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単著『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』刊行
2022年9月末 幻戯書房より『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』が刊行されます - Close To The Wall
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2023.12.31岡和田晃編『上林俊樹詩文集 聖なる不在・昏い夢と少女』の制作に協力
上林俊樹詩文集『聖なる不在・昏い夢と少女』を刊行します | SFユースティティア

2023.06.24「リベラシオン 人権研究ふくおか」190号(2023年夏)に「鶴田知也再考――『リベラシオン』第一八九号を読む」を寄稿
「リベラシオン」190号に鶴田知也についての記事を寄稿 - Close To The Wall

2022.11.20後藤明生文学講義CDの付録リスニングガイドを執筆
後藤明生文学講義のCDの付録リスニングガイドに寄稿 - Close To The Wall

2022.09.30図書新聞10月8日号にて住谷春也『ルーマニアルーマニア』の書評が掲載
図書新聞10月8日号にて住谷春也『ルーマニア、ルーマニア』の書評が掲載 - Close To The Wall

2022.09.28単著『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』刊行
2022年9月末 幻戯書房より『後藤明生の夢 朝鮮引揚者の〈方法〉』が刊行されます - Close To The Wall

2022.06.10『代わりに読む人0』に「見ることの政治性――なぜ後藤明生は政治的に見えないのか?」等を寄稿
『代わりに読む人0 創刊準備号』に後藤明生小論を寄稿しました - Close To The Wall

2022.04.30「図書新聞」2022年5月7日号にて木名瀬高嗣編『鳩沢佐美夫の仕事』第一巻の書評が掲載
図書新聞2022年5月7日号にて木名瀬高嗣編『鳩沢佐美夫の仕事』第一巻の書評が掲載 - Close To The Wall

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岡和田晃編『上林俊樹詩文集 聖なる不在・昏い夢と少女』

上林俊樹詩文集『聖なる不在・昏い夢と少女』を刊行します | SFユースティティア

他所で告知はしたけれどここでは記事にしてなかったので。上掲本の版面づくりというか本文PDF制作と表紙のデザインを担当しました。作業自体はかなり前に着手しており、またISBN付けて刊行するつもりでもなかったので、さすがに一太郎2015では色々と限界が見えるところもありますね。著作リストの枠線が自由にならないところとか。

誤字脱字チェックがてら改めて本になったのを読み直してみて面白いところがあったので引用メインにしつつ本書の一端を示してみたいと思います。

本書で面白かったのは吉本隆明が日本近代詩の三類型を試行しつつ自らの詩法を確立した道筋をたどりながらの日本の近代詩の理論的把握のところですね。著者のスタンス、更科源蔵への批判と吉本隆明論の繋がりがよくわかる。更科源蔵論では以下のように論じられている。

わたしの考えでは、詩法と存在論の対応は三つの原型に分けることができる。第一は、世界との対峙を徹底化することによって生み出されるものであり、これは喩を抑制した韻律重視の詩法となるだろう。第二は、先の詩法とは正反対に、喩の連続によって自らを世界へ融合させようとする詩法である。そして第三の詩法は、自らを世界と対峙させることも融合させることもなく、いわば遊離した状態で生み出されてくるものであり、これには「四季」派の抒情詩のほとんどが含まれるとみていい。
 「四季」派の詩法は、世界との遊離という存在論を根底にしているがゆえに、どんな現実もそこに繰り込まれることはなかった。しかし、世界との対峙も融合も回避したとき、「四季」派の詩人たちは逆に現実の秩序をストレートに反映せざるをえなかったといえる。彼らの詩が慰安を与えるのは、その詩の秩序が読み手の心的な秩序を脅かすことなく、一切の現実の矛盾が自然へ溶解されてしまうためである。「四季」派の抒情詩が変わりなく一定の読者に読み継がれてきたことの根拠はここにしかない。21P

存在論的な否定性を持たない詩人は、戦争になれば戦争詩を書き、平和になれば平和な詩を書きというように、その時々の現実の秩序を映し出すほかはない。22P

更科源蔵批判の企図はここにある。で、吉本論では次のように論じられる。

いままで、立原道造宮沢賢治高村光太郎の吉本への影響をたどりつつ、三つの詩法と、それが背後にひそめている存在論的な原型について書いてきた。いまそれをまとめると次のようになる。
  抒情詩――〈わたし〉と世界の遊離
  幻覚詩――〈わたし〉と世界の融合
  実存詩――〈わたし〉と世界の対峙
 日本の近代詩は原理的にはすべて、この三つの詩法と三つの存在論的原型に収斂させることができる。立原道造宮沢賢治高村光太郎は、この三つの詩法をそれぞれ代表する詩人であった。109P

 吉本は初期に立原道造宮沢賢治高村光太郎を摂取することによって、近代詩における詩法と存在論的原型の三つの系譜をすべて試みたことになった。109P

光太郎が日本の近代詩の流れのなかで世界と自己をきびしく対峙させ、はじめて詩を倫理として書こうとした詩人であるとすれば、吉本はその正統な後継といえる。『固有時との対話』は、現代詩の流れにおいても、吉本自身の詩業においても、倫理的な詩の一つの頂点をつくったものであった。107P

この理論的分析がなかなか面白い。宮澤賢治に傾倒しつつ詩法としてはほとんど影響を受けていないと論じるところも。また更科源蔵論を見ると抒情詩の行く先に上林が懸念を抱いていたこともわかり、なぜこの三つの系譜のなかで吉本隆明なのかも見えてくる。しかし吉本自身についてもこう言っている。

幻覚詩の詩人が晩年には土俗的な共同性へ回帰するように、実存詩あるいは抒情詩の詩人たちにおいても最終的にどこへ行きつくかという必然的な過程は予見できる。いま実証する余裕はないが、抒情詩の詩人は花鳥風月という伝統的な感性へ向かい、実存詩の詩人は次第に仮構力を失い日常の身辺雑記的な詩となるのが終着となるであろう。このことは、最近の吉本の詩からも、明らかにうかがうことができるように思われる。111P

『昏い夢と少女』は初期詩篇を精読しながら吉本隆明という詩人の成立をたどる評論になっていて、詩の理論的把握とその類型についてのスタンスを見るとなぜ岡和田さんが注目し本書を編集しているのかも見えてくる。

ここで触れたのは本書のごく一部で、他にも詩作品や雑誌の巻頭言、書評その他に加え、著作リストと岡和田さんの長文解説で詩人について概略を知ることができる一冊になっています。

ジュール・ヴェルヌ『シャーンドル・マーチャーシュ』


去年五月の文学フリマ幻戯書房の社長さんもいたヴェルヌ研究会のブースで本書を買い、十一月のフリマで会誌を買い、年始で読み終えた。

本書は地中海を舞台にした物語が展開される、エンタメ性溢れるヴェルヌ中期の大作。ハンガリーの独立を志して蜂起を計画していたシャーンドル伯爵たちが計画が漏洩し処刑目前となった時、監獄で密告者の名前を知り天誅を心に脱獄を試みるところから物語は始まる。旧訳タイトルは『アドリア海の復讐』で、序文のデュマ・フィスへの書簡にある通り、ヴェルヌは今作を彼なりの巌窟王こと『モンテ・クリスト伯』だと呼んでおり、監獄からの脱出や十数年をかけた復讐劇などでオマージュを捧げているというと概要が掴みやすいかも知れない。私はデュマ読んでないけれど。

ヴェルヌらしい暗号解読や、監獄での避雷針の感電から始まり高速船の名前に至る電気のモチーフなどSF的な要素もあるけれどもなにより、明快な善人と悪役の構図でハッピーエンドに至る物語性、トリエステからモロッコリビア北部まで地中海全域を舞台にする広がりがあるのが楽しい。巻頭に三種類の地図が置かれており、どんどん地図の範囲が広がっていくさまを見るだけでも面白い。トリエステで捕まり、クロアチアのパジンで幽閉され、第二部ではラグーザことドゥブロヴニクを舞台にし、シチリア、マルタ、最後はジブラルタル海峡からリビア北部のシドル湾を股にかける。

序盤の200ページほどを使って、伯爵たちの人物像や敵対者の銀行家たちなど主要人物と因縁を描き、そこから15年の時間を経て悪党の陰謀と、伯爵たちの追跡劇が一種の小説的地中海観光案内の様相を呈しつつ、さまざまな謎、人間関係がぐぐっと収束していく終盤の展開は楽しいエンタメになっている。

このエンタメ性の一端を支えているのが偶然性だろう。この大作の驚くほど多くの場面であっさりと大胆に偶然が仕事をこなして、展開をスピーディにしていく。横光利一「純粋小説論」で大方の意見として通俗小説と純文学の違いの一つは偶然性にある、としたけれどもまさに本作は偶然の奔流と言える。それもそのはずこの広大な土地を舞台にした物語をそれなりの紙幅に収めるには偶然の力を借りるほかないわけだし、高所からの飛び降りや決死の覚悟の困難なミッションの成功は最終的に運に頼るほかない。「神がかり的な偶然」(下巻21P)、に鼻白む人もいるかも知れないけれども、個人的には逆にそれが面白かった。特に「神がかり的な偶然」が指す上巻最後の場面はおいおいマジかよ!と笑うしかないドラマチックさで良いところで巻を区切るなあと思ったところだった。ヒキが決まってる。序盤では伝書鳩で運ばれた暗号を解読するくだりは『地底旅行』を思い出させるところがあり、しかもなかなか手が込んでいる。悪党が偶然出会した伝書鳩の暗号文からすべてが始まっていて、物語は偶然から始まる以上、最後まで偶然が決定的な場面を支配するのも宜なるかな

もう一点、電気がなかなか重要な役割を果たしている。牢獄の塔から脱出する時に頼みの綱となるのが避雷針のアース線で、これを頼りに絶壁から降りていくのだし、電信や地中海に距離などないかのように移動する高速船はエレクトリック号と名付けられている。ヴェルヌ研究誌に、本作には実は海洋冒険小説としての側面が薄く、ヴェルヌ自身が遭遇したことを題材にしたというマルタ島近くでの嵐の場面以外では実は航海の場面がほとんどないという指摘がある。その旅程のショートカットを可能にするのがこの電気や電信だったりもする。また非常に重要な役割を果たすのが磁気催眠というものでこれまた極めて便利なガジェットになっているけれども、これとあわせて電磁気と言って言えないこともない。ただ、これらのガジェットはそこに掘り下げがなく、まさにガジェットでしかないというのは確かにそうだろう。

キャラクター的にはやはりフランス人曲芸師のペスカードとマティフーのコンビが一等印象に残る。力持ちの優しい大男マティフーと、小柄で知性があり潜入捜査もやってのけるペスカードの片時も離れたくない二人組の軽妙な活躍とやりとりは本作の活劇的な魅力を支えている。また、地中海を舞台にしているだけあって主人公はハンガリー人だし、コンビはフランス人、コルシカ人やトリポリタニア人やイタリア人、モロッコ人など多彩な人種が登場する小説でもあり、とりわけ主人公をシャーンドル・マーチャーシュとハンガリー人名として表記している点は新訳の特色だという。

原題のフランス語ではMathias Sandorf・マティアス・サンドルフとフランス風に表記されており、それを概ね原音主義に基づいて人名地名を表記することで、多文化を行き来する雰囲気を醸し出している。伯爵が多言語をマスターしているのはその便宜。とはいえ、サヌーシー教団という実在のイスラム神秘主義教団をざっくり悪役にして戦闘が展開され、リビア北部の島に植民地を作ってハッピーエンドというあまりにも19世紀的な構図はさすがに時代性の刻印が露わだと言うほかない。

また、バートリとサーヴァのロミオとジュリエット的なラブロマンスをめぐって、結婚が家長たる父との強い関係においてなされるべきものという暗黙の前提が据えられているところも今読むと気になるところではある。仇敵の家との結婚という枷をどう解決していくかが読みどころの一つではあるけれども。

また本作ではマーチャーシュ伯爵の動機は復讐ではないとされていて、私も復讐劇と書いたけれども、密告者の名前を知って復讐だと逸る仲間を制して、違う「天誅」だといい、一貫して主人公は「裁き」を与えることを目的として動いている。個人の私怨ではなく裏切り者の制裁というのがマーチャーシュ伯爵の「正義感が強く、あらゆる不実な行為を憎」む厳格さと恩人に報いる性格の描写になっていて、だからこそ最後の裁きは彼自身ではなく偶然が下すことで、天というか神がその裁きを下すことで伯爵の意志と同調している、のかも知れない。ただ、むしろ今読むと「裁き」には傲慢さを感じるところもあるし、それはともかくとしても最後の裁きは伯爵自身が下すべきだったのではと思ってしまう。最後のところは、自らの手を下さずに?という考えがよぎる。ここら辺で主人公像がややぼやけているところはある。

ヴェルヌ研究誌ではエンタメとしては失敗しているという指摘もある。私も当初のハンガリー独立のことが概ね忘れられてたり、アンテキルト博士がイシュトヴァーン夫人と出会っても大丈夫だったので正体は別人かと思ったら違ったり、サーヴァの名前そのままってありなの?とか粗も結構ある。悪党がやや小粒ではあって、まあでも「銀行家の良心は妥協しやすく、いかなるビジネスとも折り合いをつけることができた」(上巻78P)、といった皮肉なフレーズが金銭欲に駆られた悪党と正義の主人公たちの対比にはなっているか。

正月休みに読んで楽しい小説で良かった。造本も良いけど、本体の青が海の色だとして(叢書の他の海洋小説も本体は青系の色だ)、赤が復讐・裁きの苛烈さだろうし、ではカバーの緑は何だろう。

ヴェルヌと言えば、と偶然持っていた新島進編『ジュール・ヴェルヌとフィクションの冒険者たち』という論集をめくってみたら、訳者三枝大修が『シャーンドル・マーチャーシュ』の解説で省いた『モンテ・クリスト伯』との比較を行なった論文が載っていてびっくりした。開いてみるまで知らなかった。「十七回」という数字に関連を見出したり、「肌をなす」という独特の表現が括弧付きで使われているのは明らかな引用だと指摘するところなど面白い。よく買ったなこれと自分を褒めておきたい。まあヴェルヌはルーセル繋がりでも興味があってこれにもルーセルを絡めた論考が載っていたから買ったんだと思う。

ジュールヴェルヌ研究会「Excelsior!」18号

『シャーンドル・マーチャーシュ』特集の特集部分を読んだ。訳者も参加した読書会はかなり面白い。ここでも「偶然」が大きく取り上げられているのがやっぱりね、と思った。いくつかの指摘は感想のなかで参考にしたけど、シャーンドル演出家説とか、「墓のない死者」という自己紹介を踏まえたシャーンドルは第一部の終わりで死んでいる、という主張はなかなか面白い。独立は忘れて復讐にだけ動く亡霊というとつまりゴーゴリの『外套』になってくる。革命についてのことは最後で忘れられていることについて、新島進のこの発言が辛辣で笑ってしまった。

いいんですよ、どうしょうもない政党が国を動かしていようが、殻に閉じこもって好きなアイドルのDVDを見られるならば。だから現代人はヴェルヌ好きなわけですし、ルーセルはその最初のひとりということでしょう。62P

物語としてはシャーンドルはフェラートの姉のマリアと結婚するべきという話があって、それはそうかも知れないと思いつつ、強姦なしでの『モンテ・クリスト伯』を書こうとした企図があるためサーヴァも大事にされてるしそういう艶っぽい話はないんだ、という指摘がある。また、本作の偶然性はネタも尽きてきたことで、

偶然性に頼らないとあっと言わせられなくなった。でも偶然性にはセンスオブワンダーがないから読者は驚かない。むしろこのあたりを境に、読者はヴェルヌの仕掛けを知ったうえで知らんぷりしてつき合って、最後に一緒に驚いてあげる、そのお約束が楽しくてヴェルヌを読むようになった、この作品のシステム化こそが現代においてヴェルヌを読む意味なんですね。69P

という新島氏の指摘が興味深い。出てくる発明が概ねガジェットに過ぎないこととあわせて、ジャンルというかエンタメという形式化の問題を指摘している。

あと旧題『アドリア海の復讐』が森見登美彦夜は短し歩けよ乙女』に出てくるのは知らなかった。10年以上積んでる本だ。

島村山寝「砕け、波よ! 砕け…」は読書会を受けて、『シャーンドル・マーチャーシュ』と『神秘の島』『エクトール・セルヴァダック』との比較検討を行なってヴェルヌの語りの形式を初期作品からの変遷、「初期作品群の超人的な独身者」たちの黄昏として位置づける評論。ヴェルヌ作品は確か『海底二万里』と『地底旅行』しか読んでないからあれだけど、作品の位置づけや語りとヴェルヌの想像力のあり方とを絡めてて面白い。

会誌の装幀と編集がじつはルリユール叢書と同じ人が関わっているのは今回奥付を見て気づいた。

2023年に見ていたアニメ

毎年のやつだけど、2022年の記事の文字数が9万5000字を超えてしまい、書く方も大変だけど読む方も厳しいだろうしさすがに反省したので今年は各項目をできるだけ短くするよう心掛けた。去年は一作5000字とか4000字とかあったけど今年は一作1000字台で収めております。そうして減らしたのに今年は異様にアニメ本数が多く、取り上げる作品数も増えたため結局分量を減らせなかったどころか1万字増えてしまった。週に何本見ているかを毎クール数えているけれど、冬で週に50本を超えたのは初めてだし秋にも50を超え、週ごとアニメ視聴本数の4クール総計は187で、去年の154の二割増しでかなり増えている。去年はとりあえず項目を立てたのが計93作で今年は概ね毎期30近くで計111。減ったけど減ってない。なんたる。

2023年アニメ10選

自己紹介としてこれを。

人間不信の冒険者たちが世界を救うようです
もういっぽん!
冰剣の魔術師が世界を統べる
スパイ教室
スキップとローファー
贄姫と獣の王
好きな子がめがねを忘れた
魔王学院の不適合者 Ⅱ ~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~
でこぼこ魔女の親子事情
星屑テレパス

九作まではぽんと浮かんだけれど、もう一つは何だろうと考えて、陰の実力者、スパイ教室、ダークギャザリングが候補になったけどこのなかだとSeason2.jpgだった。

冬クール(1-3月)

人間不信の冒険者たちが世界を救うようです

小説家になろう連載作が原作。いまざきいつき監督構成、ギークトイズとスタジオセブン制作。それぞれの事情で人に裏切られた経験を持つ四人が集まり、人間不信の冒険者同士で「全てを失った連中がなんとか倒れないように支え合ってるだけの脆い存在なのよ」とパーティを組み、挫折からの立ち直りを目指しながら同じく挫折し、罪に手を染めてしまった人たちとの関わりを描く話。いわゆる追放もののカテゴリにはなると思うけれども、人間の弱さに真面目でかつ人間性に対する信頼があって、とても良い作品だった。非常に志の高いアニメだと思うし、今年一番好きなアニメにはこれを挙げる。二話で「信じるのは難しいし疑うのはもっと難しい」、という会話があってとても良い。仲間を信じられないから前に出たり一人でなんとかしようとしてしまうチームワークの問題として描いているところは巧みだ。馴れ合いや支配やあなたのためにとかいった依存的な関係ではなく、個人の自己の確立の上でしか適切な信頼や関係は築けないという話をしているのもいい。一番ギャグ的に面白かったのは算数ベアナックルという架空競技なんだけど、教育の重要性とインチキの否定という説教臭い話を算数ベアナックルというわけわからん競技の頭脳戦展開でやけに見応え出して描いてるのも面白い。終盤の展開では、認識阻害の魔法による怪異の正体をめぐるミステリーと同時に、死者にもその魔法がかけられていて、見知らぬ無名の死体と化していたそれを破ることで固有の、誰かの家族だった人間の死に向き合うことになる。死者の固有性を探ることで加害者の固有名にたどりつくわけだ。つまり人それぞれに色々な過去があり、今がある。主人公たちも対峙する相手も同じ挫折を味わった者同士で、相手側からは「私だって最初から悪いやつじゃなかったわよ」「私だって信じたかった」や、「俺は悪党じゃない」「人を騙して飲む酒で酔えるわけねえだろう」という叫びが放たれる描写があり、人は最初から悪人なのではないという考えがベースにある。主人公たちもあるいは生きるために今は監獄に入ってるあの人たちのような道をたどる可能性もあった、そういう意識が底流している。今作での世界を救うって言うのは、自分たちのことから始まり、アイドルだったり、スラムで治療を施してる元神官たちといった、市井の人間たちの小さな取り組みそれ自体のことを指しているのかも知れない。世界を救うのは先のことではなく、今のこの日々のこと、という。映像的にはパースの効いた構図やコンテによって画面の大枠をキレのあるものにすることで作画が多少荒くてもアニメとして面白いものにできるという作りが上手くて、監督が脚本とコンテに大きく関わっているゆえのコントロールだろう。監督が大枠をしっかり決めることでそんなにリソースがなくても面白いアニメにできる、ということでは人間不信と冰剣の魔術師は今期の双璧か。これはEDの監督作画のキャラ絵はゆるいのにレイアウトや楽器の作画がやたらちゃんとしてるのと同じだろう。自分も別に絵のリテラシーなんてないけどEDの絵を単に下手な絵だと思ってる人がたまにいてびっくりする。地味に清川元夢の遺作で、とても良い役をしていたのも印象深い。

もういっぽん!

灼熱の卓球娘が切り拓いた?汗と身体がぶつかりあう漫画原作の女子柔道部アニメ。萩原健監督、皐月彩構成、武川愛里キャラデザ、BAKKEN RECORD制作、制作会社はタツノコプロのレーベルの模様。中学で柔道をやめようと思っていた園田未知が、中学最後の大会で敗北を喫した相手に高校で再会し、試しに始めた練習で一本を決めたことから、再び柔道を始めることになるという話で、この一話の、中学最後にやりきれなかった投げ返しを決める最後の場面の演出がキレ味が良すぎた。色々な仕草の作画も細かいしダイナミックなこともやってて強い。重い空気も壊していく未知の明るさがあり、周囲のみんなで未知を取り合う百合ハーレムな感じもある。好きな人と一緒に柔道できるのが今しかないから転部するキャラもいたり、柔道も部員同士の関係も真面目にやっていく作品で、毎回の見応えはかなりのものがある。未知が主人公なのはその社交性によってさまざまなチームの縁を繋ぎドラマを引き寄せるハブとなり、前向きさによって柔道が楽しいということを思い起こさせるモチベーションにもなっている。「最後くらい勝っても負けても気持ち良く楽しまないと損。うちのムードメーカー見てたら、そう思うんだ」、これが最後の三年組のプレッシャーを払いのけ、未知のメンタルが場の空気を変え、試合相手の表情すら変える。特に10話は最終回レベルの盛り上がりがある。前半ですでにクライマックスで、「寝技は努力の量が成長に比例する」という早苗が粘りに粘って勝機を決して諦めない闘志が熱いし、だからこそ負けた早苗の叫びと嗚咽が響く。不屈の早苗戦でも皆の協力を得て勝利する姫野戦でも泣けるし、相手の堂本恵の包帯が巻かれた足にも窺えるここまでの道のりが込められた涙にもぐっとくる。孤独だった姫野にとっての「みんなの合わせ技だ」という勝利がどれほどのものだったか。そして最終話の13話、エマ対永遠戦の「届いてるよ、みんなの声」の通りにメンバーの経験を即実践に移すというチームの力で戦う永遠とそれをも覆すエマの強さ、作画パターンを変えてまで表現される熱戦には勝敗を越えた感動がある。六分目あたりからエマのモードチェンジとあわせて、作画も角張った感じになり動画の入れ方?も変わって動き重視になる。この感じも最後また変わるのがレアな演出で、ヒーローものみたいな劇伴も盛り上げていて、試合の熱さで涙が出そうになるものが描けているのが凄い。勝負する双方にドラマがあるからこそより熱くなる描写のバランスがあり、かつスポーツとしての熱さもあって非常に充実したアニメだった。どんなキャラも悪しざまには描かない美しい嘘が素晴らしい。

冰剣の魔術師が世界を統べる

懐かしのそんなに金の掛かってない学園バトルものラノベアニメかと思わせてからの異質な面白さで今年でもかなり意外な存在感を見せた。たかたまさひろ監督・構成、下島誠キャラデザ、クラウドハーツ制作。クラウドハーツは横浜アニメーションラボのグループ会社とのこと。少年時代に既に大きな戦いを経験していて精神に傷を負った帰還兵的なキャラクターのレイ・ホワイトが普通の学園生活を送るために学校に通うという話だけれども、そのネタ的な濃度とちゃんと熱い話とアバン、OP、ED、次回予告というテレビシリーズの必須要素を他にないくらい流れるように繋げていく卓抜なセンスがあり、たかたまさひろ監督の名前は忘れられないものになった。少なくとも10回以上は同じOP、ED、次回予告というフォーマットを繰り返すTVアニメという媒体なのをきっちり強みにしてくる。本篇にピアノイントロをかぶせてOPに繋ぐという演出はよくあるけれども、二話にして男たちの筋トレ風景から繋いだり、着替えに遭遇して柄の「ウサギが好きなのか」から格好いい曲に入るのはズルなんですよね。今度のOP入りはどんなのか、と毎回楽しみにさせてくれる。カッコイイに振っても、面白ギャグに振っても強い万能さ。EDの途中で入る予告のタイミングも面白い。一話、レイがぶつかった少女のツインテールがピクピク動いたり、「目の付け所がシャープ」からの「空前絶後の~」と池崎ネタが始まるのがそもそも異常だったけど、特に三話はずっと面白くて毎シーンでネタがある感じだしちょいネタで笑ってるとすぐそれより強いギャグが差し込まれてちょっと待ってくれと言いたくなる。ヒロインのファッションショーへの褒め語録は圧巻。「クール、クールがホットになってしまうな」でめちゃくちゃ笑ってしまった。これは許斐剛の漫画の引用で、他もブルーハーツとかピンクスパイダーとかのフレーズを引用していておかしかった。レイは色々あって感情の動きが少ないんだけどやたらに物腰丁寧で女性を褒める言葉もガンガン言ってくるクールな紳士みたいな感じなのがまあ面白いんだけどその感じに榎木淳弥の声がかなりはまってる。序盤のクライマックスがヒロインの話ではなくモブ的に処理されそうな平民見下し貴族と主人公の話でやるのはかなり意志的なものがあって良かった。レイとアルバート・アリウム、孤児と貴族で対比的なキャラとして設計されてて、それがちゃんと展開されている。差別主義者をやっつけておしまいにはしない。「もし君が変わりたいと願うのならば、友人を頼れ」というセリフは作品を象徴している。「あいつと出会わなければこんな成長はなかった」、アルバートが一番大事なことを言っている。メタネタとしては五話の「すまん、もん」、というキャロルのセリフ、キャラ付け記号に見えたものを作中でも取り込むことによるメタレベルをいじる笑いになってて、客観視の上に成り立ってる技法って感じがある。その後の七話、競技会の幕間のショーみたいな要領でテンションが上がって急に壇上に上がったキャロルが、その声優の担当していたED曲を歌い始めるED入りは唖然とさせられる抜群の技。五話のED入りもキャロルが枠外に飛び出して始まったけど、眩惑の魔術師キャロルは枠とその外を自由に行き来する。キャロルのメタ性、ジャンルのお約束、そうしたものも含めたアニメの形式を使いこなした希有な作品だった。

スパイ教室

スパイ養成機関の落ちこぼれたちが集められた屋敷で、「極上だ」が口癖の伝説のスパイの指導の下にスパイ教室が始まる、っていう導入に対して、一話見た時に感じた「極上」のトンチキ萌えアニメっぽいな?という感触を裏切らないすごいアニメだった。雨宮天主人公でシリアスなスパイものなわけがなくて、それでも後半戦はかなりスパイものをやっていたし、その上で人に笑顔をもたらすことを自身の最大のミッションとして心得ていたことが明確にされるラストは納得させられる。トンチキ萌えアニメを自覚してそれに徹した良いアニメだ。そしてやはり今作については今年最大の事件に触れなければならない。12話の最終回で、スパイが街のお店の危機を救う一話完結日常コメディみたいな話をしてることに無限の疑問が湧くけどそれはそれとしてコミカルな萌えアニメの楽しさはあって良かったな。とか書いていたら、この最終話放送直後に公式サイトに次週告知があります、という画像が表示されたのだけれど、その画像のファイル名が「Season2.jpg」だという話がツイッターで広まって、見に行ったら本当にそうだったので驚倒した一件だ。これは本当に笑ってしまってすごかった。この件思い出すだけでその日はずっと笑顔だったし、人を笑顔にする仕事は偉大だなと思ってしまったし、スパイ教室はすごい。Season2.jpgでスパイ教室というアニメの評価を上げて良いかどうかは議論が分かれるとは思うんだけど、やり方があまりにもスパイ教室じみているしどうしようもなく笑ってしまったので抗うことができない。そしてその告知通りシーズン2が夏から始まる分割二クールアニメで、第二クールでは「俺様」自称のアネットの酷薄な性格がその様相を示す部分や、モニカがどうもチームの誰かが好きらしいと言う百合要素も投入してきたりというのも面白いけど、最終盤でみなを教える先生だったクラウスもまた成長していて、クラウスの本質は成長、という締め方は意外性もあって面白い。最終話でもティアたちが先代の残したものの真面目な話をしているのに、同じメモを元にリリィたちがスパイの資質を疑わせるにたる勘違いラブコメをやっていて、シリアスとギャグを使いこなしている。「世界に満ちる痛みがどれだけ大きくても、心を屈しないで笑顔を生み出すことを忘れないで」という話を受けての無限に笑顔を咲かせる花園のリリィが主人公だということに本作の核心がある。川口敬一郎監督、猪爪慎一構成、木野下澄江キャラデザ、feel制作。川口敬一郎監督は第二シーズン放送時三作の監督作が同時に放送されていたのも驚愕だった。

陰の実力者になりたくて! (2nd season含む)

前年末に始まって二クールの後半が冬やって、秋から二期が始まっているけれど、二クール分は今年なので今年のアニメということで。作中人物たちはみんなシリアスな物語を生きてるのに、適当に最強なシャドウことシド・カゲノーが適当に生きてたり安易に介入したりするせいで色んなことがギャグのように転がっていってしまう奇怪な中二病ネタギャグ作品。去年短く触れたけど、一期後半クール、そして二期と見ていくとだいぶ面白くなっていった。しかし一期最終話の20話が、コンテ・演出、一人原画、中西和也監督でビビる。アクションバキバキの回でこれ。二クールアニメの最終話で監督が一人原画やるほど制作が安定しているのはすごい。ローズ・オリアナの話が二期にも続いていくんだけれどそこで出てくるのがドエム・ケツハットというキャラでしかも声が速水奨はズルだろと思った。真面目な話に「ドエムでよろしいですよ」、いい声で言うと笑ってしまう。二期一話、バールのようなものを持って高いところからのシャドウ登場、顔見せの一話だけど、カッコイイと思った人のセリフをパクって使い倒していたところが面白すぎる。スリからスリ返して財布が増えてく描写はこのネタパクリの前振りだった。このセリフbotと化したシャドウはこの後も続いて、そしてがめついために金策やコソ泥やっていくのが話の展開に大きく関わっていくのが本当にマジで?という凄味がある。序盤を「無法都市は僕の貯金箱なんだから」と締めるの、とんでもない。botやってお金をちょろまかしただけのシャドウ、何。そして紙幣偽造に走るし、パクリが板に付きすぎている。この偽札篇、そもそもシド・カゲノー自体が陰の実力者のように振る舞うことで周囲が何故か信じてしまって事態が動き出すという、つまり貨幣のメタファーとも言える存在な訳で、信用をめぐって市場が混乱する裏にガーデンのシャドウに捨てられた混乱が対置されている。最後まで偽札としてのシャドウを信用していたガーデンにこそ実物の金が手に入り、誰をも信用せず金を求めたシャドウ自身は何も手に入れられなかった寓話的なオチ。この作品が偽札を題材にするのは自作の性質をよく把握しててクレバーだと思った。終盤戦、軽い気持ちでローズを覇王にしようとするシドに比べて、ドエムも母も殺されて異界への鍵にされるローズの境遇が悲惨すぎてその落差をギャグにするのすごいな。コケにされるタイプの速水奨のギャグ演技がなかなかレアで良かった。ラストは現代日本と異なる魔力のあるこの世界の仕組みが明かされていって、異界との接触による転移に触れられ、ゲートが開くことでシャドウが元来た世界に戻って一話の展開を反復することで日本篇の劇場版に繋げるオチはなかなか決まっている。「あなたが分かっていても私にはわからない」というセリフがシャドウに投げかけられるけど、それは本当にそう。勘違い展開でギャグとシリアスを両立・往還する作風をスタイリッシュなアニメが支えており、二期は全話加藤還一脚本、中西和也監督コンテでアクション作監は一期二期ほぼ全部監督がやってるっていう活躍ぶりがすごい。二期最終回でも監督がコンテ演出アクション作監一人原画という活躍ぶりはすさまじい。久しぶりのNexus制作アニメ、かなり安定したつくりだった。凱旋門が映ってたり二期序盤の都市はバベルの塔五重塔もあって和風の遊郭風街並が続くムチャクチャな景観がすごくて電車があったりするのもアニメオリジナルらしいのがなかなかすごい。

転生王女と天才令嬢の魔法革命

原作をちょうど三巻、アニメ化範囲まで読んでいた。ディオメディアの王宮百合ファンタジーラノベ原作アニメ。三巻分をワンクールに収めたのでぎゅっと圧縮して二人の関係を重点的に描くという再構成で、魔法が貴族の専有物としてある異世界に転生した魔法の使えない王女が、魔法の才能はあるけど王子に婚約破棄された令嬢をかっ攫うというところから始まる。王女と令嬢のお互いに自分にないものを持つ同士の憧れから結びつく二人がこの世界に革命を起こす百合アニメ。魔法に強い憧れを持つ王女アニスが令嬢ユフィと協同して魔法技術の貴族独占を否定し、科学にも似た形で魔法の民主化を図り、同性愛関係にある二人が国を治めることになるという政治的に相当リベラルな百合作品で、タイトル通りだ。八話では、魔法に夢を見るアニスと魔法も血も身分も呪いだと見なす弟のアルガルド、まさしくアンチテーゼの二人が対峙する。坂田将吾の叫びも迫力あるけど、千本木彩花の姉としての声と敵としての声のコントラストが効いててアニメとしてはここが一番のクライマックス。「この国では魔法が全てだ」「誤った国を正すために」、この目的は二人とも同じではある。姉を認めぬ伝統に固執する国を壊す、結局シスコン弟だった話ではある。最終話のアニスとユフィの攻守逆転押し倒しを見るために見てたところがあるくらいだけど、これはただ単に二人の関係に留まらず、異世界に科学や革命を持ち込む問題に対して、現地のユフィが王としての正統性からそれを実行する、という形で落とし込んでるんですね。転生者を自覚したアニスのこの世界にいていいのか、という苦悩は同時に異世界チートに対する倫理的なそれでもあって、魔法技術の民主化や自由といった概念を精霊契約、王の資格を持つユフィが理解し共有する。どちらか一人だけではこの革命は実現できない。アニスとユフィの関係にはそうした意味合いがあるので、二人の関係をきっちり描くことができれば成立する話だったというのが最後に分かったので良かった。異世界チートの問題が重ねられていることは原作読んだときあんまり意識してなかったな。「私一人では世界をこんなにも愛せなかった。あなたがいる世界だから、世界はこんなにも美しい。あなたも美しいと思ってくれるならどうか、自分のことも愛してあげてください」とか、「あなたが私にとって世界で一番の魔法使いです」とかで、魔法を肯定する異者としてのアニスを肯定し返す。ユフィの精霊契約っていう重要な過程をバッサリカットしてもベッドシーンをしっとり描く取捨選択、それがこのアニメです。正しい。リュミが最後に二人の名前を歴史に残されていると語ると言うことはユフィを定命に戻す研究が成功したっていう意味を読みとるべきなんだろうか? そういえばアニスの同性愛的性指向を明確にしたの百合アニメとしては珍しいような気がするけど、今年はもう一つ後で出てきた。

The Legend of Heroes 閃の軌跡 Northern War

英雄伝説」は日本ファルコムの有名RPGシリーズで、私はこのシリーズは空の軌跡だけやったことがあるけれど、でもそれはアニメ化してなくてその次の零と碧を飛ばして閃の軌跡の外伝的オリジナルストーリーが今作。複雑! 北方の自治州が帝国に併合されようとしている政治的動きのなかで、自治州の側から、本篇での主人公が属する帝国への潜入捜査を経て描くオリジナルストーリー。北の帝国、ボルシチや燃える麦の穂など、普通にロシアとウクライナがモデルなんじゃないかと思われる。英雄伝説、というタイトル通り、「英雄」とは何かを英雄と呼ばれた人間の孫ラヴィを主人公に据えつつ、その周囲にモブ、つまり民衆やメットを被って顔が見えない兵士たち個人の存在を起点に描く。無表情な少女ラヴィと仲間たちの交流や、トンチキな帝国潜入篇も面白いんだけど、終盤では英雄を通じて民主主義のテーマが出てくるようで面白い作品だった。「英雄という名の呪い」とあるように英雄の物語批判でもあり、特に10話で村をラヴィが守のではなく、ラヴィはみんなに守られていたという反転は、英雄の孫としてのラヴィではなく、村を大切に思う一人一人が英雄なんだ、ヴラドという人間の孫、村人の一人だからこそラヴィは英雄なのだという帰結に至る。「おじいちゃんが英雄だったんじゃない。みなが私を英雄にしてくれたんだ。仮に英雄がいるとしたらね」。「英雄という名の呪い」が、小さな村に生きる人々の強さを通じて解きほぐされ、足場にするべき場所がどこなのかをラヴィに思い出させる。猟兵個人や帝国の人々、村人を描いてきたからこその帰結。「だから、実は一人一人がみな、英雄なんだ」。次話でも「ノーザンブリアの人たちは導かれないといけないほど弱くはない」と、リーダーではなく一人一人の意志を英雄と呼ぶのは独裁に対する民主制の肯定で、だから声を上げた人の声が尊重される。最終話、モブと思われた兵士で一話が始まり彼らのメットの下の素顔が現われて話が締められる、誰もが英雄になり得るというテーマを見事に体現する演出が素晴らしい。味がありすぎるイヴァーノとタックという脇役(福島潤木島隆一)にテーマが宿るからこそ、最後に素顔が出たのが素直に嬉しい。英雄伝説という言葉を裏返しにしていくような物語展開で、モブこそが主役という、ゲームでも頻繁にモブのセリフが更新されるのが特徴がある英雄伝説らしい話だった。言うまでもないかも知れないけど、このアニメの「英雄」って主権者というか民主主義社会における個々人のことだろうか。

お兄ちゃんはおしまい!

元々作者がネットで公開していた同人作品でそれを読んでいたのだけれど、単行本以外にも商業誌に再掲載されだしたのでこれは、と思っていたらアニメ化された。ひきこもりの成人男性が科学者の妹に性転換薬を盛られて中学生女子になっての生活を描くTS漫画原作アニメ。制作が無職転生のスタジオバインドで、エロゲオタクで子供の体になって家から出られない主人公のアニメをやるという共通点がある。画面のポップさは良いしアニメのクオリティは異常にすごいけれど、あの絵柄のあっさりしたところが美点の原作にかなりこってりとしたエロが加わってるのが個人的には苦手だった。良いところと気になるところが無職転生と同じで一貫性は感じる。引きこもりエロゲオタクが転生?する点では同じ無職転生が人生をやり直すことに重点ががあるとすれば、今作は仕草や物事を精緻に描くアニメーションの強みでもって生活をやり直すことを描いているともいえる。部屋を出て家を出て下着から髪の手入れまでの自分を整えるセルフケアの学習。妹を女性の先輩として学んでいくことができるようになって、また見た目が良いから鏡を見てヘアアレンジをしてみたり、同性の家族による教育と鏡を見ることで自分を見直すことができるようになる。長男ゆえの男性性のプレッシャーから降りることのファンタジックな物語。あるいは、枷としての肉体を服装のように着替えることができるなら、自分に見合った自分の身体をというファンタジー。男性向けエロゲができなくなったりする性欲の減退が並行して描かれてるのは示唆的。かわりに作画はエロくなる。ストーリーは原作通りではあるけど、アニメにおいてリアリティを格段に上げることで生活をやり直している側面がより実感的になる。日常芝居や妹との会話を長めにとって締めくくり感を出す脚本レベルの翻案は良いのに、あまりにもポルノ的に映像が盛られているのがやはり好きになれない。かえでもそうだけど、家庭科の教師が異様なレベルで胸が大きく描かれているのは何ごとかと思った。飛び級した妹は修学旅行がなかったというのは原作にあったか忘れたけど、そうしたところでみはりもまひろと同様の欠落を埋める側面があり、そうした二人の関係をアニメの主軸として縁取っているのは良かったと思う。しかし、元々ジャンル的に性転換をするための便宜でしかない妹に薬盛られた事実が、兄と妹のしんみりとした話を丁寧にやればやるほどあれはなんだったんだ?となるところもあるのはエロ要素と同様作品のリアリティを上げたことの弊害でもある。

シュガーアップル・フェアリーテイル

角川ビーンズ文庫、いわゆる少女向けラノベ原作アニメ。銀砂糖という不思議な菓子を作る銀砂糖師になろうとする少女アン・ハルフォードが、美形の妖精シャル・フェン・シャルと出会っての種族差恋愛のロマンスとともに、妖精が人間に使役させられる差別社会で女性差別とも戦いながら銀砂糖師になるために奮闘する物語。妖精と食卓を同じくしないくだりとか、黒人差別みたいだしそういう時代のアメリカの少女小説を踏まえてる感じがする。銀砂糖師の任務はそれを作って欲しいと言う人が本当に欲しいものは何かを見つけること、それが描かれた八話は良かった。絵から作るのでは劣化コピーにしかならない、公爵が知るクリスティーナのことを聞くことで、公爵が本当に欲しいものを探り当てる。妖精は生き物の視線によって生まれる、つまり見ること観察することが砂糖菓子のクリスティーナを生み出すわけだ。名前を聞き、生前の様子を知り、公爵の思いを聞き届けることで、その目で見ていたクリスティーナを砂糖菓子の形で作り出す、妖精の設定と銀砂糖師の物語がこう重なるのか、と。名前を聞いて、名前を聞かれる。「お前は最高の砂糖菓子職人だ」、と公爵から言葉を掛けられるシーンは感動的だった。12話の「この世のものを模した作品としては最上といえる」「いかに精緻といえど、作り物が本物の美しさに及ぶべくもない」、だからこそ「幻としかいいようのないものを形たらしめた」とアンの砂糖菓子が評価されるのは、ファンタジーの意味について述べているようでもあり面白い。途中で女性差別社会だという話が差し込まれた気がするけど、元々人間が妖精に支配されていた関係が逆転したのが正史で、国教会の教えだと女性のせいというミソジニーが組み込まれてるキリスト教みたいな偽史なのは示唆的。第二クール終盤ではその片羽を持つ者が主人となる妖精のありようと、妖精差別の社会での状況が描かれる。人間に裏切られ恥辱を味わったラファルが王を名乗り、妖精に自由を与えると言いながらその羽根を捧げさせるという矛盾があるけれど、似たような話に気づかない人間も多い。ラファルはその差別に対して復讐を誓い、多くの妖精は不自由に馴れすぎてやりたいことや主体性をもっておらず自由の意味を知らない。最終回では「わたし、自分の羽根が綺麗だなんて知らなかった」とあり、自由の価値を美しいという言葉で表現するのが、セドリックと妖精王の妖精と人間との共存の夢と縁のある砂糖菓子という美術品を主題とする作品らしいアプローチだなと思った。原作全18巻のうち第六巻までの内容をアニメ化したらしく、二クールに渡って砂糖菓子職人と妖精との使役、差別、職人の話を展開していて見応えある良いアニメだったと思う。

短評

お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件
高校生の身でアパート一人暮らししてる主人公の隣の部屋には学校の「天使様」とあだ名される同級の少女が住んでいて、主人公の生活能力のなさに呆れた少女が家事を買って出ることになる半同棲ブコメ。序盤で既に「それってもはや恋じゃない?」という段階を過ぎているようなダダ甘ぶりと椎名真昼というヒロインの絵は崩さない魅力のシンプルな破壊力で突き進んでいく。ラブコメとしてこっから何をするんだ、という展開をつるべ打ちしてくるので笑ってしまう。牛乳煮詰めて作る蘇を砂糖で作ってるみたいなイカレたアニメだ。その暴れっぷりをだいぶ楽しんだ。途中から段々主人公の萌え要素を前面に出してきて、男子がナンパされる展開もあるのが凄すぎる。しばしば言われる今作の女性向け作品ぽさというのが色々見えてくる面白さもある。つまり周のあの「お前」や「天使様」呼ばわりは俺様系男子の文脈ってことなんだろうか。家族関係に問題を抱えている少女が家族よりも家族な相手を求める話、定番でもあるしproject No.9といえばひげを剃って女子高生を拾うアニメも同様の文脈を感じる。スタッフに新谷真昼という人がいるんですよね。

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン
第三クールで最終回まで。最終盤ともなるとスタンド能力も奇怪さを増していってて、一見謎めいた展開が実はこういう能力でって説明されてなるほどな、となるのが定石なんだけど、説明されてもなんでそうなるんだ?と謎が増えるような凄まじい展開が続くので圧倒される。30分ずっと異常なことが起きてる奇妙なアニメで、よくこれ人気漫画だなって思う凄味がある。見てる分にはなんでだよ!ってツッコミながら笑って見れて良いけど。36話の時間が加速する描写するときに風呂上がり?に漫画読んでて風邪引いてティッシュが鼻に張り付く描写入れるの、かなりのセンスだと思う。生活感ありすぎ。ラストでは、ジョジョジョースター家以外の人間が最後に残る。宇宙が一巡したラストOPでシリーズを一巡。「運命は決して変えられない」と言うプッチこそが「お前は運命に負けたんだ」と言われ、覚悟を決めたエンポリオが「みんな未来なんか知らなくても覚悟があった」と仲間を讃え、先へ進む意志を見せて仲間たちと再会するED。ここでRound Aboutが流れるのは感動的だ。シリーズのシーンを彩ったエンディングは良い。アナスイの婚活が実を結んだのも良いけど、「どうなるかわからないけど父さんが許してくれれば結婚するかも」の未来へ、のテーマがある。Round Aboutが流れるのは一部以来のジョースター家とディオの物語がここで終わった、ということだろう。Round About、グルグル回る交差点のことで、合流して次の場所へというような意味合いがストーンオーシャンとこの締めに似合う。アニメ一部2012年から10年。

トモちゃんは女の子!
成長して女性的になってきてしまった幼なじみを男友達だと言い張る男子とのラブコメ漫画原作アニメ。原作は昔読んだはずで、みすずがいるから読んでた漫画だった覚えだけがあって、見る前はどうだろうなと思ったけど、そういやちゃんと面白い作品だったのも思い出してかなり良かった。こじれた関係に正面から向き合って解きほぐしていって自分たちだけの関係を見つけ出す。みすずも良いけどみすずの面倒臭さを見抜いた上で翻弄してくるキャロルも良いキャラしてる。話数では特に八話Bパートは目が画面に引き寄せられる抜群の回で印象に残る。青空の使い方、構図、デフォルメ、表情、色々。駒宮僅というのは誰かの変名の仕事らしい。サブキャラとかの描写が削られた関係でみすず、田辺フラグがほぼなかったのはこの二人くっつくのは微妙に思ってたので逆に良かった。田辺、原作だともうちょっと重要キャラのはずで、アニメのラストにいても良いくらいのポジションだった気がする。

TRIGUN STAMPEDE
旧アニメは深夜アニメを見始めた頃の作品で思い出深い。フルCGアニメとしてリブートされた作品で、すごく海外アニメ風の動きの付け方って感じがする。トライガンのイメージソースってアメコミとかのはずだからそういうコンセプトか。ラジオDJ元ヴァッシュ小野坂昌也。原作や旧アニメはもうちょっとコミカルでアメリカンなスタイルだったと思うけど、CGのクールで冷たい幾何学的な質感も相俟ってそういうスタイルで密度の高いトライガンをやる感じ。かなり力の入ってるアニメで良いんだけど、トライガン本篇を再構成して別次元のトライガンをやってるのかと思えば、最終話でジュライが失われ髪の毛は逆立ち、ミリィの名前が出てきてこっから本篇に繋がる前日譚の顔をしだすの、なんか異次元のトリック見せられた感じだった。最終回は特に中盤からのバトル以降、映像も演技も半端なくて圧倒的だった。ナイヴズの池田純矢、ザジのTARAKO、何かしら異質さを感じさせていて今作でも印象的だけど、池田純矢はなんと詐欺の受け子をして逮捕され、秋アニメでも配役が変わってしまった。

英雄王、武を極めるため転生す 〜そして、世界最強の見習い騎士♀〜
英雄王と謳われた老いた王が今度は政治にかかわらず思うさま武を極めたい、と後世に転生したら女の子になっていたというTS転生ファンタジー。赤ん坊の時から魔獣を撃退できるほどの力を持つ元英雄王クリスが、この時代で生きる時、幼馴染として育った従姉妹のラフィニアを守ることを唯一の制約とすることを決め、どう力を振るうのかをラフィニアの意志に任せ、従騎士としての立場に自身を留めるところは力のあり方としてなるほどなと。中身が爺さんだからラフィニアを性的に見ることがないところや、自由奔放でも良いのにあえてカノジョを守る制約を己に課すところに前世由来の責任感の名残があるところとか、TS転生生かしてるなって思う。この三話、とにかく大食いのこの二人がバクバク食事を消していく大食いアニメーションがかなり良かった。チート転生主人公が従者として力の振るい方を現代人に預けるという抑制的な設定がありつつ、その分戦闘狂として思う存分戦いたいという欲望は食の貪欲さとしても表現されてて、生活を思いっきり楽しむ積極性があって、絵柄やOPの表情といった自信満々の濃い絵が特色でなかなか面白かった。クリスにエロ目線はなくても学校の制服がだいぶエロ寄りだったりするところはある。原作書籍、ずっとクリス単独表紙で笑う。覚悟が違う。ED曲、「何を着ても似合ってしまう 自信以外の荷物はいらない」、歌詞が強すぎて良い。

吸血鬼すぐ死ぬ2
ド安定のすぐ死ぬ吸血鬼ギャグアニメで良い。バカみたいに笑ってたら終わる感じだ。作中配信してるサイトがシャブシャブ動画でやべえ名前だと思ったら視聴者をシャブ厨って呼ぶのは輪を掛けてヤバイのがすごかった。「なんとか致命傷で済んだ」、ドラルクだとその通り過ぎて笑う。「2進法に2はねえよ」、これもキレがある。「こいつ叩くと死んで面白いんだぜ」、子供ならではのひどさだ。「新横がケツで滅ぶ!」。最終回、温泉回で全員集合をやったあとに二人だけのコタツトークでクールダウンさせながら一期OPでダンスやるかと思えば外して通常EDで終わるの、絶妙な外し方をしててすごいな。全裸、猥談、下ネタの印象が強いながらもかなりテクニカルなつくりという感じで、能力バトル要素も意外なところで使いこなしてたりしていて、アニメでも最後の最後の自分を分かってるズラし方が見事で、ハイレベルなギャグアニメだった。

REVENGER
虚淵玄原案構成のニトロプラス亜細亜堂、松竹によるオリジナルアニメ。謀られて自分の婚約者の父を殺めてしまい、婚約者は自殺し、自身も追われることになった主人公雷蔵を、弱者の復讐を請け負う利便事屋、リベンジャーが助け出し、長崎の街での陰謀に関わっていくことになる改変歴史仕事人アニメ。長崎、そして利便事屋というもじりのように江戸時代的な風景に西洋の文物を縦横に混ぜ込んで、リベンジはデウス使徒のみ許されると言ったキリスト教要素とか、インド風の楽器まである国際的な出島の風俗、などの世界観を背景にしているのも面白い。雷蔵の罪、恨みのこもったアイテム、綺麗に因果がめぐるかたちで締められるまとまりの良いアニメだった。サブスクのサントラ、メインテーマが今作らしいモダンな和風さがあって時々聴いてる。

解雇された暗黒兵士(30代)のスローなセカンドライフ
魔王軍で働いていた人間の主人公が解雇されて、でも有能なので追放先で頭角を現わしてというファンタジーアニメだけど、OPでハードル飛び越えたらって歌ってるところで老兵が扉開けて戦場を見て扉閉めるところかなり笑ったし、ヒロインの女性は異様に腕力があって激強だったりと結構なギャグアニメでもある。話のベースは企業小説とかドラマとかの会社間競争を魔族と人間に置き換えた感じの話で、だから部下の男性から異様に慕われたり、ヒロインとの結婚出産が一瞬で終わったり、親や義理の家族やら男同士の関係がメインで動いてるアニメだ。これをホモソーシャルと言うこともできるけれど、個人的には男性性に向き合っていたところを評価したい。義弟の主人公が父に褒められて自分が蔑ろにされることに嫉妬し、追放に加担したバシュバーザ(阿部敦)がこう言う。「お前、大人になってから転んだことあるか? 子供の頃泣きべそを掻いてると、知らない大人が大丈夫?って声かけてくれて、蓬の葉で血止めをしてくれたんだ。でも、僕は大人になって転んでしまった。そして知ったんだ。ああ、転ぶのは大人になってからの方が痛いんだって。泣きべそを掻いたりできない、誰も声なんてかけてくれない。荷物が多ければ多いほど、転んだとき、すごく痛いんだ」、このくだりはとても良かった。大人一般にもいえるだろうけれど、これはやはり男性性の話と読むべき気がする。追放もので追放した方も追放されて憑き物が落ちたように家族としての関係をやり直せる、分断された家族が再び立ち直る過程で別の物も取り込んでより大きな家族になる話を人間と魔族の分断に重ねていて良いアニメだった。

ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん
タイトルで笑ってしまう。プレイしているゲームとなぜか繋がってしまい、乙女ゲーの悪役令嬢で素直になれないリーゼロッテの真意をツンデレを理解してない婚約者に遠藤と小林がフォローしてうまいこと持ってく異世界?実況ラブコメディ。悪役令嬢に転生するやつじゃなくて悪役令嬢を推すやつがアニメになってくるターンに入ってる。異世界おじさんの次に放送されるのがなんか順当な流れって感じがする。言い回しが不器用で誤解されがちな善意がちゃんと通じることの奇跡と、その振る舞いで萌えを稼いでいくのがとても良い。悪役を救うことで色々なことが噛み合って好転していく話、破滅フラグもそうだけど、まあこれが悪いわけはない。実況の熱い声と解説のネタ要素の良いコンビの二人もこちらはこちらで恋愛模様が進んでいく並行展開をしていて、劇中バカップルをニヤニヤ応援してたら今度は自分たちがそれをされる番になるのも順当な展開で良い。遠藤くんの声が好きな小林さん、かなり積極的にアプローチしてる気もするんだけど、遠藤くんは言われないとわからないんだろうしそれはジークにリゼの本心が知られなければ「ツンデレ」が伝わらなかったことと同じだ。終わってみれば大長篇ドラえもん式の異世界への冒険をゲームと現世でやったような感触がある。真意を歪めて表出してしまうツンデレという呪いを解きほぐして、リゼが報われる幸福感が楽しい良いアニメだった。

イジらないで、長瀞さん 2nd Attack 
ここらで出てきた二人の向き合うべきものの話、そろそろ原作でも最終回を迎えそうになっているところでの二期。二期になってようやくフルネームが出てくる話になるという。クレジットでも「長瀞さん」だしフレンズもあだ名で主人公すら「センパイ」。しかし「センパイくん」「姉瀞」の適当ネーミングの応酬よ。バニーガールのコスプレランナーとセンパイ神輿のアホみたいな戦いは笑ったけどみんななんだかんだで応援してるあたり関係も変わってきてる感じだ。同棲事実婚状態の天使様を見た後だと、二人だけになろうとする四苦八苦のありさまや照れ隠しと恥ずかしさの感じ、これがラブコメだよなって安心感すら感じている。ドM向けニッチ作品な印象だったのがここまで青春ラブコメ街道を驀進しているのが感慨深い。長瀞が内気なセンパイをいじっていたのは自分の挫折からくる苛立ちゆえもあったんだろうけれどもセンパイが前に進み長瀞も弱みを素直に明かすなかでお互いに支え合う関係になってる。ヘタレなのも天邪鬼なのも、気になる人と距離を詰めるのは恥ずかしいということをずっと描いてきたように思う。いじりつつ教育を施そうとしてしばしば失敗する長瀞と、ヘタレながら時折踏み出して長瀞をうろたえさせるセンパイの凸凹カップルって感じ。

もののがたり
京都を舞台にしたあやかしバトル漫画原作アニメ。付喪神に兄妹を殺されて付喪神スレイヤーと化した主人公が、京都で付喪神と暮らしている少女の家で暮らすことになる。四話から急にラブコメ色が出てきて、ヒロインの家付喪神が嫁入り道具一式で、婿候補選定の話が出て来たことで兵馬が家族を亡くしてることとか、ここまでの要素がラブコメ要素を加味してぐっと一本に束ねられた感じがしてなるほどなあとなった。バトル展開は大味な感じもなくはないけどなかなか楽しかった。傘の演出や最終話でのキャラ総出演とか原作にあるのかな。アニメの締めになるように追加した描写に見える。田所あずさによる第二クールEDテーマのプライベート・ルームが、最初はそうでもなかったのにしばらくしてからめちゃくちゃはまってある時期ずっとこの曲を聴き続けていた。EDテーマとして流れるとみんなの暮らす家に帰ろうという詞に聞こえるけれど、よく聴くと誰かと別れて自分一人の家に帰るという意味合いに感じる曲で、テーマソングとしては相反するイメージをよく使ったなと思った。あるいはマレビトとの別れのイメージなのかも知れない。

神達に拾われた男2
今年のMAHO FILMアニメその一。特に起伏のある話でもないしトントン拍子に進んでいくだけとは言えるけれど、ゆったりしていて寝る前に見るのにちょうど良い感じの作品とも言える。五話、道具屋のおじさんディノームと会って、「見てくれよ、こいつを、ね?」の演技がめちゃくちゃツボにはまって何回も聴いていた。特に「ね」のリアルさが良かった。マジで普通のお爺さんが出てきてる感じで相当良い。CV塩屋翼。いま塩屋翼って音監とか養成所の講師やってて声優の仕事は減ってるみたいなんだけど、最近の出演作がTVだと神達、クレヨンしんちゃん、魔王様リトライ、うちの娘の為ならば~、軒轅剣で味がありすぎる。田所あずさのED、フルで聴くとベースが良い感じなんだけど、そういやこれ洗濯屋の話だからドラム式探査機で洗濯の歌だったのにしばらくしてから気づいた。かわいい子供に転生してちやほやされるという点でこれとお兄ちゃんはおしまいが同じ話だとも言える。リョウマは清掃業というところから前世で果たせなかった社会貢献を果たそうとしていて、まあ善性のある話だった。ワンクールに二回監督一人原画回があるのがすごい。監督作定番のアイキャッチで声優にアドリブを任せる小ネタも良い。

最強陰陽師異世界転生記
朝廷最強の陰陽師だったけれどもその力を恐れた裏切りにあい殺される瞬間転生の技を使って異世界に転生し、今度は実力を隠して上手くやろうとする異世界もの。花守ゆみり少年主人公。「下僕の妖怪どもに比べてモンスターが弱すぎるんだが」という原作副題で思ったよりもずっと面白く見ることができた。幼少主人公セイカをいじめる横暴な兄の扱いが安易なやられ役ではないところとか。悪辣なヒールとして設定された主人公なんだけど、だからこそちゃんとこれはアレなことだという前提あっての描写だとわかるところが、今期主人公がいつしかどん引きルートに突っ込んでいく別のアニメより見てて安心できるということを感じた作品でもあった。最後にこの作品が魔王と勇者枠組みの作品でしかもその時代の流れでどちらもが邪魔者と考えられているのがわかる。力を持つものは疎まれ排除されるというのはセイカの前世だけじゃなくてこの世界の勇者アミュもそうで、だからこそ彼は見捨てられない。事なかれ主義的に裏から力を振るおうとすれば勇者が狙われ、セイカが影から助けていたせいで勇者自身もそこまで強くなる場数を踏むチャンスがなくなっており、セイカとアミュが一緒にいなければならない理由がきっちり組まれてる。色々な要素が綺麗にまとまってるようで良い最終回だった。最強陰陽師も英雄王も、転生チート主人公だけどその世界での主役を別に立てるっていう構図で話が進んでる作品同士で、素朴な最強主人公をちょっと相対化してみる流れがあったのが感じられる。今作のスタジオブランは今年同じくangela主題歌で和風要素のあるアニメをやってる。

ノケモノたちの夜
山本靖貴監督だ。人買いに買われた少女が悪魔の見える目を対価に悪魔との契約を結んで、彼の目から見える世界を旅するって関係はなかなかいい。「宵闇をひっそり、ゆっくり行けばいい。仲間がいます。同じ夜を生きている人たちがいます。今こうやって、あなたと話せる毎日が本当に幸せなんです。ありがとう、マルバス」「こちらこそ、私を見つけてくれてありがとう、ウィステリア」。「とても素敵な夜ですね」「ああ、本当に。いい夜だな」。素敵で、いい夜だというこのくだりに尽きている。

虚構推理 Season2
一期は長篇をずっとやっててだれたけど二期は短篇を連ねた感じでもう少し見やすいし雪女は良いキャラだった。これを取り上げたのはやはり二期11話の「銃弾の峰ってどこだあ!」の名台詞ゆえと言って良い。不死身の九郎が銃弾を頭に喰らっても生きていたことについて峰打ちみたいなものですよ、と答えたことへのツッコミなんだけれど、その通りとしか言いようのないセリフで演技も含めて本当に笑った。最終回ではヒロインが彼氏との夜のために一人でうなぎ屋に入って精を付けて「今夜は張り切ります!」、で二期目を終えるアニメでヒロイン岩永琴子に一貫して品性がないのがすごいです。

痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。2
メイプルとサリーがデートして佐々木李子の挿入歌がかかれば満足だよって気持ちでいたけど新挿入歌は別の人になってた。OPは前半メイプルサリーの二人旅で後半はメイプルが行く先にサリーが待ってるの、かなりやってるねえって感じだ。機械神のところでは作画もキレてて線も太くなって迫力あるし、ラスボスではこれまで得たスキル総動員でサリーとメイプルのコンビネーションで倒しきる。防御を固めるメイプルと持ち前のゲームスキルでガシガシ削っていくサリー、ダメージ二倍のカバームーブ使ってもサリーを守りに行くメイプルを糸で助け出すサリーにもなってて、アクションと二人の絆の百合要素もやりきってて良かった。最終回、要所を締めて最後も二人のデート風景で終わるのはかなり良い。新キャラ出てきて三期もやるよってアピール、まあ楽しいアニメだった。

ショートアニメ

僕とロボコ
去年の12月から始まってたので去年の記事でも触れたけど、6月まで続いた、ジャンプの限りを尽くしたショートアニメ。ジャンプパロメインなので分からないところ多いけど、ハイテンポのギャグアニメでかなり良かった。おじゃる丸と監督と制作会社同じなんだ。映画っていったいなにをするんだろう。

しょうたいむ!2~歌のお姉さんだってしたい
今期僧侶枠。子供番組の歌のお姉さんとの恋愛もの二期。良いデート回なのに隠れた先で人にバレそうな行動に及ぶ翔二はさすがの僧侶枠だ。一期で匂わせながらも不発だったスキャンダル展開、子供番組の話だから孫バカの社長で事態が好転するのはなるほどなとなった。翔二さん、ここぞと言うことは言ってそれで協力を取り付けられて事態が好転していくきっかけを作ったねと思ってたら屋上でそのままことに及んで、これが僧侶枠だっていうのを見せつけてくるから笑ってしまう。一期の反省を生かして盛り上がり所で娘はちゃんと預けておく。子供がいてカップルも堅いので当て馬キャラなどもない点で健全な僧侶だった……? キャラデザがキャッチーで良い。

どうかと思ったもの
老後に備えて異世界で8万枚の金貨を貯めます

今年猛威を振るったFUNAアニメその一。これはまだジャブだ。漫画を読んでいたので途中でちょっとアレになるところは知ってはいた。家族を皆失った主人公ミツハが異世界で生き抜きますって感じで序盤はその素朴さとか悪くないし死んだ兄貴の遺言とかが良い味出してるんだけど、だんだんと倫理感のなさが顔を出してくる。いや、そもそも現代日本のものを異世界横流しして資金を貯めますっていうのがアレって言うのはあるんだけど、老後に備えて武器講習を受けて若い命を危険にさらして異世界で金貨を稼ぐっていうなんか根本的に不毛なマッチポンプ異世界の山賊を殺すことを「躊躇しない」と決意することのグロテスクさ。ザ・植民地主義というか。日本では隣人に心配されてるミツハが異世界で殺しの決意してる落差がね。三話、散々身の上話を粉飾しても両親を早くに亡くしてしまったことは本当で、ボーゼス家の家族の一員になれたような瞬間にその本当のことが演技を超えて胸を刺すのは良い場面だし、騙して取り入って地球の雑貨を高く売りつけて家庭菜園の知識で異世界農業にマウントを取る爆走ぶりとその天涯孤独の子供らしい弱さ。ここら辺は良いんだよ。五話の、レトルト、肉じゃが、立食パーティみたいなメニュー、ブルボンのお菓子にフライドポテト、そして舞踏会でもない学芸会みたいなデビュタント、想像力が徹底してジャンクなのでこれはもうこういうものとして面白いけれど。終盤の現代傭兵を連れて異世界で戦争というか圧倒する展開は漫画読んでてもアレだなと思ってた所で、ミツハもヘルシングネタやりながら自重は止めだ、とかいうの相当アレ。愛嬌ある雑さの中盤まではまあまあなんだけど、戦争篇で調子に乗るミツハはやっぱり引いちゃう。コミカライズだといま国を挙げてのリバーシや将棋大会で平和だよ。こういう話をずっとできれば……

Buddy Daddies

暗殺者バディが女の子を育てる暗殺×子育て、というところでえ?と思った感じがずっと続くどうしてその企画にしようと思ったんだとなるP.A.ワークスのオリジナルアニメ。殺し屋が娘の病気だからとターゲットを軽く殺して家に帰る。どんな導入だ。スパイファミリーもヨルの設定はかなり気になるところがあったけど暗殺者稼業をメインにバシバシ人殺しててこんなコメディみたいな雰囲気でやるのマジで?ってなる。子供の目の前で父親殺してこの子を預かることになったってコミカルに語られるのやっぱり異常な語り口過ぎてビックリする。二話とかでも、目の前で銃撃戦して人殺しても子供が都合良く気にしないとか、子供が二人の仕事のトラブルを招くという展開のための道具すぎると思った。高すぎる服でマウントをとる大人社会の作法が、娘の溶け込みづらくて汚しづらい服装になってたことを反省する保育園回は良かったし、10話のミリといたことで見たことがない景色を見られた、と言って観覧車の幸福の上昇からその生活の終わる下りへというのは良い絵で序盤からあった二人の負債をきっちり回収してきて見応えがあったり、男二人の子育て描写に良いところもあるんだけれど。最後、暗殺者バディが稼業から抜けようとして「貴様も血からは逃れられん」に「血よりも強い絆がある」のアンサーは妥当な着地点だけど、その間に流れる血が気になってしまう。血よりも強い絆を血を流させて手に入れたみたいな話なのはどうにも落ち着かなくて、なんかやっぱり設計ミスってる感じだ。子供を悲しませないためという理由は良いとしてもそれで父たちの諸々がスルーされる感じがよろしくないな。最初のほうは今期のワーストレベルでアレだったのに比べればかなり持ち直したとは思うけれど、それでもまあ、まあ、みたいな。舞台が福岡だけど、これ地味に修羅の国ネタなんだろうか。

このクールは週に50本見ていたけどここに挙げたのは29作。四作ほど延期したものがあるけど魔王学院は仕切り直した夏クールのところで取り上げる。D4DJ二期、氷属性男子とクールな同僚女子、便利屋斎藤さん異世界に行く、テクノロイド・オーバーマインドあたりも何か書こうかと思ったけどもう分量多すぎたから省く。アルスの巨獣は、すごかった。OPは良いんだよな。お兄ちゃんはおしまい、英雄王、あやかしトライアングル、便利屋斎藤、TSアニメ四天王があったクールでもあった。

春クール(4-6月)

スキップとローファー

原作の評判は目にしていたけれど、良い原作を丁寧にアニメ化してる感じで非常に良かった。血飛沫のないPAワークスもちょっと久しぶり。出合小都美監督・構成、ステラ女学院C3部以来の梅下麻奈未キャラデザアニメだ。石川県から東京の高校に来た成績以外はズレてる少女みつみが東京の少年志摩くんと出会う青春もの。ちょっととぼけてるけど人が良いみつみがこじれた人間関係やしがらみを解きほぐしていく。田舎の少人数クラスで育った少女が都会でこじれた関係のなかで鬱屈している少年の心を溶かすというとちょっとまあアレだけど良い話なんですよ。三話はかなり良かった。クラス八人育ちのみつみの無雑作なコミュニケーション術がクラス内のタイプが違う人たちを結びつけるきっかけになる。苦手や偏見がちょっとしたことで乗り越えられてなんだか嬉しくなる前半ラストは良すぎる。五話、江頭ミカの自分は選ばれないという鬱屈からの刺々しさが、嫌いなやつの名前を心に刻む江頭と親切な人の名前を覚えるみつみとの残酷な対比によって露わになりながらも「努力家で負けず嫌い」なところをコーチとしてみつみに選ばれていた、というのは良い。いやらしい人間的部分というか普通の人の象徴でもある江頭がナオと知り合ったりなんだりで変わっていくところがあるのは本作のサイドを支えている。九話、カットのテンポが序盤から緊張感あって、地元の風景を見るとほっと息がつくまでを描くアバンが非常に良い。夏の実家、再会する親友、中学のみんな、夏の遊びを満喫しての寝坊する朝、スイカの咀嚼音とともに地元の風景が映される演出はなんとも言えない良さがある。終盤の文化祭篇での11話、みつみと志摩の前後半で友達と家族の関係が、これまでの蓄積や時間がちゃんとあるんだよということを描いてて、とても良い。「みんな、東京が地元なんだ」、というみつみの述懐にこの学校で出来た友達が集まってきて、「まだ半年って感じしないよね、私たち」と返すのと、後半志摩の義理の弟慧理くんが迷子になってたところに兄が来て泣き出したところ、こっちも泣きそうになった。しっかりした子供に見えたのに弟もまた兄同様人に気を使って振る舞ってて、でも兄をちゃんと安心できる家族だと思って泣いて駆け寄るの、本当に良かったと思わされる。志摩にも家族がいる。最終話、周りの人が喜ぶことはわかるのに自分の好物はわからない、「やりたいことがあるってそんなに嬉しいことなのかな」「なんで自分のこともわからないんだ」というところから「この感情は嫉妬だ」と志摩が自分の心情を理解することで演技が停まる。周囲の望みに応える演技が志摩自身を抑圧していたのがここでそこから解放されることで同時に演技を忘れてしまう。人前で演技に失敗すること。でもそこで兼近、みつみを思い出し、終幕後カーテンの隙間から光を覗いてる顔をしていて、見られる側から見る側へという印象がある。PAワークス作品としても近年とりわけ良い作品だったと思う。

贄姫と獣の王

魔族の国に捧げられた生贄の少女サリフィが、人間の血を引く獣の王と出会い、少女が妃となるべく奮闘する異種族恋愛が、異民族共存をテーマにしながら描かれるファンタジー。人種差別、親子の呪いなどを丁寧に描いて、少女漫画原作を二クールかけて完結までやりきった満足度は今年有数のものがある。最初は美女と野獣タイプの異種族恋愛ものか、というくらいに思っていてそれはそれで楽しんでいたけれど、第一クールの終盤にかけてぐっと引き込まれていって、12話のあたりでこれはかなり良いぞ、となってこれは年間トップクラスのアニメだなと見方を改めた。その12話は、簡潔に水星の魔女の話を描いたようで圧巻だった。女王も世継ぎの男児を産めずに非難されて涙を流していたのを自分では止めることが出来なかった娘テトラの無力感と愛されない自覚を、一度生贄に出された経験があるサリフィだからこそ言える言葉が癒す。「私は生きることも死ぬことも何一つ自分で決められなかった」、テトラが選ぼうとした死すらも自分では決められなかったサリフィ。それでも「王様の隣で生きたい」ということだけは自分で決めたと。そして生きるということが子どもを生むことに繋がっていく話運びで王様との子どもを生む話になるけれど、人間排斥の空気のなかで己の血に混じる人間の血、それも父親が呪った血というのがついてまわる。「自分の生まれは誰にも決められない」「だから祈るの。生まれてきた命がせめて平穏に、幸福に、願いを込めて」、己の生まれを呪うことが結婚や子をなすことへの呪いにもなる、それをどう祝福するか。12話は脚本水上清資、コンテブルーリフレクション監督吉田りさこなのがおお、と思う。12話、簡潔に水星の魔女の話を描いたようですごい。女王も世継ぎの男児を産めずに非難されて涙を流していたのを自分では止めることが出来なかったテトラの無力感と愛されない自覚を、一度生贄に出された経験があるサリフィだからこそ言える言葉が癒す。「自分の生まれは誰にも決められない」「だから祈るの。生まれてきた命がせめて平穏に、幸福に、願いを込めて」。最終回は、新たに生まれた王子にアヌビスが語り手になってこの物語を語るラスト、感慨深い。人間の血が混ざった獣王族の王、生贄に出された人間の子、生まれ育ちにしこりを抱えた二人が相手を通じて自分自身をも愛することができるようになるまでのシンプルでそれ故に困難な物語だった。「代わりに私がこの子に伝えよう。あなたのお父さんはあなたが生まれる日を本当に心待ちにしていたと。あなたは愛されて生まれてきたと。そしていつか、あなたも心から誰かを愛し、心から自分を愛して欲しいと」、作品の描いてきたメッセージが最後にもう一度言葉にして置かれる。「今日まで生きてきて本当に良かった」「私は私に生まれて本当に良かった」、という帰結は感動的だ。自分自身の混血という生まれの呪いと人間と魔族との分断・隔離を重ね合わせることで自己肯定と異種族共存を重ね合わせる設定で見応えある作品になっている。煎じ詰めればシンプルに親子の愛あるいはそれが歪んだときにどうなるかという話でもあり、同時にこの世界の差別や歪みを前向きに変えていこうとする話でもあり、構成の水上清資が深く関わったらしいブルーリフレクション澪とも通ずるところのあるアニメだとも思う。アミトやラントベルトなど魅力的なキャラも多くてアヌビスも良いキャラしてた。人間が支配するか支配されるかで違うけど、シュガーアップルフェアリーテイルと贄姫と獣の王で、差別と支配の分断を超えようとする異種族ロマンスをメインとする女性向けジャンル原作の二クールアニメが同じ年に放送されていたのは面白い。後半クールは毎回のように感想を四、五ツイート書いてて24話あるし今年一番感想の分量を書いたアニメだったと思う。

アイドルマスター シンデレラガールズ U149

サイコミでやってた身長149cm以下のアイドルと小柄プロデューサーの漫画のアニメ化。漫画は途中まで読んでいたけどサイコミアプリ改悪で読まなくなってしまって、それでも面白い漫画だったのでまあ堅い作品だろうと思っていたら結構大胆な改変が加えられていて独自のテーマを持っており、漫画は原作ではなく原案表記だった。無職転生は二期で監督変わったんだなと思ってたら岡本学監督、髙嶋宏之副監督という無職転生で名前を見たスタッフがこっちにいてビックリした。サイゲームスピクチャーズでこのスタッフだからか異様にクオリティ高いアニメになっているんだけれど、児童労働というか、あまりにも「見る託児所」感があってヒヤヒヤする視聴感も際立つ。五話、的場梨沙の成果を挙げるために焦っていた孤独な視野の狭さを電車の場面で反復しつつ、隣にプロデューサーを座らせたことから助力の輪を部署全体にも広げ、平素と全然違うキャラ・見た目をも演じる余裕を堂々と押し出して自身の魅力を武器にする回は良かった。大人になろうとする焦りが見えるファーストカットから、色んな服装やメイクで大人びた印象を描くEDの最後にプロデューサーからの贈り物で締められる、今話の展開を凝縮したような構成も良い。そして圧巻の出来だったのが11話、初見はなんじゃこりゃ……ってなった。30分に圧縮された映画のようだ。夢を持っている子供、夢なんて子供のものだという大人、その中間でうずくまるありすが現実と幻想の狭間を旅して自分に向き合い、大人もまた時に現実の壁にぶつかって涙を流すのは夢を追うことに本気だからなんだというのを雨と水と鏡のモチーフで描いてて美しい。構図やらなんやらのキレがこれまでと違うし、珍しくえぐみのある表情を描いたり、涙・水モチーフを駆使するだけでなく、線画的な演出なども含めて凄まじい。背景なり幻想的だったりの映像面はすごいし、糸をたぐっていくところの劇伴もすごい印象的だったり、挿入歌の子供っぽさを出したようなあえて不安定にしてるだろう歌い方とかもぞくっとする。コンテ演出小林敦、Just Because監督。演出協力廖程芝ってウマ娘RTTTの監督だ。全体としては、大人と子供を対立構図に置くコンセプトが現場の危うさに見えてしまうところがやっぱり気になる。そして汚い大人ではない証にプロデューサーや先輩アイドルはミスをたくさんしたりして子供サイドに寄せるようにしてるんだと思うんだけど、これが子供アイドルを描くに当たって大人の無責任さに見えてしまうのがある。原作ではそれぞれの立場の人がみんな頑張って協力して場を成立させているという感じで、安心感がある話運びなんだけど、原作がその上手さによって読者が感じなくて済んでいた小学生アイドルを働かせることの本質を視聴者にぶん投げてくる真実のアニメなのかも知れない。しかし、小さい子がたくさん踊ってるライブを見に来る層ってどんなんだろうと気になってくる……。数が揃うとこう、ド迫力映像になってくるよな。

江戸前エルフ

江戸時代に日本に召喚され、今は祭神として東京都中央区月島の神社に暮らすひきこもりオタクエルフエルダが今の巫女小糸との生活風景を描く江戸蘊蓄寿命差百合漫画原作アニメ。小清水亜美のダメなエルフの声がとにかく印象的。C2Cで安齋剛文監督、ひとりぼっちの○○生活を思い出す。ガヴリールなりとなりの吸血鬼さんなり数多くある異人がオタク趣味にはまるタイプのものだけれど、もんじゃ焼きでも有名な月島という具体的な土地を舞台にしながら、その変わりゆく風景と変わらないものが二人の関係にも擬されて上質な作品になっているとも思う。立地のモデルになった住吉神社は本殿の周囲に高層ビルが建ち並ぶ時代差が露わな場所でもある。各回では五話が、奢侈禁止令を例に江戸のオシャレの歴史をたどりながら、小糸の母たちが着てきた受け継がれる振り袖の話に繋がり、それが似つかわしく着られることで月島と小糸をめぐる歴史が重なり合うのはとても良い。エルダの「あんまり急いで大人にならないでくれよな」の切なさがある。六話は、江戸以来の富士信仰かぐや姫の不死の薬に由来しエルダを呼んだ家康との思い出に繋げられ不死者と定命者の象徴となり、それを眺めるエルダの隣に誰がいるかという過去と今の差異と連続性を象徴する神事として語られる。それが新しい一日の始まりという年月日の更新を迎えて終わる。この日常がいつまでも続けば良いと言う祈り。最終回は神事で巫女と祭神、みんなにとってのエルダと小糸を描いた祭りのあとに、祖父に怒られる姉妹のように日々を暮らす自分たちにとってのエルダの一コマを描いてOPED含めた日常に回帰する最終回なのは良かった。そしていつもの朝が来る。このアニメはこうするよなっていう。非常に良い作品だとも思うけど両手を挙げてとはならないのは、オタク趣味を異人に肯定させて江戸以来の伝統に繋げたり、引きこもり暮らしに寿命差百合を散りばめ、論争的な近現代をスルーして安心、という……なんというか内向きさを肯定しすぎてないかって気がしてしまうから。そして、小糸が大人や土地の外への憧れとして子供の頃に出会った白い人への憧れを抱いているのだけれど、それは変装したエルダだったというのが序盤から明かされており、これはこの土地や関係から外へ出ることが最初から殺されてしまっている設定がそれにとどめを刺す。

山田くんとLv999の恋をする

ネットゲームを題材にした恋愛もののウェブ漫画原作で、浅香守生監督とマッドハウスというCCさくらを思わせるスタッフで作られたアニメなんだけど、一話を見た時からこの大学生の主人公はダメな人間だなあと思いつつ、細部の丁寧な仕草の作画や演出が小気味よくて楽しく見られてしまうアニメになってて驚いた。とにかくアニメーションに技があって、画面切り替えのテンポの良さとか、細部の演出に凝ってて、序盤はむしろこのアニメの魅力で見ていたところがあるけど、だんだん話も面白くなっていってかなり楽しんだアニメになった。水瀬いのりの女子大学生主人公に、内山昂輝の無口なヒロインじゃねえや、まあ意中の男性というキャスティングも良い。少女漫画とかだとお相手の男子なんて呼んでるんだろう。六話、ドン、サクッ、カシュッの擬音でのシーン切り替えがあまりにも鮮やかでビックリした。サブタイに指がオーバーラップしてドアホンを押すシーンとか、色だけの背景がスッと現実の背景に変わるとか、編集的なテンポの良さが突出してるアニメって感じがある。玄関に行くときにちょっとだけ歩きをカットするところとかあいだを抜いてテンポ良く見せるのはYoutubeとかの動画的でもあるけど、画面切り替えの処理は最近のアニメでもかなり独特で面白い。花のマークを舞わせたり、カットインやレイヤーの重ね方とか、少女漫画的な技法、画面をすごくよくアニメにしてるって感じがある。監督はその手のベテランとはいえ。手書きセリフを発声する漫画原作って結構あるけど、今作では補足情報やコミカルな手書きセリフをそのまま出すことでセリフのテンポや間を維持してる。分かりやすい派手さではなく、地味な非常に細かいテクニックの集積でスルスル見させられてしまっている、そんな印象がある。山田と茜の関係が次第に変容していくなか、茜が熱を出した10話は見応えがあって、なんか息を呑むような回だった。コンテ澤井幸次、演出熨斗谷充孝、城相太。総体的に何が良かったのかをうまく言語化できない、不思議な良さ。なんだろうなこれ。茜の混乱のなかで次第に形が与えられる過程だからか。そして最終回、「バレたか」はマジで良い場面だった。これは殺し文句すぎて見ててうわーってなったね。

BIRDIE WING -Golf Girls' Story-

おもしろゴルフアニメの後半クール。これまでもプロゴルファー猿といわれてた今作で旗包みが満を持して出てくるも限界を超えた技でイヴ出生の秘密に繋がるの要素が盛り沢山でのっけからバリバリにやってくるし、記憶のないイヴが自分の過去を取り戻し、逆に葵は自分を見失うという序盤戦の綺麗な裏返し展開がたまらない。序盤のナフレス篇は自分が何者かを知らない孤児としてそこからあがいて脱出していったけれど、自分の出生を知り自ら乗り込んでいく後半では、その出自に絡め取られているようでいてようやく本当の自由を賭けての戦いを始めることができるステージに立つ。親の因果がめぐるなかで二人だけのゴルフを模索する後半戦。しかし20話、雨音の「気象予報士の資格を取っておいて良かったわ」にはウソだろ!? ラブライブ超えたってビックリした。声出しそうになったわ。すげえよ。ゴルフアニメを見ていたと思ったら高校生のゴルフ部のキャディが気象予報士の資格で天候を操るトンチキ極まりない凄い回だった。21話、親の因果が子を苦しめる話をやった後に、二人の親の資質を受け継ぎ融合させ因果を裏返す子供が虹を見せるのは感動的。「僕とレオのゴルフが融合した究極の形を」。リコリスリコイルといい、百合アニメの親でBLをやるのは定番なんだろうか。生殖不能な組み合わせだからこそ生殖のモチーフが別の形で展開されるということ。また親子関係と血縁関係、師弟関係がそれぞれ拮抗するような軸を成しており、イヴと葵はライバル関係として新しい何かを生むという軸があるか。最終話、空高く飛ぶボールを映しながら「青春ストーリーはいま始まったばかり」「翼広げてどこまでも行こう」のVenus Lineを流して締めるのはお見事という感じ。「彼女はこうなる運命だった」という因果から二人の力で抜けだし、未来を切り拓く。イヴと一緒にゴルフをする約束を勝負ではなく、葵がキャディとして協力してコースを回ることとする手があったか、と驚いた。二人が師や親からのゴルフを組み合わせて自分のものとしたように、この二人が新たなゴルフを作り出していくのが感動的で、ボールには二人を象徴する一対の翼が描かれている。二つの翼は対のセットになってこそ空を飛べる。家だかメーカーだかの対立の象徴とも言えるオリジナルの葵のクラブをイヴに渡すことで、必殺技もまた合体して二つの翼によって空を飛ぶように、それまでの二人を縛っていた運命・枷を取っ払っている。ゴルフを題材にとんでもない展開やらネタやらで退屈させない話運びとレトロなドラマっぽい家族の因果が絡み、それを女子同士の百合として描くという古さと現代性のミックスでかなり楽しかった。葵がライバルになったりバカップルになったり親の話で曇ったり、表情が多彩で良い。

事情を知らない転校生がグイグイくる。

虐められてる女子に状況すべてを前向きに解釈してノーダメージな男子が仲良くなろうとしてくるラブコメ漫画原作アニメ。クラス全員で一人の女子をいじめてる学校、どんなだよとは思うし、丁寧に作ってると思うけどナンパ師か何かみたいな主人公のノリがどうしても馴染めないのがアレだけど、かなり見応えのある展開になっていって良かった。ダイナミックコードの影山楙倫監督。原作者の漫画は三つくらい読んでいて、ショートギャグ漫画の人だという認識でいたんだけれど、こういう展開力のある人だとは思ってなくて意表を突かれた。主人公高田太陽の頭良さげな切り返しとか褒めの上手さとかをやっておいていじめについてわかってない風なのがものすごく胡散臭くて、現状を変えずにマイナスをプラスに読み換える処世術っぽさがしてしまっていたんだけれど、四話はそれをきちんと引き受けてひっくり返していた。茜への死神呼ばわりといういじめを、死神ってカッケーと読み換えて褒め言葉として受け取る、というネタを、死神呼ばわりしている点では太陽も悪意のないいじめの加害者にほかならず、しかも友達面してる分最悪ですらあるんだけど、生まれてすぐ母を亡くした子に「死神」はえげつなさ過ぎることに気づいて号泣謝罪するけじめをつけて、なおかつ茜がいじめっ子とも友達になれる度量の持ち主だと示してもいて見事だった。次話ではそれを受けての死神呼ばわりを二人の関係に即して肯定的に捉え直すのは良いけど、それはそれとしてでも死神呼びは辞めた方が良いんじゃ、と思ってたら姉の誘導で死神から天使に水を向けるのはうまいやり方だなと思った。「少し不思議でミステリアスで強くて格好いい」をそのあだ名の内実に再定義して、二人だけの言葉にしたので、それが形になった指輪が出てくるわけだ。最後、茜の父といることで、名字呼びで通してきた今作が最後の最後で子供にしか名前が設定されていない名前呼びになることに作品の思想が現われているような感じがある。

ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP

ナリタトップロードテイエムオペラオーアドマイヤベガメインの配信アニメ。サイゲームピクチャーズ制作で廖程芝監督、音響監督に金﨑貴臣が。全四話の配信アニメだけれど、オペラオーが晴れの舞台を整え、トプロとアヤベの明暗分かれるありようが描かれ、走りの作画の強さで無理やり引き込んでくる強いアニメだった。 いまでもYoutubeで全話見られる。三話では生きること楽しいことそれ自体が罪になる闇に落ち込んでしまうアヤベと、光に背を向け、自分を映す鏡面の浜辺に目を落としていたトップロードが勝てなくとも戦い続ける姿を見てくれる人によって立ち直ったこととの圧倒的な明暗差がある。子供との交流で走ることの楽しさを思い出せ、夜の暗さのなかで壮行会の明かりを灯してくれるみんなの支援で「あたし、頑張れる」、と勝たなくちゃいけないから頑張れるへと気持ちを切り替えられた一方で、一人のキャンプでの孤独なアヤベの対比がえぐい。「光のなかで待つことしかできない」オペラオー、あらゆる声援を一身に受ける度量の持ち主でトップロードの先にいるキャラでもあり、栄光の舞台のためにキャストの不調に目を配るメタ存在だ。四話、誰が相手でも関係なく贖罪のためだけに走るアヤベが、ひたむきに自分をライバルとして認めるトップロードを先を行く夜空の輝く星として見出して己の走るべき道を見出すのが、トップロードの星の髪飾りとアドマイヤベガという名前としても回収されて見事だった。「あなたが近づいてくると星が見えなくなってしまう」、他の星を圧する輝きのトップロード。アヤベがライバル、トップロードが主人公の舞台をオペラオーが差配して、過去に囚われていたアヤベをその暗い底から助け出すのが目的だったような四話だった。オペラオー、あれで影の立て役者なのな。ウィニングライブでステージに立って、ライトを浴びることがアヤベの運命からの解放のの証となるような。シンプルで力強い話と作画で突き抜ける傑作という感じで、それがウィニングライブとうまぴょいでウマ娘らしさに回帰するのも良い。オペラオーが走りを舞台に擬して語ることで、勝利のみならず各自にとっての走ることの意味を問い直させ輝くことを志向する流れが、ウィニングライブがなくともアイドルものにも近い印象を与えている。

東京ミュウミュウ にゅ〜♡

去年から続くセカンドシーズンで完結、相変わらず抜群に楽しいアニメで良いね。OPがもう2000年代の電波ソングだよこれ。びっくりさせられるのがみんと回の14話、おいおい中学生が親族の企業に最新鋭機を強奪に行く話マジかよって。パンク過ぎる。「小学生じゃないんだから」、親や兄に反抗を試みて強盗に行くわけだ。いちごが青山くんにこの強盗予告写真を送るの笑った。「よくわからないけど楽しそうだね」じゃないんだよ。東京ミュウミュウの産業スパイ回、字面にすると凄まじいけど実在する。この流れでの21話でみんとが変身で部屋爆破したのはすごすぎる。秘密を明かす決意の変身は爆弾。大人になると部屋が吹っ飛ぶんだな。すごい演出だよコレ。経営者の資質ってそれ? ミントのエピソードに破壊行為が必然的に組み込まれててないか? 兄の目の前で変身して完全に室内で爆弾爆発させた感じの場面、マジですごいし、このアニメ結構なペースでマジで?っていうシーンがあるの本当にすごい。22話、決意の真顔ハーモニー演出のラストカット、圧が強すぎる。恋に生きる子供に世界の人間の命運を託すのは本当にかわいそうだけど、青山くんを青山くんが好きな地球ごと守る、いちごらしいストレートなスタンスに繋がっててこれがこのアニメだ。
最終回、「人類の存在そのものが、地球にとって害悪なのだ」、「誰にも心を開かず、地球に害ばかり与える人間を憎んでいた」、青山くんの環境ガチ勢ぶりがすごい。そして、「いちごが諦めないように、僕も諦めない。僕は生きる! 生きて、地球の未来を変える!」へ。「一緒に考えよう、未来を変える方法を」というあたりは良いとして、「地球の未来にも、あなたたちの星の未来にも、ご奉仕するニャン!」ここ一番のシリアスシーンで語尾を忘れないいちごがプロすぎて圧倒された。そこでニャンて言っていいんだ。いちごが初めて貰ったプレゼントが首の鈴ってのがやっぱすごすぎる。「今度の東京はすっごい緑が増えるんだって」ってセリフ、神宮外苑その他、ダイレクトな政治批判になった。すごい現実に帰されるシーンだよな、20年前の作品のリメイクからわれわれは前に進んでいるのか?って思うもの。未来への希望が眩しい、そんなアニメだった。それを受けとめられるかといえば、どうだろう。愛や夢のためにはつまらない常識なんて吹っ飛ばせ、がかなりダイレクトに出力されてて話は完全にキッズアニメなんだけどそのパンクさでは朝はムリだよ。「女の子だって暴れたい」って東京ミュウミュウのことらしい。しかし、すごいアニメだった。90年代の残り香を感じるストレートな環境問題テーマで地球の害としての人間否定から未来の肯定へのパワフルさとともに、強烈な絵面やキャラクターがぐぐっと凝縮された二クールだった。

私の百合はお仕事です

姉妹(シュヴェスター)制度のある女学校をイメージした寸劇をしながら給仕するコンセプトカフェという舞台で「姉妹」を描きつつ、演技という枠のなかで外面を良く振る舞うことに人生賭けてる主人公らの裏表を描くっていう重層的な仕掛けがある、漫画原作の百合アニメ。百合姫掲載のこの漫画は前から読んでいて、面白いのは分かってたけどアニメで見てもちゃんと面白くて良かった。道端でぶつかった人がコンセプトカフェの店長で折れた腕のお詫びに店で働かされるっていう結構な導入なんだけど、そこで外面を気にする陽芽がお店で昔自分の外面をクラスメイトにばらした矢野美月と再会してしまう、というところから始まり、そこに陽芽への強い思い入れを持っている友人果乃子が後から参戦してきて、コンセプトカフェは情緒渦巻く百合演劇バトルの場になっていく。タイトルは「百合営業」を思わせるもので仲の良い姉妹という演劇の設定とその裏側を描く一段メタな作品。アニメでは11話で陽芽と美月、果乃子と純加とのシュヴェスター成立で一段落、すごく良い雰囲気で終わってアニメとしてはキリが良い感じだけど、当然解決はしてない問題が原作の次の展開になるんですよね、矢野の恋愛感情とか。「好きだから嘘つくんだってこと、今度はわかってください」、と嘘を悪いことだとしか思えなかった矢野とのすれ違いが収まって、今度は「好き」と「友達」で次のすれ違いが始まる。矢野美月は「私は嘘をつく」ということをリテラルな文字通りの意味でしか理解できず、陽芽が自分のためについた嘘で裏切られたと誤解するすれ違いがあった問題の根本は実は解決していなくて、発達障碍を思わせる矢野の言語理解が人間関係のなかでのディスコミュニケーションを起こすところは原作でも興味深いところだった。それでも、「言わなかったらなかったことになっちゃうからね」と言葉にすることが鍵になるのは、演技でも嘘でも、どこまでも言葉でコミュニケーションをしていくしかないというテーマって感じがある。店長が怪我したはずの手をずっと普通に使っててみんなそれに言及しないのがなかなか面白いんだけど、これは陽芽が店で働く理由でもあるので皆にスルーされてる、という作中の便宜的な嘘の一例かも知れない。アニメの最終話は矢野の胸が大きすぎて巻き起こる騒動で、パッショーネがねじ込んだオリジナルとかではなく順当にアニメ化すると自然にこの位置に来る原作通りの回なんですよね。すごいぜ。かわいい服のつもりで着ているのに、それを体系故に卑猥で隠さないといけないものと思われてショックを受ける矢野、普通にありそうな生々しさがある。大人っぽいのは恥ずかしいことじゃないとフォローしつつ、陽芽のわがままで他人には見せたくない、とする解決は矢野には嬉しい落としどころか。大きい胸にエロさを感じて始終ドギマギする陽芽が描かれてて、そうです、これは百合作品なんですって感じ。陽芽役小倉唯が「おもっくそ舌噛んだよ」とか「じゃないかよ」って言葉遣いをするのが楽しいアニメ。

おとなりに銀河

親を亡くして漫画家稼業で弟妹を養う久我一郎のもとに現われたアシスタント五色しおりが実は何やら異種族の姫らしく、あるきっかけで婚姻契約を結ぶことになってしまった、というラブコメ漫画原作アニメ。アイカツ以外だと三者三葉以来の和久井優メインアニメだ。遠藤璃菜の妹と長縄まりあの弟が良い味出してる。ある島での姫という身分、棘による契約、そういう枷は自分自身をごまかすなら安住の地でもあるものの、不安のなかに身を投げだしてでも自分だけの意志による自由に踏み出す、そういう枷から脱け出るための自由恋愛という古典的なところがある。「バリバリ働いて、一人でも生きて行けるように力を付けたら、今度は、私から久我さんにプロポーズしたいです」、それはもうプロポーズだ。相手を自由で独立した一人の人格として認めた上でこその恋愛や家族関係、というのが基調になっている大人のラブコメだった。一郎も妹も、相手に負担を掛けず一人で頑張ろうとすることは尊いけれども、「私、一緒に転んでも良いのに」としおりが言うように、ちゃんと隣の人と手を繋ごうという締めになっていた。一緒に転んでも良いというのが家族ってことだろう。しおりも自分で自分の交友関係を広げているのが「自由」と評されていて、一郎とのあいだだけではない、頼れる人間関係を自分でもっているということが「自由」だというのが、今作の人間観だ。そういう感覚が安心して楽しめるラブコメで、恋愛初心者の大人が見せる初々しい感じも良いし、主人公も良いキャラだし、服を買ってきたので楽しみにして下さいって直に言えるしおりの率直さや恋に恋するところと現実的なところの混じったキャラも魅力。元から漫画みたいな恋に憧れてる人だったけど見た目落ち着いた雰囲気だから浮かれてるのが意外に見える。「好きな人が褒められ照れている、たまらない。クリスマスとはいいものですね」っていうのとか、しおりが全力で楽しんでて、こんなに恋愛を楽しんでるアニメもあんまりない気がする。リッチな画面ではない分ちょっとしたデフォルメとかに味があって、そこら辺が良い。

絆のアリル

原作がキズナアイシグナルエムディWIT STUDIO共同制作のオリジナルVtuberアニメ?と言って良いのかよく分からない。プリパラというか、ヴァーチャル空間で主人公ミラクが仲間を集めつつ、Youtube配信者的なバーチャルアーティストとして学園で色々学んでいくという話で、12話まで見てとりわけ面白いってこともないけどミラクのように粗忽でしかし愚直だけど、なんか漠然としたアニメだなあと思ってたらセカンドシーズンが告知されて、第二クールはぐっと面白くなった。第一クールは配信ライブとして描かれるCGステージが練習としてあまり良いものにはできないとはいえ、やはり味気ないものだったのに対して、後半では他ユニットの本気のパフォーマンスなどは見応えがある。一期でメンバーを集めて、「誰かがラッキーなら私もラッキー」という共感性主軸のミラクが、クオンのグループ離脱にダメージを受ける。クオンもありのままの自分のさらに先のリアルの自分を明かして覚悟を決めて、他人が他人だということに気づくのが第一歩という話をしてる。みんな同じようになろうとするのではなく、違いが人との関係を繋ぐ、という話がメンバーとの距離を測りながらそれでも集まることの意味を改めてやってて、一期に対する二期でそう掘り下げていくのはわりと面白い。同一性の集団じゃなくて個別性の結合っていう。「一人一人が輝いてこそお互いを高め合える」、という二期の主軸を一旦集まったグループからそれぞれが離れて、別ユニットとのコラボ、というかたちで色んなユニットのキャラや関係を紹介しながら、個と集団のあり方を描いていく。19話では、ニスカとジェシーのBRT5同士だった二人の仲違いを羊の群れと孤独な狼の絵を題材に、群れと孤両方が必要だとお互いのありようを肯定する。群れのなかにい続けるとそこから外れる存在を許せなくなり相手の個・孤を認められなくなるという話。21話はVICONIC二人の関係を、歩くために必要な靴と、どこへ向かうかで必要な光という道を進むための一番重要なパートナーとして描く百合度激高回だった。「あたしたち相思相愛じゃん」「まあね」、直球なセリフ。22話、3DM8回だとお互いが既に完成しているから出会い頭こそが一番のインパクトになる、と三人での練習をほとんどせずにパフォーマンスするという幼馴染コンビの対極の観念性の高い話をしていた。最終回、ミラク達を助けるみんなの差し伸べる手を一旦拒否し、上を目指すくだりがある。これまでのグループシャッフルのコラボ経験でみんなと繋がったから、あるいは離れたことで繋がったと感じる瞬間もある、でもその経験から今度は上を目指さないといけない、そのみんなで上を目指す方向性の一致が「個でないのに個である存在」なんだろうか。グループアイドル的なものと配信者個人とコラボという題材がアイドルものとの差異を際立たせている。「何にでもなれるし何でもできる」「一秒ごとに色んな自分になってる」。現実では男子のクオンがまるまるというマスコットアバターを消去し女性型に移行したのは、最初は性的な区別が問題にならない形を選んでやや逃げだったけれどそこからきちんと女性型のものに進むことを決めてるってことだろうか。前の回でもクオンとリアルで会っても異性アバターを使ってる話に一切ならないことでそれを気にする方が変なのかと思わせる描き方してるのが今作の大きな特徴の一つで、これはトランスジェンダー関係の背景があるんだろうか。そこを掘り下げないのがまた独特だった。

神無き世界のカミサマ活動

宗教団体の教祖の息子として育った卜部往人が儀式の最中死ぬと異世界で目を覚まし、そこでは宗教がなく、人々はある年齢になると自殺を強制される異様な制度があり、往人はミタマという神とともに国と戦うことになる、という漫画原作アニメ。かなり独特の作風で、冰剣はOPED等枠組みの使い方が上手かったけどこっちは融通無碍な破壊的ですらあるスタイルを呈していて、結構対照的だと思う。一話ではミタマ登場までを一話に収めるためか話も急展開だし作画も急にぐいぐい動くし、何もかも温度差がすごい。二話でも、画面に馴染ませるつもりがないCGのペット、ドット絵の多用、画面後ろでロビンフッドごっこしてたり、ロイに床を拭けという時に瞬間移動するアルラルとか、絶妙におかしい描写が随所にある。四話での実写を使ったクソコラみたいなコンバインはかなり笑った。何コレ。異世界で農業やるって時にミタマの力でいきなりコンバインが出てくる。水道引いてるって時に横にドカンと冷蔵庫が既にあったり、真面目なシーンで半裸やバニーがいて、変な絵面を作ることに真剣すぎる。話としてはミタマの力の源たる信仰心を集めるために色んな現世利益を提供したりして支持を獲得しつつ、対抗勢力との戦いでの信仰バトル、という感じで、神なき世界故でもあるけれど「信仰」というか「支持」に近くて、実際神的存在だから宗教とは言うけど、現世利益その他「政治」のほうが近い感じがある。八話は騙されてる気がしないでもないけど愛と性欲を渾然一体に描写しながら、愛を尊く思いつつ人々から愛・性欲を奪う活動を指示されて従っていたダキニの悔恨と救済がトウカの愛の結晶としての娘との出会いで果たされる展開はなかなか感動的だった。OPやEDの使い方は独特で、九話はOPをカットしてOPのクレジットだけ出てるのが気になってたら10分過ぎてクレジットと分離してOPだけ掛かるのは笑ってしまう。EDの挿入位置もかなり無茶だったり。稲葉友紀監督、studioぱれっとは単独元請けとしては初のアニメだろうか。楽しいけど変なアニメだった。

短評

Dr.STONE NEW WORLD
科学王国と石化王国の対決から月への遠大な目標が据えられる三期、さすがの面白さ。月はマジかよ、と思うけど地球規模のイベントでなら月レベルの話になっても当然だしそこまで行くのも科学の発展の象徴だし必然的な道行きだろう。復活薬の触媒と石化光線を発するアイテムがキーになってて、石化復活が大量にできるようになるから敵も大量に石化させてくるという適切なインフレ管理という感じがある。石化装置で石化して復活させると致命傷でも修復できるからドクターストーン、二度目のタイトル回収やってくるのはすごい。プラチナを触媒として石化復活薬を大量に生成できるわけで、宇宙計画が遠未来の人類の希望になるという展開は良いけど、急にキーマンが現われて船に乗ってる展開はすごい。伏線とご都合が同居してる。ブラウン管、クオーツからレーダー、つまり魚群探知機で食糧の自給手段になるのはすごい。それが金属探知機にもなって工業の時代を迎える。物事の仕組みがわかるのは面白い、そしてある原理から色々なことができるというその逆向きの広がりが面白くないわけがないという。仮説と実証の演繹。それと道の広がり、物流網の広がりが繋がっているような新たな可能性への期待がある。一話で、「こういう世界では欲張りって悪いことじゃないね」、と欲望こそが目的に突き進む原動力になる才能があり、航海とか欲望とか通貨とか、龍水はまんま資本家、資本主義の象徴に見えるな、と書いていたけれど、最終話では金は人の意志をまとめるためのもので、それによって皆の力を合わせることができる、と資本主義と貿易による経済活動が宇宙へのロードマップに必須なものとして置かれているのはなるほどなと思った。

君は放課後インソムニア
不眠症の高校生の男女が学校の天文台で二人一緒なら眠れることに気づいて、天文部の活動をすることになる石川県七尾市が舞台の青春恋愛もの。やや雰囲気優先で気になるところがあったりするけど、良い絵を作ってたアニメだと思う。一話の夜に二人で家を抜け出して、最後に「また今日」は良かった。眠れない辛い夜が明るくなってゆく景色と同じように二人のあいだで楽しく大切なものになるラスト。カメラとドームが開く天文台、夜の世界を見るための眼を開くお話。最後、ヒロインが外出禁止になるけどラジオが二人を繋いで不眠の二人が眠れない夜も悪くないと眠る。昔は怖かった星空も今は綺麗に思えるし「君と一緒なら眠れない夜も悪くないって思えるんだ」し、母の消えた恐ろしい朝ではなく告白の返事を待つ朝になるのが、不眠の夜の夜明けになる。お互い離れていても繋がるという七夕を踏まえたような関係になるのがなかなか良くて良い恋愛ものだった。七夕、織り姫と彦星がベースになってる作品なんだろうか。ややリアル寄りの作風のなかで白丸先輩だけアニメキャラやってるし寝方が猫なのが面白い。これも能登麻美子が出てくる能登半島アニメ。洲崎綾も石川県出身ということで出演している。

鬼滅の刃 刀鍛冶の里編
炭治郎の回復と隠れ里でのパワーアップイベントと禰豆子の新生篇。贅沢な映像で、金と手間を惜しみなく費やすショウとしての面白みはなかなかあるしめったやたらに盛り上げてだれるところはあるにしろ、最後にはきちんと見応えあるところを出してくるのはさすがだなと。二話、配慮が欠けてる、ネットでよく見た絵ここだったんだ。「あのカラスは全力で悪意あるなあ、すごい下に見てる、俺を」のところ良い温度感だった。最終話は、原作知らないから、え?ここで?禰豆子マジ?って思ってたらそう来るか、と。挿入歌まで入れて盛り上げやがってコイツ。鬼にとっての朝がここでは反転して、さらにもう一転して誕生の朝になるの、シチュエーション作りが上手すぎる。無惨さん、こいつバカなんじゃないかって回想で笑ってしまった。依代の母たちもノリで殺してるっぽいし、極端に感情的な人物。過去回想、過去というか時代を感じさせるモノクロに血の赤だけが映える絵面。遊郭の鬼はある種の社会的貧困を背景にした恨みがあったけれど、半天狗のそれは身代わりに分化させたりと自身の行いから罪過を徹底して分離して、責められたら小さな被害者になりかわろうとする卑怯さだったり、パワハラ無思慮の無惨だったり、敵役の「悪」が非常に日常的なものになってる。「善良な弱者」とか言う半天狗に「責任から逃げるな」と叫ぶの、無限列車でもあったけど、加害者の卑劣さに対して独特のこだわりがある作品だ。恋柱、女の幸せとして結婚するために自分を偽るのをやめて自分らしくいられる場所が、というのは良いんだけど、それが鬼殺隊というのがこれ良い話か?みたいになる感じはあるな。いや、でもその場違い感が甘露寺のキャラ性ではあるか。「幸福な結婚」か「鬼殺隊」の二択はいやだな。

異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する ~レベルアップは人生を変えた~
このノリでなんでEDがスガシカオなんだよ! 進化の実原作者の別作品で板垣伸総監督のミルパンセアニメ。肥満児故に虐めを受けていた主人公がある時家の異世界へのゲートをくぐって異世界でレベルを上げたら痩せて見た目も抜群の美形になって、現実の理想の学校に勧誘され理想的な女性と理想的なデート風景を演じて、異世界ではモンスターから美少女を助け出す、凄すぎる。進化の実とだいたい展開同じじゃねえかって思ったしここまでチート環境がお膳立てされる異世界アニメこれまであったかってくらいで圧倒される。トントン拍子に人生が好転していって、色んな女性からも目を付けられるしマジで異世界チートハーレムって話なんだけど、主人公が基本的にかなり善人なのでそのトントン拍子の展開や動き出す瞬間とか作画に手間かかりそうなとこをほとんど省くミルパンセアニメーションをわりに素直に楽しむことができるナイスな作品だったと思う。悪人は不幸になるとかいって悪役がダイジェストで処刑される惨いアニメとかあるし。主人公に倒される結構重要な役どころの刺客を原作者が声優やってるんだけど、そんなことあるんだ。ラジオでも原作者だからか声にちゃんと感情が乗っててって言われてて、原作者さん何者?って言われてたけど大阪芸術大学の声優コース卒らしい。ラジオの最終回が原作者美紅と松岡禎丞のゲスト出演回で面白かった。そもそも原作者は商業デビューが高校時代で、その後大学の時に声優学校に通ったらしく、声優になりたかったとかではなく、自作のアニメに出たら面白いなというきっかけだったらしい。すごいな。同作者の進化の実二期より面白かった。スガシカオが毎回ツイッターで放送告知するアニメがこれなのどうしてもおもしろい。aikoは実写化されたりするエモ漫画原作アニメの主題歌やってるのにスガシカオがこれの主題歌してるの良すぎる。良い曲なんですよね、歌詞も良い。「闇には闇が集い 光には光が集う ぼくらはどちらにだってなれる 光にだってなれる」ってこれ自分が闇側なんですよね。

アリス・ギア・アイギス Expansion
邪神ちゃんのノーマッド制作で監督は長瀞さん一期の人のゲーム原作アニメ。傑作って感じではないけど楽しくて良い。原作のコミカルなスピンオフで、サバゲーやったりこち亀やったりしながらキャラを見せていく往年の美少女アニメっぽさ。主人公高幡のどか役はノ一ツバキのサザンカ役根本京里が主演で喋ってるだけで声が面白くて良い。団子じゃなくてダゴン、ってネタで前後篇引っ張る正気じゃない回とか、見終わって冷静になると何だったんだコレってなるのもそうそうないなってくらい平然と投げっぱなしの五話とか、六話、金田一耕助パロをやってて、キャラみんなが衣装を着てるドラマ撮影回って見立てだと思ったらABパートでダブルキャストやった上に時間が来たから犯人が自白して、犯人の自白も時間制限でキャンセルされたメタメタぶりは面白い。顔を目一杯崩しまくるために導入されたオリジナル主人公、すごいぜ。12話、夜露に憧れてきたのどかが会社の休業で実績も積めずにそばにいるだけで劣等感を刺激されるようになった顛末、ラストはシリアスに締める。孤独なのどかを色んな人が心配している証のように周囲をぐいっと回りこむアクションで表現するクライマックスに相応しい画面。EDの歌詞は誰かに憧れる人の歌で色々着替えたり化粧をしたりと自分を試行錯誤する映像とともに印象的だったけど、「私は私そう言えるまでほんの少し待っててのお願い」とある通り、未来ののどかが夜露を先導する、キービジュアルの関係も絵も鏡映しに反転したラストカットがかなり良い。やることがないからずっとトンチキギャグアニメやってた構成をのどかのコンプレックスのギミックに仕立ててうまい。なかなか自由で楽しいし作風もかなり好感触ではあるんだけど、もう一段階何かが欲しかったとも思ったな。

Re:STARS
トップアイドルの双子の姉から自分の代わりにステージに立てと強要されて弟が女装して仕事をしたらトラブルに巻きこまれ、という双子コメディの中国産アニメ。セリフは字幕でスタッフクレジットも中国語のままで、中国アニメにしてもここまでローカライズに金掛けてないのは初めてってくらいだ。なんというか特有の荒っぽさがあるんだけれど、これが案外面白くて見応えがあった。三話、歌の上手くて賢い弟へのコンプレックスから歌以外の道を選んだ姉。変声期に喉を酷使して歌手への道を断たれた弟のかわりに姉が不得手な歌を特訓してステージで観衆を魅了するまでになるという、今の入れ替わり前から立場が入れ替わってるっていう仕掛けは面白い。12話、姉弟入れ替えがついにバレる。昔は歌や踊りが苦手で芝居が好きな姉だったのが、今は得意なことが入れ替わってるというのは弟の挫折と姉の努力ゆえで、それをわかってるからこそ弟が姉を心配するのは当然だ、と理由のある替え玉スタントをちゃんと公開する、良い展開。女装を解いて本当の自分の姿で歌うことがヒロインジーミーへのラブソングになるのは決まってる。一度は断たれた「きっとスーパースターになる」という夢を再び始める、タイトルにふさわしい締め。姉弟入れ替わりコメディから真面目な芸能ものへ、地味に良いアニメだった。

転生貴族の異世界冒険録~自重を知らない神々の使徒
現世で死んで異世界の貴族に転生したらめちゃくちゃチート能力を持っていて、という異世界ものなんだけど、お前が倍速再生してなかろうがアニメの方が早送りでお送りしてくる異常アニメだった。一話はとにかくあらゆることが超速テンポで進んでいく、テンポの速さに溺れそうになるの、そうそうないしOPサビで主人公たちが欽ちゃん走りしていくの面白すぎるし次回予告でもお急ぎ下さいって言ってくるしどこまで急ぐんだよ。「できたわ」のテンポの良さ、そして「待ちきれないよ~」「待ちきれた!」は吹いた。圧倒的な言語センス。EDで天丼するアニメなんなんだ。シュートGTTFの中村憲由監督、シュートは全員常に叫んでる異常テンションだったけど、こっちは常にテンポが早すぎる異常スピードになってて、普通じゃない面白さのあるアニメを作る人だ。最終話では最後の10分くらいで今後の展開全部ダイジェストしたのかっていう超速消化パートがすごすぎる。一話からの圧縮超速展開が凄かったけど最後もそれで走り抜けていくし、EDにもある通りの国王驚きリアクションの執拗な反復まで、己の芸風に自覚的だ。全員唱和しながら話すパートや「良い使徒さま」って何度言うんだとか、ハーモニー演出も含めて濃厚な反復ネタがすごい。国王、EDのあの位置にいるのに納得できる。ああいうダイジェストが作風としっかりマッチしてるのそうそうないだろって。しばしば長大で話自体がそこまで面白いわけではないタイプの異世界ものをアニメ化する際の一つの解答を見た思いがある。圧倒的速度と執拗な反復で速度と濃さを担保する作りがシュートの監督から出てくるのに納得感がある。

この素晴らしい世界に爆焔を!
このすばのめぐみんスピンオフをてっぺんのドライブ制作でアニメ化。金﨑監督は総監修にスライドして新人監督だけどほぼ共通の座組でこのすばと同じノリ、もはや懐かしい。福島潤はナレ担当。中二病民族紅魔族めぐみんが爆裂魔法を習得し、カズマたちと合流するまで。やっぱり福島潤が足りない。ボケの村にツッコミが足りてない。キャラの外伝として見れば良いんだけどあまりにも本家みたいに作ってるから不足が露わになりがち。でもEDの雰囲気はかなり良い。EDアニメ、伊豆見香苗。曲も良いな。この作者基本的に主人公側が一番の悪人なんだよな。終盤このすばの音響空間になってくるの楽しいし、ゆんゆんと二人暮らしの雰囲気も悪くないな。めぐみんを迎えるゆんゆんの絵もおおと思わせるけど、え、二人で同じベッドで寝てるのかって。このゆんゆんとめぐみんの感じ、稼げないダメ夫とそいつから離れられない妻、って感じでカズマとアクアと相似形にも見える。まあそれはこの作者の話だいたいそうか。ゆんゆんの面倒臭い幼馴染百合とも言える。

異世界はスマートフォンとともに。2
なんと二期になった異世界スマホ、一期を作っていたスタッフはMAHO FILMとして独立したので二期はやってないのが残念ではある。読書喫茶を作る三話で出てきたBL作家リリエルが久野美咲でびっくりした。妙に気になる声してるな、誰だろうと思ったらああいうキャラにちょいだみ声感ある人あてるのはわりとあると思うけど久野さんでやるとは意外だ。ヒロインポジではなさそうなのが残念。薔薇の騎士団と百合の親衛隊、BLと百合のハイブリッド作品なのかなと思ってたら冬夜ネタの新作が男女どっちも攻略する作品になったというの細かい伏線とオチになってて笑う。どっちも行ける系作家か。楽しい回だった。今作、冬夜は未成年だから結婚もまだだしエロいこともしないから、寸止めしつつ無限に婚約者が増えていくのすごいんだよな。性的な誘いに乗ってこないことをマスター登録の条件にする変態ロボット、ハーレム主人公に課せられた禁欲を象徴する存在だ。この奇をてらわないストレートで素朴な男の子の夢みたいな異世界ハーレムを邁進していく姿は暖かく見守っていきたい、そういう気分ですね。なんだかんだ求めるものに応える良いアニメだと思います。EDも良い。久野さんのキャラまた出てくれれば、とは思った。ED、「イセカイな事態で仕方がないんです」のサビのイ行押しがすごくて耳に残るんだけど他にもジンジン、トキメキ、君が好き、オーキードーキーとイ行が際立つワードが多くて、これは「「イ」セスマ」だからなんだろうか。

デッドマウント・デスプレイ
成田良悟原作漫画、小野学ギークトイズ制作。人間不信に比べてだいぶちゃんと予算ついてそうなの監督が監督だからなんだろうか。異世界のネクロマンサー屍神殿が現代日本に転生したら体の持ち主ポルカが暗殺者に狙われていて、というところからはじまりその暗殺者の少女を返り討ちにした後でアンデッドとして復活させて仲間になって、ポルカをめぐる謎やさまざまな事件と絡んでいくという分割二クールアニメ。サメ。最終回、屍神殿に対して友達だろということを認めたことで陛下改め親友の力を借りることができる。屍神殿はもうない国の人間つまりゾンビでここにいるわけにはいかないという前回の死の比喩を、死霊術士だから滅んだ帝国ごと抱えられるとひっくり返すは半端ない豪腕ですごい。滅んだ国がゾンビだという比喩を、だから死霊術士の支配下に置ける、というアクロバットはキレがあるしフィクションならではのやり方で鮮やかだった。それが憑依人格のここにいていい理由にも連動するのが上手い。原作まだ続いてると思うけど意外にも良い感じに終わった。

【推しの子】
まあ大人気作品であえて説明するまでもないけど、ファンと主治医が16歳のアイドルの子に転生するアレな始まりから、彼女を殺した犯人を芸能界に探る謎解き要素で全体を牽引しつつ、ラブコメもやっていくっていう。萌え萌え美少女アニメっぽさと週刊誌みたいなネタの感じが同居するアニメ、という感想。90分の一話の露悪というかえぐみというか感動というか劇的な要素をありったけぶち込んだみたいなエンタメを駆け抜けたところはなんにしろ勢いはあった。何かアレだな、ネットの悪意というのが私たち仲間を害する無理解な外野、というものでしかない感じで、どうも……。やっぱりいかにも青年誌に載ってそうな週刊誌みたいな漫画だなって感じが強くてねえ。テラスハウス事件と似た展開があった件で色々話題になってたけど、芸能ゴシップに乗っかった作風だから芸能ゴシップ好きで誰かを集団的に叩くのが大好きな人間が集まってくるのは必然だったのかも知れないねと思ってしまった。ネットの話をやり出すとアレだけど、ラブコメやってる分には楽しいな、っていう反復横跳びしてる感じ。これが大人気アニメって聞くとそうですかって思うんだけど、有馬かな萌え萌えパート見てるとこんなオタク向け萌えアニメでほんとに大人気アニメなの?って思っちゃうな。

機動戦士ガンダム 水星の魔女
制作環境がかなりアレだったのか延期を繰り返しながらなんとか終わりを迎えた百合ガンダム、声優の結婚発言がなぜか急に削除されて、同性愛差別国への配信を見越した自主検閲かと騒ぎになったけれども年末に監督から結婚と明言されて一応落ち着いたか。まあいい。22話の箒にまたがる魔女でタイトル回収してきたのは盛り上がる場面だ。スレッタならぬイゼッタ。エリクトを身代わりにするのではなく、自分の体に圧を受けて、母に対峙するスレッタと、赤子のようにこもってた部屋から自力で歩き出すミオリネの手の重なりが官能的だった。戦闘のない最終回、さまざまな死者たちの声が赦しとして与えられることがなければ暴力は止まらない、という逆説を示唆するファンタジー。鉄血の男たちの悲劇=バッドエンドを相対化する女性たちの喜劇=ハッピーエンド……? 母の言いなりにはならない、というのは前半ラストの裏返しという感じだ。毒親問題は連鎖するので断ち切るには親のほうも、というかスレッタの母への感情が報われねば、ということか。呪いではなく祝福、親の子に対する進めば二つの呪縛に対する返答。エリクトが小姑を名乗って指輪もしていて、一話の通りにスレッタとミオリネが結婚している様子で女性同士の結婚エンドといえば転生王女と天才令嬢の魔法革命に続くアニメになったな。

ショートアニメ

漣蒼士に純潔を捧ぐ
今期僧侶枠。旅先でヤクザと出会って一回限り夫婦のフリをして欲しいと言われて、と「極上極道とのドラマチックラブ」アニメ。一話、始まって秒でプレミアムシーンになったのは笑う。状況が何も分からないぞと思ったら海外で偽装妻を求められ、さらにポーカー勝負で自分が賭けられる展開、急展開にもほどがある。三話、ヒロインのアップを凄い精細に描き込むアニメだと思ったらひでえデフォルメが出てきて笑った。この緩急よ。女性一人のために会社ごと買収するトンデモスケールの話が出て来たと思ったら定時だからと濡れ場から脱出するヒロインは面白い。良いコメディだ。なんか蒼士が偏見で見られるマイノリティみたいになってるけどマジでヤクザなら相当のことはしてるのでは……という気分にはなる。純愛ヤクザとコンプレックス一般人、殊勝なことを言ってるのに男女同伴出張という名の温泉旅行を公私混同で実行するの、さすがだ。ちょっと権力や暴力を使うけど純愛一直線で良いんじゃないでしょうか。

ちびゴジラの逆襲
魔法少女くるみと似た感触があるけど監督違うしなあ、と思ってたら制作会社が同じだったし監督はくるみのスーパーバイザーとかでよく見たらわかるやつだった。演技の圧で無理やり笑わせてくる松岡禎丞劇場なアニメで面白いけど誰も見てない気がするな。「いねぇ!あのやろう!」のブチ切れ演技で笑った。あの二人上田麗奈鬼頭明里かよ。「手紙で噛むことある?」のツッコミ演技のテンション感で笑わされてしまう。魔法少女くるみの流れを汲むギャグアニメで、松岡禎丞のツッコミで成立するショートアニメって感じで面白かった。怪獣がSDGsをオススメしてくるのも地味に面白い。

どうかと思ったもの
魔法少女マジカルデストロイヤーズ

イラストレーターJUN INAGAWAの原案による博史池畠監督、バイブリースタジオのオリジナル魔法少女アニメだけど、なんとも時代を外したような感じがして仕方がなかった。迫害されるオタク達の抵抗から始まる一話でそのオタク被害者意識もいい加減にしろよ、と思わないでもないけど2000年代が舞台なのはオタク迫害がまだ実感ある頃だからだろうか。ジャンルを問わないと言いつつ萌え文脈しか描いてなくて男オタク八割以上な描写もアレで、アレだ。この舞台設定や描写が現在のミソジニスト暴徒集団と化したある種のオタクに至る歴史をたどる批評的意図があるのか、と思うくらいなんかそんな配置な感じがあるけど別にそうじゃない。オタクサブカルやりたいのは良いとして、どうにもセンスも映像の強度も圧倒的に足りないって感じる。既存のパッチワークをメタというか悪意を込めてやるのがサブカルとは思うけど、この映像が今面白いか?っていうと、特には。このアニメで「好きなものを好きなだけ好きと言おう」と繰り返されるごとに気分が冷えていく。自己肯定一本では屋台骨が脆すぎるのでは。そこそこ凝った見せ方をしても好きなものを~、に落ち着くとそれだけ?ってなっちゃう。我々オタクは好きなものがあるから洗脳が効かない、とかいうバカな発想を本気で口にする人がいるのかと思うけど、これ、自分たちを無宗教だと思ってる日本人らしい発想なのかも知れないなとも思う。「僕を否定したオタクを否定し根絶するために」創作するショボンに対して、好きなものへの肯定、魂のこもった創作への愛を強く貫くのは良いんだけど、ショボンの創作を否定したオタクのことが触れられてないから話が成立してない気がする。オタクが迫害されてる理由が明かされてもそこに話が関わっていかないから、好きなものが好きなだけのオタクが迫害されているってことになっちゃってるの、よくわからない。コレって言う魅力はOPED以外にはないし、まあかといってうげっていうマイナスポイントもない気がするんだけど、それで良かったのかな。そもそも、オタクサブカル魔法少女っていうのがもう絶望的に古いんじゃないかっていうのはある。個人的な印象なんだけどキッズアニメ的なものとはちょっと違う「魔法少女」って、リリカルなのはとか小麦ちゃんとか、ある作品のなかのお遊びなどの戯画化されたパロディとしてあって、そういう部分が2000年代のクリシェのパッチワークめいた「ポストモダン」なオタクを象徴していたところはある。そうした魔法少女像を2010年代にまどマギが露悪的にひっくり返してフォロワーも多く生んだけれど、まどマギ魔法少女を搾取される弱者として捉え直し、弱者の連帯と抵抗を描くかたちで引き受けたマギアレコード(あるいはブルーリフレクション)が出てきたのが2020年代、だと思ってる(放課後のプレアデスはこの文脈とも近いところにいながら、戦う要素などを切り離して空を飛ぶロマンやSF色を掛け合わせて作られた傑作という印象)。そこで今「裏ニコ動の管理人でスーパーハッカー」が出てきてショボンというアスキーアートキャラが敵として出てくる小麦ちゃん的な2000年代的魔法少女アニメをやるというのがどういうことなのか、いまいち見えない。これは単に私の史観がボケてると言うことかも知れないけれど。

このクールは週に42本見ててうちここに書いたのは28作。エデンズゼロも引き続き見ていたし、カワイスギクライシス、公爵邸、勇者は死んだ、ワンターンキル姉さんなども面白く見た。久保さんは僕を許さない、はちょっと妙なラブコメではあったけど11話とかの演出は面白かったり、ぐんまちゃんを二期だけ見たりした。女神のカフェテラス、マガジンラブコメアニメだなあって感じで作品としてはともかく、四話でヒロインの一人が画面奥で竜巻旋風脚を出しながら空を飛んでいく場面はムチャクチャ面白かった。

夏クール(7-9月)

好きな子がめがねを忘れた

めがねを忘れた隣の席の女の子とのラブコメ漫画原作アニメ。原作者の別の漫画は読んでいたのでまあ良いだろうとは思ってたけどかなり良かった。模写問題で制作中止になった件があってかしばらく供給がなかったGoHandsアニメがラブコメと日常もので帰ってきたクールでもあり、両方とも工藤進総監督、横峯克昌監督体制のアニメが同クールに放送されていたのは珍しい。よくめがねを忘れる三重さんと隣席の小村くんとのラブコメで、小村くんは伊藤昌弘、以前の主演作品は演技がかなりマズかった覚えがあるけど今作はコミカルな演技で笑えるところも多くて良かったし、三重さんの若山詩音も良い。一話、ゴーハンズの変態アクション作画でラブコメをやる、開始数分でやべーアニメが始まっちまったなっていう気分がすごい! めがねを忘れたド近眼ネタで回しつつ、最後にコンタクトで意表を突かれて翻弄される小村くんに落ち着くところは良いけど画面はエグい。猫みたいな三重さんに振り回されるごとくわれわれもゴーハンズの画面に振り回されてるんですよね。思ったよりシュールなセンスが阿波連さん思い出すところがあるけど、かなり笑ってしまうくらいギャグ要素も強いのは良い意味で予想外だった。七話あたりで折り返し過ぎたのもあってか、三重さんの表情が相当柔らかくなっきてる。不可解な猫のようだった三重さんも小村くんと似たもの同士な感じになって、一方的に困惑させられるところからお互いにドギマギするネクストレベルに進んだ感じ。九話、校外学習でめがねを忘れて視界も涙で濁って小村くんの顔が見えない三重さんと、小村くんに顔を隠してる三重さんで、決定的な場面で顔という真意が見えない伝わらないところから、近くに寄って小村くんの表情が恋した友達と同じだと分かり、同じ気持ちだと知る流れは決まってる。こんな時でもめがねを忘れて、とギャグにならずに深刻に落ち込む三重さんに、好きな子がめがねを忘れて頼られるのが嬉しい、というちょっと気持ち悪い嬉しさをもまたギャグにせずに迷惑じゃないよと伝えるために絶対に話したくないことを明かす小村くん。言葉で伝えて、でもそれはどう受け取られたかわからなくて、手を差し伸べることで嫌われてはいないことは伝わるけど、最後には相手の顔をよく見ることで相手が自分を特別に思っていることが伝わるという、めがね・視力のギミックが良くできてる。「よくわかんないくらい優しい」という小村くんへのぼんやりした解像度が、直近から見ることではっきりするわけだ。「小村くんは頼られて嬉しいと思うけどなあ」という恋している最中の友達がそこはよくわかっていて、そのアシストを経ることで恋がよくわからない三重さんが理解に至る。10話では好意を自覚した三重さんがバリバリに迫ってきててネクストレベルのラブコメになっててヤバイ。猫というか不思議ちゃんぽかった三重さんが、ここにきて恋愛的な意味で小村くんを翻弄するの、これが「成長」か、と。行動の謎さは変わらなくても質は変わっている。九話はめがねがなかったり涙でにじんでいたり顔を伏せていたり、言いたくないことや気恥ずかしいことを目線をずらして伝えていたわけで、10話はその後で相手がどんな人なのかどんな顔なのかをひたすら正面から直視する回だった。最終回、夏休みにも会いたいというのはめがねがあろうがなかろうが、学校があろうがなかろうが関係ない二人だけの関係に切り替えるわけで、この作品のシチュエーションの外に出る最大の変化になっていて、それが小村くんから切り出されるラストは良かった。めがねを軸にしたコメディのネタも尽きないし、小村くんの性欲にも真摯に向き合っていて、途中からはダダ甘ラブコメぶりにこちらが振り回される傑作だった。ED曲、歌声でおや?と思ったらカップル二人にオーイシマサヨシが乱入するすげえ組み合わせで笑ったし、メガネキャラゆえのゲスト参入なのが納得してしまうの何なんだ。

魔王学院の不適合者 Ⅱ ~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~

鈴木達央魔王が梅原裕一郎にキャスト変更された第二期。その件は残念だけれど作品自体はかなり良くて、コロナ禍にともない半年ほど放送延期を挾んだのだけれども個人的にはむしろ一期より楽しめていて二期は私の年間ベストに挙げることになった。大精霊篇とのことで原作だと上下二巻の話をワンクールかけてアニメ化した模様。チート魔王が最強の存在として君臨しつつ、人々の強い願いや思いをサポートしていくし、言語、伝承を核にして意志や理想の強さを描いてて、立派なファンタジーって感じがある。存在が伝承によって形作られているという言語的存在が鍵になる世界観なので、意志、願い、理想、愛の尊さが重要になっており、憎悪、分断、差別に抵抗していく物語だし、魔王アノスはじめ、各人のセリフに強みがあるのが良い。三話、限られた時間にしか開かない扉、精霊を笑わせて通行を許可る、魔法の力で全員が非武装化されてというのがファンタジーの試練って感じなのに、テストのバカな解答がネタになるのはよく見るけど、採点が頭おかしいのはかなり笑った。「答えが間違っているからといって満点が取れないとでも思ったか」で通るのはさすがだ。「わかりません」で正解するの面白すぎる。100点満点中150点、「バカな?」ホントだよ。八話では憎悪に駆られた魔族たちに「その憎悪の炎は今俺を焼いた小さな火よりもはるかに自らの身を焼いていることだろう」と彼ら自身の苦しみに理解を示しつつ、憎悪を向けるには子供は正しくない相手だと否定し、正しい相手を憎む心理を理解した上でもそれは血の連鎖を生むと再度諫める過程もいい。悲しい世界を作ってしまったと嘆く創造神ミリティアへの約束、「どうにもならぬ悲劇と理不尽を神々がもたらすならば、俺がそれを滅ぼしてやると。俺はミリティアに教えてやりたかったのだ。彼女の作ったこの世界は決して理不尽などに負けはしないと」、アノスの根源がここにある感じ。「魔剣だからと言って人を愛せぬと思ったか」「心の底から願えば、必ず応えてくれるだろう」、アノスの魔王構文とはこの絶望を切り返す理想主義の強さにある。九話、魔族と精霊の「たった三日間の結婚生活」、神話的な起源譚、圧巻だった。レノが失われた瞬間に世界に色が戻って、愛を知ったシンがまた世界を白黒に戻す。「あの子が2000年後も生きていられる世界を、わたしが作ります」、主君に背こうとも我が子のために架空の伝承を広める決意。「大丈夫、シンの分まで愛してるから」「愛が何かはまだ知りませんが、わたしはあなたを選びました、レノ」恋を教えて愛を教わった大精霊と魔族の悲しい大恋愛、アノスとアボスの一期一話の話にこうつながるのか。二人ともが自らのあり方に逆らって愛を育む強靱な覚悟がある。シンの白黒の彩度の薄い世界でのつかの間の新婚を描く雰囲気が良い。血の赤と恋で染まる頬と、魔王の紫の眼。結婚式には2000年後から見に来ているアノスたちもいる。城から外を見たときの、月と海と雲の景色の美しさは白黒ゆえの荘厳さがあった。最終話、「2000年の時を経て、悲しみが喜びに変わる時が来た」。半霊半魔のミサの伝承を全霊に作り替えたことで半魔のミサを生んだことで滅んだレノも元に戻る大アクロバティックだ。「勅命を出す、このディルへイドに生きる者は皆公平だ」。平等ではなく公平なのは意味がありそう。不自由を、悪意を、悲劇を許さぬと宣言する魔王が、ミサとその両親の悲劇を伝承ごと塗り替えたわけだ。最終話でファンユニオンが出てきて素っ頓狂な歌で締めるのは今作らしいところだけど、ファンユニオンの歌に途中からアノスも歌ってるような作画になってたの、声優元のままだったらOPやここも歌ってた可能性あったかな……。二期は第二クールも予定されている。伝承の信憑性でバトルをしているの、理屈の尤もらしさを利用する虚構推理と同時代感がある。

ダークギャザリング

ジャンプSQ連載のホラーもの漫画原作で、SQはもののけとかこういうのが多い気がする。霊を引き寄せる体質の大学生蛍多朗と母親を悪霊に奪われ復讐と手がかりを求めて悪霊を狩っている小学生夜宵との、デコイとハンターのバディを基本に、夜宵の従姉で詠子という螢多朗と同じ霊障に遭った幼馴染との恋愛模様も描かれる、オカルトホラーアニメ。連続二クールたっぷりやってかなり良かった。しばしば闇のポケモンと言われるとおり、「ヤバイお化けを集めて、悪霊を食い殺そう」と悪霊を身代わりとして使ったり、強い霊を仲間にしたり無理やり使役したり、闇を集めるというタイトル通りの設定を持っており、霊による攻撃をゲーム的に攻略するバトルものの様相がある。日本の色んなホラースポットをめぐって手持ちの霊でそこにいる霊を攻略・ゲットして力を蓄えて敵と戦う準備を進めていく過程で、現実の場所が微妙に名前を伏せられて登場する。霊媒体質で詠子のように人に危害を加えてしまう恐れから引きこもっていた蛍多朗はともかく、小学生で歴戦のベテランのように悪霊との戦いを主導しハードボイルドに悪霊を叩き伏せる夜宵さんの異色の格好良さと、蛍多朗を偏愛しGPSを仕込んで監視し、このアニメで一番怖いんじゃないか?という疑いを抱かせる詠子の濃すぎる従姉妹がやはり強烈。夜宵のセリフがいちいち格好良くて、「あがくな、償え」「神様には一同総出で奴隷の位を用意奉る」、とかはいいけど、「仕返しだ、来いよ、マ○ー○ッカー」、はセリフが酷いよ。ピー音入れられる小学生は前代未聞だよ。詠子の方もどんどん怪異に魅せられて行ってて「洒落にならない恐怖にこの胸を高鳴らせ、背筋を凍てつかせて欲しい」とか、学校篇でも同じ怪異に魅せられている小学生を見つけ出して勧誘に走ってて、夜宵だけじゃなくて詠子もダークギャザリングしてる二人になっていくのがすごい。島﨑信長の怯える男子、篠原侑のハードボイルド小学生、花澤香菜の重い愛。怪異に対抗するためにはこっちも相応にヤバくないとね、という感じだ。最終回は京都篇の前振りで原作に続くって感じ。京都の街全体の身代わりってまたスケールがでかい。形代にダメージを代替させる仕組みを逆転させて神様に形代のダメージをっていうの、呪いをメカニズムとして捉えてる理知的な感じがある。呪いでこちらがダメージを喰らうなら、そこにこちらも利用できるリンクがある。二期もあると良い。

BanG Dream! It's MyGO!!!!!

バンドリの新シリーズは一度バンドが解散した後の人たちが新しくバンドを組み直すところまでをメンバー同士の本気のぶつかり合いを通して描く、「迷子」をコンセプトにシリアスな色が濃い作風となった。MyGO!!!!!というバンドもED曲で「"普通"とか"あたりまえ"ってなんだろう」「生きづらい世界」と歌われるように「人間になりたい」という発達障碍感のあるヴォーカル燈の個性にあわせて詩・メッセージが前面に出たバンドリでは珍しい音楽性になっている。燈のキャストは羊宮妃那が担当しており、上田麗奈を思わせる声質でメッセージ性の高い楽曲を歌うところに今作のカラーがある。物語はバンドブームが常態となっているバンドリ世界で自分もヴォーカルをやってみようと思った調子の良い愛音が声をかけたのが「不思議ちゃん」の燈で、という導入。三話はこの燈がどんな人間で彼女を誘った祥子とそのバンドがどれだけ大切な場所だったかということを燈の主観視点で描く回で出色。スタジオの鏡にバンドに加わった自分が映る前半、自分が笑っているのが映る後半、そしてバンドから祥子が抜けて涙がにじむ視界のラストで燈の孤独と幸福と絶望を描いていて、鏡と主観のモチーフをCGアニメの特性を生かしてて面白い。中盤は燈の前バンドのメンバーで本心では新しいバンドに興味がなく、昔のバンドを復活させることにしか興味がない長崎そよの本心がついにぶちまけられるんだけれど、七話のそよがライブ前にチューニングしてない、合わせる気がないところから始まり、楽屋で俯瞰から開始前それぞれがバラバラに動いてるのを描くCGアニメらしい良さが出ているところから、ライブ中にバンドの息が合っていくなかで祥子に気を取られステージに孤立するそよ、という揃わない一人が露わになる構図に帰結していくのが鮮やかだ。「緊張してるのはみんな一緒だよ」、自分以外はな。始まる前には余裕でみんなの世話をしていたそよがステージから元メンバーを目撃し、前バンドの大切な歌が始まって余裕をなくしていって、ついにその穏和な仮面を脱ぎ捨てる。九話、離婚しておそらく娘を養うために親が家にいないことが多かったそよにとって、バンドとは暖かい家族でその解散とは、という抉り方をしてくる。そよの話でバンドと家族が重なり合う文脈ができているから一生バンドを続けることにこだわる意味も家族の含意ゆえの言葉という側面が出てくる。なんでバンドをやるかと言えば生きるのに一人ではいられないから家族が必要だという組み立てになってる感じだけど、でも「普通とか当たり前ってなんだろう」とそれに躓き続けるわけだ。10話では、一人でも届く時まで歌い続けると決めて一人で歌い始めた燈、かけらを拾い集めて星になってという通りに一つだったあかりの元に一人ずつ集まって星になる。なんとなくではなく必要だから一人一人がステージに招かれて、醜いところも含めての人間というように自分たちを見つめ合い、皆を正面から必要とする燈が客席ではなくメンバーだけを見て声をとどける本当のバンド結成ライブが良い。最後、そよと愛音が外面を取り繕うのをやめてバチバチやりあうの、傷つかないようにするのをやめて傷ついても前に進むバンドの姿勢や関係そのものって感じ。最終話ではむき出しの言葉をぶつける人間的あり方を示す燈の裏で、仮面で顔を隠して生ける人形をコンセプトにするアベムジカのバンドがスタートしてアベムジカ篇へとリレーする形で終わった。アニメは映像的に面白かったところもあったし燈や愛音のキャラ性や色々ぶつかり合うところも良かった。しかし、内容とも評価とも関係ないけど、初回三話連続放送はよく意味が分からなくて事前に三話でまとまりがよいように作ったわけではなく、話題性狙いで枠をとって放送した感じなのがアレだと思ってたらブシロード社長が野党議員の「プロレス」用法に自分の団体を動員して大々的に抗議を始めて与党議員には抗議しないのかとダブスタを指摘されるダサすぎる事件が起きて、そういやブシロードってそういうアレなところだよなというのを思い出した。D4DJも話題性狙いで変則的な放送時期にしてみたり、金にものを言わせるスタンスというかそういうの、あるな。

デキる猫は今日も憂鬱

ゴーハンズの日常ものその二。飼ってる猫が家事もメンタルケアもしてくれたら良いのにな、の願望を叶える日常アニメ。福澤幸来は会社では完璧なデキる女を演じているのに家に帰ると家事能力が一切ないダメ人間で、捨てられてた野良猫を拾ったら何故か人より大きく育って家事を完璧にこなすデキる猫の諭吉、という二人の生活を描くコメディ。高円寺アニメ。クールでシャープな背景に作画のキャラと猫が乗るの、リアルとファンタジーのミックスを意図的にやってるんだろうか。コミカルな演出、萌えキャラ、意味分からんエグい作画も面白いアクセントで良いコメディやってて楽しい。このアニメにそのエグい作画いる?って部分でもう面白いんだよな。三話で幸来が近所のカラス以下のゴミ分別把握度の人間だとわかるし卵かけご飯を「難しくないかな?」は異次元の返答でビビる。ここで諭吉が息を呑むような声してて笑った。一人だったら若死にしそうな幸来が諭吉の命を助け、諭吉が幸来の生活を救ってる、そんな感じなのがまあ良いバランスだ。そういえばなんでもできる猫とダメな子、これドラえもんだな。五話、黒猫は幸運を運ぶ福猫だというおばあちゃんの言葉から、幸来が諭吉を拾ったベンチで諭吉が酔いつぶれた幸来を拾って帰る締めでお互いにとっての幸福を描いてからその内容をまた別様に描いたEDに繋がるのがかなり良かった。八話で痴漢を投げ飛ばす作画に凝ってるなと思ったらCM明けで二回目を別の技やるのは弾けすぎだろ。本性を隠すのに耐えられなくなったゴーハンズアクションと石川由衣は笑う。ミカサだし藤部長だ。九話の、「猫の手も借りたいとは言ったけどよオオオオイオイオイ、ネコネコネコネコチャンヨォオイィィェェ!」の町内会の人の演技がかなりキレてて良い。すげえ面白い。家事をやってくれてでかいモフモフに甘えたいという欲望まみれの夢みたいな設定なんだけど、ぐうたらダメ美人とモフモフの猫のじゃれ合いが楽しい良いアニメだった。二人のバランスが取れてるのと、性愛が絡まない関係なのがだいぶ見やすさに貢献している気がする。いや、猫をモフりたいのは性愛ありきだろ、と言われればそれはそうかも知れないけれども。表向きはそうじゃないから。飼ってるつもりが飼われてる主従逆転感も楽しくて良い。しかし、企業戦士の外での疲労を完璧にケアするデキる猫とは、家事労働が不可視化されているという以上に怪異みたいな猫のやることなのでいっそう人に言えない仕事、これがほんとのシャドウワーク。黒猫だけに。コンビニの安い発泡酒を飲みながら見て謎に質感を与えたりしてた。これのことを「わたしの幸せな未婚」と言ってるやつがいる。

AYAKA ‐あやか‐

ある諸島での災害と因縁をめぐる和風異能伝奇アニメ。制作は最強陰陽師もやってたスタジオブランだけれど、脚本がGoRAで主題歌がangelaだし、見てても絶対コレ元々GoHandsでやる予定の企画だっただろって思わせるもので、つまり今期は「ゴーハンズアニメ」が同時に三つやってるという驚くべきクールなんですよ。ともかく。主人公幸人は本土で中学卒業時に校門の上でストロングゼロを飲みながら迎えに来たろくでなしで兄弟子を名乗る尽義に連れられて、綾ヵ島という生まれ故郷に戻ることになり、そこで過去人を傷つけたために封印していた水を操る能力の使い方を尽義から学ぶことになる。時折モンスターが出てきたりする島のなかで友達ができたり父の弟子達との関係も色々ありつつ、夏祭りでは父との再会というお盆らしい生活に墓参りなどや「あやかい」という言葉を使う島の人々のありよう、生活が描かれ、やや地味ながら悪くないな、という感じだったのが、終盤は結構な盛り上がりがあってサブタイトルの使い方もキレがあって思った以上にぐっとくるアニメになって良かった。父が犠牲になった島の災害が再び巻き起こって、孤独な龍を鎮めないと災害が起こるという難儀な島の真実が明らかになる後半、そして10話、一話で尽義が幸人を川に落とした「お前ちょっと飛んでみろ」を思わせる「お前飛んで見ろ」に、今話のサブタイ「一緒に行ってやるからさ」が合わさり一緒に水へ落ちるラストから次回サブタイが「幸人、飛んでみろ!」に繋がるのが印象的。尽義は父亡き後の幸人の親の役目にも近くて、弟分のために命をなげうつ覚悟を既に決めており、尽義の自殺的な酒乱ぶりはそこから来ていたり、再会の時緊張してて酒を飲みすぎていたとか、尽義の弱さや未練や弟への心情描写が良かった。ストロング酒が文字通り尽義の覚悟をドーピングする力だったわけだ。そして11話の、「幸人、飛んでみろ!」、良すぎる。尽義が死ぬなんて嘘だろ、からのやっぱりまだ手はある、というところでの尽義の後を継ぐ幸人の自分を叱咤するこのセリフは感動的だった。最後の最後は尽義を救うための尽義なしでも水の竜の力を使えるようになる幸人の成長の話になる。サブタイ、次回予告でコレまで通り尽義のセリフだと思わせる叙述トリックだよな。これがあるから、ま、死なないだろ、と半笑いの気分をしめやかな葬式風景で潰しにかかってて、え、マジで死ぬの?という気分が兆してきたところで命脈の尽義が出てきてあのセリフ。サブタイが上手すぎる。最終話で尽義が本当に生き返って「生き返る~~!!」は卑怯だろ。かなり笑った。一話は尽義が川に落としたけれど今度は幸人が尽義を命脈の川から救い出す、手を引き、引かれる二人の関係があれからの時間を感じさせる。尽義の真意が明かされる10話からのサブタイトルの使い方が決まった11話でバシッときたし、生を謳歌する尽義が作品を象徴する良いキャラだった。そして今作の綾ヵ島はダイレクトに日本の話っぽくもある。見ていて多くの人はあんな怪物が出てくる島にずっと住むのか?って思うだろうけれど、そうなるとじゃあ地震大国としての島国日本に住む我々は?という疑問が突きつけられる。島の人々を描くのはそう言う意味がある。しかし、高校生活を送る幸人たちのもとに火の龍CV尾崎由香が人間形態になったヒロインが出てきて、いばらと何やかやするラブコメバトルアニメになったりしても良いんだよ。命脈での約束を果たしに「来ちゃった」って言ったりするはず。

ライザのアトリエ ~常闇の女王と秘密の隠れ家~

ふとももで炸裂的に話題になったゲームがこれ見よがしの太いふとももアピールでアニメに殴り込んできた。辺境の村に住むライザとその友人達はこの島での生活に退屈して冒険を始めようとしたところに島外から来た錬金術師と出会って、というファンタジージュヴナイルアニメ。一話、島の外を知らない子供は錬金術も魔物の危うさも何も知らないことをピクニック気分の冒険で思い知って、錬金術、古代文字、戦闘能力の持ち主という憧れの存在に出会い、「今まで気づかなかっただけでそこら中に面白いものがあるんだなって」、と島の価値を再確認するところから始まる。本作の良いところは冒険がしたいというライザたちの冒険心を決して否定せず、しかしその視野の狭さをきちんと指摘し今いる場所がどういうところかを省みてちゃんと足場を固めろとするバランス感覚にある。子供には大人たちはこの退屈な場所で退屈に生きているように見えるけれども、実はそれぞれ若い頃は冒険したり色んな経験を得てこの島に今いる、ということを何度か描写するのもその現れで、特に三話はこの点からも非常に良いエピソードだった。ある老婆が昔の自分の結婚式に送られた差出人不明の手紙の謎を解く過程で、老婆たちが悪ガキ三人組として冒険に恋にと経験してきたことをライザたちが知り、ライザたちのおかげで老人達の絆が再び撚り合わされる。「年寄りはねえ、諦めるのも忘れるのも上手なんだから」、自らに言い聞かせるようなこれを否定する若者が老人を励ます話だった。ライザは錬金術で火力を上げ、レントは剣士や探索者として修練を積み、古代文字の習得に努力してきたタオらの組み合わせで冒険者パーティとして力を付けていくなか、終盤でドラゴンの襲来というシリアスな危機が訪れる。10話、先行した幼馴染ボオスを助けに行くというために動かずにはいられない子供たちだと分かってる親と、実力を付けたことを親に示して話を付けてから出てくる子供たち。行って欲しくない親心が描かれながら、それでも行くというライザに、ライザ父の「一緒に母さんに怒られることになるだろうな」のセリフにはぐっときた。意地とプライドで討伐に参加するボオスと、討伐隊編成を進めながら息子の参加には良い顔をしない父親とか、親子の描写が良い。凄い威力と安全性を実現したライザの錬金術を認める父など実力を示してきたわけで。「ガキの遊びに貸す剣はねえ」のレント父も、剣を渡して、つまり大人の仕事だと認めている。「ガキの遊び」と「大人の仕事」、その巣立ち。最終話では大人の仕事をやり遂げて「お前たちはもう、一人前と言っても良いのかもしれんな」と師匠に認められた後に、宝探しという「子供の遊び」を大人に見守られているあたりのまだその両方に足を掛けた状態ということの描写も良い。地図、文字解読、知性、行動力などの四人で島をかけずり回って、島のたどってきた歴史を知ることになり、大人たちが既に知っていることを改めて子供がたどりなおして、「そこに当たり前にあるのはとても大事な物だよって教えてくれたのかな」とその尊さを学ぶ。これまで出てきた色んな人たちが再登場し、一話のくだりを再演しつつ、ゲームのような走り方をするライザが改めて島中を駆け回ってのED。島や家に当たり前にあるものが貴重な宝物なのかも知れないと気づくことと島の外での活動という両方を踏まえて成長を描いているとても丁寧で良い話だった。本当に夏休みアニメって感じがする。なぜか極太ふとももをアップにするノルマ以外は島の子供たちの清涼な成長譚なんだけど随所に極太アピールは挾まる。

聖者無双〜サラリーマン、異世界で生き残るために歩む道〜

横浜アニメーションラボとクラウドハーツ協同制作で冰剣の座組、とはちょっと違う。あっちは横アニが統括という立場だった。日本のサラリーマンが死んだら異世界でレアな治癒師職のルシエルとして転生し、という話でギャグ調だけどなんというか非常に独特の作風。一応女性キャラもいるけれど、無双とあるのにいっさい無双感はなくむしろずっと男性教官ブロドとドMと呼ばれるほどの訓練と修行をし続けてる変に真面目で地味なアニメ。この生真面目さに好感が持てるんだけどなんでこれがアニメ化したのかはものすごい謎。いや、変に面白いから良いんだけど。OPは主人公の胃腸の蠕動運動が描かれるし、一瞬の無音タイミングで全員こちらを振り向く絵になるのホラー演出すぎてやっぱすごい。五話のぼったくり治癒師ボタクーリに高度な魔法が使える確かな実力を認め、人間不信に至る理由があったことを踏まえての問答、悪役が画面外でいつの間にか死刑になったりしない安心感がある。ここら辺もやけに真面目。特訓のモチベになるのにステータスの確認をブロドが禁止する理由が、数値に囚われると強者の匂いをかぎ分けられなくなり不意打ちなど実地の危険が見えなくなるからだという。パラメータありの異世界ジャンルを踏まえた話をしているのも面白い。ボタクーリにぼったくり事業を邪魔されないために、本部に主人公の業績を吹聴して栄転させるというくだり、サラリーマンがサブタイにある通り企業ものの枠組みがある。無双要素が治療費のダンピングだから競合他社に裏から手を回されて追放されたという妙なリアルさがじわじわくる。しかもボタクーリに無双もできずに課題は残る。乾杯でジョッキを割ったら「それは悪かった次の休みに買ってくるわ」「ところでおかわり」「喜んで!」「ありがとう!」なんなのこのノリ。10話でこのアニメに恋愛要素が薄くてほぼブロド師匠がメインヒロインだったのが、特訓のために常飲していた臭いドリンク物体Xで性欲が能力向上に吸い取られていたからだったという種明かし、あ、そういう意味での賢者=聖者だったのかという驚きがある。男同士の関係の方が全然濃い作品だったのが物体Xのせいだったというのすごいアニメだよ。無職転生の主人公に飲ませた方が良い。最終回、主人公が最後にやることが法の整備が遅れている教会の治療費ぼったくりを防ぐガイドライン策定ってのはなかなか面白い。権威を笠に着たぼったくりによって教会の権威が地に落ちると勇者の力が削がれるので、真面目な取り組みによって内実ある権威を教会がもたないといけない、と。安価な治癒師ルシエルの登場が教会の権威を落とすけど、教会の権威がなければ魔素の拡大、魔王の強大化に対抗できないので、次の勇者誕生までにそのパワーバランスを整える必要がある。教会権威の使い方やそれが主人公の役目というのが「変に真面目」という前からの印象通りで面白い。

彼女、お借りします Season3

和也やその祖母のアレな感じでこれまでそんなに評価は高くなかったんだけど、三期では水原の唯一の親族の祖母の危篤に直面し、水原の映画女優への夢を支援する立場に徹する和也という状況によって、和也のマイナス面がほとんど出てこなくてかなり面白く見られるシーズンだった。八重森という新キャラは関係を進める便利キャラなんだけど、水原と個人的に踏みこんだ話をする人がいなかったなというところにお部屋訪問で歯に衣着せぬ言動をできるキャラがばんばんかき回して楽しいのもある。今期は映画のためのクラウドファンディングとやるべきことが恋愛関係の良いストッパーになってて、レンカノとか麻実とかで話を回してた頃よりかなりストレートな話になってる。そして和也は恋人だというレンカノの嘘の話が、映画というフィクションも重ねておばあちゃんを喜ばせたいというたった一つの真実を表現するための99個の嘘だというところに繋がっていく。「あなたが選んだ答えならどちらでもいいよ」。嘘をつかずには生きて行けない、それ自体は悪ではない、という小百合の言葉が復ってきて、彼女は既にそのことは知っていたようにも見える。11話、祖母を亡くした水原のために大枚はたいて彼女を喜ばせるためのレンカノをする和也に、「素敵な映画だって言ってくれた」、と嘘をつくのが相手を喜ばせたいというささやかな返答にもなっていて、一方的にもてなすことじゃないのが恋愛というところになっていく。最終話、デート終盤で祖母を亡くした哀しみに襲われ泣き出しそうになって強い意志でいったん止めてる水原の表情、そしての泣きの場面、圧巻だった。強がりという演技の向こうに見える水原の本心や涙、というものを見て、美人を彼女にしたいからではなく、一人の人間として水原が見えてくる。楽しんでやっていれば、悲しさなんて忘れられるという水原の強さを描きつつ、前を行ってる和也が水原に抜かされて二人並んで歩く気の利いたラスト。和也が彼女を借りて自分の欲望を満たすところから始まって、ただ相手のためのデートをやりきるまでの展開は見事で、三期かけて和也の著しい成長があった。話は三期のなかで一番良かったと思うけど、監督変わったからか漫画的描き文字演出が過剰で画面のコントロールはちょっと変わった。和也、真面目に励まそうとしているのに彼女の魅力と自身のエロ心にすべてを狂わされていくギャグ感がまあ良いバランスではあるな。三期については和也は行動はほぼ善人だから、この下心がうまくコミカルさを出してて良いバランスだった。

短評

七つの魔剣が支配する
電撃文庫原作。魔法学校に東洋サムライガールが入学してくるファンタジーアニメ。治安が悪い学園で、主人公オリバーがある復讐のために学園にきていることがわかるとなるほどそういう話だったのかと飲み込めるけどそこまで結構かかる。最後、二人が消えた件は非日常ではなく日常の一つだったという締め、治安がどうというレベルを超えている。子宮ってセリフが聞こえたし、男女逆転のリバーシに男性機能除去のカストラートが絡んでくる性の話が物語の根幹に関わってくるのはわりに独特で、これは魔術の性質にも絡んでくる話だったりするんだろうか。最初悪役みたいに出てきていたミリガン先輩が終盤頼れる仲間になってきて、戦闘で全身ズタズタにされたミリガン先輩はどうなったのかなと思ったら最後普通に歩いて帰ってきてるのどういうことなんだよ。おもしろキャラすぎる。キリの良いところまでで15話構成だったけれども、最後オフィーリア篇として終わったけどまだ途中って感じで締めた感じが薄いのは原作付きのゆえではある。

白聖女と黒牧師
お隣の天使様の初代イラストレーターの人が原作漫画の動画工房の萌え特化いちゃいラブアニメ。安定感がある。セシリアの澤田姫、初主演か。一話、「突然、この街にふらっとやってきた聖女様」で吹き出してしまった。さすがに異常セリフだろ。聖女ってなんなんだ。聖職者ラブコメなら普通は悪魔と人間みたいな落差ある関係にして人間の禁欲をネタにすると思うんだけど、黒牧師は別に腹黒とかではない朴念仁で、彼に恋をしながら言い出せないもどかしい関係を描くラブコメになってるのが不思議と言えば不思議。まあでも作画の安定感はあって見てて悪くない感じ。特に三話、デフォルメも含めたコミカルさが楽しいし、青髪の人が別れるときに忠告の睨む目つきから別れ際の挨拶のような笑顔を差し挾む表情演出はとても良い。六話を見て、恩人と救われた者の一対一の関係は非対称な上下ができかねないので、善意が直接伝わらないからこその方法的鈍感によってそこをずらしていくことが試みられているようにも見った。善意が直接伝わらなくてもしかしそれゆえに他の人を通して波のように善意や感謝が広がっていく関係は良かった。鈍感さは関係を狭く閉じずに広げていくことに資するのかも知れない。牧歌的な雰囲気と作画の良いラブコメディで、特に面白いというわけではないけど絵も良いし良かったですね。しかし「人里離れたところで育った聖女」とか聖女関係に面白いセリフが多い。

政宗くんのリベンジR
六年ぶりの二期、原作ラストまでやって区切りよく終わったので良かった。色々複雑に絡んだ関係だから本当の気持ちを確かめるためには幾重にも絡んだものを一つずつ解きほぐさないといけないという。愛姫はリベンジの一因にもなった小学校時代のいじめっ子に対面させて政宗の強くなった努力を肯定し、身を引こうとする吉乃にバトンを渡そうとする。政宗との偽物の関係を清算する、となれば愛姫と吉乃の主従関係で生まれたものもまたそうなるという筋の通し方。変なことを吹き込んでって吉乃が言えることではないんだよな、一番の嘘の主だから。12話、来週もやると思わせるような日常進行で視聴者の勘違いを誘うような展開、付き合ってると勘違いして髪も切るフライング女王様、色々な勘違いを謝って、清算して、改めての告白が成就する挙句、舌入れたっぽいオチもまた勘違いだとしたら綺麗なオチだ。かなり間を開けての二期でこんがらがった関係を清算してあるべきところにたどり着いて、なかなか感慨深い。原作はここから後日談で一巻使ってて贅沢な終わり方したなと思った覚えがある。人を好きになったらきっと何かが残る、良いこと言うね。愛姫ショート似合うけどちょっとモブっぽくなるな。しかし寧子が健康法としてノーパンやってる人なの、二期から見るとわからないよな。

自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う
自販機に転生して移動と言語に制限があるなかで人に拾われ、ポイント消費で商品入替や防御したり間接的なコミュニケーションで硬貨をゲットし生き延びる道を探る、ちょっと面白い。スライム転生が序盤でもうその制限超えてったのとは違って、無機物転生で貫くやつはアニメ化初めてだろうか。転生前の主人公が利用したことのある自販機、的なものを縛りにしていてこのネタで幅広い展開やってるのは面白いし、メントスコーラで魔獣を撃退する序盤の展開からかなり無茶で笑った。女性を荒くれ者の性欲から守るためにエロ本自販機でってのはすごいな。目の前に目当てがいるのにエロ本抱えて自室に戻っていく盗賊で笑う。あえてバカバカしくしてるというか、柔らかくしてる。11話での子供のゾンビとの交流、コミカルホラー回からマジの悲話になって、こんな話もできるのかと。ゾンビと自販機、意思疎通が難しい二人のつかの間の交流が無惨にも消されてしまうし誰に文句を言うこともできない、ただ悲しいという話がこの回の印象をキュッと引き締めてる。自販機と出会った少女とのキスというラブコメめいた展開になる最後は笑う。意志があるのは分かっている自販機に恋するヒロイン、斬新だよ。主人公が自販機に転生してという一発ネタから、生活やダンジョン攻略の手助けをするなかで生活に根づいたものとしての多様な自動販売機の存在を示していて、そんなのもあるんだという面白さと無理くさくても自販機一本で突っ切るネタ力がありなかなか面白かった。二期決まったらしいのは驚き。

アンデッドガール・マーダーファルス
おとなりに銀河からおとなりに生首になった八代拓。不死で体を奪われ首だけになってる探偵と彼女に使えるメイドと、半人半鬼で鬼を殺す力を持つお調子者の三人組が主役のミステリ活劇。かぐや様の畠山守監督で、見せ方凝ってる一話からかなりアニメの出来が良いんだけれど、後半はミステリで数話かけてやると話があんまり覚えられなくていまいちピンとこないことになったりした。ホームズ、ルパン、オペラ座の怪人等々、皆様ご存知のメンツがロンドンに集まって『八〇日間世界一周』のフィリアス・フォッグのお宝を狙う、パスティーシュらしい盛り盛りの展開になってくるしここらへん伊藤計劃円城塔の『屍者の帝国』的で、オカルト冒険ミステリって感じが楽しくはある。

英雄教室
川口敬一郎監督の三本同時放送作のひとつ。昔ガンガンオンラインで漫画版読んでて途中でやめた覚えがあったんだけど、アニメで見ると案外に悪くなかった。シリアスとギャグの混在した作風で、魔王を倒した戦士が戦後に普通の学生生活を送る、下着や裸も出してラノベアニメをやるぜって感じが楽しくはある。スパイ教室と同じ監督なだけはあると思った。設定的には冰剣と似たところがあるんだけれど、こちらの主人公ブレイドは力はあるのに精神年齢はまるで思春期以前の子供という感じで、そこから友達作りをやっていく。三話、人間型になる木野日菜ドラゴン、種族特性によって自分を倒した相手でないと仲良くできないのに、友達百人作ると公言するブレイドよりも学校の人間に詳しいことで友達が作れない寂しさを描くのは良かったし、だからこそドラゴンを倒すためにブレイドが友達を頼る必要がある、と繋いで人間たちも頼り合う友達をやるのがかなり良い。10話、誕生日イベントがなぜジャングルサバイバルになるのか謎すぎる。そしてパロの連打でのコミカルなムチャクチャから、友達みんなが協力して作った世界で唯一の誕生日プレゼントで初めての誕生日祝いでの「おれ、今初めてこの世に生まれてきた気がするんだ」は今作らしい良さがある。クラスメイトにちゃんと顔や存在感があって、みんな友達というテーマ通りのアニメだった。

実は俺、最強でした?
貴族家に異世界転生したらチートレベルの魔力があるのに測定不能で捨てられて、拾われた家で育てられておりそこにはシャルロッテという妹がいて仲良くなるとともに妹に日本のアニメを見たらそれにはまって魔法少女大好きになってしまうという感じの話だけど、OPサザエさんでEDがエビフライ、何これ。EDの絵でアニメ作ろう。OPのギャグ感で方向性見えるけど、こういうノリの萌えアニメ感がありまあまあ楽しい。村瀬歩主人公異世界転生アニメ二つ目か。アニメ見るのにさらっと日本のネットに繋げてビビったぜ。ありなんだそれ。先生小清水亜美イリス、久野美咲ティア教授で学園篇も楽しげになってるところへ、種﨑敦美シャル率いる実家勢も学園へやってきてパーフェクト萌えアニメーションになろうというところで終わった。萌えアニメやってるときはだいぶ楽しい作品だった。OPのコミカルさ、EDのファンシーさ、何故かのエビフライ、ずっとこの路線で貫いて欲しい。

わたしの幸せな結婚
ガンオンで漫画版を読んでたけど、店頭で大きく展開されてたり映画やったりかなり人気作品らしいのに驚いた。キネマシトラス制作。いじめ抜かれた実家から嫁に出された先がじつは素敵な男性で、という不幸な家庭と結婚の幸福、シンデレラだな、と思ったら主題歌でシンデレラストーリーと歌い出すので笑ってしまった。線の細い危うい主人公美世が上田麗奈、姉をいじめ抜く妹の佐倉綾音、久堂家の使用人ゆり江が桑島法子という陣容は良い。久堂役は石川界人。しかし味噌汁飲むのに3カメで映すの笑った。初めて見たよ。一話では異能関係の話を伏せていたから二話でこれ能力バトルものなの?と驚いている人がいるのは面白かった。異能を「異能」って言うの絶妙な面白さがある。こんなベタなシンデレラ話そんなしっかりやるものでもなくない?みたいな感じとそこに異能バトルが出てくる感じ、異様にゴージャスな珍味感がある。普通に敵サイドとして「陛下」とか天皇ぽい人が出てくるのも面白くて、最終回で恋路を邪魔する余計者倒すみたいにミカドぶっ倒したの面白すぎる。そいつ天皇じゃないんか? ド派手なバトルがアニメパワーでかなり見応え出してくるし、作画は綺麗でリッチなアニメなんだけど、話はかなりこう、パワフルなジャンクさがあって、色々な意味で面白いアニメなことは間違いなかった。シンデレラストーリーと異能バトルを家系という点で結びつけるのは結構なアイデアかも知れない。原作見ると両親と会うミッションとかもあるようで、まだ全然結婚には先が長いみたいなんだよな。好きになれない自分を、好きになってくれた相手を通して肯定できるようになっていく、そんな恋愛ものに最近よく出くわしているしラブコメの王道って気もする。

レベル1だけどユニークスキルで最強です
MAHO FILMアニメその二、今期の柳瀬雄之監督作。過労で転移からの報われる人生を描くアニメ。この世界のすべてのものはダンジョンからドロップされるとかいうすさまじい設定があるけど、かなり力業というか。実質ゲーム世界転生みたいなものかな。空気もドロップするの、ドロップしないと窒息する世界なのでは。ゴキブリからキャベツがドロップしたり、ゴリラからマグロが採れたり、ゴミから出るはぐれ者がフランケンシュタインって、色々カオス。しかもモンスターから人がドロップするの怖すぎるしそれが幼い主人公で、ヒロイン特有の昔会ってたネタを異世界ものでこんな風にやるのがすごい。転移だから行き来できる可能性もあるのかな。アイキャッチで声優アドリブやるの監督作品の定番だけど、後半では監督にパンチとか言い出したり、「お当番回でもないのに何で私一人のタイトルコールがあるんですかね」、監督に文句言ってて笑う。これを見るために見てるなって感じがある。最終回、絵柄で原画誰なのかバッチリわかる。コンテ演出と総作監ではないけど監督の一人原画だった。アドリブ無茶振りアイキャッチで監督に振るのは笑った。監督顔のニンジン娘の体育座りカットの気の抜けた感が良い。一話の「人の頑張りは必ず報われる」「頑張ったけど報われなかった時間が、長ければ長いほど、大きく報われるです」「だから一番すごいのは生まれ変わって、次の人生で報われることなんですよ」のくだりの慰めとしての異世界もののあり方を描くところ、監督のコンセプトって感じ。福緒唯、声優デビューが聖戦ケルベロス?で異世界スマホで初のメインキャラでその後MAHO FILMでコンスタントに役をやってて、それでMAHO FILM作品で脚本担当だから異世界スマホの結んだ縁という感じだ。神達にしろユニークスキルにしろ、こういう疲れた人のための暖かいスープみたいなアニメを作り続けてる柳瀬雄之監督、まあまあ偉人じゃないかと思う。

るろうに剣心
何十年ぶりかのアニメ化、現在描かれている北海道篇へ繋がるところや番外篇の内容などを盛り込みつつ原作に忠実に作っているらしい二クールアニメ。当時リアタイで原作もアニメも見ていたと思うけど、京都篇の前の内容はかなり忘れていて、雷十太は全然記憶になくてこんなだったか、と色々面白くはある。今見ると、戊辰戦争後に逆刃刀を武器にしながら、甘っちょろい戯れ言の活人剣という平和主義的理想を支援する剣心、戦後民主主義フィクションって感じだ。12話のガトリング砲使いが、「レーッツガトリーング」、「ガトガトガトガトガトォー」、「様をつけんか無礼者め!」、こいつ一生楽しそうで面白すぎる。ガトガト口で言うのズルだろ。13話でも「地獄の果てまでトゥゲザーだ!」、「ガトオオオォォォー」、作り手がだいぶ楽しくなってるね。雷十太篇は結構良くて、剣術の未来を憂う石動雷十太、人も殺せぬくせに殺人剣を名乗っている小物といえる雷十太が、決して人殺しという一線を越えない奈落に落ちない人間の側にいるという描写は良い。17話、人殺しのできぬまま殺人剣への憧れで生きてきたこれまでの否定を経てしか再出発はできない嗚咽。「人を殺める、その一線を越えなかったことが救いなのだとあの男が気づけば良いのだが」と剣心が言い、地蔵が笑っているのが救いで祝福になっている。秘伝書だけから独学で秘剣を使いこなしてるのはかなりすごいし高い技術はあるから後は性根を改めれば、ってところか。由太郎にとっても本人にとっても強い雷十太というイメージを乗り越える話になっているのかも知れない。しかし剣心もまだ20代で過去の呪縛が襲いかかる話になってるの若い人たちの話というか、明治という時代の新しさの表現というか。

呪術廻戦 懐玉・玉折/渋谷事変
チェンソーマンで印象的な話数をやってた御所園翔太監督による二期、夏油の闇落ちを描く過去篇と、とんでもない事態が巻き起こる渋谷事変。まあとにかく作画が始終弾けていて、過去篇やらでの随所の演出も面白いしアニメーションの出来はすごいと思うんだけど、過去篇はともかく、渋谷事変でのとにかく残虐なことがずーっと続くのには飽きてしまったところがある。話があんまり見えないまま壮絶な作画のバトル、一般人の大量死、都市の破壊の過剰刺激って感じで、このところの陰惨虐殺展開に食傷気味になってた所に漫画みたいな東堂が出てきて空気変えてくれるのはかなり良かった。入れ替え技のトリッキーさ、勇気づける台詞回し、マジで強くて変なので見てて笑ってしまう。ただ、術式が凝ってくるとなんかよく分かんないルールとなんかよく分かんないルールがよく分からない感じでぶつかり合って勝った方が強い方って感じがある。アニメーションはすごいとはいえこれは何が面白いんだろうかと思いながら見てるところがある。釘崎過去篇は良かったけど、これからどうなる釘崎。話数で言えば37話は良かった。歩行者標識と走る虎杖を重ねる面白い演出から始まって、記号と虎杖を逆接しながら移動を描き、接敵してからの遠距離戦をFPSゲーム的視点で描き、狭小空間での戦闘を赤と青で立ち位置を示しつつの緊迫の近距離戦、どこもキレてて圧巻だった。壁の看板が説明になってるのも面白い。呪術廻戦自体がゲーム的戦略、パラメータを意識したところがあるけど、映像的にもゲーム要素を取り入れて作ってる。そして急に赤血球の水耐性のなさが解説されるの少年漫画の味すぎる。41話も凄いけど面白いというより過剰で疲れる回だった。

ショートアニメ

夫婦交歓~戻れない夜~
僧侶枠初のスワッピングもの。ロミオとジュリエットみたいな勘違い展開でなし崩しにスワップに行きそうになるの、勘違いだと思ってたらしっかりやってたので二話から驚いた。恋愛もので徐々に盛り上げていくのとは違うから初手でやることやっていくその後の関係を描くために最初の二話できっちり不倫関係やってきたわけだ。壁を隔てた二つの風呂で二つの不倫が同時進行は笑ってしまう。記紀神話の黄泉でイザナギが腐敗した姿になった話を不倫に重ねるダイナミックな表現は笑った。黄泉で腐敗していても、を不倫という罪を犯してもと読み換える、自己劇化がすごい。この神話的不倫は面白かった。旅行を一時の非日常として消化しようとしてて、隠し事をしないでやりとりできてて元に戻った風だけど、明日歌は礼司に未練がありそうな。双方暗黙の合意の火遊び、なかなか僧侶枠の新機軸だった。原作タイトルは「夫婦交姦」なのがすごいしサブタイトルももっともすごい。不倫の象徴として結婚指輪が執拗に映されるアニメで、指輪がこれだけ注目されるアニメ、夫婦交歓か水星の魔女かという感じだ。

女体化した僕を騎士様達がねらってます 2nd
女体化BL漫画読み上げアニメーション、一期に続いての二期で完結、なかなか良かった。ヴィセルの、胸は「醜い脂肪の塊」だし「少年が男になる最初の一雫をいただくのに至高の悦びを感じているのだよ」、すげえセリフがでてきた。政府に身柄を保証された少年愛で殴られると喜ぶ「厄介な変態」、すごすぎる。成年向けじゃないと出しちゃいけないキャラだよ。元々エロ漫画だけど。でも鬼畜眼鏡に妙な属性がついてきて急にコミカルにもなってきた。変態を一人用意すれば都合の良い魔法の原因も責任も作れる、なかなかの手だ。そんな彼の一番の急所を的確に突くアルトが格好いい九話は良かったな。最後、女体化の呪いが解けてもアルト自身が受け入れているから、性欲がわくと女体化するという特性も残り、リューンとロイドも両方選ぶ、何も捨てずに全部持って行くぜって感じの欲張りエンド、さすがだ。

百姓貴族
荒川弘のエッセイ漫画原作ショートアニメでまあまあ面白いけど、12話、北海道の延長に火星開拓があるの、道民としての開拓者精神を描こうとする回でちょっと微妙な感じ。火星人という先住民とのやりとりで「逆らわんとこ」と言わせるのは微妙なニュアンス出ちゃうけど、むしろどんなものでも食べる貪欲さが火星人を上回るという不思議な描写が日本人の自画像なんだな、と。火星を舞台にすることで植民地主義ナショナリズムのニュアンスが色濃く出るっていうのはある。それはそれとしてまあ面白く見た。

どうかと思ったもの
幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-

ラブライブサンシャインのスピンオフみたいな漫画原作のアニメみたいだけど、原作とも違う話っぽいしオリジナルアニメみたいなもの。都会に憧れて夢破れたヨハネがヌマヅに戻ってきて、という話とは言えるんだけれど、都会を目指していたヨハネの憧れは本心じゃないオチでなんとも。意地を張ってたけど素直に地元でみんなと楽しくやる選択をするのが成長というたいへん渋いアニメだった。現実の沼津においてサンシャインの面々が既に溶け込んだ存在になっている今の状況から出発してその状況を正当化するために作られたみたいな話だと思った。彼女たちの歌によってヌマヅが救われたというのは始まる前からの前提でその帰結に至る話。ラブライブサンシャインってこんな地元最高、歌最高というプロモーションのための話みたいな自堕落な作品じゃなかったと思う。ライザのアトリエも都会・外への夢にはやる前に自分の故郷のことを省みてみることも必要、という同じ話だと言えるんだけど、ヨハネの描き方はまあ嫌なものがある。作中、ヨハネが仕事をしているところに無理やり店番を頼む女性の異様さ無神経さが気になるんだけど、意に添わずとも店番をやってみたら人との交流も含めて楽しくなってきて、というのが本作の展開そのものなのでそこに気を使うことはない。全体にそういうトーン。

夢見る男子は現実主義者

ある同級生女子に入れあげていつもつきまとっていた主人公がある時ふと正気に返ってつきまといをやめて、というところから始まるラノベ原作アニメ。OP、EDはかなり良かったんだけど、後半持ち直したものの序盤の印象の悪さは拭えず、全体的にはちょっと、という感じ。きらら漫画とか描いてた人がこれのコミカライズ始めて読んでたんだけど合わねえなと思ってやめたことがある。合わない、というかいろいろこねくり回しているけど意味がよくわからないの、幼馴染が負けないラブコメと似た味がする。後半のまともになったあたりの展開はアニメオリジナルらしく、良い感じの落としどころに持って行っていたとは思う。ただ、主軸が偶然助けた相手にストーキングされてしまうという女性の出くわす災難をストーカーの都合の良い妄想で塗り替えてるものすごいおぞましい作品にも見えてしまう。事情があるしつきあえないと言われてこうも執拗につきまとうとは……。その気持ち悪いストーカーぶりを一話の正気に戻った切り替えで過去にして今は有能みたいにしつつ、その過去はヒロイン夏川が恩義に感じたりつきまとわれなくて淋しくなってるみたいに好都合に利用してて、ストーカーの責任も負わない。ストーカーにつきまとわれたから回りに人が増えた、というので恩義感じるのもなんか、ヤバイ主人公に甘すぎるだろってなる。相手が中三で年下と知って即タメ口になる主人公すげえな。ある意味で新鮮な驚きがある、この作品。

AIの遺電子

佐藤雄三マッドハウスとDr.MOVIE、ハコヅメと同様の座組の、ヒューマノイドが住民の一割ほどに実用化された近未来、人格コピーが犯罪になったなかでの闇医者オムニバスSF。ぼさぼさツインテール看護婦ヒューマノイド宮本侑芽とか、AI、ヒューマノイドが一般化した社会での物語を前後半で別の話で組み合わせる一話完結型の構成とか、ハコヅメと同様のスタッフによるアニメ作りの感じも悪くはないんだけど、未来社会のわりに問題意識が旧弊なところがあり、そのジレンマで話を作る保守的な感覚はどうにも肯えない。五話の性格を治療すると音楽の才能がなくなるユウタの事例はオリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』のトゥレット症のレイのエピソードそっくりで、しかも話が後退しているのが気になった。本でレイはチックという衝動的な動きを起こす症状をドラムの才能に生かしていたけれどそれを抑える薬を飲むとドラムの才能が消えてしまうので、普段は薬を飲み音楽の時は服用をやめるという生活をしているというものだったのがAIの遺電子ではそれが二者択一のものとして提示されてしてまっている。同様の二者択一でドラマを作る事例としては七話、DV老人が事故で以前の乱暴さが消え、幼児のような性格になってしまったのを人権団体の横やりで適切な治療をしたら治療を嫌がっていた家族が再びDVに悩まされる、というのもそうだ。治療をしないのは当然人権侵害だし、家族の意志で治療が妨げられるならそれは安楽死の強要にも繋がる問題だし、ここで疑われるべきは家族だけが介護をしなければならないという暗黙の前提なのにそれを一切疑っていないのがSFとして提示され、人権団体の人間が悪役にされるというひどく歪な認識の話になっている。これらの話や表現の自由ネタなど、ネットに媚びてんのか?という回が気になった。親が悪いという描き方にあまり自覚的でない感じもする。SF設定によって新しい解決をするのではなく、作者の恣意的な選択肢の限定によって旧来的なジレンマに回帰するドラマ作りは欺瞞的で、それなりに見てて楽しい回もあるんだけど、回によってはこの弊害が目立つところがSFとしてどうかと思う。

無職転生Ⅱ ~異世界行ったら本気だす~

二期はシルフィ篇、エリスに去られて不能になってしまったルーデウスがシルフィと再会して色々あって回復を果たすというのが大まかな主軸でパンツに祈ってED治しに学校へ、ほんとアレ。これはまあちょっとどうかと思うけどいいとして、その過程で完全に性犯罪者としか言いようがない行動に走るのがどん引きだった。五話で学園に色々集まってきてて面白いじゃん、と思ったところでゴリラみたいな女子その他に強引に濡れ衣着せられる展開で、こんなんやるからミソジニーだって言われるんだろって感じでえらいテンション下がってしまった。ここでは冤罪だけどじっさいにロキシーのパンツを盗んでご神体扱いしているわけで下着泥棒というのは真実を突いてもいて、前世含めてそれがここではルーデウスの如才ない対応ができない原因でもあるんだろうけど、被害者意識を煽る前に実際加害者だろ、という感じがしちゃってウワってなる。六話のこの世界に組み込まれた奴隷制度を壊すこともできず否定することもせず、自らの都合によって利用はしながら一人の人間として尊重する態度を貫くことで対応する距離感はなかなか緊張感があって、これ自体ではそこまで悪くないとは思ってたんだけれど、この後の話があるとまた別の感想になる。その一番ヤバイのが七話で、獣族令嬢監禁事件というサブタイでそれをやるのが主人公だとは普通思わないよ。面白ギャグ回の調子で女子二人を拘束して小便垂れ流しにさせる拷問してるのどうかしてるんじゃないのか。しかも胸揉んだり着替えさせたりでED治ってないかに利用しててヤバい。これをギャグにできると思ってるの正気か?って感じ。まー奴隷に抵抗がないのはそりゃそうだよな、力でねじ伏せて監禁して自分をボスだと屈服させるんだから。完全にそういうやつじゃん、悪役にいるタイプの。女性差別の一例として女性像に聖女と娼婦しかいない、というのはよく言われるけど、まんまそれなぞってる感じ。転生でやり直すというなかに子供のていで下着を覗くゲスさや性犯罪者みたいな思考を直すということは入ってないんだ。一期も二期もヒロインとやって終わるという性欲一本槍の話でビビるな。一期エリスに去られて発症したエレクタイル・ディスファンクションの治癒で締められる二期、エリスの真意に考えを及ばすことなく別人と性交成功でめでたし、というのもアレだけどそれはまあ先の話か。不能なことがルーデウスの卑屈さの原因になるし、グレイラット家が家系という括りで大きな胸にこだわりがあるとか、家族というテーマが性欲と密接に繋がっているっぽいのが性欲由来の世界観って感じだし、それがルーデウスのセクハラ体質の反映でもある感じで、かなり全体的にはアレ。しかし「どうぞお召し上がり下さい」はちょっと気持ち悪すぎるのでは。シルフィもかなり性欲強いのは描写されてるけど、性欲が強いと獣族監禁に協力するようになるってことなのか? 無職転生、面白くなっても性犯罪者がのうのうと主人公面をしているアニメという評価はこれからも私のなかでは残るだろうな。

このクールは週に42本見てて、ここに挙げたのはショート含めて27作。ゾン100はすごい作画が良いけど、出オチも良いところでなにが面白いのかあまりよく分からなかった。DIY!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-の実写ドラマも見た。全八話に圧縮していたけど、ドラマのオリジナル回とかあって結構良かった。

秋クール(10-12月)

でこぼこ魔女の親子事情

コミックメテオの原作漫画をよく読んでいたので冰剣のたかたまさひろ監督でアニメ化と聞いておおと思ったらとても良いアニメになっていて素晴らしい。監督らしいアニメの枠を活用するED内予告とか、ギャグも真面目も両方やれる原作の良さもある。エルフの親と人間の拾い子で見た目は年齢が逆に見えるでこぼこ親子を描くギャグアニメ、アリッサ古賀葵ヴィオラ水樹奈々、声まで逆っぽい。古印体で喋るフェニックスの声誰かと思えば一時期ドラゴンで定評あった土師孝也、なるほどだ。ドタバタギャグで飛ばしつつ良い話のクールダウンを挾んでノリを調整するのが上手いよなと思う。どっちも滑らないバランス。フェニックスのシンプルすぎる顔が画面一杯に映ってるの、漫画ではできない映像の暴力って感じで良い。六話、OPカットしてやる話が尻の話って、と思わせてから、恋人のルックスや妖精が見えないという見た目の話に、子供の結婚・自立を見送る立場や異種族の寿命差というアリッサたちにもかかわる本筋の話を尻の形の妖精というギャグでやっていく語り口がすごい。人の手が入ってない自然から生まれる妖精が、庭園から生まれるほど手入れされていたという感動的な流れで、「父親のフェチが反映された妖精がいます」という知りたくないギャグを入れてくるの笑う。ヒップさんとケッツさん、ケツ肉の争い。子供を見送ることを考えつつ時間は限られていると思うアリッサと、時間はまだたくさんあると言うビオラの対比も良い。子供には未来と希望がある。九話、アリッサの父が孫娘と対面したことと、幼児っぽさのある毒コアラが出てきたのは対応してるんだと気づいた。夫婦ではなく姉弟で子育てしてるし異種族の拾い子だし、召喚獣もまとめてファミリー!ってやるのがシンプルに強い。11話のアリッサの父のアウリがちゃんとモテるキャラで男性陣に恋愛講座をしてるのも面白い。顔が良いのもあるとして、こういうプレイボーイなキャラが陥りがちなミソジニーを回避する設定として昔姉に性転換の魔法をかけられて女だからと舐められまくった体験があることで、相手のことを考えることが出来るというのを作ってるのは今作らしい説得力。一般に腕力がある男性の下手なアピールは女性にとって恐怖でしかないという話に、個人差と種族差もあるからとギャグを挾みつつやってて、説教臭くなりそうな真面目な話を突拍子もないネタやなんやらでうまくやってる。最終話、アリッサの父アウリの思い出が語られて母もまた父の子供だったと知ること、母親から血の繋がらない子育てをすることの心構えを教えられること、親子のさらなる親子の関係を描きながら、不死鳥フェニックスからすれば人間はみな赤子のような存在オチ、良い。「血縁は必ずしも愛に直結しない」けど、子育てをするなら「命に責任を持つこと、人生を祝福してあげること」を伝える真面目さ。「私たちからすれば今もまだ子供」、大きくても子供、小さくても親、そんなでこぼこ親子を描いて締め、真面目で笑いもあって、締め方もまた良い。名作だった。寿命差のある親子二人にさらに永遠のフェニックスをからめているのはすごい。人生を祝福することが主題だから、寿命差関係を死に別れの哀しみで演出することを抑えているのかも知れない。ペットポジションが絶対死なない存在なのもそんな感じがある。子供の話をするのに死ぬ時の話をするか?という。たかた監督が最終話脚本演出コンテ。今まで次回予告だった時間をカーテンコールがわりにキャラ総出演の後日談にする演出はとても良い。そしてその後にこれまでの全スタッフをクレジットするエンドロールが出てくる演出は珍しい。原作も読んでただけにとてもよくアニメ化されてて良かった。EDで「私だけのキュートモンスター」ってフレーズがあって赤ちゃんのことを指してるわけだけど、あ、だからわけのわからん謎生物がやたらに出てくるのか、と今更気づいた。謎生物をビオラが召喚しているのはそういう。そうなのかな。どうだろう。

星屑テレパス

人と話すのが苦手で宇宙にしか居場所がないと思い込んでる内気な少女小ノ星海果のもとに自称宇宙人明内ユウが現われて、というところから宇宙人を宇宙に帰すためにロケットを作ろうとしてモデルロケット同好会を立ち上げるきらら四コマ漫画原作アニメ。ユウとおでこをあわせるとテレパスで心が通じ合うことを取っ掛かりにした言葉とコミュニケーションのお話。かおり監督酒井孝裕キャラデザスタジオ五組きんモザゆゆ式吸血鬼さんを思い出す組み合わせ。原作漫画は最近の読んだことのあるきらら漫画では突出して表現力のある作品で、さすがに四コマの技巧がアニメに移せるわけもないけどアニメもまた非常に見応えあるもので良かった。やはり声が付くとセリフの重みが違ってくる。コミカルな演出も良い。漂流した宇宙人に宇宙船を作って空にというと放課後のプレアデスもそんな話だったので顧問の先生が高森奈津美で驚いた。内気な子と宇宙人とでロケットを作ろうという展開、普通なら本当に宇宙人なのかという謎を中心に置くところだけれど、テレパスもあってか登場人物たちはそこを疑ったりはほとんどない。そして二話、海果の内向的逃避的な願望に対して、社交性が人類と宇宙人の共存平和こそ理想という思想にまで直結してるロマンチスト宝木遥乃が現われて、同じ宇宙を目指すにも別の視点が突きつけられる。ペットボトルロケットという小さなことが海果自身にとっては大きな達成になっているという心情面の流れは良いんだけど、同時に本当に宇宙人で宇宙へ行くのにペットボトルロケットから?という奇妙な地に足のついてない感がこのあたりはある。だから雷門瞬という厳しい現実を突きつけるキャラが登場する。三話、海果に自分のことは自分で話せと正面から課題を突きつける瞬。「言葉」が始終重要な意味を持っており、「海果の言葉が灯りになれば」と言うとおり内気なようで海果の言葉が全員の指針となるような終盤の場面に繋がっていく。ユウが急に布団の上にテレポートして親密な話をするシーンがカーテンと布団がピンクだし二人とも赤いし、異様なエロスをもっているのがこう、すごい。エロスの前振りとしてのテレポート、なかなかの場面。九話、ユウを宇宙に返すという目的とモデルロケットの繋がりという見ててふわっとしてないかと見ていて感じたところを、誰も海果を笑わなかったし「君の夢を信じたから君をリーダーに選んだんだ」と切り返すのは見る側にも向けられる。そして海果がこの星に居場所を見つけても、だからこそユウを居場所に返すという目標はより強くなる。上を見ているだけではどこにも行けない、確かな足場を固めてそこを飛び出せ、というすごい青春でまっとうなメッセージ。10話、力がある話になってて良い。大会できっちりと負けたからこそ出来る話で、負けても最高高度を記録したことは同級生には見上げるような偉業に見えること、「ダメな自分からしか私は前に進めない」と失敗スピーチの映像を見返す強い海果も遥乃の撮影があってこそで、自分一人ではできないわけだ。最終回、「ちゃんと人とお話しできるようになりたい」、海果の行動の根源は違う星に友達を求めてということだったから、ロケット同好会をやりながらこの星でも人と話をすることを目標に掲げるのは元々の目標が拡張していて、宇宙という夢も否定しないし地球も否定しない。海果の夢がここでしっかりと地に足をつけた目標として再定義されていて、その一環として同級生木梨さんと話ができるようになった小事が大きな前進として描かれている。みんなで宇宙に行く、という遠大な目標をしっかりと照らすように灯台が光る。再戦の瞬、「コミュ力」の海果、帰還のユウ、未定の遥乃、その場としての同好会。灯台という行き先を照らすところにみんな集まって居場所になりつつ、それぞれの目標は必ずしも同じでなくていい、というのはむしろ居場所の条件でもある。しかし寝取られパシー妄想からの、熱に浮かされた海果のテレパシーは「私とだけして」は殺し文句過ぎる。完全にキスされたみたいな反応してるユウ、友達の話が進んだから、恋愛感情というまた未知のエリアが開放された感じだ。瞬が言う「あいつはずっと強いだろー」はその強さで何度もガレージから引き出された当人だし、その差し伸べられた手は今回はユウにも向けられているわけだ。失敗を乗り越えて前に進もうとするリーダーになりたいという、へこたれつつも圧倒的な芯の強さはこみっくがーるずのかおす先生を思い出す。原作を読むと、少女漫画的な海果のモノローグが中心にありながらその内省がテレパスとしてダイアローグに転じるダイナミクスがあって、それは孤独感が宇宙へのロケットに繋がることの似姿でもあって、同様に海果の内省を構図やコマ割りで俯瞰的に捉える相対化した目線があり、と感じられるのが面白い。

アンデッドアンラック

死にたいアンデッドのアンディと、好意を持つ人に触れると相手に不幸をもたらすアンラックの能力を持つ風子の二人が出会って、この否定の能力をめぐる世界の謎と関わっていく少年ジャンプ連載の漫画原作アニメ。服ビリビリでほぼ全裸なアンディの少年漫画らしさと、恋愛漫画に憧れる風子の少女漫画らしさがミックスされたような感触があり、異様なスピードで話が進んでいく展開力がすごくて、最近のジャンプアニメでもとりわけ良いと感じるアニメだ。david production制作でOPにシャフト感があるなと思ってたら監督の八瀬祐樹はシャフトで何作か監督してる人ではある。接触面積と不運の規模で好感度が割り出されてしまう羞恥プレイ、そして本当に愛し合った時に相手が死ぬかも知れない不可能恋愛のロマンス。能力はあっても現代世界だと思っていたら、星がない世界でここはいったいどういうことになっているんだとわかるのは面白い。月が複数あるのはファンタジー異世界を表現するのに定番だけど、この仕掛けは意外性がある。このアニメで特別ぐっと来たのが四話、アンチェンジ・不変のジーナとの回だった。三話で変わるものがアンラックで変わらないものがアンデッドという感じで、数百年生きていて死にたいアンディは変わらないものを変えたい人というのが見えてきたところで、自分は不変にできないジーナの年老いていく自分をアンディに見せたくないという話になっていく。ジーナはアンディと違って老いていく自分を見せたくなくて化粧を自分に能力で固定して若作りをしていて、そんなジーナの「変わる私は好きですか?」に「皺の数でお前の魅力は変わらない」と答えるアンディ。自分が変わらないアンデッドと自分は不変にできないアンチェンジの悲恋の結末は泣ける。体は老いてもジーナの愛は不変だったわけだ。変わってしまう自分を会った頃と変わらないようにし続ける努力、老いた自分を見られたくないというジーナが相手に抱きしめられて死ぬのは多数を殺してきたにしては報われすぎだろうという気もしないではないけど、寿命差恋愛の一つの結末をやった感じでかなり良かった。変化・老いを隠すために服や化粧で自分を覆ったジーナに対して、アンディは何も隠さない全裸で向い合ってて、何も否定せずすべてを受けとめる。少女の感情を紳士的に受けとめるアンディは全裸の王子様なのかも知れない。ジーナはずっと追いかけていたいと言うし、アンディも魅力は皺が増えても変わらないと言って、サブタイの「好きですか?」には答えてない、っていう距離があるままっていうのがまた悲しいな。若い時の声から若作りの声、若作りをやめた老いた声まで演じ分ける悠木碧あってこそという回でもあった。コンテ演出戸澤俊太郎か。良い回をやる人だ。六話以降のゾンビ篇でもアンディは子供たちを守ってゾンビになった女性の結婚式を挙げたいという夢を叶えるために教会で式を挙げたりしていて、「夢があれば腐ったりなんかしないから」という花嫁がその夢を叶えて体は腐っても心は腐らないとしていく展開も良い。円卓で提示される任務がありそれに失敗するとペナルティがあり、「性別、言語、人種、死、病気」がそうして世界に追加されたものって、なんかすごいこと言い出してびっくりする。その過程で10話で「銀河」が追加された瞬間、地球以外の星があることになったので異星人が攻めてくる今になったっていう持って行き方もすごかった。瞬殺して円卓メンバーの能力を見せるためのものだけど、それにしてもなかなかのセンスしてる。アンディ中村悠一はやはり良いし、風子の佳原萌枝は処刑少女のアカリで、この汚れた声のコミカルな演技も良い。OPの女王蜂もいいし、EDがジーナ回のあとでは聞こえ方が変わる。

ミギとダリ

オリゴン村という日本なのか海外なのか謎の村を舞台にわざとらしいくらい海外ドラマのパロディみたいな両親のもとに双子を一人と偽って養親に引き取られるサスペンスギャグ漫画原作。ギークトイズでまんきゅう監督。坂本ですが?でアニメ化もされた原作者の新作で、美形の少年秘鳥というひとりの人間としてこの村にやってきて、双子で一人を演じながらのシュールギャグを展開しながら、二人はこの村に実の母を殺した犯人がいるはずだ、とこの村で起こったことの真相を確かめようとするサスペンスミステリとして話を牽引していく。これらが渾然一体となったサスペンスとミステリとギャグの波状攻撃がすごい。二人で一人となってこの村に帰ってきた双子が謎を追うなかである家族が血の繋がりがないことを知り、本当の家族とは何かのテーマを伏在させながら、血縁に限られない家族の形を描いていく終盤の展開は力強い。サスペンスミステリなのであまり展開を書くことはしないけれども、最終回はパーフェクトな出来というべきで、ワンクールで完結するアニメとして非常に傑出した作品になったと言える。事件の過程で傷を負って「お前の影として生きるよ」と隠れようとしたダリに対して食いしん坊と理知的な二人がいることに気づいた養親。一人ではないことに気づかれることで二人がお互いに違いを認め、それぞれの道を歩む未来への道が描かれ、みっちゃんも見守っている。「やっぱり僕らは違うみたい」でも変わらないものが「僕の幸せがダリの幸せであるように、ダリの幸せがぼくの幸せだ」、それが二人離れても繋がっている根本のところだと。瑛二が帰還して、血縁的には違っても本当の親は育ての親と認めるのはミギとダリの境遇ともリンクする。「無様で幸せな人生でした」という瑛二の述懐。製作委員会の名前がビーバーズなのはビーバーを踏まえてのBe Birdsでビーバーズなんだけれど、ラストで飛んでいく二話の鳥に象徴されるように、それぞれふたりが秘鳥・ひとりになるという自立の意味があるんだろう。原作者佐野菜見が放送直前にガンで急逝してしまったのが惜しまれる。

MFゴースト

頭文字Dで一世を風靡した作者の後継作として描かれた公道レース漫画原作のアニメ。私は頭文字Dはまったく知らないで見ていたけれど、それでも抜群の面白さだった。近未来、世界中で人気のモータースポーツとして日本各地を舞台にするMFGがあり、これにイギリスからカナタという少年が参戦してくる、という話で、この少年がMFGに非力な日本のトヨタ86GTという車で予選に挑むというのがとっかかり。レースは面白いけど同時にジェンダー関連の価値観がものすごくて、レースクイーンはエグい衣装でセクハラされ要員みたいな感じで出てくるし、その女性たちからのキスを目当てにストーカーまがいのことをしているレーサーもいたりするのが相当アレ。車と男たち、そのサービス要因としての女たちという構図をいっさい現代的にしてみようというつもりがなくてすさまじい。ヤジキタ兄妹も妹が兄とのセットって感じだし独立した女性がゼロという。それでもレースが始まると俄然面白くなってくる。一時代を築いたのは伊達じゃない。二話でもカナタがレースを走っているだけで色々な情報がざざっとちりばめられて、公道に車も人もいないのは何故かと思えば富士山の爆発と火山性ガスに覆われているというSF設定が出てくるのも驚いたし、霧のなかのゴーストタウンを突っ切るシチュエーションにキレがある。路面を完全に頭に入れているから前方視野がまるでない恐ろしい状況でも走りに遜色がないという。自分の語彙ではパフォーマンスに追いついていけない、という実況者をも振り切る台詞回しも良い煽りだ。今作は主人公こそが最大の謎で、その走りにつきあっていくうちに次第に出自、能力が少しずつ明かされていくようになっていて、それが実況解説を通して視聴者もまた観衆の一人になるようになっている。その走りこそその人そのもの、走りを見れば人が分かるという思想が作品になってる。カナタのメカニックの緒方さんという人が畠中祐でいわゆる女房役って感じなんだけど大変人の良いおじさんで実質メインヒロイン。佐倉綾音のヒロイン恋はこれに追いつけるのかというヒロインレースも見どころ。この恋に一方的に思い入れている相葉という人もあれだけど、17歳ハンターというやばいやつが後半出てくるのでこれがまたすごいんだ。作中最強の男に唯一迫れる天才がそれらしくて、狭いストライクゾーンを狙うからってこと? 17歳ってことは未成年でかつ車の運転ができないことに作品上の意味があるんだろうか。それはともかくワンクールでの区切りすら特に考えてない泰然とした分割二クールぶりで笑う。制作のFelixFilmはネコぱらとか阿波連さんだというイメージだけど元々CG制作のほうが主の会社で頭文字Dの劇場版も監督している今作の監督中智仁が設立した会社でこれこそがメインなんだなと気がついた。

川越ボーイズ・シング

圧倒的ダークホースと言えばこれ。evgという知らない会社制作で松本淳監督作は見るのは初めてだ。川越のある学校にやってきた元オーケストラの指揮者響春男は楽団を追い出されており、復帰のために学園長から男声合唱部を作り、クワイアの大会で優勝する条件を課され、その傍若無人な強引さで生徒たちの勧誘に乗り出す。このやべー指揮者がグングン話を進めていって、元聖歌隊で人前が苦手になりダンボールにこもってた出井にもそれは音楽への冒涜だと叱咤して引っ張り出す一話の展開の早さはなかなかだ。二話でも人の話を聞かない春男が必要なことだけを喋りながら、筋肉質な乙女チック男子とITくんが本当の自分を開示することに繋がってクワイア部への入部を果たすまでの話が騒がしいギャグを含めてものすごい腕力で無理やりまとめたみたいな視聴感。木村昴の歌うアンダルシアに憧れて、が聴ける三話でも、女顔を隠そうとKISSかなにかみたいに白塗り化粧をする足立がフェイスペイントを許されるために入部する展開で、先生が音楽以外興味がないから肌の色もフェイスペイントも動機も頓着しないことで保証される個性、多様性がある。色々な音が必要だからむしろ違う人が求められるわけで、いまはまだ歌声もバラバラだけど、それぞれ違う個性によって生まれる一つの歌、になる。春男が身勝手にものごとを進めていくので逆に生徒たちが仲良くなってしまう爽やかさがあり、これもまたバラバラなものを繋げる指揮者としての資質ではある。今作一番の見どころは八話から九話への展開だろう。大概カオスな展開が多い今作でも特に八話は何一つまともなことが起こらない回ですごすぎる。トンチキ回を展開するのに拳銃立てこもり犯がリアリティに見合ってなくてムチャクチャで一度も撃たないしモデルガンなのはそうだろうとは思ったけど、そこで部員が合唱を披露しだしたり、銃がその場にある展開じゃなさすぎて凄まじい。銃で脅迫してる相手にカメラ向けたり歌い出したり配信しだしたり脱ぎ出したり無視したりお茶入れたりしてる剛勇の連中はなんなんだ。ここで出てきたわけのわからん配信者のおじさんが誰かと思ったら部員のITくんの父親だと判明する九話はあのカオス回の影響でITくんが転校して離脱するというシリアス回で温度差に圧倒されてしまった。配信者が自宅特定されての夜逃げ、これまで何度もしてきたようなダメ親父だけど、ついていくしかないと決めた彼と彼の作った歌で見送るみんな、圧巻の回だった。ギャグやカオスで振り回すこのアニメが所々コミカルさを挾みつつも徹底してシリアスに振って、見るものを振り回していく。今までと画面のキレが歴然と違う。コンテ演出作監で一人原画、武内宣之。シャフト系の人。カオスギャグ回の後始末を徹底してシリアスな展開で受けとめるこの二話の繋ぎは本当にインパクトがある。その離脱を受けとめる10話では音痴の響先生の足りないところを埋めるためにみんなが自然と前に立って玉置浩二の田園を合唱するところは良すぎた。「僕がいるんだ みんないるんだ 愛はここにある 君はどこへも行けない」の歌詞がフィットしまくってる。11話での大会の部員たちの失策についても、春男が一人の有能さに頼るわけではない全員で分かち合うクワイアを説くのが良い。音楽以外のことに気を取られて音楽がおろそかになってしまう状況で、他のことは全部適当で音楽のことだけには真摯な春男先生がいることの意味がある。放送と落として最終話が放送配信未定となっている。四巻のブルーレイパッケージの販売が中止になり、予約者に全話収録のディスクを送るということになったのも珍しい事態で、あまり人気がでなかったみたいだけれど、面白いアニメですよ。●追記 年明けに放送された最終話。「歌ってのはね、誰かに評価されるために歌うんじゃない。回りを気にせず自分を表現するために歌うんだ」、ここにダンボールを被っていた出井のトラウマが再び描かれる意味があった。ダンボールを自ら脱いで観衆との対話を自ら訴えた出井くんは春男の意志を継いで春男が間違ったことを言っている、と言えるまでになってるのが良い。教えたことが伝わっていることと自立していること。「僕は自分自身を信じる」、だ。ITくんは現場に来たけどあくまで部外者として応援するに留まるけど、リズムを取ったり歌ったりで、離れていても音楽は続くことを描いてからの春男の進退問題を結論づけずにふわっと締めるのはなかなか余韻がある終わりだった。春男がオーケストラを追い出されたというのは皆に説いたように評価されるために演奏するんじゃないというスタンスゆえのものだったならオーケストラに戻りたいというのは本心か疑わしい。ITくんの鼻歌のようにどこででも音楽はできる、そのためにこそこの高校で音楽の素晴らしさを伝えることをしていたのかも知れない。

僕らの雨いろプロトコル

昨年黒井津さんを作っていたQuad制作、山本靖貴総監督と構成、高山カツヒコ構成、平山寛菜キャラデザ、キャラ原案は青ブタシリーズの人のeSports題材のオリジナルアニメ。川越アニメでもある。eSportsアニメなんだけれども、それを作るに当たってゲームの技術的側面を具体的に描くことは捨てて、それを阻害する経済的・心理的問題というドラマにできる要素にフォーカスしてる。だからこのアニメで一番描けてないのがゲーム場面なんだけど、主人公瞬をめぐるラブコメ展開と、事故で足が不自由になって兄に依存しているブラコン妹とのやたらと濃密な共依存ドラマに今作の魅力がある。幼馴染の姉か親代わりのように対応する望、実は昔から瞬のゲーム仲間で今はタレントとして売り出し中の悠宇というダブルヒロインを脇に置いて、美桜との話が主軸になってしまって、ラブコメ要素もあまり展開し切れてないのは二クール想定で設定を作っていたのかと思わせるもったいなさもある。事故のこともありゲームから引退していた瞬が、望のゲームショップの借金を返すために賞金目当てにゲームに復帰してという話で、中盤ライバルの睦生がすべてを捨ててゲームをやれと迫ってくる展開に対して、七話の何も捨てない瞬だからこそ心配して集まってきた友人たちを母が目の当たりにして認める展開はぐっときた。そしてどんどん美桜の感情が重くなっていく後半、事故が起こるまで冷たくされていた美桜は足を理由に瞬を繋ぎ止め、瞬は罪滅ぼしとして美桜の世話を焼き、またゲームをする理由に美桜のリハビリ資金を利用してて、「私なんかどうでもいいくせに」に反論できない。階段から落ちて雨のなかにいた美桜と一緒に着衣シャワーの絵面は、お互いに罪悪感を抱えている者同士の依存関係の泥沼の安らぎという感じだった。しかしこれ、瞬と美桜が一番ゲームしてるんじゃないかと思った。最終回でむりくりの選択肢で共依存を断ち切ることを迫った瞬に対して、自力で立つ自立を果たしてエールを送りつつ勝ってもリハビリ入院での離別する余地を消す手を打ってくる美桜、本物だよ。そうして妹が自立することで瞬自身の未来視能力?が生きてくるというの、文章にするとすごい。共依存のままは未来がないと言うことを直接表現してる。それにしても本当に作中ゲームがサマにならない。最後の真正面から棒立ちで撃ち合いからの弾切れで近接戦闘、アニメなら成立するかもだけどゲーム画面だとダメすぎると思ってたらアニメ絵になった、ゲーム画面いらないじゃんっていうね。ここは本当に弱かった。悠宇が仮面を脱いだのもマネージャーの管理のなかで生きている証だったわけで、美桜も悠宇も依存関係を脱ぎ捨て自立することでよりよい関係に結び直すことができるという話。作画もキメの場面では平山キャラの強い絵が出てくるし、OPのチェンソーマン監督とか澤野OPとか有名人を呼びつつ全体にリッチじゃないでこぼこ感はむしろ好感が持てる。

葬送のフリーレン

ぼっちざろっくの斎藤圭一郎監督、マッドハウス制作の有名漫画原作アニメ。二クール28話構成らしく来年も続く。魔王を倒したパーティの帰還後、長寿のエルフフリーレンが勇者ヒンメル没後に彼のことを何も知らなかったと思い知り、死者と対話できる北の土地を目指すという話。かなり質の高いアニメで、同じ少年漫画原作でも呪術廻戦がド派手なバトルや破壊、暴力に対して、日常の仕草やダンスなどを丁寧に描いていて、かといってバトル作画でもド派手さとは違った映し方の工夫や身体運動の気持ちよさなど地に足の付いた良さがある。最初の四話、名前だけは聞いてた作品だけどこのまま寿命差子弟百合やるわけじゃないらしいのに驚いた。斎藤監督だしフランメの弟子云々で百合ロードムービーで処刑少女を思い出す。寿命差というか時間感覚や性格のゆえに独立独歩のフリーレンが人と一緒にいることの意味を知る淡い話で、鳴り物入りで四話連続映画枠で放映っていう押し方をする作品ではなさそう。コミュニケーションズレ気味のフリーレンに種﨑敦美はなるほどすぎる。「天国はある、そのほうが都合が良いだろう」という宗教性の話と、一人で良い、というフリーレンの合理性が交錯していく旅路ってことでいいのかな。作画、アクションでは九話、シュタルクの服を着る動作、フェルンの服を投げ捨てる動作、異様に滑らかでこれは両方とも魔族の血の追跡魔法を際立たせる意味もあるわけか。そこからの緩急効いたアクションの差し込み。Bパートのバトルも見せ方が多彩でキレがすごい。圧巻の回だ。リーニエの特に上から落ちてきて地面に刺した槍に取りつきそれをナイフに変形させて投擲するあたりの動きの繋がりがすごい。非現実的な動きなのに現実的な動きだと思わせる。威力を高めるために回転斬りする時に、フィギュアスケートみたいに足を真っ直ぐ伸ばして回転力を上げてる体勢だったのも印象的。腹にダメージ喰らって大丈夫だったのはよく分からなかったけど。15話、路銀のために貴族になり社交会に参加するフェルンとシュタルクの二人、正装で見違えたような二人のダンスシーン。リードするシュタルクと、笑顔になっていくフェルンの表情も良い。16話の忘れることと記憶されることのしんみりする話も良かった。フリーレンはオタクだしフェルンは母親っぽくて現状シュタルクが一番萌えキャラ感あるんだけどシュタルクじゃちょっとな、でもパーティに萌えキャラ感強いやつ入れてもな、と思ってたらだから魔族でリーニエとアウラが出てきたのか、と納得をした。今のところエルフが人間の尊さを知るって感じでわかりやすく人間中心主義だよなとは思う。定命ごときが調子乗ってるよね。

君のことが大大大大大好きな100人の彼女

ヤングジャンプ連載のラブコメ漫画原作で原作は配信で追っている。100人に振られた恋太郎はある日神様にお互いに愛し合う運命の人が100人いると告げられてその日に二人のクラスメイトから告白され、というスラップスティックブコメ。ポリアモリーブコメで、彼女はカノジョがアレなのに比べてこっちはちゃんとしていると思ってたけど、醜く描かれる教頭のセクハラやゴリラと呼ばれる敵対チームの女性などの描写があるのをアニメで再見するとここら辺はアレだなと。とはいえ、邪神ちゃんの佐藤光監督、バイブリースタジオ制作のアニメはよくできてて、いかれた面白原作をなかなかのテンションでアニメ化してて良い。一話の時点で100人を相手にする以上初手二人同時で来るくらいこなせなければならないし、100人を引き受ける度量が恋太郎にあることが既にこの時点であるのがわかるんですよね。二話は二人いる彼女を平等に愛するにはファーストキスの順番でどっちかを先にするわけにいかないという課題に取り組む真面目さがそのままギャグにもなってるし、その過程で彼女同士の関係も良くないと成立しない関係という課題をクリアしているのが、今作の倫理性って感じ。これまでのテンションとパワーで行くギャグ回から、三話は静回でまさに静かな図書館の空間、声の出ないコミュニケーションの回への緩急があり、運命に縛られてではなく、運命を超えて好きだというのが、話せないという制約を超えることにも重なっているのが良い。虹ヶ咲の璃奈回にも似た感触がある。普通に話せず、愛読書の文字列を指差すことで話していた静と目を見て話すために、その恋愛小説をまるごとデータ化して読み上げ音声で発声可能にするアプリを贈るという解決。克服を強要するのではなく、そのハードルを下げるための方法。しかしずっとドエロアニメだなこれ、アニメになることでエロさがいっそう増してるのもあって。八話、キスゾンビ回での唐音羽香里のキスはこっから読み始めたので思い出深い。喧嘩してからのキス、ダチョウ倶楽部ネタかなあ。しかし、女性教頭の扱いがひどすぎるのは引くな。顔に皮膚が爛れる薬をぶつけて厚化粧をネタにして妖怪にして。中高年女性はいじってもいいのか? 今作は恋太郎ファミリーという通りの共同体の話ではあるんだけど、仲間入りしてからはともかく、恋人になるプロセスで既に彼女が複数いることが説明されてなかったり、女性教頭が性欲モンスターとして差別的に描写されてたり、共同体の外や境界についてはだいぶ扱いが雑な気はしてる。終盤、夫を亡くした彼女の母と恋人関係になろうとする時、愛が二つあったらどちらかが嘘なんてことはない、と五人彼女がいる恋太郎が言うのはあまりにも正しい。夫を亡くした羽々里の新しい恋という「浮気」を論駁するのにこれほど相応しい人はいないわけで。羽々里EDのダバダバ走る動きは大変このアニメらしくて良い。二期に続く。

アイドルマスター ミリオンライブ!

白組のCGアニメ。シンデレラガールズとは違う、無印の765勢と同じ事務所の後輩ポジションのコンテンツのアニメ化となるらしい。日曜朝から放送されていたようで、未来、静香、翼の三人をメインに四〇人近い新人アイドルが出てくるけれどまあメインは三人。CGアニメっていうことでライブは良いし、全体にも王道というか古典的アニメだったと思う。まだ何者でもないアイドルの卵が原っぱでライブというかイベントを開催して、建設中の自分たちの大きな劇場ができていくのを横目に見ながらアイドルとしてデビューしスタートを切っていく。静香のエピソードの強さと歌に説得力があったのが一番印象的だった。その二話、父親にアイドルを反対されており、鬱屈を抱えて追いつめられていき本番でとちってもつれる静香を、私がもうファンなんだ、と未来が翼と背中を押して圧倒的な歌声の伸びを見せるところは感動的だった。素人っぽく歌う演技からの鮮烈なコントラスト。未来だから未来は前を向いてるし、翼だから俯瞰的に周りをよく見ている、静香は内省だろうか。そんな三人。七話はすべてのリアリティを吹っ飛ばした島で水着でバトル、一瞬も正気になってはいけない回ですごかった。海美がチュパカブラ倒すシーンの見せ方が格好良くていい。海美を動かしてライブは止め絵なのは笑う。いや、なんだよチュパカブラって。10話、制約もありつい自分のことにしか気が向かなくなってしまう静香が、今目の前にいる人のために歌う千早を見て何故歌うかを思い出し、歌いきった後に、歌より雄弁なものはないとばかり不器用な親子が何も言わずにただ表情だけで和解を果たすラストは良かった。あそこで何もセリフがないのはおお、と思った。頑固で不器用な二人が、歌という表現と柔らかな表情で雄弁に語り合うわけだ。家族を亡くした人たちのためのチャリティライブという場で、無印でも印象的だった弟を亡くした千早のエピソードを踏まえての前を向くための歌、ちょっとズルだな。でも設定的に静香自身は父子家庭というわけではないのか。てっきり母親を亡くしたのかと。二話同様未来と翼に背中を押されて「前を向ける」ことを歌うシチュエーション。最終話ではトラブルを乗り越えつつソロもユニットも種々映しながらのライブでいい盛り上がりだった。8thが主人公チームなのは未来は∞ってことだろうか。8thの曲、デビュー曲の曲調じゃなさ過ぎる。その貫禄でデビューは嘘だよ。この人数だから客席全体に人を展開できるのは強い。この観客との近さ、原っぱライブから繋がっていることを感じさせる。無音から観衆が場を繋いで、紬から歌織への繋ぎ、客席ともステージを繋げて、春香らの先輩から未来たちへも繋いでいく、と言う大団円って感じ。

私の推しは悪役令嬢。

大庭秀昭監督プラチナビジョン、怪病医ラムネ座組。原作小説の存在は知っていたけど未読だったところに百合姫で漫画が始まって、原作小説がその漫画の後追いで紙書籍化されており、アニメの原作も漫画という形態。愛好する乙女ゲームの世界に転生したレイ・テイラーが魔法の才能とゲーム知識で頭角を現わすけれども、男性たちには目もくれず彼女が愛しているのは悪役令嬢クレアだったという話。レイが平民だと見下されいじめられてもクレアにまとわりつき愛の言葉を放っていくしつこさでいつしかクレアのほうも根負けして、というものだけど、今作では主人公レイが自分の性指向を明言する場面がある。同性愛者かどうかが直接話題に出る百合アニメ。最も近くにいても遠さを感じるという同性愛者の好意が相手の幸せを願う「推し」という形式になるのと、転生してそれなら本音で生きようという両方をやってる感じ。作中で同性愛者についての説明がされており、目の前の同性全員が恋愛対象ではない、すぐ襲わないでとか言うのは偏見というのはそうなんだけど、レイはクレアに対して結構その偏見通りのことをやっているのでちょっとアレな会話になってる。ただ主人公は、たとえば超電磁砲の黒子など同性好きなキャラをセクハラストーカー、いわゆる「サイコレズ」として描いて同性愛者差別だと批判が多かった類型に近くて、同性愛者への偏見を正す作中の議論と衝突してるんだけど、だからこそこの造型には理由がありそうで。作品の脇に存在していてその恋は実らないのが既定路線としてあるそうした百合キャラと、乙女ゲーの女性キャラで悪役として悲劇を運命づけられた悪役令嬢は属性として重なるものがあるのでそれを結びつけるのが今作のカウンター精神なのかも知れない。ゲーム転生だから魔法設定もゲーム的だし、六話の男女逆転喫茶なんてのもある。けどこのアイデアは平民と貴族の階級問題と重ねた意味がありそう。現代的な背景で体操着と貴族、メイドが同居する乙女ゲー世界、すごい。終盤の恋敵として出てくるマナリア、差別の強い時代の同性愛者のたどったパターンという感じがある。後進に同じ轍を踏ませないための厄介なお節介、それもあってレイとクレアの思いが通じる最終回なのは良かった。ただ、この社会で同性愛がどう観念されているのかはよく分からない。みんな祝福してくれるし。レイやマナリアに同性愛者の悩みが投影されてるぽいけども、差別を直接描くのは避けたからか、被差別意識がレイの心情だけの問題に見えてしまう。その差別描写を避けたあおりを近親恋愛兄妹がかぶった感じがする。転生王女と同様に主人公の性的指向が明確にされるアニメで、転生者ゆえのこの世界に対する異物としての自己意識が同性愛者自認と重ねられている点で同様の構想を持つ作品だとも思った。今年、転生王女と天才令嬢の魔法革命と私の推しは悪役令嬢、百合革命アニメが二本アニメ化された年だった。こっちの革命要素はまだちらっとって感じだけど小説三巻の煽りには革命って書いてあるから。

オーバーテイク

こっちにも畠中祐のメカニックがいるというMFゴーストとびっくりの共通点があるF4レースを題材にしたオリジナルアニメ。あおきえい監督トロイカ制作。F4を題材にしつつ、あるカメラマンの写真が撮れなくなったトラウマが物語の鍵になっていて、とにかく走り出すMFゴーストと、人間ドラマが前に出た今作とで対照的なアニメがテレビだと連続で放送されていたという。九話、そのカメラマン孝哉のトラウマが東日本大震災に遭遇して撮った写真にあることがわかる、孝哉のドラマの核心の回は良かった。overtakeには「〔災難などが人を〕不意に襲う」という意味もあるのを知って、つまり震災に襲われた・オーバーテイクのトラウマを克服・オーバーテイクし返した、という重ね合わせがタイトルに込められており、レーサー悠の父もまた事故にあっているわけで、この二つの事故・災害に襲われた二人を重ねることが一つのポイントになっていることがわかる。小さい子の最後の姿をつい撮ってしまったことで写真を撮れなくなってしまった孝哉が、震災の直前、その子と祖父と自分とで笑顔で写った写真が残されていたことで、「あの写真はあの子が生きていた記録なんだ」という写真は悪いところばかりではなく良いところも切り取ることができることを再確認して立ち直ることになる。最終話は非常に良いレースを描いていてとても良かった。徳丸は春永の背中を押し、悠は孝哉を応援し、孝哉たちの応援が悠の勝利を導く最終回。悠から引いて孝哉を収めるカメラワーク、これはアニメならではの感があると思ったら、一旦車を離れて遠くを回ってから車に合流する大胆なカメラワークも痺れる絵だ。今回のカメラワークは最終回だけあって圧巻の格好良さだった。ドローン空撮的でもあるけど、アニメにしかできない絵だろう。「応援なんて本当は相手のためなんかじゃない、結局は自分のため」という悠の言葉を反芻しながら、応援することで自分のなかに力が湧いてくるという孝哉、ここに震災を絡めた本作の重心がある。自分のために他人を応援することは今回の徳丸の行動がそう。徳丸が接触で手負いになったらピットインせずに春永のスリップストリームの盾になってチームの勝利に貢献しようとするの、これもまた自分との戦いの結果だろう。事故・災害に襲われる=オーバーテイクを克服=オーバーテイクする、ということを事故・災害には常に見ていたもの・傍観者がいることを踏まえて関係を組み上げてて、事故の当事者と、見ていることしかできなかった罪悪感に苛まれる傍観者との相互の応援という形に収めたアニメだったと思う。震災そのものについて描くのではなく、全然別のF4レースを題材にしながら孝哉を噛ませることでテーマ的には震災についてやってるような感じもある。スッキリと終わった良いアニメだった。

最果てのパラディン 鉄錆の山の王

二期は制作が変わって一期よりだいぶ安定したアニメになっており、かなり良くなったと思う。邪竜に襲われ流浪するドワーフの一族の気弱な王子ルゥと出会い、彼に修練を課してその成長を見届けつつ、彼らと仲間たちを連れてドワーフの国を滅ぼした邪竜と対決する後半。一話、物語の始まりにあたって、魔法使いの言葉の力から英雄の死は悼まれても次第に忘れられていくことが嫌だから叙事詩を歌うビィの話を介して希望としての物語の話をする。英雄が死んでも死なない物語が希望は不死者が育てた希望としてのウィルに繋がる。また上古の龍は神話の住人で、現代人より言葉に近しいので言葉のように早く飛べるし魔法戦でも圧倒するという話は良いファンタジー感がある。その言葉のモチーフに対して、「鍛え抜かれた筋肉による暴力があればたいていの問題は解決するんですよ!」、これが決め台詞の英雄、ちょっとアレ。邪竜討伐の計画を何度も神に止められるほど見込まれているウィルがそれでも討伐を決意し、邪竜に挑戦する終盤はなかなかの緊迫感があって良い。遭遇時に目下相手に先んじて頭を下げることの出来る邪竜ヴァラキアカ、侮れない相手でビビるんだよな。強大な力を盾にした交渉を持ちかけて、倒すべき敵という堅い目標を揺るがせてくる弁論術。言葉に親しい者だからか。恐怖の来歴に一頁を加えることも倒されて伝説となるのも良しとのたまう、まさに伝説的存在。「勇気と知恵を備え己が信ずる正道を往くその気構え、神妙なり」と勇者と認めることで、改めて名乗りとともに己の本質を呈示するヴァラキアカ。「間違いなく尊敬できる敵」、敵の格もウィルの格もきっちり上げてからの戦闘、搦め手ではない正道を往く展開だった。その後追い詰められたら「遊戯盤を投げるように自ら命を絶てば良い」、とゲーム要素が出てくる。ウィルの転生を見抜いたヴァラキアカがやり直しを誘ってそれをはねのけるの、異世界転生をゲームのようなリセット志向だとする俗流批判への批判だろうか。だからウィルは退かない。地の利を生かした攻撃をされた後に、ドワーフたちの墓場となったこの場所で不死神スタグネイトがアンデッドを蘇らせる地形効果でカウンターするのは上手いし、ヴァラキアカに一撃加えたドワーフの英雄との再会と継承が果たされるのが良い。リセットではなく、ウィルの先達としてここで果敢に生き戦ったものの魂がパーティを強くする。最終回は決着もほどほどに帰還の旅路をじっくりと描いてゆったりとした回だった。龍退治の締めに相応しいビィの英雄譚の歌に重ねたED、新しい冒険者に伝承と武器を授けるウィル。言葉が重要な意味を持つことに忠実な語り継ぐことを描いたエンディングだ。伝承に始まり伝承に終わる、ファンタジーらしい締めくくり。漫画版が非常に出来が良くていいんだけど、アニメも良かった。しかし、女っ気がないと言われたウィルのまわりにいるスタグネイトとグレイスフィールが姉妹だと明かされるの、ウィルを姉妹で取り合ってたのか。なんだこの三角関係。

アークナイツ【冬隠帰路/PERISH IN FROST】

毎年八話ずつやっていくアニメになるのだろうか。二期フロストノヴァ篇とでもいうような氷の能力との戦い。今回も丁寧に陰鬱なアニメで良い。一期が手を取り合えるかも知れなかった相手との絶望的な分かれ道だったとすれば、スノーデビル小隊隊員たちとの協力、最後の最後でフロストノヴァとの融和を果たす、しかし、という筋書きになっている。最終回そのフロストノヴァの絶唱は、高垣彩陽の苦しい歌と声の演技がえぐい。ブレイズとフロストノヴァの同じ悔恨、血を拭うフロストノヴァと涙を拭うアーミヤ、で紐帯を描いてからの「この大地に生きるすべての人のために」というメッセージ。「この大地で人間の選択など意味を成さないのかも知れない。だがたとえ、結果が変わらなくても、私は選んだ。この手で、自ら選んだのだ」「約束だ、私はロドスの仲間となる」「理想すらも信念になり得るのだと知った」に対するドクターの「通してくれ、仲間が一人死んだんだ」はぐっとくる。最終回はアクション、アーミヤの顔、歌、二期ラストに相応しい密度だった。

短評

ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー~
小説家になろう連載作品原作。漫画版を読んでる。大塚舞キャラデザアニメだ。フランス革命を思わせる、革命の結果断頭台で処刑された王女ミーアが少女時代に戻って、というリプレイコメディ。『クリスマス・キャロル』でもあるな。最後までやったからこそメイドのアンヌの忠義が本物だと分かるというのは信頼という意味で一番の宝物だ。しかし人が変わった理由としてギロチンで首落とされたからというの、嫌な説得力がある。ギロチン回避のためならなんでもするという私欲の行動が無私の献身に回りには見えてしまうというギャグのポジティヴさが見てて楽しい。同じシルバーリンクだし、破滅フラグ~系統のアニメとは言える。平常時に恩を売り非常時の融通を確約させる、飢饉を見越した定額取り引きの契約とか、これ自体は慧眼だし詳細は役人に任せるところとか、危険に際して自分を理由に引き際を見極めたり、偶然や勘違いのポンコツ私欲だけではない自力の知性もあったりする。国内政治を改善したら国外に転移してしまい、自分ファーストならあえて手助けするまでもないけど、今世のアベル王子との関係が、他国の革命にかかわる決意をさせるの、うまい展開だ。上坂すみれはまあはまり役って感じで「あっぶねー」とかの演技も笑った。

聖剣学院の魔剣使い
1000年前の魔王が少年に転生するおねショタラノベ原作アニメ。魔法が衰退して魔導技術が発展したSFファンタジーで、謎の敵の襲来する世界とか、各人の聖剣というのが必ずしも剣ではなくその人自身の能力のようなものだとか、移動要塞のような都市だとか、10年前のラノベアニメ感があって、懐かしい匂いがすごくて楽しくなっちゃうアニメだった。メインヒロインセリアが主人公レオをかばって死にかけた時にレオの魔術によってヴァンパイアとして蘇り、それによってセリアは定期的にレオの血を吸わなければならなくなるなんかエロゲみたいな吸血設定も付いててお色気要素も色々盛り沢山な作品。主人公の年齢をガッと下げれば出てくるヒロイン全員が少年を構おうとするハーレムに何の不思議もないの、すごい発明だと思った。しかも少年の中身が大人なのでいじられても精神的にダメージが少ないので虐待ぽさが薄れるという仕掛けに。子供だから一緒に風呂も入れるけど部隊の仲間だから本人の意志で戦闘にも参加させられる、融通無碍だ。ドーナツ大好き魔王の眷属シャーリと犬のブラッカスのオマケパートが毎回面白くて、最終回もそれで終わるのがすごかった。野口孝行のちょっと色っぽいキャデザも良くて最初は絵も良かったんだけど結構早く全体に息切れしていて、絵的にはちょっと惜しいアニメだった。そういや、聖剣は人間にしか使えないけど魔剣はある、だったらヴァンパイアになったセリアが使ってるのは魔剣って可能性が出て来た件は特に回収されなかったな。序盤でセリアはヴァンパイアになったからこそ聖剣が発現したのじゃないかとは思ってたけど、魔剣があるってんならあれはそうだったというわけだろうか。

攻略うぉんてっど! 異世界救います!?
自分のタイムラインではみんなフリーレンを見ずにこれを見ていた、ビリビリ製作中国のCGアニメ。頭身低めデフォルメのゲーム世界召喚女子バディものと言ったら良いか。異世界に召喚されたOLイノーが昔家庭教師の教え子だったエンヤァと出会って、横暴な先生と調子乗りの教え子の二人がこの世界を救うアニメ。女性主人公だろうが容赦なく女神にもグーパンかます作風にらしさを感じる。ゲーム世界が舞台で、会話スキップしたから話がわからないとか、ゲーム準拠のネタの上に敵倒すときのコマンド入力みたいな矢印出てきたり、そういうゲームあるあるネタで回しつつ、日笠陽子加隈亜衣の師弟百合もやっていく。久野美咲が主要人物のなかで最年長のキャラやってたりするのも面白い。「同じ人が声あててる」とかいう声優ネタのあとにゴブリンに釘宮理恵小倉唯は笑うよ。最終回はアイワナみたいな死にゲーの意地悪なトラップを乗り越えてイノーを目指すエンヤァの必死さが2Dゲームの画面故に伝わるものがある演出、「ゲーム」アニメならではで良かった。本国の本篇が短いからか、あらすじやCパートでゲーム風ミニドラマを入れたりしていてそれも結構面白い。

薬屋のひとりごと
なろう連載の後宮の烏を思い出す中華風世界薬学ミステリ。転生ならぬ誘拐で後宮下女にされ、薬学知識で偉い人壬氏に目を付けられ、目立ちたくないけど取り立てられていく主人公猫猫と後宮の人間関係の話。なろう系でも売れてる割にアニメ化が遅れた作品として有名で、どんなもんかと思えばかなりリッチなアニメで結構面白いんだけど、主人公の薬学知識を上げるために周囲が無知に抑えられているところは安易じゃないかと思うところもある。二話の兵士たちの症状の原因が夾竹桃らしいけど、野営を行なう兵士たちが知らないことの理由がちょっと欲しいと思った。主人公が色々知ってるのは良いとして、知らない人の知らない理由が欲しい。主人公の知識がそれだけ卓越してるとか、何らかの補足が。話としては三話が良かった。後宮に入らねばならない属国の姫が、幼馴染の故郷の武官と結ばれるために綱渡りの危ない橋を渡る。後宮の門を開けて武官と再会するシーンは良い。政略渦巻く後宮で己の愛のために生きる芙蓉妃を見送る複雑な二人が語る「推測」。謀っていたとバレれば己の身を危うくするリスクを負いつつ、武官もまた下賜を求められるくらいに戦で功績を挙げるのは死の危険があり、お互いに相当の賭けに勝った。作画演出面では四話が出色で、動きの回って言われててこのアニメでそんなアクションあるかと思ったら異様に仕草の作画細かくてビビる。毒味、食事の作画を丁寧にやって、衰弱死間近の梨花にいかに食事をとって生きる意欲を湧かせるかの延長に房事の技術、子をなすことがある生死の軸が通った回だった。すり合う手の芝居、リアルな赤子の顔。花の美しさの優劣を語るところの目線を左右に振っての豊満な胸の話に移るところは笑う。画面内でちょいちょいお遊びが見えるのも良い。寝入った猫猫を梨花が撫でるところ、苦労に報いるとともに、赤子を慈しむように撫でているのだろうか。コンテ演出ちなはヤマノススメで見た人だし、作監もああんは明日ちゃん七話や着せ替え人形八話の人。聖剣学院に続き木野日菜の王女が出てくるアニメだった。

冒険者になりたいと都に出て行った娘がSランクになってた
ベルグリフは元冒険者だけれど片足を失い故郷に戻っていたところ、捨て子だったアンジェリンを拾い育て上げ、アンジェは長じて強い冒険者として都で名を馳せており、重度のファザコンに育って休暇には実家に帰りたいのに冒険者としての仕事がそれをいつも邪魔する、というファザコンファンタジー。なかなか雰囲気の良い作品で良い。恋愛要素を排除しつつも甘えたりメロメロだったりなところも描きたいと言う時にファザコンで性的要素を除けた関係を使うのはなるほどなと。ファザコン娘と父親のいない娘たちが出てきてファザコンに真剣なアニメになっていくのがすごいんだよな。シャルロッテもだし、女性陣のほとんどに実の親がいない。終盤は冒険者に未練があるベルグリフと、彼を追い出してしまった悔恨から自棄になっているカシムとが出会い、和解が果たされるのが良かった。「俺は足を失って前に進むことができたんだ」「俺にとってあの子は未来なんだよ」。「おいらは過去ばっかり見てたから」。希望を失った大人にとって子供は未来で前を向くきっかけになる、というアンジェにとって愛しの父親に対する父から娘への思いを自棄になったカシムと語り合って締める、良い。カシムの吉野裕行、良いキャラだった。追放もののジャンルの臭みを、足をなくして田舎に隠棲しているしそれが主人公の父親ということにして色々ズラしてるとも言える。諏訪部順一はじめイイ声の年長男性声優もたくさん揃えてますという感じ。萌えキャラから渋いキャラまでのバランスが良いアニメだった。

Paradox Live THE ANIMATION
曲やボイスドラマで展開されているらしいヒップホップのメディアミックスプロジェクトのアニメ作品。同クールにやってたヒプノシスマイクが字幕演出やバトルなどでキッズアニメ的な演出をしているのに対して、こちらではよりヒップホップ文化に寄ろうとしているようで、ファントメタルなるドラッグの比喩としか思えないものを使って幻影ライブを行ない、その副作用で苦しんでいたり、各キャラのトラウマや過去もわりと重いものが用意されている。悲惨なバックグラウンドこそが武器になる、ヒップホップは反逆の歌だというカナタに対する、自由で差別しない音楽だと返すアレンの対立が描かれたりもする。血の繋がりを最上位に置くハジュンの家族による虐待に対して、命を賭してもハジュンを救う利害の一致以上の絆を繋ぐBAE。家族関係で傷を持つ者たちの家族とは別のファミリーを描く八話などは核心が見えて良かった。最終話、人類補完計画みたいな陰謀に対して「自我を捨てれば苦しみは消える」、どんな苦悩だろうともそれが消えたら自分も消えるというの、トラウマに向き合ってきた本作の肝がある。「その痛み苦しみが俺たちを歌わせる」「俺たちは痛みを輝きに変えることができる」、いいセリフだ。アカペララップから始まり、みんなのラップで声をとどけて「お前は一人じゃない」、と絶望に陥る人間を救い出す。苦しみから生まれる音楽という軸があった。メインに韓国の富豪の子は出てきても在日朝鮮人は出てこないなと思ったけど、富豪に跡継ぎとして養子にとられたけど実子が生まれたので用済みだと言われたハジュンの過去って、勝手に日本国民にされて勝手に国籍剥奪された歴史の変形と見ることも可能かもしれないけど深読みの気もする。

ひきこまり吸血姫の悶々
魔核という死んでも蘇生できるもののためにインスタントに殺し合い、戦争が行なわれている世界で、いじめられて引きこもっていたテラコマリ・ガンデスブラッドが力もないのに親のコネで帝国の将軍として引き立てられて、という百合ラノベ原作アニメ。コマリを支えるメイドのヴィルや、巻ごとにヒロインが増えていくハーレム百合作品でもあるのは良いとして、話はちょっとごたごたしてるんだけど、時折のアクションにキレがあって、でもそれも疲れてくる後半は何か独特の魅力のある話数があって良い。特に10話、いきなり始まる戦争のドタバタ、正気を疑う異常生物、それらが時に綺麗な概ねぐだぐだな作画でところどころトンチキな動きがあったりしてかなり楽しかった。10話の良さ、省力演出やそれでも誤魔化しきれない作画の粗さ、そしてそれを逆手に取ったような雑なギャグ描写みたいなのがたくさんあって、萌え、パロ、ギャグ、そして破綻寸前の境界線を進むTVアニメシリーズの魅力が一番に詰まっていたと思っている。斎藤徳明コンテ髙木あゆみ演出。ネリアの顔アップの連続、悠木碧を使った幼女戦記のターニャみたいなキャラにズタズタスキーとかいう面白ネーミングをしたり、首を扇風機みたいに振り回して「首の骨が折れるまですべてを首で破壊する」キリン部隊、どちらも従者の脇に抱えられるコマリとカルラ、後ろで小さくガートルードが川に落ちて立ち上がるところとか。後半特にラフな絵がたくさんあって良い。×顔のカルラとか。頭を左右に揺らしたり、小さい頃の二人が足をパタパタさせたり、単純な反復運動や回転運動で画面をもたせたりするあたりもシンプルにアニメーションだった。作監原画がスタジオ名義筆頭でアレだけどハイテンポで誤魔化しきった感じ。10話、テレビシリーズのアニメのすべてがある。って思ったけど気の迷いなんだよな。コマリが人の血を飲むと異常な強さを発揮するという設定があって、コマリが力を自覚してないけど他人の血で強くなるのは力に謙抑的で傲ることがないし人の支えあってこそ力を発揮できるという権力者として興味深い設定だと思った。最後コマリの平和主義が語られ、つまり武力によらないあり方を広める話だから、コマリは自分の真の力を知らずに渡り合う必要があるわけだ。

ウマ娘 プリティーダービー Season 3
キタサンブラックをメインにした三期だけど、全体にはちょっと平坦な出来だったなと思った。見れば見れるけどあんまり身が入らないというか、ゲームファン向けになってる気がしないでもない。RTTTがあったからかレースシーンの迫力がそれほどでもない、って感じになってしまうのもある。でもキタサトデート回からのレースを描いた九話は良かった。これまでにない感じのカメラワークの冴えがあっておおっとなった。遠景のCGや障碍物越しのアングル、パースを掛けた絵やダイナミックに回り込んだり、画面の切り替えとか工夫を凝らしてて良い。RTTTは作画でキレてた感じだけどこっちはカメラで魅せてくる感じだった。五話の「誰ー!?」はちょっと面白くて、この物語がキタサンとドゥラメンテの話だからここでお互いを見ているけど、実際のレースでは全然別の馬が勝ったという事実はあるのが後ろで優勝者がずっと喜んでる妙なシーンになってるのは面白い。事実から物語を捏造している様子そのものをあえて露呈させてる。最終話はファン投票一位で臨んだキタサンブラック有馬記念、先行逃げ切りでドラマ作りづらいところを苦心してる印象だった。ウィニングライブは笑った。急に見覚えがない紫の人と一緒にライブしてるのすごいトンチキ。作画もレースよりこっちのほうが力入ってないか。あの紫のキャラ、この後キタサンを種付けしたというんだけど、この絵でその情報聞くとものすごい。文化祭での執事スタイルスズカは良かった。

とあるおっさんのVRMMO活動記
今年のMAHO FILMアニメその三。中澤勇一、90年代からアニメーターやってて初監督なのか。音楽テクノポリスなんだ。長いことやってるなろう系のゲームプレイものみたいなんだけど、なんか妙な面白みがあって悪くなかった。絶妙にダサめのスキルのフォントで笑わせてくるのもあるし、主人公が獲得した称号の「妖精たらし」が表示されてるのは笑ってしまった。ずっと出てるのすごいだろこれ。分身技で分身にも「妖精たらし」ついてたのでまた笑った。侮れねえ。フェアリークイーンの技の描き文字もファンシーすぎる。なんかよく分からない戦隊コスプレのプレイヤーと一緒にダンジョン潜って、そのキャラの声優がほんとの特撮の人だった回とかの謎さがすごい。盛り上がりはないけど淡々とした楽しさはある妙なアニメ。MAHO FILM作品らしすぎる。非人間キャラ属性がついてる上田麗奈が非人間だけど異質さよりは親しみやすさを出してくるヒロインなのも良い。このクールではゲームプレイアニメとしてシャングリラ・フロンティアもあったんだけど、漫画でちょろっと読んだ時よりもなんか平坦な感じがしてしまった。クソゲーマニアが外道攻略する作品だと思うし実際そうしてるとは思うんだけど、その質感を担保するディテールが乏しくて結果平坦な感じになってる気がする。おっさんVRMMOの妖精たらしの常に出ている表示、トゲつきのゴツい靴、なんか肌がテカってる鍛冶屋、上田麗奈との夫婦漫才以上に愉快で面白いものがシャングリラフロンティアにあるかというと疑問がある。

ラグナクリムゾン
一話が一時間だし連続二クールだしかなり力が入ってるバトル漫画原作アニメ。一話は教え導いてくれる師匠キャラが年下の少女という業を感じる設定だった。小さな女の子に救われたいけどそれは決して叶わないので永遠に失われることになる、ロリコンの夢と罪意識の相克のアニメかと思ったらその運命をひっくり返す話になった。主人公ラグナと竜退治を使命とする怪しいクリムゾンの奇妙な二人組の旅で、中盤のジョジョみたいな時間巻き戻しバトルはかなり熱かったしわりに面白い。慈悲深く虐殺を行なう非人間的な天使のような上田麗奈はらしいキャスティングだし、日高里菜の両腕が欠けたヒロインがラブコメやってきてるのも笑う。

SHY
内気なヒーローシャイを主人公に心をテーマに描く漫画原作アニメ。二期やるとのことだけど尺の問題かちょっと丁寧にやり過ぎている気がするし、日常回とか惟子が出る回とかのほうが面白いと思えたのもあるけど、まあ良かった。二話は自分を助けた者が不幸になることで自己否定感情に苛まれるサバイバーズギルトと助けきれなかった後悔のヒーローの、救う側と救われる側の罪の意識が正面からぶつけられてて二話にしてクライマックスだ。見せてはいけない本当の心を露わにする、それもシャイに掛かってるわけか。自分なんていなければというのとあの時何故自分を助けてくれなかったのか、という矛盾する本心を吐露しながら、それでも助けて欲しいという心からの声に応えるヒーロー。「そんなに自分を傷つけないでよ」、それは輝自身にも言えることだろう。自責と自責をぶつけあってプラスに転じる荒療治。本心を露わにする対話によって醜い部分を抉りだしてこそその歪みや傷を癒すことができる、という二話からかなりシリアスで重い話しててかなり見応えある回だった。五話はパワーアップイベントを絵画と書道の芸術から描いてて面白い。芸術を通じて山登りという身体運動に繋がり、インドアなキャラクターよりもアウトドアが得意な両足義足なレディブラックの「乗り越えられない山なんて存在しないわ」という心意気を学んで、書道という心をアウトプットする技術から方法を学ぶロジカルな作りだ。心の話でインドアな輝が芸術から入っていくのは納得だし、レディブラックの足がないというのはそのまま意志を行動に移す「手」がないという意味でもあって、でも科学技術や芸術=技術がその不足を埋めることができる、という話になってるのが良い。後半のスピリッツとその母との悲劇的な話からきちんと親子に受け継がれた心を描くところはやや丁寧すぎたと思うけど、感動的な話で良い。

しーくれっとみっしょん~潜入捜査官は絶対に負けない!~
いわゆる男性向け僧侶枠。夫婦役で潜入して容疑者に疑われないようにいやらしいことするぜ、という麻薬取締官といういかつい肩書きに比してあまりにもバカなエロ導入が清々しい。七話、立ってるから立てないってね。そんなわけないだろ、というツッコミ待ちすぎる。何をしたのか匂わせるように「もっと飲めって」とモブに言わせる台詞回しや、「ハメられたのはこっちだったってワケか」と、立つ立たないから始まりセリフに技がある回だった。毎回バカバカしいシチュエーションでエロやってるのが笑えるアニメで、某麻雀漫画に劣らぬ胸の大きさはともかく、潜入捜査に行っていつもハメられてるトンチキな展開はなかなか楽しかった。

どうかと思ったもの
ポーション頼みで生き延びます!

8万枚の金貨のFUNA原作アニメ第二弾、なんと金貨よりいっそう倫理感が弾けたピカレスクロマンで凄まじいアニメだった。あっちは途中でヤバイ人になっていく怖ろしさがあるけどこっちは最初の最初から凄い。間違って死んだことで女神に交渉を持ちかけてるのはともかくとして、これで女神とのコネができているのがアレなんだよな。転生時に夢のなかで家族や友人との別れの時間があるのかなり良いんだけどな。まだそこまで悪いことをしてない貴族の家の家具全部かっぱらった上に罪のないメイドまでいきなり薬で昏倒させててメイド服を奪う一連の過程にためらいがなさすぎて凄まじい。カオルがどんなポーションでも生み出せるチート能力で波瀾を巻き起こすんだけどそれが戦争に繋がっていく怖ろしさ。六話でも貧しい子供たちに恵みを与えて自身に帰依する自爆も厭わぬ少年兵に仕立て上げてるような展開で怖すぎる。「大丈夫、ベルはやりますよ」のセリフもそこで妹が自爆特攻するのもただ見てるのも全部ムチャクチャな場面。物資を焼いて近隣の村に誘導してそこの井戸に腹下しの毒を仕込んで暑さのなか水不足に陥れる、なんかコミカルに描いてるけど殺意しかない。「相手の体内に直接毒薬を生成することも可能」、殺意。水を掛けても消えないナフサ配合って焼夷弾かよ。中盤でカオルのポーションで国家間戦争が起きるテンポ感すごい。神の友人を名乗ってそれに加担して、少年兵の側近を作って、大義とかそういうのもなくなんとなくの権威嘲笑仕草でそれが巻き起こってるのすべてが終わっていてすごい。カオル殿の倫理が終わってるなら女神も同じように終わっており、意気投合しており、この世界は終わり。死傷者が少ない、に敵勢力は含まれていないので圧倒的殺戮を見せれば戦争は早く終わる理論、人倫のなさが現われててすごい。カオルの解決策、これがしたいけどこういう問題があるという葛藤を経て上手い策を案出するのではなく、人の心を無くしたダイレクトアタックで解決する。ポーション容器で何でも作れるし神を味方につけてるし、なんらかの底意があって近づいてきたやつには何をしてもいいというルールなのでほぼこの世の理不尽さの擬人化としての神そのもので、彼女を高位から叱咤する存在や自らを律するなんらかの倫理感、公平さ、徳性、その他の理念がないんだよな。毎回すごいなと思いつつ見ていたのでそれはそれで楽しかったのかも知れない。しかし、コンサルタントって邪悪だ、という感想が浮かんで来るアニメだった。作中、売上税やら諸々の税金を下げて購買力を活発化させれば直近の減収以上の経済成長が見込める、という単純なアドバイスを現役の領主にする異世界下げチートなんだけど、今の日本を考えるとめちゃくちゃ難しい顔になってしまう……。

このクールは52本見ていたなかでここに挙げたのはショートも含めて27作。帰還者の魔法は特別ですもヒロインポジションに少年がいたりするのが面白いし二期があるらしい。はめつのおうこく、は作者の前作のキャラを皆殺しにしたという展開とかなんか色々いわくがある作品らしく、アニメでも皆殺し展開が続いて疲弊したところにロードムービー路線がわりと良かったりしたけど、なんかこれも途中で終わったな。

通年アニメ

遊☆戯☆王ゴーラッシュ!!

今年も面白い。序盤のナレーターが実は作中キャラだったというメタ芸決めてくるのビビる。今年終盤では皆が囚われた虚構空間クァイドゥール時空での叙述トリックみたいなのを決めてきて驚いた。怒濤の伏線回収でクァイドゥールが色んな場面で裏方頑張ってるの笑うし、ナレーションが実際に作中で言ってるセリフだったのもすごい。伏線やら設定やら相当凝っててあんまり理解できた気がしないけどまあ面白い。78話は前半間違いだらけの回を作って後半オーディオコメンタリーみたいにここがおかしいとゆるゆるツッコミ入れていく省力回。しかもそれがちゃんと架空のキャラでも好きになっていいという虚構論とここが敵によって作られた虚構の時空だという大ネタになる。偽物に上書きされてメーグちゃんの本物が思い出せないという話はまんま今回の話だし、一度も誰にも読まれたことのない本にも、物語、ドラマは存在するし架空のキャラでも存在している、というユウディアスの主張はクァイドゥール時空やアニメの話でもあると。クァイドゥールの重い愛憎劇が終焉して年内は終わったけどユウディアスの終わりも近いのではと言うヒキ。各話では47話、効率厨と化した遊飛のネオリベデュエルとも言うべきセリフ面白すぎる。UTSを潰してマンション建設反対派とのデュエルが「派遣社員としてアドバンス召喚」「すぐに派遣切りして効果発動」「最低賃金のタマボットをクビにして」、キレがある。68話もかなり面白回だった。「お値段非情の格安宇宙家具屋とは、異星人達を格安家具にしてしまう、恐ろしい家具屋だったのでございます」、すごいフレーズだ。椅子になってるルーグと箱に入ってるエポックのなんか心温まる風で異常な絵面。

ひろがるスカイ!プリキュア

新作プリキュア、ヒーロー志望、成人、男子と四人中三人を変化球で揃えて青をメインにしてるのもズラしって感じがある。一話はひろがる、でヒーローガールと空の青さを意識させるカラッとしたところ、変身してまずは空を飛んでのアクションも良い。変身シーンがマイクとステージのアイドルライブモチーフっぽい。ヒーローだけどプリンセスな関根明良と一番ガーリーな役どころに加隈亜衣か。男子プリキュア、一番背が低い。人間になれる鳥の少年がプリキュアだというのも攻めてるけど、成人して車が運転できる年長女性とおねショタやってるのも面白い。キャラデザがラブライブスーパースターの人だからか、ましろの変身シーンは完全にアイドルだよな。表情も色っぽくてすごい。そこまでってほどでもないけど悪くないし、バッタモンダーの話は結構良いと思った。29話はホラー演出のミステリアスさから意志の宿ったぬいぐるみの未練に寄り添って元の持ち主に返す暖かみのある話への流れが良い。構図とかちょいちょい動きにこだわりがあって、視点移動しながら動いたりするアクションもあっておや、と思ってたら一人原画だった。白い背景にぬいぐるみの手を取るカット決まってる感。ぬいぐるみの涙を光の反射で示唆する気の利いた演出。一枚絵で止めて空へパンして正面からの絵を映す締めは懐かしい感じで、これも子供時代の「最初の友達」を懐かしむ意味だろうか。守護このみ脚本、青山充一人原画、野呂彩芳演出。43話、バッタモンダーをめぐるブラック企業に酷使される人間の寓話。ましろのように自分は自分のままでいいと気づかせてくれる他人がいないと、自己価値を高めるために毒を喰らう選択をしてしまう。自分の価値は自分で決めるという己一人での行動にも、ましろという他人の声が必要でもある。逆にましろが紋田さんを見る見方のなかに自分のことを見出すくだりもあって、他人という鏡によって自分を見ることができるという話をしてたのは良い。

シャドウバースF

ワールドランキング篇からセブンシャドウズ篇を終えて、無印でもあったような世界を救うパートに入った。無印の世界救出パートはかなり大味だった覚えがあるのでちょっとこれからは不安だけど、年内の回でのカードバトルの対話劇はいつも通りの面白さで良い。ライトとミカドの対決が後半のメインだったけどこのアニメ際限なく百合カップルも出てくる。マルグリットとアメリア、殺し文句で口説き落とした社長と秘書の過去回想……。ヒナとアンドレアの悪役百合関係も出てきたり、前作主人公と今作主人公の対決なんかもあって熱い。前作主人公とそのライバルや兄弟の愛憎劇もあるよ。50話、ライトの言葉が煽りのようになった結果ミカドを感情的にさせた上に「全部見たことあるんだよなあ」とミカドに自分をちゃんを認識させているし、ライトはミカドの言葉をきちんと受けとめて再戦で活用する対話力の勝利、さすがに盛り上がる。「君は相手のことを見ていない」「君は誰一人見ていない」「それはバトルじゃない」、バトルを相手を個人として見た対話だというのはずっとライトの行動原理になっているな、と思ったら「対話だ」とライト自身がちゃんと言っていた。セブンシャドウズ篇では66話の夜那月ルシアさんの熱烈な惚気を聞かされた気分になる回もある。シャドバをする理由がヒイロで、最強の彼に自分だって一回勝って並び立つ資格を得ただけだとか、セブンシャドウズ作ったのも最強のヒイロのライバル育成目的だろうし愛が重い。69話、なぜまだシャドバをするのかと問われて、「己の弱さに立ち向かうためだ」は格好いい。「僕に必要なのは可能性だ。弱さを強さに変える可能性が今の僕には必要なものだ」、とミカドの新なる始まりとともにOPになって「可能性をまだ探している」と歌われる演出決まりすぎ。シェケナーレのタイミングがすごすぎると思ったらOPをEDに回してこんな締めをやるためだった。否認から「認めるしかない」を何度も繰り返して自分に刻みつける魂のセリフ。特に今年は女性陣のダンスEDアニメーションが良かった。ED曲作詞、児玉雨子芥川賞候補作家。

旧作映画

劇場版花咲くいろはHOME SWEET HOME

主人公緒花の母、松前皐月の物語。母子家庭の娘の境遇という点で松前皐月だけではなくその母、友人の菜子、苦難とそれを乗り越えていく強さを緒花が目の当たりにし理解する話でもある。客のことを思った料理というのは皐月スイの関係などにもかかるな。母を頼るのではなく自力で、帰るのではなく明るい方へ自分の足で走り出す幾つもの時系列を重ねたEDの入りはとても良かった。家から出た皐月、家を失った緒花、二代続けて親元を離れて、スイも含めて自分に負けられない戦いの場へ向かう姿をこの祖母、母、子で描きあげたようなかたちになってるな。「母さんは負けられないんだ、負けられないんだ、きっと、自分に負けられない、それを、未来を見るために」作業停電の暗闇のなかで輝きたい、という話が展開されている。自分たちで明かりを用意することやそれに応えたように明かりが戻ってくる。風呂の胸隠しテク、テンポと角度の至芸って感じで面白さが強いな。ぼっち生活プラオレ監督の安斎剛文、メイン演出っぽい感じでいる。まあでも本篇一話で皐月は緒花を放り出して夜逃げしたんだよなとか、序盤の巴の独身いじりとか、シングルマザーについて社会的な観点を期待して見るものでもないか。

リズと青い鳥

今更だけどとても良かった。冒頭の希美を後ろから追いかけ、揺れる髪、スカート、背中を映すのがみぞれの恋する目線を見るものに強烈に印象づけるところから始まって、その恋が悲しい別れに終わるかと思いきや、離れてこそ同じリズムで歩ける二人になるのが素晴らしい。冒頭、追いかけるみぞれと踊るように歩く希美の足音のズレが劇伴を絡めてかなり印象的に映されるんだけれど、それが最後、音楽室と図書室へ向かう二人のほとんど揃ったような音になるのが良い。離れた場所で、しかし同じリズムという音楽が二人を繋げている。音楽が二人を重ねているのは祝福だろう。追いかけ、背中を見ていたみぞれに最後希美が振り返ってるというのも重要だけど、意外な表情を見せているらしいその顔はみぞれだけが見ている、というのも良い演出だった。希美はみぞれが本心を見せてない、というけどむしろみぞれは本音しか言わなくて、希美は本当のことをほとんど言わない。それは表情についてもそう。だからこそ最後の振り返っての顔はみぞれしか見ないんだろう。吹部に誘った時のことを覚えてないと希美は言うけどはっきり覚えているのは、希美もみぞれのことは出会った時から極めて印象深い存在だったからだろうし、みぞれの愛が重いと思わせて希美も、という示唆と思う。みぞれは希美の全部が好きと言いながらフルートが好き、とは言わないのが希美がみぞれのオーボエが好き、と返すことで露わになるけど、これも信用できない気がする。希美に実力の差を突きつけたみぞれのオーボエは好きだと簡単に言えないもので、むしろそれ以外が好きなんじゃないか、と思った。でも、みぞれのオーボエを支えるために全力を尽くすからそう言ったのかも。それはまあ良いとして、スラヴ系文学っぽい作中作、なぞらえる相手が逆、というのは最初から結構予想できるけど、だから二人の関係もお互いのためを思った悲しい別れに終わると思わせて、また会いに来れば良い、と希美のハッピーエンド志向によって逆転するのが意外で良かった。自分がリードしていた方とされてた方の庇護関係が成長するなかで逆転する幼馴染百合的なものは定番だけれど、それをこんな風にも出来る。退部してまた戻ってきた希美らしい言い方だけれど、いったん別れてもまた会えるという解決は良い。他愛ないやりとり、パートが別のガラス窓で仕切られる関係、校舎を跨いでお互いを見つけるちょっとした喜び、そして自分だけが見ている悲しさ、髪の毛が触れるかどうかという距離感、そんななかで進路という人生の分岐を自分で決めなければならず、この籠から外に出る時が近づく雰囲気。水槽のフグ、みぞれはずっとこの校舎にいたい自分を見ているのだろうか。ガラス越しの鳥。青い鳥が自分にとっての相手だったり自分だったりして最後はこの先の未来に飛んでいく可能性の象徴にもなっていく。しかしみぞれは本当に希美にだけは優しい笑顔を見せるのがすげえな。ユーフォ二期でのみぞれの話は希美退部にまつわるとこだったか。全然覚えてない。種﨑敦美と東山奈央、凄かったな。劇伴も本篇と絡んでこれは印象的だった。なんか色々書き残したこともある気がするけどとりあえず。

青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない

謎の人物牧之原翔子の素性が明かされるエピソードで、心臓病の翔子が生き延びるためには咲太か麻衣かの心臓を必要とする残酷な二者択一がお互いの自己犠牲を誘いつつ、二人で幸せになるルートを選ぶことで、悲しまなくて良い未来にたどり着く。「なんで私なんですか!? 私だって生きたいんです」という翔子の叫びのように誰かの生が誰かの死と引き換えになる状況で別の死の可能性が描かれる場面はなかなかに痛ましいけれども、なんだかメカニズムはよくわからないながらもハッピーエンドだったのでヨシ! 「いっそ二股かけて豚野郎からゲス野郎に格上げされれば」、空前のN股ブーム。原作の六、七巻をまとめたのか。六巻のヒキがあの事故だったらしくて、酷いことするなって思った。

青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない

12月の新作に合わせて公開半年で無料配信しててびっくり。で、これはかなり良かった。英題を付けるなら単語カードとして劇中に出てきたThe Acceptだろうか。自分自身の受容、入学の許可など、色々な意味を読み取れる。アニメ一期ではかえでの消失を体験した咲太視点だったけど、これは目覚めた花楓自身の不登校のトラウマ、もう一人の自分との格闘が描かれる。みんなと一緒が良いという「みんな」の問題はそういえば最初のテーマでもあった。いじめられた経験から同じ学校の子と出会うだけで倒れてしまう花楓にとって、かえでがノートに残した兄と同じ学校に行くという夢は、身代わりになったかえでへの罪悪感からとはいえ自分に適したものではなかった。かえでは花楓が眠っているあいだの自分だったとは言えそれは自分ではない、と自分自身を受容するまでのプロセス。限界までかえでの夢を叶えようと努力を重ねたことで重なり合うものではないと自分自身の境界を描き直したわけで、その努力によって同等の選択肢から自分自身が選ぶことができる。「卯月の幸せはみんなに決めてもらうもんじゃなくて、卯月が決めるんだよ」、というアイドルグループのメンバーが通信制高校でやっていけてる様子や「前の私がいたから今の私がいるんだし」という話を聞いて、花楓自身も「みんな」基準でない自分の道を選べる。峰ヶ原の定員割れがSNSでの情報拡散という「みんな」の基準に振り回されることで起こったというのは露骨なんだけど、それにも振り回されない花楓自身の決意の強さがある。最初の、花楓の願いに応じて咲太が願書渡したところでちょっとぐっと来た。「妹になることで、かえでは僕を兄にしてくれたんだ」みんなと同じではない自分を、もう一人の自分でもない自分としてかえでと花楓の関係から描いていて良かった。「おでかけシスターの夢を見ない」っていうのがかえでの夢を自身で叶えることはしないという意味になるのは上手いな。それでもずっとノートを手元に置いているラスト。もう一人の自分ということだと翔子篇の話とも対応したところがあるか。

今年のアニソン10選

人間不信の冒険者たち ED 阿部真央「Never Fear」
冰剣の魔術師 OP Sizuk/俊龍「Dystopia」
魔王学院の不適合者二期 ED ももすももす「エソア」
夢見る男子は現実主義者 ED 夏川愛華(CV:涼本あきほ)「#夢は短し恋せよ乙女」
事情を知らない転校生がグイグイ来る ED Kitri「ココロネ」
もののがたり ED2 田所あずさ「プライベート・ルーム」
悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。ED チョーキューメイ「PRIDE」
アンデッドアンラック OP 女王蜂「01」
デッドマウント・デスプレイ OP2 水瀬いのり「スクラップアート」
でこぼこ魔女の親子事情 ED angela「Welcome!」

僅差で良い曲がかなり多くてあんまりうまく絞れなかったけどこれで。他にもアルスの巨獣OP、うる星やつら第二クールのOP、英雄王のEDの歌詞の強さとか色々あった。なかでも今年一番聴いた曲は田所あずさのプライベート・ルーム。もののがたり二期の中盤になったあたりで急にはまって毎日Youtubeの単曲ループを流していたし、年初にはドラム式探査機もあり、また去年の箱庭の幸福も知らない曲だったのでこれらを聴きつつ、今のところ最新のアルバムWaverをよく聴いていた。今年特に聴いた曲だと最強外道ラスボス女王~のEDを担当したチョーキューメイのEDをきっかけに知ったおやすみパパママというアニソンじゃない曲もあるけどこれアニソンじゃないんですよね。

今年の話数10選

冰剣の魔術師三話「世界最強の魔術師である少年は、休日を謳歌する」
もういっぽん10話「勝つ以外ある?」
シンデレラガールズU149 11話「大人と子供の違いって、なに?」
贄姫と獣の王12話「祝福と未来の契」
魔王学院の不適合者 Ⅱ九話「二千年後に祈りを込めて」
アンデッドアンラック四話「変わる私は好きですか?」
でこぼこ魔女の親子事情六話「薔薇園のおしりあい事情」
川越ボーイズ・シング九話「いつかのアイムソーリー」
呪術廻戦37話「赫鱗」
葬送のフリーレン九話「断頭台のアウラ

冰剣は枠をずらしたキメの回もあるけど、ギャグ的に冴えまくってたこれを。贄姫は後半どこも面白いけどこのアニメがかなり面白いと考えを改めたこの話数。川越ボーイズシングは八話が今年有数のトンチキカオス回からのシリアスに見せまくるこの話への繋ぎがものすごかった。呪術廻戦とフリーレンはアクション作画で魅せた回。呪術の派手さとフリーレンのアクションのリアリスティックな描き方の差異が面白い。候補としてはほかに、フリーレン15話、ライザのアトリエ三話、めがね九話、MyGO三話か10話、ローファー11話、転校生四話、山田くん10話、閃の軌跡10話、シュガーアップル八話、トモちゃん八話、トライガン最終話、暗黒兵士11話、AYAKA11話、星屑テレパス10話、オーバーテイク最終話、ひきこまり吸血姫10話、薬屋の三話か四話あたりが挙げられる。

今年のアニメ名場面

名場面というか迷場面というか。そういう感じ。選出理由は各作品の項目で。

神達に拾われた男二期五話 ディノーム(塩屋翼)「見てくれよ、こいつを、ね?」の演技
スパイ教室 Season2.jpg
バーディーウィング20話 「気象予報士の資格を取っておいて良かったわ」
虚構推理二期11話 「銃弾の峰ってどこだあ!」
東京ミュウミュウ21話 室内で変身して部屋を爆破
神無き世界のカミサマ活動四話 実写コンバイン
転生貴族の異世界冒険録 OPの欽ちゃん走り
女神のカフェテラス四話 竜巻旋風脚
ひきこまり吸血姫10話 首の骨が折れるまですべてを首で破壊するキリン
デキる猫九話 「猫の手も借りたいとは言ったけどよオオオオイオイオイ、ネコネコネコネコチャンヨォオイィィェェ!」の町内会の人の演技

おわりに

やたら時間がかかってちょっと校正とか甘いかも知れないので後からいじると思う。ざっと書いたところも多いし。

今年、ちゃんと二クールはやるというアニメが増えた印象がある。私のアンテナが狭いだけだけども、アニメで存在を知ったような原作ものでも二クールやるのが多いな、と。SHY、デッドマウント・デスプレイ、ダークギャザリング、もののがたり、ラグナクリムゾン、鴨乃橋ロン、帰還者の魔法とか。ワンクールで使い潰すのより全然良いけどこれは配信での収益構造の変化によるものなんだろうか。

見てるアニメは概ね毎話感想を投稿してるからまとめたものの元の投稿を見たければツイログから探してもらえれば。独自に略称作ったりしてて探しづらいかも知れないけど。
東條慎生@後藤論刊行(@inthewall81) - Twilog

去年までのコロナ、戦争に加えて世界が見ているなかガザでの虐殺が起こってしかもウクライナ戦争でロシアを非難する欧米諸国がイスラエルの民間人虐殺を擁護するダブルスタンダードを見せてきて、西欧的理念を自ら裏切ることをされると自由、民主主義、人権を擁護したい立場としては困るんだよなあと思った。

2024/02/02 川越ボーイズ・シングの最終話と映画青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ないの項目を追記。

2023年に読んだ本と今年の仕事

今年読んだ本の10選とかそういうの。

ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』郁朋社

ウクライナキエフ出身の作家による1940年頃に書かれ死後20年以上経つまで発表されなかった大作。モスクワを混乱に陥れる黒魔術師の一味やキリストをめぐる発表を禁じられた作中作を用いて、作者自身の私怨を文学史に残るレベルにまで普遍化し高めたような凄味がある。

山野浩一『花と機械とゲシタルト』小鳥遊書房

精神病院で革命が起き、医者が患者を管理するものから、「精神分裂病」の患者たちが自主的に運営し「我」と呼ばれるゲシタルトに自らを委ね一人称を「彼」「彼女」とする生活を送るようになった反精神病院での幻想空間の拡大とその終焉を描く長篇。

石川博品『冬にそむく』ガガガ文庫

石川博品ほぼ三年ぶりの新刊。異常気象で年中雪が降る「冬」が訪れた世界の三浦半島のある町を舞台に、冬の冷たさと雪に閉ざされた閉塞感のなかで、それでも高校生の恋人同士がデートを重ね、かまくらや小さな部屋や布団のなかで二人だけの温度を確かめ合いながら生きる理由を見つけ出す青春小説。

黒川創『世界を文学でどう描けるか』図書出版みぎわ

タイトルからは大上段の理論的な本にも思えるけれども、主な内容は著者が2000年にサハリンを訪れた旅の様子だ。複雑な歴史と民族構成を持つこの島での旅を回想しながら、しかし後半で「世界文学」としての『フランケンシュタイン』についての試論が差し挾まれる意外な構成を採っている。

八杉将司『LOG-WORLD ログワールド』SFユースティティア

LOG-WORLD

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月の磁場から発見された地球外生命の残した知識を用いた技術革新によって発展した近未来、さらに月には人類の記憶ログが埋め込まれていることがわかり、そのログにアクセスして調査する仕事に関わることになった主人公が、この世界、この私の唯一性をめぐる事件に遭遇するSF長篇。

室井光広『おどるでく 猫又伝奇集』中公文庫

初期小説集二冊に未収録短篇やインタビューなどを増補した著者初の文庫本。著者の故郷南会津を「猫又」と呼ぶ一連の作品は「猫又拾遺」の土俗的奇譚・幻想譚から始まり、方言、外国語、外国人など言語の土俗性とその外とが交錯する「翻訳」の主題が貫かれているように読める。

市川沙央『ハンチバック』文學界

文學界新人賞芥川賞受賞作。難病により背骨が曲がっており人工呼吸器を使って生きる主人公が、中絶という「障害者殺し」が日常化したなかにあって、それなら「殺すために妊娠する障害者がいてもよくない?」と計画する。生きることと殺すことの挑発的な問いを投げかけるばかりか、作品の大枠には「当事者性」についての問いも込められている。

高原英理『祝福』河出書房新社

文學界」「群像」や編著に発表された諸作を怪奇幻想誌「ナイトランドクォータリー」での連作「精霊語彙集」として引き継いで書かれた作品集。オルタナティヴなこの世の外への志向を、「呪なのか祝なのかもわからない言葉」の魔力をめぐる言語を通して描いた幻想小説

ボフミル・フラバル『十一月の嵐』松籟社

久々のフラバル・コレクションの新刊。アメリカのチェコ文学研究者への書簡体形式で、1989年の東欧革命の政治的動乱のさなか過去の弾圧の歴史を回想しつつ、権力との妥協を選んだ作家として屈折や痛みとともに現状を見つめながら、アメリカへの講演旅行の回想を差し挾む内的な記録のような小説集。

佐藤哲也『シンドローム』キノブックス文庫

「僕」の恋心あるいは性欲を統御しようと格闘する理知的で屈折していてくだくだしい特異な語りが友人平岩と同級生久保田葉子との関係を分析しつつ、現実では日常を破壊する異星人の侵略が始まる。内宇宙と外宇宙の交錯を青春SFとして描いたような長篇小説。

他に以下のものや準備号に寄稿した「代わりに読む人」の創刊号が出ましたね。
赤染晶子『じゃむパンの日』Palmbooks
江馬修『羊の怒る時』ちくま文庫
小野寺拓也、田野大輔『検証ナチスは「良いこと」もしたのか?』岩波書店
友田とん『ナンセンスな問い』H.A.B.
蛙坂須美『怪談六道 ねむり地獄』竹書房怪談文庫
『代わりに読む人1 創刊号』代わりに読む人

仕事

honto.jp
「リベラシオン」190号に鶴田知也についての記事を寄稿 - Close To The Wall
リベラシオン 人権研究ふくおか」190号(2023年夏)に「鶴田知也再考――『リベラシオン』第一八九号を読む」を寄稿しました。表題通り前号での鶴田知也特集に寄せられた論考にコメントをしつつ、私の鶴田知也論と後藤明生論についての概要を紹介した記事です。

岡和田晃編『上林俊樹詩文集 聖なる不在・昏い夢と少女』
『ログワールド』のSFユースティティアから岡和田さん編の『上林俊樹詩文集 聖なる不在・昏い夢と少女』が刊行されます。幻視社別冊とあるように私は編集の実作業つまりPDFファイル作成のほか、表紙デザイン、校正等を担当しました。表紙はしかし表だけで、背表紙や裏表紙の情報記載は他の方がうまく仕上げてくださいました。

雑誌創刊の宣言文や更科源蔵論、林美脉子論のほか、大部分を占めるのは長篇の吉本隆明論です。ほかに詩人林美脉子氏の献詩、作家木村和史氏による上林俊樹との交流の記録、そして編者岡和田氏の1万3000字超の丁寧な解説がついており、さらに七ページにわたる詳細な著作リストが付されています。

追悼読書

今年亡くなった作家の作品の積んでいた本を読んだ。

グレッグ・ベア『凍月』と「鏖戦」

政治と宗教を描く短めの長篇で原題はHEADS、これが一番作品の概要を示している。脳の記憶を読みとる実験のために地球から月に運び込まれた冷凍保存されていた頭部、そして技術者の末裔で政治嫌いのなかにあって氏族をまとめる指導者、そして宗教の教祖、この三題。

22世紀の月で絶対零度達成実験をしている夫婦は、もののついでと装置の隙間に地球で冷凍保存されていた400個の頭部を買い取り、脳の記録を読みとる試みも始める。妻の弟はそこで起こるトラブル、月住人が嫌う政治に否応なく巻きこまれることになる。序文にあるように、SF作家たちの政治に対する「うぶさ加減」がきっかけとなって書かれたらしく、主人公ミッキーは氏族の一人として行動しながら、政治的策謀に加担したり、その報いを受けたりすることになる。政治とは何かについて、本作では危難を避け、疎外と排除を避けることを説いている。

わたしたちの先祖の多くは、地球からきた技師や鉱山労働者だった。保守的で独立心旺盛、権力を信用せず、集団がいくつ集まろうと、政府の官僚だのといった階層なしに、そこそこ平和に豊かにやっていけると、固く信じていた。
 先祖たちは、自然に発生してくるそうした階層をつぶすために奔走した。〝政治ははぶけ〟が終始変わらぬかれらの主張で、このスローガンを叫んでは、首を横にふり、目をつりあげていた。政治組織は悪、代議政体は不当な押しつけ。直接交流できるのに、なぜ代議員がいるんだ?
こぢんまりがいい、直接的で複雑でないのがいい、とかれらは信じていた。これには当然、自由がついてまわった。
 だが、こぢんまりのままではいられなかった。128P

政治の極意は、危難をさけることにあり、だ。敵をも含めて、あらゆる人々の利益となるよう、困難な事態をうまく処理する。人々が、なにがいいことなのかわかっていようといまいとな。その技術こそが、政治家にもとめられるものだ。そうだろ、ミッキー? 241P

政治を省いてはいられないけれども、かといって政治とはマキャベリズム、敵対勢力への攻撃や排除ではない、というのがポイントになっていて、相手の尊重すべきものを冒涜した策謀の結果をミッキーはその身に受けることにもなる。これは以下の部分がよく語っている。

外なるものを疎外することは、内なるものを疎外することにつながる――これはあらゆる社会階層そして個人にも通用する原則だ。同胞を、いやたとえ敵であろうと、人を傷つければ自分も傷つき、自尊心と自己イメージの本質的要素のいくばくかを失う。一人前に戦うとは、こういうことなのだと思ってみても、いっそう憂鬱になるだけだった。人は敵を殺すたびに、古い自分自身をも殺している。新しい自分がはいる余地があり、めざましい再興をとげることができれば、成長し、一段と成熟した、 一段と悲しい人間になる。余地がなければ、生ける屍になるか、気が狂うかだ。217P

「同胞を、いやたとえ敵であろうと、人を傷つければ自分も傷つき、自尊心と自己イメージの本質的要素のいくばくかを失う」、非常に大人な態度で、SF的ネタはあんまりピンとこなかったけど、この政治と宗教をめぐる話はなかなか印象的だった。説教臭いかも知れないけど、まともだと思った。

なお、作中の「ロゴロジー」という宗教はSF作家が作った新宗教サイエントロジーがモデルになっているのは序文にもある通り。この宗教の胡散臭さ、教祖の不道徳さを描きながらもそれを信じてしまった人間には共感を寄せるスタンスが感じられもする。そして、政治をめぐるテーマは「鏖戦」にも通ずる。

「鏖戦」

どれだけ経ったかもわからない遠未来、人類と異星人セネクシとの果てしない戦いを双方の側から語りつつ、敵を理解しなければ勝つことはできないし、敵を理解しているのなら話し合おうとするはずだ、という相互(不)理解のジレンマを描く反戦争中篇。

双方の力が伯仲していれば、敵を理解しないかぎり勝つことはできない。しかし、ほんとうに敵を理解しているのなら、戦おうとはせず、話しあおうとするはずだ。424P

これは人間側の戦士プルーフラックスが変わり者との交流で心に浮かんだ想念だ。

プルーフラックスの知り合いクリーヴォはこう言う。

だが、みずからの心を荒廃させてまで勝利すべき戦いなど――それほど重要な戦いなど、 ありはしない。436P
 
おしゃべりとは、われわれにできるもっとも人間らしい行為だよ。444P

ここに概ね今作の趣旨は尽きているとも言える。
この二作のカップリングで再刊された。

大江健三郎ピンチランナー調書』

1976年刊行の書き下ろし長篇小説。知的障碍を持って生まれた息子森と元原発技師の父とが、互いに二〇年年齢を入れ替え逆転した親子になるSF設定と、革命党派の原爆製造計画及びそれにかかわる右翼大物をめぐるスラップスティック大作。

同じ障碍児を持つ親として森父と出会った作家の「僕」が、森父の言葉を「幻の書き手」(ゴースト・ライター)として書き留めていくなかで、お互いのスタイル、文体が相互に影響し合うという設定の上に、森父もまた息子森の言葉を翻訳して喋るという三層の代行が重ねられる語りの構造がある。

大江らしいこうした書き方とともに、森が二十歳加齢し、森父が二十歳若返るという寓話的な「転換」という現象によって設えられた舞台で、核をめぐる政治的闘争が道化じみた道具立てで語られており、同時代の猥雑さを文章にすべて投入するような迫力があるものの、どうも波長が合わないというか。核の危機をめぐって「人間支配」を企む「パトロン」への抵抗を基調としている様子なのはわかるけれども喜劇というように時代的な空気を強く反映している感じで、五〇年も経つとその時代背景が掴めなくなっているのも理由かも知れない。

『洪水~』は悲劇として、本作は喜劇として「核時代」の物語を描いたらしいのだけれど、実は『洪水~』もピンとこなかった大作だった。鳥の声を聴く『洪水~』に対して宇宙の声を聴く『ピンチランナー調書』という解説の対比はなるほどと思った。「転換」のアイデアは面白いしその息子が普通に女子学生と性交しているところとかマジかよってなるし、プルトニウム強奪事件で被曝した技師の息子が障碍を持って生まれたときにそれを夫の被曝のためということにしてるという設定とかも色々面白い。

ミラン・クンデラ『冗談』

1965年作。社会主義時代のチェコを舞台に軽い冗談が大ごとになり大学・共産党を追われ、十数年を経てその復讐としてある男の妻を篭絡しにかかる主人公ルドヴィークの執念がしかし、もはや何の意味もないものとなる悲喜劇を民族の忘れられた伝統とも重ねて描く長篇小説。

ルドヴィークをメインに四人の主観視点を行き来しながら、それぞれの状況を描くことで別視点での謎が見えるようになっていく仕掛けや、最終章で主要人物が一堂に会してクライマックスが訪れる構成、そして最後の男たちの郷愁と悲哀の情感はかなり良いんだけど、ちょっとミソジニーがキツい。作者は本書を「ラヴ・ストーリー」だと言うけどちょっと疑問が。恨みのある男の妻を誘惑して復讐するという筋書きは、プレイボーイが内面化しているミソジニーの典型に見える。ただ、ルツィエからの拒絶とヘレナへの誘惑は、ルドヴィークのすさんだ肉体的愛として相対化されてはいるか。ルドヴィークが恋人に送ったはがきに書いた、社会主義建設を冒涜するような冗談が人の知るところとなり、共産党も大学も追い出されて懲罰隊に入れられた挫折を、女性を篭絡することによって回復しようとするわけで、まさに逆恨み。これはまあちょっと読んでて厳しいところはある。

ルドヴィーク、ヤロスラフ、そしてヘレナとこれまで語ってきた各人が集まり、「冗談」のようにやろうとしたことに挫折する流れが収束する最終章は圧巻ではある。そしてルドヴィーク、ヤロスラフが楽団として再びともに演奏することで、二人の失われた青春がひととき戻ってくる。

人生の基本的な状況はすべて、帰らないものである。人間が人間であるためには、十二分に意識して、この二度と戻らないことの中を通り抜けなければならない。173P

ルツィエが、肉体的愛をすさんだものとされ、人生で一番大事なものを奪われてしまったように、私の人生も、私が頼ろうとし、本来純粋であり、無実であった大切なものを奪われてしまった。361P

多弁なルドヴィークと主観視点が一切ないルツィエという二人の登場人物が双子の運命を持つものとしてルドヴィーク自身が気づくことで、共産党も大学も追われた挫折とルツィエとの恋愛の失敗という二つのことが彼自身のなかで決着がついて、そこで音楽が流れてる、ということかなと。

音楽が時間を超えて何かを取り戻すように描かれているようで、それ故に音楽が特権的な意味を持っているのかもしれない。何年積んでたのかわからないけどようやく読んだ。みすず書房版はチェコ語からの翻訳で岩波版はフランス語からの翻訳らしい。みすず版の序文は翻訳事情について詳しくて面白い。

ルドヴィーク、君も神を信じないがゆえに、人を許すことができないのだ。君は今もってあの総会の事を忘れないでいる。全員が一致して君に反対の手をあげ、君の人生をだめにしてしまうことに賛成したあの総会のことを。君は決して彼らを許しはしなかった。個々人としての彼らばかりではない。あの集会にはおそらく百人はいたろう、それはもう小さな人類社会を作りうる数だ。だから君は人類を決して許さなかった。271P

つまり彼女の運命(強姦された少女の運命)が私の運命に似通っており、私たち二人はすれ違いばかり重ねて、互いに理解し合わなかったが、私たちの人生での出来事は、双児のように似通っており関連し合っている、なぜならどちらもすさんだ事件なのだから。ルツィエが、肉体的愛をすさんだものとされ、人生で一番大事なものを奪われてしまったように、私の人生も、私が頼ろうとし、本来純粋であり、無実であった大切なものを奪われてしまった。361P

立岩真也『介助の仕事』

介護・介助のなかでも常時介護を要するものを対象にした「重度訪問介護」、重訪と呼ばれる制度の実習者に向けての講習を元にした新書。著者特有の込み入った話は省いた読みやすい一冊で、介護制度や障碍者運動の概要を語りつつ、さまざまな書籍への入り口にもなっている。

著者は「本書は、まったく実践的・実用的な本です」(22P)と述べる。研修の講師として話したことだからでもあるけれど、介護保険とは別の制度としての重訪がどのような経緯を経てできているのか、その土地土地で制度利用の運動を切り拓いてきた人のことの実例を挙げたり、細切れの労働になりがちな制度とまとまった時間働ける制度との労働として稼げるかどうかの話なども含まれており、話がかなり具体的なものをベースにしている。講習なので平易な話を基本にしつつ、より詳しく論じた自著や共著などを積極的に紹介しており、著者の仕事全体へのイントロにもなっている。

ALSの介助について役所との交渉によって24時間介助の支給ができるようになったという道のりについてこう言う。

「交渉力が強いかとか、役所にどれだけの理解力があるかとか、そういうことによって左右されるというのは困ったことなんです。そうなんですが、さっきも言いましたように、制度の「相場」からいったら例外的なものをなんとか認めさせて、そして定着させるという道のりでできた制度なので、こういうことになっています。」90P

自治体によって対応が違うことの理由が窺える話で、その場所での交渉の歴史が反映されてもいるんだろう。制度をどう使うかという場面で、個人でやるか組織を作るか、障碍者自身が誰かを雇用するなど色々なやり方が紹介されていたりするのも「実用」的な部分で、自分が受け取る場合でも不正が疑われやすくなるので一人でも事業として会計を公開するやり方の人もいることが書かれている。

生きることの権利と義務について、著者の基本的な考えが示されているところがある。

障害があろうとなかろうと、いや、あって、でいいや、障害がある人が生きていくっていうことは、当然のことだとしましょう。そうするとそれは「権利だ」ということになります、硬い言葉で言うとね。こないだも権利の話をどこか行ってしたら、僕より上の年の人になんか言われましたけど。「権利」って言葉好きじゃない人わりといますよね。わからんでもない。でも言います、「権利だ」と。あるいは、「義務」って言葉のほうが好きな人なら、「義務だ」と言います。同じことです。その権利を実現するのは、人々の義務だということです。ここまで全然間違ってないですよね。「その義務は誰にあるか?」と言ったら、誰にでもあるわけです。ここも間違ってないですよね。「家族に義務はあるが、他の人に義務はない」って言えるかって言ったら、それは言えないです。すると「誰にでもある」っていうのが正解になってきます。(中略)そう考えると、税金を払って、場合に よっては保険料を払って、そのお金で働く人の生活を支える。そうやって支えることが 人々の義務である。そういう仕組みしかないと私は思うんです。」147-148P

「確認!・「ああなったら私なら死ぬ」は普通は誹謗だ」(230P)という節タイトルも重要な指摘だと思う。私の印象では年老いていくことについて不安もあってこういうのに近いことが言われている気もするし考えることもあるけれど、あんな風になったら○○、という言い方は他者の尊厳を侵害しうると。気に留めて置かなければならないこと。

佐藤哲也『シンドローム

「僕」の恋心あるいは性欲を統御しようと格闘する理知的で屈折していてくだくだしい特異な語りが友人平岩と同級生久保田葉子との関係を分析しつつ、現実では日常を破壊する異星人の侵略が始まる。内宇宙と外宇宙の交錯を青春SFとして描いたような長篇小説。

語り手の論理・分析によってすべてを捉えようとする語りのスタイルはしかし欺瞞的な匂いがあり、それは恋敵とも言える級友平岩を繰り返し「非精神的」「迷妄」の存在として指弾するところで、それは語り手自身が恐れ陥りかねないと自覚しているからこそなされているようにも見えるからだ。やりたくてもできない、なろうとしてなれない。語り手は平岩の行動にそれを見ているからではないのかと疑いを抱かせる。そうした己の「迷妄」を抑えつけようとしながら平岩をかわして久保田へのアプローチをしようと続けていたある時、というか空から火球が落下してくるのが冒頭になっている。

回りからそう思われても平岩を友人のようなものとしか言わない語りのなかで彼や映画に詳しく侵略SF映画などから予測しうる展開を折に触れて呈示する倉石と連れだって火球落下の現地に行ってみたり、これから何が起こるかを話し合ったりするなかで、久保田へのアプローチと地域の異変が並行展開する。

「青春とは「ひとり相撲」である」という森見登美彦の解説がだいたいのことを語っていてあえて付け加えることもないとも言える。

言葉によって堅固な城壁を築こうとも、非精神的なものは精神的なものの領域を侵し、非日常的なものは日常を侵していく。272P

ここで倉石の「宇宙戦争なんだよ」というセリフが引かれている通り、そして解説者は「戦争」の言葉を強調しているけれど、私は前記したとおりここでは「宇宙」、つまり外宇宙と内宇宙の交錯・相克を指していると読んだ。空から落ちて地下に蠢く触手異星人は、恋心が性欲へ転じることの似姿ではないか。ともかくとして、久保田や平岩についての語り手の認識はあまり信用できるものではなく、それなりに親交があるようにも見える久保田との関係が実際にどうなのかはわからないところがある。

それでも解説者が言うように、久保田と校外のベンチで昼をともにした場面はきわめて印象的で、それはここでは語り手がその屈折した言語を使うことができず、切迫感とともにごくシンプルな感情と行動を記述する一行の連続と、ただ括弧付きの短いセリフのやりとりだけが続く、ページの白さとして形式的にも異色の形態を採っているからでもある。ここでは言葉が極限まで切り詰められている。「迷妄」を抑えつける入り組んだ文章がここでは影を潜め、ただシンプルな言葉だけが並ぶこの場面の印象は、論理思考の「ひとり相撲」が消えた率直なものが現われている。それ故の美しさがあるわけだ。それは本書の最後において「ぼくは思う。いまはもう、思うことをやめようと思う」(267P)と終わることとも繋がっている。言葉をこねくり回していくらでも正当化や現実認識を成立させてしまう論理の欺瞞性を突き崩すものとしてのエイリアンと恋愛。それが逆さまになった学校のように日常を転覆させていく。SFの題材を借りた言語・認識・語りの批判的相対化とも言えるか。

映画好き倉石が映画をたよりに話をするのも、映画が彼にとっての言語だからだろうか。しかし、語り手が国語教師を内心で罵倒しまくるのは彼が「二枚目」だからかもしれないと読み取れるくだりは結構面白い。

佐藤哲也、『イラハイ』『妻の帝国』『下りの船』『シンドローム』『ぬかるんでから』は読んでて『熱帯』『サラミス』『異国伝』を積んでる。電子でもまだ未読は多い。

酒見賢一墨攻

墨守」で有名なわりに歴史に痕跡の少ない墨子について、ある墨者が小国の防衛に派遣され大軍を相手に巧みな戦術を用いて渡り合う攻城戦を題材に描く、中篇歴史小説。「非攻」を旨とした墨家の防衛戦術を守りこそ最大の攻撃とばかりに墨攻と題するセンスが面白い。

厳格な規律を施し人々を管理し一糸乱れぬ行動を行なわせる墨者の脅威を目の当たりにした人物はこう考える

墨子教団に任侠奉仕以外の野心があるのならそれは一つしかない。天下を墨者で覆うことである。墨者による理想国家。中略 墨者の稀な義侠精神と粉骨砕身の奉仕活動は次第に民衆の支持を得つつある。天下の民衆がこぞって教団の下に集まった時、彼らは何を行なうのだろうか。墨者は確かに守ることしかしない。だが、その守りが彼らの最大の攻撃なのかもしれない。71-72P

戦争を仕掛ける君主は千回も一万回も死刑に処せられてしかるべきであろう。墨子は現実の不合理さと特に知識人代表である君子に対する非難を隠していない。墨子は「一人を殺せば単なる犯罪者だが、戦争によって多くを殺せば英雄である」という警句を二千年も前に憤激とともに吐き出しているのである。この主張を墨子は遺言のような形で弟子たちに伝えたのではないだろうか。百家争鳴の戦国時代が思想的にはかなり自由であったとはいえ、この墨子の非戦論はラジカルに過ぎ、危険だったのである。23P

シンプルで短く魅力的な作品だけど漫画版はこの後の話もあるらしいな。

百合SFとラノベ四冊

宮澤伊織『裏世界ピクニック8』

「怪異探検サバイバル、2人の佳境」ってあおり、それはそうなんだけどサバイバルの佳境じゃなくて二人の関係の佳境なところが笑ってしまう。友達か恋人か共犯者か、怪異と遭遇しつつも二人の関係を二人がどう捉えるかという百合としてのクライマックス。恋人という関係に内包される身体の関係にも進みたいという思いと、「共犯者」というこの世で最も親密な関係という言葉へのこだわりがすれ違っていて、色んな人に空魚が友達か恋人かの境界をめぐって恋愛相談をしていく巻になってる。

「空魚ちゃん、ちゃんと鳥子とファーストコンタクトしてるか?」という小桜のセリフが肝になっていて、隣にいて一緒に裏世界を探検してきた相棒のことをしっかり理解しようとしているか、という問いが、恋人や友達という言葉一般の延長ではなく、二人がどのように具体的に関係を築くかにかかわる。友達や恋人、共犯者、そのどれでもない、二人がお互いの何がしたくて、どうありたいか、という意見を汲んで結ばれた関係、ということに落ち着くのは堅実だし非常に誠実な展開だと思った。これはどんなことでもそう。

しかし、特に性的なことに関心がなかった空魚が鳥子の一人でしちゃおうかな発言に急に欲情しだしたのは本当にお前!って感じで面白すぎた。その後別の展開になって誤魔化された感じするけど、肉体的接触にそれほど興奮しないのに相手一人の行為を見ることに興味を示すの、目が目だけはあるというか。

宮澤伊織『そいねドリーマー』

半年にわたる不眠症の主人公が人を必ず眠りに誘う少女と出会い、その少女は眠りの世界ナイトランドで睡獣と呼ばれる怪物をハントしているスリープウォーカーなる少女たちの一人だった、という覚醒と睡眠の世界を行き来する百合SFファンタジー

裏世界ピクニックの短い変奏のようでもある、この世界と異世界の往還が主軸となる短めの長篇で、覚醒と睡眠の二つの要素が次第に混じり合い、入れ替わりする表と裏の構図がよりスピーディに展開するあたりはその骨組部分だけを取り出して短くまとめたような感触がある。現実感覚が崩れる異様な描写とかは裏世界でも使ってた手法でやっぱそういうのが好きなんだな、と思う。ほとんど一つの同じ生き物になる、というあたり裏世界の最新巻とも通じ合うとも思った。百合の花を食らって生きる竜が出てくるのには笑った。作者やんけ。

そういや表紙や挿絵の丸紅茜、でーじミーツガールの人だった。活動終了しちゃったんだよなー。

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 4』

百合ラノベ第四巻。何を言ってもネタバレになる巻だけれども香穂がまさに伏兵として素性を露わにすることで、れな子の「行き過ぎた自虐はもはや犯罪的」(138P)だし他人を傷つけるという核心に切り込んで、同類だからこそお互いの欠点がよく分かるしお互いに励ます必要な迂回になっているのが良い。

真唯との関係の上に紫陽花からも告白されたことで、自己肯定感に欠けるれな子は逆に自虐の渦に落ち込んでしまうけれども香穂のコスプレ趣味に付き合うことで誰もがみな悩み苦しみながら自分になろうとしていることを知り、自虐を裏返す決断をする第一シーズンの締めくくり。人前での自分は作った自分でしかなく、本当の嫌いな自分が露呈する恋愛関係を拒絶するというのがれな子の心理の核心で、価値のない私というのに居続けることが逆に安心できるわけだけれども、それはしかし相手が好意を持った自分というものを否定し相手も否定することだというわけで。

持てる者の卑下は過ぎると相手を怒らせるだけだし、実際クインテットのみんなは見た目も良いのは再三描かれていて、それを引き受ける持てる者はさらに持つ選択肢を選ぶのはまあ笑っちゃうところはあるけど、自虐一人称のれな子を突っ込むというか応援したい気持ちにさせる語り口になっている。自己否定と肯定の揺れという思春期の心理を描きながら、上下や優劣ではなく、その形のその人が好きだという相手からの目線によって自分自身を肯定できるようになるというのはラブコメディの一つの王道だろうなと思う。

しかし、最後の決断を普通を外れるなら同じこととするの、同性婚が認められていない状況だから成立するロジックではあると思う。れな子は同性愛者なのかという問いかけがあったけれども、それは認めないのに初めて恋愛感情を認めたのが自分のコスプレ姿というひどいオチに繋がってて笑う。でもそれは間接的に認めたことになるのだろうか。香穂の色仕掛けにやられたあと、隙を見てここぞと一生の上下関係を叩き込もうとするあたり、かなり悪の匂いがするね。まあそれはともかく、「なんじゃそりゃあ!」までイラスト温存してたのは良い構成だった。頁調整もばっちりだ。

もののたとえでクラウドセフィロスが出てきたの、年がバレるぞと思ったけどPS4でリメイクが出たのは2020年なのか。しかしそうすると作中時間がコロナ禍にかぶることになりそう。

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 5』

百合ラブコメ第五弾。主人公が恋人たちとつきあうことになった第二シリーズの開幕ということで日常回のはずが各キャラそれぞれの描写と後の仕込みなんかで500ページほどになったという。前巻の決断の責任を果たすための主人公の奮闘という感じ。

今更だけどスクールカーストが重要な題材なのは女性主人公異世界ものが貴族社会を舞台にするのに似た感触がある。クインテットという女王王塚とその仲間たちの「貴族」社会になんとか食らいつくという話になってて、「陽キャ」は特権ではなく責任なんだという叙述にもそれが見てとれる。本作もトップカーストのグループの女王に気に入られて不意に引き立てられてしまった主人公がその貴族社会に食らいつこうとする話とは言えて、そう見るとカーストを連呼する本作の趣向はわたおし的な階級社会への批判的視線があまりないのが気になってはくる。

陽キャ」は色んな人の物語にかかわり、色々なことを言われる立場に立たされる、それがれな子は無理だと言うけれど恋人との関係ができることは更なる他人との関係が始まるわけで、それを学ぶのがれな子の課題という話ではある。自己否定の反動で他人のためになんでもしようとしてしまう不安定なメンタルを彼女たちが支えつつのリハビリ。しかし次巻のメインとなる妹のフラグを立てるのが結構強引ではあった。花取さんメイン巻もまあそのうちありそうな雰囲気。