告知記事一覧

後藤明生の夢: 朝鮮引揚者(エグザイル)の〈方法〉北の想像力 《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち いま読みたい38人の素顔と作品アイヌ民族否定論に抗する骨踊り現代北海道文学論―来るべき「惑星思考」に向けて代わりに読む人0 創刊準備号
単著『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』刊行
2022年9月末 幻戯書房より『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』が刊行されます - Close To The Wall
新着順

2023.12.31岡和田晃編『上林俊樹詩文集 聖なる不在・昏い夢と少女』の制作に協力
上林俊樹詩文集『聖なる不在・昏い夢と少女』を刊行します | SFユースティティア

2023.06.24「リベラシオン 人権研究ふくおか」190号(2023年夏)に「鶴田知也再考――『リベラシオン』第一八九号を読む」を寄稿
「リベラシオン」190号に鶴田知也についての記事を寄稿 - Close To The Wall

2022.11.20後藤明生文学講義CDの付録リスニングガイドを執筆
後藤明生文学講義のCDの付録リスニングガイドに寄稿 - Close To The Wall

2022.09.30図書新聞10月8日号にて住谷春也『ルーマニアルーマニア』の書評が掲載
図書新聞10月8日号にて住谷春也『ルーマニア、ルーマニア』の書評が掲載 - Close To The Wall

2022.09.28単著『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』刊行
2022年9月末 幻戯書房より『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』が刊行されます - Close To The Wall

2022.06.10『代わりに読む人0』に「見ることの政治性――なぜ後藤明生は政治的に見えないのか?」等を寄稿
『代わりに読む人0 創刊準備号』に後藤明生小論を寄稿しました - Close To The Wall

2022.04.30「図書新聞」2022年5月7日号にて木名瀬高嗣編『鳩沢佐美夫の仕事』第一巻の書評が掲載
図書新聞2022年5月7日号にて木名瀬高嗣編『鳩沢佐美夫の仕事』第一巻の書評が掲載 - Close To The Wall

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2024年に見ていたアニメ

今年も年間アニメ視聴総まとめの時間になりました。視聴本数を減らそうと思っていたのに毎クールごとの本数が春夏秋とそれぞれ50以上になってしまい、これまでで数としては一番見ている年になってしまった。こいついつも同じこと言ってるな。今が一番なんだよ! 数が増えるごとに一作一作をちゃんと見られてない憾みがある。配信漫画も適当にフォロー増やして何百にもなってしまうし、本も読める量の数倍買ってしまうし、私の人生ずっとこれなのかも知れない……。人生について考えるのを止めよう! フィクションの話を始める。

各作品のコメントは概ねその日その日に一話ごとに書き散らしていたツイッターのログを集めて編集したものになるため、不親切な文章になっている場合も多々あるかと思います。ご容赦ください。ちなみにこの記事は106000文字程度あります。

2024年アニメ10選

アンデッドアンラック
ダンジョン飯
悪役令嬢レベル99 〜私は裏ボスですが魔王ではありません〜
変人のサラダボウル
オーイ!とんぼ
終末トレインどこへいく?
女神のカフェテラス 第2期
先輩はおとこのこ
負けヒロインが多すぎる!
ぷにるはかわいいスライム

というわけで今年の私のベストテンを最初に。前年からの二クール目のものが幾つかあってフリーレンも悩んだけれどここはアンデッドアンラックを選ぶ。本年のベストスリーを選ぶとすれば、変人のサラダボウル、オーイ!とんぼ、先輩はおとこのこの三本を中核として他を選んでいく形になった。悩んだのは女神のカフェテラス二期だけど、やっぱり楽しんだという意味では随一のコレを選ばなければウソでしょう。秋クールからはアクロトリップも悩んだけれども原作から読んでいてアニメでも時に鮮烈な画面を作っていたぷにるを挙げる。魔法使いになれなかった女の子の話がもっと後半追い上げていれば10選に選んでいたんだけれども児童文学的アニメとしては終末トレインでカバーしてもらう。そんな感じです。

冬クール(1-3月)

ダンジョン飯

色々なところで名前を聞いていて評価が非常に高いのは知っていた原作漫画、TRIGGERでアニメ化すると聞いて意外に思ったけれども非常に堅実で上質な良いアニメだった。宮島善博監督、うえのきみこ構成、竹田直樹キャラデザ、光田康典が音楽で参加している。アニメーションもシナリオもとてもハイレベル。竜に食われたパーティメンバーの妹を助けに限られた資金で潜っていくためにダンジョンのモンスターを食材にしてまかなう、その食糧自給自足の試みはその生態系の把握と不可分だという形でダンジョンの謎を解くことにもなり、スライムやなにやらを食材にするアニメ的には料理作画の腕の見せ所でもある。この頃、ダンジョン飯とフリーレンという既存RPGの再解釈的な漫画が揃って高品質なアニメ化されていた。魔物食ぎらいのエルフマルシルと、魔物食に多大なる興味を抱く人の心がわからないがちの人間ライオス、小柄だけれど大人のハーフフットのチルチャック、謎の料理上手のドワーフセンシのパーティをメインに探索を続けるんだけどライオスの描き方が面白くて、知的好奇心が先行する人情に欠けるタイプだからこそ先に行けることもあるし異種族との交流にも果敢で、逆に人間に興味がありすぎるカブルーという人物がそれゆえに賊を皆殺しにする選別の思想に繋がる点を置いてるのが面白い。食と合わせて17話でのシュローに対する、「何も言わない食事も食べない、何のためにその口はついてる」というライオスのセリフがめちゃくちゃ良かった。察しろというのは内輪のコミュニケーションということだし、異者との関係のテーマが「口」にある。食べない、言わないという問題を口に集約してライオスに担わせているのは唸らされる。異物との窓口としての「口」。キメラ体ファリンを見たライオスの「すごくかっこいい」もさすがやべえやつだと言われるだけはある反応だけど、魔物と融合したファリンを初手でそう思えるからこそ異者との共生を考える資質がある。食べない言わないがシュローという和風の人物なのも示唆的。18話のシェイプシフター回もすごい。魔物の扱い方というライオス一流の視点を生かしていて、視点はズレてるけど一つ極めたものがあればそれとの偏差で弱点も全然克服できるという生き方を示してくる。幻術を使って個々人の視点の違いがこう打ち出せるのは作者のキャラ把握として凄いし、センシの見た目が顕著に違うのも登場人物と読者との差が出やすいものとして設定されていて、その上でライオスが全てを見通しているというのも圧巻だ。本当に食べることを作品の背骨として据えてその変奏・派生を無限に繰り出してきている一貫性と発想力の合わせ技があまりにも強い。八話のマルシルとファリンの学校始まって以来の才女が野を生きる野生児にとっ捕まる百合回でバッとその手のイラストが増えたのも面白かった。アニメが終わって、原作読者が「原作はここから面白くなる」とか言ってて嘘だろ!?って思った。EDってとうぜんの前提として宴会と一行の二つの意味を掛けてのPartyだよな。で、後半クールOPの「運命」ってうめーってことだよな?

悪役令嬢レベル99 〜私は裏ボスですが魔王ではありません〜

小説家になろうの小説が原作の、このヒーラーめんどくさいの寿門堂によるアニメ。ゲームの裏ボス悪役令嬢ユミエラに転生したはいいもののレベル上げ狂でレベルを上げすぎてしまってしかも闇属性魔法というおどろおどろしい魔法を使うので周囲にどん引きされるコメディとラブ。元々コミカライズを面白く読んでいたらこのアニメもキャラデザはじめコミカライズに準拠して作られている印象。悪役令嬢もののアニメ化でその元ゲームの主人公視点で序盤を始めてそれっぽいOPまでやるのは面白い。漫画読んでるのに知らない展開が始まってて笑う。ちょっとスロースターターだけど七話あたりでパトリックやエレノーラという友人が出来ていくとコメディとしても恋愛ものとしてもグイグイ面白くなっていく。奥手で真面目なパトリックと陰気なオタクのユミエラのあいだに見た目も声も華やかなエレノーラが加わってグッとアニメとして派手になって、友達や他人への想像力の話がパトリックとのラブコメとダンスパーティでのすれ違いにもなるのが面白い。ここ、メイドのリタが落としたはたきを拾って指パッチンするという絶妙に細かいところがアニメにしかない描写で笑ってしまう。良いセンスだ。特に11話、ユミエラを狙う暗殺者がわんさか出てきてメイドが裏切り、両親が暗殺依頼者だとわかりのコメディと重い話のスピード展開も面白かったけど、パトリックとユミエラのあいだを雲が覆って暗闇で二人の気持ちを確かめ合う偽のジャンケンを絡めた告白劇が良すぎてビックリした。レベルが上がって遠目が効くパトリックがユミエラを見つけ、というフリが暗い中でもジャンケンの手が分かるはずだとなり、自分より強い人が好みだという以前のセリフを踏まえてジャンケンで負けたことにして「暗黙」の了解として告白とその受け入れがなされるのはあまりにも洒落すぎている。人の心を理解していく流れがある。寿門堂は動画工房の下請けをよくやっていたからか、今作のEDが動画工房スタッフでらしいアニメーションになっているのも良い。

ぽんのみち

「見るしかなしこちゃんじゃあ」が私的アニメ流行語に選ばれた尾道が舞台の女子麻雀アニメ。騒いで家を追い出された主人公が入り浸る場所を求めて使われていなかった雀荘にたどり着きそこに友人を呼んでくるというかたちで、必ずしもみなが麻雀好きというわけではなかったりするし、麻雀をちゃんとやり通す回の方が珍しかったり、普段みな私服でいるので頭身もあって大学生くらいのイメージを持ってしまうけどOPでみんな制服を着ていて実は女子高生趣味アニメだったりする印象があんまり前面に出ていないという、色んなものをズラすことで成立している。そうして浮かび上がってくるのが雀卓というものを囲んで集まる友人たち、彼女たちが住まう尾道という場所の風物、つまり「場」としての麻雀を描き出しているのが面白くて、日常系アニメとして興味深い。自分たちの場所は自分たちで作る、大人たちが直接出てこない理由でもあるし、金持ちリーチェの財力に頼ることもなくきっちり割り勘で雀卓の修理費を払うのもその場の人でその場を維持する自主独立の気概がある。雀荘自体は親のものだとしても、そこら辺本当に高校生離れした自主性があった。終盤でもメインでやってることがイカサマだし、牌の並びでメリークリスマスの役を作るというあたりが本当に麻雀を遊ぶというより麻雀「で」遊ぶって感じなのが良かった。主人公?十返舎なしこの口癖は次回予告のものを冒頭に書いたけど、本篇ででてきたものを収集してある。全部ではないかも知れない。「行くしかなしこちゃんじゃあ」「やるしかなしこちゃんやあ!」「これは行くしかなしこちゃんやなあ」「こんな、なしこちゃん過ぎるわ」「一気に行くしかなしこちゃんじゃあ」「明かりなしこちゃんかもしらんなあ」「これはみんなで共有するしかなしこちゃんじゃ」。はい。

魔法少女にあこがれて

主人公うてなが魔法少女に抱いていたのは劣情だったと気づかされ、悪の女幹部のドSの才能が覚醒するお色気百合SMアニメ。原作漫画を前から読んでいたんだけれどよくアニメ化したよ本当。それでちゃんと当てたんだからすごい。サドに目覚めた女幹部とマゾに目覚めた魔法少女Win-Win、めでたしめでたし。悪と見なされがちな自分自身の欲望に気づいてその才能を伸ばしていく自分自身を見つけ出す物語なんですよね。しかし九話、すごいよな、アイドル志望の子に露出癖を付けた上に露出して歌うと歌が上手くなるとかいうひどい属性付けたの誰なんだ。それで音痴のロコに集まる観衆という虚飾を衣服ごと剥ぎ取ったら歌の上手い本当のアイドルが現われるという良い仕掛けも一体なんなんだ。幼馴染ケンカップル百合で本番まで行くやつそうそうないよな。ロコルベもレオパルトも裸になって自分をさらけ出すことであるいは人に言えない欲望を肯定し強くなるんですよね、悪の組織だから。本作の力による支配に対する自身の欲望が駆動する自己肯定と抵抗、というとある種のオタク肯定ぽくもあるけどそれが悪の組織の暗い欲望という位置にあるのが一種の倫理だろうか。魔法少女に暗い欲望をぶつけるの、まんまオタクだしな。12話、悪の総帥と魔法少女が一緒に破壊された街を直している光景、巨大化した魔法少女の身体の上で局部をいじりながら大乱闘、今作以外にありうるだろうか? 見たことのないものと見えないものを見せてくれる、稀に見るアニメなことは間違いない。魔法少女にあこがれているから最終回はアズールがパワーアップしてそれを間近で見られる得がたい経験をして至福のベーゼが描かれる。ド派手な戦いも「変態と変態が楽しんどるだけ」、まあ、そう。魔法少女が何よりも好きだからその精神が決して屈さない様子を一番間近で見られるポジションで限界まで圧を加え続ける形で百合SMを展開する作品性。原作から元々面白く読んでた作品で、途中絵的に物足りないところはあれど物語的にちょくちょく補足や補完が面白かったりして良かったんじゃないでしょうか。

最弱テイマーはゴミ拾いの旅に出ました。

私の思う今年一番惜しいアニメ。情報を何も知らないで見たから主人公が男性じゃないのに驚き、総監督が山内重保でさらにビックリして、一話は序盤から引きつけられる映像になっててずっと驚いてた。下請けでよく見るSTUDIO MASSKETの初元請け。抜群の一話で意想外のものが出てきたと思った。神から与えられたスキルの星がいくつかということが生きていくことで重要な世界で「星なし」のテイマーという考えられない神託を受け、家族からも村からも疎まれ、少女は八歳にして一人逃げ出す逃避行の最中に一日で死ぬと思われていたスライムと出会い、テイムが成功することで道中の大切なパートナーを得る一話。孤独な逃避行、内山コンテらしい近視眼的な絵作りで最低限のことを示唆しながらテンポ良くサクサク行動で進むところが良くて、不安感の表現なのか荷車もすごい丸く描かれていたり、視界が曲線が多くて背景からして面白い。星なしテイマーの最初の相棒として踏まれても生き延びる草の名前の主人公アイビーと自由な空に由来するソラと名付けられたスライムの絆が結ばれ、アイビーは危険を避けるため少年として旅を始める。だから人に喋る時は低めの声で演じているのがわかる。中盤で、大人からスキルの星が一つでも立派な奴がいるという慰めが星なしの存在を考慮してないことでアイビーの鬱屈が増してしまう皮肉が描かれ、見上げると曇り空で星が見えない。このセリフの良心的で無自覚な、構造的な差別の現れと言っても良いセリフによってアイビーの心情に陰影が生まれており、星なしと夜の星空という絵的な象徴性にも繋がっている。そして八話、怪しい自分を信頼してくれた大人たちだからこそ、こちらも応えてテントとカバンに隠していたレアなスライムの友達ソラを紹介できるという展開がとても良い。この八話までなら間違いなく冬アニメのベストだったんだけれど、ソラに相手が嘘をついてるかどうかを判断する能力がわかってからの内通者捜し篇がまずかった。嘘発見器と化したソラが相手をデジタルに善人悪人に振り分けていくのが、人を信じられるかという今作のテーマを真っ向から裏切ってしまっている。この展開を星なしとして差別されるアイビーがやるのがまたグロテスクで。それでもアニメでは悪役の描写であまり一方的な話にならないように配慮されていたと思うけれどもいかんともしがたい。それでも最終話は素晴らしい。「私のスキルは星なしのテイマーなんです」、ついにこれを告白できたことで旅とは何かが根底的に変わる。これからは「逃げるための旅ではなくて、見つけるための旅です」と、自分の夢、目的を探すスタートラインに立てた。原作はウェブ小説らしく淡々とした他人のゲームプレイ記録のような質感があり、ざっくりいえば不幸な少女が頼れる年長の男性に保護される体の女性向け作品なんだと思う。本好きの下剋上と同じTOブックス原作なので。コミカライズするときに物語性を高めるように肉付けされ、それをさらにアニメ映えするようにあるいは心理描写の追加がなされており、アニメと平行してコミカライズを読んでいたんだけれど、非常に上質な改変がされているなと毎回感心していた。全話脚本、高山カツヒコ。下請けスタジオの元請け初作品がOPEDのように絵にもなかなか力の入ったアニメを作ってきて、高く評価したい作品だけれども。

ここから去年始まりの二クール作品を四本。

アンデッドアンラック

概ねのことは去年のまとめ記事にも書いていたけれど、少年漫画と少女漫画のミックスだと思っていたら終盤では実際に少女漫画を通じて伝達されるメッセージの話をしていて、題材としても主要なものとなっていたし、この「物語」というものが後半ではとりわけ重要な意味を持った。21話の「忘れなければ」「人は死なない」。考えるのをやめた時が死、と誰にも覚えて貰えなくなった時が死、というアンディと風子の会話、本あるいは物語が終わる時とその本の生命が終わる時の話をしてるように思える。本のなかでの会話だし、これが終わっても終わりじゃないという読者から登場人物へのメッセージだろう。実際には一人だったアンディの孤独に寄り添う風子、本作冒頭の新宿で風子がアンディと出会ったことへの時間と次元をねじ曲げた返報。不可能なロマンスって感じだ。風子との関係によって死生観が変わった結果アンディは「不運は魂に宿る」と認識し「どう肉体が滅びようと、おれはどこからでも蘇る」、「結局はすべてルールのとらえ方次第なんだ。心からそう信じさえすれば、能力はいくらでも発展する」。ラストの漫画家篇、全知故に誰からも知られなくなるunknown、存在どころか行動もそうだと、手紙とかで知らせることも不可能なためにあっち側からは実質死んだ状態で、でも久能明としてでなければ現実に介入できるから「君に伝われ」という漫画だけは母に届く、というのが泣かせる。「否定に抗え」を数十年掛けて達成した。全知故に現実から切り離された久能が、そのルールをかいくぐってなおかつ「知る過程に意味がある」形で何かを伝えるために描いたもの。unknownという人に知られないハンデを負った久能がUnseenという見られないことを武器にする否定者を倒して自分の知らない未来を選ぶ。久能明の知らない物語になったから次回予告のナレーションが消える。最終回前にしてナレーターが作中人物となって辞職、メタ要素もきっちり使いこなしてくる。とても良いアニメでしたね。アニメの出来も良いし、能力バトルの頓知やアクション、話の仕掛けも大変良い。全篇では前書いたようにジーナ回が抜群に印象的だったけどそれ以降も良いし安野雲の仕掛けも効いた。

葬送のフリーレン

言わずと知れた作品後半、YOASOBIの次はヨルシカがOPと夜コンボが続いて笑ったけど曲は抜群に良い。指輪の回で気づくべきだったけど、ヒンメルはフリーレンにかなり恋愛的アプローチをしていたのに死ぬまで全然気づかれなくて、今もフリーレンは気づいてないってことなのかも知れない。エルフは長寿で性欲も薄いから恋愛に疎い。人の心を知る旅路ってつまりそういうことだろうか。パーティの勇者と紅一点の魔法使いなんてまあ恋愛関係になりがちだけど、それが不成立だったら?というズラしを仕掛けてる。指輪の回や17話でフェルンとシュタルクの微恋愛エピソードが並行するのは、フリーレンに人間の恋愛を気づかせる重要な脇筋ということになるか。頬染める演出がないのもそういうことかも知れない。そう思って一話を見返すとヒンメルだけじゃなくて勇者パーティが誰も結婚してなさそうだったり、老いたヒンメルがハゲだろうと身なりを整えたりしてるのとか、端々にそう捉えられそうなところがある。つまり、ザインが「もう付き合っちゃえよ!」とフリーレンと一緒の時に絶叫する作品的必然性はそういうことで。それで18話を見ると犬猿の仲の幼馴染百合を延々フリーレンに見せつけてフリーレンがその屈折した心情を全然理解できてなくて人間理解にはまだほど遠いことを見せてくる回で笑ってしまった。あの状況を見てラヴィーネのこと嫌いでしょ、と思ってるのはかなりのものがある。カンネとラヴィーネの百合もフェルンとシュタルクの思春期も、フリーレンのヒンメル理解の材料だからこれがフリーレンとフェルンの百合にならない理由がよくわかってしまった。長命で長く生きてるフリーレンの髪型がツインテなの最初妙だなと思うんだけどあれはまだ恋愛を知らない子供という象徴的意味だろうか。ライオス=フリーレン説。25話、ここ一番のシーンに向かって現在と過去を構成していって最後にここぞの場面を「置く」ような静かに熱い作劇が今作らしくて良かった。最終話のあっさりした別れは「また会った時に恥ずかしいからね」、と旅をしていれば別れることもあるし出会うこともある、アニメの最後にこれをやるのが決まってる。試験篇は面白いけどちょっと長くてだれたけど最後に旅の話に戻ってきて良い締めをして見事な最終回だった。ゴージャスさが鼻につかない淡々としたレベルの高さ、こういうのもあるんだなって感じ。

ラグナクリムゾン

このテンションの落ちない展開力、なんなんだろうな。詰め詰めの展開をぶち込んできてだれるかと思えば急展開させていく。スターリアといいラグナといい首落ちても死なない連中が多すぎる。ラスト、片割れを奪われたへゼラと片割れを奪われかけているアルテマティア、時を戻そうとするアルテマティアに対して時が戻ればみんなとまた会えると思っても引き金を引くヘゼラが勝つ。そしてカムイとアルテマティア、スターリアとラグナ、剣に象徴される二組の物語で締める。替えの効く存在でも自分たちを悼んでいい愛していいと教えることが罪業だという太陽神教にカムイと共に敵対した過去を回想しながら、カムイの剣の影に抱かれて、アルテマティアを神様から自由にするという約束を叶えた構図、そしてラグナの命を救いラグナを支える二振りの剣のラストカットが良かった。戦いはまだ続くけれども壮絶な死闘をここに集約しての最終回は大いに盛り上がってくれた。「ひどい勝利だ」。後悔は死んだみんなへの侮辱だからただ悲しむだけのラグナ。未来から力を借りたラグナが「先で待ってる」、と言っての締めだった。スターリアたちが生きてて嬉しいね。充実の二クールアニメって感じだ。

薬屋のひとりごと

これで原作の二巻しか消化してないというのは驚き。ワンクール一巻でダレてないのはすごいな。原作10巻以上出てるのに。確実性の薄いトラップを多数仕掛けて狙われた壬氏、ここまでカラッと晴れない事件が多かったのは二クールかけたこの確率の殺人を描くためだったとはね。息の長い話をちゃんと時間を掛けて構成したのはすごい。確定されない推測を飛び越えた先に不確定の霧のなかから壬氏が現われるのは運命的だ。ここで壬氏のやんごとない素性の一端が猫猫にバレるんだな。壬氏だけが猫猫に触れられる丁寧な歩みを映すのはいいけどまるで死んだ演出だったのはちょっとアレ。しかし鉄棒で顔殴られるのはヤバイって。終盤は猫猫父の羅漢のロマンスとその挫折の話をしつつ、最後に枯れた薔薇でも羅漢には今も美しいままの鳳仙という羅漢の相貌失認がゆえに花は枯れないという反転が良かった。鳳仙の失われた時間を裏返すような煌々とした花街の灯り、感慨深い。しかし本作、知らないことを罪と見なす割には今作での知識についての認識がどうも浅はかに見えてしまう。無知だから不思議などと言うということをなぜか現代知識を持ってる猫猫が言うのは傲慢じゃないか。前にも猫猫が知ってて回りは知らないのが謎だと書いたけど、粉塵爆発の出し方とか知識がパッチワークみたいで、知識に関心はあってもそれがどのように見つけられたかについて関心がないように見える。OPとEDがあってるか?ってのはあるけど、まあ横綱相撲みたいなアニメだった。

ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する

どんな人生を経ても五年後に戦争で死んで濡れ衣を着せられて婚約破棄された時間に戻ってしまう公爵令嬢リーシェが、六回目で自分を殺した他国の皇太子アルノルト・ハインと七回目で初めて屋敷で遭遇してプロポーズされる、という始まりの小説家になろう連載小説原作アニメ。婚約破棄されて勘当されて家でしたリーシェが通りがかった商人のもとに身を寄せ成長して、しかし死んでしまい今度は薬師、と六回の人生を経て七回目に自分に濡れ衣を着せた相手に「自分の価値は自分で見つけられる。それがわかったからもういいのです」、と転生チートではなく七回の人生を生きた彼女自身が家名によらない価値を自分で見つけたという一話がかなり良い。今期トップの滑り出しと思った。必ず戦争を起こしてしまう皇帝と、必ず皇国の戦争で死ぬ令嬢が出会い、アルノルトが皇帝殺しと戦争に至るルートを周回チートの知識と経験を生かしてリーシェが阻止するというのがメインストーリーになる。三話、婚約破棄されたことで別の人生を歩んでループのなかで色んな経験をしたリーシェが、侍女たちがこれから別様の道を歩んでも良いように読み書き教育を施す、古典的なフェミニズムの感がある。最後は薬が毒薬にもなり、火薬にも花火にもなるという形でものごとの多面性を示し、火薬を花火に変え、悪人を善人に変え、戦争を平和に変え、世界は美しいのだと主張する、前向きな姿勢が気持ちいいアニメだった。戦争を平和に変える意志が美しいものを見る旅の約束として結ばれる、まとまりある締めだった。甘いといえば甘い解決な気はするけど、アルノルトもリーシェを本気で否定できなくなってる気がするし、二人の関係の甘さを楽しむ作品だし、リーシェもいちゃつきもパワーあるアニメで良かった。リーシェの服装がかなりバリエーション多いのが良い。

ゆびさきと恋々

クオリティの高さには定評のある亜細亜堂制作の、聴覚障碍者を主人公とする恋愛漫画原作アニメ。abemaで字幕あり配信がある。とても上質なアニメだ。手話の作画の丁寧さ、口の動きを読むからか唇が肉厚に描かれるキャラデザ。音声、読唇、文字、モノローグ、複数の言語とコミュニケーションのズレ、すれ違いが絡み合って緊張感がある。そして雄弁な身体表現。広い世界や外国語を幾つも知ってる逸臣が、雪の無音の手話の世界を尊重して入れてくれ、と言ってくる。遠くにばっかり目を向けてたけどこんな近くにも手話という違う世界があると知った逸臣、お互いに違う世界への好奇心が交差する二人。いやまあバックパッカーでカフェバーで働いてて頭ポンポンしてくる逸臣のチャラさもすごいんだけども。逸臣のキャラ、あるいは読者の人気が取れるタイプなのかなと思うけど、聴覚障碍者と組み合わせると海外旅行やバーで働いたりのコミュニケーション強者が社会的弱者を手玉に取る感じになるヤバさがあり、すごい毒抜きを頑張ってるなって思う。その社交力の強さで相手のことを決めつけて非難する雪の幼馴染みの桜志の頑なさに対して常に人との回路を開こうとする逸臣が、その狭さすら開いていく。このアニメ、逸臣に雪のみならず桜志まで寝取られたみたいなお前は誰目線なんだよという気持ちになるところある。めちゃくちゃハイクオリティな映像で、手話、描き文字、SNS、喋りほか様々なコミュニケーションの様態を描きながらの恋愛ドラマで圧倒的だった。それでいてデフォルメ顔も良いアニメで緩急自在の演出力がある。逸臣が結構気持ち悪いところあったけど、それが唯一の欠点ってくらい。

月刊モー想科学

OLM Team Yoshioka制作のオリジナルアニメで、タイトルの雑誌を編集している出版社を舞台にしてオカルトを探求する話ではあるんだけれどなかなかレトロな昔懐かしいアニメの質感があってかなり良かった。スタコラサッサーって逃げていく敵さん久しぶりに見たよ。本質的にすべてがどうでも良いというところから始まるアニメって感じでこの軽さは貴重な気がする。モー大陸というものにかかわるモーパーツを探すという話がメインにありつつ毎回バカ話をやってくる。三話のなんでも振る舞いがミュージカルになってしまう俳優の話で最後主人公たちも観客も全員で踊り出してなんか話がまとまるノリ、なかなか楽しかった。ダンス作画で笑ってしまった。五話も途中でこの回のネタは表情と氷上、瞑想と迷走の駄洒落で作ったな?と思ったら環状と感情でちゃんと作中で説明していたし氷原事故と自己表現とか重ねて来た。楽しい脚本のアニメだなあと思う。そして九話、ここにきて監督直々の脚本回、とても良かった。14歳の天才科学者が学会を追われ安アパートでの失意の生活から再起し現在28歳の編集長の姿になるまでのフォー・チュン釘宮理恵と彼女をずっと支え続けたエドワード・チー杉田智和の二人の物語。名ありキャラもこの二人だけ。釘宮理恵百面相の感。年に一回くらい釘宮理恵回があるなあ、と思ったけどその後宮の烏の釘宮理恵回はこのアニメと同じ宮脇千鶴でしかも同じ九話だったからこれわざとか? この人銀魂の監督なんだよな。最後、人類消滅の危機を抑えてモー大陸を沈めたけれども、浮上を見て「みんなモー大陸を信じ始めてますよ」というのがフォー・チュンたちの救いにもなって、新たなマー、ミー、ムー、メーの「マ行大陸」探索のライフワークは続くというギャグで終わる。懐かしいノリでコメディやってて単純に楽しかった。ミュージカル回の三話、駄洒落回の五話も良いけど、九話は特に印象的な回だった。あと八話の謎の二足歩行のブルドッグ、何だったんだ。

治癒魔法の間違った使い方

複数人異世界召喚もので小説家になろうに十年前から連載されていた小説原作。高校生の三人が召喚された異世界で、治癒魔法使いのはずなのにスパルタ肉体訓練を課されるギャグかと思えばずっと真面目な話になっていくアニメだった。救護班が人さらいって言われるの笑うなって思ってたら、治癒士自ら前線に出て行って、自己犠牲で戦おうとする兵士だろうと横からかっ攫ってでも救命する戦闘的スタイルの救命団っていうのがわかってそれが間違った使い方って意味か、と。戦争に対する独特の抵抗。最後の黒騎士との戦いでも、反転魔法だから治癒魔法が攻撃になる、なんて浅い話ではなかった。必殺ならぬ必生の拳。攻撃をためらったウサトに伝授された、治癒魔法をまとった打撃という相手を傷つけずに抑止するための攻撃が鉄壁の黒騎士には通る、強靱な理想論で構成された展開だ。反射魔法で守られていた黒騎士の鎧を魔法で無効化すれば、素の肉体的強さがものをいう、肉体的修行はこのためにも必要だった。そして誰も傷つけない意志が、長引くほど傷つく人が増える戦いを終わらせる。諸要素をバッチリここに向けて組んで来たんだな。まっとうな理想を真摯に描いていて良い作品だ。戦闘的救命団という治癒魔法を積極的に突き詰めていくアイデアを軸にしながら非常に真摯に展開していて、一本芯の通ったアニメだったと思う。作画も乱れないし良いレベルで安定してた気がする。そして本作の鉄の意志で救命団を組織していた教官ローズ団長、自身の悲しい過去とその反省から全身全霊で後進を育てる鬼教員としての優しくも厳しい役柄をこなした田中敦子の訃報があった。ローズなりフリーレンのフランメなり、作品の欠くべからざる屋台骨を支える人という印象だった。二期が決まったけれど、代役を立てるのだろうか。

短評

結婚指輪物語
隣の家の好きな子を追って異世界に行ったら結婚して王になることになった異世界転移。金装のヴェルメイユ、戦×恋(ヴァルラヴ)、全部同系列のスタジオで監督が同じという強さがある。ソシャゲによくある類の作品が美少女ポケモンと揶揄されるけど、これは妻たちの力で強くなった主人公が前線に出張って戦う、逆の趣向。実際そういうのを意識しものなのかも知れない。それでいて次の段階ではヒロインたちの強化も必要、自然だ。フッズの伝統アニメーション、なかなか良かった。五人と結婚する必要がある、なるほど王だからね。五重婚アニメだ。

最強タンクの迷宮攻略~体力9999 のレアスキル持ちタンク、勇者パーティーを追放される~
追いだした側からはわりとちゃんとした理由で追放される盾キャラ主人公。萌えとコメディをやりつつタンク役としてルードがちゃんとしてて良い視聴感。女子しかいない絵面はどうかと思わないでもないけど逆に保父さんぽくなってる。シリアスな調子とコミカルな場面を切り替えるコンセント目のデフォルメがとてもよく気が抜けてて良い。距離が近い双子姉妹、なんか百合っぽいなとか思ってたらキスして合体は想定を超えすぎててビックリした。ゲーム的ボス攻略の手順をえらい丁寧にやっているのが特徴だ。一時間戦い続けてるのタフだ。童女の見た目で300歳の和風衣装の吸血鬼、属性過多の久野さんのキャラ良い。負けぶりを見せようとしたグリードの遠隔ディスプレイが、全員をルードのパーティとしてスキルが認識し、みんなの受けたダメージを本人に仕返す仕掛けが上手い。ルードの守ってきた皆の存在が、相手の攻撃を打ち返す生命変換によりいっそうの力を与える。綺麗にまとめたもんだなあと感心してしまった。みんなの応援が力になる魔法少女ものみたいだったし。誰一人死なせないというサミミナとの会話もそうだし、戦うみんなを守ることでこそ強くなれるルードでもある。「やっぱりルードは最強タンクだ~」、良い締めだった。萌えアニメとして外さない一作だったという印象。

明治撃剣-1874-
海外向けに制作し海外配信限定だったものが国内でも公開となったらしい。明治初期が舞台の渋いアニメだ。るろうに剣心より数年前くらいになるのか、と思ってたら大久保、川路も出てきて警察がわりと重要な役回りとなる。リベンジャー、るろ剣の歴史アニメの流れが来てる。元会津藩士で政府をよく思っていないはずの主人公が警察に勧誘されて、という筋書き。玉村仁監督があかねさす少女の人で、テレビシリーズ元請け初のつむぎ秋田アニメLab制作スタジオ。幕末明治ものの行き着く先としての北海道はまあるろ剣でもそうなるらしいしゴールデンカムイといいかなりベタではある。それはそれとして海外限定のはずだったという明治舞台の武士と政府のアニメ、渋いようで派手でもあり、なかなか珍しい面白さのあるアニメだった。過去に囚われたものはみな死んでいくラストなのは「過ぎ去った日々を取り戻すことはできないのです」という通り。平松武兵衛がプロイセンの武器と引き換えに北海道割譲の密約を結んでいたの、船戸与一蝦夷地別件』の幕末版みたいな趣向だ。

望まぬ不死の冒険者
長く下積みの冒険者を続けてきた主人公がダンジョンで竜に食われて死んだかと思えばスケルトンになって生き?延びていて、レベルを上げてスケルトン、グール、ゾンビと少しずつ人間に近い状態へと変化しながら人間時代の知人の助けを経て再び上位冒険者への道を目指すという異世界ファンタジー。回りの人が善人だから苦しむという展開だったり主人公の不幸から話が始まっているから出会す人がみんな親切というかまともな人で良い。回りがバカや悪人だらけの話ばかり見てるといっそう。若い頃から知り合いで家事の一切を任せていたような関係で10年一緒に暮らしたヒロインの好意をちゃんと受けとめてやれ、と思いつつ地味なアニメだと思うけど良い地味さの良いアニメだった。本作に二期が決まるとは驚きがあった。

即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。
菱田正和監督。昔コミカライズの一話を読んでうーんとなってやめたので、あまり良い印象はなくて、実際命の軽さというか即死のイージーさとノリの軽さの取り合わせは居心地悪い。とはいえ見続けてみると即死というスキルで物語やジャンルの定型をパロディにしていく作風や能力バトル要素が見えてくるとわりと面白みもあるし退屈しないテンポの良さもあるんだけど、いつこのキャラも死ぬかもといういやな緊張感がずっと続くし良い悪いで言えば最悪ではあるとは思っている。終盤は敵もでかい存在だから相対的に即死能力のきわどさが和らぐ感じはしたな。コミカライズをWebで見かけたらちょうど過去篇だったんだけど、主人公の姉的な人が言う「品性」あるいは「規範」って言葉はスタージョン『人間以上』の「イーソス」が由来で、これがあると即死能力者高遠夜霧のSF的文脈が明確になってちょっと面白い。アニメだとスタージョンの名前は出てなかったはず。今作はラジオが面白くて、内山昂輝富田美憂金田朋子がいるじゃんと一回目を聞いたらさすがのブルドーザーみたいなトークで凄かったし、内山さんの人間味を疑ってるのは笑うし、収録は金朋さんのアドリブに笑いをこらえるのが大変だと内山さんが言っててだいぶ面白かった。

魔女と野獣
横浜アニメラボがまた魔女のアニメ作ってる。ダークファンタジーって感じで結構良かった。魔女への復讐に燃える少女が魔女と口づけしておわ百合アニメかと思ったら、棺桶から巨漢が出てきてTS感出てきたのなかなか意表を突かれた。大地葉森川智之のコンビを軸に、四話五話では早見沙織逢坂良太の死霊魔術師と助手のコンビでの、メンテナンスされたアンデッドが日常にいる世界でのオカルトSFなミステリ話もあったりする。階層ごとに世界観が変えられるのやりたい放題すぎるだろ。これまでも結構そうだったのにやりたい放題できる設定作ってもっとやるぜってところで終わった。「息がある。大丈夫だ」「大丈夫なのそれ? 虫の息でしょ」「ギドは息さえあれば、だいたい何とかなる」、これ笑った。しかし、あの棺桶ガンダムシールドにしか見えないんだよな。

魔都精兵のスレイブ
西村純二総監督。タカヒロ原作。日本に突如現われた異世界領域、そこで女性だけが特殊能力を得て対抗できる力を持った部隊がいて、主人公がポケモンになるかわりにエロいことをされるとかそんな感じの。しかも女子寮の管理人になって笑った。姉にこき使われる癖っぽい。お色気とアクション、作画も安定していて良かった。国粋だったり何かの二番煎じぽかったりとこの原作者に良い印象はなかったけど、一番普通に楽しめた作品かも知れない。むしろ手垢のついたジャンルをやることでそこら辺が目立たないのが良かったかな。

外科医エリーゼ
今期MAHO FILMアニメ。女性向け医療もの転生リプレイ作品で、一度目の地球とは異なる世界で悪逆非道の皇后となり処刑された後現代日本に転生して医療技術を学び、そこでさらに死んで第一の人生の若い頃に戻るという面倒な過程を経て現代医療技術を過去に持ち込む現代知識チートの一種。一話で、日本人の時に手術した患者が愛していると家族に言うようになった話がエリーゼ自身の家族への言葉に繋がる、死地からの生還体験として重ねるのは良かった。ラブロマンスもやりつつ医療ものとしてきっちり見せてきてなかなか良かった。チートだけれどどんなときも救命第一マシーンになることで自意識の臭みを消している。サブタイ「賭け」の横に「kake」って書いてある微妙なトンチキ感に弱い。そして見た人みんながすごいっていうすごいOPの90年代臭。OPが二、三〇年前のセンスなのはエリーゼが過去へ戻ったことを示唆している説を唱えている。

30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい
タイトルはアレだけど30歳になって触れた相手の心が読める魔法が使えるようになったら同僚男性から好かれていることに気づくBLアニメ。漫画原作でドラマに映画もあるらしいけど、なるほど心が読めてもあるいはそれ故に難しい関係をスリリングに展開して見応えがある。恋愛不得手の身には好意も戸惑うし、時には怖いし不気味でもあるということを描きつつ、恋愛感情を抑制した相手との関係がとても楽しく友達としては良いという都合の良さの罪悪感へと至る心理は納得感がある。「襲われるとか思ってすみません」、同性愛者へのよくある偏見だけれど、安達はこの時点で気づけてはいる。安達の感じる不安感、女性が好意を寄せてくる男性に感じる不安感ってこういうものなんだろうと思わせる。心が読めるからこそ先回りで意を汲んでしまう安達、心が読めてもコミュニケーションは大変。最後、やると魔法が消えるのか。ファンタジーから現実へ。同性婚はできないから同居で指輪交換が限界だという現実を見せて来るわけだと思ったら結婚式までやっててビビった。別に式はやっていいわけだ。ファンタジックに綺麗なハッピーエンド。「俺たちの人生はこれからだ。言葉では伝えられないことがある。けど言葉でないと伝えられないこともある」、心の声が読める力を通じて現実で大切なことに気づく王道感。絵は心許ないけどまとまりのある良いBLアニメじゃないかな。

愚かな天使は悪魔と踊る
2016年から連載してるラブコメ漫画で、私も配信でたぶんそれくらいの頃から読んではいて、そのうちアニメ化しそうだけどしないまま終わるのかなと思ったらアニメ化した長期連載漫画原作。天使と悪魔の地上でのラブコメで、原作漫画だとやたらボクシングの絵が上手くてそれが笑いどころだったシーンもアニメだと野沢雅子田中真弓で声優を盛っても今ひとつテンポが悪くなるのが難しい。バカテス、はさすがに古すぎるかもだけどその頃のラブコメメソッドで動いてる感じがすごい。なぜか要所要所で力の入ったアクションを入れて意外性で驚かせてくれたりする。アクション作監と原画の田村亮太の仕事なのかな。最終話、脚本コンテ演出までは良いけど川崎逸朗 監督が一人原画までやってんのビビる。最終回だし絵に力入ってるなと思ってたら。情感のあるセリフなし演出とかも良かった。ギャグの古び方に比べてラブコメ要素は悪くないのでできにばらつきは感じつつも悪くはないかな。EDがベタだけど非常に良い曲だった。

道産子ギャルはなまらめんこい
タイトルの厳しさはともかく一話を見ると、エロコメとはいえ二人の接近が一足飛びで、過剰なお色気シーンと方言でキャラ付けされていてヒロインに人格が感じられない。東京ではダサくても地方なら東京者としてギャルと仲良くなれるというのもすごい話。これで原作者がこの北見の出身らしくて、自己植民地化感すごいなと思ったくらい印象が悪かった。ただ五話、支えあう友達三人の話として良い話だった。耳コピで人がカラオケで歌ってた曲を即興で弾けるのすごすぎる。坊ちゃんキャラがここで生かされてるしこの行動力、読者なり視聴者なりの分身として想定されたようなキャラから独立した人格としてかっちり形を持ったような印象がある。最終的にそんなに悪くない作品とも思うけど向こうから意味不明なくらいグイグイくる一話の印象が悪くてそれを取り戻すほどではなかった。ただ11話のデート回で行った先にライブ会場があり、オーイシマサヨシ本人が作中に出てキレた作画でOPを歌ってるのはかなり笑った。カップルのデート風景にオーイシのライブ作画が混ざってくるのほかにない視聴感だ。このアニメ、大物かも知れない。ダイナゼノンや好きな子がめがねを忘れたのED、そして今作というオーイシマサヨシキャラ化の歴史を語るには欠かせない一作になったと思う。なんでそんなカテゴリのアニメが三つもあるんだよ。愚かな天使も道産子ギャルも、九話で看病イベントが発生する。ラブコメ九話は看病イベント。

スナックバス江
なんかツイッターで画像が流れて来るということしか知らない漫画原作アニメ。舞台北海道なんだ。なんか緩い会話劇の雰囲気とスナックらしい声優の名曲カラオケエンディングが悪くない。小学生の頃の嘘彼女とか森田が本当に嫌われる理由があって嫌われるタイプでアレ過ぎる。言ってること全部セクハラみたいなんだよなこいつ。ネットでアンチフェミやってそう。いつもギリギリ踏み外してるみたいな。そんなやつがいつつも、カラオケエンディングとかスナックの空間とかの枠を意識して構成してる感じは夜にだらっとみるにはちょうど良い感じで悪くないんだけど、原作ファンのアニメへの批判がひどくて、監督の発言はともかくアニメをあんな感じに叩いてた連中に好かれてる原作、近づきたくないなと思っちゃう。一番引いたのが、原作者自身が作品が想定してるらしいハイテンポのショート動画版をネットに上げたことで、SNS受けしてる漫画の悪いところが出てると思った。水面下でアニメサイドと何があったか知らないけど、ファンが自分を支持して騒いでくれるだろうことまで見越しての行動だろうし、「作品で語る」ことで自分の意見を曖昧にできるメリットを活用してるなって感じ。ネットが上手いタイプの作者だなあって感じ。

メタリックルージュ
ボンズ出渕裕のオリジナルアニメ。面白かったのは二話、斉藤貴美子がバス江でスナックを経営しこちらでバスをかっ飛ばしてて笑う。音速の貴婦人面白すぎる、なんでそんな肝が据わってるんだ。人間に危害を加えるな、人間の命令に逆らうなというアジモフコードが被差別階級ネアンの自治を求める抵抗運動の抑制になるに留まらず、自己を守れという第三則はつまり自爆テロすらも禁じるものなのはちょっと面白い。作画やアクションは見どころではあるんだけど、なんか全体にパッとしなくて主役二人もこの関係の良さがあんまり伝わらなかったかなあ。

マッシュル-MASHLE- 神覚者候補選抜試験編
20話のくだりが印象的だったのでメモしておく。戦いのなかで敵対しているマカロンというオネエキャラが「女の勘よ」ということでようやく「心は女」だとわかって主人公サイドが「どっちか迷ってたんだ、ずっと」と言う場面がある。女装してるだけなのかトランス女性なのかが分からなかったけど、相手のして欲しい扱いが分かればそうするつもりが全然ある、という素朴な受け止め方が描かれていて、どうせジャンプ漫画だし作風から「オネエキャラ」の扱いもそんなもんだと思ってた自分の浅はかさを刺された感じがあった。強キャラだしこの手のキャラにしては扱い良いなとは思ってたけれど。去年なかなかひどいのがあったし。この描写がトランスジェンダーに対して意識が高いとかエンパワメントになるかとかはともかく、とても素朴な善意を感じて打たれてしまった、このことを書いておきたい。ハリポタの作者がマジの反トランスになってるのに対してハリポタフォロワーなマッシュルがこうなの、なんか、色々あるなって。

悶えてよ、アダムくん
男性向け僧侶枠。ウィルスの影響で主人公以外の男性全員がEDになったという終末のハーレムをさらに一歩バカ寄りにしたような設定で脳みそ空っぽにしたような展開の連打が襲ってくる。僧侶枠の由来になった初代僧侶がまさかの原作出演。洗い屋さんまで。太眉でちょっと独特の演技のお嬢様、このアニメにあって正統萌えキャラっぽくてわりと印象的だけどこの声の人本職のAV女優なんだ。ムッツリクソメガネ、ジェネリック王子、ブルジョワロリータのくだりは笑った。王子とロリータがいちゃついてるの、ヘテロハーレム内百合カップルか? うーんという感じはあるけど最終回はまあまあ楽しかった。僧侶枠、女性向けと男性向けがありBLもあるけど、この枠で百合系ってまだないよな。

名湯『異世界の湯』開拓記 〜アラフォー温泉マニアの転生先は、のんびり温泉天国でした〜
コミカライズの序盤だけ読んだことあるんだけど漫画だと50ページくらいの話が三分になってる。アニメフェスタだけど僧侶枠じゃないっぽい。裸を白消しにされててブルーレイとか買ってねって感じの入浴シーンだけで話回していくショートアニメ。11話、急にキャラの線を消した作画してきて驚いた。遠景の場面でイラストめいた洒落た作画でキメてくる、このアニメそんなこともできたのか。繭玉さんが良いヒロインだった。キャラデザ結構良いからこれで長いことやって欲しかったな。

どうかと思ったもの
弱キャラ友崎くん 2nd STAGE

友崎くんとようこそ実力至上主義の教室へが同日に放送されるの現代社会からの罰ゲームという気がする。実力至上主義はともかく、友崎くん二期も自分のツイッター見返したらなかなか新鮮な怒りが記録されていたのでちゃんとブログにまとめておかないといけないなと思った。四話、お笑い動画でボケ突っ込みを学んでクラスに溶け込む作戦、マジで?って感じになる。まあわざとらしすぎて滑っても友好的になりたいという意図が見えるのでOKって感じなのかなと思ったら自分の背の小ささをネタにしてスムーズに作戦成功してるの本当にマジで?ってなる。枠組みや主張のために話があるので具体的な部分が限りなく無という。単細胞しかいねえのかこのクラスは、と思ってしまう。今作、話はともかく肉付けがショボいという評価をよく見るしそれはそうだけど、状況も人間もコントローラブルなものとして描く姿勢は現実をゲームになぞらえる作品の根幹部分と同根だろうし、その日南を相対化する視線はありつつも結局逃れられていないように思う。そして女子高の文化祭でナンパを学ぶという八話前半のキツさ、こんな罰ゲームみたいなアニメあるか? こんな会話が人間に通じると思ってるのか?って思ってしまう。人間関係攻略メソッドを語っている話で描かれてる人間が金箔みたいに薄いの、そもそものメソッドの信憑性を台無しにしていると思う。

異世界でもふもふなでなでするためにがんばってます。

たぶん今年一番倫理感が狂ってるアニメだった。OPEDが良いし本篇がなければ良いアニメ。異世界にOLが転生した話なんだけど、主人公の年齢設定ミスってるんじゃないか。大人みたいな判断をする割に子供の身体ゆえに身勝手な行動の責任は家族が庇ってくれるの、さすがに都合が良すぎる。コボルトにいきなり抱きつく不躾さの上に他人にも触らせて、嫌がられてるのに謝罪の一つもなかったのは実に今作の質感の象徴的場面だったと思う。かわいがるという行為の暴力性にまったく無自覚な上に子供だから許されるというのを加えていてタチが悪い。差別者をやり込める話もぺらくてアレだった。あと一番問題なのが、魔物との共存を謳いながら魔物を保護区に収容して増えすぎても困るから冒険者の経験値稼ぎに使おうという狂った発想のシアナ計画というのが目指すべきものになっていくところ。これ共存って言う? 発想が植民地主義としか思えなくて、それを共存の体で話すのに怖ろしさがあった。ネットでアパルトヘイトって呼ばれてたの笑う。このタイトルでなんでこんなかわいげのない話になってしまうんだろう。

しかし、ブレイバーンはなんとも感想を言いかねる作品だった。このクールは週に43本ほど見ていたけれどもこれが今年一番少ない本数になるとは思わなかったな。ここに書いたのは31作だろうか。

春クール(4-6月)

変人のサラダボウル

今年のベストアニメだと思っている一作。別世界の姫と従者が現代日本岐阜市に転移してきて、姫のサラはしがない私立探偵惣助のもとに身を寄せ、従者リヴィアは川でホームレスになって、という原作者曰く「群像喜劇」ラノベ原作。チート薬師やプリパラの副監督、佐藤まさふみ監督。一話冒頭、黒地にキャラだけのカットから追っ手を映さず切っ先だけを画面に差し込む構図の時点でセンスある見せ方だなと思ったら、OPの実写の使い方も良い。この一話冒頭三分経たないうちにあ、良さそう、と思わせてきた。探偵という日常のなかでの秘密を探る仕事と、ホームレスという社会の陽が当たらない部分を二人の転移者が眺めていくなかで、人々がコミカルかつ力強く適応しつつ生きていく様子を描いていて、色んなネタを軽妙に捌いていく手際とテンポの良さで非常に楽しく面白いアニメにできている。三話ではカルト宗教に復讐に来た教団の霊感商法の被害者が壇上で自刃したのを異世界騎士リヴィアの能力で治癒して本当の救世主になるオチ、欺瞞が本当に塗り替えられてしまってなかなかすごい。被害の復讐で教祖を襲うのかと思わせて、教祖の祝福を自傷して効果がないと示して聴衆の面前で権威失墜を狙うの、相手を傷つけずにダメージを与える考えられたやり方で発想が優しすぎる。カルト宗教ネタで登場人物を誰も悪人にしないでまとめた。探偵のところに持ち込まれたいじめ被害に対する対処も、いじめの証拠を確保して知り合いの弁護士に内容証明を送ってもらって解決という、いきり立った当人たちをクールダウンさせるリアルさで笑う。その後、ホームレス異世界騎士と彼女に惚れ込んだ宗教家と資金稼ぎのためにセクキャババイトまでしてたのがメンバーにバレてどん引きされて解散に至ったヴォーカルがバンドを組むのも社会のはぐれ者たちの絆って感じで良かった。解散バンドの音に不仲が現われてたと分析するくだりは具体性があっていい。音楽制作を真面目にやってる唯一のバンドアニメか? そして今作でも出色の話数が七話だった。サラッと大事な話をして「うん」、で締める抜群のセンス。転移者サラの学校へ行ってみたい、でも戸籍がないというところから、探偵の調査対象だった親子の仲が良かった件を見て、サラが黒髪だと自分たちも親子に見えるという描写を積み上げて、惣助の自分の子供になるか?という問いに自然に同意を示すほど積み上げられた関係、とてもよい。最後のほんの少しのやりとりでぐっとくるのを演出できてる。探偵と助手のフォーマットはしばしば恋愛関係に発展するものだけど、サラに対する惣助の態度が非常にきちんとしていてそれだから親子になる、ということに説得力がある。もしかしてこれ義父と岐阜ってことだったりする? サラとリヴィアが別行動の時点でそうだったけど、サラと友奈もまた知り合い同士で群れるのではなく個々別々に新しい場所へ赴くことでまた別の誰かと出会い関係を結ぶっていうのを本作は繰り返していて、同じ学校に行かないことで新しい世界が開けてる。終盤、救世グラスホッパーという、ヴォーカルはともかくカルト宗教トップ、異世界の女騎士、元ホームレスの小説家が関わったバンドが「変人のサラダボウル」という作品の最後の花火を打ち上げるに相応しい存在だなと思ったら最終話で伝説が始まったかと思ったらその回の内にメンバーが逮捕されて伝説が終わるのは本当に笑ってしまった。凄まじいオチだよ。エキセントリックな人たちによるエキセントリックなしかし日々紡がれる「日常」は、個々人のそれぞれの物語が出会い交差しまた離れていくことでできていて、それぞれの糸がこれからどんな模様を描くかはまだわからない。そんなアニメだった。サラとリヴィアが一緒になるわけじゃないし、サラと友奈が別の学校になるしバンドも別れ別れになるし、色んな登場人物たちが離合集散を繰り返すなかでサラと惣助が親子の縁を結ぶのは今作で特権的な意味があると思った。また、探偵業法で認められた行為はストーカー規制法の規制を受けないというのがあったり、弁護士を介して無戸籍者が戸籍を得るために法的手続きの選択肢を探ったりと地味に法律が重要な意味を持っている作品でもあって、この社会性というのは非常に希有なものではないかと思う。まあ主人公以外は皆若い女性しか出てこないハーレムジャンルではあって、そこで描かれる社会の偏りというのはどうしてもある。あとサラとリヴィアってつまり難民だよねとも思って、以下はそんな発想で原作や無戸籍、難民についての本を読んだ感想の記事。
https://closetothewall.hatenablog.com/entry/2024/10/31/232014
監督が暇空とかフォローしてたって話がなければもっと良かったんだけどな。OPは今年でも抜群の出来だけどコンテ演出などを担当した脇克典って、NHKみんなのうたのアニメとかを作ってる人らしい。OPEDのバンドの選び方やこの人選は面白い。

オーイ!とんぼ

今作は今年のベストスリーには入る。「連載 週刊ゴルフダイジェスト」という見たことのない場所から現われた女子ゴルフ漫画原作アニメで、土曜日の朝にやっているということもあって見てない人も多い気がするけれども、キッズアニメ的で派手ではないけどとにかく抜群に面白い。一期ラストでこんな面白いのに13話だけで終わるなんてことないよなと思ったら秋から第二クールとのことでそりゃ当然だなとなった。両親を失ってトカラ列島のある島で育った中学生のとんぼが、プロ選手だったのが八百長に関わり業界を追われ家族も失い島にやってきた「いがいが」こと五十嵐と出会い、親戚に引き取りを拒否されたトラウマで島から出たがらないとんぼを島の外の世界に導こうとする物語自体も非常に良いけれど、ゴルフの一打ごとにどのような理論や身体動作の裏付けがあって可能になるのかということを克明に記述する具体性が作品のリアリティを裏付けしていて圧倒的。スポーツを描く時に技術の具体性は必須のスパイスではあるけど、ここまでその具体性を全面展開する作品はちょっと思いつかないし、その説明だけで面白いのはすごい。本質的には難題をどう解くかという「打つ」ことそのものが大好きだという作者のゴルフ愛の賜物ではないか。とんぼのゴルフはびっくり箱のように意外性の塊だけど、この島の環境あってのもので、同年代や競う相手のない、打数を気にしない恐怖のない晴れやかなゴルフは、確かにゴルフという「競技」ではない。これをどう競技ゴルフの楽しさに結びつけるか。親の残した3鉄こと3番アイアン一本だけでプレイして島の生活全てがゴルフの技術に結びついてるとんぼが経験を積むごとに人からクラブをもらってセットを増やしていって、できることが増え、外の世界への広がりを示していく。一期の島篇ラストのとんぼが島を出ることを決意する下りは本当に感動的なものがある。ブンペイが不妊に悩む洋子にプロポーズするロジックがゴン爺や島の人みんなを自分のではない子供を育ててきた人たちとして立ち上げて、島によって育てられた島の子とんぼがついに島を出て行く場面を感動的なものにしている。第二期は九州女子選手権という競技ゴルフに七本のクラブ、ハーフセットだけを手に初参加する。島篇でプロ志向の同年代として出会っていた理知的なプレイを信条とするつぶら、父から異様なプレッシャーを掛けられているひのき、元ジュニアチャンピオンだったのがワニに足を食われてリハビリの果てに10年ぶりに復帰したエマ、というライバルたちとの戦いのなか、島のみんなのために勝ちたい、という意思を持つようになり、24話で「プレッシャーの中でプレイするというゴルフの本当の楽しみ」を真に知った証のように「今までで一番……楽しかった」と溜めに溜めた一言を放って、五十嵐の思いが通じた瞬間が描かれるのが素晴らしかった。島から外に出たことで、自分の活躍を島のみんなが喜んでくれていることを知り、島のみんなを喜ばせたいというモチベーションがとんぼに生まれているわけで、島の描写を適宜挾んできたことがここでしっかり生きている。本作の細かさってすごくて、五十嵐はとんぼが練習場の摩耗したマットで練習する弊害で鼻筋が右に傾いているのを感知して、左足親指が遊んでいるのを締める微調整を入れるとかそういうレベルなんですよね。水切り打球の具体的なクラブの角度や体の使い方まで描写したり。劇伴が要所要所で良い具合に緊張感を持たせてくれるのも印象的。実は年内に終わっていなくて26話が一月に放送される。

終末トレインどこへいく?

人間の意識に直接干渉する7Gなる通信規格で世界が変異し人間が動物に変化した街から謎のエネルギーによって動く電車に乗って池袋で消息を絶った友人を探しに走り出す少女たち、という水島努監督のオリジナル鉄道?アニメ。SF的な趣向を持ちつつも本質的にはメルヘンだろう。西武線吾野から池袋までの道中、7Gによって怪奇現象に見舞われた様々な駅での経験を経ながら、目的の場所まで移動していく地獄めぐりツアー。序盤の一端吾野を出た後、戻ろうよと言う話も出つつ、津波が襲ってきたことでもう戻れない旅となっていく時の、水に囲まれたなかを鉄路だけを頼りに見慣れたようでまるで見たことのない謎めいた世界を走って行く情景にはSFの良さがある。水の上を走っていく不可思議な光景に絵としての強みがあるのが良い。途中駅には、陰鬱な世界で生きていくよりキノコを生やして楽しく一二年で死んでしまおうという『渚にて』的な享楽的人々がいれば、ガリバー旅行記のような小人との国での戦争騒ぎも起こったり、不思議の国のアリスをさらにカオスにしたような世界もあって、もちろんこういう部分も楽しいけれども、吾野の友達同士だった四人の関係というのが非常に面白い。まくし立てるような会話劇で池袋で消えた葉香を追う三人が車中でガンガン言い合いをしていて、幼い頃から付き合いがあって気心は知れているけどべったり仲良しって感じではないリアルな関係が出せていて、近年の美少女アニメだと珍しい趣向だと思う。それでいて、主人公静留の友達ごと地元という「現実」に相手を引きずり込もうとする嫌な感じ、主人公にこういう嫌味があるのはすごい。宇宙への夢を語る葉香に、地元から外に出ることを考えたこともないし現実的でもないと思い、外を考えたくないし友達もそれに繋ぎ止めようとする息苦しさ。「あんまり大きいこと言うと恥ずかしいっていうか」「ある程度現実と折り合い付けていくもんじゃん、ムリムリ!」と静留が言い放ち、この後に別れ別れになってしまうわけで、静留の地元意識から葉香の夢を否定した、その仲直りのための地元を出る旅なわけだ。地元に留まりたい子と外へ出たい子の諍い、結局はそれだけの話なんだけどそれが世界的規模の混乱を巻き起こしながら、地元にいたい子が意を決して外に出て旅をしてその経験を「全部、吾野にいたら知らなかったこと」と肯定して、「葉香のこと応援するから」という葉香が一番聞きたかった言葉をもらえる。そして最後、天文用語のロマンチックな使い方、こういうのに弱い。電車をアポジー号と名付けたのは「地球と月が一番離れたところがアポジーで、後は近づくだけだから」、これは素晴らしい締めだった。吾野からの距離でもあり、静留と葉香の距離でもある。鉄道とはつまり進路の比喩でもあるわけで。児童文学の深夜アニメ的翻案の風合いがあって、そこが良かった。FPSゲーム的なアニメーションや怒濤の会話劇、生っぽさのある友人関係、そしてED曲が非常に良い。

ガールズバンドクライ

ラブライブサンシャインの監督酒井和男と構成花田十輝東映が作るガールズバンドCGアニメ。故郷に居場所がなく川崎に出て来て部屋から閉め出されたことで、明日旭川に帰るという桃香と出会えた二人の一日だけの夜、負けたくないと雨ごと吹き飛ばすライブで開幕する一話が鮮やかだった。桃香の歌を愛する仁菜がその意地を貫き通す話。映像の手の掛かり方も含めて非常に出来が良いアニメではあると思う。良いとは思うんだけど、気になる箇所が非常に多い作品でもあって、ここではそれを中心に書いておく。たとえば終盤でヒナと仁菜の対立になってる点。路線変更を求められて桃香がダイダスから脱退したという経緯のはずなのに、その原因の権力者・大人の存在がオミットされた結果の偽の対立を見せられてる感じがする。仁菜とヒナといういじめの対処をめぐってもダイダスの路線変更も大人の言うことに対してどう対処するかということへの二つの分岐だけど、そのなかでそこだけで争っているのはなんで?と。何らかの問題が横の人間関係ばかりに落とし込まれてしまうので話が進むほどに世界が狭くなっている。熊本から川崎に来たのにバンドメンバーと親と友人という驚くほど狭い範囲の話ばかりしている。この権力者が出てこない問題が一点。あと、南アジア系のキャラ・ルパがロックをやる一因として日常的に人種差別を受けているというむしろ差別に批判的な描写を「ポリコレ棒」で問題になるから国外配信がないなどと言ってしまうようなオタクの海外マウントネタにされてるのが非常にいらだたしかった。人種差別にしてもコリアンルーツとかではないし女性差別を描かないし、「普通の」オタクに反感を持たれないような甘い作りなのにその自覚もなく「ポリコレ棒」を揶揄する道具にできるオタクに支持されてるのは今作が別にロックじゃないからでしょっていう。つまりルパは差別担当大臣の役どころで、他のキャラが差別問題に関わらないことの引き換えになってるんじゃないか。そして差別という社会の話をロックの動機という心情に置き換え、仁菜のいじめ関連もヒナとの軋轢という人間関係に落とし込む。美少女バンドアニメとしてそこに触れないなら触れないで良いんだけど、じゃあ外国ルーツのキャラに人種差別描写をアリバイみたいに入れるのは何ってなる。今作をあえてロックじゃない、と言いたくなるのはこのルパの扱いがあるからで、ルパを使って差別や社会とロックの関係を分かってますよとチラ見せしながらあえて蓋をしている感じがする。そう思っていたら放送後の脚本家のインタビューで、最終的に敵や悪みたいな存在は一人もいないという発言があって、そこだよなってなった。敵味方思考の子供が大人はみんなそれぞれに社会と折り合いを付けていることに気づいていく「成長」の物語、ってそりゃ社会に馴致されすぎてないか。終盤のフェスのライブを父親も見てて智の母も来ていてみたいな悪人や無理解な存在のなさ、というのは逆に気になってしまう。そこで仁菜にとって大人になる、社会に適応しきらない最後の一線として桃香の歌があり、それ故に事務所を辞めるというラストの意味が際立つ訳だしそこは良いんだけれども。「悪いプロデューサー」がいて、という単純な話にしたくないというのも分かる、しかしこのどうにも内輪な雰囲気を崩すにはなんらかの形で「悪人」が必要だったんじゃないか。外国人差別してくる客というのは辛うじてそういう悪だった。反抗ではなく納得、という本作の姿勢については同脚本家によるユーフォ三期でも実は気になった点でもある。ライブシーンもすごいんだけど、バンドのライブなのに印象的なフレーズを弾いてる時でもその奏者をほとんど映してくれないのが不満で、作画コストの問題かなと思ったらダイダスのライブだとそうでもないなと思ってたらダイダスは別人のコンテだった。監督、演奏に興味なさそうと思ってたらインタビューとか読むと楽器を持ってないバンドとかアイドルものをやりたいとか言ってたみたいで、本当にバンドに興味なさそうで、だからかなと。

夜のクラゲは泳げない

エロマンガ先生の監督竹下良平、友崎くんの原作者屋久ユウキ脚本、動画工房制作というオリジナルアニメ。活動休止したイラストレーター、元アイドル、不登校Vtuber、ドルオタ作曲家という創作活動を志しつつも色々な事情を抱えた少女たちが匿名音楽グループを結成し、何者かになろうとするネット時代のクリエイターを描くアニメ。川崎バンドアニメがあれば渋谷で歌うアニメもある、一話の展開がそっくりで制作陣はビビっただろう。黒髪ロング姫カットが二話で出てくるのもガルクラと被ってるのがすごい。それはそれとして脚本家でだいぶ不安を感じていて、実際友崎くんにあったモブのペラさみたいなものは今作でもネットのそれとして同じ弊害が出ているとも思うんだけれど、好きなものを貫くクリエイターの話として単話でいい話も多いし結構ちゃんと面白く、スマホ内部からの視点という珍しいカットや毎回のアニメーション演出なんかも面白いものが多くて、思った以上に良かった。アイドルとファンの相互関係を描いた二話とか、個性は時にヘタさの別名でもあるし無条件で肯定されることは向上心の否定にも捉えられるからきちんと技術を学びたいという創作者の心理を描いた五話とか。七話の「どこに向かうの?」「どこでも良くない?」「免許取った理由、まひるを乗せるためだったのかも」と、バイクの免許に進路や目標を重ねながら二人の関係に帰結していて良かった。最終回も、歌う理由が何もない空っぽだった花音がまひると出会って、歌う理由ができて、それだからこそそんな昔の自分みたいなまだクラゲのように流される空っぽだという人を応援したいという話にもなっていく。最後、スマホ動画を長尺で使ってこの時がずっと続けばとEDに繋げるのは良いし、EDを流しながら始まりの場所を今の自分たちで塗り替え、それとともにOPの映像も表情がみんな変わって塗り替えられた今で終わる演出が良かった。

こっから三期やクール後半のものなど五本まとめて。

響け!ユーフォニアム3

二期は八年前、一期は九年前だった。久美子部長と麗奈と秀一の新体制吹部始動の第三学年を描く第三期。「滝先生の元で全国金を取って終わりたい」と麗奈が言う目標、終結へ向けて新入生とともに動き出すなか、三年の凄腕転校生黒江真由の存在が部内に不和を広げていく。求とみどりと亡き姉とのエピソードの四話なんかも印象的だけれど、三期は部内の問題やこの真由という不穏な存在に対して部長久美子がさまざまな采配を下して調整をしていくマネジメントを描いている印象。大会を勝ち抜いていくなかで毎回オーディションをしてベストメンバーを選出していくという実力主義の厳しいハードルを自らに課し、誰が選ばれるのかの緊張感で毎回スリリングなドラマを作っていくのは見事だけれどやはり最後に久美子がソリを落としてしまうという原作改変による展開が衝撃を与えていたのが印象に残る。12話、最後に久美子が当然ソリを吹くだろうという予定調和を裏切って、原作とも展開を変えたらしく、それぞれの信念に従ってあるべき結果にたどり着き、しかし、そこにどうしても感情のやりきれなさが残りもする、そんなドラマになってて、いや、うん、凄かったなと。三人とも辛い、というより三人それぞれにとって何が一番なのかを明らかにした、ということだろう。真由だと分かって選んだ麗奈、演奏している時が本当の真由、そして久美子はおそらく教員志望を決めた時から真由のわだかまりをほどいて実力を引き出す教師のような行動を選んだ。真由の進路を引き出した音大を選ぶプレイヤーとしての自分を一番に考える二人と、教師、マネージャー、あるいは部のパフォーマンスを最大に引き出す部長としての行動を一番に選んだ久美子の行く方向が分かれた。音大に行かないからじゃないな。自分にとっての第一の原理が何か、か。久美子がソリを吹くところを見たかった、という奏たちの気持ちを原作勢もまた味わうというなかなか鬼のような、しかし原作の別の可能性を引き出した回だったんだろう。原作一巻しか読んでないから詳しくは分からないけど。大変なことがありつつも十年にわたる長期シリーズの完結を見届けることができてともかくも良かった。非常に面白いだけではなく、原作の大きな改変で騒然となったのも記憶に残るだろう。賛否はともかくまさに原作とは別物、別の可能性を作り出した。しかしこの改変、滝が決めずに部員たち自身に自己責任の形で選ばせて感情のドラマを作るのは高校野球に燃え尽きる球児に感動するみたいな、涙を搾り取る作為の感じはある。この改変が、ガルクラが上位者への抵抗とかがなくて横の人間関係だけでまわってることとすごく合致してしまっているとも思う。

魔王学院の不適合者Ⅱ ~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~

テーマ性はしっかりあるものの実装肉付けがだいたい何かがどうかしている魔王の物語二期後半クール、「2ndクール《選定審判編》」。純血主義者で差別者の最低のクズだったエミリアが自分で自分の歪みに気づいていく過程を描いてるのが一期以来の軸になってて、16話、一期序盤以来のエミリアエピソードの帰結、単独でも良い回だった。クズの学生たちと半端ものとなって逃げてきた教師がアスクという思いを一つにして戦うための魔法をめぐってその心を一つにする。魔法がファンタジックな意味での魔法してて良い。勇者学院の生徒たちが本物じゃなきゃ意味がない、どうして勇者に生まれなかったんだというのは以前のエミリアの純血の傲慢さと裏表で、逃げてきた先で出会ったクズみたいな学生たちを「彼らは私だった」、「本物になんかなれなくても良いんです。それが私の唯一、教えられること!」というのが良い。19話、いや、すごいですね。四人中男子三人のラブラブバトル、ずっとピンク色のハートのエフェクトが舞ってて「これが、さらけ出した愛の形だ」だもんな。ギャグみたいな話を真面目な顔してまっすぐやってて笑うしかないけどちゃんと真面目な話してる。愛の話が根幹にある。21話、魔王賛美歌第六番『隣人』、アイドルソングっぽい曲調に「汝の隣人を愛せよ」とかのフレーズを入れつつ「禁断の門」「不浄の」とかでどう聴いても猥歌で、魔王賛美歌らしくキリスト教的イメージを転覆するサタニストの歌になってる、とは言えるけど何もかもアレで笑う。二期後半は偽妹を実妹にするまでの話だった。「過ちを犯さぬ者などおらぬ」はエミリアの改心エピソードにも掛かってきていて、生徒たちもそう、二期後半はそれをめぐる物語という観がある。二期は前半がかなり良かったけど後半はそれからはちょっと落ちるかな。でもまあ良し。

この素晴らしい世界に祝福を!3

金﨑貴臣が総監督になり、めぐみんスピンオフの安部祐二郎監督、ドライブ制作になっての三期。本篇も良いけどOPでそんな動かすの?って笑ってしまった。このアニメの魅力を凝縮したOP。二期は一年後にやったのに三期は二期の七年後になったのもユーフォとちょっと似てる。飲んだくれアクア、爆裂魔法バカめぐみん、変態令嬢ダクネス、入れ替わりアイテムで風呂を覗こうとするクズのカズマ、みんないつも通りでバカをやりつつ、それでも決める時は決めるって感じで八話のヒドラ討伐戦も良かった。ヒドラ討伐の一連の場面、ここぞのクライマックスの盛り上がりはギャグもマジも怒濤の如くで、捕縛プロセス描写でテンションをあげていって、バインドやフックを一発で成功させる技術力の高さで驚くし、アクアも含めたアクセルの街の冒険者総力のバックアップでダクネス、カズマが重要な役回りを果たしてトドメをめぐみんが刺す活躍ぶりで爽快に締める。演出面ではOPの入りが面白くて、四話のOPイン、「しゅみませーん」というダクネスのセリフがOPにかぶってたのすごい。そんなOPインあるんだ。かなり面白いと思ったんだけどこれが本当に前例ないものなのかちょっとわからない。冰剣みたいなフェードインじゃなくて、明らかにOP始まってる時にセリフがかぶってる、という異質さがあった。まだこんなアイデアがあるんだ、という面白さを感じた。そもそもこのすばが次回予告などでセリフぶつ切り演出を多用するアニメだった流れがあると思う。だからこそぶつ切られないかぶせ方に更なる驚きがあった。オーバーラップ演出じゃなくて、くっきりOPが始まってるのにかぶるという。テレビのリアタイだと提供画面に音声を被せるということもしていたみたいで、これは関係各所に話を通すという段取りを踏んで実現したものだったとのこと。OPの最初のフレーズが「イエス」なのでアバン終わりのセリフをかなり意識してOPへ繋いでいたという話もラジオで言っていた。まあなんにしろ楽しいアニメだった。絶叫のOP被せとかの細かい技やドタバタの楽しさもいつも通りだけど、今期はダクネス篇ということもあり茅野愛依の弾け方が凄くて叫ぶ度に笑っていた。茅野さんのこんな汚え声が聴けるのはこのアニメだけ! たぶん。

無職転生Ⅱ ~異世界行ったら本気だす~

二クール目後半で監督が最強陰陽師の渋谷亮介に変わった。性犯罪者が被害者を手下にしてるアニメ。シルフィとの結婚から妹たちとの向き合い方に前世の自分を思い出してのドラマ、ロキシーとの再会と父を喪い自分が家の中心となり、新しい妻を迎えてという転生家族ドラマファンタジーも二期後半を終えた。15話、転生ではなく転移者ナナホシの現世帰還の努力。魔法陣の多層化とは複数の人間の助力を得ることそのものの象徴で、帰るためには独力ではなく他人の力を必要とするけれども、帰ると言うことはそこで生んだ縁を捨てなければならないことでもある。研究が進むほど帰りづらくなる帰還魔法のジレンマ。22話、自身が親になろうという時に両親を失うという過酷すぎる結果になって惨い。「死んでも母さんを助けろ」と言った方が息子を助けるために命を落とし、助かったゼニスもまた人格が失われている。一つ得るのに二つ失うかのような厳しさ。ここぞと力の入ったアクションはすごい。棒立ちの許されない緊迫感を維持しながらパーティでの役割分担してのヒドラ攻略も圧巻だった。二期が終わり三期に続く。前世の記憶があって自分は大人のつもりで居たルーデウスが自分は子供だと、パウロ・グレイラットの息子だと自覚して、そうして子供も持って少しずつ大人になっていく、父の後を嗣ぐことを決意する終わりは副題も回収して綺麗に幕を下ろしている。「一緒にルディを支えていこう?」、監禁事件にも協力したシルフィだと思うと大変説得力のある言葉だ。重婚はどうでも良いけど、無職転生がシリアスな話をちゃんとやってちゃんと面白くしている時、私はいつも獣族令嬢監禁事件は何だったんだ?って思ってるよ。父親を亡くして前世のことを悔い、今世で真面目に生きようとしている青年も、性犯罪しちゃうことがあるんだねって思ってるよ。なんならそれに第一夫人が加担してたし。

ゆるキャン△ SEASON3

制作をエイトビットに移し監督をレガリアの登坂晋に変えての第三期。冒頭実写番組が始まったのかと思った。このレベルで実写ぽい背景のアニメあったかってくらい。魚眼背景や吊り橋の広角でのアニメーション、前までだとなかっただろう演出で、以前のアニメでは全カットされていたそういうパースのついた光景を今回のアニメでは結構頑張って拾おうとしているのが窺える。ゆったり観光アニメって雰囲気だから背景の高精細化は必要なことだった感じだ。五話かけてのダムシチューオムハンバーグライス、出発前から仕込んで旅の途中の経験も織り込んでの三期前半の到達点たる料理ですごいし、キャンプでよくそこまで手の込んだ料理を、と思わせるものがある。日暮れ前に合流して、料理のあいだにどんどん夜になっていって、かなり暗いなかでの食事と、疲れて寝てからの朝。綾乃の寝起きでまだ声が立ってない感じを出してるの面白い。夢の吊り橋、塩郷の吊り橋、蓬莱橋。橋観光もここまでやるとすごいな。原作で夢の吊り橋のところを読んだ時はすごいと思ってアニメでできるのかと思ってたらさすがに無理だった。原作は橋を渡る時にズームアップしていく主観視点での動的な映像が意図されてたと思うんだけど、アニメだとまず大きく引きで映しているのでかなり対照的。やはり広角主観視点をアニメでやるのは難しいのか。11話、ロードバイクで行った先で故障して車で帰ってくるのが象徴的だけど、まだ車の免許はない子たちが車で大人の助けを借りながら移動したり、自力でたどりついた場所が昔車で来たところだったりと移動手段と成長を絡めてるのが良い。バイクで通っていく道を描く無言の間の与えるゆったり感が悪くないんだよな。観光アニメになりつつあって日記漫画に近づいてる気がしないでもないんだけど、この独自行動や移動手段の複数視点があることで漫画を成立させているなと思う。視界と行動範囲の広がり、が重要というか。あおいが自転車に乗り始めたり千明がソロキャンやったり、メンツの関係を組み換えたりの試みはあるけど、話に緊張感がなくなってきているとは思う。その分背景の写実性を上げて、原作の広角レイアウトを再現し、風景描写に力を入れて映像としての精度を上げてきた。

忘却バッテリー

有名なバッテリーを組んでいたキャッチャー要圭が記憶喪失になって野球部のない学校に入っての、そこで野球に挫折していたメンバーを集めて再度野球を始めようとする再起の野球漫画原作アニメ。こんな宮野真守が演じるために作られたみたいなキャラに宮野真守当てて良いのかよ。なんかすごいバランスでできてるアニメって感じがある。AVネタでずっとくだらないことやりつつ投球の強さでマッシュルみたいなギャグを入れてて、これ本当に真面目に野球やるの?と思わせるところすらある。記憶喪失が後半急に催眠術で戻っての展開もギャグとシリアスが同居しててすごい。10話の電池がいつ切れるか分からない知将モードでギャグのキレが増してるというか、記憶喪失のオンオフでギャグにするタイプの話なんだこれ。「パイゲ?何言ってんだお前「君だわ」、この食い方笑った。11話は息つく間もない圧巻の回だった。作画がすごい、どころではなく、コンテワークがすごいというか画面の繋ぎが気持ち良すぎる。編集が上手すぎる映像を見ているみたいだ。アニメの文法とは違う映像って気がする。コンテ演出作監原画3DCGレイアウトなどにも徳丸昌大の名前が。人物の作画自体もすごいんだけど、それを縁取る映像演出のセンスが図抜けていて、カットの切り替え方、画面を上下左右に動かして画面の中のものの動きと繋げる手法がガンガン使われてて、この、繋ぐということへの意識が千早のフォアボールを選んで要圭に繋ぐことに重ねられてるかのようだ。序盤、どういうアニメなんだと困惑してたところはあるけど、それぞれの挫折からの再スタートを描くあたりからグッと見応えが出て来たし、後半はどんどん面白くなっていった。そしてこの再スタートは要圭自身のイップスの漫画的誇張ともいえる記憶喪失のことでもある。二期が決まっている。

怪異と乙女と神隠

望月智充監督。30間近の小説家の女性が戦時中から生きている化野兄妹と出会い、さまざまな怪異事件と関わることになるオカルトアニメ。菫子こそバストサイズ100とか出てくるすごさだけど、キャラ配置でいえば化野乙の存在とか菫子が小さくなったりだとか、菫子のバカでかいバストサイズに引き気味の人こそ見た方が良いアニメなのはわりとトラップだなと思う。小さくなれる能力を持った菫子が28歳で女子高の制服を着て高校に潜入する話とか、最初からわりと業の深さが感じられる。乙に色んな体験をさせてそのころころ変わる表情を眺める良いアニメだ。五話、女子校で下着の話してるし銭湯で下着を見る話しててこれ何のアニメですか?ってなってる。番台に命を賭けてるマリ、銭湯の家の子への風評被害にならない? 大丈夫? 乙、ほんとちょろいというか食に本気すぎる。八話、言いたいことを言えない子供に本を読ませて文章を書かせて、言語化の作業を教える本屋の話。本を貸して新しい本を書かせて蔵書に加える書籍姫の店、本との出会いをめぐる良いエピソードだった。九話、渾身のダンス作画を乙が料理に夢中で聴いてないネタで費やしてるの笑う。なんで急にエロの化身みたいな縦セーター女性家庭教師が出てくるんだよ、怪異こいつだろ。最後に猫娘が出て来て急にまたじっくりダンス作画してるの何なんだ、しかもダンスコンテ監督だ。奇怪で良い。12話終、素晴らしいラストシーンで笑ってしまった。君がいないと何かが書ける気がしない、「君が必要なんだ」からの「一緒に風呂には入らないけどな」「えええ!?」EDドーン。すごい。小説読まないことと風呂、わざと未練を残してやることの応酬が成立して残存エンド。菫子の体型は何ごとかと思ったけど、化野乙という強すぎる萌えキャラを擁しつつネットロア、怪談を様々に組み合わせた物語を仕掛けていて面白かった。きさらぎ駅アニメと言えば裏世界ピクニックもだけど、だいぶ違うアプローチ。原作通りやれない場合のアニメのこの時点から行けるエンディングをやったのも面白かった。

ワンルーム、日当たり普通、天使つき。

ベルゼブブ嬢のお気に召すまま、の原作者の人が今度はちょいエロ天使との同居ラブコメで吸血鬼や雪女なんかも出てくる漫画が原作。最初はファンタジー漫画描いてて絵も綺麗なのに段々エロが抑えられなくなる原作者なんだよな。遠野ひかるが故郷から出てくる、ましゅまいれっしゅだ。ありがとう遠野ひかる、みたいなアニメ。風呂でバッタリ出くわした後にせまいベッドで一緒に寝るのはえげつない。後から布団は別にしたけど、この天使の少女とワンルームで暮らす男子高校生が聖人過ぎる。三話の森太郎の「クマさんおる」の演技面白くて何回か繰り返して聴いてしまう。その直前が平常心を装う棒読みだった流れがツッコミや笑いと衝突して文字面はツッコミだけど混乱した声色になっている、という解釈なんだろうか。普通の人間で普通の恋愛感情を持っているつむぎがそこらの感覚がおかしい天使と雪女にツッコミ入れつつ恋心にダメージを喰らう大事なリアクション要員で大事なキャラだ。雪女河童吸血鬼ともっぱら妖怪、あやかし系のキャラ配置で、むしろこのなかだと天使が浮いてるくらいなんだけど独特の編成だよなと思う。天使と来たら悪魔とかそっち系で新キャラ入れるもんじゃない? 本当に吸血鬼で中二病のキャラ、始末に負えなくて笑う。「男の子の妄想だから」を前提にしつつ「フィクションイベント」に憧れるキャラがいてその妄想をちょっと実践する、ベタをめぐる現代ラブコメの二段構えのテクニックがありますね。10話は森太郎をほぼ出さずに友達との関係を描くことで友達では物足りない関係を浮き彫りにするのはうまい展開だった。良いラブコメアニメだった。ベタなハーレムラブコメの文法を生かしつつ、天使雪女吸血鬼河童ヒロインが集う異種共存アニメだった。ハーレムぽいけど一緒に住んでるし正ヒロインが確定してるんだよな。

リンカイ!

ミクシイによる女子競輪を題材にしたキャラクタープロジェクトを母体にするアニメ作品。作画はだいぶ見劣りするんだけれど、女子競輪の競技の現実、過酷さも描いていて中盤からは特にかなりの見応えがあった。六話は特に良かった。同期の熊本はハードトレーニングに焦って失敗して退所し、同室の平塚は早期卒業してしまうという主人公泉に関わる二人の明暗が分かれる展開を描きながら、平塚の初レース、初勝利まで。ルールだし勝負に二度はないというのを競輪はギャンブルだという重みで説得力を出してくる。八話、「アイドル崩れ」弥彦巫子を通じて競輪で走ることの意味を描いててなかなか良い。「ここで走るっていうのは賭けてくれた人の期待に応えるってことなんだよ。たとえ一着になれなくても、三着までに入れば多少はその応援に報いることができる」、二位狙いのマーク屋と呼ばれた松山の戦略。ウマ娘は競馬アニメではないから触れなかった話を正面から扱ってるのが面白い。九話、那古屋沙智回。企業家の父から戦略目標を要求されることでふわっとしていた気分がはっきりさせられるのとともに、「競輪は車券を買い、お前にお金を預けてくれる人の夢を叶えるものだ。プロとして勝たねばならん。自分の夢で終わってしまってはダメだ」と、プロとしてどうあるべきかが示される。10話サブタイの「代謝」、成績が振るわない選手を強制的に引退させる制度、そんなえげつないものがあるのか。代謝ってネーミングが怖い。競輪というプロの世界で生きていくことの厳しさを脱落者と勝者の残酷な対比で描く回。こうした見応えのある回が中後半続いていて、まあちょっと画面は見劣りするけれど、なんだかんだ良かった。

HIGHSPEED Étoile(ハイスピード エトワール)

近未来SFカーレースCGアニメ。Studio A-CAT制作のオリジナル作品。一話だと主人公が出てくるのが一番最後の第ゼロ話って感じで、まだなんとも言えないけど誰が誰かも分からない状態でレースがあっても盛り上がりようがない苦しさがある。二話でもゲーマー出身だからってイエローフラッグの意味知らないとかある?とか序盤二話はかなり意図された不親切なアニメになってて、レース仲間を描いた三話四話は二話までで顔を描かなかったのをフリにしたように主人公リンがレース王者の顔を知らないで出会うというコメディをやっててそれは良かったんだけども。そして五話になって急にレースシーンのコンテ演出のレベルが爆上がりして驚愕させられる。コンテ麻宮騎亜。スピード感ある映像で手に汗握る見せ方が出来てるし、順位表で顔を見せて競り合いがある程度誰と誰ってのがわかるし、もちろんキャラ紹介回を経たからでもあるけど王者二人はずっと前で固定なので、この見せ方が序盤で出来ないわけではないはず。一話の見せ方は意図的なんだと思うけど、なぜ。10話、スタジオA-CAT特有の10話AI回じゃねえか。AI観が古いんじゃないかとかこれまでレースゲームやっててあの知識だったのマジ?っていうところはあるけど、AIにはできないし人間だけでもできない車と人の一体でしかなせないレースを、というコンビの必然性を描いていて良い。最終話、落雷でのシステムダウンでAIのamiなしでもきっちりと走ることと、ピットチームの働きでも一歩リードしたブゼンが勝つの、トラブルに対応する臨機応変が人の武器でもあることと人同士のチームの戦いでも勝ったのがブゼンだったという筋道の付け方がなるほどだ。序盤の微妙さを五話で引き込んで、それ以降は結構面白くなったしリンのレース無知ぶりがレースゲームやっててそれ?ってのはあったけど、なかなか良いと思う。スタジオA-CATの10話で装甲娘戦機のネイトを思い出したりした。

アイドルマスターシャイニーカラーズ

ポリゴン・ピクチュアズ制作によるCGアニメ。死ぬほどネットで見覚えのある人たちだけどどんな性格かはよく知らなかった。今年で2シーズンを放送したけど、一期と二期で結構味が違う。一期はまず二話のアンティーカ回が良かった。恋鐘のキャラが一番意外だった。こんなグイグイ引っ張って行く武闘派なんだ。それとMV監督の描写が面白くて、挨拶で無言かと思えばその場でコンテ書き換えをやり、何より椅子から降りる時に足が届かなくて床を探ってるのがかなり良い。親しめそうな予感を出してる。しかも声がCUEの音監の松山鷹志だし。「輝きは既に、フィルムの中にある」、渋い声で急にこんなこと言われたら笑うよ。また六話、自撮りしながら後退するとかあまり見ないアングルで、冒頭からスマホ撮影映像が面白いなと思ったら密着ドキュメンタリー撮影ということで、はづきが見切れたりテレビカメラからそれを撮るスマホを撮るスマホへ映像をリレーしたりカメラワークが面白い回だった。テレビカメラの安定した動きと、スマホの手ブレ映像を対比しつつ、パブリックな映像とプライベートな映像の違いがある。というのをWINGへの軌跡というVTRの体裁でまとめるのは良い。EDはその裏方でプロデューサーたちの様子。枠組みへの意識が面白いなと思ったらコンテが冰剣監督たかたまさひろだった。そこから終盤に掛けて話がひどく薄くなっていって、上質な白湯を頂いてるような気分で見終えることが多くなってくる。でもじっと最後まで見ていくと、この作品のCGモデルの歩き方がキャラごとに違うとか12話のライブでも恋鐘が弾けるように大きな動きしてたり、この人数でダンスが全員違うという作りが分かってきた。このアニメってCGモデルの異様に丁寧な芝居付けのオマケに申し訳程度の話が乗っかってるのかも知れない。引きの絵でダンスが全員違うのがわかるとこが今作の真髄って感じ。放クラの果穂が他メンバーよりキビキビ動いてるのがはっきり分かるところとか、16人が一堂に会したライブで全員にこのレベルの動きの個性を出してるのやっぱ怖いな。個別キャラのCGモデルの挙動の個性付けの面では相当労力掛かってそうですごいんだけど、アニメとしてはなんかこう、さらさらと流れる水のような感じで……。そう思ってたら二期二話、一期はどうしてたんだというくらいちゃんと面白い話になっててすごい。ストレイライト、個性がぶつかってて緊張感ある話ができてる。完璧主義のキャラ作り冬優子、自分のルールで動くあさひ、そして調整役の愛依、三人がユニットとしてまとまるまで。二期九話も愛依のクールキャラの処遇を通じてストレイライトのコアは「完璧なパフォーマンス」だから愛依のキャラ変くらいでは揺るがないと示す冬優子の頼れるところを描いてて良い。ノクチルもなかなかクセがあって、二期は一期より話自体は面白くなってきていた。

狼と香辛料 MERCHANT MEETS THE WISE WOLF

十数年?ぶりの原作第一巻からのアニメ化リスタート。旧作アニメは二期とも見て、原作もエピローグまでの全巻読んだ、のも10年以上前だ。狼と羊皮紙という続篇の漫画もちょろっと読んでたから冒頭の銀髪子も見覚えがある。高橋丈夫総監督は当時の監督。前作アニメは途中の四巻飛ばして五巻までやったらしい。一話を見て旧アニメ一話ちらっと見てたらヤレイがクロエという原作にいない女性になってた。ヤレイを捕まえた女性がちょっと目立ってたんだけど、あれクロエか。クロエがああいうキャラだから新アニメでああいう表情してたんだな。良い顔してると思ったんだ。概ね楽しく見たけれど、実はどういうロジックで解決してるのかいつもちょっと分からない。原作読んだ時こんなすっきりしない感じはなかった気がするけど、どうなんだろう。地の文がないと何が課題で何を解決してどんな含みがあるのかぼんやりしちゃうのかも知れない。まあホロのヒロイン力というのは強い。そしてロレンスもエヴァンも尻に敷かれるタイプで作者の趣味が窺われるところがある。原作の四巻までをアニメ化して、昔のは四巻を飛ばしてたから一期終盤の話は初のアニメ化か。

出来損ないと呼ばれた元英雄は、実家から追放されたので好き勝手に生きることにした

決して出来の良いアニメではないんだけど、なんというかなんだかんだこの落ち着かない作画に愛嬌があるというか魅力がある。六話は子安武人の演技の盛り上がりに対してキャラが棒立ちででもエフェクトすげえって感じの絵だった。主人公が水の中から浮上するあたりから絵が良い感じになったところが田中宏紀作画なんだろうか。このアンバランスなの、テレビアニメって感じ。七話、作り手の人には悪いかもだけど画面が面白すぎる。冒頭動きが色々おかしくて笑ってたら、ギルドの人が書類をバサーって放ったところがかなり良い。全員が主人公の四肢を引っ張って浮いてるのは笑った。開始三分でトップスピードの面白さだ。乗ってる馬車の質素さが凄い。良い牛車だ。と思ったらその後に「牛さん20頭目だね」はすごい。ちょっととぼけたカットを再利用して時間経過表現に使うなんて。ソファではねてる二人の絵も良い味がある。このアニメ、作画が良くないのはそうなんだけど、止め絵でごまかすとかじゃなくてラフな絵が結構動いてるっていうのが面白いんだと思う。自分もロックの精神性みたいなものは詳しくないしパンクとの区別もちょっと、なんだけど、いちばんロックなアニメというとこれなんじゃないかな、って思ったりする。京アニとか出来が良くてそれ故に意味の充満する密度の濃い絵がうるさい・疲れるってのは確かにあって、そこでこれなんですよね。作画が荒れてるかと思えば田中宏紀作画が来たり、限界まで省力してアニメの原初の姿を見るような気がしたり、色んな意味で面白さがある。EDもエフェクトだけでカッコよさげになってて面白い。このアニメを評価する文脈を作れないかなって時々考える。スタジオディーンとマーヴィージャックの協同制作。スタジオディーン、かなり侮れない。前半のボスが子安武人で後半のボスが息子さんの子安光樹というキャスティング。

短評

Unnamed Memory
子孫を残せない呪いに掛けられた王子が、願いを叶えてくれる魔女がいるという塔を上り、呪いを克服できる可能性がある魔女を妻にする願いが無理ならばと一年一緒に暮らすことを提案する。種崎敦美の魔女ティナーシャと中島ヨシキのオスカーを鉄壁カップルとするファンタジー恋愛ものアニメ。長寿の割に貫禄がなくて恋愛経験もない魔女にお家断絶の危機が迫った第一王子、覚悟が違いすぎるし人が良い魔女の勝てる未来が見えなさすぎる。九話、なんだこの話は……、みたいな気分になるな。良いんだけど自分の命を賭けたオスカー救出劇を果たすほど「特別」でキスをされても拒まないのに、恋愛的に好きだと言われて「そうなんですか!?」「わわわ私ってオスカーのこと好きだと思う人~?」は恋愛ポンコツ度が過ぎる! 最終話でこういう仕掛けのある話だとは思ってなかったけどちょうど一期と二期で二部構成の話ってわけか。OPの歌詞とかに時計の針がどうこうのニュアンスがある。なんかアニメの脚本がなめらかではないなとは思ったけど、ヒロインは強いしオスカーも悪くないアニメだった。

ヴァンパイア男子寮
「なかよし」創刊70周年記念作品。男子寮は「ドミトリー」と読ませる。身寄りをなくして男装してバイトをしていたら美男子過ぎて仕事を首になって転がり込んだ先が吸血鬼が住んでいる男子寮だったという男装恋愛もの。作中人物はみんな男同士と思ってるBL展開だけど、読者には少女漫画になってるの、BLの入門篇なんだろうか。設定から何から良い場面を出すために無理を通す豪腕の作劇が炸裂してるアニメで、男装バレ回避が一応主軸の話のはずなのに、「女物の店」に普通に入っていって普通にワンピースを試着するのがすごすぎる。女子らしさを消したりせず男装もののうまみだけを引き出す力。性別隠してる作品で普通に水着を着てるのもヤバすぎる! 普通に海に行って普通に全身水着とは言え水着姿になっても女装バレないのがすごすぎる。マジで。女装で展開に制限がかかるのを投げ打ちすぎだろ。そんな驚きが毎回のように襲ってくる豪腕の展開に驚かされながらも二人の男子のあいだでの駆け引きのなかで本当に性別が転換してしまうギミックが入ってくるのも驚き。いや、すごいんですよ本当に。

ささやくように恋を唄う
百合姫原作アニメ。原作はずっと読んでるけど話をだいぶ忘れていたのをアニメで復習できた。後輩に一目惚れされたと勘違いして相手を好きになってしまったギターヴォーカルの一人で歌うのが好き、から歌で惚れさせてやるへの変化。色恋が話の中心だし、このアニメずっと性欲の話しててロックだなって思う。モテたいからという一番?ベタな動機でバンドやるのが百合アニメという。好きな子を振り向かせたかった依とのんきに料理部にいただけのひまりのラブラブカップルが、ドロドロのバンドの人間関係に巻きこまれてるのわりとおもしろい。ただ六話、最初の曲が始まって屋上での逢瀬の歌がフェードして、本番の曲もずっとモノローグかぶせるのはちょっとあまりにもアニメを信用してない演出ではないか。歌をちゃんと聴かせるところだろ。延期した最終二話でクラウドハーツの名前が消え、監督名義も消えて横浜アニメーションラボ制作になってる。ドラマチックな物語を内包する脇役カップルの縁結びで最終回をこなして、その手伝いをした主役カップルが最後にちらっと出てきてキスをして完結、すごい構成だけどそれはそれとしてきっちり百合アニメとしての真価を見せた。好きな相手から離れようとする天邪鬼な志帆の心を溶かすには正面からのヘタでも真実の声を歌え、というストレートな愛の告白による歌で関係が進展する、恋愛感情一本槍でバンド活動をやってるんだよな。「ただの友達になんか戻る気ないから」、ここで四組のカップルがそれぞれ映されるの笑ってしまう。ローレライのその二人もカップルなのかよっていう。百合アニメだからみんな恋人同士かそれに準ずる関係なのド迫力で面白い。

となりの妖怪さん
妖怪の存在が社会的に認知されていて健康保険にも入れるという村が舞台の漫画原作アニメ。妖怪ものだと思って見てたら五話、妖怪を知らない平行次元の人間が現われるという平行次元SFに。ドッペルゲンガー現象を平行次元との入れ替わりと見なす、妖怪と共存する世界を平行次元と見なした設定だったとは。最後まで見ると、妖怪と共生する社会を描くほのぼの作品かと思いきや、SF設定によって人が他人との関係ゆえにこそ人となることや偏見が相手を作り替えてしまうというメカニズムを具現化して描いていて、そしてこのパラレルワールドもまたわれわれの世界と隣り合っていると描くのがすごい。「人はみな、生まれながらに一人だが、他のものとの繋がりをよすがとして生きている」と言うとおり、三人の子供たちがおぼろげなところからお互いの姿を明確化していくところが描かれ、心が「世界をも創る力」として壊れかけた世界を修復しているのは、世界を変える意志の力って感じ。境界線崩壊の原因になった別世界の災害、たぶん311だよな。こういう震災の描き方があるのかと驚かされた。こちらの世界の震災の影響が妖怪世界にも及んでいく。「隣にいたらいいんじゃない?」、「明日は来ないかも知れない、今日なんだ、今日しかないんだ」、「災害を風化させずに済む」。これらのセリフ、震災を踏まえてる感じ。妖怪が隣にいるのと同様、パラレルワールドも隣にいて、相互に影響を与え合っている。「この私」が一人では作れないように、「この世界」の輪郭が別の世界の存在によって形作られているというか。なかなか異色の作品。

ブルーアーカイブ The Animation
便利屋とゲーム部の漫画は読んでる。キャラにかなり見覚えあるけど名前や性格が分かってないシリーズその二。喧嘩のノリで銃器ぶっ放しても怪我もなくピンピンしてる治安の悪い不思議な世界観での青春群像もの。絵は見かけても声は知らないのでこのキャラこんな声なんだ~って感想が出る。アニメ見る前にツイッターなどで知ってる情報だけから思ったのは、徴兵制がある韓国人男性にとってこの美少女ミリタリー世界というのは奪われた青春の想像的な回復ではないか、ということだった。撃たれても死なない楽しいドンパチ、そして美少女という道具立て。それはどうでも良いとして、キャラだけは無限に流れてくるので見覚えがあるけどどういう話や舞台なのかが分からなかったのでそこら辺の基礎的な理解が得られたのが良かった。結構大きい作品だと思うのに、アニメとしてはあまりパッとしない感じだったのは不思議だ。三話の生徒会で提起される悪徳商法、バスジャック、銀行強盗の三択。最初に聞いたブルアカの評判これな気がする。ナチュラルに銀行強盗始めるゲームという。七話、アバンからちょっと凝った見せ方だなと思ったらOP明けの自転車の攻めたアングルでお、となってヒナたちの場面でこのアニメこんなに決まった絵のアニメだったかとなる。コミカルなパートでもキャラの表情を魅力的に描くぞって気概がかなり感じられる。この回は急に良くなって驚いた。ゲームシステムを意識した話があったみたいだけどそのまま工夫なくアニメにしてたみたいなところがあった。アル社長が大変良いキャラでしたね。OPEDの出来は良いんだけども。

声優ラジオのウラオモテ
ケンカップル百合ラノベ原作。原作三巻まで読んでるけど、やはりアイドル声優という虚構のキャラとか裏と表とかの図式自体にすごい釈然としないものがある。今まで作っていた清楚系キャラはウソで実態はギャルで、そのウソを償わなければならないみたいな流れがホントアレなんだよな。原作だともうちょっと面白みはあったと思うんだけど、話を進めるために百合いちゃつきパートが減って悪趣味なお話部分が目立ってるってこと、ない? ラジオがメインで話が進む割にはラジオの場面が少ないっていう構成になってる気がする。七話、原作読んでて一番どうなんだと思ってた贖罪ロード、すべてがむちゃくちゃでアニメ映えしてる気がするし色んな意味で好評だからこれはこれで良かったのかも知れない。普通に会話してるけど「今のは独り言だけど!」で突っ切るオタクレイドバトル凄すぎた。あと、柚日咲がオタクなのは良いんだけど、この声優ファンがラジオのキャラのファンで声と演技のファンじゃないかのようなのがめっちゃくちゃ気になるんだよな。原作三巻の締めのところ、渡辺と直接話すことが解決かのような流れは不思議だけどまあまとまりよくて良かった。

Lv2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ
OPが釘宮理恵の萌え萌えアニソンですごい。しかしたたきのめしたらすぐに主人公を御主人様と慕ってくるゼロかイチかしかないみたいなキャラで釘宮理恵はもったいないのではないかと思わないでもない。異種族共存において尊重することはお互いのあり方を認めることで無理に仲良くすることじゃない、という話。異種族差別ものでちゃんと普通の人バリロッサがメイン格で描かれてるのは良い。11話、異世界もので福引きで温泉旅行が当たる展開やっていいんだ。城之崎温泉じゃねえか! イモリ死なそうぜ。アニメ独自展開かと思ったら全員集合して因縁の対決のクライマックスになりそうだし原作通りらしいのが驚き。急に精神世界両性具有女神百合行為が始まりかけてビビった。ゴウルが戦いになっても人に危害を及ばさないようにしてたのを知ってバリロッサから歩み寄って、ヒト種族に視点が偏らないように主人公にもリースの存在が重要っていう歩み寄りの話になってたな。色んな人が一緒に入る場所としての温泉が最終話だった意味があった。主人公たちにイマイチ興味が持てない話だったけど四人組とEDは良かった。

神は遊戯に飢えている。
キミと僕の最後の戦場の原作者の細音啓は今年三作品がアニメ化され、これはその一つ。去年のライアー・ライアーのルールがよく分からないゲームを見てるより、ゲームのルールが何かを解き明かすように進んでいく方がキャラと視聴者の情報差がなくて話としては見やすいものになるというのはなるほど、となった。最後の初見殺し死に覚えゲーム、リンゴ出てくるしやっぱアイワナじゃないかこれ。水着回をやる理由をちゃんと作ってきててなんて知的な設計なんだ!って思った。アヌビス、久野美咲がちょっと変わった演技してて一瞬違う人かと疑った。姉の話とか全然回収してないけどともかく結構楽しく見れたな。ライアーよりはゲームの使い方が良かったと思う。この作者の別アニメ化作品、なぜ僕の世界を誰も覚えていないのか?もまあまあ楽しく見たけど、キミと僕の最後の戦場の二期は見てて明らかに制作が追いついておらず、放送中断になったまま今年は未了となってしまった。これら三作品のヒロインキャストとヒーローキャストでそれぞれ三人集まるラジオがやってたりした。

魔王の俺が奴隷エルフを嫁にしたんだが、どう愛でればいい?
そう思わせて実はそうじゃない、じゃなくて普通に奴隷ヒロインを買うところから始まるやつ最近結構多い気がしている。居場所がなくて拾われる少女と言えば市ノ瀬加那、ひげを剃る~の沙優ラインの配役感。男性け作品では奴隷を買うことが多くて、女性向け作品では孤児が貴族に拾われて溺愛されることが多いな、と思ってたんだけど、本作はちょうどその合体版という感じがある。ワンクールでキスもしてない進展の遅さだけど最後はやたら良い雰囲気で終わった。フォルの日記で始まり、ザガンの路地裏の記憶を呼び起こすレコードという記録と再生の道具が路地裏に贈られひとときのお祭り騒ぎを巻き起こす、追懐と祝福。シャスティルのポンコツぶり、死の危険があるレベルでバルバロスの運命的な苦労人生が決定されてしまった感じが笑う。ポコちゃん抱いて寝てるシャスティルとフォーク刺さりっぱで寝るバルバロス、誰もがもう一人きりではないエンド。まあ良かったのではないでしょうか。

バーテンダー 神のグラス
過去にもアニメ化していてそれは今川泰宏監督だった。存在は知ってるけど読んだことない漫画原作。青年誌の落ち着いた定番連載って感じがある。酒は薬にも毒にもなる、バーテンダーを医師と薬剤師になぞらえて処方箋の比喩でその人にマッチしたものを出す、というのをベースに大人の話をやっていて地味に良いアニメだったと思う。

転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます
10巻分くらいまで漫画は読んでた。めちゃくちゃ少年を色っぽく描く漫画原作アニメ。イラストだとロイドもそこまで少女っぽくはないからやっぱり漫画家のクセか。明治撃剣のつむぎ秋田アニメLab制作で、脚本コンテ演出アクションのほか、作画も全話ほぼ固定メンバーらしく、制作進行なしの内製という独自のスタイルはすごい。CG作画が特色の漫画だったからこっちでもアクションにCG活用してるのは見合ってる感じがある。

転生貴族、鑑定スキルで成り上がる
夫婦以上恋人未満の総監督とスタジオ。人の資質、ステータスというゲーム的なスキル感覚で国盗り合戦やっていくアニメ。分割二クールで三期も決まった。人材登用エピソードが結構ちゃんと良い話やってるけど、数字のせいもあってちょっとインスタントに見えてしまうきらいもある。シャーロット、三年でどうしたんだよ、体格も服装も。最後、新たな領地を任じられて凱旋帰還して年上のヒロインリシアと改めて盛大な結婚式をしてエンド、区切りよく終わった気がする。分割二期が当初想定だったのが人気出て三期決まったんだろうか。それはともかく、異世界国盗り戦記ものと見せて圧倒的なおねショタアニメだった。ミレーユに褒められる巨体のトーマスですらそうなんだからすごい。アルスも転生者ではあるけど見た目は少年だしロセルもそうだし、少年と年上の男女で関係が組まれてるんだよな。

怪獣8号
ジャンプラ連載のなんか良く名前を聞くやつ、知名度に相応のリッチな画面してるね。IGか。主人公の名前がカフカかよ。怪獣デザインとかスタジオカラーなのか。なんでこんなリッチな作りなんだ、っていうOP。怪獣になれる人間と人間になれる怪獣で色々やっていく話で映像がリッチなだけはある。強大な力をいかに押さえ込めるか、憲法九条アニメだね。怪獣・核というラインはあるとは思うけど。まあこれも二期ありか。

じいさんばあさん若返る
パワフル添い遂げアニメーション。若返る、回春、ってコト? 若返って見た目が麗しくなると回りの反応が如実に変わるのがこう、まあそうかも知れないけど厳しい世界観だとも思う。老人社会では若さを搾取される。老人を題材にしてアニメ特有の若さ至上主義やらなくて良いだろうという気もしないでもない。ラジオを聞くと、東北出身の三上枝織が方言指導やってて、アフレコ前に方言セリフを方言で読み上げるものを収録してるらしくて、それはなかなか大変だなと思った。最後は平常ムードの前半から孫世代の恋愛を見守って「後は任せたぞ」ところっと死んでしまう後半、すごい温度差だ。若い姿でぽっくり逝ってしまうなかなかの絵面で終わった。若い姿は死寸前の老いた姿を覆い隠すもののようにも見える。若返って体力を取り戻して色んなことができて、死期も合わせられて、あれは添い遂げる直前の老夫婦の元に現われる祝福だったのか。最初はどうかと思ったけど中盤で設定を色々掘り下げていたところはなかなか面白く、しかし最終的にどうも若返りネタにそこまで良さを感じてないところがあった。砂時計の最大のメリットは寿命の融通で同時に死ねたことなのかも知れない。アニメを見た三上枝織の母親が私もじいさんばあさんみたいに添い遂げる!と言ってたらしくて、このパワフル添い遂げアニメもそうして人に届いているなら良いことだとは思える。

鬼滅の刃」柱稽古編
鬼を本拠に招くとかトップがもうダメとか、全体のどこら辺なのかと思ったらこの次無限城編でラストか。ラスダン前の特訓回。太陽を克服したネズコ、普通にいるし話すし、めちゃくちゃ新鮮な感じだ。刀に悪鬼滅殺の文字を刻む、鬼滅の刃のタイトル回収ここなんだ。七話、ED前の続きがCで始まるとは。五分くらいいつもより長尺の時間を無惨の余裕ウォークにたっぷり当ててるのかなり面白い。長くしてやるのがそれなのか。資本をジャブジャブ使う花火を見てる感じになるんだよなこのアニメ。金の掛かった間延び。遅れて始まった初回で一時間という仕打ちをしてきたうえに、数分長い七話がその時間を使って無惨がゆっくり歩いてるだけの場面を描いてきたり、わりとなめてんのかって尺の使い手になってて面白いよ。最後もそんな長尺スタッフロール流す感じでもないだろって思っちゃうな。最後は資本の花火ならぬマジで特大の花火が上がって笑ってしまった。自分ごと爆破したのかよと思ったら産屋敷の自爆攻撃なのか。「お館様になにしやがったあ!」、自爆だぞ。スローモーションで丁寧に、大作映画みたいに爆破されるお屋敷、まあ面白い映像になってる。火のなかで柱たち集結というのも日の光のみが無惨を倒せるというのを向こうに見ている絵なんだろうか。無限城を延々映すのもすごい映像だなあと思って見てた。作品より映像の自我が強くないか? 無惨ってマイケル・ジャクソンがモデルなのかなってずっと思ってるんだけどどうなんだろう。

時光代理人-LINK CLICK-Ⅱ
格闘アクションはすごいけど、二期全体でひとまとまりの長尺の話に面白みがあまりなく、子を残して親が死ぬ陰惨さをドラマチックに盛り上げるだけ盛り上げて、後は色々続きます、とやられても、なんと言えば良いのか分かんない。サスペンスの持続が自己目的化してないか。一期の百合回とかバスケ回とか昇竜拳とか修行の番外篇とかそこら辺の面白さとかラストバトルの面白さに及ぶところが二期になかった。

当て馬キャラのくせして、スパダリ王子に寵愛されています。
BL僧侶枠。女性向け作品の小説に転生?憑依?してBL、は見ないパターンだし作品の営業担当なのも珍しい。惚れ薬はただの興奮剤、まあそうかって感じだけど驚くほど話が入ってこないというか、いちゃついてるだけで話のフックがほとんどなかった気がする。婚約者とか元のゲームがどうとかもどっか行ってたし。めちゃくちゃ印象が薄い。

今期これで35作言及か。全体で週に50本は見ていたクール。ささやくように恋は唄うは制作会社が消えたみたいな話だったけど最終二話がなんとか年内に放送されて良かった。冰剣や聖者無双など偉大な作品を作っているんだよな、クラウドハーツ。魔法科高校の劣等生三期もいつも通りという感じで野党とマスコミが悪いという「保守」的世界観もまたやってんなと思ったけど、アニメーターが上手すぎてCGにしか見えない回があったのは印象に残っている。つまり我々が手描きっぽさだと思っているものはある程度のヘタさなのではないか。

夏クール(7-9月)

先輩はおとこのこ

女装して学校に通っている花岡まこと、彼を女子と思って告白してきた蒼井咲、まことの友人でまことのことが好きな大我竜二、という三人の好きなものをめぐるLINE漫画原作の青春アニメ。これは非常に面白かったですね。ノイタミナProject No.9も意外だけど原作に由来するデフォルメを多用してだいぶカジュアルな作風なのも意外だった。Project No.9のアニメで一番良いアニメかも知れない。序盤のクライマックスの三話がめちゃくちゃ良い。一話での咲とまことの出会いのシーンをまこと側から再演する階段から飛ぶカット。ウィッグを付けて自分の好きな姿で咲の前で本心を叫んで、咲がドレスは私が持っていると衣装交換して月夜に海辺で二人だけのダンスシーン。青春過ぎる。「ドレスは着れなかったけど、憧れのお姫様になれた気分」。階段から飛び降りるお姫様と「蒼井さんがそう言ってくれるなら、まわりにどう思われても大丈夫な気がする」と言われる咲はまことのスーツが袖余っちゃうくらい小さくてもまことのヒーローだ、という。「私のこと好きじゃないのに付き合うなんて言わないでください」「何が好きなのかは見てたらわかります」、でも自分を見る目はそうじゃないのに気づいて、「私は先輩の本当の好きになりたい」「だから先輩の特別を大事にしたい」、と靴を取り返しに海辺の道を走る咲、青春ダッシュ決めてる。学校が異性装を許容していて、理解のある友人もいて、でも母親だけが絶対にそれを許さない、そのことで「多様性」と言われる現代でまことの苦悩のリアリティを支えているのがうまいな。セクシャルマイノリティにとってしばしば最大のハードルは親だったりするわけで……。カムアウトしてない状態を指すクローゼットならぬ学校のロッカーに女装道具一式が入っているのは象徴的で、親の無理解のゆえに自室にクローゼットすら持てない。ダンスパーティから抜け出して、靴をどこかへやってしまい、その靴を持って迎えに来る王子様となぞらえてみるとこの話数かなりシンデレラモチーフになってるんじゃないかな。そして次なる展開では咲の内心が掘り下げられていき、かわいいものが好きのまこと、まことが好きなことを隠している竜二、二人のネガとして好きなものが何もない咲、の構図が見えてくる。六話、入部するかしないか、男か女か、告白するかしないか、進路を前にして色々な選択を迫られるなかで「どっちかじゃないとダメなんですか?」という二者択一をそのままには受け入れない咲のこの発想は男女どちらかではなく、その時々に応じてという可能性を開いていて、性別の二元性を相対化している。誰もがその人の個性を持っているが故に人と人との関係がズレたり壊れたりするけれど、ちゃんと近くで話してみればたどり着けるところもあるという描き方が良い。最後、原作が続いてるということで母親の問題はアニメでやんないと思っていたらここでまことの母との問題にけりをつけてテレビシリーズ完結となったのは意外でもあった、けれどその分ちゃんとこれで終わった感がある。母とまことで「恐ろしく趣味が合う」のは笑う。母親は父との関係を上手くやれずに距離を置いてしまったけれど、その経緯を知ったまことが、祖父が向き合わなかった母に正面から向き合うことで、思いを伝え、難しいと言われていた他人との関係を既に乗り越えていることを知って、母親の問題が解かれるのは良い。人の支えと関係があってこその解決。好きなものを好きなだけ好きと言おう展開かと思わせて、そこに特別に好きなものがない咲がど真ん中に配置されているのが「好き」の特権性を相対化していて良い。好きなものがないといけないのか問題。ここにバランス感覚がある。

負けヒロインが多すぎる!

失恋ヒロインをテーマにしたラノベ原作アニメ。退場したらCDデビューに代わる失恋したら入部。恋が終わって文学が始まる。原作の存在はわりと前から自分も知ってたくらい人気あった印象。で、このクオリティで映像化か。ありがとう遠野ひかるアニメだった。負けヒロイン、という言い方にアレなものがあるんだけど、惚れたが負けとも言うように、あるいは「恋愛頭脳戦」とかもあったけど誰かを好きになること自体にある種の敗北が埋め込まれているわけで、各ヒロインそれぞれの失恋を描きながらそこで起こる関係の変化や戦いに挑んだ者、敗者の尊厳をも描いていて面白い。「檸檬ちゃん走ってるなあと思って見てたら、私、振られたんだなあって」、この無関係なところにふいに関係が生起してくる唐突さを頭と体の不一致がようやく元に戻る瞬間として描くところはセンスを感じる良い場面だった。四話で原作一巻分なんだろうか。温水もまた告白してないのに振られてて、振られた者たちの共同体ができあがる、なるほどここがスタートラインでもあるし、それぞれに好きな相手がいるのが分かってるという牽制が効いた構図が完成する。しかし五話の八奈見さんの「浮気だよ!」のところは相当面白い。見返して笑ってたんだけど、ここ、あの演技に絵が負けてるなと思った。どうやってあの声に負けない絵を用意できるのかは知らないけど。遠野ひかるが四話のアフレコでリテイクのあいだに嗚咽を漏らすほど泣いたりして収録を止めてしまったとかかなり時間を掛けたというインタビューを見て、なるほど五話の「浮気だよ」の鬼気迫る演技はそれがあってのものか、と理解した。あり得たかも知れない可能性を「童話」として語る焼塩、文芸部にいる意味が感じられるけど主要キャラが文芸部のラブコメってそういや珍しくはあるのかな。メタ認識がテーマにもなってる。このアニメは陰影の描写が印象的で、特に七話の日陰、夜のなかに人物が溶け込むような描き方、色彩感覚が印象的で、夜に人と話すときはこんな感じの細かいところは分からないけど大まかな表情は分かる、そういう空気がある。姿が夜のなかに隠れられるから声で本当のことを言える、というような。10話はヒドイアバンからの美しい締めだった……。明るい文化祭の喧噪のなかをみんながそれぞれに頑張りながら、終わった後、夕陽に重ねるように終わり行く恋を見送りながら失恋で終わったとしてもすべてひっくるめて好きになって良かった、と語る小鞠の強さ。オリジナルの最終回はメタラブコメの上に偽装デートを重ねればマイナスにマイナスを掛けた結果はそれはただのデートだよ、となる。モブのつもりでいるかも知れないけれども二人の姿はまわりからは既に物語の主人公のようでもある、そのことに主人公こそが気づかない、そんな構図がある。それがラブコメの鈍感さというか。まあとにかくどこもかしこもハイレベルのアニメーションで贈る圧巻の作品だった。

女神のカフェテラス第2期

一期の竜巻旋風脚で爆笑して二期もまあアミが波動拳とか撃ってくれたら良いなぐらいに思っていたら下品さを大増量してお届けされた第二期、こいつはとんでもないですよ。ラブコメの皮を被ったギャグアニメというか、天才的なバカが作ってる話な気がしてくる。毎回新鮮な驚きを与えてくれる。読者の想像を絶対に品位で下回ってやるみたいな意志を感じる。OPの最初っからヒロイン全裸で回転しててこれ完全に花びら大回転ていう意味だろと思ったら本篇も最初からそんな感じの下ネタ展開なのでぴったりだった。序盤、喫茶店が舞台のラブコメだと思ってたら祖母に縁のある五人が偶然集まったという運命、2Pカラーの敵チームが現われる展開とか、アミが「ブラックセイント!」って言うとおり話の枠組みがバトルものなの笑っちゃうんだよな。特に19話、旅館のぼろさと三段オチを巧みに使ったコントの前半と、ずっとヒロインたちが隼のはみでたモノこと「野生の恵方巻」を凝視して大きさについて議論する後半、無法の頂点。ヒロインズがはみ出た陰部をまじまじと観察するネタ、本当にひどくて笑う。無法ギャグからの21話はこういう話もちゃんとやれることをさらっと見せるリホ回だった。クズ親でも許す甘さというより、演技のなかでは言い過ぎなくらい強く母を非難しながら、俳優志望だった母からの芝居の評価自体は喜ぶという、親の人間性と受け取ったものとの距離感の取り方がクレバーだ。22話も凄かった。白菊のキスが酔っ払いの奇行として処理されるのも笑うけど素面と聞いて裁判が始まるのもすごいし「裁判長は差別が大嫌いなの」、さっき男に人権はない、って言ったよなと思ったら平等に四人にもキスする権利を与える、ただし隼に人権はナシで一貫してて凄い。11人のキャラを裁判として上手く捌いてる。隼が被害者じゃねえのかよと思ったら「盗品」で笑う。アミの「異議あり!」、「陪席にそんな権利はありません」「傍聴人にもねえよ」「法の抜け穴か!」、流れるような席移動が面白い。そして裁判の結果で全員とキスする権利というのをマジでやるのすごいな。リホの隙とキスとスキの展開普通に上手いし、三人とのキスで意識してエロい夢を見てのハミチン展開を再演するの強すぎる。テクニックと豪腕。リホが主人公とキスしようとしてバレたらどうするんだと聞いたら知り合いの記者を呼んであるとかいう展開もう二度とない気がする。一期一話の頃の悪印象が嘘のようにひっくり返ってたいへん面白いアニメとして楽しんだ今作。特に二期はブラックセイントとかいう賑やかし集団が増えて多人数を捌くコメディの面白さも激増したし、ヒロインの家族の話に話を広げてドラマをちゃんとやりつつギャグで落とすバランスも良い。クレバーさとド級のバカさが同居している。

小市民シリーズ

原作読んだの十年以上は前だ。最終巻以外は読んでる。推理に引かれて謎を解いてしまう傲慢な小鳩くんと舐められたら仕返しをしないと済まない小佐内さんとで「小市民」を装い暮らしていこうとする高校生二人のミステリシリーズ小説原作。やたらリッチな映像でアニメ化されてる。最初の二冊、春と夏の巻をアニメ化して続篇も決まっている。小佐内さん、絵にするとまるで萌えキャラだ。小鳩シールドを展開しながら言葉で遠距離攻撃していくの笑う。このアニメ、普通なら処理を入れたりデフォルメキャラとか使うような仮定の行動やイメージのシーンでも画面のリアリティが変わらないのでそれが実際に起こったことではないというのがかなり分かりづらいのはある。川辺や橋など水辺の場面を映すことで、演出や探偵というヤクザな稼業からはそう簡単に足は洗えない、って話やってる。後半の話の真相が見えてくる九話、いやー、すごいですね、おそろしいですね。そんな小佐内さんだけど原作読者はみんなだいすき。ほんとうか? たぶんほんとう。「小佐内さんを誘拐したのは小佐内さん自身だった」「そうよ、やっとあたったね、小鳩くん」、深いため息で終わるの笑う。やっぱラスボスだった。過去の因縁のある相手が簡単には戻って来れないように拉致監禁をするよう促して、さらに身代金目的の誘拐という罪の上塗りを小佐内さん自身が行なってムショにぶち込むという完全犯罪。えげつなくてすごいぜ。パフェ食ってるだけで緊張感がみなぎる画面、なかなかだった。退屈そうだったり嬉しそうだったり小佐内さんの雄弁な表情も良い。最後なんかワゴンも爆発して変サラに続く岐阜アニメの治安の悪さを印象づけていったアニメだった。

ダンジョン中のひと

原作漫画はウェブで読んでる。魔法少女なんてもういいですから、の人。10年攻略していたダンジョンでボスに負けて雇用される側になってダンジョン運営の裏側を見ていくメタファンタジー。淡々と地味に面白い、みたいな作品なんだよな。攻略してたのも少女ならダンジョンマスターも少女で、じつはちゃんと百合作品でもあるんだけどそこまで行くのはもうちょっと先になる。漫画は目にもとまらぬ速さを二つのコマで表現してたけど、アニメでは結構動きを凝ってて面白い。地味な動きにセンスがあるアニメだ。物言わぬゴーレムも魅力的に描けてて良い。六話はクレイもベルも人間性を取り戻していくような流れで、百合系ルームシェアものみたいな話だった。戦場で食事なんて食事になっていればいい、からちゃんとした料理をしようの流れと服装を整えて仕事に行って帰ってきたらパートナーがお帰りと言ってくれる。七話のモンスター面接回、精霊術を使う魔物は自分を魔物とは思っておらず、魔力を扱うベルは魔物で魔物が住むからここは魔界で、さらには魔王と呼ばれるという捻りはなかなか面白い。魔物の自称は何か気になるけど。捻りは結構面白いけど、魔物にとって魔とは何か詰めて考えたと言うよりは既存の魔物、魔界のイメージを言葉だけひっくり返した感じはまあちょっとある。でもダンジョンの運営者という裏側をテーマにした作品で魔物視点で言葉をひっくり返すのはあるべきロジックだ。最終話は全体を見学という名のデートに包んでまとまりを出してきた。これ実は話形としては偽装結婚した王子や領主に溺愛されてます、みたいな話に近い気がする。二人して正座で夕陽を眺めてる絵面で良い雰囲気なのは面白い。百合めいた雰囲気で締め。原作三巻と区切りが同じだけどとっておきの場所、からはアニメオリジナルで、水晶の運搬も野外見学とは別の話だったのを見学の延長に組み込んでいる。かっ飛ばして父親との対決をやったり冒険的なことはしない、原作尊重しつつまとまりも作って終わらせる堅実な出来だ。原作はちょっとオウム返しツッコミが多用されてる気がしたけど声にするとそうでもなかったり、脚本で同じ単語を繰り返さないようにうまく整理してて良かった。地味ながらキレがあるアクションもアニメでの見所で、この淡々とした感じが楽しかった。

真夜中ぱんチ

今期PAワークスアニメその一はキャラデザことぶきつかさのオリジナルアニメ。生配信中の暴力行為で表の世界を追われた主人公が吸血鬼と出会って動画配信始めよう、という吸血鬼百合動画配信者アニメで、要素は突飛ながらもかなり堅実にできてて今期のPAワークスアニメでは抜群の出来だったと思う。見てきたなかでは動画配信を一番具体的にやってるアニメかも知れない。どうしようもない連中がどうしようもないなりに体張ったりしながらゴミのなかから宝物を探すように動画配信に希望を掛けて生きている。四話は非常に良い回だった。ヴァンパイアだから壇上・陽の当たるところには出られない運命と人間との寿命差という定番もやりつつ、過去からの動画が譜風を動かして今この時新しく歌えるようになったのを記録する今へと繋がる流れも良い。真夜中、陽が当たらなくても歌える、と。時間や環境など寿命差、種族差で超えられないものが二人を別れさせてしまったけれども、ある一瞬歌を介して一緒に過ごした経験が二人の距離を超えることもあるんだという描き方になっていて、吸血鬼と動画配信という本作の組み立てで何ができるかを示した回でもあった。最終話は暴れる真咲のようなクズでも日なたに出られないヴァンパイアでも配信でなら表舞台に立てる、そういう日陰者の叛乱をやってて良い。最後になって真咲が「みんなが」と他人を主語にしてばかりいたのは自分を出すことへの怖れなわけで、それが最終的に「出たいからに決まってんじゃん」と「もっと歓迎されたい」と認めて自分で自分を表舞台に立たせることができて、最後のハードルを越える。覚悟を決めてからの真咲の室内の移動作画は非常にキレがあって見応えあるもので感情のドラマに乗ってて良かった。「真咲、ありがとね。りぶたちに動画の世界を教えてくれて。真夜中だけのりぶたちを表に出してくれて」「それは、こちらこそだよ」、本作の核心がこのやりとりにすべて詰まってる。ヴァンパイアと嫌われ者の裏方が月の光が眩しい夜に空を行く、決まってるじゃん。ワンクールでテーマをバシッと決めた完成度の高いオリジナルアニメだった。真咲のまあまあにクズな性格がコメントの無責任さと拮抗しててあんまり雰囲気が悪くならないというか。配信でならヴァンパイアも表に立てる、これ障碍者がゲームでなら健常者にも渡り合えるというような事例の示す、デジタルデバイスが可能にするハンディキャップの克服の話にもなってると思う。でもEDのクレジットが可読性の著しく低いフォントでキレそう! 文字は模様じゃねえんだよ。

2.5次元の誘惑

コスプレをメインとしたオタクのラブコメ漫画原作アニメ。二クールの上になんと二期が決まった。エロに理解のあるヒロインなのも着せ替え人形~と似てる。けど二次元三次元どうのと主人公もオタクノリをベースにしてるところが違うか。序盤のライトなエロコメの部分もこれはこれで結構良かったし、コスプレをバトルものの少年漫画的ロジックで描いてくるところとか面白いんだけど、話が進んでいくと世評通り青春ものとして相当見応えが出てくる作品だった。オタクなら愛があるとか相手の好きを否定しないとか、そういうオタクスローガンの美辞麗句で引っ張るところはどうかなとも思ってたけれど、終盤のアリア篇は迫力があった。作者のトラウマで忘れたいと言われた作品のファンが作者すら否定し「子供は親のものですか」と問い返し、「生まれてこなければ良かった子などいるわけないのに」と作品・子供双方を重ね合わせて受けとめる。作品は子供という話と離婚して別居した子供という話をコスプレ・二次創作によって結び合わせて存在を肯定して感動的だけど、コスプレだからエロい格好で現われるのはものすごい絵面にはなる。アリアが父の存命すら知らなかったとかちょっと話の都合で妙に思えるところはあったけど、ラストでどかっと取り返した。最後はアリア篇エピローグからリリサと主人公の原初のコスプレラブコメに回帰していき、無自覚だったリリサの恋心の目覚めと正宗の課題を描く流れに。正宗の母親が男を作って出て行ったという女性不信に端を発しているのはラブコメ設定としてはベタだけど、二次元への撤退から三次元へのステップに2.5次元、コスプレを置くのはリアリティはともかくロジカルだ。今までのことが三次元を信用できない正宗のリハビリでもあった。「俺の世界には俺だけがいなかった」、自分が被写体を見ている意識しかなく、被写体がこちらをどう見ているかが死角だったためにその写真の良さを理解できなくて、その自分の目を開くことで俺にしか見せない顔、俺にしか撮れない写真に定着させることができるという、正宗の死角を掘り下げる終盤はかなり見応えがあった。同じジャンププラスのアニメ化作品のマジルミエと比べて話の組み立てに雲泥の差があったと思う。

僕の妻には感情がない

女性型家事ロボットという「家電を買った」と始まる、ロボットとその愛好者とのSFラブコメ漫画原作アニメ。この人ニセモノの錬金術師の原作の人だよな。あっちは奴隷だったしこっちは家事ロボットがメインヒロインなの結構な趣味が一貫しすぎてるだろ。この序盤で感じていた、買ったモノを妻と呼ぶという問題について終盤でしっかりと突き詰めていて大変面白い。主人公のタクマはミーナに触っても良いかとちゃんと聞いたりしてるけどまあなんか全体に性欲駆動な感じがうっすらとあるせいでちょっと気持ち悪くて、でもその性的目線がロボットに愛着を覚えたりする要因でもあるわけで、必然的な気持ち悪さにもなってる。偶然の不具合に人格を見たりと、人間のバグとしての愛着、愛情。終盤、妻を連れての実家探訪、家族として認められる努力は人もロボも同じという語り口はだいぶ良い。「人間も誰もお嫁さん用にもお婿さん用にも作られていないの」、「努力だけが私たちを家族にする」、異者との相互理解の根本の話。そして最終話での母からの「あんたが奥さんて言ってる子の所有権を持っているのが気持ち悪いのよね」、これはその通りでこの一話からの倫理的な疑義に対していくつもの選択肢を考慮しつつ漸進的なひとまずの解決を探る粘り腰の展開には作品としての真摯さを感じた。「家族はあなたの持ち物じゃないんだから」という母親のもっともな言い分。「独断で第二所有者の元に避難できる」機能が夫の絶対性を軽減する方策として選ばれるのはなかなか面白い。実家に帰るモード搭載。ミーナにタクマ以外の頼れる先を用意しておくというのはロボの自立の方途でもあるだろう。「人間は親の勝手で生まれてくる」。だから子供にも自由にしてもらいたいという両親は、ミーナがタクマの所有権を持っているということに気持ち悪さを感じるわけだ。タクマは機械性愛とでもいうべきセクシャルマイノリティと言える。しかも完全な両者の合意というものができない難点を抱えている。モノに愛着を持つ行為、ロボでないとしてもぬいぐるみやそういうものに人間は感情を向けるわけで、妻に本当に感情がないとしても、そこにある人の感情の有り様を気持ち悪いと拒否するのではなく尊重していくこととそれがどういうことなのかを描いたアニメだったと思う。プラネタリアンとかプリマドールとかのkey系ロボアニメが私を忠実な下僕でいさせてください、で泣き展開をやるのが嫌いなんだけどそういうところに対しては一線を引いていて良かった。

義妹生活

コミカライズを見ていて、クールな義妹とラブコメやるぐらいの作品だと思っていたら映像演出が極めて映画的というか淡々とした風合いの特色のある作品になっていて非常に印象的な一作だった。義妹と同居、という導入から「そんな邪念抱いてる場合じゃないっていうか」とリアリスティックに切り返していくの、まあまあ作品性がここにある。熱がないと紗季が言った通り、人物から距離を取った画面が多く、また服を畳んだりしまったりと整理をつけていく過程を時間を割いて映していく映像でもあった。特に一話Cパートで新居に馴染んでない紗季が、照明を点けたり消したりしてどこがどれなのかを試しているくだりを無言で描いているのはかなり面白かった。他人同士が一緒になる時に必要なのは慎重なコミュニケーションのすり合わせ、というのを淡々と描く意気を感じられる。最終回、フラットな態度でいたのは諦めによって他人に期待しない現われだったということから、自分自身の感情を自分に隠さず、他人に対しても期待を持つことを、兄妹二人の率直なやりとりで描きながら「本当の家族になるまでの物語」として明日のある生活、未来に向けて終わらせるのは良かった。両親を悲しませたくないことから閉じ込めていた相手への感情を、お互いに共有できる相手として紗季と悠太の関係が変化していって、二人の関係を一緒に考えていこう、とお互いすり合わせて見つけていく未来に希望を見いだす。「本当の家族」、それが兄妹か夫婦か、両方の可能性がある。生活の細部を描く一話からその細かいことを描くことにすり合わせの内実が込められていて、実写的だったり挑戦的な演出が特徴的なアニメだった。映像演出に話が負けてる感じもあったけど、音響もあわせて、落ち着いた空気感が他にない魅力を持っていた。これがスタジオディーンなの面白い。すごい作画でリッチなアニメを作るスタジオは目立つけど、ここは尖った演出でアニメを作れる自由さがある。音も映像も余白多めというかゆったりとした空気感があって何も考えずに見ているだけでも良さがあった。でも義妹生活のyoutubeをちょっと見ると、アニメから入った人が目を剥くような甘々トンチキラブコメ動画がずらっと並んでて笑ってしまう。

双子で恋は割り切れない

書名やオタク知識をバシバシ出してくるサブカル自意識こじらせ系双子ラブコメラノベ原作アニメ。ちゃんと痛々しい感じ出てるな。知的な那織とそれを追う純とそれを追う琉実とっていう構図。幼少期から琉実と付き合って別れるまでがスタートラインになってて、それを双子相互のモノローグで進めていきながらバシバシカットを切り替えていく絵のテンポの速さがあって独特の面白みがある。そして痛いサブカルオタクトークが普通にキツい! 親も子供もずっと痛いオタクトークで回してるのすごすぎる。なんでこんな会話を聞かなければならんのか。自意識めんどくさ恋愛のドロッとした感じをキレのある画面がサクサク見せてくれるアニメだ。多彩なショットで持たせる方針なんだろうか。踏み出した琉実と留まってた那織、行動の琉実と思考の那織、待つ琉実と待たない那織。それぞれに対比的なところを見せつつ、本気の物言いを存分にした後、姉妹による純争奪戦の日常がまた始まる、最後にド派手な喧嘩を見せつつそうなるだろうなというところに落ち着いて楽しい最終回だった。ほんと義妹生活と対照的なアニメって感じで、多量のセリフが流れるけど詰めすぎって感じもなくさらっと見れてしまう。姉妹のLINE画面が二つ同時に表示されるところなんか情報量多い今作らしさが非常に良く出ていた。双子姉妹と一人の男子、姉妹同士にも愛憎があるけど二人の好意を受けとめ切れない純にもお前ふざけるなよという好意と表裏一体の憤りがあって、姉妹間もバチバチやるし主人公に対してもそんなんで、でもそれで安定してるみたいな、こういうラブコメも結構珍しいかも知れない。個性ある作品だった。負けヒロインやアーリャのリッチな画面に対して義妹生活とこれの戦い方が面白いクールだった。

モブから始める探索英雄譚

小説家になろう掲載の現代世界にダンジョンが現われる現代ダンジョンもの作品。殺虫剤で攻撃したりボコられてポーションで治癒ってあたりライトな感じ。ヴァルキリーと悪魔の小さい女の子の姿のサーバントを入手し、召喚して戦う姿はちょっと引率の保育士のようでもある。ダンジョン探索で大学生と高校生の女子パーティと知り合い、自己紹介する下りが異様に面白かった。レベルを聞きつつあだ名呼びを許可される流れで主人公が「ミクさんは」と聞いたら「森山さんでいい」と名字呼びにされるとこ相当面白い。「森山さん、ひかりん!」、温度差よ。主人公とメインヒロイン春香の関係を応援してくる主人公の友人たちも良い感じで、みんながみんなを意識してラブコメが加速してるの良かった。「立派なもんだなぁ門だけに」、この下らないセリフがあるかないかでやっぱ作品の雰囲気が変わってくるよな。ダンジョンにAEDあるのかよとか同じ講習を受けたので鬼教員の話で盛り上がるのとか、どうでも良いところがわりと良い。終盤では光梨とミクの出会いから不治の病に冒された光梨のためにエリクサーを探しているという百合めいた部分が主軸になっていって、「病気で苦しむ人たちのための英雄に」の光梨と「ひかりんだけの英雄になりたい」のミクという英雄のテーマで作品が締まってきた。憧れるだけではなく、父が消えて悲しむ春香やエリクサーが必要なひかりのためにダンジョンに潜る海斗はもう既に誰かの英雄なんだ、と英雄論を据えて「頑張ってそして帰ってきてね」と春香のために生きて帰ることに逢着する良いエンドだった。終盤の作画はだいぶよろしくないことになってたけど、萌えキャラ多めのスタイルにキャラが増えてくるとコメディの面白さも増していって、最後には話の面白さも乗ってきてかなり良い感じのアニメになってた。楽しいアニメだったね。ED変わったと思ったらスマイルプリンセス! プラオレのことみんな覚えてるか?

短評

魔導具師ダリヤはうつむかない
転生前の知識を魔法を動力とした魔導具のある世界で生かそうとする異世界転生魔法工学アニメ。転生王女の魔法革命後の世界っぽさ。いつまでも小さくない、でも娘だということは変わらない、という父子家庭の発明バカ親子の雰囲気が良かった。この一話の父親亡き後、婚約破棄されてという定番の展開を経ながら魔導具師として軍人への水虫対策とかでダリヤは頭角を現わし、思い人ととの関係を深めていく。ここまで主人公にみんな同情的な婚約破棄もの初めて見たかもしれない。父親の人徳もあるか。親父の撒いた種のおかげでトントン拍子に商会の主となっていくのはちょっとアレだけど、飲んだくれ父さんが実は外では色んな人と関係を作っててダリヤが同じ仕事を始めることで存在の大きさに気づいていく良い話ではある。最後、所々ダリヤの気合いの入ったカットがあったり、雰囲気の良い絵が多くて最終回頑張った。照明、塔、ビーカーと円形のものを繋いでいくカットはかなり攻めてた。直上から俯瞰するカットも多くて、あるいは死者の視点なのかも知れない。墓参り、これまで雨続きだったと言及され、花、小川、散水機、ドライヤーと水が街を循環していて魔導具も生き生きとした生活を彩っていることを示して、カルロの死を重ねた雨上がりを演出していて良い。こうなると「水」虫すらも水のエレメントの一環に見えてくる。パワフルなカルロの加護、アレな婚約者や影付け、作画など色々あったけど一話が良かったのと締めも良かったのでまあ良い。

擬似ハーレム
一人のヒロインが何人もの役柄を演じることで擬似ハーレム、そのための早見沙織というアニメ。二人の間だけで通じる符牒を使ったいちゃつきなんて面白いものではないとは思ったけど、高校卒業後の原作ラストまでやるからかかなりのハイペースで進行するところに翻弄されるアニメでもあった。七話はキレのある回だった。教室を演劇の会場にしているからベランダから室内への扉が舞台への入り口になっているというのがラストシーンにも生きていて、二人は最後視聴者の前から消えて二人の舞台に立つ、そういう終わり方にも見える。出会いの渡り廊下を演劇の舞台のように演出して演じてから告白場面に繋げつつ、その肝心の場面は視聴者には見せない。その後も大学篇から結婚までを描ききるスタイル、すごいぜ。七倉の胸をほぼ描かないキャラデザがすごくて、早見沙織の声と演技で勝負するという覚悟が決まっているなって。一対一の演劇ラブコメ、一本軸を通した感じでなかなかだったと思う。EDが結構良い。

エグミレガシー
なんだこの奇怪な絵柄のキャラが出てくるアニメは、と思ってた15分CGアニメだけど、声優江口拓也がキャラデザやったカードゲームが原案だった。キャラ名がエンドオブザワールドとか招かれざる客とかすごいぜ。「じゃここで生涯を終えるね、また来世!」の軽さで笑った。何かの落書きのようなキャラたちが繰り広げる謎の世界なんだけど、なかなかに楽しいアニメになってて意外な伏兵だよな。ボム、企画者でキャラ原案者が声優やってるからか異次元能力者でテロップも音符も実写の写真もことごとくちぎれるのがすごい。たぶんこのアニメもちぎれる。最後、人と孤立していて人との関係をちぎりたかったちぎりデビルことボムが、くっつけたいと思うようになったのは愛の話だった。現実と幻覚の二段構えの話だから実写映像が一話から入ってたんだな。夢のなかから現実を覆い尽くす無茶なエンドだった、エンドだけに。なんか、謎のパワーがあるアニメだった。エグミレガシーが江口拓也の創造・想像した世界だと言うことを踏まえるとオチも一貫したものがある。

異世界失格
恋は世界征服のあとで、と人魚姫のごめんねごはんのコンビによる漫画原作の、太宰治とは言わないけど自殺志願者の作家が異世界転生するアニメ。原作ウェブで読んでる。アトリエポンダルクは異世界おじさんに続いてこれで、メタ異世界作品が好きすぎるだろと思った。「自殺はいけない」、お前が言うのかの一点突破でネタ作ってる感はある。メタ異世界ものだから異世界転移者を現世に送り返す、物語を終わらせる能力を持っていて、異世界で増長して失格だから異世界から返されるのとずっと自殺したいやつが異世界にいるのと。八話、ストーリー的には実際ある種のネット民に受けそうな話ではあって、でも善意が村人に利用されてた山田の描写とか単純な「正義」の冷笑みたいなものからは距離を取ってるんだけど、これを見て正義を唱える奴は卑しい奴だぜって言ってる人とかいて、ウン……ってなったな。異世界転生者が自殺志願者だったらというひねりと太宰匂わせキャラが物語を終わらせ転移者を帰還させるメタ設定、異世界もの観がしばしば浅薄でもあるけど楽しく見られた。

ATRI-My Dear Moments-
結構有名なシナリオライターによる全年齢ゲーム原作アニメ、だけど見ててなんかめちゃくちゃエロゲ感もある話をトロイカがアニメ化するという意外さもある。なんでOPとEDが秋元系グループなんだ。海面上昇して文化レベルが後退した未来世界で少女型アンドロイドアトリと出会った片足義足の青年とが電力を取り戻したりと頑張る話。赤尾ひかる演じるアトリがコロコロと表情豊かに描かれる萌えパワーで圧倒するアニメだ。アトリを見ているだけで楽しいアニメ過ぎるな。ただSFとして心があるフリをするのはウソ、みたいなのはさすがに古すぎるってのはある。最後、靴をプレゼントしたアトリから義足のプレゼント、夏生もアトリも未来のため元の場所に戻るその一時的な時間が今までで、そこから踏み出すための足を贈り合う話になったのは良い。しかしこれもしかしてかぐや姫イメージもあるのかな。竹林が映されるのはそういう? でもこれよく言われる男性がロリコンでマザコンという説まんまの話になってると思った。

逃げ上手の若君
少年ジャンプでやってる歴史漫画原作。1333年、鎌倉幕府滅亡後の執権北条氏の生き残りの時行少年の逃走劇。歴史知らないから何したか知らないなこの人。「死んだらどうする」、少年の色気がすごいぜ。スタッフが似てるしかなりワンダーエッグプライオリティの画面という感じだ。まあすごい作画と演出パワーでぶん殴るアニメで見ててすごいなと圧倒されるんだけれど、反面内容というか話と言うかにあんまり関心持てないアニメでもあった。「逃げながらなら何でもやれる」というところに漫画的なアイデアがあり、それでグイグイ展開していくのはなるほどだった。最終回、実写演出をたびたび挾みつつ確か一話でもやったCG合戦映像で引きながら巻物の絵巻に物語を収め、最後に鎌倉の実写で締める歴史と虚構の演出は面白い。脚本山崎莉乃、コンテ山﨑雄介というヤマザキコンビ。

天穂のサクナヒメ
今期PAワークスアニメその二。話題になった農業ゲーム原作で、ちょっと大空直美の声が聞こえるだけでキャラ性が分かるのが面白い。ちょっと高貴な雰囲気のジャヒー様だ。大空直美が帯で戦うアニメなんだっけと思ったけどつぐももだった。五話、機織りを覗くな、で鶴の恩返しじゃんと思ったらマジで鶴の恩返しだった。知らない美しい娘がなぜか自分に尽くしてくるの、不気味だし相手に悪い、というのが表向き冷たい態度で、お互いに相手のためを思って作ったものをやりとりして縁が紡がれるのは良かった。六話のアナログ脱穀、これを全部手作業でやるの途方もない。何故白米か、美味いからだ。ちょうど折り返しで初めての収穫と実食、長かっただけはあるな。米は力、本当にパワーアップイベントだからすごい。ココロワはサクナ好きの百合キャラみたいなのかなと思ってたら努力しても追いつけない嫉妬を抱えた陰影があるのは意外だった。最後、実る稲と彼岸花が赤く咲いている村の様子が良い。ゲーム原作をワンクールに収めて走りきったなかなか良いアニメだった。しかしOPのクレジットの字が読みづらすぎるしEDも同じフォント使っててマジで読みづらい。

菜なれ花なれ
今期PAワークスアニメその三。応援、チアをする少女たちを描いたオリジナルアニメで、絵柄も特徴的で、三話あたりの涼葉と詩音の関係も良かったりしたけど最終的にはちょっと展開がちぐはぐだったという印象が強い。三話はアバンで急に面白くなったなと思ったけど最後もこのアニメの主軸がきちっと通ったようでグッとまとまりが出たと思った。「ずっと悩んでたのかな、ほんとは言いたかったのかな」が涼葉と詩音にも掛かってて隠した顔を見せることと「ちゃんと受けとめる」ことが噛み合う。隠した本音とそれを受けとめる相手の話がここで複数のラインで重なって、応援するというのは相手を信じ切ることだという言葉が、自分で自分を応援するとは自分を信じ切ることだと知ったかなたがイップスを乗り越えるの、「応援」を作品にカチッと据えてて良い。お届けチアという中盤の展開で、自分が何かをするのではないチアというテーマの不利な点をそのまま応援される人を探す狂気の集団というギャグに変えてきたのは笑った。しかし「ポルトガル語監修 武田羅梨沙多胡の母」は笑うだろ。母かよ! ただ全体構成はやっぱり妙だとは思う。ポンポンズの面々の掘り下げも薄いうちに毬の話になってる感じがあったし、ポンポンズとチア部が最後合流する前にチア部の描写もあるべきだったんじゃないかと。しかし一番許せないのは公式サイト見に行くと全面覆ったタイトルロゴがぷるぷるする数秒間に邪魔されて何の操作もできないことだ。

かつて魔法少女と悪は敵対していた。
犬僕の原作者さんが亡くなって未完だったやつがボンズでアニメ化したもの。貧乏暮らしの女衒に騙されたとしか思えない魔法少女が、悪の組織の幹部と出会い、ラブコメをやっていくというメタ魔法少女もの作品。飯塚晴子キャラデザで綺麗な画面で結構コテコテのラブコメをやっていく。自尊心が薄く言いなりになってしまうから搾取されるわけでその流れで性的にも搾取されるということとちょいエロが重なっているえげつない作りでそこはなかなか好みが分かれる感じがあるな。お互いの笑顔にこんなに幸せになる、ラブラブカップルのいちゃつきはEndless、みたいな。未完作をどうするのかと思ったら、未完を未完のまま、終わらないことを幸福とする形で終わらせた。作者逝去の未完の原作を餞とばかりに丁寧に作られたアニメだった。しかし、終わらないということは関係が変化しないということで、それはそれで、難しいなと思った。

俺は全てを【パリイ】する〜逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい〜
パリイというブロッキング技術みたいなのを極限まで鍛え上げた主人公が自分の強さすらもパリイしていく無自覚最強ものジャンルのアニメ。活躍しても恩人の誘いや褒賞もパリイするのは笑ってしまう。謁見とか言われてるのに対面した相手が国王なの全然気づいてないのトンチキがすぎる。敵に対して、苦しませずにやってくれ、で焼き殺すのは会話成立してるか? 討伐対象のお尋ね者が主人公の異常さにずっと首傾げてるのも面白かった。真実の理解をパリイする勘違いコントで通していくアニメ、わりと楽しくはある。

新米オッサン冒険者、最強パーティに死ぬほど鍛えられて無敵になる。
串田アキラ歌唱のOPで始まるアラサーのオッサンが若くなくても冒険者になりたいという夢を叶えるために何度も死ぬ修行の結果強くなって新人冒険者を始めるというアニメ。アンジェリカの「なんでたまに耳を使わなくなるんですの!?」とか「無茶苦茶な数字を言えば面白いわけじゃありませんのよ!」とか「非常識はお腹いっぱいですわ」とかのツッコミは笑う。10話、「世界にはここまで強えやつがいるのか」、腐って手加減バトルしていたケルヴィンがブロストンと対戦して本気の姿を見せる、それがむしろ本当の応援を呼ぶ、ベタだけど悪くない。特殊OPに特殊ED、ケルヴィン回すぎる。主人公でもヒロインでもないキャラのバトルにこの盛り上げ。ブロストンもリックもともに夢を叶えて締め、ベタだけどまあ楽しいアニメだった。

ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで
修学旅行のクラスが異世界転移して、召喚した女神が人格終わってて最弱スキルの主人公が足手まといだと死地に飛ばされ、そこからのサバイバルをやっていく話。状態異常スキルを駆使してサバイバルしつつ、六話で人類最強を倒しきるところの展開の詰め方はなかなかすごかった。しかし一番面白かったのは五話、「キリハラ(このオレ)の方がさらに強かった」、これをやけに凝った字幕で出すのすごすぎる。テスラノートにこんなのなかったかと思ったらこのアニメテスラノートの監督じゃん! 「存在意義(レゾンデートル)の社交的な集い(パーティー)」じゃん! 後半になると追放系ダークファンタジーの雰囲気があったのにセラスのラブコメ、豹人の天然、キリハラが加わってトンチキさが付与されてだいぶ面白くなってる。「分からせてやる必要がある。キリハラを」倒置法! 「未来の王 キリハラの力だ」、フォント選びが素晴らしい。キリハラだけリアリティレベルが違ってて笑う。クリーチャーデザインの異形さもなかなかだし、性欲全開のエルフとキリハラとか、そしてなぜか湖川友謙がコンテ演出一人原画とかもやってて意外。

ラーメン赤猫
原作はウェブで読んでる喋る猫のラーメン屋アニメ。原作人気だと思ってたけどCGだし案外に低予算ぽさがある。気合いを入れれば毛を落とさないでいけるっていう設定を聞くたびにそこは強引に行ったなって思う。原画に呪術一期監督の朴性厚がいるのにビビる。シニカルに言えば労働とラーメンと猫というネットで人気の話題の三題噺感もなくはないけど、それらをポジティブなムードで配置して皆が支える小さな店として描いて客と読者を応援者みたいな位置に置いてみせるのも上手い。猫の店という存在の話題性が作中ではややご都合なのが気にはなるけど。人ではない猫の就労という猫がやってるラーメン屋のリアリティを作り込んでいく過程で社会福祉の文脈が乗って行ってる感じがある。

NINJA KAMUI
これニンジャスレイヤーじゃない? フラッシュアニメしか知らないけど。朴性厚監督なのは知ってたけど、E&H productionは見た名前だなと思ったら赤猫と同じでだから赤猫の原画にいたのか。クレジットに監督名があるから監督原作とかなのかな。二話、ウーバーイーツ配達員とのバトル、すごい。鎖鎌アクションから始まり腕四つあるじゃねえかってところから腕が増えてるのじゃなくて二人いた?ってなるのムチャクチャだし剣に炎まとわせてるの格好良すぎる。だいぶアメリカンな世界で展開される、朴性厚監督による津田健次郎が格好いいスタイリッシュトンチキニンジャアクションアニメ、話はだいぶ聞き流してたけど人間代表マイク・モリスがちゃんと良いキャラしてて良かった。

杖と剣のウィストリア
ダンまち作者の原作で吉原達矢が監督シリーズ構成まで兼任してる。魔術至上主義の世界でめちゃくちゃ強い剣士の主人公ウィルをアクションバリバリの作画で表現してくる。真面目なマッシュルとか言われてるのは笑う。女子からだけではなく男子からも好悪含めて複雑な感情を向けられるウィル総受け話という感じだ。最後はいがみ合ってた連中もウィルを認めてボス打倒に総力を結集した果てに杖と剣を融合するウィルの魔法剣みたいな技でとどめを刺す、ワンクールの総仕上げだった。途中こじらせた連中が面倒くさすぎるとは思ったもののアクションもド派手でなかなか良かったな。二期に続く。

この世界は不完全すぎる
デバッガーがゲーム世界に閉じ込められてデバッグ作業を進めつつこの世界の謎を追って脱出の可能性を探っていく。デバッガーとしての知識でもってこの世界の困難を色々なバグや仕様を利用して切り抜けていくのが結構ちゃんと面白いんだけど、最終回、このアニメは不完結すぎる、的な。これ終わる?と思ったら終わらない、どころかボス第二形態出現で引きはすごいな。潔いといえば潔い。

SHY
内気なヒーローを描くアニメ、忍者の里から出て来た姫の姉妹との関係が主眼となっての二期。姉妹の軋轢から、自分を討とうとする曖にやっと汚れてくれたといって融合するの、病み・闇の百合って感じだ。23話、人間の繋ぐ心がこの世界の闇を照らす光という信念、二人で月となる姉妹がそのシャイの内なる太陽の光を反射して別の場所に映す。愚直な真面目さ。一期OPのシャイニーガール、ここにあてた歌なのか。良くも悪くも生真面目な冗長さがあるんだよな。だからこそ眛の話もやることやりきって消えていく清々しさもある。バトルが長引くとメインヒロイン惟子さんの出番が減ってしまうのが難でもあるけど良いアニメだったかな。

VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた
配信切り忘れてストロング系チューハイ飲みながら色々ぶちまけて寝落ちしたらバズったというVTuberのウラオモテっていうか。Vtuberほとんど見たことないけど、下ネタセクハラまみれの女性配信者が素を出してバカウケしてというのはまあ色々アレなところもないではないけど、朝岡卓矢監督TNK制作、不徳のギルドのスタッフで楽しくはある。セックス、ドラッグ、バイオレンス、三拍子揃ったアニメだ。いにしえのネタは分からないでもないけどVのあるあるネタっぽいのがよく分からなくてマジでニコ動で見た方が良かったアニメ過ぎる。ネットのスラムみたいなところで展開されるようなやりとりが延々続くのすごいっちゃあすごい。Vのリアルの姿に興味をいっさい持たないというのはVtuberへのリスペクトだろうし、話題の下品さに対してそういうところに美徳がある謎のバランス感がある。そして10話の奥行き出すところや最終回なら控え室の一連のコンテは印象的だし総じてアニメの絵作りは良かった。

推しの子
一期の時は週刊誌みたいなアニメだなと思ってたけど、舞台篇はかなり真面目かつ熱くやってて良いじゃん、ってなってる。漫画家が絡んでる展開だけに。舞台篇のここぞでメルトの成長を力入れてやってくるのは良かったな。顔と適当にやってて上手く行ってたやつが挫折を味わい、皆に下手だと舐められていたこと自体を生かして一点突破のパフォーマンスで意表を突き、キャラにシンクロした感情込めた演技をやりきる、これは熱かった。星を求めて生まれ変わるアニメーション、すごいな。有馬かな萌えアニメーション回も良かったね。でもワイヤーアクションの習熟もだいぶ大変だと思うのにそこはほとんど無視されてたのがビックリした。

しかのこのこのここしたんたん
メイン二人が潘めぐみ藤田咲というセレクト、なんか凄い気がする。シュールギャグだと思うんだけどパターン化されたシュールギャグの様式を繰り返しているような感じがある。しかもそれをしつこい方向で演出するからちょっとアレ。鹿キャラの先輩、せんとくん出して良いんだ? 許可取ったのか。せんとくんアニメ化が一番面白い。ギャグの演出方法が全部滑ってる気がするので日常パートやってる方が面白い気がするし途中まあまあ悪くないかもみたいなところもあったりしつつ奈良県の協力を得てせんとくん出してきたのはやることやったな、と思わないでもない。七話かけて稲作ちゃんとやって米収穫してたのはすごかった。

多数欠
最初の一手で学校の生徒が十人残して全員死んだ、とか処理が早すぎる。解答の多数派が死にますという、すごいジャンクなデスゲームもの。元々あんまり真面目に見る気があったわけじゃないんだけどそれでも自分が感想欠かさず書いてるくらいには毎回何らかの面白ポイントがあって、チープなデスゲーム・能力バトルものと思わせつつそういうフックはちゃんとあるのが侮れない。サテライト制作、佐藤竜雄監督構成というスタッフでやってるのが一番謎かも知れない。ただ、特権は強制力があるけどノーリスクの権利には意志で抵抗できるというのはわかったけど、この用語法だいぶ変だな。権力・強制力を特権や権利と呼んでるのおかしくないか。特権はともかくpowerとrightが入れ替わってる。「特権利」という特殊能力のある話に何言ってるんだとは思うけど。最終回、何でもありじゃんという能力ですべてを概ね多数欠以前に戻してすごい良い感じに終わった。後半から出てきた頼音は皇帝となったハルトを救うために出てきて、巧みな話術でハルトを騙していると思わせて本当に救おうと思っていたというのはなるほどだった。特権利に熟練した連中全員で元凶の収容所を襲撃する未来からの刺客、面白すぎる。力技で全部良い感じにして良いアニメだった、ってなった。悪くなかったよ。

下の階には澪がいる
マイチャスマイチャスマイチャス……。意中の人がいる主人公が行き倒れてた元アイドルを助けたら住んでいるアパートに押しかけてこられた大学生恋愛もの。中国アニメかと思ったら韓国ウェブトゥーンをbilibiliでアニメ化らしくてそういうのもあるのか。その割にはキャラ名が日本風だ。しかしヒマワリの種をポテトチップス感覚で食べるのって中国文化だったと思うけど原作にあるのかアニメでそうなってるのか謎。高校時代からの思い人の先輩まことと、元アイドルで激しい性格の澪とのあいだで揺れ動くというドラマ化もされた作品でなかなか面白い。大学生の恋愛だから高校時代の青春の象徴たるまこととの「過ぎゆく青春の日々」に別れを告げる話になっていく。ラストはまことを丁重に見送る回だった。「恋愛はタイミングなんだ」、時間・時代が変われば当然相手も変わっていく、トレンディドラマらしいテーゼだ。

魔王軍最強の魔術師は人間だった
ハイスピードエトワールに続くスタジオA-CATアニメでCGじゃない方。少し時間が経ったらこのアニメのことジロンという利根健太朗の豚の側近キャラのことしか覚えてなさそうな気がする。雑魚っぽい敵役でも千葉繁で格とユーモアが出せるというの強いよな。利根健太朗千葉繁の味がするアニメ。豚、サキュバス、メイドの萌えキャラトライアングルやってるときが一番面白い気がする。最終話で正体が魔王の少女にそれを知らずに対応してしまったことを知ってジロンがぼそっと「おれ死んだな」、と言うところ一番面白かった。愛嬌はあるけどまあそんなに人気も出なさそう、と思ったら先行配信していたabemaの年間視聴数で20位以内に入ってて驚いた。パリイや新米オッサンといい、ここら辺の異世界アニメって意外なくらい見られてて人気がある。

グレンダイザーU
皇太子が記者を暗殺した事件があった、サウジのマネーで作られてるって言うアニメこれか。OP、GLAYかよ。ガイナックス分派スタジオが作ってるのとかキャラデザ監督に見知った名前が色々。マジンガーの続篇的なものなのか。異星の双子姉妹との三角関係の巻き添えを食って地球がヤバイ、わりとそんな感じの話になってるのは良いんだろうかと思わないでもない。妹の恋人を変装して奪い取る姉妹の愛憎劇、これ自体はわりと印象には残る展開ではあった。五話のトンチキな敵のやられ方とか、九話で敵幹部のブラッキーが「妻の手縫いのマントが」って、お前が所帯じみてるのなんなんだよってしばらく笑ってたしそこら辺は面白かったな。

ライトアニメ
まぁるい彼女と残念な彼氏

大日本印刷・イマジカが漫画の少人数でのアニメ化事業に参入するということで作られた「ライトアニメ」と冠されたショートアニメ。ボイスコミックという形式のものもあったけれど、これはもうちょっとアニメ寄りだろうか。全六話構成を基準にしているようで本作も15分アニメ六話を2シーズンやった。食べるのが大好きで肥満の女性マリコと彼女の明るく食べる姿に引かれたナギの恋愛もの。看護師として街中で救命活動をしてかなり良いところを見せても、二人で会うことを持ちかけられたらそれが「デブ」を笑うための偽装デートだと疑心暗鬼になるくらいその手のことをやられてるマリコと仲を深める一期と、一緒にいるには痩せなければならないとダイエットを試みた二期。しかし体重を落としただけなのに……。二期は痩せただけで仲の良かった同僚からどんどん距離を取られていくマリコが不憫すぎる。「それって誰のためのダイエットなの?」と言われて最後やっと主人公に笑顔が戻ったけど、マリコをブロックした妬みに駆られた友人、最後顔も出ないし声も出さなくて怖かった。元通りだけどあの友達との溝は……。生々しいリアルさを感じさせて去って行ったアニメだ。

0歳児スタートダッシュ物語
こちらは三分アニメ。赤子の泣き声が妙にリアルで木野日菜凄いなと思った。木野日菜が幼児から五歳児まで少しずつ成長を刻んでいく主人公を演じていく様子が聴けるアニメ。最後、素敵な王子様に出会って終わり。10話から王子との対面で三話費やす尺のもてあまし感がすごい。話が始まるところで終わるのスタートダッシュに失敗してるだろ。ライトアニメとかいって原作をライトにつまみ食いするのやめな、と思った。まあ二期がある。

未来の黒幕系悪役令嬢モリアーティー異世界完全犯罪白書
このアニメのタイトルがすごい2024でトップを狙える盛り沢山ぶりで笑ってしまう。ライヘンバッハの滝から未来?の自分の子孫の少女に憑依した二重人格状態という話。悪役女性の顔が豚っぽくて仏語の豚・コションって名前なのはまあまあ下劣。魔法の使い方がどうこうとか話しててやることが落とし穴なのかよ!ってそこは面白かった。ずっと落とし穴にはまってるのは笑ってしまうけどコション嬢は物語上いくら悪しざまに描いても良いみたいな作劇でだいぶ品がないですね。

監禁区域レベルX
ある時目覚めたらマンションが封鎖され、サイという謎の怪物に襲われていると聞かされた少女を主人公としたループもの。部屋から出ない主人公一人だけでLINEのみの情報で恐怖を煽るの、紙芝居アニメを上手く生かした悪くないホラー演出だ。ループものの限定された状況とライトアニメの低予算感が上手く噛み合っていて、ライトアニメで一番面白いし続きがあるのも納得ではある。レベル2までクリアして次が3ってことはこれレベルXつまり10まであるらしい。

よあそびぐらし
僧侶枠。タイトルのデザインどっかで見たぞ。「週に三日俺の部屋はラブホになる」、バカみたいなセリフで笑った。幼馴染のアイドルが身バレして自室に転がり込んでくるという話で、夢を叶えた方と捨てた方とで劣等感があるシンプルなラブストーリーになってるのメンズ僧侶としてだいぶ珍しい気がしてきた。最後僧侶枠史上トップクラスに良い終わり方してないかこれ。いくつもの約束の掛け替えが軸になってる。最初の相互に股下から映すアングル、下半身の関係から夢を見上げる二人を意味した構図だったとも考えられる。下半身の関係に限ることは相手を正面から見ていない、過去の約束を見ない振りしていたことなので。

どうかと思ったもの
時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん

ロシアのウクライナ侵攻でスタッフは相当青い顔をしたんじゃないだろうか。ロシア系ヒロインがぼそっと本音をロシア語で喋るけど主人公はロシア語ができるのでそれが分かってしまう、というラブコメなんだけど、序盤はともかく中盤からラブコメよりも生徒会選挙だとか学内政治に内容が偏っていってしかもそれがアレなもんだから、動画工房の恵まれた作画から繰り出される意識高いのかなんかわからん政治ごっこを見せられてなんだコレってなるアニメだった。何だコレ。元華族の家に生まれたキャラとそれに仕える従者とかがいて、生徒会がどうこうとかも含めてだいぶ階級大好きっぽいのがアレ。生徒会云々の話に驚くほど興味が持てず、ラブコメ要素も薄く、ロシア語要素もさほど生かされておらず、ロシア文化要素はカケラもない。みんな政治してる。ここまで作画がよくてここまで話が散漫なアニメってちょっと他にないんじゃないかって思う。そう、まるであのカット数だけ多くてせわしなさだけが印象に残るOPのように。エロとオタク要素をサービスする都合の良い変人妹キャラがいたりするんだけど、そっちの萌えエロアニメやってた方がよっぽどマシだった。ラブコメ要素のギミックとしての生徒会選挙のはずが、ラブコメ要素を削りまくって生徒会選挙をやってるらしく、原作読者がだいぶ怪訝な様子をしていた。二期、何すんの? この作品のEDのカバーセンスはともかく、GO!GO!7188カバーは評価する、フォロワーみんな誰?って雰囲気だったけど。

ショートアニメも入れて42作言及したか。ショートアニメ入れたら56くらい見ていた。

秋クール(10-12月)

ぷにるはかわいいスライム

擬似ハーレムとぷにる、単独ヒロインで多種多様なヒロイン像をカバーするアニメが同じ年に二つあるとは。ネットで連載されていた漫画をずっと読んでいた作品で、なんと二期も決まってお前そんなデカイ作品だったのか、と驚いたけどまあ自分が読んでたくらいには最初から話題作ではあった。主人公コタローと一緒に住むスライム生命体ぷにるは「かわいい」を追求して少女の姿になっているけれども、コタローはそのかわいいを認めず、ぷにるはいつも悔しがっているというラブコメ的な話。元々別冊コロコロという雑誌に掲載されたペンギン型スライムとのギャグ漫画を、週刊コロコロというウェブコミックサイトの連載用に仕立て直した作品で、その来歴通り、子供の頃は性別を気にせず遊んでいた二人が成長に従って性を意識してしまうという思春期の話でもあるんだけれど、そこにスライム生命体でホビーという自意識を持つ存在というSF要素が加味されて、非常に独特な重層性を持っている。何にでも変身できるスライムが毎回色んな姿を見せるという美少女ものとしての多彩さと、ぬいぐるみやマスコットなどかわいいものが好きな思春期の少年の屈託。アリスの話では、幼い頃の友達だったホビーが長ずるに従い人間の友達が欲しくなっていくという成長と、それが人間かどうかを気にするアリスに対して、ホビーとしての自覚・自意識を持っているぷにるが人間の認識を相対化してくることにSFの感触がある。ぷにるという命を得て意識を持った存在を描きながら、思春期的な子供から大人への変化と子供にとっての欠かせないパートナーとしてのホビーとは何かを主軸にすることで、ロボに心はあるかというようなテーマを横目に見つつそっからズレてる独自性の強い話になっている。コタローの過去では、ぬいぐるみを欲しがって女子に散々に言われた経験があるというの、まあベタなんだけど、かわいいもの好きなことは自覚してるし人と共有もできるけれど、ぷにるが少女の姿なのを意識してしまうのは認められないし人にも言えない、そういう複雑な「好き」の描写があって、これをぷにるが理解できないというすれ違いが主軸にある。そうした主軸とともにぷにるの変身やらギャグやらもキレ味があって、特に人体切断ギャグはやっぱり笑ってしまう強さがある。エピソードとしては終盤のクリスマスあたりが良いけど、特に言うなら海回ってこんな画面設計から思いっきり変えて良いんだと思わされた七話の作画回を挙げたい。水族館の時に魚群を電柱に映し込んだり、壁に妄想が映ったり、遊び心ある演出も多いし、空間を意識させる引いた画面をキャラがコミカルに動き回るし、夏ゆえの溶けるアニメもこなしていく。11話の雪かと思ったら窓際で大根下ろしというのもなんかツボに入って笑いが止まらなくなってしまった。異常すぎる。コイツは何で窓から大根下ろしを捨ててるんだ。EDでAdoのカバーしてるのも面白い。良いアニメだけど、ぷにるの変身バンクが長ったらしいわりによく分からない過程で見ていて非常に釈然としない。

アクロトリップ

魔法少女に憧れたら悪の参謀になった。エロくない魔法少女にあこがれて、という感じがあるりぼん連載の少女漫画原作アニメ。一話の洒落たタイトルの出し方や細かい動きの作画が面白くて興味を惹かれた作品だけど非常に良かった。二話のOPも始まって数秒でネタが多くて笑う。主人公が草むらに潜んでるし悪の総帥がタイトルを手で払いのけるし、セリフが描き文字で出るし、OPだけでこのアニメは面白いと確信できる。転校続きで何にも興味を持てなかった主人公伊達地図子が悪の組織と戦う魔法少女を見て憧れを持ち、なぜか家の地下に住んでいた悪の総帥クロマにスカウトされて、魔法少女を輝かせるために悪の参謀になるという話で、本当に魔法少女と悪の組織がいる割りにすべてがしょうもなくてグダグダで、この緩さがなんとも味になっている。しょうもなさとぐだぐださで守られる世界もある。「悪さをすれば構ってもらえるなんて夢のような職業だろう」、構って欲しいから悪の総帥になるクロマもアレだけど総帥なのに本部から叱られるのかと思ったら総統にチクって新総帥倒してるの小学生マインドすぎてすごい。最終回はなぜか草津温泉に全員大集合の慰労会になってすごかった。なんだかんだあって目が死んでた一人の女の子がこの場所が好きと言えるまでに楽しい連中が周囲に集まってきていることを描く温泉回で最終回、あまりにも暖かい展開で抜群に良い。原作全五巻だしアニメで最後までやるんだろうなと思ったらすごい終わり方をした。これアニメオリジナルだよね? 魔法少女と悪の総帥の対決を街を舞台にしたサーカス団のようなバランスで描きつつ、温泉回でその小休止と地図子にとってこの仕事の意味を描いて締める。魔法少女に憧れているうちに自分もまたそれをめぐる参加者になって役割をまっとうしていて、たぶんまた誰かの憧れの対象にもなったりするんだろう。温泉でベリーに髪を乾かしてもらっているところとか、地図子もまた役割をまっとうしていることを労われているともとれる。A子の一方的な目線が最後地図子から会話が返ってくるのも、地図子がこの場所に迎え入れられたようにA子もまた地図子に迎え入れられてるという連鎖が描かれている。マシロウの席もまた会社に残っている。下らなくてバカバカしい騒々しさのなかに色々な人が受け入れられている世界。親が離婚していて転校続きで生きる意欲に欠けた少女が、役割と場を得て、そこが好きになれるという話で、ごくシンプルにあなたがここにいてくれて良かった、と存在を認められる話だ。アイドルや芸能の存在する意味でもあるか。クロマの構ってもらえるという理由も地図子と実は大差がないし、悪の組織と魔法少女の対決というものそれ自体にお互いがお互いを必要とするという意味がある。OPも良いしEDも良い。

魔法使いになれなかった女の子の話

サクガンが既に放送されたアニメ企画公募プロジェクトProject ANIMA発のオリジナルアニメ。サクガンはだいぶアレだったけれどこれは粗が見えるものの結構良かった。魔法使いになるには国家魔法師養成のための専門学科に通わなければならないけれど、その名門レットラン魔法学校のマ組の受験に失敗し普通科に通うことになった主人公クルミは、そこでミナミ先生というみんなを魔法使いにすると宣言する妙な教師に出会い、同じくマ組受験に失敗した魔法使いの名家出身のユズという同級生と知り合う。この世界では手帳でプログラム化された魔法を使う国家魔法師がいるけれども、実は古代魔法という魔法がある。ソフトウェアを使うことを認められた国家魔法師とプログラム言語を学んで自分でやる古代魔法、みたいな。幾何学がgeometry、地形の測量のための学問だった、から始めるのが面白い。可能性は無限大とかいう話はまあ定番だけど、そこに幾何学・図形を噛ませて魔法言語の文字として据えてくるのは良い細部だ。世界のプログラム言語。ブラックボックス化した技術ではなく自然に直に向き合うという古典的な話ではある。良かったのは五話、強歩大会というのにマ組は空飛ぶ乗り物でもOKとかいう外道のルールに対して普通科が無法で追いついて笑った。樽を一瞬で船に仕立てた工作時間のカットもすごいけど実はトンネルがあったもすごいし、間欠泉に吹き飛ばされてゴールもすべてがありえない展開でまさにマジカルって感じだ。タンバリン歩行とかいうかんじき水上走行でジャージが四つん這いでトップ走ってるのすごすぎる。六話では年末でみんなが実家に帰省するという時に、クルミとユズという居残った二人で非常に距離が近くなるエピソードが百合めいていて非常に良かった。お互いいつもの友人がいなくなって、実家に帰りづらい状況で、腹を割った二人だけの話ができる。この時の二人の距離の近さたるや。この二人の夢と将来のことを語り合うさまは、地下で暗闇を歩く時に二人手を繋いでいることと同じで、先の見えない将来への道を友達の力を借りて歩いた先に何かを見つける、という象徴なんだろう。ここで地下室探索で怖くなって「ユズって呼んでいいわよ」「え、今?」は笑う。「百合と異界は児童小説の伝統」という言葉そのもので良かったですね。そうそうこれが見たかった、みたいな。プロジェクトアニマ、原案の公募企画名が作中に出てくることあるんだ。しかも生命エネルギーを生徒から奪って昏睡に陥らせる悪役の計画で。11話は「誰だって魔法使いなんだから!」、お、やっぱそれだよなってセリフが出てきて良い。魔素を封じ魔法技術を特権化して独占した上での平等という偽の平等に対する、魔素の解放による魔法の民主化。転生王女も同じ話をしていたな。最終回では幼い頃からの夢をいったん挫折することで本当に魔法使いになるとはどういうことなのかを勉強し続けていく意識を持つことができたという締めは良かった。「私は、魔法使い以上のものになりたい」のサブタイトル。現代魔法と古代魔法は応用研究と基礎研究の話っぽいな。オリジナルならもうちょっと内容を詰めたり要素の回収とかして終わらせた方が良いのではと思ったけど、五話六話のあたりとか児童文学ぽい全体の雰囲気とか粗があってもこういうのに弱いんだよな私は、と思った。背景処理とか絵柄は特に良かった。

ネガポジアングラー

タイトルで勝手に写真撮るアニメだと思ってたけどアングラーって釣り師だ。幼女戦記デカダンスのNUTのオリジナル釣りアニメ。借金取りから逃げる、このままでは余命二年を宣告されてそれからも逃げた逃げ癖の付いた主人公常宏が、逃げた先に釣り集団と出会い落水から救われる。常宏と貴明という二人をメインにしつつ、向き合わないといけないことに向き合うまでを釣りの過程とともに丁寧に描いた作品で、シナリオの良さやアニメの出来もあわせて今期でも屈指のアニメだと思う。まとまりの良さではベストかも。四話、コンビニの仕事を始めてなぜか店内にある釣り用品を仕入れていたのがハナで、見分けの付かないルアーの使い心地を知っていくこととハナの人となりを知っていくことが釣りを通じて縒り合わされていて、しかもそれがレジ打ちの「お釣り」を切っ掛けにしているのは上手すぎる。レジ精算後に小銭を出されて暗算出来ずにいたところで「釣りは得意なのにお釣りは苦手なんだ」、これは上手かったけどこの皮肉にお返しをしてみせるまでで話を組んでたのが最後ハナの負けず嫌いの性格描写にもなってるし常宏もそこは似ていてよくできてる。六話、じんわりと良い回。したことのない船釣りやチャンスがあったら掴みに行くアイスの生き方などに示される外への好奇心に乗ってみることで、ムリだと一人で閉じ籠もっていた常宏のまわりに人が集まり祝ってくれるありがたさが身にしみる。余命わずかだとしたら、自分にはどうでも良いけど他人には教える、まわりの人生は続くから、というセリフ、葬式は何のためにあるかを考えさせられる。自分は死んだら終わりだからそれでいいけど、確かにそうなんだよな。自分の死について考える時に他人を気遣う視点を知る常宏。最後、一話で水に落ちた常宏をすくい上げ、最後は常宏の釣った魚を掬い取る貴明。「ランディングは任せろ」「絶対俺がすくってやる」、掬ってあるいは救って。釣りを通じて自分とそして自分と向き合ってくれる他人と向き合い、病気という生きることについての問題とも向き合っていくという話を着実に丁寧にやってて良いアニメだった。余命宣告された病気の扱いはふんわりだけど、それは常宏の生から逃げるあり方そのものの象徴だから。常宏から釣りの面白さを聞くことで、救った方も救われる。釣りに関わる人々が行き交う釣りの場所を司るハナと、「またいつか釣りしような」で別れてEDはあっさりとしていて本作らしい納得がある。最後ハナの負けず嫌いが再度強調されるのも良い。落ち着いていて、渋くて、上質なアニメ。劇伴の趣味の良さも。

MFゴースト 2nd Season

今クールのフェリックスフィルム三作同時放送その一。一期からそのまま続きで三期への続きも特にシーズンごとに区切りを作ったりしない泰然たる制作スタイル。二期は芦ノ湖GTからペニンシュラ真鶴のスタート直後まで。芦ノ湖、上空俯瞰から車体の下まで移動していくカメラアングルの自由さはやはりすごい。二駆と四駆、トラクションが終始鍵になる話だった。最後電子デバイスの性能が出るというエリアを過ぎても86で食いついてるのはトラクションコントロールなんかの電子デバイスを全オフでマニュアル操作して来てる、ってことか。英国で悪環境に慣れたカナタの猛追。16話17話とカナタにセリフがなくてキャストにいないのは笑ってしまった。内心も言葉にしないしそのテクニックも作品の解かれるべき「謎」なので無言でも成立するという今作のありようが良く出ているクレジットだった。主人公がいない回とかじゃなくて思いっきり活躍してるのに一言も喋らないのは相当だ。18話、いやー面白い。雨天に濃霧というバッドコンディションが車体性能差を埋めて好機になるカナタの活躍のお膳立てだとは言えるけど、二話ぶりに喋るカナタがユーロビートとともにグイグイ悪魔のデスエリアを疾駆する姿はそりゃ盛り上がる。レースはマシンパワーの違いで50センチ差の四位で決着。先頭争いを霞ませるカナタが記録に残らないけど記憶に残る走りを見せたところで賞金ゲット。しかし真鶴本戦の前に恋とのいざこざで怪我して不利、はなあ。前回はカナタ以外が不利な状況だったけど今回はカナタだけが不利な状況を作った。恋する乙女のヒロインがあまりに古典的だから、男の世界を邪魔するものというその裏面もついてきてしまってて、これはもう作者の世界観だろう。決して悪意からではなくこういうヒロイン像に作者がロマンを感じているんだろうなとは思うんだけど、ミソジニーの拭えない時代の感覚に由来しているので今それをやると視聴者のヘイトを買ってしまうというところがあるな。ヒロインだから戦いの邪魔になるところも古典的。テクニックの底にあるハートの強さを見抜く緒方さん、リスキーなポイントで仕掛ける様からこれまでのカナタの走りはマシン性能の軛によるもので本来の彼はどこでも速いと解説も言って、ここでカナタ像の塗り替えが行なわれて、次回予告へと繋がる。

精霊幻想記2

伝統芸的ファンタジーラノベアニメの二期。日本からの転移者と出会う、一期最終回で端折ったところをちゃんとやり直しての再始動。ウェディングドレスからジャージになってドタバタラブコメに見合う格好になったセリア先生がしっかり期待に応えてくれる。一期のイントロが本篇に被るED入りは作品のトレードマークにもなっていて、二期でも継続されているんだけれど、料理のシーンにかぶせてED掛かるのはちょっとすごい場面で笑ってしまう。何かが起こる!みたいな場面じゃないのに不穏な雰囲気出てる。日本の転移者に語学を教えるセリア先生のわくわく語学教室、そういやこの人先生だったわと思いだし、ラティーファ先生のわくわく語学教室も開校してた。ここでのラティーファが日本転生者という二人だけの秘密はバラすことになったけど、リオがハルトだったというもう一段階深い秘密を共有するの、口説きテクの手練れだろ。五話、一話掛けて窮地にリオ登場のお膳立てをした回でやっぱコレだよなって感じだし戦闘メイドもオタクが好きなやつ盛ってきた回だった。ガヴァネスみたいな人の名前がガヴァネスで首狩り姫の異名を持つ侍女長、暗殺者メイドだよ。七話、貴族の公式の謝罪が土下座とは思わなくて笑った。日本由来と異世界の文化の違いの話してる時に異世界人が土下座してくるのはちょっとトンチキだ。日本からの転移者で勇者と呼ばれる力を持つ坂田がなかなか面白くて、やられ役的な調子乗りかと思えば、常識的な気遣いも見せたりして、どう転ぶか気になるキャラになってきた。そして10話、OP入りで坂田こいつやっぱり実戦経験ないのかと思ったらOP内予告で結構動いてるぞと思ったらやっぱり本篇で一発でやられててお前!ってなった後、覚醒しかけて結構な活躍するけどまたその後一発でのされてて、うーん、コイツ……!ってなかなかの人材。一期は巻ごとの現地ヒロインをその都度作っていくかのような旅ものの良さがあったけれど、二期では主人公の母親を殺した男や学園を追い出した貴族との因縁といったものを回収しつつ、再会したフローラ王女とのロマンスが盛られていくといった塩梅で因縁の決着に主眼が置かれていた印象だ。最後は各国の勇者をずらっと出して、一期最終回と似た続篇への意欲を出して終わった。どうなりますかね。

結婚するって、本当ですか

神のみぞ知るセカイの人の漫画原作。ヒロイン早見沙織ってハクアルートってこと? まあそれはどうでもいいとして、旅行会社勤務の男女二人が、アラスカへの単身赴任嫌さに偽装結婚を試みるラブコメディを通じて各人の色んな結婚を学びつつ、偽装結婚から始まる恋愛を描く。三話、セーラームーンみたいなセーラー服着た小国の王女と真面目な話をしてるのは奇妙な場面で笑うけど、王女を勇気づける主人公の二人は「フィクションとしての結婚」をしているわけで、受けとめる王女がフィクションをまとっているのも正しい。偽装結婚する二人が「普通の夫婦の暮らし」と言われるのは面白いけど、これは女性の恋人がいるのに国のために男性と家庭を作らざるを得なかったクラウディアにとってフィクションの世界のような向こう側の存在だからで。「素朴で純粋な結婚」は虚構のなかにしかない、かどうかは。虚構を生きること、フリをすること。演じることにはいつしか真実も宿ることもある。結婚の価値が変わりゆく社会でなお結婚という制度を演じることで、恋愛が苦手な二人に事後的に恋愛感情を起こさせる流れにもなっていて、まあある意味でお見合いから始まる恋愛っぽさがある。若木作品でデビューした東山奈央が14年後に若木作品に出てくるのはグッと来るけど、ヨーロッパから来たアニメ好きの金髪女性ってだいぶきんいろモザイクみたいなキャラで笑うし、石をプレゼントするのまできんモザで最後かなり面白くなってしまった。六話の離婚話、これはちょっと変な回というか雑な回に見えた。「幸せな結婚」の虚像を描くにしても唐突なわりに離婚した進士家の事情はノータッチでゴリラ化とかドタバタに尺を割くのはどうなのか。妻の内心に気づかず夫だけが幸せに思っていたという話を直にやってもあまり盛り上がらないのかも知れないけど、さすがに妻が一切出てこないままでは離婚を描く話になっていない。妻がなぜ離婚を言い出したのかが一切触れられないの、あり得ないと思うんだけど原作では違うんだろうか。嘘計画で結婚偽装の話は言い出せるのに付き合いたいと言われて思考のデッドロックに陥る本城寺さんたいへん面倒くさくて笑う。ただ九話の本城寺さんの恋愛逃避癖、アホというよりだいぶ悪い人寄りだ。自分が傷つく可能性に怯えて他人を傷つけてる人なんだよね今のとこ。だからこそ偽結婚という保身のために他人を騙す行動に出る説得力があるのがすごい。かなりちゃんと悪人として描かれてるヒロインじゃない? 高校時代の所業はどん引きだよ……。本城寺さん、早見沙織の声がそのタチの悪さをだいぶカモフラージュしてる気配がある。最後、転勤阻止のためのウソだと告白したことではじめて本当の結婚ができる、妥当な道筋だしいにしえのホームページみたいな七色グラデーションでいちゃいちゃカップルができあがっていて笑う。偽の恋人展開をベタにやった感じだけど大人なので本城寺さんの徹底した面倒くささが肝になるのはレアだ。冒険としてのアラスカ、冒険としての結婚、その一歩を踏み出す勇気みたいな話、まあ安定した生活からの冒険、オタクが苦手なやつだからな。結構面白いしまとまりある終わり方をしてて良いけど気になる部分もあるなあという感じ。

パーティーから追放されたその治癒師、実は最強につき

ハーレムものぽい感じでメインヒロイン一人で行きますってやると格が出るよな。何の格だかはともかく。スタジオエルって覚えがないなと思ったら前身含めて1961年からあるけど仕上げ撮影会社だったのが近年元請けになったところでなんとジビエートのところだった。タイトル通りのファンタジーものなんだけど、シングルヒロインの強さとともになかなか良い味のあるアニメで結構良かった。でも追い出したマルグルスがバカだけど悪人にはなれないやつなんだなと思ったら普通に仲間を人身売買するつもりだったとか見直すそばから見損なうやつですげえよ。追放側としてはずいぶん振れ幅のあるキャラだ。七話は良い回だった。アバンのやりとりから面白い。貨幣の少なさに文句を言うナルセーナとこれは金貨なんだと誇示して輝きで金ぴかの受付嬢アマーストの絵面よ。チップを即手に取るがめつさ。手回し式ヴァイオリン、ハーディガーディじゃねえかこれ。アニメに出てくるの珍しくない?ライラとジーク、ラウストとナルセーナの鈍感男性陣をめぐる恋愛話が展開するのもかなり良いんだけど、それにまつわりナルセーナが家出したんじゃないかという疑念を晴らしてちゃんと仲間になるハードルをクリアしつつ、不穏な伝説と絡む軸も出してきてメインの話も進めていく手際の良さがある。デフォルメ顔演出が楽しい回だ。ライラ、いきなりパートナーになって、って初手からプロポーズなの覚悟決まってるな。ここの劇伴の停止・再開芸笑う。みんな覗いてるのも。デフォルメ顔画面を走らせたり省力化したり楽しい回だった。最後はラウストとナルセーナの二人旅が始まって、マータットの街篇終了ということだろうか。斧を足に落とす人が序盤以来の再登場でちょっと笑う。ナルセーナというヒロイン一人で押していくアニメで、ハーディガーディが出てきたり中盤のラブコメ回とか色々面白いポイントも多くて良かった。

さようなら竜生、こんにちは人生

勇者に討たれた最強の竜が村人ドランとして転生して人間として生きていく、という異世界ファンタジー。主人公の落ち着きもあってちょっと独特の雰囲気がある。ラミア種族のセリナというキャラがメインヒロインで、元竜の主人公と竜と蛇というカップルになっててなかなか面白い。特に二話、ラミアという人間に危害を加えると思われている種族を村に迎えるにあたって、贈り物をして段階的に進めたり、占いやマジで神官に下される神託などで村に住まうことを許されるまでの異世界の文化をちゃんと描こうとする気概がある。牛人が自らの牛乳を村人に提供してるというのもエロじゃない意味がある。エロでもある。目の前の人の出した乳を飲めるかといわれるとちょっと、複雑な気持ちになりそうだけど、まあそれがこの世界の文化か。「妻のミルクをオレより飲めるヤツはいるか?」というミルクで酒の飲み比べみたいになってるトンチキ感があるけど、娘のミルクを夫に味見してもらおうと思って、というとんでもない倒錯感がさらっと出てきてすごい。牛人なら普通。搾乳場面は出さない。最後で村を守るために学業を修めるというのにセリナが出て行くのはちょっと妙だけどドランが決意して連れて行くと宣言して収まった。思ったよりも人は優しい、でも必ずしも誰にも理解されるわけではない、という塩梅の話なのは良いな。牛族の亜人の乳を飲むという妙に変態的に響く所以外はほとんどエロ要素もない堅実な異種族共存の話だった。

歴史に残る悪女になるぞ

コミカライズを読んでいる。MAHO FILM、柳瀬雄之監督作品。悪役令嬢レベル99みたいな勘違い主人公というか、悪女というものに憧れている主人公アリシアが、聖女として皆に好かれているリズと対立関係になっていく話。とぼけたミニキャラ演出がかなり良い。アイキャッチの声優一発芸も柳瀬監督アニメ恒例でこれこれって感じの楽しさがある。やっぱ一年に一作柳瀬雄之アニメを見ないと始まらねえよな。ただ話としてはお花畑理想家と現実を知るリアリスト、この構図自体がネット民的イデオロギーぽくてアレだけど、悪役を買って出ることで悪女と聖女、リアリズムと理想論の対話による発展を実現しているとは言える。リズのお花畑感とアリシアのリアリストぶりの対立のイデオロギーぽさは、悪女に憧れる天然気味のキャラにそれを乗っけることで臭みを抜いてるんだけど、ツイッターの感想とかにアンチリベラル系の人から反応があってなるほどなあと思った。コミカライズは良い出来だと思うんだけどその分さらっと読んでて結構内容アレなことをスルーしてて、アニメではそこのつらさをコミカルな演出で見れてるってところがある。国外追放に備えて農業知識つける悪役令嬢ものって結構あった気がするけど、本人の意図通りとは言え最後本当に国外追放されてビックリした。二年引きこもったり実際に国外追放されたり、展開の節々に大胆さがあるアニメだった。アリシアいじめや自称現実主義な議論のあたりはアレだけど、まあまあ楽しい。しかも一話二話七話11話13話が監督一人原画というなかなか異例のアニメだった。

魔王2099

マジックパンクって言えば良いんだろうか。機械文明と魔導文明の交錯によって生まれた魔導サイバーパンク新宿に蘇った魔王の配信者活動が始まる。二つで充分だし薬の広告あるしブレードランナーネタのうえに石丸魔導重工は石丸電気すぎる。二話の「どうも、定命のものども。生の苦しみ味わってる?」、の動画挨拶、これは笑った。魔王が復活して貧乏アパートで暮らすのジャヒー様すぎるとか思ったけど、配信者活動でファンを増やして力を取り戻すというの、こういうののベタな展開でもあり、ヒロインが攫われて救いに行くという展開が繰り返されるのもまたベタでもあり、王道という感じで悪くない。前半新宿篇と後半秋葉原篇で原作の二巻分をアニメにしたようだけれど、原作の刊行時期を見ると二巻で終了したシリーズがアニメ化を切っ掛けに再始動したんだろうなってわかる。ただ二巻部分になって話の展開はテンポ良くなったと思うけどサイバーパンク要素がなくなった気もする。

ダンダダン

OPのクレジットが異常に読みやすくて高評価。ジャンププラス連載のオカルトバトルラブコメ漫画でタイトルだけは有名で私も知っていたけれどこういう話だったのか。幽霊を信じていて宇宙人を信じてない霊媒師の娘が宇宙人に誘拐されて超能力を発現させ、宇宙人を信じていて幽霊を信じてないオカルトマニアの男子高校生がターボババと戦いその能力を使えるようになる二人が共闘しつつ、彼の奪われた陰部を探している。サイエンスSARUはユーレイデコしか見たことなかったからなるほどこういうアニメーションやる気ありますアニメが本分か。アニメもやる気があるし基本的に面白いと思うんだけど、下ネタ中心の雰囲気は好みの分れるところだろう。圧巻だったのは七話、アクロバティックサラサラの悲しい過去、シングルマザーが娘にバレエを習わせるために売春やってるみたいな光も影もある情景がやたらすごい作画演出で展開されて、母を亡くしたアイラと娘を奪われて死んだアクサラとの交差する関係がここ一番という感じのアニメになってた。でもアクサラの過去をすごい力の入ったアニメーションでたっぷりと描写されるとちょっと下品じゃないかって思う。しかもシングルマザーと幼い娘で悲劇を際立たせるというのもねえ。気持ちよく歌いすぎって感じがする。あれだな、やられるのが分かってる悪役の悪行をたっぷりねっとり描くのと似たようなもんだ。九話、リゲインの歌普通に歌ってて笑った。ダダとケムール人合わせたような宇宙人からカネゴンぽくなってバルタン星人出てきてるのいいのかよ。セミかと思ったらシャコだった。水中アクションバトル、アニメーションがまあすごい。しかしリゲインに反応すると年がバレるな。24時間戦えますかのコピーは前世紀の長時間労働を象徴するフレーズだと思ってたけど、youtubeでCM見てたら働けばちゃんと金が稼げる時代の象徴みたいに言われてて、現在の状況が悪すぎて過去が美化されていく過程を見るようだった。最終回、来週続きがあるとしか思えない終わり方で半年後の第二クールに続く、は無法だろ。人気作品らしい傲慢さだ。このOP映像見てクレジットが読みやすいとしか言わないやつ頭おかしい気がするけど、前期PAワークスの三作のうち二作までがクレジットのフォントに凝りすぎて異様に読みづらかったせいだから。

凍牌~裏レート麻雀闘牌録~

元々2006年から2011年に掛けて連載されていた漫画が原作で、その後もシリーズが今に至るも続いているらしい麻雀漫画が原作のアニメ。高校生がヤクザと賭け麻雀する話でまあとんでもない修羅場が展開されてて、死んだり殺されたり指詰められたり生首出てきたりと本当にすごいんですよ。一話見た時、イカサマに賭け麻雀に謎の少女を飼ってるとかAパートからヤバイ場面ばかりで笑ってたら後半も全部ヤバくてぽんのみちの真裏来たな、って思った。腹から血を流しながら救急車呼んでと拝んでるまっちゃん、笑えるのか何なのかすごい場面だ。お金の代わりに少女をもらうのもすごい。五話、足の小指を切ってちゃんとくっつけられる時間までに勝ってこい、すごい追い込み方されてる。おい小指ちゃんと保冷しておけよ。「麻雀と指一本、どう考えても麻雀の方が重い!」、ヤバくて笑いが出る。六話で普通に銃撃されて人死ぬの怖すぎる。銃撃、生首、シマをめぐっての取引、「こりゃ麻雀じゃねえ、戦争だ」。キッズアニメの要領で麻雀をやってる感じだけどヤクザなので人は死ぬ。高校生の少年には学校でまだ学ぶべきものがあると泰然と構える松本、それで学校から帰ってきたらこの師匠みたいに思った人の指全部なくなってるのこれもうギャグだろ。「お手上げ」じゃないんだよ。凄味がギャグにもなってる。指なし解説おじさん、存在が奇異すぎる。この展開、師匠や恩人のもとにきたら瀕死の重傷を食らっててその刺客と制限時間バトルというのだと少年漫画にありそうな状況だし、つまりこれって麻雀とヤクザを題材にバトルもの少年漫画の枠組みに乗せてるわけで、それってコスプレを少年漫画の枠組みに乗せてる2.5次元の誘惑と双生児ってこと? 12話、高校の同級生の桂木さんがたいそう悲惨な目に遭っておられる。「私、ここで死ぬのかな」それがあり得るかも。手をアイスピックで机に串刺しにされてるこの極限状況で告白はすげえよ。ちょっとギャグ入ってるよ。凍牌のヒロインやるならこのくらい図太くないとならない、それはそう。極限麻雀アニメですごいぜ。

短評

鴨乃橋ロンの禁断推理 2nd Season
一期はどうもふざけている感じでそんなに相性良くなかったんだけど、二期も見てたらそのトンチキぶりが結構面白くなってなかなか楽しく見られた。落ちてる途中の人間をビルの途中階で引っ張り込んで替え玉を落としたやつもすごかったけど、氷の筏で沖に流して殺した、塩で補強して、も凄まじくて、やっぱすげえんだよな。発想が。「氷の筏で沖に流すトリックを思いついた」、そんなことある?! 塩使ってあんな氷の筏作れるものなのかどうかも気になるけど思いついた時に即実行してる海の家の店長の度胸すごすぎるだろ。まあやっぱりパワーがあるアニメだよ。笑いの。研究不正の発覚を怖れて殺人事件を起こすのも目的に対して手段が過大だ。「効率的な人生が最後に足を引っ張ることになるとはね」。保険で用意していた爆弾で笑った。絶対効率的な人間じゃない。

きのこいぬ
いーぬいぬいぬきのこいぬ。HYってバンドだったんだ。紅白でこのOP歌って欲しい。紅白は見ないけど。ペットロスの主人公の元に庭に生えてた自由気ままな謎のきのこだか犬だか分からない生き物が現われて生きる気力を取り戻すアニメ。悲しみに暮れることを許さないためには暴力を辞さないきのこ。好意を伝えるために人の仕事を全部ダメにするきのこ。感動的ドラマととるにはシュールorやることの鬼畜さがすごくて、この手のアニメにしてはキャラがかなり厄介で面倒な存在なのがすごい。特にきのこいぬ小林大紀とプラム久野美咲の声が面白くて良かった。あれだけマスコット系キャラをやってた久野美咲が、ラジオできのこいぬは台本にセリフが一切なくて感情のみが記されていたというのは初めてだったらしく、日本語を喋るなという以外は自由というかなり奇異なアフレコで難しかったけれど自分でも思わぬ声が出て自分で笑ってしまうこともあったらしい。11話、このスタジオと音楽で温泉行ったらそれはもうゆるキャンなのよね。ゆるキャンでは映されない男湯だけど。謎の生き物の謎は謎のままで、最後にスマホをねだるふてぶてしさを見せてのオチは笑う。とんでもねえ生き物だよ。

妻、小学生になる。
東野圭吾にそんな小説なかったっけ。まあ無数にある設定ではあるか。妻を亡くして十年経つ父親と娘の冷えた家庭が、10歳の子の姿をした妻と再会して、という話。他家の小学生を親の合意をとらずに旅行に連れて行っている父親はヤバすぎるし、10歳の他家の小学生と度々密会しているヤバさに気づいてない浮かれっぷりが怖いんだよな。成人まで子供を育てた父親が他家の子供を親に無許可で連れ歩いてるっていうとんでもなさに毎回びっくりしちゃう。貴恵母、白石千嘉が作中で一番人間的なキャラクターだと思う。自分が一番要らない人間だと悲嘆に暮れて、不倫されて慰謝料請求も実行はできず、娘の料理を邪険にするも完食して思いを受取り、仕事先の母子家庭の人からの甘いものを娘にあげようとしていて。傷ついて立ち上がっての浮き沈みを生きている。応援したくなってきた、圭介に負けるな。しかし圭介お前どの口でまともな子育てを語るのか、という。貴恵がいなければ死んだような家だったのに他人の親を未熟だと判定しているのすごいな。原作は知らないけどアニメは話の色々アレな部分を意識して距離を取りつつサスペンスフルなストーリーテリングを維持していて、乗りこなしてるなって感じがある。文句も含めて充分楽しんだね。これそっくりの設定の漫画絶対別で読んだことある、もうちょっとオタクよりの作家で……と考えてたんだけど、小学生がママでもいいですか、ってやつだ。ぢたま某の。

るろうに剣心明治剣客浪漫譚- 京都動乱
新アニメ二期、キタニタツヤがまた別の人と組んでOPやってる。志々雄が出てきて原作の盛り上がり所へ向けて逆刃刀の因縁とかパワーアップイベントとかをやってる段階だけどまあまあ面白い。30話、二重の極みの謎物理。謎破戒僧との修行だけで終わったすげえ回だけど二重の極みにはそれだけの時間を掛ける価値がある、それはそうかも知れない。殺人術という暴力の危険性、権力との分離、暴力の後始末の歴史、そんな話をずっとしてるアニメだよな。

齢5000年の草食ドラゴン、いわれなき邪竜認定
日本のラノベ原作が中国でアニメ化された作品のまさかの二期。作画レベル上がった? ここまでがコミカライズされてた部分だと思う。アニメも悪くはないと思うんだけど、コミカライズはもっと面白かった記憶があるんだよな。記憶だけかも知れないけど。二期は王族姉妹百合エピソードだった。これ原作二巻の内容か。原作は全三巻のようだけどもしかして三期もあるんだろうか。OPがシネスコで画面を構成しながら枠外に飛び出すものを描いて勢いを出す演出がかなり格好良い。始まってすぐに上下から黒い縁取りがされるフリがサビから炸裂するっていうね。今年のアニメOPでもアイデア賞くらいある。

アオのハコ
ジャンプに載ってる少女漫画と噂のやつがやたらリッチなOPでビビる。髭男OPにEveED、売る気ありすぎて笑ってしまう。高校生男女同居、親相当考えそうだけど軽い。体育館が、でかすぎる。部活が強い学校ならこんなこともあるのかな。青春の舞台として主要人物がみな体育館でやるタイプの部活動をしていて、だからこその巨大体育館というタイトルらしいところは良い。第一クールラストはヒナが浴衣デートで攻めてきて、千夏が勝手にウソをつかれたと恋愛を意識したような構図の変化が出て来た。

トリリオンゲーム
マッドハウスがDR MOVIEと制作協力するアニメ、面白い漫画を堅実にアニメにしていくヤツで、これもドクターストーンの原作者が池上遼一と組んで描いてるという漫画で実際グイグイ見せていく面白さがある。天性のハッタリと社交力で生き抜くハルとパソコンオタクのガクが出会い、虚飾と詐欺のマネーゲームに突き進んでいくって話で、虚飾にまみれたマネーゲームだからどれだけ魅力的な嘘をつけるかが重要みたいなまあまあ徳のない話ではある。

甘神さんちの縁結び
爆焔アニメの監督とスタジオ。飯塚晴子キャラデザ。コテコテの同居ものラブコメって感じでマガジン連載作。EDが音、絵ともに良い感じでこれで終わると良いアニメだった感があるんだけど、OPは意外な曲調だと思ったら大槻ケンヂ作詞でNARASAKI作曲で特撮編曲でももクロの曲、何だコレはってなる。孤児で京大医学部を目指す主人公が児童養護施設から卒園の時期になって遠縁の甘神神社に引き取られ、そこの宮司からうちの三姉妹の誰かと結婚しなければ置いてはおけないって言われるんだけど、この設定ちょっとダメな気がする。三姉妹のキャラとかラブコメとしてのポイントは稼いでると思うんだけど、神社の祭りに客を呼ぼうと言う集客バトル篇は何もかも粗くてすごかった。インスタントなネットバズしか引き出しにないまま話を作っちゃってて、ネットの偽アカひとつで集客が終わりそうなくらいネット依存な例大祭、それ地元の祭じゃないだろ、即売会か?って思った。早く匂わせてるSFラブコメの本筋に行けよと思うけど、そう思われてる作品がいざ本筋に入ってちゃんと面白くなるのかは疑わしい。大丈夫かなあ。今や定番でもある家事万能男子主人公だけど京大医学部に行くという目標とメチャクチャ食い合わせが悪くて瓜生くんに勉強させてあげなよという気分になるし三姉妹はともかく宮司の祖父は何してるんだみたいな気持ちが湧いてきてどうも設定が上手く噛み合ってないと思う。学校に通って京都弁のクラスメイトに囲まれる場面は京都弁ハーレムというなかなか珍しい場面で良かった。

ひとりぼっちの異世界攻略
一話のキャストクレジットは主人公だけで一人原画という、ひとりぼっちを声でも絵でも実践してるのはやる気を感じる。と思ったけど一話には他人の声もしているからキャストを表記してないだけだった。しかし一人原画は以降ずっと継続していて、世にも珍しい全話一人原画という珍しいアニメだった。しかしクラス内を不良、ギャル、脳筋バカ、オタクなんかに分けるの古臭さがすごいけどクラス転移ものの古典作品だろうか。ぼっちでいたがる主人公が異世界転移して残り物のスキルで孤軍奮闘して強くなっていく話だけど、そこら辺の思考がよく分からない。とはいえ美少女アニメとしてはキャラデザとか悪くないと思った。OPの絶妙な洒落た感じと、EDの良い感じの曲と一枚絵で勝負してくる感じも良い。EDで出てくるキャラのほとんどに名前がないけれど。

星降る王国のニナ
少女漫画ファンタジー。孤児が王女と同じ色の目をしていたから、と王子に拾われて王女の身代わりになる話で、直情径行で恋愛脳のつまり育ちの悪い少女がその行動力で王族の権謀術数を振り回していく話になっている。梅原裕一郎内山昴輝の二人のどっちを選ぶんだという流れなんだけど、最終回がどう考えても二期前提の終わり方だろって展開なのに続報なく終わったのがすごい。人気作なのでワンシーズンでも全然区切りとかつけない王者の余裕があるアニメもあれば、分割二期とかでもないけどあえて区切りよく改変したりもしない覚悟のアニメ化もある。坂本真綾OPに東山奈央EDがそれぞれ結構良い。

シャングリラ・フロンティア 2nd Season
年始に一期第二クールをやってからの今年秋に二期の第一クールをやっているVRゲームアニメ。ゆるゆると見ている。金ピカサソリとの決戦からロボゲームでのバトルとかCGでも頑張っている感じ。36話、ヒロインの主人公との初遭遇からそのままストーキングしてゲーマーなのを知ったの、だいぶおかしい人だ。ストーキングで知った彼のあり方からやるからには全力で楽しむ、とサンラクにエールを返すの、過程は狂ってるけど最高に決まった一言になってるの笑う。3クール目にしてようやく主人公とヒロインのタッグバトルが始まるの、良いね。お互い顔が見えてないキテレツスタイルだけど。C2Cといえば転生したら剣でしたの二期やるって話どうしたんだろう。

来世は他人がいい
アフタヌーン連載のヤクザ同士の恋愛もの漫画原作アニメ。凍牌と並ぶヤクザアニメだ。甘神さんが京都弁アニメだとすればこちらは大阪弁アニメ、というかもっと細かく言えるんだと思うけど私はあまり分からない。吉乃役上田瞳京都府出身らしいけれど。霧島役石田彰の酷薄なやべえやつに惚れられる話で、自分が愛される限りにおいて男性は暴力的であるほど魅力的、みたいなヤクザ恋愛もののキツいところが純度たっぷりに出てる感じがあるにはある。京都弁の上田麗奈も出てくるよ。最後は面白い終わり方したなあ。トップが捕まった桐ヶ谷組で枝同士の小競り合いが起こっている最中、吉乃はスヤスヤと眠りながら霧島がじっとその姿を見て、寝息で終わる。続きがあるまでちょっとおやすみ、みたいなニュアンスを感じる。趣味じゃないけど面白かったと思う。

マーダーミステリー・オブ・ザ・デッド
ゾンビアポカリプスの世界でタワーにこもって生活しながら安全圏なる楽園の存在に希望を見いだす少女たちのサバイバルミステリ、みたいな全六話構成のCGアニメ。人狼ゲームというかマーダーミステリーというかそういうジャンルのやつらしい。構成秋口ぎぐる、脚本みかみてれんのラノベ作家コンビ。秋口ってかなりベテランの人だった気がする、読んだことはない。みかみてれん脚本だしメインキャラが少女だけなので、実際百合アニメでもあって、人殺しの疑いがかかるとそのキャラが掘り下げられて悲恋百合が出てきたりもする。二話くらいで公式サイト見たら何もクリックできない状態でハリボテかよと思ったら後に修正された。

最凶の支援職【話術士】である俺は世界最強クランを従える
協同制作だけど、フェリックスフィルム第二の刺客。話術というか策略家の主人公が色んなメンツを仲間にしていって成り上がるというダークヒーロー的な異世界ファンタジー。女性と間違われるような顔で露悪的に振る舞う主人公にちょっと複雑なところがあるけれど、まあまあ面白い。序盤の仲間のヴァルターが良いキャラしていたけどそういうやつは仲間にならないんだよな。アルマ役芹澤優がちょっと水瀬いのりっぽく聞こえる。

ラブライブ!スーパースター!! 3期
二期くらいからだいぶぼんやり見ていたけど三期でついに完結。かのんのウィーン行きを強引にキャンセルしたと思ったらマルガレーテとかのんでリエラと別のユニット作ることなってからの再度の合流を目指して史上初の連覇という目標に進む話になった。しかし六話、大学進学とスクールアイドルが二者択一なのが謎っていうか、スクールアイドルって高校終わってもあるんだっけ? 一人で悩んでみんなで解決は良いんだけど、男性を出せないからか親が姿を見せずに可可が勝手に悩んでたみたいな話で疑問符ばかりが浮かんだ。八話、対決ライブ演出が面白いけどまあこれが出来る時点で対決ではないよなと思ってたら赤と青の衣装が着替えて紫になるのは笑ってしまった。出来レースすぎる。その格好してて11人で出場して下さいと言われて「え!?」って驚くのはおかしいのよ。むしろなんでこれで対決前に別々に円陣組んでたんだってレベルで。まあ実質無意味な分離だけど意地とか形式とか色々あって対決という体で合流をショーとしてアピールしたって感じ。別の意味の面白さが出てた回だ。連覇できますように、というなんとも締まらない目標がね。金持ちの苦労みたいな雰囲気が出る。というか連覇という目標が話の都合のためだけにあるものという感じがだいぶある。連覇という空疎さが空虚な中心として存在するのはたいへん日本らしいのかも知れませんね。

君は冥土様。
今期フェリックスフィルムその三。渡辺歩監督だとフェリックスフィルムもこんな画面になるのか。少年サンデーのラブコメ漫画原作だけど、暗殺者と軽妙なラブコメに徹されてもアレだし、そこを真面目にやってもんん?とはなるので舵取りが難しいと思う。雪ではそう感じなかったのに妹のリコを見ると倉嶋丈康キャラ以外の何ものでもないな。妹で萌え要素を荒稼ぎしていく。しかしこれ、色んな要素がちぐはぐになってる気がする。暗殺者要素もノイズだし妹がそれをカッコイイとかいって受け入れてるのも妙だし天誅とか言う言葉もきわどい。五話とかのシリアスに振った話だとマジでまるで興味が持てない話になるのもツライ。普段着にナイフを忍ばせるし、まだ武装しているのも人好に危機が迫る機会があることで正当化されてる感じで、暗殺者というあり方がもらったメイド服のように大切な人との繋がりということで精算されることもないし、そこら辺のことが「私なりの普通」という言い方で全部誤魔化されてる感じがある。細かく暗殺者ギャグ入れるのと普通になる努力云々は相性悪いから止めた方が良い。最終回、いじけてないで言いたいことは言おうねエンド、まあ良いのではと思ったら人好の失恋の話になってあれそういう話だった?ってなって、雪にも時間差で感情が現われて、でEDに入るのビックリした。なんか九話ラストみたいな話で最終回になってないか?

嘆きの亡霊は引退したい
冰剣、でこぼこ魔女のたかたまさひろ監督が、今回はOPに今回のダイジェストを入れてEDではキャラのラップ風次回予告を入れてくる楽しい演出をしているけれど本篇は問題含みだった。主人公クライが屈指の実力者だと思われているけれど実はそうではなく、という勘違いコメディの体裁なんだけれども、クライ自身もだいぶクズな上に周囲の強キャラがパワハラタイプやマッドサイエンティストでだいぶ厳しい。クライが普通にぼんくらなの、聡明だと仲間のヤバさに頭がおかしくなるからかも知れない。EDを歌ってる人が作中に出てきて声も担当して劇中でED歌って次回予告もやってるのはさすがたかた監督って感じで笑った。こちらをどん引きさせるタイプの驚きで引っ張ってたところから最後のオークション篇はちゃんとギャグになってたとは思う。面白いとは言いがたい瞬間も多かったけど、OPEDの工夫などたかた監督の手腕で面白くなってる部分も多々感じられた。二期が決まっている。

やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中
内田秀主人公は初めてかな。井澤詩織の竜、幾つめだ。前世のやり直しをしようと竜帝と呼ばれる隣国皇帝に嘘の求婚をしたものの、案外にポンコツ気味の悪い人ではないと気づいて本当に結婚のために頑張ろう、というラブコメではある。竜帝の一族の抗争に飛び込んだループして14歳の主人公が色々頑張る話なんだけど、あまりにも色んなことがハイテンポで進んでいくために、ジルと竜帝のコミカルなパート以外の話がすべて立て板に水のように流れていってまったく頭に入ってこない。脳が滑るという語にこれほどぴったりなアニメもない。とはいえOP、曲はsajou no hanaでシリアスな感じなのに冒頭からジルが漫画肉を食べながら走るし、ずっとメガネ押さえながら走ってる金髪が変な踊りし出すのが笑ってしまう良いアニメーションなんだよな。

大正偽りブラヰダル~身代わり花嫁と軍服の猛愛
僧侶枠。キャラデザだいぶ良いな。汚いわたこんとか言われてるけど姉妹仲が良い点であっちより上品だと思う。体の弱い妹の代わりに軍人に嫁ぐ女性が主人公で、異能バトルがないぶんまっすぐに恋愛やってる感がある。二話、麻子がシルエットになった瞬間黒字にスタッフクレジットを出す演出はかなりキレがあった。白黒からキスで色が付くところも。四話、妹これどう思ってるんだろと思ったら姉のポイントアピールしたりして応援してるのに姉は自己卑下が強くて気づかないのか。こっちの妹は結構なシスコンで幸せな結婚の妹に比べて平和だね。子をなすためにのみ求められる嫁という考えを持つ軍人父との夫婦の共同戦線、大正時代に昭和の感覚で対抗している感じがあるな。代わりではなく元からお前が欲しかったんだよルートだった。父親の前でこれほどのいちゃつきを? 勇壮なOPからベッドシーンへ入っていくのは笑ってしまう。偽りの結婚から本当の愛へ、大正の結婚観に抵抗することで間男も使わず純愛を貫く優良僧侶枠だった。

どうかと思ったもの

チ。 ー地球の運動についてー

以前から世評の高い漫画原作アニメで、「教会」の弾圧によって天動説に疑問を抱くことが異端とされ命すら奪われる社会で、さまざまな人物によって地動説が受け継がれていく歴史風物語。事前に批判記事を読んだことがあり、まあ見てみると科学の発展を邪魔するのは宗教権力みたいな単純すぎる世界観がどうかなというのはよく分かる。としても異端審問官の津田健次郎に追われながら地動説を引き継いでいくドラマはちゃんと面白くて、ここで低評価にした理由は別にある。見た人は途中の数話で顕著に画面が暗いことを知っていると思うけどそこだ。目立ったのは五話で、星を際立たせるとか夜の暗さとか演出意図はあるんだろうけど画面見る気をなくすくらいに画面が真っ黒。ずっと暗くてなんだこの画面と思ってたら話が入ってこない。途中から画面のガンマ値調整するツールを何年ぶりかに起動して使って見てたくらいだ。部屋の照明を消して見ると結構ちょうど良い感じになるからそうしてくれと思ってるんだろうけど、お前のためにそこまでしてやる義理はねえとしか思えなかった。しかもアニメがこの暗さを想定して作ってない感じがする。単に最終段階で暗くしただけに見えるというか。12話でもまたかなり暗くて、この暗さで画面作るのいい加減にしろよって怒りしか湧いてこない。作中のキャラに見えてるものがこちらに見えてないんだから演出としてばかげてる。可読性を落とすことを演出だと思ってるやつがマジで許せない。ただ画面暗くして演出になると思ってんのか? 暗さと可視性を解決するのが演出だろ。

魔王様、リトライ!R

モブから探索英雄譚の月虹制作古賀一臣監督、声優も津田健次郎以外総取っ替えという続篇。あれこれ最初から?と思ったら最序盤だけやってアクと出会ったら一期分の話をやったことにして温泉できたところまですっ飛んだ。デフォルメ演出は普通は嬉しいものなんだけど、一期は真顔でそういうこと言うのが面白さだった気もする。キャラデザが良くはなってるとは言えるけど、どのキャラも美少女って感じにしたせいで個性がなくなってるんじゃないか。内容はとにかく、やばいのは劇伴がぶつ切りの方ではという気もする。劇伴がこんなに雑だとこんなに違和感あるんだなと知ることができる。作画というかアニメがぐだぐだなところに場違いなギャグを入れると悲惨な感じが出てしまう。ちょっとコミカルな場面になるとすぐズッコケBGM掛けてギャグですよって場面にするのを細かくやり過ぎてるのが問題なのかな。パッパラパッパ パーって聞こえる度にバカにしてるのかって思えてきた。うーん。元々話が面白いとかではなく無印の何か分からんけどとにかく面白いという語り口のセンスがずば抜けていたことだけが分かる悲しい二期だった。こんな違うことある? ED、やっぱlala larksとかスクールフードとかすごく思い出す曲で、画風も良い感じでEDは良いと思う。

株式会社マジルミエ

怪異を退治する魔法少女が会社に所属している現代日本風の社会を舞台にした、ファンタジー概念をリアリスティックに解釈するタイプの作品なんだけど、その割りに設定が適当で、そのテーマをやるための状況、その物語がリアリティを持ちうる状況というのが全然設定できてないと思う。序盤の商店街一つを封鎖しての大がかりな作戦なのに零細企業一社の二人だけでやってるとか、業界内展示会のようなその道のプロがたくさんいる場所でトラブルが起きてるのに二人だけで対処するとか。土台が溶けてるから上に積んだテーマや対立がどれも形になってないと思う。この社会人魔法少女設定で何を見所としてるのかいまいち分かってない。やってることは消防みたいな公共性の高いことなのに零細の規模感なのが謎だ。戦闘系じゃない魔法少女として街の人の助けになるみたいな話ならこれでも良いんだけど、違うんだよな。


リゼロ三期は16話構成らしいけど、二クール分の放送枠を用意して最初に八話を放送、次にそれを再放送して残り話数に繋げるという放送スタイルを取っているのが珍しい。ありふれ三期も同様に全16話らしいけどこれは随時特番なんかを入れていくようで、色々模索が続いている。

また空前のもりたけしコンテブームと一人原画ブームがあった奇異なクールだった。もりたけしコンテのアニメをワンクールだけで23話分見ていて、毎日もりたけしコンテアニメを見ている気分になったこともあった。ひとりぼっちの異世界攻略が全話一人原画という試みをしていたけれど、歴史に残る悪女になるぞで柳瀬雄之監督が一話、二話、三話、七話、11話、13話と一人原画をやったのもすごい。ぼっち攻略は複数回担当した人もいるけど色んな人が参加しているのに対して悪女はほぼ半分を監督が一人原画しているという驚異。

また、オタク作品が奴隷少女を囲ったり云々の話を見かけたけど、奴隷ハーレム系作品は確かにあって男性向けというか男性主人公作品が奴隷制度に乗っかったりするなら、女性主人公作品が王侯貴族に庇護・寵愛されるかたちで階級制度に乗っかってることと対の現象だとは思う。ループ7回目の悪役令嬢もベースはそうだし今期の星降る王国のニナややり直し令嬢とか、現代物だと来世は他人がいいのようなヤクザに愛されるものとかの冷徹王子に溺愛される系作品って非常に多くて、これらには暴力と権力を男性に仮託しつつそれに乗っかっている。春クールの魔王の俺が奴隷エルフを嫁にした~、というアニメが男女両対応っぽくて面白いと思ったのはこうした点にある。

50作くらい見ていた内の35作について書いたか。

通年アニメ

シャドウバースF

なぜか百合要素が強いカードゲームアニメも今年二クールやってついに完結。本年最初の話数から、二人っきりになれるチャンスと言って「ひとけのない場所も探してさ、待ち合わせしてさ、仲直りデートでさ」と言い出すアリスさんすごい。「ひとけのない場所」とは?? 緊急事態でもミモリとアリスの百合描写には尺を割くシャドバスタッフ、これよほど無印の人気がこの二人に牽引されていたとかじゃないとおかしいくらいのプッシュ振りなんだけどどうなんだ。単にスタッフの趣味か? それはそれで。キッズアニメで百合心中やっていいんだと思った81話もすごかった。「今更光にこの手が届くわけない」「ヒーローはいつだって手遅れだ」の絶望から二人揃って闇に落ちていって「それでも悪は絶やせない」と消えていく、アンドレアとヒナ。自分だけのために戦う云々、ヴォーデンの良い声でしょうもないこと堂々と言うの、なかなかない悪役で笑ってしまう。終盤の決定論的滅亡への抵抗という主軸は現代日本の衰退言説を意識しているのかなと思う時がある。最後もカードゲームに世界の命運が掛かっている状況の妙さをきちんと脚本に織り込んで書かれてるようで、無印終盤の緩みをフィードバックしてる感じがある。93話、「他者と差を生むものはすべて廃止」、そして個性すらも消すというのは人類補完計画過ぎるし、個人の持ち物が違うからこそ成立するカードゲームをも否定するわけでなるほど敵だ。「俺は俺としてここに立っている」「自分と違うものがあるから世界は広くて綺麗なんだ」の解答。カードゲームを通して対話にこそ本作の主軸があり、対話を可能にするお互いの差異をめぐる葛藤が終盤のテーマになったのはなるほど一貫していると思った。そうして世界平和を達成してタコパで祝うアニメだった。キッズアニメらしい。英雄扱いか日常かで日常を選んでの安穏とした日々の象徴としてのタコパ。「帳尻合わせの奇跡だって起きる」と前振りをしてのヒナとアンドレアの生還、帳尻合わせがすぎる。アリスとミモリで二人でアイドルユニットデビューの提案を蹴って、マネージャーになって一緒にいるという定番カップルでジャブをかましてヒナとアンドレア、そしてシオンの珍しい制服姿とシノブ。男子同士もだいぶあるけど百合カップルの描写が手厚い。こっちも世界の命運に話が広がるとアレだったけど無印終盤の味のなさに比べたらかなり良かったし、強引にハッピーエンドに持ってって締めたのも良い。休止期間いれるともっと長いけど二年間のシリーズ、見応えあったね。

遊☆戯☆王ゴーラッシュ!

91話から139話まで。二年目ラスト、セブンスで遊我がいなくなってゴーラッシュで遊歩がいなくなるという。セブンスのラストに遊我を送り返して話が一回りした感じだけど、こちらでは遊歩が何者かに攫われてその探索に赴く三年目に突入。三年目が続いていてクライマックスも近そうだけれど全体の話は結構どうなってるのか分かってないところも多い。ベルギャー人の消滅や死者蘇生、時間移動と色々なSF的大ネタを繰り広げつつオーティスは誰なのかというセブンスとの関連も匂わせながら二作続いた因縁の回収を続けている。カレーパンが意識を持つし、「超激辛カレーうどんの力で飛ぶというわけか!」とかこのアニメずっとカレーが宇宙船の燃料扱いなの何。食べ物にもなるし燃料にもなる、つまりエネルギー。そして111話、「我が勝利した時は、一番取りにくい場所のカレーパンをいただく!」「何言ってんだよズウィージョウ!」、「何言ってんだよ」が本当に何を言ってるんだっていうシチュエーションに弱い。一番奥のカレーパンで話引っ張るアニメ、おかしすぎる。120話あたりから10話くらいはなぜかプロレタリアなデュエルが頻出して面白かった。121話、組織解体に伴って雇用を守ると言う合併側と組織維持を求める側との労働争議デュエル。123話は醤油一滴をめぐる革命デュエルで、「革命的撤退精神」「だがここで負けを認めて撤退したら、俺はまた社会的撤退者だ。だったら! オショーユ革命を絶対に成功させてから撤退する」。128話、半ば総集篇のサブタイが「労働を切り開いて突き進め」なのは何。囚人服を着て「これが革命に失敗したものの末路よ」、キッズアニメのセリフとは思えなくて笑う。「世界中の数多の経営者はつねに権力に溺れたいんだエポ」、革命と労働に意識が高いアニメすぎるだろ。労働、革命、爆弾。嘘みたいだけど全部あるんだよねこのアニメには。130話、デュエルするにも許可が要る「管理、統一規格、無個性」、ディストピアSF的な管理社会批判。あまりにも旧式だから管理が及ばない機械でクリアは笑うけど、管理に対して先が見えないラッシュデュエルが未来を開くわけか。収容所開放、これバスティーユ襲撃? 135話は列挙される平行宇宙の描写がナンセンスかつ奇抜で奇想SFの面白さがあった。「永遠に落下していく絶望の井戸のなかで唯一の希望は周囲に飛び出た釘の先っちょを少しでも避けることでしかない場所」「まともに生きて行くためには冬虫夏草に80%乗っ取られなければ生きて行けない場所」「ポロシャツの襟を立てないと死ぬので立てすぎて耳が半分ちぎれる場所」「完全なる世界平和が成し遂げられると必ずガンマ線バーストで焼き尽くされる場所」「鏡にも水面にも自分の姿は映ることなく写真映像のなかの自身の姿も自分自身では決して見ることができず、自分がどういう存在なのか○○○○(聞き取れず)の抽象画を介してしか知ることができない場所」「苦悶の嗚咽が唯一の他者とのコミュニケーションである場所」「怪物に飲み込まれ消化されるまでのあいだに他人と出会い、消化液でドロドロになりながらも社会を築き文明を発展させることが本能として刷り込まれている場所」。自分たちも含めて、どんな異様な場所でも皆必死に生きている、皆与えられたもののなかで最大限にもがき続けている、そのなかで何かを諦め、気を緩めた瞬間、行為や自身が無意味となり宇宙の秩序にすりつぶされる、というのはカードゲームのイデアだ。運命に抗うこと、労働争議デュエルや革命デュエルもそういう? 137話の「すべてのラッシュデュエルが自分が何ものであるか、という究極の問い」というのは重要かな。年内ラスト139話で未来に行くかと思ったら戦国時代に転移、SFから時代ものに転換していって、風呂敷をバリバリ広げていく。「時間に勝つにはどうすれば良いのか」、それで平行世界の横糸のパワーで勝負する、どういう対決なんだ。時間と空間のバトル、スケールデカいぜ。

ひろがるスカイ!プリキュア

47話から50話の最終回だけが年を越すプリキュアの構成、この記事の作り方からすると結構困るな。スキアヘッド、愛に殉じたやつかと思ったら黒幕じゃねえか。ダークキュアスカイ、青黒い髪の毛に赤黒い差し色入ってるの、こういう一色違う毛束があるのは最近の流行りだけどなかなか良いなと思ったらすぐ戻ってしまった。最終話、曇った空を割って世界を渡り別の国との縁を結ぶヒーローたちと、それぞれの場所で自分たちの場所を守る普通の人々が支えあうみたいなところに、街で暮らしてたっぽいカバトンたちもその一人になっててプリキュアを助けに来るってのはまあベタながら良い。強くて格好いいヒーローの涙や弱いところを知っているのが二人だけの秘密という関係で別れが描かれる。「これまで、何回手を繋いだか覚えていますか?」、すごいセリフ。上で書いたヒーローと普通の人が手を繋ぐというのが空と地上、ソラとましろで重ねられている感じだ。「アゲハさんみたいに格好いい大人になりたい」、ツバサはアゲハを憧れの大人としながら、プリンセスエルとなんだかフラグを建ててるようでコイツ、ってなるな。ヴォーカル曲のなかで変身する演出新鮮な気もするけど前もあったっけ。キャラやキャラデザは良くて、話は普通って思うところもあったけどまあ良かったかな。次回作とキャラが並ぶとわんだふるはキャラデザをより子供向けっぽく寄せたように見える。

わんだふるぷりきゅあ!

一話、いつでも飼い主と一緒に遊びたい犬が人間に変身してさらにプリキュアに変身する二階建て仕様。飼われてる方と飼ってる方のワンセットで両方プリキュアになるんだな。犬っぽいころころとした動きが作画の躍動感にもなってて良い。動物テーマの今年のプリキュアは戦って敵を倒すのではなく、敵サイドに操られた暴走状態のアニマルを沈静化させて解決というのを一貫させる新機軸で描かれている。キュア○○を名乗って本当に攻撃せずにキュアにだけ専念してるプリキュア。バトルシーンはあるけれども、浄化のための捕り物の雰囲気で、動物の正体を推定してその習性から捕獲を目指すのがメインだ。そこで主人公の友人の動物好きの男子キャラが貴重なパートナーとして位置づけられることになる。女の子だって暴れたい、で始まったシリーズ(を私が見始めたのはスタプリ以降だけど)が暴れ回る動物を癒すアニメになるの、一周回った感じがある。いろはとこむぎの飼い主と飼い犬のコンビと、まゆとユキの飼い主と飼い猫のコンビ、まゆが途中からいろはの恋愛ネタに興奮するキャラになっていってるのは笑ってしまう。良いキャラしてる。いろはと悟くんの恋愛描写が正面から描かれた35話は特に印象深かった。悟くんの思いを余白に映し込む構図、思いの花が咲く場面を核に恋と花を用いた演出、デフォルメの効いたコミカルな作画の楽しさ、非常に良い回だった。みんなが応援する悟くんの恋、これちょい前だとヒロインの役どころだし悟くんはまあ今作のヒロインなんだよな。平林佐和子脚本、コンテ演出広末悠奈。恋に気づかなくてというか聞かされてなくてメエメエが泣き伏してるの笑う。彼女ができて遊ぶ時間が減るのを寂しがる友達ポジション。そして余計なことを言うポジション。最悪だけど時計の針を進める悪役を買って出てる貴重な役どころと言えよう。36話、告白正面突破だ。大胆に陰影を使うし作画も気合いが入っている。動物や共生をテーマとするので性愛・一緒にいることをテーマにした回に力を入れるわけですね。感情の高揚と紅潮が夕陽に象徴されつつ、波打つリズムもまた感情の比喩でもあるだろう。成田良美脚本、上田華子コンテ、飛田剛演出。37話、デートと聞いて心のなかで絶叫してるまゆで笑ってたらラブの空気に押されて白く消えるのは面白すぎる。バトル漫画かよ。「いつもと違ってくれて嬉しい」、友達関係からの変化の肯定をしつつ素敵なシチュエーションやってて良い。しかし、裏でメエメエの失恋を描いているよねこれ。もちろん悟くんといろはの直球の恋愛描写も良いんだけど、その影で完全に失恋みたいな演出で描かれてたメエメエのことも気にしてあげな。メエメエの悟くんLOVEは、本物……。44話でペットロスの話が描かれたのも印象深い。家に来て18歳の犬、人間で言う米寿の最期を見送る。ペットロス回を経ての45話は一緒に追いかけっこをすることで絶滅した狼の化身のようなトラメとも友達になって解決、今作らしい一貫性はある。浄化シャワーを向こうから浴びせてくれと言われる展開になるとは。ただ狼の怒りが消え去った、というあたりに絶滅動物の扱い方に欺瞞を感じるんだけど、それでも友情主軸で行くというスタンスは偉いのかも知れない。他には全篇コミカルな演出が楽しい演出野呂彩芳の13話や上田華子コンテ演出の17話のアニメーション面白めの回も印象にある。

ひみつのアイプリ

2022年10月に終わったプリマジ以来、本年四月から始まった久しぶりのプリティーシリーズ。帰ってきたって感じだ。日本側の共同制作がタツノコからOLMに変わってる。マーズレッド構成の藤咲淳一が監督。仮想空間アイプリバースでアイドルプリンセスことアイプリをやることに憧れていた主人公が偶然アイプリになるけれど、憧れていたアイプリが同室の幼馴染みだったことに気づいていなかった。見た目はまったく変わらないのにアイプリとリアルは別物として認識されているのでそのことを秘密にしたり明かしたりといったひみつがキーにもなっている。このひまりとみつきの幼馴染みが寮の同室で大親友なものだからたびたび親密な距離の近さが描かれて、バースインじゃなくてベッドインだよって言う場面が複数回あるのもなんなんだ。九話、つむぎ登場、このキャラはファルル枠か。コピー能力キャラが出て来て初めてのアイプリでバズやって、表面上は明るくても真面目な努力家タイプだろうチィをどん底に突き落とす。声も出なくて、感謝されてさらにえぐられて場を繕おうとしてもできない場面は良い描写だった。オーロラドリームは努力家タイプのりずむが話の上では主人公的だけど子供には受けが悪いから天才型のあいらを主人公にしたみたいな話があった気がするけど、チィもそういう努力家主人公型キャラだよな。色んな要素に既視感があり、プリティーシリーズというかプリパラの諸要素を再構成してかなりのスピードで展開してるような感じがある。10話、「ひまり大好き選手権」とは? つむぎにひまりを取られたように感じて嫉妬するみつきとのひまりの奪い合いになってるの、子供たち世代には超身近な話なんだろうけど百合への導線にもなっている。「私たち同じ、ひまりちゃんが大好きだね」、三角関係が三人関係になった。ひまりとみつきとつむぎでひみつ、タイトルのトリオ結成が16話なんだな。22話、同じクラスの倫理感のあるボーイッシュな子への関西弁の厳しい家の内気な子の恋煩い。ストレートな百合回というか、恋煩いという言葉を出しながら友達になりたいという「思いを伝える」ところで収めているバランス感。23話、お互いにとって相手がカワイイの理想なの、アイスマイリンの百合っぷりがすごいことになっているしひまりとみつきも夕陽を挾んで同じこと言ってて良い百合回だった、ではあるんだけどマッチョを天からかわいくないものとみなして展開していくのはちょっとどうかと思ったな。31話、31話かけたチィのバズリウムチェンジ、重い過去もここぞと加わって感動的だった。一番になること自体ではなく自分だけの一番星、もっとも伝えたい相手への思いにかけることに気づき、一番星を誓ったもう会えないお姉さんへ届ける。ハロウィン回のあの無言の子が来たのはそういう。一番星が一番の星ではないのに気づくまでの。このチィ回はとても良かったですね。

シンカリオンチェンジザワールドも見ているけれど、敵も味方もすべてがマッチポンプだったみたいな展開になってすごいことになってきた。

今年のアニソン10選とOP・ED10選

楽曲単体で良かったものと音と映像とあわせたものとして良いのは別だから迷うなあと思っていたけど、じゃあ二つやればいいじゃないかブログだし。と思ったので二つ発表するね。

アニソン10選
葬送のフリーレン OP2 ヨルシカ「晴る」
愚かな天使は悪魔と踊る ED 石原夏織「Gift」
神はゲームに飢えている OP AliA「NewGame」
悪役令嬢レベル99 ED エレノーラ・ヒルローズ(CV:日高里菜)、ユミエラ・ドルクネス(CV:ファイルーズあい)「好きがレベチ」
ゆびさきと恋々 ED チョーキューメイ「snowspring」
変人のサラダボウル OP 和ぬか「ギフにテッド」
終末トレインどこへいく? ED ロクデナシ「ユリイカ
真夜中ぱんチ OP  りぶ(CV:ファイルーズあい)、苺子(CV:伊藤ゆいな)、譜風(CV:羊宮妃那)、十景(CV:上田瞳)、ゆき(CV:茅野愛衣)「ギミギミ」
ダンジョンの中のひと ED ナナヲアカリ「ブループリント」
アクロトリップ OP 水瀬いのり「フラーグム」

神飢えOP、フルでも二分という短い曲なんだけどこういう中二ソングをリピートしながら気持ちを高めたい瞬間も、ある! 真夜中ぱんチはEDが最初面白い曲でOPは普通だなと思っていたんだけどOPのフル版の後半の盛り上がりがある時急にハマってずっとリピートしてた。チョーキューメイはこれももちろん良い曲なんだけどこれが収録されたアルバム「銀河ムチェック」のsisterもすごい曲だから聴いて欲しいんだよな。

今年のアニソンといえば先輩はおとこのこのOPEDはともに良い曲なんだけど作中で重要なモチーフでもあるくじらが主題歌のアーティスト名でもあるのはやはり名前で呼んだのだろうか。来世は他人がいいのEDの関西弁ソングはアーティスト名が主人公の名前と同じ吉乃で、これ最初吉乃役の上田瞳が歌っているのだと思っていたけど別人で驚いた。きのこいぬとかラーメン赤猫で有名アーティストがバッチリアニソン作ってきたのとか、じいさんばあさん若返るのEDがインパクト大のものだったのも印象に残る。

OP・ED10選
楽曲ももちろんだけど映像として印象に残ったものを挙げる。かなり雰囲気で選んでいる。

●最弱テイマーはゴミ拾いの旅を始めました。 OP
 鈴木愛奈の曲はちょっと詰め込み気味で忙しないきらいもあるけれど踊り出すところを回り込みながら映す場面や笑顔のアイビーをたくさん出してくる幸福さが美しい作画で提示されていて良かった。EDも良いんだ。
●ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する OP
 土岐隼一の歌にあわせて六回のループでたどった人生を細居美恵子の美麗なイラストとともに動きでも提示するサビ前での盛り上がりが抜群。
●悪役令嬢レベル99 ED
 動画工房でデフォルメキャラを生かしたED映像を多数作ってきた桒野貴文によるEDが良い。動画工房は最近推しの子やらシリアスな作品が多く、この手のコミカルなEDがあまりない。かわりに制作協力で縁の深い寿門堂で見られるのが良かった。
●変人のサラダボウル OP
 曲も抜群に良いけど、実写映像、アニメキャラ、クレジット情報と三層のレイヤーを重ねられた映像は非常に面白いのに公式が上げているのはなんとノンクレジットオープニング。コンテ演出などを担当した脇克典という人はNHKみんなのうたのアニメとかを作っている。
●出来損ないと呼ばれた元英雄は、実家から追放されたので好き勝手に生きることにした ED
 本篇の作画の低調さに対してEDも動きは少ないけれど撮影処理でバシッとキレのある絵になっていて愛美の楽曲とあわせて格好いい映像にできている。
●齢5000年の草食ドラゴン、いわれなき邪竜認定 二期 OP
 OPが始まって上下から黒帯が迫り出してきてシネスコ枠を据えつつ、後半で色んなものがそれをはみ出す演出している勢いの出し方は非常に面白い。アイデア賞。
●アクロトリップ OP
 EDの楽しさとも迷うけれどもこっちを。冒頭で作品タイトルロゴをクロマが手でどけているところから面白いんだけど、公式が上げているノンクレジットでも文字がうるさいという手書き文字の多さが騒々しさコミカルさを支えていて、OPだけでこのアニメは面白いと確信できる。
●やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中 OP
 sajou no hanaの音楽に合わせてシリアスな入りで真面目な映像かと思ったら主人公が肉を手に取り走りながら食べてるところで様子がおかしくなり、ずっとメガネを手で押さえている変な人がやけにグリグリ変な動きをするところで笑うしかなくなる。
●魔王様、リトライ!R ED
 本篇はアレだけど、音楽の絶妙なla la larksぽさも良いし、独特のイラストタッチの画風とそこで描かれるヒロインたちの物語性のある描き方も良い。
●甘神さんちの縁結び ED
 主題歌も良く、映像の止めの使い方などが上手くて、EDを見ると良いアニメだった気がしてくる。

今年の話数10選

コメントは各記事から流用。

●最弱テイマーはゴミ拾いの旅を始めました 一話
スタジオ初の元請けアニメから抜群の一話が出てきて驚いた。自然描写の美しさとそこを一人で逃げていかねばならない不安感、捨てられた子が名前を捨て、捨て場からものを拾い、生まれ変わりとしての水浴びと断髪、そして一日で死ぬと言われていたスライムとの弱者同士の出会い。終盤の展開に難を感じるけど一話と最終話は素晴らしい。簡素な原作を大幅に独自の肉付けをしている。

●月刊モー想科学 九話
14歳の天才科学者が学会を追われ安アパートでの失意の生活から再起し、現在28歳の編集長の姿になるまでのフォー・チュン釘宮理恵と彼女をずっと支え続けたエドワード・チー杉田智和の二人の物語。ギャグアニメから出てきた名ありキャラもこの二人だけの縁起譚、今年の釘宮理恵回といえばこれ。

●悪役令嬢レベル99 11話
この回は前半の重さとコミカルさのハイテンポな展開も良いけど、後半ユミエラが暗闇でパトリックに仕掛けた告白劇が良すぎて驚いてしまった。自分より強い人が好みだという以前のセリフを踏まえてジャンケンでわざと負けたことにして「暗黙」の了解として告白とその受け入れがなされるのは洒落すぎている。

●変人のサラダボウル 七話
サラッと大事な話をして「うん」で締める抜群のセンス。学校へ行ってみたい、戸籍がない、からの探偵の調査対象の親子の話を聞き、サラが黒髪だと自分たちも親子に見えるということを受けての養子の選択肢が浮かんでそれが自然に選ばれるくらいに関係の描写を積み上げてのラスト。最後にスッと置いておく話運びにフリーレンとの小学館の絆を感じた。

●先輩はおとこのこ 三話
女装を諦めざるを得ない状況になっても自分の好きなもの諦められないまことと、まことの特別を大事にしたい咲が夜の海辺で自分たちの着ている服を交換して、まことがちゃんとドレスを着て、咲も尺あまりのスーツを着て、二人だけのダンスパーティをするシーン、青春がすぎる。海辺が近い湘南のシチュエーションも生かされた抜群の回。

●忘却バッテリー 11話
息つく間もない圧巻の回だった。作画がすごいどころではなく、コンテワークがすごいというか画面の繋ぎが気持ち良すぎる。人物の作画自体もすごいんだけど、それを縁取る映像演出のセンスが図抜けていて、カットの切り替え方、画面を上下左右に動かして画面の中のものの動きと繋げるこの、繋ぐということへの意識が千早のフォアボールを選んで要圭に繋ぐことに重ねられてるかのようだ。

響け!ユーフォニアム3 12話
最後に久美子が当然ソリを吹くだろうという予定調和を裏切って、原作とも展開を変えたらしく、それぞれの信念に従ってあるべき結果にたどり着き、しかし、そこにどうしても感情のやりきれなさが残りもする、そんなドラマになってて、いや、うん、凄かったなと。

●女神のカフェテラス 19話
旅館のぼろさと三段オチを巧みに使ったコントの前半と、ずっとヒロインたちが隼の浴衣からはみでた陰部を凝視して大きさについて議論する後半、ラブコメにおける無法の頂点。女将がコントで壊した壁を直してるカットとこの修理費が後々にも響いているのが面白すぎる。

●魔法使いになれなかった女の子の話 六話
年末の帰省での少人数になった居残り組でぐっと主人公たちの距離が近づく。お互いいつもの友人がいなくなって、実家に帰りづらい状況で、腹を割った二人だけの話ができる。この時のクルミとユズ二人の距離の近さたるや。七不思議探索も含めて、「百合と異界は児童小説の伝統」という言葉そのもので良かった。

●ぷにるはかわいいスライム 七話
海回ってこんな画面設計から思いっきり変えて良いんだという作画回の夏。空間を意識させる引いた画面をキャラがコミカルに動き回るし、夏ゆえの溶けるアニメもこなしていく。そして異性を意識するという本作の主軸通りに各エピソードが編まれる。サイフォン越しの絵の他にも、魚群を電柱に映し込んだり、壁に妄想が映ったり、遊び心ある演出が良かった。

他にもオーイ!とんぼは一期のラストの島を出るあたりも感動的だし二期ラストもとんぼの競技ゴルフの楽しさ、ひのきの贖罪も良いんだけどどれも良くて逆に突出した話数が選べなかった。他に候補としては、真夜中ぱんチ四話、ループ7回目の悪役令嬢一話、アイプリ31話、わんぷり35話、遊戯王ゴーラッシュ135話、無職転生も15話、17話、22話あたり良かった。各作品の所で適宜言及したものも多数ある。

今年のアニメ名場面

名場面というか迷場面というか。そういう感じ。基準は主観だよ。

道産子ギャルはなまらめんこい11話、オーイシマサヨシが主人公カップルよりキレのある動きしてるライブ
外科医エリーゼの20年は古いOP
出来損ないと呼ばれた元英雄、七話
グレンダイザーU九話、敵幹部が「妻の手縫いのマントが!」と言う場面
モブから始める探索英雄譚五話、名前で呼んでた年下の子に「森山さんでいい」と返された場面
状態異常スキル五話、「キリハラ(このオレ)の方がさらに強かった」、のテスラノートばりの字幕
負けヒロインが多すぎる五話、「うわきだよ!」の絶叫
精霊幻想記二期二話、料理をしている場面にEDのイントロが被さって異様に不穏になってしまった場面
魔法使いになれなかった女の子の話五話、強歩大会の途中で鉄道オタクだから見つけられたトンネル
ぷにるはかわいいスライム11話、雪かと思ったら誰かが窓際で大根下ろしを下ろしていたシーン

過去作 OVA・劇場版等

特別編響けユーフォニアムアンサンブルコンテスト

二年時の話。この時はまだみんな久美子が最後のソリを吹くんだと思ってるから投票でチームが二位に甘んじても次があるという流れが自然なものと思えると。久美子の指導力の強調も三期への流れだけど、この時点で三期の展開決まってたのかな。誘う誘わないで久美子と麗奈がいちゃいちゃしてやがる。青春の一ページって感じだけど「ユーフォで一番上手いのは久美子だって前から」と麗奈が言うのにあー、と思ってたら「もし来年私より上手い子が入ってきたら、麗奈はどうするんだろう」って三期を予示するセリフがある。つばめのリズム感だけが致命的なマリンバをまわりと合わせる指導力を見せる久美子、のあとに移動しているマリンバを息を合わせて段差を超える場面を丁寧に描いて強調している。で、つばめの勇気を後押しする久美子。指導力描写が三期の後で見るとなるほどな、となる。みぞれがすごいところから顔出してた。「窓開けるの上手で嬉しかった」、みぞれが上手く開けられないのを久美子が上手くやる、というのはわかりやすいな。秀一、「優良物件」扱いされてる。奏の「いじめですよいじめ」、このすばの空気が出てる。夏紀と優子が言い合いしてるのクラスのエンタメになってるし久美子も扱いが雑で笑ってしまう。「私が厳しすぎるってこと?」、「弱すぎってことだよな?」が浮かんできた。求と緑で二重奏してるのに合宿の夜のアレは上手く行かなかったんだな、って思う。

劇場版アイカツスターズ

Youtubeプレミア公開で初見。これ八年前の映画か。ゆめロラ極まった映画だとは聞いていたけど現地の子マオリの双子のお祖母さんというロールモデルを据えてこの二人の関係は一生続くことを示唆しているようで迫力があった。冒頭でゆめとローラがカップルストローで飲んでるので笑ってしまった。最初からそれか。よくわからん学園長の離間工作に惑わされつつ、贈られたネックレスが壊れてしまったのを二人で繋ぎ合わせて二つのブレスレットにしてお揃いで付けているのが最後の機内の様子も含めてカップルが過ぎる。島を救った双子の歌姫、絶対モスラのやつだろと思ったら途中でゴジラみたいな着ぐるみがいて確信犯だった。その二人が月と太陽のモチーフを身につけていて、上を見上げてそこへ上っていく星のテーマを受け継ぐ二人にバトンが渡されたという話でもあるか。「ローラのことが好きなんだもん、大好きなんだもん」からの仲間で親友でライバルでとっても大切な友達、と言いながらのクライマックスの場面、顔が近い以上にそこでお互いに相手を選ぶセリフを言わせる動きが完全にキスを重ねてる映像で凄味がある。誓いの言葉だなここ。真昼がなんか相手のために身を引いたとか言われてるのとか良い相手が見つかるはずと夜空に言われてるのもなんかパートナーというかカップルというか、そんなニュアンスが。しかしあこが小春に懐きまくってるのそうだったっけってなるけどこの映画アイカツスターズ始まって四ヶ月目の上映なのか。アイカツスターズ本篇18話の後の話ということになってるけど当時ツイッターはじめる前だからツイッターには感想書いてないけど、ローカルのメモには21話くらいで劇場版のあとだからかゆめとローラがいきなり恋人みたいになりだしだ、と書いてあった。あの時の謎が今、ようやく!

おわりに

週ごとアニメ視聴本数の4クール単純総計は去年が187で、一昨年は154、で今年はそう数えると197本になる。これは二クールアニメを二本、通年アニメを四本と数える基準なので過大な計算だけど。Wikipediaに2024年のテレビアニメというページがあって、そこに挙げられてるうちで見たアニメを数えたら234作中174作見ていることになった。そこには挙げられてなかったりするアニメも幾つかあるから正確ではないけれども一つの基準として。ちらっと名前を出した以外ではショートアニメ含めて148作品について感想を書いている。まあなんにしろ多すぎるかも知れない。
東條慎生@後藤論刊行(@inthewall81) - Twilog (ツイログ)

フィクションの話は終わり。戦争、虐殺、事件、事故、経済色々ありますけど、まあやっていきましょう。そういえば、休日を描くアニメのある回でOPとEDを入れ替えて番外篇的な仕事の話を始めた休日のわるものさんというアニメがあったのを思い出した。

2024年に読んだ本

今年読んだ本の10選とかそういうの。各書名から当該書籍の感想記事にリンクしているので詳しくはそちらを。

ジュール・ヴェルヌ『シャーンドル・マーチャーシュ』幻戯書房

地中海を舞台にした物語が展開される、エンタメ性溢れるヴェルヌ中期の大作。ハンガリーの独立を志して蜂起を計画していたシャーンドル伯爵たちが計画が漏洩し処刑目前となった時、監獄で密告者の名前を知り天誅を心に脱獄を試みるところから物語は始まる。ヴェルヌらしい暗号解読や、監獄での避雷針の感電から始まり高速船の名前に至る電気のモチーフなどSF的な要素もあるけれどもなにより、明快な善人と悪役の構図でハッピーエンドに至る物語性、トリエステからモロッコリビア北部まで地中海全域を舞台にする広がりがあるのが楽しい。

友田とん『先人は遅れてくる パリのガイドブックで東京の町を闊歩する3』代わりに読む人

シリーズ三年ぶりの第三弾。ナンセンスな言葉を実践する、どこが目的かも分からないような歩き・書くという行為が迂回や脱線、方向転換の先に著者自身の人生のあり方そのものに突き当たるような瞬間が描かれている。ユーモラスでナンセンスなエッセイが、ある瞬間に著者の人生のかたちそのものに変貌するのを見たようで、これはなかなか驚くべきものを読んだ。

周司あきら・高井ゆと里『トランスジェンダー入門』集英社新書

さまざまな議論の対象とされているトランスについて基礎的な知識を提供する新書。公衆トイレ・風呂といったシスジェンダー視点での限定的な論点ではなく、現に今どのような状況と課題があるかをトランス主体の視点で語ることに意味がある。専ら「脅威」としてイメージ化されている状況に対して、トランスジェンダーが被る経済的、精神的、法的なさまざまな差別や困難な状態の事例を紹介し、シスジェンダー視点を切り返すことが試みられている。

小島信夫『私の作家評伝』中公文庫

近代の文学者16人について一人概ね40ページほどで扱っていく評伝連載。顔ぶれは森田草平に始まり秋声、漱石、鷗外のほか藤村、泡鳴、花袋といった自然主義、啄木、子規、虚子といった歌人俳人など様々で、人物と向き合う内にその想像がついに小説的にもなる箇所もある。積んでいた花袋、秋声、鏡花、藤村などとあわせて読んだ。

後藤明生を読む会編『後藤明生を読む』学術研究出版

後藤明生の教え子で後藤研究の第一人者というべき乾口達司さんらによって関西で2009年から行なわれてきた読書会の15年越しの成果となる一冊。論考、討議、ノート、エッセイ、創作のほか、後藤の弟さんによる引揚げ体験記や、後藤の学生時代の詩も収録されている。Amazon楽天のプリントオンデマンドおよび電子書籍での刊行。乾口氏のブログで論集刊行を目指して会合が開かれているのは随分前から知っていて、学術誌の研究動向の記事でも触れられていたものがようやく活字化されてまさしく待望のもの。これと拙著『後藤明生の夢』と『挾み撃ち』のデラックス解説版あたりで後藤明生評論スターターキットを揃えよう!

岡和田晃編、山野浩一著『レヴォリューション+1』小鳥遊書房

ゲリラたちによる闘争が永遠に続く不可思議な都市フリーランドを舞台にする、稀覯書として知られていた連作集に、フリーランドが出てくる外伝的な一篇「スペース・オペラ」を加えて編者による解説を付して復刊された一冊。この幻想的革命小説は現実と幻想のズレ・狭間にあるわずかな部分を執拗に描き出そうとしているのかも知れない。

アレクサンダル・ヘモン『ブルーノの問題』書肆侃侃房

ボスニア生まれでアメリカを旅行中に起こった戦争のために帰国できなくなり、働きながら学んだ英語で書いた作家のデビュー作。アメリカとボスニア、英語と母語、歴史と個人、虚構と事実など様々な狭間を各々の方法で描く八つの中短篇。各篇それぞれに語り口を模索しつつ書かれている感じで、既訳書は全部読んだことがあるので扱われる題材に覚えはあるけれども、最初期の作品集ということで後の作品などよりはシンプルな印象がある。

平坂読『変人のサラダボウル』シリーズ ガガガ文庫

今年四月から六月にかけて「変人のサラダボウル」というアニメがやっていた。岐阜県を舞台にした作品で、異世界で起こった内乱から逃れてきた皇女が現代日本に転移してきて貧乏探偵をしていた主人公と出会い、共同生活を送りながらの日常を描いたラノベ原作のコメディアニメだ。本書はその原作。現在七巻まで刊行。ラノベ的な軽さを持ちつつ、探偵と弁護士が主要キャラにいて随所に法律が重要な意味を持つ絶妙な社会派ぶりも面白かった。

荒巻義雄・巽孝之編『SF評論入門』小鳥遊書房

SF評論入門

SF評論入門

  • 小鳥遊書房
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十二のSF評論と巽孝之による序説や各部の前書き、荒巻義雄による終章とで構成されたSF評論集。九回にわたって開催された日本SF評論賞の受賞者の受賞作や別稿等で編まれた、実質的な日本SF評論賞アンソロジーだ。雑誌発表されたままになっていて気になっていた入選作品がいくつか読める貴重な機会だ。大判450ページとボリューム満点。

もう幾つか挙げておく。
田中了、ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ『ゲンダーヌ』徳間書店
文庫版「精選女性随筆集」全12冊
井戸まさえ『日本の無戸籍者』
橋本直子『なぜ難民を受け入れるのか』(リンク同上)
坂口安吾『不連続殺人事件 附・安吾探偵とそのライヴァルたち』
川勝徳重『痩我慢の説』(リンク同上)
オルタナ旧市街の諸作『一般』『踊る幽霊』『お口に合いませんでした』

読んだ本が少なくて、お送りいただいた本や知人が関わっている本の比重が大きくなってしまうところはちょっと気にしている。まあもちろん関心領域が近いからこそそうなるんだけれども。

今年聴いていたアルバム

ついでにここで。

田所あずさ「Ivory」
チョーキューメイ「銀河ムチェック」
アイン・ソフ「駱駝に乗って(スペシャルライヴVol.1)」
Acoustic Asturias「Somewhere not Here」

Camel「The Live Recordings 1974-1977」
Ritual「The Story of Mr. Bogd, part 1」
Jon Anderson feat. The Band Geeks「True」

邦楽は田所あずさのミニアルバムは去年聞き込んだアルバムに続いて非常に良い。チョーキューメイのアルバムはアニメのEDも入っているけれど、冒頭のsisterがとりわけ印象深い。アイン・ソフは随分前の日本のプログレバンドだけれど、ふと聴いてみたらまるでCamelのような楽曲があってしばしばBGMとして流していた。ほとんどサブスクで聴いていたけれどこのなかでは唯一アコースティックアストゥーリアスの新作はCDを買った。安定して良い。クリームのカバーに驚いた。遡ってもらえると分かるんですけど、このはてなのブログはアコアスの第一作のことについて書くために始めたんですよね。

洋楽、Camelの五枚組ライブアルバムは概ねリイシュー版A Live Recordの元になった音源集のようで再発盤にちょこちょこ収録されていたものもある感じだけれど、たぶん未発表のものもあるしまとめて聴けるのがありがたい。既存アルバムのリマスター、リミックスがサブスク解禁されていてそれらも聴いていた。Ritualのアルバムは以前に出たミニアルバム曲をも含んだ新作で、スウェーデンのトラッド風味を加えたプログレバンドの17年ぶりのアルバム。やはりヴォーカルが良い。イエスの最近のアルバムは今ひとつなんだけど、ジョン・アンダーソンが若手?バンドと組んだこれは音も元気だしところどころイエスオマージュのサウンドもあり楽しく聴ける。

音楽関係はサブスクとかで聴いてると何を聴いたのか思い出せなくなりがちで忘れてるのもあるかも知れない。

文庫版「精選女性随筆集」全12巻読んだ

昨年から文庫化が始まっていたシリーズを今年は月一で読んでいくか、と決めて一月から読んでいた。文庫版だけど表紙の紙が特別仕様で高級感があり、一冊あたりも300ページいかないくらいの手頃な厚さで良い。底本が書かれてるのは良いんだけど、各エッセイに初出がついてたりつかなかったりするのは謎。

川上弘美編『精選女性随筆集 幸田文

10年前に出ていた叢書のちょっと高級感があるカバーでの文庫化が始まった第一弾。幸田文は読んだことがなかったのでこれをきっかけに読んだ。露伴の娘として父周辺のことを書いた雑文から次第に独立した書き手として立っていくまでが一望できる。

母を早くに亡くし父から性について教わり、掃除を手ずから学んだ父子の関係に文自身と父露伴それぞれの姿が見えて面白い。そして教師との体の接触や先輩からのラブレターなどに性の目覚めを見出すような同性愛的エピソードがあり、こういう典型的なものがここにあったのかと驚いた。むろんそれが少女期の一過性のものとして尊重すべきという見方ではあるけれども、本書には結婚した夫とのエピソードがないので、いっそうこの「ふじ」での「恋の初め」の話は印象に残る。

そして空襲迫る日々に父とした死についての問答と「じゃあおれはもう死んじゃうよ」の「終焉」の迫力。露伴生前の文章ではいわば「出戻り」娘に対する露伴のなんとも不器用なやりとりが描かれる「平ったい期間」も良い。茶の作法書の扱いを近所の教室から偵察してこいという突っ慳貪な指示を受けて右往左往しながら、不器用なりの思いやりかも知れなかったあれは何だったんだろうという困惑混じりの述懐。

講演へ行った折りに会場から次女の育て方の難しさを次女たる文に聞く観衆とのやりとりがユーモラスな「次女」、「惚れたものへお金をだすこのおもしろさ」と競馬の面白さを描いて現代でも同じこと言ってる人がいるなと感じる「二番手」、そして屋久杉を見に行く「杉」は読み応えのある紀行文。1904年に生まれて1990年に亡くなった、二十世紀を生きた女性の体験の一端が窺える。

小池真理子編『精選女性随筆集 森茉莉吉屋信子

父鴎外に溺愛されて育ち己の世界や強固な美意識を持つ森茉莉と、交流のある女性作家についての文章や評伝など他者の人生を見つめる吉屋信子の二人のエッセイ集。編者が言うとおり「自分」と「他者」とで対照的な組み合わせとなった。森茉莉は三冊くらい読んだけど吉屋信子は色々積んでいるままだった。

森の最初に置かれた「幼い日々」は40ページほどの長いエッセイで、父や母、家での生活や出かけた時の銀座の景色、家に来る父の知り合いたちといった子供から見たものを濃やかに描き出しており、「長い、長い、幸福な日々だった」と、森茉莉の世界の原型といったものを感じさせる。思い出を書いて出てくるさまざまなもの、料理、衣服、小物、植物、色んなものの名前がぞろぞろと列挙されていく細かい記憶の明晰さは驚くべきものがある。がま口財布の留め金を「銀のパチンを開け」と書いてるところが良かった。あれ「パチン」て言うんだ。あるいは森茉莉か家での特有の呼び方か。母は打ち解けてくれない恋人のようで、父は「「パッパ」。それは私の心の全部だった」(49P)と呼ばれる両親のこと。両親、洋燈、町など、「小説の中にあるような明治の世界」という「美しい絵巻物」を愛惜するエッセイ。

銀座に行くのに一番良い服を着ていくのは贅沢ではない、銀座などは近所の散歩の延長なんだという成金趣味への批判を込めた贅沢論はまあ、らしいというか。欧州滞在経験からその個人主義のあり方、宗教や善と悪の匂いを強く感じ、大人だった、と述べるところも面白い。

吉屋信子のエッセイで本書に収められているのは交流のある人物評や評伝といったまとまった文章がメインだ。岡本かの子林芙美子宇野千代与謝野晶子、尾崎放哉。そこにデビュー時のことや競馬のことや自身の幼い頃についてのことなどのエッセイが並ぶ。人物観察録はそれぞれ大変面白い。

与謝野晶子のことを語った文章で、夫妻に会った時一つ覚えていた鉄幹の歌を話題に出したら晶子が自分は鉄幹の弟子だから、と大変喜んだ話がなかなか印象的。世に売れたのは晶子だけれど晶子は自分の方が売れることに苦痛を覚えていたのではないか、と推測を記し、それで自分は気に入られたかも知れないと書いている。

長い交友関係を持った宇野千代についてはその波瀾万丈の人生、バイタリティが伝わってくるようで、共通の友人が死んだ時も「やはり仕事よ。よい仕事をするだけよ。私たちは」(230P)と言い、「やっぱり生きていなくちゃダメよ! わたしは八十までも九十までも生きたいなァ」(234P)と言った話が書き留められている。

宇野千代の人生体験は女としての苦しみを突きぬけて生きるところに生の充実を悟ったと思える。235P。

事実宇野は著者よりも長く生きた。また、同性愛者だったともいわれる著者は、男に惚れるのがそんなに怖いの?と宇野に聞かれて韜晦する様子が描かれてもいる。

「底のぬけた柄杓」は尾崎放哉の生涯をたどった文章で面白いけれど、どうも書きぶりに手探り感があって、これは尾崎の世評が高まる前、あるいは再評価のきっかけになったものなんだろうか。存在を知ったのも同郷の壷井栄から聞いてのことだという。「わが買ひし馬が勝ちたり馬券これ」(240P)、という競馬についてのエッセイの最初に置かれた俳句が面白い。競馬体験はこの幸田文の巻でもあったけど、娯楽として当時大きいものだったんだろうか。

新人賞で選考した徳田秋声の知遇を得たことや、母の男尊女卑傾向に苛立ち、自分の三畳の部屋を得たことの嬉しさを書いたところなどが印象的だ。

小池真理子選『精選女性随筆集 向田邦子

文庫化第三弾。気になってはいながらこの作者のものをちゃんと読んだことはなかった。読んでみるとさすがだなと思うのとともに、面白いエッセイの見本みたいだと思った。自分の戯画化のバランスなどに現代的な「エッセイ」の祖型を感じる。

テレビドラマ脚本家としての舞台裏というエッセイの王道なところから、すぐ癇癪を起こす亭主関白で本音を明かさない昭和の男の典型のような父親とのエピソードや、戦前生まれらしい空襲にまつわる話、食べ物、衣服、仕事で出会った人たち、街中で見かけたものなど。

巻数が表記されていた叢書版と文庫は刊行順が違っているみたいだけど、幸田文森茉莉という著名な父の娘から始まり吉屋信子という明治生まれを経て、戦前生まれとは言え向田邦子まで読んで来るとかなり感覚が近くなってきた印象がある。明け透けさ、親しみやすさなどの等身大の文章というか。そしてお茶の間があった世代の感覚、昭和の時代性を暖かく見守るところに広く読まれる理由もありそうで、他人の家族のこととは言え、「隣りの神様」で、癇癪持ちの父がいつも怒鳴りつける母のドジなところを愛していた、と来るとちょっと鼻白むものもある。

若い時は、 お母さんも気が利かないなと思っていた。だが、この頃になって気がついた、父は、母のこういう所を愛していたのだ。
「お前は全く馬鹿だ」
 口汚くののしり、手を上げながら、父は母がいなくては何も出来ないことを誰よりも知っていた。
 暗い不幸な生い立ち、ひがみっぽい性格。人の長所を見る前に欠点が目につく父にとって、時々、間の抜けた失敗をしでかして、自分を十二分に怒らせてくれる母は、何よりの緩和剤になっていたのではないだろうか。
「お母さんに当れば、その分会社の人が叱られなくてすむからね」
 と母はいっていた。113P

これはないなあ。DVの合理化としか思えなくて、昭和の家庭の闇が隠せてない。うちも父が癇癪持ちで特に昔はすぐ不機嫌になったり怒鳴ったりして、父が家にいると気が休まらない緊張感があったし、こうした合理化なんかする気も起きない単に嫌なことでしかなかった。

それはともかく、引っかかりのある食事の記憶を描く「ごはん」や名前だけは知ってる「父の詫び状」のオチとか、「字のない葉書」などの戦時中のエピソードなどそれぞれ既に有名だろうエッセイはやっぱり面白い。食事にかかわるエピソードに面白いのが多い。

しかしその面白さだけにどこまで事実そのものかは怪しいなとも思った。これは嘘をついてるとかよりも自虐の入れ方とかに感じる。うまく自分を下げて共感やオチを付けるテクニックってのはあると思う。それはこのベストセレクションを読んでるからそう思ったかも知れないけれども。あるいはライオン二部作は記憶や一瞬見たものの疑わしさの話だけれど、邪推すればお話として面白く脚色したものと事実とのズレをそう誤魔化したものとして読むこともできるのかも知れないなと思った。

川上弘美編『精選女性随筆集 有吉佐和子岡本かの子

第四弾。近年再評価もなされている有吉佐和子と、小説家あるいは岡本一平の妻、岡本太郎の母としても知られる岡本かの子カップリング。かの子の母親の側面がよく出た文章はこのシリーズとしては珍しい気がする。

有吉パートでは若い頃のシンプルなエッセイのほかはルポルタージュが収められていて、これはとても面白い。『女二人のニューギニア』は出発から目的地に着くまでの序盤部分の抄出だけれど、大変な場所に招いた友人との歯に衣着せぬやりとりや旅程の過酷さはぐいぐい読ませる。相方の畑中さんからおいしい?と渡されたものをとにかく食べておいしいとお世辞を言うと、自分はこんなもん食べんわ、気味が悪い、と返されたくだりは関西弁も相俟って笑ってしまった。これは一昨年くらいに文庫化されていたので買って読んだ感想を先に記事にしていたのでそっちを参照のこと

日本の離島をルポルタージュした『日本の島々、昔と今。』から採られた小笠原諸島の父島の章は、イギリスやアメリカに領有を主張された日本近代の国際関係史の一端を描きながら島に居住したアメリカ人の話なども興味深い。原本はすごい本なのではと思ったら岩波文庫に入っててさすがと思った。

岡本かの子は夫一平に関する文章や息子太郎との書簡など、妻・母としての側面も強くて、これまでこのシリーズでは独身者や父の娘といった書き手が多かったのに比べるとそこが違ってくる。本人も仏教書で人気者になったり小説で売れたり。知名度としては太郎、かの子、一平な気がする。

夫一平がキリスト教に熱心になった頃のことについて書いたエッセイの一節、「氏の無邪気な利己主義が、痛ましいほど愛他的傾向になりました。」(140P)という部分は、愛他的になったというより利己主義が別の現れ方をしただけみたいな印象がある。女性の政治参加について答えたアンケートに、女性の浮気は罪になるなら、男性の浮気も同様に処罰されることを望むとあり、この時代は不倫にそういう男女差が設けられていた、ということがわかる。

有吉のはすごく面白いけどエッセイと言うよりルポルタージュでちょっと反則気味な気はするし、かの子のエッセイはそんなでもなくて小説の方読んだ方が良いかもとは思った巻だ。

川上弘美選『精選女性随筆集 武田百合子

第五弾はつとに知られた武田泰淳の妻だけども初めて読んだ。『富士日記』の抜粋のほか食べ物や街歩きのエッセイなども収められているけれど、決して言いなりになるわけではない妻と、蛇や飛ばす車に怯える泰淳の関係が描かれる日記がやはり面白い。

富士山麓の別荘にいるあいだだけ泰淳の勧めによって書かれたという「富士日記」は、最初日々の記録が面白いのかなと思ったけれど、数ページ読んでいくとなるほど不思議な魅力があって後半収録のエッセイよりも良いんじゃないかと思った。日々の食事や買い物の記録、出来事の記録、訃報の記録。

大岡昇平やその妻がよく出てきたり深沢七郎が出て来たりもするけど、序盤に時々出てくる「関井」とは関井光男だろうか。下痢をしていた日の記事にこんなくだりがある。

「うんこビリビリよ」と言うと「俺は病気の女は大キライ」と言う。憎たらし。22P

当人が怒ってても惚気のように聞こえる。

タイヤのホイールカバーが外れて、泰淳が拾いにスタスタとトンネルに入っていく時に「死んでしまう」と恐怖と不安に駆られるくだりなども夫婦の関係を描いて印象的だけど、やはりインパクトがあるのは54Pあたりの「男に向かってバカとはなんだ!」のくだりではないか。

自衛隊防衛庁の車は運転が拙劣だという話から、センターラインを超えて正面衝突しそうになった車に苛立った作者がバカだバカだと言い募っていたら泰淳が「男に向かってバカとはなんだ!」と返すんだけど、このセリフは今の人にはむしろ思いつかないくらいフェミニズム以前で衝撃的だった。今の女性差別ってフェミニズムが一般化したがために、男性はむしろ「弱者権力」のある女性に虐げられていると弱者ポジションを取ろうとすることが多くて、この発言は出てこないだろうと。時代の断層。このあと作者は苛立って荒い運転をしてやり返すんだけど、この言葉には反論できてない。男女に明確に序列が存在することを明言できる、そういう時代。昭和41年9月、1960年代半ば、というところ。

昭和42年66Pのくだりでは、汗をかいたままとか湯上がりで扇風機に当たったまま寝てしまうと体を痛くするし、赤ん坊や子供は死ぬ、というセリフがある。こういう扇風機忌避論は私も親から聞いたことがある。。80Pだとさっきとは逆に、何も言わずに妻がいなくなったと泰淳が蒼白になって探しに来る一節などもある。傷ついた鳥を拾ってエサをやったりして「残忍なことをしている気持」を味わった翌日、死んでるのを見つけて「棄てる」の一言で終わるところなんかもあっさりしてて面白い。

昭和45年七月、横につけた軽トラックに乗ってる男二人組から卑猥な言葉を投げつけられた場面もひどく嫌な気持ちにさせられる一節。お腹にキノコのようなものができる病気で死んだ友人、というのも何か不思議だ。昭和47年だとカロリーという言葉が一般的でなかったこと様子も書き込まれている。

富士日記」は夫に言われて書かれた日記なので、夫が死期を目前にして入院のためこの地を去ったところで終わっている。その後のエッセイも泰淳の死後、追想するように書かれたものに印象的なものが多い。

「夏の終わり」のオムレツ店で期待して食べ始めたら三口目でこれまずいんじゃない?と言い合って、別の女性二人組も料理を押しつけ合ってしまいには半分以上残して帰ったのを見たりしたくだりはかなり面白い。

オムレツが向いのテーブルにきた。職人さんたちは畏まり、にこにこしてオムレツを見つめ、フォークとナイフを取り上げる。やっぱり三口目くらいから元気のない顔になる。195P

悲しい夏の終わりで笑ってしまう。

選者の前書きがちょっと、と思ったけどまあなるほどこれは面白いなとわかった。

小池真理子選『精選女性随筆集 宇野千代・大庭みな子』

シリーズ第六弾。長寿で幾人もの芸術家・作家と結婚生活を送ったバイタリティ溢れる宇野千代と、一人の男性と添い遂げ、脳梗塞で倒れた晩年は夫に介護をされて過ごした大庭みな子とで、結婚を介して対照的とも言える二人を組み合わせた一冊。

宇野千代は読み始めてすぐ文章そのものから活力が伝わってくるのを感じる。八年書かなかった小説をおもむろに書きはじめて送ったものがいきなり中央公論に載ったというのはどこまで本当か分からないけれどもその後の実業家ぶりなど行動力がとてつもないのは読んでいるだけでも分かる。

実母を幼くして失い、継母に実子と差を付けて育てられたことや、父の死に際して悲しみとともに色んなことを禁止されていたことから解放される嬉しさも感じた幼少期ゆえか、恋に生きたように思われるけれども相手に頼ったりはせず何でも自分でやってしまうサッパリしたところがある。結婚相手から別れを切り出されるときもそんな感じで、涙を流す理由も別れるのがいやなのではなく、長い間の蓄積への感慨だという。東郷青児が情死未遂を起こした直後に家に行き、寝た布団がその事件で血塗れになっているのに気づいてそこに居着く気になった話とか、なんとも迫力がある。

谷崎潤一郎について、彼は夫人と芸術ならば夫人を取って芸術を棄てると言っていたけれども、夫人は「芸術至上のこの偉大な作家」のために自身を進んで捧げており、この夫人を通して数々の傑作を生んだのは、実際は片時も自身の仕事を忘れたことはなかったのだろうと評している。この谷崎の「抽象性」とは逆に宇野自身は文学など関わりのないことにばかりかまけていて、この即物性や自身に対する客観性のなさこそが「女」だということではないのか、と論じている。このこと自体はともかく、しかし宇野自身も後に東郷青児との関係から吸い尽くすように作品を書いてもいる。

このことを「模倣の才能」とも呼んでいて、その時々の恋愛対象に合わせていくことからも作品を生んでいるわけだ。解説ではこの憑依の才能を指摘して、宇野は己を語ることが時代を語ることにもなる希代の狂言回しでもあると書いている。

大庭みな子は「三匹の蟹」しか読んでない気がする。大庭は津田塾大学で知り合った利雄とその後に結婚し、夫の赴任に伴い29歳から11年間アラスカに滞在する。その間に群像に投稿した「三匹の蟹」が新人賞を受賞した。河野多惠子とともに初めて女性として芥川賞選考委員になってもいる。

「結婚は私にとって大変な解放でした」(141P)、というなかなか意外にも響くこの言葉は親からの解放を意味しており、大庭にとって自身の文学を育てた夫との出会いを端的に示したものでもあったのだろう。冒頭に配された「幸福な夫婦」は合理的な観点から結婚を語った文章になっていて、お互いに夫婦以外に誰かを好きになることは自然なことで隠し合わない方が良い、その上で自由な選択によって自分を選んでもらうようにするほかはない、というくだりがあったり、心から欲しいと思わなければ子供は作らない方が良いとか、幸福な結婚は自由に女が離婚できる条件が必要だと説いている。

開明的で合理的な結婚論と言えるもので現代的な感覚がある。しかし、脳梗塞で半身不随になり夫の献身的な介護を受けた後のエッセイでは、ある程度変化が生まれている。この経年での変化を読めるように配置しているのが本書の編集の面白さだろう。

若い時代には、夫婦なんて性的に求めているからだとか、経済的に必要だからとか、恋の狂気の時期が過ぎたあとの夫婦の関係を、唯物的に見ようとしたし説明もできたつもりだったが、どうもそうではないらしい。
 夫はただ「弱いものには人は限りなく優しくなれるものさ」と澄ましているが、とにかくそういう気になってくれる人とめぐり合えたということを、この半身不随になるという悲劇的運命のおかげで確認できたことは何よりの幸せと思っている。254P

大庭の文学観にはアラスカで文学にあまり縁のない人のなかで暮らしていたことが影響を与えているのがエッセイから窺える。

この人間社会で、言いたいことを言えずに、口ごもって生きている人びとが、何かのときにふと洩らしてしまう言葉は無数の水滴になり、太陽の光が当たると虹の橋になるのだ。
 わたしは、生きているうちにめぐり会った人びとの呟いた言葉を拾い上げて、小説を書いているから、めぐり会った人びとはわたしの文学世界を築いてくれた恩人である。作品は自分の力で創り出すわけではないとは、そういうことだ。186P

大橋健三郎の記念論文集に書いたエッセイではジョン・バースについて触れている箇所があり、作中人物と実在人物を混ぜている手法について、「日本の文学界では小島信夫はもう大分前から東洋的な大らかさの中で、革命的な手法を試みている」(176P)と述べ、その感性の違いに触れたりしている。

宇野千代川端康成について色男型ではないのに「女の感情をそそるものがある」と評し、世間一般には「優しい人」と言われるしその親切さについても人は言うけれども同時に「或る冷やっとした非情なもの」が彼のなかにあるのだと指摘していて、同様に大庭もこう見ている。

川端さんは決して寛容ではなく、冷ややかで恐ろしい眼を持った方だった。その作品の魅力は冷徹さにあるといってよく、ただそれが人の世の哀しみをたたえた妖しい願の中に秘められていたということにある。192P

宇野の谷崎論と大庭の谷崎論が収められていて読み比べを誘ってもいる。

これはなかなか予言的な一節。

「父と息子」は文学の永遠の主題といった趣きがあったが、「母と娘」は女の書き手が過去の歴史には少なかったせいか、今までは「父と息子」と同じ比重では扱われていなかった。
 けれど、今後は「母と娘」はあらゆる表現の中でもっと大きな強い姿を持つことになるだろう。251P

大庭みな子のエッセイで一番重いのは広島の原爆投下後に死にゆく瀕死の人々の配膳係を担当していたことを書いた「地獄の配膳」だろう。大庭は広島市から20キロ離れた西条で14歳の時に敗戦の夏を迎えている。被爆を免れたものの生き残った者のほとんどいない広島の女学校に行く可能性も充分あったという。原爆投下後の救援作業に女学生が動員され、残骸となった学校の跡で三百人の原爆患者の世話をすることになり、生者と死者の区別も付かず、この世のものとも思えぬ被爆者の形相を見ながら毎日のように何人もが死んでいくのを目の当たりにする。大庭が後に原爆ものの作品を書くのはこれがあったからか。

十四歳の夏、わたしはものを言わなくなった。そしてこの夏の記憶はわたしの生涯を大きく変えた。歩き始めると、甦えるこの記憶はわたしを立ち止まらせ、人間というものを考え直させる人骨の杭となった。223P。

小池真理子選『精選女性随筆集 倉橋由美子

60年代にデビューして私小説や政治運動を嫌い、「事実」を嫌って「反世界」の表現を志向した作家。その創作論、安吾、三島、吉田、澁澤らに触れた小説論、性や生活について書かれた文章の三部構成のエッセイ集。倉橋を一冊通して読むのは初めてだ。

小説はたぶん『暗黒のメルヘン』収録作しか読んだことないけど、本人が政治運動を嫌い、学生運動の類をヒトラーを目指すものだと全否定していても、その「反世界」という美的ラディカルさが政治的ラディカルを志向する学生たちに受けたんだろうということはなんとなく分かる。

現代はあらゆるものが社会の維持と進歩とに役だつことを要求されている時代です。文学も例外ではありません。サドやカフカまでも現代社会の悪を予見し批判した天才であるという免罪符をあたえられています。ほんとうはかれらの書物こそ絶対的な悪書なのに。18P

いつかわからぬあるときに、どこにもない場所で、だれでもないだれかが、なぜという理由もなく、なにかをしようとするが結局なにもしない――これがわたしの小説の理想です。30P

小説とは、《ことば》によって、またあらゆる非文学的な要素を自由に利用して、《反世界》に《形》を与える魔術である、あるいはその《形》が小説である、あるいはその《形》が小説である、といってよいでしょう。34P

こういう実用性、現実性を否定する観念的な態度でさまざまなものを舌鋒鋭く批判していくスタイルはなるほどファンが多いのも頷けるところがある。カミュカフカの影響を受けつつ、穢れた現実を言葉によって「聖化」する試み。

読んでいるとこの穢れた現実の一つとして自身の女性性もまた否定的に見られているような気配がある。一種のミソジニックなムードと言うか。三島由紀夫の自決に対する論評や書くことを「わたしのなかのかれ」との交信として捉えるさまや少年へのこだわりなどもそう。男性的なものへの憧憬というか。「毒薬としての文学」では30歳になって《女》でなくなったと喜び、「男性化の願望」を自身の文学の秘密とも言う。性転換が果たされたら筋肉を鍛え、政治家、軍人、強姦者、狩猟家などを経験しちゃんと自殺する人生を生き、そこでは文学など一人の情婦のようなものに過ぎなくなると書き、こう続ける。

ところで、わたしが女性にとどまるかぎり、右のような生活は所詮不可能でしょう。これはまさに絶望的なことで、なにごとにも絶望しないわたしが絶望にくやしがっているただひとつのことであります。女二生マレタノガソモソモマチガイダッタカナ。女にできる《行動》はただひとつ、子どもを産むこと、マルクス流にいえば「労働力を生産する」ことで、あとはただ、ひたすら《存在》するのが女の本性です。女がそれ以外の《行動》をするとしても、これはだいたい《行動》の真似ごとでありまして、「女流ナニナニ」と《女流》のつく女族はみな、探険家の真似ごと、飛行士のまねごと、料理人の真似ごと、レーサーの真似ごと、ピアニストの真似ごと、そして作家の真似ごと、その他男のすることの真似ごと、をやっているにすぎません。《行動》の競技場の二つのゴールである政治と冒険は、女性とは無縁のものです。《性》でさえも、男性にとっては動詞の形をした《行動》であるのに対して、、女性にとっては形容詞、すなわちその《存在》の属性である、というような次第で、女性にはJ・F・ケネディのような生活もなければH・ミラーのような生活もなく、したがって他人に露出してみせるに値する生活などありえないということになります。50P

一般の男性よりも男性的だと自認する著者にとってここに書いたことはそういう絶望をもたらす現実のミソジニーに対する痛烈な批判だろう。この女性として期待される性質、に対する嫌悪感とそれを超えるものとしての美少年。

「澁澤氏の作品を愛好しない人は、かつて美少年であったことのない人であろう」(160P)、と書いてもいる。

坂口安吾が愛されない理由ははっきりしています。安吾の文学は、太宰治のそれとはちがって、性的な構造をもっていないということにつきます。太宰の場合、文学(小説)とは他者との精神的媾合の関係そのものでした。かれのことばは精神の恥部をめざす愛撫の手であり、読者は恥――わたしにはそれは精神の性感であるように思われます――の火を燃やしながら太宰治を愛してしまうのです。110P

坂口安吾について書いてる文章での太宰との対比も面白いけど、この頃は安吾にそれほど人気がなかったらしいのが窺えるのが面白い。

著者は自身の小説の主人公がしばしば作家だとしてもそれは私小説ではない、と断ってこう書いている。

円地文子さんの近作『小町変相』には、子宮をえぐりとられた老女があらわれますが、じつはこのばけものじみた女こそ、小説を書く女の正体ではないかとわたしには思われます。いわば、生まれたときから女の胎をもたず、そのかわり体内に、ことばを分泌する虚無のくらやみをかかえた女が小説を書いたりするのでしょう。これは妖女です。妖女とはつまり、女の形をしたばけもののことです。203P

こういう「妖女」としての抵抗が選ばれるところに60年代の空気が感じられる。

澁澤龍彦氏がいなかったと仮定したら、どんなに日本はつまらなくなるだろう」と昔三島由紀夫が書いていたが、その通りで、少なくともそんな日本は博物館のない自称「文化都市」といった索漠とした世界になる。ついでに言えば、三島由紀夫のいない日本は劇場のない都市のようなものかもしれない。154P

川上弘美選『精選女性随筆集 石井桃子高峰秀子

第八弾。『くまのプーさん』『ピーターラビット』などを訳し『ノンちゃん雲に乗る』などの創作もある明治生まれの児童文学者と、天才子役としてデビューし、戦前戦後を通じて多数の映画に出演した大正生まれの名優というカップリング。

石井桃子のパートでは『幼ものがたり』という幼少期の回想録からの採録が大半を占めている。明治のある家庭での暮らしの様子を幼い子供の目線から描いたいくつもの断章が続いていて、子供のおぼろげな記憶のなかに当時の生活、人々への愛惜が窺えるようなエッセイになっている。

すぐ上の祐姉と私が、百日ぜきにかかったのも、私が、やはりかなり幼かったときのようである。私自身にとってその病気の記憶は、頭をもちあげるのもけだるい気もちで寝ている枕もとを、黒い、巨大なねこが、ゆっくり通っていったことだけである。そのねこは、私よりずっと物知りの生きものに思えた。16P

姉が鼻の中に炒った大豆を詰めてしまったり、祖母の葬式の記憶から祖父ほど祖母には思い入れがなかった子供の残酷さのことや、それでも祖母のことを書いていたら母との間の感情のしこりを感じさせる体験を思い出したり、なぜか家にいたまあちゃんのことだったり。一緒に住んでいるけどどういう人か今一つはっきりしない「まあちゃん」は、どうやら祖父の姉の息子で、小さい時の脳の病気かで時間や数字に疎く、著者ら子供のお守りをしていたという。値切るつもりが高く買ったり、裁縫が得意でないのに縫いたがったりするのを怒られないように庇ったりしている。

近所の飲み屋へ行った時の著者が客から言われた顔かたちに対する悪口に、当意即妙にプラスの面を言い返す女将の好ましさや、ちょんまげを結った人を見て育ったことで断髪令が四十年も前に出たものだとはつゆ思わなかったという明治末期の空気を伝える話など、子供の視界での見え方が語られる。

明治天皇の死は、祖父の死と祖母の死の中間に来て、そのあいだに祐姉は学校に上がり、初姉は嫁いだ。昼間、家のなかでぶらぶらしているのは、私ひとりになった。おとなは、みな忙しい。これは、私が祐姉の腰巾着であった身分を卒業し、まがりなりにも自分ひとりで何かをしはじめた時期でもあった。しかし、私は、まだ自分では、世の中へ出ていかなかった。世の中が私の前を通ったり、私の中へはいってきたりしていただけである。ちょうどそのときが、明治の終りであった。108P

子供の目から見える明治の終わり。

戦後の随筆のなかには井伏、太宰との交流に関してのものがあって、上等な酒を持っている時に二人がもらいにやってきたり、太宰の没後、井伏に太宰はあなたのことが好きだったと言われた一節はこれは有名なもののようだ。

高峰秀子のエッセイは天才子役として世に出て、有名歌手に気に入られて母ともどもその家の子になったという事件や母の実の子ではないという事情など、派手で激動の人生を巧みに語ってかなり読ませるものになっていて面白い。文庫版でも複数回刊行されてる定番作品なだけはある。

「猿まわしの猿」と己を皮肉に見つめる視点は散々子役として引っ張りだこにされ小学校にもろくに通えなかった境遇故でもあるだろう。当時は親の虚栄によって子役になったりしていたけれども、今は時代が違っていて、子供自身が子役になりたがるようだ、と観察しつつこう述べる。

ただ私は「子役」のお父さんやお母さんにこうお願いしたい。「義務教育だけは、しっかりとさせてあげて下さい」と。子役の演技に、「芸術」だの「演技」だのはない。子役は所詮、猿まわしの猿なのである。猿が大人になったとき、いや、猿がある日、猿でなくなったとき、「お前は猿でいたいと言ったじゃないか」では済まないのである。147P

教育もそうだけれど、「子供同士が友達をつくり合う」という学校生活の一番の喜びを体験できなかった悔恨があるわけだ。

音楽入り演技など、今考えれば珍妙だが、当時は一同大真面目のコンコンチキで、松竹としても乗るかそるかの大仕事であった。芝居をトチると、音楽もはじめからやり直しとなり、芝居がうまくいったと思うと、録音や音楽にミスが出て、一つのシーンを撮り終えるたびに、俳優もスタッフもバンザイを叫んだ。143P

音楽と演技を同時に撮るという当時の収録風景の様子も面白い。テレビも古いドラマはこういう風だとは聞いたことがあるけれども。

そして特に東海林太郎との関係が凄い。売れた子役を溺愛して親から奪い取ろうとしたようにも見えるし親子を一緒に家に住まわせて秀子を一人特権的な子扱いしているのはともかく、母親を女中部屋に住まわせて元々いたお手伝いさんを辞めさせたのか一人に家事をさせるというのはぞっとする。養父母を「とうさん、かあさん」と呼び、東海林太郎夫妻を「お父さん、お母さん」と呼んでいることを踏まえて、以下。

私は、お父さんにもお母さんにも徹底的に可愛がられた。私は二人の玩具だった。私が可愛がられれば可愛がられるほど、和ちゃん、玉ちゃんは影の薄い存在になっていった。玉ちゃんのイタズラが過ぎると、お母さんは容赦なく、悲鳴をあげる玉ちゃんを引きずって薄暗い廊下を走り、玉ちゃんを土蔵に押し込むと、ガチャンと大きな錠を下ろした。202P

秀子を東海林夫妻が実子以上にかわいがり、高峰母は東海林夫妻の子供と親しくなっていく状況はかなりの怖ろしさがあり、この関係は高峰母子が家を出て行くことで終焉を迎える。

私は、今はじめて母の口から聞く当時のいきさつに耳をかたむけながら、たとえ子供で何もわからなかったとは言え、私という人間一匹が巻き起こした砂あらしに、眼をつぶし、口をおおわれ、傷ついた人が何人いるだろうかと指を折り、今更ながら背すじに冷たい汗が流れる。206P

ウンコにまみれたダイヤの指輪、毛皮のコートを仕立ててもらったらそれが高峰秀子のものだと知って針子さんが匿名であなたのコートを縫えて嬉しいという手紙をコートのポケットに入れていた話、ゴージャスな歓待を受けたタイのYさんのエピソードなど、渡世日記以外のエッセイも面白い。

小池真理子選『精選女性随筆集 白洲正子

シリーズ第九弾。小林秀雄青山二郎との交流や幼い頃から習っていた能のほか、古寺、古美術に関する著作で知られる著者の随筆集。身辺雑記にしても自己開示での共感性を拒否している印象があって、これまでのなかではとりわけ高潔なスタイルに見える。

編者の方針だと思うけれど、白洲次郎のことがほとんど出てこないのは意外だった。次郎の妻という印象を強めるのを避けたのだろうか。代わりに出てくるのは梅原龍三郎河上徹太郎大岡昇平小林秀雄青山二郎といった面々と、本書で特に印象的に描かれるのは坂本睦子だ。

若くして自死したこの友人については二つのエッセイが収められている。坂本睦子は大岡昇平『花影』のモデルになった人物らしいけれども、魔性のものとまで言われた魅力を持つ「むうちゃん」が平凡な女に引きずり下ろされ人生に疲れ果てて自殺するらしく、これでは浮かばれまいとかなり厳しく批判している。

大岡さんは、むうちゃんとはかなり長い間いっしょに暮していた筈で、私は彼女とは無二の親友であったから、三人で方々旅行もしていたが、彼がむうちゃんに見ていたのはこれだけか、と思うことは口惜しかった。もちろん外から見るのと、実際に暮すことの間には大きな違いがあり、日常生活の中では、生きることに疲れた年増女が、何かと手こずらせたこともあったに相違ないが、そこにだけ焦点を当てたのでは、むうちゃんをわざわざモデルにむかえた意味がない。40P

そして青山二郎がモデルと思しき人物の描写が下らないヒモで終わっていることにも批判的で、それは青山二郎が坂本睦子にとって恋人にならない唯一の友人といっていい存在だったと著者が思っているからだろう。かと言えば大岡昇平が坂本睦子の葬儀で大声で泣いたくだりがあって、大岡の「純真な一面」も著者は書き留めている。

昔の文春ビルは、現在の第一ホテルのあたりにあり、地下にレインボウという喫茶店があった。むうちゃんは、十六、七の頃、そこへ勤めに出て、その日にある著名な文士に処女を奪われたという。
 そのショックのためか、あるいは生れつきのせいか、彼女は不感症であった。47P

著者は坂本睦子の投げやりな生活、自虐的な性格、そして自殺に追い込まれた原因もそこにあるのではないかと言う。文士たちのマドンナとして文士たちに狂わされた人生ではないか。このエッセイで言及されているもうひとつのエッセイでも、以下のように書いている。

年を経るにしたがって、彼女はあたかも古代の巫女のように、彼等が信ずる文学の象徴のようなものとなり、それに付随する名声の化身となり果せた。凄いといえば、そんなものに化けて、化けさせられて、無言で耐えていたことである。90P

正宗白鳥について書いた文では、汽車のなかに原稿を忘れてしまい出版社で鉛筆を借りてすらすら最初から書いて最初のよりよくできたな、と言った伝説やら著者の家に行った際の独特の雰囲気を描きながらこういう言葉を書き留めている。

「小林(秀雄)君は、陶器なんかでも、好きにならなくては解らんといっているけれども、わたしは何一つほんとうに好きになったものはない。だから何も解ってはおらんのだろうナ。人生なんかいかにも解ったようなふりをしているが、いよいよ不可解になるばかりだ、死ぬまでおそらく悟れないだろう」70P

「幸福について」というエッセイでは、ネットでもよく見るような、他人を手助けする話を親切をしてやったのにという態度を戒めるようにこう書いている。

どんな人間にも、気やすめは必要でしょうが、単なる気やすめのために親切をほどこして、不和になった例はいくらでもあげることができます。一回、二回は感謝する。四回、五回ともなれば当り前のことになる。八回目に、何かの都合で断って、ひどく恨まれた。きわめて正当な報いであります。はじめから誠意なんか皆無だったのだ。ほんとうの愛情は、人をひき上げることに専心すべきで、怠惰におとしいれることではないでしょう。122P

樺山資紀の孫として、祖父が本当に立派な人は維新で皆死んでしまってあとに残ったのはカスばかりだ、と言ったことを引きながらその負い目とともに生きた人生を思いつつ、祖父に抱かれた写真が挾まれたりもしている。

幼い頃から能を学んできたという経験や、古寺についてのエッセイが後半に収められていて、平等院鳳凰堂に陽が昇った時の鮮烈な風景描写も印象的だけれど、以下の能面についての文章なんか、学校かどこかで読んだような気もする。

能面は、そうした人間の在りかたを、 「形」の上に現わして見せてくれます。静かな水の様に平らな心が、あらゆるものの影を映すように、単純そのものにみえる表現は、実は無であるどころか、すべてを含んでいるのです。173P

白洲正子が永田町で住んでいた家はジョサイア・コンドルの設計になるもので、大正の震災でびくともしなかったこの洋館は戦時下に吉田茂が住んでいたらしく、さすがに空襲で焼け落ちたものの、頑丈な建物を崩すのに苦労したと吉田から聞かされたらしい話も面白い。

伝統というものは、いろいろに姿を変えて行くから、ちょっと見ただけではわかりませんが、実に深く根づよいものだと私は思っています。244P

これは良い意味でも悪い意味でもそうだろうとは思う。

小池真理子選『精選女性随筆集 中里恒子・野上彌生子』

シリーズ第十弾。初の女性の芥川賞受賞者と、漱石の推挙で作家となり99歳まで生き明治から昭和まで作家活動を続けた作家の随筆集。ともに女性の独居生活を随筆に描いた書き手としての組み合わせにもなっている。

中里恒子は私は『戦後短篇小説再発見』のシリーズで「家の中」という短篇が印象深く一冊文庫を買っていたけれど未だに積んだままで、編者も挙げた中里作品に「家の中」が入っているのが目を引いた。知られた作品だったんだろうか。短篇の内容は忘れたけれど、中里は料理裁縫家事などの手仕事を丁寧に行なうことに楽しみを見いだしていて、100万積まれても気の向かない裁縫は出来ないと言い、また家を出て遠出をするのにも緊張し色々騒いで時に熱を出すほどだというインドア派らしい。

旅行も疲れてしまうので、

旅行案内をひろげて、大体費用は幾らいくら、さぞいい景色だろうなどと、考え溺れてるときが一番たのしくゆったりしている。それで退屈なときは、温泉案内一冊をめくって、天下の名泉を往来し、気前よく草臥れるのも好きだ。26P

また以下の犬のくだりにもインドア派の精神を感じる。

犬の世界を限定し、私の手の中でだけ飼育することが、犬にとってしあわせかどうか知らない。けれども、犬が世間を知ったところで、どうだと言うのだ。私は、まるで暴君のような自信をもって、犬を掌握して来た。36P

ここから後半にある死んだ飼い犬が戻ってくる夢を見た話を読むと印象深い。

変にもの馴れた感情、いい加減で切り上げているような感情は、例え犬でも図図しく賤しい気がする。花をみるときは、いつもいつも、生れて初めて花をみるような無垢な美しい気持に打たれるものだが、私はこの手を染めない感情を好む。レンアイの美はこれかもしれない。20P

交友関係のエッセイでは横光利一佐多稲子川端康成吉屋信子河上徹太郎のものが収められているけれどもこの随筆シリーズで吉屋はともかく、川端と河上、特に川端は多い印象だ。中里は代作もしていたし逗子に住んでいてというのもあるけれどこの時代の女性作家と川端の関係は深いのだろうか。

日々の生活を愛し小さな世界を慈しむ態度は、国際結婚をしたと聞いて娘が急死したようなショックを受けた理由なのかも知れないとも思う。一九五六年渡米した際にこういうことを書いている。

四ヶ月滞米中の約二ヶ月、娘夫婦といっしょに暮した。おムコも両親も、しっかりした人物だが、私にはどうも無縁のひとに思われた。まあ、娘は死んだものと覚悟して、私は、やっぱりひとりで暮そうという決心が、娘のそばにいて、幸福な人たちの中にいて、益益、私をその気にしたのだから、おかしなことだ。122P

昔はよかった、若いときはよかった、とはよく言う言葉だが、たしかに若い折にはそれなりの幸福もあった、しかし私は、自分について言えば、若い時の自分より、今の、現在の、歳月に晒された自分の方が、好きなのである。135P

幸福な老いの境地という感じだ。

野上彌生子は1885年に生まれ1985年までほぼ100年を生きた女性で、夏目漱石門下、芥川龍之介とも交流のあった人物がこの年代まで生きていたというのがなかなかすごいことだと思わされる。能楽研究者の夫・野上豊一郎が1950年に亡くなり、北軽井沢の山荘暮らしを一人長く続けたらしい。

山の家にひとりで暮らしているといつものことながらアニミスティックになる。空に浮ぶ雲、森の樹立、渓流、それへ降るつづら折の細路から、足もとの一本の草、一つの小石まで、なにかみな親しく生命に溢れているかのように感じられる。151P

中里が家内にこだわるとすれば野上は山荘で自然に目をやる態度という対比もあるかも知れない。別荘地で時期が来ると人がいなくなり寂しくなる様子を観察し、自然のなかで生きる様子が綴られ、家から持ってきた本を一人の山暮らしのなかで読み返したりという生活が描かれる。

伊藤野枝芥川龍之介夏目漱石宮本百合子といった人物たちとの交流も触れられていて特に芥川に対しては以下のようなきわどい冗談を言った話が印象的だ。

――芥川さん、そんなにお金が欲しければ、大いに儲かる方法を教えてあげましょうか。
――何です。
――あなたがお亡くなりになるのよ。自殺ならなお結構ですわ。そうして、全集の印税がどっさり入った頃を見はからって生き返るのよ。旨い方法でしょう。
 芥川さんは凄く冴えた眼で、にやにやした。それは自分でも考えて見たことだと云った。174P

このほぼ一年後に亡くなったというから後味が悪い。

夫の同級生でもあった夏目漱石に対しては作品を褒められ、虚子に雑誌に載せてもらったことで、文壇への野心もなくただ先生に評価されるか否かという基準でのみ書いていた、忠実な弟子としての態度のことが触れられている。

わたしはただその後もなにか出来ると見て頂いていた先生から、これでよいと云われることが最上の名誉であり、満足であった。同時に世間からどんなに喝采されようとも、先生に否定されるようなものなら恥かしいと思った。そんなものは決して書いてはならない。況んや金のために。176P

そういえば、中里は犬を飼っていて、野上は猫を飼っている。それが分かるように編者はエッセイの取捨選択をしたんではなかろうか

川上弘美選『精選女性随筆集 須賀敦子

シリーズ第11弾、イタリア文学者として知られる著者のエッセイに結婚後六年で急逝した夫への書簡の翻訳を収める。イタリアで出会った人々や土地、風物、自身の家族を描いたエッセイはどれも抜群の出来で幾つかはほとんど小説的でもある。

タブッキは幾つか読んだものの須賀自身のエッセイというのは読んだことがなかった。冒頭の「遠い霧の匂い」がミラノの風土を霧を主軸にして豊かに描き出しながら最後にその霧の向こうに影を落として締める書きぶりが見事で、これは歴然とレベルが違うなと思った。

続く「マリア・ボットーニの長い旅」では須賀がイタリアで出会ったある女性とつきあいを続けるなかで実はドイツの収容所にいたことやイタリア大使がその当時の知り合いだったという驚きの偶然からレジスタンスの英雄として受勲される顛末を語り、ある個人からヨーロッパの歴史が広がる面白さがある。

ある夫人のホームパーティでの人々の様子を描き出した「夜の会話」ではルキノ・ヴィスコンティについて彼を知る人たちからの「スノビッシュな批判」があったり、映画に衣装デザインに参加した女性がいたりという風景を記した後、須賀の夫の死去に対する夫人の反応で締めるくだりも良い。

前半に収められたエッセイはどれも十数ページほどあり、ある題材や人物をじっくり書き込む分量があるからかどれも充実した読後感のあるエッセイになっていて、このレベルの高さはこの叢書でも随一と思われるほどだ。そのなかでも特に父とのかかわりを描いた「オリエント・エクスプレス」は出色だろう。旅好きは父に似ていると認める須賀が、父への反抗の気持ちを持ちつつも旅のロマンを共有しないでもない気持ちで父の指示に従い旅行するくだりと、病で死期を前にした父からの、自身が乗った思い出のオリエント・エクスプレスの土産を買ってきて欲しいという最後の依頼を果たすまで。ドラマティックで余韻のあるラスト。

これら「イタリアの友人」と題された第一部のエッセイはどれも見事で傑出したレベルがある。それにはその人物の死をもってエッセイを閉じることができる追悼的な色彩を持っているからという事情もあるにしろ、やはりすごい。また様々な偶然の出会いを描いてヨーロッパは狭いんだなと思うところもある。「三十年まえのイタリアで人工流産は、いつだれに密告されて警察沙汰になるかわからない危険な行為だった」(122P)という「マリアの結婚」に記された20世紀イタリアの社会状況が描かれているのも時代を考える上で重要な一文になっている。

須賀は旅をする感覚をこのようにも書いている。

飛行機あるいは鉄道の切符や、手帳に記した予定表があるから、いついつの日に、じぶんがどこそこにいるはずだとはわかっていても、私の中には、まえもって思考をつぎの場所に移すのを拒否する依怙地な虫が棲みついているようなのだ。
 したがって、ひとつの都市からつぎの都市、ある町からつぎの村に移動するあいだ、私は宙ぶらりんの状態になる。旅は、私にとって、それまでのじぶんが溶け去って、つぎのじぶんに変容するまでのからっぽな移行の時間でしかないのかもしれない。132P

あるいはこのような想念も。

《「時間」が駅で待っていて、夜行列車はそれを集めてひとつにつなげるために、駅から駅へ旅をつづけている》223P

ユルスナール論のプロローグになっている靴をめぐるエッセイや本論の一部、幼少の頃からの友達の追悼なども良いけれど、最後に置かれている夫への書簡を翻訳したものには、キリスト教徒として友人と議論をしたくだりなどがあり、エッセイとはまた違った側面が出ているように思う。

「吹きつける山の風の中で私たちは苦しみの意味について話しました。ダニエルは、世界の苦しみと闘うのは自分の義務のように感じるといいます。どこにいても歓びの種を蒔いてゆくことが。というのも、彼女がいうには、キリストも人間たちの苦しみと闘ったからなのです。
 私は、ダニエルのいうとおりだと答えました。ただ、私には受け入れる必要も、世界を清め、救う力として、苦しみを受け入れることを学ぶ必要もあるような気がするのです。私には、苦しみは、たとえその多くの場合、自分たちが苦しんでいるあいだはその本当の価値をまったく理解できないでいたとしても、心の悩みに耳を傾け、そうして救済に至るための助けともなりうるように思えるのです。250P

須賀は小説は書いてないのだろうか、でもまあこのエッセイ群にはほとんど小説といえるようなものもあるしあえて小説を書くことはなかったのかも知れないと思っていたら、この書簡で須賀の「短編」を本にする話が出ており、これはエッセイなのか小説なのか。まあそれはともかく、文庫で全集が出ているのは伊達ではなかった。

川上弘美選『精選女性随筆集 石井好子沢村貞子

シリーズ文庫化最終巻。アメリカからパリへ渡ったシャンソン歌手石井と、浅草下町育ちで左翼運動で投獄され脇役メインの俳優として長く活躍した沢村という芸能人二人を組合わせた一冊。料理エッセイで知られた二人だけれども夫が新聞記者という共通点があるのも面白い。

石井好子は戦前ドイツ人教師から声楽を学びオペラを勧められたものの自然な声で歌いたいとシャンソンを志し、アメリカ、サンフランシスコでもまれながらテレビのコンクールで優勝するもののパリへ行くために降りて、というエッセイから始まり、パリのレビューの仲間たちを豊かに描写する文章が続く。フランスの滞在時の文章を読んでいたら急に朝吹登水子が出てきて、へえ、一緒に住んでいたんだと思っていたらなんと親戚だという。フランスで仕事をともにしていた無名の女性たちのさまざまな経歴も面白いけれど、田村泰次郎三島由紀夫と会っていたり、フランスでの交友関係もなかなかすごい。

「千年生きることができなかったアルベルト・ジャコメッティ」というエッセイではジャコメッティと妻アネット、彼が芸術制作の対象とした矢内原伊作という奇妙な三人との関係が綴られていて、なかなかすごい名前が出て来たなと思った。三人より四人の方が収まりが良かった、と一緒にいた理由を説明しているけれど、ジャコメッティと妻と矢内原との奇妙な関係が崩れないためのストッパーのようなものだったのだろうか。

「母たること」では孤児のためのホームを設立した沢田美喜と国人の混血の歌手ジョセフィン・ベイカー、孤児の母として活動した二人を描いて面白い。欧州で成功してもアメリカの人種差別の壁にぶちあたったジョセフィンの活動再開からの急死や、岩崎家長女として受け継いだ遺産を売ってホームを経営した沢田。

最後に収められた石井の母の最後の言葉を描いた短いエッセイは非常に良かった。意識を無くす前の最後の言葉が、出かける石井にかけたかすれた声での「グッドラック」だったというのがなんとも洒落ている。国外で学んだ歌で舞台の仕事をしていた人の母に相応しいような見事な終幕だった。

沢村貞子は脇役メインで役者をやっていた人らしく、私は今ひとつ分からないけれど、浅草下町育ちでまだ女性が学校へ行くにもバカなことは止めろと言われる時代に学校へ行き、左翼運動のために結婚をし、留置場へ入れられても転向を認めず刑務所へ送られるという意志の強さが印象的だ。

浅草での記憶を書き留めた短いエッセイを幾つか配置した後、人間はどうして仲良くなれないのか、何のために生きているのかを知りたくて女学校へ行きたいと志望するくだりが描かれる。父は肯定はしないけれども積極的に止めようとはしないくらいだったけれど、周囲はそうではなかった。

「な、お貞ちゃん、おじさん、ほんとうのこと言うんだぜ。学問した女って奴は、生意気になって始末におえねえ。それよりせいぜい磨きあげて、早くいい旦那をみつけるこった。女は男にかわいがられるのがいちばんしあわせだ。なんてったって男次第だからな」 150P

そういう時代、女学校の三年で遭遇した関東大震災の体験も触れられていて、自警団などで流言蜚語に踊らされた男たちの存在に危機感を抱き、大杉栄伊藤野枝の虐殺について触れてエッセイを締めている。この次に留置場体験を描いたエッセイがあり、学問、震災、左翼運動には彼女なりの一貫性が感じられる。

運動の必要性から性愛的な関心があるわけではない運動員と結婚をして、そのあおりで逮捕されることになるんだけれど、もうやりませんと書類を書いて「転向」して留置場を出ることを拒否する。

「働く人たちがみんなしあわせになるための運動は、人間としてしなければいけないことだと思います。悪いことをしたとは思いません。できれば、またやりたいと思います」 185P

「できれば、またやりたいと思います」、留置場でこれはすごい。こう本人が言っている左翼運動について編者が前書きで「左翼運動に巻きこまれ」と書いているのは無神経だと思った。別のエッセイでそういう表現をした可能性もあるけれど、ここでこう書くのは本人の主体性を否定している。

とはいえ、沢村本人が脇役に徹し、東京から離れる仕事を断るなど結婚後も夫の言うことに従う「あなたの言いなり放題」のような生き方をしていたのは、あるいは本人自身が自分が積極的に前に出て行く性分ではないと思っていたからなのかなとも思わせるところがある。学問を学ぼうと周囲の反対を押し切って女学校に通う意志の強さと、夫を立てるという生き方を疑わないような態度の混在は今の時代から見ると妙に見えてしまうけれど、前に立つばかりがベストではないとも言えば言える。脇役としての人生。あるいは、夫を立てることでセクハラを避ける知恵なのかも知れない、昨今の性的被害のニュースを見るとそんなことも思ってしまう。

解説で知ったのだけれど、沢村の弟が加東大介で兄の子供が長門裕之津川雅彦、と名前を知ってる人がポロポロでてきて驚いた。加東大介は『南の島に雪が降る』を花田清輝が論じていて本を買って積んであったので。

料理エッセイで有名な二人なんだけれども本書には料理エッセイは入っていないのが特徴だろうか。前巻が須賀だったというのもあって、エッセイとしての上手さというより生きてきた人生そのものの強さが文章に現われる、そういうタイプの書き手のように思う。


ということで女性の随筆を収めたシリーズは読んだことはある、名前は知ってる、まったく知らなかった人、色々な人の実際の文章を読めて面白かった。ベストスリーを選ぶとしたら、向田邦子武田百合子須賀敦子になるかな。エッセイが知られる女性の書き手はこれだけに留まらないだろうけれど、さらに編むとしたら名前が挙がるのは誰になるんだろうか。

類似のシリーズとしては影書房の「戦後文学エッセイ選」全13巻が思い浮かぶ。花田清輝武田泰淳など戦後文学の男性作家から選んだものだ。こっちもセレクトの雰囲気は異なるけれどちょっと面白そうではある。男性作家のエッセイストとすると椎名誠とかも有名だけど読んだことがないなあ。「ちくま文庫 エッセイ」で検索すると本シリーズに追加できそうな人や男性の随筆の書き手がどんな感じか分かるな。

最近読んでた本2024.12

最近の読んだ本。恵贈頂いたものやフォロワーが関わった本だったりするものをまとめて。

藤元登四郎祇園「よし屋」の女医者 母子笛』

精神科医にしてSF評論家でもある著者による江戸末期京都を舞台にした医療時代小説シリーズ第二弾。気鬱に悩む呉服屋の主人の悩みとは何かを探るうちに幾つかの家族、母子の関係が見えはじめ、どう解きほぐすかが問われていく。

父に捨てられた妻子、母に捨てられた子、跡継ぎができない夫婦、それぞれの関係が笛を軸にして絡み合いながら、母と別れるものもあれば母と再会するものもあり、遠く離れたものを繋ぐのがその人の吹く笛の音で、という母子の物語になっている。精神の病を癒すにはその人間をとりまく関係を解きほぐさねばならないという前作以来の軸はありつつ今作は人間ドラマに比重を掛けた印象がある。江戸末期と言うこともあり、世継ぎやしきたりが堅固に存在し、何かを選べば何かを諦めるという形になり大団円とはならないわけで、そこに苦さもある。

跡継ぎの話を目撃しつつ、女医者を目指す月江も母の家業を継がねばならないという時間制限も迫っていて、ここにはまだ結末がついてはいない。医者を選ぶならそれ以外を捨てねばならないというルールが突きつけられたような巻だ。本書は藤元登四郎さまに恵贈いただきました。

『現代詩文庫 村田正夫詩集』

諷刺詩で知られる詩人の1955年から2006年の詩集から採録された一冊。しばしば村田正夫創刊の詩誌『潮流詩派』に寄稿していた岡和田晃さんが解説を寄せていて読んでみた。初期こそ叙情的なものもあるけれど当時の様々な時事性に即した諷刺詩は時代の記録にもなっており、ヴェトナム戦争から消費税導入、窪塚洋介の飛び降り事件まで取りあげられていて面白い。

本書でも印象的なのは表紙にもあしらわれている「バラ色の生活」だろうか。韻を踏んでいるというよりは連想や駄洒落めいた音の類似を「である」で結びつける小気味良さとともに、その言葉を相対化する別の言葉でぶつけていく諷刺の運動、この双方のリズムが続いていく気持ちよさがある。

世はまさに風神雷神である
封紙頼信紙である
忠臣楠氏である
中止乃至死である
精子卵子である
喰う詩
空詩
空襲である
サイレンである
ヒロシマナガサキである
ナガサキアゲハである
アフリカオナガヤママユである
スワヒリ語である
ジャンボーである
風スル馬牛である
風刺である
風詩である

中略

ゲートルである
巻くのである
膜である幕である
刑事をまくのである
細菌をまくのである
爆弾をまくのである
ふたたびベトナムである
バラまくのである
バラ色の人生である 33-37P

爆弾がばらまかれるヴェトナムにバラ色の人生を重ねる痛烈な皮肉に帰結する終わり方。美空ひばりオバQやら様々な風俗が織り込まれていて、しかしジャンボーから風スル馬牛に繋がるのはよく分からない。音が別に似てる訳でもない場合、次行との関係が分からないのも結構あってそれは当時の知識では分かるものだったりするのかも知れない。1969年の詩集の収録作。

また、「ベトナムに雪降るように」という詩がある。

ベトナムに雪が降る
しんしんと
雪が降る
といえば
人々はおどろくだろう

だが

ベトナムに爆弾が降る
ずしんぱしんと
爆弾が降る
といっても
誰もおどろかない

ベトナムでは
片足ちぎれた赤ん坊でも

少女のからだが
ばらばらに
吹きとんでも

少年の首と胴がはなれて
その首を
すってんころりと
道端にすてても
誰もおどろかない 41P

これなどは今のパレスチナやその他報道されない紛争、戦争、武力行使にも通じる。

小熊秀雄の逝去した1940年、八歳の頃に詩作を始めたらしく、小熊の没後年数が自分の詩作年数だという村田は最後の詩集が2006年、少なくとも66年は詩を書いている。雑誌を創刊したのでも1951年という。

2004年の新紙幣についての「啄木を入れれば完璧」という詩がある。

なんで一枚だけ人物を変えないのか?
景気浮揚のために貧乏で有名な二人を選んだのは
痛烈な批評精神が感じられていい
とすれば

一〇〇〇〇円に啄木を入れれば完璧!
いまどき思想的偏りなんて
云いっこなしよ
山頭火 放哉なんていうのもいいな
そうすりゃ私の財布にも
少しは集まってくるかもしれない 111P

ちょっとユーモラスで良い。

「レオポルトアラゴンの死」

おれは
毎日毎日死を恐れる
詩とは死ぬこととみつけたり
などといいながら死を恐れつつ詩をかく

一九七八年五月一九日号の週刊朝日をみると
パナマ人レオポルトアラゴン教授が
アメリカの大国主義に抗議して
ストックホルムアメリカ大使館前で
自からの身体に火を放ち
姿勢よく数十メートル走って死ぬカラー写真が載っていた

死は抗議である
詩もまた抗議である

死と詩の美しさ
抗議の美しさについておれは考える 59P

1950年代から2006年までの村田の詩作によるちょっとした日本戦後史という趣もある。諷刺詩なので詩が分からないなんてことにはならないだろうし、むしろ入門に適しているのではないだろうか。

岡和田晃『世界の起源の泉』

世界の起源の泉

世界の起源の泉

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著者二つ目の詩集。古典的幻想文学のような趣向に言葉遊びや先行作を様々に織り込んで書かれた形而上詩と、現実を題材に批判・諷刺を込めるプロレタリア詩が収められている。続けて読むとこれらは題材が違うだけでその調子には一貫したものが感じられる。

末尾に参考・引用した作品が明記されていたりもする形而上詩は、それ以外にも私が分かるだけでも多数の文学作品の名前やフレーズ、イメージを種々に取り込んで詩を組立てていくのと、プロレタリア詩が現実の出来事を取り込んでいくその仕方に通ずるものがあるように思える。それでいて形而上詩には見た目にいかつい文字遣いでいながら時折駄洒落じみた言葉遊びが挾まったり随所にユーモアも込められていて、一見した晦渋さを裏切る要素も多分に含まれており、遊び心を感じさせる作りになってもいる。セリーヌを踏まえた詩で「驢馬ン損」とか表記されてたり。また旧ユーゴのイヴォ・アンドリッチJ・G・バラードの引用が同居する詩があったり、文学的引用といっても著者のカバー範囲同様幅が広い。

形而上詩は特に字句の配置が凝っているものがあり、この形式性、間テクスト性、性的なイメージなどなどの技巧がおそらくは抒情性への抵抗なのかなとも感じられる。

その姿勢の由来するところを示唆する、そのものずばりの「反抒情」という詩から。

――総じて日本的抒情とは 首吊りの紐によく似ている。
怒りに自らを燃やしたはずの炎を 同情の涙で沈火させ
同調圧力に従わぬ者を締め上げる 陰湿なやり口が―― 172P

第五部にまとめられたこうしたプロレタリア詩は実体験、石原慎太郎の死、自民党政治、コロナ禍での感染などなどの社会的問題へと批判の矛先が向けられ、著者が解説を寄せた村田正夫の創刊した「潮流詩派」掲載作が多くを占めており、前掲村田の「バラ色の人生」へのオマージュ詩も収められている。

――だからこそ、何度でも言いたい。
病院に爆弾を落とすな、子どもを殺すな、
障害者を殺すな、医療従事者を殺すな、
そもそも、誰であっても殺すな、と!
詩の影響力は微々たるものかもしれないが、
ゼロを1にするだけの決定的な力があり、
それこそが、詩が畏怖される原因なのだ、と 238P

これらのプロレタリア詩における直接的なメッセージは当然形而上詩でも踏まえられているんだろうとは思う。改めて読んでみると実は形而上詩にもやっぱりこれは直接政治的話題に言及した箇所だよな、というところが見つかったりもする。五部からまた冒頭に戻って読むのが良いかもしれない。本書は岡和田晃さまに恵贈いただきました。

一冊目は私が本文の編集を担当したけれど、本書はちゃんとしたプロの人の手になる版面になっていて美麗なのもお薦めポイント。

オルタナ旧市街『お口に合いませんでした』

口に合わない食べ物をテーマにした「憂鬱グルメ小説」と銘打たれた連作短篇集。自主制作本やコンビニプリントなどエッセイを中心に活躍していた著者の商業出版二冊目は小説となった。生々しい食感の描写も読みどころだけれど、連作の形で別人からの視点が入ることでそれを好む人もいること、そしてそうした善意によっても起こるすれ違い、ミスマッチこそ核心だろう。

フードデリバリーのシチュー、植物由来のミートボール、遊園地のクレープ、営業先で薦められたうどん屋、そのまずさの描写がどこかで自分も味わったという共感を誘いつつも、映画館のエピソードが象徴的なように後半では別人の視点から前の話を相対化する話も増え、味の好みの違いが際立ってくる。何篇か読むと気づくけれども、五階建てで五階以外は二部屋ずつの東京のこじんまりとしたあるマンションの住人たちが主要人物になっていて、単身用マンションゆえに皆それぞれ一人の生活を送っており、味の好みが合わないことは食卓を囲む相手がいないことを示している。著者自身の経験も含まれるだろう生々しい食べ物のことがエッセイではなく小説として書かれている理由がここにあり、都市生活者の孤独や憂鬱が帯文で触れられているように、味の感じ方の違いはその相手との疎隔の象徴にもなっている。マッチングアプリがしばしば顔を出すのもその現われだろう。

「ラー油が目にしみる」の秋山は映画館エピソードで視点人物の味覚のおかしさを指摘した人物だけれど、彼もまたキッチンカーで常連がうまいんだよなと言いつつ買っていった料理をまずくて食べられないと捨ててしまうハメに陥っていて、段々、おいしさとは何か、という気分にもさせられる。単身で本社赴任するからあげエピソードの母親は息子が偏食でからあげだけは食べてくれると思っていたら、息子視点のエピソードで母親の料理がおいしくなくてからあげだけは食べられる、という切り返しがされ、母がいないことで料理がグングン得意になっていくのも得も言われぬ切なさがある。

ひとつだけ、どうしてもママには言えないことがある。それはママの料理が全然好きじゃないということだった。日々出される食事に感謝していないわけではない。ただ、それが好みかどうかは別である。おいしくない、と言い切るほどではないが、好きではない。172P

この息子の好みと違う調理法の由来が、どうももっと幼い頃に野菜を全然食べてくれなかった頃の工夫がそのままになっているからのように読める。息子の成長、味覚の変化に気づいていないここにもミスマッチがあり、単身赴任する母のもとを訪れる回で、いくらか和解の予兆も感じられる。

ママの料理を楽しみに帰宅する、そういう光景というのはじぶんにとっては遠い国の物語のようだった。172P

という一節と、この回の最後の一文でのからあげの匂いが「もっと遠くまで届いたらいいのにと思った」が、距離を時間に変換しているようにも読めて面白い。しかしこの中学生の少年が母を「ママ」と呼んでいて、男子だと明確に分かる記述があるまでてっきり女子だと思っていた。男子は小学校高学年あたりでだいたいパパママからお父さんお母さんに切り替えていくと思うので、この少年の母親との関係の一環としての「ママ」なんだろうか。

本に情報がないけどウェブ連載に書き下ろしを加えての書籍化で、書き下ろし以外は連載時に読んでいたつもりでいたけどいくつか未読かも知れない。ウェブ掲載時に随時読んでいたので知っているつもりだったけれど、改めて一気に読んでみるとより面白く読めた感じがある。好食一代男のオマケもいい。

書き下ろしの肉寿司エピソード、肉寿司ってダメな飲み屋の代名詞みたいになってることでしか知らなくて、食べたことがないな。なんか、品のない料理という印象がある。

宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい』

エッセイにも色々あって書評・評論に近いものや日常を切り取るスケッチ的なものもあるけれど、本書では自身の体験を主な題材にして思索を重ねていくスタイルで、日々の出来事を日々思考していく日常的思考としてのエッセイという印象がある。

文芸評論が作品を対象に考えることで、小説が虚構を通して考えることだとしたらそのあいだにエッセイがあるのかも知れない。解説で吉川浩満が「エッセイを書くという行為は、毎回が自らを材料にした実験である」283P、と書いているとおり。そして自己の体験とともに愛読した文芸作品を基点にすることで思考の方向性というか、堂々めぐりを回避し適切な距離を取っているというのは二つ解説でつとに指摘されている本書の特徴でもある。これもまた平熱と熱狂のバランスを取ることなのかも知れない。

日常の雑感から話を広げたりコミカルなものもあるなかで本書の根幹になっているのはアルコール依存症とそこからの脱出をめぐる、自身の弱さに向き合うことについての思索だろう。表題はまさにアルコール無しの「平熱」での情熱を意味したものだ。

僕は意志が強くなどなっておらず、相変わらず弱い。しかし、酒に手が伸びそうになったとき、僕を寸前で止めてくれるのは、むしろ「弱さ」のほうである。再び敗北するのを恐れる臆病な「弱さ」が、酒をコントロールできるという思い込みから、僕を少しだけ引き離してくれる。44P

弱さを自覚して自己の制御を学ぶこと、このアルコール依存症からの脱出の経験が本書の底流となっている。折に触れて何かについて考えるということ、迷いを口にしながら次善の策を考えていくことは「弱さ」を認めるからこそ始まる営みなのかも知れないと思わせるものがある。

本書冒頭の優しさとは何かを考えたエッセイに述べられている「0を作る理論」というのは非常に面白かった。腕力に差がある相手と買い物に行ったりした時、荷物を二人で分け合うのではなく、自分が全部持つことで相手にゼロを作る。五対五に分け合うのではなく、10対0を作れるなら作った方が良い理論。日本ではみな平等に辛い思いをするべきだのような空気があるけれど、それでは人を助ける余裕のある人が声を上げづらくなり、自分が辛くなった時に誰からも助けられなくなるのではないか、という打算もあると言っているけれども、五対五では恩を売ってるようでちゃんと売れてないとも言える。この理論、アメリカの女性最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグの「連邦最高裁判事のうち何人が女性になったら満足するのか、と聞かれることがあります。私の答えはいつも同じ、『9人』です」という発言と同じような、こちらの考えの盲点を突くような新鮮さがあった。

アルコール依存症、父の死、コロナ禍での妻の出産について病院に自分が行くべきかどうかを迷い続けるくだりなどの印象的な部分も多いけれど、読書家の祖父に一番すごい作品はなにと聞いて『カラマーゾフの兄弟』だけどロシア文学は暗くなるから読んではダメだと言われての話は笑った。

祖父は若い頃、地方紙かなにかに小説を投稿していた。何度落選しても送ってくる執念にまいったのだろう、担当者から電話がかかってきて、「君の小説は暗すぎていけない」と助言されたらしい。ちなみに、祖父の名は陽太郎である。70P

ちょっとしたアネクドートとして完成度が高い。

しかし著者はアルコールはやめてエナジードリンクを飲んでるというのは大丈夫かだろうかと思った。私はエナジードリンクを飲んだことがない。毎朝夏はペットボトルのカフェオレ、冬はホットの甘い缶コーヒーを飲んでる自分が言うのもなんだけど、エナジードリンクはより危うい気がしている。

子供の頃に鼻呼吸を覚えて「肉」から「人」になったという話はなかなかすごくて、発達障碍の人が薬を飲んで意識が鮮明になった話を思い出す。呼吸でそれほど変わるとは。そういうことは良くあることなんだろうか。

最後にあるこのくだりは日常的思考としてのエッセイの要諦といえる。

日常では、ありとあらゆる「何もかも」が起こっている。非日常のほうがいろいろなことが起こるではないかと思うかもしれないが、それは違う。非日常では、その非日常性がもたらす「何か」に焦点が絞られ、実はたくさんのことが起こらない。非日常は、日常を極端に限定させたかたちで目の前に立ち上がらせる。非日常には、非日常的なことしか起こらないのだ。一方、日常は本当にありとあらゆる「何もかも」が起こっている。その「何もかも」が起こっていて、ありのままの確かさを摘み取ることができる凪の日常を僕は愛したい。一生懸命に「寂しい人」を生き、平熱のまま、この世界に熱狂したい。261-2P

横田創『埋葬』

十年以上前に早川書房の〈想像力の文学〉叢書の最終巻として発表された、魅惑的な人物の言行による欲望の転移・感染に見舞われるような言葉の不気味さを感じる表題長篇と、貧しい女子大生が窃盗に手を染めるなかで金銭の移動と欲望の移動を描く中篇他一篇を収める作品集。

『埋葬』は十数年ぶりに読んだけれどもやはり読めたという感じはほとんどなく、蠱惑的な魅力と不気味さを備えた作中の独特の主張の数々を色々並べてみてはどういうことだったんだろうと途方に暮れながらも何かすごいものを読んだ、という実感は残る。

話としてはある母と娘の死体遺棄事件が起こり容疑者とされた少年の裁判中、死体を運んだのは自分だと告白する夫の手記が発表され、その10年後にあるジャーナリストの調査として、その夫の手記や収監された少年との面会での対話が記され、少年、妻、夫の三人の関係が明らかにされていくというもの。

全貌や真理はおぼろげだけれど、一つ今作で重要だと思うことは死者が二人確実に存在している事件のなかで、殺したのは誰かというのが次々と変わっていくということだろう。それが同時に彼女は私だ、というような主体・主語の混濁、移動、僭称などとも呼びうる行為とも絡み、小説の語りとも重なる。

他人ではなくて自分であると思わなければ、たとえどんなにささいなことであってもなにかをひとに言うことはできない。ましてや指図したり命令することなどできない。他人のわたしにそんなことができるはずがない。39P

大学の友達と比べて明らかに貧しく遊ぶ金を捻出できないトンちゃんが窃盗に手を出していく犯罪小説の中篇「トンちゃんをお願い」を読んでみると、財布を移動する金銭に象徴される欲望の転移が描かれていて、「埋葬」と仕掛けに共通するところが多いと思われ、両方読むと理解度が上がると思う。

「トンちゃんをお願い」にはトンちゃんが窃盗に至るまでの金銭的苦労が描かれていてそこに貧困と犯罪のテーマもあるんだけれど、終盤に明かされるそもそものきっかけがあり、金銭の無断の移動がそれを再生産してしまうというDVめいた連鎖性の話にもなっている。またそこでなされる無断の行為が主語というか主体性、自己同一性を揺るがすものでもあって、ここに「埋葬」にもあった主体の混濁、殺した主体の移動にも繋がっているんだろうと思われる。欲望の転移、感染、連鎖をめぐるテーマはその欲望は私のものなのか、という問いに絡む。

解説によれば「埋葬」は細かく読むと殺された妻の意図が明確に分かるように書かれているらしい。そこまで読むことはできてないけど、ミステリ読みの人ならいけるのかも知れない。芥川「藪の中」の変奏とも言える作品で、「藪の中」の古典としての強さを感じさせる。本書は担当編集様より恵贈いただきました。

これだと分からないけど叢書版の帯が茶色い半透明のもので、帯をつけると描かれてる人物が土のなかに入るように見えるという仕掛けがある。

岡和田晃さんの解説では、彼とともに10数年前に〈想像力の文学〉を特集した同人誌「幻視社」第六号が触れられていて私の名前が出て来て驚きました。

最近読んでたラノベなど2024.12

ピクニックはラノベか?とは思うもののまあここに入れるのがちょうど良かったのでまとめた。

宮澤伊織『裏世界ピクニック9』

巻としては新展開への序章という感じだけど「空鳥」という関係になった二人が対外的に説明するには「付き合っている」としか表現できないという「恋愛」の文脈と、恐怖をもたらす「怪談」の文脈の双方を用いて「人間」とは何かを問う作品の軸を明示していて面白い。

愛おしいという言葉は厭うから派生したという「愛」の語源論を通じて、愛情と恐怖の感情とを重ね合わせるように三つのエピソードが連ねられていると思われる。「獅子の卦」のエピソードは愛おしいと厭わしいとの重なりを二者一体となったシシノケを通じて描き、「カイダンクラフト」はマインクラフトを踏まえて怪談無限生成プログラムを使って認知領域を広げ、恐怖を通じて人間にアクセスしてくる裏世界の言語モデルを作ろうというなかなか尖ったアイデアを示しながら、霞を養子縁組した小桜の話から空魚の嫉妬という愛にも通じる感情を描き、「第四種たちの夏休み」で潤巳るなの空間デザイン、辻の魔術などから認識に影響する文脈の話を語りつつ、愛と恐怖とが人間を文脈に乗せてくる点で同一だ、という空魚の発見に至ることになる。

恋愛というもの、怪談というものを文脈・認識の様相から捉えるのがSFホラーの面目躍如という感じで、タイトルはストルガツキーだけど核心はレム『ソラリス』だな、と思わせるものがある。ここから裏世界攻略篇が盛り上がっていく感じになるんだろうか。愛情と恐怖、それはつまり鳥子の嫉妬として作中何度か怖い顔を披露しているあたりにも反映している。

「イギリスの正式名称は、グレートフリテンおよび北サンマランド連合王国って言うの。もともとケルト系の先住民フリテン人ってのがいて、いつも麻雀をやってたんだけど、メンツが一人抜けてできなくなった。それで生まれたのが三人麻雀(サンマ)ってワケ」76P

この滔々とデタラメが流れる面白さ。

零余子『夏目漱石ファンタジア』1~2

作家の自由を守る武装組織「木曜会」を設立した夏目漱石が暗殺されその脳は樋口一葉の体に移植されていた、という旧題『シン・夏目漱石』としてネットで話題になった「文豪」バトルラノベ。色物と思いきやエンタメとして整っていてネタ的な派手さもあるのが強みか。

森鴎外野口英世によって移植手術を行なわれ、美女樋口一葉の体を得て蘇生した夏目漱石が、自身を襲った暗殺者の正体、そしてブレインイーターという作家の脳味噌を奪う殺人者の謎を追いつつ、講師として女学校に潜入して学問を教える、というまあなかなか素っ頓狂な話ではある。

これどうなるんだろうなと読み始めたら政府と社会主義とがともに作家を抑圧するものとして並列されているのはだいぶアレじゃないかと思ったし「月が綺麗ですね」を多用するところやラノベっぽさを出す時折俗な言葉遣いにうーんと思ったけど、途中からは結構見直した。

漱石の命を奪った小銃擲弾(ライフルグレネード)から始まった話が、本篇ラストで「号砲」で終わる構成美もそうだけど、伏線、構成、キャラ配置などなどかっちりと組まれている感じで、突飛なように見えた設定やらが綺麗に収束していく組み立ての面白さがベースにあるのが強い。

「幻影の盾」について漱石が兄嫁に懸想していたという江藤淳の説は有名だけど、今作では漱石と一葉が幼馴染で許嫁だった(縁談の話は兄だったけれど漱石ともあったという説がある)という設定でヒロインを作り、また則天去私が一葉由来の思想だという独自の設定もそう使うのかと。以下の動画でも触れられてたけど、今作で漱石武装組織を作る個人主義から表現の自由を絶対視する立場で、一葉は医学の力を借りず病死を受け入れる則天去私の思想を持っていたことになっていて、つまりこれで後期漱石の思想的転換が説明できる、というわけですね?
www.youtube.com
動画では人文的存在に対して理系的存在がカウンターになってるのが面白いとも言ってて、確かに施術者野口英世は食えないやつだし、今作では協力者だけれど敵対する可能性もある存在として政府側の軍医総監鴎外という緊張関係があったりする。最後の登場人物の医者もそう。

突飛な風に見えるけど、話がかっちりしているところに飛び道具的なネタを持ってきている感じ。芥川龍之介芋粥ならぬタピオカミルクティーを売ってるとか、鈴木三重吉が武闘派というかヤクザみたいに「童話(シノギ)」と言い出すところとか笑ってしまう。正岡子規が野球に誘うサザエさんみたいなセリフも笑ってしまった。また与謝野夫妻がバナナで卑猥なことをした話など、文壇ゴシップの小ネタもそんな話あるんだ、みたいに面白がれるところもある。文豪ネタのコラムが挾まれていて、月が綺麗ネタもちゃんと典拠がないことの解説がある。

さっきの動画で人文と科学の戦いという話があって、今月に二巻が出るのを知ったんだけど二巻では鴎外が鍵になるらしい。この文豪にして軍医総監という文学と医学に亘る知識を持つ鴎外が重要なのは一葉の体で蘇生した漱石という本作の核心に重なるようでもあるし二巻はコナン・ドイルも出てくるらしい。漱石の弟子というか友人だった寺田寅彦も出てくるし、そういえば新一の父星一も冷凍保存技術の提供者として出て来ていた。文豪ネタで作品を作る時、その対立軸として科学が据えられていて、ドイルもそういうミステリ、SFの科学性みたいな要素が重要なのかも知れない。

ラノベがアニメ漫画ゲームのオタク趣味を踏まえて書かれるとすれば、本作はその代わりに文豪ネタを使っている点で確かにラノベではあるのだと思う。まあガンダムネタとかもあるけど。「メシマズの国」とか「実家の太さ」とかのネット語はやっぱり気になったし、政府の抑圧にも社会主義の押しつけにも反対する表現の自由という組み立てが現今のネット的な安易な表現の自由観に思えるし、思想性や政治性を閑却したパッチワーク的なネタ化、というきらいはある。そうかと思えば当時の女学生は在学中に寿退学するものだったのを、きちんと学問を修めさせるというちょいフェミニズム的なテーマもある。

歴史偉人トンチキバトルラノベ第二弾。帯文にドイルが出てくるけれどもこの巻の主役は新旧千円札肖像の野口英世北里柴三郎。師弟関係もあったこの二人、貧民迫害論者と組んだ北里を、樋口一葉や自身の困窮から絶対に許せない野口と対立させる構図がある。

シリーズの題材として紙幣の肖像になった人物が登場するからこそ、医療にもかかれない貧困を対立の軸に置くという社会派的なテーマになっているのかも知れない。そして対貧民政策に感染症対策の意味もあることで、コロナ禍の現在においても非常に身近なものとして読めるところがある。

まあそういう構図は感じられつつも相当にぶっ飛んだトンチキアイデアが多数ぶち込まれた作品になっていて、ドイルと漱石に関係を作るのにどっちも滝落ちに縁があるからという理由には唖然となった。ライヘンバッハの滝に落ちたドイルと、教え子藤村操が華厳滝に投身自殺した話、そう使うか。

ライヘンバッハのホームズと華厳の滝の藤村操――滝壺の底の民から呪われる宿命を 抱えているのは、この世にドイルと漱石だけ。43P

これ読んでて嘘だろ?と思った一文。あと北里柴三郎のキャラ付けが相当に飛んでて、完全に少年漫画のバトルもののノリで変なことを言い出す。

「成婚率一五〇パーセントを誇る、史上最高にして究極の仲人! それがこのワシ、北里 柴三郎よ!」77P

「分かるか? ワシが本気を出せば、誰一人として独身を貫くことは能わぬのよ」82P

夏目漱石の妻がダメなら夏目漱石を妻にすればいいのだ!というTSトンデモ発言も飛び出したりと、まあそんな感じの小説になってる。一巻で文豪ものと思わせつつ、実質的に紙幣に登場した人物を散りばめた歴史偉人バトルラノベとしてまあまあ楽しい。ただ、「ガンギマリ」とかのスラングが出てくるのはちょっと気になる。そんなところを気にするレベルのおかしさじゃなかっただろうと言われれば、まあ、そう。

伏見つかさ『私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない』1~3

俺妹の実妹エロマンガ先生の義妹と兄妹ラノベを描いてきた作者の新作は二卵性の双子兄妹を性転換させるというかなり攻めた設定。ファンタジー度を上げてライトなラブコメの作風にしながら近親関係には俺妹以上に踏みこんだ感じがある。一巻段階では主要登場人物はマッドサイエンティストで主犯の姉夕子、主人公千秋と双子の妹の楓、そして「家族同然」に育った主人公に好意を抱いている幼馴染のメイというほぼ四人。つまり家族(同然の人)に対して恋愛感情を抱くことはできるか、ということが初っ端から問われている。

いきなり性転換する系のフィクションには男子に女装させて羞恥の様を楽しむ要素があるのも多いけど、今作だと千秋はバカみたいなポジティブさがあって女子になっても恋愛するぞと言ってて大して苦にしておらず、基本は陰茎が生えて性欲が抑えられなくなる楓が中心的なネタとして展開する。中学まで誰にも恋愛感情を抱かなかった千秋は、性転換して女子になることで人にときめきを感じるようになり、逆に楓は性転換の影響で抑えられない性欲を抱えることになっていて、ひとまずは男女の性別を性欲と恋心に分離して、それを入れ替えることで関係に変化を作っている。

ある意味、双子として分かたれて生まれた二人が相互に性を入れ替えることで恋愛と性愛の統合を果たすと言うことなのかも知れない。プラトン的意味で。そして「恥ずかしすぎて誰にも言えない」というタイトルは、近親恋愛というものをどう肯定するかというテーマにも繋がるものだろう。「世界中の人間におかしいと思われようが、気持ち悪い変態だと蔑まれようが」云々のセリフがストレート。ライトで楽しいドタバタコメディの体裁をとっているけど家族愛、恋愛、性愛の三層がさしあたり提示されていて、俺妹の結末で賛否両論を生んだ作者がこれをどう扱うのか、気になるところ。

俺妹もエロマンガ先生もアニメや漫画で触れたくらいで原作ちゃんと読んでないけど、300ページ未満でサクッと読めてまだ巻数も少ないので追っていけるかな。

双子性転換ラノベブコメ二巻。ほとんど最後以外はこれが最終巻のつもりで書いたというように前巻の秘密もあっさりとバラしてお互いを今でも相手を好きだというところに、メイの主人公には男に戻ってほしいという駆け引きでどれを選ぶかが突きつけられる。概ね前巻で書いた、家族あるいはそれ同然の相手は恋愛対象になるかという問いがある、と言うとおりの最後の引きだった。しかし夕子は楓の応援をしていると思うからその意味があるのか、どうなのか。

男女の双子にそれぞれおかしな現象が起こっての近親TSラブコメ第三巻、姉が成長した姿で参戦してきての海なし県の埼玉から江ノ島へ出ての恋愛対決で落ち着くところに落ち着いた。楽しくはあるし読みやすいけど、どうも手応えが薄いな。アレを生やす薬と消す薬の使い方はそうなるか、と思ったけどこれ増産できるなら色々使い勝手良いけど、そうなるとエロ漫画になってしまう。エロ漫画みたいな設定で一般やるにはもうちょっとなんか必要な気もする。なんかこの巻で終わりでもまとまり良い気がするけどまだ続く、よな。

不破有紀『はじめてのゾンビ生活』

瞳が赤くなり皮膚が腐り無機物でも食べられ知能が上がり生殖能力が失われるという、22世紀頃発生したゾンビ感染症によってゾンビ化していく人類に起こる歴史を50以上の短い断章によって構成した「人間とゾンビの宇宙興亡千年史」を描き出すSFラノベ

各章数ページで展開される掌篇のなかで、初めてゾンビ陽性になって家に帰ったら腐臭や醜形ゆえに上階に追いやった父から仕返しをされる最初のエピソードが示唆的で、ゾンビ化によって虐げられていた人々が次第に数を増やすなか、時代が進んでいくと人数が逆転し、人間がゾンビに虐殺される事件が起きる。

各章必ず西暦と滅亡まで何年かが明記されており、人類史の避け得ないカウントダウンが作品全体のトーンを決定づけているのだけれど、破滅や虐殺といったマクロな事件を直接描くわけではなく、個々の小さな人々の悲喜こもごものエピソードが点描されていって、そこに人間の愚かさや希望が込められている。マクロな視点では破滅に向かいつつある人類も、ミクロな具体的な人生においてはさまざまな物語があり精一杯生きているわけで、個々人がいかに懸命に善く生きていたとしても総体としては破滅に向かいうるというジレンマを描いていて、ここにSF性があるなと思う。

人間、ゾンビ、ロボット、と人間という存在の拡張によって行なわれていく仮想人類史。本文中にイラストが一切ない、ラノベとしては珍しいスタイルで、これが一体どこから出てきたのかが不思議だ。新人賞の拾い上げなんだろうか。

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)6』

要領よく生きていたはずのれな子の妹遥奈が「きょうから不登校になる」と言い出したことをきっかけに、甘織姉妹の掘り下げをしていく百合ラノベ第六弾。これどうやってまとめるんだと思ったら読み終わるまで前後篇の前篇だということに気づいてなかった。

引きこもりから脱するための協力をしてくれた妹への感謝を描きつつ、自分は価値がないから他人に優しくしないとならない、という自己評価の死角がエピソードの基盤になる構図はシリーズ通例で、香穂もハーレムに呼び込むつもりかのような伏線も撒いてたりするし色々と仕込みもある。

おかしい。陽キャの妹の方が人の善意を信じてて、大人しめのわたしが人の悪意に染まっているなんて……。普通、逆じゃないか……? 50P

これはもちろん語り手れな子の思い込みとして描かれているんだけれど、対人関係におけるポジティヴさというのが他人への信頼でネガティヴさとは自分しか信じないこと、という認識がうかがえる。ネガポジアングラーというアニメを見てても、同様の認識がうかがえる場面があった。アニメエロマンガ先生でもちょっと思ったこととして、しばらく前まで「陰キャ」「陽キャ」と二分した上で陰キャを自認するオタクの立場から陽キャを見下したり敵視するような空気が微妙に共有されていた印象があるけれど、昨今ではそれに対して陽キャのスタンスから省みる描写が多くなったような気がする。

『トランスジェンダー入門』とトランスジェンダー関連ブックレットなど

年初に読んでた本を今更記事にしてあげることになった。本当は他に三冊ほど積んでる~問題やQ&A本なども含めて一つの記事にしようと思ってストックしていたけれど年内には読む時間がなさそうなので、この三冊と特集記事についての感想で公開することにした。

周司あきら・高井ゆと里『トランスジェンダー入門』

さまざまな議論の対象とされているトランスについて基礎的な知識を提供する新書。公衆トイレ・風呂といったシスジェンダー視点での限定的な論点ではなく、現に今どのような状況と課題があるかをトランス主体の視点で語ることに意味がある。

だから本書は論争そのものについて書かれた本になってはいない。専ら「脅威」としてイメージ化されている状況に対して、トランスジェンダーが被る経済的、精神的、法的なさまざまな差別や困難な状態の事例を紹介し、シスジェンダー視点を切り返すことが試みられている。「お金がないと社会に受け入れられやすい外見や身分証を手に入れられないのに、そのお金を稼ぐために、社会に受け入れられやすい外見や身分証が必要になるのです」(100-101P)という就労にまつわるパラドックスが指摘されており、これはそのまま労働・生存・生活の困難さに直結する。

ジェンダークリニックを受診したトランスジェンダーに限定した日本のデータ(2010年公表)によれば、自殺念慮を経験したことのある割合は、トランス女性MtFで71.2%、トランス男性FtMで57.1%でした。自殺未遂の経験率は、トランス女性では14.0%、トランス男性では9.1%でした。119P

2017年に就学年齢のトランスの若者を対象に英国の慈善団体ストーンウォールが実施した調査によれば、衝撃的なことに92%のトランスの若者が自殺を考えたことがあり、全体の45%に自殺未遂の経験がありました。120P

特にトランスの場合、カミングアウトしたいわけではなくても、外見で周囲にトランスだと認識されたり、戸籍上の名前や性別を知られたりして、個人情報をコントロールできないことがあります。戸籍の情報を知られるのを避けるために、あえて雇用保険社会保険の適用とならない短時間労働だけをかけ持ちするトランスの人もいます。このように、他者にアウティングされてしまうリスクに加え、自分の存在そのものが望まないカミングアウトになってしまうのを恐れて、就労に困難を抱える人が多いのです。97P

「生まれた時に割り当てられた性別とジェンダーアイデンティティが異なる人」とトランスジェンダーを定義し、社会的、医学的な性別移行の過程を個別に説明しながら、それらは盤面のオセロを一つ一つゆっくりと裏返していくようなもので、たとえば性別適合手術はその一つでしかないと述べる。服装その他の社会的外形やホルモン治療などの医学的過程が種々様々存在し、性別というものが一般的な生活においては様々な条件、様相で認識されていることを指摘し、家族、学校、会社、プライベートなどがあるなかでたとえば戸籍の性別欄もまたその全生活という盤面の一マスになる。

つまり性別移行は個々それぞれに様態が異なる複数の過程によるもので、例えば何か一つのことが容易になったとしても幾つもの他の条件がある以上、ドラスティックに何かが変わるということではない、という現実を指摘する。本書では「性別は「場」で分散する」という言い方をしている。本書が個別の論争に深入りしないのはその盤面の一マスにすぎないものを過重に扱うことで全体像がぼやけるからだろう。シスジェンダーによって作られた社会における困難を指摘する際にシスジェンダー視点での「論点」を取り上げることはバランスを欠くことになるわけだ。

たかだか公衆浴場の話をわざわざ性別承認法と結びつけることには、何の合理性もありません。公的書類の性別が現実と食い違っていることに由来する社会的困難は、公衆浴場に矮小化されるような話をはるかに超えています。(中略)これはお風呂の話ではなく、人生の話なのです。166P

本書はこの当たり前の視点を再確認する。そして過少代表、ジェンダー規範、リプロダクティブライツなど「フェミニズムとトランスの政治には重なり合う目標があること、それどころかフェミニズムフェミニズムであるためにはトランスの課題を必然的に考えざるを得ないこと」(196P)を改めて強調する。

こうして一部の論点に限定されない視野から基礎的な課題を提示する本になっている。また日本には以下のような問題も指摘されている。

日本には、LGBTについて学校教育で指導するカリキュラムが存在しません。直近の学習指導要領2017年改訂では、「LGBT」の項目を含めるよう運動が展開されましたが、結局盛り込めませんでした。各出版社の判断により、主に保健体育の教科書でLGBTのことが扱われてはいますが、国の定める指導要領からは漏れているという状況です。そしてそれ以前に、これらの「多様な性」についての知識の前提となる性教育の状況が、 日本は悲惨です。82P


個人的には、性別移行について、社会的なものと医学的なものとで求めるものが人によって違うことがあり、社会的な移行は望まないけど医学的なそれを望むなど、性別違和の現れ方がそれぞれ違うというのは発見だった。男性ホルモンを投与する影響も書かれており、性欲が高まり、声が低くなり、体臭が変わり、筋肉も付きやすくなるほか、涙が出にくくなると実感する人もいるなど、男性女性の違いの一端を窺うことができるのが興味深い。女性ホルモン投与では身体的な変化のほか概ねこの逆で、ただ声は変わらないらしい。

興味深かったのはノンバイナリーも含むトランスジェンダーのなかで異性愛者は全体の15%に過ぎないという調査結果の話だ。トランスの多くがバイセクシャルも含む同性愛者でもあるというのはつまり、性自認と性指向は個々独立していて、性指向は出生時に割り当てられた性別に紐付いてるんだろうか。

トランスヘイトの言説にはLGBTからT・トランスジェンダーだけを除外しようとするものがあるけれども、セクシャルマイノリティの分断を図ろうとする動きに対してはLGBTとして連帯する意味がやはり存在するなと考えさせられる。そして本書で指摘されるようにその課題は多くの部分で重なってもいる。

フェミニズムが問題にするジェンダーロールへの批判とは異なるトランス固有の問題として以下のものもある。

よくある勘違いですが、トランスジェンダーの人たちは「女らしさ」や「男らしさ」を受け入れられなかった、あるいはそれに納得できなかった人たちのことではありません。トランスジェンダーの人たちは、生まれた瞬間に課せられた「女性であること」や「男性であること」の課題を引き受けられなかった人たちのことだからです。38P

図書新聞」2023年12月16日号 周司あきら、高井ゆと里、岡和田晃、聞き手睡蓮みどり 鼎談「差別を「真に受けない」ために」

図書新聞 3619号 (発売日2023年12月09日)
論争を相対化する新書に対して、ヘイトに染まりかけた人を想定した論争に対するQ&Aの新著を用意していることやより踏みこんだ話もされている図書新聞の対談記事。

フェミニズムと宗教由来の反トランス運動が融合していることへの問題意識が触れられており、今は攻撃しやすいトランスをターゲットにしているけれどその先には当然女性の権利、生殖の自由、性的自己決定権などを否定する反フェミニズムがあるということをきっちり指摘している。

そのなかで本来されるべき議論として、トランス男性やトランス女性をそれぞれ男性・女性と呼ぶべきだと言うことを前提としつつ、当然異なった経験を経てきているのでそのことを論じたくてもバックラッシュに利用されてしまうのでやりづらいということ。男女差別を背景に、男になれば賃金が上がるんだろうとトランス男性を非難する人がいて、しかしこれが見落としているのは一足飛びにシスジェンダーの平均像になれるというあり得ない想定や、トランスだとバレれば複合的な差別を受ける可能性で、これはトランス女性への「男性特権」非難も同様だろう。

「らしさ」というジェンダーロールの問題と、性的アイデンティティが異なる問題なのは新書でも強調されていたけれども、ここでも改めて触れられている。

トランスの人が性別を変えようとしているのを、「『らしさ』の調節をしようとしているだけだろう。そんなことなら性別を変えるまでもないのでは」と解釈してしまうのは、シスジェンダー的な規範で生きてきた人たちは性別を「らしさ」で代弁できると思っているからなのではないかと、実感します。

「ボーイッシュ」としてあくまでも「女性のわりには男っぽい」といった評価を得るよりも、いっそ「女の子みたいだね」と言われるほうが、「ああ、いま男だと見られているんだ」とわかるから嬉しい、と言う人もトランス男性のなかにはいます。

「女らしくて構わないから男がいい」というのはトランス男性あるあるです。

と周司氏は言う。さらに思春期のトランス医療については、そもそも医療的措置に手を出すのはシス的な発達について納得がいってない人なので後悔しても良いのではないか、と言うのは興味深かった。

高井氏が、トランスの医療と、シスジェンダーが自身の体をそのまま発達するにまかせることを選んでいる、として二つともを「選択」として並置している。私自身のいかにシスジェンダー視点で考えているかを相対化させられていたかを浮き彫りにするようで面白い。他のあらゆる医療的措置も一部で後悔したからといって全部否定するわけではないはずで、トランス医療だけがそう言われるのはそもそも否定しているからだろう、と。トランス医療への妨害を中絶薬の承認が遅いのと同じ事態だと指摘しているのはなるほどと思う。

映画の表象の話などもあり、新書の副読記事として興味深いものだった。さすがに書店にはもうおいてないけれども電子版などがある。

反トランス差別ブックレット編集部『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』

表題通りトランス差別に対して編まれた総勢20人以上が執筆する小冊子。トランス当事者も多数参加して、それぞれの個別的な体験を通してトランスジェンダーは既に存在していることを示すプロテスト。

各人長くて四ページほどの文章を寄せており、そして各人プロフィール紹介などはなく、文章を読んでいくことでトランスジェンダー当事者だと分かったりするようになっており、書き手を特に区別することなく配置していることは本書のテーマの一つの現れだろう。反トランス言説への批判論説もあるけれども、トランスジェンダー当事者の体験はシスジェンダーをノーマルとする社会、言語に対して個別の存在による違和の表明となっており、そのそれぞれ個別な経験の諸相が、SNSなどでの喧噪とは一端切り離した場所で読めるのは貴重なことだと思う。

たとえば青本柚紀のエッセイでは自身がノンバイナリーだという「クィアな自認」に至るまでに十五、六年かかり、それを他者に示すまでさらに三年を要した経験が語られている。ないものとされた存在が自らを示す言葉を手にするまでの途方もない時間。「自認」という一言に包まれた長い時間のこと。

さとう渓のエッセイで、教員にトランスを告白したら異常だと言われてから七年経って、そのことを反省すると言われた話が書かれている。美談のように読んでいたら著者は「美談でもなんでもなく」社会構造の話なのだと続けていて、エピソードの情緒に引っ張られた自分を自覚させられた。この教員はトランスジェンダーを差別する社会に普通に生きて、そして著者を本心で心配したからこそおかしいとか本気なのかとか言っていたわけだ。そういう人だからこそ、著者の言葉の何かが突然通じることもありそれは美談として読まれることがあっても、構造の問題は残っていると。

堀田季何のエッセイでの、性別違和(GD)、トランスジェンダー(TG)、性分化疾患DSD)が絡み合った状況にあることのメモはかなり複雑。出生時に割り当てられた性別は男性だけれど、自認としてはノンバイナリーに近い女性で、内分泌異常による性分化疾患ゆえに性別変更が困難だという。染色体異常のDSDだと出生時割り当て性別が間違いだと主張でき、性別変更手術も保険適用できるけれども、内分泌異常だと治療は男性ホルモンの投与になり、性自認と異なる性へ近づけるそれは「死よりも耐え難い」。DSDの苦痛がTGであることによって医療的に認められた治療ができないという困難。

トランスジェンダーの人々の人生はとてつもなく泥臭く、脆弱で、常に死と隣り合わせのものにもかかわらず、そういう現実には全く目を向けず、あたかも「キラキラしたトランスジェンダリズム」というものがあるかのように、それと必死に戦っている人たちって、一体何をしているのでしょうか? 32P

というのはかがみのエッセイの一節。ここにはネットでアウティングされるまでトランスの自分の直接の友人がトランスだと気づかなかったということにも触れられている。それくらい普通にそこにいる場合がある。

榎本櫻湖の「声について」は、トランス女性の著者の自分の声に対する考え方がさまざまな紆余曲折を経てそれなりに肯定的に捉えられるようになった過程が描かれていて印象的。身体と密接に結びつく声は自分のもののようで自分のものでないようなものでもあるからだろうか。この感想は三月に書いたのだけれど、某作家のトランスヘイトを批判するなかで氏の記事をRTしたりして、いつしか相互フォロワーだった榎本さんは四月に訃報が伝えられた。36歳だったそうだ。

そのほか映画ガイドやブックガイドなど様々な視点からの文章が集められた100ページほどの小冊子。

高井ゆと里編『トランスジェンダーと性別変更』

違憲判断がなされたことによる性同一性障害特例法改正に向けて編まれたブックレット。特例法に焦点を絞った解説が当事者の活動家、弁護士、国際法学者、医者と複数の視点から論じられており、時事問題をきっかけにした入門書になっている。

当事者による成立経緯、国内・国際双方の専門家による法的な課題、そしてジェンダークリニックの医師によるトランス医療の実態などが論じられていて、同編者による基礎的な知識を解説した共著の新書『トランスジェンダー入門』に対して今まさに変わりつつある具体性から入る本書で相補的になっている。

野宮亜紀による一章では当事者による特例法制定の経緯がたどられていて、特に「子ども要件」(子なし要件)と呼ばれる、子どもがいた場合の性別変更を禁止する「諸外国の立法でも見たことのない」要件が寝耳に水のように差し込まれたというくだりには驚かざるを得ない。通常、トランスジェンダーの性別移行の生活実態があってそれと齟齬を起こす戸籍を変更するというのが順序になっていて、既に移行しているのに子どもが混乱するからという説明は実態に即しておらず、むしろ性別変更を阻止することで親の生活を困窮させて子どもの福祉に悪影響を与えるものだと指摘する。それでもこの要件を残したまま法案成立を急いだのは、強硬な保守派議員に火が付いてしまうと成立が難しくなることもあり、一度成立させた上で後の改正に賭けるという苦渋の選択だった。著者も保守的な風土でこの法律が成立したのは奇跡といって良い、と語っている。ロビーイングを行なっていた著者はこんな体験を書いている。

筆者が面会したある与党議員からは、君たちが苦しんでいることはよくわかる。だが、国家が少数者に譲歩することがあってはならんのだ」という発言もありました。26P

20年経って何も変わってないなと思う。

弁護士立石結夏による二章ではこれまでの判決を踏まえて個別の性別変更要件についての解説がなされている。「子なし要件」は既に「未成年の子ども」と改められており、また生殖不能要件が違憲無効となって実質的に意味をなさなくなるため、見直しが必要だと述べている。公衆浴場で異性の性器を見せられることの抑止という外観要件の目的は認めるとしても、既に外見的特徴で男女を分けることになっている公衆浴場にあえて元の性別で入ろうとする者を理由に全員に負担の大きい手術を要求することは達成手段として相当ではないという裁判官の個別意見はその通りだろう。

国際人権法を専門とする谷口洋幸の三章では、国際人権基準と性別変更についての関係が解説されている。ヨーロッパ人権裁判所の性別記載の変更に関する判例から以下の言を引いている。

性別のあり方を法的に承認することは人格的自律から導き出される重要な権利であって、国は個人のアイデンティティに沿って尊厳と価値をもって日常生活がおくれるようにしなければならないこと、そのために必要となる法政策の変更などに伴う一定の不便さは社会の側が甘受すべきだ、とも述べています。53P

日本での人権教育について思いやりという観点では見逃される点として以下の指摘をしている。

人権保障の義務は、第一義的に国が負うものであるという点です。人権が国による不当な介入から自由になるための道具として生み出されたことや、人らしい生活を送れるように国に適切な措置を求める根拠となってきた歴史は、義務教育課程でも必ず学ぶ事柄です。むしろその歴史を振り返れば、一人ひとりの優しさや思いやりより、人権保障が国に課された義務であるという視点の方が、人権のもつ本来の意味だといえます。ところが、日本のように人権啓発や人権教育の中で個々人の意識の面ばかりが強調されてしまうと、人権が保障されていない現状の責任があたかも人々の理解不足にあるかのような誤解が生じがちです。58P

ジェンダークリニックの医師中塚幹也による四章ではトランスジェンダー医療の実態について解説されている。医療者の現場から見たトランス男性とトランス女性の違いなど様々な事例が触れられており、処置に保険適用されるものとされないものがあり混合診療にならざるを得ない現状にも触れている。

医療側から提案された「性別不合」の定義が、「実感する性別」と「身体の性」の不一致ではなく、「実感する性別」と「出生時に割り当てられた性」の不一致という状態となったということは重要です。医療が身体の性を本人の望む性別に近づけるのみでは不十分ということになります。68P

「子なし要件」について、「「子どもがいなければ」と思う親や、「自分がいるから親が性別を変えられない」と思う子どもを生み出してしまう可能性があり、早急に削除すべきと考える人は多いと思います」(75P)と、要件が子どもに苦しみを与える可能性を指摘しているところは重要だろう。

外観要件について、トランス男性はホルモン療法で陰核が腫大して陰茎形成手術なしで要件を満たす事例が長年続いてきた、と語られているところは驚いた。しかしトランス女性はホルモン療法では性別変更は認められたことはないだろう、と述べている。トランス男性はまたホルモン療法を中止すれば排卵が始まり妊娠出産が可能だという。逆にトランス女性はホルモン療法を続けていくと精子が減少し、自然妊娠が困難になるという。トランスジェンダーの妊娠出産について論じたところでは、同性愛者のトランス女性の場合、第三者の関与がなくとも子どもを持てるといい、実際手術前に凍結保存していた精子で女性パートナーが出産した事例があるという。ただしこのトランス女性は親となることを求めて裁判になっている。

ハードルの高い「性別適合手術」を行なって戸籍の性別変更までした当事者が後悔することは稀ではあるもののないわけではないので特例法にない性別再変更の法的な整備も必要だと指摘しているところは重要で、その後悔を少なくするためにもGID学会認定医や支援者を増やしていく試みにも言及している。

このページ数で簡潔な四つの視点から問題を捉えられるのはかなり良いのではないかと思う。