岡和田晃編『上林俊樹詩文集 聖なる不在・昏い夢と少女』

上林俊樹詩文集『聖なる不在・昏い夢と少女』を刊行します | SFユースティティア

他所で告知はしたけれどここでは記事にしてなかったので。上掲本の版面づくりというか本文PDF制作と表紙のデザインを担当しました。作業自体はかなり前に着手しており、またISBN付けて刊行するつもりでもなかったので、さすがに一太郎2015では色々と限界が見えるところもありますね。著作リストの枠線が自由にならないところとか。

誤字脱字チェックがてら改めて本になったのを読み直してみて面白いところがあったので引用メインにしつつ本書の一端を示してみたいと思います。

本書で面白かったのは吉本隆明が日本近代詩の三類型を試行しつつ自らの詩法を確立した道筋をたどりながらの日本の近代詩の理論的把握のところですね。著者のスタンス、更科源蔵への批判と吉本隆明論の繋がりがよくわかる。更科源蔵論では以下のように論じられている。

わたしの考えでは、詩法と存在論の対応は三つの原型に分けることができる。第一は、世界との対峙を徹底化することによって生み出されるものであり、これは喩を抑制した韻律重視の詩法となるだろう。第二は、先の詩法とは正反対に、喩の連続によって自らを世界へ融合させようとする詩法である。そして第三の詩法は、自らを世界と対峙させることも融合させることもなく、いわば遊離した状態で生み出されてくるものであり、これには「四季」派の抒情詩のほとんどが含まれるとみていい。
 「四季」派の詩法は、世界との遊離という存在論を根底にしているがゆえに、どんな現実もそこに繰り込まれることはなかった。しかし、世界との対峙も融合も回避したとき、「四季」派の詩人たちは逆に現実の秩序をストレートに反映せざるをえなかったといえる。彼らの詩が慰安を与えるのは、その詩の秩序が読み手の心的な秩序を脅かすことなく、一切の現実の矛盾が自然へ溶解されてしまうためである。「四季」派の抒情詩が変わりなく一定の読者に読み継がれてきたことの根拠はここにしかない。21P

存在論的な否定性を持たない詩人は、戦争になれば戦争詩を書き、平和になれば平和な詩を書きというように、その時々の現実の秩序を映し出すほかはない。22P

更科源蔵批判の企図はここにある。で、吉本論では次のように論じられる。

いままで、立原道造宮沢賢治高村光太郎の吉本への影響をたどりつつ、三つの詩法と、それが背後にひそめている存在論的な原型について書いてきた。いまそれをまとめると次のようになる。
  抒情詩――〈わたし〉と世界の遊離
  幻覚詩――〈わたし〉と世界の融合
  実存詩――〈わたし〉と世界の対峙
 日本の近代詩は原理的にはすべて、この三つの詩法と三つの存在論的原型に収斂させることができる。立原道造宮沢賢治高村光太郎は、この三つの詩法をそれぞれ代表する詩人であった。109P

 吉本は初期に立原道造宮沢賢治高村光太郎を摂取することによって、近代詩における詩法と存在論的原型の三つの系譜をすべて試みたことになった。109P

光太郎が日本の近代詩の流れのなかで世界と自己をきびしく対峙させ、はじめて詩を倫理として書こうとした詩人であるとすれば、吉本はその正統な後継といえる。『固有時との対話』は、現代詩の流れにおいても、吉本自身の詩業においても、倫理的な詩の一つの頂点をつくったものであった。107P

この理論的分析がなかなか面白い。宮澤賢治に傾倒しつつ詩法としてはほとんど影響を受けていないと論じるところも。また更科源蔵論を見ると抒情詩の行く先に上林が懸念を抱いていたこともわかり、なぜこの三つの系譜のなかで吉本隆明なのかも見えてくる。しかし吉本自身についてもこう言っている。

幻覚詩の詩人が晩年には土俗的な共同性へ回帰するように、実存詩あるいは抒情詩の詩人たちにおいても最終的にどこへ行きつくかという必然的な過程は予見できる。いま実証する余裕はないが、抒情詩の詩人は花鳥風月という伝統的な感性へ向かい、実存詩の詩人は次第に仮構力を失い日常の身辺雑記的な詩となるのが終着となるであろう。このことは、最近の吉本の詩からも、明らかにうかがうことができるように思われる。111P

『昏い夢と少女』は初期詩篇を精読しながら吉本隆明という詩人の成立をたどる評論になっていて、詩の理論的把握とその類型についてのスタンスを見るとなぜ岡和田さんが注目し本書を編集しているのかも見えてくる。

ここで触れたのは本書のごく一部で、他にも詩作品や雑誌の巻頭言、書評その他に加え、著作リストと岡和田さんの長文解説で詩人について概略を知ることができる一冊になっています。