。なぜ自由でありたいかという理由なんかは、ぼくは詮索しない。理由によって自由になるのではない。自由の定義が自由を制約し、自由を不自由にするのなら、理由も自由を制約する。ぼくはただ自由でいたい。228P

ニンゲン文化は(ニンゲン以外の文化ってものもあるのかな)根拠にあこがれつづけていても、 根拠を見ようとせず、こばんでいる。それは、ニンゲンが身をまもるためなのだ。なにかの物語のようにきこえるかもしれないが、根拠からの挑戦、根拠よりの迫りに目をひらいていたら、目は焼きつくされてしまう。こういう言いかたも物語すぎるならば、根拠からの挑戦に、井上忠さん流の言いかただと、身をひらいていたら、まず、世の中で出世なんかはできない。根拠にいくか、出世のほうにいくかってことになると、出世をとるのがふつうだろう。299P

こういう箇所は本書からたくさん見つけることができる。「物語」「制度」「言語機構」「ニンゲン」「世の中」といった言葉で自分と社会との違和感を記しつつ、そこに哲学書の論理や思考で自己や認識を常識を越えて掘り下げていく過程が田中にとって求められていたのではないかという気がする。

田中は自分を理屈くさいと言うけれど、ものを考えたことはないとも言う。これもなかなか難しいところだ。ある種感覚的なものへの違和を色々理論武装するけれども、自分で深く掘り下げて哲学的な記述として書かないからなのかも知れない。あくまで哲学書は読むもの、というか。ああでもないこうでもないと哲学書を読みつつ私小説的に雑事を交えて色々書いていくのが哲学小説のスタイルだけれど、それでいて田中は自分の作品を「作品」と呼ぶことすら拒絶する。「ぼくが書くものもけっして作品ではない」「おしゃべりしてるようなものだ」(342P)と言う。

ぼくはなにかのおしゃべりをはじめると、ひとつのはなしが、やたらによこにのびていったりする。こんな場合、本筋を忘れて、と説明すればわかりやすいだろうが、もともと本筋なんてないんだから、これまたこまってしまう。
 そんなふうなので、ぼくが書くものもけっして作品ではない。書きおわった瞬間から、作品は作品としてひとりあるきをはじめる、みたいなことが言われてるが、ぼくはカンケイないな、とうんとまえからおもっていた。だって、作品じゃないんだもの。じつは、ぼくの書いたものでも作品なのかなあ、とはうたがっていた。しかし、いまでは、はっきり作品ではないと言える。こうやって書いてるのも、道でだれかにあって、おしゃべりしてるようなものだ。おしゃべりが作品ではこまるんじゃないの。おしゃべりを作品だなんて、だいいちはずかしいよ。
 作品を書いてるのと、ただのおしゃべりはうんとちがう。だれよりも、ぼく自身がそのことをはっきり知っとかなくちゃ……。342P

ある程度構成や仕掛けがあったりして「おしゃべり」が「作品」化されているものもあるとは思うけれども、実際滔々と流れるおしゃべりという感じも確かにある。これらの小説は日々とその脳内のおしゃべりの時々の記録なのかも知れない。誰かが読むかも知れない独り言。プロテスタントの独立教会を開いていた父の独自の宗教的態度と、田中自身の「物語」に乗れない自分のありようと、哲学書が絡んでくるのがこの「哲学小説」ではないか、と思う。とは言っても小実昌作品は少ししか読んではいないのでどうとも言いがたいものはある。
全三巻、とにかくも面白く読んだ。

本書は担当編集の方より恵贈いただきました。ありがとうございます。

今年読んでたラノベとか

ラノベでまとめて一記事にしようと思ってため込んでたら一番最初のは三月に読んだやつだったりするくらい溜めすぎてしまった。

逢縁奇演『こちら、終末停滞委員会。』

世界中に散在し滅亡への時間を早める怪異「終末」を収集確保し終末を遅らせようとする終末停滞委員会が存在している世界で、人の心を読める終末を持つ少年が彼らに協力し、銃痕と呼ばれる特殊武装を持った少女たちとともに戦う青春バトルラノベ

少年少女たちがデカイ得物を振り回して戦う学園もので、世界中で異様な現象を起こす万単位存在する「終末」を無力化したり確保したりというミッションをこなしていくのが主軸となっていて、なんというかSCPとブルーアーカイブを混ぜ合わせたような感触。主人公は人の心が読める少年でマフィアに利用されて多数の人の死をもたらした罪悪感を持ちつつも決して諦めない不屈さを基軸にしていて、武器も持たずに立ち向かう勇気、絶望的状況のなかで希望を失わないという姿勢は終末停滞委員会のあり方ともリンクして、力強い印象を与えてくれる。

プロローグから魔王が出てきたり異世界転生という夢を見せる「終末」を拒絶して現世に留まる導入、旧人類の遺物や現実性を揺るがす異常現象など、メタ性とともに濃密な情報、設定がガンガン出てきていてだいぶ過積載のラノベって感じがある。

ジャージメイドでスモーカーの、糸でできたロボという特権的位置にいるお姉さんや、褐色長身で主人公が自分より小さいことにときめいてる同級生がヒロインとしてリードしていて、わりと姉萌えの作者なのかなと思ったけどまだ一巻。男子の登場人物のビジュアルが出てこないのがちょっと不満。シャムシール、シールを貼ったものと場所を入れ替える、ジョジョのキッスのアレンジなのかなと思った。しかし小柴さん、文中の描写だとベージュの髪色と指定されているのにイラストだと紫なんだよな。

甲田学人『ほうかごがかり』

ある夜誰もいない学校に召喚されて、名前のない化け物たち、無名(ナナ)不思議の成長を阻止するために日誌に記録をつける「ほうかごがかり」に任命された七人の小学生たちのサバイバルを描くホラー、あるいは作者いわく「メルヘン」ラノベ

『Missing』のコミカライズを読んでいたら『裏世界ピクニック』の元ネタかと思える部分があったりして、名前は知っているだけだった時に新作が出たのでちょうど良いなと買ってあった。ラノベと言ってもオタク要素はなく、シリアスな子供たちの物語でこれもまたラノベだと言える。

七人プラスワンがメインキャラだけども一巻では三人がある程度描かれている。焦点となる人物たちは家庭に問題を抱えており、虐待父から逃げてきて女手一つで子供を育てる母に苦労をさせたくない啓、モデルをやらされ外見しか親に求められていない絢、逆に裕福故に罪悪感がある惺。毎週金曜深夜の「ほうかご」に集められ、怪異の記録をさせられることはそうした自らの抱える問題に向き合う闘争でもあって、見たくないものだからこそそれが露わになることに怖ろしさがある。これを通り抜けられなければ生きられない問題を直視できるか、乗り越えられるか、そういう戦い。

小学生がぶつかるには重い課題が突きつけられている気がするけど、そういう子供たちの戦いを描いていて面白い。

宮澤伊織『裏世界ピクニック10』

カイダンクラフトを通じて生成AI時代における怪談とは何かという問題意識が感じられる巻で、「裏膝枕」というものをめぐっての展開は、ワードサラダめいた自動生成怪談の怖くなさと人の語りによる怪談の差異とは何か、というのが問われているように思った。

生成AI的な光景は不気味だけれど怖いというのとは違う感じがしていて、作中で空魚が生成物を語り直して怪談にしているところがそうだったように、やはり人を怖がらせるには人の心を踏まえた編集作業が必要になってくるのかもしれず、だからこそ怪談は裏世界からのコミュニケーションの試みになる。文脈に巻き込まれて自動的にそうさせてしまうという点で恋愛と怪談は同じもの、という言い方がこの巻で出てくるけれども、これはまた心とは自動的にそうなる仕組みという示唆にもなってて、自由意志とは何か、というのが人の心が分かるか否かという話と繋がってくる。

平坂読『変人のサラダボウル8』

岐阜コメディ第八巻、異世界からの暗殺者が怪盗に転じて高校生探偵友奈につきまといめんどくさい友人にったりの探偵風パートと、惣助の年の上下で揺れる恋愛模様、リヴィアの出家と不犯の誓い、サラの芸能界成り上がり物語などなど今回も色々。

異世界からの転移者がこの日本・岐阜で色々な仕事や名前を得る、転職・転生の物語をベースとして様々な話が個々に展開していく群像劇だけど、友奈とアルバのちょっとした推理みたいなところに尺を割いてるのはやはり探偵が主人公で小学館ゆえのコナンネタにあやかる作品らしさと言うべきか。アルバの存在がこれからより重要になっていく予感もある。友奈の恋愛感情を気づかせる役目にしろ、探偵のライバル役にしろ。友奈は助手を大義名分にして毎日料理を作る通い妻状態で惣助にもっとも近い位置だけれど、ブレンダが意外な共通の趣味から急接近しつつある。

惣助も娘のサラと一つしか違わない子供相手と恋愛関係になるとは思えないんだよな。女性として意識している場面があるのもブレンダだし。しかし事務所水没のエピソードはやけにリアルだなと思ってたらあとがきの一行目で笑った。自宅浸水はまー、大変だろう。

女性と関係を持ちすぎて出家したリヴィアが女性だけで営む旅館に用心棒として雇われる展開、女所帯に女性で安心と思わせてコイツがあまたの女性に手を出してきた「性獣」なのでこの旅館がどうなってしまうのか怖すぎる。小動物の檻にライオンを投げ込むような事態だ。

長良川揖斐川木曽川の三川の治水の話が出てくるけど、名古屋市民だった頃は小学校でその辺の話は習った覚えがあって懐かしい叙述だった。そこら辺の川のどこかにタワーが建ってて遠足か何かで上った気がする。しかし「東京も名古屋も全部岐阜!!」の帯文は面白すぎる。

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 7』

遥奈の不登校事件をめぐる姉妹回後篇。遥奈の事件はれな子に中学校時代の不登校事件という最大の弱みに直面することを余儀なくし、友人たちの力を借りることで乗り越えた先にもまた同じ姉妹関係が現われ、姉妹で始まり姉妹で終わる濃厚な姉妹百合巻だった。

遥奈の行動の真相がだいぶ単純というか、れな子が最初に予想していたものどおりだったのは二巻掛けたにしては拍子抜けだけれど、二ヶ月経ったら行くという発言のなんだそれという理由も含めて幼い妹っぽさとして良かったのかも知れない。代わりにもう一つのれな子ifの導入ではあるか。

この巻だと照沢耀子と風呂入ってるのお前今度はそっちかって笑う。紗月照沢の策動、突然の婚約騒動でリュシーを出しつつ、ってやってるとどうも紫陽花さんの出番がなくなってしまいがちではある。れな子の紗月評がいちいち辛辣だしちょいちょい口に出して、締められてるのが笑ってしまう。

わたなれ七巻の作者のコメントで面白かったのは今作の二つの核として百合だということと「頑張る女の子っていいよね」ということが挙げられていて、それが核だったのかと改めて気づかされた。毎回れな子が誰かのために奔走する話になっていて、作品としてのポップさ、主人公の好感度に繋がってる。友達をつくろうとして恋人が出来てしまうというところに百合ラブコメの仕掛けがあるんだけれど、その前段階として引きこもりからの脱却を目指して前向きに頑張る主人公を据えていることで作品の基本的カラーが決まっている。読んでいて楽しい作品というのはそこから来てるんだな。

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) SS集』

店舗特典、フェアなどで発表されていたらしいショートストーリーに書き下ろし短篇を追加したもの。一つ二つ持ってるものもあるけど、普通は集めるのも難しいものを集めて本にしてくれるのはありがたい。人気作品でもないと再発表の機会もないだろうし。

どれも各巻のちょっとした裏話やなんやで、なくてもいいけどあれば嬉しい温度感のもの。なかでもチキチキシリーズというか香穂が自作自演で会話・質問のお題を持ってきて各メンツがそれぞれ答えていくのはプロフィールの掘り下げにもなっていて面白い。真唯がTVのレギュラー持ってるとか。紫陽花さんがれな子の顔が好きとか言うところとか。SSで紗月とさらにキスしてなかったか? れな子は自分は同性愛者じゃないみたいなこと言ってた気がするんだけど五人をずっと性的な目で見てるだろってずっとツッコミ続ける感じがあるしそれを香穂にはっきり指摘されてもいる。それでいて武装を解いて元気のないダーク香穂にハマりそうになってるとか、お前!ってなる。

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 短編集』

SS集に対してこちらは公式サイトなどで公開されていた短篇に書き下ろしを加えたもの。美術部の先輩というサブの新キャラを出した他、紗月と紫陽花のまあまあ長めの話と花取さん視点の短篇という構成。一貫してれな子には他人を褒める才能があることが描かれている。

最初のれな子が後輩になる短篇で出てくる詠先輩、ひどいオチで笑った。れな子の後輩ぶりに対して優秀な先輩の精神面での弱さが描かれるわけだけれど、れな子自身もクインテットだなんだと憧れられながらその実自信のなさを抱えていて、鏡映しの存在を描いてる話だろう。

紗月さんのラブレター、紗月の好きな作家をれな子が読んでハマってしまい、どんどん本を読ませて喋らせて紗月が感想を味わっていたら、れな子にファンとして自分より先を行かれそうになって必死に引き留めるところがいじらしくて良い。良い漫才コンビだと思う。感想をいう、褒める才能の話が前話から続いていて、紗月をそこに導く話になっている。自分は本になったものしか読まない、作家には興味がないと言い張っていたのにれな子がじゃあ自分一人でも即売会に行くと言い出したら態度が崩れるの笑う。しかもそれが「文フリ」っていうね。正式名称が違うけどまあ「文フリ」。紗月の自己開示のなさの話かと思ったらそうでもなかった。紗月が唯一褒めるしかしない紫陽花さんと一切褒めないことでその思いの強さが窺える真唯、紗月の最愛の二人を奪っていったれな子って紗月の人生においての最大の「敵」なんだなあと思った。

紫陽花さんの生徒会選挙、彼女の人のためになることをしたいという行動へ踏み込む勇気をれな子が支える話になっていて、色々なサブキャラの再登場と、やはりれな子の人を褒める才能が描かれている。生徒会に入るかどうかって話が短篇で書かれるということは、と思った通りのオチではあった。不登校・引きこもりから「陽キャ」に憧れて高校デビューをしたというれな子は「陽キャ」というかクインテットの皆に対して色々思うところはあれど根底的にはすごい人たちだと仰ぎ見る姿勢なので褒め言葉みたいなのはポンポン出てくるところがあって、その率直な言葉が心を掴んでる。

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 8』

紗月篇の前篇となる八巻。真唯婚約騒動をめぐるルネ社長の暗躍を背景にフランスの真唯の友人リュシーとキャバクラ行ったりラブホ行ったり、恋人と餃子パーティで関係を深めたり、そしてこの騒ぎのなかで紗月の想いは何だったのか、で引きを作っていく。

身体はデカイのに精神は子供のリュシーに振り回されてキャバクラ行ったりラブホ行ったりするの、ありおとが漏れてる!漏れてる!と思った。いやまあありおともまだ一巻しか読んでないけども。でも香穂篇で普通にラブホ女子会の名目で一緒に来てたのコミカライズ読んで思い出した。

紫陽花さんが土壇場で強いのは良いですよね。家出しちゃうようなことも出来る、というよりあれは自分のわがままでれな子がいなかったら帰るつもりだったわけで、生徒会立候補の話もだけどれな子も含めた他人・友達のためには強靱な意志の強さを持ってるってのはらしいな、と思うわけで。天使と呼ばれる感じの良さやおっとりした物腰、人の善性を信じている姿勢、こういう人はやっぱり思考の足腰強いところがある気がするし。

偽装なり結婚の話が前面に出て来たけど同性婚は日本ではできないけどフランスでは可能という話が出ていて、リュシーを介して同性婚が現実の話として一応置かれてはいる。でも複数人で婚姻可能な国はあるのかは知らない。