向井豊昭 - 向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ

没後、生前から親交のあった岡和田さんは、遺族の方から許可を得て、同人誌での特集や遺稿の掲載、インターネットでの公開、そして未來社の「未来」での評伝連載と、再評価の仕事を進めてこられ、そしてついに向井豊昭作品集の編集、解説、年譜を担当し、ここに商業出版での刊行とあいなったわけで、まことに慶賀すべきことだと思います。

私も、同人誌「幻視社」での向井豊昭特集や未発表遺稿の掲載、手書き原稿のデジタル化、「向井豊昭アーカイブ」サイトの管理等で協力してきましたので、なかなか感慨深いものがあります。「幻視社」や「向井豊昭アーカイブ」といった場所での遺稿公開が「早稲田文学」への「用意、ドン!」の掲載へと至り、そしてようやくここに中央文壇に知られざる向井豊昭の傑作をあつめた作品集が出るというわけで、入手の難しい向井作品がより手に取りやすいようになったことの意義は非常に大きいと思います。

というわけで、本書を岡和田さんから恵贈頂き、2/6のジュンク堂でのイベントまでに既読のものも含めて改めて読んで行った訳ですけれど、初期の端正に文学的な作品から、後期の破天荒な言語実験を含むパンクな作品まで、表現手法に違いはあれども、その基本的なスタンスが貫徹しているということをよく示している作品集となっていると思います。

既に編者岡和田さんが収録作品を紹介されていますので、そちらを参照してください。
『向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ』が発売されました。 - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト
私も、「ヤパーペジ チセパーペコペ イタヤバイ」、「飛ぶくしゃみ」などについては以前「幻視社」第四号に書いた記事ですでに触れているので、それをネット公開した以下のページをご覧ください。
見えないものこそ、見つめなければならないのだ―向井豊昭メモ
それ以外のものについても本書中の岡和田さんの解説に如くものはないと思いますけれども、特に、三十部発行私家版の個人誌に発表後、「文学界」に転載され、『北海道文学全集』にも採録された「うた詠み」は、芥川賞を受賞していないのが不思議なほどの傑作でしょう。教員生活、アイヌの貧困、そして、アイヌの教育運動、地方での文学活動に携わろうとする「私」が和人からもアイヌからも突き放されるありさまを、違星北斗の「うた」を効果的に引用しながら描いています。

興味深いのは、作中で語り手は違星北斗の思想的限界について指摘してます。

北斗は、高貴なものに投石をしようとしなかった。彼は天皇制という秩序の中で、アイヌ自身に責めを負わし、アイヌの奮起をうながし、アイヌ解放を夢見たのだ。44P

ここでは天皇制国家の枠内での発想の限界が指摘されているのですけれど、しかしまた違星北斗の歌はそんな語り手を痛烈に撃ちます。

シャモという優越感でアイヌをば感傷的に歌よむやから

この二重性のある違星北斗の「声」の導入は非常に巧みだと思います。そして、ここに現われている和人ながらもアイヌにかかわろうとするスタンスの難しさは終生向井豊昭の直面した困難として、その後の作品でも見いだすことができます。

解説で、藤本英夫がこの時期に北海道で「日韓条約」に触れている感性に敬服した、と書いた手紙が紹介されていますけれども、北海道でアイヌに触れつつ日韓条約へ視線を送る、ということは、戦前に鶴田知也が日本の植民地主義をテーマに、元々朝鮮を題材に書こうとしたものの、それでは検閲を通らないだろうからアイヌの歴史を題材にして「コシャマイン記」を書いた、という証言とも通じることではないだろうかと思います。国に囚われず、植民地主義の犠牲という共通点を見いだす感性です。

「飛ぶくしゃみ」は、小熊秀雄アイヌも重要なポイントですけれど、最後に出てくるように向井豊昭の家族小説としての側面もある作品で、向井豊昭には家族を描いた小説が非常に多い。『DOVADOVA』なんかが特にわかりやすいですけれども、それ以外にも向井豊昭アーカイブにある作品や未発表の遺稿なんかには家族のことを書いたものが様々あって、子供の生まれた時を書いたものなんかもあったりして、暖かみのあるものも多くあります。

「飛ぶくしゃみ」には、語り手の新婚生活が書き込まれており、休みの日の貧乏な二人が学校の裏の高台に登って過ごしたようすが抒情的に描かれています。やや珍しいくらいの詩的な描写です。

坂道を上っていくと、牧草地が広がる。その日、二人は詩も作らず、歌も歌わなかったが、風にさやぐ牧草はペンのような葉の先で光の中に詩を書いた。葉という葉は声帯のように震え、リズミカルな音を発し続けたものだ。214P

エスペラント、というのも作品集の軸の一つで、向井豊昭アイヌ教育運動とのかかわりのなかからエスペラント運動に関わっていくさいのエッセイが収められており、そこには知里真志保の『アイヌ民譚集』からパナンペ・ペナンペ説話をエスペラント語訳したことが書かれており、アイヌエスペラント向井豊昭のなかで密接な繋がりがあったことが窺えます。

と同時に、ハンガリーの作家のエスペラント語小説の翻訳が収められているのが非常に面白いです。「早稲田文学」にも転載された「用意、ドン!」にもエストニアの作家のエスペラント語詩が訳されていましたけれども、こちらはベンチク・ヴィルモシュというハンガリーの作家によるもの。独ソ戦下のハンガリーハンガリーのナチ党員とソビエト軍の斥候シャーネックの遭遇を描いたものです。掌篇ながらも東欧文学として非常に興味深い一作で、この作家は商業誌に翻訳が載るのは本邦初だということです。

そして、最後に収められたもう一つの遺作という「新説国境論」。突き放したように駄々っ子みたいなわがままをいう「ジジイ」を描いて突きぬけたような作品で、「国境などあってはならんものなのじゃ」と叫んで転んで、赤ちゃん言葉で呻いて、

国境と国境の摩擦で、赤ちゃん言葉が思わず出る。赤ちゃんとジジイには国境はなかった。あっていいわけがない。233P

という滑稽な場面での力強い宣言が、この作品集を一言で表現しているようで印象的な結語となっています。


ジュンク堂での市川真人さんと岡和田晃さんのトークイベントは、向井豊昭の話、そして早稲田文学新人賞の作家について語りあうイベントで、読んでみたい作家が増えました。会場のみで先行販売の「早稲田文学7」もせっかくだからと買ってみて、とりあえずソローキンの特集を読んで、これは長篇を読まねばな、と。

イベントのようすはyoutubeニコニコ動画にそのうちアップされると思いますので、ご興味のある方はいずれそれをご覧になると良いのではないでしょうか。一週間か二週間くらいあとになるのかな。
junkuTV - YouTube

会場には向井恵子さんや東京での小学校教師時代の教え子さんもいらっしゃってました。本書扉にもある肖像画の現物が飾られてました。そして教え子だった人がとてもいいエピソードを語ってくださって非常に面白かった。これはそのうち公開される動画でお聞き頂ければと。