季刊「未来」の後藤明生論第二回「回帰する朝鮮」についての補記

連載第二回の掲載された季刊「未来」2017冬号が出たようです。
今回は前回を継いで植民地朝鮮をはじめて正面から描いた「異邦人」、「笑い地獄」そしてさしあたり70年連作と呼んでいるうちの最初の2作、「誰?」と「何?」を扱っています。


前回に続き、紙幅の関係で削った出典注等を補足しておきます。

引用出典

●30頁

「わたしは、生まれは朝鮮人ですが、今はもう立派な日本人です。ですから、お国のために喜んで息子を兵隊にやります」

「異邦人」、『関係』皆美社、一九七一年、一二八〜一二九頁。

「逃げない」と少年はこちらをにらんだまま答えた。「お前たちが帰れ!」

前掲『関係』、一三九頁。

●31頁

「〈朝鮮〉および〈朝鮮人〉とわたし自身との関係が、運命の問題としてふたたび、北朝鮮で生まれて戦後引揚げてきたわたしの現在と、いろいろなかかわりあいを持ちはじめているためである。」

前掲『関係』、二一六頁。

●34頁

「すでに男からは、彼自身であることさえ失われている。男は存在しなくなった。ゴーストライターの男はいまや、彼自身の手によって書かれた週刊誌の記事の中に、消滅する。」

『何?』新潮社、一九七〇年、七五頁。

「記憶には場所が必要です。(中略)ところがわたしには何もありません。記憶というものに必要な場所がどこにも見当らないのです。お母さん! わたしがいま住んでいる団地は、お母さんも何度か見たでしょう。わたしはこんな見も知らぬところへ流れ着いているのです。ここでは毎日毎日、記憶が失われてゆきます。それも他ならぬわたし自身の、飢えに関するものなんですからね。まさしくここは、記憶を抹殺する流刑地のような場所です。」

『何?』新潮社、一九七〇年、三〇頁。

補足など

落選作を集めた本というのは、『読売短篇小説集』文苑社、一九五九年。これは現物未確認。

注5の補足として、近代文学館の「新早稲田文学」第二号には「高見順氏寄贈 日本近代文学館 39.6.8」の印がある(昭和39=1964年)。そのほかは紅野敏郎文庫のもの。『壁の中』を読んだ人は、この高見順との奇縁に驚くのでは。

「犀」に参加。実際に誌面を見てみると、「犀」同人として名前が載るのは、一九六五年春季号(3号)から。

「笑い地獄」。「現点」におけるインタビューによると、これは「人間の病気」が芥川賞候補になったさい、受賞第一作として「文學界」の要請によって書かれ、「無名中尉の息子」と同時に提出して、採用されなかった方だとのことで、執筆時期自体は六七年中ということになる。

平凡出版を退職。「国文学 解釈と鑑賞」一九七三年、五月、一二二頁の池内輝雄の記事によれば、退職後も「現在は小説執筆のかたわら週刊誌の無署名執筆者(ゴーストライター)のようなこともしているらしい」とある。週刊誌時代も無署名記事を書いてたはずだけれど、退職後もしていたということで、『誰?』あたりの記述はかなり事実に近いのかもしれない。またこの池内記事、前年の「國文學 解釈と教材の研究」七二年六月の記事とほとんど同じ原稿だった気がするので、あとで再確認する。

「誰?」において「ゴーストライター」が消えたことと、「何?」において職安通いを続けていること、また母親等の描写は、この二作が連続している印象を与える。しかし、作品集に採られる際、この二作はつねに発表と逆順で収められている。『後藤明生コレクション2』でおそらく初めて発表順で収録されるはず。

1/6Twitterポストを追記。


「新早稲田文学」については、6号まであるのが確認できるものの、近代文学館で実見できたのは1.2.5.6のみ。また、この書影、乾口さん編の『日本近代文学との戦い』の年譜に似たものが載っていたのを見た人は多いはず。それは5号の書影。
連結したTwitterポストをブログに引用すると、勝手に繋がれた状態で表示されるみたいだ。