「「戦前日本SF映画小回顧」前夜祭」に行く

戦前日本SF映画創世記: ゴジラは何でできているか

戦前日本SF映画創世記: ゴジラは何でできているか

「戦前日本SF映画小回顧」前夜祭
『北の想像力』でもご一緒した高槻真樹さんが、『戦前日本SF映画創世記』という大変な労作を出されており、その関連イベントとして6/30に開催された表題イベントに行って来ました。

『戦前日本SF映画創世記』

『戦前日本SF映画創世記』は、ゴジラから始まるとされることの多い日本SF映画について、戦前の映像作品を博捜することで、知られざる戦前日本SF映画の鉱脈を掘り起こし、ゴジラは始まりではなく、戦前から続く日本SF映画のひとつの到達点として見直されるべきだとする非常に野心的な著作です。戦前の日本にSF映画はなかった、という加納一朗の言葉を、膨大な資料を用いてひっくり返す。そして日本SF映画の第一号として、1926年衣笠貞之助監督による『狂った一頁』という映画を提示しています。「精神病院を舞台に、患者たちの精神世界を特撮映像を駆使して表現しよう」というもので、極めて先駆的かつアバンギャルドな作品。脚本に川端康成、撮影に若き日の円谷英二というスタッフも気になるこの作品は、言ってみればニューウェーヴSFのような前衛作品で、このセレクトは非常に挑戦的です。

他にも、個人で映画を撮るブームがあったとか、B級映画として紹介される多くの魅力的な作品があり、非常に興味深い戦前映画事情が論じられていて、映画史はまったく分からない自分でもとても面白く読める本でした。ゴジラを論じる本ではなく、ゴジラ前史を辿る本、というわけですね。

「戦前日本SF映画小回顧」前夜祭

そして、この本のなかでも触れられている、貴司山治の小説を原作とした、お蔵入りとなった幻のSF映画『霊の審判』が今回のイベントの目玉として上映されるというので見に行ったのでした。

その他にも、メリエスの『月世界旅行』、戦前のB級映画としてファンが多い、ロボットが出て来る極東映画の『無敵三剣士』の戦後リメイク版が上映され、高槻さんと永田哲朗さんによるトークも交えて、当日のイベントは進みました。著名な『月世界旅行』、見たのはその日が初めてで、戦前のSFらしい、露骨な植民地主義の暴力がすがすがしいほどで、ロケットで月に行って、出会った現地人をぶっ殺しながら捕まったら隙を見て王様も殺し、月から「落ちて」地球に帰還する、というストーリーは凄いですね。

『霊の審判』のほうは、上述の通り、新聞から復刻した画面写真にちょいちょい動きを入れながら作成した動画に、弁士の演技とBGMをつける、というものでしたけれども、非常に興味深い作品でした。

元々この映画は新聞の懸賞小説を原作に、新聞での連載と同時に撮影を行う計画で、脚本がそのまま連載され、挿絵も途中からは映画のスチル写真に代わり、そのため多数の写真が残されました。つまり、完全な脚本と場面写真が多数残されており、今回、上映されたのは、そのスチルを並べ、弁士とギタリストによる音響をあわせた再現上映、ということになります。

基本にあるのは、人間の深層意識に働きかけ、より有能な人間に改造するという心理学的SFアイデアです。その研究をしている南博士のもとに、南海の小国からサボオントという大統領が訪れ、自分の頭痛の治療を望んでいます。同時に訪れた八重島櫻子という世界的ソプラノ歌手がいて、彼女は南博士の若い頃の友人柳原を誘惑して捨て、彼は自殺してしまうという因縁があります。櫻子は日本に来てから死んだはずの柳原を名乗る黒ずくめの男につけ狙われます。

こうした状況から展開していくSFサスペンスで、ネタは早々に分かってしまうのですけれど、三角関係や謎めいた雰囲気作りなど、エンターテイメント要素がふんだんに盛り込まれていて、なかなか面白い作品でした。設定のいくつかにも面白い部分がありました。

小国ノーヴァ・スーノ(エスペラント語だったか)こと、「新しい太陽の国」は、男女差が少なく、性欲も物欲もない人々が豊かに暮している、という国で、いかにもな欲望を好ましからざるものと見るユートピアとして設定されています。潮汐力による一億キロワットの発電力があるそうです。そして、人格改造して超人を多く作るという計画、ロボトミーで解決するラスト、殺され損の登場人物など、人権的にまずい発想が目白押しで、たいへん面白い。

高槻さんも優生学的な発想をそこに見ているとおり、戦前の社会主義者にとって、優生学思想というのはどうも非常に魅力的なものだったようです。貴司山治は後にプロレタリア作家となって、『ゴー・ストップ』というプロレタリア大衆文学として知られる作品を書くなどすることになるのですけれど、社会主義的な発想をベースに書いたとされるこの作品で優生学が出て来るのは興味深いです。

日本プロレタリア文学集 (30)

日本プロレタリア文学集 (30)

なぜなら、私が『北の想像力』で扱った鶴田知也も、戦前の作品で優生学へのコミットを書いているからです。この話はいずれどこかで発表されるかも知れないのでここでは踏み込みませんけれど、気になる共通点です。

そして、この映画がお蔵入りになったのは、ノーヴァ・スーノという小国のユートピア描写が、右翼からソ連讃美としてねじこまれたからだ、と貴司は語っているという。

戦前のSFにはこんな作品があったんだな、というのがわかって非常に面白いものでした。このイベントは八月から開催される上映イベントの前夜祭、ということで、後々戦前SF映画の上映イベントが行われるそうなので、気になる方はラピュタ阿佐ヶ谷のほうをチェックしてみて下さい。
Laputa ASAGAYA

貴司山治『ゴー・ストップ』

で、事前に貴司山治の代表作『ゴー・ストップ』を読んで行ったのですけれど、この『ゴー・ストップ』のほうも面白い。

荒俣宏が『プロレタリア文学はものすごい』で、貴司の「忍術武勇伝」を面白すぎるとして批判を喰らった、ということを書いていて、それを読んでいたので貴司山治という名前は覚えていたところ、この上映会があったわけです。

で、『ゴー・ストップ』はこれがまた新聞連載小説と言うことでガンガン話が進むし、興味をかきたてる展開をどんどん持ってきて、とても楽しいうえ、工場での労働争議についてのノウハウが描き込まれていて、実録的な組合運動の手引きとしても読まれていた、といいます。

スリをせざるを得ない貧乏人の苦しさを描き、労働者を搾取する資本家を描き、組合を潰そうとして警察がやってきて、組合運動を応援する全国組織の助力を得て、ストライキを敢行する。それが1928.3.15の大弾圧事件へと収束していくさまはなかなか読ませる展開です。

こちらにも初版復刻版がウェブ公開されています。
プロレタリア大衆小説 ゴー・ストップ 発禁初版復刻
私は『プロレタリア文学集』で読んだのですけれど、どう違うのか。