季刊「未来」の後藤明生論第三回「ガリバーの「格闘」」についての補記


連載第三回の掲載された季刊「未来」2017春号が出ました。
「何?」から始まり、「一通の長い母親の手紙」「書かれない報告」「隣人」「疑問符で終る話」と、70年連作を一通り論じています。他に「ああ胸が痛い」も言及。この紙幅なのでさすがに一作ごとの文章量が当てられないのが心残りではあります。

Twitterでも写真に撮った冒頭の引用部分、画像だと見づらいですけれど、ここは初期短篇のなかでも特に引揚者の陰惨さが出たところで、非常に印象的なところです。

いくらか自分なりにこれまではほとんど引用されていないな、という箇所があってそれは以下のような、「百姓」への憎悪の部分です。

土地、土地、土地! まったくご先祖様はありがたいものだ! 実さいご先祖様がハダシでこやしをまいた田圃から彼らは札束を穫り入れたようなものだった。

さらに、「近郷の百姓どもは、有史以来空前の土地ブームというもののために、頭がおかしくなっているのだ」、「みんな気が狂ってしまっているのだ」という、相当アレな部分。ここ、凄いでしょう。中傷を振りまいていて、一見ぎょっとするところですけれど、これこそが土着と漂着の断絶を示すポイントだと思います。

次回からはいよいよ『挾み撃ち』論に入ります。かなり新視点があると自分では思っているんですけれど、どう受け取られるものか。

以下出典注補足

●26頁

男の父親が、縁もゆかりもない見知らぬ北朝鮮の山の中の、朝鮮人部落の狭いオンドルの一室で、何日間かにわたって黒い血を鼻と口から吐き続けたあと息を引き取ると、着ていた厚い陸軍将校用の毛シャツとズボン下の間から、ぞろぞろとシラミが這い出してきた。祖母はそれを一匹ずつつまみ取って口へ入れながら、もう半年早かったらなあ、立派なお葬式だったのになあ、と口の中のシラミをかみつぶすように繰り返し繰り返しいった。三十年以上も朝鮮で暮したのに、選りも選ってなあ、こんな誰も知らんとこで、誰も知らんとこでなあ。あんたも朝鮮の土、おじいちゃんもみいんな朝鮮の土になってしもた、あたしもあんたと同じ朝鮮の土になってしまお。ぶつぶついいながら、男の父親が死んでちょうど一週間後に祖母は死んだ。

『何?』新潮社、一九七〇年、四八頁。

なにしろそこには、朝鮮の土となったところの父親と祖母が土葬された山に生えたツツジを食べたと書かれているからだ。そのツツジ入りの米の粉団子で男たちは飢えをしのいだのだった。つまり男は朝鮮の土を食べたわけだ。

前掲『何?』、四九頁。

●27頁

男が出会ったのは日本で初めての蛇だった。日本へ帰国した男が二十五年目に初めて一対一で向い合った日本の蛇である。したがって男がおぼえた満足は、北朝鮮の蛇を殺した男と、現在の日本で生きている男とが、日本の蛇を殺すことによってはじめて結びついたための満足であったと考えられる。

『書かれない報告』河出書房新社、一九七一年、一〇三頁。

●29頁

はっきりしていることは、唯一つだった。住居はすでに男の一部だ。同時にもちろん、男は住居の一部でもある以上、一日たりとも男が住居を離れて自分を考えることなどできないはずだ。

前掲『書かれない報告』、六〇頁。

●30頁

土地、土地、土地! まったくご先祖様はありがたいものだ! 実さいご先祖様がハダシでこやしをまいた田圃から彼らは札束を穫り入れたようなものだった。

前掲『何?』、九二頁。

「ああ胸が痛い」で、団地で違法な路上販売をする農家の息子が、何度取り締まられてもふてぶてしく再来するさまを眺めながら、自らが売り払った土地に戻ってこずにはいられない「地霊のような亡霊」だと語る場面
『私的生活』新潮社、一九七二年、一九八頁。

「唯一つの住居であり、そこにしか男の住居はない」

前掲『書かれない報告』三〇頁。

しかしながらわたしはここで、いわゆる故郷喪失ということばを用いて何ごとかを語ろうとしているのでは、もちろんない。すでにそんな年でもないと思うし、また故郷喪失者ということばは、もはや現代においては、人間の代名詞とさえなっているといえるからだ。

前掲『書かれない報告』二〇三頁。